物語の命脈と物語による回復

2021年1月6日
posted by 藤谷 治

第26信(藤谷治から仲俣暁生へ)

仲俣暁生様

明けましておめでとうございます。昨年末はB&Bのイベントに参加してくださって、ありがとうございました。瀧井朝世さんや田中和生さんにも助けられました。

今にして思えば、まだあの夜の僕は2020年のメランコリイを引きずっていたようです。病的というほどではなかったと思いますが、実は結構、やばかった。現在はやや回復しているようで、小説の執筆も勢いを取り戻しているようです。年が明けたからではなく、あのイベントにも関係する小さな出来事が回復のきっかけなのですが、それは後で書きます。

僕もまた2020年はいわゆる「古典」と見なされている本ばかり読んでいました。と言っても、仲俣さんのようにジャーナリズムからの解放としてではなく、まったく仕事上の必要からです。大学でほとんど不意打ちのように「日本文章史」なる授業を受け持つことになり、去年の後半から慌てふためいて岩波の「大系本」を神保町のワゴンセールで買い漁りました。

古典に関する専門的な知識もなければ定見もなく、僕のような人間に大学が求めているであろう独創的な文学史観すら持ち合わせていないので、選択の余地なしといったテイで『万葉集』から平安朝文学を経て、謡曲で前期を終え、後期は説経節から江戸文学、明治の言文一致から戦後、現代までという、平々凡々たるラインナップを突っ走りました。学生にはあらかじめ「ゴリラ読み」と自称していたくらいです。

ですから古典の読み直しといっても、否応なしの無我夢中で、仲俣さんの読み方などとは比較にもならない読書でした。おまけにコロナの混乱で当初の予定は大きな変更を余儀なくされ、前期は最初の『万葉集』と最後の謡曲をカットしなければなりませんでした。またそのためもあって、僕の古典読み直しは仲俣さんとは大きく違って、和歌は一切素通りしてしまいました。

しかしそんな読み方でさえ、僕には得るものが大きかったです。若かったころの乱読時代に、僕がどんな具合に古典を読んだかと思い返すと、結果的に「逆流」であったと気がつくのです。最初のとっかかりは落語でした。落語の本が文庫になっていると知って、興津要の『古典落語』を読み、そこから円朝を知り、『膝栗毛』から『能狂言』、『今昔物語』をちらちらめくって『源氏』に降参して『竹取物語』に至る……と、おおむねそんな逆流の読み方をしていたと思います。

今回、改めて「まとも」な順番で読んでいって、はっきり感じたことがひとつあります。それはもしかしたら、丸谷才一の時代区分と、少しは通底するものがあるかもしれません(丸谷氏の本を読んでいないのに、何を言っているんだ、という話ですが)。

それは、江戸時代からこっちは全部現代だ、ということです。中学生でも見るような大ざっぱな文学史年表を眺めていると、八世紀の『古事記』から十四世紀の『太平記』、十五世紀前半の世阿弥くらいまでは、ほぼ間断なく「題名くらいは覚えておこう」みたいな代表的文学作品が並んでいます。ところがその後、元禄時代に西鶴が現れるまで、少なくとも散文作品には、受験勉強レヴェルでの重要作品が見当たりません。西暦でいうと『風姿花伝』がだいたい1400年くらい、『好色一代男』が1682年の出版で、そのかんに「これだけは」というほどのものが見当たらないのですから、なんと三百年くらい、ぽっかり空いていることになってしまいます。

もちろんこの時期、歌集や歌論、謡曲や浄瑠璃は盛んだったのですから、散文にこれといったものがないからといって、文学が衰退したなどとは言えません。ただ、この長い年月は、日本の散文とその書き手にとって、大きな大きな変革期だったことは、どうやら間違いがないようです。

変革というより、いっそ逆転と言った方がいいくらいかもしれません。貴族社会が没落し、台頭してきた武家が平安貴族の文化を模倣し継承し、発展させることで、生殺与奪の権を誇示した時、そこで庇護されたのは美術であり演劇であり、また社交としての茶の湯や華道、そして歌道であったのです。物語作者や散文作者を、武家がパトロネージュしたという話を聞きません。物語や散文が再び現れるには、政情の安定と市民社会の成熟をまたなければなりませんでした。

それは要するに、「権力の庇護」の時代から、「権力の抑圧と資本の支配」の時代への移行に必要な三百年でした。世阿弥までの物語作者が、ほぼ例外なく権力者の威勢や趣味の好悪に依存しなければならなかったのに対し、江戸の幕藩体制が整備され、市民が資本主義社会を発達させてからの作者たちは、権力の監視と制限の下で、「版元」とか「売り上げ」といった資本に依存して生きるようになりました。そしてその生の様態は、西鶴からこんにちの我々に至るまで、いささかも変わることはないのです。恒産があるとか副業を持つとかの、作者たちおのおのの事情や、印税や著作権など、制度上の変化はありますけれど、この三百年でもたらされた変化に較べれば、微差といっていいでしょう。

この三百年のあいだ、散文が書かれなかったわけでは勿論ないでしょう。それは史書や日記として続いていたでしょう。しかし物語は? 藤原定家がいなければ、『源氏物語』は間違いなく散逸していたでしょう。けれども定家の時代にすでに、『源氏』は同時代を映す物語ではありませんでした。それは貴族やのし上がった武家の趣味の規範であり、画題であり、失われた時代への郷愁、憧憬でした。

