〈カタリココ文庫〉がはじまったわけ

2022年3月10日
posted by 大竹昭子

文庫サイズの本をシリーズで刊行している。
名称は〈カタリココ文庫〉といい、ちょうどいま写真家・畠山直哉さんとわたしの対談と彼の随想が入った第8巻『見えているパチリ!』が出たところだ。ポケットに入れて、電車の中とかランチの後などにさっと取り出して読み終えられる80ページくらいのものである。このような手軽な形にしたのは、ケータイ文化に抵抗するには本にまとわりついた重たいイメージを払拭する必要があると思ったからだが、薄いのは厚みだけで、中身の濃さは保証付きである。

〈カタリココ文庫〉の最新刊には写真家・畠山直哉さんの随想に、筆者との対談を収めた。

『見えているパチリ!』の企画は、文芸誌『新潮』の大震災特集号に畠山直哉さんが寄せた「心の陸前高田」を一読してすぐに思いついた。畠山さんは、東日本大震災の津波で母と実家を失って以来、それまで国内外に向けてきた視野を転換して故郷の陸前高田に絞り、ほとんどすべての時間を町の様子を観察し、撮影して、発表することに充ててきた。書かれた文章は、その時間のなかで去来したさまざまな問いや思いを、どっしりと構えながらも写真家らしい歩行のリズムで綴った稀有な読み物だった。

これは〈カタリココ文庫〉に入れて残したい、それに加えて彼の近況を伝える新たな対談を載せたい、と瞬時に本の全体像が浮かんできた。彼とは大震災のあとに数回にわたってトークし、『出来事と写真』という本をまとめたことがあったが、その続編が作れたことは格別のよろこびであった。

本をもう一度、場にもどす

〈カタリココ文庫〉のよさは、このようにわたしが出そうと思えばすぐに出せることである。会議を通したり営業の顔色を窺ったりすることなく、自分のいまの関心を本の形にくるっと包んでさっと差し出せる。その率直さとスピード感がわたしには好ましい。

もちろんまわりには心強い協力者がいて、デザイナーも校正者も一流の仕事をしてくれるし、共著者の力添えも大きい。ちなみに、『見えているパチリ!』という意表を突くタイトルを考えてくれたのも畠山さんで、彼がおずおずとこれを口にしたとき、即座に、いただき!と思った。歩きながら、考えながら、ファインダーを覗く彼の姿が、パチリという音とともに浮かびあがってくるようで魅力的だ。

〈カタリココ文庫〉はいま、年3冊というかなりのハイペースで出しているが、そうなったのは2020年からである。つまりコロナの感染拡大という事態と重なっている。そうでなければ、出したいときに出す、というようなもっとのんびりしたペースになっていただろうから、改めて日常がとどこおりなくつづいていると発想の転換はしにくいものだと思う。

「カタリココ」とは「語り」と「ここ」を合わせたことばで、かなり前にトークと朗読のイベントをはじめたときに考えついたものだ。調べてみるとこれがスタートしたのは2007年で、ということはもう15年もつづけてきたのかと自分でも驚くが、この試みの背景には本が売れなくなったという社会事情があった。本はどこにでも持っていけて自分ひとりで読める完成度の高いメディアだが、その完成度がかえってあだになり、個人にこもりすぎて他者とのつながりを生みにくくなっているのかもしれないと感じていた。物語の発生は、声に出して語る人とそれを聞く人が出会う、というもっと身体性を伴ったものだったはずで、もしそれならば本をもう一度場にもどして身体との結びつきを深めてみることが出来るのではないか。

というように理路整然と考えたわけではないけれど、直感としてはそういうことで、本を介してなにかできそうだという予感をもったのである。15年前と言えば、新刊が出たら著者のトークイベントが企画されるのが当たり前になっているいまとは状況がちがい、作家が人前で自作について語ることは少なかったし、ましてや作品を読み上げるということはなかった。カタリココで恒例の自作の朗読も、当初はそうお願いするとゲストに「えっ!」と絶句されたものだ。朗読は小学校のとき以来していないし、ましてや自作を声に出して読むなんて恥ずかしい!と激しく抵抗されたが、いまはそんな人はいないから、この十数年でずいぶんと変わったものだと思う。

緊急事態宣言下にイメージが広がる

話を2020年にもどすと、カタリココでは毎年春に一年分の予定を決めてチラシを作り告知していた。その年の春、ゲストもほぼ決まりかけてほっとしていた矢先に非常事態宣言が出て、人が集まることが出来なくなったのは周知のとおりである。

本を介して場を作ろうというカタリココの試みは、ココ=場を奪われて梯子を外された格好になってしまった。行動は制限されるし、予定がなくなって時間とエネルギーはありあまっているし、でもそれを散歩と料理だけに使うのはなんだし、と思っていたある日、〈カタリココ文庫〉のイメージが降って湧いたようにやってきたのである。

実は〈カタリココ文庫〉には前史があって、その前年に『「私」のバラけ方』という高野文子さんの特集号を出していた。そのさらに前には福田尚代さんの『美術と回文のひみつ』の企画と制作に携わったこともあった。これは福田さんとわたしのカタリココの対談を彼女が所属する小出由紀子事務所が出版したもので、版元はわたしではないが、それを作る過程があまりに楽しくて自分でもやってみたくなり、高野文子さんの号は自前で出したのだった。

