hon.jp DayWatchの事業継続を祝す

2018年7月1日
posted by 仲俣暁生

昨年の10月に株式会社hon.jpの代表取締役社長だった塩崎泰三氏が逝去したことに伴い、同社の運営するニュースサイト「hon.jp DayWatch」をはじめとする事業の継続が困難となっていた。

そうした状況のもと、私も理事を務めているNPO法人日本独立作家同盟と株式会社hon.jpとの間で、上記の「DayWatch」事業を引き継いで継続する話が進んでいた。すでに3月15日には両社間で事業譲渡契約が締結されており、サイトの再開が待たれるばかりだったが、7月1日をもってベータ運用が始まった。

https://hon.jp/news/

株式会社hon.jp時代の記事アーカイブもまるごと引き継ぎ、さらに日本独立作家同盟理事長でライターの鷹野凌によるコラム「出版業界の気になるニュースまとめ」と「国内ニュース」、文芸エージェントの大原ケイによる「海外ニュース」が新たに始まる。当面はこの態勢でベータ運用を続け、10月1日からは本格運用に切り替える予定だ。

過去と未来をつなぐ道として

DayWatchの継続がありがたいのは、電子書籍を専門とするニュース記事の配信媒体がほかにほとんど存在しなくなってしまったからだ。2010年ごろから始まった一種の「電子書籍(をめぐる報道や出版)バブル」も一段落し、IITジャーナリズムの関心は人工知能や仮想通貨に向かいつつある。電子書籍という技術をめぐるイノベーションも一段落し、新奇性(すなわちニュースバリュー)はたしかに薄れたともいえる。

だがそれは、電子書籍をはじめとするウェブ上で閲覧される出版コンテンツが、生活のなかに定着したことの表れでもある。であれば、それらをあらためて出版産業のなかに正当に位置付け、継続的に伝える媒体が必要なはずだ。新奇性が失せたことでそれが営利事業として成り立ちにくいのであれば、非営利団体がその役割を引き受けるという流れが起きて当然である。

電子書籍や電子出版といった話題は、それが唯一ではないにせよ、この「マガジン航」にとっても重要なテーマであり続けている。しかし、この分野で起きるニュースを継続的に追い続ける根気は、正直なことを言えば、このところかなり失せていた。電子書籍のプラットフォームとして(いやそれだけでなく、ネット上のあらゆるコンテンツのプラットフォームとして)、特定のプレイヤーが強大になり過ぎ、その状況を前提に出版の今後を考えざるをえないからだ。

電子書籍はかつてはオルタナティブなメディアであったが、いまでは(ことにマンガを中心に)メインストリームになりつつある。少なくとも、大手プラットフォームの影響力を抜きにして、この問題を考えることは難しい。そうしたなかで私自身の関心は、紙の本も含めた出版全体の転換点を見定めたい、という方向に変わりつつある。

しかし、この十年ほどの間に電子書籍という分野の周辺で起こったさまざまな出来事が、今後の本の世界を考える上での基本的な土台となることは間違いない。であれば、その間のことを記録してきたメディアがそのアーカイブごと、新しい環境のもとで継続されることほど、ありがたいことはない。

紙の本の未来と電子の本の未来は、どこかで一本となると私はいまも考えている。NPO法人日本独立作家同盟の理事としてだけでなく、同じ時代を見続けてきた「マガジン航」という小さなメディアの編集人としても、過去と未来をつなぐ道として、hon.jp DayWatchが継続されることを大いに喜びたい。

クリエイター自身がpublishしはじめた時代

2018年6月27日
posted by 仲俣暁生

いまではもうあまり使われなくなった「電子出版」という言葉がある。昨今では「電子書籍」という言葉のほうが目にする機会が多いが、後者が〈名詞〉であるのに対して前者は〈動詞〉であり、「電子的な手段で出版(publish)する」という行為を意味していた。1990年代の前半、ウェブがまだ一般化する以前の時代のことだ。

電子的な手段で何かを「出版」しようと思ったときに、当時いちばん手っ取り早かったのは、CD-ROMやフロッピーを用いることだった。たとえば1994年には、フロッピーディスクに収められた電子作品を展示するインディペンデントの展覧会「フロッケ展」が始まり、2000年まで継続して開催された。アートの文脈からみれば「展覧会」だが、「複製物の販売」という観点から見れば、十分に出版と言えるものだった。

この「フロッケ展」が開催されていたギャラリーを運営していたのが、デジタローグという会社だ。雑誌「Number」などのアートディレクションで知られるグラフィック・デザイナーの江並直美、写真家の五味彬、フォント・クリエイターでもあるグラフィック・デザイナーのネヴィル・ブロディの三人が1993年に立ち上げた、いわばクリエイター自身が運営する「電子出版」の会社だった。

デジタローグは、発売寸前で断裁処分になってしまった五味の写真集『Yellows』をCD-ROMのかたちで生き返らせるために生まれた。100人の若い日本人女性の「身体的記録」を収めたこのCD-ROM写真集は大きな話題となり、電子出版されたビジュアル作品、当時の言葉でいえば「マルチメディア・コンテンツ」の先駆け的存在となった。その後も『Yellows』シリーズは相次いで制作され、デジタローグはマルチメディア時代を代表する「出版社=publisher」となった。



