戯画よりもグロテスクな

2022年3月1日
posted by 藤谷 治

第30信(藤谷治から仲俣暁生へ)

仲俣暁生様

仲俣さん、僕には判らないのです。僕がこの戦争についても、スラブ人の歴史や文化についてもほとんど何一つ知らないからでもあるでしょうけれど、もしかしたらこれは、世界中の誰もが判らないことなのかもしれません。

ロシア政府はこの戦争をして、なんになると思っているのですか。

ロシア政府の「当面の」目的は、僕にもおぼろげながら見当がつきます。彼らはウクライナに傀儡政権を作りたいのでしょう。NATO加盟に積極的なゼレンスキー大統領を暗殺し、「親ロシア派」の大統領を据えたいのでしょう。

そこまでは理解できます。しかしこれだけの物事が、それで終わるわけがありません。その先にロシア政府は、何があると考えているのでしょう。ロシア帝国の復活ですか。ロシア経済の発展でしょうか。どちらもありえません。帝国が復活したり経済が発展するには、まずそれを支えられるだけの資本力が、ロシアそのものになければなりません。今のロシアに周辺国へ恩恵を授けるだけの資本はありません。

カネではなく、他の利益が今のロシアに見込めるか。それもありません。今のロシアは大国ではない。大きいのは面積だけです。人口は日本とどっこいどっこい、男の平均寿命は70歳に届いていません。経済規模はアメリカの1州と同規模だという話も聞きました。

そのような国家を繫栄させようと思ったら、為政者はなんとかして経済を立て直そうとするもんなんじゃないでしょうか。自国内だけでなく、世界中を相手に商売をしなければならないのではないでしょうか。

ものの売り方を僕は知りませんが、なんにせよ商売は信用第一のはずです。愛想笑いや揉み手をする必要はないかもしれない。しかし商売相手に自国のブランドイメージを高める必要はあるでしょう? ロシア政府は、なぜそれをしないのでしょう?

僕みたいな安閑とした人間が首をかしげても、なんにもなりません。ロシア政府は隣国ウクライナに侵攻しました。ウクライナを破壊し、ロシア人もウクライナ人も殺しました。それは想像を絶する事態です。しかしそれ以上に恐ろしいのは、この侵攻が、いつかは終わる、ということです。どれくらい時間がかかるのか、どのようにして終わるのか、まったく見当がつきませんけれど、いつか、なんらかの決着がつくのです。

ウクライナが降伏するのか、ロシア軍が撤退するのか、あるいは戦域をもっと拡大させるのか、いずれにしても終わります。その「終わり」を、これを始めたロシア政府は、どのように幻視しているのか。僕にはそれが全然判らないのです。

戦争を始める為政者は、終わった後のことなど考えないと、どこかで読んだことがあります。そうなのかもしれませんが、それでも終わりはやってくる。

むこうに檜(ひのき)があるだろう。あれが目障りになるから取り払う。とその向うの下宿屋がまた邪魔になる。下宿屋を退去させると、その次の家が癪に触る。どこまで行っても際限のない話しさ。西洋人のやり口はみんなこれさ。ナポレオンでも、アレキサンダーでも勝って満足したものは一人もないんだよ。人が気に喰わん、喧嘩をする、先方が閉口しない、法庭(ほうてい)へ訴える、法庭で勝つ、それで落着と思うのは間違さ。心の落着は死ぬまであせったって片付く事があるものか。

唐突に『吾輩は猫である』の一節を思い出しました。クシャミ先生の前で長広舌をふるう哲学者先生は、この「西洋人のやり口」に比較して日本の文明を称揚し、

山があって隣国へ行かれなければ、山を崩すと云う考を起す代りに隣国へ行かんでも困らないと云う工夫をする。山を越さなくとも満足だと云う心持ちを養成するのだ。それだから君見給え。禅家でも儒家でもきっと根本的にこの問題をつらまえる。いくら自分がえらくても世の中はとうてい意のごとくなるものではない、落日をめぐらす事も、加茂川を逆に流す事も出来ない。ただ出来るものは自分の心だけだからね。

