代わり映えのなさ、という強さ

2019年12月28日
posted by 仲俣暁生

第19信(仲俣暁生から藤谷治へ)

藤谷治様

夏場に最後に手紙をやり取りしてから、またずいぶん間が開いてしまいました。去る10月に出版学会の催しとして行った「マガジン航」十周年の講演に、わざわざ足を運んでくださりありがとうございます。これからものんびりと、このウェブメディアをまわしていくつもりです。

先の手紙であいちトリエンナーレについて色々とやりとりした後、日帰りで名古屋と豊田の展覧会場を見てきました。「ニューズウィーク」のオンライン版や「マガジン航」にも書きましたが、その際の感想をひとことで言うなら、3年ごとに行われるこの芸術祭は、ある程度まで地域に根付いているのだなというものでした。

国際的な芸術「展」であることと、地域の芸術「祭」であることを矛盾なく両立させるのは、想像するだに大変な作業ですが、オンラインや現実の場ではしたない攻撃にさらされ、一旦は休止せざるを得なくなったホワイトキューブ内の展示に比べ、「美術館の外に置かれた美術」ともいうべきサテライト会場での展示は案外としたたかでした。各地の現場を支えるボランティアスタッフの表情や身のこなしからは――たまたま僕がみた範囲だけかもしれませんが――メディアを通じて喧伝されていた身に迫る「危機」のようなものは見受けられず、よい意味での長閑さを感じたほどでした。

定期的に行われるこうした催しがもつ現場の経験値の高さは、11月24日に行われた第29回文学フリマ東京からもつよく感じました。青山ブックセンター本店で行われた第2回以来、これまでにも何度か取材者として参加したことはありましたが、今回はじめて出店者として参加してみたのです。「ウィッチンケア」というインディペンデント同人誌を発行している多田洋一さんのブースに相乗りし、いわゆる「薄い本」の制作から当日の会場設営、即売・会計から撤収まで、一日ずっと会場にへばりついていました。

下北沢で「フィクショネス」を十数年にわたり維持してきた藤谷さんにとって、文学フリマに集うようなインディペンデントな作家/出版者たちの姿は見慣れたものでしょう。僕自身、20代からそうした仲間がつねに周囲にいたため、こうした即売会への参加自体は、際立って新しい体験というわけではありません。むしろ、この「見慣れた風景」の継続性、つまり代わり映えのなさに、ある意味で感動したのでした。

その後、香港で今年の6月以後に盛んになったデモ行動と連携したプロテスト・ジンを出しているZINE COOPの人たちと、練馬区の小さな会場で行われたジンの即売会で会って話をしたり、彼らの活動を紹介する記事を「マガジン航」に書いてくれた中野タコシェの中山亜弓さんと会って話をしたときも、いい意味での代わり映えのなさを感じました。なにしろ中山さんとの付き合いは、僕が「シティロード」の編集をしていた頃からですから、そろそろ30年近いのです!

メインストリームの出版ビジネスが音を立てて崩れていくなかで、ここまでで触れたようなオルタナティブな場での活動が相対的に元気に見えるのは、それらが「対抗的」な存在だからというよりは、長期間にわたり粘り強く、しかも質において大きく変わることなく続いてきた活動だからではないか。わずか十年、小さなウェブメディアを営んできただけの僕でさえ、そのことは真実であるように感じられます。それは文筆という活動でもまったく同じでしょう。日々、目の前で移ろう出来事に動じることなく、己の信じる道を進むことの貴重さがようやく身に沁みるようになったのかもしれません。

4ヶ月ほど手紙をさぼっていた間、個人的な楽しみとして読んでいたのは、日本の文壇や文芸誌の歴史を綴った本でした。とりわけ講談社に長くおられた大村彦次郎さんの一連の著作からは、多くの示唆をえました。

日本では純文学とエンターテインメント文学との間に、比較的はっきりとした壁がありますが、その壁ができたのは戦後に「小説新潮」が創刊され、いわゆる「小説誌」が誕生したときからと言えそうです。

現在の出版界を見渡せば、純文学の発表媒体としての「文芸誌」も、エンターテインメント作品の発表媒体としての「小説誌」もともに影響力を失い、部数も低迷しています。でも、かつては「オール読物」や「小説新潮」といった雑誌が30〜40万部も売れていた時代がありました。マンガ雑誌が100万部単位で売れる時代が訪れる以前にあった、小説誌が娯楽の中心だった時代を想像するのはそれほど難しくありません。

大村彦次郎さんの一連の「文壇史」の記述は、中間小説では野坂昭如と五木寛之のデビュー(野坂の「エロ事師たち」が1963年、五木の『さらばモスクワ愚連隊』は1966年)、純文学では村上龍のデビュー(『限りなく透明に近いブルー』は1976年)をもって画期とし、このあたりで「文壇」が実質的な意味を失ったとしています。ここでいう文壇とは前近代的・互助的な同業者ギルドのことです。

戦前の円本以後、すでに文学は十分に「儲かる産業」になっていましたが、この頃までは一種の自治の仕組みとしての「文壇」が、地方文芸誌を広い裾野としつつ、存在していた。しかし野坂・五木が登場した時代以後、文学は文字どおりに「メディア産業」となっていく、言い換えるなら出版産業に完全に従属するようになるのです。

僕らが物心つき、同時代の文学を読むようになった頃は、ちょうど野坂や五木の全盛時代でしたし、また村上龍が新人作家としてデビューした頃でした。だから僕らは「文壇」が崩壊する以前にあった、文芸同人誌のあり方をよく知りません。

これは僕の場合だけかもしれませんが、筒井康隆が『大いなる助走』で戯画的に描いた地方同人誌のドタバタ劇を鵜呑みにし、同人誌とその書き手をどことなく馬鹿にする気持ちさえあったと思います。しかし出版社が営利的な目的で出す雑誌が、文学活動のすべてを覆い尽くすことはもとより無理です。また従来、新人賞が担ってきたとされる新しい才能を発掘する機能も、発掘「後」の責任を負う産業の側が細ってしまえば意味を失います。

