第6回 ブックオフが街のイメージを変えることだってある

2020年12月8日
posted by 谷頭 和希

ブックオフの書棚にはその街の姿が現れる。今までの連載で書いてきたことだ。

先日、ブックオフ秋葉原店を訪れたときのこと。

秋葉原駅のすぐ近くにあるこの店舗は6階分あり、古本のデパートとでもいうようなたたずまい。ここまで広いブックオフはなかなかない。ビルの大半がブックオフなのだ。

一階には家電やブランド品が売られ、ここがブックオフであることを忘れそうになる。近くにフロアマップがあったので見てみると、驚くべきことが書いてあった。

「6階・ライトノベル 5階・アニメイラスト集」

「ライトノベル」や「アニメイラスト集」が一角を占めているのだ。ここは秋葉原。他のブックオフにはないコーナーも、ここなら頷ける。この店舗風景もまた、「ブックオフはその街を映し出す」こととして語りうるのだろう。

しかし、私たちはここでさらに考えねばならない。

「これを売ったのは誰か」

2回前の連載で、『小林秀雄全作品』を売った者を想像したように、今、私の目の前に広がっている「ライトノベル」や「イラスト集」を売ったのは誰なのかを想像したいのだ。この答えのひとつとして考えられるのは、次のようなものだろう。

「秋葉原に来たオタクたち」

私たちが今まで考えてきたことを踏まえるならば、こう答えるべきだ。その街にいる人がブックオフの書棚を決定するのだった。しかしこの答えに対しては、いくつか反論が来そうだ。

「秋葉原にオタクはそんないるのか」

もっともである。そんなにいるのか。『電車男』が小説・映画版共に話題になり、「秋葉原=オタク」というイメージが根付いたのが2000年代中頃のこと。すでに10年以上前である。もちろん実際にオタクと呼ばれる人たちが多く存在したために、そうしたイメージが付着したのだろうが、それにしてもこのイメージはステレオタイプな気もする。

現在の秋葉原の街は、真の意味でオタク文化の発信地というよりもインバウンド需要で増えた外国人が手軽に「クールジャパン」を感じることのできる街になっているような気もする。

事実、秋葉原の街を歩いていると目に付くのは、オタクの人々よりも、外国人の存在の方である(とはいえ、コロナウイルスの流行拡大によって外国の人々も減ってきてしまったのだが)。

しかし、もっと重要なのは次のような指摘だ。秋葉原にオタクがたくさんおり、そしてそういう者らがライトノベルやアニメのイラスト集を持っていたとしてだ。

「オタクたちは秋葉原まで本を売りに来るのか」

全てのオタクが秋葉原に住んでいるわけではないだろう。そんなことはないはずだ。だとしたら彼らはわざわざ秋葉原までそうした書籍を売りに来たのか。

そうなるとすごい。つまりこういうことだ。

「オタクたちは書籍をかついでブックオフに売りに来た」

トレーニングだろうか。いくらなんでも辛すぎる。だとしたらオタクたちはかなりの努力家である。彼らは秋葉原という街のイメージに合わせるように、わざわざ重い書籍をかついで秋葉原のブックオフへやってきたのだ。

ブックオフ論のコペルニクス的転回

しかし、考えればわかるように、そんなことはない。オタクたちに、そんな義務はない。実際、秋葉原のブックオフの書棚を見てみると、明らかにそれとは無関係の本たちもいる。例えば、こんなものだ。

『水墨画歳時記』

まあ、たしかにイラスト集といえばイラスト集になるのかもしれないが、秋葉原で売っているイラスト集とは一線を画するだろう。なんといっても「水墨画」だ。その隣にはこんなものもある。

『染衣』

染色家、古澤万千子の作品集である。箱入りでものものしい感じがする。というか、「水墨画歳時記」と「染衣」が並んでいるブックオフの棚とは一体なんだろう。この棚は「美術」と書かれたプレートが置いてあり、その名の通り美術に関する本がずらりと並んでいる。「Le Louvre」などという、ルーブル美術館の所蔵品が永遠に紹介されている分厚い本なども売っている。だれが売ったんだ。

ここは秋葉原なのだろうか。いや、たしかにここはブックオフ秋葉原店だし、秋葉原店だというぐらいなのだから、秋葉原なのである。しかし、この書棚だけ見ていると、なんだかここは全く秋葉原ではないような気もする。

ここで私はあることに気がついた。とても大事なことだ。

「ブックオフは街のイメージによって作られているだけではない」

そもそもこの連載がブックオフと都市を結びつけて考えすぎだったのかもしれない。いや、でも、街とブックオフにある程度の関連性があることはなんとなく分かってきたことである。それはいままでの連載でわずかだが語ってきた。いや、だとすればこうは考えられないか。

「ブックオフが街のイメージを融解させる」

店に入ったとき、私は秋葉原のステレオタイプに囚われてその書棚を見ていた。しかし、いつの間にかブックオフの書棚が、秋葉原のイメージを融解させていた。現に私は、秋葉原について、「オタク」というイメージを超えたイメージを持ち始めている。それは次のようなものだ。

