第1回 アマゾンがリアル書店を展開する思惑

2018年2月9日
posted by 大原ケイ

ニューヨークに2軒できた「アマゾン書店・ブックス」(アマゾンが展開する実店舗)をこのところ何度か訪れた。1店はセントラルパークの南西端に位置するコロンバス・サークルにあるショッピングセンターの中に、もう1店は目の前がエンパイア・ステート・ビルという立地で、ショッピング客が多い34丁目界隈にある。通りすがりの観光客なら立ち寄る人もいるだろう。

普段からアマゾンでネット通販を利用している人なら、アマゾンの名前が路面店に冠されているのを見て興味をひかれるかもしれない。だが、ここはよく本を読む人にとってなんの魅力もない場所に思える。ずっとこの違和感の正体を考えている。

アマゾン・ブックスのコロンバス・サークル店(撮影:大原ケイ)。

マンハッタンの34丁目店(撮影:大原ケイ)。

ニューヨークの本屋は次々に廃業

2017年の11月にアマゾン・ブックスの第1号店がシアトル郊外のモールの一角にできてから、いよいよアマゾンが全米に残りわずかなインディペンデント書店を潰しにかかったか、と恐れる報道も一部には(特になぜか日本で)見られた。このまま全米に最大で数百の店舗規模を考えている、と早とちりした不動産関係者のリークもあったが、そんな予想に反して、アマゾン・ブックスは最初の一握りの店舗がオープンした後は「開店準備中」も含めて16店で止まっている(2018年1月末現在)。

アマゾン・ブックスは現在、カリフォルニア州に2店舗、ニューヨーク州、マサチューセッツ州、ワシントン州に各2店舗、イリノイ州、オレゴン州、ニュージャージー州に各1店舗を展開。さらに近日中にメリーランド州、テキサス州、ワシントンD.C.にも開業の予定。

2008年秋のリーマン・ショック以降もまったく地価が下がらないニューヨークでは、イーストビレッジにあったセントマークス書店も、珍しいクックブックを集めたボニー・スロトニク書店も、力尽きてクローズしてしまった。マンハッタンはもう薄利多売の本屋さんが店を回していけるような場所ではなくなってしまったということだろう。いまもがんばってる書店は自社ビルだったり、長期リースがまだ切れないだけで、家賃の値上がりや店主後継者がいないために廃業や移転を余儀なくされている店が後を絶たない状況だ。

アマゾンがその気になれば全米一の書店チェーンを展開することなど容易いことだろうに、アマゾン・ブックスはなぜ雨後の筍のように増えていないのだろうか? その間にもアマゾンはオーガニックスーパーのホールフーズを買収したり、無人レジ店を設置している。そうした積極的な戦略の中では、むしろそのスローペースのほうが気にかかる。やはり、アマゾンは全国に「ブリック&モルタル」と呼ばれるリアル書店を大々的に展開する気はなさそうだ。

店舗の設置を通して欲しかった現場の情報は、既存のアマゾン・ブックスを通して既に入手しているのかもしれない。あるいは、これまで店舗を構えてきたシアトルやボストンといった都市部の不動産物件は、最初から10年契約が当たり前で、そんなに悠長にデータ集めに時間をかける必要はないと判断したのかもしれない。本棚を見て回っても、こうした考えばかりが浮かんで来て、そこに並んでいる本に集中できない。見た目にはかなり小奇麗で洒落た空間であるはずなのに。

電子書籍や音声アシスタント端末も陳列

アマゾン・ブックスでは本はほとんど全てが平積みか面陳だ。それをきれいに浮かび上がらせるLCDライトが仕込まれた本棚は特注だろう。雑誌の棚があり、座り心地のいいレザーの椅子が置かれた様子は、飛ぶ鳥をも落とす勢いのあった頃のバーンズ&ノーブルを偲ばせる。ジャンルのレイアウトもわかりやすく、ディスプレイは黒を基調としたトーンで統一感がある。なによりも、面陳のおかげで首を傾げずに本を眺められる(英語の本は「背差し」だとタイトルが横倒しになるため、つい首が右に傾ぐ)。

すべての本は表紙を前に向けた、いわゆる「面陳」で並ぶ(撮影:大原ケイ)。

他の書店と違うところといえば、アマゾンが展開するハードウェア製品が集められている点だ。2012年にリテール(量販店)のライバルであるウォルマートやターゲットからキンドル商品を引き上げて以来、店頭でアマゾンのガジェットを売っているところがなくなっていた。

いまや何世代ものバラエティーが揃った電子書籍リーダー「キンドル」や、タブレット「キンドルファイア」、人工知能アレクサを搭載した音声アシスタントである「エコー」、映画やドラマ、スポーツなどが楽しめるデバイス「ファイアーTVスティック」などが並べられている。

「キンドル」シリーズの各種端末(撮影:大原ケイ)。

音声アシスタントの「エコー」も陳列(撮影:大原ケイ)、

昨年の暮れからアマゾンはひっそりアマゾン・インドで独自のスマートフォン、「10.or」 (Tenor テノールと呼ぶらしい)を売り出した。これがインド限定とは思えないので、いずれ全世界でも発売するだろうし、そのときにこそ、アマゾンが開発した新しいスマホを手にするためにITギークな人たちがアマゾン書店にやってくるというわけだ。すでにアマゾンのガジェットコーナーには書店員とは別の担当者がいて、客のニーズを聞きながらキンドルを選んだり、エコーでできることを詳細に説明してくれる。

アマゾンが開発する格安スマートフォン、「10.or」の公式サイト

これこそ他のリテールでショールーム機能が果たせないアマゾンオンリーのガジェットを売るために、つまり実際に客に触って試してもらうためにアマゾンが作りたかったリアルな「場」だろう。だが、スマホを売るためにわざわざ書店を作ったとは思えない。ハードウェアの陳列・デモだけならば、グーグルがやっているような期間限定のポップアップ・ストアで事足りる話だ。アマゾンはリアル書店で何をしようというのか。

プライム会員への誘導が目当て?