出版産業の黄昏――それはことに雑誌においてはっきりと現れていますが、書物も安心はできません――が誰の目にも明らかないま、本を書き続ける動機を経済的側面だけに求めることは難しくなっています(動機を必要と言い換えるならば、すでにその内部にいる者にとってその必要性はまったく減じないとしても)。そんなとき、プロの専業作家であれ、他に収入源をもつ兼業作家であれ、あるいは完全なアマチュア作家であれ、書き続けるための最大のモチベーションは「読者」の存在ではないかと思うことがあります。

じつは藤谷さんと手紙のやりとりをできずにいた間に、もう一つ面白い経験をしました。それは翻訳者・アンソロジストの西崎憲さんに招いていただいて参加した、ブンゲイファイトクラブというネット上の文学イベントです。西崎さん自身も日本ファンタジーノベル大賞の受賞歴をもつ小説家であり、書肆侃侃房から出ていた文芸ムック「たべるのがおそい」の編集長もなさっていました。しかも、それらと平行してバンド活動や快著『全ロック史』の執筆をしてしまう、マルチな才能をもった尊敬すべき大先輩です。

以前から西崎さんと何か一緒にやりたいと思っていた折、偶々このイベントの開催を知り、ぜひともと手を挙げたところ、「招待ジャッジ」という枠で参加させてもらえることになったのでした。

このイベントの詳細については先のリンクを辿ってほしいのですが、予選を通過した32人の作家たち(このイベントでは「ファイター」と呼ばれます)が、6枚(2400字)以内の文学作品(小説に限らず、詩歌や戯曲もあり)を書き下ろし、トーナメントで勝ち上がっていくというものです。プロとアマチュアの作家が混在する32人のファイターから、ジャッジは一回戦では各組4人からなる8組から最優秀者を一人ずつ選び、二回戦以後は一対一のトーナメント戦の勝者判定をしていく、という趣向です。

面白いのは――そして真剣勝負とならざるを得ないのは――、ジャッジもまたファイターから逆審査を受け、戦いが進むにつれ人数が減っていくことです。最後は二人のファイターと一人のジャッジだけが残り、最優秀作品が決まって戦いが終わります。先のリンク先でその過程のすべてが「公開」されていますので、どの段階でどの作家の作品がどのような判定と理由で落ち、最終的に誰のどんな作品が勝利を収めたのかを、すべてあとから追体験することができます。

悔しいことに、僕は二回戦(準々決勝)の判定と評価を終えたところでジャッジとしては敗退し、準決勝以後は観客に回らざるを得ませんでした。しかし、最後まで僕はこのイベントを楽しんだのです。準決勝以後の戦い、そして決勝戦の行方には文字どおり、手に汗を握りました(というのも、その都度ファイターは短期間で「新作」を書くのです!)。

ブンゲイファイトクラブは、ファイターもジャッジも完全に無償で、得るものは栄誉と不名誉のみというまことに残酷なゲームでしたが、全体として既存の新人発掘プロセスとしての公募新人賞に対する――さらには既存の文芸批評のあり方に対する――すぐれた「批評」だったと僕は考えています。しかも振り返ってみれば、このイベント全体が一つの文学アンソロジーとなっており、いわば「同人誌」をネット上の公開プロセスで作ったものともいえそうです。

もしそうだとすればバトルという新しい見かけのわりに、このイベントを通じて僕が体験したのは、商業出版の外部に「同人誌」という多様な場――それを支える作家予備軍の分厚い層とともに――が存在した頃に、多くの書き手が経験した真剣な作品批評を、代わり映えもなくやってみたようなことかもしれません。そしてもしかしたら、文芸に限らず、言葉で何かを生み出していく活動を続けていく上で必要なのは、長期的な歴史の相でみたときには「代わり映えしない」と思えるような、愚直なことなのかもしれません。

というわけで明日の夜、恒例のB&Bでの催しで――いい意味での「代わり映えのなさ」とともに――お目にかかれることを楽しみにしています。

第1信第2信第3信第4信第5信第6信第7信第8信第9信第10信第11信第12信第13信第14信第15信第16信第17信第18信|第20信につづく)


【イベントのお知らせ】

12月29日(日)19:00より、東京・下北沢の本屋B&Bにて下記のトークイベントがあります。詳細はリンク先のサイトをご覧ください。

藤谷治×瀧井朝世×田中和生×仲俣暁生「フィクショネス文学の教室〜2019/末番外編〜」 | 本屋 B&B

第4回 『小林秀雄全作品』を売る者の悲劇

2019年12月19日
posted by 谷頭 和希

思わぬ本に出会う、それがブックオフを歩く楽しみだ。そこで出会った意外な本をいったい誰が売ったのか、それはどんな経緯で売られたのか、考えると楽しみは尽きない。それもまた、ブックオフを楽しむ戦術かもしれない。そしてその奥には、ブックオフから醸し出される悲劇が見えることだってある。前回までの連載と少しテイストは異なるが、これもまた一つの「戦術」だ。ブックオフをめぐる想像と思考の旅を楽しもう。

『小林秀雄全作品』との邂逅

それはブックオフ上野広小路店でのこと。いつものように店内を物色していると突然それは現れた。

『小林秀雄全作品』

日本を代表する評論家、小林秀雄が生涯で残した莫大なテキストが、全28巻の中にすべて収められている。そのすべてがこの棚にあるのだ。

壮観だ。奥付を見るとすべて同じ版だから、きっと誰かが一度に売ったのだ。しかし一体誰だ、これを売ったのは。試しに一冊取って中を見る。驚くべきことに、これがまったくきれいなのだ。売った人間はおそらく『小林秀雄全作品』の一作品も読んでいないのではないか。でも、読んでいても読んでいなくても『小林秀雄全作品』をまとめ買いした人がいた、というのは確かだ。その事実に想いを馳せるべきだろう。その人はうっかり『小林秀雄全作品』を買ってしまったのである。そしてすべて売ってしまったのである。だからこそ、いま私の目の前には『小林秀雄全作品』がある。

