本の魅力を本自身に語らせるしくみ

2018年3月1日
posted by 仲俣暁生

昨年から人文系出版社数社の編集者と「マガジン航」の発行元であるスタイル株式会社で、本にまつわる、あるウェブサイトの構想を進めてきた。私も運営委員会の一員として参加しているそのサイト、「Socrates-世界を生きる知恵」が本日公開となった。

Socratesは「世界を生きる知恵」というタグラインに相応しい本を出版社の編集者がみずから選び、そのなかでもっとも有効と思える部分の「抜書き」を、ネット上の記事に仕立てて公開していくという、ごくシンプルなサイトである。ここに集められた「知恵」には、抜書きの内容によって「こころの知恵」「働き方の知恵」「社会の知恵」「自然の知恵」「身体の知恵」のタグが付けられている。

「Socrates(ソクラテス)とは何か」でこのサイトのプロヂューサである竹田茂はこう書いている。

あなたが書店で書籍を立ち読みしている時に、たとえば、その書籍を作った編集者がスッとあなたのそばに寄り添い、「ええとですね、この部分をちょっと読んでみてもらえますか?」とアドバイスしているような状況をネット上で再現してみようと考えたのです。

ここぞ読むべき、と編集者が選んだ「抜書き」箇所を読んで、すぐにオンライン書店で注文するもよし、近くの書店に駆け込んで実物を確認もよし。とにかく本の「なかみ」そのもの(それは同時に、もっとも正確な「著者の声」でもある)との接点を、ネット上に設けることがSocratesの最大の目的である。いわばこれは、「本の魅力を本自身に語らせるしくみ」なのだ。

ネットに露出した本の「なかみ」の集合体

本にまつわるネット上のサービスとしては、すでにあまたの書評サイトがあり、そのほか書棚風のサービスや読書記録の共有(ひところ期待されたソーシャルリーディング的なものも含め)など、読者側に立ったものはかなり充実してきた。

それに対していまだ不足しているのが、著者や出版社からのコンテンツ提供である。新刊が出ると、出版社自身が発行するPR誌やウェブサイト、あるいは小説誌や文芸誌に、書評や著者インタビューが掲載されることが多い。こうした言説や周辺情報もその本や著者に関心をもつきっかけにはなるが、その本を読むかどうかを決めるにあたり決定的に重要なのは、言うまでもなくその本の「なかみ(コンテンツ)」である。

たしかに一部の出版社のサイト上では「立ち読み」ができるようになっているし、アマゾンも「なか見!検索 」という擬似的な立ち読みのしくみや、電子書籍のサンプル版を提供している。しかし特定のプラットフォームに囲い込まれたものでもなく、また出版社が個別で行うのでもない、本の「なかみ」の集合体のようなサイトは、これまで存在していなかった。

現在、Socratesの運営委員会に参加している出版社は、平凡社、筑摩書房、晶文社、白水社の4社。本日公開のサイトはこの各社にNTT出版を加えた5社8冊の「抜書き」からスタートするが、今後随時、登録される本も出版社も拡大していく予定である。

運営委員会の委員長である平凡社の西田裕一は、「Socrates(ソクラテス)とは何か」のなかで、スタート時のSocratesのサービスについて「はからずも、著者の方々の主張を積極的に広げていくという、出版の原点に近いものになりました」と述べている。この試みに、多くの出版社や著者が賛同してくれることに期待したい。

第7回 「紙vs電子」はWin, Lose or Draw

2018年2月23日
posted by 中野晴行

イメージ通りではなかった電子コミック時代

第1回の「出揃った電子コミックのプレイヤーたち」から連載をスタートしてまもなく一年が経つ。第1回では、コンテンツホルダーでもある出版社が本格的に電子コミックに舵を切ったことでいよいよ本格的な電子コミック時代が来る、ということを書いた。

たしかに電子コミック市場は右肩上がりを続けている。逆に紙の出版物は部数、金額ともに縮小に歯止めがかかっていない。予想通りといえばその通りなのだが、現状は思い描いていた電子コミック時代とは少し違っている。

肝心の「電子コミック」の未来像がよく見えてこないのだ。原因は三つある。

一つ目は、配信の中心になっているのが無料コミックアプリだということだ。無料コミックアプリはコミックを売るのではなく、コミックでお客を集めて、コミック以外の広告やスタンプを売るビジネスと考えたほうがいい。コミックはおまけみたいなものだ。配信元は内容の良し悪しよりも、いかに広告収入を挙げることができるのかを考えているし、無料でおまけを読み始めたユーザーにとっては、コンテンツは無料で享受できるのが当たり前になってきている。これでは、コンテンツビジネスとは呼べない。

