過去から届く未来の荒廃

2022年5月7日
posted by 藤谷 治

第31信 藤谷治から仲俣暁生へ

仲俣暁生様

前にお便りを差し上げてからふた月ほど経ちましたが、ロシアのウクライナ侵攻はまだ続いています。前便で僕は判らないと書きました。今や混迷は言いようのないほど醜悪の度を増しています。

人間がどれほど残虐になれるかを、物書きはせめて報道ででも見なければならないと思うから、報道には触れますが、まともな神経の持ち主なら耳をふさいで逃げ出すのが当然のできごとが毎日繰り返されています。

日本人が戦争をしていた頃のことを、どうしても考えます。もちろん僕はそれを知らないし、想像の限界を超えているとも思います。ただ僕も仲俣さんも、ある程度の距離がある「おとな」の中に、今ウクライナで行われていることと大差ない惨状を経験して帰ってきた人々を見、話をすら聞いています。「ある程度の距離」というのは、僕たちの親や兄の世代ではなく、もう少しだけ上、祖父や伯父、あるいは近所に出入りの植木屋さんとか、電車の中でからんでくる酔っ払いの中にいた、という意味です。銭湯で知らないおっさんから、刀傷や貫通した銃弾の痕を見せられたことは、仲俣さんにもあるのではないですか。

そんな人たちの話を見聞きしたのが戦争体験だなどとは言えるわけもありません。しかしそれはいわば「戦争体験者を体験した」とは言えるはずです。今の世で同じ人に出会って、戦争体験談を聞くことはもうできません。

聞かずに済むようになった、と、僕としては言いたいところです。戦争から帰ってきた男たちの話はしつこく、要領を得ませんでした。自分の知っている戦地をこちらが知らないわけはないという前提で喋るし、知らないと判ると理不尽に馬鹿にしたり罵ったりしてきたものです。

「なんだオメエ、第ナントカ連隊のナントカ連隊長を知らないのか? 何にも知らないだな今どきのガキは!」

彼らは僕の無知を軽蔑していたのではありませんでした。彼らはただ苛立ち、何に苛立っているかも判らず、判ろうともしていなかった。判ろうとするのは、あの残虐な出来事をもう一度体験するようなものだったからでしょう。

僕たちは戦争を体験していないが、戦争を体験した人間には触れたのです。僕が銭湯で中年男のえぐられた脇腹を見せられたのは、戦争が終わって四半世紀も経ってからだったというのに。

*  *  *

仲俣さんのフェイスブックに教わって、レイモンド・チャンドラーの代表作『The Long Goodbye』が新たに翻訳されたと知りました。創元推理文庫から出たその『長い別れ』(田口俊樹訳)は、僕にはこれまでで最もすぐれた翻訳だと思えます。長いこと独占的だった清水俊二の『長いお別れ』は、抄訳とまで行かないのかもしれないけれど、文章を間引いて原文をスピーディに、かつカッコよく演出していたようですし、数年前の村上春樹訳『ロング・グッドバイ』は、現代日本文学を代表し一世を風靡した、村上春樹氏自身の小説世界と、あまりにも似すぎていました。

今度の田口訳はそのどちらでもありません。『The Long Goodbye』が優れた小説であることは十二分に意識しながら、しかし決して作品世界に何かを託したり、入れ込んだりしている気配はありません。田口訳によってようやく僕は、原書を読もうとしても読めなかったところ(ほとんどの部分です)や、この作品の欠点と魅力を、比較的きちんと把握できたように思います。

僕は中学生の頃に清水訳の『長いお別れ』を読んでから、三十代前半まではチャンドラーをよく読んでいました。その頃清水氏はまだ長編の全訳はなしておらず、双葉十三郎や田中小実昌の訳で、短編は稲葉明雄が訳していました。

清水氏が長編をすべて訳し終える前に、僕のチャンドラー熱は冷めました。村上訳が出た時には再び興奮しましたが、次々と出る新訳を追いかけ続けるほどにはなりませんでした。

フィリップ・マーロウという狂言回しに「男性的な」魅力を感じることは、二十代になる前に、もうなくなっていました。しかしマーロウを含め、僕は今でもチャンドラーの人物造形力には驚嘆しています。チャンドラーは物語内でどんな小さな役割しか果たさない人間でも、印象的に描きます。タクシーの運転手やエレヴェータ係、警官や老人や医者や召使といった、脇役中の脇役を、忘れられなくするチャンドラーの筆は、他の追随を許しません。それは時に、物語の進行を滞らせることすらあります。それはチャンドラーが、「物語」よりもはるかに「小説」の創作に長じていたことを示しています。