ブックオフで遭遇した『小林秀雄全作品』28巻セット。

想像してみてほしい。

なんのあやまちか、それとも本当に欲しかったのか、『小林秀雄全作品』を買ってしまった人の悲劇を。28冊セットという大所帯である。きっと宅配での郵送を頼んだに違いない。なぜなら他の方法がないからだ。あるにしても、それはこの上なく悲劇的な方法だ。

「かついで帰る」

かつぐのだ。かついで『小林秀雄全作品』を持って帰る。それしかないじゃないか。あるいは両手で抱きかかえるとか、頭の上に乗せるとか、とにかく直接体を使って持って帰ればいいわけだが、しかしどれもこれもなんだか滑稽だ。試しに1冊手に持ってみる。なかなかの重さだ。これが28巻となると相当な重さ。これを持って帰るのだ。必死である。当然、普通の道にそんな必死な人はいない。もうそれだけで怪しい。つまり、『小林秀雄全作品』をかついで帰るとはこのような悲劇の始まりなのだ。

ここでふと気になり、ブックオフは買った商品の郵送を行っているのか調べてみる。どうやらそうしたサービスは無いらしい。ここに、また別の悲劇がある。ブックオフ上野広小路店で『小林秀雄全作品』を買った人はどうなるか。

「かつぐしかない」

電車でじろじろ見られようが、職質されようが、道で悪態をつかれようが石を投げられようが、とにかくかつぐしかないのだ。しかし実際にそういう人はいなかったのだ。だからこそ、いま私の目の前には『小林秀雄全作品』がある。

しかしそろそろ本をかつぐ話はいいんじゃないか。私が書こうとしていたのは、『小林秀雄全作品』を買い求め、そして売ってしまった人の悲劇である。なぜ『小林秀雄全作品』を買ったのか。身の回りで流行っていたのかもしれない。どんな身の回りだ。

近隣コミュニティから売った者を想像する

いま、なんとはなしにブックオフ上野広小路店をGoogle Mapで見てみる。するとその周辺で気になる建物を見つけた。

「東京大学」

上野広小路店から東京大学までは意外なほど近い。なるほど、こうしてみると、小林秀雄全作品を買ってしまった者の輪郭がすこし見えてくる。つまりそれは東大生ということだ。東京大学にいるのは間違いなく東大生だ。いや、もしかしたら早大生とか、慶大生とか、ことによれば、京大生やデジタル・ハリウッド大学生だっているかもしれないが、とにかく東大生が多い地域なのである。あるいは東大生的なる人々、といってもよい。東大の敷地内にいる人はみな東大生的なる人々だ。

私は東大生でも東大生的なる人でもないからわからないのだが、やはり東大ではいま小林秀雄の話題で持ち切りなんじゃないだろうか。教室ではもちろんのこと、生協でも学食でもみな話題は小林秀雄のことばかりだ。学食にはこんなメニューもあるはずだ。

「小林秀雄ラーメン」

そんなラーメン私は食べたくないが、東大はそうなのだ。そうに違いない。そしてその圧に負けて『小林秀雄全作品』を買ってしまった者がいる。よもや本当に小林秀雄が読みたかったとか、まして研究でそれが必要な人ではないはずだ。なぜならその人は買った全集を売るのだ。ブックオフで。だからこそ、いま私の目の前には『小林秀雄全作品』がある。

しかし、本来ならば、ブックオフに『小林秀雄全集』などあるべきではない。東大の周りにはブックオフよりも歴史がある、趣のある古書店が多く存在しているのだ。百歩譲ってだ。『小林秀雄全作品』を売るにしてもそういう、昔ながらの古書店で売った方が良かったんじゃないか。いや、そういうところで売るべきだと思うんだよ。

東大前にある古書店。

東大の周りにはこうした古書店がたくさんある。その人はそうした古書店で『小林秀雄全作品』を売らず、ブックオフ上野広小路店でそれを売った。なぜか。知らないのだ。いや、普段目にはしているのだろうけど、それが古書店だとは思っていないに違いない。その人にとって古書店といえばやはりブックオフなのだ。そして何度も繰り返すようだが、この人は『小林秀雄全作品』を読まなかった。学内で話題というだけで買ってしまった者である。ここから『小林秀雄全作品』をブックオフ上野広小路店に売った者の姿がさらにはっきりする。こう言うとなんだか哀愁が漂うが、しかししょうがない。そうに違いないと思うから書こう。

「落ちこぼれの東大生」

いや、そもそも東大に行くような人に落ちこぼれがいるのかどうか私は知らないし、なんだか実在しないような気もしないではないが、でもいると思うのだ、落ちこぼれてしまった東大生も世の中には。落ちこぼれの東大生は、きっと、古い古書店を知らないのだ。いいじゃないか、古い古書店を知らなくっても、となぜこの人の肩を持っているのかわからないが、いずれにせよこの人は『小林秀雄全作品』を売った。ブックオフで。だからこそ、いま私の目の前には『小林秀雄全作品』がある。

隣接する本が醸し出すハーモニー

さて、その人の家に28巻そろい踏みで『小林秀雄全作品』がやってきた。その人は届いた本を前に呆然と立ち尽くし、こう呟く。

「どうしよう」

どうしようもこうしようもない。読めばいいのだ。本は読むものなのだから。読め、今すぐ。しかし、その人は読まない。なぜなら落ちこぼれの東大生だからだ。しかも28巻もあるのだから「じゃま」ときた。きっと一人暮らしなのだろう。とにかくじゃまだ。それを前にしてどうすることもできず、ただ茫漠と立ち尽くす。これこそ『小林秀雄全作品』を買ってしまった者の悲劇だ。

そしてやはり私の脳裏をかすめるのは、その人が一体どうやって『小林秀雄全作品』を家からブックオフ上野広小路店まで運んだかについてである。やはりかつぐのだろうか。もしかついで売りに出したのだとしたら、またそこに悲劇が存在する。そうした悲劇を経て、いま私の目の前には『小林秀雄全作品』がある。