写真:五味彬

あとの時代に読み返せない「本」

この時代に「電子出版」されたマルチメディア作品について知る人は、いまでは少なくなってしまった。CD-ROMで「出版」されたコンテンツの再生環境を維持することは長期的には難しく、いずれ「読めなく」なってしまう。どうしても昔のCD-ROM作品を視聴したければ、当時の再生環境をそっくりそのまま用意する必要がある。

そうしたなか、デジタローグから出た五味彬作品がまとめてデジタルハリウッド大学に寄贈されたことを契機として、『Yellows』シリーズを実際にみながら、マルチメディア電子出版の草創期について語り合うイベントが、同大学で開催されることになった。語り手は五味彬氏とボイジャーの萩野正昭氏。「マガジン航」編集発行人の私も、お二人のお話を聞き出すモデレーター役で参加させていただく。

私自身、1990年代にはかなり多くのマルチメディア電子出版物を視聴した。そのなかには、いまあらためて見直してみたい秀作がいくつもあった。しかしイタリアの作家ウンベルト・エーコが、ジャン=クロード・カリエールとの共著『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』のなかで、CD-ROMという「耐久メディア」の「はかなさ」について述べていたとおり、電子出版物の生命は紙の本にくらべると遥かに短かい。そんなことは、当時はまったく想像もしなかった。

しかし、草創期の電子出版に関わった人たちの情熱を低く見積もることはできない。デジタローグによる『Yelows』電子出版がもった意味は、クリエイターが自前のメディアを持てたことだと五味氏は言う。それはクリエイター自身が出版者=publisherになれた、ということだ。

未来のことはつねにわからない。あとさきを考えることなく、目の前にある手段でとにかく「出版」してしまう。当時はCD-ROMがそのために最適なメディアだった。ウェブがそれに置き換わったともいえるが、一つのまとまった「作品」として完結させることが難しい。またいまの「電子書籍」はインタラクティブ性において、マルチメディアの時代からかなり退歩してしまった(それには必然性もあったのかもしれないが)。

今回のイベントでは、多摩美術大学教授でグラフィック・デザイナーの永原康史氏の協力を得て、当時のCD-ROM電子出版物を再生できる環境を整えることができた。当時を知る方と、マルチメディア電子出版作品を実際にみたことのない若い世代の方が出会う機会になればよいと切に思う。


『Yellows 2.0』

日本の電子出版の源流ーー「Yellows」とマルチメディアの時代
トーク:五味彬(写真家)、萩野正昭(株式会社ボイジャー取締役)
モデレーター:仲俣暁生

日時:2018年7月2日(月)19:00~21:00(開場18:30)
場所:デジタルハリウッド大学メディアライブラリー
東京都千代田区神田駿河台4-6 御茶ノ水ソラシティアカデミア3F
定員:30 名(入場無料。peatix にて要予約)
主催:デジタルハリウッド大学徳永修研究室(event@epublishing-lab.com)

※詳細はデジタルハリウッド大学のサイトも参照のこと。

マクルーハンというメッセージ

2018年6月13日
posted by 服部 桂

マーシャル・マクルーハンという名前を聞いてハッとするのは、いまではもう中高年のメディア関係者だけかもしれない。1960年代には彼の唱えた「メディアはメッセージ」などの言葉が世界中に流布して一大ブームが起き、ニュートンやダーウィン、アインシュタインなどと並び称され、ジョン・レノンも面会に訪れ、ウディ・アレンの映画にも登場し、フランスでは「マクルーハニズム」(mcLuhanisme)という新語が創られるという事態にまでなり、日本でも評論家の竹村健一氏が紹介して世間を大いに騒がせたものだが、どういうわけか数年で表舞台から消え、1980年の大晦日に亡くなった際にはほとんど報道されなかった。

ところが昨年の7月21日に突然、グーグルが記念日を祝うロゴ(ドゥードル)で、マクルーハンの106歳の誕生日を祝うという名目で、彼の顔や理論を説明するアイコンに変わった。するとネット上で「マクルーハンって誰?」という問いかけが相次ぎ、それに合わせた解説記事などがアップされ、「いまから約100年前に生まれたにもかかわらず、ソーシャルメディアやビッグデータ、ネット炎上を予想していたんですね!!」と驚く声が上がった。

©Estate of Marshall McLuhan

カウンターカルチャー時代の寵児

このマクルーハンという毀誉褒貶の多いカナダの英文学者について語ることは、実際のところかなり勇気がいる。時代の寵児としてもて囃されたにもかかわらず、当時は彼のメッセージを理解できた人がほとんどいなかったため、学者ではなくキャッチフレーズの名手に過ぎないと学会からは冷遇され、メディア業界からは面白いが意味不明だと敬遠され、カウンターカルチャーの吹き荒れた時代の流行の象徴として消費されてしまったからだ。本人も自分の理論を理路整然と説明して相手を納得させるのではなく、「私は説明しない、探究するのみ」と公言し、「メディアはメッセージ」をもじって、『メディアはマッサージ』という本まで出すなど、本気とも冗談ともつかない対応をしたので、世間は混乱するばかりだった。

マクルーハンが世相を切る言葉は、テレビが普及し始め、戦後生まれの若者の使うロック、ヒッピー、サイケ、ドラッグなどの言葉が流行し、学生運動やベトナム戦争の抗議デモが盛んになり、時代が大きく変わった中で際立っていた。経済成長によって重厚長大のモノからサービス中心の軽薄短小へ、伝統文化から若者文化へというシフトが起き、戦前の常識が通じないさまざま社会現象が起きたとき、マクルーハンの警句のような言葉が時代の本質をずばりと言い当てているように感じられたのだ。

