第7回 地域のクリエイティブはどこにある?

2017年10月18日
posted by 影山裕樹

現在、京都で開催中のローカルメディアワークショップCIRCULATION KYOTOは、8月に開催された公開プレゼンテーションを終えて、本格的に各チームがメディアを制作する段階に入った(プレゼン映像が公開されているので、こちらのHPを参照のこと)。

約一ヶ月半かけて、異なるバックグラウンドを持つ参加者たちが、自らの役割とスキルを持ち寄って、非常に完成度の高いプレゼンを行った。観覧に来てくださった地域の企業や団体の方々からも概ね好評で、各プランに具体的に支援を買って出てくださるところも現れ始めた。

ワークショップはよく、アイデアを発表して終わりになることが多いけれど、こうして実現性の高いプランを目にすると、それが不可逆なうねりとなって、市民をまきこみ活動として残っていく。それは今すぐに地域の課題を解決するには役に立たないかもしれないけれど、5年後、10年後には確実にその地域に足跡を残すことになると思う。本プロジェクトでディレクターチームの僕たちは、参加者に「地域における必然性」「発想の斬新性」「運営の継続性」「資金の調達方法」という四つの高いハードルを課した。自治体予算でメディアづくりのワークショップやライター講座が各地でさかんに行われているけれど、そこでは根本的な問題、つまり「本当に、メディアをつくる必要があるのか」を考えさせられることはない。「地元情報を発信するウェブメディアをつくりたい」というだけの理由で開催されるワークショップは、「そもそもウェブメディアをつくる必要があるのか」を考える時間を与えてくれない。

カードを使ったワークショップの様子。

公開プレゼンテーションを終えて。(撮影: Kai Maetani)

メディアの「かたち」を再発明する新しいアリーナ

もし、地域の課題を解決するためにメディアが必要だとしたら? そんなことを、メディアの概念を拡張しながら、参加者と一緒になって考え続けた一ヶ月半。あらためて思うけれど、メディアというのは「情報発信媒体」としての性格にとどまるものではない。M・マクルーハンの「メディアはメッセージである」という有名な言葉を引き合いに出すまでもなく、地上波テレビや新聞などのマスメディアが衰退し、出版流通の仕組みが岐路に立たされている今、出版やメディアに携わる者は、素朴にメディアの「コンテンツ」をつくる競争に明け暮れるのではなく、メディアの「かたち」そのものを一から発明する、新しいアリーナが生まれつつあることに自覚的でなくてはならないと思う。

メッセージを内包するメディアのかたちそのものが、伝えたい主体者の覚悟や本気度を暗に示している。地上波か、インターネットTVか。雑誌かウェブメディアか。届けるメッセージに合わせて、メディアのかたちを選ぶ時代なのだ。

その最たるものがローカルメディアだ。読者も資金も人材も不足している課題先進地域の地方でメディアを立ち上げ継続的に運営していくためには、普段、マスメディアや商業出版の外にいる読者を獲得しなければいけない。この連載でもこれまで紹介してきたように、流通先の意外な開拓方法(みやぎシルバーネット)、出版流通の仕組みを逆手に取った地域限定本(本と温泉)など、コンテンツそのもののクオリティ以上に、メディアのかたち(流通形態)そのものを発明しているローカルメディアこそが、これからのメディアや出版のフロンティアを指し示してくれる。

また、地域を元気にするのは、何も観光収入などによる経済的な効果だけではない。それほどお金が回っていなくても、自分たちが暮らす地域にプライドを持つことや、かけがえのない仲間がいること、つまり、文化とコミュニティが根付いているかどうかが重要だ。2014年に出版した『大人が作る秘密基地』(DU BOOKS)でも取材した、いわきで活動するヘキレキ舎代表の小松理虔さんは、娯楽の少ない地方では、休日の過ごし方が単調になる。そんな地域でアフターファイブに自分たちの好きなことがしたいと思って、仲間たちとオルタナティブスペースUDOK.を立ち上げた、と語ってくれた。

都市部のような文化娯楽の選択肢が少ない地元だからこそ、自分たちで遊び場や仲間をつくる。そういう気概のある若い力が結集し、経済的成功だけではない地域文化を育むことこそが、5年後、10年後の地域の未来を考える上でもっとも重要なことだと思う。

メディアのクライテリアの複数化を

一方、地域における「クリエイティブ」の現状を鑑みるに、そう悠長なことも言っていられない。都市部の価値観が地域に押し付けられ、東京で発行される雑誌のカタログの一片に、ビジュアルセンスや流行などの一面的な共通点だけで、地方発のデザインプロダクトやメディアが、まるで「見本帳」のように一様に並べられる状況がいまだに続いているからだ。「なんとなくオシャレ」だとか、「なんとなく今っぽい」という評価軸だけで、地域のクリエイティブのアウトプットが評価される状況はなんとかしなくてはいけない。じゃあ、どうすればいいのか?

それは、単一のクライテリア(評価基準)に囚われる受け手(読者、消費者、購買層)のマインドセットを変えることから始まるように思う。たとえば、デザインセンスはないけれど、文章がものすごく面白いメディアがあったとして、ビジュアルでは伝えられない場合、どうやって評価するか? わら半紙のような手軽なものに印刷されているけれど、熱狂的なファンを抱え込んでいる媒体はどうやって評価するか? デザインが洗練されたプロダクトやメディアの見本帳では、機能的に優れた(機能美というよりももっと別な)プロダクトやメディアの本当の魅力を伝えることはできないだろう。

東京にほとんどの出版社が存在し、デザイナーや編集者、ライターやイラストレーターなどのクリエイティブ職が集積していたこれまでと違って、いまや出版やメディアのフィールドが地方にゆるやかに広がり、クリエイティブ人材が各地に分散している。そんな時代に突入しているにも関わらず、「地域×クリエイティブ」という新しいマーケットが生まれると、結局は都市部の価値基準(クライテリア)に集約・搾取されてしまう制作物を、別の基準で評価する必要が生まれているように思う。

「EDIT LOCAL」のトップページ。

そんな意図もあって、最近僕は、「EDIT LOCAL」というウェブメディアを立ち上げた。「ソーシャル」や「コミュニティ」というバズワードに踊らされ、都市部の一面的な評価軸に乗ることを目的とするのではなく、地域の文化・コミュニティを醸成することを第一に考え、とにもかくにも自分たちの問題は自分たちで考えぬくこと。地域に根ざし、その地域ならではのクリエイティブ(ヴァナキュラーなデザイン・編集と言ってもいい)を開発することに勤しんでいる人々のスキルを正確に読み解き、記録しておくこと。つまり、「クライテリアを複数化」すること。それが「EDIT LOCAL」を発行した目的のひとつだ。

大量生産メディア時代の終わり

複雑なものを、複雑なまま評価すること。こんな当たり前のことが、ようやくできる時代になった。安価かつ大量生産されるメディアを一般大衆に届けることで成り立っていた出版産業(週刊誌、文庫、新書など)の全盛時代は、終わったと言ってもいいと思う。これからは「限られた人に、限られた情報を届け」、メディアを媒介に人や情報の多様な流れをつくる時代ではないか。

商業出版に携わる編集者がこれまでやってきたことは、専門分野の著者の言葉を、大量生産メディアを通じてより多くの人々(大衆)に届けるという仕事だった。しかし、これからの時代の編集者の仕事は、ある限定されたコミュニティで交わされる情報の流路やメディアのかたちを戦略的に生み出していくことだと思う。

本誌編集発行人の仲俣暁生さんと一緒に、昨年よりローカルメディアにまつわる講座を続けてきたが、その流れの中で、地域デザイン学会でローカルメディアフォーラムというものを立ち上げることになった。12月2日には、荻窪・6次元で第一回目のフォーラムが開催されるので、ご興味ある方はぜひ参加してもらいたい。