もう一度先ほどの本棚を見る。ここで注目すべきは『小林秀雄全作品』の隣にある本だ。

『夏井いつきの超カンタン!俳句塾』

ここにもまた落ちこぼれ東大生の姿が透けている。きっと東大では、誰しもが俳句を詠むのだ。なぜならそこは東大だからである。俳句ぐらい詠めないようでは仕方がない。しかし、そこにもやはり落ちこぼれがいる。なんとかして俳句を詠みたい。なぜなら大学は俳句の話で持ちきりだからだ。『奥の細道』の聖地巡礼をした者らもいるらしい。こうして大学の片隅で肩身の狭い思いをしているから、藁にもすがる思いで俳句を学ぼうとする。難しい本だとよくわからない。そこで手にしたのが、『夏井いつきの超カンタン!俳句塾』だ。どこで買うのか。東大の生協に決まっている。そして購入時には、相手が東大生とは思えないほどの罵詈雑言を生協の店員から吐かれるのだ。

「この人俳句出来ないんだ」

屈辱だ。他にも「ホントに東大生?」とか「『超カンタン!』って楽しようとしてる。ださい」とか散々だ。またもや悲劇である。しかし東大とはなんと恐ろしいところなのか。落ちこぼれ東大生は恐縮しながらレジを抜け、やっとの思いで家まで本を持って帰ってくる。

ここで問題になるのは、果たしてこの東大生は『夏井いつきの超カンタン!俳句塾』を読み、俳句が詠めるようになったのか否かである。答えは簡単だ。「否」である。なぜなら落ちこぼれた東大生はこの本を売ってしまったのだ、またもやブックオフで。その証拠に、いま私の目の前には『夏井いつきの超カンタン!俳句塾』がある。

なぜ売ったのか。この人は恐る恐る本のページを開ける。そして冒頭にある一文に驚愕するのだ。

「俳句がうまくなるコツは『とにかく毎日つくること』」

作れないよ、そういわれても。作れないから買ったんじゃないか、この本を。ここにまた悲劇が存在する。そして『小林秀雄全作品』と同じように、いや、果たしてそれが『小林秀雄全作品』を売った人なのかどうか全くわからないし、ほとんどの確率で異なる人だと思うのだけれど、とにかくそれはブックオフに売り飛ばされることになる。いま、『小林秀雄全作品』と『夏井いつきの超カンタン!俳句塾』をブックオフ上野広小路店へ売った者らはどうしているだろう。その人は小林秀雄全集を読めただろうか。その人は俳句を詠めただろうか。たぶん読めて/詠めていないんだろうな。

ブックオフ上野広小路店の書棚には、落ちこぼれた東大生の悲劇が詰まっていた。あるいはブックオフには他にも読まれなかった本たち、あるいは必要とされなくなった本たちの悲しみがそこかしこに詰まっている。不必要なものたちが、ただそれだけの巡り合わせで同じ書棚に並んでしまう。誰が小林秀雄と夏井いつきが隣り合うことを想像しただろうか。しかし、やはりいま私の目の前には『小林秀雄全作品』があり、そして『夏井いつきの超カンタン!俳句塾』がある。

*     *     *

しばらく経ってからブックオフ上野広小路店をまた訪れる。あのときの書棚をもう一度見てみた。『小林秀雄全作品』はポツポツと売れていた。それから『夏井いつきの超カンタン!俳句塾』も売れていた。だれが買ったのだろう。また、落ちこぼれた東大生だろうか。

悲劇は伝播する。

アイヒマンであってはならない

2019年12月6日
posted by 仲俣暁生

今月のエディターズノートを書くのはとても気が重かった。題材は早くから決めていた。永江朗さんが『私は本屋が好きでした――あふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏』(太郎次郎社エディタス)という本を出したことを知り、すぐにこれを取り上げようと考え、すでに読了していた。

しかし読了後、うーむと考え込んでしまった。

この本は、自身でも書店員の経験があり、専業ライターとなった後は長年にわたり全国の本屋に足繁く通い続けている永江さん(私も書店の店頭で何度もお会いしたことがある)が、本屋に対して「好きでした」と過去形で語らずにはいられない昨今の状況についての、渾身のルポルタージュである。

中心的な話題は「ヘイト本」だ(もっとも、この言葉を使うにあたり永江さんはいくつか留保をつけている)。いわゆる「嫌韓・反中」、つまり近隣諸国に対する排外主義的な考えを明示的に、あるいは暗黙のうちに主張する出版物のことである。いつの頃からか、「町の本屋」ともいうべき小さな書店の店頭に、こうした内容の本が大量に並ぶ様子を見かけるようになった、と永江さんは言う。

私自身の経験をふりかえっても、個性的な品揃えが好きな私鉄の駅前店でもよく見かけるし、いまは閉店したが、ターミナル駅の人通りが多い場所に出店していたチェーン書店では、あたかも主力商品と思えるほどの展開ぶりだった。日本を代表する大型書店でもその姿はかなり目立つ。

「ヘイト本」はなぜ店頭で目立つのか

そうした風景をみて、私自身は「この手の本はきっと手堅く売れるんだろうな」とは思うものの、あまり気に留めずにいた。本屋の店頭には自分の好み以外の多様な本が置いてあるのが当然だし、本を売ったり買ったりということは、その本の内容に賛同したり支持したりすることを、必ずしも意味しないからだ。

永江さんもそのことは理解しているので、こうした状況についてどう考えるべきか悩む。そして、やはりそれは問題だと結論づけるのだ。この本の「すこし長いまえがき」にある次の言葉が、その理由をうまく説明している。

本屋という仕事は、ただそこにあるだけで、まわりの社会に影響を与えることができるものなのだ――本屋を取材するようになってまもなくのころ、ヴィレッジヴァンガード創業者の菊地敬一さんからきいた言葉です。そのころのヴィレヴァンはまだ名古屋市と豊橋市に数店あるだけの経営規模でした。みずからの影響力に無自覚な本屋は本屋とはいえない。わたしはそう考えながら本屋の取材を続けてきました。

