第8回 中国に見る新しいマンガ・コンテンツの波

2019年4月16日
posted by 中野晴行

改革は「周縁」から起きる

多くの場合、大きな変革は中心からではなく周縁から始まる。マンガ産業も同じである。

思えば戦後の日本マンガの変革は出版の中心地・東京からではなく、大阪から始まった。戦後まもなく手塚治虫を祖として始まった「ストーリーマンガ」は、中央からは「赤本屋」という蔑称で呼ばれた大阪の零細出版社から生まれた。中央でマンガが子ども向け雑誌の1ページか2ページくらいのボリュームしか使えなかった時代、大阪ではマンガ単行本が中心だった。つまりストーリーを語るために必要なボリュームがあったのだ。

仮に手塚治虫が東京の雑誌でデビューしていたとしたら、彼は凡庸な子どもマンガの作家に終わっていたかもしれない。デビュー間もない手塚が、単行本デビュー作の『新寶島』(酒井七馬との合作)を引っさげて上京したとき、東京の大家のひとりは「これはマンガではない。こんなマンガはあなただけにしてほしい」と言った。その後、手塚は大阪でめきめき力を付け、人気を獲得していき、ついに東京での本格デビューを「漫画少年」という最高の舞台で飾る。初期の代表作『ジャングル大帝』がそのときの作品だ。

1950年代半ばには、やはり大阪から、マンガ表現を根底から覆し、現在のコミックにまでつながるムーブメントを起こした「劇画」が生まれている。舞台となったのは中央集権的な出版流通システムからはドロップアウトしたマイナーな出版社が細々とつくる「貸本マンガ」の世界。書店に並ぶのではなく、本を一泊5円程度の安価で貸し出す貸本屋にだけ並んだマンガ単行本である。

「劇画」の名付け親だった辰巳ヨシヒロも、のちにミスター劇画となるさいとう・たかをも当時はまだ20歳前後の若者だ。彼らは子どもが読むのではなく、自分たちと同世代の若者が読むマンガを生み出し、大人のマンガ読者を開拓した。中央の出版界は彼らの作品を「下品で残酷」「絵が汚い」などと酷評したが、やがてマンガ出版そのものが空前の劇画ブームに飲み込まれていった。

1960年代後半の青年コミック誌ブームを支えたのは、貸本劇画出身の若い描き手たちであり、「月刊漫画ガロ」や「COM」といったマイナー誌で新人デビューした描き手たちだった。大阪のマンガ出版はこの間に中央との競争に敗れて衰退してしまうが、今度はマイナー誌が周縁の役目を担ったわけだ。さらに1970年代に登場する「ニューウェーブ」と呼ばれる作家たちのバックボーンになるのは「三流エロ劇画誌」と呼ばれたマイナー雑誌であり、1980年代に入ると「ロリコン雑誌」が周縁としての役割を果たすことになった。

中央の出版社は、周縁で生まれた新しいマンガを取り込むことで新しい描き手と、新しい市場を労なく手に入れ、マンガ出版を産業と呼ばれる規模にまで発展させることに成功した。一方で、変革の原動力となった周縁の零細出版社は、描き手と市場を資本力に勝る中央に奪われ、消えていくしかなかった。

1990年代半ばを境に、日本のマンガ出版がパワーを失っていったのは、マンガ産業の中央集権化が進んで、周縁と呼ぶべき場所がなくなったからではないのか。そのために、大きな変革を起こすことができなくなったからではないのか。私は長年そう考え、『マンガ産業論』『マンガ進化論』の中で繰り返し語ってきた。

ところが、ここ10年ばかりの間に、新たな周縁が生まれているのだ。それが東アジアのマンガだ。「周縁」という言葉を使うことで、あるいは差別的な意図を感じる人がいるかもしれないが、私にはまったくそのつもりがないことを明言しておく。文化人類学で言うような「中央を活性化する周縁」という意味で使っているだけで、これまでに書いたことからも理解してもらえるように、周縁の存在には肯定的な意義を感じている。もしも「東アジアという周縁」から新たなマンガの波が起きるのだとすれば、それはマンガそのものの未来にとってプラスになる可能性が高いとさえ見ているのだ。

テンセントコミックとウェブトゥーン

マンガ表現の新しいスタイル。それは韓国で生まれたウェブトゥーンだ。日本でもスマートフォン向けに配信される縦スクロール読みのウェブトゥーンは定着し、電子コミックのスタンダードになりつつある。しかし、紙のマンガ出版市場が減少傾向にあるとは言え、2412億円(『出版月報』2019年2月号)もある日本では、韓国とは少し事情が違っている。韓国のウェブトゥーンが電子コミックとして完結しているのに対して、日本の場合はリクープするためには紙の単行本にもする必要があるため、コマ割りやページの〝引き〟という紙のマンガならではの表現方法を残さざるを得ないのだ。

一方で、同じようにウェブトゥーンを取り入れながら、紙を意識せず電子コミックとして完結させることで新たな進化を始めているのが、中国だ。

JETROが2018年に発表した『中国出版市場調査』によれば、2017年3月の中国でのマンガ・アニメアプリのアクティブユーザーは1ヶ月あたり6585万人。日本の出版社と契約した日本マンガの作品、『ドラゴンボール』『スラムダンク』『テニスの王子様』などの人気も高いが、それ以上に読まれているのがウェブトゥーン形式で描かれた中国人マンガ家によるオリジナル作品だという。

私は、非常勤講師として教えている京都精華大学の授業の冒頭で、毎年学生たちに「友達にすすめたいマンガ」というアンケートをとっているのだが、ここ数年でその内容は大きく様変わりしてきた。韓国の留学生がとりあげる作品に、韓国を代表するウェブトゥーン配信レーベル「ネイバーコミック」のものが増え、中国の留学生がとりあげる作品に、やはり自国の配信レーベル「テンセントコミック」のものが増えているのだ。いずれもウェブトゥーン形式の作品である。

中国で人気のウェブトゥーン『一人之下』。

中国からの留学生が紹介してくれた『一人之下(ひとりのした)』(米二/天津動漫堂)は、2015年からテンセントコミックで配信されているウェブトゥーンだ。主人公は秘められた超能力を持つ若者・張楚嵐(ちょうそらん)。彼と同じような超能力を持つ人々は異人と呼ばれ、国営の配送会社の「速達」が密かに動きを監視している。「速達」に雇われた楚嵐が異人の絡む恐ろしい事件に巻き込まれていく、というサスペンスアクションだ。中国ではすでに100億ビューを超えているという。

2016年には中国のアニメ製作会社・パンダニウムの手でつくられたテレビアニメ版が日本でも放映され(東京MX系列)、2017年からは原作の日本語版が集英社のWEBマンガサイト「少年ジャンプ+」でも配信されている。