ニューヨーク市内の2店から判断すると、店の広さは100坪前後、在庫はマスコミを通じて約5000タイトルと報じられていたが、もう少し少なく、3000タイトルぐらいとみた。同じ規模のインディペンデント書店ならこの3倍近いタイトルを揃えているだろう。売れ筋の本だけを厳選、つまりオンラインストアのホームページを眺めているような気になる。

本の値段はプライム会員ならオンラインと同様、かなりのディスカウントで買える。プライム会員ではない人には小売希望価格(定価)だ。アマゾンほどでなくとも、売れ筋の本を何割か安く買うことに慣れているアメリカの客には高く感じられるだろう。そこですかさずレジ係が声をかける。「いまこの場で1ヶ月無料のプライム会員にお試し入会していただくと、ディスカウント価格になります」と。だからこの書店はアマゾンのプライム会員誘致キャンペーンの場だとも言える。

アマゾン・ブックスの書店員の仕事は楽だ。IT企業特有のフレンドリーな接客さえできていれば、客が探している本は手持ちのタブレットで調べてそのタイトルがある場所さえ突き止めればいいのだし、棚になければ「ぜひぜひオンラインでお求め下さい」と勧めておけば取り寄せ注文をとる必要もない。本のことを誰よりもよく知っている書店員、などというのはアマゾン・ブックスには無用なのだ。もしかしたら「店員」そのものも。

アマゾンは、本社のお膝元であるワシントン州シアトルに、レジのない無人コンビニ「アマゾン・ゴー」を一般客に向けてオープン(社員限定の店はあった)した。さらに「アマゾン・フレッシュ」という、ネット予約しておいた新鮮な野菜を指定時間にドライブスルーで受け取れるという新形態のスーパーも始めている。都市部のプライム会員相手に注文したものを1時間内に届ける「プライム・ナウ」というサービスもある。

その一方で、ロジスティックスの中抜きもスケールが大きく、アマゾン専用の貨物用ジャンボジェット機を数十台リースしていたり、中国の工場から直接商品を受け取るための貨物船会社の免許もとっている。無人ドローンの実験も行い、ジェフ・ベゾス社長は宇宙に有人・無人のロケットを飛ばそうと、ブルー・オリジンというベンチャーのエアロスペース会社を作った(月からもオーダーできる日も遠くないのかも)。

アメリカは「出版不況」ではない

アマゾンが「ディスラプション(創造的破壊)」をもたらそうとしているのは、グローバル規模の「リテール」そのものであり、全米にわずかに残ったインディペンデント書店を潰すというような“ちゃちな”目的は持ち合わせていないだろう。そう思うと、「アマゾン・ブックス」と名乗っているこの店は「本屋の仮面を被った」何か別のものだという気がしてならない。

思えば、アマゾンが最初にオンラインで売り出したものこそ「本」だったが、それはリテール全体に投じた最初の石でしかなかった、と、いまなら思える。その最前線に立たされた「書店」が、どうアマゾンを迎え撃ってきたか。いまもどう戦っているのか。この短期集中連載では、もう少し突っ込んで考えてみたい。

米国内の書店は、本能的にそのことを見抜いているが故に、アマゾン書店が次々とオープンしても、自分たちの店が潰れるとは思ってはいないようだ。その一方で、店舗数で国内第4位だった「ブック・ワールド」というチェーン店が経営破綻に追い込まれたばかりでもある。あまりニュースにはなっていないが、最大手バーンズ&ノーブルも新たな展開を試しつつある。そしてインディペンデント書店と呼ばれる街角の小さな本屋さんも、マンハッタン以外の場所でまだまだ元気に息づいている。

「出版不況」という言葉を英訳しても、この街の人たちには通じない。

(短期集中連載・つづく)

神保町ブックセンターは本の町を再起動させるか

2018年2月1日
posted by 仲俣暁生

神保町交差点の角に立地し、ながらく「岩波ブックセンター」の名で親しまれてきた信山社は、同社の代表取締役会長だった柴田信さんの急逝により、2016年11月に休業・破産手続きにはいった。その後、用途が宙ぶらりになっていた「本の町」の一等地の行方には、多くの人が期待や不安とともに、関心を寄せていたことだろう。

2016年11月に休店した直後の信山社(岩波ブックセンター)。

この岩波ブックセンターの跡地に、「神保町ブックセンター with Iwanami Books」(以下、神保町ブックセンターと略記)という施設が今年4月に開業することを、その運営主体となるUDS株式会社が1月31日に発表した。広い意味での「本の施設」としてこの場が続くことを知り、私もホッとした気持ちになった。

プレスリリースによると、神保町ブックセンター は書店・コワーキングスペース・喫茶店の複合施設であり、「本を中心に人々が集い、 これからを生きるための新しい知識・新しい仲間に出会える”本と人との交流拠点”となる場」として企画・設計・運営されるという。同センター内には、日中は喫茶店で夕方以降は酒も楽しめる「本喫茶」や、コワーキングスペースや会議室などからなる「仕事場」があり、後者のワークラウンジでは岩波書店の本や著者のイベント、連続講座、読書会などが定期開催される予定だ。

プレスリリースで披露された神保町ブックセンターの内観パース。

神保町ブックセンターの運営には、東京・下北沢の本屋B&Bの共同経営者で、青森県八戸市の市営施設、八戸ブックセンターを手掛けた実績をもつNUMABOOKS代表の内沼晋太郎さんがアドバイザーとして関わることも同時に発表された。

神保町ブックセンターの事業主体となるUDSは、まちづくりにつながる「事業企画」「建築設計」「店舗運営」を事業内容とする企業で、東京のほか滋賀県近江八幡市にも事業所をもっている。株主は小田急電鉄であり、日本全国で商業施設、ホテル、住宅、公共施設、子ども関連施設などの企画・設計、運営に関わってきた。また「京都食べる通信」「滋賀食べる通信」も発行している。

「ブックセンター」とはなにか

神保町という「本の町」の中で、たんに本を売るだけではない「本の場所」をどのように位置づけ、活かしていくのか。八戸ブックセンターを昨年春に訪問した後、「マガジン航」に寄せた短い訪問記のなかで私はこんなことを書いた。

八戸ブックセンターは、さしあたり書店と図書館の中間的な施設といってよいと思う。さっさと本を選んで買って帰ってもらうのではなく、むしろ館内で本をゆっくり読めるような環境を整えている。読みたいだけここで読み、もしも気に入って本を持ち帰りたくなったなら、買い上げてくれればいい。そんな距離感を演出しているように思えた。

