近況報告:「音楽×記憶」にまつわる研究や実践や

2016年11月11日
posted by アサダワタル

ご無沙汰しています。前回の投稿から1年も経ってしまった。

この間、僕は何をしていたのかと言えば、昨年の今頃は3冊目の単著や10年ぶりにリリースしたソロCDの制作と出版企画に追われ、年をあけてからは、各地のアートプロジェクトの企画制作と、そしてなによりもなによりも、博士論文の執筆に追われていたのだ。

今日はしばらく手をつけられなかったこの『本屋はブギーバック』の趣旨を一旦横におきつつ(と言っても、実は繋がっていると思っているんだけどそこんとこは追々)、とにかく近況報告を中心に綴っていきたい。

博士論文のテーマは「音楽×記憶」

僕は2013年4月に滋賀県立大学大学院環境科学研究科博士後期課程に入学し、この3年半ほど博士論文の執筆に取り組んできた。ちなみに僕は連載読者であればお気づきのとおり、研究者というよりはあくまで実践者として様々な活動をしてきた。

2016年9月に博士論文を書きおえ、一応、学位(博士(学術))を取得した今となっては、研究という職能も兼ね備えた活動に移行しつつあるけど、それ以前に、自分が気になったこと、どうしても問題提起したいことは、学術的な内容でないにせよ執筆・出版を通じて世に問うて来た。なぜ、わざわざ大学院まで行って博士論文のようなめんどくさいもの(本当に手間なのです…)を書くに至ったのかと言えば、これは研究テーマと関わるのだが、端的な理由は「書きたい対象が自分と近すぎて、あえて“研究”という枠でも使わないとどう書いたらいいかわからない」というものだ。

そして、その書きたい対象はずばり「音楽」だった。

音楽をしたり、アートスペースやプロジェクトの企画運営をしたり、執筆をしたりしてきたが、ことに音楽は自分のあらゆる活動の原点であり、ずっとその音楽についての書籍を書きたいという思いだけはあったのだが、本当に「何から書き始めていいのか」すら、わからなかったのだ。

そこで、僕の活動に深い理解を示してくださっているある研究者の方にそのことを相談すると、「(学術)論文として執筆するのはどうか?」という提案をいただいた。

僕がいままで書いてきて本は、いわば我流(それはそれでもちろん全然アリ)であり、論文というのはいわば書き方に作法があるもの。つまり、自分の研究テーマを掘り下げるにあたって、まずは問題設定をして、先行研究をレビューをし、研究の焦点を「ここ誰もいじってないし、かつ必要やと思うから私はここやりますねん」といった感じでぐっと絞りこむ。そして、その焦点を理論的に読みとくために必要な視点を仮説的に引っ張って来て、それでフィールドワークしてきた現場事例をいくつか引っ張り出して検証。最後はそれを理論化してまとめる、といったような手順があらかじめ想定されているわけ。

これは非常に面倒くさい執筆作業なんだけど、逆に言えば、このルールにさえ乗っ取って自分の問題意識を当てはめていけば、ようやく自分が今まで書きたかった「音楽」についての書籍も書けるのではないか、と思って茨の道を突き進んだのでありました。

さて、そして論文のテーマです。ずばり「音楽による想起がもたらすコミュニケーションデザインについての研究」。ざっくり説明すれば、誰にとっても音楽(特定の楽曲)を聴いて過去を思い出したり、かつての人間関係に思いを馳せたりして懐かしい気分になることってあるじゃないですか。

過去を懐かしむのはそれはそれでいいんだけど、僕はずっと、その音楽を通じて過去を懐かしみつつも、今現在目の前にいる人たちとの対話を繰り広げながら、また別の記憶を想起したり、人に記憶を「そうじゃない」と正されたり、こっちが懐かしがってるのに相手まで同じ曲で全然違う記憶をぶつけてきて「何お前の方がより懐かしがってんだよ」ってなったりしながら、なんというか、「音楽×記憶」がもたらすコミュニケーションから実は過去の記憶に対するイメージが読み替えられたり、上書きされたり、単に「懐かしい」という感情のみでは片付けられない対話がそこでは生まれている、という状況に関心を向けてきたのだ。

つまり、音楽がもたらす想起は、過去に向けられた行為のみではなく、むしろ他者との対話を通じて今現在の時点から過去を意味付けしなおしたり、新しい人間関係が生まれたりする、とっても重要なコミュニケーションのひとつなのだ、と。

僕は、そのテーマを検証するべく、自分自身が企画をした、大人の記憶の音楽を子どもたちが実演する音楽プロジェクトや、北九州市にある歌声スナックで繰り広げられる、懐かしの校歌のオリジナルカラオケ映像を作って、同窓会に異様な想起のコミュニケーションをもたらす事例などをフィールドワークしてきた。

例えば、本連載の第1回で触れた「借りパクプレイリスト」(“借りパク”専門の架空のCD屋さんを立ち上げる展示会)では、長らく借りたままになって返せなくなくなってしまった懐かしさと悔恨が綯い交ぜになった思い出のCDの聴取と対話をもとにしたコミュニケーションを促したり。

また第4回目で触れた記憶の楽曲を持ち寄ってその場でたった一枚のコンピレーションCDを作る「あなたの音楽を傾聴します」や、小学生たちが自分の親に子ども時代に聴いていた記憶の楽曲をインタビューして、そこからヘンテコなコピーバンドを立ち上げる「コピーバンド・プレゼントバンド」といった音楽ワークショップの数々も、筆者が自前で試行錯誤しながら企画と検証を繰り返して来た事例だ。

それで、ここから先はもう書けば書くほどこみいってくるので、現在、この博士論文における「事例検証」部分は、以下でネット公開されている2本の論文でがっつり読めるので、ぜひ気になる方はアクセスしてみてほしい。(ちなみに博士論文全体は全6章で出来ていて、そのうちこの2本の公開論文が3章と4章にあたっている)

『音楽を「使いこなす」. ポピュラー音楽を用いた. コミュニティプロジェクトについての研究』(アートミーツケアVol.6/2015)

『音楽による想起がもたらすコミュニケーションデザインについての研究 歌声スナック「銀杏」における同窓会現場を題材に』(京都精華大学紀要49/2016)

「音楽と記憶」の関係に着目した論文でリサーチした、北九州市小倉北区の歌声スナック「銀杏」の様子。ママの入江公子は、同窓会で必ず歌われる校歌の「想起」の機能に着目。同窓会幹事からかつての記憶を取材し、なんとオリジナルカラオケ映像を制作披露。同窓会には不思議なコミュニケーションが生成されている。

まちの記憶をあつめて「音楽」にする――足立区で「千住タウンレーベル」を発足

さて、近況報告の最後は、これから東京は足立区千住エリアではじまる音楽プロジェクトの紹介をさせてもらいたい。

「“タウンレーベル”ってなんだよ?」って話だと思うけど、まずはこれは完全に僕の造語です。まず、どこの街にもわりあいみかけるタウン誌の編集室をイメージしてみてください。タウン誌って、その街に住んでいる普通の人のインタビューが載っていたり、そこに住んでないと行かないだろう地元の名店が紹介されてたり、あと「これ譲ります/これ探してます」的なローカル感たっぷりの企画が満載ですよね。

それと何よりもその街ならではの些細だけどとっても芳醇な記憶の数々が登場していたりする。ああいうのを文字だけでなく「音楽(音)」として発行してみたらどんなことが起こるのだろう?っていうのが、この取り組みをやるシンプルな動機。だからその街ならではの広義の「音楽」をリリースするレーベルということで「タウンレーベル」という名をつけたのだ。

ある特定の街ならではの出来事や記憶を編集する行為は、これまでもトークイベントや冊子というカタチでは取り組んできたけど、僕にとってもそれを「音楽」として落とし込むのは初めてのこと。メディアイメージとしては、かつて存在したテキストと音楽のミクストメディアであり、ジャーナリズムと芸術のひとつの融合の在り方を示してくれた「朝日ソノラマ」のような存在を、ひとまず想定しているが、そこもどんどん参加者と議論をしてゆく予定。

11月23日(祝)は僕自身がライブ演奏も交えながらこのプロジェクトへの思いと内容をプレゼンする説明会を開催し、その12月以降はサウンドメディアの歴史的変遷に詳しい音楽学者や、雑誌や音楽など幅広いフィールドで活躍する編集者などと共に勉強会も行ってゆく。詳しくは、以下の企画概要をご覧いただきつつ、もしご関心あらばぜひ、「音楽×記憶×街」というキーワードで一緒に楽しいワルダクミをしてくれる人(タウンレコーダー)として関わっていただきたい。

「千住タウンレーベル」、参加者募集説明会チラシ。
裏面も含めて以下でダウンロード可能。
http://aaa-senju.com/2016/wp/wp-content/uploads/2016/11/asadawataru.pdf

まちの記憶を、「音楽」として編集・リリースする「千住タウンレーベル」が始動。まちに繰り出し、言葉と音を収録・編集する 「タウンレコーダー」(記者)の募集説明会を開催します!!