「『水墨画歳時記』や『染衣』を読む人がいる街」

いったいそれはどんな街なんだ。いや、それが秋葉原だということに違いはないが、イメージがわかない。しかし、そういうことなのだ。

私は今まで、街がブックオフに影響を与えていることについて書いてきた。しかし、もしかすると私たちは、「ブックオフが街のイメージを変えること」にも想いを馳せねばならないかもしれない。

私の脳内でいま、秋葉原のイメージは大きく塗り替えられたのだった。

(続く)

ロビンソンからの便り

2020年10月31日
posted by 仲俣暁生

第24信(仲俣暁生から藤谷治へ)

藤谷治様

春先に新型コロナウイルスの感染症対策として日本全国に緊急事態宣言が出された頃に、藤谷さんから往復書簡のお返事をいただいた後、半年もそのままにしていました。10月の初めにいただいた二つ目のお手紙に答える前に、半年間の逡巡についてお話するべきだと思い、まずそのことから書きます。

この往復書簡は「マガジン航」というウェブサイト上に公開されることを前提に書かれています。そしてこの半年間、僕がずっと悩んでいたのは、このサイトをこの先どうしようかということでした。藤谷さんへの返信を書くことより、その土台となるこのメディアの行く末を考えあぐねており、それで返事もままならなかったのです。

また僕の当初の目論見では、この往復書簡は(タイトルにも謳ったとおり)「編集」と「創作」と「批評」という三つの足場をめぐって、いわばトライアングルを形成するようなかたちで進行するはずでした。しかし藤谷さんにとって僕は(光栄にも)「文芸評論をする者」としてもっぱら映っていたようで、そもそもここが良くも悪くもボタンの掛け違いの始まりでした。「創作」と「批評」をめぐって、あるいは「批評」そのものについての本質的な考察をすべきお訊ねをいただき、手が止まってしまったのも事実です。

ところで、私は文芸作品に関しては編集者として関与しないこと、つまり創作の過程には決して立ち会わないことを、仕事上のモラルとして決めています。文芸作品に対しては外在的に、つまり無責任な「読者」の立場でのみ関わりたいからです。その意味で藤谷さんが僕を(文芸の)「編集者」として認識しないのはまったく正しいのですが、しかし僕は同時に「マガジン航」というメディアの編集発行人でもあります。この往復書簡の場では文芸評論をする者としてだけでなく、出版をとりまく状況に対するジャーナリスト、つまり編集者としても発言したいと考えていました。

今年の春先に新型コロナウイルスの感染者数が指数関数的に増えていた頃、僕はこれほどまで早くに日本社会に平穏が戻ってくるとは予想もしておらず、一種の軽いパニック状態にありました。緊急事態宣言が解除された後も、非常勤で教えている大学の講義がすべてオンラインに移行したため、家から出ることの少ない日々を送ることになりました。そのうちに〈出版をとりまく状況〉そのものにも関心を失ってしまったのです。

どうやら現実には、コロナ禍のなかで人々はこれまでより足繁く書店に足を運んでいたようですが、社会生活の大半が平常に戻った後も「いまは非常時である」という感覚が残っています。

もう少し率直な言い方をするなら、この夏から秋にかけて僕が考えていたことは、「マガジン航」というサイトそのものを終わらせてしまおうか、ということでした。電子書籍という新しいビジネスが登場したことで、出版という営みはどう変わっていくのか、そのなかで著作者や読者にはどのような新しい機会が生まれるのか。そのような創刊当初の問いや関心に対しては、自分のなかではあらかた答が出てしまったからです。

アマゾンやグーグルといった、「マガジン航」が創刊した2009年の段階でさえ十分に大きな存在だったIT企業は、いまでは本や出版の未来に関わるどころか、ある意味では国家を凌駕するほどの力をつけ、世界の経済を支配するプラットフォームになってしまいました。電子書籍という素朴な夢をそのもとで語ることに、いまの僕はほとんど意味が見いだせずにいます。

他方、出版をめぐる状況にもまったく明るい兆しはありません。そのなかでできることは〈状況を語る〉ことではなく、一人のプレイヤーとして振る舞うことしかない。だから「マガジン航」で僕は、この往復書簡以外の文章を書くこともすべて止めてしまいました(友人や知人からの寄稿は別として、記事の更新自体も止めました)。その問題に関しては、本当にもう何も書くことはないと考えていたからです。

ところで、この長い沈黙の時間のあいだに僕がやっていたのは、藤谷さんが有り難くも先の手紙で話題にしてくださった、久しぶりの著書を最終的なかたちに仕上げる作業でした。

物書きとして、つまり〈一人のプレイヤー〉として本にかかわることは、〈状況を語る〉こととは違った具体性があります。編集者やデザイナーと打ち合わせをしたり、校正用のゲラに赤字を入れたり、まえがきやあとがきを書いたり、見本が出来上がればその手触りと重みに充実感を覚えたりすることの一つひとつが、大げさでなく、生きることのよろこびと結びついていました(さらに言えば、たとえオンラインであっても、大学で非常勤講師として教えることのなかにも、具体的な手触りとよろこびはあります)。

今回のお返事では、あの本の内容そのものには踏み込みません。藤谷さんが指摘してくれた文学論としての弱点(欠落)については、続編である次の作家論集で多少なりとお答えできると思います。いまお伝えしたいのは、久しぶりの文芸評論集を編集者やデザイナーと作り上げていくプロセスのなかには、〈状況〉の厳しさとは関係なく、人を勇気づけるものがあったということです。

