私がインディーズ文芸創作誌を出し続ける理由

2019年5月13日
posted by 多田洋一

あれは2009年の、たぶん11月なかば。知人宅の寒いベランダで煙草を吸いながら見上げた夜空には、噛みつかれそうなくらい白い月が光を放っていた。当時はあまり調子がよくなくて…というのも、前年の区の健康診断でやっかいな病気に引っ掛かり春先は入院生活。その後、シャバに復帰はしたが、どうも仕事に気が乗らないままだったし、さらにその夏には、いわゆる「持ち込み原稿」というのを某文芸誌にしてみたものの、散々な言われよう。わりとめげない性格だが、さすがに「このまんまじゃ、ちょっと」との思いを抱えていた。

流され続けているかぎりは、なにもかもがこのまんま。そして、どこかにきっとサドンデスが待っている。それはちょっと嫌だから、自分の意志で本をつくってみることにした。

2010年に文芸創作誌「Witchenkare(ウィッチンケア)」を創刊し、以後、年に1冊のペースで発行している。毎年4月1日に発売。桜咲く季節なのと、エイプリール・フールだっていうのが気に入ってこの日にした。今年も第10号が出たばかり。35人の書き下ろし寄稿作が掲載されている。

「ウィッチンケア」最新号(10号)の表紙(クリックすると目次が見られます)。

10、という区切りの号なので、創刊号以来の便覧を付けてみた。そこにはこれまでの紆余曲折というか暗中模索というか、についても…まあ、いろいろ正直に書いてみた。たとえば創刊号の項には、寄稿者/作品名とともに、こんな一文を。

〈発行人(多田洋一)が、草の根BBS「ぱらねも」での知り合いや古くからの友人に声をかけて創刊。発行部数は500。いままでにない雑誌を、との志で誌名をKitchenware のアナグラムの造語「ウィッチンケア(Witchenkare)」と命名… しかし、この覚えにくい名前のせいで後々、数多の苦労を背負うことに。また制作時には雑誌を「つくること」に夢中で「売ること」にまで考えが及んでいなかった(裏表紙には定価ではなく「頒価」と記されている)。発行後、いくつかの書店との直取引が始まり、ジュンク堂書店新宿店での取り扱いをきっかけに地方・小出版流通センター(取次会社)とのご縁ができ、さらに販路が広がる。〉

ただ、便覧に書いたのは、おもに「ウィッチンケア」という本に直接関わることがらだ。発行人がどんな体験をしてきたか、雑誌を10年出し続けるとどんなことになるか、などについては最小限の言及にとどめた。…だけど、もうちょっと書きたいことがある。自分自身のこと、そして「ウィッチンケア」の出版体験を通して見えた「本の周辺事情」についても語ってみたい。

誌名を造語にしてわかったこと

私が雑誌の仕事を始めたのは20代後半。1959年生まれなので、ちょうどこれからバブルがやってくるぞ、というころだった。最初に見開きタイアップ広告(スポンサーはヤマハ)の、1000字ほどの文章を担当したのが『ターザン』。以後、なりゆきでフリーランスのライター/エディターとなり、雑誌記事の企画/編集/取材執筆、映画やドラマのノベライズなどもこなしながら現在に至っている。これまで署名記事はほとんどなく、名前が出てもスタッフのクレジットとして、ということでやってきた。

ウィッチンケア、という造語の誌名だが、当時の私は「自分がつくる雑誌はいままでないものにしたい。だから名前もいままでにない言葉にしよう!」と燃えていた。クロワッサン、とか、マリクレール、とか、ロッキング・オン、とか、他誌の名前の字数を思い浮かべて、おお、7文字くらいならいけるんじゃないかな、じゃ、ウィッチンケア! と。…しかし、10年経っても、この誌名をまだ正確に覚えてもらうことに苦労している。ウッチンケアとかウイッチケアとかウッチン・ケアとか、惜しい…でも自分が覚えづらい名前にしたんだからなにも言えねぇ、と忸怩たる思い。

なので、もしあなたがこれから紙の雑誌を創刊しようと思っているのなら、やはり誌名は明瞭簡潔なほうがいいかもしれない。書店や取次会社とのやりとりのさいに、ホント、無為な負荷が発生するのだ。検索にも出てこないし(まあ、その苦労を楽しむ、という「気の持ちよう」も、あるけれども)。

その「ウィッチンケア」の創刊号は、世田谷区の松陰神社近くにある啓文社で印刷/製本した。刷り部数500。ロゴが表紙の下のほうに配してあるのは、当時「雑誌はコンビニで扱ってもらったさいにロゴが見えるように」という〝業界の常識〟のような話を人づてに聞き、いや私がつくるものはコンビニなんかで売ってもらえるわけないからべつにいいや、みたいな反抗心もあって…と言うか、とにかく「本をつくること」が楽しくて「本を流通させる」ことに無頓着なまま制作してしまった。手売りするぞ、という気概を持っていたわけでもなく(気質としては「ゲラを戻したら次の原稿のこと考える」「あっ、掲載誌見てない」みたいな、ライター寄りの人間である。そんな人間が発行人になって、果たしてよかったのか…)。

2010年に刊行した創刊号。刷り部数は500。

お菓子を作るように本を作ろう

2010年頃はミニコミというかリトルプレスというかジンというかが元気で、『ミニコミ2.0』(KAI-YOU/2011年)という本が出版されていた。それ以前に『ミニコミ魂』(晶文社/1998年)も読んでいたし、パルコブックセンター渋谷店や都内の個性的な書店で「これ、どこが出したんだろう」という雑誌を見かけると買ったりもしていたので、そんな流れに背中を押されて「オレもいっちょやったろか」と踏み出したのだと思う。

つくるさいの参考にしたのは『プチブックレシピ リトルプレスの作り方』(毎日コミュニケーションズ/2007年)という可愛らしいムック本。帯に〈お菓子を作るように本を作ろう。〉とあって、そんな簡単なもんじゃないだろ、と思いつつも、なにしろよくわからないので…とても参考になった。

「ウィッチンケア」創刊へと背中を押してくれた本たち。

校了して、いよいよ家に500冊が届く、という段になって初めて「できあがった本を、なんとかしなくちゃ」と思い至り、簡単なレジュメをつくって都内の書店への営業を始めた。厳しい目にも遭ったが、それでも、けっこう話を聞いてくれる書店員さんもいて、実物の創刊号が拙宅に届いたころには、直の取引で模索舎、タコシェ、古書ビビビ、古書音羽館、いまはビックロになった、新宿三越アルコットのジュンク堂書店新宿店など都内の数店舗に並べてもらえた。

その後、「他の書店で見かけた」という書店員さん経由で三省堂書店神保町本店からも声がかかり、そこに置くには取次会社を通して、と言われて、今度は地方・小出版流通センターさんを訪ね、その担当者のご厚意で、都内の大型書店10店舗に置けるようになり(そのうちの6店舗が2019年現在ではなくなってしまった…)、と、ものごとが進み始めた。

書店主は一国一城の主

この創刊号での営業体験は、かなり勉強になったというか、いまに生きている。まず、どんなでかい本屋さんでも「最初から無理」と怯まず、扉を叩いてみること。大きいところほど間口が広いというか、いろいろな人がいるというか、運がよければ、理解者に巡り会える。反対に個性的(店主の顔が見えている)な本屋さんは、顔見知りだったり知人などがいる場合以外では、細心の注意(というより一国一城の主に対する敬意)を払ってコンタクトをとったほうがよい。最初に「ボタンの掛け違い」が起きてしまうと、お互いにとって、とっても不幸である。

私の場合、創刊時点で50のおっさんだし、また、広い意味での同じ出版業界人とはいえ、どちらかというと商業的な立ち位置の人間だったので、自分のキャリアのことはほとんど語らずに、ただ「新しい本をつくったんです」という感じで歩き廻ったが、何度かは、なかなか、キツかったな。

じつは、7〜8号連続で店に見本誌を直接届けたものの、いまだ道が開けず、な強者(←私にとって)書店もある。むかしながらの本の世界は、良くも悪くも人なつっこいというか、人間くさいというか、〝ムラ社会〟というか…たとえば「○○さん」(苗字)と言うだけでそれがどこの誰であるかわかる、みたいな人たちのなかに、無防備に飛び込んでいくと、いろいろツラいものがある。そして2011年の第2号は、印刷会社から本が届いた2時間後に地震が起きた。このあたりの話は、ぜひ「ウィッチンケア」第10号の便覧をお読みいただければ幸いである。

音楽の未来と本の未来

今回あらためて語ってみたかったのは、10年間「ウィッチンケア」を続けてみて、ほんとうに本を取り巻く環境が変わったなぁ、ということだ。私は以前代々木上原に仕事部屋を持っていたが、小田急線を降りるとまず幸福書房を覗いて新刊や雑誌をチェックしていた(発売日に買う雑誌もけっこうたくさんあった)。それは完全に生活習慣の一部、朝起きて顔を洗ったり歯を磨くようなことだったが、その幸福書房は昨年、なくなってしまった。

近年は私(いまは町田市在住)も書店に足を運ぶことが少なくなり…電車に乗って週刊誌の中吊りが気になったら、アイフォーンで検索してしまう。実感としては、いまネット環境のために携帯キャリアに月々払っているおカネが、当時の雑誌(やムック系の本)と入れ替わっている。

「ウィッチンケア」は、これを手にとらなければ読めないおもしろいものが詰まっている、との自負を持ってつくっている。また個人的にはいまでも「読みたい本は紙のを買う」な人間ではある。しかし、私が朝の身だしなみを整えるように書店に立ち寄り、財布を開いていた、そのような習慣は、はじめから生活動線に本屋さんがない人にはよくわからないだろうな、とも思う。

