遠景と日常

2022年2月27日
posted by 仲俣暁生

第29信(仲俣暁生から藤谷治へ)

藤谷治様

新作『ニコデモ』の感想をお伝えしようと思っているうちに、ロシアとウクライナの間で戦争が始まってしまいました。「戦争が始まった」といっても、ネットやテレビを経由して流れてくる情報や断片的な映像(そのいくつかは後でフェイクだと分かりました)を介してしか触れることができませんが、やりきれない気持ちになるにはそれだけでも十分です。

そんななかで前回の藤谷さんの手紙を読み返し、次のくだりにあらためて目をとめました。

人間にとって歴史とは遠景にすぎないのです。あるいは単に「事情」と呼んでもいいでしょう。よく小説や映画の宣伝文句に、歴史の渦に翻弄される人々、なんて書いてあることがありますが、人々が翻弄されるのは「渦」という事情があるからで、物語られるべきは「渦」よりも「翻弄」のありよう、そこにある人間の「渦」への対峙あるいは逃避の姿であるはずです。

藤谷さんが初めて歴史を描いたというこの小説には、奇しくも白系ロシア人の女性が登場します。この人の物語を読むうち、自分がこれまでの人生で出会った、二人のロシア系の(と思われる)女性のことを思い出しました。

一人は、御茶ノ水にある比較的有名なロシア料理店の、おそらくオーナーだった老婦人です。この店はいまもありますが、改装されてすっかり小綺麗になってしまい、オーナーも代わったようです。学生時代に私が通いつめていた頃はまだ、この店はそれこそ学生食堂のようなざっくばらんな建付けでした。窮屈な回り階段を地下に降り、きわめて狭いその店に入ると、カウンター席のいちばん奥にその女性はいつも腰掛けていました。そして来店する私のような学生をはじめとする若い客に、「たくさん食べなさい」と日本語で声をかけていたのです。

私はこの店のピロシキやボルシチの味が好きで、しかも値段もずいぶん安かったもので、何度も足を運ぶようになりました。どうやら常連と言えるくらいになると、もしかしたら自分は、この老婦人に会いたくてこの店に来ているのかもしれない、と思うようにもなりました。学生時代から一人暮らしを始めていたので、三度の食事も一人ですることが多く、人恋しさもあったかもしれません。この女性と個人的に話をする機会はなかったけれど、夢野久作や久生十蘭の小説などを読むなかでいつしか知った「白系ロシア人」とは、きっと彼女のような人のことを言うのではないかと思うようになったのです。

二人目に会ったロシア系の(もっとも、こちらは完全に推測ですが)女性は、独身時代の最後に住んだ家の大家だった老婦人です。ある事情で、代官山の鎗ヶ崎交差点の近くにある、ちょっと変わった構造の一軒家のうち半地下の部分を借りることになり、大家との面接がありました。借りようとしている家のすぐ近くに一人で住むその女性は、おそらく当時すでに80歳を超えていました。

家に上げていただくと、調度の豪華さに目を見張りました。西洋を舞台にした小説や映画にでも出てきそうな薄暗い部屋で、時代がかった家具も立派です。この家を借りる事情や、自宅兼事務所として行う仕事の確実性、つまりは支払い能力について話すことになり、勧められるまま柔らかいソファに座りました。ひどく甘くて少しぬるい紅茶が置かれた卓を挟んで私たちは向かい合っていました。そしてふと、彼女の背後に肖像画が飾られていることに気づいたのです。これまで個人宅でみかけたことのない、とても大きな縦長の肖像画が。

おそらくこれは軍服なんだろうな、とぼんやり思えるくらいで現実には見たことのない、立派な正装をした男性の立像でした。勲章もたくさん着けていました。誰を描いた絵なのか、大家にストレートにたずねる機会は逸しましたが、この絵の存在に気づいた後、この老婦人が日本人と白人のハーフ――という言い方はいまはするべきではないのでしょうが――であることにようやく気づいたのです。とすると、肖像画の男性は彼女の父親だったのではないでしょうか。

住みはじめてからこの大家はしばしば私の家にやってきて、雑談をする機会がありました。あるときなどは、自分は「まだライセンスがいらない頃」から自動車を運転していたのよ、道路には私の車のほか誰も走ってない時代だったのよ、と自慢しました。ワタシ、という言葉に独特のアクセントがあったことも、いま思い出しました(それにしても、いったいそれはいつの時代のことでしょう?)。結局この家には2年ほど住み、そこを出たあとに、私はいま住んでいる下北沢の町に引越してきたのです。

この家を引き払う最後の日、大家は銀の大きなプレートに載せたきちんとしたディナーと呼べる一品料理と、銀のポットに入れたお茶をもって私の家にやってきました。わざわざ自分の家から手にもって歩いて、です。二人で食事をした後、最後に彼女は転居後の私の前途を祝してくれました。「立派な仕事をなさって偉くなってください」。そのときの彼女の声が、御茶ノ水のロシア料理店にいたあの女性――その頃はもう、足を運ぶこともなくなっていましたが――の声と重なっていま思い出されます。

彼女たちの境遇について私が想像したことが、はたして正しいものであったのかはわかりません。二人とは直接、ロシアについて話をしたことは一度もないし、そもそも名前さえ知らないのです(というのも、大家にはいつも手渡しで家賃を払うよう求められていたし、不動産屋ではなく、とある知人を介して紹介されたため、正式な賃貸契約も結んでいなかったのです)。もしかすると彼女たちはロシア人ではなく、ベラルーシやウクライナの人だったのかもしれません。でもロシアについて、あるいは広い意味でのあの地域にまつわることで私が知っているのは、想像まじりのこんなエピソードともに思い出される、現実に会った二人の女性だけなのです。

