いまこそ言葉のキャッチボールが必要だ

2018年10月1日
posted by 仲俣暁生

先月から小説家の藤谷治さんとの往復書簡「創作と批評と編集のあいだで」を始めた。この連載をはじめた意図は第1信の「本の激変期のなかでどう生きるか」に書いたので繰り返さないが、同世代の信じられる小説家との言葉のやりとりに静かな興奮を覚えている。

私が「マガジン航」を始めたのは2009年の秋だった。この年の夏の東京国際ブックフェア/電子出版EXPOで当時ボイジャーの代表取締役社長だった萩野正昭さんと久しぶりにお会いし、意気投合したのがきっかけだった。たまたまこの時期は日本における何度目かの「電子書籍元年」(なぜかマスメディアは数年おきに集中的に「電子書籍」について過剰報道を繰り返してきた)に当たっており、本誌でもこの分野についての楽観的な見通しや期待を伝えることが多かった。

あれから十年弱の歳月を経て、「電子書籍」はある程度の定着をみた。とくにマンガ市場では電子化されたコンテンツがほぼ半分を占め、雑誌も紙からウェブ版への移行や同時配信、さらには「読み放題」へとシフトしつつある。最終的にどのあたりで安定するのかはわからないが、電子的なメディアを介しての出版は日本の社会に確実に定着している。

他方、昨年から東京国際ブックフェアが2年続けて休止(再開の目処もたっておらず、事実上廃止されたと考えられる)となったことが象徴するように、出版業界の混迷は深い。それは小田光雄さんがライフワークとして継続的に行っている、この業界の定点観測コラム「出版状況クロニクル」が伝えるとおりである。

しかしこうした「状況」は、出版社、取次、書店のいわゆる「業界三者」の視点から語られることが多く、紙の基盤だけでなく、ウェブをはじめとする多様なプラットフォーム上でもすでに活動を始めている他のステイクホルダー(たとえば小説家やライター、フリー編集者、デザイナー、校閲者、翻訳者など)の声はなかなか聞こえてこない。

私が藤谷さんとの公開往復書簡を始めた最大の動機は、こうした「業界三者」以外からみた出版界の現状を可視化し、議論の俎上に乗せたかったからだ。

モノローグが多すぎる

その際に「往復書簡」という形式を選んだのも理由がある。一つには、端的にこの形式への憧れがあった。〈往復書簡〉をキーワードにしてネット書店などで検索をしてみれば分かるとおり、錚々たる文学者や思想家によるこの形式による書物は、過去にやまほど刊行されている。

エラスムスとトマス・モア、ゲーテとカーライル、ベンヤミンとアドルノ、漱石と子規、川端と三島、はてはヒトラーとムソリーニ。最近ではポール・オースターとジョン・クッツェー、古井由吉と佐伯一麦による往復書簡が面白かった。そうした人たちに伍するつもりは(少なくとも私には)ないが、その真似事くらいはしてもよい年齢に、そろそろ自分たちの世代も達しているという自覚はあるつもりだ。

もちろん公刊された往復書簡のほとんどは、プライベートに交わされた書簡をのちに編纂し直したものだ。書簡は本来、特定の相手だけに向けられた書き物であり、他の者が読んで面白いものではない。ところが、そうしたごくプライベート性質をもつ書き物でも、何往復ものやり取りを経るうちに不思議なグルーヴが生まれる。それは一種の時代精神とでも呼べるもので、結果的にいくばくかの公共性さえもつようになる。煎じ詰めれば、往復書簡がしばしば公刊される理由はそこにある。

例えるなら、こういうことかもしれない。往復書簡はいわば〈言葉のキャッチボール〉である。キャッチボールはいかなる意味でも「試合(勝負)」ではないが、たんなる肩慣らしや練習でもない。ボールを投げ、受ける者同士がともに持続の意志をもたなければ、いつでも即座に打ち切ることができる。逆にいえば、一種の共犯関係がなければキャッチボールは持続不可能であり、その意味で創造的な行為でもありうる。なにより、キャッチボールは楽しい活動であり、いつまでも飽きずに続けることができてしまう。それは実際に一度でもキャッチボールをしたことがある者には自明のことだろう。

ところで、いまネット上で流通している言葉のほとんどが、モノローグであることに私はすっかりウンザリしている(こういう言い方のほうが、ずっと正直かもしれない)。もともと「マガジン航」は、それまでやっていた自分の個人ブログへの反動として生まれたという経緯がある(長らくその場を提供してくれた「はてなダイアリー」も来年春でサービスが終了となる)。

「はてな」での活動に一区切りをつけて私が「マガジン航」を始めたのは、ひとり語りをネットで書き連ねることに限界を感じ、より多くの人の多様な声を集めたかったからだ。その願いは十分に叶えられ、「マガジン航」にはこれまで100名を超える寄稿者を迎えることができた。あのまま個人ブログを続けていたら、私はこうした多彩な声や意見と出会うことはなかっただろう。