二つ目は、出版社の電子コミック戦略がいまひとつわからないことだ。豊富なコンテンツを武器に市場拡大に乗り出すのかと思いきや、雑誌がマンガの中心だった時代と同じように、ウェブの新連載に注力して、せっかくの財産を埋もれさせている。もちろんウェブ連載からもヒット作は出ているが、過去のストックをうまく使えば、その何十倍もの収益が期待できるはずなのだ。この状況は、技術的には圧倒的に優位にありながら、その技術の活かし方がわからないまま、アメリカのベンチャー企業やアジアの新興国に後れを取ってしまった、日本の家電メーカーの末路とどこか似ている。

三つ目は、収益化は紙で、という考え方が当然のように語られていることだ。電子は無料で配信して、紙化したものが売れることでようやくリクープできるというわけだが、結果として、本来ならば紙の属性から自由なはずの電子コミックの文法が、紙の属性に縛られたままになっている。韓国で生まれたスマホ向けの新しいマンガ「ウェブトゥーン」も日本にやってきたとたん、紙で出版することを考慮してコマを縦に並べただけのものが多くなった。韓国のようにウェブで完結できていないのだ。

つまり、「紙から電子」という看板は立派だが、マーケティングも表現も紙のまま、という不思議な状態がこの一年の間、続いていたのだ。

読者が求めるのは電子? 紙?

もう一つ気になっているのは、読者の反応だ。

教えている大学で学生を対象にしたアンケートを行ったり、レポートに「紙のマンガは消えるのか?」というテーマを出すと、学生のほぼ全員が「紙のマンガはなくならない」「紙のマンガのほうが好き」という反応を見せる。韓国からの留学生でさえも「ウェブトゥーンよりも日本の紙のマンガが好き」という答えだ。これまでマンガ市場縮小の理由として言われてきた「若者のマンガ離れ」は、現実とは違うのではないか。

学生にアンケートをして、もう一つ面白い反応があった。それは先ほどの韓国からの留学生だ。「自分にとってウェブトゥーンは暇つぶしで、ゆっくり読むなら紙のマンガ」というのだ。1話目からビューを稼がなくてはならず、1話あたり5分程度で読まれることを想定しているウェブトゥーンでは、複雑な物語設定が難しく、スケールの大きな伏線の多い作品は成立しにくい、ということらしい。両者が別物だということを留学生に教えられたようなものだ。

いずれにしても、「紙のマンガ表現が若者は古臭いものになってしまった→だから、紙のマンガの魅力が失われた→そのためにマンガ市場が縮小した→紙のマンガは滅びて、スマホで読む電子コミックの時代になる」という論法は間違っている。それだけではない。この連載でも書いたように、スマホが電子通信デバイスの最終形態であるという保証はどこにもないのだ。新しいデバイスが登場したとき、スマホで読む電子コミックそのものが過去のものになる危うさを秘めている。これで、電子コミック時代到来と言えるのか。

紙と電子の売り方の違いとは

電子コミックを含めたマンガの未来を作るための方法は、老舗の出版社や大手ITベンチャー系の配信会社が気がついていないだけで、必ずあるはずだ。小規模の出版社や配信会社の中には違う動きがあるのではないか。

今回は、電子小説、電子コミックを手がけるユニークな電子書籍製作会社と、ひとり雑誌社として独創的なマンガ雑誌を作り続けている個人を取材して、コンテンツ作りに関わる人の本音を探ってみた。

はじめに紹介するのは株式会社リ・ポジションの柳瀬勝也社長だ。リ・ポジションは、出版社と契約して電子書籍の製作受注を行うほか、「夢中文庫」のレーベルでBL、TLと呼ばれる女性向け連載小説の電子出版事業を自社展開する会社だ。「夢中文庫」のタイトル数は約450点。最近になって、女性向け恋愛コミックやエッセイコミックの製作配信もスタートさせている。配信は無料でなく有料である。

「夢中文庫」のトップページ。

本社は東京の木場にあるが、電子書籍の製作は、福島県にある子会社リポジション郡山が行っており、こちらのほうが主力部隊になっている。

「郡山のスタッフは女性が中心。我々の仕事は別に東京でなくてもいいのです。地方のほうが家賃も安いし、いい人材が選べるのも魅力です」と語る柳瀬。実は、電子コミック関連の会社を取材していつも疑問に思っていたのが、ほとんどの会社が東京都心の真新しいビルにオフィスを構えていることだった。IT化でもっと地方が活用できるはずなのに、IT系企業がそれをなぜ実践できないのか、と感じていたのだ。このことだけで、リ・ポジションには好感が持てる。

