帯に短し襷に長し?――尾形大『「文壇」は作られた』書評

2022年6月1日
posted by 荒木優太

※このエントリは、某媒体に依頼された尾形大『「文壇」は作られた――川端康成と伊藤整からたどる日本近代文学史』(文学通信)の書評だが、内容が否定的なので没になってしまった。編集方針は自由なので依頼主に恨みがましい気持ちはないが、お蔵入りにするのももったいないのでここに公開する。前提として、この本の著者や編集者に対する敵意は一切ない。また、ここで指摘した弊を私自身の著作が免れているかどうか定かでないことも告白せねばならない。ただ、(勿論これも私見でしかないが)最近の日本近代文学系の著作物は端的にいって面白くないのではないか、言い換えれば、一般読者にリーチする工夫のないまま成果が必要なために一般向けに出版されているのではないかという疑念がある。

断っておけば、すべての本が一般読者に向けて書かれねばならないと思っているわけではない。専門家数人だけが読むだろう本があっていいし、そういう本を書きたいという願いがあってもいい。むしろそこにこそ学術出版の意義がある気さえする。その上で、「なぜ読者はこれを読まねばならないのか?」の問いかけは、近代文学の研究者が自分の書くものに対していま一度自問してみていいと思っているのだが、どうだろうか。

*  *  *

最初に書きにくいことを書いてしまえば、本書に関して、根本的に失敗しているのではないかという疑いを拭うことができなかった。以下、活発な議論の種になることを願ってその想うところを率直に記したい。

本書は、川端康成と伊藤整、一方はノーベル文学賞をいただいた国民的作家と他方はいまや忘れられつつある小説家兼文芸評論家の仕事を同時に振り返りながら、そこで立ち現れた「文壇」の実際を年代順に読み解いていく一種の啓蒙書である。伊藤整は昭和初頭に活躍したモダニズム小説の名手としてよりも、何巻にもわたる『日本文壇史』の著者、文壇史・文学史の紡ぎ手として記憶されているかもしれない。近所のブックオフを訪ね、講談社文芸文庫となった全二四巻のうちの何巻かの『日本文壇史』を発見することは容易でも、その小説となると心もとない。が、そんな文学史家にも、自身がそこに投げ込まれたところの客体視しえない文壇的現実との格闘があった。川端との連絡や比較のなかでそれを掘り起こしていく。

本書の方法を支える根本的アイディアは、第一章に引かれるクローチェの言葉、「あらゆる歴史的判断の根底に存在する実践的欲求は、あらゆる歴史に「現代史」としての性格を与える」に要約される。時代や場所を俯瞰して構築される歴史は、しかし、その俯瞰の着眼点や角度それ自体が当の歴史家がいまもっている利害関心に縛られている。自らの立場として提出した「新心理主義」が、同時に伝統にも列するかのように見せるため、逍遥や四迷といった先行する文学者たちの仕事を「心理小説」として伊藤が括ったように。『日本文壇史』の印象が強ければ強いほど戦略的に躍動する評論家の姿が鮮やかに浮かび上がってくるだろう、そういう目当てが的外れだとは思わないし、また、かなり似たような問題意識をもつ近刊、木村政樹『革命的知識人の群像』(青土社)と並べてみれば、近代文学研究の領域でいまなぜ共通のアプローチがつづくのかという「現代史」的課題が見えてきて興味深い。

個人的には、川端の代作として伊藤が執筆した『小説の研究』が実は当時伊藤が翻訳したスコット・ジェイムズのThe Making of Literatureの完全な引き写しでしかなかったと喝破する第八章が最も刺激的だった。

そのような美点を認めた上でなお不満が残るのは、そもそもなぜこの本を読まねばならないのか、一般読者にとって動機が不明だからだ。序に相当する部分では、いきなり各章の要約からはじまる不穏のなか、第一章でその予感の的中を見る。文壇構築のメカニズムを扱う書でありながら、「今日もはや文壇は存在しない」ことがさらりと確認される。今日存在しないものをどうしてわざわざ知らねばならないのか。キャリアの最初期、伊藤は詩集『雪明りの路』によって頭角を現したが、詩壇と(小説中心の)文壇とを同一視していいのだろうか。言い換えれば、文壇メカニズムの歴史は論壇などもふくめたメディア的共同体に関する一般理論と連絡して初めてその意義を獲得するのではないか。

また、各章のつながりが体系的深まりを感じさせないのも歯がゆい。たとえば、伊藤が訳した『チャタレイ夫人の恋人』が猥褻文書の疑いで摘発・押収された、通称「チャタレイ事件」を論じる第一一章では、当事者の立場から公判を記録した『裁判』での伊藤のメディア戦略や事件を念頭に創作されただろう川端『舞姫』論などに示唆を受け取るものの、やや尻切れトンボのまま「こうして戦後の文壇は再建の道を歩みはじめる」と小括され、日本近代文学館設立事情を論じる第一二章へと突入してしまう。各章で得た知見が、以降の章とどのように連続し、どのように切れているかについて、本書はなにも教えてくれない。物語的文学史を相対化する以上、必然的な構造だったのかもしれないが、ここまでエピソード的だと豆知識の愉しさに留まって一書を読了したときの満足感は遠い。

あとがきによれば、編集者の「伊藤整を広場に出すにはどうしたらいいか」の問いかけのもと、「研究論文と読み物の中間を狙」ったという。いくら読み物だからって参考文献表くらいつけてもいいのでは、と思ったりもするが、とまれ結果的にその中間性は帯に短し襷に長しという中途半端さとして印象づけられた。いうまでもなく私見である。著者は勿論のこと、読者諸賢の反論を待ちたい。どうだろうか?