これは藤谷さんが先の手紙で書いていた、次の言葉といみじくも響き合います。

小説家というのは、少なくとも僕の信じるところでは、めいめい勝手なことをやっている職業ですから、「文芸シーン」という全体像を俯瞰することはできないし、それが沈滞しているかどうか、僕には判断もできません。さして大きな関心もない、とも言えます。シーンが沈滞していても、僕自身さえ沈滞していなければ、何も問題はないからです。

僕自身、もし「物書き」としてだけ出版の世界と関わっていたならば、同じように考えたでしょう。しかし僕は残念ながら「編集者」でもあるのでした。編集者であるということは、僕の考えでは、ジャーナリストであることと同じことです。文芸評論はいわば文芸についてのジャーナリズムですから、僕のなかでは「マガジン航」の編集発行人であることと、文芸評論を書くことは矛盾なく両立しています。そして「文芸シーン」の沈滞と、出版をめぐる状況の見通しの暗さは、やはり無縁ではないのです。

こんどの僕の本では、個別の文芸作品を深く読み解くというよりは、いささか解像度は粗いものの、遠い山なみの稜線を望むような、あるいは夜空の星をいくつもつないで星座を見出すような、そんな本の読み方を提示したつもりです。ともあれ、あの本を世に出すことができたおかげで、現在の〈文芸シーン〉に対する自分の考えをわざわざ説明する必要がなくなりました。これからは本自身が、僕のかわりにそれを読者に語ってくれるのですから。

それで少しだけサッパリした気持ちになり、この「マガジン航」をどうするかをあらためて考えました。やめるのと、続けるのとどちらが簡単かを、テクニカルな部分で世話になっている会社の人に相談もしました。ウェブメディアというのはあんがい面倒なもので、更新をやめるとしても、それまでに蓄積してきた記事をどうするかという悩ましい問題が発生します。一切合切、すべてを消去してしまうのであれば話は簡単なのですが、そこまで思い切ることが僕にはまだできません。

そこで、ひとまず「マガジン航」はこれからもマイペースで(これまでも十分にそうでしたが)続けることに決め、ようやく藤谷さんにお返事ができる気持ちになったところです。

ここまでが二つ前の手紙への返信です。そして一つ前のお手紙に関しては、こんなかたちでお答えしたいと思っています。

一週間くらい前に、下北沢の古本屋で100円均一棚に置かれていた小林信彦の『小説世界のロビンソン』を手に入れました。奥付にたくさん書き込みがしてあり(山本貴光さんのいう「マルジナリア」です)、それが面白くて買ったのですが、本文のほうにもすっかり読みふけってしまいました。

この本の親本が新潮社から出たのは1989年3月で、もとになった『波』での連載は昭和60年代の終わり、1984年から87年にかけて書かれています。刊行当時の小林信彦はちょうどいまの僕らと同じくらいの年で、それからもう30年以上が経ち、元号もまた変わりました。まさに「一世代」が過ぎ去ったわけです。

この本は小林信彦の個人的な読書史にもとづいた小説論=文学論で、刊行当時にすでに手にしたような記憶もぼんやりあるのですが、中身はすっかり忘れていました。忘れていましたが、ここに書かれている主張に、当時の僕ならば(20代半ばでした)両手を挙げて賛成したと思います。

小林信彦がここで主張しているのは、純文学とエンタテインメント小説との間に本来は壁などなかったということ、物語のもつ「面白さ」を失い痩せ細った純文学は、もはや特権的な座にはいられないということ、それに気づかないでいる鈍感な文芸評論家はもはや必要とされておらず、すぐれた小説作品はすでに〈読者との直接取引き〉をしているということです。こうした考え方は1989年にはけっこう新鮮だったし、いまも同じように考える人は多いでしょう。なにより、僕自身がそのような考えをもっていました。

ところで、いまも小説は〈読者との直接取引き〉をしているでしょうか。批評や〈文芸シーン〉といったものを介在させることなく、そのような〈取引き〉が行われているのであれば、どんなにか健全なことだろうか、といまの僕は思います。

この本の表題が「ロビンソン」という語を含むのは、当時の小林信彦が自分をロビンソン・クルーソーのような孤立した存在だと感じていたからでしょうか。今度の僕の本でも、小説家(文学者)はいま孤立している、と書きました。そして人は孤立しているのが常態である、とも。僕自身、読者の少ない物書きとしては孤立を感じていますが、反面で、文芸評論を書くことは孤立した星々をつなげ、自前の星座をつくる仕事でもあります。

そしてそれは、編集という仕事も同じなのです。

「マガジン航」は寄る辺のない海を漂う小さな舟のようなメディアだし、いまのところ藤谷さんとの往復書簡以外に、これといってやりたいこともありません。なので、もうしばらくこの対話を続けさせてください。

第1信第2信第3信第4信第5信第6信第7信第8信第9信第10信第11信第12信第13信第14信第15信第16信第17信第18信第20信第21信第22信第23信第25信につづく)

 