柳瀬が電子書籍編集の仕事をはじめたのは2012年。はじめは製作受注の仕事だけだったが、スタッフが育ってきたことや編集を外注できる先も増えたことから自社の電子出版にも踏み切ったという。

そんな柳瀬に電子コミックの現状はどう見えているのだろうか。

柳瀬 僕自身は「コロコロコミック」に始まって、ずっと紙で読んできていますから、紙への思い入れは強いんです。試験的に「夢中文庫」のオンデマンド出版もにも取り組んでいます。ただ、そもそも紙と電子では売り方が違うんです。そこを理解されてない人が多いのではないでしょうか。

——具体的にどこが違いますか。

柳瀬 僕らにとってはタイトル数を増やすことがまず必要です。タイトルが増えると、たとえば電子書店で半額キャンペーンをやったときに旧作の売り上げがドーンと増えて収益につながります。そういう収益モデルなんです。これまでの紙の出版だと、とにかく毎月毎月休まず新刊を出していかないと利益が出ませんよね。出版社は新刊を出す代わりにどんどん旧作を絶版にしていく。コンテンツが資産という考えが希薄なんです。僕らは、すぐに売れるかどうかは別にして、コンテンツのストックを積み上げていくわけです。

もう一つはボリュームですね。1巻や1話のページ数は紙より少なくていいんです。僕らの場合、基本は書きおろし作品です。単行本で書き下ろす作家さんの負荷を下げる意味でもページは多すぎないほうがいい。巻数もそれほど増やさないようにして、10巻くらいで完結させてます。紙だと、それなりの厚みが必要ですし、巻数は長いほどいいことになりますよね。電子だと完結記念のキャンペーンを打つタイミングも大切なので、そこそこの巻数のほうがいいわけです。

また作家さんたちに言っているのは「ツイッターやフェイスブックでわざわざ宣伝しなくてもいい」ということです。電子の場合、作家さんが自分のまわりに拡散したってそれほど売れるわけではないんです。電子書店でキャンペーンを展開して、そのバナーが目立つ位置に来るように工夫するほうがはるかに効率的です。紙の本の場合、サイン会やって、講演会やって、手売りしていく部分が大切だと考えられていますね。そのせいなのか、出版社の人が作家さんのフォロワー数を気にすると聞きますけど、ちょっと努力の方向が違うような気がします。

柳瀬が言っているのは、これまでの出版が扱ってきたのはコンテンツを詰めた出版物というモノであり、電子が扱うのはコンテンツそのもの、という実に単純なことだ。ところが、単純な区別ができないまま「紙から電子へ」と大騒ぎしているのが電子コミックの現状なのだ。紙は紙、電子は電子と区別した上で、それぞれの現在と未来を語らないことには、問題点も解決方法も見えてこない。

優良なコンテンツのストックこそ財産

柳瀬の言う「コンテンツのストック」という点で圧倒的優位に立っているのは既存の出版社だ。紙の出版がピンチと言われているが、出版社の編集者たちは意外に落ち着いている。企業体としての出版社にはまだ余裕があるからだ。それは、コンテンツという資産を持っていることからくる余裕だ。

さらに、新しい資産を生み出すノウハウを持っているのも出版社だ。出版社の資産でも、不動産は切り売りしていくといずれゼロになる。しかし、コンテンツは仮に全部売ってしまっても、新しく作り出すことができる。会社ごとコンテンツが売られても、新しいコンテンツを生み出すノウハウを持った編集者は新しい経営者にとっても金の卵を生むガチョウになりうる。

そこまでわかっていながら、売り方の部分で旧態から抜けられず、正しい手法に気が付いていないというのなら問題だ。

さらに、コンテンツを扱うという立場から、柳瀬は無料マンガアプリがひっぱる電子コミックのあり方にも疑問を投げかける。

柳瀬 僕は無料配信ではなく有料配信にこだわっています。作家さんが苦労して作り上げたものをこっちの都合で無料配信するのはいけないと思うんです。それに、広告収入や著作権ビジネスで収益を上げることを考えるよりも、作品を買ってもらうほうが確実だし、収益も上げやすいはずです。ビジネスとしての面白みもあります。僕はこの仕事を始める前に芸能系のブックキング仲介の仕事をしていて、大手のプロダクションとも仕事をしてかなりの儲けがありましたけど、やめました。右から左に動かすだけでお金になっても、面白みがないからです。

投稿作品などを集めて低コストでつくったものを、タダで配ってそこに貼りつけた広告で稼ぐというのは、タレントを右から左に動かして儲けるようなものです。効率的なのかもしれないけど面白くない。