同じこの記事で私は、八戸ブックセンターが「読むこと」と「書くこと」の循環を生み出す場所をめざしているとも書いた。八戸のこの施設を訪れたことで、そのような循環が促される、経営的にも持続可能な「ブックセンター」が日本中のどんな町にもあったらよいとも考えるようになった。もちろん、東京にも――。

「アートセンター」が美術館も劇場もミュージアムショップもレジデンスも包含した施設でありうるように、本にまつわるさまざまな活動ができる場所のことを、「ブックセンター」と呼ぶのはとてもいい。表向きの看板は書店でもいいし、図書館や広義のライブラリーでもいい。ブックカフェでも飲み屋でも、本のあるコワーキング・スペースでも宿泊施設でもいい。それらすべてを包み込む、ゆるやかな概念として「ブックセンター」というものが定着してほしい。

もちろん神保町は「本の町」であるだけでなく、日本有数のビジネス街でもあるし、いまなお学術や文化にとって大事な町でもある。神保町ブックセンターが、どんな立場の人にも開かれた、文字どおりの”本と人との交流拠点”になり、この町を――そして身動きができなくなりつつある日本の出版界を――再起動させるきっかけとなってくれることに、心から期待したい。

小説家・上田岳弘さんに聞く
――文学✕テクノロジー✕シンギュラリティ

2018年1月25日
posted by 仲俣暁生

以前のエディターズ・ノートでも紹介したように、文芸誌「新潮」2017年10月号から連載が開始された上田岳弘さんの長編小説『キュー』が、Yahoo! Japanの特設モバイルサイトにて並行して無料公開されている。しかもテーマは「シンギュラリティ(技術的特異点)」を通過した後の世界という、純文学としてはかなり突飛な設定だ。

従来の文芸誌とはことなる新しいチャネルで読者に作品を届けようとする姿勢に共感し、上田さんにはいつかお話をうかがいたいと思っていたところ、昨年の10月下旬に虎ノ門ヒルズで開催されたTORANOMON BOOK PARADISEという本のイベントにお招きすることができた。以下は、このイベントの際に「文学✕テクノロジー✕シンギュラリティ」という題名で行った公開インタビューを再構成したものである。

公開インタビューを行った「TORANOMON BOOK PARADISE」の会場

強度をもったテキストが未知の読者に「誤配」される

——「新潮」とYahoo! Japan、タクラムというデザイン会社の三者のコラボレーションとして『キュー』のネット無料配信プロジェクトが始まった経緯を教えてください。

上田 そもそものきっかけは、2015年に『私の恋人』で三島由紀夫賞をいただいたあたりで、Yahoo! Japanの岡田さん、西村さんと飲んでものすごく盛り上がったことです。Yahoo! Japanとしても創業20周年を迎える節目の年なので、ページビューやクリック率に還元できない価値を提供していかなければならない。お二人は僕の小説をとても気に入ってくれていて、その一つとして「小説もいいんじゃないか」という話になった。僕のほうではデビュー前から『キュー』というタイトルの長編を書きたいと思っていて、だったらこういう小説を書きたい、と提案しました。

そのときすでに「新潮」とも長編を書くという話をしていたので、ざっくりした方向感が出来あがってから「新潮」編集部に伝えました。彼らの指針は明確でしたね。第一に「それは文学のためになるか」を考える。その次に「作家のためになるか」、最後に「新潮」という雑誌や新潮社という会社のためになるかを考える。この順番で考えた結果、いずれも大丈夫なので乗りましょう、というのが「新潮」編集長・矢野さんの返答でした。

『キュー』のモバイル版特設サイト。

——開始後の反響はどうでしたか。

上田 このプロジェクトが開始した9月7日にYahoo!ニュースのトップ下に特設ページへのリンクが載り、数百万の露出がありました。10月現在で、十万単位のユーザーが小説に目を通したと聞いています。「誤配」という言い方がありますが、本来届くはずじゃなかった読者にも届いた。数字を例に出しましたが、しかし本質的なことは規模ではありません。バナーをクリックした先のサイトで、たまたま僕の小説を読んでみたら面白かった、という体験をした人がいたのであれば、このプロジェクトをやった価値があります。

インターネットで配信することを目的に、その読者層に寄ったものではなく、文芸誌に載るだけの「強度」をもった純文学のテキストが、このプロジェクトでなければ届かなかった人々に届いたときになにが起こるか。僕にとってはそれがこのプロジェクトの楽しみです。副次的な効果として、『キュー』の初回が載った「新潮」2017年9月号の売上も一割ほど増えたと聞きました。連載開始の発表会ではNHKや新聞各社、テック系のニュースサイトなど50社ほどに足をお運びいただきましたが、いろんなメディアでこのプロジェクトが話題になったことが、「新潮」という雑誌にとっても告知効果につながったのかもしれません。

そもそも「あまり小説を読まない人」にも二種類いると思うんですよね。一つは何をどうやっても読まない人。でも面白ければ読むという人や、「昔は小説も読んでいたけれど、いまはノンフィクションしか読まない」という人もいる。そういう人たちが今回の実験を面白がってくれて、一つでも二つでもその人たちの心に残る文章があればいいなと思います。

——純文学作品が電子テキストとして流通し、読まれていくことについては率直にどう思いますか。

上田 僕が大学生だった十数年前、電車に乗ってる大人はだいたい日経新聞を、学生はマンガや文庫本を読んでいました。でもいまはほぼ100パーセント、スマホですよね。これだけスマホの利用率が高まっているなか、純文学も当然そこに流れていくべきだろうと思っていました。

そうしたなかで今回の試みの特徴は、スマホでもあえて「ブラウザで読む」ということ。電子書籍のアプリケーションをインストールする必要がなく、URLさえ打てば、読んでほしいフォントで固定されたかたちでテキストが読める。電子テキストの読みやすさはこれからもどんどん進化していくでしょうが、今回は作品へのアクセスが最短距離で可能なところがもっとも斬新だと思います。

上田岳弘さん(写真提供:新潮社)

純文学は「無差別級」である

——作家デビューに至るまでの個人史を少し聞かせてください。

上田 上に兄や姉が3人いる、6人家族で育ちました。本が多い家でしたね。ジャンルもすごく雑多だった。そのうち兄や姉が学校で文字を習い始めて、まだ4〜5歳だった僕にも教えようとする。おかげで就学前からひらがなぐらいは書けるようになり、「これでお金をもらって生きていけるなら、それがいちばんいいじゃないか」と思うようになりました(笑)。そういう原風景的なものがあります。