それにまず飛びついたのは広告業界で、彼のフレーズを取り入れようと招き、続いて大企業が次の戦略を立てようとコンサルを依頼した。しかし、「IBMは計算機や事務機器ではなく情報を処理するサービスを売る会社で、AT&Tの本業は電話を売ることではなくコミュニケーションのビジネスだ」という彼のアドバイスを、当時の幹部は変わった見方で刺激的だと思ったものの、それをどう応用していいのかわからないまま放り出した。

マクルーハンのメディア理論はまず、当時普及が加速していたテレビをどう理解するかに注目したが、その頃には評論家の大宅壮一氏が、本を読む時間を奪い「一億白痴化」を招くと断罪し、世間も不真面目で低俗なメディアだと受け取っていた。ところがマクルーハンは、テレビは本のような活字メディアとは異質の新しい電子メディアで、人間を創造的で自由にすると擁護するような発言をし、テレビ関係者はやっと世界的な文化人に評価されたと浮足立ったが、「テレビはクールだ」などという言葉に、「その場では納得しても、2時間たってみると、いったい何のことかわからん」と結局は投げ出す始末だった。

そうした一見、トンデモ論のように見えるマクルーハンを物知り顔で解説すると、当時からお調子者か物好き扱いされたことは、最初の解説者である評論家の竹村健一氏の軽快な語り口に、マクルーハンの著書を翻訳したNHKの研究者の後藤和彦氏がかみついた論争などからもうかがい知れる。現在でもメディア関係者は、マクルーハンの名前を聞いて、知ってはいるが読む気にもなれず無視もできないと苦笑いするだけで、いまさら相手にしたくないという顔を決め込む人が多い。

1990年代に入るとネット時代の混乱に彼の理論が役立つことを声高に主張する米デジタル・カルチャー誌「WIRED」や、次世代の米国のインフラとして情報スーパーハイウェーを唱えマクルーハンを多々引用するアル・ゴア副大統領などが出てくることで、著書が再版されまたブームが起きた。そしてその後はまた、理屈よりビジネス優先と彼の話題は聞かれなくなったが、今年になって、ツイッターで世界に混乱をもたらしている米トランプ大統領のことを「マクルーハン的思考を実践した初めての大統領」と前主席戦略官のスティーブ・バノンが発言して注目されるなど、あいかわらず電子メディアや現在のネット世界のあり方を論じる人々の間には彼のメッセージが生き続けていることが明らかになってきた。

そういう状況で、敢えて最近のネット状況も踏まえて、マクルーハンを再度論じてみようと、最近『マクルーハンはメッセージ』という本を上梓した。メディア業界ではいまだにドン・キホーテのような扱いを受けるかもしれないが、テレビを論じている彼の主張そのものより、その方法論から普遍的なメディアの見方を学べることが多いと思ったからだ。

服部桂著『マクルーハンはメッセージ』(イースト・プレス刊)

なぜネット時代のメディアの本質を言い当てられたのか?

そもそも、マクルーハンは何を主張していたのだろうか? 簡単に言うと、まずわれわれの社会を作っている基本はメディアであり、それは魚にとっての水のように、意識されずに社会全体のあり様を支配しているということだ。彼にとってのメディアとは、人間が自分の意思を外に向かって表現する手段すべてを指し、話し言葉から始まり、それらをより効率的に伝えるための文字や書物、ラジオやテレビなどのマスメディア、手足の動きを強化する道具やファッション、自動車などの交通手段も含むテクノロジー全般を指していた。

メディアの歴史を振り返ると、中世まではほとんどのコミュニケーションは話し言葉で行われていたが、15世紀半ばにグーテンベルクが活版印刷を発明すると、書物の普及によって文字を読む視覚中心の社会が形成され、合理的で科学的な思考が発達して近世から近代へと時代が移った。ところが19世紀になって、電信や電話などの電子的なメディアができることで、また聴覚中心の文化が復活して、中世以前のような世界が地球規模で展開することになる。

マクルーハンはそれを「グローバル・ビレッジ」、つまり地球規模の村と呼んだが、現在ネットでつながれた世界は、まさに70億人規模の村のようにウワサが飛び交い(フェイクニュースやデマや炎上)、物々交換のような個人取引(ネットオークションやメルカリのような物販)が当り前となり、プロとアマがはっきり分かれておらず(誰もがすべてをこなすプロシューマーとなる)、ウィキペディアのような集合知的なコラボレーションが登場するなど、一見、近代以前の村社会のような様相を呈している。

インターネットの空間は、全体が見わたせない超巨大な劇場空間のようにも思える。その中にいると突然どこかから人の声が聞こえてきて、その声にまた反応する声が鳴り響く、まるでエコーチェンバーのような世界でもある。こうした電子メディアの聴覚的な性格を、従来の視覚的な整然とした論理で切っても混乱するばかりだ。

マクルーハンは電信というネットワークによって生まれた近代の新聞を、まず電子メディアの代表として取り上げ、「地球のいたるところから同時的に情報を集めることを可能にすることによって、モザイク的で、同時性という本質的に聴覚的な性格を帯びるようになった」と指摘している。そしてまた、「新聞とは地域に参加する人々の集団的な告白形式だ。本は〈視点〉を持つ、個人の告白形式だ」とも述べる。つまり新聞は本に電子メディア的な性格を付加することで、はっきりした視点よりも共同体的な多様な声の集まりのようなものになったわけで、そういうメディアに理路整然とした一貫した視点を維持させるのは難しいとも指摘している。