尾形大『「文壇」は作られた――川端康成と伊藤整からたどる日本近代文学史』
文学通信刊
ISBN978-4-909658-74-6 C0095
四六判・並製・256頁
定価:本体2,000円(税別)

荒廃を描くことを恐れぬ大人の小説を

2022年5月30日
posted by 仲俣暁生

第32信(仲俣暁生から藤谷治へ)

藤谷治様

5月の連休前に偶々手に入れたレイモンド・チャンドラーの新訳版『長い別れ』(田口俊樹訳、創元推理文庫)が思いのほか新鮮で面白く、SNSでもつぶやいたとおりゴールデンウィークはこの小説の新旧訳を読み比べたり、以前から藤谷さんに勧められていたハメットの『マルタの鷹』にとりかかるなど、ふだん読まないハードボイルド小説の「古典」とされる作品を読んでいました。

最後にこちらから藤谷さんに往復書簡の便りを送ったのは3ヶ月前、ウクライナ領土内へのロシア軍の侵攻が始まった直後のことでしたね。先遣部隊が首都キエフ(いまはキーウとウクライナ語読みをすることが多いですが、私なりの理由でこのままで参ります)近郊に達し、すでに市街地でも一部では戦闘が始まったもと報じられましたが、その後にウクライナ軍が押し戻して首都陥落という事態を免れたのは藤谷さんもご存じのとおりです。しかし南部や東部ではいまなお戦火が止むことなく、多くの人命が失われています。

戦時下ではメディアの報道がどのようなものになるのか、これまでにも湾岸戦争やイラク戦争、その他の出来事で経験してきたとはいえ、いま起きている「戦争」についてはあまりにも確実な情報が少なく、見る人の心をかき乱すような映像や画像ばかりが流布しています。それらが伝える事実があるとしたら、ひとたび戦争が起きてしまえば起きることはいつでも同じ、弱者の蹂躙だということです。

二度にわたる藤谷さんからの手紙に返事をしそこねている間、知人の編集者が送ってくれたチャンドラーの新訳でも読むかと思った自分の心の動きとして、目の前のそんな現実から逃避したい気持ちがあったかもしれません。しかしチャンドラーを、そして続けてハメットを何作か読むうちに、ああ、これらの小説はおよそ百年前に起きた戦争の「戦後文学」だったのか、と思い当たりました(前回にいただいた藤谷さんからの手紙も、そのことを再確認させてくれました)。

1918年に終わった第一次世界大戦が、十九世紀を完全に終わらせて二十世紀への扉を開いたとはよく言われます。新型コロナウイルス感染症がパンデミック化した2020年から翌年にかけて、約百年前に起きたスペイン風邪の世界的流行についての本もよく読まれました。スペイン風邪と第一次世界大戦は並行して起きた出来事で、この二つのいずれかのために命を落とした文学者や芸術家は幾人もいます。日本では劇作家の島村抱月がスペイン風邪で死んだことを知り驚きましたが、西欧では私が若い頃に好きだった画家のエゴン・シーレとクリムトがともにスペイン風邪で死んでいます。シーレは第一次世界大戦にも参戦しており、その他にイギリスのすぐれた短編作家サキ(この作家も好きでした)がこの戦争で死んだとWikipediaにありました。

百年前のパンデミックの後に20世紀が本格的に始まったのと同じように、今回のコロナウイルス禍が社会に与える大きな変化は、私たちがまだその全貌を知るよしもない21世紀の本格的な始まりを告げるものかもしれない──そんな気持ちがこの2年の間、私の中にはずっとあり続けています。でも、というか、だからこそ、歴史ある諸都市が戦車や航空機で破壊され、一般市民が長期間にわたり恐怖に打ち震えながら生活しなければならないような事態が、世界の注視するなかで起きうるとは思いもしませんでした。

チャンドラーとハメットの代表作を読み、その背景が第一次世界大戦後の時代(いわゆる戦間期)のアメリカであったことを思い出すと、とっつきにくかったハードボイルド小説の「古典」との距離が少しだけ縮まりました。そしてパルプフィクションとも呼ばれるとおり、紙の質の悪い大衆向け雑誌に掲載された、なによりもまず第一に娯楽作品であるハードボイルド小説と、同時代の西洋文学の潮流として知られる「失われた世代」の作家とは実際に交流があるだけでなく、表現手法にも類似性があることを、この時代の英米文学についてのすぐれた解説を読むことで私なりにようやく理解しました。

考えてみれば1920年代から30年代にかけての「戦間期」は英米ミステリーの黄金時代であり、ハードボイルドではない──つまり純然たる「謎解き小説」としての──探偵小説であれば、十代の初め頃にずいぶんむさぼり読んでいたのです。でも当時の私は、チャンドラーやハメットにはなぜか手が伸びませんでした。アガサ・クリスティやエラリー・クイーンと違って、ハードボイルドは自分にはまだ早い「大人の小説」のように思えたのだと思います。それから40年以上たってようやくハメットやチャンドラーを読んでみて思うのは、やはり大人の小説、つまり大人が書いた小説であり、大人を描いた小説だなということでした。

*  *  *

ところで、いまの日本でウクライナとロシアの間で起きている「戦争」と文学や芸術との関わりについて、創作者(とりわけ文学者)が何かを語ることはとても難しいようです。そしてそのことには、いくつかの絡み合った理由があると私は考えています。

最大の理由は、ロシア文学が日本の近代文学の起源の一つであるという紛れもない事実です。二葉亭四迷によるツルゲーネフの翻訳がどれほど大きな衝撃を当時の文学者に与えたか、そのことを記述しない日本文学史の教科書はありません。ロシア文学は日本の近代文学の故郷であり、その故郷との距離はいまも十分に近いのではないでしょうか。

二つ目の理由は、(文学者もそのうちに含まれるはずの)日本の知識人に社会主義とりわけロシア革命後のマルクス・レーニン主義があまりにも大きな影響をもちすぎたことです。人類の歴史と社会をトータルに把握し理解したい知識層の青年の切実な欲求に対し、十全に応えてくれる理論がそのほかになかったのは思えば不幸なことでした。そして現在もなお体制批判の論理として、これにかわるものが日本ではほとんど見当たらないのも事実に思えます。

