武田徹さんに聞く〜「可謬主義ジャーナリズム」の可能性

2017年5月15日
posted by 仲俣暁生

昨年来、WELQを始めとするDeNAのキュレーションサイトがコンテンツの品質や著作権侵害の問題で一斉に閉鎖された事件や、「ポスト真実(post-truth)」という言葉が取りざたされた、アメリカ大統領選挙をめぐるフェイク・ニュースの報道をみながら、インターネット上のジャーナリズムのあり方について考えていた。

インターネット上のジャーナリズムはこの先、どうなってしまうのか――そんな問題意識でいたところ、昨年末に武田徹さんの『日本語とジャーナリズム』(晶文社)という本が出た。さらに、武田さんは『アマゾンはなぜ1円で本が売れるのか〜ネット時代のメディア戦争』(新潮新書)、『日本ノンフィクション史〜ルポルタージュからアカデミック・ノンフィクションまで』(中公新書)も相次いで上梓した。この三冊は相互に深い関係があり、現在のジャーナリズムへの強い危機感が伝わってくる。

かねてより日本のジャーナリズムやノンフィクションのあり方についての武田徹さんの考えに私は共感を抱いていたので、この機会に「日本語とネットとジャーナリズム」の関係について、やや突っ込んでお話をうかがうことにした。

ジャーナリストの武田徹さん。東京・神保町近くでお話を伺った。

ジャーナリズムを言語分析してみたら

武田徹さんの『日本語とジャーナリズム』は、森有正、本多勝一、佐野眞一、丸山眞男、荻生徂徠、玉木明、大宅壮一、清水幾太郎、片岡義男といった、時代もジャンルも異なる物書きたちの日本語論や文章論を手がかりに、日本のジャーナリズムに対する言語分析を試みたユニークな本だ。

この本は、武田さんが国際基督教大学(ICU)の大学院に在籍中、ライターとして雑誌への寄稿をはじめたばかりの頃に、指導教官の一人だったフランス文学者の荒木亨(アンドレ・ルロワ=グーラン『身ぶりと言葉』の訳者として知られる)に「武田徹は軽評論家になった」と言われたエピソードから始まる。そして荒木と親しくICUでも教えていたフランス文学者、森有正の日本語論の評価へと進んでいく。

博士課程まで進みながら、そのままアカデミズムの世界に進むのではなく、在野の物書きとして身を立てることを選んだ経緯を、最初にうかがった。アカデミズムとジャーナリズムの間で齟齬は感じなかったのだろうか。

晶文社のサイトでのウェブ連載をまとめた『日本語とジャーナリズム』。

武田:自分としては、アカデミズムとジャーナリズムとの間の摩擦感はそれほど感じることなく、やりたいことをずっとやってきたんです。修士論文では「言葉の喚起力」という問題に取り組みました。学会活動もしていなかったから、知り合いの研究者もおらず、アカデミズムという「業界」には関心がないまま、ただ純粋に書いていました。

本を読んだり、考えたり、論文を書いたりすることは好きだったけれど、その延長で大学で職を得ることは考えていなかった。それにICUで専任講師になるには、クリスチャンであることが必要条件だったんです。真面目過ぎたのかもしれないけれど、職のためにクリスチャンになったと思われるのが嫌だった。たとえ自分ではそのつもりがなくても就職ということが絡んでくると信仰が純粋でなくなるような気がして、本当に信仰をもっている人に申し訳ないという気持ちもありましたね。

ものを書く仕事をはじめてからも、大学院時代の言語への問題意識はずっと持っていて、『偽満州国論』(1995 河出書房新社)や『隔離という病――近代日本の医療空間』(1997 講談社)を書いているときにも、通奏低音としてはずっとあった。そこからは遠い仕事に見えるかもしれないけれど、『流行人類学クロニクル』(1999年、日経BP社)でも、1990年代の文化をロラン・バルトみたいに言語学によって構造主義的に分析したい気持ちがありました。

――言語論のアプローチで日本のジャーナリズムを分析するという発想はいつごろ芽生えたのですか?