永江さんにとって本屋の取材は、文字通りのライフワークだ。ところがいま本屋について語ろうとすると、どうしても「ヘイト本」を話題にせざるを得ない。その状況自体にうんざりするが、目をそむけるわけにはいかない。そこで永江さんは、出版業界に「あふれるヘイト本」を「つくって売るまでの舞台裏」を、書店から取次、出版社と川下から川上に遡るかたちで取材し、その構造を明らかにしようとしたのである。

「町の本屋」の経営者たちの座談会、それより大きな規模のチェーン書店の事情、さらに取次、出版社、編集者、ライター……と、「ヘイト本」の流通と製造の工程を遡って関係者の声をあつめたのが第1部で、書店員のなかには匿名での発言者もいるが、基本的にはみな実名で、「ヘイト本」の編集制作から販売までの実態について語っている。2015年の初夏に取材が始められたため、いまとなってはやや古くなってしまった部分に対しては、あらためて直近のコメントがとられている。

つづく第2部では、こうした取材結果を受けて現在の出版業界に対する永江さんの状況分析が行われる。再販制度と委託制度の一体的運用という日本独特の出版流通システムは、高度成長からバブル経済期を経て、1990年代の半ばまではきわめてうまく機能していたが、その後の20数年は弊害のほうが目立つようになる。「ヘイト本」が生み出され、小さな書店の店頭で目立つようになったのは、そうした本が強く求められているからではなく、こうした構造が招いた一つの象徴的な出来事だ、というのが永江さんの見立てだ。

「書店員」のいない、「作業員」だけの書店

取材を受けた人々の個々の発言や、それを受けての永江さんの推論の道筋はぜひ、じっさいにこの本を読んで確かめていただきたいが、私がショックを受けたいくつかの言葉を紹介しておきたい。

ひとつは、「徹底的にランキング重視の書店チェーン」に在籍していたSさんという方が語る、「あの店に書店員はいません。いるのは作業員だけです」という言葉だ。もうひとつは、第2部の冒頭で永江さんが記した、「出版業界はアイヒマンだらけ」という言葉である。

この二つは同じことを指している。書店だけでなく、取次にも出版社にも、ハンナ・アーレントが『エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』で論じたナチ高官アドルフ・アイヒマンのように、自ら思考することを放棄し、与えられた課題を唯々諾々とこなすだけの「作業員」となってしまった者たちがいる、と永江さんは言うのだ。

しかし、そうした者たちの「悪意なき」作業は結果として書店の店頭に「ヘイト本」が日常的に並ぶ風景を生み出してしまう。

永江さんが引いた、ヴィレッジヴァンガード創業者の「本屋という仕事は、ただそこにあるだけで、まわりの社会に影響を与えることができるものなのだ」という言葉は、そうなるとまったく逆の意味をもつようになる。本屋に「ヘイト本」が並ぶ風景は、その場合も社会に対して影響を与える。書店の店頭だけではない。公共交通機関や新聞、ネット上などで流布する出版広告も社会に影響を与える。しかもそれは、往々にして「悪意なき」行為の結果なのだ。救いがたい状況というしかない。

だから今回のエディターズノートを書くのが「気が重い」理由は、本屋の店頭に「ヘイト本」がのさばる状況そのものではない。日本の出版産業が、働く者たちの自主的な思考や判断ではなく、「作業員」としての労働に委ねられた状況に陥っていること――永江さんの表現を借りれば――「アイヒマンばかり」になってしまったことが、気を重くさせるのである。

もちろん、これは相当に強い言い方だ。現実には、出版物にたずさわる現場では日々、さまざまな努力と試行錯誤が行われている。「アイヒマン」には本の出版企画を立てることも編集することもできないし、流通業務のなかにも創造性はあるだろう。いま世に出ているすべての本のうちで「ヘイト本」が占める割合も、全体からみればごく一部にすぎない。それでも永江さんは、「ただそこにあるだけで、まわりの社会に影響を与える」という本屋の力を信じるからこそ、「ヘイト本」の存在を問題視するのだ。

本屋と民主主義

「マガジン航」では3年前、「本屋とデモクラシー」という記事を掲載した。これは永江さんの本でも重要な役割で登場する、ジュンク堂書店の福嶋聡さんの『書店と民主主義――言論のアリーナのために』(人文書院)という本をきっかけに書いた記事だった(のちに関連するトークイベントも実施した)。

この本のなかでも、書店が「ヘイト本」をどう扱うかということが論じられている。福嶋さんの考えは明快であり、それは書店は「多様な意見が競い合う闘技場(アリーナ)であるべき」というものだ。しかし、そうした多様性を担保できるのは大型書店のような、力のある本屋に限られると永江さんは考える。小さな「町の本屋」にまで、それを求めることは難しい。規模の大小だけでなく、来客とのコミュニケーションやマーケティング能力といった、書店員の力がなによりも求められるからだ。

出版業界でも、雑誌流通の規模縮小によって書籍流通がこれまでより高コストになっていく事態にあわせて、いわゆる「パターン配本」(書店員の自主性を必要としない供給システム)を見直し、「プロダクトアウトからマーケットインへ」という掛け声のもと、書店現場の自主的な判断に応じた出荷体制を整える動きがようやくでてきた。これはよいことだろう。

しかし、日本にある多くの書店が「作業員」によるオペレーションを前提に経営されているとしたら、書店現場の混乱はかなり長期にわたるだろう。「ヘイト本」はその間、むしろ「マーケットイン」の消極的な結果として増殖していきかねない。

ではどうしたらよいのか。すでに小規模出版社の多くは、「セレクト型書店」「個性派書店」などと呼ばれる、自主的な仕入れと品揃えができる小規模書店との間で、効率よく本が売れるマーケティングの仕組みをつくりあげている。インターネットとSNSという仕組みは、ニッチな読者を対象とする本に対しては、むしろ追い風になっている。出版不況と言われる時代になってから、「一人出版社」や「個性派書店」が次々と生まれていることが、そのなによりの証拠である。

その一方で、大量生産・大量消費の商品として設計された初刷部数の大きな出版物、たとえば「雑誌」的な性格をもつムックや、需要に関わりなく一定点数を定期刊行しなければならない文庫や新書のシリーズ等は、大いに苦戦を強いられている。マンガやファッション誌を中心事業としてきた大手出版社の活字部門や、週刊誌を出しているような老舗の文芸出版社はこうした書店状況の変化によって、専門出版社以上に大きな打撃を受けているようにみえる。