こうした「電子メディア化した本」としての新聞のあり様は、近年のソーシャルメディアのもたらしている混乱と似たものがあった。新聞が電信や電話を使って、世界中から集めた情報を切り貼りして並べたように、いまでは個人のつぶやきや現場からの声がそのまま巨大な紙面のようなネット空間に並べられ、世界中に拡散していく。フェイクニュースもこうした中心のはっきりしない情報が、きちんとチェックされないまま広がってしまうことによって起きた問題の一つだろう。

ネットなどのメディアにどっぷりつかったわれわれがメディアを正面から論じることは、魚が水の存在を意識するぐらい難しく、新しいアプリの出来不出来やフェイクニュースなどの現象を批判していても全体像は見えてこない。マクルーハンはかつてパスツールが細菌という目に見えないミクロな存在を前提に治療しようとして、マクロな症状しか見えない仲間の医者に拒絶された例になぞらえて、メディアを論じるのにもそれを成り立たせている原因から理解しないと、それによって起きた現象をいくら批判しても何もわからないと論じた。

メディアとは、二人の人が向かい合っている間隙がツボの形に見えてくる「ルビンのツボ」の錯覚のような、通常は意識されないわれわれのリアリティーの背景にあるものだ。潜在意識を理解せずに人間の心理を本当には理解できないのと同様、社会の潜在意識ともいえるメディア自体を理解せずに、現象ばかり追っていても問題の本質は見えてこない。

電子メディアが聴覚的で中世的な感覚を取り戻すと論じるマクルーハンの言葉から、何を読み解くべきなのだろうか? 産業革命以降のテクノロジーの進歩によって、19世紀以降ひたすら効率向上や市場拡大のパラダイムで肥大してきた現在の社会は、ネット時代になっても政府や組織の問題が起きた時の対応を見ていると、トップダウンな思考がまかり通っている。むしろ時代は、20世紀までの進歩の幻想から目を転じ、本来人間が持っていたいろいろな可能性を取り戻す段階に来ているのかもしれない。AIやIoTが支配するネットの次の世界は、さらにピカピカのロボットが支配する世界というより、われわれ個々人が過去に忘れてしまった豊かさを取り戻すチャンスと考えたほうがいいのではないだろうか。


【トークイベント開催のお知らせ】

「マクルーハンからみえるメディアの未来」
服部桂 × 松島倫明 トークイベント

『マクルーハンはメッセージ〜メディアとテクノロジーの未来はどこへ向かうのか?』(イースト・プレス) の刊行を記念して、6月21日に青山ブックセンター本店(東京)でトークイベントが開催されます。

日程:2018年6月21日 (木)
時間:19:00~20:30(開場18:30)

登壇者は著者の服部桂さんと、「WIRED」日本版の新編集長に就任した松島倫明さん。詳細は以下のリンク先をご覧ください。
http://www.aoyamabc.jp/event/mcluhan/

 

ロジスティックス革命と1940年体制の終わり

2018年6月4日
posted by 仲俣暁生

「マガジン航」のエディターズ・ノートは毎月1日に公開することにしているのだが、今月はどうしても考えがまとまらないまま最初の週末を越えてしまった。理由はほかでもない、出版物流の限界がはっきりと露呈してきたからであり、それを前提とした出版産業の未来をポジティブに考えることが難しいと思えたからである。

取次自身が認めたシステム崩壊

出版関係者の多くが読んでいると思われる二つのネット連載が、この問題に触れている。まず小田光雄氏の「出版状況クロニクル」は6月1日の記事(第121回)で「新文化」(4月26日付)や「文化通信」(5月21日付)などが伝えた大手取次のトーハン、日販の経営者の生々しい発言を紹介している。

「出版業界は未曽有の事態が起こりつつある」(トーハン・藤井武彦社長)
「取次業は崩壊の危機にある」(日販・平林彰社長)

こうした大仰な発言の背景にあるのは、取次という出版流通ビジネスの屋台骨となってきた雑誌とマンガが、電子メディアへの急速な移行によって書店でモノとして販売される必然性が失われ、これまでのような全国一律の大量物流を次第に必要としなくなりつつあることだ。

先月のエディターズ・ノートで「漫画村」騒動に触れた際に私はこう書いた。

大手出版社がここ数年、積極的に取り組んできた電子マンガ事業は、紙の雑誌やコミックスを前提としてきた従来の出版流通システムを、インターネット上に付け替えようとする一大プロジェクトだったといえる。

喩えて言うならば、これは江戸幕府が行った利根川の流れの付け替えに匹敵するほどの巨大なプロジェクトだったのではないか。元和7年(1621年)に始まった利根川東遷事業は、それまで江戸湾(現在の東京湾)に注いでいた利根川本流を、はるか東の銚子岬の方向に付け替えるという、日本史上空前の国家的な土木事業だった。

「マンガの電子化(できうることなら雑誌も)」は、少なくともマンガ週刊誌を発行するような大手出版社にとって、利根川東遷と同じくらい死活的な「事業」だったはずだ。そうでなければ「漫画村」の騒動のなかで「数兆円規模の被害を受けた」などという言葉が、軽々しく公式サイト上に載るはずがない。ましてや国がここまで口出しをするはずもない。