その後は高校が理系コース、大学は法学部と文学とは逆の方向へと流れていき、大学卒業間際に「本当に作家になるのであれば、そろそろやらなければ」と思って、本格的に書き始めました。それまでも習作は書こうとはしていたけれど、きちんと最後まで書き終えられたのは22歳か23歳のとき。卒業後も2年くらい、「作家志望」ということでぶらぶらしていて、その後にIT系企業の立ち上げにかかわることになったんです。

——上田さんは兵庫県明石市のご出身ですよね。『キュー』では人類にとって戦争とは、原子力とは?という大きな問題が扱われます。これらテーマはご自身の阪神淡路大震災の体験となにか関係がありますか。

上田 原爆のことは誰でも小・中学校で習うと思いますが、僕の育ったあたりは修学旅行も広島・長崎コースなので刷り込みが強いのかもしれません。阪神淡路大震災のときはまだ向こうにいて、淡路島にあった両親の祖父母の家も、片方は大丈夫だったけれど片方は全壊してしまいました。震災のインパクトが大きかったのか、20代前半に小説を書き始めたとき、なぜか「生き埋め」のモチーフが毎回のように出てきた。『塔と重力』にも生き埋めのモチーフがありますが、あれはデビューして少し落ち着いたので、もう一回やってみようという感じで書いたんです。

『塔と重力』(新潮社刊)

——「誰にも読まれないテキスト」というモチーフも繰り返し登場します。

上田 多分デビュー前に自分はこのまま誰にも読まれないで終わるのかな、という恐怖心があったんだと思います。デビューするかしないについては、今ではさほど重視すべきではないと思っていますが、当時はその恐怖心を執筆の動機付けにしていたような気がします。「太陽」の登場人物である赤ちゃん工場の工場主、ドンコ・ディオンムが書いていた「誰にも読まれないテキスト」は明確にその思いで書いていましたね(笑)。

——いまは「小説家になろう」という小説投稿ウェブサイトもあり、文芸誌で新人賞をとる以外のデビューへの道筋ができはじめています。また円城塔さんや宮内悠介さんなど、SFと純文学の両方の世界で評価される現代作家もいます。上田さんの場合、文芸誌以外、たとえばSFというジャンルからデビューする、という選択肢はありえましたか?

上田 あまりSFのつもりで書いていなくて、僕が普通に小説を書くとこうなってしまう、というのがいちばん実感に近いんです(笑)。純文学は格闘技でいうと「無差別級」、つまり何でもありの世界であって欲しい。なのでデビューするなら純文学がいいなと思っていました。ジャンル小説だとどうしても過去の作品を参照して書かなければならないと思うんですが、純文学の場合、文学として成り立っているか否かだけが問われるべきです。

よく「器」という言い方をするんですが、同じ料理でも器によって受けとめられ方が違うように、まったく同じ文章でも、SFのレーベルから出るのと純文学のレーベルから出るのとでは受けとめる人の気持ちが違う。「純文学」という器に入ってテキストがやってくると、「これはすごいものかもしれない」と思って受け取る側も読む。要は単に読んでいて楽しいかどうか、と言う尺度では読まない。そうやって読んだもので心が動いたとき、何かが発生する——それがあえて「純文学」をうたった作品群の無視できない重要な機能だと僕は思っているんです。今回のプロジェクトも、その前提がなかったら始まっていないような気がします。

——どういう読書歴から、そうした文学観は培われてきたのでしょうか。

上田 完全に乱読タイプですね。いちばんはじめに読んだ純文学作品も、姉や兄が家で読んでいた村上春樹さんとか吉本ばななさんの本でした。本気で作家になろうと決めたとき、自分が「文学っぽい」と思った本を大量に古本屋で買ったり図書館で借りたりして、一年で200冊くらいをまとめ読みしたことがあるんです。そのときに夏目漱石、フヨードル・ドストエフスキー、ウイリアム・シェイクスピアの全作品を読みました。あの頃の読書体験が、いまの自分にとっても創作のベースになっています。

物語の構造に「手が触れる」瞬間

——上田さんの小説の持ち味となっている、ある意味で「ほら話」とも思えるほど宇宙規模に広がる発想の壮大さや、すべてを見通すかのような視点はどこから生まれてきたのでしょう。

上田 小学校に入る前から、妄想的というか、壮大なことを考える子どもでした。もしかすると、それからずっと成長していないのかもしれません(笑)。さきほどの「無差別級」と同じことですが、せっかく書くならすべてを包含したもの、いちばん「外側」のものを書きたい性格なんです。

いまは偶々こういう形になっているものも、もしかしたら違った形でありえたかもしれない。人間は現在はこういう姿をしているけれども最初はどうだったのか。クロマニヨン人と現生人類とでは、脳の性能はあまり変わらないのに、クロマニヨン人の時代と現代とはまったく違う社会になってしまっている。であれば、十万年先の人類社会も当然、いまとはまったく違っているだろう。そんなふうに「フラットに見るとこうなるんじゃないか」という見方をすることに喜びを覚えるタイプなんです。

たしかミシェル・ウエルベックさんの小説で、いきなり機械の描写を延々と続けることを想像する箇所があります。『地図と領土』だったかな?これを書いて小説になるのか?というような描写なんですが、ウエルベックさん自身が楽しんで書いている。僕もそんなふうに執筆自体を楽しんでいるところがあります。

——今回の『キュー』のようなスケールの大きな作品は、事前にある程度まで構想を固めてから書きはじめるのでしょうか。

上田 作品の細部は、事前にあまり考えないようにしています。『キュー』の場合も、まず「キュー」という音が頭にあって、あとは戦争について書くことになるだろうという直感だけがありました。面白いもので、書いているうちに、読まなくてはいけない本に行き当たるんです。

「太陽」を書いてるときも、最後のほうでゴットフリート・ライプニッツの『単子論』をどうやら読まなければならないとわかった。いま自分が考えていることについて、昔の偉い人も何か言っているに違いないと思って調べていくと、ああライプニッツさんが何か言ってるな、とわかる。『キュー』の作中のキーワードを使うと、《言語の発生》から随分時が経過し、一周目の思弁はやりつくされていますから、いま・ここ・自分を材料に再思弁をおこないオリジナルなものをつくるためには、そうやって時代を逆流し、吸収しながら書いていくほうが効率がいい。逆流することによって差分が明確になり、オリジナリティも担保されるようにも思います。