小説的官能について

2020年10月6日
posted by 藤谷 治

第23信(藤谷治から仲俣暁生へ)

仲俣暁生様

仲俣さんの『失われた「文学」を求めて 文芸時評編』(つかだま書房)を拝読しました。それを機にこの往復書簡を、こちらから無理やり再開させて頂きます。

この一冊から得られるものは、恐らく著者が意図している以上に大きいのです。読者はそれぞれ、自分の関心や問題意識に対する刺激を得るでしょう。それは文学への関心に限りません。むしろ、社会の動向や現代の進み行きを見つめながら、文学のことはさして重要とも思っていない人たち、つまり世の大半の人たちにとって、これは目を見開かされる評論であると思います。

僕も大いに刺激を受けました。このひと月ほど、小学館のサイトに連載中の小説(『ニコデモ』)を書きあぐねて苦しんでいたのですが、この本を読みながら、いつの間にか体内が活性化されて、今はとにかく書いていこうという、蛮勇を得ました。小さなことではありません。

これを書いている今は、2020年の10月2日の午後10時です。これは恐らく、後世にとってはやや興味ある日付になることでしょう。就任して何週間かしか経っていない菅総理大臣が、昨日(ではないのかもしれません)、日本学術会議の提出した新規会員候補のうち、かねて政府に批判的な論考を発表している学者六名の任命を拒否しました。これは僕の空想ですが、新首相は、この任命拒否がマスコミに取り上げられるような大きな問題にはなるまい、せいぜい学者たちが象牙の塔の中で騒ぐ程度だろうと、タカをくくっていたのではないでしょうか。それがNHKでも民放のテレビでも大きく取り上げられたのは、彼らの愚かな計算違いであったように思えます。任命を拒否された学者はもちろん、各方面から批判が出ています。学術会議からも拒否の理由と改めての任命を求める要望書が出されるようです。

しかし、今の時点ではこの問題がどのように決着するかは判りません。

と同時に、今日の午後、まだ日の高いうち(日本時間では、ですが)に、トランプ大統領が新型コロナウイルスに罹患したというニュースが飛び込んできました。側近の女性スタッフが罹患し、検査を受けたところ、大統領とその夫人が陽性だったとのことです。症状は軽く、執務も行えるとホワイトハウスはコメントしていますが、鵜呑みにしていいものかどうか。ついこのあいだ日本の首相官邸は、安倍晋三氏の健康に問題はないとコメントしていたのです。全世界が知るように、それから間をおかず安倍氏は内閣総理大臣を「病状悪化のために」辞職しました。

観光業を助けるための「GO TO トラベル」なる制度が東京を対象に含み、昨日の東京証券取引所はシステム障害のために丸一日すべての取引を停止し、このひと月に人気も実力もある俳優が三人も原因の明らかでないまま自殺を遂げました。とりわけ僕は、6月から毎月あるという、三浦半島を広範囲に襲っている「ゴムの焼けるような」異臭が気にかかっています。

これらすべてが、今夜の時点では未解決です。今年の春先から全世界を覆い、なおえんえんと続いている「コロナ禍」の諸相が一切未解決であることに至っては、もう人々は未解決であることに飽いてしまっているようです。

時事的な、ジャーナリスティックな問題(というか、話題)を考えることは苦手な僕でも、さすがに認めるほかはありません。今年2020年は、1968年や2001年にも匹敵する、歴史的な結節点になる年と見なされるに違いないと。もうすでにそのように扱われ、研究の対象になっているのかもしれません。

トランプの大統領就任、村上春樹の『騎士団長殺し』、又吉直樹の芥川賞受賞、カズオ・イシグロのノーベル文学賞受賞、横綱力士暴行事件、群像新人賞受賞作の文章類似問題、オウム真理教事件の死刑執行、雑誌「新潮45」廃刊、ハン・ガンの『菜食主義者』ブッカー賞受賞、そして平成の終わりと、「あいちトリエンナーレ」の展示中止。

『失われた「文学」を求めて』を読みながら、そこで多少なりとも扱われている、その時々のトピックスを、ほとんど懐かしい思いで振り返りました。忘れかけていた話題も少なくありませんでした。2010年代後半の主だった時事問題を、ただ記録しておくだけでも、それは意味のあることだったのだと思います。

しかしあの時評には、もちろんそれらがただ記録してあるのではありません。それらの問題と、同時期に発表された文学作品を、小説だけでなく、評論、翻訳、マンガ、評伝、雑誌など、多方面にわたって取り上げて論じているのは、不勉強な僕にとって参考になるだけでなく、自分も生きたはずのあの数年間を思い出すよすがともなりました。

そしてまた、同時代にとっての文学の役割、というようなことも考えました。

「日本の文芸シーンは現在、まごうことなく沈滞している」と、この本の最初の時評にあります。「だがその沈滞は、小説家が書くべきことを失ったからではない。書くべきことがありながら、そこから目を背けているか、書きうる技能あるいは勇気が欠如しているからだ」。これは帯文にもなっている一節です。

この本の各文章には末尾に執筆時期が記されており、この一節のある文章には「記2016年10月」とあります。今からわずか4年前であり、この本を読み通しても、その後に日本文学の沈滞期は終わった、というようなことは書かれていませんから、沈滞する「現在」は今も続いている、ということになるのでしょう。