そして三つ目が──これが今回の手紙の本題になるのですが──日本ではいまなお、大衆(生活者)の生活感覚と知識人の生活感覚とが乖離していることです。この問題も、最終的にはロシアにおける知識人層(インテリゲンツィア)と日本の知識人との類似性に行きつくように私には思えます。日本の小説が大衆向けの純然たるエンタテインメントと、「純文学」と呼ぶ以外に位置づけようのない作品とにいまなお──というより、いっそうはっきりと──分断されているのもそうした経緯と無縁ではないはずです。

チャンドラーやハメットは、彼ら自身は十分に知的でありながら、大衆向けに書かざるを得なかった人たちだったようですね。しかも英国風の純然たる「謎解きミステリ」──これは大衆的読み物というよりも中産階級の知的な慰み物であり、それゆえ日本の文学者の多くにも愛好されました──ではなく、まだ野蛮さの残る新興国アメリカの、それも西の果ての新開地(ロサンゼルスやサンフランシスコ)を舞台に、政治とカネという実力本位の世界に生きながらも、そこから自身を引き離して冷静に観察する「目」をもつ人物を主人公に据えた物語を書くことを選んだ人でした。当時のアメリカの大衆が、彼らの作品をよろこばなかったはずはありません。

戦間期の時代を象徴する大衆向けの表現として映画があること、ハードボイルド小説の書き手たちが映画産業と運命的ともいえる深い関係をもったことについては、藤谷さんのほうがはるかによくご存じでしょう。20世紀は大衆の世紀であったのと同じ程度に映画の世紀でした。映画がもつ一種の「全体性」やテクノロジーとの深いかかわりは、20世紀という「総力戦」後の時代にあって、映画が戦争のメタファーであり戦争が映画のメタファーでもあるような密接な関係を持ち続けてきたのではないですか(余談ですが、日本や韓国で昨今問題にされている映画制作現場における「暴力性」は、映画という表現形態が本来的に呼び寄せる性質であるように私には思えます)。

そしてこれはまったくの幸運といってよいでしょうが、私たちは戦争というものを劇映画に描かれた以外のかたちで知りません(私たちが子どもだった頃には、戦争を知る「おとな」たち──藤谷さんが先の手紙で触れていたような──まだ社会の現役でしたが)。

この手紙を書きあぐねていた間に、アマゾン制作のオリジナル・ドラマ・シリーズでフィッツジェラルドの『ラスト・タイクーン』を観ました(つい最近、村上春樹訳『最後の大君』が出ましたが、こちらは未読です)。この小説も若い頃に少しだけ読み、よくわからずに途中で放棄したままでしたから、どこまで原作に忠実なのかわからずに──なにしろフリッツ・ラングやマレーネ・ディートリヒまでドラマには実名で出てくるのです!──観ていました。最後まで見終えてから、未完に終わった原作と作者自身の構想メモにあたってみたところ、やはり大幅にアレンジされていました。

ドラマの冒頭で、原作では語り手となる大学生セシリア(大物映画プロデューサーの娘)が、主人公モンロー・スターにスペイン内戦で戦う共和国政府軍への募金を求める場面があります。フィッツジェラルドはもちろんハメットやチャンドラーの同時代人ですが、「失われた世代」の作家たちが欧州での戦争と同じくらい、ハリウッドとも深い関わりがあったことを、このドラマを見てあらためて思い出しました。アメリカのアイデンティティが、欧州と西海岸との間で引き裂かれていた時代なのかもしれません。

もちろんいまの時代に文学者は義勇兵になどならないし、なるべきではないと私は考えています。それでもかつて文学が戦争と不可分だった時代、文学者が自ら志願して戦争に赴いた時代があったのは事実です。そしてこんな評価が彼らにふさわしいとも思えませんが、その時代に義勇兵になることではなく、ハードボイルド小説を書くことを選んだ作家がいたことを、いまチャンドラーやハメットの作品を読んで心強く思ったりもします。

先の手紙で藤谷さんは、「チャンドラーやハメットの描いた人物に、僕は過去から届く未来の荒廃を見るような気がしています」と書いてくれました。しかし荒廃した人間を描くことができるのは、荒廃を免れた表現者、あるいはそこから距離を置けた表現者だけではないですか。

いまの時代にこそ、荒廃を描くことを恐れない「大人の小説」を読みたいと、私は切に願い続けているのですが。

第1信第2信第3信第4信第5信第6信第7信第8信第9信第10信第11信第12信第13信第14信第15信第16信第17信第18信第20信第21信第22信第23信第24信第25信第26信第27信第28信第29信第30信第31信|第33信につづく)

番外編 ブックオフのバイブスを可視化した「3000円ブックオフ」――♨さんインタビュー

2022年5月10日
posted by 谷頭 和希

『ブックオフは公共圏の夢を見るか』の番外編企画として、「3000円ブックオフ」という遊びを始められた♨️さんにお話を伺いました。

3000円ブックオフは、ブックオフで3000円分の商品を買って、その結果をTwitterなどで報告するというものです。現在では、ブックオフのオウンドメディア「ブックオフをたちよみ!」でも取り上げられるほどメジャーな遊びになっています。3000円ブックオフの面白さや、それが生まれた経緯などを♨️さんにお聞きしました。

ふわっとした紹介でいい

――♨️さん、どうぞよろしくお願いします。

♨️ よろしくお願いします。

――聞くところによると、♨️さんは、このインタビューのためにわざわざ3000円ブックオフをやってきてくださったそうですね。お手本として、買った本を披露していただけますか?

♨️ 分かりました。いま、買ったものをツイートしました。

♨️ 1冊目が、『精神の非植民地化』(グギ・ワ・ジオンゴ、1986年)という本です。1280円でした。タイトルと帯の感じで面白そうだなと思って。英語を使っていないと、国際社会での活躍が難しいって話があるじゃないですか。そうした問題を、アフリカ視点で書いたものらしいです。まだ読んでないからわからないんですけど。これは読むべきだと直感が働きました。

――3000円ブックオフって、買った本を紹介する時に、まだ読んでいない本を紹介することが結構あるじゃないですか。だから全部予想で本の紹介をするっていう(笑)。

♨️ そうそう、なかなか無いですよね(笑)。二冊目は菊池成孔の『次の東京オリンピックが来てしまう前に』です。Twitterで話題になった「トランプを支持する(皮肉ではない)」が載っているので気になっていました。これも読んでないので、ふわっとしたことしか言えないんですが(笑)。

――全てが、予想とふんわりした紹介という(笑)。

♨️ これが2冊とも1280円で、すでに2560円です。で、余ったお金で買ったのが「ウンチカシツキ」です。510円でした。

――突然、加湿器を?