千住タウンレーベルとは〜音楽×日常で粋に遊ぶ〜

東京都足立区千住地域を舞台に「音」をテーマにしたまちなかアートプロジェクトを展開する「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」(通称:音まち)。音まちではこの秋から、言葉や音楽を用いて新しい日常を生み出すアーティストの アサダワタルとともに新プロジェクトを立ち上げます。その名も「千住タウンレーベル」

千住で生活してきた市井の人々の人生譚(記憶)、千住のまちならではの風景や人間模様にまつわるエピソード、千住に根づき息づく音楽など、これらすべてをテキスト(文字)だけではなく、「音楽」として編集し、東京藝術大学やまちなかの拠点を編集室(スタジオ) として、発信・アーカイブしていくプロジェクトです。

■タウンレコーダーとは
このまちにしか存在しない、まちの情報サロンのような「タウンレーベル」。「音楽 × 日常」の新しくもヘンテコなあり方を追究する『音盤千住』(仮称)を定期的にリリース。この『音盤千住』リリースに向けて、まちなかでさまざまな取材、録音、編集などをおこなう「タウンレコーダー」(記者)を募集します!! ご興味のある方は、ぜひ説明会にご参加ください!

【タウンレコーダー募集説明会】
日時:平成28年11月23日(水・祝) 14:00~17:00
会場:東京藝術大学 千住キャンパス(東京都足立区千住 1-25-1)
アクセス:北千住駅[西口]より徒歩約5分
料金:無料要事前申込 定員:30名程度(事前申込優先)

内容:アサダワタルによるプレゼンテーションとミニライブ、住民のまちの記憶や音楽をテーマにしたワークショップ。参加者のみなさんと、頭と身体を使って「千住タウンレーベル」のコンセプトを共有します。

・その後の様々なプログラム、詳細、お問い合わせはこちらのプロジェクトサイトへ。
http://aaa-senju.com/asada

第2回《長野》アルプスの図書館に「黒船」がやってきた

2016年11月7日
posted by 野原海明

これがあの県立長野図書館?

長野駅に降り立ち、にぎわう善光寺口ではなく、反対側の東口へと向かう。開発途上の通りをぶらぶらと歩くこと約10分。タクシーに乗るなら「図書館へ」と言うより「ホクト文化ホールへ」と言ったほうがわかってもらいやすい。若里公園の緑の中、ホクト文化ホールと並んで、県立長野図書館はある。現在の場所に移転したのは1979(昭和54)年。かつての県立図書館は建て替えられ、その場所には現在、長野市立図書館がある。

県立長野図書館(撮影:野原海明)

ホクト文化ホールとおそろいの赤煉瓦風の外壁は重厚さを感じさせるが、なにしろ移転してから40年という歳月が経とうとしている。2階にあるメインの閲覧室は、県立図書館にしてはあまりにも狭い。その割に3階の自習室に贅沢なスペースを割いていて、受験生には人気のようだ。夏休みともなれば開館を待つ長い行列ができる。

手狭な閲覧室に比例しているのか、資料購入に掛ける予算も控えめだ。同じくらいの人口を抱えるお隣りの岐阜県と比べてもその差は明らかである。県立図書館に力を入れている岡山県や鳥取県と比べてしまうと、こう言っちゃ失礼だが目も当てられない感じだ。

県 名 人口(千人) 都道府県立図書館資料費

(2013年度予算額)

資料費

(万円)

人口当資料費(万円)
長 野 2,146 2847 13.3
岐 阜 2,069 5000 24.2
岡 山 1,932 17535 90.8
鳥 取 589 10206 173.4

(日本図書館協会『日本の図書館 統計と名簿 2013』より)

そんな県立長野図書館が、このところ変わり始めている。いたるところに貼られていた「静粛に」や「飲食禁止」の貼り紙は見られなくなった。閲覧室に入ると、まず出迎えるのは「メディア・スクランブル~情報の今を歩く~」というコーナーだ。インターネットやデータベースが使えるPC端末に加え、8台のタブレットがずらりと並ぶ。

メディア・スクランブルと名付けられた一角。(撮影:野原海明)

そしてその奥、かつて新聞や雑誌が並んでいた場所には、新しく「ナレッジ・ラボ~これからの知の実験室~」というスペースが設けられた。通常の図書館なら、講演会やワークショップは閲覧室とは別の「多目的室」などで開催して、他の閲覧スペースには音が漏れないように配慮するだろう。しかしリニューアルした県立長野図書館の場合、なんと閲覧席と同じ室内であるこの場所で、当たり前のようにマイクを使った催し物が開かれるのだ。スクリーンを前に話す講師には、向こうの席で普段と変わらない様子で、新聞をめくる利用者の姿が見えるだろう。

「うるさいとか、苦情はこないんですか?」と職員に訊いてみると、「私たちもどうなるかと思ってドキドキしていたんですけど……」と言う。とくにクレームはきていないらしい。なお、通常の閲覧スペースは「ジェントル・ノイズ~蓄積された知のささやき~」と名づけられている。完全な静寂ではなく、音が発生することを了解してもらう場所だ。

完全な静寂ではなく、適度なノイズを許容する作業スペース。(撮影:野原海明)

さらに静けさを求める利用者のためには、「サイレント・コクーン~みんなの書斎~」という、申し込みせずとも使える個室が用意されている。様変わりしたフロアに、図書館協議会の委員からも「あの県立図書館でもこんなに変われるのか」と驚きの声が上がった。

伊那谷は「屋根のない博物館」、図書館はそこにある「屋根のある広場」

県立長野図書館の改革は、思い切った人事によりスタートしたと言えるだろう。2015年春、県の教育委員会は、それまで伊那市立図書館の館長であった平賀研也氏を、特定任期付き職員(部長級)として県立図書館館長に迎えた。

長野県立図書館館長の平賀研也氏。(撮影:野原海明)

平賀氏は、もともと図書館畑の人間ではない。バブル真っ盛りの頃は、自動車輸入販売の会社で、法務や経営企画のマネージャーとして毎日深夜まで働いていた。その後、息子の小学校入学と同時に長野県の伊那市に移り住む。東京と伊那を行き来しながら公共政策シンクタンクの研究広報誌編集主幹などの仕事をしていたが、移住した伊那に自分の力を還元できないかと考え続けていた。

そんな中、2007年に伊那市立図書館の館長が公募される。これこそが自分のやりたかった仕事だと手を挙げた。情報と情報、情報と人、人と人とを繋いで、地域を変える。それができるパブリック空間こそ、図書館だろうと思った。しかし、飛び込んでみた図書館の世界は、平賀氏が思っていたものと違っていた。児童サービスや貸出サービスに重きが置かれ、1980年代の様子と変わらない。情報の世界はどんどん先に進んでいるのに、図書館の中だけ時が止まっているかのように。

それでも、何かやってみなければ始まらない。館長となった平賀氏は、伊那市からさらに同じ生活圏を持つ「伊那谷」まで視点を広げ、その地域一帯を「屋根のない博物館」と呼んだ。3000m級のアルプスに囲まれたこの場所には、そこで暮らしてきた人たちの知識や情報がつまっている。そして図書館はそんな屋根のない博物館において、人と情報、人と人とを結びつける「屋根のある広場」であるのだ。

「伊那谷の屋根のない博物館の屋根のある広場へ」。伊那市立図書館は新しい方向へ向かって進み始めた。主役は図書館という「ハコ」じゃない。図書館は、地域をつなぐハブに過ぎない。ハコを飛び出して地域を歩くプロジェクトが始まった。

タブレット端末にダウンロードした古地図アプリ「高遠ぶらり」を使って、地域を歩くワークショップ。過去の歴史と現在の情報がクロスし、古地図と現在地がクロスする。伊那市立図書館は、ハコの中で情報がやってくるのを待つのではなく、地域へ出掛けていく図書館となったのだ。この取り組みが高く評価され、Library of the Year 2013 の大賞を受賞することになる。選考の過程については、氏原茂将氏の「Library of the Year 2013が投げかけるヒント」に詳しい。

おれが平賀館長に会ったのは、Library of the Year大賞受賞の翌年、2014年の春だった。休館日に突然、伊那市立図書館に押し掛けたアカデミック・リソース・ガイド株式会社の一同を見て、館長は「アヤシイやつらが来たぞ」と思ったに違いない。「いろんな集まりとか主催してて、なんか胡散臭い会社だなあって思ってたんだよねえ」と、最近になって漏らしていた。