別の留学生が紹介してくれた墨飛×BING『閻王法則』もテンセントコミックのヒット作だ。こちらもサスペンスアクションだが、縦スクロールで読ませるテクニックは『一人之下』よりも進化している。

墨飛×BINGの『閻王法則』。

2000年代のはじめから日本の出版社は中国企業との合弁で日本スタイルのマンガ雑誌を中国国内に普及させようと努力してきた。内容は日本のヒット作と中国の新人の作品を抱き合わせて編集するというものが中心だ。2012年には講談社が、日本の雑誌づくりのノウハウを中国に移植する目的で、広西出版伝媒集団との合弁で月刊誌「勁漫画(チンマンファ)」を創刊した。この雑誌の執筆陣はすべて中国の作家で、講談社は編集プロダクションとして中国人編集者をサポートするというのが特徴で、2015年には中国国内で新人マンガ賞を創立するなどもしている。

集英社も杭州市の翻翻動漫や中国国際動漫組織と手を組んで2006年から中国国際ストーリー漫画コンテスト「新星杯」を運営するほか、正規版の翻訳出版によって日本マンガの普及につとめている。

しかし、中国政府の規制や海賊版の横行の影響に加えて、広い国土を持つ中国で、日本のように全国津々浦々に雑誌を届けることは、インフラ面でもコスト面でも無理があった。

2000年代初頭の中国の若者はネットカフェなどで電子版のマンガを読んでいた。彼らが読んでいた電子版には日本マンガの海賊版が数多く含まれていた。スマホの登場によって中国の電子版マンガ読者はそのままウェブトゥーンに流れた。固定電話が普及していない中国では携帯電話やスマホは必需品であり、「誰もが持っている携帯端末が最良の読書端末になる」という法則はここでも生きていたのだ。

先に紹介したJETROの調査では、中国でのマンガ・アニメアプリの市場は快看漫画(クァイカンマンファ)とテンセントコミックがほぼ市場を二分していると紹介している。

「快看漫画」のスマホ版トップページ。

快看漫画は、中国の人気女性マンガ家・陈安妮(チェン・アンキ)が2014年にスタートさせたマンガ・アプリで、登録者は1億3000万人。アクティブユーザーは月に1506万人に登る。ユーザーは大人の女性が多く、腐女子系の作品が中心。一方のテンセントコミックは、アリババ、ファーウェイと並ぶ中国三大IT企業の一角・謄訊(テンセント)グループが2012年にスタートさせたマンガアプリだ。登録者数は1億9200万人。アクティブユーザーは月に1478万人。子ども向けから若者向けまで幅広いジャンルを扱っているのが特長だ。

これに続くのが、日本の集英社と提携して『ドラゴンボール』『スラムダンク』などの配信を手がけている漫画島で、日本の他にアメリカ、香港、韓国、台湾などのマンガの翻訳を配信して、アクティブユーザーは月に572万人。2015年に政府の規制で一時サイトを閉鎖された影響があるかもしれないが、翻訳ものが中国国内のオリジナル作品に押されているという構図も見えてくる。

マンガ産業からACG産業へ

まあここまでは「マンガの大変革」と呼ぶほどのことではないだろう。

私が注目しているのは、テンセントグループが進めようとしているコンテンツ戦略なのだ。中国のSNSである「徴博(ウェイボ)」の中でも二大勢力と言えば、新良(シナ)・グループの「新良徴博」とテンセントグループの「謄訊徴博」だ。ユーザーはそれぞれ2億人を超えると言われている。

テンセントコミックはこの謄訊徴博と連動している。マンガ家は謄訊徴博にウェブトゥーンの作品を投稿し、その中でアクセスの多い作品はテンセントコミックでも配信されるようになっているのだ。投稿作品に原稿料は発生しないが、テンセントコミックで配信される場合は、広告収入の一定割合がマンガ家に支払われる。

この広告収入が大きいのだ。人気マンガ家は日本の原稿料や出版印税を遥かに超える収入を得ることができる。「中国には年収が億単位のマンガ家が何人もいる」と言われて久しいが、そのからくりがこの広告収入なのである。

さらに、テンセント・グループはその主力部門であるオンラインゲームの世界にもマンガのキャラクターを利用している。先に紹介した『閻王法則』はオンラインゲームにもなっているのだ。

さらに、テンセント・グループの中には、包括的業務提携を結ぶ上海の絵夢(えもん)アニメーションや、『キングコング 髑髏島の巨神』(レジェンダリー・ピクチャーズとの共同製作)や『ワンダーウーマン』(DCフィルムズほかとの共同製作)を製作したテンセント・ピクチャーズがあり、企画段階からハリウッドでの映画化も視野に入れていると言われている。

つまり、日本ではマンガは出版社が、アニメはテレビ局やアニメ会社が、映画は映画会社がと独立しながらメディアミックスがなされているが、中国ではテンセント・グループとテンセントが出資する企業を通して、ほぼワンストップでコンテンツを利用する形が生まれているのだ。

謄訊徴博のライバルである快看漫画も、登録されているコンテンツをワンストップで利用するために、配信作品のテレビ化、映画化に積極的で、2017年から2019年までの3年間に5億人民元(86億5000万円)を投じて、作品の質量両面での強化に取り組むと発表した。

中国からの留学生によれば、これらはアニメ・コミック・ゲームの頭文字をとって「ACG」産業と呼ばれているのだという。

日本人にとっては、マンガとアニメとゲームは別物だが、中国では日本のマンガはアニメから入って、興味があれば読むもので、原作という認識がない。マンガを描いている若者たちも「マンガ家」という職業を目指しているのではなく、ACG産業のコンテンツビジネスを担っているという意識なのだそうだ。

その一方で、中国の若いクリエーターたちの中には、大企業のACG産業に組み込まれるのではなく、自前のメディアを持って作品を発表する方向を模索する動きもある。自身のホームページをつくってそこに作品を発表し、広告収入や読者からの「投げ銭」で資金を調達するという手法だ。クラウドファンディングの中国版である。これを紹介してくれた留学生は、「セルフメディア」と読んでいたが、これに利用されているのがWeCHATであると聞いて驚いた。

実は、WeCHATはテンセントが提供するメッセンジャー・アプリなのだ。どうも、中国の巨大情報企業グループは自国内のコンテンツ全てを飲み込み、やがて、周辺の国々のコンテンツ産業も飲み込もうとするのではないか、と思えてくる。

