第8回 「明るい」時代と山田太一ドラマ

2017年6月29日
posted by 清田麻衣子

幼い頃、我が家でテレビは「NHK」と「民放」に二分されており、うちでは民放を観ることが許されなかった。バラエティ番組が隆盛を極めた80年代に幼少期を過ごした兄と私は、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」や「天才・たけしの元気がでるテレビ!!」「とんねるずのみなさんのおかげです」などの当時の人気バラエティ番組を観たことがない。放送翌日、テレビの話題で持ちきりの友だちの輪のなかでは、発言を控え、うすら笑いでごまかした。

従順な子どもではなかったはずの私がなぜテレビに関しては親の言いつけを守っていたのかといえば、それだけ両親の「民放バラエティ嫌悪」が激しかったからだ。たまに親の目を盗んでNHKからチャンネルをひねると、不快感に満ちた表情で、「うるさいッ」とか「バカ騒ぎしてッ」などという反応が間髪入れず返ってきた。だからビクッとなってすぐにNHKに戻した。

バブルのとば口にあった1985年、我が家は父親の転勤で福岡市から横浜市郊外の住宅地に引っ越した。私たちが住んでいた地域は企業戦士を東京に送り込むための典型的なベッドタウンで、毎年、昨年比の地価の伸び率全国一位としてニュースで報じられた。しかし、母曰く「とにかくセンスがない」父の独断により中古で買った当時築二十年の我が家は、モデルルームのように整然と新しい家が並ぶ景色のなかにあって、際立ってみすぼらしく見えた。

映画と本を愛する人だった父は、朝、満員電車で出社し、深夜、赤坂の会社から横浜の自宅までタクシーで帰宅することも多くなり、増していく精神的肉体的疲労は家族への当たりをきつくさせ、ごくたまに家族揃ってご飯を食べていても、大抵誰かが怒っているか泣いているかで、それ以外のときは無言だった。知り合いのいない土地で苛立ちや不安をひとりで抱え込んでいた母が泣いていたり放心していたりするのを、よく見かけるようになった。

現実と地続きに感じられたドラマ

経済成長最盛期の只中、自分の周りの美しい家に住む人たちが、明るく楽しいテレビを観ながら笑いの絶えない生活を送っていて、そこには光が充満しているように見えた。一方我が家だけポッカリと空いた暗い穴の底に落っこちているような気がしていた。

その当時、母が楽しみにしていたのが、山田太一ドラマだった。テレビは基本的に「悪」だった我が家にあって、山田太一ドラマは私も一緒に観ることを奨励される数少ない番組だった。いちばん記憶にあるのは、これも結局NHKなのだが、何度も再放送していた『ながらえば』『冬構え』『今朝の秋』、いわゆる「笠智衆三部作」だ。主演の笠智衆はほとんどセリフがないのにたまのセリフは棒読みのようで、「このおじいさんのどこがいいんだろうね」と言って母のほうを振り向くと、そっと涙を拭っていて、見なかったフリをした。

明るく騒ぐのがテレビの「ふつう」であるとしたら、行き場のない老人や、仲の冷え切った夫婦や、仕事に疲れたサラリーマンが登場する山田太一ドラマは重くて暗くて、だがフィクションであるはずのこのドラマの中の世界だけが、自分の家と地続きにあるような現実味を感じていた。小学生には理解できない内容が大半だったはずなのに、食い入るようにテレビを見つめる母の集中度に私まで惹きつけられ、ドラマが終わった後の室内には、カタルシスとも少し違う、凜とした静かな興奮が満ちているような気がした。

その後、父は会社を独立して自分で小さな会社を興し、大好きなミニシアター通いとともに、冗談も増えた。現在、同じ町内のもう少しだけ見ばえのいい家に引っ越した我が家は、父と母と柴犬の3人暮らしになり、父はリタイアしてスポーツジムと映画館と本屋通いに勤しみ、母は絵画や登山にと趣味に忙しい日々を送っている。だがテレビは二人とも、相変わらずNHKのままだ。

私は大学を卒業したのち本をつくる仕事を始め、13年間社員編集者として働いて、5年前に独立してひとりで版元を興した。

大人になってわかったのは、影はどの家にもあったということ。そして、人生の暗部をじっくり見つめるドラマを、高度経済成長期の軽躁状態の日本で、テレビというもっとも大衆的なメディアを通じて世に放ち続けた山田太一という人の巨大さだった。しかし、気づけばDVDもシナリオ本も絶版ばかりになっていた。そこで、版元第4弾目のプロジェクトとして選んだのが、山田太一ドラマのシナリオを復刊することだった。

手始めに、山田ドラマの中でも名作中の名作であり、かつ、人気作にもかかわらず手に入れにくい『早春スケッチブック』『想い出づくり』『男たちの旅路』から、本という形で再度世に投げてみたいと思った。