ローカルメディアの隆盛は、一過性のブームではなく、マスメディア研究の枠内を超えて、「人間の感覚を拡張する技術」としてのメディアの本質を指し示してくれるものだと思う。僕たちは、情報を一方的に大衆に届けるマスメディアを前提とした「メディア」の考え方を捨てて、人と人が相互に情報を交わし、異なるコミュニティをつなぐ広義の「メディア」を考えるフェーズに立ち会っている。「ローカルメディア」のブームは、メディアの価値観を新たにするためのきっかけにすぎない。ツイッターか、インスタグラムか、などなど、1〜2年で覇権が入れ替わるソーシャルメディアの勢力図に右往左往している場合ではない。

群雄割拠のメディア戦国時代を楽しく乗りこなしていく、そんなツワモノが各地で生まれては消えていく、それらの生を看取り、場合によってはプレイヤーとしてアリーナに参戦する、そういう、編集や出版の仕事にこれからも携わっていきたい。


【ローカルメディアフォーラム開催のお知らせ】

以下の日程で、地域デザイン学会主催の「第1回ローカルメディアフォーラム」を開催します。学会員以外の参加も可能です。

日時:2017年12月2日(土)15:00~18:30 ※終了後、懇親会を行います(18:40~20:00)
場所:6次元(東京都杉並区上荻1丁目10-3)※最寄り駅はJR荻窪駅
http://www.6jigen.com/map.html
定員:30名(先着順)
参加費:フォーラム=1000円,懇親会=2,000円(当日受付にて集金)

テーマ:「〈コミュニティ×メディア〉世代を超えたコミュニティが集う場づくりと、地方におけるクリエイティブの役割」
出演:小松理虔(ヘキレキ舎代表)、ナカムラクニオ(6次元代表)、影山裕樹(『ローカルメディアのつくりかた』著者)、仲俣暁生(「マガジン航」編集発行人)、原田保(一般社団法人 地域デザイン学会理事長)

※詳細なスケジュールと参加申し込みはこちらから。
地域デザイン学会
http://zone-design.org/forum/localmedia.html

第5回 デジタルで変わるマンガ家の仕事

2017年10月11日
posted by 中野晴行

前回はデジタル化が編集者に及ぼす影響について考察したが、今回はマンガ家がデジタル化によってどう変わったのか、変わるのかについて考察してみたいと思う。一部、これまでとかぶる部分もあるが、ご容赦いただきたい。

制作支援ソフトがマンガ家を救う

1990年代半ばからのコンピュータの高性能化やネット通信インフラの整備は、マンガ家の仕事にも大きな影響を与えた。ひとつには、マンガの執筆道具としてコンピュータが使われるようになったことがあげられる。

奥浩哉が、2000年から「週刊ヤングジャンプ」に連載した『GANTZ』の背景にデジタル処理を用いるなどしたことが草分けとされているが、最大のエポックといえるのは、第3回でも触れたように、2001年にセルシスがマンガ原稿制作支援ソフト「コミックスタジオ」を発売したことだ。

それまで使われていたアドビの「フォトショップ」や「イラストレーター」などと比較して、使い方を覚えやすく、筆やスクリーントーンを使うのと同感覚で高度な表現が可能になる「コミックスタジオ」の登場で、紙ではなくパソコンの画面上で作品を仕上げるマンガ家が急増したのだ。現在はさらにスペックが上がった「クリップスタジオ」というソフトに主流が移り始めている。

これらのマンガ制作支援ソフトを使えば、これまで複数のアシスタントを必要としたベタ塗りや仕上げもモニターの画面上で手早くできるようになり、場合によってはマンガ家一人でも作品を完成できるようになったのだ。

さらに、紙にペンで描くのと同じような感覚でデジタル執筆が可能な「液晶ペンタブレット(液タブ)」が登場すると、デジタル制作への流れはさらに加速された。紙に鉛筆描きした下描きをスキャナーで取り込んで、液タブを使って仕上げていくという手法は若手だけでなく、ベテランにも受け入れられるようになった。

ベテランにとっていちばん大きな問題は体力の衰えである。視力が落ちる、利き腕が腱鞘炎になる、腰痛に悩まされる……。1989年に60歳の若さで没した手塚治虫も、亡くなる3年前に放送されたNHKの番組『手塚治虫創作の秘密』の中で「丸が描けなくなった」と告白している。指や腕に若いときのように力が入らないので一筆で丸を閉じることが難しくなるのだ。まっすぐな線を引くのも辛くなり、微妙に震えたような線になる。マンガを描くために体を酷使してきた長年のツケがきているのだ。制作支援ソフトは彼らの痛みを和らげることはできないまでも、描けなくなるという事態は回避させてくれる。

たとえば、とあるベテランは視力が著しく落ちて細かな線が描けなくなったため、鉛筆でざっくりとした下絵を描き、これをスキャナで取り込んだものをアシスタントが制作支援ソフトを使って細かく仕上げ、出力したものに赤字(修正の指示)を入れながら、完成させていくという手法をとっている。

ペンで紙に描くのと比較して、液タブを使ったときの腕の消耗は少ない。セリフと下絵を入れたら、あとはオペレーター任せという大家もいる。マンガ家の高齢化が進む昨今、マンガ制作支援ソフトの活躍の場はますます増えていくだろう。

ただし、技術の進歩は両刃の剣だ。制作支援ソフトの導入には、マンガ家の負担を増す、というマイナスの側面もある。最大の負担は導入にかかるコストだ。それになりのスペックを備えたパソコンや周辺機器を用意しなければならず、ハードやソフトのトラブルにも備えなくてはならない。そもそもあらたに操作を覚えること自体が負担というマンガ家もいるだろう。

技術の進化で、読者の要求するハードルも上がる。制作支援ソフトが普及したために、細かな表現が可能になり、それによって読者の目が肥えて、より複雑で精緻な表現が求められるようにもなっているのだ。

「楽になったかと言われると、そうとも言い切れない」と、あるマンガ家は言う。

それでもなお、制作現場のデジタル化は、福音であったと思いたい。

デジタル時代のマンガ家は地方に

マンガ制作支援ソフトの登場は、地方で仕事をするマンガ家にも役立っている。

中部地方を拠点にマンガを描いているIに取材してみた。Iは、1990年前半にかけて青年誌を中心に活躍したが、90年代後半に出身地でもある現在の住所に転居した。

「はじめのうちは、ネーム原稿をFAXで編集とやりとりし、仕上がったものを宅配便で東京の編集部に送る、というずいぶん面倒なやり方でした。いちばん困ったのはアシスタント。マンガ家の卵が集まり、専業のアシスタントもたくさんいる東京とは違って、地方で仕事のできるアシスタントを探すのは至難の技です。地元の専門学校に頼んだりもしましたが、帯に短し…といった状態で、家内や高校の漫研時代の仲間に手伝ってもらってようやく締め切りに間に合わせるといった状態。せっかく来た仕事がなくなるのは困るので、東京に戻ろうかと何度も考えました」

そんなIを救ったのが、制作現場のデジタル化とネット環境の変化だった。マンガ作成支援ソフトによってアシスタントなしでもなんとかこなせるようになり、デジタルで仕上げた原稿はデータとして東京の編集部に送ればよくなったのだ。

「週刊誌(連載)じゃないからできたのかもしれませんが、住み慣れた地元で仕事ができるというのがいちばんです。たまに東京に行くときは、打ち合わせのほかに、資料を探したり、昔の仕事仲間に会ったりですかね」

かつて、プロのマンガ家になるためには上京するのが当たり前だった。新人がデビューして少し描けるようになると、編集部が上京を勧めたのだ。前回にも書いたように、アパートを探しアシスタントを揃えるところまで、編集部や担当編集が世話をすることも多かった。昭和20年代後半から30年代まで、石森章太郎(当時)、藤子不二雄(当時)、赤塚不二夫ら若手マンガ家が住み「マンガ家アパート」と呼ばれたトキワ荘など、原稿取りに便利なアパートに新人をまとめるというようなこともあった。