〈カタリココ文庫〉の前史となった0号と1号。いずれもカタリココのトークを再録。

ただし、この段階では定期刊行するつもりはなかったのである。
作りたいものがあったらまた出そう、というくらいの悠長な気分で、内容もカタリココの再録という位置づけだったのだ。

ところが、非常事態宣言下でいきなりイメージは拡大し、カタリココの再録に限らず、新聞雑誌に発表後に単行本化されずに宙に浮いている自分の文章もどんどん出していけばいいじゃないか、カタリココの枠外でトークをして一冊作ったり、丸ごと書き下ろしにしたり、だれかと往復書簡を交わしたり、内容も形式も自由に選んで作ったらいいじゃないか、というように一気に広がっていったのである。まるで道を歩いていたらいきなり間欠泉が噴き出したような具合であり、自由に本を作れるというのはこんなに楽しいものなのか!とびっくりしたのだった。

緊急事態宣言下では3冊を同時に仕込んだ。簡単にそれぞれの内容に触れておくと、まず手を着けたのは『室内室外』である。雑誌『Paper Sky』に「場所」というゆるいテーマで連載していたものを一冊にまとめようと加筆改稿していくうちに、テーマは「室内室外」だと閃いた。外出がままならない状態で「室内」「室外」の境界をいやがおうにも意識させられたし、体の内と外という含意もあり、うまいタイトルを思いついたものだと自画自賛したのだった。

つぎに出した『スナップショットは日記か?』は、わたしが『新潮』に寄稿した随想で、内容は2019年、森山大道がハッセルブラッド賞を受賞したスウェーデンのヨーテボリの式典をドキュメントしながら、スナップショットという手法と日本の日記文学の伝統とのつながりを自分なりに考えてみたものだ。これもタイトルがフックになり、とてもよく読まれている。

3つ目の『絵のうら側に言葉の糸をとおす』は、美術家・鴻池朋子さんの特集号である。東日本大震災の直後、物書きの友人知人に呼びかけて「ことばのポトラック」というトークイベントをはじめ、その後もさまざまなゲストを招いて継続してきたが、その2017年春の回のゲストが鴻池さんだった。

彼女は大震災以降に絵が描けなくなり、美術の概念を広げて新たな模索をはじめたが、そのことを語ったトークの音源を自粛期間中に聞き直したところ、心に強く響くものがあり、これは本にしたいと思ったのである。初回から「ことばのポトラック」を一緒に担ってくれている堀江敏幸さんも含めて3人での鼎談で、美術の枠を超えて活動する鴻池朋子さんの思考の軌跡を知るには欠かせない一冊になった。

おわかりのように、この3冊はどれもカタリココのイベントとはちがう文脈から生まれている。もしもあのまま日常がつづいていたらこういうラインナップは思いつかなかっただろうから、改めて2020年は大きな分岐点だったと思う。

2020年の緊急事態宣言下でアイデアが広がり、この3冊を刊行した。

ノンジャンルの活動に居場所ができた

またこの3冊があぶり出したもうひとつの事実として、ジャンルが一つに絞られていないということがある。実はこのことは15年前にカタリココをはじめたときから意識していた。朗読イベントというと、ふつうは小説や詩をイメージしがちだが、考えをことばにするという意識があり、朗読できる著作のある人ならば、どんなジャンルの人もOKという方針でゲストを選んできたのである。

ジャンルは社会が物事をまわしていくのに後から作られたものであり、個人の思考の道筋とは関係がない。わたし自身の執筆もそうで、写真について書くことは多いが、写真界の動きを追っていくようなことには関心がないし、美術にも興味はあるけれど、あくまでもわたしの関心の網にひっかかってきたものへのこだわりだ。

つまり物事を横断的に考えていくことに惹かれるのであり、軸足をジャンルに置くことは考えてこなかったのである。それは、常に枠の外側に立って自由度を確保しようとする、自分の癖としか呼びようのない行動様式だが、〈カタリココ文庫〉はそうした自分の本質にたしかな居場所を与えてくれた。

イベントはひとつ終わると次のものが来るというように流れの力が強く、静止画像として眺めることがしにくい。だが、本の制作はちがう。流れを止めて堰を造るのに近く、溜まったことばを吟味し練り直す過程によって考えを蒸留できる。ジャンルの括りの底に流れているものに目を凝らすことに自分のパッションの源があると確認できたのは大きな収穫であった。

以前はジャンルを嫌がる自分を天の邪鬼な逃亡者のように感じていた。取り込まれそうになるとさっと身をかわして表通りを離れて路地に入っていく。だが、権威を生み出すヒエラルキーの構造に抵抗するならそうなるのは自然であるし、ジャンルを越境することは細分化された人間の機能をひとつに束ねて全体性を回復することだと主張できるようにもなった。

それには一冊ではだめだったし、ぽつりぽつりと出すのでもわからなかった。一定の速度をもって定期的に出すことにより、自分という人間の内部に蠢くものを編集できたのである。