♨️ いろいろ理由があって、買おうと思っていたんです。それで、たまたま行ったブックオフに加湿器が売っていて(笑)。中でも安かったのがこれですね。

――510円ってめちゃくちゃ安いですね。

♨️ その「3冊」で3070円です。

――加湿器のように、本以外の商品も買っていい、というルールなんですね。

♨️ そうですね。3000円ブックオフには「本だけ買う」っていう縛りがないので。ブックオフに売っているもので3000円になるように、というルールしかないんです。

――最近は服などを扱う店舗も増えてますしね。3000円ブックオフの厳密なルールはあるんでしょうか?

♨️ 僕はあんまりルールについては言ってないですね。「ブックオフで3000円になるように買い物して、できたら「#3000円ブックオフ」で見せましょう」というざっくりしたルールだけ言っています。あとは、3000円ブックオフをやる人がそれぞれ細かくルールを設定していますね。

――じゃあ、♨️さんが始められてから自然発生的にみんなやるようになった感じですか。

♨️ そうです。

3000円ブックオフのバイブス

♨️ 最初に3000円ブックオフをやったときのツイートが広がったんですよね。あとは、みんなどんどん勝手にやっている。

――そのツイートはいつぐらいですか?

♨️ 2020年6月16日ですね。

――意外と新しいんですね! 勝手に、もう5年ぐらい前からやっているものだと思っていました。そもそも、そのときに3000円ブックオフを始めた理由はなんだったんですか?

♨️ 暇だったからですね。休みでやることがなくて。やることがないときって、外に行くならブックオフしかないじゃないですか。でも、ただブックオフで買い物するのもなあ、と思ったんです。同時に、昔TSUTAYAで5枚1000円のCDを借りていた時代のことを思い出して。値段を設定して、その中で物を選んで買うことをやってないぞ、と思ったんです。

それで、思いついたときに気が大きかったから、値段設定が3000円になってしまった(笑)。しかも、一度やってみたら反響が大きかったので、当初は月に一度開催することにしたんですよ(笑)。

――すごい(笑)。

♨️ 案の定、月一では開催されなかったんですけどね。月に3000円もブックオフに使っていられない。

――(笑)。今はどれぐらいの間隔でやっているんですか?

♨️ ふらっと、気の向くままにやるのがいいかな、という感じですかね。たまに、仕事帰りという謎のタイミングで3000円ブックオフのモチベーションが沸くときがあって(笑)、そういうときに行くのがいいかと思います。仕事帰りに自転車を漕ぎながら、聴いている音楽でノリノリになって、そのままブックオフに行ってやろう、みたいな。今日は行っちまうぞって感じで。

――(笑)。そういう感じで飛び込んでいくわけですね。ある種のテンションがないと、やろうという気にならないのかもしれないですね。バイブスがないと。

♨️ そうそう、「3000円ブックオフバイブス」ですよ。己の3000円ブックオフバイブスに従うまでですね。

――かっこいい。♨️さん自体には、3000円ブックオフをどうこうする権限はないわけですね。

♨️ 持ってないです、そんな権限(笑)

――どこかからやってくる「3000円ブックオフバイブス」に従っている、と。3000円ブックオフに面白さを感じているからこそ、そのバイブスを受信し続けているんだと思いますが、その面白さはどこにあるんでしょうか?

♨️ いちばん近いと感じるのは、遊戯王やデュエル・マスターズのデッキを組むときです。限られた条件の中で最適なカードを選ぶという。そこに自分らしさが出る。そこで現れる「自分らしさ」の愛おしさですよね。

やっぱり自分のデッキって自慢したくなるじゃないですか。それで、他の人のデッキも見て、へえ、そういうふうに選ぶんだっていうことを知る。選び方も人それぞれで、味があっておもしろい。だから、300円でおやつを買うときのセンス・バトルをブックオフでやっているような感覚ですね。

――なるほど。限られた中でどうデッキを工夫していくか。そこでの工夫の中に人となりが現れて、それこそが3000円ブックオフの面白さにつながっていくと。今回やっていただいた3000円ブックオフは、どういう経緯で決めたんですか?

♨️ さきに本を買いました。本当はもう1冊欲しい本があったんだけど、3000円を大幅に超えてしまうのでそれは諦めました。残ったお金で買える唯一の加湿器が「ウンチカシツキ」だったという……。

――じゃあ、「ウンチカシツキ」との出会いも、ある意味で運命ですね(笑)。

♨️ 運命の出会いですね。3000円ブックオフがもたらした出会い。3000円っていう値段設定が無かったら買わなかったですね。

――その「出会い」にこそ3000円ブックオフの面白さがあるのかもしれません。

買えない辛さ

♨️ ただ、辛いこともあります。

――なんですか。

♨️ 3000円買わないといけないことです(笑)。

――根本的!どういうことですか。

♨️ 2〜3時間経っても決まらないときがあって。延々とブックオフにいないといけないんですよ。店内放送で寺田心くんの声を何回聞くんだっていう。

――今は、「ブックオフなのに本あるじゃん」っていうフレーズですよね。

♨️ それを2回も3回も聞かされて、だんだん気が変になってくる。

――(笑)。たしかにブックオフで物を選ぶとき、決め手に欠けることってありますよね。

♨️ ビシッと締まらないみたいな。

――ブックオフの商品棚って頻繁に変わるわけではないけど、なんだかすごく平板に見えるときがある。

♨️ そうなんですよね

――やっぱりこの感覚、あるんですね、嬉しい。

♨️ そのときは、自分の調子がおかしいんですよね。さっきも話題に上がりましたが、3000円ブックオフバイブスがおかしい日がある。そういう日は苦しむことになりますね。

――そんなバイブスに♨️さん以外の人も導かれて3000円ブックオフが広がっているということですが、今までの投稿で印象に残っているものはありますか?