山田太一ドラマのセリフは日常に分け入ってくるアフォリズムだ。『早春スケッチブック』の安定を善とする家庭人に向けられる「ありきたりなことを言うな!」という叱咤、『想い出づくり』で結婚に邁進する適齢期の女性に放たれる「結婚以外にお前ら何にもないのかよ!」という軽蔑、そして『男たちの旅路』で車イスの青年に向けられる「迷惑をかけてもいいじゃないか」という激励。どれも「もっともっと明るい豊かな生活を」と先を急ぐ日本人の足を立ち止まらせる。これらのセリフがテレビで流れただけで、消えていくのはあまりに惜しいと思った。そこで手元に置いて、手軽に持ち運べるペーパーバックのスタイルで刊行していくことにした。

うまくいけば続けて出していきたいと思っている。それもすべて、いまの世の中次第ではあるのだが。

(次回につづく)


山田太一セレクションの第一弾として刊行した「早春スケッチブック」。

『早春スケッチブック』1,800円+税
『想い出づくり』2,000円+税
『男たちの旅路』2,200円+税
(すべて里山社より発売中)
※お近くの書店にない場合はkiyota@satoyamasha.comまで

第3回 デジタル時代の「マンガ文法」とは

2017年6月23日
posted by 中野晴行

電子コミックの未来を考えるとき、今のところ道は大きく二つに分かれているように見える。

①紙のマンガと変わらないマンガ表現を電子でも再現する。
②電子端末に適合した、これまでとは違う新たなマンガが生まれる。

スマホやタブレットに配信されている日本のマンガはこれまで主に①の道を歩んできた。②は日本のケータイコミックや韓国のウエブトゥーンが歩んできた道である。それぞれについて検証してみたい。

伝統的日本マンガ文法「メクリ」「ヒキ」

日本のマンガには独自のマンガ文法がある。それは「見開きをひとつの単位として、コマ割り表現と構図によって、動かない絵をあたかも動いているように読者に見せるためのテクニック」と言い換えてもいい。もちろん絵やセリフも重要だが、絵がどんなにうまくても、セリフがかっこよくても、コマ割り表現と構図がまずい、つまり文法におかしければ、読者は離れてしまう。

例えば、大きな塔が倒れるシーンを描くときに、倒壊するシーンを描くだけでなく、倒れ始めと倒れたあとの間のコマにそれを見つめる人々の顔をインサートする。これによって読者は目の前で起きているような臨場感を覚える。主人公が敵を殴り飛ばすようなアクションシーンでは、一瞬身構える敵の表情を描き、主人公が腕を振り出すシーンを描き、次に向こう側に飛ばされ壁に激突する敵の姿をさらに大コマで描いてスピード感と衝撃の激しさを描く。

あるいは、登場人物が不安を抱えているようなシーンでは、同じ情景を繰り返しながら人物の緊張した表情をインサートして緊張感を高める。絵をゆっくり見てほしいときには背景の細部まで描きこむ。大ゴマに流線を多用してスピード感のあるシーンを連続させることもある。コマの配置や構図が読者の読むスピードや感情までコントロールするわけだ。

そして、見開きごとには「メクリ」というテクニックを使う。「メクリ」は見開きから次の見開きに移る(ページをめくる)過程で、読者に驚きを与え作品に引き込み、さらに次をめくりたいという思いにさせること。見開きの左側の最後のコマに何をどう描くかは非常に重要になるが、受けるページも大切だ。「なんだこれ」とか「これからどうなるんだ」という感情を読者に持たせて、早く次が見たいという気持ちにさせ、ページをめくったときに「すごい」とか「そうだったのか」というある種の満足感を与える。マンガは見開きごとにこの繰り返しである。

さらに、連載マンガでは最後のページの「ヒキ」がポイントになる。「次号も買わねば」と思わせるだけの「ヒキ」がない作品はなかなかヒットしない。読み切り連載の場合は「ヒキ」はいらないが、「読んだ」という満足を与えるようなコマを最後に用意しなければならない。

電子コミックにおける「マンガ文法」の再現

こうしたマンガ文法は、長い時間をかけてマンガ家や編集者が試行錯誤を繰り返し練り上げてきたものだ。そして、ベテランになればなるほどマンガ家はマンガ文法を意識せずに描いているし、読者も「これが引きだ」「これがメクリだ」とわざわざ意識しているわけではない。私たちが特に文法のことを考えずに文章を書いたり喋ったりするのと同じことだ。

電子コミックは、長い年月をかけて完成させた日本のマンガ文法を継承しようとして試行錯誤を続けてきた。動作が重くなるだけなのでのちには廃れたが、初期には紙をめくるアニメーションを画面上のギミックとして使うことで、見開きから見開きへ移る際の「メクリ」を表現しようとしたとこともあった。

私は2005年に、日本における電子書店のパイオニアとも言えるイーブックイニシアティブジャパンの創業者・鈴木雄介氏を取材している。当時はまだiPhoneも登場しておらず、PCや読書専用端末向けに配信するイーブックイニシアティブジャパンは、赤字続きで苦戦していた時期である。電子コミックの主流はすでにPCではなく携帯電話向けの配信になっていて、この先、携帯向けにシフトすることはないのかを聞きたかったのだ。