武田:大学時代の言語論の延長でジャーナリズムの言語分析ができると思ったのは、ものを書く仕事をはじめてからですね。この世界には方法論がまったくないんだな、それならば、自分がこれまでやってきたことが活かせるんじゃないか、と思った。

当時、『マルコポーロ』や『ビューズ』や『DAYS』といったグラフィカルな雑誌が相次いで創刊され、「三大ニュース誌」と言われていました。いずれも湾岸戦争(1991年)で調子に乗った出版社が、「これからはジャーナリズムだ」というノリのなかで創刊した雑誌です。でも僕は、ジャーナリズムはむしろ流行批判、流行分析になるべきなのに、自分が流行に乗ってどうするのだろうと感じていた。

ジャーナリズムの調査や表現の精度が低いことも、ずっと気になっていました。再現性のまったくないことを、取材からいきなり原稿にしている。しかもスクープをとりたいから、どうしてもテーマが中心になる。テーマが大事なことはわかるけれど、そのテーマを問題として選ばせている時代、選ばせている社会を意識したうえで書く人も絶対に必要だな、と。そういう書き方をするには、枠組みを考えながらやる必要がある。逆張りではないけれど、他の人がやらないなら、自分がやらなくてはいけないかな、と。

昨年暮れから今年にかけて上梓された三冊の本。

ニュージャーナリズムとはなんだったのか

――この本のなかで、一般にはあまり知られていない玉木明という著者が取り上げられているのが目につきました。実は私も、玉木さんの『言語としてのニュージャーナリズム』(1992 學藝書林)という本を読んで刺激を受けた一人なんです。

武田:玉木明は、その後に書いた『ニュース報道の言語論』(1996 洋泉社)のほうが言語分析としてはピンときて、そこからもう一度『言語としてのニュージャーナリズム』のほうを読み直しました。『ニュース報道の言語論』で玉木が論じているのは、「われわれ」という一人称複数に仮託して書かれた報道記事から主語を消した結果、無署名性が生じてしまうという言語システムの問題です。自分がそれまでやってきた言語活動の人称構造に注目する立場と近いので、ここを経由すれば、日本とアメリカのいわゆる「ニュージャーナリズム」について、当然違いはあるにせよ、なにかが分析できるかもしれないと思ったんです。

アメリカのニュー・ジャーナリズムには、デイヴィッド・ハルバースタム(『ベスト&ブライテスト』)、ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタイン(『大統領の陰謀〜ニクソンを追いつめた300日』、『最後の日々』)の系統と、トム・ウルフ(『ライト・スタッフ』)やゲイ・タリーズ(『汝の隣人の妻』)の系統という二つがあって、前者はストレートにジャーナリズムの文脈のなかで取り上げられる人たち、後者が文学との境界領域みたいに言われている人たちです。

玉木さんのこの本によると、トム・ウルフはかなり意識してジャーナリズムと小説とを書き分けていたけれど、ゲイ・タリーズはわざとやっていたのか、そのあたりの潔癖さに欠けていて、文学だかなんだかわからないものになってしまった。このゲイ・タリーズ批判は日本のニュージャーナリズム批判にもつながる。そして日本にはこちらの文学系ニュージャーナリズムしか存在していない。

「文学ならざるもの」と「文学」との境界線が甘くて緩いだけでなく、日本のニュージャーナリズムは細部を手に入れられていない。さすがに沢木耕太郎にはよく書けているものがあるけれど、それ以外、いわゆる「ニュージャーナリズムの文体」で書かれた日本の作品にはディテールがない感じがして、これではとても続かないだろうと思っていました。

――いわゆる「ニュージャーナリズム」の文体とは、膨大な取材に支えられた事実の集積から、書き手の一人称を消し、まるで「神の視点」で描かれた文学作品のように、三人称で綴っていく手法のことですね。日本人はなぜ、それが苦手なのでしょう?