こちらは2021年に刊行した3冊。

最後に、読者がもっとも興味をもつであろう採算の話をしておこう。印刷、デザイン、校正、印税などの費用は当初から売上で賄えている。ただし、そこにはわたしの編集作業代は含まれていないので只働き状態だったが、ようやくそれが改善しつつある。良質のものを継続して出していけば少しずつ上向きになっていくという予感を抱いている。ビジネスとして成立させられれば必ずやあとにつづく人が出てくるだろうから、これはうれしい希望である。こんなに楽しい作業をわたしが独り占めするのは惜しい。

あるとき脳裏に「30」という数字が点滅した。これは30巻だしなさいというお達しだろうと思い、その数を射程にいれて全体像を考えるようになった。30巻というと多いようだが、今年末には10巻に達するので道のりの3分の一は進む。これが完結するまでは死ねないなあと思う。

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第10回 ブックオフ肯定論を検討する(その3)

2022年3月7日
posted by 谷頭 和希

前回は、『ブックオフ大学ぶらぶら学部』の執筆陣の世代に着目しながら、同書が描く「ブックオフ像」を考えた。同書の執筆者は、全員が「ロスジェネ世代」であり、その世代からのブックオフ像が描かれていた。今回も引き続き『ブックオフ大学ぶらぶら学部』が描くブックオフ像を考えたい。

「男性」とブックオフ

「ロスジェネ」に続いて私がここで提示したいのは「非モテ」とブックオフの関わりについてである。2000年代中頃には「ロスジェネ」とは別に、インターネットを中心に「非モテ」という言葉も生まれていた。「非モテ」については、西井開が『「非モテ」からはじめる社会学』(集英社新書、2021年)等で探求しているが、「恋人がいない」、あるいは「女性から好意を向けられない」といった人々のことを示している。「非モテ」とブックオフはどのように交わるのだろうか。

ここで参考にしたいのが、同書を企画した夏葉社(岬書店)の編集者、島田潤一郎の記述である。島田は自身の青春時代を回顧しながら、以下のように書いている。

店にはぼくと同じような若者がたくさんいた。お金がなさそうで、付き合っているパートナーもいなさそうで、ゲームとマンガとサブカルチャーが好き。二〇〇〇年代前半は景気がめちゃくちゃ悪かったし、みながみなパソコンをもっているわけでもなかったから、お金がなくて、時間だけがある文化系の若者たちはこぞってブックオフに足を運んだ。

ぼくと同じように学校にも仕事にも行っていなさそうな人たちを見るとほっとした。

前回、『ブックオフ大学ぶらぶら学部』の中でロスジェネ世代の「貧困」とブックオフが強い結びつきをもって語られていることを確認した。島田の証言は、そうした「貧困」とブックオフの結びつきを顕著に語っているが、それ以上に注目したいのは、そこに集っていた若者たちは「ぼくと同じような若者」で、具体的には「お金がなさそうで、付き合っているパートナーもいなさそう」な人々だった、ということだ。ここからは、このような「非モテ」と当時呼ばれるような人々と『ブックオフ大学ぶらぶら学部』の親和性もどことなく読み取れる。

もちろん、島田の個人的な回想だけから「非モテ」とブックオフをつなげて語ることは、危うさを孕んでいるだろう。しかし、私が「非モテ」という言葉とブックオフのつながりを強調するのは、「非モテ」が持つメンタリティーに注目したいからである。

『ブックオフ大学ぶらぶら学部』(岬書店)

「孤独」とブックオフ

「非モテ」のメンタリティーとはなにか。精神科医の熊代亨は自身のブログで「非モテ」論壇を回想している。熊代によれば、「非モテ」のメンタリティーの底には「『いっぱしの人間として社会で扱われている感覚の欠如』や『あるべき自分と現実とのギャップ』のような、なにやら心理学的な概念に親和性のありそうな、そういったニュアンスが多分に含まれていた」という。ある種の社会との相いれなさや社会の中で「孤独」であるという感覚を「非モテ」論者が共有していたことが伺える(ちなみに、熊代は非モテ論者たちの集会にも顔を出していたというので、この記述の背景には、熊代自身が感じた非モテ論者の雰囲気があっただろう)。

こうした「非モテ」のメンタリティーに通ずる観点を『ブックオフ大学ぶらぶら学部』の執筆陣は持っていたのではないか。例えば、先に紹介した島田潤一郎はブックオフのオウンドメディア「ブックオフをたちよみ!」で次のように述べている。

僕は孤独なときや暗い時期にブックオフに救われたんですよ。決してウキウキしながら行っていたわけじゃないけれど……心の拠りどころでした。僕みたいに「ブックオフしか行くところがない」という人は今も全国にいると思うので、そういう人に(引用者注:『ブックオフ大学ぶらぶら学部』を)読んでほしい。

島田は「孤独」を癒すためにブックオフを訪れていたという。ここでは、「非モテ」のメンタリティーである「孤独」を救う存在としてブックオフが描かれているのである。

こうした論調は、『ブックオフ大学ぶらぶら学部』でホホホ座の座長・山下賢二がブックオフについて「居てて安心するんです。ぼくみたいな『オッサン』がいつまでもいていい場所ですからね」と述べていることにも通じるだろう。あるいはブックオフのオウンドメディア・「ブックオフをたちよみ!」で元プロニートであるphaが「ブックオフはどんなときでも僕らを受け入れてくれる」と書くことにも通じている。