「マガジン航」を編集発行するなかで出会った仲間とは、NPO法人を立ち上げるまでに至った。イギリス在住のジャーナリスト、小林恭子さんが2013年のロンドン・ブックフェアを取材した記事で伝えてくれた「独立作家同盟」(Alliance of Independent Authors)という非営利団体の存在に刺激を受け、フリーライターの鷹野凌さんが日本でも同様の活動を、と声を挙げて誕生したのが日本独立作家同盟である。日本独立作家同盟の活動は「マガジン航」とも深い関係があり、私もこのNPO法人の理事を務めている。

創作も出版も「孤独な営み」ではない

日本独立作家同盟は現在、二つの大きな活動を行っている。その一つはHON.jpという電子出版に関するニュース配信を中心とするメディアの運営である。このHON.jpのサイトが本日(10月1日)にリニューアルされた。2004年に創刊されたhon.jp Day Watchの活動をNPO法人として継承したものだが、このたびHON.jp News Blogという名称で新たにスタートを切ることになった。

このリニューアルを記念して、今月16日に以下のイベントが予定されており、私もモデレーターとして参加する(登壇者は「ベルりんの壁」で知られるブックチューバーのベルさん、スマートニュースの松浦シゲキさん、オトバンクの久保田裕也さん、日本独立作家同盟の理事長・鷹野凌さん)。

「飛び出せ! グーテンベルグの銀河系 ~ 本と出版の未来はどこにある!? HON.jp News Blog 正式発進記念トークイベント」
https://www.aiajp.org/2018/09/honjp-launch.html

そしてもう一つ、日本独立作家同盟の活動の軸となっているのがNovelJamという合宿形式の創作出版イベントで、昨年2月に初回を、本年2月には第二回目を開催した。

NovelJamの第三回目は今年の11月23日〜25日に開催されることになり、参加者募集の〆切が10月5日に迫っている。今回は当日審査員の一人として、先にふれた往復書簡の相手である藤谷治さんにもご参加いただけることになった(他の当日審査員は作家でエッセイストの内藤みかさん、『出会い系サイトで70人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』でも知られる書店員の花田菜々子さん、ゲーム作家の米光一成さん)。

私にとって「マガジン航」とは、本や出版の未来を考えるメディアであると同時に、フリーランスの編集者兼物書きである自分が、こうした仲間と共同でさまざまなプロジェクトを行っていくための土台でもある。

もちろん言論や創作は、最終的にはそれぞれの発言者や著者が一人で背負っていくべきものだ。しかし同時に、出版とは孤独な営みではなく、やはり一種の共同作業でもある。藤谷治さんとの往復書簡も、「作者」「編集者」「デザイナー」がトロイカで一つの作品を作り上げる創作合宿のNovelJamも、私のなかでは「マガジン航」というメディアを立ち上げた動機の一直線上にある。

出版の世界が激変しつつあるいま、孤独なモノローグだけではなく、さまざまなダイアローグ、つまり〈言葉のキャッチボール〉がもっともっと必要だと私は思う。これらの〈対話的〉な活動に関心をもち、参加していただけることを期待する。

遠近法、あるいは「教養」の再構築

2018年9月28日
posted by 仲俣暁生

第3信(仲俣暁生から藤谷治へ)

藤谷治様

お返事をしそこねている間に、すっかり秋になりました。先のメールで藤谷さんからは小説をめぐる「消費側の保守化」、そして僕が以前についSNSでつぶやいてしまった「ド文学」という言葉についての問いかけをいただきました。

その返事を書きあぐねている間に、出版業界では実にうんざりするような事件が起きてしまいました。日本を代表する文芸出版社である新潮社が、筆禍事件により「新潮45」という雑誌をほぼ即時に休刊にした。この雑誌は「文芸誌」でも「小説誌」でもありませんが、この茶番劇の中心人物は「文藝評論家」を名乗る人物でした。そういえば今年の初めには、やはり「文芸評論家」が起こしたセクハラ事件が話題になりました。文芸にまじめに取り組もうとする者にとり、今年は受難の年といえそうです。

ところで僕ははじめ、この往復書簡を「作家」と「編集者」という立場での意見交換と考えていました。でも先の書簡で藤谷さんは「文芸批評家」としての僕の仕事に言及してくれた。僕は「批評家」であるよりは「評論家」でありたいと思っているので、いまやすっかり価値が低落してしまった「文芸評論家」という肩書をあらためて受け入れようと思います。

さて、なぜ文学に対する人々のイメージがひどく古風であることと、限られた作品への一極集中が同時に起きるのか、という問いに戻りましょうか。逆にいえば、「創作現場における多様性」がなぜ、「消費における多様性」にそのままつながらないのか。そのことを少し考えてみました。

このことを考えるにはまず、いま小説の読者のなかで起きている「一般文芸」と「それ以外」との間の断絶に触れなければなりません。「え、一般文芸って何?」と思いましたか。この言葉は十年くらい前からネット上で見かけるようになり、いまでは書店や出版社でさえ取り入れている言葉です。いやな言葉だなあと思ううち、あれよあれよという間に流布してしまいました。