——シンギュラリティの是非はともかくとしても、ITの発展はここ数十年でいちばん大きく社会を変えた要素です。ITに近いところで仕事をしてきたことは、作品にもなにか影響を与えていますか。

上田 いまから30年前だったらテレビ関係や出版関係などのメディア業界がそうだったのかもしれませんが、僕が大学を卒業した15年ほど前は、IT業界が「とりあえず大学を卒業しました」という僕みたいな人間の受け皿になっていました。IT工学がいまの社会に必要とされていることを仕事のなかで学んでいったので、そこで得たものが小説にも反映していくということはありましたね。

あと、素朴に思うのは現時点が文明開化以後の日本社会において、最大の変革期にあるのは間違いないだろうな、ということです。『異郷の友人』でも扱いましたが、僕は文学の起源を『古事記』などの神話にみています。神話が編纂された当時、原始的な国家が成立していくという社会的な大変動のかげで、集合的無意識が物語を希求した。今書かれるべき文学ももしかしたら、神話的なものに接近していくのかもしれないと感じますね。

『異郷の友人』(新潮社刊)

——小説はいつ、どのように書いていますか。

上田 出社前に2時間くらい書く。それをシンプルに毎日繰り返してます。そうやってルーチンにして、書くということを今のところはしています。そろそろアレンジを加えようかなとは思っていますが。毎日1500字なり2000字なり、作品によって一日に書く字数を決めて書いていくんですが、ときどき新しい展開が必要になるので、そのときは火事場の馬鹿力でがむしゃらに書く。すると、物語の大きな構造にふと「手が触れる」瞬間があるんです。この感触はなんだろう、と思いながら、それを引き寄せてつつ書いていく感じです。

子どもの頃から、なんとなくこういうふうにやりたいな、と思った感触のまま小説を書いている。だから自分でも、なぜ小説を書いているのかはよくわからないのだけれど、小説を書くことで十分に悩んでいるせいか、生活のほかの部分ではあまり深く悩まず、気楽に生きていけるような気がします(笑)。

——今後、「普通の小説」を書くということもありえますか。

上田 できれば『キュー』が終わったら書いてみたい。というか、『塔と重力』も「普通の小説」のつもりで書き始めたんですけど、なんだかよくわからない要素が入ってきてしまったので、どうなるかはわかりませんが(笑)。

シンギュラリティは意外と「大丈夫」?

「TORANOMON BOOK PARADISE」の会場風景。

——最後に会場からの質問をいくつかお受けします。

(質問1) 『キュー』には「ドナルド・トランプ」のような、雑な固有名が出てきますね。これは同時代の読者には強い引きになる半面、時が経つと色あせ、普遍性から外れてしまう怖れはありませんか。

上田 あえて固有名をテキストに混ぜ込むことで、作品が全体として普遍性をもちえているかどうかの強度チェックをしているんだと思うんですよね。おっしゃるようにドナルド・トランプさんみたいな、雑に見える固有名を出しつつ、それでも文学として読めるかどうか、というような。

(質問2) 同時代の小説家で好きな作家や影響を受けた作家はいますか。

上田 英語の作家だとイアン・マキューアンさんは好きですね。フランス語の作家ならミシェル・ウエルベックさんが好きです。最近ならローラン・ビネさんも良かった。

日本語の作家では町田康さん、保坂和志さん、松浦寿輝さんの作品は、さっき挙げた乱読期に読んで衝撃を受けたのを覚えています。保坂さんの作品で最初に読んだのは『生きる歓び』だったと思います。堂々としたタイトルに惹かれて手に取ったんですが、「そもそも小説とは何か」を考えるにあたり、重要な出会いになりました。表現は難しいですが、それまでの僕に足りていなかった座標軸がすっと加わったような感覚です。

あと、これも同時期に読んだのですが、山田詠美さんのエッセイで「何の取柄もない男に黙ってても女が寄って来る小説に納得がいかない」という趣旨のことが書かれてあって「そうだよな」と肯いてしまって(笑)。僕の小説の語り手像に影響をおよぼしているかもしれません。創作意欲を掻き立てられるという意味では、仲良くさせていただいている俳優や劇作家の仕事から刺激を受けることも多いですね。

(質問3) 紙からデジタルへと出版だけでなくコンテンツ全体のエコシステムが変わっていくなかで、三島賞やGrantaのベスト企画といった顕彰システムはどこまで書き手にとってのモチベーションでありつづけると思われますか。

上田 《インターネットの発生》以後の世界では情報の蓄積性が高い上に、全ての情報が並置されますから、賞の一回ごとの印象はどうしても低下していくんだろうと思います。文学や文学賞に向けられる世の中の関心の総量には限度がありますから、これはどうしようもない部分がある。でも現実問題として、賞でも取らないとそもそも注目を集めにくいので、ほしいと思っている書き手は多いと思います。

(質問4) ウェブコンテンツがPV至上主義になっているなかで、純文学とウェブの組み合わせは今後どうなっていくと思いますか。

上田 音楽の世界ではCDは売れなくなったけれど、人が音楽を聴いている時間や種類は増えたと言われています。どうやってお金を回収するかを脇に置けば、全体の流れとして、文学も音楽と同じ方向に近づいていくだろうと思います。ただ、持ち運びのしやすさを抜きにすれば紙のほうが読みやすいという人は今でも大多数でしょうし、僕も紙の本を読むことが多い。ネットと紙の配分は日々変わっていくだろうけれど、そのなかで純文学がどれだけ尖った存在であり続けられるのか、ということのほうが大事だという気がします。

(質問5) シンギュラリティの文学への影響は?