——有料ということになると、読者を満足させる必要が出ますね。無料の暇つぶしとは違ってきます。

読者の満足は、むしろ当たり前ですよね。僕らは、いいコンテンツをたくさんストックしたいのです。それがビジネスにつながるのですから。編集者の存在は欠かせませんし、当然、作家さんへのギャラについても考えています。紙のように初刷部数にあわせた印税がない、というのは電子の一番のネックです。うちの場合は、保証印税みたいな形でお支払いすることもやっています。食べていける作家さんの裾野も広がっているし、作家を目指す人にとっても電子書籍はチャンスが大きい。今は、僕らのように小さい会社でも存在感を示せる面白い時期なんだと思います。

紙の出版社も電子書籍関係者も、ビジネスのあり方をよく理解しないまま、大きなパイを求めて動き始めて、行くべき方向を見失っている。一方で、リ・ポジションのような小さな会社は、自分たちの会社の収益モデルを堅実に考えている、小さいところほど収益モデルを見誤った時のリスクが大きいからだ。柳瀬の発言に私は未来の電子コミックの未来に光明が見えるように感じた。

電子コミック時代に生き残る小さな雑誌

では、紙の出版に目を向けてみよう。

「紙は終わりだ」と言われ続ける中で、「ひとり出版社」と呼ばれるような小規模な版元の元気がいい。立春の2月4日に世田谷区桜新町で小さな出版社による「ポトラ」というブックフェアが開催され、わたしも足を運んでみたが、大規模なブックフェアにはないような熱気で、何よりも展示されている一冊一冊の本の存在感に驚かされた。思わず手に取りたくなり、買って帰りたくなるのだ。「紙は終わりだ」というのはどこの国の話かと思うほどだ。

マンガの世界にも長年地道な活動を続けているひとり出版社がいくつもある。山上たつひこや宮谷一彦ら1970年代に活躍したマンガ家の作品の単行本化に取り組んでいるフリースタイル、三条友美や中川ホメオパシーらカルトなマンガ家の単行本化に取り組むおおかみ書房、今回取材した総合マンガ雑誌「キッチュ」もその一つだ。発行人兼編集人の呉ジンカンは台湾出身。日本に留学して京都精華大学に学び、現在は京都嵯峨美術大学で教壇に立つという経歴の持ち主。日本、中国、韓国、台湾在住者を対象として京都から新人マンガ家のデビューを支援する「京都国際漫画賞」の審査員を務めるほか、日台のマンガ交流にも積極的に関わっている。

そんな呉が2009年から年1冊ペースで刊行しているのが「キッチュ」だ。いままでの執筆陣はベテランの山田章博やひさうちみちお、斎藤なずな、さそうあきらから、ムライ、モサパサ、スケラッコら若手まで幅広い。題字は、時代劇マンガの巨匠・平田弘史が揮毫している。小説やコラム、評論にも力を入れていて、特集では『ガロ』や台湾マンガも取り上げている。また、7号からはワイズ出版創刊第一号として、同社を通して書店流通にも載せた(2018年春にはワイズ出版第二号を発売する予定)。めざしているのは創作と娯楽の狭間。

「キッチュ」創刊第二号。

それにしても、印刷や流通にコストのかかる紙の雑誌を個人で出し続けるこだわりはどこからきているのだろうか?

 僕自身は電子が嫌だとは思いませんし、紙へのこだわりが強いわけでもありません。掲載しているマンガは「キッチュ」のポータルサイトで画像入りで紹介したりしています。こだわりはないのですけど、あえて言えば、人と会ったときに「こういうことをやってます」と自己紹介がわりに出すのに便利、ということがあるかもしれません。電子だとサイトにアクセスしてもらわないといけませんが、紙の雑誌なら手渡すことができます。原稿をお願いするときも、形のあるものを見てもらえるので説明が早いし、マンガ家さんにとっては紙のほうがモチベーションが上がる、という利点もあります。多様性があるという意味ではいろんなコンテンツが一冊にまとまっているのもいいですね。電子だといろいろ入っていても読むのはそれぞれバラバラですよね。

やはり、紙の特性は「形のあるモノ」ということなのだ。先に紹介したように、アンケートを取った学生たちに紙のマンガが好きな理由を聞くと、「形があって置いておける」という答えが大半を占める。

「やがて紙の本はレガシーなものになって、装丁や紙に凝った高価なものだけが残る」という人もいる。わたしも一時期はそう考えていたことがあったが、考えが変わった。読者が紙の本に求めているのは、骨董品やコレクションとしての価値ではない。中身があって形があることに意味がある。つまり紙であることが価値なのだ。雑多さが求められる雑誌はなおさらだろう。