小説家というのは、少なくとも僕の信じるところでは、めいめい勝手なことをやっている職業ですから、「文芸シーン」という全体像を俯瞰することはできないし、それが沈滞しているかどうか、僕には判断もできません。さして大きな関心もない、とも言えます。シーンが沈滞していても、僕自身さえ沈滞していなければ、何も問題はないからです。

しかし自分の書いてきた小説、今書いている小説を思うと、「書くべきことがありながら、そこから目を背けているか、書きうる技能あるいは勇気が欠如している」小説家として、僕はその筆頭に挙げられなければならないでしょう。僕は現代が抱えている膿や病巣を描かず、歴史にも世界情勢にも縁のない小説ばかり書いています。弱者の声に耳を傾けず、権力者の横暴にもポピュリズムにも抗議しません。追い詰められた人たちの存在を知らないのでも、怒りを覚えないのでもなく、まさに「そこから目を背け」「書きうる技能も勇気も欠いている」のです。

もちろんだから僕は文学者失格だ、自分の書くものは紙の無駄だ、などとは微塵も思いません。むしろ窮鼠猫を噛む、かえってこんな風に思います。書くべきことから目を背けず、勇気と技能でもって現代と向かい合っている文学というのは、小説の面白さのある側面を達成している文学、ということではないのかと。小説というのは、もっと多様な面白さを提供できるものではないのかと。

『失われた「文学」を求めて』の中でとりわけ印象的だった部分に、星野智幸氏について語ったという、大江健三郎氏の言葉と、それに続けて仲俣さんが書いた文章があります。大江氏の、「本来、文学史には小説的思考力と小説的想像力のせめぎあいがあって、今、小説的思考力は少し衰弱しているんじゃないかと私は思う」という言葉に続いて、仲俣さんはこう書いています。

「いま文学に必要とされているのは、想像力の土台となる思考力であり、それを正確に展開するための知性のはずである。」(204ページ)
「残念なことに、知性と思考力に裏打ちされた真の想像力を、現在の日本文学(とくに純文学)の領域で探すことはきわめて困難になってしまった。知性の土台となるのは冷静な現実認識のはずで、煎じ詰めればそれは自らが身を置く世界に対する認識ということになる。しかし冷戦終了後、日本の知識層(当然ここには文学者が含まれる)の多くが冷戦期の思想的枠組みのうちに閉じこもり、急激に変貌していく世界の姿を正確に描き損ねてきた。」(205ページ)

自分の小説の読者として、僕は自分の小説に、仲俣さんの考える「文学に必要とされているもの」が決定的に欠けていると、認めるほかありません。想像力は多少あるようですが、知性と思考力は決定的に不充分です。そのために出来上がったものが、現実認識として不徹底なものになってしまっているのは、小説を書き上げるたびに感じます。

しかしそのうえで、つまり自分の小説を棚に上げたうえで思います。小説には、小説的思考力と小説的想像力だけでは足りない。そこには少なくとももうひとつ、「小説的官能」とでも呼ぶべき要素がなければいけないのです。

それはもちろん、セックスや「お色気」の話なんかじゃありません。性的な要素も含むでしょうが、もっと大きな概念、官能という言葉の本来的な広がりに即した概念です。すなわち目で見、鼻で嗅ぎ、口で味わい、耳で聴き、手で触れ、足で踏む、ということ、そしてそこから敷衍することで立ち現れる、経験の一回性のことであり、個々の人間の結びつきのことです。母の手料理や猿の毛並み、恋人の冗談や風呂の湯加減のことです。

実を言うと、僕の小説にはこの小説的官能すら欠けているので、あまりエラそうなことは言えないのです。2011年の震災――まさに頭ではなく、まず足が、足と耳が感じたあの鳴動にうろたえて以来、ずっと僕はこの小説的官能をどうやって書いていくか、それこそ「技能と勇気」を傾注させているのですが、まだ実現できていません。

思考力より想像力より、小説にとって最重要なのは官能だ、などとは思いません(そんな主張は「考えるな、感じろ」というのと同じくらい、無反省な精神論でしょう)。けれども文学を、思考力と想像力ばかり重要視して判断するのは、二本足の椅子の座り心地を判断するような結果になりはしないでしょうか。

僕はこの本の著者が、小説的官能に鈍感だとはまったく思いません。この中で複数回取り上げられている小説家、すなわち星野智幸や古川日出男といった書き手が、どれほど小説的官能に満ちた小説世界を創り上げられるものか、僕もよく知っています。とりわけ僕は、多和田葉子の小説に満ち満ちる小説的官能には、畏怖を覚えています。こんな凄まじい小説を書ける人間が同時代にいるのではたまったものではないと、ある時期から積極的に読むのをやめたほどです。読者を委縮させる才能というのは、それが圧倒的であるからにはやむをえない側面かもしれませんが、こっちは面白くありません。『失われた「文学」を求めて』で取り上げられた2冊は、読むつもりです。

著者はだから、小説的官能は受け止めているはずです。しかしその受け止めた官能に対して、充分に自覚的ではないように思います。もっといえば、官能に軸足を置いて文学を評価することを、仲俣さんは照れ臭く思っているように感じます。