上田 専門家ではないのであくまで直感でいうと、なにが起こっても意外と大丈夫だと思うんです。ようするに、そのときには「大丈夫」の基準が変わってしまうだろう、と。コンピュータが人間の創造性を超えたとしても、人間の側は大したことが起こっていないように感じるのではないか。いまの視点からは「大丈夫」じゃないように思えても、未来のその時点では、あんがい「大丈夫」なんじゃないかな、と(笑)。

当然、文学の制度はどんどん変わっていくだろうし、作品を波及させていく方法も同時に変わっていくでしょう。でも、「文学」はようするに「書かれた文字」ですから、たとえ出版社がなくなろうと、作家が書きつづけてさえいれば残る。そのとき、どういう残り方があり得るか考えたりもします。

(質問6) 文学とAIの能力がもし対立構造にあるとしたら、それを宥和させる道筋はあるでしょうか。AIと人間が共同制作するアートがすでにありますが、文学もAIと共同で書くとクオリティが向上したりするでしょうか。

上田 AIとの共同制作によって、「人間にはその発想はできなかった!」というものも生まれてくるでしょうね。でも当分は、その表現の主体は人間である時間が長く続くと思います。いずれはその部分も侵食され、人間の側がそこを最終的に譲り渡すかどうか、どちらかと言うと政治的な判断になると思う。その政治判断はおそらく一種の多数決になるでしょうが、その結果がどうなるのかが個人的には楽しみだったりします。ふわっとした回答で申しわけありませんが、ぼんやりと見えているものはあります。まだ言語化できてはいませんが(笑)。

——上田さん、本日はありがとうございました。

(聞き手・仲俣暁生、虎ノ門ヒルズにて)

海外在留邦人発、「まんがこぼし」での震災復興支援とは?

2018年1月23日
posted by 小田切 博

現在、私は明治大学米沢嘉博記念図書館で2018年2月9日から開催される「おきあがりこぼしプロジェクト明治大学展」[1]という奇妙な展示の「監修」という仕事をしている。

この展示が扱う「おきあがりこぼしプロジェクト」とは、2011年3月11日に起きた東日本大震災と福島での原発事故に対する復興支援事業として2013年からフランスではじまったものだ。

具体的には福島県の代表的な民芸品のひとつである「おきあがりこぼし」のプレーンな素体へプロジェクト参加者によって絵付けをおこなってもらい、その行為を通して被災地としての福島、日本への共感と相互理解を喚起しよう、という趣旨のものである。

今回の米沢嘉博記念図書館での展示は2014年から参加した日本漫画家協会所属作家による作品を中心に、そのプロジェクト全体を展示によって紹介することを意図したもので、国内での作品展示としては2017年の広島に続く二度目、関東では初の展示になる。

また、先にも述べたように、今回の展示ではプロジェクト自体の経緯や意義を紹介することを展示コンセプトの柱のひとつと捉えており、いくつかのウェブ、新聞での取材記事を除いて国内ではこれまであまり報道、紹介されてこなかった同プロジェクトの日本国内に向けた今後の本格的な紹介の端緒になればと思っている[2]

「おきあがりこぼしプロジェクト」とはなんなのか

まず個人的な事情を含めた今回の展示企画成立の経緯について簡単に説明しておく。

チラシのPDFデータ[3]を参照してもらうとわかるのだが、じつは今回の展示は「公益社団法人日本漫画家協会」と「明治大学米沢嘉博記念図書館」の共同主催によるもので、オリジナルの企画者であるパリの起き上がりこぼしプロジェクトは「企画・協力」というクレジットになっている。

これは今回の展示企画が、協会所属作家制作の「まんがこぼし」の展示スペースを探していた日本漫画家協会から米沢嘉博記念図書館に持ち込まれたものだった、という事情によるものだ。

パートタイムで同館のスタッフをやりつつ、フリーのリサーチャーの立場で日本漫画家協会の事業を請け負っていた筆者は、結果的に両者の仲立ち役になり、そうした経緯からこの展示企画自体のとりまとめのような役回りをしているのだが、このため筆者を含めた米沢嘉博記念図書館サイドのスタッフは「おきあがりこぼしプロジェクト」についてあまり情報も人脈上のつながりも持たない状態から展示企画を立ち上げることになり、必然的に「おきあがりこぼしプロジェクト」とはなんなのか、というもっとも基本的な部分に関する調査からスタートすることになった。

「海外在留邦人にとっての震災」という視点

もともとこのプロジェクトは在仏邦人がフランス社会に向けてはじめたムーブメントである。

日本漫画家協会の参加以前、2013年に「おきあがりこぼしプロジェクト」が立ち上げられた時点でのコンセプトは自身在仏邦人であるファッションデザイナー、高田賢三氏が「フランスの著名人」へと呼びかけておきあがりこぼしへの絵付けをおこなってもらい、その体験を通じて被災地への共感と日本の現状に対しての理解を喚起しよう、という精神的な紐帯を促すものだった。

さらにいえば高田賢三氏と起き上がりこぼしプロジェクト事務局を運営する渡邊実氏のコンビは、このプロジェクトの事実上の前身といえる「東日本再生ビジョン展」を2012年6月にパリで開いている。

震災の翌年、2012年6月にパリ市庁舎でおこなわれた「東日本再生ビジョン展」会場。6000人を超える来場者を集めた同イベントは「おきあがりこぼしプロジェクト」の源流となっている。

震災後、EUは2011年4月には日本からの輸入品規制を導入し、特に原発事故があきらかになって以降はマスメディアでの報道やネットでの言説を含め、海外での「日本」に対するパブリックイメージは悪化した。[4]

つまり「おきあがりこぼしプロジェクト」は震災、津波、原発といったスティグマめいた記号を背負わされたヨーロッパにおける当時の「日本」イメージのなかで偏見と好奇の目を意識して生活せざるを得ない現地の在留邦人たちが、そうした状況に対抗するためにはじめた市民レベルの運動だったのである。

そこには私たちの知らないもうひとつの「震災復興」があった。

「クールジャパン」の有効活用例

こうしたプロジェクト立ち上げの経緯を見てもらえばわかるように、開始当初の「おきあがりこぼしプロジェクト」はマンガとはまったく無関係なものである。

そこに今回展示の中核をなす日本漫画家協会所属作家による「まんがこぼし」が参加することになったのは、プロジェクト側が「日本」に対するプラスイメージをアピールするための有効なツールとして「マンガ」を発見したことによる。

すでに述べたようにこのプロジェクトの最初の趣旨はフランスのひとびとに「おきあがりこぼしの絵付け」を体験してもらうことによって「日本」や「福島」に対する共感や理解を持ってもらうことにあった。