同じ頃、上京して本郷三丁目の下宿に入った松本零士の場合は、隣がマンガ家を「カン詰め」するための旅館だった。編集部にとってもマンガ家はさっさと上京させたほうが何かと便利だったのだ。マンガ少年やマンガ少女たちにも「東京へ行ってなんぼ」という意識があった。

ところが、今世紀になってからはIのように地元に戻ったり、そもそも地元から動かない、というマンガ家が増えている。中には「東京にいると編集者がうるさいので」と地方に引っ越すマンガ家もいるほどだ。

作品の発表場所は増えたが

デジタル化の波は、マンガ家にとって作品を発表する場が増えるというメリットも生み出している。紙の発表媒体は、老舗雑誌の休刊などで年々数を減らしているが、それ以上に電子マガジンや電子コミックアプリ、マンガ配信のポータルサイトが増えているからだ。大手の出版社も、雑誌の休刊で単行本化するコンテンツが減ったのを埋めるために無料で読めるウェブマガジンに力を入れている。「紙だけだった時代よりも、作品を描く場所は増えています。デビューを目指す人たちにとってもチャンスは大きくなった」と語る関係者は多い。

大阪在住のHもそのひとりだ。Hは1980年代にデビュー、現在は青年向け週刊誌の連載1本のほかにウェブ連載も1本抱えている。

「ウェブ連載は2015年からです。出版社系のマンガ・サイトがスタートすることになって、声がかかったんです。月産は平均すると2作で46ページくらい。アシスタントを使わずに100%電子ツールで描いているので、これくらいがちょうどいい分量です」

ウェブでの連載ということに抵抗はなかったのだろうか。

「ウェブ連載といっても、スマホ向けの縦スクロールではなく、紙と同じように見開き単位で掲載されていますから違和感はないです。描いていても、とくにウェブ向けを意識するようなことはありません」

もうひとり、東京在住のKのケースも見てみよう。1990年にデビュー。青年誌を中心に仕事をしてきたが、今年春からは、出版社系の無料ウェブマガジンで連載がスタート。妻とアシスタント2名が協力して月産35〜40枚だという。キャラや背景はペンで仕上げて、それ以外を「コミックスタジオ」で仕上げている。

「紙の連載とウェブ連載の比較ですか? 紙を使わないという以外に大きな違いはないと思います。現在の仕事はこれ1本ですから、紙であれ、電子であれ、描ける場所があるというのはありがたいです」

紙から電子へという流れはふたりにとって、描ける場所が増えたという点でプラスになっている。「何が何でも紙」という執着よりも、「描ける」「読んでもらえる」ことがマンガ家には重要なのだ。「作品の電子化はNG。掲載誌が電子版を出すなら自分の作品は外してほしい」というマンガ家もたしかにいるが、ほかのマンガ家の話を聞いても、紙へのこだわりはずいぶん薄くなってきたように感じる。

ただし、ふたりにギャラのことを訊ねてみると、必ずしもいいことばかりではないようだ。ウェブ連載の原稿料は紙よりも安いというのだ。

同じ出版社からの依頼でもウェブ連載は紙よりも安い。Kの場合はページ単価が半分以下になったという。

「コミスタ(コミックスタジオ)を使ってアシスタントを減らすなど、企業努力をしているのでなんとかカバーできています」とは言うが、厳しいことには違いがない。ギャラが安くても仕事があることがうれしい、というのはある意味でクリエーターの本音かもしれないが、せっかく発表場所が増えても、それで食べていくことができないのであれば、問題ありと言わざるを得ない。

ギャラは原稿料+ロイヤリティ

ウェブからデビューした、いわゆる「ウェブ専業マンガ家」も増えている。

Aは、ウェブ専業としてはベテラン組だ。月産はカラー数点を含む60枚前後。一日の半分を執筆に当てており、執筆は100%デジタル。スクリーントーンやモブシーンを担当するアシスタント1名を使っている。

「ペンで描くのはサイン本や色紙くらいです。紙であれデジタルであれ、マンガはマンガなので創作上のかわりはないと思います。売り方とか発表場所の広さは違うかもしれませんが……」

原稿料はどうだろうか?

「有料配信(サイト)で描いていることもありますが、ページ8000〜1万円です。ただ、電子コミックの場合は原稿料よりもロイヤリティが大切です。紙のマンガの印税みたいなもので、ダウンロードに応じて支払われるものです。たとえば1話100円で15%のロイヤリティが発生すれば、(1ダウンロードあたり)マンガ家に15円が支払われます。もちろん、会社によってパーセンテージは違いますが、原稿料とロイヤリティできちんと計算してもらえる会社と付き合っている限りは、赤字になることはないと思います」

ギャラの計算は、配信会社や配信会社から仕事を請け負っている編集プロダクションによってまちまちだ。たとえば、無料漫画アプリ配信サイト「comico」の公式ホームページによれば新人の原稿料は1話5万円の基本原稿料と人気に比例したインセンティブとなっている。

「comico」の場合、配信される作品は縦スクロール形式なので、ページ単価という考え方がない。あくまでも配信1話についてギャラが計算される。ページに換算すると、およそ5000円くらいだと考えられる。インセンティブは、Aの説明するロイヤリティのようなもので、ダウンロード数などによって独自に計算されるもの。無料配信では1話いくらという基準がないので一種のブラックボックスになっている。広告収入が収益源になっている無料配信サイトでは、広告収入の一定割合をマンガ家に支払うという契約になっているところもある。

一方で、出版社系のウェブ連載では、ロイヤリティやインセンティブという考え方がないところがほとんどだ。原稿料を紙よりも安く設定するなら、ダウンロードやPV(ページ閲覧数)に応じたロイヤリティを支払ってはどうか、とも思う。

ところが、ロイヤリティやインセンティブなるものが意外に曲者であることもわかってきた。Aはこう訴える。

「有料配信サイト、無料配信サイトに関わらず、作家に印税を払わない会社が結構あります。有料で配信して読者からお金を受け取っているにも関わらず、作家さんに印税を渡さないところも多いのです。自分たちは儲けているのに、作家には還元しない」

さらに、ロイヤリティやインセンティブの支払いに、会社にとっては有利だが作家には不利な条件をつけてくる配信会社や編集プロダクションも少なくない。

たとえば、ロイヤリティが発生するのは30万ダウンロードを超えてからといった付帯条件を会社側が一方的に出してくることがあるのだ。あるいは、配信後2ヶ月経過しないとロイヤリティは発生しない、とか、ロイヤリティの金額が支払われた原稿料の金額を超えてはじめて支払われるといったものもある。

「マンガ配信が儲かりそうだ」と考えて参入してきた配信会社や編集プロダクションの中には、はっきり口には出さないものの「原稿料を払うのは無駄」と考えている会社さえある。会社側にすれば、利益を最大化するためには、コンテンツに係る経費を削減しなければならない、ということなのだろうが、マンガ家にとってはたまったものではない。

また、ウェブに発表した作品を紙で単行本化する場合に、連載媒体を運営する会社側が印税を要求するケースも多い。たとえば著者印税10%+配信会社の印税5%を要求されたといったケースがある。印刷版の版元はコスト上の理由から10%以上の印税契約を受けることができないので、このときは著者印税が5%に下げられたという。

これから電子コミックでのデビューを目指す若い描き手に、Aはこうアドバイスする。

「配信会社もマンガ家も、紙のマンガより電子コミックの方が儲かるはずなんです。電子だから安いというのはおかしいと思います。必ず、原稿料+ロイヤリティで契約してほしいですね。おかしな付帯条件をつけたり、原稿料だけというような会社は避けたほうがいいです」

