批評のありか

2020年1月7日
posted by 藤谷 治

第20信(藤谷治から仲俣暁生へ)

仲俣暁生様

明けましておめでとうございます。

旧年中は大変お世話になりました。とりわけ、田中和生さん、瀧井朝世さんと共に毎年末来ていただいているB&Bでの「フィクショネス文学の教室」では、僕のオタオタした、いい加減な進行を大いに助けていただいたばかりでなく、面白いお話をたくさん伺えました。

お三方にその年の文学的な収穫や話題をお話しいただいてイベントを価値あるものにしていただくのは、いつものことなのですが、昨年末については特にありがたい気持ちが強かったです。というのも、イベントでも打ち明けましたが、昨年の僕は、文芸に限らず「新刊書」というものを、殆どまったく読んでいなかったからです。お越しいただいたお客様に、「今年の収穫」を紹介すべきイベントで、手持ちのカードが1枚もないというのは、大袈裟にいえば悪夢の中にいるようでした。もっともほかのお三方が書評・批評・時評のプロですから、こちらは甘えてもいられましたが、しかし同時にそれは、皆さんに甘えるしかないという、冷や汗ものの状態でもあったのです。

といって昨年、本を読まなかったわけではありません。それどころか昨年の僕は、例年になく集中して読書をしていました。そしてそれは大半が、日本のいわゆる古典文学ばかりでした。今年から大学で新しい講義を持つことになりそうで、それが日本文学史に関わるものなので、勉強の必要があったのです。今でも勉強は続いていて、昨年末の読み収めは『落窪物語』、正月一日からの読み初めは『伊勢物語』というありさまです。

僕に日本の文学史をまっとうに語らせることなどできないのは、学校の方でもあらかじめ承知していただいているようで、講義では「一介の小説家が日本の文章について何を考えているか」という話をすることになりそうです。正当な文学史は専門家の講義が別にあるとのことですから、それだけは安心なのですが、それでも追いつかないほど勉強すべきことがあります。新刊に目を向けている余裕は、去年も今もありません。自分が新刊を出して食っている身でありながら、人の仕事には背を向けているようで、申し訳ないようにも思います。

しかし、それこそ学生時代に受験勉強がてら、あるいは老人に必読と脅されたり、常識なのかなァと義務的に読んだりした、そしてその後数十年ほったらかしていた古典文学を読み返すのは、楽しいという以上に驚きに満ちた経験です。こちらも文章でそれなりに苦労を続け、また馬齢を重ねるうちに人生の栄枯盛衰を見知ってくると、それまでただ「コモン・センス」と思っていた古典文学が、思いのほか生々しく、また不可思議に迫ってきます。

同時に、よく学生が出席届けに書いてくるような疑問を、僕自身も感じます。学生というのは――恐らく彼ら自身が思っている以上に――純粋ですから、文学についても面映ゆいほど根源的な疑問をぶつけてきます。中には僕もうまく答えられない疑問がいくつかありますが、そのうちの大きな疑問を、僕も考えるのです。

「後世まで残る文学と、そうでない文学の違いはなんですか?」

……判らん。判っていたらそれに即した書き方をして、僕も後世に残る文学を書くだろう、などと、冗談めかしてお茶を濁すことくらいしかできない疑問です。文学史家や国文学者、またすべての文学に関わる人間が、いっぺんは正面切って考えなければいけない疑問でもあると思います。なぜならこれを考えなければ、我々が古典を古典と見なしているのが、単に「伝統だから」「古典ということになっているから」となり、つまりは何となく先例に盲従しているのと同じになってしまうからです。

伝統うんぬんなど無関係に、読めば面白く、考えさせるから読むのだ。古典ではあっても新しい発見、すぐれた文学として読むのだ、という答えを、はじめは考えました。しかしこれは「後世に残る」という疑問への答えには、なっていません。少なくとも僕程度の読書する人間は、岩波文庫や角川文庫といった、入手しやすい本の中から古典を選んで楽しんでいるので、それらはすでに「後世」のフルイにかけられた、選別され終わった文学です。問題はその「選別」がどうしてなされたのか、あるいは、その「選別」とは一体なんなのか、ということです。