そのときの鈴木氏の言葉が忘れられない。

「マンガ家さんはページで描いています。読者だってページで読みたいでしょう。編集者だってページで読んでもらいたいですよ。この当たり前のことを電子書籍でも当たり前にできるようにしなければ申し訳ないじゃないですか」

鈴木氏の想いは、2008年のiPhone 3Gの日本発売によってようやく叶えられる。iPhoneとこれに続くiPadの登場によって、見開きあるいはページ単位で電子コミックを読むことが可能になったのだ。しかも、ディスプレイがタッチパネル式になったことで、指で画面をスライドできるようになり、これまでむずかしかった「メクリ」も再現できた。現状では、日本の電子コミックの多くが、ページ、あるいは見開きで読むスタイルになっている。

携帯電話とケータイコミックの時代

これに対して、携帯電話の小さな液晶画面で読ませるためにコマを分割して一コマずつ、紙芝居のように見せるようにしたのがケータイマンガである。

携帯電話で電子書籍を読むための電子ブックリーダーとしては、セルシスが開発した「ブックサーフィン」とシャープの開発した「XMDF」が使われていたが、ケータイマンガは主に「ブックサーフィン」で、「XMDF」は小説などのテキスト系に使われていた。シェアは9対1で、携帯電話向けに配信される電子書籍のシェアとほぼ一致していた。

ケータイマンガをつくる作業は次のようになる。原稿をスキャンした元データからコマごとに切り出し、ボタン操作でコマからコマに移動できるようにデータを加工・編集するオーサリングを加えた上で、ブックサーフィン用データに変換する。セルシスはこの形式を「ラスター紙芝居ビュー」と呼んでいた。

はじめこの工程は手作業で行われていたが、まもなくセルシスがコンテンツ支援用ソフト「Comic Studio Enterprise」を発表、ラスター紙芝居ビュー制作ツールとして「Effector Neo」もリリースして、自動的にデータを生成できるまでになった。

ブックサーフィンには、場面ごとに効果音やバイブによる振動が出る機能があり、画面を上下左右にスクロールさせることも可能。このため、はじめのうちは四角いコマが切り替わるだけだったケータイマンガには、コマの形に合わせてパンやチルトの効果を加えてマンガのコマ割りに近い視覚効果を与えたり、音や振動で場面を盛り上げるなどの新たな表現も付け加えられた。

この時期、日本の電子コミックはケータイマンガ形式が席巻するのではないか、と私は考えていた。だからこそ、イーブックイニシアティブジャパンの鈴木氏にちょっと失礼なインタビューを試みたのだった。

集英社などの大手出版社も旧作をカラー化してケータイコミックとして配信するなど、一時期は積極的だった。東京国際ブックフェアで、集英社がケータイコミックをアピールするコーナーをつくったり、セルシスが「Comic Studio Enterprise」と「Effector Neo」の実演を行ったこともあった。私が教えていた学校でも、紙のマンガをケータイコミック化する実習が行われたりもした。

特定の分野で生き残ったケータイコミック

しかし、残念なことに紙でヒットした作品であってもケータイコミックでのはかばかしいヒットには繋がらなかった。はじめは目新しさや無料配信に飛びついた読者も、しばらくすると離れてしまったのだ。

ひとつの原因は、紙のマンガを構成する重要な要素であるコマ割りがラスター紙芝居ビューに置き換えると逆効果になることがしばしばあった、ということだ。紙のコマ割りの際には、視覚効果のために一見無駄なコマを挟むことが多い。もちろん必要だから挟むのだが、紙芝居のように切り離すと、読み手には不要な絵に見えてしまう。早い話、まだるっこしく感じるのだ。コマをケータイマンガ用に省いたり整理すればいいのだが、編集段階にそれをやるのは作品の改ざんになってしまいかねない。

そんな中で読者が好んだケータイマンガは、激しい性描写のある青年コミックやレディスコミック、あるいはBL(ボーイズラブ)、TL(ティーンズラブ)と呼ばれるアダルト向け作品だった。とくに、新作のBL、TLには人気が集中した。書店で買うのは恥ずかしい作品でも、ケータイマンガなら誰にも知られずに読むことができる。ケータイマンガのダウンロードが深夜1時から3時頃に集中したのもそのためだ。このあたりは、ホームビデオの普及を陰で支えたのが、アダルトビデオであったことと似ている。

アダルト向けコンテンツで市場を拡大したケータイマンガが.スマートフォンの登場で縮小したことは前回も書いたが、長年ケータイマンガを扱ってきた編集プロダクションによれば、ケータイマンガはそのまま死滅したわけではなく、今でもそれなりの市場を規模を保っている。現にそのプロダクションもかつてほどではないがケータイマンガ向けの作品を編集しているのだという。それを支えているのは、ケータイコミックでBL、TLに親しんだファンたちだそうである。