ブラック企業と同じで、マンガ家が怪しげな会社をスルーするようになれば、悪質な配信会社や編集プロダクションは淘汰されるはずなのだが……。

明日のマンガ家たち

最後に、未来のマンガ家がどうなるのか、をI、H、K、Aの4氏それぞれに訊いてみた。

「わかりません。困ったときに新しい技術が出てきて助けてくれる、というのが理想です。どんなスタイルになるにしても、マンガは残ると思いますけど……」(I)

「スマホの画面で読むのが主流になるのかもしれませんが、私個人としては大きな画面で読んでほしいというのが本音です。いまは、SNSのように私たちが直接読者の皆さんに情報を伝えるメディアがありますから、自分の作品について少しでも拡散して知ってもらうことが大切なのかな、と考えています」(H)

「電子コミックの時代になると若い人たちにはチャンスが増えるはずです。そして、僕たちのようなアナログで描くという経験をもたない描き手も増えるでしょう。でも、アナログでも描けるというのは大事なことなんだとあえて伝えたいですね」(K)

「いま、若い読者はマンガは無料で読むものと考えるようになっているんじゃないでしょうか。お金を払ってマンガを読んでくれる人が減って、みんながタダでマンガを読む時代も容易に想像できます。マンガ配信は伸びるかもしれませんが、マンガ家はどうなるんでしょう。有料配信されるマンガが生き残っているいまは、マンガ家にとってラッキーな時代なのかもしれません」(A)

マンガ家に限らず、クリエーターはお金のことを考えるのが苦手だ。お金のことを考えるのは恥ずかしい行為だ、とまで言い切る人も少なくない。

マンガ家を目指す学生さんたちを相手に「マンガ産業論」について講義すると、必ずこんな意見が出てくる。

「自分たちは好きなことを仕事にできれば幸せなので、お金のことは考えたくない。お金にならなくても好きなマンガを描いていたい。先生の話は汚い」

若さゆえの無垢として褒めてやりたい気もするが、それだけでは生きていけない。とはいえ、無理して自己マネジメントしなさいというわけではない。できないことはアウトソーシングすればすむことだ。

次回では、マンガをサポートする新しい仕事であるエージェントについて考察してみたい。


※敬称は略させていただきます。また、取材したマンガ家さんの名前も本人の希望ですべてイニシアル表記としました(筆者)。

子どもたちに必要なのは立派な施設だろうか

2017年10月6日
posted by 空犬 太郎

しばらく前に、建築家の安藤忠雄さんが児童図書館を建設し、大阪市に寄付することが報じられた。9/20付朝日新聞の記事「安藤忠雄さん「こども本の森」建設、寄付へ 大阪中之島」の一部を引く。

建築家の安藤忠雄さん(76)は19日、大阪市北区の中之島公園に「こども本の森 中之島」(仮称)を建設し、大阪市に寄付する考えを明らかにした。

施設の場所や広さなどの概要については、記事では以下のようになっている。

建設予定地は市が管理する敷地で、鉄筋コンクリート造り3階建て。延べ床面積は約1千平方メートル。1階から3階まで吹き抜けの壁一面に本棚を置き、子どもたちが本に囲まれた空間で自由に読書できるようにしたいという。蔵書数などは未定だ。

広さは坪換算だと約300坪。2019年の開館を予定しているという。

なぜこのようなことを思い立ったのかについて安藤さんは、《「新聞や本を読まない子どもが増えている。市民が社会に参加する町として、次代を担う子どもたちを育てたい」と述べ》たとある。本をとりまく世界は、書き手作り手売り手など、関わる人全員にとってなかなかに厳しい状況にあることは間違いない。だから、本の世界や本を読む人たちにとって少しでも利になると思われることは、どんどんやってみればいいと思う。それぞれの立場の人が自分にできることをしたらいいと思う。

その意味で、本が読める施設自体をつくって寄付するというのは、一般人にはまず不可能なことで、そのような思い切ったことをしようという方が名乗りをあげたこと自体は、本当にすばらしいことだと思う。ぜひいいかたちで実現されればとも思う。だから、批判をしようというつもりはない。ないけれど、ただ、気になる点——それは、児童向け施設の書架が《1階から3階まで吹き抜けの壁一面に本棚》というつくりで、子どもたちが《自由に読書できるよう》な場所が本当に実現されるのか、というようなレベルのことではなく、もっと根本的なこと——がいくつか目についたのも事実。

おそらく今回の件に諸手をあげて賛成という気分になれない人は他にもいるのではないかという気がするし、それはぼく自身が気になっている点と重なっているのではないかとも思われるので、問題提起の一助になればくらいのつもりで、三つの点についてふれてみたいと思う。

一つめは、安藤さんが今回の件を思い立ったという「新聞や本を読まない子どもが増えている」のかという問題について。

二つめは、子ども向けの施設をつくったとして、その利用率に影響の大きい対象年代の人口減少がどの程度考慮されているのかについて。

三つめは、安藤さんが寄付されるのは施設のみで、《蔵書集めや運営費用も企業や市民からの寄付を広く呼びかける》とされている点について。

20世紀初頭、ニューヨークのハドソン川公園で子どもたちに読み聞かせをする図書館員(ニューヨーク公共図書館のアーカイブより)

本を読まない子どもは増えているか

まずは一つめ。ここでいう「子ども」がどの層を指しているのかははっきりしないが、一般的な感覚からしても、また施設の仮名称が「こども本の森」とひらがな表記になっていることからも、未就学児・小学生が中心で、上は中学生ぐらいまでのイメージだろうか。「子ども」や「若者」が「何々していない」と短絡的に断じる人は(とくに本の世界では伝統的に)少なくないが、本を読んでいないのは、はたして「子ども」たちだろうか。そのようなイメージを持っている人たちは、最近の読書調査の類に目を通したことがないのではないだろうかと想像されるのだ。

子どもの読書事情に関する本格的な規模の調査には、文部科学省の「子供の読書活動の推進等に関する調査研究」(委託調査)や全国学校図書館協議会・毎日新聞社による「学校読書調査」などがある。こうした複数の読書調査を見ると明らかなことがある。小学生はけっこう本を読んでいる、ということだ。

読書調査と子どもの読書事情にふれた記事「高校生の不読率57%、きっかけや読書習慣を…有識者会議」(8/16 リセマム)を見てみよう。

1か月間に本を1冊も読まない児童・生徒の割合を示す「不読率」は、平成28年度が高校生57.1%、中学生15.4%、小学生4.0%。学校段階が進むにつれて、子どもが読書をしなくなる傾向がみられた。

ここでは大学生にはふれられていないが、大学生に関してはさらに不読率が上がる。小学生は、「朝読」(朝の読書運動)の効果などもあり、また(幸いにもというかなんというか)スマホの普及率もまだ中高生ほどでないこともあり、本は読まれている。

それは(往時に比べれば減少はしているものの)『コロコロコミック』『ちゃお』『週刊少年ジャンプ』などの部数を見ても明らか(各誌の部数については、日本雑誌協会「印刷公表部数」参照)だし、また、『おしりたんてい』や(読書するものではないかもしれないが)『うんこ漢字ドリル』など、最近は児童書から続けて人気作品・ヒットが生まれていたり、子ども向け図鑑が「図鑑戦争」などということばが使われるほど活況を見せていたりすることからもわかる。それぞれ、関連記事をあげておく。「児童書が上位、出版界に異変 残念な動物に大人もクスッ」(9/12 朝日新聞)、「出版界激震の大ヒット本「うんこ漢字ドリル」はいかにして生まれたか」(7/17 毎日新聞)、「子ども向け図鑑:より美しく面白く 理系研究者の注目度↑」(6/29 毎日新聞)。

そして、さらに言えば、この四半世紀で、もっとも読まれた本の一つが『ハリー・ポッター』シリーズであったことをあげてもいいだろう。大人の読者が多く反応したことはあったにせよ、本来のジャンルとしては児童書・YAに分類されるシリーズが出版史上に残る大ヒットになった例である。