しかし、もしそのような「付け替え」がすっかり完了したならば、干上がるのはマンガや雑誌の物流と小売を担ってきた取次と書店だけではない。マンガとはまったく関係のない書籍流通のあり方までが、大きな影響を受けざるをえない。

日本経済新聞の6月2日の記事(「出版取次、苦境一段と日販、出版社に物流費転嫁トーハンは経営陣刷新」)では、日販の平林彰社長は「雑誌に依存した取次業は誇張ではなく崩壊の危機にある。書籍は30年以上赤字が続き、事業として成立していない」と発言したとされている。

日本の近代的な出版流通システムは、大量部数の雑誌(すでに戦前の段階で大日本雄弁会講談社の「キング」などの百万部雑誌が存在した)を全国津々浦々まで届けるために形成され、そこに書籍が乗るというかたちで発展してきた。欧米のような書籍独自の流通システムを欠いているという特殊性があるのだが、むしろそのおかげで日本の書籍は、世界的な基準からすると大幅に安い価格で消費者に供給されてきた。

書籍単体で流通を行った場合とくらべ、雑誌との一元流通は低コストで済むことが利点だが、言い換えればマンガを含む雑誌の大量流通に書籍がパラサイトしてきたとも言える。そして寄生先がなくなったときのことなど、まるで考えられていなかったのだ。

日本経済新聞の記事では、ある大手出版社の幹部の「単価が高い単行本の定価を積極的に引き上げ、安価な文庫の値上げも検討したい」という言葉が紹介されている。昨今の物流危機を反映して運送代が高騰していることの現れか、それとも流通マージンの見直しまで視野に入れた発言なのかは、これだけでは判断がつかない。だが、たんに運送費を価格転嫁して値上げをしたのでは、消費者が背を向ける結果に終わるだろう。

なにより単行本はともかく、文庫や新書は事実上の「定期刊行物」であり、大量に製造販売するからこそ廉価にでき、また廉価だからこそ大量に売れたのだ。この両者はマンガや雑誌と同様、最優先でデジタルに「付け替え」を行うべきだったのだが、いまや遅きに失した感がある。

アマゾンが達成したロジスティックス革命の意味

小田氏の記事の少し前に更新されていた、ジュンク堂書店の福島聡氏の連載コラム「本屋とコンピュータ」の188回では「現代思想」3月号の「特集 物流スタディーズ」が取り上げられていた。

私が福島氏のこの記事を読んだのも6月1日のことだ。一読後、今月のエディターズ・ノートはぜひこの「特集 物流スタディーズ」を読んでから書きたいと思い、すぐにアマゾンで「ポチった」。Kindle版で買えばすぐに読めたことにあとで気づいたが、紙の雑誌が届くのを待っていたため記事の更新が遅れてしまったのだった。

アマゾンを筆頭格とするEコマースの台頭により、あらゆる分野で小売業が壊滅的な打撃を受けている。そして従来の物流――というより、ロジスティックス=兵站と呼ぶほうがふさわしい――のあり方そのものが根本的に変わりつつある。この特集はそうした状況をビジネスの当事者やジャーナリスト、さまざまな分野の研究者の知見をあつめて掘り下げた好企画だった。

この特集には元「ワイアード」日本版編集長・若林恵氏とファブラボ・ジャパン発起人の田中浩也氏(慶應義塾大学教授)の対談「グローバルとローカルをつなぐテクノロジーの編集力」が掲載されており、この対談については福嶋氏が先のコラムでもその勘所を引用している。このほかにも神楽坂で「かもめブックス」を経営する校正会社・鷗来堂の代表取締役である柳下恭平氏の「誰でも本屋をつくることができる仕組みをつくる」など、出版ビジネスと関わる記事が見られた。

だが、この特集を読んで痛感するのは、むしろいま起きている巨大な変化を出版産業特有の歴史的文脈から切り離してみることの必要だ。ようするにアマゾンを「ネット書店」や「電子書籍ビジネス」のプレイヤーとみなすような思考法から離れることだ。

この特集の巻頭に置かれた大黒岳彦の「〈流通〉の社会哲学」には「アマゾン・ロジスティックス革命の情報社会における意義」という副題がつけられている。まさにアマゾンが行いつつあるのは「ロジスティックス革命」であり、出版業界における破壊的イノベーションにとどまらない。

2010年前後から日本でも吹き荒れた「電子書籍」をめぐる議論のほとんどは、いま思えば徒労だった。「紙の本か、電子の本か」といった神学論争が延々と繰り返されている間(そんなことは読者が決めればよい)に、アマゾンもグーグルも電子書籍にはすっかり興味を失ったようで、その後は技術的なアップデートがほとんどなされていない。この間に彼らが優先的に投資したテクノロジーは、ドローンであり、自動運転車であり、音声認識であり、深層学習を土台にしたAIである。

なかでもアマゾンはロジスティックスの革新に本腰を入れており、物流倉庫用の自走ロボット・システムを開発したKiva Systemsを2012年に買収しアマゾン・ロボティクスとして傘下に収めた。ドローンによる宅配をイメージしたPrime Airは法規制もあっていまだにデモ段階にとどまるが、音声認識技術Alexaを実装したechoはすでに商品として投入され、消費行動を変えつつある。アマゾンがこれまでのロジスティックス全体を塗り替えようとしているなかで、日本の取次はせっせと非採算の書店チェーンを買収している。彼我の認識と行動のレベルは、先の大戦末期のB29と竹槍ほどにも桁違いというしかない。