縦スクロールで読む「ウェブトゥーン」の登場

スマートフォンの登場後、スマートフォンに適合した新しいマンガ表現として韓国から登場したのが、縦スクロールでマンガを読む「ウェブトゥーン」である。

ウェブトゥーンの原型となった縦スクロールマンガが、韓国で登場したのは1990年代後半だ。

1997年、財閥の韓宝グループや三美グループの破綻に端を発した株価の大暴落と通貨危機で通貨危機に瀕した韓国は、IMF(国際通貨基金)に対して救済金融を要請。韓国経済はIMFの指導のもとに経済引き締めや市場の自由化、財閥の再編といった管理下に置かれることになった。市場はいわゆる「IMF危機」と呼ばれる大不況に追い込まれた。多くの中小企業が倒産し、失業者が溢れた。

出版社も例外ではなかった。紙の雑誌の多くは休刊に追い込まれ、マンガ雑誌もほとんどが姿を消した。前回も簡単に書いたが、そんな中で韓国のマンガ家たちが発表の場として選んだのがインターネットだった。

韓国では1990年代の半ばに、XDSLによる高速インターネットインフラが完成。さらに、IMF危機からの脱出を目指した金大中政権が1999年に「サイバーコリア21」政策を実施してパソコンの普及やITベンチャー企業の育成に国を挙げて取り組んでいたのだ。このため、家庭へのインターネットの普及は2000年には49.8%と、国民の半分はインターネットを日常的に利用できる環境になっていた。

はじめのうちマンガ家は自分のサイトに個人的に作品をアップしていたが、まもなく、ITベンチャー企業の中から、自社のポータルサイトよりさまざまなマンガ家の作品にアクセスできるシステムを作り上げるところが出てきた。ポータルに貼り付けたバナー広告から収益を上げるビジネスモデルで、作品へのアクセスに応じてマンガ家にも一定割合が支払われることになっていた。

このときに、PCのモニター上で読みやすくするため、マウスのスクロールホイールを動かしながら読む縦スクロールマンガが登場した。ただ、初期の縦スクロールマンガは、コマごとに切り出して縦に並べただけのスタイルだった。ほとんどのマンガ家が、紙で出版することを意識したからだ。

音楽や効果音を入れた作品も登場したが、この頃はまだ一般化していない。しかし、縦スクロールのマンガは2000年代半ばまでに、韓国の電子コミックの標準的なスタイルになり「ウェブトゥーン」という名で呼ばれるようになっていた。

「コマ割り」を取り払った新しい表現

スマートフォンの登場で、韓国でも電子コミックを読むための端末はPCからスマホに移っていった。スマホを片手で扱う場合も縦スクロールのウェブトゥーンは読みやすかったが、ここでさらなる進化が起きた。縦スクロールではほとんど意味がなくなった「コマ割り」表現を取り払った、新しいウェブトゥーンが生まれたのだ。

コマの枠だけが残されて、コマとコマの間の余白が時間の流れや感情の動きを表すようになっている作品もあるし、連続した絵巻物のような作品もある。しかし、「ページをコマ割りによって構成する」という概念はもはやない。

新しいウェブトゥーンはスマホに最も適したマンガ表現として韓国では多くの若者の支持を受けた。無料のゲームアプリとともに無料(正確には直近の数話分が無料で、バックナンバーが有料になることが多い)で手軽に読めるウェブトゥーンはスキマ時間の娯楽として瞬く間に浸透したのだ。BGMや効果音が入った作品も一般化した。その中からは、映像化されてヒットする作品も出てきた。

韓国生まれのウェブトゥーンが日本に本格上陸したのは2013年11月。韓国最大のインターネット検索ポータルサイトを運営するNAVER系列である、NHNエンターテインメントの子会社NHN comicoが日本向けに無料のマンガ・小説アプリ「comico」の配信をスタートさせたのである。

「comico」が配信する作品はすべてがオリジナル作品でコマ割りなし、オールカラーのウェブトゥーン形式だ。これに触発された形で、日本国内にもウェブトゥーン形式のマンガを描く作家は増えつつあり、マンガやアニメを指導する専門学校や大学でも、ウェブトゥーンでの描き方を積極的に指導するようになってきた。日本のマンガ研究者の中には、紙のマンガがこのまま衰退すれば、マンガはすべてウェブトゥーン形式になる、と説明する人も少なくない。

さらに、日本マンガとの折衷型として、ページ毎に縦スクロールで読むというスタイルもあり、スマホ向けにはこれも定着しつつあるようだ。

ただ、前回にも書いたように、スマホが携帯端末として最終形なのかどうかがわからない以上、すべて縦スクロールに変わるかどうかも、軽々には言えないわけだが……。

「ウェブトゥーン」が変えたマンガの製作現場

マンガ情報を扱うウェブ・ニュース・サイト「コミックナタリー」に、韓国のウェブトゥーンの現状に関する興味深い記事があった。2016年10月27日に配信されたチョン・ゲヨン氏へのインタビュー記事である。

