ノンフィクションの書き手が発表する場(雑誌)が少なくなっているのは、今に始まったことではない。書くメディアの確保とともに、どのように調査・取材のための資金を調達するのかが課題になっている。
この10年近く、少年犯罪や犯罪被害者遺族の取材を中心に取材、執筆を重ねているノンフィクションライターの藤井誠二さんの場合、どのような模索や葛藤があるのか、お話をうかがった。
藤井誠二さんの場合〜有料メルマガをはじめた理由
2016年はテレビ情報誌「テレビぴあ」(ウィルメディア)、情報誌「クーリエ・ジャポン」(講談社)、30代の女性向けファッション誌「AneCan」(小学館)、「小学二年生」(小学館)などが休刊した。一方、新しい雑誌が誕生したという目立ったニュースはなかった。現在は、原稿料をどう得るのかだけでなく、取材費の確保も書き手自身の課題となってくる。以前よりもマネタイズ、マネージメントへの関心が出てきている。
有料メルマガは、収入を得るための選択肢の一つだ。藤井さんが有料メルマガをはじめたのは、2010年7月のこと。タイトルは「事件の放物線」(14年からは「The interviews High」と改名)。価格は月2回の配信で540円。配信会社は「フーミー(foomii)」だった。有料メルマガをはじめた経緯について、藤井さんはこう話してくれた。
藤井:もっと以前から(有料メルマガを)出そうと言われていたんです。でも、当時は大阪でテレビのコメンテーターの仕事があったり、東京でもラジオのパーソナリティの仕事もあり、書く仕事以外にも複数の仕事を抱えていましたので、メルマガを書いている時間もありませんでした。しかも、当初は「週刊で」と言われていたので、とても無理でした。ただ、単行本のベースになればいいと思って、発行することにしたのです。
書きためたものが単行本のベースになればいい。それは、どんなフリーのライターでも一度は考えることだ。藤井さんのメルマガは、それを意識した内容を配信していた。
第一回から本格的な内容(「死刑という罰の『手触り』 第一回 大阪姉妹殺人放火事件の遺族」)が掲載されていたことからも、藤井さんのメルマガへの意気込みがよくわかる。この内容が象徴するように、特に遺族の視点にこだわった事件物の記事を配信していたのである。また、藤井さんはパニック障害の当事者でもある。2011年7月25日に配信された「わがパニック障害記…ぼくにとって『パニック障害』とはなんなのだろう」では、自らの体験を赤裸々に書いている。
ニコ生、ヤフー個人にも参戦。発信の場が広がる
藤井さんはそもそも、自分から積極的にネットで配信しようとは思っていたわけではない。メルマガを始めたのも、たまたまフーミーのスタッフが熱心に声をかけ続けてくれたためだ、と言う。しかしこれをきっかけに、ネットで発信していく機会が他にも生まれた。ドワンゴが運営するニコニコ生放送内で、「ニコ生ノンフィクション論」という番組の司会と企画を担当することになったのだ。この放送は毎月第4水曜日だった。
第一回は2010年10月18日放送の「被差別部落を行く」 。『日本の路地を旅する』(文藝春秋)で大宅賞を受賞したノンフィクション作家の上原善広さんらを招いて、「取材魂」をインタビューしていた。私もこの番組に出させてもらったことがある。11年10月26日放送の「若者自殺大国・ニッポン」だ。このときは『リストカットシンドローム』(ワニブックス)の著者・ロブ@大月さんとともに、若者が自殺したがる背景を語り合った。
こうした取り組みを考えると、2010年頃の藤井さんはネットでの発信の場が少ないほうではなかった。その後、「Yahoo!ニュース個人」でも13年3月から配信を始めている。ここでも最初のころは、絶版になった『暴力の学校 倒錯の街――福岡近畿大付属女子高校殺人事件――』(雲母書房、1998年11月)を連載という形で公開していた。こうしたことを考えると、藤井さんは、ネットの発信の場としては、恵まれた場所を得ていたと思われる。
「発行ペースが守れない」と、有料メルマガをやめる
一方、これまで独自のニュース番組を製作してきたドワンゴが、その方針を見直す動きが出てきた。2011年12月、藤井さんの「ニコ生ノンフィクション論」も放送が終わってしまった。内にある動機とは別のところで、藤井さんは発信の場を失うことになった。
フーミーでの配信も、順調に続いていたように思えたが、そうではなかった。実は、藤井さん一人でメルマガを作っていたわけではなかった。配信記事はインタビューをもとにしたものが多いが、そのインタビューの文字起こしは“外注”していたのだった。
藤井:大学で非常勤で教えているのですが、インタビューの起こしのために、卒業生を2、3人雇っていたんです。単発のアルバイトとして頼んでいました。長さにもよりますが、一回で5千円から1万円を支払いました。
しかし、メルマガの会員は100人前後で頭打ちとなり、減りもしなければ、増えもしなかった。月数万円の収益のうち、その半分近くをインタビューの起こしに使っていることになる。これでは、メルマガを、仕事の主力として考えるわけにはいかない。生活のために他の仕事を優先しなければならなくなった。
藤井:そうしているうちに、発行のペースを守れなくなったんです。本当はもっと早くやめる決断もありえたのですが、少数でも応援をし続けてくれた方々への恩義もありましたし、他の仕事をやりながら、メルマガにどれぐらい労力や時間を割けば、細々ではあるけれど、もっと継続していけるのかを自分なりに実験しているうちに時間が経っていったという面もありました。
