生きてるうちから全集など考えないほうがいい

2019年2月28日
posted by 藤谷 治

第12信(藤谷治から仲俣暁生へ)

仲俣暁生様

橋本治氏は、享年70とのことですが、夭折の感すらあります。山のような仕事をしながら、なお山のように仕事を残して亡くなりました。評価を定めるには時間がかかるでしょう。

僕は仲俣さんほどには、橋本治という作家に思い入れはありません(仲俣さんの氏に対する思い入れが尋常のものでない、ということもありましょう)。僕が読んだ橋本作品は、全体の十分の一にもならないでしょう。子どもの頃に読んだ『桃尻娘』は記憶の底に沈んでしまったし、『窯変源氏』も『双調平家』も未読です。アメリカに住んでいたころ、日本語が恋しくなってニュージャージーの紀伊国屋書店で買った『鞦韃(ぶらんこ)』という短編集のグロテスクに驚き、以後アメリカ滞在中はもっぱら藤沢周平を読むようになった、なんていう思い出があるくらいです。「フィクショネス」の店内で貧困にあえいでいた時は、『貧乏は正しい!』に勇気づけられもしました。

橋本治が「意地悪」なのは自他ともに認める特徴で、その意地悪は当代にこれ以上ないほど啓蒙的でした。その橋本氏が、小説の中で自作をめぐる人物についても、そして自作についても意地悪な見通しを描いているのは不思議ではないでしょう。橋本氏ならずとも、本の現状について多少なりとも関心のある人間なら、本の未来を光り輝いていると思い込むことは難しいのではないでしょうか。

商業出版の観点からいえば、著作権保護の期間が延長されるのはネガティブな問題かもしれません。著者の没後、著作権継承者を探し回ったり、継承者との折衝に腐心する編集者の苦労話を、僕も何度か聞いてきました。

一冊の知られざる傑作を発見した編集者が、その本を是非とも出したいと考えたとします。しかしその著者が60年前に死んでいるとしたら、一体その編集者は、どうやって著作権継承者を探すのでしょう。その著者の一族が、コンスタントに子孫を残し続けてくれていればいいが、その頃には何がどうなっているのか判らないというケースが、今以上に増えるのではないでしょうか。情熱的な編集者であれば、継承者を求めて、著者の兄の孫の嫁の居場所を必死になって捜索してくれるかもしれません。しかしそんな面倒くさい作業に、果たしてその「知られざる傑作」は値するだろうかと、編集者が途中で出版企画を放り出してしまう可能性だって、あるんじゃないでしょうか?

本が残るということが、単に作品の質だとか「再発見」によってだけ成り立つものではないのは、僕より仲俣さんの方がご存知でしょう。本は残りにくくなっており、今後その傾向はますます強くなっていくでしょう。読者の減少や「劣化」といった質的問題、あるいは需要の問題もあるかもしれませんが、そもそも物質的に本は供給過剰なのです。

せちがらい出版業界の状況を無視して、話を文学史論、芸術史論に限っても、同じことかもしれません。芸術の歴史は淘汰の歴史です。僕たちは過去をフルイにかけて現在を生き、未来のフルイからこぼれ落ちるでしょう。同時代においてどんなに称賛され、尊敬されても、ふた世代もすれば忘れられる文学者、芸術家の、なんと多いことか。スタンダールの墓碑銘には、「私が愛したのは、モーツァルト、チマローザ、シェイクスピアだけであった」と書かれているそうですが、16世紀の劇聖と18世紀の神童のあいだに、オペラ『秘密の結婚』の作曲者の名が刻まれているのは、僕には奇妙に思えます。しかし恐らく、スタンダールの時代には、この名前は他の二人の天才と並び称される評価を得ていたのでしょう……多分。

もちろん、正反対の事態も芸術史には生じています。宮沢賢治やフランツ・カフカの知り合いが、こんにち彼らの文学がどれほど評価されているかを知ったら、あっけにとられるに違いありません。『ドン・キホーテ』はセルバンテスがふざけて書いた小説でした。チャンドラーは金のために書いたのです。今や彼らは文学の王様のような扱いを受けています。しかしもちろん、だから今は評価されていない俺だって後世には、などと期待するのは、捕らぬ狸の皮算用のうちでも、相当情けない部類に属するでしょう。

誰の何が残り、また残されるべきか。そんなことは、生きている創作家や文筆家は、考えたってしょうがありません。出版の現状に照らし合わせて考えても、こんなに本が多いのでは、よほど話題性がない限り、うずもれてしまうのは無理もないことです。