本屋の消滅は、本の高価格化と社会の分断を促す

私が「気が重い」理由をさらに述べるならば、この流れの先にあるのが本の世界の縮小、あるいは全体としてのニッチ化をもたらすように思えるからだ。

本の価値や意味についてきわめて鋭敏な感覚をもつ一部の書店や出版社だけが生き残り、「作業員」とまでいかずとも、漫然と本をつくったり売ったりしてきたプレイヤーは退場を迫られる。それは仕方がないことかもしれないが、本の読者もまた、そのときに大衆性を失い、専門的な知見をもつニッチな読者だけになってしまうのではないか。それは結果的に出版物の価格を押し上げ、やがて本はニッチな読者にも購いきれないものになるかもしれない。

自動的に本が上流から下流まで流れてくる現在の出版流通システムは、いわば物理的なかたちをとった「放送」(別の言葉でいえば「配給」)のようなものだった。本屋の店頭はその意味で、テレビやラジオの受信機と同様の「メディア」でもあった。大量生産・大量消費を前提とするこのシステムは、他の分野におけるそれらと同様、20世紀というマス(大衆)の時代に即して設計され、きわめてうまく機能した。

しかし新聞も放送も、21世紀にはそのあり方を根本から問われている。出版もいま、まったく同じ問題に直面しているのである。だからこそ、永江朗さんが紹介した先の言葉は重要だと私は思う。

「本屋という仕事は、ただそこにあるだけで、まわりの社会に影響を与えることができるものなのだ」

これを逆から考えると、こうなる。「本屋がないということは、そのことだけでまわりの社会に影響を与える」。「本」とのタッチポイントがSNSやネット書店だけになったとき、社会にはいまよりさらに大きな分断が生まれるのではないか。人々が気楽にローコストで多様な価値の存在に触れることができる物理的な場所としての「本屋」は、本当にこのまま失われていく一方でいいのか。よくないとしたら、そのために何をすればよいのか。

消費増税により本の価格はますます高く感じられるようになったが、本の高価格化(それは大量生産・大量消費の時代が終わったことの反映でもある)は、いっそう進むだろう。20世紀は「大衆」という人々のあり方の上に、厚みのある社会的な中間層が形成された時代であり、リベラル・デモクラシーはその中間層によって支えられていた。本のニッチ化や高価格化は、社会における中間層の崩壊の反映ともいえるし、「社会に影響を与える」ことでそれを促してしまうともいえる。

私が「気が重い」のは、出版業界がいま直面している課題が、社会全体の大きな変化と連動しているからだ。「大量生産・大量消費」という20世紀的な論理が失効しつつあるいま、それを超えて私たちは21世紀をどのような社会にしていけばいいのか。本に関わる人すべてが、そのことを考える必要がある。いつまでもアイヒマンや「作業員」であってはならない。

天気の次の話題を探して――「街の手帖 池上線」

2019年11月18日
posted by 影山裕樹

東京生まれ、東京育ちの僕自身、まだほとんど開拓していないエリアがある。その一つが東急池上線沿線だ。東京都品川区の五反田駅と大田区の蒲田駅とを結ぶ東急電鉄(東急)が運営する池上線は、15駅、約20分ほどで五反田と蒲田をつなぐ。五反田の高架は4階建て相当もあるという。この日は「街の手帖 池上線」の発行人&編集長の針谷周作さんに池上線沿線を案内していただきながら、なぜこの地域を題材に、実に31号もローカルメディアを発行してきたかについて伺った。

「街の手帖 池上線」のバックナンバー。

編集長の針谷周作さんと五反田を歩く。

日本で最初に「銀座」を名付けたといわれる戸越銀座の駅を降りると、まるで大阪にきているかのように地平線までまっすぐな商店街が広がる。比較的新しいお店が多い印象だ。一方、隣駅の荏原中延には昭和風情なアーケードが広がり、近くには文筆家の平川克美氏が店主を務め、「日本一小さな本屋」を謳う隣町珈琲がある。

戸越銀座商店街

隣町珈琲

勝海舟ゆかりの洗足池

「街の手帖 池上線」のバックナンバーを眺めていると、もちろん、蒲田や五反田の特集もあるのだが、池上線の各駅を行ったり来たりしながら、様々な角度で地域の魅力を掘り起こしているのがわかる。正直、このエリアに縁がない僕にとっては、マニアックすぎる記事が続く。洗足池公園入口のしだれ柳だとか、久が原の弓道場併設のカフェなど。

かつて勝海舟の別邸「洗足軒」があったことで知られる洗足池周辺、星新一の父親が創設した星薬科大学がある戸越銀座など、文人や著名人にゆかりのある地域であることを取り上げることも大事だが、僕がやはり好きなのは、こうしたマニアックで無銘な地域のモノ・コトを、その他の地域との比較ではなく、ただただ実直に取り上げるというやり方だ。

洗足池

地場に縁がない人間にとって親近感が湧かないものこそ、地域の人にとって真に親近感があるものなのだと思う。僕たちは自分と違うバックグラウンドを持つ人と出会うと、無意識のうちに共通言語をチューニングしながら対話している。まず最初に天気の話をして、その後マスメディアから流れてくる事件や事故などを話題にする。しかし、ローカルでマニアックな情報は話題にしても理解してもらうことはできない。実は、天気の次の話題を読者(地域に暮らす人)に提供するのがローカルメディアの価値の一つだと思う。だからこそ、「街の手帖 池上線」は池上線沿線の書店で手にとってもらうことを重要視している。

「都会―下町」というステレオタイプから離れて

それにしても、なぜこの短い路線にこだわり続けることができるかといえば、それは針谷さん自身が育ったのがこの池上線沿線だったからだ。しかし、自分が暮らす街に魅力を感じるようになったのは随分と大人になってからだという。