1940年体制の「外」に新たな生態系をつくる

誤解を恐れずに言えば、日本の出版流通は、基本的に「1940年体制」(野口悠紀雄)から大きく変化していないように思える。「1940年体制」とは当時の総動員体制に由来する統制的な社会システムのことだが、日本の戦後の出版流通システムは戦時体制下の1940年にそれまでの多様な出版流通を統合した日本出版配給(日配)に直接の起源をもつ。

取次大手の日販、トーハンをはじめ、ここ数年でほぼ壊滅状態となった中堅取次の多くは日配が戦後に解体されてできたものだ。交通網や物流倉庫のシステムは格段に進歩したとはいえ、彼らの出版流通の基本的な思想は、30年どころかほぼ80年にわたり、ほとんど変わっていない。それは「津々浦々の消費者に適切に配給する」という統制経済的な考え方だ。

他方、アマゾンのロジスティックス思想である「顧客第一」は、単なる安売りや便利さの追求ではない。アマゾンはまず圧倒的に大量の品揃えを顧客に示し、さらに個々のアイテムの仕様や評判を「情報」として提供する。その上で購入の(ポチる)瞬間と、モノとしての商品が到着するまでのタイムラグを、限界まで少なくするようにシステムを設計している。これがアマゾンの「顧客第一」の本当の意味なのだ、と大黒岳彦氏は「現代思想」の特集で論じている。この指摘には目から鱗が落ちた。

日販の社長がいまごろ「マーケットイン」と叫んだところで、アマゾンに勝つことはできない。そもそも本はプロダクトアウトであることにそれなりの必然性がある商品である(したがって「ロングテール」にもなる)。しかもそんな本という商品でさえ「顧客第一」で効率的に届ける仕組みを、すでにアマゾンは作り上げてしまった。

それでは、出版にもう「未来」はないのだろうか。私はそんなことがいいたくてこの文章を書いているのではない。むしろ逆である。

ここ数年、出版業界団体に属さない、ひとり出版社や小さな出版社がいくつも創業している(それに比べて、オリジナル企画で勝負する「電子出版社」はどれだけ登場しただろう?)。そうした出版社の本を扱う小規模取次も、小さな独立書店も次々と登場した。「現代思想」の特集で発言している鷗来堂の柳下氏が企画・運営する「ことりつぎ」もその一つだ。

東京・下北沢の本屋「B&B」や神保町の神保町ブックセンターwith IWANAMI Books、青森県八戸市の八戸ブックセンターといったユニークな書店や図書関連施設の運営にかかわりつつ、独自の出版活動もはじめたnumabooksの内沼晋太郎氏が上梓したばかりの『これからの本屋読本』でも、こうした昨今のさまざまな周縁的な動きが紹介されている。

彼らはアマゾンと同様、現在のインターネット環境を前提に、1940年体制から完全に抜しきれていない日本の出版業界の「外」に新しい本の生態系をつくろうとしている。戦後生まれの出版社、角川書店に起源をもつKADOKAWAが埼玉県所沢市に本社移転を計画しているのも、そうした動きの一つとしてみるべきかもしれない(そうであってほしい)。

「紙かデジタル」か、という問いがいま思えばまったく偽の命題だったように、「アマゾンか、さもなくば死か」という二者択一も私には偽の命題に思えてならない。出版界が最優先でしなければならないのはアマゾンへの対抗ではなく、まずもって自分たちの古い衣を脱ぎ捨てることではないか。

土俵際へと追い詰められつつある大手出版社や大手取次は、若い世代のなかから起きている出版再生の動きと連携し、20世紀的な(=「総動員体制的」な)ビジネス慣行からの脱皮をはかってほしい。

私が柳美里さんの本屋「フルハウス」を手伝うことになった理由

2018年5月28日
posted by 山根麻衣子

東日本大震災から7年、私自身が横浜から福島県に移住してから4年が経つ。偶然と縁がこれだけ重なると、必然だったのかもしれないとも思う。

いま私は、芥川賞作家の柳美里さんが、福島県南相馬市小高区の自宅をリノベーションして、2018年4月9日に開店した本屋「フルハウス」の、主にイベント運営のお手伝いをしている。


[フルハウスの店内風景]

最初のきっかけは、私が2016年に受講していた、福島県の起業家育成支援「ふくしま復興塾」の代表をしている加藤博敏さんの塾生に対しての呼び掛けだった。曰く、「芥川賞作家の柳美里が南相馬市に本屋と劇場をつくろうとしている。著名な人が多く関わる一大プロジェクトになる。クリスマスイブにキックオフイベントが開催されるので手伝いを募集する。関わって絶対損はない」。

柳美里さんのことは、もちろん知っていた。そして私自身、中学生の頃小説家になりたかったとか、中学・高校は演劇部だったというバックボーンから興味がわいた。なにより、2年前まで避難指示が出されほとんどの市民が避難していた、福島県南相馬市小高区で新しく始まるプロジェクトということで、とても関わりたい気持ちになった。しかし私には実はそのクリスマスイブには、既に予定があった。25年来ファンであるミュージシャンが新潟県の苗場で二夜連続のライブを行う、そこに友人たちと申込済みだったのだ。