この「一般文芸」という言葉に含まれるのは、国内外の純文学、エンターテインメント小説、SF、ミステリー、ホラー小説、時代小説……。ようするに僕たちが「小説」と読んでいるものすべてです。「一般文芸」というそっけない言葉が与える印象とは裏腹に、ここにはきわめて多様な作品が含まれている。ところがその多様な小説を名指す言葉は、もはや「一般文芸」しかない。その結果、この言葉にしか頼れない読者には、小説の多様さが見えなくなってしまったのではないか。

では「一般文芸」ならぬ「特殊文芸」とは何か。これらには「ライトノベル」とか「ケータイ小説」とか「ウェブ小説」といった暫定的な名前がその都度つけられてきました。これらすべてを包含する言葉は、いまのところありません。ビールと発泡酒と第三のビールの関係みたいだなと思ったりするものの、そういうことでもなさそうです。

ここで不思議なのが、そのように呼ばれた側が「自分たちも一般文芸の側である」と主張しないことです。

僕らが若い頃には、「純文学」と呼ばれる主流文学に対して、SFやミステリー、その他のジャンル小説が「反主流」として存在し、両者がある種の緊張関係を保ちながら、相互に影響を与え合ってきました。その結果、いまでは「純文学」と「エンターテインメント小説」との間に――掲載される雑誌の性質や担当する出版社の部署以外で――明確な一線を引くことは難しくなりました。そのことを僕らの世代は、おおむね肯定的に受け止めてきたと思います。

僕らよりさらに前の時代の作家、たとえば三島由紀夫は、みずからの文学的営為の中核を為すべき「純文学」作品のほかに、「中間小説」(いまの言葉でいえばエンタメ小説)であることを自身も認めた作品を残しています。つまり三島はそれらを明確に「書きわける」意識をもっていた。さらに遡れば、坂口安吾、福永武彦、谷崎潤一郎、大岡昇平ら、多くの「純文学」作家が手遊びでミステリーを書きました。でもそれは彼らの「本業」ではありませんでした。

藤谷さんはどうでしょう。もちろん読者対象(女性向けだったり、子ども向けだったり)を意識する局面はあるでしょうが、小説のジャンルをどれほど意識しますか? でもいま読者の側で起きているのは、おそらくもっとドラスティックな「分離」です。藤谷さんのいう「消費における保守化」を推し進め、多様な作品にふれる機会を阻んでいるのはこの「分離」だと僕は考えています。

多くの人がいま「一般文芸」と呼ぶものは、ようするに「現役の小説家が書く小説すべて」のことです。そしてその外に「ライトノベル」や「ウェブ小説」や(かつての)「ケータイ小説」といった「特殊小説」がある。さらに、すでに亡くなった小説家――とりわけ文学史に名を残し、国語の教科書にも出てくる「文豪」と呼ばれるような作家たち――は別枠として特権化されている。それは「保守化」というよりも、「文豪」と「特殊小説」の間にある「一般文芸」の存在が、一般の人々からは見えなくなっている、ということではないでしょうか。

これはある意味で当然のことです。名だたる「文豪」の作品は公共図書館に文学全集として置かれていたり、インターネット上の「青空文庫」などで無料で読めたりします。とくに本屋に行かなくても、読者がそれらにふれる機会は他にいくらでも用意されている。「文豪」が残した古典(評価が定まった作品)と、ライトノベルほかの「特殊文芸」(とりわけいま読まれているのは「ウェブ小説」です)が活況を呈する一方、現役作家がものする「一般小説」が急激に落ち込んでいる。藤谷さんが『新刊小説の滅亡』で書いたとおりのことが進んでいるように思えます。

しかしこれではあまりに救いがない。いままさに書かれている小説は、たしかに「テレビタレントが薦め、インフルエンサーがブログに載せ、アマゾンのレビュー数が多い文学」しか読まれない。芥川賞か直木賞か本屋大賞でもとらない限り、「一般文芸」には目が向かわない。でもそれは、ようするに現代小説についての見晴らしや遠近法を与える仕組み、つまり歴史記述がなされていない以上、仕方がないことだと思います。若い人が存外、現代史を知らないのと同じです。

ところで大正から昭和へと改元された1926年からの数年間は、当時「円本」と呼ばれた文学全集が乱立し、異常なほど売れた時代として出版史に記録されています。文学全集とは、それまできちんと体系化されていなかった当時の「現代文学(明治・大正文学)」にパースペクティブを与え、序列化する営みでした。藤谷さんが「近代文学」と呼ぶものは、概ねこの「円本」時代に序列化が済んだ文学作品のことであり、「文豪」とはそこに収められることに成功した一握りの文学者のことです。