しかしやはり、(読者ではなく)一般的な消費者の、文学に対する無関心は深刻な域に達しているのでしょう。ただ、この無関心にも僕は、その原因を文学史そのものに見出すことができると思っています。これは日本文学独自の問題です。日本では、「純文学」と「娯楽文学」のあいだに決定的な、あってはならない懸隔があったのです。

明治以来、日本の文学者――のちに「純文学」と括られるようになる文学の創作者には、「面白さ」に対する、侮蔑といっていいような意識がありました。芥川龍之介が谷崎潤一郎を批判した「話の筋論争」や、久米正雄が「私小説と心境小説」で主張した、フローベールもドストエフスキーも、しょせんは偉大な大衆小説だ、という文学観は、大正から昭和初期にかけて起こった大衆小説の大ブームに対する危機意識だったのかもしれませんが、そうだとしても逆に言えば彼らは、そのような形でしか危機意識を持たなかったのです。

当時の大衆小説――チャンバラやお涙頂戴、英雄崇拝や犯人捜しや母恋ものといった量産される小説に対抗すべく、『罪と罰』や『ボヴァリー夫人』に匹敵する面白いものを書いてやる、という方向には、彼らの意識は向かなかったのでした。

そして、そのような懸隔、あるいは「面白さ」への侮蔑(無意識なのかもしれませんが)は、今現在まで続いていると、僕はあえて断言します。

文学の面白さは、勧善懲悪や悲恋のような、既知のものに束縛されない。言語表現や直視すべき社会問題、個人の意識など、未知の面白さがあるはずだ――。純文学の主張、あるいは存在理由は、そのような新しい面白さへの、自由さと実験にあるはずです。しかし大半の純文学が、表現や問題意識にとどまり、面白さへの追及にまで至っていません。どうやらある種の純文学作家は、自分の表現を読者に、いかなる意味でも「面白いもの」として提示するつもりが、そもそもないのではないかと思えます。面白いかどうかは、最初から念頭になく、ただ新しく、ただ巧みだったり清新だったり深刻だったりするものを書き、こういうものを興味深く読んでくれる人もいる、という主張(この主張自体は正しいものです)を信じている・そうとしか思えない純文学は、現在まで連綿と続いているのです。

こんなことは、まったく言うまでもないことですが、面白さというのは困難で難解な、表現上の大課題です。この課題を乗り越えなければ、文学は、そしてあらゆる表現は、時間のフルイから、真っ先に落とされてしまうのです。面白ければ残る、というわけではないが、面白くないものは、決して残らない。それは同時代でも後世でも同じです。

この「面白いとは何か」という課題の大きさに、日本の近現代文学は真正面から取り組んできませんでした。そのような文学が、読者はともかく、一般的な消費者、あるいは常識的な社会人から、相手にされなくなるのは、ほとんど必然というほかないでしょう。

そして一方で、相も変らぬ人情や英雄、悲恋や完全犯罪をえんえんと繰り返し続け、そのためにジャンルを果てしなく細分化し続ける「娯楽小説」もまた、成熟した人間がまともに取り合おうとしないからといって、文句の言える筋合いかどうかは、よくよく自らを検討しなければならないはずです。

あんまり長くなってしまったので、最後にふたつだけ書いて終わりにします。仲俣さんの質問に答えなければなりません。

まず僕の全集についてですが、そういうことは生きている小説家は、考えないほうがいい、と思っています。昔の人気作家はよく、生前に、しかもキャリアの中盤あたりで、全集を出していたものでした。思い出すと羨ましい気持ちにもなります。だけどそういうのって、ちょっと退嬰的というか、権威主義的な感じがするし、そもそも読者が少ない僕みたいな小説家は、目先のことしか考えられません。それに選集ならともかく全集というのは、現役の小説家には精神衛生上よくありません。全集を出される、なんて空想したら、失敗作が書けなくなりそうです。現役の小説家には、失敗する自由だけが自由といえます。

それから、「僕たちが85歳を迎える頃に「本」はどうなっているか、あるいはどうあってほしいか」。

非常に逆説的というか、それこそ「意地悪」な回答になってしまいますが、僕が85歳まで生きていたとして、その時の本は、今とまったく変わっていません。これは空想でも希望でもなく、事実です。だって僕にとっての本、つまり僕の本は、すでに僕の本棚にありますから。売り飛ばしたり燃えたり捨てたりしない限り、本はずっと僕の家に居座り続けるでしょう。