チョン・ゲヨン(KYE YOUNG CHON)氏は1996年に韓国の少女マンガ誌「ウインク」でデビュー。1997年に発表した音楽マンガ『オーディション』は韓国国内で少女マンガ部門の販売部数1位に輝くなど、数々のヒット作を生んだベテランだ。2000年頃からウェブで作品を描くようになり、現在は「Daum Webtoon」で恋愛マンガ『恋するアプリ』を連載して人気を集めている(本作は日本でも翻訳されている)。

もともと紙の雑誌でデビューし、2000年頃からウェブに移ったというのは、同世代の多くの韓国マンガ家と同じである。

私が興味を惹かれたのは、彼女が3DCGソフト「シネマ4D」を使って作品を描いているという点だった。公開されているメイキング映像によれば、まず3Dで背景や人物のモデルを制作してから、モニター上で配置をして、その上で2Dの平板な絵に変換しているようだ。

背景はもちろん、動きや表情も3DCGで制作するので、あらゆる角度の、あらゆる動きが効率的に仕上げられるわけだ。ウェブトゥーンはほぼ毎週1話ごとに更新される。カラーの作品を毎週描く以上、効率化は避けて通れない課題だ。チョン・ゲヨン氏は特別な例ではないのだ。端末や表現形式の変化は描き手の現場も変えているわけである。

日本でも、「Comic Studio」や「CLIP STUDIO」などのマンガ制作支援ソフトを使うマンガ家は多い。しかし、ここまで徹底してデジタル化しているマンガ家はほんのわずかだ。日本のマンガ家はまだ、自分の手でキャラクターを描きたいという思いが強い。ほとんどを機械任せにすることにはかなりの抵抗があるだろう。

環境の変化が表現の変化を生み出す?

表現においても製作においても、韓国のウェブトゥーンがここまで進化のスピードを上げた背景に、「紙の雑誌で描くことができない」という事情がある、というのは興味深い。逆説的に言えば、紙の雑誌が生き延びている日本では変化そのものがむずかしい、とも言える。3DCGのソフトやSNSは同じように発展しているはずなのに、それを効果的に利用することにはマンガ家サイドにも読者にも躊躇がある。その躊躇が進化にブレーキをかけている。これはちょっと悩ましい。

また、チョン・ゲヨン氏は先の記事で「ウェブトゥーンは編集者の干渉が少なく、自由度が高い」とも説明している。逆にマンガ家と読者の距離は近づいた、と。これを読めば、ウェブトゥーンに憧れる日本のマンガ家が増えるかも知れない。

このままスマホで読むという状態が続くのであれば、進化の著しいウェブトゥーンが電子コミックのスタンダードになる可能性も否定できない。

しかしはっきり言って、電子コミックがはじめにあげた二つの道のどちらをたどるのかを予測することは、非常にむずかしい。まったく違う第三の道が出てくるのかもしれないし、両者が融合することもありうる。

実際、ケータイコミックのコマにセリフや効果音、動きをつけてアニメーションのように加工した「モーションコミック」なども登場した。画像加工のコストの高さなどから普及は遅れているが、これが電子コミックのスタンダードになっても別に不思議はない。まだまだ、進化の頂点に立つものは決まっていないのだから。

歴史を振り返ると、日本の戦後マンガの文法が確立されたのは、1970年代に入ってからだ。1968年頃にはまだ、さまざまな表現手法が登場して混沌としている。戦後ストーリーマンガ登場の時期を1947年の手塚治虫『新寳島』とするのなら、それでも25年近くの歳月を要していることになる。

電子コミックも登場からほぼ25年だが、前回も書いたように端末の変遷によって、表現手法は大きく変わっており、進化樹の幹をつくれないままで来た。日本型の電子コミックもウェブトゥーンも、いまだに、10年くらいの歴史しかないと考えてもいい。あと15年くらいかけて、ようやく電子コミックのマンガ文法と呼べるものが生まれるのかもしれない。ぜひとも生まれてほしい、というのが私の気持ちだ。

続・ノンフィクション作家はネットで食えるか?〜安田浩一さんの場合

2017年6月12日
posted by 渋井哲也

フリージャーナリストの安田浩一さんがウェブマガジン「ノンフィクションの筆圧」を開設してから、この6月で一年が経つ。

『ネットと愛国〜在特会の『闇』を追いかけて』(講談社)で、2013年の日本ジャーナリスト会議賞と第34回講談社ノンフィクション賞をW受賞、15年には「ルポ 外国人『隷属』労働者」(『G2』、講談社)で第46回大宅壮一ノンフィクション賞雑誌部門賞を受賞した安田さんは「ネットメディアに関しては食わず嫌い」と言う。そんな彼が、ウェブマガジンを開設した理由は何だったのか。ネットメディアでどんなジャーナリズム活動を展開していくのか。本人にお話をうかがった。