「非モテ」が持つ「孤独」の感覚とブックオフを利用していた人々の感覚の近さはこうしたメンタリティーの面でも指摘できるかもしれない。そしてそれは「貧困」であることに由来する、ある種の劣等感とも結びつき、ブックオフの位置付けを独特のものとして描き出しているのではないか。

「ロスジェネ」と「非モテ」は時代的な重なりはあるものの、一致するものではない。しかし、『ブックオフ大学ぶらぶら学部』の語りは、2000年代に表れたこの2つの思想との強い連関を感じさせるのである。

ブックオフの肯定とはなんだったのか

『ブックオフ大学ぶらぶら学部』でのブックオフ像は、良くも悪くも2000年代という時代相との親和性が高い。その意味においてその偏りが指摘できる。つまり、次のように言えるのではないか。

すなわち、『ブックオフ大学ぶらぶら学部』におけるブックオフの肯定は、2000年代のブックオフの肯定ではあっても、それが同時に現在の変容を続けるブックオフを肯定するものにはなっていないということである。

実際、『ブックオフ大学ぶらぶら学部』には全体的に回顧的な論調が多く見られる。例えば、セドリ(ブックオフで買った本をAmazonなどで売り、利益を得る行為)を行う「せどらー」であるZの論考「ブックオフとせどらーはいかにして共倒れしたか」は一見すると「ロスジェネ」や「非モテ」とは関係ないようにも見えるが、この論考の最終的な着地点は、かつてせどらーが大量に存在していたブックオフへの回顧である。

たとえ、ブックオフが「ブックオフなのに本ねーじゃん!」とCMを打ち、総合リユース店へ変わっていこうと、せどらーは慣れ親しんだブックオフに固執することでしょう。ブックオフの店頭から最後の一冊が消えるまで、せどらーはせどり続けるに決まっています。

ここでは、現在の「総合リユース店」になっているブックオフをどのように肯定できうるのか、という視点はない。ここに2000年代的なるものとの連関が非常に強い『ブックオフ大学ぶらぶら学部』が描くブックオフ像の偏りがよく現れているのではないだろうか。

そこで次回以降は、どのようにすれば『ブックオフ大学ぶらぶら学部』が持つ肯定的な目線を現在のブックオフに向けることができるのかを考えてみたい。

戯画よりもグロテスクな

2022年3月1日
posted by 藤谷 治

第30信(藤谷治から仲俣暁生へ)

仲俣暁生様

仲俣さん、僕には判らないのです。僕がこの戦争についても、スラブ人の歴史や文化についてもほとんど何一つ知らないからでもあるでしょうけれど、もしかしたらこれは、世界中の誰もが判らないことなのかもしれません。

ロシア政府はこの戦争をして、なんになると思っているのですか。

ロシア政府の「当面の」目的は、僕にもおぼろげながら見当がつきます。彼らはウクライナに傀儡政権を作りたいのでしょう。NATO加盟に積極的なゼレンスキー大統領を暗殺し、「親ロシア派」の大統領を据えたいのでしょう。

そこまでは理解できます。しかしこれだけの物事が、それで終わるわけがありません。その先にロシア政府は、何があると考えているのでしょう。ロシア帝国の復活ですか。ロシア経済の発展でしょうか。どちらもありえません。帝国が復活したり経済が発展するには、まずそれを支えられるだけの資本力が、ロシアそのものになければなりません。今のロシアに周辺国へ恩恵を授けるだけの資本はありません。

カネではなく、他の利益が今のロシアに見込めるか。それもありません。今のロシアは大国ではない。大きいのは面積だけです。人口は日本とどっこいどっこい、男の平均寿命は70歳に届いていません。経済規模はアメリカの1州と同規模だという話も聞きました。

そのような国家を繫栄させようと思ったら、為政者はなんとかして経済を立て直そうとするもんなんじゃないでしょうか。自国内だけでなく、世界中を相手に商売をしなければならないのではないでしょうか。

ものの売り方を僕は知りませんが、なんにせよ商売は信用第一のはずです。愛想笑いや揉み手をする必要はないかもしれない。しかし商売相手に自国のブランドイメージを高める必要はあるでしょう? ロシア政府は、なぜそれをしないのでしょう?

僕みたいな安閑とした人間が首をかしげても、なんにもなりません。ロシア政府は隣国ウクライナに侵攻しました。ウクライナを破壊し、ロシア人もウクライナ人も殺しました。それは想像を絶する事態です。しかしそれ以上に恐ろしいのは、この侵攻が、いつかは終わる、ということです。どれくらい時間がかかるのか、どのようにして終わるのか、まったく見当がつきませんけれど、いつか、なんらかの決着がつくのです。

ウクライナが降伏するのか、ロシア軍が撤退するのか、あるいは戦域をもっと拡大させるのか、いずれにしても終わります。その「終わり」を、これを始めたロシア政府は、どのように幻視しているのか。僕にはそれが全然判らないのです。

戦争を始める為政者は、終わった後のことなど考えないと、どこかで読んだことがあります。そうなのかもしれませんが、それでも終わりはやってくる。

むこうに檜(ひのき)があるだろう。あれが目障りになるから取り払う。とその向うの下宿屋がまた邪魔になる。下宿屋を退去させると、その次の家が癪に触る。どこまで行っても際限のない話しさ。西洋人のやり口はみんなこれさ。ナポレオンでも、アレキサンダーでも勝って満足したものは一人もないんだよ。人が気に喰わん、喧嘩をする、先方が閉口しない、法庭(ほうてい)へ訴える、法庭で勝つ、それで落着と思うのは間違さ。心の落着は死ぬまであせったって片付く事があるものか。