♨️ 2600円ぐらいで岡﨑乾二郎さんの『モダニズムのハードコア』という、ほとんど市場に出回っていない本を入手していた投稿があって。「3000円ブックオフミラクル」と呼んでいるのですが、単純に羨ましくて覚えています。

――希少本をブックオフで買えたときの喜びはすごいですよね。

♨️ それと、読書系の学生サークルで3000円ブックオフをやる、という投稿もありました。買った本は見られないんですけど、めちゃくちゃ結果が知りたくなります。

――3000円ブックオフが広がってきているんですね。

♨️ この間、3000円ブックオフで買ったCDでDJイベントをやるというイベントもありました。

――ええ、そんなイベントが!じゃあ、3000円ブックオフで買った本でファッションショーみたいなこともできるわけですね。

♨️ できます、できます。実は結構、応用が効くフォーマットですよね。

3000円ブックオフで二次創作!?

♨️ あと他で面白いのは3000円ブックオフの二次創作ですね。「3000円ブックオフ怪談」や「3000円ブックオフ青春小説」などがあります。

――そんなものが!

♨️ 最初見たときはびっくりしましたね。「3000円ブックオフ青春小説」は、学生が3000円ブックオフを用いた企画をして、そこに青春が生まれているっていう。素晴らしい小説です。

――先程の話にも出てきましたが、3000円ブックオフは今まで出会ったことがないモノと出会う可能性があるから、それが青春小説を生み出し得るのかもしれないですね。

♨️ ぜひ読んでみてください。

――この広がり方は尋常じゃないですね。そうやって広がることに対して、♨️さんはどう思われているんですか?

♨️ 広がることに対しては特に何も思ってないけど、自分以外の他の人にもバイブスが働いているな、というのは感じますね。

――みんな、ブックオフが出すバイブスを受信しているのかも。やっぱり全てを動かしているのはバイブスなのかもしれません。

♨️ だから自分がどうのこうのというのは関係ないですね。

――3000円ブックオフが面白いと思ったのは、ブックオフを使って遊ぼう、っていう姿勢なんですよね。ブックオフは、とにかく色々な商品が価値に関係なく置かれていて、それをどう使うか・どう遊ぶかというのは、我々に任されている感覚があります。だから、その遊び方の一つとして商品との思いがけない出会いを誘発する3000円ブックオフはすごくいいなあと思っています。傍観者として思っているだけなんですが……。

♨️ いやいや、谷頭さんも参加者ですよ!

――たしかに、3000円ブックオフってみんな参加者みたいなところがありますよね。僕にもバイブスが……。

♨️ 僕も一参加者でしかない。今では、僕のことを知らなくても3000円ブックオフだけ知っている人もいて、みんな当たり前のように「3000円ブックオフ」という言葉を使っていますし。

――じゃあ、創始者という言い方は少し違うのかもしれません。

♨️ そうですね、最初に始めた人でしかないので。ブックオフのバイブスに形を与えたっていう感じですよね。

――ある意味では、3000円ブックオフ自体が、ブックオフが持っていたバイブスから必然性を持って生まれてきたのかもしれないですよね。元々、ブックオフにあったバイブスをうまくキャッチしてそれを形にしたというか。

♨️ 必然的に、潜在的にあった遊び方に形を与えたっていう感じですね。僕がしたのはそれだけですからね。だから、みんな自由に3000円ブックオフを使って遊んでもらえればいいんじゃないかと思っています。

*  *  *

連載の第3回目で私は「ブックオフを使って遊ぼう」と書いた。ブックオフ自体はもはや我々の本を取り巻く環境の中に組み込まれている。だからブックオフを否定的に語るだけでなく、それを使って遊んでいこうという提案である。

3000円ブックオフは、ブックオフという多種多様な本・雑貨に囲まれた環境の中での偶然の出会いを可視化した遊びであり、「ブックオフで遊ぶ」良い例だといえるだろう。その遊びがこれほどまでに広がりを見せているのは、もしかするとブックオフ的な、商品との予期せぬ出会いを果たしうる空間のあり方が広く求められているからなのかもしれない。

これからも3000円ブックオフがどのような広がりを見せるのか、目が離せない。

過去から届く未来の荒廃

2022年5月7日
posted by 藤谷 治

第31信 藤谷治から仲俣暁生へ

仲俣暁生様

前にお便りを差し上げてからふた月ほど経ちましたが、ロシアのウクライナ侵攻はまだ続いています。前便で僕は判らないと書きました。今や混迷は言いようのないほど醜悪の度を増しています。

人間がどれほど残虐になれるかを、物書きはせめて報道ででも見なければならないと思うから、報道には触れますが、まともな神経の持ち主なら耳をふさいで逃げ出すのが当然のできごとが毎日繰り返されています。

日本人が戦争をしていた頃のことを、どうしても考えます。もちろん僕はそれを知らないし、想像の限界を超えているとも思います。ただ僕も仲俣さんも、ある程度の距離がある「おとな」の中に、今ウクライナで行われていることと大差ない惨状を経験して帰ってきた人々を見、話をすら聞いています。「ある程度の距離」というのは、僕たちの親や兄の世代ではなく、もう少しだけ上、祖父や伯父、あるいは近所に出入りの植木屋さんとか、電車の中でからんでくる酔っ払いの中にいた、という意味です。銭湯で知らないおっさんから、刀傷や貫通した銃弾の痕を見せられたことは、仲俣さんにもあるのではないですか。

そんな人たちの話を見聞きしたのが戦争体験だなどとは言えるわけもありません。しかしそれはいわば「戦争体験者を体験した」とは言えるはずです。今の世で同じ人に出会って、戦争体験談を聞くことはもうできません。