子ども人口の減少をどう考えるか

二つめ。しばらく前に出生数が100万人を切ったことが各メディアで報じられた。6/3付日本経済新聞の記事「出生数 初の100万人割れ 16年、出生率も低下1.44」には、《2016年に生まれた子どもの数(出生数)は97万6979人で、1899年に統計をとり始めてから初めて100万人を割り込んだ》とある。

子どもが子どもがとつい簡単に使ってしまうが、では、その「子ども」のうち、小学生が現在何人いるのか、どれくらいの方がご存じだろうか。出版界・書店業界で子どもの本に関わっている人でも意外に知らなかったりするが、約650万人である(平成29年度の文部科学省「学校基本調査」によれば、644.8万人)。

出生率が大幅に回復することは難しいと見込まれているようだから、減少傾向は今後も続くものと思われる。とすると、6年後には、現在100数万人いる小学1年生は100万人を切ることになり、さらに6年後には全学年が100万人を切ることになる。つまり、単純計算では、今からひと回り、12年ほどすると、小学生が現在よりも50万人も減ってしまうわけである。戦争も飢饉もパンデミックも何もなしに、である。50万人というのがどれほど大きな数か、先にあげた児童コミック雑誌の発行部数を考えても想像がつくだろう。

10年強で、利用者として想定されている年齢層が数十万人規模で減少することが統計的に予想されているのである。施設の対象利用者の母数が少なければ、当然、利用される機会自体が少なくなる。子ども向けの施設の場合、その減少を他の年齢層の利用で補填することも基本的にはできない。子ども向けの施設をつくるのはいいが、その際に、こうしたことがどの程度考慮されているのだろうか。

もちろん、この子どもの減少の件は、一施設の問題ではなく、出版界・書店業界全体にとっての大きな問題である。幅広い年齢層に向けた一般書と違い、児童書の多くは、その対象年齢層の読者に読まれやすいよう、内容や表記や本のつくりが徹底的に工夫され、チューニングされた、対象限定性のきわめて高い商品になっている。したがって、対象年齢層の人口減少には、直接的かつ大きな影響を受けることになる。10年後も今とまったく同じようなやり方で子ども向けの本をつくったり売ったりできないであろうことは、他のすべての要因を見ないふりをしたとしても、この児童数減少の1点だけからも明らかである。このこと(出生数が100万人を切ったこと)は、業界でもっと話題になってもいいのにと思う。

「箱」をつくって終わりでいいのか

三つめ。報道で、《蔵書集めや運営費用も企業や市民からの寄付を広く呼びかける》とされている点に不安を感じた人はおそらく少なくないだろう。図書館(という表現は今回の報道では使われていないが、児童図書館的な施設だと思っていいだろう)は、容れ物をつくって終わり、ではない。そのことを多くの人に知らしめるきっかけの一つになったのが一連の「ツタヤ図書館」騒動で、まだ記憶に新しいところだろう。立派な「箱」ができたからといって、それが立派な「図書館」になるとはかぎらない。

安藤さんが寄付するとしているのは、報道からすると「図書館の建物」でしかない。記事では、費用のことだけを言っているのか、選書や運営などの具体的な作業のことも言っているのかははっきりしないところがある。だが、いずれにせよ、選書や運営を、専門の管理会社にまかせずにボランティア感覚の市民や企業にまかせることが想定されているのだとしたら、それは、子どもに本を届けることを軽く見過ぎ、図書館という施設自体や司書の役割や意義、図書館の蔵書というものを過小評価し過ぎだと言われてもしかたないだろう。ある図書館の選書がでたらめだというので、メディアであれほど騒がれたのはついこの前のことなのに、そのような同じ本の業界内での出来事から学んでしかるべき教訓が、まったく活かされていないようにも思えるのだ。

ある特定のスペースを、バランスのとれた蔵書で埋めるのは、そのような作業に従事したことのない人が考えているよりも、ずっとずっと難しく大変なことである。それは専門家の知見が必要な、プロの仕事である。まして、今回は子どもたちが相手なわけだから、大人向け以上に慎重な選書と運営とが行われる必要があるはずだろう。

立派な「箱」があって、そこの本棚に(中身はともかくとりあえずたくさんの)本が並んでいたら、子どもたちは喜んで本を読みに来るだろう……そんなふうに思っているのだとしたら、それはいくらなんでも甘すぎるのではないかと言わざるを得ない。

かつて、バブルのころから崩壊後にかけてのころだろうか、「箱物行政」ということばがよく使われた。箱物=公共施設を建設することに重点がおかれ、その多くに中身が伴わないことを揶揄・批判していう文脈で使われたことばである。今回の件がそうだと言いたいわけではないが、ただ、その発想には通じるものがあるのではないか。そんなふうに思えてならないのである。

以上はいずれも、素人の杞憂なのかもしれない。ぜひ図書館や児童文化の専門家の意見を聞いてみたい。


※本稿は、空犬通信の記事「子どもたちに必要なのは立派な施設だろうか」(2017/9/24投稿、9/29更新)を改稿のうえ転載したものです。

ITは純文学を「再設計」できるか

2017年10月3日
posted by 仲俣暁生

文芸誌「新潮」の10月号から連載が始まった上田岳弘の『キュー』という長編小説を、スマートフォンのブラウザでも無料で読めるようにした実験的なプロジェクトが進行中だ。「新潮」とYahoo! JAPAN、そしてデザイン会社のtakramが共同で行うもので、特設サイト上では「純文学の体験を再設計する」と謳われている。

「再設計」とはどのようなことか。シンギュラリティー(人工知能が人間の知能を上まわる技術的特異点)以後の世界を描こうとする『キュー』という作品自体が、きわめて野心的な試みである。それをどのような読書体験として提供しようとしているのか、紙の雑誌とウェブ版を読み比べてみた。

「キュー」の特設サイト。スマホからアクセスしたときだけ小説が読める。

「縦書き・縦スクロール」は再設計といえるか?

「スマホならではの読書体験のスタンダード」と高らかに謳われているのは、「縦書き・縦スクロール」というユーザーインターフェイスだ。アプリやブラウザ上で動く従来の電子書籍のなかにも、いわゆる「ページめくり」だけでなく、スクロール型の読書が可能なものは存在した。ただし縦書きであればスクロールは横向き、横書きであれば縦向きと、文字列の向きとスクロールの向きは異なるのが一般的だった。

そもそも「スクロール(scroll)」とは「巻き物(巻子本)」、つまりページめくり可能な「冊子本(codex)」以前の本のかたちである。『キュー』で採用された「縦書き・縦スクロール」という組み合わせは、書物史的にもほとんど類例がないものだ。

ただし昨今のウェブコミック(ウェブマンガ)の世界では、縦書きを前提とする「ページ」という単位を保ちつつ、縦スクロールで読む方式が優勢になっている。マンガと同様、小説の表現を1ページ単位にレイアウトされた図像と考えるならば、「縦スクロール」という考え方もありだろう。『キュー』の場合、私も最初は戸惑ったが、読みすすむうちに快適に読めるようになった。

このウェブ公開版は、文芸誌「新潮」での連載よりも小刻みに掲載される。全9章であることが明かされているこの作品は、「新潮」誌上では1号あたり1章ずつ進むが、ウェブ公開版は週2回の更新で、本日(10月3日)時点で「1-8」までが読める。この「1-8」といった区切りは雑誌連載版には打たれていないので、あくまでもウェブ版の便宜上のナンバリングだ。

無料で読めてしまう点を除けば、小説をウェブで連載するというのは、新聞や週刊誌における連載とさして変わらず、ここにもとくに「再設計」された部分はみられない。本文を読み終えたあとに生成・表示されるアニメーションや、「キューのQ」と名付けられた読者に投げかけられる「不思議な質問」は楽しいが、これらも読書体験の本質とは関係のないギミックにすぎない。

逆にいえばこれは「小説」が、電子書籍やウェブ(あるいは新聞や週刊誌やスマートフォン)などに象徴されるメディア環境の激変にも関わらず、自立した言語表現として持続可能であることの証明かもしれない。