はじめに中央と周縁の話を書いたが、このままでいくと中国という新しい「中央」が生まれて、日本が「周縁」に追われる可能性がない、とは言い切れない。そうならないために、マンガ、アニメ、ゲームといった垣根を越えた新しいコンテンツの企業形態が必要だと痛感している。それこそが、マンガ(もうマンガとは呼べないかもしれないが)の新しい道を開く近道だと思えるのだ。

(つづく)

21世紀に万葉集と出会い直す

2019年4月7日
posted by 仲俣暁生

新しい元号の典拠となった効果で、万葉集関連本が売れているという。さっそく地元の町の本屋に出かけてみたら、岩波文庫の『万葉集(一)』と岩波新書の斎藤茂吉『万葉秀歌』(上下巻)が見つかった。新元号の典拠である第5巻「梅花の宴」序が収録されているため売れているという角川ソフィア文庫のビギナーズ・クラシックス・シリーズ版もあったが、こちらは約140首ほどの抄録版とのことで見送った。その後、出先でいくつかの書店を歩きまわり、岩波文庫版を(一)から(五)までなんとか揃え、さらに参考図書として大岡信の『私の万葉集(一)』も手に入れて読み始めた。

万葉集を「読む」ことの難しさ

万葉集の成立時期については諸説あるが、もっとも遅い時期の歌でも第20巻末尾の大伴家持歌(4516)の天平宝字3年(西暦759年)。あくまで伝承ではあるが最古の歌は5世紀末に実在したとされる雄略天皇の代まで遡る。だが万葉集の原本は現在に伝わっていない。私たちが目にできるのは写本や校本、それらを再編集した刊本でしかない。現存するもっとも古い写本は桂本と呼ばれるものだが、それでも平安中期までしか遡ることはできない。

万葉集とはその名で呼ばれてきた詞華集のテキストの束のことであり、真の姿に少しでも近いところへ到達するため、異本をつきあわせて本文を確定する校訂(校合)の作業が欠かせない。さらに万葉集の場合、残されたテキストをどう「読む(訓む)」のかが不明なものも多い。『万葉集』を「読む」ことの難しさは、まさにそれを「訓む」ことの難しさにあるのだ。

全20巻にわたる万葉集に収録されている歌は、長歌・短歌・旋頭歌などあわせて全体で4516。万葉集にはこれら日本語でうたわれた歌が、「万葉仮名」と呼ばれる漢字による書字システムで表記されている(目録や序は漢文)。言葉(言語)と文字とは別個のシステムであり、日本語という言語はいまであれば漢字仮名交じり文でもローマ字でもひらがな・カタカナだけでも表記できるが、万葉集の時代にはこれらの書記法はまだ存在しないから、先進文明国である中国の書字システムから漢字を借りて表記した。「訓読み」とは「クニ読み」つまり古来から日本語にあった言い方を漢字とマッチングさせたものだが、一度漢字にしてしまったものを「クニ読み」に戻すのは、時をへるほど難しくなっていくのである。

人麻呂の歌は「かぎろひのたつ」ではない?

ところでここまでの文章で、万葉集にカギカッコをつけている場合とつけていない場合があることに気づかれたと思う。二重カギで囲った『万葉集』はあくまでも現代的な出版流通のもとでの商品名である。「万葉集という本」を読む、ということが意味するものは複雑だ。古来からの写本のなかにはすでに失われたものも多い。だからこそ、万葉集のことを調べると日本における書物の歴史に一つの筋道が見えてくる。

万葉集のテキストの「訓み」が確定されていく過程はそのまま国文学の歴史といっても過言ではなく、それは同時に日本における書物史を象徴するものでもある。万葉集の訓読でもっとも早い時期に行われたのは源順ら「梨壺の五人」が「古訓」と呼ばれる訓みを確定した天暦5年、951年のことだという。これ以後も時代ごとにさまざまな注釈書がその正しい「訓み」を提唱し、字義の解釈を重ねてきた。近世以後にかぎっても契沖、賀茂真淵、荷田春満、本居宣長とスターのオンパレードである。

では現在すでに万葉集の「訓み」はほぼ確定しているのかといえば、そうではない。岩波文庫の『万葉集(一)〜(五)』は1999年から2004年にかけて刊行された岩波書店の新日本古典文学大系『萬葉集』に基づくもので、現時点では最新の研究成果が反映されていると考えられるが、『万葉集(一)』の解説では、有名な柿本人麻呂の以下の歌について詳しく触れられている。

 東野炎立所見而反見為者月西渡(巻1-48)

私は小学校か中学校で、この歌を「ひむがしの のにかぎろひの たつみえて かえりみすれば つきかたぶきぬ」と訓むと教えられた。これは賀茂真淵の改訓によるものだそうで、古訓では上の句が「あずまのの けぶりのたてる ところみて」とされていた。斎藤茂吉も『万葉秀歌』でこの古訓に触れつつ「かぎろひの」の訓を採り、「契沖、真淵の力で此処まで到達したのであり、後進の吾等はそれを忘却してはならぬのである」と述べている(岩波新書を買ってから気がついたが、茂吉のこの本はいまは青空文庫で読むことができる)。

「東野炎立所見」という文字列から、人麻呂が実際にどのような言葉でこの歌をうたったのかを推定するのは、どうやら専門家でも難しいようだ。万葉集の表記には「音仮名・訓仮名」と呼ばれるいわば当て字によるものと、元の意味を残し音を伝えない「正訓・義訓」とが混在しているが、この人麻呂の歌は後者によって表記されているからだ。

新日本古典文学大系の『萬葉集』と、それを踏まえたこの岩波文庫版では、この歌を「ひむがしの のらにけぶりの たつみえて」との訓みを採用している。その当否は素人にはにわかに判断できないが、多くの日本人が親しんできた人麻呂のこの歌でさえ、いまだに「訓み」が確定していないことに驚いた。その面白さと不思議さ、ここに至るまでの千年にわたる注釈・校訂の歴史には、正直、目が眩むような思いがする。

デジタル版万葉集で「奥書」を読む

幸いなことに、21世紀に生きる私たちは手軽にいくつものバージョンの万葉集を読み比べることができる。最新の研究成果をコンパクトに知りたければ、現行の岩波文庫の『万葉集(一)〜(五)』をはじめ、さまざまな監修者により多くの文庫本が出ている。また以前の岩波文庫版(佐佐木信綱編『新訂新訓万葉集』)は現在、やまとうたebooksというレーベルが出している電子書籍で簡便に入手できる。私はいまの岩波文庫版がなかなか揃わず、先にこちらのバージョンで「訓み」始めた。

岩波文庫旧版(『新訂新訓万葉集』)には、現行の岩波文庫版にはない「奥書」が末尾に載っているのだが、これがじつに趣深い。万葉集の本文とその「訓み」が確定されるに至った過程に起きた出来事や、その時代ごとの校訂者の名が織り込まれているからだ。