また、私は音楽も好きで、どこかに出かけるということはつまり「その町にあるレコード店をチェックする」と同義な生活を15歳くらいから続けていたが…10年前くらいからレコード屋さんもどんどんなくなっていった。本の歴史は音楽の記録媒体のそれよりもずっと分厚いので、10年前に音楽の世界で起こったことと同じ未来が本の世界にも訪れる、とは思わないが、しかし、時代の変化なんてあっという間なんだな、という思いは強い。

豪華執筆陣と私

「手にとったのは、ほぼ知り合いだけ」からスタートして、10年。最近は、少しずつではあるけれど、「知ってますよ」「おもしろいですね」「買いました」と言ってくれる人に会うことが増えた。「豪華な執筆陣ですね」と褒めてくれる人もいて…でもこのフレーズは、私が創刊号を模索舎に持ち込んだときに言われたのと同じなのである。そのときは、こんな続きの問いかけをされた。「あの、それで多田さんはなにをしてるんですか?」。いやいや、販売員じゃないんです。この本は私がつくって、しかも小説を書いてもいますから、と言いたかったがぐっと堪えて、10年。短くはない歳月が流れた。

じつは、当時もいまも、私と「ウィッチンケア」を取り囲んだ状況はあまり変わっていない、と感じている。執筆者の総和に遠く及ばない媒体の認知度、ブルーな気分を日々加速させるアマゾンの「売れ筋ランキング」、そして、おそらく私は含まれていないだろうと容易に想像できる、「豪華」という賞賛の言葉。この体たらくの主因はひとえに私なのだ、と胸が詰まり、10年前に見上げた月を思い出すこともある。

しかし、インディーズ文芸創作誌と名乗ったからには、自身が積み重ねた現在の力で、次の一歩を見出していくしかないのだ。本を売ることの難しさ、しみじみ身に沁みたが、一人出版者(出版社ではありません)として、これからもできる限りのことをやっていこうと思う。

民主主義を支える場としての図書館

2019年5月4日
posted by 仲俣暁生

「図書館」という言葉から最初に連想するものはなんですかと問われたなら、本の貸出、新聞や雑誌の閲覧、調べもの、受験勉強……といったあたりを思い浮かべる人が多いのではないか。もしそこに「民主主義」という言葉が加わったら、はたして違和感はあるだろうか。

図書館を舞台にしたドキュメンタリー

フレデリック・ワイズマン監督の映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』を、先月の終わりに試写会で観た(5月18日より東京・岩波ホールほか全国で順次公開)。約3時間半にわたる超長尺のドキュメンタリー作品であるにもかかわらず、不思議なことにいつまでも観つづけていたい気持ちにさせられた。その理由はこの映画のテーマと深く関わっている。

『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』劇場公開用パンフレット(4月9日に開催された日比谷図書文化館でのイベント風景より)。

『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』の主題は、図書館を題材にしていることから想像されがちな「本」や「読書」ではない。あえてキーワードを挙げるとすれば、「コミュニティ」「文化」「デジタル」の三つが思い浮かぶ。公共図書館がこれらと深い関係を切り結ぶことで、アメリカ合衆国では――少なくともニューヨーク市では――民主主義をしっかりと支える土台になっている。そのことを痛感させられたので、私はこの映画をもっと見続けていたい気持ちになったのだった。

私がニューヨーク公共図書館に興味をもったきっかけは――おそらく多くの人と同様――、若い頃に読んだ吉田秋生の『BANANA FISH』でこの場所が描かれていたことだ。この図書館はイタリアン・マフィアの支配下から脱しようとする不良少年アッシュが独力で知性を育んだ場であり、彼がもっともやすらぎを感じられる場でもあった――そう受け取れるラストシーンがとても印象的で、いつかこの場所のことを詳しく知りたいと思っていた。

2003年に岩波新書の一冊として刊行された菅谷明子さんの『未来をつくる図書館 ニューヨークからの報告』は、この図書館の歴史と(当時の)最新の取り組みについて、基本的な知識と知見を与えてくれるすぐれた本だ。シブル(SIBL)の愛称で呼ばれる科学産業ビジネス図書館が積極的に市民の起業支援をしている話や、図書以外のさまざまな資料をアーティストが芸術活動のために積極的に活用している話はとりわけ印象的で、自分の中での先入観が取り払われ、公共図書館に対するイメージが一新された。

現在は四つの専門的な研究図書館(人文社会科学図書館、科学産業ビジネス図書館、舞台芸術図書館、黒人文化研究図書館)と88の地域分館からなるニューヨーク公共図書館は、インターネット上でのコレクションの公開に積極的であることでも知られている。デジタル・ネットワーク社会における図書館の役割という観点からも、彼らの活動はつねに目が離せない(「マガジン航」でもそうした取り組みについてはなんどか紹介してきた)。だからこの図書館を題材にフレデリック・ワイズマンがドキュメンタリー映画を撮ったと知ったとき以来、日本での公開をなにより心待ちにしていた。

83万点以上の資料が「デジタル・コレクション」としてウェブで公開されている。

人々の表情や声、身振りから浮かび上がる図書館の役割

映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』の予告編はYouTubeでも公開されている。冒頭の場面で、子供からの問い合わせに対してだろうか、「じつはユニコーンは想像上の動物なんですよ」と答える司書の対応はじつに丁寧だ(予告編の日本語版は編集が若干異なり、この場面が出てこないのが残念である)。「アンディ・ウォーホルは私たちからたくさんのものを盗んだ」と語る写真コレクションの担当者や、「図書館は人のことなんです」と語る新館を設計した建築家も予告編に登場する。これらの言葉は本編の文脈のなかに置かれると、さらに印象的なものとなる。

ワイズマンはこのドキュメンタリー映画で、ニューヨーク公共図書館の多岐にわたる活動をできうる限りディテールまで伝えようとしている。市民に向けて行われる公開レクチャーやコンサートなどの様子は、プロモーションビデオのような断片的なエピソードとしてではなく、その活動の実質が十分に把握できるよう、一つ一つがしっかりと長いカットで紹介される(これほどの超長尺になったのはそのためだ)。日本でもよく知られているリチャード・ドーキンスやエルヴィス・コステロ、パティ・スミスといった有名人が登場する場面も楽しいが、私にとってはまったく未知の作家やパフォーマーが聴衆に向けて訴えかける姿に強く心を打たれた。

日本ではいつの時代にも「図書館=無料貸本屋」という批判がなされるが、ニューヨーク公共図書館は市民が本や雑誌を「消費」する場所ではない。ハイレベルの研究図書館として学術研究に取り組む者や、意欲的な文化芸術の創造者にも大きな助けとなるが、前述の菅谷明子さんの本で詳しく紹介されているとおり、ここはニューヨーク市民に対する起業やビジネス支援の場でもある。市内各地の分館はそれぞれのコミュニティに深く関わっており、ライブラリアンは各地域が抱える現実的な課題の解決に献身している。

学術研究の支援、文化芸術創造の支援、ビジネス支援、地域コミュニティの課題解決の支援……このような多岐にわたる活動を支える人々の表情や声、身振りを『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』という映画は、長い時間をかけてじっくりと映し出す。そうした明確な理念と目的意識のもとで、ニューヨーク公共図書館はインターネットや電子書籍といったデジタル技術の採用や普及にも積極的だ。冒頭で述べた「コミュニティ」「文化」「デジタル」という三つのキーワードは、この映画が教えてくれるニューヨーク公共図書館の活動を特徴づけるものだ。そこから思わず浮かび上がる言葉が、冒頭で挙げた「民主主義」なのである。

公民連携の理想的モデルとしての「パブリック・ライブラリー」

この映画の試写と並行して、4月9日には東京の日比谷図書文化館で、この映画にも登場するニューヨーク公共図書館の渉外担当役員キャリー・ウェルチさん、先述の菅谷明子さんを迎えたトーク&パネルディスカッションが行われた。

中央がウェルチさん、右が菅谷明子さん。

ところでニューヨーク公共図書館は「パブリック・ライブラリー(public library)」ではあるものの、日本の図書館法が定めるような「公立図書館」ではない。その運営は非営利組織(NPO)が担っており、活動資金はニューヨーク市や州からだけでなく、個人や企業からの様々な規模の民間寄付によってもまかなわれている。

19世紀半ばにニューヨークにあった二つの個人図書館、アスター図書館とレノックス図書館をその前身とするニューヨーク公共図書館は、日本でいう公立図書館よりはむしろ私立図書館に近い。だが日本の図書館法は第26条で「国及び地方公共団体は、私立図書館の事業に干渉を加え、又は図書館を設置する法人に対し、補助金を交付してはならない」としており、活動資金の多くをニューヨーク市から得ている彼らのあり方は、そこからも外れている。ニューヨーク公共図書館は「公立図書館」でもなければ「私立図書館」でもなく、まさに「公共図書館」と呼ぶしかない存在なのだ。

日本でも最近はくっきりとした「公(官)」と「私」の分離が見直され、「公民連携」や「官民パートナーシップ」(PPP、Public and Private Partnership)と呼ばれる取り組みが注目されるようになった。その先駆的なモデルとして、ニューヨーク公共図書館の活動に関心が集まるのは当然だろう。この日のパネルディスカッションでも、彼らの事業モデルが中心的な話題となった(年間3億7000万ドルにものぼる運営費のうち、ニューヨーク市からの支援は全体の約半分だという)。実際、ワイズマンの映画でも幹部たちの経営をめぐる会議風景がなんども挟まれる。地に足がついた活動と、それを支える両輪としての理念と財源。このいずれもに均等に光をあてていることが、『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』という映画を魅力的なものにしている。