聞かずに済むようになった、と、僕としては言いたいところです。戦争から帰ってきた男たちの話はしつこく、要領を得ませんでした。自分の知っている戦地をこちらが知らないわけはないという前提で喋るし、知らないと判ると理不尽に馬鹿にしたり罵ったりしてきたものです。

「なんだオメエ、第ナントカ連隊のナントカ連隊長を知らないのか? 何にも知らないだな今どきのガキは!」

彼らは僕の無知を軽蔑していたのではありませんでした。彼らはただ苛立ち、何に苛立っているかも判らず、判ろうともしていなかった。判ろうとするのは、あの残虐な出来事をもう一度体験するようなものだったからでしょう。

僕たちは戦争を体験していないが、戦争を体験した人間には触れたのです。僕が銭湯で中年男のえぐられた脇腹を見せられたのは、戦争が終わって四半世紀も経ってからだったというのに。

*  *  *

仲俣さんのフェイスブックに教わって、レイモンド・チャンドラーの代表作『The Long Goodbye』が新たに翻訳されたと知りました。創元推理文庫から出たその『長い別れ』(田口俊樹訳)は、僕にはこれまでで最もすぐれた翻訳だと思えます。長いこと独占的だった清水俊二の『長いお別れ』は、抄訳とまで行かないのかもしれないけれど、文章を間引いて原文をスピーディに、かつカッコよく演出していたようですし、数年前の村上春樹訳『ロング・グッドバイ』は、現代日本文学を代表し一世を風靡した、村上春樹氏自身の小説世界と、あまりにも似すぎていました。

今度の田口訳はそのどちらでもありません。『The Long Goodbye』が優れた小説であることは十二分に意識しながら、しかし決して作品世界に何かを託したり、入れ込んだりしている気配はありません。田口訳によってようやく僕は、原書を読もうとしても読めなかったところ(ほとんどの部分です)や、この作品の欠点と魅力を、比較的きちんと把握できたように思います。

僕は中学生の頃に清水訳の『長いお別れ』を読んでから、三十代前半まではチャンドラーをよく読んでいました。その頃清水氏はまだ長編の全訳はなしておらず、双葉十三郎や田中小実昌の訳で、短編は稲葉明雄が訳していました。

清水氏が長編をすべて訳し終える前に、僕のチャンドラー熱は冷めました。村上訳が出た時には再び興奮しましたが、次々と出る新訳を追いかけ続けるほどにはなりませんでした。

フィリップ・マーロウという狂言回しに「男性的な」魅力を感じることは、二十代になる前に、もうなくなっていました。しかしマーロウを含め、僕は今でもチャンドラーの人物造形力には驚嘆しています。チャンドラーは物語内でどんな小さな役割しか果たさない人間でも、印象的に描きます。タクシーの運転手やエレヴェータ係、警官や老人や医者や召使といった、脇役中の脇役を、忘れられなくするチャンドラーの筆は、他の追随を許しません。それは時に、物語の進行を滞らせることすらあります。それはチャンドラーが、「物語」よりもはるかに「小説」の創作に長じていたことを示しています。

しかし――僕は自分のことを棚に上げ続けていますが――小説家としてのチャンドラーは、いかにも古風なロマンス信者、あるいはロマンスへの反抗者であるというほかありません。彼には物語を手際よく綴るという才能が欠けていたし、恐らくそのような技量には、軽蔑を感じていたと思います。チャンドラーがアガサ・クリスティを嘲弄し、ヘンリー・ジェイムズを好んでいたというのは、まったく示唆的というほかありません。彼はパルプ小説を文学に昇格させたのではなく、結果的にそのような小説をしか書くことができなかったのです。……それは悪いことでもなければ欠点でもなく、まったく素晴らしいことではあるのですが。

チャンドラーには今でも感心しきりです。弱点もあるけど長所は圧倒的に優れています。しかしすでに多くの指摘がある通り、彼の小説は基本的に「現代における騎士道精神の幻滅とささやかな勝利」という美学を倫理とするものです。彼はその騎士道精神が、現代においては女性不信と矛盾しないことを発見しました。それに現代社会への気の利いた皮肉と小気味いい暴力が加われば、大衆の人気を得るのには「文学的な品位」などは邪魔にならないのかもしれません。

今の僕は圧倒的にダシール・ハメットに魅了されています。それはチャンドラーを読むのとはまったく、まったく別種の経験です。

高校生の頃に『ガラスの鍵』を読みましたが、これは読んだうちに入りません。無味乾燥、いささかも心を動かされませんでした。出来事がぱらり、ぱらりと書いてあるだけで、筋もはっきり見えてこないし、なんのつもりでこんな小説を書いているのか、さっぱり理解できませんでした。

再読を始めたのは五十を過ぎてからです。晩年の小鷹信光氏が『デイン家の呪い』を訳してハメット長編全作訳出を達成したのちも、『マルタの鷹』の改訳だけでなく、ハメットが死ぬまで完成させようとしていたという『チューリップ』の未完原稿まで翻訳したと、小鷹氏の没後に知りました。書店で諏訪部浩一氏の『「マルタの鷹」講義』を見つけたこともあり、試しにもう一度、と読んでみたのです。そして読み始めると、もう読み捨てることはできなくなりました。

ハメットは僕にとって汲めども尽きせぬ永遠の謎です。数十の上出来な短編と、それぞれまったく趣を異にした五作の長編を十年ばかりのあいだに書きあげると、以後はすっかり書けなくなりました。あのウェルメイドな短編を見れば、彼が書けなくなるなど考えられないことです。彼の「非米活動」や共産党入党などは、小説を書く情熱になんの足かせになるものでもありません。偽名でも何でも使って書いたでしょう、もし書けていたなら。しかし彼は書けなくなった。『チューリップ』という断片は、それを無惨に証明しています。

――仲俣さんには笑われるかもしれませんが、ハメットの生涯を思うとき、僕は人間には生来の才能とか資質など、実はないのではないか、人間は「ミューズ」に愛されている(あるいは、取りつかれている)そのあいだだけ、かろうじて何事かを表現し創作できるのではないか、傑出したものを創作する者であればなおさら、と、幻想せずにはいられません。