幾重にも入れ子状になっていてわかりにくいが(電子版ではなく印刷版の岩波文庫旧版を確認したところ、この奥書はあとで述べる「寛永本」の巻末にあったものだという)、「万葉第一奥書」のはじめには「本にいはく」のあとに「文永十年八月八日、鎌倉において書写しをはんぬ」とある。文永10年は西暦で1273年である。

奥書は続けて「この本は、正二位前大納言征夷大将軍藤原卿、はじめ寛元元年初秋のころより、李部大夫源親行に仰せ付け、万葉集一部を挍調して書本たらしめむがために、三箇の証本を以て、親行が本に比挍せしめをはんぬ」とあり、校訂作業がはじまったのは寛元元年(1243年)、すなわち「書写しをはんぬ」の30年前だとわかる。その際に照らし合わせた「三箇の証本」として「松殿入道殿下の御本」「光明峯寺入道前摂政左大臣家の御本」「鎌倉右大臣家の本」が挙げられる。

さらに「弘長元年の夏のころ、また松殿の御本、幷に両本尚書禅門真観の本、基長中納言の本なりを以て、再挍を遂げ、文理の訿謬を糺しをはんぬ。また同じき二年正月、六条家の本を以て比挍しをはんぬ」とある。弘長元年は1261年である。

この校訂者(仙覚)は「六条家の本」とも比校を行ったとし、その奥書もこのなかで引用している。そこには「承安元年六月十五日、平三品経盛の本を以て、手づから書写しをはんぬ」という「従三位行備中権守藤原重家」による文がある。承安元年は1171年、平家の最盛期である(経盛はその14年後、壇ノ浦に沈む)。先の「三箇の証本」の一つの持ち主だった「鎌倉右大臣」とは金槐和歌集を残した歌人でもある鎌倉幕府三代将軍・源実朝であり、建保7年(1219年)に暗殺される。仙覚が校訂したこのテキストには、期せずして源平両家の悲運の二人に伝わった本が流れ込んでいることがわかる。

この奥書はいったん「文永三年歳次丙寅八月廿三日 権律師仙覚これを記す」で終わる(文永3年は1266年)。ここまでは仙覚が書いたものだろう。だが、このあとには続けて「書写の本にいはく應長元年十月廿五日、相伝の説を以て、秘訓を残さず、源幸公に授け申しをはんぬ」と「桑門寂印」の名による署名がある(應長元年は1311年)。そしてさらに「文和二年癸巳中秋八月二十五日権少僧都成俊これを記す」で終わる、別の長い奥書が続く。文和2年は南北朝期の1353年で、僧都成俊はこの時代の代表的な万葉集研究者である。仙覚の校訂は新点と呼ばれ、それ以前の古点・時点とは区別される。新点による本を仙覚本と呼ぶが、そこからさらに寂印、成俊を経たこの系統の万葉集伝本を「寂印・成俊本」というらしい(この系統以外で伝わってきた、より古い訓を残すものを「非仙覚本」という)。

古活字本から岩波文庫を経て、デジタルアーカイブまで

ところで佐佐木信綱編の『新訂新訓万葉集』の末尾には、さきの奥書に続けて「寛永弍拾年癸未蠟月吉日 洛陽三条寺町誓願寺前安田十兵衛新刊」とあり、寛永20年つまり1643年に「刊本」として京都の安田十兵衛によって出版されたことがわかる。いわゆる「寛永本(寛永版本)」である。

ここまでくれば国立国会図書館のデータベースを使えばよい。「安田十兵衛 万葉集」で検索すると同年に刊行された「万葉和歌集」がヒットする。全ページがインターネット上で閲覧できるので確認すると、刊本としての奥書は『新訂新訓万葉集』と同一だがさらに書き込みがあり、元禄2年(1689年)4月に契沖の手による「校讎(校合)」を経ていることや、さらに幾人かの手を経たこと、そして最後に享保16年(1732年)の日付を記して終わっている。これでようやく18世紀までやってきた。

国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている寛永年間に刊行された『万葉和歌集』。

この寛永本を土台に、明治45年(1911年)から佐佐木信綱・橋本進吉・武田祐吉らが校訂作業を開始したのが岩波書店の『校本萬葉集』だ(刊行は13年後の大正13年、1924年から)。そのエッセンスが佐佐木信綱編『新訓万葉集』(上下巻)であり、これは1927年に創刊された岩波文庫の劈頭を飾っている(たまたま手元にあったこの旧版は1998年5月で85刷を数えていた)。

斎藤茂吉の『万葉秀歌』が1937年に創刊された岩波新書の第一回配本であったことと考え合わせると、「文庫・新書」という日本の現代出版流通システムの胎動期において、万葉集がきわめて重要な役割を果たしたことがわかる。そしていまの岩波文庫版の基礎となった新日本古典文学大系版『萬葉集』は、1999年から刊行が始まり2004年に完結した、まさに21世紀版の万葉集ともいえるものだ。それが安価な文庫本で手に入ることの喜びはおおきい。

万葉集を入り口に日本の書物史を紐解き、さらに万葉集が影響を受けたさまざまな漢籍まで遡っていけば、「グーテンベルクの活版印刷術発明」から語り起こされるものとは別の、東洋における豊かな「本」の歴史が見えてくる気がする。これこそが本の力である。

「新元号」の前夜より

2019年4月1日
posted by 藤谷 治

第14信(藤谷治から仲俣暁生へ)

仲俣暁生様

前回のお手紙をいただいたのが2019年3月28日で、僕がこれを書いているのは3月31日です。29日には荻窪でお会いして、マキューアンの『贖罪』について楽しくお話ししました。

「21世紀に書かれた百年の名著」というのは楽しい企画で、大いに楽しみにしています。その第1回に『贖罪』が取り上げられたというのも、あれこれ思いを巡らさせます。20世紀について考えるために19世紀のオースティンまでさかのぼり、2001年に刊行された小説である『贖罪』は、僕たち日本人も含めた世界中の文学者たちが範とした(反抗し、批判するための範でもあるでしょう)イギリス小説の結晶・代表としてふさわしいものです。

28日に手紙を受け取り、29日に『贖罪』を語り合い、今日が31日。では昨日30日は何をしていたかというと、僕は病院に行っていました。2年前に受けた下垂体の手術の予後を見るために、MRIの検査を受けたのです。下垂体にできた腺腫のために末端肥大症になり、それで僕の鼻や指や足はこんなにもバカでかいのです。手術は成功しましたが、どうやら予後を慎重に検査しないといけないらしい。検査の過程で大腸にポリープが見つかりましたので、5月にはまたしても入院しなければならないと、昨日は医者に告げられました。