しかし無意識あるいは無自覚であろうと、仲俣さんが小説的官能をよく知っていて、それを評価軸にさえしていることは、この本の中からも読み取ることができます。

とりわけ注目すべきなのは、仲俣さんがここで提唱している「ド文学」という現代文学の一傾向です。

ド文学とは何か。それは「『文学とはこのようなものであろう』という一般読者の期待によく応える」ものであり、「そのような受容のされ方によって文学として認知されてしまうような作品、およびそれを可能とする状況のこと」(62~63ページ)とあります。

このような作品、そして状況に着目し、指摘し、批判したのは、この一冊の大きな価値だと思います。読者が「文学とはこのようなものであろう」と、な~んとなく思ってしまうのは、読者が文学を「所与のもの」、つまり自分(たち)が読む前から、あらかじめ存在しているものと決めてかかっているからです。

読者はそれでもいいのです。「このようなものであろう」という安心感は、文学に市場価値を与えるものでもあります。

しかし創作者はその安心感にあぐらをかいてはいけない。というか、自分が創作する以前から存在するような所与の範囲内で何を作っても、それを創作とは言わないのです。星野、古川、多和田といった創作者は、それをよく知っているし、古谷田奈月氏や佐藤正午氏も恐らく理解しているでしょう。

そしてこの「ド文学状況」は、官能も遠ざけてしまうのです。官能が思考力や想像力に拮抗するほど重要であるのは、それが人間の振る舞いを反復から引き剥がすからです。私の耳が懐かしむ海の響きは、ヴァレリーの耳が懐かしむ海の響きでは決してなく、私が触れた女の髪は、川端が触れた女の髪ではありえない。そうでないなら、どうであるのか。それを無明から探り出すのが文学であり創作であり、小説的官能というものなのです。

もっとあれこれ書きたいのですが、夜が明けてきてしまいました。ひどく尻切れトンボで勝手なことばかり書いてしまいましたが、体力が続きません。だいいちもう長すぎます。いきなりですがこれでやめます。「あとがき」に予告されている「作家論編」の上梓を心待ちにしています。それでは。

第1信第2信第3信第4信第5信第6信第7信第8信第9信第10信第11信第12信第13信第14信第15信第16信第17信第18信第20信第21信第22信第24信につづく)

絶望を編集する

2020年5月19日
posted by 堀 直人

なぜ、わたしは、本をつくるのだろうか。おそらくその理由は、絶望しているからなのだろう。わたしが望むものは、生きているうちには、たぶん手に入らない。デザイナーだったわたしは、本をつくった。編集者になったわたしは、政治にまみれた。その歩みのなかで、絶望しながら、一筋の希望として、未来のこどもたちにセーブデータとして本を残したい。持続可能な社会を求めている。それは、いつかだれかが「理想」にたどり着いてほしいからなのだろう。

絶望を希望に変えていく物語

遡ること、10年前。2010年、それは、この国が変わろうとした時代だった。しばらくして、わたしたちは、正しく変わることは難しいことに気づく。挑戦して失敗するくらいなら、このままでよい。こうして、時が止まったまま、いまに至る。変わろうという問いかけは、もう響かない。しかし、事態は10年前より深刻だ。

さらに遡れば、およそ20年前の地方分権一括法の成立。わたしたちのまちは、わたしたちでつくる。そう、魂を燃やした人たちがいた。その10年ほど前には、バブル崩壊。判断を先送りすることにしがみつき、幻想にまどろめば、ますます状況は悪化するばかり。しかし、幻想が長引くほど、存在意義が揺るぎかねない過去を、心得者は誰も否定できなくなっている。そして、わたしたちの思考は静止した。

わたしも、変わらなければならない。そのように、考えていた。いや、もちろんいまも変わらなければならないと思っているが、パラダイムシフトの過程で、大きな苦しみが生まれることを知ってしまったのだ。その恐怖を目の前にして、足がすくんで、尻もちをついた。しかし、あきらめるわけにはいかない。少しでも先に、ちょっとでも前に進んで、次の世代へ襷を。淡々と凡庸にやっていく覚悟を決めるやいなや、COVID-19(新型コロナウイルス感染症)がその苦しみをもたらした。

失われた10年で自信を失い、失われた20年で希望を失い、失われた30年、わたしたちは何を失うのか。それはまだ、だれにもわからない。だけど、わたしは、失われた30年で幻想を失いたい。

わたしが絶望しているのは、COVID-19に対してではない。わたしの絶望は、やればできるんだという自信が、明日はもっとよくなるという希望が、この国にはないことに対してだ。この国にあるのは、自分たちだけは間違ってない、自分たちだけはなんとかなるという根拠のない幻想だから。もう、見てみないふりをするのは、やめませんか。

いま、止まっていた時間が、動きはじめている。経済、政治、学問、この国の幻想が、バレはじめている。気づいてしまった人たちが、オンラインを武器に集結しはじめている。なぜなら、いま変われるか変われないかで、わたしたちが生き残れるか否かが決まるからだ。

そして、そのあとに、少し成長したわたしたちが待っている。見えにくくなっていたものに、意味を見いだそう。ポストコロナの一皮むけた社会を、いまこそ、多くの人とともに構想することはできないだろうか。