ニューヨーク公共図書館のウェブサイト。図書館への投資拡大を市に求めるよう促すメッセージが表示されている。

〈パブリック〉とは〈私たち〉のこと

ニューヨーク公共図書館は「公」と「私」の間に橋をかけているだけではない。高度な学術研究や芸術文化の創造を支援する研究図書館(リサーチ・ライブラリー)としての役割と、その地域に暮らすすべての人に開かれた公共の場としての役割との間にも、なだらかなつながりを築こうとしているように思える。日本においては国立国会図書館から都道府県立図書館、市町村立図書館の中央館とその分館まで、国公立図書館はわかりやすいピラミッド構造をなしている。だがニューヨーク公共図書館は、市立図書館の分館レベルの活動と、国の中央図書館に匹敵する高度な活動とが、相互に関わり合いをもちながら進められているのだ。

ウェルチさんの言葉で印象的だったのは、アメリカでは図書館とは「普通の人々のための宮殿(Palace)」である、という部分だ。彼女は第二部のパネルディスカッションでも「〈パブリック〉とはニューヨークで暮らす〈私たち〉のことだ」と語っていた。ワイズマン監督のドキュメンタリー映画から「民主主義」という言葉を私が連想したのは、ウェルチさんのこうした言葉をあらかじめ耳にしていたからかもしれない。

第二部のパネルディスカッションには田中久徳さん(国立国会図書館)、越塚美加さん(学習院女子大学)、野末俊比古さん(青山学院大学)も参加した(画面左側、中央から順に)。

日本でもこの十数年、図書館をめぐる話題がようやくさかんになってきた。広く「本と人が出会う場所」として書店までを含めるならば、図書館論や書店論はいま空前の賑わいをみせているといってもいい。しかし、その多くはいまだに「本」や「読書」に軸足を置いているように私には思えてならない。本(に象徴される知識や情報)を必要とし、そのことで自分の暮らしを変えていこうとする「人」の具体的な姿があまり見えてこないのだ。

ワイズマン監督の映画では、本そのもの(それはそれできわめて魅力的な被写体のはずだが)は中心的な役割を演じない。あくまでも主役は人、人、人である。図書館(や書店)がもし民主主義の土台になりうるとすれば、それは本の力だけでなく、その場に関わるすべての人の力によるものだ。そのことをあらためて教えてくれたこの映画を、私は一人でも多くの人に見てもらいたい。


『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』

© 2017 EX LIBRIS Films LLC – All Rights Reserved

監督・録音・編集・製作:フレデリック・ワイズマン
原題:Ex Libris – The New York Public Library|2017|アメリカ|3時間25分|DCP|カラー
字幕:武田理子 字幕協力:日本図書館協会国際交流事業委員会
配給:ミモザフィルムズ/ムヴィオラ

*5月18日(土)より岩波ホールほかで全国順次ロードショー

献本の倫理

2019年4月26日
posted by 荒木優太

元『ユリイカ』編集長の郡淳一郎氏が、4月22日、自身のTwitterにて「「御恵贈(投)頂き(賜り)ました」ツイートの胸糞わるさ」から始まる「はしたない」御礼ツイートを批判したことで、献本という出版界の慣習に多くの関心が集まった。

郡氏によれば、この種の御礼ツイートには「わたしには、「皆の衆、俺(私)はコネがあるんだぞ、大事にされているんだぞ、偉いんだぞ」というメッセージ」しかない。つづけて、「商業出版された本は商品なのだから、それをタダでもらったと吹聴するのは、はしたないことだと、なぜわからないのか。黙って本を読むことが中抜きされていると感じる」と憤りを露わにする。

はじめに断っておけば、私は郡氏の献本観、また書物観や編集観にまるで共感しない。詳しくが後述するが、私が著者として他者に献本するさい、その人にもっとも期待しているのは本のPRであり、賞讃でも批判でも話題になること、注目が集まることを当てにしている。それは必ずしも、新聞や雑誌の書評欄に取り上げて欲しいということを意味しない。ブログでもTwitterでもなんでも、オルタナティブなメディアでつづられた正直な感想や反応というのは、それがたとえネガティブなものであれ、著者としては嬉しく感じるものだ。ある片言を通じて、まったく知らない層の読者に自分の本を認知してもらう、回り回って本を手に取ってくれることがあるかもしれない、という希望を抱く。

ちゃんとステマしろ?

とはいえ、郡氏が提起した問題は思った以上に根深いかもしれない。というのも、彼は献本の慣習自体は批判しておらず、それをわざわざ報告するなと書いているからだ。

言い換えれば、ちゃんとステルス・マーケティングをしろ、と述べている。一般の社会常識的には非難の対象とされる「ステマ」は、出版界においては日常茶飯といっていい。大きな媒体で取り上げられる書物は、著者か編集者か書評依頼者かの差はあれど、だいたいが評者自ら購入しているのではなく、献本の恩恵を受けている。そして、誌(紙)面ではそのことをわざわざ告知しないため、実質的にはステマが横行しているのが現状である。

私はこのような慣習が直ちに正されるべきだとは思わない。どの世界にも説明を要するそれなりの歴史があるからだ。が、こういった状況が、身銭を切って本を購入する一般読者に不平等感を与えかねないものであり、さらには一般読者自身も既にしてその手の出版界裏事情(!?)に気づいていることが周知のものとなってしまった状況にあって、ちゃんとステマしろ、というメッセージが、一般読者に対して敬意を欠くものであることは改めて注意していい。言わなければ気づかない? バカな! 読者がそんなに頭悪いはずないだろ。

恩義を示すために身内に献本する態度からすれば、自著PRのためのバラマキはあさましい。ステマを不誠実だと考える立場からすれば、本入手の出自を明らかにしない褒め殺しは誠実さを欠く。献本において倫理とはなんなのか。

私は自費出版本もふくめて五冊の本を出版しており、それに並行して、しばしば献本を受ける立場になった。自分のことをテストケースとして、できるだけ多くの人が納得できる献本の作法を考えてみたい。ちなみに、献本を受けた、献本された、という表現は正しい日本語的には「恵贈(投)された」と表記すべきだが、少々混乱するので、この文章では〈献本する/される〉で統一することにしよう。

献本する側にとって倫理とはなにか?

五冊のタイトルを世に送り出してきた。『小林多喜二と埴谷雄高』(ブイツーソリューション、2013)、『これからのエリック・ホッファーのために』(東京書籍、2016)、『貧しい出版者』(フィルムアート社、2017)、『仮説的偶然文学論』(月曜社、2018)、『無責任の新体系』(晶文社、2019)。第三のものは自費出版した第一のものの増補改訂版で、内容的に重複するところがあるが、一応、別の本だ。

これくらい本を出していると、おそらく合計で80部ほどは献本に費やしてきたのではないか、と勘定している。初版の刷り部数や出版社の大きさにもよるが、直感的にいえば、私以外の著者でも一つのタイトルに20部ほどを献本に回すことはそれほど珍しくないはずだ。加えて、著者の指示なしに編集者が各所へ献本するケースもあるので、私の場合だと計100部ほどが無料で人々の手に行き渡ったのだろう、と推測している。

献本をしたとき、その反応というのはいくつかのパターンがある。五つに大別してみた。

①完全なる無視。
②メールや手紙などの私的なツールでの御礼連絡のみ。
③SNSや個人ブログなどでのやや公的なツールでの御礼連絡のみ。
④SNSや個人ブログでのでのやや公的なツールでの感想投稿(献本を明示する場合もあればそうでない場合もある)。
⑤誌(紙)面での書評。

このうち、圧倒的に多いのは①だ。が、本当に完全に無視しているかどうかは判断の難しいところがあり、たとえば私的な集会や雑談などで本を宣伝してくれている場合があっても、私からするとそれを知ることは原理的にかなわない。また、読んだうえで、本の内容に不満を覚え、とはいえ「あまり年下をいじめるものではない」などと熟慮を重ねたうえで無視に至る場合もあろう。私からすれば単なる無視だが、先方からすれば幾重にも重ねられた配慮に違いない。

②と③でいえば、数としてはどっこいどっこいといったところだろうか。献本する際にこちらから手紙などを挿入すると、②が選ばれ、普段の交流がSNSだと③が選択されることが多い気がする。④になると数がかなり絞られていき、⑤は私自身はあまり経験がない。

④で思い出深いのは、Amazonのレビュー欄で辛辣かつ率直な感想を投稿することで有名な(?)文芸評論家の小谷野敦氏に『これからのエリック・ホッファーのために』を送ったところ、ブログにて拙著の感想を記してもらったことだ。冒頭には「アマゾンレビューを書こうかと思ったのだがこっちに書く」とある。これは想像になるが、おそらく小谷野氏は私の本を余り高く評価することができなかった、つまりはアマゾンレビューで採用されている評価の星の数でいえば二つか三つほどしかつけられず、とはいえ当時まだ20代の若手研究者の足をひっぱるのはいかがなものか、と考慮したすえ、自身の個人ブログでのレビューを選択したのではないか……。その襞のある感情(というのも私の想像にすぎないが)をふくめて、とてもありがたかった。