55歳を老年だとは、さすがに思わないけれど、老いました。社会人になりたての頃、五十代の上司などが、俺はまだ若いとか、二十代の時と変わらない、などと言っているのを、そんなわけねーだろと思いながら聞いていました。ああいう滑稽な若ぶりの人間には、なりたくないものです。普段僕は、むしろ実感よりも衰えていると周囲に吹聴するように心がけています。「若い者に負けない」ことの、どこが偉いのかも判りませんし。

仲俣さんのいう「自分の読書生活の中心を『新刊ではない本』に少しずつ、移したい」というのが、古典回帰という意味でないのは理解しています。そもそも古典というのは回帰できる場所ではなく、人間が個々に発見し、たどり着くよりほかにないものでしょう。古典を所与のもの、すなわち情報として与えて能事足れりとするのは、「教育」とか「啓蒙」の最大の欠点です。

しかしこの欠点を克服し批判して進まなければならないのもまた教育の、啓蒙の責務でもあります。仲俣さんのいう「引いた目で『同時代』を眺める」の「引いた目」とは、恐らく単なる時代の鳥瞰ではなく、流行の中に不易を見つける、その発見のことでしょう。現代文学を古典たらしめる、というのとも、それは違うかもしれません。

先日の「21世紀に書かれた百年の名著」をめぐるトークイベントで、僕が江藤淳の名前を出したのは、そういう連想が短絡的に脳から出てきたためでした。

今の僕は江藤淳の著作に対し、そこに現れている思索の軌跡については、けっこう大きな疑問符をつけないではいられません。しかしそれでも、その文章の魅力や文学への愛は変わらずに尊敬しています。

とりわけ『成熟と喪失』には思い入れがあります。これは、あちこちで喋りもし書きもしたと思いますし、僕だけの経験ではないようですが、あの長編評論がなければ、僕は生涯、小島信夫という作家を知ることはなかったでしょう。いや、それこそ「情報」として知り、読むことはあっても、なんだこれは、どういうことだと、前のめりになって「発見」し続けようとはしなかったはずです。同じように僕は、『なつかしい本の話』によって伊東静雄を、『昭和の文人』によって中野重治を「発見」しました。

発見したのは僕です(僕の読書を発見するのは僕以外にあり得ません)。しかしその発見をうながす、いわば「発掘」をしたのは、江藤淳なのです。この「発掘」こそ評論者の役目であり、この役目を大きく果たしたという一点によって、江藤淳は僕の中で偉大な評論者であるのです。

批評とはそのようなものでした。江藤淳に限りません。間違っているかもしれませんが、柄谷行人の著作なくして、果たして中上健次はあれほど重要な作家として遇されたでしょうか。小林秀雄のいない中原中也にさえ、小宮豊隆のいない夏目漱石にすら、同じことを僕は思うのです。中上や中原は、今や偉大な文学者として歴史上に地位を得ているでしょうが(漱石は言うに及びません)、彼らがあたかも初めから文豪扱いされていたと見るのは、恐らく、正確で充分なパースペクティブではないでしょう。

こんにち、そのような批評はどこにあるでしょうか。溢れかえる新刊小説の流れを押しとどめ、世間のざわつきなど、あってなきが如く振る舞い、ただ一人の作家、ただ一作の小説を見つめる批評は。「これは傑作である(ハイ次)」「これは必読である(ハイ次)」と片付けているのも同然な書評なら、毎週、毎日のようにインターネットや新聞雑誌で見かけるのですが。

批評の凝視に耐える文学が、現代にひとつもないとは決して思わない。日本に限っても、そのような文学は必ずあります。村上春樹論のように、すでにある広範な読者の支持に追随して論じるのではなく、またベストセラー論のように、文学を社会現象として捉える(これもまた別種の追随でしょう)のでもない、批評者が独自に凝視する批評を、文学は待っているのです。

2019年3月31日にこんな話を書くのは、僕にとっては印象的です。

明日には平成の次の元号が告げられます。つまり今日は、平成の次をどう呼ぶのかを知らずに過ごす、最後の一日です。

「平成の次」が始まるのは、5月からだそうですが、その頃には世界中が、日本でそれをなんと呼ぶかを知っている。今の僕はそれを知らない。この書簡が「マガジン航」にアップされる頃には、もう僕は皆と同様、「平成の次」を知っているのでしょう。

小説家としても、一個の成熟した人間としても、僕はこの「知らない」状態をしっかりと味わいたいと思っています。

それこそ21世紀の日本の社会で、新元号の制定ほどあからさまに、非民主的な制度はほかにないでしょう。日本国政府の首長たる総理大臣だって、一応は民主的な手続きを経て決められています(僕には全く不満足な手続きですが)。それは強制力を誇示しない強制、支配力のない支配であり、僕たちは――しかしこの場合の「僕たち」とは、どこからどこまでなのでしょう?――それに、拘束されないのに拘束されることになります。

そんな不可思議な、不条理な、しかも極めて人工的な時間区分が造成されることに、僕は不愉快を感じていません。なぜなら僕は、知らないからです。そのような文字に自分(たち)の時間が拘束されるのか、どんな漢字ふた文字で呼ばれることになるのか、見当をつけていないからです。明日になれば、僕はどんな風に思うでしょう。今の自分が不愉快でなかったことに、後悔を感じるか、安堵を覚えるか。

仲俣さん、これが明日を前にした人間の、ありのままの姿ですよ。今の、今日の姿が。明日には忘れられてしまうこの平凡な姿こそ、知らない未来が間違いなくやってくる、その未来を前にした人間の姿なのです。

明々白々ではないか――ひとりの人間がもうひとりの人間を待つというのは単純な足し算であって、感情が宿る余地などない。待ってます、か。ひとりの人間がしばらく何もしないでいて、もうひとりがそっちに近づいていくというだけだ。「待つ」とは重い言葉だった。外套のような重さでのしかかってくるのが感じられた。地下室の全員、浜にいる全員が待っていた。彼女は待っているに違いないが、だから何だ? 彼女の声にそれを言わせてみても、聞こえるのは自分の声、脈打つ心臓の下あたりから伝わってくる自分の声にすぎなかった。彼女の顔さえ思い浮かべることができなかった。新しい状況――自分を幸福にしてくれるはずの状況――に考えを向けようと彼はつとめた。けれどもその細部は彼にはリアルに感じられず、切迫の度合いも失われていた。
(イアン・マキューアン『贖罪』小山太一訳)