これと同じ作業が、そろそろ僕らの「現代文学」にも必要なのだと思います。

しかしその作業は誰が担うのか。おそらく「平成文学全集」は、これまでのようなかたちでは編まれないでしょう。しかし、多様でありながら未整理のままで置かれている現代小説、つまり「一般文芸」に必要なのは、書店の棚(あるいはブックオフの棚)やアマゾンのサイトとは異なる、それを必要とする様々な読者に向けた、いくつもの「体系」ではないでしょうか。僕らがミステリーやSFに出会ったとき、そして藤谷さんの新著『小説は君のためにある――よくわかる文学案内』(ちくまプリマー新書)で挙げておられる小説と、若い頃の藤谷さんが出会ったときに力を添えてくれたはずの、さまざまな「文学全集」や「文庫」のような。

この「体系」のことを「教養」――昨今またこの言葉が復活してきたのは不思議ですが――と言い換えてもいいかもしれません。「文芸評論家」という肩書を背負う以上、そして同時代の小説を少なからず読んできた以上、僕もそのような「体系」をつくる仕事を担いたいと願っています。でもそれはどうすれば可能なのか。あまりにも手がかりがなすぎて立ち尽くすばかりです。

第1信第2信第4信につづく)

近代文学の息の根が止まったあとに

2018年9月18日
posted by 藤谷 治

第2信(藤谷治から仲俣暁生へ)

仲俣暁生様

僕が「フィクショネス」を始めたのは1998年7月のことでした。仲俣さんは最初期のお客さんでしたから、なんてことでしょう、知り合ってもう20年にもなるわけです。1998年は平成10年です。この単純な事実だけでも僕には、時間について、それもいわば「日本の時間」について、何かとりとめもない思いが四方に飛び広がっていくようです。

しかし僕が仲俣さんを文芸批評家、そして編集者として意識するようになったのは、それから数年後のことです。調べればその正確な日付も判るでしょう。それは、古川日出男さんの三島賞受賞パーティの二次会でのことでした。僕はその時はじめて、仲俣さんが日本で最初に(ということは、まあ、世界初、ということにもなるわけですが)文芸誌に本格的な古川日出男論を書いた人だ、ということを知ったのです。

古川さんが『LOVE』で三島賞を受賞したのは、2006年のことです。その3年前に僕は小説家としてデビューしました。そのデビュー作に、最初の書評を書いてくれたのが古川さんでした。僕は翌年に出た古川さんの『ボディ・アンド・ソウル』について書評を書き、その後も対談したりしたのが縁で、パーティに呼んでもらえたのでした。

古川日出男の登場とこの受賞によって、近代文学は息の根を止められた……。挨拶を求められて、僕はとっさにそんな話をしたことを憶えています。古川さんが「下手人」であったかどうかはともかく(しかしその一人であることは確かだと僕は考えています)、あの時点で文学は、近代文学的なステレオタイプのイメージから解放され始めていたはずです。

近代文学的なステレオタイプのイメージなどと、くどい言い回しで僕が示すのは、本当なら殆ど滑稽なような「文学」のイメージです。社会不適合者ででもあるかのように自己規定した青白い顔のインテリが、自己表白と赤裸々な性描写で「物語」を忌避して書く私小説。アンニュイな日常をアンニュイなままに描く純文学……。そんな古色蒼然、旧態依然、十年一日のごとき文学は、これからどんどん退潮していき、これからは既成の文学概念(というよりも、文学制度)にとらわれない文学が、小説が、もっと広く、もっと遠く、可能性を追求していくんだと、僕は信じていました。

あれから12年経ちました。文学は、もしかしたら当時の上気した僕が夢見たように、可能性を広げているのかもしれません。

しかし現代文学の動向に疎い僕の目に目立つのは、むしろなんというか、いわば「新手の近代文学」の方です。僕や仲俣さんはもとより、古川さんよりもさらに若い世代の中から、「近代文学」(カギカッコで括っておきます)のエピゴーネンかと見まがう小説の書き手が現れ、世間から好評を持って迎えられています。

そんないわば「復古趣味」――僕らの世代が幼少期に聞きかじった言葉をわざと曲解して、「逆コース」とでもいいたいような――が、文芸出版ビジネスとして成り立っている、いやそれどころか、文芸ビジネスを(かろうじて、かもしれませんが)支える存在になっているのは、仲俣さんのいう紙の出版の失速、その急激さと大きな関係があるように思えてならないのです。

これもまた仲俣さんが書いている通り、僕たちが商業出版の枠内で、仕事として批評や小説を書き始めた時、すでに世間では出版不況が嘆かれていました。僕はもともと、小説書きという商売が儲かるものとは思っていなかったので――貧乏文士、というのもまた「近代文学者」のステレオタイプのひとつです――、生活のために死に物狂いで書き続けることには、覚悟と、ひそかな矜持がありました。

けれどもその出版不況が、読者の消費動向に保守的な影響を与えるとまでは、思ってもいませんでした。多種多様な「新刊小説」の大群に対して、読者という名の消費者たちは、何を選べばいいか判らず、売れているもの、人が買っているものを買っています。そのような文学商品が、読者には「無難」に見えるのでしょう。消費者は文学が多様であることを認めながら、購読に至るのは、テレビタレントが薦め、インフルエンサーがブログに載せ、アマゾンのレビュー数が多い文学なのです。