繰り返すが、『キュー』はこうした技術をたえず生み出してきた人類の営みを、文明史的な視野から描いたきわめて野心的な作品であり、作品自体の力で(純)文学を「再設計」しようとしている。それに対して、ウェブ上での「読書」を支えるインターフェイス・デザインは、それほど斬新な「再設計」がなされたようには感じられない。あるいはそもそも「再設計」など不要なのかもしれない。私はそんな印象をもった。

「文学」における次の特異点とは何か

今回の『キュー』のプロジェクトは、著作権保護期間が切れたテキストを集めた「青空文庫」や、「小説家になろう」のようなウェブ投稿小説サイトのプロジェクトと対比すべきだろう。「青空文庫」にあるのは、日本近代文学の古典を中心とする作品である。対してウェブ投稿小説は(すくなくともいまのところは)日本の文学史からは切れており、むしろネット投稿文化の流れを継ぐものだ。今回の『キュー』のプロジェクトは、前者と後者の間のどのあたりに位置しているのだろう。

「私の恋人」という作品ですでに三島由紀夫賞を受賞し、芥川賞候補にも二度なっている上田岳弘は、いわゆる「純文学」の小説家といえる。だが同時に、彼はIT系のベンチャー企業の役員でもあるそうで、シンギュラリティ仮説を含む技術動向にも詳しいと思われる(私は上田さんの小説を読み、ケヴィン・ケリーの『テクニウム』のことを連想した)。

『キュー』に登場する謎の語り手によれば、人類は《予定された未来》までに、18の「パーミッションポイント」を通過するという。そしていま私たちが生きている21世紀初頭は、以下を通過した時代だとされる。

《言語の発生》、《文字の発生》、《鉄器の発生》、《法による統治》、《活版印刷》、《自律動力の発生》、《世界大戦》、《原子力の解放》、《インターネットの発生》、この九つです。これらはどのように歴史を刻んだとしても、必ず通過したしたはずのポイントです。

そしてこの先にはAIが人類の知能を上回る《一般シンギュラリティ》や、《個の廃止》《寿命の廃止》さえ待ち受けている。そんな遠い未来までを念頭に書かれるこの小説は、まさに「文学」の再設計を企図したものだ。

『キュー』が掲載される文芸誌「新潮」の編集長も、このプロジェクトの特設サイト上で次のようなコメントを発表している。

18XX年、日本文学に特異点が訪れました。鎖国が破られ、近代的自我に相応しい「言文一致」という文章意識が確立された時点です。1904年に創刊された文芸誌『新潮』は、その特異点から誕生しました。そして20XX年――。情報技術革命と巨大な社会変化のただなかで、上田岳弘「キュー」は、新しいデジタルの舞台を得て、文学の次の特異点に向けて動き始めます。

残念なことに、このプロジェクトにしても『キュー』という作品自体にしても、ウェブではまだあまり話題になっていない。しかし紙で小説を読者に届けるのも厳しい。「文芸誌」(エンタテインメント小説を掲載する「小説誌」とは区別される)の発行部数は軒並み落ち込み、日本雑誌協会の印刷部数公表のページをみると、文芸誌4誌(「新潮」「文學界」「群像」「すばる」)の印刷部数は各6000部から約1万部にとどまる。ここから作家や批評家への献本や図書館での購読、書店での返品などを差し引くと、一般読者の手に届くのはごくわずかだ。

文芸書の場合、単行本の刷り部数も数千からスタートがふつうであり、小さな書店には配本さえされないこともある。ようするに現代の「純文学」は、どんなに意欲的な作品であっても、そもそも世の中の大半の人の目に触れる機会がないのだ。

今回の『キュー』のプロジェクトで興味深いのは、インターフェイス・デザイン面での新規性より、Yahoo! JAPANというプラットフォームとのコラボレーションのほうだ。特設サイトで小刻みに更新するだけでなく、小説をニュースサイトやアプリを通じて届けてもいいのではないか。あるいはYahoo!の検索結果と小説が連動するような大胆な仕掛けだって、あってもいいのではないか。

ITは、純文学という小さな世界の外へ、この気宇壮大な作品を届けるためにこそ役立つべきである。かつて言文一致というプロジェクトの完成に長い時間がかかったように、「文学を再設計する」というこのプロジェクトも、まだ始まったばかりでしかない。


【追記とイベント開催のご案内】
この記事の公開後、上田岳弘さんをお招きしての下記イベントが決定しました。詳細はリンク先をご覧ください。

「文学とテクノロジーとシンギュラリティ〜三島賞作家・上田岳弘さん公開インタビュー by マガジン航」

開催日時:10月28日(土) 17:00~18:30
会場:TORANOMON BOOK PARADISE 内(虎ノ門ヒルズ アトリウムほか)
参加料:1500円(当日支払い・ワンドリンク付き)
https://passmarket.yahoo.co.jp/event/show/detail/016rtyz5wzvw.html

第5回:カクヨム〜あらゆる「文章」のプラットフォームをめざす

2017年9月25日
posted by まつもとあつし

ネット投稿小説サイトはIT企業が運営するもの――そんな状況に一石を投じたのがKADOKAWAが2016年3月に正式オープンさせた「カクヨム」だ。株式会社はてなと組み、出版社自らネット投稿小説サイト運営に乗り出したその狙いはどこにあるのか? 商業出版とのシナジーや今後の展望などを、編集長の河野葉月氏に伺った。

出版社がウェブ小説を意識する理由

2017年2月より「カクヨム」編集長に就任した河野葉月氏。

――「カクヨム」の現状を教えてください。

河野:まもなく会員登録ユーザー数は16万人となります。オープン以来ゆっくりとした成長が続いていたのですが、(株)はてなの協力も得ながら使い勝手や機能の向上を図ってきました。「第2回カクヨムWeb小説コンテスト」を行った2016年12月からはその伸びが増しています。

――投稿には会員登録が必要ですが、作品を読むだけであれば登録は不要ですね?

河野:そうです。サイト利用者はもっと多いですね。MAU(月間アクティブユーザー数)は約100万人で、投稿され現在も公開されている作品数は約6万タイトルです。複数の作品を投稿されている方もおられますが、単純計算すると約3分の1の会員の方が作品を投稿されていることになります。

――サービス開始当初より、「カクヨム」のビジネスモデルに関心がありました。「小説家になろう」の場合は広告モデル、「エブリスタ」や「comico」は単行本化などの二次展開から、とさまざまですが、「カクヨム」の場合は?

河野:他社と同じく二次展開から収益を得る形ですが、「カクヨム」単体では収益を得る仕組みにはなっていません。昨年は54作品が書籍化されていますが、各編集部がカクヨムの投稿作品を書籍化して、そこから収益を得る仕組みになっています。

――電撃文庫が主催する電撃大賞など、KADOKAWAには他にも小説作品が集まってくる機会、いわゆる「プラットフォーム」があります。その中でネット投稿小説という分野に進出し、投資を続けている理由は?

河野:KADOKAWAのライトノベル・新文芸などの書籍部門では、UGCサイトからコンテンツを見つけて書籍化することが増えてきました。2013年と比較すると、新文芸に限ってもその傾向は約3倍の規模になりました。ウェブ発の小説を他社のサイト・サービスから持ってくるというかたちで出版を続けていたわけです。

そんななか、2015年にグループ各社が統合され、ライトノベルの主なレーベルがひとつの局に集められました。それまではそれぞれのレーベルが独自のスキームを持っていたのですが、「ウェブ発のコンテンツはもっとポテンシャルがあるのではないか? そういった媒体を自分たちでも運営したほうがよいのではないか?」と皆が考えていました。これまでのレーベル単位では運営が難しかったけれど、集まったことによって、それができるようになりました。

――運営に掛かるコストよりもメリットが上回るという判断もあったと思いますが、想定されたメリットはどのようなものですか?