唐突に『吾輩は猫である』の一節を思い出しました。クシャミ先生の前で長広舌をふるう哲学者先生は、この「西洋人のやり口」に比較して日本の文明を称揚し、

山があって隣国へ行かれなければ、山を崩すと云う考を起す代りに隣国へ行かんでも困らないと云う工夫をする。山を越さなくとも満足だと云う心持ちを養成するのだ。それだから君見給え。禅家でも儒家でもきっと根本的にこの問題をつらまえる。いくら自分がえらくても世の中はとうてい意のごとくなるものではない、落日をめぐらす事も、加茂川を逆に流す事も出来ない。ただ出来るものは自分の心だけだからね。

と続きます。もちろん、今の日本がこのような「心持ちを養成」しているとは、とても思えませんけれど。

ここまで書いて今ネットのニュースを見ると、ロシアの大統領(名前なんか書きたくない)は、とうとう「核戦力」までちらつかせだした、ということです。それが本気であれば、かの大統領を狂人と呼ぶのに僕は躊躇しないし、ただのハッタリ、脅しにすぎないのなら、あの男に権力を持つ資格はありません。

* * *

一夜明けました。2月最後の日です。インターネットからの情報には、日増しに信が置けないものが増え、テレビや報道機関の情報は、「専門家」の言葉が煮え切らない印象があります。

欧米はロシアの主要銀行を、国際的な決済システムから除外することを決定したそうです。日本もこの決定に参加するそうですが、このシステムは「SWIFT」というそうです。何の略称なのか僕は知らないし、これからも知ることはないでしょう。僕が知っているのは、ただ、『ガリバー旅行記』を書いたJonathan Swiftだけです。

……そして私は、世界の他の国の、人間の性質について、主人としばしば話しあったことを思い出す。他のことなら鋭い判断力を発揮するのに、話が「嘘」とか「虚偽の表現」のこととなると、かれは、私の言っていることを理解するのにたいへん骨をおっていた。かれはこう言った。話すことの効用は、たがいに意思疎通をし、事実に関する知識を得ることだ。しかし、もしも、だれかが、ないものをあると言ったら、その目的はだいなしにされる。相手を本当には理解できなくなるし、知識を得るどころか、白いものを黒いものと、長いものを短いものと信じてしまうのだから、無知よりも一層ひどい状態になる。これが、嘘の機能についてのかれの考えだった。人間のあいだでは、こんなことはまったく了解済み、当たり前のことだという。

つい去年「B&B」でじっくり読んだ『ガリバー旅行記』の文庫本が見当たらないので(よくあることです)、この言葉をエピグラフに引いているフィリップ・ロスの『われらのギャング(Our Gang)』(青山南訳)から採りました。『われらのギャング』は、ロスがニクソン大統領を徹底的に(異常なまでに徹底的に)戯画化した小説ですが、発表は1971年で、ウォーターゲート事件の前です。

政治的な事件が起こるたびに、僕はこの小説を思い出します。日本で政権が民主党から自民党に戻って以来のことを、この小説の手法で書いたらどうだろうと、僕はずっと夢想していました。けれども今は、その気持ちが萎えています。イアン・ブレマー氏(誰だか知りません)がロイター通信のインタビューで言っているように、この戦争はロシア政府の最高権力者である大統領が、アメリカの大統領、ドイツの首相、フランスの大統領に、侵攻の意図はない、これは軍事演習だと、嘘をついて始まりました。政治に嘘はつきものでしょうが、これはロシアの大統領が他国の首長に向かって、じかに、自分の口で、「白いものを黒いものと、長いものを短いものと」言ったのです。そのあまりにも厚顔な、原始的な、幼稚な政治手法によって、彼は自分の見も知らぬ人を、次々と殺している。殺すように人に命じている。そんな現実の、あまりのグロテスクさに、「戯画」を描こうとする筆は、いま、凍りついています。

第1信第2信第3信第4信第5信第6信第7信第8信第9信第10信第11信第12信第13信第14信第15信第16信第17信第18信第20信第21信第22信第23信第24信第25信第26信第27信第28信第29信第31信につづく)

遠景と日常

2022年2月27日
posted by 仲俣暁生

第29信(仲俣暁生から藤谷治へ)

藤谷治様

新作『ニコデモ』の感想をお伝えしようと思っているうちに、ロシアとウクライナの間で戦争が始まってしまいました。「戦争が始まった」といっても、ネットやテレビを経由して流れてくる情報や断片的な映像(そのいくつかは後でフェイクだと分かりました)を介してしか触れることができませんが、やりきれない気持ちになるにはそれだけでも十分です。

そんななかで前回の藤谷さんの手紙を読み返し、次のくだりにあらためて目をとめました。

人間にとって歴史とは遠景にすぎないのです。あるいは単に「事情」と呼んでもいいでしょう。よく小説や映画の宣伝文句に、歴史の渦に翻弄される人々、なんて書いてあることがありますが、人々が翻弄されるのは「渦」という事情があるからで、物語られるべきは「渦」よりも「翻弄」のありよう、そこにある人間の「渦」への対峙あるいは逃避の姿であるはずです。

