SNSでは伝わらない「声」を

2022年1月6日
posted by 仲俣暁生

第27信(仲俣暁生から藤谷治へ)

藤谷治様

新年あけましておめでとうございます。昨年末の本屋B&Bでの恒例イベントも楽しかったです――と書いてから、藤谷さん宛ての一つ前の手紙を書いたのが一昨年暮れだったことに気づきました。

そう、2021年の初めに往復書簡の第26信をいただいた後、けっきょく一度も私からは返事を書けずにいました。それどころか「マガジン航」のサイト更新自体が春から止まっており、先日ようやく一念発起して再起動を果たしたばかりです。多くの方にご心配をいただきましたが、このサイトの活動は止めない。そう宣言した後、真っ先にこの手紙を書き始めました。

この往復書簡のやりとりこそたいへんにご無沙汰ですが、藤谷さんとは年末のイベントの前にも、新宿ロフトプラスワンでの荒木優太さんとのトークイベントにゲストとしてご登壇いただきました。そのときも暮れのイベントでも話題にしましたが、昨年はSNS上で文芸や批評をめぐる、なんというか、「刃傷沙汰」とでも表現するしかない出来事が何度か起きました。

比較的ちかしい人たちが関わったそれらに対して自分なりの態度表明をしているうち、SNSに関わること自体にうんざりしてみたり、しかしネット上で何かを書いたり意見表明したりしようとすれば、SNSという告知手段に訴える以外に有効な手はないという事実に愕然としたり……という堂々めぐりのうちに、このサイトの更新が疎かになってしまった。そんなふうに昨年後半の自分を分析しています。

ところでいまSNSでの「刃傷沙汰」と書きましたが、こんな言葉がつい浮かんだのも、年末年始に一昨年から読み残したままの忠臣蔵関係の本(具体的に書目を挙げると、渡辺保『忠臣蔵――もう一つの歴史感覚』、小林信彦『裏表忠臣蔵』、井上ひさし『不忠臣蔵』といった、古い本ばかりです)を読んだり、アマゾンで古い映像作品(三船敏郎が大石内蔵助を、尾上菊之助が浅野内匠頭を、市川中車が吉良上野介を演じた1971年のTVドラマ、『大忠臣蔵』です)を観たりしていたせいかもしれません。長引くコロナ禍のなか、気がクサクサしたときはとりあえず古典的な本、つまり多くの人によってすでに読まれ、解釈され、論じ尽くされた作品をその厚みとともに享受するのがよい。そう思い知ったからです。

しかし残念なことに、現在起きている文芸作品をめぐる諍いは、いくらSNS上で「炎上」しようとも、忠臣蔵ほどのポピュラリティをもつドラマにはなりえません。藤谷さんのほうがよくご存知のとおり、魅力的なドラマを成り立たせるには、立役者にそれなりの演技力が必要です。文学の世界でまださかんに論争が行なわれていた時代のことを私たちはかすかに記憶する世代ですが、あの頃の論争にはどんなに喧嘩腰であろうとも、いや喧嘩腰であればあるほど、どこか演技じみたものがありました。でもいまはSNSでの論争の言葉が、ほとんど「生の声」として響いてしまう。いや、かりに演技だったとしても、そのようには受け取られない、というのが正確かもしれません。その結果、文学をめぐる言葉がそのまま刃になってしまう。なんともやりきれないことです。文学が伝えるべき「声」は、そこからもっとも遠いはずなのですが。

ところでこのサイトの更新が長いこと滞っていた半面――そして昨年はさしたる文学的収穫はなかったのではないか、という実感にも反して――、私自身の読書生活はそれなりに充実していました。雑誌への定期的な書き物仕事がいくつか打ち切りになり、経済的には大きな打撃を受けたかわり、本をゆっくり読む時間が増え、自分の関心に沿って読書を組み立てていく余裕ができたことが大きかったようです。これについては、おいおいまた書いてみたいと思います。

ジャーナリスティックな方面での仕事としては、月に一度の作品評(一昨年に出した単行本にまとめた連載がいまも継続しています)のほかに、『三田文學』という歴史ある文芸雑誌で、新人作家の作品を中心的に対象とする文芸季評をはじめました。これまであまり注意を払ってこなかった、もっとも新しい世代の文学作品を集中して読む機会が増えましたが、正直、まだはっきりとした手応えが得られているわけではありません。ただ、自分が熱心に追いかけてきた同世代の作家たち――その多くがいまや「大家」になってしまいましたが――とはずいぶん異なる文芸へのスタンスを感じとっています。

私は東日本大震災を一つの画期として、日本の小説はずいぶん姿を変えたと感じています。ただしそれは「震災後文学」と呼ばれることもある、あの出来事にたいする即時的反応としての作品ではなく、もっと長いスパンで起きた――あるいはいまも継続中であるような――変化に思えます。あの震災から現下のコロナ禍までの約十年の間に、文学作品に対する人々の向き合い方そのものが、大きく変わったのではないか。それをうまく表現する言葉を探しつつ、こつこつと気になる作品を読みすすめているところです。

目の前に、ぜひ読んでみたいと思える小説作品が――それも「古典」と呼ばれるもの以外に、同時代に自国語で書かれた作品として――存在していることは、それらをめぐる論争の有無とは関係なく、幸せなことだといつも思います。出版産業にとっては前途多難な日々が続きそうですが、読者としての自分は、そうした状況と関係なく幸福である、という不思議な肯定感が、先の見通せない日々をなんとか支えてくれています。

藤谷さんとのこの往復書簡も、振り返ればもう足掛け5年になります。もしご迷惑でなければ、このやりとりをもうしばらく続けさせてください。

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執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。