そのため、プロジェクトが最初に参加を呼び掛けたのはアラン・ドロンやジャン・レノ、ジャン=ポール・ゴルチエといったフランスにおけるセレブリティーたちが中心で、特にポピュラーカルチャーへのアピールが意識されていたわけではない。

こうした認識が変化するきっかけになったのは、2013年末におこなわれたパリでの展示に付随しておこなわれたオークションでフランス在住の「マンガアーティスト」の作品がセレブたちのそれに勝るとも劣らない注目を集めたことだった。

2013年12月にパリでおこなわれた初の「おきあがりこぼしプロジェクト」単体での大規模展示の際に併催されたチャリティーオークションの様子。フランス著名人の制作したおきあがりこぼしが競りにかけられた。

この事実に着目した高田氏と渡邊氏は日本漫画家協会の現理事長であるちばてつや氏に連絡をとり、翌2014年のパリ「Japan Expo」に合わせて日本漫画家協会所属作家によるおきあがりこぼし絵付け作品の制作を依頼、そしてこの依頼に応じた100人以上のマンガ家が制作したおきあがりこぼしが海を渡ることになる。

この「まんがこぼし」の登場以降、プロジェクトはフランスの「Japan Expo」をはじめ、イタリアの「Romics」、スペインの「Comic Salon」、ウクライナの「Japan Mania」など、ヨーロッパ各国の日本文化、マンガ関連のイベントに積極的に参加し「クールジャパン」としてのマンガを有効活用する戦略をプロジェクトの重要な柱のひとつとすることになった。

日本漫画家協会所属作家による「まんがこぼし」が最初に出展された2014年7月のパリ「JAPAN Expo」での「おきあがりこぼしプロジェクト」ブース。来場者による絵付けワークショップがおこなわれている。

「マンガ家の社会貢献」というテーマ

その後、プロジェクトは2017年のウクライナ、チェルノブイリ博物館での展示やヒロシマ・ピースアート・プロジェクトへの参加など、反核、平和運動との連携へも展開しつつ今回の米沢嘉博記念図書館での展示に至っている。

2017年8月広島せこへい美術館での「ヒロシマ・ピースアート・プロジェクト」会場の展示。ここではこれまで巡回してきた「おきあがりこぼしプロジェクト」の作品とともに地元のこどもたちが制作したおきあがりこぼしが展示されていた。

いっぽう今回の展示がおこなわれる米沢嘉博記念図書館は、明治大学がコミックマーケットの代表を長くつとめたマンガ評論家、故米沢嘉博氏の蔵書をもとに2009年にオープンした「マンガとサブカルチャー」をテーマにした専門図書館である。

同館は図書館であるが、一階に常設の展示設備を持ち、これまでも多くのマンガ関連展示をおこなってきた。[5]

日本漫画家協会主催の展示であるということだけではなく、こうした館の性格からいってもこの展示の中心には、上記のようなプロジェクトの市民運動的な性格だけではなく、少なくともそれに匹敵しうるテーマとして「マンガ」にまつわる何かが必要なのではないかという点が企画検討時に問題になった。

そして、この点に関してスタッフ間でのディスカッションを重ねた結果出てきたのが「マンガ家による社会貢献活動」というテーマである。

現在ではあまり注目されることは少ないが、もともと「マンガ」というのは新聞、雑誌における社会風刺、批評的な媒体としての性格を持ち、ストーリーマンガがそのメディアイメージの中心になって以降もそのポピュラリティーやリーダビリティーの高さからさまざまな教育、啓蒙活動に利用されてきた。

日本漫画家協会もさまざまな自治体や企業との協力や自主企画として、展示企画や作家の講演などさまざま社会貢献活動をおこなってきている。

その多くは短期的なイベントとして消費されてしまうため、記録自体が残りにくいのだが、今回のプロジェクトに関してははっきりした展示物としての「おきあがりこぼし」が存在し、その具体的な活動をイメージしやすい。

また、「クールジャパン」的な文脈から再発見された「マンガ」を通じて海外における「日本」のイメージを再生しようというこのプロジェクトのあり方自体、現代における「マンガ」や「マンガ家」と社会とのかかわりを象徴するもののようにも思える。

カラフルな国際交流

以上が企画者サイドからの本展示のコンセプトだが、日本漫画家協会とパリ、起き上がりこぼしプロジェクトの全面協力のもと集められた多くのおきあがりこぼし(そこには初期のアラン・ドロンやジャン・レノ作のフレンチこぼしから今回の展示に合わせてつくられた新作まんがぼしまで多種多様な作品が含まれている)はまずモノとして目を楽しませるカラフルで「KAWAII」ものだ。

正直いえばこれは一見地味な企画だと思うが、多くのひとの思いが込められたこの小さな国際親善大使たちの活動をできるだけ多くのひとに見に来てもらいたいと思う。

今回の展示では下記の参加作家によるイベントをおこなう他、会期中には展示会場にて日本漫画家協会所属作家による絵付けの実践などもおこなわれる予定だ。

これらのイベントにもあわせてご参加いただければ幸いである。

また、本展示に関しては米沢嘉博記念図書館でははじめての試みとなる明治大学中央図書館との連携企画として3月21日から4月25日までのあいだ、リバティタワー内の中央図書館展示スペースでも出張展示をおこなう。

こちらではおきあがりこぼしの実物とともに震災関連の書籍資料の展示をおこなう予定である。

[1] http://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/exh-koboshi.html
[2] 2017年の広島での展示は「ヒロシマ・ピースアート・プロジェクト2017」の一環としてのものであり、必ずしも「おきあがりこぼしプロジェクト」そのものの紹介を目的としたものではない。
[3] http://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/pdf/koboshi-omote.pdf
[4] 震災以降(特に原発事故以降)の経済的影響、各国の動きについては日本貿易振興機構(JETRO)のポータルサイト「特集 東日本大震災の国際ビジネスへの影響」https://www.jetro.go.jp/world/shinsai/に詳しい。震災以降の海外報道についてはたとえば新聞通信調査会による『大震災・原発とメディアの役割―報道・論調の検証と展望』(2013)といった研究がある。
[5] 過去の展示企画については
http://www.meiji.ac.jp/manga/yonezawa_lib/archives/index.html
で見ることができる。

【関連イベント】

①マンガ家の社会貢献としてのおきあがりこぼしプロジェクト
出演:
ちばてつや(マンガ家、日本漫画家協会理事長)
森田拳次(マンガ家、日本漫画家協会常務理事)