ともあれ、そんな誤解も解けてすっかり仲良くなった頃、県立図書館館長へ就任するというニュースが流れてきたのだ。図書館界の異端児による改革が始まったのである。

長野県から図書館を変える「信州発・これからの図書館フォーラム」

平賀館長の最初の改革は、館内に無数に貼ってある注意書きをはがすことだった。「まずはさ、全部はがしてみよう? それから、本当に必要な掲示を考えようよ」。続いて、関係機関と協働で情報発信する場として、公式のFacebookページ「山の見える図書館―信州のまち・ひと・としょかん」が立ち上がった。

突如始まった改革に、それまで勤務をしていた職員は目を白黒とさせただろう。「みんなに“館長”じゃなくて、“ひーさん”って呼んでいいんだよって言ってるんだけど、誰も呼んでくれないんだよねえ」とこぼしていた。そりゃそうだ。就任したばかりの2015年夏、貼り紙が無くなりすっきりした館内を案内してくれた“ひーさん”は、ちょっと寂しそうに見えた。

2015年のお盆はわりかし暇で、おれは社長の岡本真とともに岐阜と長野の図書館を見学してまわっていた。ともにゴールド・ペーパードライバーである二人に同情した平賀館長は、「それなら僕が運転するよ」と車を出してくれた。贅沢にも、県立図書館長の車で巡る信州の図書館の旅である。

初めて訪れた地方の図書館で「館内の様子を写真に撮りたいのですが」と言うと不審に思われることがよくある。もちろんプライバシーに配慮して、利用者は決して写しませんと断っても、許可が降りないことも少なくない。でも、県立館長がいるなら最強だ。「県立図書館長ですけど、写真撮っていいよね?」でばっちりだ。突然現れる平賀館長に市町村図書館の皆さんはびっくりしただろうけれど、直接相談する貴重な機会になっているようだった。

「ひーさん、この駐車場、関係者専用って書いてあるけど大丈夫かな」
「ええい、俺は県立図書館長であるぞよ!」

なんていうジョークを飛ばしながら、北信の図書館を訪ねまわった。おれが安心しきって後部座席でうつらうつらしていると、平賀館長と岡本の会話が聞こえてきた。都道府県立の図書館が一堂に会する「都道府県立サミット」とか、やりたいよね。やるなら絶対、長野だよね。

一年後、それが本当に実現するとは。「県立長野図書館事業費 事業改善シート(28年度実施事業分)」を見ると、新規に要求された予算に「図書館改革事業費」という項目が見られる。冒頭で紹介したタブレット端末の導入費の他、一連のフォーラム開催に充てる予算がついたのだ。この予算をもとに、県立長野図書館と塩尻市立図書館が共催し、実行委員会方式で「都道府県立図書館サミット2016」が塩尻で開催された(この記録は『ライブラリー・リソース・ガイド(LRG)』第17号(2016年11月14日発売)をぜひともご参照いただきたい)。

「信州発・これからの図書館フォーラム」県立長野図書館というFacebookページも立ち上がった。一年を通して開催される様々なフォーラムやワークショップの情報はこちらで更新されている。そのうちのひとつ、「可能性を形に。これからの『図書館』想像(創造)会議」という3回連続のワークショップに参加してみた。開催場所は、閲覧室に新しく設けられた、あの「ナレッジ・ラボ」である。

ファシリテーターを務めるのは、信州大学工学部建築学科の学生たち。「まちの教室」のメンバーが彼らをサポートした。現在の県立長野図書館をどんなふうにリノベーションしたらよいのか、参加者とともにプランを考える。

「可能性を形に。これからの『図書館』想像(創造)会議」の風景。アイデアをどんどんポストイットで貼り出していく。(撮影:野原海明)

平面図から立体模型を制作してさらに検討。(撮影:野原海明)

テーマは「子どもが世界に『夢中になって』触れていくには?」「多様性が『共存する』空間とは何か?」「利用者にとってのバリアとの『上手な付き合い方』とは?」の三つ。参加者は、現役の建築家に図書館司書、書店員やデザイナー、学生など。初回の議論が第2回には図面になり、第3回には模型になった。ワークショップの中でつくられた案はあくまで「想像」だけれど、そこには現実の図書館を「創造」していくパワーが確かに生まれていた。

書庫に眠る本をいかに魅力的に見せるか

様変わりしたのは催し物だけではない。平賀館長が以前、「書庫にはすごいもんが眠ってんのよ」と話していたが、それらをうまい具合に見せた企画展示が展開されている。2015年夏には、戦後70年特別企画として「発禁 1925-1944;戦時体制下の図書館と知る自由」が開催された。これは、書庫に眠っていた『出版物差押通知接受簿』や、差し押さえの対象となった資料を展示するという企画である。これらの展示資料は、今もなおデジタルアーカイブ「信州デジくら」で公開されている。

県内の5つの図書館、博物館、美術館などの資料を集めたデジタルアーカイブ「信州デジくら」で、企画展示の内容の一部が閲覧できる。

2016年11月現在の展示は、「Re’80(リ・エイティーズ)-バブルでトレンディだった新人類たちへ-」という、おそらく日本で初めての展示物をお持ち帰りできる企画展だ。「貸出」できるのではなく、自分の本として持ち帰れるのである。展示されているのは、1980年代に出版された約500冊の本で、それらが当時の世相や流行とともに並べられている。そしてこの80年代の本たちは、実は「除籍本」なのだ。

除籍本をリサイクルとして利用者に提供するという取り組みは多くの図書館が実践していることだが、それを企画展にしてしまおうという発想は他には見られなかったものではないだろうか。日々、展示物は「お持ち帰り」されていくので、次々に新しく除籍本が追加されていく。

全国の図書館初の快挙(?)とも言われる、「お持ち帰り」のできる企画展も開催。

「とくべえ」の巨大コロッケに匙をいれる

さて、「とある雑誌の原稿がまだ書けていない」と暗い顔をした平賀館長を飲み屋に連れ出す。今も伊那市に家族と住んでいて、勤務日だけ長野市内の部屋で寝泊まりしているという平賀館長は、長野駅周辺の飲み屋にはあまり詳しくないと言う。そこで、以前から街を歩いていて気になっていた飲み屋にお供していただくこととする。

「とくべえ」外観。赤ちょうちんが灯らない時間帯は廃屋にみえる。(撮影:野原海明)

最近新しくできたホテル、ドーミーイン長野の建つ裏通りに「とくべえ」という飲み屋がある。昼間に見ると、ほとんど廃墟のようだ。日が暮れて赤提灯が灯ると、やっと廃屋でないことがわかる。暖簾をくぐると「未成年?」と女将にしかめっ面で言われた。いえいえ、童顔ですが30代です。旅行者には少し立ち寄りづらい雰囲気かもしれない。観光客向けの飲み屋のように、蜂の子やざざ虫のような珍味は置いていない。

ここの名物は、呆れるほど巨大なコロッケ(650円)だ。半分に割ると、とろとろの中身が流れ出るので匙が欠かせない。チーズ入り(700円)もこれまた絶品である。平賀館長と、育休から戻ったばかりという職員と、3人で舌鼓を打つ。

とくべえの名物、巨大コロッケ(撮影:野原海明)

平賀館長が席を立った隙に、彼が県立図書館にやってきた日のことを訊いてみた。

「カンチョーが来たとき? そりゃあもう、黒船襲来!って感じでしたよ」

ああ、やっぱり……。あるイベントで、信州のゆるキャラ・アルクマくんの着ぐるみを「着てみたい」という館長に、皆うろたえたというエピソードも聞かせてもらった。県立図書館館長就任から1年半。去年は寂しそうに見えた“ひーさん”だが、今年は迫る〆切に苦悩しながらも、どこか楽しそうである。残り半分の任期で、県立長野図書館はどんなふうに変わるのだろうか。アルプスに襲来した黒船が、日本中の図書館を開国させることをつい期待してしまう。

「〆切があるから早めに帰る……」と言っていた館長は、店を出る頃には「もう1軒行くぞ! 次はカラオケだ!」と大変元気になっておられた。ひーさん、次回はぜひとも、お膝元の伊那谷の飲み屋を教えてくださいませ。

(つづく)


【お知らせ】
第18回図書館総合展 ARGオープンオフィス「未来の図書館をつくる場所」では、11月9日(水)13:00~14:30のLRG最新刊連動企画 「都道府県立図書館サミット」をふりかえる+「信州発・これからの図書館フォーラム」県立長野図書館からの報告に、平賀館長がやってきます。
https://www.facebook.com/events/861054220662945/

また、『ライブラリー・リソース・ガイド』第13号の「司書名鑑」に、平賀館長のインタビュー記事が掲載されています。
http://www.fujisan.co.jp/product/1281695255/b/1313540/