そのような傾向は、もちろん、商業出版の草創期からあったでしょう。しかしこれほどまで露骨に、供給側の多様化と消費側の保守化が分離し断裂したことは、かつてなかったと思います。

この傾向はいつまで続くのでしょう。どこに行きつき、どのような「決着」を見せるのでしょう。

世間の流れを考えたってどうなるものでもないと、自分勝手な小説を書きながら、僕は仲俣さんがSNSでふと漏らした、ド文学、という言葉を思い出しています。

第1信第3信につづく)

本の激変期のなかでどう生きるか

2018年9月18日
posted by 仲俣暁生

第1信(仲俣暁生から藤谷治へ)

藤谷治様

この夏に下北沢の本屋B&Bで行われたDJイベントで久しぶりにお会いしたあとで、なんどかご相談させていただいていた「マガジン航」での往復書簡の企画を始めることにしました。

藤谷さんに最初にお目にかかったのは、2014年まで下北沢にあったフィクショネスという本屋でのことでした(『アンダンテ・モッツァレラ・チーズ』の文庫解説にもこのときの思い出を書きました)。藤谷さんがまだ「小説家」になる前、もしかしたらまだ20世紀だった頃の出来事かもしれません。

「まだ20世紀だった頃」などというと、自分たちがとんでもなく年寄りになった気もしますが、実際そうなのかもしれません。というのも、その後に出版の世界は大きく様変わりしたからです。いや、出版の世界どころか世界そのものが大きく変わったように思います。

僕らはたまたま同学年で、おそらく似たような読書経験をして育ってきたはずです。藤谷さんが小説家としてデビューしたのは2003年。僕は本業は編集者ですが、2002年に現代小説についての小さな本(その後、絶版になってしまいましたが)を書いたおかげで2003年に文芸誌で連載の機会を得、細々と文芸評論の仕事もするようになりました。

藤谷さんはフィクショネス以前にも書店員の経験があり、僕は出版社をいくつか経験してきました。そのうえで、フリーランスとして本の世界で生きることを決めた。「物書き」という仕事が簡単には成り立ちにくい時代になってから、本や文章を書く仕事をするようになったわけです。

僕が「マガジン航」を創刊したのは2009年の9月のことです。当時はちょうど電子書籍の話題が盛り上がっていた頃でもあり、もしかしたらこの新しいテクノロジーが出版の(そして文芸の)未来を切り開いてくれるのかもしれない、という期待がありました。

しかしその後の9年間に起きたことは、電子書籍が普及するよりもはるかに急激な紙の出版の失速でした。「町の本屋」(フィクショネスもその一つと数えてよいのでしょうか)は次々に店を閉め、人が本と出会う場所も図書館や新古書店、あるいはインターネット上であることが増えました。

こうした変化は当然、小説を書くことが「仕事」である作家たちにとって、相当に大きなインパクトを与えたはずです。

藤谷さんには「新刊小説は滅亡について考えた方がいい」という文章を書いていただいたこともありますが、ここで話題になっている「新刊小説の滅亡」という短編に描かれていたことは、すでになかば現実になっているようにさえ思えます。

「マガジン航」誌上で藤谷さんと公開の「往復書簡」をしてみたいと思ったのは、この激変期ともいうべき時代のなかで、自分と同世代の小説家が、日々どんなことを考えながら創作活動をしているのかを知りたいからです。そして、これから先のことを一緒に考えてみたい。

タイトルは、まことに大雑把ですが「創作と批評と編集のあいだで」としてみました。こちらからもいろいろと質問を投げますが、そちらからも遠慮なく厳しい球を投げてください。

藤谷さんとの言葉のキャッチボールのなかで、少しでも未来へのヒントがみつかることを願いつつ、第一信の筆を(キーボードを?)置きます。

第2信につづく)

読書専用端末の時代は終わったのか

2018年9月3日
posted by 仲俣暁生

先月の終わりに、電子出版ビジネスの草分け的存在であるイーストの下川和男さんから、古くなったり壊れたりして使えなくなった電子書籍端末を肴に語り合う会、名付けて「昔の読書端末放出放談会」にお誘いいただいた。

「放談会」には十数名の電子出版/電子書籍関係者が集まった。

ちょうど「マガジン航」で西牟田靖さんが、亡くなられたノンフィクション作家の蔵書の形見分けについての記事を書いてくれた直後だったこともあり、「紙の本」と「電子の本(こちらは端末のみで中身は読めないのだが)」それぞれの最後の身の処し方について考える機会になると思い、参加した。