武田:安易な日本人論はよくないけれど、一つ思い当たるところは、アメリカの人は日付などのディテイルをけっこう覚えている。日本人の場合、そこがあいまいなので、取材相手が語らなかった細部を書き手が自分の想像力で安易に補ってしまい、その結果、全体に安っぽくなってしまう。いくらでも書けてしまうという虚構の誘惑があるなかで、そこに耐えながら書いていくのはとても厳しいことです。沢木さんはかなり早くにそれに気づいたから、ニュージャーナリズム的な三人称から手を引いたのでしょう。

「ジャーナリスト」と名乗る理由

――ジャーナリズムとノンフィクションとの関係は、そのようにとても難しいものがある。武田さん自身は「ノンフィクション作家」ではなく、「ジャーナリスト」と名乗っておられますね。

武田:ここ十年ぐらいは「ジャーナリスト」という肩書をつかってます。『ジャーナリストは「日常」をどう切り取ればいいのか』(1992 勁草書房)という本でも「ジャーナリスト」という言葉が使われていますが、これは担当編集者のアイデアでした。こういう文章もジャーナリズムの仕事だと思ってもらえたこと、自分もジャーナリズムというくくりのなかに入りうるんだということが、当時は新鮮な印象としてありました。

1992年に刊行された『ジャーナリストは「日常」をどう切り取ればいいのか』(勁草書房)

その印象がもう一回上書きされたのは、「中央公論」の編集長だった粕谷一希がジャーナリストと自称していたことを知ったときです。総合誌の誌面には小説もある。つまり彼は小説も含めてジャーナリズムだと考えていて、そういう総合誌をつくる自分を「ジャーナリスト」だと規定した。新聞記者や放送記者だけがジャーナリストではなくて、もっと広い、世に何かを問うための言葉を色々と入れておけるある種の「袋」みたいなものとして、ジャーナリズムを考えていいのかと、目が醒める思いがしました。昔は定期刊行物を「ジャーナル」と呼ぶ習慣があったから、粕谷さんはそういう文脈のなかで考えていたのかもしれないけれど、自分もそれを肩書にすると楽になると思って、そのあたりから「ジャーナリスト」と名乗るようになったんです。

――いまでは「ジャーナリズム」も「ノンフィクション」も死語になりかけていて、意味やニュアンスがなかなか伝わらない。でも、だからこそ再定義するにはいい時期かもしれません。片方に、新聞記者のような従来からのジャーナリストがいて、他方に、編集者のような広義のジャーナリストがいる。さらに、いまではネット上に素人も含めた多くの書き手がいます。たとえば、昨年大いに話題になった「保育園落ちた日本死ね!!!」という文章は、はてなの匿名ダイアリーのエントリーでした。あれをジャーナリズムといっていいのかどうかわかりませんが、どんなニュース記事よりも状況を動かす効果がありました。

武田:古くからある、いわゆるエスタブリッシュド・ジャーナリズムは既得権力も持っているわけですからその裏返しとして精度を問いたいけれど、新しい動きについては精度を少しわきに置いておいて存在価値を認めてやりたいものもある。たとえば、かつてのケータイ小説も見方によってはすぐれたジャーナリズムでした。文章はひどいし、小説としても出来は悪い。いままでの文芸評論的な尺度でいえば、全然評価できないかもしれない。でもあの時期の下流の若者たちの生活の実態は、ケータイ小説というかたちでなければ描かれなかった。エスタブリッシュド・ジャーナリズムには見えなかった部分を見せてくれたという意味では、きわめてジャーナリズム的機能を果たしたと考えています。そこでは精度を求めても仕方なくて、直接的に現実と触れているものとして存在を認めたい。

――他方で、新聞や週刊誌といったメインストリームのジャーナリズムも、舞台をネットのほうに移行させつつあります。その結果、「文春砲」が流行ったり、炎上が起きたりしています。

武田:いまはネットがこんなに普及して、それをスマホで読むことも一般的になって、昔は別々に存在して見えなかったものが可視化されるようになってきた。Twitterはそれこそ憂さばらしの殴り書きもテキストとして見えてしまうからやはり気になるし、議論の対象になるという構図は間違いなくあるわけで、そこでいたずらに足をとられないほうがいい。