河野:他社のサービスに依存していては、万が一、それが終わってしまった場合にどうするのか、という問題が起こります。 また、そこから作品の提供を受けようとする競合出版社もいるわけで、必ずしも弊社が優先されるわけではありません。競争があることによって、書籍化にもよい影響が及ぶことはありますが、必ずしもKADOKAWAにとってよいことばかりとは限りません。

「カクヨム」も(作品の二次展開にあたり)他社に対して門戸を開いていますが、社内の編集部も注目してくれています。また、自ら運営にあたることで、ノウハウが蓄積されます。たとえば、「どうすれば作品を育てることができるか?」といった試行錯誤ですね。そういった前向きな施策を我々自身が実施しハンドリングできるというのは大きなメリットです。

今年も開催される「第3回 カクヨムWeb小説コンテスト」の告知ページ。

『横浜駅SF』の成功

――「小説家になろう」を取材したとき、作品を投稿する場に徹する、という運営者の言葉がとても印象的でした。二次展開や「作品を育てる」といったことには関与しない。実際、「小説家になろう」発の作品から『Re:ゼロから始める異世界生活』のようなヒット作を、KADOKAWAはつかみ取ることができましたよね。

河野:「小説家になろう」さんにとって弊社は、あくまでもお付き合いのある会社の一つであって、それ以上でもそれ以下でもないだろうと思われます。かといって、我々が作品作りの段階で「小説家になろう」さんで書いている作家に積極的に介入できるとかというと、そういうわけにはいかないのです。

――利用規約でユーザーに対して、書籍化の際にはKADOKAWAが優先される、あるいは「カクヨム」への投稿作品を他の投稿サイトへの投稿を禁ずるような項目はありますか?

河野:それは一切ありません。実際、「小説家になろう」さんと同様、「カクヨム」掲載作品に対する書籍化の打診が他の出版社からあった場合、著者に直接つなぐようにしています。もちろん、他サイトへの投稿も自由です。

――なるほど。そうなってくると、やはり「育てる」あるいは「早い段階で発見する」といった、自前サイトでの運営から生まれるメリットが大きい、ということになりそうですね。そういった取り組みの具体的な例があれば教えてください。

河野:KADOKAWAの持つ各レーベルが審査や書籍化に参加する「カクヨムweb小説大賞」は自前サイトの特徴が出ているのではないかと思います。そうしたなかで、『横浜駅SF』はコミカライズまで展開が進んだ成功例です。

「カクヨム」サイトでの『横浜駅SF』のページ。

『横浜駅SF』は紙の本としても出版された。

『横浜駅SF』はスタート間もない「カクヨム」に投稿され、また「カクヨムWeb小説コンテスト」にも応募された作品です。もともと作者の柞刈湯葉(いすかり・ゆば)さんがTwitterで投稿されていたものを、ご自身のBLOGにまとめ、それに加筆をして「カクヨム」に投稿したという経緯の作品です。そういう意味で非常にウェブに親和性が高い作家さんで、気がつくとTwitter上等で「バズっている」状態になっていました。私たちよりも先にユーザーが発見していた、ということですね。

「第1回カクヨムWeb小説コンテスト」のSF部門で大賞を受賞し、書籍化して発行しました。営業が横浜の書店さんで強力な仕掛け販売を実施したところ、横浜を中心にたいへんな支持を得ることができ、その実績を持って全国に拡げていきました。ちょうど今月(取材時)2巻目となる『全国版』が出版され、同時にコミックの1巻も発売されています。発表時、「カクヨム」には、他のサイトのように特定のジャンルの「色」がついていないからこそ、こういった、他のサイトではあまり注目されることのない作品が発見されたのではないかなと思っています。

――異世界転生でもなければ、学園ファンタジーでもなく……。

河野:ホラーでもなく、ですね(笑)。SFはなかでも非常に難しいジャンルですが、ネットやソーシャルメディアで「ネタ」となりやすく、話題になりやすい作品だったのだと思います。「カクヨム」はまだ、「小説家になろう」さんのようなある種の「型」がありません。逆にそれが多様性を生んでいると思っています。

ネットで「バズる」仕組み

――「カクヨム」の立ち上げ直後には、カドカワ代表取締役社長の川上量生氏によるものではないか、とされる投稿が話題になりました。「カクヨム」は他のウェブ小説投稿サイトと比べて、ネットで「バズる」仕組みを備えているという面はありませんか?

河野:たしかに、「カクヨム」はTwitterとは相性がよいと思います。統計的に調査したわけではありませんが、他の投稿サイトと比較してTwitter上に「カクヨム」という言葉が出てくる回数は多いのではないかと思います。また「カクヨム」上で作品レビューをしたときにも、「この作品を応援しました」という投稿をシームレスに行なえるようになっています。ソーシャルメディアとの親和性は高く設計されていると自負しています。

――自前でサービスを運営することによって、「作品がどれくらい読まれているか」だけでなく、「どれくらいシェアされているか」といった数字も含めて、手元で状況が分かるわけですね。それによって、発見やそこから育成も効果的に行なえると思いますが、『横浜駅SF』の場合はどうだったのでしょうか?

河野:『横浜駅SF』の場合は、勝手に育っていったというのが正直なところです(笑)。

――では、他の作品ではいかがでしょう。 サイト掲載や書籍化にあたり設定や伏線をガラッと変えるというケースもよく見かけますが。

河野:「カクヨム」は「カクヨム」編集部が運営を行っており、書籍化は各編集部が行っています。それぞれのノウハウで紙の書籍に合わせた表現への改稿や、番外編を加えて商品化するので、投稿された小説をそのまま書籍化することはほとんどないと思います。

「カクヨム」編集部でもこれからの作家を「育てて」いけるようになりたいと思っています。今後の取り組みとしては、「伸びしろ」がありそうな作品を発見したときに、様々な数字を見ながら、うまく伸びていくような仕組みを作れるとよいなとは思っています。

――トップページなどで紹介している「注目の作品」がそれですか?

河野:はい、ここには前日の評価が一定以上あった「いま伸びている作品」を表示するようにしています。

――ピックアップは自動で行われているのですか?

河野:自動です。手動で行っているのは「特集コーナー」で、ここではプロの書評家に依頼し、面白い作品を見つけて毎週紹介してもらっています。あとはコンテスト期間中に露出の場所を変えるなど、細々とした改善をすることで、作品自体に注目が集まるように工夫をしています。

「注目の作品」のピックアップは手動で行われている。

書くという行動を起こしやすい場所

――「カクヨム」編集部としての、作家発見と育成の考え方についてはよくわかりました。「カクヨム」編集部が所属するエンターテインメントノベル局全体としては、「この作品を書籍化しよう」といった企画のすり合わせはしているのでしょうか?

河野:いえ、各編集部がそれぞれの判断でそこは進めます。

――バッティングすることは?

河野:あります。その場合は早い者勝ち――ではなく(笑)、著者の方にお伝えして選んでいただくことが多いですね。

――なるほど。「カクヨム」掲載時にその中身について、「カクヨム」編集部や書籍化を企図する各編集部が何かアドバイスをしたり、といったことはないわけですね。

河野:それはありません。読者(ユーザー)とのやり取りでなにか影響があるかもしれませんが、UGCサイトなので、「カクヨム」編集部が運営として作品の中身に介入するということはありません。あくまで投稿メディアとしての「カクヨム」を運営し、そこから生まれた作品の芽を見つけて光を当て、次のステージへと育てていくということです。まだ、その「育てて行く」の部分は試行錯誤の段階ではありますが。

――「comico」のように、誰でもできる投稿から公式作家となり原稿料が発生し、そこから書籍化・映像化も――という方向とはまた異なるのでしょうか?