藤谷さんが初めて歴史を描いたというこの小説には、奇しくも白系ロシア人の女性が登場します。この人の物語を読むうち、自分がこれまでの人生で出会った、二人のロシア系の(と思われる)女性のことを思い出しました。

一人は、御茶ノ水にある比較的有名なロシア料理店の、おそらくオーナーだった老婦人です。この店はいまもありますが、改装されてすっかり小綺麗になってしまい、オーナーも代わったようです。学生時代に私が通いつめていた頃はまだ、この店はそれこそ学生食堂のようなざっくばらんな建付けでした。窮屈な回り階段を地下に降り、きわめて狭いその店に入ると、カウンター席のいちばん奥にその女性はいつも腰掛けていました。そして来店する私のような学生をはじめとする若い客に、「たくさん食べなさい」と日本語で声をかけていたのです。

私はこの店のピロシキやボルシチの味が好きで、しかも値段もずいぶん安かったもので、何度も足を運ぶようになりました。どうやら常連と言えるくらいになると、もしかしたら自分は、この老婦人に会いたくてこの店に来ているのかもしれない、と思うようにもなりました。学生時代から一人暮らしを始めていたので、三度の食事も一人ですることが多く、人恋しさもあったかもしれません。この女性と個人的に話をする機会はなかったけれど、夢野久作や久生十蘭の小説などを読むなかでいつしか知った「白系ロシア人」とは、きっと彼女のような人のことを言うのではないかと思うようになったのです。

二人目に会ったロシア系の(もっとも、こちらは完全に推測ですが)女性は、独身時代の最後に住んだ家の大家だった老婦人です。ある事情で、代官山の鎗ヶ崎交差点の近くにある、ちょっと変わった構造の一軒家のうち半地下の部分を借りることになり、大家との面接がありました。借りようとしている家のすぐ近くに一人で住むその女性は、おそらく当時すでに80歳を超えていました。

家に上げていただくと、調度の豪華さに目を見張りました。西洋を舞台にした小説や映画にでも出てきそうな薄暗い部屋で、時代がかった家具も立派です。この家を借りる事情や、自宅兼事務所として行う仕事の確実性、つまりは支払い能力について話すことになり、勧められるまま柔らかいソファに座りました。ひどく甘くて少しぬるい紅茶が置かれた卓を挟んで私たちは向かい合っていました。そしてふと、彼女の背後に肖像画が飾られていることに気づいたのです。これまで個人宅でみかけたことのない、とても大きな縦長の肖像画が。

おそらくこれは軍服なんだろうな、とぼんやり思えるくらいで現実には見たことのない、立派な正装をした男性の立像でした。勲章もたくさん着けていました。誰を描いた絵なのか、大家にストレートにたずねる機会は逸しましたが、この絵の存在に気づいた後、この老婦人が日本人と白人のハーフ――という言い方はいまはするべきではないのでしょうが――であることにようやく気づいたのです。とすると、肖像画の男性は彼女の父親だったのではないでしょうか。

住みはじめてからこの大家はしばしば私の家にやってきて、雑談をする機会がありました。あるときなどは、自分は「まだライセンスがいらない頃」から自動車を運転していたのよ、道路には私の車のほか誰も走ってない時代だったのよ、と自慢しました。ワタシ、という言葉に独特のアクセントがあったことも、いま思い出しました(それにしても、いったいそれはいつの時代のことでしょう?)。結局この家には2年ほど住み、そこを出たあとに、私はいま住んでいる下北沢の町に引越してきたのです。

この家を引き払う最後の日、大家は銀の大きなプレートに載せたきちんとしたディナーと呼べる一品料理と、銀のポットに入れたお茶をもって私の家にやってきました。わざわざ自分の家から手にもって歩いて、です。二人で食事をした後、最後に彼女は転居後の私の前途を祝してくれました。「立派な仕事をなさって偉くなってください」。そのときの彼女の声が、御茶ノ水のロシア料理店にいたあの女性――その頃はもう、足を運ぶこともなくなっていましたが――の声と重なっていま思い出されます。

彼女たちの境遇について私が想像したことが、はたして正しいものであったのかはわかりません。二人とは直接、ロシアについて話をしたことは一度もないし、そもそも名前さえ知らないのです(というのも、大家にはいつも手渡しで家賃を払うよう求められていたし、不動産屋ではなく、とある知人を介して紹介されたため、正式な賃貸契約も結んでいなかったのです)。もしかすると彼女たちはロシア人ではなく、ベラルーシやウクライナの人だったのかもしれません。でもロシアについて、あるいは広い意味でのあの地域にまつわることで私が知っているのは、想像まじりのこんなエピソードともに思い出される、現実に会った二人の女性だけなのです。