炎上のことも、ちょっと気にしすぎだと思います。無視しろとはいわないけれど、脊髄反射的に対応するのではなく、たとえばネット上に自分の存在を示したい、つながる力を試したいと考える「つながりの社会性」指向の反応であれば、そうした性格を踏まえて、対応するかしないか考えたほうがいい。ジャーナリズムにおいては、伝えること、つながることももちろん大事だけれど、真実像の追求とか神話の解体という指向もある。その指向の延長上にネットをうまく使えればいいけれど、いまはうまく使えてなくて、たんに流れされているような気もするんです。それよりも、いままでやってきたことを、ちゃんとやればいい。ジャーナリズムの精度が問われる部分ではきちんと精度を出し、支持されて信頼性を回復すべきだと思います。

ベータ版としての「日記的ジャーナリズム」

――メインストリームのジャーナリズムとは異なる、もう一つのジャーナリズムのあり方として、この本で鶴見俊輔のいう「日記的ジャーナリズム」を挙げておられます。戦時下に一人でものを書く場を維持したジャーナリストとして、桐生悠々、正木ひろし、清沢洌などの名を鶴見は挙げていますが、そうしたことは現在のネット環境でも可能でしょうか。武田さんも以前、ネットの掲示板でずっと個人日記を書いていましたよね。

武田:teacupという掲示板で書いていました。当時、「これは湯葉を掬っているようなものだ」と表現していたんです。湯葉のように、かたちになりそうなんだけれど、まだかたちにならない、いわば「かたちになりつつあるようなもの」のための場所を確保したい気持ちがあって。ある程度は公開して、みなの意見も聴きながら少しずつかたちにしていく、そういう「公開助走」のための場所や時間がほしいと思っていました。

出版メディアは時間をかけてモノをつくっていて、編集者との対話もある。そういうものがとても大事だと思っていたから、ネット上でもそれと近いことができないか、編集者に頼らなくても、対話を自分の創作や表現のプロセスのなかに入れることができるメディアがあるといいな、と。自分自身や人の意見を聴いてたえずチェックしながら表現を鍛えていき、結果として勝負できるものにしていくみたいなことを考えていた。

組織ジャーナリズムの中にいれば、デスクがすぐ近くにいて直されたりするけれど、フリーランスのライターの場合、個人で書いている。本を出す企画が通れば編集者との関係ができるかもしれないけれど、そうならない場合にも、いわば「ベータ版の思考」を改善してゆく関係が社会のなかで生まれるような場ができたらいいなと、ネットをつかい始めた頃に思ったんです。

ただ、いまのネットはそういう中間的な領域のものではなくなってしまった。一緒に考えてゆくというスタンスではなくて、相手を切り捨てていかに自分が優れているか示したい。そうした勝負かけてものを言いたい人にとって、ベータ版的な「未完成ですがいかがでしょう」というような表現の提示法は認めがたいんでしょうね。で、「湯葉」のようなフワフワした、まだ煮えきっていないようなアイデアの場所を確保することが難しくなり、僕自身、いまはその掲示板もやめてしまった。これは僕の方にも甘えというか、性善説的な構えがあったと反省するところもあって、それこそベータ版の開発のためにテスターを募ってクローズドのグループを作るような仕組みが必要だったのかもしれない。しかし公開の場でやることに意味をみたい気持ちもあってそこは悩ましいですね。

これは僕がよく使う可謬主義という考え方にもつながっています。ジャーナリズムが無謬主義、つまりこれは間違いなく正しいという態度で情報を伝えるのではなく、現時点ではここまでわかったけれど、今後、新事実が出てくれば訂正されるかもしれないという間違いの可能性をあらかじめ含んだ可謬主義でなければならない、と思っているんですね。

――かつて鶴見俊輔はそれを「まちがい主義」と呼んでいましたね。

武田:ええ。この場合、訂正に繋がるような新事実はもちろん自分たちでも取材調査を進めて探しますが、広く社会に求めることも必要なわけで、そのためには仲間内ではなく、公開の場に言論を提示することが重要となる。