これが本というものを考えるときの、やっかいなジレンマ、あるいはパラドキシカルな一面なのです。つまり本というのは、僕の読みたいものが、僕の分だけあれば、それで充分なんですよ。世間に出回っているかいないか、売れているかいないか、僕の死後にどうなるか、そんなことはどうでもいいし、考えるにしても、実は本質的ではないのです。つまり本というのは、社会的に考えることができない商品なのです。この矛盾。商品とは社会的にしか存在しえないものなのに。

ですから僕は未来の本のありようというものに、ごく冷淡な感情しか持っていません。自作についても同じです。届いた人に届けばいい。読めた人に読んでもらうほかはない。自分の本に小説家が託せるのは、結局のところそれだけです。もちろんそれは、祈りと変わるところのないほど、熱烈な希求を込めた「それだけ」であるのですけれど。

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【お知らせ】
「21世紀に書かれた百年の名著を読む」第1回
仲俣暁生×藤谷治「イアン・マキューアン『贖罪』を読む」

3月29日に東京・荻窪の本屋Titleにてトークイベントを開催します。開始時間は19時30分。料金は1000円+ドリンク代500円、定員は25名です。詳細な内容と参加申し込みは以下のサイトをご覧ください(満席の際はご容赦ください)。
http://www.title-books.com/event/5955

闘う図書館と情報の自由――ライブラリー・フリーダム・プロジェクト

2019年2月26日
posted by 八田 真行

近年、インターネットの普及や書籍等の電子化に伴い、図書館の社会的役割が大きく揺らいでいるように思われる。今や図書館の一般的イメージは、「無料貸本屋」、あるいは最悪「コーヒーショップの添え物」といった感じではないだろうか。私は子供のころから図書館のヘビーユーザーであり、今の自分の6、7割方は図書館で借りた本やCDから学んだ知識が形作ったと思っているので、寂しいことである。

図書館もさることながら、図書館を司る司書もまた、一般の利用者からは縁遠い存在だ。本の整理係として以外、司書の具体的な職掌を知らない人が大多数ではないだろうか。最近では自治体等の財政難もあって、司書の地位も不安定化しているようだ。

こうした傾向は世界的なもののようだが、最近アメリカでは、図書館、あるいは図書館司書に従来とは違った役割を見いだす動きが出てきている。その一つが、Library Freedom Projectだ。2015年に始まったこのプロジェクトは、大学や自治体の図書館をサイバーセキュリティやプライバシー教育の拠点と位置づけ、図書館司書にTorのようなプライバシー強化ツールの使い方を伝授している。

Library Freedom Projectは図書館が監視と戦うためのツールを提供すると謳っている。

Torについてはご存知の方も多いだろうが、簡単に言えば、匿名でウェブサイトにアクセスするためのツールである。例えば掲示板サイトにアクセスした場合、書き込み自体は無記名であっても、アクセスログにIPアドレス等の記録が残る。Torは、複数のリレーサーバを経由することで、最後の(全く無関係な)リレーからアクセスしているように見せるので、実IPアドレスは記録されないわけだ。これにより、検閲やトラッキングを心配せずにインターネットにアクセスすることが可能となる。

なぜ図書館にTor?と思う向きも多いだろうが、このプロジェクトは、そもそも図書館とは何なのか、という問いから始まっている。アメリカ図書館協会(American Library Association)が基本原則として採択している「図書館の権利宣言」(Library Bill of Rights)には、

  1. すべての人に知る自由を提供。著者や背景、思想を理由とする資料排除の禁止。
  2. 党派・主義を理由とする資料排除の禁止。
  3. 検閲の拒否。
  4. 表現の自由や情報アクセスの自由を求める抵抗者との協力。
  5. 図書館の利用に関する個人の権利の平等な保障。
  6. 展示空間や集会室の公平な利用。
  7. 利用者差別の禁止。利用者のプライバシー、個人特定情報を含む利用者データの保護。

という7項目が明記されている。特に3、4、7(これは最近追加された)がポイントで、ようするにアメリカの図書館というのは単に本を貸す場所ではなく、利用者の知的自由を守る場所なのである。ゆえに、利用者保護に情報技術が使えるとなれば、その導入に躊躇しない。アメリカの図書館は1939年以来、思想を統制しようとするファシストや宗教右翼、あるいはテロとの戦いを名目に不当に利用者を監視しようとするFBIやCIAといった情報機関との闘争の場でもあって、本質的にラジカルな存在なのだった。