呉の言うのも柳瀬と同じことだ。紙と電子では違う。どちらがエライのでもなく、どちらもいいところがあり、足りないところもある。

 台湾は、日本のマンガが早くから入ってきて、人気もとても高いのですけど、マーケットが狭いので、台湾のマンガ家の中でマンガだけで食べている人はほとんどいません。その点、日本には紙のマンガの大きな市場があって、そこに電子まで登場した。うらやましい、というか、そんな日本にいられるのがたのしい。

呉が言うとおり、われわれが考えるべきは、紙をいかにして電子に移行させるかではなく、それぞれの持つ特性を知りながら、それぞれの特性の中でマンガというコンテンツをより面白い方向に育てるか、ということなのだ。創作と娯楽の狭間でもがきながら……。

デジタル版「本で床は抜けるのか」について

2018年2月20日
posted by マガジン航

本誌で2012年から2014年にかけて連載され、2015年には単行本化された「本で床は抜けるのか」の電子書籍版の販売に関して、ボイジャーから下記のステートメントが発表になりましたので転載いたします(「マガジン航」編集部)


西牟田靖 著 デジタル版「本で床は抜けるのか」について

この作品は書籍として、本の雑誌社から2015年3月発売されました。価格は1600円(税別)。そして、今年3月23日に中央公論新社から文庫本、価格800円(税別)で発売が行われる予定です。文庫化に際して中央公論新社は電子書籍の発売も行うとのことです。

西牟田靖著「本で床は抜けるのか」は、Web雑誌・マガジン航において2012年4月17日から2014年7月10日まで連載が行われました。Web雑誌・マガジン航は、当時ボイジャーの100%支援のもとに活動・運営していたこともあり、単行本化される際にデジタル出版はボイジャーから販売されることになりました。デジタル出版の価格は、単行本の売上への心配から低く設定することはできず1200円(税別)とし、2015年6月18日発売開始いたしました。

中央公論新社から電子書籍の販売が行われる予定との情報は、2017年11月に作家・西牟田靖さんから伝えられました。そして、西牟田靖さんはボイジャーでのデジタル出版の継続を強く望まれました。

はたして、同じ作品のデジタル出版が2社の版元から販売されることが可能なことかどうか、私たちは検討いたしました。作家・西牟田靖さんとボイジャーとの間で締結されたデジタル出版に関わる契約において、ボイジャーはデジタル出版をまだ相当期間配信・販売する正当な理由を保持していることが確認されました。これは排他的な権利でもあり、契約上ボイジャーは他社のデジタル出版を市場から排除する申し立てのできる立場でありました。

一方で、このような権利主張が何をもたらすかの冷静な判断も必要です。私たちボイジャーは、作家・西牟田靖さんがもっとも有益にこれからの創作活動を推進されることを願う気持ちでいます。作家活動の範囲は広くあり、デジタル出版は全体の売上のなかではまだまだ少なく、作家の新たなる創作活動を支援する原動力になり得ていません。そうである以上、何よりも作家に対して、また読者に対して、混乱を与える行動は慎まなければなりません。その観点から、ボイジャーはこの際、デジタル出版から本作品の撤退を表明したい旨、作家・西牟田靖さんにお伝えすることになりました。

ここに至ってなお、作家・西牟田靖さんはボイジャーでのデジタル出版の配信・販売の継続を願われました。この作品が生まれる経緯を考え、またデジタル出版に際して協力を惜しまなかった私たちの活動に強い印象を抱いてくださったからです。この事実についてはデジタル版「本で床は抜けるのか」の「あとがき」に記されていることでもご理解いただけることでしょう。この「あとがき」は以下よりご覧いただけます。

https://r.binb.jp/epm/e1_70425_13022018171236/

作家・西牟田靖さんの意志を十分に受けとめ、私たちは以下の通り結論することとなったのです。

1.デジタル版「本で床は抜けるのか」はボイジャーのRomancerストアにて販売を継続する。

2.自社直販Romancerストアでのデジタル版「本で床は抜けるのか」の価格は自由に決める。

3.現状、その販売価格は250円(税別)とする。

4.この新しいスタンスでの発売は、2018年2月20日(火)とする。

5.ボイジャーは、2018年2月19日以降、直販Romancerストア以外での販売を中止する。

私たちボイジャーは、西牟田靖 著 デジタル版「本で床は抜けるのか」を引続き自社直営Romancerストアで販売する者として、本作品が広く、低廉に、読者の方々に閲覧されていく活動を継続してまいります。一人でも多くの読者に、この情報が届けられることを切に願うものです。