日時:2018年3月11日(日)16:00-17:30
場所:明治大学 リバティタワー9階1096教室
料金:無料

内容:今回のおきあがりこぼしプロジェクトなどをはじめ、大きな天災や人災があったとき、マンガ家が社会活動をすることの意義。マンガ家らしい国際交流とは何か。それは作品にどう還元されていくのかなどについて、たくさんの社会活動にかかわっていらしたちばてつや先生、森田拳次先生にお話しいただきます。

②ウクライナ「マンガこぼし」顛末記
出演:
一本木蛮(マンガ家、日本漫画家協会理事)
倉田よしみ(マンガ家、日本漫画家協会理事)
永野のりこ(マンガ家、日本漫画家協会理事)

日時:2018年4月7日(土)16:00-17:30
場所:米沢嘉博記念図書館 2階閲覧室
料金:無料 ※会員登録料金(1日会員300円~)が別途必要です。

内容:おきあがりこぼしプロジェクト ウクライナ展に参加したマンガ家3名に、ウクライナでのこのプロジェクトの受け入れられ方、そこから感じた思い、このプロジェクトの成しえたことなどをお話しいただきます。

※両イベントとも、会場が込み合う場合はご入場いただけないことがございます。ご了承ください

明治大学中央図書館にて出張展示開催
明治大学リバティタワー内の中央図書館にて、おきあがりこぼしの実物とそれに関連した書籍を展示します。

日時:3月21日~4月25日(3月30日は除く)、中央図書館開館時間中
料金:無料
明治大学リバティタワーへのアクセスは以下参照
http://www.meiji.ac.jp/koho/campus_guide/suruga/campus.html

都立多摩図書館で「雑誌の再起動」セミナー開催

2018年1月18日
posted by 仲俣暁生

東京の都立図書館としては港区・広尾にある都立中央図書館のほかに、昨年1月に立川市から国分寺市(最寄り駅は西国分寺)に移転した都立多摩図書館がある。多摩図書館の主な目的は、雑誌の特性を活かしたサービスを行う「東京マガジンバンク」と、子供の読書活動を推進する「児童・青少年資料サービス」とされており、前者の機能を果たすため、雑誌の創刊号を揃えた「創刊号コレクション」をはじめとする約1万7000誌を揃えている。

多摩図書館では現在、東京マガジンバンク企画展示として「雑誌の未来を考える」というコーナーを設け、貴重な所蔵雑誌の一部を年表などとともに紹介している(3月15日まで)。

また、この企画展示と並行して昨年11月より、東京マガジンバンクカレッジ〈雑誌総合セクション〉連続セミナー「雑誌の過去・現在・未来」も開催されてきた。この第3回目の講師として、「マガジン航」編集発行人の私も登壇させていただく予定である。第2回までのセミナーはすでに終了しているが、第3回のみの参加はまだ受け付けているとのことなので、あらためてここで告知させていただく。

こうしたテーマで行われるセミナー等にお声がけいただくようになったのは、2011年に刊行した『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)という本のおかげだと思うが、2018年の現在、雑誌をとりまく環境はこの本にまとめた記事を書いていた2009年〜2011年にかけてとくらべても、さらに変化している。市場規模の縮小や休刊雑誌の増大にとどまらない、地滑り的な地殻変動が起きていると言っていい。

過去2回のセミナーで講師を務められたのは、元小学館の岩本敏さん(『BE-PAL』 『サライ』『週刊日本の天然記念物』『ラピタ』『駱駝』等の編集長を歴任)、久我英二さん(暮しの手帖社編集局長兼営業企画部長、元マガジンハウス執行役員編集局長)といった、そうそうたる経歴の方々であり、モデレーターをつとめてくださる清水一彦さんも、マガジンハウスで『POPEYE』の編集長を務められた方だ。

こうした「雑誌の表通り」に比べ、私が経験してきたのはいわば、「雑誌の裏通り」あるいは「横丁」といえるかもしれない。東京ローカルの情報誌だった『シティロード』にしても、まだウェブやITビジネスの草創期に創刊した第一期の『ワイアード日本版』にしても、大日本印刷によるメセナ的なプロジェクトだった『季刊・本とコンピュータ』にしても、上記の雑誌に比べれば、はるかに部数の少ないニッチな雑誌だった。

さらに2009年から続けているこの「マガジン航」というウェブマガジンにしても、ここ数年、注目をしている日本各地のローカルメディア(地域雑誌)にしても、あるいはジンやリトルプレスと呼ばれる少部数出版物にしても、これまでの大量生産・大量流通・大量消費を前提としたマスマガジンとは違った考え方で運営されている。これらのニッチなメディアにはニッチなりの読者と寄稿者のコミュニティがあり、「雑誌的」なメディアの役割は、紙からデジタルに変わっても本質的なところでは変わらないのではないかと私は思う。

これらのニッチなメディアは果たして「雑誌の再起動」へとつながるのか、それとも「雑誌的」に編集されたメディアがすべて不要な時代がやってくるのか。この大きな問いをめぐり、セミナー当日は、私自身のささやかな雑誌編集経験と、「マガジン航」を含むウェブ上の新しいメディアの経験をふまえつつ、モデレーターの清水さんとも議論しつつ話をすすめるつもりである。会場からの発言、質疑応答なども大いに歓迎したい。

なお、都立多摩図書館の「マガジンバンク」は貴重なバックナンバーを含めた多種多様な雑誌を手にとって見られるという、雑誌について知りたい人にとっては格好の公共施設である。このセミナーは参加費無料で、席にもまだ余裕があるようなので、「マガジンバンク」を見学にくるついでに立ち寄っていただければと思う。

連続セミナー「雑誌の過去・現在・未来」〜第3回「雑誌の再起動」

日時:2018年2月4日(日)14:00-16:00
会場:東京都立多摩図書館 2階 セミナールーム
参加費:無料(要申込み)※当日参加も可
定員:120名 程度

講師:仲俣 暁生(「マガジン航』編集発行人、大正大学表現学部客員教授)
モデレーター:清水一彦(元『POPEYE』編集長、江戸川大学メディアコミュニケーション学部マス・コミュニケーション学科教授)

※申込みは以下のサイトより。
http://www.library.metro.tokyo.jp/event/tabid/4370/Default.aspx