ノンフィクション・ライターの安田浩一さん。

ネットメディアへの抵抗と嫌悪感

もともと雑誌記者一筋ということもあってか、安田さんはネットが苦手のようだ。

安田 Facebookのやり方さえ知らない。パソコンはほとんどできないんです。今はネットに対して、抵抗と嫌悪を感じて仕事をしています。

安田さんは1990年ごろから「週刊宝石」(光文社、2001年休刊)の専属ライターだった。1995年11月、マイクロソフト社のOS・Windows95の発売日に秋葉原のソフマップ前で取材し、深夜のお祭り騒ぎに立会った。Win95の普及でパソコンが身近に感じられるようになったことで、インターネットを誰もが使えるようになっていく。その取材記事では〈これまでは読み手であり、視聴者であり、情報の川下で待っていた人たちが多かったが、これで誰もが発信者です〉などと書いていた。

安田 ネットの大衆化の瞬間でした。そのときは意味がわかってなくて、教えられたままを書いたんです。いま考えると、もっと詳しくなれよって思います。

もちろん、ネットメディアで安田さんの記事を見かけることもある。しかし、そのほとんどは紙媒体に一度掲載されたものが転載されている。しかも、もとの記事が加工されてアップされているのだという。

ネットメディアから執筆を頼まれることもある。また、Yahoo!ニュースの中に、個人が情報を発信する「Yahoo!個人」というコーナーがあり、開設するように勧められている。

安田 2年くらい検討しているが、まだ開設していない。なぜか? 答えは簡単です。何度も登録に失敗してしまって。なかなかネットに向き合えない。いじることができないんです。やらなきゃいけないと思っているんですが、ネット音痴なんです。やれば、新しいものが見つかるのかもしれない。

ただ、安田さんのネットメディアへのイメージはよくない。フェイクニュースやオルタナティブファクトと言われるような記事が拡散されているとの印象を持っている。昨年問題になったDeNAのWELQがその象徴的なイメージなのだ。

安田 ネット媒体で書かれている記事には偏見がある。嫌悪感しかない。なぜって? 情報をつぎはぎしているだけじゃないですか。

もちろん、そんなネットメディアばかりではない。新聞記者や雑誌記者の出身者も関わってきている。ネットメディアに記者が引き抜かれることも多い。安田さんは読まず嫌いになるほど、ネットメディアから遠ざかっている。

ウェブマガジン開設の理由は、編集者が「全部やります」と言ったから

そんな中で唯一、安田さんがネットで書いているのは、タグマが運営するウェブマガジン「ノンフィクションの筆圧」だ。

2016年6月2日に創刊したウェブマガジン。発行はタクマ。

安田 知り合いの編集者から呼び出されたんです。説明を聞いても、はじめは意味がわからないので、断った。書けるかどうかの問題ではなく、設定ができないからです。「自分で、ネットに記事や写真をアップする作業ができない」。そう言うと、編集者が「全部やります」と言ったんです。「タイトルも、中見出しも、全部やる」と…。

面倒な設定を自分でしないで済むならば、安田さんにもメリットはある。それは「書く場所」の確保だ。ノンフィクションの記事を書く雑誌が減ってきている。短い記事でも週刊誌で書く場が減ってきた。単行本を執筆するものの、書いている途中ではお金が回らない。

安田 理想的には、雑誌で連載をして、それが単行本になること。かつては取材費も潤沢にありましたが、いまはそんな幸せな時代ではない。だから、単行本や雑誌で書く以前に、切り売りしていこうと。なので、ウェブマガジンであっても、考え方のベースは紙中心。紙から派生したものなんです。

取材テーマへのこだわり

「ノンフィクションの筆圧」には、ヘイトスピーチ、沖縄問題、外国人労働者問題、民族派の青年のインタビューなどが掲載されている。安田さんは90年代から2000年代前半まで「週刊宝石」や「サンデー毎日」の契約記者をしていた。04年以降は、完全にフリーランスになった。「何でも屋のライターはやりつくした。あとは僕が興味関心があるものを取材したい」と考えた。ウェブマガジンに書いているものが、いま興味のあるテーマだという。

安田 出自に関係があるテーマというよりも、雑誌取材の経験から生まれた関心です。外国人労働者問題は、週刊誌記者時代から興味があった。そうした記事を書いていると、嫌でも排外主義、レイシズムへの視点を自分の中にもつようになる。それが、ネット右翼、在特会の取材につながった。いま沖縄を取材していますが、自分の中では地続きなものなんです。

何か一つのテーマにこだわりつづけることで、仕事がひろがっていくのを体感していた。外国人労働者の問題は、差別や排除の問題だ。そこから、民族差別問題、ネット右翼につながるのは自然のことだった。沖縄の基地問題も、本土からの差別の問題でもある。

ただ、そうは言っても、それらのテーマは、芸能記事のように「売れる」テーマではない。そのため、収入面では苦しく、深夜のアルバイトをしていたこともある。クレジットカードで綱渡りという時期もあった。

安田 昼間取材して、夜バイトをすればいいと考えたこともあった。しかし、疲れ切ってしまい、深夜のバイトは続かない。気が休まる瞬間がなかった。取材どころではなくなったんです。やはり、自分にはWワークは無理。急な取材も入りますから。

最近では沖縄に頻繁に行っているが、運賃の捻出は工夫している。2006年に刊行した『JALの翼が危ない』(金曜日)で、規制緩和と効率主義を批判していたが、いまはLCCに助けられている。

安田 LCCだと片道、一万円でいけます、どうやったら取材現場まで安く行けるのかを考えたりしますが、空の安全を考えると疑問で、忸怩たるものがあります。

書き手と「心中」できる編集者がネットにいるか?