株式会社ボイジャー

第1回 アマゾンがリアル書店を展開する思惑

2018年2月9日
posted by 大原ケイ

ニューヨークに2軒できた「アマゾン書店・ブックス」(アマゾンが展開する実店舗)をこのところ何度か訪れた。1店はセントラルパークの南西端に位置するコロンバス・サークルにあるショッピングセンターの中に、もう1店は目の前がエンパイア・ステート・ビルという立地で、ショッピング客が多い34丁目界隈にある。通りすがりの観光客なら立ち寄る人もいるだろう。

普段からアマゾンでネット通販を利用している人なら、アマゾンの名前が路面店に冠されているのを見て興味をひかれるかもしれない。だが、ここはよく本を読む人にとってなんの魅力もない場所に思える。ずっとこの違和感の正体を考えている。

アマゾン・ブックスのコロンバス・サークル店(撮影:大原ケイ)。

マンハッタンの34丁目店(撮影:大原ケイ)。

ニューヨークの本屋は次々に廃業

2017年の11月にアマゾン・ブックスの第1号店がシアトル郊外のモールの一角にできてから、いよいよアマゾンが全米に残りわずかなインディペンデント書店を潰しにかかったか、と恐れる報道も一部には(特になぜか日本で)見られた。このまま全米に最大で数百の店舗規模を考えている、と早とちりした不動産関係者のリークもあったが、そんな予想に反して、アマゾン・ブックスは最初の一握りの店舗がオープンした後は「開店準備中」も含めて16店で止まっている(2018年1月末現在)。

アマゾン・ブックスは現在、カリフォルニア州に2店舗、ニューヨーク州、マサチューセッツ州、ワシントン州に各2店舗、イリノイ州、オレゴン州、ニュージャージー州に各1店舗を展開。さらに近日中にメリーランド州、テキサス州、ワシントンD.C.にも開業の予定。

2008年秋のリーマン・ショック以降もまったく地価が下がらないニューヨークでは、イーストビレッジにあったセントマークス書店も、珍しいクックブックを集めたボニー・スロトニク書店も、力尽きてクローズしてしまった。マンハッタンはもう薄利多売の本屋さんが店を回していけるような場所ではなくなってしまったということだろう。いまもがんばってる書店は自社ビルだったり、長期リースがまだ切れないだけで、家賃の値上がりや店主後継者がいないために廃業や移転を余儀なくされている店が後を絶たない状況だ。

アマゾンがその気になれば全米一の書店チェーンを展開することなど容易いことだろうに、アマゾン・ブックスはなぜ雨後の筍のように増えていないのだろうか? その間にもアマゾンはオーガニックスーパーのホールフーズを買収したり、無人レジ店を設置している。そうした積極的な戦略の中では、むしろそのスローペースのほうが気にかかる。やはり、アマゾンは全国に「ブリック&モルタル」と呼ばれるリアル書店を大々的に展開する気はなさそうだ。

店舗の設置を通して欲しかった現場の情報は、既存のアマゾン・ブックスを通して既に入手しているのかもしれない。あるいは、これまで店舗を構えてきたシアトルやボストンといった都市部の不動産物件は、最初から10年契約が当たり前で、そんなに悠長にデータ集めに時間をかける必要はないと判断したのかもしれない。本棚を見て回っても、こうした考えばかりが浮かんで来て、そこに並んでいる本に集中できない。見た目にはかなり小奇麗で洒落た空間であるはずなのに。

電子書籍や音声アシスタント端末も陳列

アマゾン・ブックスでは本はほとんど全てが平積みか面陳だ。それをきれいに浮かび上がらせるLCDライトが仕込まれた本棚は特注だろう。雑誌の棚があり、座り心地のいいレザーの椅子が置かれた様子は、飛ぶ鳥をも落とす勢いのあった頃のバーンズ&ノーブルを偲ばせる。ジャンルのレイアウトもわかりやすく、ディスプレイは黒を基調としたトーンで統一感がある。なによりも、面陳のおかげで首を傾げずに本を眺められる(英語の本は「背差し」だとタイトルが横倒しになるため、つい首が右に傾ぐ)。

すべての本は表紙を前に向けた、いわゆる「面陳」で並ぶ(撮影:大原ケイ)。

他の書店と違うところといえば、アマゾンが展開するハードウェア製品が集められている点だ。2012年にリテール(量販店)のライバルであるウォルマートやターゲットからキンドル商品を引き上げて以来、店頭でアマゾンのガジェットを売っているところがなくなっていた。