翻って日本の状況を見ると、実は日本図書館協会の「図書館の自由に関する宣言」にも似たようなことは書いてあるのだが、いかんせん紙媒体を前提としたもので、古色蒼然という感は否めない。なかなか難しいことだとは思うが、政府はもとよりオンライン・プラットフォーム等の大企業による利用者の監視やデータの不当な取得が問題となりつつある現在、日本の図書館も自己規定を問い直す時期に来ていると思う。Torの使い方くらいならいくらでもお教えしますよ。


※本稿は2月20日にYahoo!ニュース個人で公開された「闘う図書館と情報の自由―ライブラリー・フリーダム・プロジェクト」を、著者の承諾を得てそのまま転載したものです。

30年後の読者に本をどう残すか

2019年2月25日
posted by 仲俣暁生

第11信(仲俣暁生から藤谷治へ)

藤谷治様

昨年暮れにお返事をいただいたまま、ながらく返信できず失礼しました。往復書簡をそろそろ再開したいと思います。ここまで五往復、十回ほどメールのやり取りをしてきましたが、もうしばらくお付き合いください。心づもりとしては、平成の終わりまでは続けたいなと考えています。

* * *

先月の終わりに小説家の橋本治さんが亡くなりました。光栄にも追悼文を書くよう求められて四苦八苦したり、その勢いで橋本さんの旧作をいろいろと読み返したりしているうち、あっという間に時が過ぎてしまいました。

先日も、そのうち読もうと思いつつ積んだままだった橋本さんの『九十八歳になった私』という小説を読んでいました。とても面白く、かつ、この機会に読むと痛切な話です。

物語の舞台は西暦2046年。東京が大震災によって壊滅したため、北関東の仮設住宅でいまは避難民として暮らす「元小説家の橋本治」を主人公とする未来小説です。

残念なことに、この時代には本を読むことはまったく流行っていません。「橋本さん」からコメントを取ろうと仮設住宅を訪ねてくるメディア関係者らしい五十歳の男さえ、「三年前まで、本なんか読んだことがありませんでした」と言うほどです。

この話は難病を発症して以後、入退院を繰り返していた時期の橋本さんが「百歳に迫る超高齢者になった自分」をシミュレーションした一種の「ユーモア小説」でもあるのですが(なにしろ北関東の空には平然とプテラノドンが飛んでいます)、それにしても五十歳目前まで本を読んだことがない、しかも「坊や」みたいな業界男とは、ずいぶん意地悪な書き方をしたものです。30年後ではなく「現在」の話ではないかと、ゾクッとさせられるようなリアリティがあります。

ところで、ひとかどの作家が一生をかけて成し遂げた仕事は、これからの時代、どのように後世に伝わっていくのでしょうか。

この小説にはもう一人、橋本治のファンだという少女が出てきます。彼女は「先生の全集を出したい」らしいのですが、そのじつ「全集」の意味をわかっていません。自分の著書は三百冊以上あるけど大丈夫か、と「橋本さん」は彼女に訊ねますが(実際、橋本治の著書はそのくらいあるでしょう)、「三冊くらいだから、大丈夫です」と少女は言うばかり。彼女が考える「全集」とは、好きな三作だけを「十冊くらいコピー」するという程度のものなのです。そういえば少女は「三百冊っていうのは、いわゆる、紙の本なんですか?」と尋ねたりもします。

二人の会話は、いつまでたっても噛み合いません。「橋本さん」は「その内、俺は死ぬからさ、死んだら俺の著作権好き勝手にしていいよ。そう書いとくから」とさえ申し出ているのに、少女はそれも「いいです」と断る。彼女は自分の出したい三冊にしか関心がなく、それを「町に立って売ります」と言うばかりです。

さて、ここからは現実の話に戻ります。

いまから30年前、平成が始まったばかりの頃、どの町にも本屋は必ずあったように思います。1989年にはスマホなどもちろん存在していませんし、インターネットも庶民がアクセスできるものではありません。僕は当時、パソコンもコンピュータ通信も仕事でかなり使っていましたが、せいぜいメールや原稿のやりとり程度でした。若者から年寄りまでが、小さな携帯型コンピュータの画面を一日中眺めて暮らすような時代がやってくることなど、正直、想像もできませんでした。

いまから30年後の未来に本がどのように社会に位置づけられているのか、いまの僕にもやはり想像できません。こうであってほしい、という期待はありますが、それが叶うと信じることも難しい。さしあたり作家の「個人全集」というものは、とっくに消滅しているでしょう。そのかわりに、ある程度まで著名な作家や作品であれば、デジタルアーカイブとして保存され、電子的にデータをダウンロードできるかもしれません。