権力の庇護も受けられなくなり、市民社会の資本も整わなかった時代に、物語は世の中からはじかれた人間によって語られていたのです。彼らの多くは下層階級の人間ではあっても、しかし社会の下層に留まっているわけではなく、少数ながら公家や武家、あるいは僧籍にある(あった)人間も含まれていました。

貧農が食わすことのできなくなった子供たちの、女児が人買いに売られるように、男児は寺に置かれて髪を剃りました。しかし仏門で出世できるわけでもなく、居場所のなくなった彼らは、琵琶を持って辻々をまわり、因果応報の戒めを語るという名目のもとに種々の物語を語って、日銭を稼いでいたのです。恐らくは平安初期の『日本霊異記』にあるような逸話に源のあるそのような「かたりもの」は、やがて『保元物語』『平治物語』そして『平家物語』へと結実されていきます。あの壮大な『平家物語』が成り立ってしまうほどに、物語を語る者たちの貧しさは長く続き、組織化もされ、社会の中で固定化されていた、ということでもあるでしょう。

琵琶法師だけではありません。足利家に庇護された世阿弥から、元禄の町民、商人たちの金に庇護された西鶴までの三百年に成立した物語に、浄瑠璃と歌舞伎がありますが、浄瑠璃の前身といっていい説経節は、ささら乞食と呼ばれる者たちによってうたわれ、歌舞伎ももとは河原乞食という被差別民の仕事であったといわれています。詩歌や私的な散文、あるいは公的文書に準ずるような史書や倫理に関わる文書と違って、日本の社会における物語は、かなりはっきりと見捨てられた人間たちのための、見捨てられた人間による創作であり、技芸であったと言えるのです。

同時代の政治的事件を物語とすることに、時の権力があからさまな弾圧を加えたことは、シェイクスピア時代のイギリスも歌舞伎揺籃期の日本も全く同じです。そして歌舞伎作者は、これまたシェイクスピアと同じ手段でこの弾圧に対処しました。すなわち「これは現代の話ではない」とまず逃げを打って、それから同時代の物語を語ったのです。周知の通り『仮名手本忠臣蔵』は、あくまで『太平記』に材を取った塩冶判官と高師直の話であって、浅野内匠頭と吉良上野介の話ではありません。そうであると同時に、『忠臣蔵』が元禄十六年の討ち入りの話だという共通理解は、当時も今も変わりなかったのです。

出自によって地位も職業も、人生もあらかじめ決定される社会から逸脱して、見かけの華やかさとは裏腹に下層民として生きた物語の担い手たちは、卑屈ともいえる搦め手で「お上」の弾圧を避けたのでした。そして「お上」もまた恐らくは、ある意味で騙されたフリをしていたのだと思います。それだけ物語が、どの階層の人間にとっても魅力的であり、また社会の不満のガス抜き的な効果を持ってもいたのでしょう。

物語はアウトローによって命脈を保ってきました。僕には自分をアウトローだ、世間一般の人間とは違うんだなどと気取る趣味はありません(僕の「自己承認欲求」は別のところにあります)。僕はただの小説家、物語作者であり、その身過ぎ世過ぎに鬱々としている、普通の社会人です。

ただ物語作者として、我らの偉大なご先祖様たちのことを思うと、やっかいなメランコリイが、薄皮の剥がれるようにほどけていくのを感じるのです。というか、そう感じることについ最近、気がついたのです。それはあのB&Bのイベントのおかげでした。ゲストのお三方が紹介してくれた「2020年の収穫」を、今の僕はゆっくり読んでいます。昨年最後の読書になった青山七恵さんの『みがわり』は、とても、とても良かった。これを僕は「脱皮」の物語として受け取りました。

そして今はマーガレット・アトウッドの『獄中シェイクスピア劇団』を読んでいます。まだ最初の百頁しか読んでいませんが、この一冊は僕を回復させてくれます。怒りや悲しみをユーモアで覆う語り口は、「世界は舞台、人はみな役者」という、シェイクスピアの人間観を踏襲するものでしょう。

こんな言葉がありました。

「シェイクスピア本人は古典になるつもりで書いてないよ!」フェリックスは声に怒気をふくませた。「彼にとっての古典とは、古代ローマのウェルギリウスであり、ギリシャのヘロドトスであり……本人はいつオケラになっても不思議じゃない、いわゆる劇団座長にすぎなかったんだ」(鴻巣友季子訳 p.72)

仲俣さんほど速読できるわけじゃないし、読み終わるのにはもう少し時間がかかるでしょう。『みがわり』もそうでしたが、『獄中シェイクスピア劇団』を読んでいると、むしょうに自分の小説を書きたくなるのです。シェイクスピアが「いつオケラになっても不思議じゃない」のだから、僕ごときが仕事もしないで手許不如意を嘆くなんて、おこがましいにも程がありますからね。

実はこの手紙では、仲俣さんのひとつ前の手紙に応じて、「編集」についても書くつもりだったのですが、長くなりました。そのうちまた書きます。それでは。

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執筆者紹介

藤谷 治
小説家。1998年から下北沢で書店「フィクショネス」を開業(2014年に閉店)。2003年に『アンダンテ・モッツァレラ・チーズ』(小学館文庫)で小説家としてデビュー。『いつか棺桶はやってくる』(小学館文庫)が三島由紀夫賞候補となり、『世界でいちばん美しい』(小学館)で第31回織田作之助賞を受賞。音楽高校を舞台にした青春小説『船に乗れ!』三部作(ポプラ文庫)は2010年の「本屋大賞」で7位となったほか、2013年には交響劇として上演された。このほかエッセイ集に『船上でチェロを弾く』(マガジンハウス)、『こうして書いていく』(大修館書店)がある。