〈文庫〉の思想と「読書運動」

2016年11月1日
posted by 仲俣暁生

このところ興味深い「読書論」の本を続けて読んだ。いずれも「読書の秋」に向けて出版された本だと思うが、これらを手がかりに今回は読書について考察してみたい。

そもそもなぜ、秋は「読書」の季節なのか。秋分を過ぎて日が短くなり、夜の時間が長くなるからだと思いこんでいたが、戦後まもなく制定され現在に続く、「読書週間」なる活動の影響も大きい。公益社団法人読書推進運動協議会のウェブサイトでは、読書週間がはじまった経緯が次のように紹介されている。

終戦まもない1947年(昭和22)年、まだ戦火の傷痕が至るところに残っているなかで「読書の力によって、平和な文化国家を作ろう」という決意のもと、出版社・取次会社・書店と公共図書館、そして新聞・放送のマスコミ機関も加わって、11月17日から、第1回『読書週間』が開催されました。そのときの反響はすばらしく、翌年の第2回からは期間も10月27日~11月9日(文化の日を中心にした2週間)と定められ、この運動は全国に拡がっていきました。

そして『読書週間』は、日本の国民的行事として定着し、日本は世界有数の「本を読む国民の国」になりました。

読書週間のおかげで日本が「本を読む国民の国」になった、などというのはまったくの嘘だが、戦後の国家再建の合言葉だった「平和」や「文化」と「読書」という活動が密接に結びついていることがよくわかる。また、この「運動」の担い手はあくまでも、「出版社・取次会社・書店と公共図書館、そして新聞・放送のマスコミ機関」といった本やメディアの送り手であり、受け手(読者)側からの活動ではなかったこともわかる。

戦後の混乱期には出版物そのものが不足しており、どんな本でも雑誌でも飛ぶように売れた、と多くの本が当時の「読者」の姿を伝えている。そのことと考え合わせると、この時期になぜ「供給側」が、ここまで読書運動を推進しようとしたのか、腑に落ちないことが多い。軍事国家から平和国家への転換にあたり、国民規模の読書運動が必要だという建前の裏側に、戦中に活発になされたという、読書への総動員体制ともいうべき「国民読書運動」の名残があるように思えて、私には気持ちわるい。

「20世紀読書」の終わり

日本人にとって「読書」とはなんであったか。その歴史を綴った本がほとんどなかった、と『読書と日本人』(岩波新書)のあとがきで著者の津野海太郎は語る。五千年を超える「本」の歴史と、それが一気に大衆化・産業化した20世紀以後のことについては、多くの本が書かれてきた。

ところが、そのどちらでもない『日本』という中間レベルでの読書の歴史が、どうもうまくつかめないのですよ。

『読書と日本人』はそのために、第一部「日本人の読書小史」と第二部「読書の黄金時代」の二部構成となっている。とりあえずここで問題にしたいのは、後者で描かれる「20世紀読書」のほうだ。先の世紀を「読書の黄金時代」と呼ぶ理由は、それが「だれもが本を読む時代」であり、それを可能とする制度や技術のインフラが一気に揃った時代だったからである。

しかし津野は、このような時代は「歴史上、これ以前にはなかったし、そしてこちらがより重要なのですが、この先もおそらくないであろう読書の輝かしい最盛期」だという。20世紀という時代は、その意味で「特殊で例外的な時代であったらしい」というのが本書後半の主題である。

津野のいう「だれもが本を読む時代」のなかで、「だれもが」として名指されているのは、女やこども、そして「大衆」である。日本だけでなく先進国で20世紀に一気に進んだのは、ペーパーバック革命とでもいうべき、本の大量生産化・廉価化だった。

日本では改造社をはじめとする多くの出版社が手掛けた「円本」(一巻あたり1円程度という、当時としては破格の廉価で販売された全集企画本。基本的に前金制で分売不可)ブームに対抗して、岩波書店が相次いで創刊した「岩波文庫」(1927年創刊)、「岩波新書」(1938年創刊)が、さらなる価格破壊と大衆化をすすめた。現在も「文庫本」「新書本」が書店の店頭で大きな存在感をもつのは、津野のいう「20世紀読書」のパラダイムがいまなお有効であることの証明だろう。

しかしこうした時代は遠からず終わる、いや、すでに終わりかけている、というのが津野の考えである。その当否を問う前に、もう一つの「読書論」に触れてみたい。

三木清がみた〈文庫〉という夢

『読書と日本人』のなかでも紹介されているとおり、岩波書店が「岩波文庫」を創刊するにあたり、ブレーンとして大きな役割を果たしたのは哲学者の三木清である。有名な「読書子に寄す」の草稿を書いたのも三木だった。

三木は学生時代、岩波茂雄の支援を受けて1922年から24年にかけてドイツとフランスに留学した。三木が到着した当時のドイツは第一次世界大戦後のハイパーインフレ期であり、外貨による留学者には貴重なドイツの書物をいくらでも買え、「千万長者の経験」ができた「天国の時代」だった。

その三木清が戦時下の1942年に刊行した『読書と人生』という本は、いまは講談社学芸文庫に収められている。この本は三木が生きた時代、つまり20世紀のほぼ前半まるごとにおける「読書」のあり方を伺うのに格好の資料でもある。

この本に納められたエッセイで三木が繰り返し語るのは、「新刊書ではなく古典を読む」「解説書ではなく原典を読む」「図書館で借りずに本は購入する」「濫読よりは熟読」といったことだ。三木のこうした読書観は、ほぼそのまま「岩波文庫」という出版プロジェクトの思想として結実した。

三木は個人蔵書(「文庫」という言葉はそもそも、これを意味した)について次のように述べている。

本は自分に使えるように、最もよく使えるように集めなければならない。そうすることによって文庫は性格的なものになる。そしてそれはいわば一定のスタイルを得て来る。自分の文庫にはその隅々に至るまで自分の息がかかっていなければならない。このような文庫は、丁度立派な庭作りのつくった庭園のように、それ自身が一個の芸術品でもある。(「書物の倫理」

三木は読者がそれぞれに「性格的」で「スタイル」を得た、自前の個人図書館(=文庫)をもってほしいと願ったのだ。岩波茂雄名義で公開された「読書子に寄す」のうち、三木清の思いがもっとも伝わるのは冒頭のこの部分である。

真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。かつては民を愚昧ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。

大正から昭和初期にかけて、おもに大学生や都市生活者の間に広まった「教養主義」的な読書観は、このようにして「かたい本」から始まった。だがこの時代には、同時に「おもしろくて、ためになる」をキャッチフレーズとした講談社の一連の雑誌の読者にみられる、より広範な読書大衆も生まれた。前者を特徴づける言葉が「教養」ならば、後者を特徴づけるのは「修養」であり、いまでいうビジネス書や自己啓発書に近い。

出版史を語る上で「岩波文化」と「講談社文化」という対比がよくなされるが、「二十世紀読書」の黄金時代において、両者はまさに「車の両輪」としてフル回転しつつ、巨大化する出版産業のための読者のプールを生み出していったことがわかる。

三木清の『読書と人生』をいま読むときに注意しなければならないのは、この本に収められたエッセイの大半が1931年から1942年までに書かれたことだ。掲載先も「東京堂月報」「学燈」「学生と読書」「読書と人生」といったミニメディアが中心で、『改造』や『中央公論』といった当時の代表的な総合誌ではない。

この時期の三木は、1930年に治安維持法による検挙・勾留を経て釈放された後、政治的な問題意識のもとでの執筆が困難な状況にあった。1945年3月に二度目の逮捕・検挙を受け、その年の終戦にも関わらず三木は9月に獄死にいたるが、もし無事に戦後を迎えていたなら、どのような読書論を語っただろうか。

1947年秋に戦後型の国民読書運動として「読書週間」が開始される以前、すでに人々は読書に飢えていた。ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』は、この年の7月に刊行がはじまった新たな西田幾多郎全集を待ちかねて、発売の3日前から岩波書店のまわりに集まり、徹夜で並んだ人々の写真を紹介している。現代であれば人気ゲームソフトやアイドルのファンが繰り広げる光景が、当時は哲学者やその全集本に対してみられたということだ。

西田幾多郎は三木清の恩師であり、彼の思想の原点ともいえる存在だった。「読書運動」とは無縁のところで、本への飢餓を訴える膨大な読者層が存在したことを、この写真は教えてくれる。

角川文庫の時代へ

読書とはまったく疑問なしに「よいこと」であり、積極的に「しなければならない」ことだ、という立場から語られる「読書」論は、「20世紀読書」の時代を経由した現在では、そのままでは説得力を欠くものとなっている。