そんな私には、ロシアとウクライナの間で始まってしまった今度の戦争について言えることは何もありません。ただ、もし自分の国が、あるいは住む町が、同じ運命に見舞われたら、自分はいったいどう振る舞うだろう、とは考えました。ネットやテレビで見る限り、ウクライナの首都キエフ(この名がロシア語によるものだということも、私は今回、初めて知りました)に住む人々は、ロケット弾を避けるため地下鉄の駅を防空壕にするなど、困難に見舞われています。そしてキエフにはいまやロシア軍が間近に迫っているようです。それでもキエフの人々は、日本の都会に暮らす私たちとさして変わらない日常生活を営んでいるようにも見えます(と書いたのは「開戦」後、キエフが最初の夜を迎えた頃でした。いま、この街では市民も武装しはじめ、市街戦も始まってしまったようです)。

いや、衣食住といった日常生活は、どんなときでも「さして変わらないように」営まれなければならないのです。どんな戦争も、その家の味噌汁の味付けを変えることはできない、といったのは『暮しの手帖』の花森安治でした。ロシアやウクライナという言葉から私が思い出すのも、ロシアにちなんだ二人の女性にかかわる食べ物の味だけです。小説を読むという体験も、そのときどきの日常のなかで食べたものの味と同様、ごくごく個人的な記憶にかかわるもののように思えます。

ところで、私は『ニコデモ』を読んで二つの小説を思い出しました。一つは、同じく音楽をテーマにしたリチャード・パワーズの『われらが歌う時』です。ヨーロッパ大陸の戦火と弾圧を逃れてアメリカに渡ったユダヤ人数学者が、音楽学生である黒人の女性と出会い、子どもが生まれて音楽一家を成す。長男ジョナは天才的なシンガーとなり、語り手である次男ジョゼフはピアニストに、そして末の妹ルースは彼らとはことなる音楽の道をたどります。

この長編小説を、私はある年の暖かい春の日に、上野の不忍池のほとりのベンチで半分まで、つまり上巻をまるごと読みました。物語の発端となる実際の事件、ワシントンDCにあるリンカーン記念堂の階段上で黒人歌手のマリアン・アンダーソンが歌った野外コンサートのイメージを、この場所で膨らませたのでした。『われらが歌う時』という小説は、そんな記憶とともに自分のなかに定着しています。そして藤谷さんの『ニコデモ』という小説をいつ、どのようにして読んだかも、私はこの先ずっと忘れないでしょう。

もう一つの小説はリュドミラ・ウリツカヤの『緑の天幕』です。B&Bでの年末恒例イベントに間に合わず、あのあとに読み始め、年明けに読み終えたばかりですが、この十年で屈指の感銘を私に与えてくれました。現代ロシア文学を代表する女性作家のこの長い物語は、スターリンが死んだ日から始まります。このときまだ少女や少年だった三人の女と三人の男が、それから30年以上のちのソ連崩壊までの長い時代をどう生きたか、という群像劇です。

「激動の二十世紀」という言い方は月次ですが、まさにこの時代を彼ら彼女らは、それぞれの運命とともに過ごします。ここでも男の一人は音楽家となり、最後はやはりアメリカに亡命し、いちばん長く生きのびます。それぞれの登場人物の造型には、もともと理系の研究者であり、小説家となる前には戯曲家でもあったウリツカヤ自身の姿や経験がずいぶん投影されています。でもこれは単なるソ連批判、共産主義批判の作ではありません。たしかに政治的な問題に巻き込まれ、不幸な運命をたどる人物もいます。でもこの小説を圧倒的に豊かなものにしているのは、スターリンの時代も「スターリン批判」後の時代も、さらにはソ連そのものが崩壊した後の時代にも、人は裏切られたり騙されたりしながらしぶとく日常を生きていくという、その変わらなさです。

いわゆる近代ロシア文学の古典、ゴーゴリやトルストイ、ドストエフスキーやチェーホフの作品をほとんど読まずに青年時代を通過した私にとって、ロシアの小説は心理的にずいぶん縁遠いものでした。でもウリツカヤの『緑の天幕』に描かれている20世紀のソ連で生きた人たちの姿は、私たちが文学作品や映画やポップミュージックを通じて親しんできた、アメリカやフランスなど西側諸国で同じ時代を生きた人たちと何ほども変わらない、私たちの隣人であり同時代人でした。藤谷さんの言うとおり、彼ら彼女らにとっても「激動の二十世紀」は遠景に過ぎず、そのすさまじい「渦」とどのように対峙したか、逃避したかが描かれた小説でした。

この手紙を何度も書き直しているうちにも、ウクライナの状況は刻々と変化しています。記事をアップロードした時点ではさらに変化していることでしょう。戦争というものを、私たちは自分自身では身に沁みてまったく知りません。高度に発達したインターネットやSNSといったテクノロジーが伝えるのは、フェイクニュースやプロパガンダ混じりの情報ばかりです。間違いなく言えるのは、いま戦場となりつつあるところにも、私たちとさして変わらない人が暮らしているということです。そして兵士として戦場にいる人たちにも、本来の「日常」があるということです。その人たちにいち早く「日常」が戻ることを祈りつつ、この中途半端な手紙を藤谷さんに送ることにします。

第1信第2信第3信第4信第5信第6信第7信第8信第9信第10信第11信第12信第13信第14信第15信第16信第17信第18信第20信第21信第22信第23信第24信第25信第26信第27信第28信第30信につづく)

第9回 ブックオフ肯定論を検討する(その2)