この「後世」、あるいは「選別」とは、結局のところ、「批評」のことでしょう。

ある作品が作られ、それが同時代に読まれるというのは、紋切り型を使えば「時代の空気に合った」といえるはずです。しかし時代というのは流れていきますから、同時代の空気に合っただけでは、その作品は滅びるのです。では、本来は滅びるべき作品を、次代がさらに読み続けるのはなぜか。それは「次代の空気」に合致するからでしょうか。どうもそんな、生易しいものではないように思います。

文学が後世に残るのは、後世の批評に耐えるからでしょう。文学に限らず、創作や表現が同時代を過ぎるとかえりみられなくなったり、まれに同時代的には無視されていたものが次代(以後)に注目されたりするのは、時代によって批評が変化するからではないでしょうか。「批評に耐える」と「後世に残る」とは、同義なのではないでしょうか。

批評史、というものがあるかどうか、僕は知りません。けれどもたとえば『源氏物語』の解説なんかを読んでいると、その批評の変遷に驚きます。鎌倉時代の武家階級にとって『源氏』は「みやびなるものへの憧れ」として読まれ(「憧れ」もまた原始的な批評の一種でしょう)、江戸時代に入ると儒学者や僧侶から倫理的に批判され、その批評をまた国学者本居宣長が批判して「もののあはれ」なる概念を提出し、明治に入れば欧化政策に呼応するようにまた好色の書とみなされて……。『源氏物語』は、賛美されたり批判されたりしながら、しかし決して批評に無視されることはなかった。

『源氏』のようなバケモノほどではないにせよ(しかしこれはもちろん、最古でもなんでもありません)、表現はその歴史的・資料的・証言的価値だけによらない、時代時代の批評という難敵に立ち向かい続けていくことによって「後世に残る」のです。

しかし、そうであるとすれば、ある時代にはその時代に相応した批評がなければならないはずです。

ここまで書いて、ようやく僕は自分が感じていることに少し整理がつきました。僕は自分の生きているこの時代に、批評がほとんど見当たらない、と感じているのです。

これはあるいは、僕の滑稽な無知でもありましょう。かつて大岡昇平が「批評の時代」と呼んだ1980年代から、種々の批評があらわれ、名付けられているのくらいは、僕も聴いています。先日読んだ廣野由美子『批評理論入門』(中公新書)はとても役に立つ一冊で、目次を引用するだけでも、「道徳的批評」「伝記的批評」から「ジャンル批評」「脱構築批評」「精神分析批評」「フェミニズム批評」「ジェンダー批評」「マルクス主義批評」「ポストコロニアル批評」「新歴史主義」etc.と、これらの大半が、少なくとも僕には80年代以降に知った批評の名称です。ポストモダニズムやニュー・アカデミズムの時代から、もはやほぼ40年が経とうとしていますけれど、これらの批評分野はこんにちでも、おのおのに書き手を持っているのでしょう。

それでも僕は、無知で滑稽なのを承知で思うのです。批評が見当たらないと。

批評家が見当たらないと、むしろいうべきかもしれません。いや、もっと正確には、批評家が物足りない、というのがよさそうです。

今にして思えば、それはポストモダンという言葉が登場してから今に至るまで、ずっと続く僕の不満だったと思います。気がつくのが遅すぎましたが、「Postmodernism」=「近代主義以後」という言葉は、なんにも言っていないのと同じでした。それは結局、なんにも主張していなかったのです。「モダニズム(近代主義)」という言葉が、受け取る人によっていちいち印象を異にするものなのですから。