河野:その方向ではないですね。あくまで「カクヨム」の立ち位置はプラットフォームです。弊社代表取締役の井上伸一郎もよく話しているのですが、UGCには他のユーザーとのインタラクションで物語がどんどん変わっていき、完成へと向っていく面白さがあると思います。そういう動きが活発に起こる場を作って行きたいということです。

本を出版するということと、ユーザーの方ができるだけ書くという行動を起こしやすいプラットフォームを運営することは、異なるものとして捉えています。書籍化される作品も、必ずしもランキング上位のものからというわけではなく、書籍化に向いている作品とそうではないものがあると捉えています。そのあたりは各編集部の意向も踏まえながら、ランキングやピックアップとは別に、並行して選定を行っています。

UGCは「一般のユーザーに発見してもらう」という観点からは、ランキングに集約されていくところがあります。面白いと感じたものを、気軽に、前向きに評価できる仕組みであったり、自分の読みたいものがきちんと見つけられる状態を作って行く。読んで気に入った作品がきちんと評価され、ランキングの上位に上がっていく。そういう仕組みがうまく機能して、編集部の企画と合致すれば、書籍化が進んでいく――その道筋を整地する作業を「カクヨム」では行っています。

作者とユーザーとのインタラクションを促す仕組みを実装。

――これまでも、さまざまな出版社が同様の取り組みにチャレンジしてきました。UGCが重要であるという認識は、出版界でもかなり浸透していると思います。ただ、これまで決定的に足らなかったのが、プラットフォームを成長させるために必要な開発と運用への投資でした。そこは(株)はてなとの協業によって解決されている、という理解でよいでしょうか?

河野:(株)はてなとは隔週の定例会議や、分科会ごとのテレビ会議、SlackやRedmine使った情報共有を頻繁に行っています。そこでデータを見ながら、それぞれの問題意識を共有し、改善策を打ち出しています。対等に「カクヨム」をよくしていこうという観点から、率直な意見が交されています。

――なるほど。それにしても「カクヨム」単体での利益構造にはなっていないということでした。しかし、プラットフォームを運営し育てて行くとなると、これからも投資が続いていくことになります。どのくらいの時間感覚でリクープ(投資回収)を図っていく見込みなのでしょうか?

河野:もともと数年計画で、書籍化による回収を目指す計画です。サービス利用者への課金等は、現状考えておりません。

――出版事業としては大きな投資が続く、回収には数年かかるとなると、経営層からの理解やバックアップがないと、なかなか継続が難しい事業です。

河野:会長の角川歴彦もそうですが、経営陣の支持あってこそのプロジェクトだと言えると思います。

弊社の経営層もUGCの将来性、重要性に早くから着目しており、中期的には投資を回収して十分利益を生み出せると判断しています。

「カクヨム甲子園」で裾野を広げる

――「小説家になろう」という巨大な存在があるなか、ノウハウ蓄積とIPの効率的な発掘と育成のために、数年・おそらく数億単位の投資ができるというのは、一般的には――とくに出版業界からすると――理解が難しい話かもしれません。書籍化して増刷がかかるようなヒットは限られますし、映像化となるとさらに時間がかかる上に、ビジネスとしては編集部から離れた展開となりますね(注:製作委員会が組成され、原作印税はもたらされるが、出版社が直接関与できる余地は限られるため)。

河野:とはいえ、実現すれば映像化は波及効果が大きいので、私としても大いに期待しております(笑)。

「カクヨム」はKADOKAWAのライトノベル・新文芸のレーベルと共に運営している媒体ではありますが、そこだけを見ているわけではありません。他の投稿サイトがそうであるように、UGCプラットフォームである流行が生まれると、それが収まるまでは他のジャンルの作品が注目される機会が小さくなってしまいます。

それに対して「カクヨム」は、ご覧いただけばわかるように、いわゆる「異世界ファンタジー」など既存の枠に収まらない、実用書、マンガ原作作品などもかなり出てきています。そうなるよう2016年の12月に投稿ジャンルの大規模な統廃合を行ったり、作品のフィーチャーの仕方にも偏りが生じないよう工夫をしてきました。

「カクヨム」からは実用書などの紙の出版物も生まれている。

――なるほど、ジャンルの統廃合と利用者数が伸びた時期が一致しているのは、とても興味深いところです。とはいえ、収益拡大を期待する上でKADOKAWAが得意とするのは、やはり「異世界ファンタジー」というジャンルではないでしょうか。実用書の映像化という事例もまったくないわけではありませんが……。

河野:そうですね。現状は、いろいろな方法を試しているところです。実用書はラノベと異なり、細く長く売れます。なかには累計で10万部に達するものも出始めていますので、注力したいジャンルの一つではあります。

さらに長いスパンでの取り組みとしては、「カクヨム甲子園」が挙げられます。高校生に限定したコンクールで、ショートストーリー部門は4000文字以内で下限も設けていませんので、かなり気軽に応募できるようになっています。高校生にまずは文字の世界に親しんでもらって、書いてもらいたいし、読んでもらいたい。こちらはショートストーリー・ロングストーリー両部門で合計1,000作品を超える応募があり、手応えを感じています。

今年も行われた「カクヨム甲子園」の特設ページ。

――創作を誘発する仕組みとしては、どのような施策をしていますか?

河野:かなり地道な取り組みを続けています。「カクヨム甲子園」の場合は高校に数千部単位でポスターを送り、貼っていただいています。高校生に訴求しようとすると、やはりウェブだけでは完結しないのです。後援をお願いした読売新聞社が発刊する「読売中高生新聞」にも出稿しました。そのうえでTwitter広告も打ったところ、高い効果が上がりました。また、「ニコニコ生放送」では「3日間で高校生に小説を書いてもらう」という企画も実施しています。

「ラノベの読者は高齢化している」といった指摘もありますが、実際、「カクヨム」発の作品も、書籍化されるレーベルによっては――とくに新文芸のジャンルは単行本として発売されるため単価が高いこともあり――読者の年齢層が比較的高めの方に支持されている面があります。

しかし一方で、「カクヨム」のユーザー層はじつは若い方が中心です。おこづかいのやりくりもあるでしょうし、書籍を購入することが少ない層です。無料媒体で読んでみて、よほど気に入ったら買ってくれるということなのかもしれません。とはいえ、たくさんの人たちに、若いうちから小説に触れてもらい、小説の面白さ、書くことの楽しさを知ってもらいたいと思います。彼らが成長して、自分のお金が自由に使えるようになったときに、本を買ってくれるとよいなと思います。

――裾野を拡げるという意味では、100万のMAU=読み手、そこに含まれる15万人の会員=書き手が現状の「カクヨム」には存在しているわけです。これを今後、どこまで成長させたい、という目標はありますか? ジャンルを絞らず潜在的な将来の読み手=本の購入者を増やすという意味で、何らかのKPIを置いているのでしょうか。

河野:サービスが将来こうありたい、という姿はあるのですが、具体的な数値目標はありません。もちろん、単年度の目標はありますが。個人的には、最終的な目標として、さまざまな「文章のアーカイブ」を作り上げたいと考えています。

たとえば郷土史家の方々がまとめた作品は、地域だけで共有され、消えてしまうことがあります。そういった文章も、「カクヨム」に載せていただきたい。論文や研究、エッセイ、児童文学、戯曲など、あらゆる作品を世の中に広く伝えたい、というときに活用していただけるような場になりたいと思ってます。でも、そうなるといまの10倍でもまだまだ目標としては小さい! ということになってしまうと思いますね(笑)。

* * *

出版大手が取り組むWeb投稿サービス「カクヨム」は、KADOKAWAがさまざまな分野で取り組む、物語を巡るバリューチェーンの再構築を象徴するような存在であることが取材を通じて改めて確認できた。

それが成功するかどうかは、現時点でのマネタイズの源泉となる書籍化――とはいえこの分野は縮小傾向が続くことは避けがたい――と、同時並行して進める読者の開拓と彼らがもたらす新しい物語消費のあり方が、近い未来で交点を結べるかというところに掛かっている。