さて、では献本する側にとっては、①から⑤のうち、どれが一番よいのだろうか。はっきりいえば、どうでもよい。④の段階になると、ちゃんと読んでくれたんだな、と嬉しく感じるが、献本された側が著者である私を嬉しくさせなければならない義務などどこにもないのだから、仮にゴミ箱に直行したとしても何の文句もない。しかも、PRのためにある程度の数をバラまけばゴミ箱直行は確率的に当然生じうることだ。献本されたことの明示についても、受け取った側が自由にすればいいことだと思う。贈ったものをどうしようと贈られた人の勝手だ。

ゴミ箱直行を甘んじても、それでもなお献本をしつづける理由は、私がまったく知らなかったような、また、私をまったく知らなかったような新しい読者に自分の本を届けたいからにほかならない。知り合いたちは、意識的であれ無意識的であれ、私の機嫌をうかがってしまう。私の傷つきやすさに配慮してしまう。生きた人間なのだから当然だ。私にも覚えがある。

が、そういった閉じたコミュニケーションを目的にするのならば、公に刊行などせず、pdfのデータをメールで回し読みしていればいい。商業出版最大のメリットとは、出会う予定もなく究極的にいえば私と不仲になっても構わない人に対して「こんなこと考えてみたんスけど、どうっスかね?」と問えることにある。彼の答えには太鼓持ちの新聞書評にはない(それ自体正しいというよりも、公平であるという意味での)フェアな判断がある。私はそういったフェアネスを愛している。だからPR目当てで献本することと、不特定多数の人々に「買ってくれ」と宣伝することは、私のなかでは矛盾なく両立している。

献本される側にとって倫理とはなにか?

翻って、上記のような考えをもつために、私は自宅に献本されてくる書物はすべて注目が集まるように努める。書影をとり、簡単な説明とともにSNSに投稿、つづけて出版社のホームページにあるその商品のアドレスのリンクを貼って、気になった人がいればすぐさま購入できるように努力する。それがPR係に私を選んでくれた人に対する最大の貢献だとも考えている(下はその一例)。

ただし、献本された事実はどこかで公開する。私は出版業界人ではないため、「ステマ」は恥ずべき行為だという道徳感情があるからだ(もし出版関係者の方がお読みになっていて、「こんな無礼な奴に送りたくない」と思うのならば、送らなくても結構です、特に恨みにも思いません)。

時間の関係ですべてというわけにはいかないが、可能なかぎり読んだ感想はネットで共有する。たとえば先の中川成美+村田裕和編『革命芸術プロレタリア文化運動』(森話社、2019)は、文学中心主義を相対化し、イデオロギッシュにも見えるプロレタリア〈文学〉をより広い〈文化〉運動として読み直す画期的な編著だと思ったので、アマゾンレビューも書いた。

アマゾンのレビュー欄に献本の感想を書く。

献本されたものを悪しざまに語ることはほぼない。せっかく送ってくれたのに、という人間的情緒が邪魔するからだ。もし出来がよくないと思っても、わざわざそれを公にする必要もないだろうと考えてしまう。これは書き手としての自分の弱さなのかもしれない。が、出来が悪かろうが通り一遍のアナウンスは必ずする。フェアな判断は私の紹介を介して本に触れる第三者に任せたい。それが達成されれば私も最低限の務めを果たしたことになるのではないか。

こういった一連の行為は、自分が著者として献本したとき、やってもらったら嬉しいことを先取りしてやっているにすぎない。そのため、このルールを誰かに押しつけるつもりもないし、私からの献本を(私がしたように)扱わねばならないとも思わない。献本に関する自分ルールなるものを持つ持たないということ自体すら個々人の自由にすればいいと感じる。くわえていえば、私のことを「はしたない」と思ってくれてもよい。私は他人から上品な人だと思われたいと念じて生活したことがないので、端的に興味がない。

私が興味深く思うのは、著者の手からテクストが離れ、数々の見知らぬ読者たちのなかで精読と深読みと歪曲を経て、まったく新しいものが生まれるというダイナミズムにほかならない。もしその運動から誕生する怪物が、著者である私の意にそぐわないものならば、また新しく私の方で異論反論を立ち上げることにしよう。さて、今度はどうだろうか? こういうとき真に書物が活きていると感じる。お行儀のいい裸の王様になるなんてまっぴらごめんだ。フェアネスのためならどんな「はしたない」ことだってする。それが私の書き手としての覚悟なのだが、さて、果たしてどうだろうか。

一編集者から見た学会と出版社――「売れる本」「売れない本」、そして「売りたい本」

2019年4月25日
posted by 飛鳥勝幸

2009年の学会誌に発表した論文を、堀之内出版の小林えみさんが掘り起こしてくださいました。日本近代文学会の了解を得て、10年後の状況をあらためて比較する上でも、数字等を含めそのまま転載いたします。なお、すでに閉鎖したサイトを紹介した注は削除しております。

購入固定層のあった研究書市場が環境の変化とともに、大きく変わろうとしています。単に研究者の減少ということではなく、学会そのものに興味を持たない若手研究者も増えてきているような気がします。数字以外は10年前と変わっていないことも多く、編集者アーカイブ小論の一つとしてご覧ください。

原注は[]とし、追加情報については、《補注》【*編集部注】の形で補っております。なお、専門書をめぐる最近の「売れる」「売る」観点で、本サイトでの「所感:2010年代の日本の商業出版における著者と編集者の協働について、営業担当者と書店との協働について」もあわせてご覧ください(筆者)。

※転載にあたり、初出時から記事タイトルを変更しました(編集部)。


はじめに

出版業界は、出版社数約4000社【*1】で、年間売上高、約2兆円程度の小さな業界である。出版社→販売会社(取次)→書店→読者といった流通システム、再販制、著作権といった問題や、印刷・製本・製紙業界、新聞・テレビ・雑誌・インターネット事業との関係、メディアミックスでの新しい動き、そして大きくは出版の国際比較等、様々な分析がされてきた。

編集委員会から与えられた課題は「雑誌『國文學』休刊という事態に象徴的にあらわれている文学研究の状況をふまえ、出版サイドから見た近代文学研究の方向性や問題点」であるが、私にとっては非常に大きい課題である。本稿では、研究者と編集者(出版社)との共同作業である出版物を、基本的に「売りたい」「買ってもらいたい」と願っている一編集者が眺めた、私見であることをご理解いただきたい。学会の内部、研究者の立場、研究内容の細部等に入り込むものではない。

【*1】2018年版『出版年鑑』によると、2017年時点での日本の出版社数は3382社まで減っている。

出版業界と新聞広告

2008年の出版物(書籍・雑誌)合計の推定販売金額は、2兆177億円(対前年比▲676億円)と4年連続で前年を下回り、雑誌は11年連続のマイナスとなった。1999年と比較して、書籍・雑誌合計で、4431億円が消えたことになる(「出版月報」2009年1月号)。もちろん、日本近代文学会に所属する研究者の論文集等を多く刊行する専門出版社の売り上げもこの中に含まれる。売り上げでは、先が見えない、読めない時代が続いている【*2】

次に出版物とは切り離せない、古典的な宣伝媒体でもある新聞広告の現状を見てみよう。2008年「日本の広告費」(電通)によると、全体の構成比はプロモーションメディア広告費(39.3%)[1]、テレビ(28.5%)、新聞(12.4%)、インターネット広告費(10.4%)と続く。インターネット広告費は、対前年116.3%の伸び(6983億円)で、すでに雑誌、ラジオを抜いた。新聞広告費(8276億円)の中の「出版業」を見てみると、全体の構成比では9.6%(799億円)でそれ程高くはない。が、媒体別構成比から見た新聞広告費は70.0%をしめ、かなり新聞広告に依存 (信頼?)した特徴がある。1999年の構成比は10.4%であり、ここ10年間は売り上げが下降していても、出版業の新聞広告費は一定程度の予算で推移していることになる。逆に、売り上げが落ちても、対外的な問題 (著者、読者、そして広告代理店との関係) もあるかと思うが、一定比率の新聞広告費は確保している状況がある。1999年から2008年までに、出版業における新聞広告費は、約397億円落ちた【*3】

数千万をかけて全国紙へ全面広告を出せる出版社は限られる。多くの出版社は、サンヤツ (三段八分の一)広告等を効果的に使うことが多い。しかし、出版社の思惑(期待)とは違い、「広告」をしたから売れた、「書評」に載ったから売れたといった数値化は難しい。実売に結びつける状況はますます厳しくなってきている。新聞広告を切りとって書店に来た人がいたとか、図書館選書担当者が、気になる広告を机上に貼り付けていた、ということもあまり聞かなくなった。広告と実売の関係は「永遠の課題」である。経営者は(もちろん編集者も)、単なるイメージ戦略としての広告ではなく、できれば広告費を何とか実売でカバー(相殺)したいと考えるが、実際は難しい。

[1] ここでは、屋外・交通・折込・DM・フリーペーパー (フリーマガジン)・POP・電話帳・展示・映像等の広告費を総称してプロモーションメディア広告費と言う。
【*2】出版科学研究所の「出版月報」2019年1月号によると、2018年の紙媒体による出版物(書籍・雑誌)の推定販売金額は1兆2921億円、電子媒体による出版物の推定販売金額は2479億円。
【*3】電通の「日本の広告費」によると、2017年の総広告費(6兆5300億円)における新聞広告費(4784億円)の構成比は7.3%であり、すでに一割を切っている。

国文学系出版社

各種法人、大学出版部等の一部を除き、原則、出版社は利益追求型の企業構造である。そしてその利益を、次の企画開発(人材等)に結びつける宿命を持つ。逆に、設備投資をする程の資産がないということも言える。ここが、いわゆる製造業でも他業種と違うところであり、時に「文化」と「利益」といった全く異なる位相を結びつける点で、ある面、脆弱な企業体質を抱え込むことになった。そして、その矛盾を一番抱えているのが編集者でもある。