ただし、日本でも著作権の保護期間が作者の死後70年まで延長された結果、30年後に「著作権フリー(パブリック・ドメイン)」となるのは1979年に亡くなった作家(ネットで調べると荒正人、中島健蔵、瀧口修造、福永武彦、中野重治、植草甚一などの名が並びます)までです。

平成の時代に書かれた小説は、2040年代にはどのくらい本として生き残っているでしょうか。三百冊以上の著書があり、最後まで現役の書き手だった橋本治のような人でも、著書の大半はすでに絶版か、電子書籍だけが入手可能です。本屋で新刊として手に入るタイトルは、おそらく十数点でしょう。そのかわりネット上の古書市場では、驚くほど大量の個人蔵書が出品されている。

少なからぬ著作のある現役の小説家として、藤谷さんはこうしたことについてどのように考えますか。あるいは本の読者として、「ひとかどの作家が一生をかけて成し遂げた仕事を、どのように後世に伝えるか」という問題について、どのような意見をお持ちでしょうか。いつの日か「藤谷治全集」が出るとしたら、それはどのようなかたちが望ましいでしょうか。

かつてビデオテープで、あるいはレーザーディスクやDVD、ブルーレイとして発売されていた映画は、次第にネット上でストリーミングされるのが主流になりつつあります。下北沢の町でも、中古のCDやDVDを売買するお店は、流行っていない古本屋以上に湿気た雰囲気です。これはウンベルト・エーコが『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』のなかで言っていたように、再生機器がいらない紙の本のほうがCDやDVDより長生きする、という証拠でしょうか(そうあってほしいです)。

僕たちが85歳を迎える頃に「本」はどうなっているか、あるいはどうあってほしいか。藤谷さんの意見をぜひ聞かせてください。

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第1回 ブックオフという「図書館」の登場

2019年2月14日
posted by 谷頭 和希

二種類の「古本屋」から考える

突然だけれど、「古本屋」といわれたとき、あなたの頭にはどういった風景が思い浮かぶだろうか。

薄暗く狭い店内にぎっちりと本が重ねられ、店の奥ではこわそうな店主のおやじがぶすっとした顔で座っている――

あるいはこうだろうか?

蛍光灯で明るく照らされた店内にはぴっしりと本が並べられ、そこかしこにいる制服を着た店員がにっこりとした顔で呼び込みをしている――

多くの人にはこの二つの光景のどちらかが思い浮かんでいるのではないだろうか。まったく異なるこの二つの古本屋は、そっくりそのまま「ブックオフ以前」と「ブックオフ以後」の古本屋に対応している。日本を代表する古本屋チェーンである「ブックオフ」。「新古書店」ともよばれる矛盾した呼び名があるその古本屋は、それほどまでに日本の古本をめぐる風景を変え、そしてそれは古本の風景だけではなく、本そのものをめぐる風景をも変えたのだ。

どういうことか。

ブックオフのいきおいが増してくる過程においてはそのビジネスモデルを絶賛して称揚する論調と、一方でとても激しい拒否反応が示されるという正反対の動きが起こっていた。

例えば大塚桂一『ブックオフ革命』(データハウス、1994)はこのあたらしい販売モデル(これについてはあとではなそう)を「革命」と呼び称賛したのに対して、小田光雄の『ブックオフと出版業界 ブックオフ・ビジネスの実像』(論創社、2008)ではほとんど怒りにも近い筆致でブックオフが出版界に巻き起こした変化への批判がつづられている。

でも「90年代はブックオフの時代だった」と小田がこの本で認めているとおり、それを否定的に語るにしても、あるいは肯定的に語るにしても、ぼくたちと本を取り巻く風景に「ブックオフ」が欠かせないものになっているということは認めざるをえない事実である。

だからこそ、この文章でぼくはブックオフについて賛成とか反対とかいった意見表明をこえて、ブックオフについてかんがえてみたい。ブックオフ以降、それがどのような風景をぼくたちに見せてくれていて、そしてぼくたちと本をめぐる風景をどのように変えたのか、そしていかなる可能性をそのうちに秘めているのか。