この会に持ち込まれた端末は、どれも基本的に動かないジャンク品である。アマゾンのKindle DX(初期の大画面タイプ)やバーンズ・アンド・ノーブルのNook(やはり初期型)、ソニーのReader(北米版のやはり初期型)といった比較的有名なものから、オランダのiRex Technologies(バーンズ・アンド・ノーブルに対応していたらしい)や台湾のBenQ(こちらは特定のプラットフォームに依存せず、EPUBやPDFなどが閲覧できるタイプの模様)といった、私も見たことのないマイナーなメーカーによるものまでが勢揃いした。

集まったのはさまざまなかたちで電子出版/電子書籍に関わった方ばかり、総勢十数名。初対面同士の人も多く、各々が自己紹介がてらこれまでの電子書籍/電子出版との関わりを述べた。みずから懐かしい端末を持ち込む参加者もいて、パナソニックのΣブックの姿も久しぶりに見ることができた。

時計回りに右上から、ソニーのReader、パナソニックのΣブック、iRex Technologiesの端末、NECのデジタルブックリーダー。

自己紹介がひと回りしたところで、それぞれが希望する端末を申告し、収まるところに収まるかたちで大半の端末が誰かに引き取られていった。私はNECのデジタルブックプレーヤー「DB-P1」(読書端末としては普及せず、なぜか「囲碁ソフト」専用マシンとして人気を博した)をいただいて帰った。また参加者全員に一台ずつ、ソニーのReader「PRS-600」(もちろん動かない)も配られた。

「DB-P1」がほしかったのは実機を見るのがはじめてだったのと、私自身の電子書籍との関わりが、この読書端末が発売された1993年に始まったからだ。この年の春に加わったあるパソコン雑誌の編集部でボイジャーが発売した「エキスパンドブック」という電子書籍ソフトの存在を知り、興味をもった(ちなみにその記事を書いてくれたライターは故・富田倫生さんだった)。

その後に移籍した中堅出版社では、はじめて電子書籍の読書専用端末を見た。NECと競合する日本の大手電機メーカーから、デジタルブックリーダーとよく似た端末の試作品を見せられたのだ。御社はこうした読書端末のために作品を提供してくれるだろうか、というのが先方の用件だったが、編集部の反応はパッとしなかったように思う(結局、その電機メーカーから読書端末は発売されなかった)。

1990年代から2000年代はじめにかけては「ワイアード日本版」や「季刊・本とコンピュータ」といった雑誌を編集するなかで、いくつもの「電子書籍」や「電子出版物」の試みをみてきた。

当初はパソコンで視聴するフロッピーやCD-ROMによるパッケージ型の作品が中心だったが、1998年頃の「電子書籍ブーム」の時期には各種の読書専用端末(アメリカのロケットe ブックのものや、電子書籍コンソーシアムの実証実験に用いられたものなど)が登場した。2004年前後の「電子書籍ブーム」のときにも、日本ではΣブックやリブリエといった読書端末が登場し、市場を形成できずにすぐ消えていった。ほぼ6年おきに繰り返されてきた「電子書籍ブーム」の顛末を、私はその都度リアルタイムで見てきたのだった。

読書専用端末が「終わった」二つの理由

さて、ここからが今回のコラムの本題である。この「放談会」が宴もたけなわとなったところで、主催者の下川さんから爆弾発言があった。

「電子書籍において専用端末の時代は終わった、ということで皆さん、ご異議はないでしょうか」

これは座興だろうか、それともかなり真剣な問いかけなのだろうか、と逡巡したが、基本的には「終わった」と言わざるを得ない、というのが私のそのときの偽らざる気持ちだった。とくに議決をしたわけではないが、会に集まった他のメンバーも「異議なし」という雰囲気になっていた。

「専用端末の時代は終わった」とは、どういうことだろう。これは二つの方向から考えることができる。

一つはシンプルに「専用端末」は、スマートフォンやタブレットすなわち「汎用端末」上の電子書籍アプリケーションに代替され、必要がなくなったという考え方だ。

もちろん、液晶に比べて「目に優しい」とされる電子ペーパー(電子インクともいう)をディスプレイに採用したKindleの「ペーパーホワイト」などには、それなりの使い勝手のよさがある。しかし電子ペーパーは1990年代に開発された、いまとなってはかなり「古い」(枯れた、というべきか)テクノロジーであり、2004年にはソニーがリブリエですでに採用していた。

その後も電子ペーパーを搭載した読書専用端末には、バックライトがついたり防水機能がついたりした程度で、現在に至るまでほとんど大きなイノベーションが起きていない(カラーや「折りたたみ」可能な電子ペーパーも開発されているが、商品として市場を形成するには至っていない)。

目に優しい「紙のような」ディスプレイよりも、スマホのような小さな液晶画面(もちろん解像度は格段によくなった)のほうが好まれるのはなぜか。電子書籍を「読む」ときに優先される要素とは、画面のサイズや「目に優しい」といったことではなく、読みたいときにすぐ読めること、つまり閲覧用スクリーンが随時「手元にある」ことだからだ。常時携帯するためにはなるべく小さく、しかも「本」以外の機能をもったほうがいい。もちろん決済も簡単にできたほうがいい。「携帯汎用課金端末」ともいうべきスマートフォンが勝利した所以である。