戦後の精神的飢餓感は、新しい運動や文学研究を求め、発表の場を保証する学会の設立へと動いて行ったと思う。同時期に、連動して、新しい出版社も続々と生まれた。学会誌「日本近代文学」の「書評コーナー」で常連でもある、国語国文学系出版社を眺めてみると、例えば、落合直文が関係し、啄木もアルバイトしたという国漢の老舗、明治書院(1896.1)からは、木俣修が命名したと言われる新典社(1965.6)が独立。梶井基次郎の『檸檬』を刊行した武蔵野書院(1919.4)からは、笠間書院(1966.11)が、また、そこから和泉書院(1978.4)が独立。南雲堂から分離した会社に桜楓社〈現、おうふう〉(1956.9)があり、また、そこから独立した、ひつじ書房(1990.6)、翰林書房(1992.8)等、数多くある。なお、「国文学 解釈と鑑賞」を編集している至文堂(1914.4)、そして風間書房(1933.9)は、共に戦前の創業である[2]

[2] 本稿での各出版社の創業年月は、『出版年鑑 2008』(出版ニュース社)によった。
《補注:2018年には笠間書院から文学通信、花鳥社が独立。桜楓社から1970年に独立した双文社出版は2015年に廃業。「国文学 解釈と鑑賞」は発行元をぎょうせいに移した後、2011年10月号で休刊。風間書房からは2007年に青簡舎が独立。国語国文学系出版社に限定しても、このほか様々な動きがあった。》

その中に伝統ある學燈社がある。創業者は保坂弘司氏。元旺文社の国漢部長で、1948年4月に独立創業した。社章も「学びの燈」である。個人的な話になるが、私は保坂氏が非常勤で来ていた大学で「文芸作品鑑賞」という講義を受講したことがある。川端康成の『雪国』をテキストにした講義であったが、時にご自身の書く小説を熱く語っていたので、講義終了後に購入したい旨を申し出た。翌週、そっと渡してくれたのが『ある純愛の記録』という本である。恥ずかしそうにサインをしてくれた。四六判・並製、やや地味な装丁で、内容は、友人の許嫁に対する愛情と苦悩、作家を志して早稲田へ入学、そこで接した青年群像だったかと思う。

強烈に覚えているのは、初めてサイン本というものを持ったこと、「純愛」という表現をタイトルに使っていたこと、そして何よりも出版社の社長が小説を書き、しかも自社から出版しているという驚きがあったからだと思う。ここで個人的な出会いを述べたのは、私が創業者の「個性」に興味があり、その「志」は、以前勤務していた出版社で培われたものが多く、そこから独立・移籍する人もまた、不思議なことに、その志を連綿と引き継ぐことが多いのでは、と感じているからである。

雑誌「國文學」(學燈社)が、2009年6月発売の7月号で休刊となった。創刊は1956年4月である。「ピーク時の発行部数3万部が、5千部に低迷していた」(「朝日新聞」2009年5月27日)という。日本近代文学会会員も増えている状況で [3]、はたして2万5千人(件)はどこに消えたのだろう。私は当事者でもなく、また安易な分析を、ここでするものではない。 ただ一つ言えることは、50年にもわたる、商業雑誌としての 「國文學」の休刊は、最近の「月刊現代」(講談社)、「読売ウイークリー」(読売新聞社)、そして「主婦の友」(主婦の友社)等、伝統ある有名商業雑誌と同様、単に読者が離れてしまったという現実だけである。違うところは、「景気低迷における広告収入の減収が原因」と考えにくいことである。特集号も入れると、関係した研究者は数万人にも及ぶだろう。膨大な国文学研究のデータがここにあった。

日本近代文学会の前身である近代日本文学会は、1951年1月に設立された。事務局は河出書房内に置かれ、52年から58年までは東京堂内、59年から各大学内に事務局が移った。 機関誌「日本近代文学」は64年から刊行することになる(三省堂の発行は21集、74年まで続く)[4]。研究成果の流通を担うものとして出版社が関わってくるが、それは、単に学会に対しての応援ということだけではなく、新しい執筆者の獲得、企画の開発に結びつくとの考えもあったかと思う。日本文学協会(1946.6)、全国大学国語国文学会(1956.1)、昭和文学会(1979.6)、日本社会文学会(1985.5)等が設立、学会誌・大学の紀要等も多く刊行され、若手研究者の発表の場も拡がり、出版も活況を呈してきた。

いわゆる「のれん分け」「独立」「移籍」の歴史が、出版社の世代交代を進め、そこに、編集者と共に同世代の研究者も集うことになったというのは言いすぎであろうか。利益にはなかなか繋がらないが意義のある研究書の刊行と、年度ごとの売り上げが見込める大学テキストの開発といった「両輪」は、社業を発展させた。また、多くの研究者の協力を得て、全集・講座・叢書・シリーズ等の大型企画、派生企画へと拡大させていく出版社もあった。もちろん時代の後押しもあったかと思うが、そこには、学会販売は言うに及ばず、最新の研究論文を斜め読みし、頻繁に全国の大学研究室に顔を出し、研究の最新動向や情報を引き出そうとした編集者が多くいたと思う。総合出版社にはない専門出版編集者の気概がここにある。

[3]「日本近代文学会五十年史」(2001.5)によると、1971年に578人であった会員が、80年には1065人、90年には1463人、そして2000年には1882人と増えている。《補注:2018年6月現在での会員数は1582人である》
[4]出典は[3]と同じ。

学会(研究者)と出版社

昨今、学会シーズンでも本が売れなくなってきた。国語国文系の学会が歴史系の学会より、売り上げに関しては元気がない。確かに大きなバッグに本を詰め込んでいる光景も見なくなり、「今すぐに読みたい」と言って購入する人も減ったような気がする。もともと近・現代文学企画は、比較的低価格に設定しているため、売り上げが少ないという実態があった。が、そのこと以上に、学会の書籍販売コーナーに人が集まらない(特に若い世代)、「お祭り」にならないのである。不況というキーワードや、インターネット社会だからといった要因で、単純にくくれない状況がある。

学会での関連図書の展示風景(「日本語学会」)。

古典文学とは違い、近・現代文学では5千円を超えるような高価格本はあまり作らない。作家・作品点数も多く、少しでも価格を下げて一般愛好者にも貢献したいという気持ちが、著者・出版社側にあったのではないかと思う。が、現実は違ってきているようだ。価格をかなり低く設定しても、なかなか売れないのである。もちろん、類書の多さもあると思うが、作家・作品研究に対するニーズは減ってきているように感じる。古典文学では、和歌・說話・物語等から、様々なテーマが派生し影響し合い、時代を超え縦軸で関連していくところがある。学会では、全く違ったジャンル本、近・現代文学の研究書まで売れることがあった。近・現代文学では、逆に、ある特定の人物から横軸に拡がっていくような気がする。古典文学研究書や、他の作家研究に興味があっても、なかなか購入には結び付かないようだ。もちろん、点数の多さ、対象の広さ、雑誌中心の購入が多いことも要因としてあると思う。

夏目漱石、芥川龍之介、太宰治といった教科書上でも知名度ある近代作家の卒論の多さは変わらない。これら有名作家の作品や研究書は、出版社側からすると、ニーズのある(売れる)作家として、やや安定した位置付けとなる。一般的に公立図書館ではその性格上、価格も重要な要素だが、一般読者の貸出数を意識した選書となり、有名作家の研究書は対象となりやすい。選書で洩れるような専門性の強い作家・作品研究の中には、今までにない研究の方向性を示し、新発見の資料を掲載していることもある。こういった研究書を検討することに、公立図書館とは違う、大学図書館の存在意義(著者・出版社にとっては期待)があると思う。専門出版社にとっては、これら図書館での初年度購入数が大きな担保となり、例え、予算上次年度回しになったとしても、それが分かっていれば販売計画が立てやすい。

長年の研究論文を集め、書きおろしも加えた論文集は、著者の研究成果を読者に提示することになる。研究の変遷を読み取ることのできる論文集の刊行は、いわば本人にとっても一生の大きなイベントであろう。もちろん、一緒に作業をさせていただいた編集者にとっても嬉しいことである。著者の意向をくみ取りつつ、より分かりやすく伝えるために「編集」し、一人でも多くの人に「購入」してもらうのは、編集者(出版社)側の力量にかかっている。

研究書は出版社にとってもロングテール[5]の原則が見えやすい。高価格本が多いとそれだけ売り上げになる。初年度70%以上の実売が達成されれば、翌年20%、翌々年残りの10%を販売し、3年で初版部数を売り切ることが可能となる。これは、3年で売り切る部数予想により成り立つが、例えば3千部以上の比較的部数の多い企画では、この実売%の設定も難しくなる。一般単行本に近い研究書は、初年度勝負であり、年度内に火がつかないと、残念ながら2年目以降は厳しい。こういった点数が増えると、後日倉庫を圧迫する可能性も出てくる。

《補注:10年が経過し、70:20:10の3年目完売比率が、85:10:5にした方がよい状況も生まれてきている》

2年目以降、1千円の本を百冊売ることよりも、1万円の研究書を10冊売る方が、自然減に繋がりやすい。テキスト採用や大きなイベントでもないかぎり、2年目以降に数百部単位で販売できる研究書は稀であり、大量の在庫を売るためには、どうしても無理な売り方になってしまうだろう。配本する研究書なら、初年度の委託返品も考えると、2年目以降は驚く程小さな実売部数となる。研究書は、学習辞書等とは違い、長期的な販売計画が立てづらい。建前上、初版完売予想での原価計算式でなりたっているが、それが初年度で達成するか、3年か、また数十年かかるものなのかの読みがある。「デッドストック」「不良在庫」「休眠在庫」として編集者自ら烙印を押すことはないが、市場実態から見た最終判断(断裁)が必要となってくる。