新しいタイプの「図書館」としてのブックオフ

ブックオフは1990年に営業を開始し、それまでの古本屋の概念を大きく打ち破る経営体制を取りながら90年代から現在に至るまで爆発的にその店舗の数をふやしてきた。

ブックオフの新しさの一つは古本の値段設定とその価格を決める方法にあった。従来の古本屋は本に精通した店主がじっくりと一冊一冊を手に取り、中身を見て、その総合的な観点から値段が決められた。一方、ブックオフでは、古本の価格をつかさどるのは「見た目のきれいさ」と「本の新しさ」というわかりやすい基準のみ。いかにそれが古典の名著だったとしても、あるいは著者のサインが入っていようともあまり見た目が良くなければ、あるいはそれがふるい時代に印刷されたものであれば売値は最低価格の100円。買い取りのときの値段は10円程度にしかならない。「価格破壊」ともいわれたその値段設定は現在まで続き、「定価の半額以下」の値段でさまざまな本がブックオフの中にはひそんでいる。

ブックオフはすでに一種の「図書館」として機能している。

こうした極端ともいえる経営方針に対しては、もちろんのことながら「本の価値を軽視している」とか「新刊書店を苦しめている」といった辛辣な批判が寄せられた。前述した『ブックオフと出版業界』を執筆した小田光雄もきわめて手厳しくブックオフを批判しており、それはほとんど悪口のようでさえある。しかしここではあんまり感情的になりすぎず、その批判をいったんカッコに入れて、裏側から事態を見てみよう。つまり、考えようによっては、ブックオフのおかげでぼくたちは最低100円という値段で古典から比較的新しい本までをも読めるようになったのである。

いうなれば、ブックオフとは新しいタイプの「図書館」であるとは考えられないだろうか。

もちろん、ブックオフは商業施設であり、金銭を支払わなければそこで商品は買えない。すなわち図書館の無料原則の埒外にある。でも、その「利用」料金は限りなく低い。そしてこれは「業界」的に見れば全くうれしいことではなく、その観点からブックオフや図書館は否定形で語られてきたわけだ。

だがあくまでも私は一消費者としての目線から考えてみたいのだ。一消費者からすれば本が安いのはとてもうれしいことだ。それに安ければ多くの人がそこで本を買うことができる。そうした観点からみればブックオフとはだれもがその中に入ることを許され、そこでの立ち読みまでが許された(ブックオフの特徴の一つとして「立ち読み」を公然と許可したことがある)図書館のようであり、それを実現しているのではないか。

それだけではない。ブックオフが「安さ」を通じて、本と私たちをめぐる出会いを広げる可能性もあることを示唆しておこう。

例えば中高生や大学生など、日常的にいろいろな文章の断片に触れる機会の多い人たちがいる。そんな彼らがその断片から少し気になった名作やら古典を読んでみたいと思ったとき、ブックオフではきわめて高い確率でそれが最低100円で手に入る。幸いなことに、そうした作品は多く出回っているから安い可能性が高いのだ。

ここに本来は出会わなかったかもしれない人と本が「安さ」によって結びつくきっかけがある。こうしたプラスの観点からもブックオフを語ることができるのではないか。

こうしたブックオフの図書館的な側面を、ぼくは「ブックオフの公共圏」と呼んでみたい。公共圏とはプライベートな空間に対する公の空間圏域のことをしめす。ブックオフは図書館や昔の古本屋が作り上げてきた人が集まる場所としての役割をまたことなる現代的な方法で出現させているのではないか、そしてそれは、いままでの「公共」という概念ではとらえきれないような公共空間なのではないか、というのがぼくの推論である。

最初に思い浮かべてもらった古本屋のうち、「ブックオフ以前」、つまり昔ながらの古本屋について書かれた書籍では古本屋をめぐる人間関係や地域とのかかわり、そこで生み出される濃縮な人間模様が称揚されることが多い。試しにネット通販サイトのAmazon.comで「古本屋」と検索してみると、こんな本が出てきた。

  • 高橋輝次編『古本屋の来客簿 店主たちの人間観察』(燃焼社、1997年)
  • 中山信如『古本屋おやじ―観た、読んだ、書いた』(筑摩書房、2002年)
  • 樽見博『古本愛』(平凡社、2008年)

タイトルには「人間観察」や「おやじ」、「愛」といった人間味・人情味があふれる単語がならんでいて、ひとたび中を開いてみればこの手の単語がもっとたくさん出てくる……。

もちろんこうしたタイプの古書店を否定するつもりはないのだけれど、その言葉にはどことなくノスタルジックな雰囲気が漂っている。そこでは本の内容や質的価値を通じて人々が集まり、独特の公共空間が形成されていることが述べられる。でもブックオフではこの「内容や質的価値」という部分がそっくりそのまま「安さ」にスライドする。「安さ」にひかれてそこには人があつまってくる。そこで生み出される特殊な公共圏。それをブックオフの公共圏と呼んでみたいのだ。