先に定期刊行物をジャーナルと呼ぶ習慣があったと言いましたが、実は可謬主義と定期刊行ということは水面下でつながっていて、次号に第二弾、第三弾の記事を出せる。そこで新事実を含めて軌道修正ができるということがジャーナリズムにとっては非常に重要なのだと思います。

ただ、こうした可謬主義が社会的に理解されているわけでは正直ないですよね。ジャーナリズムを無謬主義の原則で評価しようとして、事実誤認があると、新事実をその上に積み上げて真実に近づこうという方向に向かわずに、メディアを叩くわけですね。犬猿の仲のライバルメディアが叩き、今ではネットメディアがバッシングする。叩かれたほうも世間体を考えるのか、謝罪して一件落着にしてしまおうとする。これでは、可謬主義原則に立って、新事実を踏まえて誤認を訂正しつつ、真実像の確立にむけて漸進的に向かってゆく、という姿勢がとれません。

この無謬主義はエスタブリッシュ・メディア自体が自分を縛っている面もあって、情報価値のある初報をスクープと称して、わが社だけがたどり着き得た真実として誇るわけです。「湯葉を掬っている」とは絶対に言わない(笑)。スクープの価値はもちろん認めますが、一方で可謬主義の中にそれを位置づけないと危うさもあると思う。

メディアにふたたび「起伏」を

――スマートフォンとSNSが生み出したここ数年のメディア環境の変化に対しては、どのように受け止めていますか。

武田:PDAのような電子ガジェットが、昔からすごく好きだったんですよ。小さな機械ひとつで取材できたらいいなと思っているうちに、録音ができるようになり、写真も撮れるようになり、でも原稿をそれで書くまでにはいかない……といった具合に、だんだん自分の夢が実現していく感覚がありました。いまのスマートフォンは、まさに自分の夢が実現したようなものです。

夢が実現したわりに、世の中がよくなったかといえば、そうでもない。「写メール」が出てきてどのケータイにもカメラが搭載されるようになった頃にも、「これで1億3000万人の日本人が全員ジャーナリストになった」という人がいたけれど、道具ができただけでジャーナリストになれるわけがない。やはりジャーナリズム・リテラシーみたいなものが絶対に必要だ、ということを言わないと話になりません。ただし、道具ができたことで、ようやくそういうところが気になってくる面はたしかにある。

これからのジャーナリズムは当分、スマホとインターネットの組み合わせに牽引されることになるでしょう。そこでの分かれ道は、やはりジャーナリズム・リテラシーがどう育つかではないでしょうか。先にも言いましたが「スクープ」には価値があるし、早く伝えること、たくさんの人に伝えることもジャーナリズムには必要だし、それは一つの正義のありかたではある。

だけど、それだけじゃない。早くても間違っていたら仕方がないし、たくさんの人に嘘を教えても仕方がない。ブレーキをかける「ため」の部分のような、別のベクトルをもっているのがジャーナリズムです。それが育っていないことへの危惧はあるけれど、スマホを使っている人を批判する以前に、従来のジャーナリストが自己批判しなければいけない。なぜなら、彼らが「速報が正義」「たくさんの人に見られることが正義」だと考えてきた結果が、ネットのジャーナリズムにそのまま出ているからです。

マクルーハン的に言えばメディアは身体拡張装置であって、自分たちの欲求が増幅され、自分たちの社会がもつ、ある種のひずみが増幅されて出ているのだから、もう少し遡って考えないと、根本的な問題解決はできないと思います。

――『日本語とジャーナリズム』の最後で、片岡義男の『日本語の外へ』(1997 筑摩書房)が取り上げられています。日本語という言語が一つの「うち」という閉域になっていることを指摘した本ですが、はじめは自由な「外」だと思われていたネットも、いまでは一つの巨大な「うち」になってしまった。「日本語で書かれたネット空間」は、「うち」と「うち」が重なる、きわめて息苦しい空間になってしまいました。