「自分がこの本を作り始めたきっかけは、長原の兎というスナックで、あぁこんな面白い人たちが集まっていたところだったのかと思ったこと(中略)『え、この沿線にも面白いところあるね』という衝撃が、いつも偶然なのですがポツリポツリとあり、それを発見していく喜びはありますね」(「街の手帖 池上線」20号より)

重要なのは、「都会―下町」というステレオタイプな視点で街を眺めるのではなく、少し引いた立場から、「共通言語」で塗り潰されてしまうような、地元の小さな魅力を語り出すことなのだと思う。その面白さは、地場に縁のない人たちに向けて殊勝に語り出すべきものではない。とはいえ、19、20号の座談会で取り上げられた中央線と池上線の比較などの話は面白い。こうやって東京の「下町」のグラデーションが見えてくる。坂が多いという地誌学的な視点、民族学的視点、歴史的視点からも、地域の特徴は見えてくるように思う。

昭和の雰囲気が残る荏原中延周辺は、僕の地元である板橋や北区あたりの風景に似ている。路地裏に広がる小さな飲食店の数々も、東京の様々な場所で見つけることができる風景に思う。アーケードのある商店街はまさに大山商店街とそっくりだ。僕たちは漠然と「下町風情」という言葉を使うけれど、それは「下町以外」の都会との対比としてしかイメージできてない。「下町らしくていいよね」という会話が東京のみならず大阪や神戸でも普通に交わされる。しかし、実際に神戸や大阪、東京の下町と呼ばれるエリアを歩いてみると、共通点はあるものの、まったく違う人や文化が息づいていると実感することができる。

ちなみに、11ヶ月ぶりに発行された最新号(31号)の特集は「この街はポエジーを持って歩くのが最適しい」。

「石川台駅の近くにある伊勢屋で、歯医者の帰りにお赤飯のおにぎりを買って帰るのが楽しみだ」(「街の手帖 池上線」31号より)

こういう個人的な日常や記憶から、ハレではなくケの街の風景を語り出すのが針谷さんのやり方だ。はたまた、地元ライターによる寄稿では、多摩川沿いを歩きながら、「海水と淡水の混ざり合う羽田沖は、(略)アサリやシジミが多くとれる」(同31号より)と語る商店街の居酒屋の店主の言葉がそっと添えられる。

「地元言語」が優先される情報環境をつくるには

マスメディアが東京の南側(東急沿線)や西側(中央線沿線)や、東側を開拓し、その度に街が消費されてきた。最近だと北区赤羽が観光地として賑わってきている。そうやって次はどの街を消費しようとメディアが騒ぎ立てる外側で、東京圏全体の市民に向けるのではなく、地域に暮らす人々に向けてローカルでマニアックな、無銘のモノ・コトを語り出すことの価値はいったい何だろう。

都市の多様性を担保するのは、マスメディア的視点で都市の隅々を開拓し消費して回ることではなく、そこに暮らす人々どうしで地元のネタが天気の次の話題に出てくるようにすることだと思う。そうやって、「共通言語」よりも「地元言語」が優先される地域が各地で増えていくことで、ローカルでゆるく閉鎖的な情報環境が生み出され、市民の気質や嗜好がその地域ごとに最適化され、都市全体として多様な文化が育まれるのだと考えている。

三重県津市のローカルメディア「kalas」にとても似ているな、と思った。雑誌を作ることが、この街でこれからも暮らしていく、街へ入るための「パスポート」になっている気がした。実際、針谷さんは「街の手帖 池上線」を発行するようになってから、渋谷や新宿で呑むことはほとんどなくなったという。雑誌を媒介としてコミュニティに入り込み、昨年は池上線沿線の14の書店が参加するブックフェスタも開催した。

池上線ブックフェスタ(提供:コトノハ株式会社)

日常が等身大の書き手の言葉で地道に語られていく。まるで延々と終わらないドラクエをやり続けているように、新しいダンジョン(スナックやバー)を発見しレベル上げをし続けるようなプロセスを踏むこと。そんなローカルメディアが各地に増えていってほしいと思う。2020年のオリンピックが終わった先に、確実に衰退していく東京で暮らすことの価値はなんだろう、と最近はよく考える。全国の人に伝えてもその魅力が明らかに伝わる、マスメディア受けするような、特徴的なモノ・コトを取り上げるのではなく、地道に地元のことを語り出してみたいと思う。他の地域に比べて面白い、というのではなく。池上線沿線を歩いた帰り、僕はふと、今日は地元の角打に繰り出そうという気持ちになった。

街の手帖 池上線31号

「街の手帖 池上線」31号
〜この街はポエジーを持って歩くのが最適しい〜
(A5版・カラー28ページ・定価324円+税)

*池上線沿線書店を中心に発売中
twitter:@machinotechou

奥多摩ブックフィールドに行ってきた

2019年11月8日
posted by 仲俣暁生

三連休の初日である11月2日、奥多摩ブックフィールドに行ってきた。しばしば「東京の水がめ」と称される小河内貯水池(奥多摩湖)の突き当りに、旧奥多摩町立小河内小学校の建物を利用した多目的スペース「奥多摩フィールド」がある。その旧職員室と校長室を利用して昨年の春にオープンした図書館だ。正式名称は「山のまちライブラリー・奥多摩ブックフィールド」だが、以下の記事では単に奥多摩ブックフィールドと呼ぶことにする。

公式サイト内にある開設顛末記にあるとおり、ここは基本的にはプライベート・ライブラリー、すなわち個人蔵書の置き場である。主宰者の一人である「どむか」さんは私の知人であり、以前から置き場に困っている本を何人かで場所を借りて移すという話を聞いていた。

もう一つ、以前に「出版ニュース」編集長の清田義昭さんとお会いした際、同誌の休刊後、出版ニュース社に置いてある出版関連資料をこの場に移すという話も伺っていた。あらためてさきの開設顛末記を読むと、ファウンダー会員には「専門家の蔵書活用を考える会(準備室)」の方のお名前もみえる。この場所には「専門家の蔵書活用」という裏コンセプトもあるのだろう。