ではブックオフの公共圏は図書館や古いタイプの古本屋にくらべていかなる特徴をもち、どのような公共圏を描き出しているのか。次回からはその輪郭を少しずつ探ってみることにしよう。

(つづく)

あらためて、「浮上せよ」と活字は言う

2019年2月4日
posted by 仲俣暁生

先月末に小説家の橋本治さんが亡くなられた。謹んでご冥福をお祈りいたします。

小説だけでなく評論やエッセイ、古典の翻案・現代語訳など多彩な本を著した橋本さんには、出版論であり書物論といってもよい著作がある。1993年に雑誌「中央公論」に連載され、翌年に中央公論社から単行本として刊行された『浮上せよと活字は言う』である。

この本の主題は明瞭だ。出版産業がどうなろうと、人間にとって活字による表現や思考が不要になるはずがない。「既存の活字」が現実を捉えられずにいるのなら、その現実が見えている者こそ、その事態を言葉によって把握し思考せよということが書かれている。

1993年といえば、前年に昭和末期から続いたバブル経済が崩壊し、現在にいたる長期にわたる経済的な停滞が始まったばかりの時期である。自民党が一時的に下野し、野党による連立政権が成立した時期でもあった。

この頃の出版市場は、まだ上り坂にあった。出版市場統計としてよく参照される出版科学研究所のデータで市場規模がピークとなったのは1996年である。もしその時期が出版業界にとって「最良の時期」であったのだとしたら、橋本治はこの本でいらぬ心配をしていたことになる。だが、本当にそうだっただろうか。

「活字」そのものが怠惰だった

この本には、たとえばこんなことが書かれている。

「若者が活字離れを起こして本を読まない」などという一行の、何というもっともらしさよ。いかにももっともらしい説明が、しかしなんの説明にもなっていない。「若者が活字離れを起こした」と「若者が本を読まない」とは、まったく同じことだからだ。同じ言葉の繰り返しが、あたかも一方が他方の説明であるかのように響いて、そしてその先には何もない。権力となってしまった言葉とは、こんなものだ。何の意味も持たず、しかしそれは有効なものとして、存在を続ける。

十年以上も前にその時代の若者達が何故に“活字離れ”などという事態を惹き起こしたのか? その解明は、当面どうでもいい。問題は、「若者が本を読まないのは活字離れを起こしているからだ」などと平然と言って、それで何かの説明になっているかと思う“活字”の方にある。そのように形骸化してしまった活字が見捨てられぬままになっていたら、その方がよほどおかしいというものだ。

(改めて啓蒙を論ず)

若い世代が本を読まないこと、ようするに出版市場の冷え込みの原因を「活字離れ」などという同語反復でしかないクリシェに求める活字メディア側の怠慢について、橋本さんは怒りをこめてこう書いた。なぜだろうか。

この本はシェイクスピアの戯曲「テンペスト」を原作とするピーター・グリーナウェイの映画『プロスペローの本』を読みとくところから始まる。映像作品を存分に理解するためにも必要とされる古典に対する教養の必要を説いた後、この本は一転して、1970年代後半に出版の世界に起きたいくつかの出来事が、”活字”の世界にもたらした変化を詳細に論じていく。

具体的には、女性誌「JJ」(1975年創刊)や男性誌「POPEYE」(1976年創刊)の登場、この時代に角川書店の二代目社長となった角川春樹による「角川商法」、すなわち文庫本のエンターテインメント路線化とメディアミックス戦略がもった意味が論じられるのだ(ちなみに角川春樹氏はこの連載中に逮捕されていた)。

旧来の”活字”文化人にとっては「JJ」や「POPEYE」のようなビジュアル重視の雑誌も、国文学の専門出版社だった角川書店の文庫がエンターテインメント化していくことも理解不能の出来事だったが、当時の若者は「『まずそれから始めなければ』というレベルの人間」だったのだから仕方ない、と橋本治はこの本で書いている。

「人間がある時期に限って同じ本を一斉に読むこと」の異常さ

この本をリアルタイムで読んだ私たちの世代は、まさに「『まずそれから始めなければ』というレベル」の、つまり「活字離れ」を活字メディアに難じられた若者だった。そして、この「レベル」の読者にあわせて出版産業は肥大化し、1996年に市場規模は最大値を迎える。だが、いま振り返ってみて、「少年ジャンプ」の600万部が支えたとも言えるその実質はどれほどのものだったろうか。

