代わり映えのなさ、という強さ

2019年12月28日
posted by 仲俣暁生

第19信(仲俣暁生から藤谷治へ)

藤谷治様

夏場に最後に手紙をやり取りしてから、またずいぶん間が開いてしまいました。去る10月に出版学会の催しとして行った「マガジン航」十周年の講演に、わざわざ足を運んでくださりありがとうございます。これからものんびりと、このウェブメディアをまわしていくつもりです。

先の手紙であいちトリエンナーレについて色々とやりとりした後、日帰りで名古屋と豊田の展覧会場を見てきました。「ニューズウィーク」のオンライン版や「マガジン航」にも書きましたが、その際の感想をひとことで言うなら、3年ごとに行われるこの芸術祭は、ある程度まで地域に根付いているのだなというものでした。

国際的な芸術「展」であることと、地域の芸術「祭」であることを矛盾なく両立させるのは、想像するだに大変な作業ですが、オンラインや現実の場ではしたない攻撃にさらされ、一旦は休止せざるを得なくなったホワイトキューブ内の展示に比べ、「美術館の外に置かれた美術」ともいうべきサテライト会場での展示は案外としたたかでした。各地の現場を支えるボランティアスタッフの表情や身のこなしからは――たまたま僕がみた範囲だけかもしれませんが――メディアを通じて喧伝されていた身に迫る「危機」のようなものは見受けられず、よい意味での長閑さを感じたほどでした。

定期的に行われるこうした催しがもつ現場の経験値の高さは、11月24日に行われた第29回文学フリマ東京からもつよく感じました。青山ブックセンター本店で行われた第2回以来、これまでにも何度か取材者として参加したことはありましたが、今回はじめて出店者として参加してみたのです。「ウィッチンケア」というインディペンデント同人誌を発行している多田洋一さんのブースに相乗りし、いわゆる「薄い本」の制作から当日の会場設営、即売・会計から撤収まで、一日ずっと会場にへばりついていました。

下北沢で「フィクショネス」を十数年にわたり維持してきた藤谷さんにとって、文学フリマに集うようなインディペンデントな作家/出版者たちの姿は見慣れたものでしょう。僕自身、20代からそうした仲間がつねに周囲にいたため、こうした即売会への参加自体は、際立って新しい体験というわけではありません。むしろ、この「見慣れた風景」の継続性、つまり代わり映えのなさに、ある意味で感動したのでした。

その後、香港で今年の6月以後に盛んになったデモ行動と連携したプロテスト・ジンを出しているZINE COOPの人たちと、練馬区の小さな会場で行われたジンの即売会で会って話をしたり、彼らの活動を紹介する記事を「マガジン航」に書いてくれた中野タコシェの中山亜弓さんと会って話をしたときも、いい意味での代わり映えのなさを感じました。なにしろ中山さんとの付き合いは、僕が「シティロード」の編集をしていた頃からですから、そろそろ30年近いのです!

メインストリームの出版ビジネスが音を立てて崩れていくなかで、ここまでで触れたようなオルタナティブな場での活動が相対的に元気に見えるのは、それらが「対抗的」な存在だからというよりは、長期間にわたり粘り強く、しかも質において大きく変わることなく続いてきた活動だからではないか。わずか十年、小さなウェブメディアを営んできただけの僕でさえ、そのことは真実であるように感じられます。それは文筆という活動でもまったく同じでしょう。日々、目の前で移ろう出来事に動じることなく、己の信じる道を進むことの貴重さがようやく身に沁みるようになったのかもしれません。

4ヶ月ほど手紙をさぼっていた間、個人的な楽しみとして読んでいたのは、日本の文壇や文芸誌の歴史を綴った本でした。とりわけ講談社に長くおられた大村彦次郎さんの一連の著作からは、多くの示唆をえました。

日本では純文学とエンターテインメント文学との間に、比較的はっきりとした壁がありますが、その壁ができたのは戦後に「小説新潮」が創刊され、いわゆる「小説誌」が誕生したときからと言えそうです。

現在の出版界を見渡せば、純文学の発表媒体としての「文芸誌」も、エンターテインメント作品の発表媒体としての「小説誌」もともに影響力を失い、部数も低迷しています。でも、かつては「オール読物」や「小説新潮」といった雑誌が30〜40万部も売れていた時代がありました。マンガ雑誌が100万部単位で売れる時代が訪れる以前にあった、小説誌が娯楽の中心だった時代を想像するのはそれほど難しくありません。

大村彦次郎さんの一連の「文壇史」の記述は、中間小説では野坂昭如と五木寛之のデビュー(野坂の「エロ事師たち」が1963年、五木の『さらばモスクワ愚連隊』は1966年)、純文学では村上龍のデビュー(『限りなく透明に近いブルー』は1976年)をもって画期とし、このあたりで「文壇」が実質的な意味を失ったとしています。ここでいう文壇とは前近代的・互助的な同業者ギルドのことです。

戦前の円本以後、すでに文学は十分に「儲かる産業」になっていましたが、この頃までは一種の自治の仕組みとしての「文壇」が、地方文芸誌を広い裾野としつつ、存在していた。しかし野坂・五木が登場した時代以後、文学は文字どおりに「メディア産業」となっていく、言い換えるなら出版産業に完全に従属するようになるのです。