「当日は手伝えないけど、その後でも何かできることがあれば手伝わせてください」

想いだけは書き込んでおいた。


[きっかけとなった南相馬市小高の小劇場「LaMaMa ODAKA」プレオープンイベント]

さまざまな縁がつながりあう

その後少し経って、横浜時代の友人で、元NHK横浜放送局のキャスター・船本由佳さんのFacebook投稿が目に留まった。「横浜放送局の先輩で、いまは福島放送局にいる吾妻謙アナウンサーが、NHKラジオ深夜便を担当するのでぜひ聴いて欲しい」と。後から聞いてみたところ、その投稿は公開投稿ではあったけれど、福島に移住している私を意識して書いてくれたとのことだった。しっかり届いたことも、偶然ではなかったのかもしれない。

そのラジオ深夜便で、柳美里さんが書き下ろした『窓の外の結婚式』というラジオドラマが流れた。吾妻キャスターを始めとするNHKキャスターに当て書きをした、柳美里さんにとっては随分と久しぶりのシナリオ執筆だったという。

そのシナリオは、南相馬市で家族を津波で流された妙齢の女性と、その女性と再婚した県外出身の男性の、モノローグと会話で構成されていた。

再婚して夫婦になってはいたが、女性はまだ津波で流された伴侶や家族のことをずっと胸に抱えており、男性もそのことをわかっているから、深くは触れずに、でもなんとか支えようとして暮らしている。物語の最後は、それでもお互いを認め合いながら散歩に出かけていく、というように締めくくられていたと記憶している。

その物語は、南相馬市臨時災害放送局「南相馬ひばりFM」(2018年3月25日で閉局)で週に1回パーソナリティを務め、南相馬市やこの地に関わる人の話に真摯に耳を傾けてきた、そして鎌倉市の自宅を売却して南相馬市に移住してまで、この地の人々のことを知ろうとし続けてきた柳美里さんだからこそ書けた、リアルなものだと感じて聴き入ってしまった。

私が柳美里さんの想いを意識したもう一つの出来事は、私が福島県いわき市で2015年から運営として参加している対話の場「未来会議」で、柳美里さんをゲストに招いたときのことだった。福島県への移住者である柳美里さんと地元いわき市勿来なこそ 在住の室井潤さんをゲストに、「それぞれのふるさと」というテーマでトークを展開してもらった。

そのときにも、柳美里さんの、福島県浜通りに対する真摯な姿勢や鋭い洞察、そして愛情を感じて、この人著名人なのに、いやだからこそすごいな、と感じていた。そしていまにして思えば、そのときも私はイベント司会をしていた。

そんなことが続いて、やっぱり私、クリスマスイブの柳美里さんのイベントを手伝いたい、という気持ちが募っていった。

でも友人との約束のライブもある、かなり高額な支払いも済ませている。くだらない悩みだと思う人もいようが、ライブが生き甲斐の私にとってはいたって真剣な悩みである。

そんななか届いたクリスマスイブのチケットが、かなりの良席だった。これなら譲渡できると、イブ前日だけしか一緒にいられない友人には平謝りし、イブのチケットはファンに円滑に譲渡し、きちんと資金は取り返した上で、私は柳美里さんのイベントに参加できることになった。

当日に突然、司会をおおせつかる

前日の晩にはしっかりライブを楽しんだ後、クリスマスイブの早朝5時に新潟県の苗場を出て南相馬市小高区に向かう。新幹線を二つ乗り継ぎ、仙台からJR常磐線で福島県に南下する。その時間、6時間!

しかもその日は強風だか大雪だかで、軒並み新幹線が運休したり、大幅に遅れていたりした。「せっかくライブ返上で来たけど、間に合わないかもしれない。まぁそうだったらきっとこのプロジェクトには縁がないんだな」。そう思って、駅員さんに聞いてみた。「この切符で小高まで最短で行こうとしたらどうすればいいですか?」駅員さんの返事は、「あ、その新幹線だけ、時間通りに動いてます。そのまま乗車してください」だった。

かくして時間通り、お昼前には小高駅に降り立つことができた。

プロの仕事で、柳美里さんの自宅倉庫は、既に「劇場」になっていた。


[柳美里さんの自宅倉庫を改装した小劇場「LaMaMa ODAKA」はフルハウスの裏手にある]

客入れをする前に、レンタルで入れた100脚以上の椅子を拭いたり、見えやすいように並べ替えたり、導線を作ったり、掃除したり、やることはいろいろあったが、横浜時代からイベント運営だけは数をこなして来たから、裏方がやるべきことはすぐにわかる。

黙々とこなしながら、一段落したところでちょっと休憩して来ますーと、同じふくしま復興塾から駆り出されたメンバーと小高駅前の移動コーヒースタンド「オムスビ」で一休みしていたところに着信。このイベントに声掛けした、ふくしま復興塾代表の加藤さんだった。

「山根、お前総合司会、やれ。」「え? え、今日のですか?」「出来るだろ、すぐ戻って来い。」たしかに私は、ふくしま復興塾の発表会で司会をさせて欲しいと加藤さんに頼んではいたが、今日みたいな一大イベント、私でいいのか? と思ったのは一瞬。「はい、わかりました。やります。すぐ戻ります!」こんなチャンス、逃すわけない。