三木清が『読書と人生』で綴った読書観は、彼自身が幼少期に本のない環境で育ったこと、「岩波文庫」以前には古典を廉価で手軽に購入し、所有できる仕組みが存在しなかったという、「読書の黄金時代」以前の読書経験によって培われたものだろう。

三木の孫世代にあたる私自身の読書史を振り返ると、彼と同様、少年時代はほとんど本や書店のない環境で育ったが、1970年代の後半までは、「かたい本」の権威はまだしも残っていたように思う。けれども、中学に入る頃に、「文庫本」のもつ意味が大きく変わることになる。

今年からちょうど40年前にあたる1976年に、創業者・角川源義のあとを継いだ長男の角川春樹が断行した経営刷新により、それまで国文学の真面目な版元だった角川書店は、出版方針を大きく切り替える。いまでいうエンターテインメント小説を文庫の主軸に据え、ミステリーやSFといったジャンル小説も大胆に取り入れた。

「見てから読むか、読んでから見るか」をキャッチフレーズとした角川文庫と角川映画の連動は、現在にいたるメディアミックスの流れに先鞭をつけたものとしてよく語られる。

まさにその渦中に、私は「本を読む」ようになった。生まれて始めて自分の小遣いで買った本は、角川文庫の筒井康隆だったことを覚えている。新潮文庫のトルストイ『人生論』とどちらを買うかで最後まで悩み、筒井康隆が手元に残った。それは教養とエンタテインメントのどちらを「文庫」に求めるのか、という選択でもあった。

私が大学に入学した1980年代のはじめには「ニュー・アカデミズム」がもてはやされたが、いま思えばこれは「岩波文庫」以前の教養主義への回帰だったように思える。その証拠に、ニュー・アカデミズムの「古典」は文庫本のような廉価版で刊行されることはほとんどなく、高価かつ少部数の専門書のまま、なぜか「大衆的」な読者を獲得していた。

bunko

古典的な名著は「読まない」ほうがよい?

「20世紀読書」はすでに爛熟の時代を終え、ゆっくりと(あるいは急激に?)衰退しつつある。そうしたなかで、最近読んだ「読書論」でよかったのは、ちくま学芸文庫に入ったピエール・バイヤールの『読んでない本について堂々と語る方法』だった。人を食ったタイトルにも関わらず、本書の主張は真摯で説得力のあるものだ。

バイヤールの主張はいっけん、三木清とは対極的である。いかに本来は読まれているべき古典であっても、いやそのような古典であればあるほど、「タイトルだけ知っていればよい」「人から概要を聞いただけでもよい」、さらには「むしろそうした本は読んでいないほうがいい」とさえいう。

なぜなら、読書の本質にあるのは一冊一冊の本の内容を正確に理解し、記憶することではなく、〈ある時点で、ある文化の方向性を決定づけている一連の重要書の全体〉を把握することだからだ。バイヤールはそれを〈共有図書館〉と名付ける。その上で、肝心なのは〈共有図書館〉全体をイメージできること、個々の本がそこでどのような場を占めるかがわかることだ、という。

ここまでくると、バイヤールと三木の考えはそれほど遠く離れていない。三木は彼なりに、当時の〈共有図書館〉を――『読書と日本人』にある津野の言葉に従えば〈家庭図書館〉として――誰もが所有しうるよう、「岩波文庫」という商品企画を立案・実行したのだった。

読書に対する強い権威付けがあり、「読むべき本を読んでいない」ことが禁忌であり、率直に語りにくいことであるような社会では、それについて「堂々と語る」ことは難しい。バイヤールの本の終盤には、フランスにおける根強い読書観を物語るものとして、このような記述がある。

これらの禁忌のせいで、われわれは書物というものを、学校時代以来、触れてはならない〔神聖な〕ものとして思い描いており、書物になにか変化を加えるとすぐに罪悪感を抱くのである。

こうした禁忌を取り払うことなしには、文学テキストというこの無限に変化する対象に耳を傾けることはできない。文学テキストは、会話や書きものによる意見交換の本質的な一部であり、読者ひとりひとりの主観性と彼の他人との対話から生命を得ているのである。

この「禁忌」はすでに日本ではほとんど失われており、「読むべき本を読んでいない」ということも、恥とは感じられていない。「20世紀読書」がもたらした大衆化が行き着く果ては、「誰もが同じ本を読むわけではない」という当たり前の事実の容認であり、その反面で起きる「古典」つまり基本図書としての正典(カノン)の喪失だ。しかしそれを「上から」の読書運動によって押し付けることは難しい。

国家は「読書」に介入すべきか?

戦後の「読書週間」の歴史について調べていくと、布川角左衛門が1957年に書いた「読書週間十年の回想」という文章がみつかった。これによると、読書運動は戦後に始まったというよりは、戦前に行われたいくつかの運動のリバイバルだったようだ。

1947年の戦後最初の「読書週間」は、布川によれば、アメリカで11月に行われるChildren’s Book Weekに着想を得たもので、GHQの民間情報教育局(CIE)の出版顧問であったフレデリック・メルチャーに示唆されたものだという。それが翌年から憲法公布日である「文化の日」を前後とする二週間の開催に変更となった。

戦後の読書週間に図書館界が参加している事情も、布川の上の文章が伝えている。関東大震災が起きた翌年の1924年に、日本図書館協会が「読書週間」という企画を開始している(のちに「図書館週間」と改称)。それにあわせて出版業界では1933年から「図書祭」を開催した。この「祭」は文字どおりの祭祀であり、以下のような趣旨だったという。

図書を尊重することは古来の美風である。しかるに近時図書の刊行多きを加ふるにしたがい、図書尊崇の念薄らぎ、ややもすれば図書に対する真の反省謝恩の徳を閑却するがごとき風をみるにいたった。ここにおいて、本会はまず精神運動として『図書祭』を興し、図書に対する反省謝恩の美風を涵養するの計画をたて…(略)…図書の功績を讃え、敬虔なる感謝を捧げ、もって図書ならびに読書に関する世人の自覚を高め、良書に親しみ、良書を尊ぶ美風を振興することを企図した。

当然ながらこの「図書祭」は国策に利用され、布川によれば、日中戦争の勃発後は「国民精神作興に関する詔書渙発記念日に改められ、政府の『国民精神作興週間』と呼応することになった」という。このような神がかった「書物観」や「読書観」が、現代ではすっかり失われたことは、とてもよいことだ。

しかし昨今の「文字・活字文化の日」制定や「読書週間」の活動に、同様のにおいを感じないわけにはいかない。戦時下の国民読書運動は、「国民精神総動員運動」によって国策に絡め取られていった。その中心となったのは当時の公共図書館(戦後に「公民館」となったものが多いらしい)であり、「貸出文庫」「移動文庫」といった、いまでいう開架図書や移動図書館車の利用促進のかたちをとったようだ。

自力で本を読めない幼児への読み聞かせや、読書習慣を身につける機会のなかった青少年に図書との接触機会を与えるような「読書運動」は、つねに行われるべきだろう。しかし読書運動が「国民運動」の名のもとになされるのは、平時であれ戦時であれ受け入れがたい。本をめぐる業界(出版業界や図書館界)が戦時下にちかい、困難な状況にあることはたしかだろう。しかし、だからといって「読書」を安易に国策とつなげてよいのか。

2005年に制定された「文字・活字文化振興法」では、以下が定められた。

(文字・活字文化の日)
第十一条  国民の間に広く文字・活字文化についての関心と理解を深めるようにするため、文字・活字文化の日を設ける。
2  文字・活字文化の日は、十月二十七日とする。
3  国及び地方公共団体は、文字・活字文化の日には、その趣旨にふさわしい行事が実施されるよう努めるものとする。

誰もが本にアクセスできる環境を整備することは国及び自治体の義務とすべきで、その限りでこの法律の制定には意義もある。しかし読書はあくまでも「個人」の営みであるべきだ。「文字・活字文化の日」も「読書書週間」などというお祭り期間も、そうした環境が整っているならば、本来は必要がないものだ。

三木清のテキストは、いまでは「青空文庫」でその多くが読める。彼の読書論も、そこには数多く収められている。彼が岩波文庫の創刊時に込めた願いは、すでにインターネット上の「文庫(ライブラリー)」に――どんな国策とも無縁のまま――受け継がれている。これこそが〈文庫〉という思想の栄光であろう。

第4回 本から始めるまちづくりと「専業」ではない出版のかたち

2016年10月26日
posted by 影山裕樹

今年のゴールデンウィーク、ちょうど瀬戸内国際芸術祭の春会期と夏会期の間の比較的観光客の少ない時期に小豆島を訪れた。目的は主に、小豆島を起点として数日間瀬戸内に滞在し、アート作品を堪能しに行くためだ。