僕らが物心つき、同時代の文学を読むようになった頃は、ちょうど野坂や五木の全盛時代でしたし、また村上龍が新人作家としてデビューした頃でした。だから僕らは「文壇」が崩壊する以前にあった、文芸同人誌のあり方をよく知りません。

これは僕の場合だけかもしれませんが、筒井康隆が『大いなる助走』で戯画的に描いた地方同人誌のドタバタ劇を鵜呑みにし、同人誌とその書き手をどことなく馬鹿にする気持ちさえあったと思います。しかし出版社が営利的な目的で出す雑誌が、文学活動のすべてを覆い尽くすことはもとより無理です。また従来、新人賞が担ってきたとされる新しい才能を発掘する機能も、発掘「後」の責任を負う産業の側が細ってしまえば意味を失います。

出版産業の黄昏――それはことに雑誌においてはっきりと現れていますが、書物も安心はできません――が誰の目にも明らかないま、本を書き続ける動機を経済的側面だけに求めることは難しくなっています(動機を必要と言い換えるならば、すでにその内部にいる者にとってその必要性はまったく減じないとしても)。そんなとき、プロの専業作家であれ、他に収入源をもつ兼業作家であれ、あるいは完全なアマチュア作家であれ、書き続けるための最大のモチベーションは「読者」の存在ではないかと思うことがあります。

じつは藤谷さんと手紙のやりとりをできずにいた間に、もう一つ面白い経験をしました。それは翻訳者・アンソロジストの西崎憲さんに招いていただいて参加した、ブンゲイファイトクラブというネット上の文学イベントです。西崎さん自身も日本ファンタジーノベル大賞の受賞歴をもつ小説家であり、書肆侃侃房から出ていた文芸ムック「たべるのがおそい」の編集長もなさっていました。しかも、それらと平行してバンド活動や快著『全ロック史』の執筆をしてしまう、マルチな才能をもった尊敬すべき大先輩です。

以前から西崎さんと何か一緒にやりたいと思っていた折、偶々このイベントの開催を知り、ぜひともと手を挙げたところ、「招待ジャッジ」という枠で参加させてもらえることになったのでした。

このイベントの詳細については先のリンクを辿ってほしいのですが、予選を通過した32人の作家たち(このイベントでは「ファイター」と呼ばれます)が、6枚(2400字)以内の文学作品(小説に限らず、詩歌や戯曲もあり)を書き下ろし、トーナメントで勝ち上がっていくというものです。プロとアマチュアの作家が混在する32人のファイターから、ジャッジは一回戦では各組4人からなる8組から最優秀者を一人ずつ選び、二回戦以後は一対一のトーナメント戦の勝者判定をしていく、という趣向です。

面白いのは――そして真剣勝負とならざるを得ないのは――、ジャッジもまたファイターから逆審査を受け、戦いが進むにつれ人数が減っていくことです。最後は二人のファイターと一人のジャッジだけが残り、最優秀作品が決まって戦いが終わります。先のリンク先でその過程のすべてが「公開」されていますので、どの段階でどの作家の作品がどのような判定と理由で落ち、最終的に誰のどんな作品が勝利を収めたのかを、すべてあとから追体験することができます。

悔しいことに、僕は二回戦(準々決勝)の判定と評価を終えたところでジャッジとしては敗退し、準決勝以後は観客に回らざるを得ませんでした。しかし、最後まで僕はこのイベントを楽しんだのです。準決勝以後の戦い、そして決勝戦の行方には文字どおり、手に汗を握りました(というのも、その都度ファイターは短期間で「新作」を書くのです!)。

ブンゲイファイトクラブは、ファイターもジャッジも完全に無償で、得るものは栄誉と不名誉のみというまことに残酷なゲームでしたが、全体として既存の新人発掘プロセスとしての公募新人賞に対する――さらには既存の文芸批評のあり方に対する――すぐれた「批評」だったと僕は考えています。しかも振り返ってみれば、このイベント全体が一つの文学アンソロジーとなっており、いわば「同人誌」をネット上の公開プロセスで作ったものともいえそうです。

もしそうだとすればバトルという新しい見かけのわりに、このイベントを通じて僕が体験したのは、商業出版の外部に「同人誌」という多様な場――それを支える作家予備軍の分厚い層とともに――が存在した頃に、多くの書き手が経験した真剣な作品批評を、代わり映えもなくやってみたようなことかもしれません。そしてもしかしたら、文芸に限らず、言葉で何かを生み出していく活動を続けていく上で必要なのは、長期的な歴史の相でみたときには「代わり映えしない」と思えるような、愚直なことなのかもしれません。

というわけで明日の夜、恒例のB&Bでの催しで――いい意味での「代わり映えのなさ」とともに――お目にかかれることを楽しみにしています。

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【イベントのお知らせ】

12月29日(日)19:00より、東京・下北沢の本屋B&Bにて下記のトークイベントがあります。詳細はリンク先のサイトをご覧ください。

藤谷治×瀧井朝世×田中和生×仲俣暁生「フィクショネス文学の教室〜2019/末番外編〜」 | 本屋 B&B

執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。