渡されたのは進行表というよりタイムテーブル。イベント開催時に、最低限観客の皆さんに伝えなければならないこと、出演者の名前の読み方、どこで柳美里さんに振るのか、その場で疑問に思ったことは全部リストアップして聞いた。柳美里さんが、「基本的に山根さんにお任せするので」と一任してくださったのと、演出や照明の責任者である、照明家・海藤春樹さんが横についてサポートしてくださったこともあり、楽しみながら進行ができたうえ、ステージ横のいちばん近いところからすべての演目を観ることができ、役得とすら感じたサポートだった。


[これも偶然か必然か、この日のメインプログラムである、柳美里さん作『ねこのおうち』の朗読劇のキャストも吾妻キャスターだった]

なんとかつつがなく司会がこなせたのは、私が司会業を横浜時代から、そしていわきに来てからも何回も経験させてもらっていたからなのだが、その私の度胸と進行を柳美里さんが気に入ってくださったようで、今後も手伝って欲しいとお声かけいただくことになった。沢山の人とのつながりからいただいた依頼、断る理由は何もない。

まずは劇場のプレオープンイベントを行ったが、劇場のオープンは秋。先にオープンするのは本屋だと決まっていた。オープン日は4月。クリスマスイブの段階では、まだその場は手つかず。内心、大丈夫かなと思ってはいたが、年明けになると、福島県の地方紙や東北地方のブロック紙などで、どうやら本屋の準備は着々と進んでいるらしいということは伝わって来ていた。

ついに「フルハウス」正式オープン

そんな3月中旬に、柳美里さんから連絡があった。本屋のオープンが4月9日(月)に決まったので、直前準備と、またセレモニーの司会をお願いしたいと。実は私は週5フルタイムで勤務しているので、直ちに有給休暇を申請したのは言うまでもない。


[フルハウスの開店チラシ]

私は、新卒で入ったドン・キホーテという会社で、2軒店舗の立ち上げに関わっていた。だから開店前のバタバタと、そして開店の時期にしか味わえない、ゼロからお店を生み出す、なんとも言えない充実感を、身をもって知っている。なので、オールボランティアであっても、喜んで手伝いたいと心から思えた。絶対に得難い経験ができるとわかっていたから。

しかし、それにはどう考えても人手が足りない。いまでもだが、本屋「フルハウス」は、柳美里さんと伴侶の柳朝晴さんと2人だけで運営している。ボランティアを募るにも、移住者の私が広域に声かけしても効果は薄いだろう……と、ふくしま復興塾の代表・加藤さんに頼んで声かけしてもらったり、気心の知れている仲間たちに一本釣りでお願いしたりして、信頼できるボランティアだけを集め、開店準備と当日に臨むこととした。


[開店ボランティアにかけつけてくれた筆者の友人と、柳美里さんの友人たち。下の写真左端が筆者]

なぜ私がそこまでするのか。これは想像に過ぎないのだが、いくら柳美里さんが著名な作家だとは言え、震災後に移住してまだ数年。おそらく気軽に頼める近所の人は多くはないのだろうということ。また柳美里さんの本業は作家であり、いい意味でも悪い意味でも、純粋で浮世離れした部分がある。私が語るのも僭越な話だが、やはり天才には天才の仕事があり、それをサポートするのが凡才の役目だと思っている。

また何より、私自身がこの、福島県浜通りの、津波と原発事故で沢山の人が離れざるを得なかったこの場所・福島県南相馬市小高区に、本屋と劇場をつくるというプロジェクトに可能性を感じ、応援したい、絶対潰したくないと心から思っているからに他ならない。

毎週末のトークイベントと「24人の20冊」

いろいろなバタバタは沢山あったものの、無事にオープンし、本日まで定休日以外は休みなく、沢山のお客様に来ていただけている、本屋「フルハウス」。そして私は、開店から毎週土曜日にフルハウスで開催されているイベントで、毎回司会としてお手伝いをさせてもらっている。


[4月28日に行われた、芥川賞作家・中村文則さんをゲストに迎えての朗読会とトークイベント]

それからオマケとして、フルハウスのFacebookページの運営もしている。

これも、横浜時代から何件ものFacebookページの管理をして来た私にとっては、苦にならずにできることだ。とくに柳美里さんはTwitter発信がメインで、Facebookにはなかなか情報が流れないのでちょうどいいとも思っている。こんなところでも経験が生きるとは。

この記事で、フルハウスに興味を持ってくれたのなら、ぜひ福島県南相馬市小高区まで足を運んで、本を買って欲しいと切に願います。いくら社会的に評価されるプロジェクトであろうとも、売上が伴わなければ続けられない。ここ数年、資金難で継続ができなくなってしまったプロジェクトをいくつも見てきたので、ここは声を大にして伝えたい。


[店内には柳美里さんとその友人24人が選んだ本だけが並んでいる]

フルハウスは本のセレクトショップと呼ぶのがふさわしい店だ。柳美里さんと、作家や演劇関係者など柳美里さんの友人たち24人が選書した本だけが蔵書されているからだ。そのラインナップを見るだけでも、小高まで来る価値はある。

ご来店、お待ちしております!


[柳美里さんの本は、すべて直筆サイン入りで販売]

フルハウス:〒979-2121 南相馬市福島県南相馬市小高区東町1-10
営業時間:火曜~金曜 13:00~18:00、19:30~21:20
土曜 12:00~18:00
日曜、月曜 定休日


※はてなブログ「やまねぇの東北応援日記」2018年5月5日のエントリーを加筆・修正して転載しました。