いまや何世代ものバラエティーが揃った電子書籍リーダー「キンドル」や、タブレット「キンドルファイア」、人工知能アレクサを搭載した音声アシスタントである「エコー」、映画やドラマ、スポーツなどが楽しめるデバイス「ファイアーTVスティック」などが並べられている。

「キンドル」シリーズの各種端末(撮影:大原ケイ)。

音声アシスタントの「エコー」も陳列(撮影:大原ケイ)、

昨年の暮れからアマゾンはひっそりアマゾン・インドで独自のスマートフォン、「10.or」 (Tenor テノールと呼ぶらしい)を売り出した。これがインド限定とは思えないので、いずれ全世界でも発売するだろうし、そのときにこそ、アマゾンが開発した新しいスマホを手にするためにITギークな人たちがアマゾン書店にやってくるというわけだ。すでにアマゾンのガジェットコーナーには書店員とは別の担当者がいて、客のニーズを聞きながらキンドルを選んだり、エコーでできることを詳細に説明してくれる。

アマゾンが開発する格安スマートフォン、「10.or」の公式サイト

これこそ他のリテールでショールーム機能が果たせないアマゾンオンリーのガジェットを売るために、つまり実際に客に触って試してもらうためにアマゾンが作りたかったリアルな「場」だろう。だが、スマホを売るためにわざわざ書店を作ったとは思えない。ハードウェアの陳列・デモだけならば、グーグルがやっているような期間限定のポップアップ・ストアで事足りる話だ。アマゾンはリアル書店で何をしようというのか。

プライム会員への誘導が目当て?

ニューヨーク市内の2店から判断すると、店の広さは100坪前後、在庫はマスコミを通じて約5000タイトルと報じられていたが、もう少し少なく、3000タイトルぐらいとみた。同じ規模のインディペンデント書店ならこの3倍近いタイトルを揃えているだろう。売れ筋の本だけを厳選、つまりオンラインストアのホームページを眺めているような気になる。

本の値段はプライム会員ならオンラインと同様、かなりのディスカウントで買える。プライム会員ではない人には小売希望価格(定価)だ。アマゾンほどでなくとも、売れ筋の本を何割か安く買うことに慣れているアメリカの客には高く感じられるだろう。そこですかさずレジ係が声をかける。「いまこの場で1ヶ月無料のプライム会員にお試し入会していただくと、ディスカウント価格になります」と。だからこの書店はアマゾンのプライム会員誘致キャンペーンの場だとも言える。

アマゾン・ブックスの書店員の仕事は楽だ。IT企業特有のフレンドリーな接客さえできていれば、客が探している本は手持ちのタブレットで調べてそのタイトルがある場所さえ突き止めればいいのだし、棚になければ「ぜひぜひオンラインでお求め下さい」と勧めておけば取り寄せ注文をとる必要もない。本のことを誰よりもよく知っている書店員、などというのはアマゾン・ブックスには無用なのだ。もしかしたら「店員」そのものも。

アマゾンは、本社のお膝元であるワシントン州シアトルに、レジのない無人コンビニ「アマゾン・ゴー」を一般客に向けてオープン(社員限定の店はあった)した。さらに「アマゾン・フレッシュ」という、ネット予約しておいた新鮮な野菜を指定時間にドライブスルーで受け取れるという新形態のスーパーも始めている。都市部のプライム会員相手に注文したものを1時間内に届ける「プライム・ナウ」というサービスもある。

その一方で、ロジスティックスの中抜きもスケールが大きく、アマゾン専用の貨物用ジャンボジェット機を数十台リースしていたり、中国の工場から直接商品を受け取るための貨物船会社の免許もとっている。無人ドローンの実験も行い、ジェフ・ベゾス社長は宇宙に有人・無人のロケットを飛ばそうと、ブルー・オリジンというベンチャーのエアロスペース会社を作った(月からもオーダーできる日も遠くないのかも)。

アメリカは「出版不況」ではない

アマゾンが「ディスラプション(創造的破壊)」をもたらそうとしているのは、グローバル規模の「リテール」そのものであり、全米にわずかに残ったインディペンデント書店を潰すというような“ちゃちな”目的は持ち合わせていないだろう。そう思うと、「アマゾン・ブックス」と名乗っているこの店は「本屋の仮面を被った」何か別のものだという気がしてならない。

思えば、アマゾンが最初にオンラインで売り出したものこそ「本」だったが、それはリテール全体に投じた最初の石でしかなかった、と、いまなら思える。その最前線に立たされた「書店」が、どうアマゾンを迎え撃ってきたか。いまもどう戦っているのか。この短期集中連載では、もう少し突っ込んで考えてみたい。