あたらしい「冒険の書」をつくる

答えのない複雑な時代に、わたしたちは何をすればよいのだろうか。いまこの瞬間も、災禍の最前線で働く人たちがいる。一方、素早くフローしていく経済が止まった。COVID-19が、強制的にあらゆる「量」を減らした。都市に集まって効率よく暮らしていた人たちの多くが、家のなかで先の見えない日々を過ごしている。

そのころ地方は、終焉を迎えた。中央と地方には、「イベント」という大きな情報格差があったが、「オンライン化」によって、情報とつながりを交換する場にそびえ立つ地域の壁が崩壊した。情報という視座から言えば、「中央/地方」の構図は急速に融け出しているのだ。なかなか進まない、ややもすると課題設定を誤った地方創生。地方が創生するまえに、地方という概念自体が消失しようとしている。その結果、グローバルな軽量化できる「意味」は、ローカルでも享受できるようになる。しかし、ローカルにある軽量化できない「意味」は、グローバルには享受できない。たとえ少数意見であっても、誰かにとって明確に「意味」のある場所は、これからも残り続けるだろう。

COVID-19の災禍が訪れる前から、上述の構想を語る人たちがいた。その構想が、一気に現実味を帯びている。ステイホームのわたしが、いまできること。それは、長期にわたって、その未来構想を語っていた人たちを見つけ出し、いまのうちに、そのセーブデータを残しておくこと。つまり、未来の最前線に備える準備だ。

本をつくろう。久しぶりにそう思った。

しかし、いままでのようには、本をつくれない。複雑な環境下で本をつくるには、アジャイルな出版、オープンイノベーションによる出版が求められる。あらゆる対立を超克し、多様な意見な止揚させながら仮説を打ち立てていく。小さく素早い失敗と検証を繰り返す出版、対話(関係性)と編集(戦略)の両輪でプロセスを価値にする参画型の出版、この2つの出版展望が、解なき複雑な時代の出版を拓くのではないか。

出版のプロセスを編集する

その出版展望を分解すると、4つの方針から構成される。①取材のイベント化/②出版のアジャイル化/③関係性のプロダクト化/④書籍のプロセス化である。

1つ目にあたる「取材のイベント化」について、オンラインイベントとしての公開取材という形式を用いて、全7回のシリーズで開催する。このシリーズでは、COVID-19によってパラダイムシフトが迫られている「観光」「政治」「アート」などのこれからについて、本のつくりかたのこれからとともに、考えていこうとするものである。

第1回のテーマは、「持続可能性 × ポストコロナ」。地域の現場で対話の場をつくり続ける元・県庁職員の「対話屋」と、ポストコロナに顕現する未来について話すことにした。


ONLINE TALK LIVE「絶望を希望に変えていく物語」

chapter.1|持続可能性 × ポストコロナ

– 日時|2020年5月22日(金)20:00-22:00
– 場所|オンライン
– 取材対象者|反町恭一郎(合同会社WORKARTS:代表社員)
– 取材者|堀直人(NPO法人北海道冒険芸術出版:共同代表理事)
– 参加費|無料
– 主催|NPO法人北海道冒険芸術出版

※このオンラインイベントは、席に限りはありますが、入場は無料です。Peatixから公開取材参加の申込を募集しております。みなさんのご参加、お待ちしております。
https://zetsumono1.peatix.com/view

ウェブで純文学を発信する

2020年5月11日
posted by 村上政彦

デビュー前の僕は、前衛だった。マルセル・デュシャンとジョン・ケージが守護神で、文学のアイドルは、ヌーボーロマンの作家たちだった。自分で撮影した写真にキャプションをつけて小説と称していた。

しかし地方の若者には、孤独な作業である。理解者が欲しかった。当時、吉本隆明氏が発行していた『試行』という雑誌の愛読者だったので、吉本氏に電話をかけた。

僕は小説を書いているのですが、普通の出版社には受け入れられそうにないので、そちらに掲載していただきたいのですが……

吉本氏は、そうですか、うちは何でも大丈夫ですから、送ってください、と実に親切に対応してくれた。

僕は高揚した気分で、自分の撮影した写真を大きく引き伸ばして額に入れ、タイポグラフィーで打ったキャプションをつけた。そして、うちの近くの宅配便の取扱所まで抱えていって、送った。しかし、吉本氏からの音沙汰はなかった。

考えてみれば、大きな額に入ったキャプション入りの写真を小説として掲載するのは、いくら『試行』でも難しかったのだろう。僕が編集者であっても、いまになってみると、その気持ちは分かる。

横書き小説がめずらしかった時代

その後、文学的な事情によって、僕は前衛を卒業した。そして、彼らが廃棄した19世紀のリアリズム小説を拾ってきて、リサイクルし、カスタマイズし、自分の新しい小説を書き始めた。

ある大手出版社の新人賞をもらったのは、それから3年後だった。同時受賞者がいて、吉本氏の娘の吉本ばななさんだった。僕は不思議な縁を感じたが、『試行』に投稿したことは言いそびれてしまった。

デビューして、ある雑誌に短篇の連作をした。そのなかに、パソコン通信のスタイルを取った作品があった。まだ、インターネットの草創期で、リアルタイムで映像のやりとりをするのは難しいころだったと思う。