武田:メディアが限られていて、それをつくる能力や財力をもっている人も限られていた時代は、放っておいてもメディア空間に「起伏」がありました。マスメディアに乗る人は少数で、そこに乗るまでには選抜があった。ときおりへんな人が出てくることもあって、つねに玉石混交ではあったけれど、比較的「玉」が多くなるような選抜ができていた。でも、いまはそれがなくなってしまった。

佐々木俊尚さんが『キュレーションの時代』(2011 ちくま新書)と言ったのは、おそらくそういうことを意識してのことでしょう。ところがDeNAのキュレーションメディアでは、選ばれていたものが決して「いいもの」ではなく、悪夢のようなものになってしまった。

だとしたら、かなり意図的に起伏をつけるようなシステムをネットのなかにつくっていかないとダメかなと思い、「第二インターネット」が必要だというようなコラムを毎日新聞に書きました。これはすごく古くさい意見だけれども、そういうことを人工的にやらないと、ネットは使い物にならなくなってしまう。たんにフラットなだけでは、我々はそこに安住はできないのではないか、という気がします。

「詩の言葉」と「ジャーナリズムの言葉」

――武田さんの仕事に僕があらためて注目したのは、東日本大震災後の報道をめぐって書かれた『原発報道』(2011 講談社現代新書)や『暴力的風景論』(2014 新潮社)を通じてでした。ことに原発事故以後、ジャーナリズムは二極分化してしまい、機能しなくなった。2015年の安保法制をめぐる議論でも、それは変わりませんでした。

こうした分裂が生まれてしまう構造の全体に目を向けてきた武田さんの土台が、『日本語とジャーナリズム』という本で、とてもよく分かった気がします。極論につかないと双方から批判されかねないなかで、武田さんがそうした態度を維持できたのは、言語論という理論的な根拠があるからか、あるいはそれ以外に鍛えてきた方法論があるのでしょうか。

武田:戦時下に『暗黒日記』を書いた清沢洌は、クリスチャンにすごく近いところにいたけれども、彼自身はクリスチャンではなかった。そこが大事だと思っているんです。あえて「何も信じない立場」に自分を置き続けるのはしんどい。でも、一つの信仰をもった時点で、ジャーナリストとしては失格です。ICUの大学院で学んでいたとき、クリスチャンになればもしかしたらポストがあったかもしれないけれど、それを避けたのは、いまにいたる将来の方向性を示していたのかもしれませんね(笑)。

――武田さんはジャーナリズムの言語と同時に、「詩」という言語のあり方を強く意識しています。詩とジャーナリズムの両方に関心をもたれる理由を、あらためてお話いただけますか。

武田:詩は人を惑わしてしまうもので、深入りすると人生を棒に振ってしまうという恐怖心がありました。こんなに簡単に詩にほだされて、カッコいいとか魅力的に感じてしまう自分はあやうい感じがしたんですね。大学時代の僕は、そういう詩の力みたいなものをコントロールするための枠組みを作ろうとしていた。

ジャーナリズムに精度がないという話は、取材の精度の問題であるだけでなく、詩的な言葉の喚起力に頼っているところも気になっていた。自覚したうえで詩的言語を使うならいいけれど、言葉に酔っているようなジャーナリズムはダメだ、と思うんです。

詩的な言葉の魔力と散文的な分析力とを対立させて、「韻文的な文化」と「散文的な文化」といった枠組みで考えていた時期もありました。図式的に過ぎる分類だけれども、ファシズムに走った国は韻文的な文化と親和的で、詩的なスローガンに酔いやすい印象がある。だからこそ、理詰めで考えたら絶対におかしいような思想を掲げた、「国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)」が成立してしまう。日本の自由民主党も「自由」と「民主」という本来は相容れない原理が、特に問題意識を持たれることなく一つになっていますよね。語感を重視し、耳触りの良い語感、勇ましい語感の言葉を積み上げればもっと良くなると信じて疑わない、そこが日本やドイツの弱さであり、詩的な文化の危うさだと思ったんです。

