文学フリマで文芸創作誌を売ってみたら

2022年6月20日
posted by 多田洋一

「マガジン航」への寄稿は約3年ぶり、2度目になります。文芸創作誌「ウィッチンケア」発行人・多田洋一です。小誌については過去に『私がインディーズ文芸創作誌を出し続ける理由』というエントリを寄せましたのでぜひご参照ください。どんなやつが、どんな経緯と思いで年1回の雑誌を刊行しているのか、かなり率直に記していますので。それで、今回は先月末(5月29日)に開催された第三十四回文学フリマ東京への出店体験記、および出版活動を続けるなかで徒然と思いが巡る「文学」についての雑感を書いてみようと思います。

*  *  *

今年も4月1日に「ウィッチンケア」第12号を発行することができた。寄稿者は前号より10人増の42名。ビジュアル(写真)とエディトリアル・デザインでは1990代半ば以降生まれの、いわゆるZ世代(ともに女性)にお任せして新しい方向性を探ってみた。2010年の創刊から基本的な枠組みは同じだけれども、制作メンバー&寄稿者は緩やかに変動し続けていて、主宰者としてはそのことに楽しさも感じている。

文芸創作誌「ウィッチンケア」第12号。

そんな私は1959年生まれ。幸いまだ町を歩いていて「おじいちゃん」と声がけされたことはないが、かなりのロートルではある。学校の国語から庄司薫〜W村上などの読書体験に移行して「自分に近しい時代感覚の小説家がいる」と感じ始めた世代。文学フリマに絡めて言えば、その発端となった『不良債権としての「文学」』(2002年)を書いた大塚英志さんはひとつ歳上だ。

当時、純文学界隈で論争があったことを知ってはいた。だが、そのころの私にとっては遠い場所でのできごとだった。当時手掛けていた仕事といえば、たとえばフジテレビの人気バラエティ番組の公式ブック『めちゃイケ大百科事典』の制作。同書は初版が10万部、番組での初告知直後に10万部増刷が決定し、以後もしばらくは書店のレジ横に山積みだったから、それなりにペイした〝優良〟な本であるとは思うのだが……。もう少し「文学」に近い仕事としては、「文藝春秋」の芥川賞受賞作掲載号に出稿されるシリーズ・タイアップ広告『メルセデスベンツで訪ねる、芥川賞、直木賞の舞台』の取材執筆を数年間担当していて、掲載された20回のうちの何度か、事前打ち合わせで作者に会うこともあった。しかし、これはあくまでも商業記事のスタッフライターとしての任務遂行業務。でもまあ、小説家の人となりを身近で垣間見られたことは、おもしろかったかな。

初回のチャレンジは惨敗……

2010年に「ウィッチンケア」を創刊し、「漫画批評」の主宰者・渡瀬基樹さんと知り合った。そのご縁で第十三回文学フリマ(2011年)ではみずから1ブース(エ-52)を確保し第2号をテーブルに積んでみた。2冊しか売れなかった。すっかり萎えてしまい、超文学フリマinニコニコ超会議2(2013年)では渡瀬さんのブースの隅っこに第4号を置かせてもらったものの、このときも数冊しか売れず。若い人たちの凝ったディスプレイや楽しそうな来客者とのやりとりを、眩しく見つめていた記憶しか残っていない。

文学フリマでは惨敗するウィッチンケア……それでも号を重ねることで、雑誌としての自力は少しずつ蓄えてきているようには思えた。よーし、じゃあもう1回チャレンジしてみようと決心したのが、第10号を発行した年の秋に開催された第二十九回文学フリマ東京(2019年)。早い時期からの寄稿者・仲俣暁生さん、木村重樹さんとの共同主宰で、1日限りの【ウィッチンケア書店】と謳い2ブースを確保(ウ-47〜48)。このときは他の寄稿者も手伝いにきてくれたりして、その時点での最新号(第10号)が20冊ほど売れた。

そして、今回の第三十四回文学フリマ東京。前回と同じく仲俣さん、木村さんと共同主宰での1ブース(ウ−1)出店。当日仲俣さんが健康上の理由でこられなくなってしまったが、寄稿者・谷亜ヒロコさんが常時手伝ってくださり……最新号(第12号)が14冊売れた。