小豆島の名物、ヤシの木。

フェリーで土庄港に着いて海岸沿いへ向かうと、ヤシの木や白い砂浜、瀬戸内海の穏やかな海が迎えてくれた。芸術祭に訪れる観光客が、こうした瀬戸内の自然や時間に癒されるのがよく分かる。到着してからはさっそく、現代芸術活動ユニット「目(め)」の作品や、ワン・ウェンチーの地元産の竹4000本を使った巨大ドーム作品「オリーブの夢」などを見て回った。しかし個人的にいちばん印象的だったのは、ちょうどその時期に開催されていた「肥土山農村歌舞伎」だ。

農村歌舞伎とはその名の通り、地域の住民が毎年手作りで生み出す伝統的な歌舞伎で、歴史も長く、会場となる舞台も趣深く、なにより地元のお年寄りが前方の席に陣取って、化粧をして綺麗な着物を着て台詞回しをする子供たちの演技を食い入るように見入っているのが微笑ましかった。おひねりも飛び交っていた。

肥土山農村歌舞伎の舞台。

現在、全国各地で様々な芸術祭が開催されているが、現代アート作品よりも、地元に根ざした伝統的な祭りに旅行者がふとしたきっかけで出会ってしまう、偶然の回路を作るほうが大事なのではないか、とそのとき感じた。地域振興にアートを用いるという手法がブームとなりつつある昨今、そもそも地元に古くからある、しかも市民たちの手で作られ、楽しまれる伝統的な芸能や文化の価値をこそ現代と接続しなくてはいけないのではないだろうか。そのために、アートやメディアといったものが少しでも役に立てばいいのに、と思う。

オリーブ会社が経営する出版社「瀬戸内人」

小豆島にはまた、『ローカルメディアのつくりかた』(学芸出版社)で取り上げた「せとうち暮らし」を発行する出版社、瀬戸内人(せとうちびと)に100パーセント出資する地元オリーブ会社・小豆島ヘルシーランドがある。この会社は、島内に複数のアートスペース施設を持つ「MeiPAM」をグループとして保有しており、瀬戸内国際芸術祭の会場にもなっている。

「迷路のまち」を感じさせてくれる施設「MeiPAM」の外観。

MeiPAMで作品が展示されている「目(め)」は前回の瀬戸内国際芸術祭の時期からこの小豆島に関わり続けており、地元市民を巻き込んだかたちで継続したプロジェクトを展開している。その成果は二つの作品に結実しており、恒常的な展示として瀬戸内国際芸術祭のお客さんや、地元の人に親しまれている。そして、その活動を全面的にバックアップしているのも小豆島ヘルシーランドなのだ。

『せとうち暮らし』はもともと、香川県でフリーランスで情報誌のデザインなどを行なっていた小西智都子さんが地元の仲間たちと構想した雑誌で、小西さん自ら立ち上げたROOTS BOOKSという個人出版社から発行を続けていた。同誌は全国の一般書店にも卸していたが、なかには瀬戸内海の島々のカフェや美容院などにも置かれており、たまたま小豆島の歯医者で偶然これを見つけ、支援を買って出たのが小豆島ヘルシーランド相談役の柳生好彦さんだった。

その後、神奈川から豊島に移り住み、「一人出版社」として活動していたサウダージ・ブックスの淺野卓夫さんが合流。現在は「瀬戸内人」へと名前を変え、雑誌『せとうち暮らし』以外にも、地元ゆかりの作家・黒島伝治らの書籍を刊行しているほか、小豆島の「迷路のまちの本屋さん」という本棚の企画なども仕掛けている。今後はより小豆島ヘルシーランドの事業と連動した書籍も発行されていくだろう。

『せとうち暮らし』の最新号。

最近、企業が出版社を買収したり、自社の内部に出版部門を立ち上げる事例が目につく。たとえば精神障がい者のための自立訓練事業所が行う、メンタルヘルス専門の出版社ラグーナ出版、リアル脱出ゲームの会社が仕掛ける謎専門出版社SCRAP出版などが挙げられる。

他にも大地の芸術祭、瀬戸内国際芸術祭などのアートイベントを手がける北川フラム氏が代表を務める現代企画室や、大手住宅メーカーによるLIXIL出版など、昔から本体の事業と関連した出版社を抱える企業は多くあった。出版不況と言われて久しい現在、出版事業単体で利益を出し続けるのには限界がある。そこで今、本体の収益事業に貢献する専門出版社の存在感が高まりつつあるのだ。

近江八幡に根ざす菓子舗たねやが、地元貢献のために「たねや農藝」という農業のような試みをしたり、ハイクオリティな広報誌『ラ コリーナ』を発行しているように(連載第2回を参照)、小豆島ヘルシーランドのような企業が文化事業を地元で多数仕掛けるうちの一つの枝葉として出版社を立ち上げるのは、とても自然な流れのように感じる。

「出版とはこうあるべき」だとか、「利益率がどう」だとか肩肘張るのではなくて、狭いパーティションに区切られた編集部から外に出て、もっと自然に、風通しのいい地域の景色に身を任せながらメディアや出版を考えることはできないか。それが僕自身がローカルメディアに興味を持った一つの理由でもある。

「本」が起点となり、地域が変わろうとしている

また、これまで取材を重ねてきた全国のローカルメディアの大きな特徴の一つに、大手取次会社を通した出版流通に乗らないということが挙げられる(一部をのぞいて)。全国隅々まで新刊が時差なく届けられる出版流通の仕組みは、大型書店のない地方の住人に本を届けるという重要な意義がある。ただ、昨今のローカルメディアの流行を見るにつけ、従来の出版産業の“リングの外”のほうがより面白いことができるようになっていると感じる。

先日は久しぶりに、地域限定発売「本と温泉」(連載第1回を参照)が話題となっている城崎温泉へと足を運んだ。最近、このプロジェクトの仕掛け人であるBACHの幅允孝さんが地域プロデューサーに就任し、城崎温泉に昔からある城崎文芸館のリニューアルオープンを手がけることになったためだ。

城崎文芸館はJR城崎温泉駅から近いにも関わらず、温泉街のメインストリートから外れたところにあるため、地元の人や観光客の動員に苦戦していた。そこで、全国から注目を集める「本と温泉」プロジェクトと連動したかたちで、新しい客層を開拓するために「KINOBUN」という愛称をつけ、リニューアルの企画が立ち上がった。

城崎文芸館“KINOBUN”企画展。

現在、館長を務める原良式さんは、同館の課題について「これまで文芸館は常設展しかなかったので、地元の人も一度来たらそれで終わりでした。定期的に企画展を開催することで、何度も来てもらえる施設にする必要があったんです」と語る。

記念すべき第一回の企画展は「本と温泉」の第二弾であるタオル表紙の本『城崎裁判』を執筆した万城目学さんを特集したもの。展示内容もちょっと変わっていて、万城目さんが原稿を書くPCの画面写真や、事務所で愛用しているロッキングチェアが置かれていたりと、「地元ゆかりの大作家」という大仰なしつらえを意図的に避けている印象を受けた。

さらに、企画展のチームはアートディレクションをスープデザインが手がけ、特別展示としてライゾマティクスの映像作品も置かれるなど、文学に親しみのない若い層にもうったえかける内容になっている。幅さんはそもそも、志賀直哉来湯100周年をきっかけにこのまちに関わるようになったのだが、「いつまでも昔の文人を推していてもお客さんは来ない。文芸館をやわらかく、幅広い方に来てもらえる施設にしたかった」と語った。

ライゾマティクスによる映像作品

『ローカルメディア〜』で詳しく紹介したとおり城崎温泉には、震災以降、地元の豊岡市にUターンした田口幹也さんが館長を務める城崎国際アートセンターも精力的に活動を続けているし、今回の文芸館のリニューアル、そして湊かなえさん書き下ろしの第三弾が今年の7月に刊行された「本と温泉」と、新しい文化的な取り組みが複合的に絡み合い、点と点が繋がり面へと広がっていると実感した。

「本」というメディアが起点となり、地域が変わろうとしている城崎温泉のここ数年の盛り上がりを見ていると、まるでそれ自体が一冊の本から始まった、一つの(未完の)物語のように見えてくるから不思議だ。

城崎温泉名物のカニをイメージした装幀の、湊かなえ『城崎にかえる』。

「出版」という枯れた技術にも “水平思考” を

大都市に比べて人口の少ない地方で読者や観光客を獲得するためには、独自の流通の仕組みを編み出したり、単体のイベントだけで終わらないよう文化的な拠点を作り出す必要がある。だから今、地方で成功しているローカルメディアの担い手たちは、編集やデザインという制作スキルそのものよりも、特に流通に注力をそそいでいる。

