本の激変期のなかでどう生きるか

2018年9月18日
posted by 仲俣暁生

第1信(仲俣暁生から藤谷治へ)

藤谷治様

この夏に下北沢の本屋B&Bで行われたDJイベントで久しぶりにお会いしたあとで、なんどかご相談させていただいていた「マガジン航」での往復書簡の企画を始めることにしました。

藤谷さんに最初にお目にかかったのは、2014年まで下北沢にあったフィクショネスという本屋でのことでした(『アンダンテ・モッツァレラ・チーズ』の文庫解説にもこのときの思い出を書きました)。藤谷さんがまだ「小説家」になる前、もしかしたらまだ20世紀だった頃の出来事かもしれません。

「まだ20世紀だった頃」などというと、自分たちがとんでもなく年寄りになった気もしますが、実際そうなのかもしれません。というのも、その後に出版の世界は大きく様変わりしたからです。いや、出版の世界どころか世界そのものが大きく変わったように思います。

僕らはたまたま同学年で、おそらく似たような読書経験をして育ってきたはずです。藤谷さんが小説家としてデビューしたのは2003年。僕は本業は編集者ですが、2002年に現代小説についての小さな本(その後、絶版になってしまいましたが)を書いたおかげで2003年に文芸誌で連載の機会を得、細々と文芸評論の仕事もするようになりました。

藤谷さんはフィクショネス以前にも書店員の経験があり、僕は出版社をいくつか経験してきました。そのうえで、フリーランスとして本の世界で生きることを決めた。「物書き」という仕事が簡単には成り立ちにくい時代になってから、本や文章を書く仕事をするようになったわけです。

僕が「マガジン航」を創刊したのは2009年の9月のことです。当時はちょうど電子書籍の話題が盛り上がっていた頃でもあり、もしかしたらこの新しいテクノロジーが出版の(そして文芸の)未来を切り開いてくれるのかもしれない、という期待がありました。

しかしその後の9年間に起きたことは、電子書籍が普及するよりもはるかに急激な紙の出版の失速でした。「町の本屋」(フィクショネスもその一つと数えてよいのでしょうか)は次々に店を閉め、人が本と出会う場所も図書館や新古書店、あるいはインターネット上であることが増えました。

こうした変化は当然、小説を書くことが「仕事」である作家たちにとって、相当に大きなインパクトを与えたはずです。

藤谷さんには「新刊小説は滅亡について考えた方がいい」という文章を書いていただいたこともありますが、ここで話題になっている「新刊小説の滅亡」という短編に描かれていたことは、すでになかば現実になっているようにさえ思えます。

「マガジン航」誌上で藤谷さんと公開の「往復書簡」をしてみたいと思ったのは、この激変期ともいうべき時代のなかで、自分と同世代の小説家が、日々どんなことを考えながら創作活動をしているのかを知りたいからです。そして、これから先のことを一緒に考えてみたい。

タイトルは、まことに大雑把ですが「創作と批評と編集のあいだで」としてみました。こちらからもいろいろと質問を投げますが、そちらからも遠慮なく厳しい球を投げてください。

藤谷さんとの言葉のキャッチボールのなかで、少しでも未来へのヒントがみつかることを願いつつ、第一信の筆を(キーボードを?)置きます。

第2信につづく)

執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。