「電子書籍において専用端末の時代は終わった」ことが導く、もう一つの結論はさらに残酷だ。それは「電子書籍とはプラットフォーム・ビジネスであり、最終的には強いプラットフォームが勝者となる」という事実である。

電子書籍専用端末は、基本的に特定のプラットフォームと結びついている(いた)。しかしその逆に、すべての電子書籍サービス事業者が、自らのサービスのための専用端末を用意しているわけではない(「プラットフォーム」の定義はさまざまだが、ここではGAFA及び、少なくとも日本では彼らに準ずるLINEや楽天などを想定して述べている)。

スマートフォンやタブレットの場合、そのOS上で動くアプリを提供すれば小規模な電子書籍サービスも提供だ。しかしアップルやグーグルが最上位のプラットフォームとして存在するため、便利なサービスを構築しようとすればするほど、その軛から逃れることは難しい。

百花繚乱だった電子書籍サービスもすでに淘汰の時代を迎えているが、そうしたなかでの「専用端末の時代の終わり」とは、専用端末をもたない電子書籍サービスにとっての福音ではなく、強力なプラットフォームに紐付いたサービスが優位を占めた上で、なおかつ「専用端末」よりも「汎用端末上のアプリ」が好まれる、という事態である。ある意味、寡占化がさらに進んだともいえる。

いまの「電子書籍」は、ようするにプラットフォーム企業が提供する、さまざまなコンテンツのサブセットの一つでしかない。拡大をつづけるプラットフォームのeコマースビジネスの戦略上、欠かせないコマという位置づけにすぎず、同じコンテンツがどこでも買えるし、買えないものはどこにもない。

町の本屋に対して「金太郎書店」という悪口があるが、それをいうなら電子書籍はどこも「金太郎書店」ばかりである。かつて「電子出版」という言葉が孕んでいた、新しいかたちで本を世に出す仕組みを求める気概は、そこにはかけらもない。電子的な「本」をさす言葉が「電子出版」から「電子書籍」へと移り変わり、少なくともかつてよりは遥かに巨大ビジネスとなっていくなかで、失われていったものはこうした初発の志だった。

「電子書籍」は知的な範疇としてはもはや存在しない

電子機器でテキストを扱う仕組みは、「書く」ことにおいてはるかに先行した。テキストを電子的に「書く」ための仕組みとして、かつて「ワープロ(日本語ワードプロセッサー専用機)」という電子機器があったことを、ある世代より上の方はよくご記憶だろう。東芝からJW-10が発売された1978年から、シャープが「書院」シリーズの製造を中止した2003年まで、ワープロ専用機の歴史はわずか25年しか続かなかった。

「書く」ためであれ「読む」ためであれ、テキストの表示にはスクリーン(及びブラウザ)が必要である。ワープロという「執筆専用端末」は、その意味で「読書専用端末」の先達といっていい。ワードプロセッサーはその後、パソコンという「汎用機」の上で動くアプリケーションとなり、いまではクラウド上でも動く。専用機から汎用機へ、スタンドアローンからクラウドへ、国産企業が提供するサービスからグローバル企業によるサービスへ、という流れも両者に共通している。

ただし電子的にテキストを「書く」仕組みの場合、書かれた内容に対しては直接的にコマースが介在する必要も必然性もない(最近は主要アプリのクラウド化が進み、その懸念がやや生じてきたが)。しかし「読む」ためのコンテンツ、すなわち電子書籍は基本的に「商品」であるため、課金と流通を一手に担える巨大プラットフォームから自由な領域がどうしても狭くなる。

もちろん「書く」ことも「読む」ことも自由な領域としてのWWW(ワールドワイドウェブ)と、それを支えるHTMLをはじめとする仕組みは、1993年にはすでに存在していた。2000年代はじめのブログの大爆発は、一種の「電子出版革命」でもあった。それと平行して起きた「電子書籍」のブームは、ある意味でそうしたウェブの動きに対する「反革命」と呼ぶことさえできるかもしれない。いま「電子書籍」と呼ばれているものの多くは、ウェブの内部に(課金のためだけでなく、表現形式の上でも)別のルールが適用される世界をつくる仕組みだからだ(これは音楽でも映像でも同様である)。

もちろん、特定のプラットフォームに依存しない電子書籍を模索する試みもあった。そうした電子書籍の規格として期待された国際標準フォーマットのEPUBは、推進団体であるIDPF(International Digital Publishing Forum)が昨年にウェブ技術の標準化団体であるW3C(World Wide Web Consortium)に統合されたことで、広義のウェブの一部になった。

つまり「電子書籍」は、ごく少数の巨大プラットフォームが提供する多彩なコンテンツのサブセットであるか、その逆にフリー(自由、無料)であり続けるウェブのサブセットであるか、そのいずれかとなったといっていい。そうなったいま「電子書籍」という言葉は――少なくとも知的な検討を行うべき範疇としては――もはや必要がなくなったように私には思える。