それに対して、ヴァレリーとかアランのような散文で思考が展開できるフランスの文化に対して、当時は憧れみたいなものがありました。翻って「日本語の散文」について考え始めたとき、日本語は本当に散文として自立できるのか、という問いを引き受けなくてはいけなくなったんです。

日本的な共同体に散文が足をとられているのであれば、それを超える力が必要だろう。散文が語彙やスローガンのレベルで語感に引きずられて中途半端に詩的に消費されていることに気づくのは、言葉への感性を研ぎ澄ませた詩人ではないか。自由と民主をだらしなく共存させている共同体にいちばん違和感を感じるのが本当の詩人でしょう。結果的に詩人はいい意味で唯我独尊になり、日本にいながら日本的な共同体の中にはいない。ジャーナリズムにもそんな詩人に通じるような、共同体に対する距離感みたいなものが必要ではないかと、あらためて思い始めた――そんなふうに僕のなかでは散文と韻文との関係が、一回ひっくり返っているんです。

AIにジャーナズムはできない

――この本は武田さん流のジャーナリズム論であり日本語論であると同時に、ジャーナリズム文体の近代化のため苦労してきた先駆者の営みを綴った本としても読めます。ここで取り上げられている人物のなかでもう一人、大宅荘一の話をしておきたいです。日本のノンフィクションを代表する賞にも、彼の名前が冠せられています。

武田:大宅荘一は「ズラす人」ですよね。俗にまみれながらも、ちょっと遠くからものを言ったりした。流行語をつくるのもすごく上手で、詩的なセンスもあった。でも言葉の力を使いながらも、大衆の俗情から距離を置くような、すごくイヤらしい言い方もする。その距離のとり方が僕にはすごく面白かった。ジャーナリズムにとって、大宅がもっていたような「内にして外」の感覚、「内在的超越」というスタンスはいまも大事だと思います。

この本のあとで出した『日本ノンフィクション史』で、戦前に書かれた「事変ルポルタージュ批判」という大宅の文章に触れています。大宅にとってルポルタージュとは、写真のように「事実をそのまま写す」ものだった。ところが当時、「ルポルタージュ文学」や「文芸的ルポルタージュ」なるものが登場しはじめ、それを大宅は批判した。これらはまさに、のちの「文芸ノンフィクション」のようなものです。彼の名を冠したジャーナリズムの賞が「文芸ノンフィクション」に与えられている状況をもし大宅が知ったら、苦虫を潰したような表情を浮かべていたかもしれません。

――最後に、今後のジャーナリズムに信頼を取り戻すために必要なことについて考えを聞かせてください。

武田:これから書き始める人は、「人はなにを信頼するか」ということから考えるべきだと思います。僕の考えでは、人は命の一回性に対して信頼を置く。人が人生を賭けて何かをしているならば、そこには一抹の真実があるだろうと考える。

信頼性を確保する上で人生の一回性が大きいとすれば、ジャーナリズムに「署名性」はやはり必要です。ただし、表現のなかで一人称の主語をもちいるかどうか、という単純なことではない。自分の人生を賭けて書いた文章のなかで考えていけば、どういう文体を選べばいちばんよいのかという問題にも、必然的に答えがでてくるはずです。

――ジャーナリズムもいずれAIが担うようになる、という極端な議論もあります。

武田:AIにジャーナリズムはできないと思います。なぜかと言えば、機械には「責任」がとれないから。そこがやっぱり大事なんです。可謬主義は責任が伴ってようやく地に足がつきます。いつまでも間違いと訂正を繰り返していいということになったら相対主義の極みとなってしまう。間違ったら責任者が辞任したり左遷されたりして責任を取らざるをえないこともあるでしょうが、それよりも今度こそより正しい方向に事実を積み上げてゆくことで責任を果たせるといいですね。一回限りのジャーナリスト人生を賭けてそうした責任の取り方をするジャーナリストに対する信頼こそが、ジャーナリズムへの信頼なのではないでしょうか。

執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。