ロビンソンからの便り

2020年10月31日
posted by 仲俣暁生

第24信(仲俣暁生から藤谷治へ)

藤谷治様

春先に新型コロナウイルスの感染症対策として日本全国に緊急事態宣言が出された頃に、藤谷さんから往復書簡のお返事をいただいた後、半年もそのままにしていました。10月の初めにいただいた二つ目のお手紙に答える前に、半年間の逡巡についてお話するべきだと思い、まずそのことから書きます。

この往復書簡は「マガジン航」というウェブサイト上に公開されることを前提に書かれています。そしてこの半年間、僕がずっと悩んでいたのは、このサイトをこの先どうしようかということでした。藤谷さんへの返信を書くことより、その土台となるこのメディアの行く末を考えあぐねており、それで返事もままならなかったのです。

また僕の当初の目論見では、この往復書簡は(タイトルにも謳ったとおり)「編集」と「創作」と「批評」という三つの足場をめぐって、いわばトライアングルを形成するようなかたちで進行するはずでした。しかし藤谷さんにとって僕は(光栄にも)「文芸評論をする者」としてもっぱら映っていたようで、そもそもここが良くも悪くもボタンの掛け違いの始まりでした。「創作」と「批評」をめぐって、あるいは「批評」そのものについての本質的な考察をすべきお訊ねをいただき、手が止まってしまったのも事実です。

ところで、私は文芸作品に関しては編集者として関与しないこと、つまり創作の過程には決して立ち会わないことを、仕事上のモラルとして決めています。文芸作品に対しては外在的に、つまり無責任な「読者」の立場でのみ関わりたいからです。その意味で藤谷さんが僕を(文芸の)「編集者」として認識しないのはまったく正しいのですが、しかし僕は同時に「マガジン航」というメディアの編集発行人でもあります。この往復書簡の場では文芸評論をする者としてだけでなく、出版をとりまく状況に対するジャーナリスト、つまり編集者としても発言したいと考えていました。

今年の春先に新型コロナウイルスの感染者数が指数関数的に増えていた頃、僕はこれほどまで早くに日本社会に平穏が戻ってくるとは予想もしておらず、一種の軽いパニック状態にありました。緊急事態宣言が解除された後も、非常勤で教えている大学の講義がすべてオンラインに移行したため、家から出ることの少ない日々を送ることになりました。そのうちに〈出版をとりまく状況〉そのものにも関心を失ってしまったのです。

どうやら現実には、コロナ禍のなかで人々はこれまでより足繁く書店に足を運んでいたようですが、社会生活の大半が平常に戻った後も「いまは非常時である」という感覚が残っています。

もう少し率直な言い方をするなら、この夏から秋にかけて僕が考えていたことは、「マガジン航」というサイトそのものを終わらせてしまおうか、ということでした。電子書籍という新しいビジネスが登場したことで、出版という営みはどう変わっていくのか、そのなかで著作者や読者にはどのような新しい機会が生まれるのか。そのような創刊当初の問いや関心に対しては、自分のなかではあらかた答が出てしまったからです。

アマゾンやグーグルといった、「マガジン航」が創刊した2009年の段階でさえ十分に大きな存在だったIT企業は、いまでは本や出版の未来に関わるどころか、ある意味では国家を凌駕するほどの力をつけ、世界の経済を支配するプラットフォームになってしまいました。電子書籍という素朴な夢をそのもとで語ることに、いまの僕はほとんど意味が見いだせずにいます。

他方、出版をめぐる状況にもまったく明るい兆しはありません。そのなかでできることは〈状況を語る〉ことではなく、一人のプレイヤーとして振る舞うことしかない。だから「マガジン航」で僕は、この往復書簡以外の文章を書くこともすべて止めてしまいました(友人や知人からの寄稿は別として、記事の更新自体も止めました)。その問題に関しては、本当にもう何も書くことはないと考えていたからです。

ところで、この長い沈黙の時間のあいだに僕がやっていたのは、藤谷さんが有り難くも先の手紙で話題にしてくださった、久しぶりの著書を最終的なかたちに仕上げる作業でした。

物書きとして、つまり〈一人のプレイヤー〉として本にかかわることは、〈状況を語る〉こととは違った具体性があります。編集者やデザイナーと打ち合わせをしたり、校正用のゲラに赤字を入れたり、まえがきやあとがきを書いたり、見本が出来上がればその手触りと重みに充実感を覚えたりすることの一つひとつが、大げさでなく、生きることのよろこびと結びついていました(さらに言えば、たとえオンラインであっても、大学で非常勤講師として教えることのなかにも、具体的な手触りとよろこびはあります)。

今回のお返事では、あの本の内容そのものには踏み込みません。藤谷さんが指摘してくれた文学論としての弱点(欠落)については、続編である次の作家論集で多少なりとお答えできると思います。いまお伝えしたいのは、久しぶりの文芸評論集を編集者やデザイナーと作り上げていくプロセスのなかには、〈状況〉の厳しさとは関係なく、人を勇気づけるものがあったということです。