と続きます。もちろん、今の日本がこのような「心持ちを養成」しているとは、とても思えませんけれど。

ここまで書いて今ネットのニュースを見ると、ロシアの大統領(名前なんか書きたくない)は、とうとう「核戦力」までちらつかせだした、ということです。それが本気であれば、かの大統領を狂人と呼ぶのに僕は躊躇しないし、ただのハッタリ、脅しにすぎないのなら、あの男に権力を持つ資格はありません。

* * *

一夜明けました。2月最後の日です。インターネットからの情報には、日増しに信が置けないものが増え、テレビや報道機関の情報は、「専門家」の言葉が煮え切らない印象があります。

欧米はロシアの主要銀行を、国際的な決済システムから除外することを決定したそうです。日本もこの決定に参加するそうですが、このシステムは「SWIFT」というそうです。何の略称なのか僕は知らないし、これからも知ることはないでしょう。僕が知っているのは、ただ、『ガリバー旅行記』を書いたJonathan Swiftだけです。

……そして私は、世界の他の国の、人間の性質について、主人としばしば話しあったことを思い出す。他のことなら鋭い判断力を発揮するのに、話が「嘘」とか「虚偽の表現」のこととなると、かれは、私の言っていることを理解するのにたいへん骨をおっていた。かれはこう言った。話すことの効用は、たがいに意思疎通をし、事実に関する知識を得ることだ。しかし、もしも、だれかが、ないものをあると言ったら、その目的はだいなしにされる。相手を本当には理解できなくなるし、知識を得るどころか、白いものを黒いものと、長いものを短いものと信じてしまうのだから、無知よりも一層ひどい状態になる。これが、嘘の機能についてのかれの考えだった。人間のあいだでは、こんなことはまったく了解済み、当たり前のことだという。

つい去年「B&B」でじっくり読んだ『ガリバー旅行記』の文庫本が見当たらないので(よくあることです)、この言葉をエピグラフに引いているフィリップ・ロスの『われらのギャング(Our Gang)』(青山南訳)から採りました。『われらのギャング』は、ロスがニクソン大統領を徹底的に(異常なまでに徹底的に)戯画化した小説ですが、発表は1971年で、ウォーターゲート事件の前です。

政治的な事件が起こるたびに、僕はこの小説を思い出します。日本で政権が民主党から自民党に戻って以来のことを、この小説の手法で書いたらどうだろうと、僕はずっと夢想していました。けれども今は、その気持ちが萎えています。イアン・ブレマー氏(誰だか知りません)がロイター通信のインタビューで言っているように、この戦争はロシア政府の最高権力者である大統領が、アメリカの大統領、ドイツの首相、フランスの大統領に、侵攻の意図はない、これは軍事演習だと、嘘をついて始まりました。政治に嘘はつきものでしょうが、これはロシアの大統領が他国の首長に向かって、じかに、自分の口で、「白いものを黒いものと、長いものを短いものと」言ったのです。そのあまりにも厚顔な、原始的な、幼稚な政治手法によって、彼は自分の見も知らぬ人を、次々と殺している。殺すように人に命じている。そんな現実の、あまりのグロテスクさに、「戯画」を描こうとする筆は、いま、凍りついています。

第1信第2信第3信第4信第5信第6信第7信第8信第9信第10信第11信第12信第13信第14信第15信第16信第17信第18信第20信第21信第22信第23信第24信第25信第26信第27信第28信第29信第31信につづく)

執筆者紹介

藤谷 治
小説家。1998年から下北沢で書店「フィクショネス」を開業(2014年に閉店)。2003年に『アンダンテ・モッツァレラ・チーズ』(小学館文庫)で小説家としてデビュー。『いつか棺桶はやってくる』(小学館文庫)が三島由紀夫賞候補となり、『世界でいちばん美しい』(小学館)で第31回織田作之助賞を受賞。音楽高校を舞台にした青春小説『船に乗れ!』三部作(ポプラ文庫)は2010年の「本屋大賞」で7位となったほか、2013年には交響劇として上演された。このほかエッセイ集に『船上でチェロを弾く』(マガジンハウス)、『こうして書いていく』(大修館書店)がある。