そんな私には、ロシアとウクライナの間で始まってしまった今度の戦争について言えることは何もありません。ただ、もし自分の国が、あるいは住む町が、同じ運命に見舞われたら、自分はいったいどう振る舞うだろう、とは考えました。ネットやテレビで見る限り、ウクライナの首都キエフ(この名がロシア語によるものだということも、私は今回、初めて知りました)に住む人々は、ロケット弾を避けるため地下鉄の駅を防空壕にするなど、困難に見舞われています。そしてキエフにはいまやロシア軍が間近に迫っているようです。それでもキエフの人々は、日本の都会に暮らす私たちとさして変わらない日常生活を営んでいるようにも見えます(と書いたのは「開戦」後、キエフが最初の夜を迎えた頃でした。いま、この街では市民も武装しはじめ、市街戦も始まってしまったようです)。

いや、衣食住といった日常生活は、どんなときでも「さして変わらないように」営まれなければならないのです。どんな戦争も、その家の味噌汁の味付けを変えることはできない、といったのは『暮しの手帖』の花森安治でした。ロシアやウクライナという言葉から私が思い出すのも、ロシアにちなんだ二人の女性にかかわる食べ物の味だけです。小説を読むという体験も、そのときどきの日常のなかで食べたものの味と同様、ごくごく個人的な記憶にかかわるもののように思えます。

ところで、私は『ニコデモ』を読んで二つの小説を思い出しました。一つは、同じく音楽をテーマにしたリチャード・パワーズの『われらが歌う時』です。ヨーロッパ大陸の戦火と弾圧を逃れてアメリカに渡ったユダヤ人数学者が、音楽学生である黒人の女性と出会い、子どもが生まれて音楽一家を成す。長男ジョナは天才的なシンガーとなり、語り手である次男ジョゼフはピアニストに、そして末の妹ルースは彼らとはことなる音楽の道をたどります。

この長編小説を、私はある年の暖かい春の日に、上野の不忍池のほとりのベンチで半分まで、つまり上巻をまるごと読みました。物語の発端となる実際の事件、ワシントンDCにあるリンカーン記念堂の階段上で黒人歌手のマリアン・アンダーソンが歌った野外コンサートのイメージを、この場所で膨らませたのでした。『われらが歌う時』という小説は、そんな記憶とともに自分のなかに定着しています。そして藤谷さんの『ニコデモ』という小説をいつ、どのようにして読んだかも、私はこの先ずっと忘れないでしょう。

もう一つの小説はリュドミラ・ウリツカヤの『緑の天幕』です。B&Bでの年末恒例イベントに間に合わず、あのあとに読み始め、年明けに読み終えたばかりですが、この十年で屈指の感銘を私に与えてくれました。現代ロシア文学を代表する女性作家のこの長い物語は、スターリンが死んだ日から始まります。このときまだ少女や少年だった三人の女と三人の男が、それから30年以上のちのソ連崩壊までの長い時代をどう生きたか、という群像劇です。

「激動の二十世紀」という言い方は月次ですが、まさにこの時代を彼ら彼女らは、それぞれの運命とともに過ごします。ここでも男の一人は音楽家となり、最後はやはりアメリカに亡命し、いちばん長く生きのびます。それぞれの登場人物の造型には、もともと理系の研究者であり、小説家となる前には戯曲家でもあったウリツカヤ自身の姿や経験がずいぶん投影されています。でもこれは単なるソ連批判、共産主義批判の作ではありません。たしかに政治的な問題に巻き込まれ、不幸な運命をたどる人物もいます。でもこの小説を圧倒的に豊かなものにしているのは、スターリンの時代も「スターリン批判」後の時代も、さらにはソ連そのものが崩壊した後の時代にも、人は裏切られたり騙されたりしながらしぶとく日常を生きていくという、その変わらなさです。

いわゆる近代ロシア文学の古典、ゴーゴリやトルストイ、ドストエフスキーやチェーホフの作品をほとんど読まずに青年時代を通過した私にとって、ロシアの小説は心理的にずいぶん縁遠いものでした。でもウリツカヤの『緑の天幕』に描かれている20世紀のソ連で生きた人たちの姿は、私たちが文学作品や映画やポップミュージックを通じて親しんできた、アメリカやフランスなど西側諸国で同じ時代を生きた人たちと何ほども変わらない、私たちの隣人であり同時代人でした。藤谷さんの言うとおり、彼ら彼女らにとっても「激動の二十世紀」は遠景に過ぎず、そのすさまじい「渦」とどのように対峙したか、逃避したかが描かれた小説でした。

この手紙を何度も書き直しているうちにも、ウクライナの状況は刻々と変化しています。記事をアップロードした時点ではさらに変化していることでしょう。戦争というものを、私たちは自分自身では身に沁みてまったく知りません。高度に発達したインターネットやSNSといったテクノロジーが伝えるのは、フェイクニュースやプロパガンダ混じりの情報ばかりです。間違いなく言えるのは、いま戦場となりつつあるところにも、私たちとさして変わらない人が暮らしているということです。そして兵士として戦場にいる人たちにも、本来の「日常」があるということです。その人たちにいち早く「日常」が戻ることを祈りつつ、この中途半端な手紙を藤谷さんに送ることにします。

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執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。