その場所でしか買えない「本と温泉」や、自社のショップのみで配布する『ラ コリーナ』、会員数(読者)を限定し消費者と生産者の結びつきを強める「食べる通信」、取材・執筆、広告営業のみならず配布まで自ら一人で行っている『みやぎシルバーネット』がまさにそうだった。ローカルメディアにとって、流通のあり方は自らのメディアの存在証明であると言っても過言ではない。

また、単に本やメディアを出すことだけが出版社の役割ではない。本やメディアと連動した場づくりやコミュニティの醸成が、メディアづくりと同じか、それ以上に重要だ。だからこそ、企業やNPOなどが手がける、専業ではない出版社というあり方が活きてくる。

任天堂の伝説的な開発者、横井軍平氏は生前、古くなり安価になったテクノロジーを“横にスライド”することで新たな商品を生むという意味の「枯れた技術の水平思考」という名言を遺した。批判を恐れず言えば、DTPや印刷が手軽となった「出版」「メディア」のテクノロジーは今や「枯れた技術」なのかもしれない。

だからこそ、それを“水平思考”し、今までなかった場所に取り入れることで、新たな市場や関係を育む。あるいは、今まで出版社の内部にあった人的資本である編集者のスキルをまちへとインストールすることで、“地域を編集する”という観点も生まれるだろう。

少なくとも、僕が面白いと思うローカルメディアの担い手たちは、自分が手がける本やメディアの売り上げよりも、それが地域にどんな物語を残したか、どのように人と人がつながりあったか、という視点を大事にしながら仕事をしていた。

一冊の本は、単に読まれるためだけに作るものではない。読書体験の先に、どんな物語を編むかが重要なのだ。

* * *

「マガジン航」との協働で今年の7月にスタートしたセミナー「ローカルメディアが〈地域〉を変える」の第3回目は、「地域に根ざした企業メディア」をテーマに今回の記事で紹介した小豆島ヘルシーランドの域事業創造部マネージャー/MeiPAM代表・磯田周佑さん、たねやグループ広報室長の田中朝子さんを講師にお迎えする。ローカルメディアの重要なプレイヤーである地域に根ざした企業の取り組みを詳しく知りたい方はぜひお越しいただきたい。


ローカルメディアで〈地域〉を変える【第3回/最終回】
「メディア+場」が地域を変える:瀬戸内、近江八幡、鎌倉の事例から

第一部では、瀬戸内(小豆島ほか)と近江八幡という二つの地域で、地元企業が「メディア」と「場」を連動させて行っている実践を紹介。小豆島ヘルシーランドの地域事業創造部マネージャーで、『せとうち暮らし』を発行する出版社「瀬戸内人」を経営する磯田周佑氏、滋賀県近江八幡市の「たねやグループ」広報室長で、同社の広報誌「ラ コリーナ」編集長である田中朝子氏に、それぞれの地域での実践についてお話をうかがいます。

また第二部のディスカッションでは、鎌倉をテーマにしたフリーペーパー「KAMAKURA」の活動にたずさわっている合同会社アタシ社のミネシンゴさんにもご参加いただき、第一部の登壇者やモデレーターの影山裕樹さんとともに、企業が根ざす地元に拠点を作ることだけではなく、なぜそこにメディアが必要なのか? あるいは、メリットがあるのか? について討議します。このディスカッションをもって、今回の連続セミナーの締め括りといたします。モデレーターは『ローカルメディアのつくりかた』(学芸出版社)の著者・影山裕樹と「マガジン航」編集発行人の仲俣暁生がつとめます。

日時:2017年2月13日(月)14:00-18:00(開場は13:30)
会場:devcafe@INFOCITY
渋谷区神宮前5-52-2 青山オーバルビル16F
http://devcafe.org/access/
(最寄り駅:東京メトロ・表参道駅)
定員:30名
受講料:8,000円(交流会込み)

講師:

・磯田周佑(小豆島ヘルシーランド(株)マネージャー/MeiPAM代表 /(株)瀬戸内人会長)
・田中朝子(たねやグループ社会部広報室室長)
・ミネシンゴ(編集者・合同会社アタシ社代表

※講師のプロフィールなど詳しい情報と前売り券はこちらから。
http://peatix.com/event/223768/view

続・我輩はいかにしてカクヨム作家となりしか――敗戦編

2016年10月24日
posted by 波野發作

「獲りました」

などとご報告できればよかったのだが、現実はそのような超展開は見せてくれず、最終選考に残った70作品のうち、受賞作品の栄誉に輝いたのは俺の作品以外の「たった3作品」だった。これらの作品は今後書籍化され書店店頭に並ぶ。おめでとうございました。

落選したからといってこのままフテ寝するわけにもいかず、これで放り出してしまうと「マガジン航」の編集人にお仕置きを受ける羽目になるので、俺は血涙を流しながらでもレポートを書かねばならぬ。もう少しだけおつきあい願いたい。

コトの詳細については、2016年7月23日の「我輩はいかにしてカクヨム作家となりしか」)をご覧いただけばわかるのだが、ざっくり説明しておくと、

①カドカワが運営する「カクヨム」という投稿型文芸サイトがあり、

②そこで「エッセイ・実話・実用作品コンテスト」)が行われ、

③俺も『我輩は本である ~白紙が紙くずになるまで~』という作品で参加(応募)した……、

ということである。

9月30日に同サイト上で発表があり、拙作はあえなく落選となったのである。無念。

残念ながら、受賞作に入ることはできなかった。

手応えがあったか、といえばそれなりにイケそうな気はしていた。ただし、無条件にではない。ある程度受賞作品が多ければなんとかなるかもしれないな、という程度である。7、8本受賞作があるのなら、運がよければ紛れ込むぐらいはできるかなーという程度の期待であったので、受賞作が3作であった時点で、まあしょうがないかなあとは思っている。そりゃあ人並みに断腸の思いではあるけども。

受賞作品はいずれも名作

今回受賞されたのはこちらで発表されたとおり、以下の3作品である。

鯨武長之介『モノクローム・サイダー

高野りょーすけ『東大生が1日を50円で売ってみたら

原田おさむ『パチンコ屋店員芸人奮闘記「それでも僕は、やめていない」

あらすじを読むだけでもわかるが、いずれも素晴らしい作品である。お目が高い、と言わざるを得ない。

鯨武さんの『モノクローム・サイダー』はレトロゲームにまつわる青春ストーリーで、先日めでたく連載が再開された押切蓮介『ハイスコアガール』にも通ずる、ヒット作となる可能性に満ち満ちたもの。本作自体はランキング下位からの編集部選出であるが、これについては後述する。

高野さんの『東大生が1日を50円で売ってみたら』、東大生である彼が1日50円のギャラでなんでもします、とブログで宣言して、いろいろな体験をするというもの。春頃に話題(騒動?)になったブログのあの当人である。俺が当時目にしたのは「自分の代わりに働いて給料をよこせ」という乱暴な人物とのやりとりでだけあったが、そんなのはほんの瑣末事で、じつは高野さん自身は金には代え難い貴重な経験をたくさんしていたのだったという物語。

原田さんの『パチンコ屋店員芸人奮闘記「それでも僕は、やめていない」』はパチンコ店店員で食いつなぐ「まだ売れていない」ピン芸人の悲哀を赤裸々に描いたもので、業界ものとしても非常に面白い作品である。

そして選考発表のウェブサイトには、二ヶ月あまりに渡って選考作業をされた「生活実用第3編集課」からのコメントが添えられていた。

最後に一つ、強調しておきたいことがございます。今回の編集部による選考基準はあくまでも「書籍化に適しているかどうか」でした。そのため、作品の品質は高いにも関わらず落選とせざるをえない作品がたくさんありました。それは最終選考はもとより、第一次選考でもそうでした。

俺もそういった公募の現場をのぞき見た経験があるので、70点もの作品から受賞作を絞り込むのはさぞ大変な作業であったろうと思う。お疲れ様でした。

この時点で原稿はすでにできているのだし、文芸作品だから図版の制作もないのだし、これらの受賞3作品は年内には発売されるだろう。そういうスピーディさがなければこの賞自体あまり意味があるとはいえない。それこそ「ターゲット・フルスピード・ツーマンス」(「世界一難しい恋」より)でお願いしたい。

受賞作品の傾向は「コンテクスト・マシマシ」

こうして受賞作品を読み比べる中で、それぞれに添えられた「編集部からのコメント」を眺めていると、これらの作品には「とある傾向が」あることが見えてくる。

それは「コンテクスト(文脈)が多い」ということだ。

期間中の順位だけで言えば、受賞作の全てがランキング上位のものというわけではない。

『東大生が1日を50円で売ってみたら』が期間中ランキング5位。『モノクローム・サイダー』は19位。『パチンコ屋店員芸人奮闘記「それでも僕は、やめていない」』は84位だった。

(※期間中ランキングは現在はもう見られない。上記順位は俺の手元に残してあるデータによるもの)