プラットフォームから自由な「電子出版」を

いまや役割を終えつつあるとされる「読書専用端末」は、電子書籍のコンテンツがまだウェブではなく、物理メディアによっていた時代に誕生した。だがウェブの急速な発展は電子書籍のネットワーク化をもたらし、ウェブ自体がもたらす「電子出版」と、電子書籍による「電子出版」という二重構造が生まれた。

ところで「読書専用端末」は、いっけんスタンドアローンの装置にみえる。そのことが電子書籍をめぐる議論を、いささか混乱させた面はあるかもしれない。コンテンツと再生機器が一体化したかのような姿から、「紙の本」を代替する装置だと早合点する人さえいた。

いまも電子書籍に対する紙の本のメリットとして、後者がスタンドアローンで存在しうることを指摘する論者がいる。だがいかなる本(「紙」であろうと「電子」であろうと)も、それが存在しうる背後には巨大な装置産業があることを知らなければ、本についての議論を始めることさえできない。

一冊の「紙の本」が任意の読者の手元に届くまでには、少なくともそれが商業出版物であるかぎり、かなり大規模な印刷・流通・販売のネットワークが必要である。他方、そうした仕組みが不要な「電子の本」の場合も、ウェブ自体をはじめ課金・流通を担うプラットフォーム、そして購入されたコンテンツを読むための(専用・汎用の)端末の製造及びその流通・販売のネットワークが必要となる。

「電子出版」という言葉や考え方がかつての私に与えてくれた「夢」は、20世紀後半にはすでに巨大な装置産業となっていた「紙の本」の出版に対して、まだ微力であったパーソナルコンピュータやウェブの力を借りて対抗しようとする、きわめてDIY的な態度や姿勢にあった。しかし、いまではパソコンもウェブも、それ自体がDIYから遥かに遠いところに来てしまったように思える。

むしろ皮肉なことに、パソコンやウェブを使って紙のメディアをDIY的に作り、売る人のほうがこの間に増えたように思える(「電子書籍の専門出版社」がこの間、ほとんど登場していないのに対し、紙の本の「一人出版社」は次々と生まれている)。巨大プラットフォームから自由なのは、こうした紙のメディアのほうかもしれない(コミケのような巨大即売会は、それはそれで別個の「プラットフォーム」であろうが)。

1993年が読書専用端末の「元年」だったとすれば、2018年は25年目にあたるが、キンドル(読書専用端末としての)がアメリカで発売された2007年から数えれば11年、日本で発売が開始された2012年を起源とすればまだ6年でしかない。ワープロ並みの命だと考えると「読書専用端末」の歴史も、日本ではあとしばらくは続きそうだ。

私自身、巻数の多いマンガや英語の電子書籍を読むときなどは、いまもときどき専用端末を使うことがある。使ってみればそんなに悪いものではない。しかし常時携帯するほど熱心なユーザーではないから、すぐに端末自体が紙の本の山の中に埋もれてしまう。だからなおさら、使わなくなる。しかし、それでもときどき私は思うのだ。巨大プラットフォーム企業から完全に自由な「読書専用端末」と、それを支える仕組みが、もっとあってもよかったのではないか、と。

はじめて「ワープロ」を手に入れたとき、私にとってそれは自由な表現、そして最終的には自由な出版につながる「道具」として感じられた(現実には、メーカーごとに使えるフロッピーが違うなど「プラットフォーム(当時は電機メーカーがそれに相当)」の縛りは存在した)。はじめてパソコンを手に入れたときも、ウェブでものを書いたときも、私は同じように感じた。

2009年に購入したキンドルの読書端末。日本語電子書籍はまだ発売されていなかったので、青空文庫の作品をPDFに変換して読んだ。

初めて買った読書専用端末(日本語表示に対応していないキンドルの国際版)もまた、私にとってはそうした感覚を与えてくれる「道具」だった。キンドルの端末で日本語の電子書籍を「読む」ために、私は青空文庫のテキストから好きなものを選んで、PDFに変換していった。「青空キンドル」という現在も継続しているサービスが、そのときに大いに役に立った。これを使って自前の「電子本」をつくるとき、そこにはちょっとしたハッキングの気分があった。

このときはまだ、ウェブがもつ「フリー」な感覚やDIY精神と、アマゾンが売り出したキンドルという読書端末との間には、あまり大きな齟齬はなかったように思う。もちろんそれは、当時はまだ「商品としての日本語電子書籍」が存在しなかったからかもしれないのだが。

イーストの下川さんに「専用端末の時代は終わった、ということで異議はないか」と問われたとき、一瞬にせよ私が逡巡したのは、初期の電子出版に感じた自由な気分までが「終わった」と宣言されたように思えたからだった。もちろん「読書専用端末」があろうとなかろうと、これで終わらせてはいけない。プラットフォームから自由でありえなければ、真の意味での「出版の自由」は存在しえないのだから。