皮肉なことに、この本が出た6年後の1999年に中央公論社は倒産し、旧来型の「活字メディア」の総本山ともいえる読売新聞グループに入り「中央公論新社」と名をあらためる。この本はいったん市場から消えた後、2002年に増補されて平凡社ライブラリーの一冊となったが、現在はこちらも品切れ状態である(だからこうして引用することによってしか、当時橋本治が表明した怒りを現在の読者に伝えることができない)。

ところで平凡社ライブラリー版の『[増補]浮上せよと活字は言う』には、「産業となった出版に未来を発見しても仕方ない」という小文が追加収録されている。この文章はじつは私が「季刊・本とコンピュータ」という雑誌で寄稿を依頼したものだ。こちらの増補版もいまでは手に入れにくいので、勘どころを引用する。

出版が“産業”として成り立つためには、「多種多様の人間が、ある時期に限って同じ一つの本を一斉に読む」という条件が必要となる。こんなことは、どう考えたって異常である。出版というものが、“産業”として成り立っていたのは、この異常な条件が生きていたというだけで、つまりは、そんなものが成り立っていた二十世紀という時代が異常だった――というだけの話である。

したがって二十一世紀には、本は「永遠の名作」としてロングセラーとして細々と売るしかない。なぜなら二十一世紀にはもうベストセラーは存在しないからだ。そして橋本さんは、本の未来は「富山の薬売り」のように、「必要なものを必要なだけ補充し続ける」という方向性にあるとも書いていた。

ベストセラーに依存した出版ビジネスはもう死んでいる

その後、二十一世紀が約二十年ほど経過したが、現実はどうなっただろうか。

橋本さんが亡くなられた先週の終わりに、二十年前の橋本さんと同じようなことを主張するアメリカの出版人が来日して講演を行った。ニューヨークでORブックスという小さな出版社を経営している、ジョン・オークスという現役の編集者だ。

ORブックスの特徴は、在庫をもたないことだ。すべての本が電子書籍かオンデマンド印刷によって発行されるため、やっかいな返品もない。オンデマンド印刷による出版のことを「オンデマンド出版」ともいうが、ようするにこれは富山の薬売りモデル、つまり「必要なものを必要なだけ補充し続ける」というビジネスなのだ。

長年にわたりジョン・オークスを取材してジャーナリストの秦隆司さんが書き上げた本は、『ベストセラーはもういらない』と題されている。日本にくらべて出版界がまだしも活況を呈しているように見えるアメリカでも、本の返品は出版社の経営を圧迫しており、大量生産・大量消費を前提とした出版のビジネスモデルは「ほとんど死んでいる」(ただしモンティ・パイソンのギャグとからめている)という。

それではORブックスはどんな出版活動をしているのか。同社のカタログをみてみると、新しい書き手による著作に混じって、懐かしいタイトルが散見される。ジョン・リードの『世界を揺るがした10日間』の百周年記念版アリエル・ドルフマンアルマン・マトゥラールの『ドナルド・ダックを読む』などだ。「マガジン航」で以前に秦隆司さんが紹介してくれた、アメリカの伝説的な文芸誌「エヴァグリーン・レビュー」の初期号も印刷版を販売している。

これらの古典的といっていい作品は、ORブックスがどのような価値観を奉じる出版社であるかをあらわすよい指標ではあるが、短期間に大量に売れる本ではない。こうした本をオンデマンドで売るのは、まさに「富山の薬売り」的な営みである(ORブックスのビジネスモデルの詳細については、オークス氏に長いインタビューを行ったので別途記事にする予定である)。

ところで、いま本があまり売れないという話は、もしそれが事実だとしても、出版を「産業」という生産供給側の視点からみたときの話だ。本は借りることもできるし、古本を買うこともできる。そして現実には、借りたり古本でしか読めない本のほうが多い。本は本来的に、いつどこで、誰が必要とするかわからない、という特徴をもつ。今日発売された本を切実に必要とする読者は、十年後、二十年後にようやく現れるかもしれない。

私は、橋本治の『浮上せよと活字は言う』という本を、出版産業が断末魔の悲鳴を上げているいまこそ、多くの人に読まれるべき本だと考える。しかしこの本を、当の出版業界がバックカタログから消してしまい、必要とする者に対して提供することができずにいる。せめて電子書籍としてでも、この本を「活かして」おいてほしかったが、今後も復刊のチャンスはいくらでもあるだろう。

この本に刻まれた”活字”はそのようにして、再浮上するのを待っている。