しかし――僕は自分のことを棚に上げ続けていますが――小説家としてのチャンドラーは、いかにも古風なロマンス信者、あるいはロマンスへの反抗者であるというほかありません。彼には物語を手際よく綴るという才能が欠けていたし、恐らくそのような技量には、軽蔑を感じていたと思います。チャンドラーがアガサ・クリスティを嘲弄し、ヘンリー・ジェイムズを好んでいたというのは、まったく示唆的というほかありません。彼はパルプ小説を文学に昇格させたのではなく、結果的にそのような小説をしか書くことができなかったのです。……それは悪いことでもなければ欠点でもなく、まったく素晴らしいことではあるのですが。

チャンドラーには今でも感心しきりです。弱点もあるけど長所は圧倒的に優れています。しかしすでに多くの指摘がある通り、彼の小説は基本的に「現代における騎士道精神の幻滅とささやかな勝利」という美学を倫理とするものです。彼はその騎士道精神が、現代においては女性不信と矛盾しないことを発見しました。それに現代社会への気の利いた皮肉と小気味いい暴力が加われば、大衆の人気を得るのには「文学的な品位」などは邪魔にならないのかもしれません。

今の僕は圧倒的にダシール・ハメットに魅了されています。それはチャンドラーを読むのとはまったく、まったく別種の経験です。

高校生の頃に『ガラスの鍵』を読みましたが、これは読んだうちに入りません。無味乾燥、いささかも心を動かされませんでした。出来事がぱらり、ぱらりと書いてあるだけで、筋もはっきり見えてこないし、なんのつもりでこんな小説を書いているのか、さっぱり理解できませんでした。

再読を始めたのは五十を過ぎてからです。晩年の小鷹信光氏が『デイン家の呪い』を訳してハメット長編全作訳出を達成したのちも、『マルタの鷹』の改訳だけでなく、ハメットが死ぬまで完成させようとしていたという『チューリップ』の未完原稿まで翻訳したと、小鷹氏の没後に知りました。書店で諏訪部浩一氏の『「マルタの鷹」講義』を見つけたこともあり、試しにもう一度、と読んでみたのです。そして読み始めると、もう読み捨てることはできなくなりました。

ハメットは僕にとって汲めども尽きせぬ永遠の謎です。数十の上出来な短編と、それぞれまったく趣を異にした五作の長編を十年ばかりのあいだに書きあげると、以後はすっかり書けなくなりました。あのウェルメイドな短編を見れば、彼が書けなくなるなど考えられないことです。彼の「非米活動」や共産党入党などは、小説を書く情熱になんの足かせになるものでもありません。偽名でも何でも使って書いたでしょう、もし書けていたなら。しかし彼は書けなくなった。『チューリップ』という断片は、それを無惨に証明しています。

――仲俣さんには笑われるかもしれませんが、ハメットの生涯を思うとき、僕は人間には生来の才能とか資質など、実はないのではないか、人間は「ミューズ」に愛されている(あるいは、取りつかれている)そのあいだだけ、かろうじて何事かを表現し創作できるのではないか、傑出したものを創作する者であればなおさら、と、幻想せずにはいられません。

*  *  *

長々とした手紙になりました。現実逃避の楽しみに惑溺しているのかもしれません。報道は潮が引くように遠い国での戦争から遠ざかっているように見えますが、これが世界の暗い分節点として小さくないものであるのは間違いありません。

しかし――前の手紙にも書いたと思いますが――この侵攻、戦争は、いつか終わります。兵士として駆り出された人々は故郷に帰るでしょう。破壊された家に戻らなければならない人もいるでしょう。「英雄」として持て囃される人間すら、いるかもしれません。

彼らはこれからどのように生きていくのか。彼らの中に何が残るのか。

チャンドラーやハメットの描いた人物に、僕は過去から届く未来の荒廃を見るような気がしています。

第1信第2信第3信第4信第5信第6信第7信第8信第9信第10信第11信第12信第13信第14信第15信第16信第17信第18信第19信第20信第21信第22信第23信第24信第25信第26信第27信第28信第29信第30信第32信につづく)

執筆者紹介

藤谷 治
小説家。1998年から下北沢で書店「フィクショネス」を開業(2014年に閉店)。2003年に『アンダンテ・モッツァレラ・チーズ』(小学館文庫)で小説家としてデビュー。『いつか棺桶はやってくる』(小学館文庫)が三島由紀夫賞候補となり、『世界でいちばん美しい』(小学館)で第31回織田作之助賞を受賞。音楽高校を舞台にした青春小説『船に乗れ!』三部作(ポプラ文庫)は2010年の「本屋大賞」で7位となったほか、2013年には交響劇として上演された。このほかエッセイ集に『船上でチェロを弾く』(マガジンハウス)、『こうして書いていく』(大修館書店)がある。