限定した製作部数で、確実に「必要なところへ届けられるシステム」を考え、遅くとも3年で完売する流れを作ることで、2年目、3年目での在庫売り上げを想定できる。研究書は限定されたニーズの分析が可能であり、実はこれが研究者・編集者にとっても、お互いの信頼関係が深まり、また次の企画に結びつけられる大きな要因ともなる。残念ながら在庫が残っていると、なかなか次の企画に結びつけられない。図書館への販売について言えば、例えば「必要ではあるが、今は予算がない」、「確実な潜在ニーズ(後日、研究者からの推薦)がある」といった情報の集約が重要である。

研究者は出版物という紙媒体を使わなくても、研究成果を広く発信できると思う。しかし、専門出版社にとっては研究者がいなければ企画の立案も、推進することもできない。書協の図書館部会だったと思うが、ある大学の選書担当者が、「もう紙の書籍購入は現実的に不可能となってきた」と発言した。予算削減ももちろんのことだが、スペースの問題が大きいと言う。確かに、背幅のある大事典類を、CD-ROM1枚なら数ミリのスペースに置き換えることができる。学内の端末からアクセスし、資料を確認、ダウンロードをしたいという学生のニーズにも対応したデジタル媒体の購入という傾向は、今後ますます加速化するであろう。専門書であっても、企画の段階で、汎用性のあるデータ作成を意識すべきである。

[5]インターネットショップ上では、売り上げの少ない商品でも、種類を揃えることにより、大きな利益に繋がるという理論。 詳細は『ロングテール――「売れない商品」を宝の山に変える新戦略』(クリス・アンダーソン著・篠森ゆりこ訳 早川書房 2006.9)等を参照。

おわりに

出版サイドから見た、近・現代文学研究の方向性は、やはり見えない。逆に、そこに入り込むのは危険であると考える。企業としての出版は単純であり、「売れるか」「残るか」しかない。もちろん「売れて、後世に残る本」がありがたいが、現実は厳しい。「売れる本」「売れない本」はあっても、編集者が「売りたくない本」と思う本は1冊もないだろう。「実態のないお互いの(売れるだろうという)期待感」は、残念ながら在庫の山を見たとき、みごとに消えてしまう。

専門出版社としては、まず「市場」を見据えた適正な製作部数と定価設定を考えることであり、買い手市場の減っている現在、近・現代文学研究書であっても高額本へ移行することは仕方がないと思う。図書館対策、そして、次世代の研究者ための応援体制をもう少し考えることが重要である。就職までのフォローは出版社の責務ではないが、なるべく専門性を生かしたアルバイトの紹介や、院生・学部生とのコミュニケーションの場を積極的に設けられるような努力をし、それが、将来の専門出版社の存在、そして利益にも通じるのではと思う。今日の実態にあった、大学生、特に院生へのフォローは必要である。

出版社が協力できることは限られる。現在、学会HP上で「日本近代文学」の書誌情報が閲覧できるようになったが、例えば、会員ばかりでなく、一般文学愛好家も欲するような情報の収集と企画提案、共同プロジェクトによる基礎データの整備、また 他学会ウエブサイト等とのリンクや、問題のない範囲內で広告プロモーションを考えてよいのかもしれない。学会大会のシンポジウム企画だけでも、もっと広く一般愛好者に開放し、参加者を集めてはと考える。もちろん、学会の総力をあげたデジタル媒体の企画等は、もっと活性化すべきと思う。

以前、日本語系の学会が地方都市で開催された時、商工観光課とのタイアップなのであろうか、特製絵葉書や、ご当地物産の展示販売があり、その横には宅配業者が窓口を開設していたことがあった。郷土作家関連の資料展示、また文学散歩等も学会企画としてあるが、こういった試みは珍しく賑やかであった。検討する余地はあるかと思う。また、発表テーマ(関係作家)に応じた古書即売会も、学会として問題もあるかと思うが、文学愛好者・院生等にはニーズがあるのではないだろうか。裾野を広げる活動も必要だと思う。

学会が活況を呈し、多くの研究書・論文集が刊行された昭和40年代にはもう戻れない。先に見てきたように、出版社の「のれん分け」「独立」「移籍」等も、状況が許せばますます増えるであろう。制度疲労した大きな出版社ではできない、力強い、個性ある「職人芸の世界」がここにある。縮小されたパイを単純に分配するのではなく、今、編集者(出版社)にできることはどういうことか。異業種のノウハウを吸収しつつも、研究者と共同で検討する時期になっている。
(初出:『「売れる本」「売れない本」、そして「売りたい本」――一編集者から見た学会と出版社――』、「日本近代文学」第81集 2009年11月)

ベストセラーから読者直販へ――ORブックスのジョン・オークス氏に聞く

2019年4月23日
posted by 仲俣暁生

2019年1月31日、来日中のジョン・オークス氏(OR ブックス共同経営者)と、彼を長い時間をかけて取材し『ベストセラーはもういらない』というノンフィクション作品を執筆したジャーナリストの秦隆司氏を招いての講演会「生き残るための出版マネージメントとは?」が東京の日比谷図書文化館にて行われた(当日に会場で配布された「アイデアの錬金術 出版と文化」という小冊子も上記サイトから入手が可能)。

オークス氏は1961年ニューヨーク生まれ。ORブックスの創業以前にはAP通信や、サミュエル・ベケットやヘンリー・ミラーの小説の出版で知られるグローブ・プレスで働き、伝説的な文芸編集者バーニー・ロセットと出会った(当時のエピソードも『ベストセラーはもういらない』で語られている)。

1987年にはフォー・ウォールズ・エイト・ウィンドウズ(4W8W)という出版社を知人と立ち上げ、同社を売却後、2009年にコリン・ロビンソンと共同でORブックス(OR Books)を創業した。電子書籍とオンデマンド印刷のみで「返本ゼロ」をめざす同社の出版活動は、未来の出版事業のモデルとして注目されている。

この日のオークス氏の講演内容はYouTubeにて公開されており、その概要は平凡社の「こころ」という雑誌(48号)に寄稿した「出版のオルタナティブな回路を切り開く」という記事でも触れた。この記事は翌日にオークス氏に対して行ったロング・インタビューの一部と、堀之内出版の小林えみ氏へのインタビューから構成されているが、「マガジン航」にはこのときのオークス氏のインタビューをフルバージョンで紹介したい。

講演中のジョン・オークス氏。

働く人と出版界における多様性

講演の翌日、同書の発行元であるボイジャー社にて行ったオークス氏へのインタビューには、『ベストセラーはもういらない』の著者である秦隆司氏にも同席していただき、さまざまな助言をいただいた。

前日の講演で話題になった、アメリカの出版界における多様性という問題から話を切り出してみた。アメリカの書籍出版界における編集者の待遇は一般的によくないが、編集という仕事には一定水準の知識や教養が必要となる。そのため「セブン・シスターズ」と呼ばれるような東海岸の名門女子大出身の女性に出版界への就労機会が限られ、結果として多様性が失われている、という話だった。

:もともとあれは、ORブックスの共同経営者コリン・ロビンソンから聞いた話でした。ニューヨークの出版業界で働き始める人の多くは、出版社のある家賃の高いニューヨークに住まなければならない。しかし、初めは給料が安いので、結果的に、家族から経済的支援を受けられる恵まれた家庭の子女しか出版業かに入れない――と。

オークス:これについて私は少し違う意見をもっているんだ。アメリカでは長い間、商業出版は純粋なビジネスというよりも、異教徒的なビジネスとみなされてきた。「異教徒的」とは「アートでもありビジネスでもある」という両義性をもつという意味だ。つまり金儲けをしたいだけの人はやって来ない世界ということだね(笑)。

書籍出版社の給料水準が高くないのは事実だけれど、これまでORブックスで一緒に仕事をしてきたのは必ずしも有名大学を出た者ばかりではない。アメリカの出版界について一般的な話はできないので自分たちの話をすると、たしかに複数の人間でルームシェアしている場合もあるし、とくに恵まれた生い立ちではない人もいる。

皆に共通するのは本が好きだということ、そして私たちの信じる政治思想に賛同しているということだ。本のために貢献したいという気持ちがなければ、出版を生業とすることはできない。多少の犠牲を伴うのは仕方ないことだ。ORブックスでこれまで苦労を知らずに生きてこられたのは私だけだろう。

たしかに出版界における多様性の欠如は大きな問題だ。アメリカには人種による雇用差別を禁じる法律があり、私たちも雇用上の多様性確保にトライしてきた。ただ、わずか5人でやっている小さな出版社である以上、できることには限りがある。編集担当の私とコリンは二人とも歳をとった白人の男だから、多様性がないといわれればそのとおりだ。

ニューヨークで成功している白人以外の編集者もいるけれど、出版業界全体を見渡すと多様性の欠如が大きな問題であるのはたしかだ。なんとか対応していかねばならない問題だと考えている。

ジョン・オークス氏(ボイジャーにて)。

アメリカの出版業界の現状

――秦さんの本のなかで、アメリカの出版ビジネスの現状について「ほとんど死んでいる」と仰っていますね。もっともあれはモンティ・パイソン流のブラックユーモアだったのかもしれませんが、実際はどうご覧になっていますか。

オークス:ビジネスという観点からすると、現在のアメリカの出版業界はひどい状態だ。まさに「これは冗談だろ?」と言いたくなるくらいだ。将来への明白な見通しはまったく立っていない。日本の状況については何も言えないが、アメリカの状況と共通点はあるかもしれない。そしてこれは最初にされた質問、つまり「どんな人が出版業界に入ってくるのか」とも関わってくる。

楽観的なことばかりを言うつもりはないけれど、いまは出版界にとてもよいことが起きている状況だと思う。インターネットや電子書籍といった電子的な出版手法が登場したことで、比較的に低い投資額でも出版が行えるようになったのだから。編集の技能や本を美しく装丁する能力もたしかに必要だけれど、昔ほどの大きな投資は必要ない。

年寄りくさく聞こえるかもしれないが、30年前に私が出版の仕事をはじめた頃、1ページの組版には8〜9ドルかかった。でもいまはページ当たり約1ドルで組める。組版だけでなく印刷コストも急速に下がっている。電子書籍なら1ページあたり1ペニー程度までコストが下がる。こういう状況にはとても興奮させられるし、期待すべきだと思う。

――日本では、出版業界の人がテクノロジーを好まないという傾向があります。アメリカではどうですか?