受賞作の選考がランキングだけに依存しないことは最初からわかっていた。もしランキング順位が選考基準となるのであれば最終選考などというものは必要がない。人気投票上位から順に書籍化すればいいだけである。

しかし、書店で売る以上は「編集者的」「営業的」に都合のいい作品でなければ、選ぶことはできない。人気があるということは、売れるために必要な「誰が読むのか」という問いかけへの担保にはなり得る。ただ、「カクヨムの読者」という強いバイアスのかかったものを唯一の拠り所とするのには、商業上の無理がある。出版という投資を行うにあたっては、十分時間をかけて編集部選考を行う必要があったというわけだ。

何をもって「売れる」と判断するか。これは出版というギャンブルにとって永遠の課題である。明確な法則があるなら誰も苦労はしない。

ランキング以外に何か売れそうな要素がないか、を判断するのが編集部選考だったわけだ。予想はしていたが、それは非常に顕著な形で受賞結果に現れることとなった。

19位の『モノクローム・サイダー』の受賞は編集部コメントにもある通り、同じ作者のもう一つの応募作品『パステル・プロムナード』の存在が大きい。こちらの作品は受賞作の続編なのだが、ランキングでは4位である。

『モノクローム・サイダー』も期間前から公開されていたためにランキング順位こそ高くはなかったが、以前から高い評価を得ていた作品なので、集計のタイミングさえ合っていれば1位になっていてもおかしくないものだ。実際、★数だけで言えば堂々のトップ作品である。実力ナンバーワンの作品で、しかも人気の高い続編もあるとなれば書籍化の旨味は一歩抜きん出ている。数字だけ見ても受賞は妥当であると言えるだろう。

5位の『東大生が1日を50円で売ってみたら』の編集部コメントには、作者ブログの人気も選考に加味したと明記してある。前述の通り彼の活動自体に話題性があり、ブログの固定読者も見込めるのであれば書籍化の十分な理由となるだろう。そもそもコンテストなどなくても、いずこかの出版社からブログ主にオファーがあってしかるべきコンテンツである。

たまたまカクヨムの企画にマッチしてこういう形になったが、春に話題になった時点で誰かが声をかけていてもよかったのではないのかな、と思う。いずれにしても、作品単体だけでなく、さらにブログでの地道な活動がバックボーンにあれば、これまた書籍化は妥当であると言える。

『パチンコ屋店員芸人奮闘記「それでも僕は、やめていない」』の作者、原田おさむさんはWikipediaにも記事がある芸人さんだ。公式ウェブサイトには芸風がわかる動画もある。そりゃ世間一般に知られるほど有名な芸人さんではないけれど、芸人と作家が売れるためにできることはただ一つ「やめないこと」しかないわけで、それを実践している方ということだから今後どうなるかはわからない。

今回の受賞で原田さんの著書が書店に並ぶことになったのだが、アメトークあたりで「作家芸人」として又吉先生や田村先生と肩を並べたりすることになると愉快だなと思う。そして編集部コメントにあるとおり、この作品は期間中ランキングこそ84位ではあるが、これはコンテスト前から公開されていたためで、期間を区切らないPVトータルでは候補の70作中ナンバーワンである。そのような作品を拾い上げるためにも編集部選考枠というものは必要であったということなのだろう。

このように、このコンテストの受賞には、単体の出来不出来だけではなく、作者の作品外での活動が大きく寄与している。今回のようなノンフィクション領域であればなおさらだ。どんな作品か以上に、誰が書いたのかも重要なファクターだったのだ。それは受賞作を見ればわかる。

作品と作品を取り巻く話題や売れる要素を積み上げたとき、この3作品が他の67作品を凌駕していた、というシンプルな結果が見えてくる。

反省会。敗戦の弁に代えて

こうして受賞作を分析して比べてみると、拙作『我輩は本である ~白紙が紙くずになるまで~の弱さは歴然としている。残念ながら、受賞作に割って入るほどの力は持ち合わせていなかったのだ。やはり急ごしらえで体裁だけ整えても、常日頃からコツコツと活動をし続けている方々にはそうそう敵うものではない、ということだ。ここまで書いてくる中で、俺としてはきっちり結果が腑に落ちてしまった。

ただ、もう少し受賞枠があれば、なんとかなっていたのかなぁとか、候補ぐらいには入ったのかなぁとか、少し妄想するぐらいは許されてもいいかなとは思う。そのぐらいいいじゃないか。少しはがんばったのだから。

そもそも『我本』はまるっきりのノンフィクションというわけでもなく、実際の出来事を元にはしているが、登場する個人や企業は実在のものとは関係がないし、大いに脚色もしている。「取次」のパートに至ってはまったくのSFであったわけで、こりゃあかん。勝てば官軍ではあったが、敗者には敗者なりの敗因がしっかりとあるのだ。あとは、主人公の名前が「ユニクロ」なのも商標的にはまずかったかもしれない。あとで「ユトリロ」ぐらいに改変しておこう。

とはいえ、勢いにまかせて10万字も書いてしまったので、このまま終わらせるのはもったいない。せっかく中編出版小説が書きあがったことだし、大いに活用していきたいと思う。人目を憚らず本音だけ言うと、獲りそこねた20万円をどこかで取り戻さなければならーぬ。

最近はウェブ公開と出版を並行するケースが増えている。タダで読めるものをわざわざ他で売るという、今までは考えにくかったビジネスモデルが成立してきているという話を聞いた。

現在ヒット中の『リゼロ』こと『Re:ゼロから始める異世界生活』がそうだ。メジャータイトルとしてカドカワから発売され、アニメ化もされたというのに、元の「小説家になろう」でのウェブ公開はそのまま継続されている。しかも今後も削除の予定はないと作者が公言しているのだ。もちろん書籍化にあたっては編集部の手が入って加筆修正もされているわけではあるが、一般にはメジャーにいくと無料公開は取りやめるのが通例であったので、これは新しい動きであると言えるだろう。

また、先日の東京国際ブックフェアのボイジャーブースでの講演で漫画家の佐藤秀峰氏が言っていた「海賊版が増えても、正規版の売り上げには影響がなかった」という言葉に依れば、ウェブ公開で無料で読む人と、電子書籍を買って読む人と、書店で本を買って読む人は、それぞれほとんど重なっていないのではないかとも考えられる。もちろん境界線にいるような人らはタダならタダの方がいいのだろうが、そうでない人の方が十分に多いのだろう。それを証明するためにも実験してみたいと思う。

ひとまず、BCCKSの機能を使って電子書籍として出してみよう。

価格は作品のボリュームを鑑みて、500円(税別)としよう。電子書籍の傾向としては安い価格設定ではないが、これなら1冊350円の著者印税なのでわずか571冊売れるだけで、20万円のもらいそびれた賞金を補填することが可能だ。俺にとっては決して悪い話ではない。

セルフパブリッシングとしては、最近まで文フリで活動していた方から、すでにKDPでの出版代行を打診されているので、これには応じたいと思う。彼の費用もちで印刷物も作ってくれると言うことなので。これはむしろありがたい。ただ、この約束は印税が発生しないものなので独占まではさせてあげられない。あくまで実験としての契約になるだろう。KDP以外のストアはBCCKSのマルチストアで出すことになると思われる。

BCCKSでの取り扱いがないストアに関しては、おつきあいのある他の方の協力を仰ぐ可能性もある。EPUB文書ができ上がった時点でいくつか販路を増やしたい。

今すぐできる試みとしてはこのぐらいだろうか。

いや、待てよ。

カクヨム編集部からは売れる本として評価されることはなかったが、他の選定基準であれば選ばれる可能性が少しはあるのかもしれない。

いずこかの出版社から初版2000部以上10%印税のオファーがあれば、前向きに話を聞いてもいいのではないだろうか。

あるいは、出版社を探してきたら5%よこせとか言うありがたい話が舞い込んだ場合には、その人が初版4000部以上10%印税という条件をいずこかの出版社から引っ張ってこられたなら、仲良く山分けにしていいとも思う。

その他興味深い提案があった場合には話を聞いてもいいのではないだろうか。いや大いに聞くべきである。聞きます。


以下宣伝。

波野發作『我輩は本である 〜白紙が紙くずになるまで〜』
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BCCKS版(E-PUB版同時発売) 540円(税込)

というわけで、本稿の公開と同時にBCCKSにて先行発売しました。全体に加筆修正など施しております。他のストアについてはオイオイ追加になっていくと思いますので、そちらをご希望される方はしばらくそのままでお待ちください。

また、無料でお読みになりたい方には、引き続きカクヨムでの掲載を継続しておりますので、こちらをご覧ください。こちらは応募当時のままで公開しております。

オンライン版はまだ読めます。

我輩は本である ~白紙が紙くずになるまで~