その結果、藤井さんは有料メルマガを2016年7月にやめることになった。最後の配信は16年7月28日配信号(「『裁かれなかった罪と、罰・漫画喫茶従業員はなぜ死んだのか』取材ノート その4」)。当時、月刊誌「潮」で連載していた記事について書いているものだった。
クラウドファンディングで取材費を集める
それでも他のノンフィクション作家に比べると、藤井さんはネットを使っての仕事に積極的に絡んでいるように見える。2016年4月には、沖縄の消えた買春街を追ったノンフィクション本をつくるため、クラウドファンディングのサービス「キャンプファイヤー」をつかって取材費を集めた(「沖縄アンダーグラウンド」戦後70年続いた買春街はなぜ消えたか」)。目標額は30万円だったが、1ヶ月弱で約51万円(パトロン数112人)が集まった。
これは、もともと藤井さん個人の企画ではなく、講談社の編集者が留学していたニューヨーク市立大学ジャーナリズムスクールでの実験企画として行われたものだ。この試みは、欧米で行われるようになったジャーナリズムに特化したクラウドファンディングを、日本で導入する場合の課題を探るものだった。
藤井:最初からの取材経費と見れば、この額では赤字です。ただ、このときは追加取材の費用の捻出でしたので、その意味ではよかったです。
今後、こうしたクラウドファンディングによるジャーナリズム支援はうまく行くのか。藤井さんはこう見ているという。
藤井:資金を出していただいた方と交流会を持ったりするなど、書き手と読者が水平で付き合っていくということも実感したし、事前にテーマに関心がある多くの方々に原稿を章ごとに送って読んでもらいながら一冊に仕上げていくという方法論を取りましたから、作品の持つポテンシャルが出版前にかなりわかった。事前に批評が聞けるわけですから、かなり貴重な体験でしたね。
どういうものに(資金が)集まるのかは、企画によるのではないでしょうか。おそらく、書き手の知名度に頼るだけではキビしいでしょう。私の企画の募集した時期には、元海兵隊員が沖縄で女性を強姦し、殺害した事件がありました。こうしたタイミングもあり、私のテーマへの関心が高まった時期でもありました。
2016年4月、沖縄県うるま市で、強姦殺人事件が起きた。ウォーキング中の女性(当時20歳)が棒で殴られ、首を締められ、刃物で刺されるなどして殺害されていたのが見つかったのだ。容疑者は14年まで海兵隊に所属していた、沖縄の基地に駐留経験のあるアメリカ人だった。除隊後は、日本国籍の女性と結婚し、妻子がいた。この事件で、沖縄の米軍基地からの海兵隊の撤退を求める声が高まった。藤井さんがクラウドファンディングの募集を行ったのは、まさにこの時期だった。
ただし藤井さんは、クラウドファンディングによるジャーナリズムの可能性についても、楽観的には見ていない、という。
藤井:ネットだけで食べていけるのは無理でしょう。私自身、メルマガやクラウドファンディングを含めて、ネットを使って仕事をどのようにしていくかは模索中です。もし、これまでの形で有料メルマガを発行するとしたら、最低でも月10万円の収益はほしい。そのためには、300〜400人の会員、理想的には500人の会員は欲しいですね。ただ、個人でそれを実現していくには書き手によほどのカリスマ性や影響力がないといけないし、あるいはメルマガだけに集中するような仕事のスタイルをつくる必要があると思います。それができるのは一握りの書き手だけではないでしょうか。
藤井さんは当面、有料メルマガの発行は考えていないと言う。これほど実績のあるノンフィクション作家でさえ、メルマガ単独での運営は難しいのが現状なのだ。私も「私が有料メルマガ配信をやめた理由」で書いたが、個人の名前で運営されるメルマガは一部を除き、収益性から考えて、現状では維持できないと判断している。その意味で、藤井さんには同意するところが多い。
ライター経験が長く、書籍も多く出し、知名度もあるのに、メルマガ運営は難しい。ネットではやはり、固有の知名度と瞬発力が必須だ。時間がかかるノンフィクション作品中心ではユーザーを満足させられない。ましてや有料媒体は難しい。アーティストのファンクラブ会報のようにはいかない。ただ、個人を支援するのではなく、書き手が複数参加し、かつ編集に責任を持もつ体制を作れれば、可能性が広がるのではないかと思っている。
執筆者紹介
- ノンフィクションライター。若者の生きづらさ、自殺、自傷行為、家出、援助交際、少年犯罪、いじめ、教育問題、ネットコミュニケーション、ネット犯罪などを中心に取材。東日本大震災後は、震災やそれに伴う原発事故・避難生活についても取材を重ねている。著書は『命を救えなかった 釜石・鵜住居防災センターの悲劇』(第三書館)、『絆って言うな! 東日本大震災ー復興しつつある現場から見えてきたもの』(皓星社)、『自殺を防ぐためのいくつかの手がかり』(河出書房新社)、『明日、自殺しませんか 男女7人ネット心中』(幻冬舎)、『ネット心中』(NHK出版、生活人新書)、『実録・闇サイト事件簿』(幻冬舎新書)、『若者たちはなぜ自殺するのか』(長崎出版)ほか、共著『復興なんて、してません――3・11から5度目の春。15人の“いま” 』(共著、第三書館)ほか多数。
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