これは藤谷さんが先の手紙で書いていた、次の言葉といみじくも響き合います。

小説家というのは、少なくとも僕の信じるところでは、めいめい勝手なことをやっている職業ですから、「文芸シーン」という全体像を俯瞰することはできないし、それが沈滞しているかどうか、僕には判断もできません。さして大きな関心もない、とも言えます。シーンが沈滞していても、僕自身さえ沈滞していなければ、何も問題はないからです。

僕自身、もし「物書き」としてだけ出版の世界と関わっていたならば、同じように考えたでしょう。しかし僕は残念ながら「編集者」でもあるのでした。編集者であるということは、僕の考えでは、ジャーナリストであることと同じことです。文芸評論はいわば文芸についてのジャーナリズムですから、僕のなかでは「マガジン航」の編集発行人であることと、文芸評論を書くことは矛盾なく両立しています。そして「文芸シーン」の沈滞と、出版をめぐる状況の見通しの暗さは、やはり無縁ではないのです。

こんどの僕の本では、個別の文芸作品を深く読み解くというよりは、いささか解像度は粗いものの、遠い山なみの稜線を望むような、あるいは夜空の星をいくつもつないで星座を見出すような、そんな本の読み方を提示したつもりです。ともあれ、あの本を世に出すことができたおかげで、現在の〈文芸シーン〉に対する自分の考えをわざわざ説明する必要がなくなりました。これからは本自身が、僕のかわりにそれを読者に語ってくれるのですから。

それで少しだけサッパリした気持ちになり、この「マガジン航」をどうするかをあらためて考えました。やめるのと、続けるのとどちらが簡単かを、テクニカルな部分で世話になっている会社の人に相談もしました。ウェブメディアというのはあんがい面倒なもので、更新をやめるとしても、それまでに蓄積してきた記事をどうするかという悩ましい問題が発生します。一切合切、すべてを消去してしまうのであれば話は簡単なのですが、そこまで思い切ることが僕にはまだできません。

そこで、ひとまず「マガジン航」はこれからもマイペースで(これまでも十分にそうでしたが)続けることに決め、ようやく藤谷さんにお返事ができる気持ちになったところです。

ここまでが二つ前の手紙への返信です。そして一つ前のお手紙に関しては、こんなかたちでお答えしたいと思っています。

一週間くらい前に、下北沢の古本屋で100円均一棚に置かれていた小林信彦の『小説世界のロビンソン』を手に入れました。奥付にたくさん書き込みがしてあり(山本貴光さんのいう「マルジナリア」です)、それが面白くて買ったのですが、本文のほうにもすっかり読みふけってしまいました。

この本の親本が新潮社から出たのは1989年3月で、もとになった『波』での連載は昭和60年代の終わり、1984年から87年にかけて書かれています。刊行当時の小林信彦はちょうどいまの僕らと同じくらいの年で、それからもう30年以上が経ち、元号もまた変わりました。まさに「一世代」が過ぎ去ったわけです。

この本は小林信彦の個人的な読書史にもとづいた小説論=文学論で、刊行当時にすでに手にしたような記憶もぼんやりあるのですが、中身はすっかり忘れていました。忘れていましたが、ここに書かれている主張に、当時の僕ならば(20代半ばでした)両手を挙げて賛成したと思います。

小林信彦がここで主張しているのは、純文学とエンタテインメント小説との間に本来は壁などなかったということ、物語のもつ「面白さ」を失い痩せ細った純文学は、もはや特権的な座にはいられないということ、それに気づかないでいる鈍感な文芸評論家はもはや必要とされておらず、すぐれた小説作品はすでに〈読者との直接取引き〉をしているということです。こうした考え方は1989年にはけっこう新鮮だったし、いまも同じように考える人は多いでしょう。なにより、僕自身がそのような考えをもっていました。

ところで、いまも小説は〈読者との直接取引き〉をしているでしょうか。批評や〈文芸シーン〉といったものを介在させることなく、そのような〈取引き〉が行われているのであれば、どんなにか健全なことだろうか、といまの僕は思います。

この本の表題が「ロビンソン」という語を含むのは、当時の小林信彦が自分をロビンソン・クルーソーのような孤立した存在だと感じていたからでしょうか。今度の僕の本でも、小説家(文学者)はいま孤立している、と書きました。そして人は孤立しているのが常態である、とも。僕自身、読者の少ない物書きとしては孤立を感じていますが、反面で、文芸評論を書くことは孤立した星々をつなげ、自前の星座をつくる仕事でもあります。

そしてそれは、編集という仕事も同じなのです。

「マガジン航」は寄る辺のない海を漂う小さな舟のようなメディアだし、いまのところ藤谷さんとの往復書簡以外に、これといってやりたいこともありません。なので、もうしばらくこの対話を続けさせてください。

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執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。