米国内の書店は、本能的にそのことを見抜いているが故に、アマゾン書店が次々とオープンしても、自分たちの店が潰れるとは思ってはいないようだ。その一方で、店舗数で国内第4位だった「ブック・ワールド」というチェーン店が経営破綻に追い込まれたばかりでもある。あまりニュースにはなっていないが、最大手バーンズ&ノーブルも新たな展開を試しつつある。そしてインディペンデント書店と呼ばれる街角の小さな本屋さんも、マンハッタン以外の場所でまだまだ元気に息づいている。

「出版不況」という言葉を英訳しても、この街の人たちには通じない。

(短期集中連載・つづく)

神保町ブックセンターは本の町を再起動させるか

2018年2月1日
posted by 仲俣暁生

神保町交差点の角に立地し、ながらく「岩波ブックセンター」の名で親しまれてきた信山社は、同社の代表取締役会長だった柴田信さんの急逝により、2016年11月に休業・破産手続きにはいった。その後、用途が宙ぶらりになっていた「本の町」の一等地の行方には、多くの人が期待や不安とともに、関心を寄せていたことだろう。

2016年11月に休店した直後の信山社(岩波ブックセンター)。

この岩波ブックセンターの跡地に、「神保町ブックセンター with Iwanami Books」(以下、神保町ブックセンターと略記)という施設が今年4月に開業することを、その運営主体となるUDS株式会社が1月31日に発表した。広い意味での「本の施設」としてこの場が続くことを知り、私もホッとした気持ちになった。

プレスリリースによると、神保町ブックセンター は書店・コワーキングスペース・喫茶店の複合施設であり、「本を中心に人々が集い、 これからを生きるための新しい知識・新しい仲間に出会える”本と人との交流拠点”となる場」として企画・設計・運営されるという。同センター内には、日中は喫茶店で夕方以降は酒も楽しめる「本喫茶」や、コワーキングスペースや会議室などからなる「仕事場」があり、後者のワークラウンジでは岩波書店の本や著者のイベント、連続講座、読書会などが定期開催される予定だ。

プレスリリースで披露された神保町ブックセンターの内観パース。

神保町ブックセンターの運営には、東京・下北沢の本屋B&Bの共同経営者で、青森県八戸市の市営施設、八戸ブックセンターを手掛けた実績をもつNUMABOOKS代表の内沼晋太郎さんがアドバイザーとして関わることも同時に発表された。

神保町ブックセンターの事業主体となるUDSは、まちづくりにつながる「事業企画」「建築設計」「店舗運営」を事業内容とする企業で、東京のほか滋賀県近江八幡市にも事業所をもっている。株主は小田急電鉄であり、日本全国で商業施設、ホテル、住宅、公共施設、子ども関連施設などの企画・設計、運営に関わってきた。また「京都食べる通信」「滋賀食べる通信」も発行している。

「ブックセンター」とはなにか

神保町という「本の町」の中で、たんに本を売るだけではない「本の場所」をどのように位置づけ、活かしていくのか。八戸ブックセンターを昨年春に訪問した後、「マガジン航」に寄せた短い訪問記のなかで私はこんなことを書いた。

八戸ブックセンターは、さしあたり書店と図書館の中間的な施設といってよいと思う。さっさと本を選んで買って帰ってもらうのではなく、むしろ館内で本をゆっくり読めるような環境を整えている。読みたいだけここで読み、もしも気に入って本を持ち帰りたくなったなら、買い上げてくれればいい。そんな距離感を演出しているように思えた。

同じこの記事で私は、八戸ブックセンターが「読むこと」と「書くこと」の循環を生み出す場所をめざしているとも書いた。八戸のこの施設を訪れたことで、そのような循環が促される、経営的にも持続可能な「ブックセンター」が日本中のどんな町にもあったらよいとも考えるようになった。もちろん、東京にも――。

「アートセンター」が美術館も劇場もミュージアムショップもレジデンスも包含した施設でありうるように、本にまつわるさまざまな活動ができる場所のことを、「ブックセンター」と呼ぶのはとてもいい。表向きの看板は書店でもいいし、図書館や広義のライブラリーでもいい。ブックカフェでも飲み屋でも、本のあるコワーキング・スペースでも宿泊施設でもいい。それらすべてを包み込む、ゆるやかな概念として「ブックセンター」というものが定着してほしい。

もちろん神保町は「本の町」であるだけでなく、日本有数のビジネス街でもあるし、いまなお学術や文化にとって大事な町でもある。神保町ブックセンターが、どんな立場の人にも開かれた、文字どおりの”本と人との交流拠点”になり、この町を――そして身動きができなくなりつつある日本の出版界を――再起動させるきっかけとなってくれることに、心から期待したい。