そんな中で食いつなぐことができたのは、ノンフィクション作家・佐野眞一さんの取材スタッフに、データマンとして加わることができたからだ。

安田 食えないのでライターをやめようと思ったことがあります。そんなときに、週刊誌時代から付き合いのある佐野さんに声をかけてもらったのです。

現在も、発表媒体はほとんどが雑誌。女性誌をのぞいて、ほとんどの週刊誌で仕事をしてきた。自身でも言っているが、まさに「雑誌の子」だ。同年代のフリーのジャーナリストで廃業をしている人もいるなかで、安田さんが続けられているのは、編集者との出会いによるものが大きいという。

安田 僕の場合、編集者に恵まれたことが最大の財産です。編集者はみな、そこそこ厳しい。その上で、生活のことも考えてくれている。最近では、書かせっぱなしの編集者もいるじゃないですか。原稿をあげても、いいとも悪いとも言わない編集者がいる。でも僕が深く付き合っている編集者は、常に仕事の中身にこだわっている。

安田さんは編集者と人間的な付き合いを欲しているようだ。コラムや身辺雑記が書ければ、また別の道もあったのだろうが、取材へのこだわりが強い。

週刊誌時代、先輩記者から「石を水に投げ入れられたとき、波紋が広がる。俺たちの役割は、その石を拾うことだ。しかし、波紋ばかり吸い上げているだけではないか」と言われた。そのときに、自分は「石の手触り、形、色を確認しないで書いてきたのではないか」と感じた。だからこそ、いまはその石を取りに行くことを取材の目標にしている。そのためにも、編集者の「目」を切実に必要としているのだろう。

安田 こだわりのある編集者は、書き手の立場としてはうざい。半分くらい連絡を無視したくなる。でも、“敵”もさるもので、電話に出ないと、別の電話番号から別人を装ってかけてきたりする。ただ、書き手にとってうざい編集者は、同時に良い編集者です。一言一句にこだわり、取材では共に悩み、記事を出した後の覚悟がある編集者。いわば、書き手と心中してくれる。そういう編集者は信用できます。でも、そんな編集者はネット媒体にはいないんじゃないでしょうか。もっとも、私のウェブマガジンの編集者は人格的に関わってくれます。僕は、編集者のフィルターを通したあとでないと怖いんです。

取材から執筆、発表、その後の反響まで、編集者とともに悩む。そんな、書き手としてのスタンスがはっきりしている安田さんだ。そうした編集者がネットメディアでも増えてくれば、ネットで書くことも多くなるのだろう。

ウェブマガジンは月額648円(一部無料で読める)。まだ会員が多いとは言えず、さらに売上は担当編集者と折半というから、取材費になるかどうかの“収入”にしかならない。

安田 こうした状態では、ネットで書くだけでは食えないですね。食えている人もいると思うんですが、信じられません。羨ましい。ただ、一方で紙にこだわりたい気持ちがある。そのこだわりは “宗教” のようなものなんです。信仰に近いので、正当性があるわけではありません。ネットが不得意。そう思い込んでいるだけかもしれません。

ノンフィクションが冬の時代と言われて久しい。だからこそ、いかにマネタイズするかが活動を継続していく上での鍵だ。

安田 まだ、ネットでのビジネスモデルはありません。

安田さんのネットメディアに対する不安はもっともだ。発表するまでは、編集者との共同作業となる。しかも、編集者は最初の読者だ。ライターは取材に没頭するあまり、一般読者の関心の度合いまではわからないことがある。どうすれば、記事の本質が伝わるのかを共に考えたいと思う。

「書き手と心中できる編集者」とは、一つの作品をつくる上でのパートナーという意味だ。雑誌では、これまでの積み重ねがあり、書き手と編集者との関係は成熟しているため安心感がある。一方で、新興であるネットメディアは、そうした関係が成り立ってないのではないか? という不安はつきまとう。

もちろん、ノンフィクションを書くのは人間が行うことだから、編集者との付き合いかたも一人ひとり違う。だからこそ、安田さんも儲からないとわかっていても、ウェブマガジンでの執筆も始めた。そして、「Yahoo個人!」にも参加しようとしている。ネットメディアで継続して執筆するためには、マネタイズの方法も含め、試行錯誤するしかない。

第3回:小説家になろう〜「場」の提供に徹底する先駆者

2017年6月3日
posted by まつもとあつし

ネット投稿小説を語る時に絶対に外せないのが「小説家になろう」だ。2004年スタートと、ネット投稿小説サイトとして老舗であるのはもちろん、書籍化を前提とした商業作品の投稿を認めないなど、ストイックなまでにプラットフォームに徹しているのもその特徴だ。なかなか外からはその考え方の根底にあるものが見えにくいこのサイトを運営するヒナプロジェクトに直接じっくりと話を聞いた。