2022年2月1日
posted by 谷頭 和希

前回は、近年のブックオフについての言説を紹介した。これまで否定的に語られがちであったブックオフを肯定的に捉えなおし、その意味合いを積極的に語る言説が増えている。それらは、本連載で目指すブックオフの語り方にも近いものである。

今回からはそうした言説を具体的に見つつ、そこで何が語られ、そして何が語られていないかを考えてみたい。

『ブックオフ大学ぶらぶら学部』の反響

今回考えたいのは、前回にも紹介した『ブックオフ大学ぶらぶら学部』である。

ブックオフについての思い出がエッセイやマンガなどで展開されている同書の人気はすさまじかった。同書を出版した島田潤一郎によれば、「1ヶ月で2000部が売り切れた」という[1]。このような受け取られ方は島田も予想外だったというが、それだけブックオフについて考えることが多くの人に受け入れられ、待望されていたということだろう。

同書はそれぞれの論者がブックオフについての思い出を語りながら、ブックオフがそれぞれの人生にとっていったいどのような存在であったのか、その輪郭を浮かび上がらせる。

この本を執筆したメンバーは以下の8人である。巻末に載っている執筆者プロフィールから生年も合わせて掲載する。

武田砂鉄(1982)
大石トロンボ(1978)
山下賢二(1972)
小国貴司(1980)
Z(1977)
佐藤晋(1975)
馬場幸治(1976)
島田潤一郎(1976)

それぞれが、著述家や書店・古書店のオーナーである。古書店のオーナーが執筆者に名を連ねる様子は、かつて古書店のオーナーたちがブックオフを嫌ってきたことを考えると隔世の感がある。

ロストジェネレーションとブックオフ

ここで注目したいのは著者たちの生年である。全員が1972〜1982年の間に生まれている。これは、いわゆる「ロスト・ジェネレーション」世代にあたる人物である。「ロスト・ジェネレーション」はバブル崩壊後から10年間の間に就職期を迎えた世代のことで、2007年、朝日新聞上で行われた連載で命名された。定義によって生年に幅はあるものの、大まかな合意として、1970年〜1980年初頭生まれを指すことが多い。団塊世代の子ども、団塊ジュニアも多く含まれる世代である。「失われた世代」という命名からも分かるように、バブル崩壊後の就職氷河期に大学を卒業することになったため、定職に付くことができない若者も多く誕生し、「非正規雇用」という言葉が社会の関心を集めた

そのようなロスジェネ世代にあたる彼らがブックオフの思い出を進んで語ることは偶然のことではない。

例えば、法政大学大学院教授の真壁昭夫は次のようにいう[2]

日本経済が長期の低迷に陥った1990年代のバブル崩壊後、先行きへの不安を抱え、節約志向を強めていた人々にとって、ブックオフの登場は革新的だったのです。支出を抑えつつも小説や漫画、中古のCDなどを手に入れたい、という消費者の願望を叶えるのに重要な役割を果たしたといえるでしょう。

ブックオフが登場したのは1990年で、その数年後にバブルが崩壊した。ロスジェネ世代にとっての困難な時期が始まることになる。そのときにブックオフが現れたのである。ライターの雨宮処凛はロスジェネ問題を多く取り扱ってきたが、その重要なテーマに「貧しさ」があるという(雨宮処凛『ロスジェネのすべて 格差・貧困・『戦争論』』)。ここでいう「節約志向を強めていた人々」とは、もちろんロスジェネ世代以外の人々も該当するだろうが、それはロスジェネ世代にはより強く感じられていたのではないだろうか。

そのような世代による語りは、特に「貧しさ」という問題からのブックオフ像を強調することになるのではないか。

「貧しさ」とブックオフ

実際『ブックオフ大学ぶらぶら学部』を見てみると、著者たちが、貧乏であったがゆえにブックオフを頼みの綱にしていた、という記述がたびたび現れる。例えば、同書の発行人でもある島田潤一郎の次のような言葉である。

ブックオフはまるでセーフティーネットのようだった。社会に行き場のない人たちが集い、カルチャーをなんとか摂取しようとしていつまでも粘る場所。お金がなくても気軽に出入りできる場所は、図書館や新刊書店、コンビニを挙げるまでもなく社会にいくつも存在していたが、ブックオフがそれらの場所と決定的に違ったのは、一〇五円でなにかを手に入れることができる場所であったということだ。

そこで語られるブックオフは経済的に恵まれていない人に対しても安く本を提供してくれる存在である。そのような青春時代を支えてくれた存在こそがブックオフであり、むしろ「貧困」であることがブックオフの素晴らしさを際立たせるような側面を持っている。そのようなブックオフ像も決して間違いではない。そうでなければ、『ブックオフ大学ぶらぶら学部』がここまで売れることはなかっただろう。

しかし、『ブックオフ大学ぶらぶら学部』が描き出すブックオフ像に若干の偏りがあることは指摘されるべきではないか。

次回も同書を扱いながら、そこで語られるブックオフ像の偏りとそれによって生じる問題を考えていく。


[1] リサイクル通信「夏葉社、ブックオフを語る本「売れてます」」,URL= https://www.recycle-tsushin.com/news/detail_5436.php

[2] Business Lournal「ブックオフで本が足りない…なぜ在庫不足に陥ったのか?“古本”需要の急増に追いつかず」,URL= https://biz-journal.jp/2020/10/post_182471.html