オークス:いまは言われなくなったけれど、アメリカでも3年くらい前まではまったく同じ状況だった。出版業界の変化がここまで遅く、デジタル対応ができなかった根拠の一つとして、こんな例がある。当時、ある大手出版社では「広報本部長」と「デジタルマーケティング本部長」が別人だった。でもこの二つはいまや同じもの――つまりインターネットになった。

これを前提とすると、PRもマーケティングもすべて「インターネットをどう使うか」ということにかかってくる。それは新聞社が自社サイトのほかにもう一つ「◯◯ドットコム」という名のサイトをもつ、というレベルの話ではない。PRとマーケティングの部署が別れていた状況はいまではすっかり変わり、本の広告やパブリシティにおいてはインターネットが雑誌や新聞と同様、あるいはそれ以上に大切であるということに異論がある人はいなくなった。

アメリカでは最近、ほとんどすべての出版社が電子の世界にコミットしている。私たちが創業した10年前とはまったく状況が違ってきた。出版社のなかで電子版を出していないのは、アートブックや特別版、ハンドメイドの本を出しているところだけだ。アグリー・ダックリング・プレス(ugly duckling presse)というアートの限定版だけを出している出版社があるが、そういう出版社でさえ、とてもきれいなホームページをもっている。「publish」という言葉の定義からして、なにかを広めたいのであれば、出版社である以上、ホームページも持たず、自社の本をネット上で販売する機能をもたないようでは成り立たない。

:そういう状況のアメリカのなかでも、電子書籍とPODだけでやっているORブックスの存在はユニークだと思う。だから私はジョンにインタビューしようと思ったんです。

オークス:うーん、私は自分たちのやっていることがユニークだとはあまり言いたくないんだ。秦さんはわかってくれていると思うけれど、私たちは他の出版社とは違った視点でやろう、ということはつねに意識している。ただ電子書籍に関して言えば、いまはほとんどの出版社がある程度の投資をしている。

左は『ベストセラーはもういらない』の著者、秦隆司さん。右はオークス氏。

人員構成と売上構成

――会社の人員構成について教えてください。

オークス:いまORブックスには2人のエディター、つまり私とコリンがいる。それ以外のスタッフ構成は状況によって変わる。私はライツの管理も担当しているし、コリンはマーケティングの大半と定期的なメール配信も担当している。私たちの他にフルタイムで働いているのは、マーケティング兼ITアシスタントが1人と、制作担当のマネージングエディターが1人だ。マネージングエディターとは組版や校正の人を手配する仕事だ。さらにもう1人、広報担当のパブリシストを雇っているから、いまは総勢5人ということになる。

これ以外にも、必要に応じてマーケティングの人には来てもらっている。あとはインターンだね。アメリカの出版業界ではインターンは無償が普通だけれど、私たちはインターンにも人件費を支払っている。働いてもらいながら何も払わないのはおかしいだろう。世の中には無料で働くという人もいるけれど、それは恵まれた境遇にある人か、大学から金銭的な補助を得ている人に限られるからね。

組版はいろんな人に依頼しているが、いちばん優秀なオペレーターはインドのチェンナイにいる人だ。社内でやったこともあるが、外に出したほうが経済的にも安いし、早いし、楽なのでいまは外注している。

左はオークス氏に大きな影響を与えた伝説的な文芸編集者、バーニー・ロセットの評伝。右はオノ・ヨーコの詩集『どんぐり』の特装版。

売上の内訳は年ごとに違うが、だいたい三分の一前後がライツ(海外版権、サブライセンス等)からだ。電子書籍とPODの比率もタイトルによってずいぶん違う。たとえばオノ・ヨーコの『どんぐり(Acorn)』という本の場合、電子版はほとんど売れなかった。具体的な数字は覚えていないが、たぶん全体の一割程度だろう。でも、これは全体から見るととても低い数字だ。通常のノンフィクション本の場合、他の出版社でもだいたい同じだが、電子版の売上が全体の三分の一を占める。コンピュータやインターネットに関連した本(ジュリアン・アサンジの著書など)の場合は、電子版の比率が60〜70%を占めることもある。

オノ・ヨーコ『どんぐり』の販売ページ。特装版と通常版(電子書籍も含む)とがある。

ライツからの売上にはオーディオブックからの売上や、外国へのサブライセンス、パートナーシップからの収入など、ORブックス自身が本を売っていないものすべてが含まれる。オノ・ヨーコの本の場合はパートナーシップではなく、大手出版社とライセンス契約を結び、最初からまとまったお金をもらった。

刊行点数と在庫・返品

――経営的な面に話をシフトしていきたいと思います。これまでの発行点数はどのくらいですか。

オークス:はっきりした数字はわからないが、だいたい累計で120から130点だろう。ある年には30点も出したことがあったけれど、これはさすがに多すぎてコリンも私も大変だった。そのせいで黒かった私の髪の毛もこんなに白くなってしまった(笑)。 いまは年に20数点といったところだ。コリンと私がそれぞれ毎月1冊ずつ出す勘定だね。

――出版社を経営する上で、返品がないことはそれほど大きなメリットと言えるのでしょうか。

「返品がない!」、まさしくここが私たちのビジネスのいちばんエキサイティングなところだ。ビジネスとしてちゃんとうまくまわるんだよ。電子書籍とPODのデータをウェブサイトに置けば、物理的にはどこにも置かなくていい。電子書籍版であれば、ホームページからそのままダウンロードしてもらえばいい。PODの場合も10〜20冊程度をあらかじめ在庫として置けばだいたい2日以内に出荷できる。このモデルは本当にうまく機能している。

ただし、まったく問題がないなどとは言いたくない。というのも、このモデルはマーケティングをとても上手にしないと機能しない。どんな出版でもマーケティングは必要だけれど、こういう形態で出版をするときにはいっそう重要になる。2万冊も売れるほどのベストセラーはいらないが、200冊を売った程度ではダメだ。最低2000冊は売れないとこのモデルでも厳しい。

電子書籍とPOD(プリント・オン・デマンド)

――ORブックスの最大の特徴は、在庫や返品をなくすために本を電子書籍とPODだけで提供していることです。あなたは電子書籍とPODのどちらが望ましいかたちだとお考えですか。

オークス:公正を期するために、逆側のことも言っておかなくてはね。ここにコリンがいれば猛反対される意見だろうから。いつも私たちはレスリングの試合みたいに議論しているんだ。

コリンは、PODで本を売ったほうが一冊あたりではずっと儲かるという意見だ。たとえばこのバーニー・ロセットの評伝の場合だとPODは18ドル、電子書籍は10ドルで売っている。でも私としては、その18ドルには印刷代がかかっているし、郵送もしなければならない。郵送したものがお客さんの許に届かない場合、5人しかいない社員のうちの1人が、どこで本がなくなったかを追跡しなければならない。実際、そういうことがしょっちゅうある。

電子書籍のいいところは、売上の10ドルから著者への配分はあるけれど、残りの8ドルがまるごと出版社の取り分になるところだ。出荷もしなくていいので、こちらのほうがいいと私は考えている。私にとっては電子書籍がすべてだ。

たしかに、この秦さんの『ベストセラーはもういらない』はすごく綺麗に装丁された本だ。残念ながら私には日本語は読めないが、綺麗な本だということはわかる。装丁もよいし、本文や見返しの紙もいい。モノとして、とてもいいものだ。ただ、「読めればいい」という本の場合、PODで紙の本にしなくても電子版で十分だと私は思う。本の未来はたぶん、二分化していくだろう。モノとして綺麗な本と、純粋に電子版だけの本とに。

――電子書籍とPODだけで出せば、ORブックスから出るすべての本は黒字になるのでしょうか。

オークス:とてもいい質問だが、これにはすぐ答えられる(笑)。利益を生まない本、あきらかに儲かっていない本もたくさんある。けれども、これはいつも驚かされることなのだが、電子書籍でもPODでもたいして冊数が出ていないような本が、外国への版権でけっこうお金を生んだりすることがあるんだ。売上の源泉はいろいろなところにある。いろいろな利益の上げ方があるのが、いまの時代に出版をすることのよいところだと思う。ただ、儲かってない本があることは事実だね。