そんなわけでいつかは奥多摩ブックフィールドを訪ねなくては、と思っていたが、そうこうするうちに秋も更けてしまった。開館日は基本的に毎月第一土曜日だけ、しかも「どむか」さんに連絡をとると、冬季は水道管が凍るので12月から2月までは休館だという。11月2日は、この機会に行かなければ次は来年春になってしまう年内最後の公開日だった。

旧小学校をそのまま利用した空間

実際に行ってみると、奥多摩はやはり遠い。新宿駅から青梅駅まで、青梅特快で約1時間10分。青梅駅から奥多摩駅までは35分(乗継ぎのタイミングが悪いと奥多摩駅まで2時間以上かかることもある)。駅から奥多摩フィールドまで、さらにバスで約30分。所要時間だけでいえば東京・大阪間の移動とさして変わらない。そんな長い道のりを、最後は奥多摩駅からバスにのんびり揺られ、小河内ダムと奥多摩の山々が織りなす景色を堪能しつつ向かった。

峰谷橋のバス停を降りると、湖の向こうに旧小河内小学校の建物が小さく見える。

奥多摩に来るのは、小学生の頃に鳩ノ巣渓谷まで来て以来である。秋の観光シーズンということもあり、バスの乗客は思いのほか多い。小河内貯水池(奥多摩湖)のへり沿いに進むこの通りは青梅街道である。やがて赤い大きな橋が見えてくるので、それを渡る手前の「峰谷橋」というバス停で下車する。タイミングがよいとさらに近い「学校前」のバス停に止まる路線もあるが、本数は少ない。

「峰谷橋」から10分程度歩くと、旧奥多摩町立小河内小学校の建物に着く。「都内に僅かしか残っていない築60年ほどのヒノキ造りの木造校舎」というキャッチフレーズどおりの、じつに味わい深い建物である。名前が紛らわしいが、旧小学校を利用した多目的スペースすべてをひっくるめた名称が「奥多摩フィールド」であり、その旧職員室に「奥多摩ブックフィールド」がある。職員室内を見学する前に、まずは建物全体をみてまわった。

旧職員室のあたりから玄関を見たところ。外光が入り込んで明るい。

多目的スペース「奥多摩フィールド」として当時のままの教室が使われることもある。

この建物は、1957年に小河内ダムが完成して旧小河内村(合併して奥多摩町となった)がダムの底に没した際に、現在の場所に移転したものだ。移転前から数えると開校から100年以上の歴史をもつ小学校で、移築後の建物も築60年以上だが、玄関も廊下も当時の佇まいを残している。そのため映画などのロケにもしばしば用いられるという。

出版関連資料とドイツ文学者の個人蔵書

ひとまわりして戻ると、出版ニュース社の清田さんも一足先にいらしていたことがわかった。旧職員室と隣の小さな部屋には、「出版ニュース」のバックナンバーをはじめとする同社の刊行物や出版関連の本がコーナー別に仕分けられている。「悩みは湿気とカビです」と清田さん。奥多摩ブックフィールド側でもあらかじめ湿気対策はしていたが、先日の台風19号と大雨の影響で、運び込んだ一部の本にいつのまにか間にかカビが生えていたという。この日はとても天気がよく、本の虫干しにはうってつけだった。

「出版ニュース」のバックナンバー一式が置かれている。

「社史」などジャンル別に出版寒冷資料も区分けされている。

奥多摩ブックフィールドのメンバ―(主催者やサポーター)は、決められた年会費を負担することで、自分の蔵書をここに置くことができる。ひときわ目立つのは、ドイツ文学者・石井不二雄さんの蔵書だ。1980年代まで東京大学教養学部で教鞭をとられ、49歳の若さで急逝した石井さんの蔵書約2000冊がここに収められている。先の開設顛末記によれば、これらの本は「2トントラック2台で運び込まれ、200以上の段ボール箱はバケツリレー方式で棚まで」運ばれた。専門的な本が多いため、遺志を継ぐ研究者たちが丹念に整理したという。

ドイツ文学者・石井不二雄さんの蔵書についての解説。

奥多摩町のローカルメディアと出会った

個人蔵書の一部は値段をつけて売られてもいる。お土産代わりに「どむか」さんのコレクションから「台湾版BIG ISSUE」のバックナンバーを一冊買った。国内外で購入した本や雑誌を「東京最西端書店」と称して、ここで一部展示販売しているのだ。お代は、瓶に入れる。おつりはなく、その代わりに横に置いてある「おつり本」を持っていく、という原始的な仕組み。

奥多摩町にはいま、本屋が一軒もないという。旧小学校の建物は様々なイベントに用いられており、その際に訪れる人たちがこの「本屋」のお客さんである。

サポーターなどが持ち込んだ本の一部は購入することもできる。

奥多摩町公式タブロイド「BLUE+GREEN JOURNAL」が置かれていた。

このほかに気になったのは、奥多摩町公式タブロイド「BLUE+GREEN JOURNAL」というフリーペーパーだ。奥多摩町の自然環境を活かし、ローカルメディアによくある「お店紹介」や「人物紹介」にとどまらず、山間部のサウンドスケープや夜間の景観などを特集しており、デザインもエディトリアルも魅力的だ。

山間部の人口減少や高齢化はどの地域でも大きな課題であり、このフリーペーパーには若い世代町への移住定住を促すという目的があるようだ。配布場所となった奥多摩ブックフィールドがそうした課題解決にも寄与できる場所になるかどうかは、これからの利用のされ方にかかっているだろう。

* * *

最後に、この記事を書くにあたって旧小河内小学校のことを調べていたら、東京都がYouTubeで公開している昭和32年(1957年)の記録映画「東京ニュースNo.85 小河内ダム」を見つけた。この映像のなかには、ダムに沈んでしまった移設前の小河内小学校の校舎と、現在の位置に建てられたまだ真新しい小学校の姿がどちらも見える。

「専門家の蔵書活用」を含めた個人蔵書のアーカイブとしてスタートしたこの場所が、地域の記憶や記録と結びつき、未来の世代に知識をつなげる場所になってくれたらどんなにいいだろう。春になったらまた、奥多摩ブックフィールドを訪れてみようと思う。