もちろん、モダニズムが抱えていた資本の格差や性差別、多様性の無視や帝国主義的な世界観を批判するのは、今現在でもきわめて重要です。これを書いているあいだに、トランプのアメリカがイラン革命防衛隊の司令官を殺害し、さらにイラクの武装勢力を空爆したという報道がありました。どうやら報道と各国政府は、なんとかして中東かアメリカ、どちらかを「善玉・悪玉」に仕立てて、話を判りやすくしようとしているようです。モダニズムどころか、それ以前のロマン主義的な「勧善懲悪」の構図さえ、いまだに幅を利かせているありさまです。ポストモダニズムから発生した種々の批評は、ただ世界を認識するためだけにでも、大きな役割を担っていると思います。

しかしそのような批評の現在を、僕は物足りなく思うのです。

これは粗雑な、検証の足りない、ただの印象にすぎませんが、ポストモダニズム以降の批評的言辞は、種々の「ナニナニ批評」という枠の中から、出られない・出ようとしない傾向が強くなってしまったのではないでしょうか。また、自己の批評ジャンルの枠から漏れ出るような文学・表現を、避けるか無視するか、または初めから眼中にないかのようにふるまう傾向が、当然かつ暗黙の「棲み分け」として、定着しているように思えます。

僕が学生時代から尊敬する幾人かの批評家たちが、そんな「棲み分け」に甘んじていたとは思いません。それどころか、批評家というのは自分のよって立つ思想信条はもとより、おのれの主義主張さえ時には逸脱するのを恐れない存在のはずです。中村光夫は「左翼」の枠の中に納まる批評家ではなかった。江藤淳の「保守派」は、彼の芸のすべてではなかった。吉本隆明の「マルクス」もそうです。

彼らの時代は、今よりもはるかに「イズム」の重圧が激しかった。「左翼」や「右翼」の範疇からはずれるような表現に対しては、党派的な批判を(自動的に)下すのが当然と見なされていました。しかし江藤淳は、あなたのような保守派が、と言われても、初期の唐十郎や高橋源一郎を高く評価したし、吉本隆明はコム・デ・ギャルソンを着たのです。彼らはそういった自己の評価に、それぞれそれなりの「理論武装」をしはしましたが、僕には彼らが、それらの表現にただひたすら「魅了」されたのだ、と見えますし、その「魅了される才能」こそ、彼らを批評家たらしめていると思っています。

ひるがえって現在、「イズム」はかつてより力を失ったはずなのに、批評的言辞はかえって何かを恐れながら物を言っているように思えるのです。これは事実に反しているかもしれません。しかしではなぜ、僕にそのように見えるのでしょう? 批評的なコメントやエッセーを書いている人たちの文章を見ると、自分自身を枠の中に収め、限定し、みずからをcharacterizeしているように思えます。それも自分のためではなく、世間の中での「正しさ(correctness)」のために、「正しさ」にみずからをすり寄せていくために、批評を使っているのではないかと思えることさえあります。

くりかえしますが、これらはすべて僕の検証不充分な印象にすぎません。SNSの「インフラグラム」にアテられたための誤謬である可能性は大いにあります。しかし僕としては、たとえ誤謬であっても仲俣さんに自分の印象をさらして、訂正していただくなり、呆れていただくなりして、仲俣さんから「批評の現状」について、お考えを伺いたいのです。

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執筆者紹介

藤谷 治
小説家。1998年から下北沢で書店「フィクショネス」を開業(2014年に閉店)。2003年に『アンダンテ・モッツァレラ・チーズ』(小学館文庫)で小説家としてデビュー。『いつか棺桶はやってくる』(小学館文庫)が三島由紀夫賞候補となり、『世界でいちばん美しい』(小学館)で第31回織田作之助賞を受賞。音楽高校を舞台にした青春小説『船に乗れ!』三部作(ポプラ文庫)は2010年の「本屋大賞」で7位となったほか、2013年には交響劇として上演された。このほかエッセイ集に『船上でチェロを弾く』(マガジンハウス)、『こうして書いていく』(大修館書店)がある。