第三十四回文学フリマ東京の会場風景。

会場をくまなく観察する時間はとれず、ざっと見て回った感想としては、やはり「ここでしか入手できない」「この日のために(正式発売前の先行販売etc.)」というプレミア感のある品揃えができたブースに、人が多く集まっていたように思えた。具体的には、「ウィッチンケア」第12号の寄稿者でもあるすずめ園さんのブース。すずめさんは今回、出雲にっきさん、せきしろさんとともに【ひだりききクラブとせきしろ】として出店(チ-25〜26)。この日に合わせて制作した『ひだりききクラブの自由律俳句交換日記・傑作選 vol2』等を販売していた。私が挨拶に伺ったさいにも数名の行列ができていて、会計とサインが間に合わない忙しさ。私のすぐ後ろに並んだ《アイドルにも詳しいYさん》が、すでに1万円札を握りしめていた姿が忘れられない。

4月1日が発売日、と決めている小誌にとって、文学フリマは本の存在を知ってもらうための場所、小誌を知っている読者や関係者との交流の場、でよいかと思っている。いやいや、もう少し知恵を絞れば、より「本を売る場所」になるかもしれず……頑張ります! SNSで「○○完売!」みたいな書き込みを見ると、やはり羨ましいです。

文学への気負いがなくなった

文学フリマの公式サイトには「3分でわかる文学フリマの歴史 – 純文学論争から百都市構想まで」という項がある。そこのリンク先には前述した大塚英志さんの『不良債権としての「文学」』が全文掲載されていて、いくつかの提案のうちの《(4)既存の流通システムの外に「文学」の市場を作る》が礎となって現在の文学フリマは存在し、その場所に私は文芸創作誌と称する「ウィッチンケア」を携えて参加している。この流れに沿って〝解答〟を導き出すと、私が2010年から続けている出版活動は、かつて遠いと感じていた「文学」の、どこか一端に含まれていることになるのだろう。

ただ、短くもなく出版業界でしのいできた人間の実感として、文学(面倒くさいので「」をとってみる)という場所はいまでも、たとえば毎月7日付の朝日新聞第2面下段に並んだ、相撲の「蒙御免」番付のような広告のなかにあるようにも感じている。今回の文学フリマの盛況ぶりを鑑みると「自分の考えは古いのかな」とも思えるのだが、なにか、自身のなかに引き摺っているものがあるのは確かだ。

じつは小誌は第2号から第10号まで表紙に「すすめ、インディーズ文芸創作誌!」というフレーズを使用していた。しかし、思うところあって第11号からは「すすめ、インディーズ」と「!」を削除した。「〜に対する」みたいな気負いがなくなって、これまで以上に身軽に動けているような気がしている。

この春の「文学フリマ」に参加した際の筆者。ブースではバックナンバーのほか、寄稿者の一人である木村重樹さんの個人誌などを販売した。

*  *  *

数年前、ひさしぶりにリアルで会った長らくの知人に「すすめ、インディーズ文芸創作誌!」が付いたころのウィッチンケア最新号を手渡したことがあった。彼は作家で、笑顔で受け取ったものの、少しページを繰って、ふと素の顔つきになり、私を慮るような口調で「なぜこんな、無駄なことをしているんですか?」と尋ねた。私は「いや、いまはこれをつくるのが楽しいんですよ」とだけ平穏に答えて、こちらから話題を逸らした。

そういう話はもう、あまり好きじゃないんですよ、正直。20年前の私だったら「失礼だな!」と言い返してバトルったかもしれないけれども、短くもなくひとつのことに熱中しているうちに、そちらでの可能性について思いを巡らすことのほうが、すっかり楽しくなっちゃって。彼なりの私への慮りは、虚心で受け止めました。

……それでも、2022年の文学フリマに参加し、あらためて大塚さんの文章を読み返してみたりして、あのときの彼の「無駄」という言葉の意味をいま考えてみている。それは私(の出版活動や創作物)だけに向けられたものなのか、プロ作家の矜持みたいなものとして「既存の流通システムの外」は認めない、という意味だったのか。真意はわからないが、受け止めた私はその両方を含んだニュアンスだったように感じていた。やはり文学はややこしいんだな。一度外した「」を戻して、「文学」については判断保留のまま、来年4月1日に発行しようと目論んでいるウィッチンケア第13号の構想を練っていきたいと思っている。

執筆者紹介

多田洋一
フリーランスのライター&編集者。サンケイリビング新聞社にてOL対象の「シティリビング」リニューアルに関わった後、退社〜渡米。帰国後は雑誌記事の企画制作/取材/執筆。また「踊る大捜査線」シリーズや「ごくせん」「アンフェア」など映画やテレビドラマのノベライズ、バラエティ番組(「SMAP×SMAP」「めちゃ×2イケてるッ!」etc.)の公式本制作にも関与。2010年より文芸創作誌「ウィッチンケア」を個人主宰。