明日が楽しみです。そしてその明日とは、皆さんがこれを読んでいる、今のことなのです。

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21世紀のモダン・クラシックスを考える

2019年3月28日
posted by 仲俣暁生

第13信(仲俣暁生から藤谷治へ)

藤谷治様

明日の夜に、荻窪の本屋Titleというお店で藤谷さんをお招きして行うトークイベントの準備をしながら、このメールを書いています。せっかくなので今回の手紙は、この企画の趣旨を説明するところから始めさせてください。

僕は「kotoba」という季刊の雑誌に創刊時から関わっています。以前はメディアについての本を紹介する書評の連載をしていたのですが、何度かのリニューアルを経ていまのかたちになったのを期に、また新しい連載を始めることになりました。そのコンセプトは「新刊書ではない本を紹介する」。僕はほかの雑誌や新聞でも書評を書く機会が多いのですが、どうしても「新刊紹介」にならざるを得ない。書評は出版社による本の販売促進のシステムに組み込まれていて、書き手同士のあいだにも互恵的ともいうべき本のやりとりの習慣があり(こちらについては僕は肯定的ですが)、ともすれば書評もそのようになりがちです。

ただ、あまりにも本の情報が新刊偏重であるために、わずか5年、10年前、それどころか一年前や半年前に出た本でさえ、あっという間に人々の視野から消えてしまうことには、書き手としてだけでなく、読者としても虚しさを感じます。僕らがまだ若い頃、たとえば村上春樹の『羊をめぐる冒険』や村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』は、もう少し長い時間をかけて読者に浸透していったし、また長く話題に登りうる本だったように思います(もちろん、単行本と文庫化のタイミングで二度、話題になるということも含めて)。

でもいまは、あまりにも多くの本(しかもそのなかには、皮肉なことですが「良書」も多いのです)が出すぎているために、僕のように出版メディアそのものを論じることが仕事の一部であるような者にとってさえ、自分がぜひとも読むべき本と日々出会いそこなっている気がしています。

それはニッチなジャンルの本に限りません。ここでいきなり「古典」というと意味が広くなりすぎてしまうので「モダン・クラシックス」という言い方をしますが、少なくとも数十年は読みつがれておかしくない、その分野の読み手の間では定評が固まっている著作でさえ、いまは書店の店頭で簡単には手に入らない、少なくとも新刊書(ここではこの言葉を「古書ではない」という意味でつかっています)として手に入れることが難しい状況が続いています。

それで今回、新しい連載の話をいただいた機会に、とにかくロングライフな本、あるいはそのように読みつがれてほしい本を取り上げて、あえて「百年の名著」として打ち出そうと考えたのでした。

ただし選ぶ本の範囲を広げてしまうときりがないので、21世紀に入ってから出版された本という枠をはめました。いまはちょうど平成という時代の終わりに差し掛かり、この30年間を振り返る企画が花盛りですが、僕のなかではどうしても平成初期の約10年間と、21世紀に入ってからの約20年間との間に断絶があるのです。

思えば藤谷さんが小説家としてデビューしたのも、僕が文芸評論の本を書いたのも21世紀に入ってからです。出版という営みにはっきりとアゲインストの風が吹き始めるのは平成も後半に入ったこの頃からですが、自分自身はそのなかで、本の書き手として遅いデビューを果たしたという自覚があります。

そんな僕が勝手に選ぶ「名著」ですから(しかも季刊誌での連載なので、年に4冊しか選べません!)書きっぱなしではこころもとない。そこで本を選んだ理由やその評価、できることならば今世紀における「名著」や「古典」の条件について、この連載記事が掲載された号が出たあとで、毎回誰かと話をしてみたいというのが、明日お越しいただくイベントの趣旨なのです。

初回に選んだのは、イアン・マキューアンの『贖罪』です。この本はとっくの昔に文庫化されていたのですが、昨年暮れにあらためて一冊にまとめたかたちで再文庫化されました。最初の二分冊による文庫化のときにも手にとった記憶がありますが(そしてもしかしたら買った記憶もあるのですが)未読のままになっていました。マキューアンはその後に出た『ソーラー』が面白く(藤谷さんとこの本をめぐって少し話をしたときは、意見が合わなかったことを覚えています)、最近の作品も手元にあるものの、なかなか読むきっかけがなかったところ、今回の再文庫化がとてもいい契機になりました。

文庫本がもつ役割は本来、このようなかたちでモダン・クラシックスを確定していくことにあったと思います。でもいま、文庫本はあまりにも大量に出過ぎており(その背景には一作あたりの部数減があるわけですが)、その結果ひとたび文庫化されても書店の棚につねに置かれるとは限らない、という状況が続いています。確実に手に入れるにはむしろブックオフに行ったほうが早い、というような逆説的なことさえ起きている。

そうしたなかで、バーチャルなかたちでもいいので僕なりに「モダン・クラシックスの条件」を考えてみたいのです。このアイデアの原点は丸谷才一・三浦雅士・鹿島茂の三氏がかつてやった『文学全集を立ちあげる』という座談会です。現実的に「世界文学全集」や「日本文学全集」を刊行することが難しくなりつつあった2000年代の初めに、それならばいっそのことバーチャルな企画として、いま文学全集を編むとしたらどうしたらよいか、そのラインナップを思う存分論じてみようという痛快な読み物でした。

その後、河出書房新社から池澤夏樹編による世界文学全集と日本文学全集が相次いで企画され、後者はいまも刊行中ですが、丸谷才一・三浦雅士・鹿島茂の破天荒な試みにくらべると(なにしろ実現すると全300巻にもなります!)ささやかな出版企画に見えます。ましてや僕の連載は年4作。3年続けても12作しか選べませんから、一作ごとのセレクトには気を使います。でもこういうゲームを皆がしてみたらよいと思い、あえて誇大広告気味のタイトルを掲げた次第です。

明日の会場を提供していただく荻窪の本屋Titleは素敵な店です(藤谷さんはもういらしたことがあるでしょうか)。昔ながらのごくふつうの町の本屋という佇まい(もともとはお肉屋さんだったそうですが)と、コンパクトながらも考え抜いて選ばれた本が与えてくれる安心感、二階のギャラリースペースの展示や、お店の奥のカフェスペースなど、「こんな本屋が家の近くにあったらいいな」と思わせてくれます。JRのふたつの駅どちらからもずいぶん遠いのに、わざわざ足を運ぶ方が多いのは当然でしょう。