マーケティング手法について

――顧客リストはどのようにして獲得し、拡大させていますか。電子書籍の最大の問題はディスカバラビリティ、つまり読者に本を発見してもらうことの難しさです。

オークス:アメリカも状況はまったく同じで、電子出版という新しい世界に立ち向かおうとしている出版社にとって、ここがチャレンジにおける最大の要点だと思う。

ひと昔前であれば、自分のお気に入りの本屋さんに行くと、「ああジョンさん、あなたはマイケル・シェイボンという作家が好きだったよね、だったらニール・ゲイマンなんてどう?」みたいな話をしてくれた。でも電子書籍だと、そういうことが起きない。一つの方法として、かつて本屋さんが無料の本をサンプルとして配っていたのと同じように、私たちも無料の電子版を提供したりしている。

1960年代末のニューヨーク市のゲイ・レヴォリューションを描いた『プライド』という写真集を出したとき、この運動に関係するLGBTの人たちのコミュニティに入り、こういう本に関心はないですかという話をしてまわった。自分たちが出す本に関係のありそうなコミュニティの中の人たちに働きかける活動はつねにしている。

1960年代末ニューヨークでのゲイ・レヴォリューションを描いた写真集『プライド』。

――出版社が読者を直接知っているということが、ORブックスのビジネスモデルの肝だと私は考えています。その理解は正しいでしょうか。

オークス:まったくそのとおりだ。昨日のレセプションで江戸時代の軍事を専門に一人で出版をやっていきたいという若い人に話しかけられた。彼がその分野にフォーカスできているのは幸いなことだ。武士の刀に興味をもった読者は鎧にも興味をもつ可能性が高い。専門性の高い出版社の場合、メーリングリストは一つで済むからね。

この方のやろうとしている出版社の場合と比べると、ORブックスが扱うトピックは広い。メーリングリストの大半は、少なくとも一度は私たちの本を買ってくれた人たちだが、政治の本もあればオノ・ヨーコの本もある。多少はオーバーラップするかもしれないが、両者の読者層はかなり違う。どうやってメーリングリストを運用すればいいか、私たちは考えうることをすべてやってきた。

まずウェブに本の情報が上がったら、すぐにメールを送る。メールを開いたかどうかはすぐわかるので、開いていない人にはもう一度送る。本が出荷できるようになったらまた送り、イベントを打つときにも送る。とにかく、読者に届くまで何度でもダイレクトメールを送るんだ。

――そういう顧客リストはどうやって作り始めるのでしょう。

十年前にORブックスを始めたとき、私とコリンにはたくさんの知り合いがいたから、最初はそこから始めた。本のイベントを開催するとその場でサインアップしてくれる人がいるし、本を出版するたびに新規の人が入ってくる。その一方で脱落していく人もいるから、リストの総数をなるべく維持できるように努力している。

メーリングリストの人数は、この数カ月は5万5000人程度で推移している。自分としては、できたら数十万人まで行きたいとは思っている。この5万5000人の大半は、少なくとも一度は私たちの本を買ってくれた人たちだ。なかにはバーニー・ロセットの本も、オノ・ヨーコの本も、『プライド』の本もぜんぶ買ってくれた人もいる。そういう人たちは、私たちと自分のテイストが合っていると思ってくれている人だ。本当だったら5万5000人全員がそうやって、私たちが本を出すたびに買ってくれたらいい(笑)。そうなれば状況はまったく変わる。

アマゾンとの関係について

――小さな出版社にとって、アマゾンは天使でもあり悪魔でもあります。ORブックスはアマゾンとどういう距離感で付き合っているのでしょうか。

オークス:きょうの午前中、4人の侍と赤い鬼が戦っている絵巻物(酒呑童子絵巻)を根津美術館で見てきたんだ。私にはあの鬼がアマゾンに、そして鬼に首を切られているのが出版社に見えた(笑)。アメリカの状況はご存知だと思うが、アマゾンの問題として大きいのは、「アマゾンを通して売ると、お客さんが誰かということがわからない」ということだ。たしかに売れた本に対して一定の比率でお金は入ってくるが、その顧客がシアトルに住んでいる人なのか、ニューヨークに住んでいる人なのかということさえわからない状況で、本を売らなければならない。

しかも、そこで本を買ってくれた人がリピーターになってくれるかというと、アマゾンのサイトには戻ってくるかもしれないが、出版社にとってのリピーターにはならない。顧客リストを作ろうというときには、アマゾンの存在は少しもよいことではない。お客さんと何かを一緒にやっていこうと考えるなら、アマゾンに頼るのではなく自分たちでやったほうがいい。結果的にそちらのほうが利益率も高くなるしね。

ORブックスの場合、紙の本ではアマゾンとの直接の取引はいっさいやっていない。厳密に言うと、PODや紙の本の場合はまったく取引はないが、キンドルによる電子書籍のみ許可している。ただし、アマゾンと同様にバーンズ・アンド・ノーブルでも紙の本は売っていないんだ。「小さなアマゾン」だけを差別するのはよくないので、平等にやっている(笑)。

やりかたとしては、まず自分たちのサイトでの直接販売からはじめて、少し時間を置いてからキンドル版を売ったり、他の出版社にライセンスを提供することによって紙の本を出す。どんなときもORブックスのサイトで必ずある程度の期間販売してからするようにしている。

いちばん理想的だったケースは、さきほどの『プライド』の例だろう。私たちのところでPODと電子書籍で売りはじめたのが去年の11月か12月で、アマゾンのキンドル版やライセンスによってバーンズ・アンド・ノーブルなどの書店のサイトに並ぶのは今年の5月だ。このくらいの期間を開けて売るのがパーフェクトなあり方なんだ。

というのも、アマゾンやバーンズ・アンド・ノーブルに自分の本がまったく並ばないと作家の人に怒られるんだよ。そういうときは、「大丈夫です、あとで出ますから」って(笑)。それまでの期間に、自分たちのサイトで十分に販売できる期間を確保するようにしている。というのも、アマゾンでキンドル版が出た途端、私たちのサイトでの電子書籍の売上はほぼゼロになってしまうんだ。

念のためにいい添えておくと、ライセンス契約を結んだ場合――たとえばオノ・ヨーコの『どんぐり』という本の権利をアルゴンキン・ブックスという出版社に売ったときも、そのライセンスは生かしておきつつ、私たち自身のウェブサイトでもPODの本や電子書籍を売ることができる。つまりOR ブックスから出た本は、つねに自社サイトから買えるようになっているんだ。

例外はペンギン・ランダムハウスとの契約の場合で、彼らはまとまったお金を支払ってくれる代わりに、ORブックスのサイトでは売るなという。たしかにけっこうな額をいただいたので、ペンギン・ランダムハウスとの契約の場合はORブックスのサイトでは売らないが、その他の場合はPODと電子書籍の両方とも自社サイトで売り続けている。

アマゾンで売れる比率は本によって違うが、経験上、どこかの大学で授業で使ってくれたりしない限り、本がいちばん売れるのは発売初年であることは変わらない。しかしアマゾンでも買えるようにした後は――小さな独立系書店やバーンズ・アンド・ノーブルで少し売れることもあるけれど――ほぼすべての客がアマゾンに行ってしまう。ライセンス契約を結んだ場合も同様で、契約先の出版社がアマゾンとの付き合いのある場合、やはりすべてアマゾンに行ってしまうんだ。

オバマ政権の時代に司法省にいる人間に「アマゾンは独占禁止法違反ではないのか」と聞いたことがある。一つの書店が全国の市場をほぼ独占しているのに、なぜアマゾンを分割させないのか、と。司法省がアマゾンを放置しているのは、消費者のためになっているからだそうだ。でも、その視点が見落としているのは、アマゾンは本屋にとってはどうなのか、出版社や著者に対してはどうなのか、ということだ。

いろいろな意味でアマゾンには危険が伴っている。こうした状況に対応するには出版社が一同になって、消費者に本を直接売れるモデルを作らなければならない。そうしないと、アマゾンの問題はどんどん大きくなっていくだろう。

「読者」と「消費者」

――昨日のプレゼンテーションであなたは「読者」と「消費者」という言葉を使い分けておられました。それにはなにか意味があるのか、あるとしたらどういう意味でしょうか。

オークス:その質問への答えは、私たちの出版活動の思想的な部分につながってくる。機能的な定義では、たしかに「消費者」と「読者」とは異なる。あなたがおっしゃったように、アメリカでも「読者」のほうが「消費者」よりも、よい意味合いに受け取られる。「消費者」という言い方をすると、資本主義的な感じが強くなるからね。

ただ私たちとしては、やはり読者を「消費者」としてみて、この二つを同じものとして扱うべきだと考えている。毎回違う人に個別にリーチしなければならないようでは、本を売るのはあまりにも難しい。読者をきちんとフックして、コンシューマーとして長く付き合いたいんだ。私たちのような左翼的な人間がこういう商業的な言い方をするとおかしいかもしれないが、新しい出版の世界ではこういう考え方が必要になってくると思う。

私たちには資産が二つある。一つは自分たちがつくりだしている「本」という資産、そしてもう一つが顧客の名簿だ。それが私たちの会社なんだ。

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ジョン・オークス氏は日比谷図書文化館での講演の最後に、「出版というビジネスは人間関係に支えられている」と発言していた。これはたんに著者と編集者や出版者との関係という意味ではない。本を媒介として著者とその読者(消費者でもある、と彼らは言う)が作り出すコミュニティこそが、利益を唯一の目的としない「異教徒的なビジネス」の基盤だということではないか。ORブックスの活動から学ぶべきは彼らのビジネス・モデルではなく、そのことへの確信に満ちた姿勢だと私は思う。