*  *  *

長々とした手紙になりました。現実逃避の楽しみに惑溺しているのかもしれません。報道は潮が引くように遠い国での戦争から遠ざかっているように見えますが、これが世界の暗い分節点として小さくないものであるのは間違いありません。

しかし――前の手紙にも書いたと思いますが――この侵攻、戦争は、いつか終わります。兵士として駆り出された人々は故郷に帰るでしょう。破壊された家に戻らなければならない人もいるでしょう。「英雄」として持て囃される人間すら、いるかもしれません。

彼らはこれからどのように生きていくのか。彼らの中に何が残るのか。

チャンドラーやハメットの描いた人物に、僕は過去から届く未来の荒廃を見るような気がしています。

第1信第2信第3信第4信第5信第6信第7信第8信第9信第10信第11信第12信第13信第14信第15信第16信第17信第18信第20信第21信第22信第23信第24信第25信第26信第27信第28信第29信第30信第32信につづく)

〈カタリココ文庫〉がはじまったわけ

2022年3月10日
posted by 大竹昭子

文庫サイズの本をシリーズで刊行している。
名称は〈カタリココ文庫〉といい、ちょうどいま写真家・畠山直哉さんとわたしの対談と彼の随想が入った第8巻『見えているパチリ!』が出たところだ。ポケットに入れて、電車の中とかランチの後などにさっと取り出して読み終えられる80ページくらいのものである。このような手軽な形にしたのは、ケータイ文化に抵抗するには本にまとわりついた重たいイメージを払拭する必要があると思ったからだが、薄いのは厚みだけで、中身の濃さは保証付きである。

〈カタリココ文庫〉の最新刊には写真家・畠山直哉さんの随想に、筆者との対談を収めた。

『見えているパチリ!』の企画は、文芸誌『新潮』の大震災特集号に畠山直哉さんが寄せた「心の陸前高田」を一読してすぐに思いついた。畠山さんは、東日本大震災の津波で母と実家を失って以来、それまで国内外に向けてきた視野を転換して故郷の陸前高田に絞り、ほとんどすべての時間を町の様子を観察し、撮影して、発表することに充ててきた。書かれた文章は、その時間のなかで去来したさまざまな問いや思いを、どっしりと構えながらも写真家らしい歩行のリズムで綴った稀有な読み物だった。

これは〈カタリココ文庫〉に入れて残したい、それに加えて彼の近況を伝える新たな対談を載せたい、と瞬時に本の全体像が浮かんできた。彼とは大震災のあとに数回にわたってトークし、『出来事と写真』という本をまとめたことがあったが、その続編が作れたことは格別のよろこびであった。

本をもう一度、場にもどす

〈カタリココ文庫〉のよさは、このようにわたしが出そうと思えばすぐに出せることである。会議を通したり営業の顔色を窺ったりすることなく、自分のいまの関心を本の形にくるっと包んでさっと差し出せる。その率直さとスピード感がわたしには好ましい。

もちろんまわりには心強い協力者がいて、デザイナーも校正者も一流の仕事をしてくれるし、共著者の力添えも大きい。ちなみに、『見えているパチリ!』という意表を突くタイトルを考えてくれたのも畠山さんで、彼がおずおずとこれを口にしたとき、即座に、いただき!と思った。歩きながら、考えながら、ファインダーを覗く彼の姿が、パチリという音とともに浮かびあがってくるようで魅力的だ。

〈カタリココ文庫〉はいま、年3冊というかなりのハイペースで出しているが、そうなったのは2020年からである。つまりコロナの感染拡大という事態と重なっている。そうでなければ、出したいときに出す、というようなもっとのんびりしたペースになっていただろうから、改めて日常がとどこおりなくつづいていると発想の転換はしにくいものだと思う。

「カタリココ」とは「語り」と「ここ」を合わせたことばで、かなり前にトークと朗読のイベントをはじめたときに考えついたものだ。調べてみるとこれがスタートしたのは2007年で、ということはもう15年もつづけてきたのかと自分でも驚くが、この試みの背景には本が売れなくなったという社会事情があった。本はどこにでも持っていけて自分ひとりで読める完成度の高いメディアだが、その完成度がかえってあだになり、個人にこもりすぎて他者とのつながりを生みにくくなっているのかもしれないと感じていた。物語の発生は、声に出して語る人とそれを聞く人が出会う、というもっと身体性を伴ったものだったはずで、もしそれならば本をもう一度場にもどして身体との結びつきを深めてみることが出来るのではないか。

というように理路整然と考えたわけではないけれど、直感としてはそういうことで、本を介してなにかできそうだという予感をもったのである。15年前と言えば、新刊が出たら著者のトークイベントが企画されるのが当たり前になっているいまとは状況がちがい、作家が人前で自作について語ることは少なかったし、ましてや作品を読み上げるということはなかった。カタリココで恒例の自作の朗読も、当初はそうお願いするとゲストに「えっ!」と絶句されたものだ。朗読は小学校のとき以来していないし、ましてや自作を声に出して読むなんて恥ずかしい!と激しく抵抗されたが、いまはそんな人はいないから、この十数年でずいぶんと変わったものだと思う。

緊急事態宣言下にイメージが広がる

話を2020年にもどすと、カタリココでは毎年春に一年分の予定を決めてチラシを作り告知していた。その年の春、ゲストもほぼ決まりかけてほっとしていた矢先に非常事態宣言が出て、人が集まることが出来なくなったのは周知のとおりである。

本を介して場を作ろうというカタリココの試みは、ココ=場を奪われて梯子を外された格好になってしまった。行動は制限されるし、予定がなくなって時間とエネルギーはありあまっているし、でもそれを散歩と料理だけに使うのはなんだし、と思っていたある日、〈カタリココ文庫〉のイメージが降って湧いたようにやってきたのである。