もちろんそれはこのお店を開いた辻山良雄さんが、リブロで長い経験を積んだプロの書店人だからです。辻山さんはとても落ち着いて見えるのでうっかり誤解してしまいますが、僕や藤谷さんよりは一回り近く若い世代です。プロフィールを拝見すると1997年にリブロに入社とありますから、辻山さんが本格的に活躍なさるようになったのは21世紀に入ってから。つまり日本にもアマゾンという強敵が上陸したあとに、現場の書店人として苦闘をしてきた方です。21世紀になってから生まれた百年後にも読みつがえるべき本について語るイベントを、僕が本屋Titleでぜひやりたいと考えた理由の一つがそこにあります。

僕はいま、自分の読書生活の中心を「新刊ではない本」に少しずつ、移したいなと考えています。もちろん「書評」という仕事には同時代批評という役割があり、同時代の作品に対するリアルタイムの伴走者であることは、批評家や評論家にとってかなり大切な機能です。でも同時に、もう少し引いた目で「同時代」を眺めることが、そろそろ僕らぐらいの年齢になると必要になってくる気がします。

平成元年にまだ25歳だった自分にとって、1990年代は十分にリアルタイムの時代でした。眼の前で起きるいろいろな出来事を、歴史のなかに位置づけることはまだ不可能で、むしろ切迫した同時代感覚のなかで、それをどのように言葉にするかを考えていた気がします。

でも21世紀は僕らにとって、中年以後の時代です。そしてそろそろ、人生の最終コーナーも見えてきた。そんな自覚のなかで、これからの時代に読みつがれるべき「百年の名著」を自分なりに考えてみたいと思っています。明日の夜、またお目にかかれるのをとても楽しみにしています。

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【お知らせ】
「21世紀に書かれた百年の名著を読む」第1回
仲俣暁生×藤谷治「イアン・マキューアン『贖罪』を読む」

3月29日に東京・荻窪の本屋Titleにてトークイベントを開催します。開始時間は19時30分。料金は1000円+ドリンク代500円、定員は25名です。詳細な内容と参加申し込みは以下のサイトをご覧ください(満席の際はご容赦ください)。
http://www.title-books.com/event/5955

第2回 ブックオフ・図書館・コンビニ

2019年3月19日
posted by 谷頭 和希

図書館とブックオフはどう違うのか?

前回、ぼくたちは本をめぐる風景の中に突如として入りこんできた、「ブックオフ」という奇妙な書店について、それを「図書館」としてとらえ直すことができるのではないかと考えてみた。今回からは実際にいろいろな角度からブックオフについて考えてみよう。

さっそくぼくたちが考えなくてはならないのは、図書館とブックオフのちがいについてである。ぼくは先に、ブックオフは図書館に似ている、と述べたけれど、普通にかんがえるならばそれらは本質的にまったくちがうものだ。でもむしろそれらが似ているという認識に立ちながらその差を見てみれば、ブックオフ的空間の特徴がよりきわだってみえてくるかもしれない。

結論を急いで述べてしまうなら、その違いは本の選定基準にあらわれる。どういうことか。図書館とは図書館法に基づいて地方自治体が作り出す「公共」施設だ。そしてその「公共」という言葉が意識されるあまり、そこで置かれる本にはおおくの選定基準が設けられている。一例として全国学校学校図書館協議会が発表している選定基準から「まんが」の項目を引いてみる。

(1) 絵の表現は優れているか。
(2) 俗悪な言葉を故意に使っていないか。
(3) 人間の尊厳性が守られているか。
(4) ストーリーの展開に無理がないか。
(5) 俗悪な表現で読者の心情に刺激を与えようとしていないか。
(6) 悪や不正が讃えられるような内容になっていないか。
(7) 戦争や暴力が、賛美されるような作品になっていないか。
(8) 学問的な真理や歴史上の事実が故意に歪められたり、無視されたりしていないか。
(9) 実在の人物については、公平な視野に立ち、事実に基づき正確に扱われているか。
(10) 読者対象にふさわしい作品となっているか。
(11) 原著のあるものは、原作の意が損なわれていないか。
(12) 造本や用紙が多数の読者の利用に耐えられるようになっているか。
(13) 完結されていないストーリーまんがは、原則として完結後、全巻を通して評価するものとする。

このハードルは高い。もちろんこれは子どものみが利用する学校図書館の基準であって極端なものではあるし、図書館という言葉の中には私設の図書館も含まれるから、一概にすべての図書館の選定基準がこのようであるとはみなせない。でも、しばしば、公立図書館から「~の本を撤去せよ」とか、「~の本があるのはおかしい」といった陳情が聞かれるように、そこで置かれる本は「公共」の名の下で多くの制限がかかってしまうことは認めざるを得ない事実である。例えば戦争体験の悲惨さを描いたまんがとして名高い『はだしのゲン』などは何度もその憂き目にあっているし[1]関連記事)、大阪の公立図書館から男性同士の同性愛を描く、いわゆる「BL本」が撤去されたという事件もある[2]

一方、ブックオフに置かれるか否かの選定基準となるのは良くも悪くも「見た目のきれいさ」だけであることは先述したとおりであって、そこには「公共」を意識した振る舞いは(もちろん最低限のゾーニングはあるけれども)みられない。むしろ、それとは反対に、ありとあらゆる人々にとっての不要な本が確固たる方向性をもたずに、いわば「非意図的」に積み重なっているのではないか。

この意図/非意図という言葉こそが重要になる。

ちょっとブックオフの棚をのぞいてみよう。そこには、誰もがその名前を聞いたことのあるようなベストセラーから、こんなのいったい誰が読んだのだろう、というぐらい変な本やマニアックな本までほんとうに雑多に、ガラクタになってしまった本が集積している。

たとえばブックオフ早稲田店をみてみる。その音楽棚にはなぜか、楽譜屋でしか売ってないバッハ『ブランデンブルク変奏曲』のスコアが置いてあったり、やはり学生が周りに多く住んでいるからなのだろうか、過去の赤本や果ては早稲田大学の授業で用いられる教科書さえも(!)ぎっしりと置いてある。それから出版史の専門書『日本出版百年史』も売っていた。おそらく研究者や業界関係者以外買わないだろうが、一体誰が買取に出したのだろう……。

[1]  https://www.huffingtonpost.jp/2014/04/21/hadashi-no-gen_n_5188255.htmlを参考のこと。
[2] 現在、この騒動についての堺市図書館によるコメントが掲載されているサイトはリンクの有効期限が切れてしまっており読むことができない。しかし、騒動を受けて撤去したはずの本の貸出禁止を堺市図書館が突然解禁した記事は以下のURLから読むことができる。https://www.huffingtonpost.jp/2014/04/21/hadashi-no-gen_n_5188255.html