しかし、リアルタイムで文字のやりとりをするのも、十分に面白かった。僕は、その原稿をパソコン通信のスタイルそのままに、横書きで出稿した。担当者は面白いと言ってくれたが、編集長が渋った。

ヨコのものをタテにするのが、日本文学だろう――これはそのときの編集長の名台詞である。結局、今回限りということで、その雑誌の歴史始まって以来、横書きの小説が掲載されることになった。

当時、ほかにも何人かの作家が横書きで発表したので、新聞の文芸欄から取材を受けた。これは当時のパソコンでは縦書きができなかったことに原因があると思う。パソコン通信などのやりとりをリアルに再現しようとすると、横書きにするしかなかったのだ。

時代は進んで、多くの人がスマホを手にするようになった。10年ほど前、電車に乗って車内を見ると、一列の座席に座っている人の何人かが文庫や新聞や単行本を読んでいた。

5年ほど前から、みながスマホを見ているようになった。そのころには、すでに活字文化の終焉が語られて久しかった。しかし人々が見ているスマホの画面に映っているのは、活字ではないが、文字だった。僕は、彼らのスマホに何とか自分の小説を送り込みたいと願った。

新しい読書人階級に届けたい

20年ほど前だったろうか。電子本が登場したとき、紙本は、やがてなくなる、と予想された。しかし、その後の進展は、予想に反し、電子本と紙本が共存しているような状態になった。

漫画は別にして、文字の電子本はそれほど売れない。紙本も、文字ものは、やはりそれほど売れない。読書をする人々が相対的に減少しつつある。しかし、まったく読書をする人がいなくなかったのかと言うと、そうではない。

昔、中国には読書人階級があった。知識層のことだ。庶民は文字の読み書きができない。読書は知識人のものだった。いま日本には、新しい読書人階級が生まれつつある。彼らは、専門的な知識人というわけではない。しかし、本を求めて、読書を欲している。

今後、読書をする人々としない人々のあいだには、大きな知識の格差が生じていくことだろう。

僕は、読書をする人にはもちろん、スマホでゲームをしている人々のなかにも、できれば読者を求めたい。そのためには、まず、作品を彼らのスマホに送り込まなければならない。繰り返しになるが、そう思った。

『マガジン航』の仲俣暁生氏と出会ったのは、そんなことをぐるぐる考えているときだった。そのうち原稿を書かせてください、と言うと、仲俣氏は笑いながら、小説でもいいですよ、と言った。僕のなかで、何かが反応した。

『マガジン航』はWEBメディアである。これは、僕が、ここしばらく考えていたことを実現するチャンスではないか。そうだ。小説を書こう。WEBメディアでしか読めない小説を。

そういうことで、僕は、WEBメディアになじむ短篇小説を書き始めた。1章は短く。そして、写真を入れる。それは挿絵のようなものではいけない。作品と有機的に繋がっている必要がある。

1カ月ほどで1作の短篇小説を仕上げて、仲俣氏に送った。面白い、と言ってくれた。そして、発表するにあたって、いろいろとアイデアを出してくれた。『マガジン航』のnote分室に掲載されることになった。それが『ニキ・サントス・クルーズ』という作品だ。

ニキ・サントス・クルーズ

「マガジン航」【note分室】で公開されている短編小説『ニキ・サントス・クルーズ』

なぜアジアを主題に書くのか

僕は、紙本から電子本に乗り換える気はない。つい先日も、『台湾聖母』(コールサック社)という紙本を出したばかりだ。これは台湾の日本統治の時代に教育を受けた台湾の俳人が主人公の小説である。

20年ほど前からアメリカ発のグローバリゼーションにどう対応するかというのが、僕の文学的な問題意識の一つだった。対応の仕方は3種類ある。①グローバリゼーションに乗る(開く)=村上春樹。②グローバリゼーションとは別の極を作る(閉じる)=三島由紀夫。③自分たちの伝統的な文化を見直し、グローバリゼーションを利用しつつ、それを新しく変えて、広げていく(閉じながら開く)。そして、アメリカ発のグローバリゼーションそのものを変質させる。

日本を含むアジアには長い伝統文化の蓄積がある。まず、アジアとは何かを問うことで伝統の内実を探り、そしてグローバリゼーションの鑿で、それを新しく加工して、世界に広げていく。僕は、この第三の道を選んだ。そして、いまアジアを主題にした小説を書いている。

最初から読書をするつもりで、書店に行って紙本を買う読者ばかりでなく、ゲームのあいまにたまたま短篇小説を見つけて、読んでみたら面白かった、という読者を見つけたい。

これから電子本と紙本がどうなっていくのか、僕には予想ができない。しかし、メディアはメッセージであるという考えに従えば、電子媒体は小説そのものを変容させていくことだろう。

僕は、それを愉しみながら、電子本の世界へ乗り出していく。


【お知らせ】「マガジン航」はnote上で【note分室】の活動を開始しました。その第一弾として、村上政彦さんのフォトノベル、『ニキ・サントス・クルーズ』を公開しました。今後もさまざまな作家やクリエイターとコラボレーションしていく予定です。[編集部]

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