実は〈カタリココ文庫〉には前史があって、その前年に『「私」のバラけ方』という高野文子さんの特集号を出していた。そのさらに前には福田尚代さんの『美術と回文のひみつ』の企画と制作に携わったこともあった。これは福田さんとわたしのカタリココの対談を彼女が所属する小出由紀子事務所が出版したもので、版元はわたしではないが、それを作る過程があまりに楽しくて自分でもやってみたくなり、高野文子さんの号は自前で出したのだった。

〈カタリココ文庫〉の前史となった0号と1号。いずれもカタリココのトークを再録。

ただし、この段階では定期刊行するつもりはなかったのである。
作りたいものがあったらまた出そう、というくらいの悠長な気分で、内容もカタリココの再録という位置づけだったのだ。

ところが、非常事態宣言下でいきなりイメージは拡大し、カタリココの再録に限らず、新聞雑誌に発表後に単行本化されずに宙に浮いている自分の文章もどんどん出していけばいいじゃないか、カタリココの枠外でトークをして一冊作ったり、丸ごと書き下ろしにしたり、だれかと往復書簡を交わしたり、内容も形式も自由に選んで作ったらいいじゃないか、というように一気に広がっていったのである。まるで道を歩いていたらいきなり間欠泉が噴き出したような具合であり、自由に本を作れるというのはこんなに楽しいものなのか!とびっくりしたのだった。

緊急事態宣言下では3冊を同時に仕込んだ。簡単にそれぞれの内容に触れておくと、まず手を着けたのは『室内室外』である。雑誌『Paper Sky』に「場所」というゆるいテーマで連載していたものを一冊にまとめようと加筆改稿していくうちに、テーマは「室内室外」だと閃いた。外出がままならない状態で「室内」「室外」の境界をいやがおうにも意識させられたし、体の内と外という含意もあり、うまいタイトルを思いついたものだと自画自賛したのだった。

つぎに出した『スナップショットは日記か?』は、わたしが『新潮』に寄稿した随想で、内容は2019年、森山大道がハッセルブラッド賞を受賞したスウェーデンのヨーテボリの式典をドキュメントしながら、スナップショットという手法と日本の日記文学の伝統とのつながりを自分なりに考えてみたものだ。これもタイトルがフックになり、とてもよく読まれている。

3つ目の『絵のうら側に言葉の糸をとおす』は、美術家・鴻池朋子さんの特集号である。東日本大震災の直後、物書きの友人知人に呼びかけて「ことばのポトラック」というトークイベントをはじめ、その後もさまざまなゲストを招いて継続してきたが、その2017年春の回のゲストが鴻池さんだった。

彼女は大震災以降に絵が描けなくなり、美術の概念を広げて新たな模索をはじめたが、そのことを語ったトークの音源を自粛期間中に聞き直したところ、心に強く響くものがあり、これは本にしたいと思ったのである。初回から「ことばのポトラック」を一緒に担ってくれている堀江敏幸さんも含めて3人での鼎談で、美術の枠を超えて活動する鴻池朋子さんの思考の軌跡を知るには欠かせない一冊になった。

おわかりのように、この3冊はどれもカタリココのイベントとはちがう文脈から生まれている。もしもあのまま日常がつづいていたらこういうラインナップは思いつかなかっただろうから、改めて2020年は大きな分岐点だったと思う。

2020年の緊急事態宣言下でアイデアが広がり、この3冊を刊行した。

ノンジャンルの活動に居場所ができた

またこの3冊があぶり出したもうひとつの事実として、ジャンルが一つに絞られていないということがある。実はこのことは15年前にカタリココをはじめたときから意識していた。朗読イベントというと、ふつうは小説や詩をイメージしがちだが、考えをことばにするという意識があり、朗読できる著作のある人ならば、どんなジャンルの人もOKという方針でゲストを選んできたのである。

ジャンルは社会が物事をまわしていくのに後から作られたものであり、個人の思考の道筋とは関係がない。わたし自身の執筆もそうで、写真について書くことは多いが、写真界の動きを追っていくようなことには関心がないし、美術にも興味はあるけれど、あくまでもわたしの関心の網にひっかかってきたものへのこだわりだ。

つまり物事を横断的に考えていくことに惹かれるのであり、軸足をジャンルに置くことは考えてこなかったのである。それは、常に枠の外側に立って自由度を確保しようとする、自分の癖としか呼びようのない行動様式だが、〈カタリココ文庫〉はそうした自分の本質にたしかな居場所を与えてくれた。

イベントはひとつ終わると次のものが来るというように流れの力が強く、静止画像として眺めることがしにくい。だが、本の制作はちがう。流れを止めて堰を造るのに近く、溜まったことばを吟味し練り直す過程によって考えを蒸留できる。ジャンルの括りの底に流れているものに目を凝らすことに自分のパッションの源があると確認できたのは大きな収穫であった。

以前はジャンルを嫌がる自分を天の邪鬼な逃亡者のように感じていた。取り込まれそうになるとさっと身をかわして表通りを離れて路地に入っていく。だが、権威を生み出すヒエラルキーの構造に抵抗するならそうなるのは自然であるし、ジャンルを越境することは細分化された人間の機能をひとつに束ねて全体性を回復することだと主張できるようにもなった。

それには一冊ではだめだったし、ぽつりぽつりと出すのでもわからなかった。一定の速度をもって定期的に出すことにより、自分という人間の内部に蠢くものを編集できたのである。

こちらは2021年に刊行した3冊。

最後に、読者がもっとも興味をもつであろう採算の話をしておこう。印刷、デザイン、校正、印税などの費用は当初から売上で賄えている。ただし、そこにはわたしの編集作業代は含まれていないので只働き状態だったが、ようやくそれが改善しつつある。良質のものを継続して出していけば少しずつ上向きになっていくという予感を抱いている。ビジネスとして成立させられれば必ずやあとにつづく人が出てくるだろうから、これはうれしい希望である。こんなに楽しい作業をわたしが独り占めするのは惜しい。

あるとき脳裏に「30」という数字が点滅した。これは30巻だしなさいというお達しだろうと思い、その数を射程にいれて全体像を考えるようになった。30巻というと多いようだが、今年末には10巻に達するので道のりの3分の一は進む。これが完結するまでは死ねないなあと思う。

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