フランチャイズ・チェーンとしてのブックオフ

さらに、ここで重要になるのはFC(フランチャイズ・チェーン)としてのブックオフの姿である。FCとは本社が事業展開を行うとき、個別の小売店に対してその経営ノウハウやブランドロゴなどを提供する代わり、小売店から本社に対してロイヤリティーを払うという事業展開の形態で、いわゆる「チェーン」と言われる多くの会社がこの方法で店舗網を拡大させている。日本におけるFCは1970年代初頭からスタートされた。最初はケンタッキー・フライド・チキンや不二家といった飲食店から徐々にその業態がひろがったわけだが、日本においてFCの仕組みでもっとも花開いた業種にコンビニエンスストア業界を挙げることができるだろう。1973年にファミリーマートとローソン、1974年にセブン・イレブンが創業し、現在に至るまで日本全国津々浦々にその店舗を展開し続けている。

消費生活コンサルタントとして、コンビニについての著書を数多く執筆している加藤直美はコンビニを「日本の文化である」と言い切っている(『コンビニと日本人:なぜこの国の「文化」となったのか』等。後述)。あるいは建築家の伊藤豊雄はコンビニを現代日本の最も優れた建築物だと主張して、実際に代表作である「せんだいメディアテーク」には「情報のコンビニ」というテーマを与えている[3]

このように経済面のみならず、文化的な面にまで広く影響をあたえながら一般に浸透しているコンビニだが、同じFC型の店舗として、コンビニとブックオフというのはどこか似ているところがあるとはいえないだろうか。

昼夜を問わず明るい蛍光灯に照らされていること。店内はグリッド状で見渡しやすいこと。

ありとあらゆる種類の商品が揃っていること。

ある意味で、「コンビニとしての本屋」がブックオフなのだということもできそうだ。

ブックオフもFCとして店舗を拡大させているが、そこで各店舗に置かれる商品は本社から送られてきた古本だけではないということにミソがある。そこではオープン時にのみ本社から古本が提供されるだけで、その後の商品は地元での買取を中心としておこなわれ、その周辺住民が読んでいたさまざまな本がそこに集まってくる。だからその商品棚は(もちろんベストセラーなどが多く集まるという点では一致するかもしれないが)地域によってばらつきがあり、そして商品の選定がある程度は偶然的になる。そこでは従来の本屋や図書館がそこに置く本の種類を決めてそれを客に見せるというモデルではなく、地域住民とのインタラクティブ(地域住民が読まなくなった本を買取に出す)がうみだす偶然性の中でその店舗の形が決定づけられてゆくのだ。

そのような点において、地域住民の声にならない声が反映された、そして図書館の「用意された公共」ともちがう、またことなる公共性をもつ空間ともいえる店舗がそこに誕生しているのではないか。これがブックオフの独自性なのである。

[3] 伊東豊雄×坂本一成×篠原一男「建築の問題は『コンビニ』から生まれる?」(『世紀の変わり目の「建築会議」』、建築技術、1999年)などを参照。

コンビニとブックオフはどう違うのか?

先ほども言及した加藤直美の著書『コンビニと日本人』では各店舗のコンビニの店舗設計について以下のような興味深い言及がされている。

コンビニ店舗での商品の売れ行きは、各店舗の立地条件や地域性によって異なりますので、細かく分析され、各店舗に合った品ぞろえになるよう日々調整されています。この分析に使われるのは、各店舗の売り上げや客層などの個別データ[……]、地域の祭事や行事、天気予報、チェーン本部が独自に収拾しているデータなど幅広いものです。
背景には、大量のデータや情報(ビッグデータ)を蓄積したり、素早く解析したりできる技術の進歩があります。

このようにそれぞれのコンビニはどの地域にでもある、いわば均質なイメージとして自社チェーンの店名を掲げる一方、ビッグデータの処理といった技術的な進展によってそれぞれの地域の住民に最もフィットすると思われる商品を過不足なく仕入れて売っているために、その店内商品は決して均質にはなり得ない。つまりそれぞれの地域によって異なる店舗をそこに出現させているのであって、コンビニにおいては「均質であること」と「異なること」が奇妙な形で結合しているのである。そうした意味では、ブックオフも、地域住民の蔵書に影響された店舗を作り出すという点において、均質な店名と差異にあふれた店舗構成が奇妙に結合している。

一方でこの二者には違いもある。コンビニのようなFCがビッグデータのようなテクノロジーを動員し、住民のニーズに合わせながら過不足なく商品を供給することに興味がむけられていたのにたいして、ブックオフではその商品が周辺住民が消費した本によって決められるために、その陳列される商品は本来、店にとっては(およそ売れる見込みのない)不要なものさえ紛れ込む可能性がある。それは前項で実際にブックオフの店舗を見ながら確認したとおりである。つまり――この言葉がいいのかわるいのかわからないが――ある意味で過剰で非合理的とさえいえる商品の陳列がおこなわれることになるのだ。あるいは、わたしたちの目から見れば過剰で非合理に見えることでも、ブックオフ側からすればそれが適正であり、合理的であるような新しい論理が、そこに立ち上がっているのだ。

例えばとあるブックオフの雑誌コーナーを見てみよう。

この写真に見られるように、ブックオフにある雑誌は同じ種類の異なる号が並んでいる場合が多い。これはある雑誌を定期的に購読していた人がそれらを買取に出すとき、同じ雑誌をすべて売ってしまうからであろう。このにはディアゴスティーニの『鬼平犯科帳 DVDコレクション』がずらっと並んでいる。しかも未開封のままで。こうした光景は通常の書店では見ることができない。正規の仕入れルートではそのようなことをしても儲からないし、やるだけ無駄である。しかしブックオフにはそうした今までの書店の秩序、あるいは倫理、あるいは原則は通用しない。それらとはまったく異なる秩序で――それはもちろんその買取システムによって生みだされる特有の秩序であるが――ブックオフは駆動し、私たちの前にその姿を現す。

ブックオフの本棚は以上のように、今までの販売論理でいえば店側にとって過剰、あるいは余剰、そして非意図的な要素がおおく入り込んでいる。もちろんこれはいままでの書店の秩序からブックオフを眺めた場合に出てくる言葉に他ならないわけだ。しかし、ブックオフから見ればそれらは過剰でもなければ余剰でもなく、むしろ合理的でさえある。そこで生み出される空間は図書館のような「あるべき公共」をあらかじめ目指して作られるのでもなければ、コンビニのように「地域に合わせて過不足なく商品を供給する」というものでもない、独特のFCシステムの結果として自然にできあがった空間であって、それはいままでの書店空間とはことなり、ときには余剰であって、ときには非意図的であって、ときには非合理的に見える。

少しずつかもしれないが、ブックオフという「新たな公共圏」の姿がぼくたちの前にあらわれ始めたみたいだ。

(つづく)