取材にはヒナプロジェクト取締役、平井幸さんが応じてくれた。

月間15億PVを擁する「シンプル」なサイト

——「小説家になろう」設立の経緯とビジネスモデルについて教えてください。

平井:「小説家になろう」(以下「なろう」)は代表の梅崎祐輔が2004年に開設した個人サイトから始まっています。規模が大きくなったため2010年に法人化しています。

ビジネスモデルはほぼ100%広告収入で賄っている状況です。サイト内で実施するコンテストの開催費用等はいただいていますが、比率としてはごく小さいものです。

コスト面では、動画や画像などと比較するとデータ容量の小さいテキストを扱っていますので、サーバーコストも少なく抑えることができています。投稿作品数は40万タイトルを超えて居ますが、サイト・コンテンツ全体のバックアップもハードディスク一つで収まるくらいですから。

——オンライン広告はどのように表示されるのですか?

平井:短編を除くと、「なろう」では連載形式の投稿が定番です。つまり一度では読み終わりませんから、新しいエピソードが追加されるたびにサイトにアクセスし、そのたびに広告も表示されることになります。したがってサイトのトップページなどの閲覧数よりも、40万タイトル超×時には100を超えるエピソードが数ある作品ページ自体の閲覧数のほうが圧倒的に多いのです。

現在、毎日400〜500の新規タイトル投稿があります。サイトへのアクセス数はこの3月時点で月間15億PV、サイト滞在時間も平均20分以上という規模になっています。連載という形を取りますので、自然とリピーターが多い、というのも特徴ですね。

——会員登録をすると無料で作品の投稿が可能になりますが、読者の場合は更新通知が届いたりはしないのですか?

平井:メール等での更新通知はまだ実現できていません。ユーザーのマイページには通知はされるようになっています。

——続きが気になる読者は、頻繁に「なろう」サイトにアクセスして更新されているかを確認するわけですね。それにしても、他社に比べ非常にシンプルであることに驚かされます。

平井:もともと代表がサイトを立ち上げた理由も「自分が必要だったから」という面が大きいのです。2004年といえば個人サイトが全盛の時代でした。それぞれのサイトを巡回するのが大変で、であれば皆が作品を持ち寄れる場所を作ろう、と考えたのがきっかけなのです。そういう場所に求められる機能を備えようというのが根本にあります。機能を追加すればよいというものでもなく、小説を書く人・読む人が必要とする機能を優先した結果、シンプルになっているということだと思います。

——規模が大きくなったため、というお話でしたが、個人サイトから法人運営に切り替えた背景は他にはどのような理由があるのでしょうか?

平井:広告の掲載を行う際に、個人サイトではどうしてもお声がけをいただける機会が限られてしまうという面が大きかったと思います。当時はアルファポリス(2000年設立のウェブ投稿小説の出版事業を行う出版社・2014年マザーズ上場)との取引も多かったのですが、企業対個人では信頼度が違いましたね。規模がここまで大きくなった以上はやはり会社になっておいたほうがいいだろうと。

——いま従業員は何名ですか? また組織としてはどのような構成になっていますか?

平井:従業員は18人ですね。エンジニアとサポートがほとんどを占めています。問い合わせ対応を代表一人でこなすのが大変だったのも、チーム体制に移行した大きな理由でした。彼自身はシステム畑の人間なので、問い合わせ対応は得意分野ではなかったということもあります。「なろう」は原則としてメールでの問い合わせ対応なのですが、いまもエンジニアに次いで、サポートの人数が多いのです。

——先ほど言われた「必要とする機能」を汲み上げるという作業が続いているイメージですね。ユーザー数はいまどのくらいですか?

平井:ログインをして「なろう」を利用しているアクティブユーザーが27万人ほどおられます。これはあくまでまもなく100万ユーザーに到達する登録ユーザーをベースにしていますので、閲覧を含めるともっと多くなるはずです。2016年に発行したガイドブック(『WEB小説ヒットの方程式』幻冬舎)では、ブラウザベースで700万ユーザーという試算をご紹介したこともあります。

あくまでも「場」の提供に徹しビジネスには介入しない

——その規模感に対して、サービスやビジネスモデルがとてもシンプルな「なろう」ですが、掲載作品にはどのような特徴・傾向があり、「なろう」としてはどのように関わっているのでしょうか? たとえばアニメ化も記憶に新しい『Re:ゼロから始める異世界生活』(略称『リゼロ』)を例に挙げるとすると……。

MF文庫Jで2014年に出版されシリーズ累計310万部を発行した『Re:ゼロから始める異世界生活』。現在も「なろう」で全文を読むことができる。

平井:弊社は投稿作品の出版について、いっさい関与を行っていません。実際、『リゼロ』がアニメ化されるという話も、私たちも作者さんの「なろう」での告知で知ったくらいですから。

——書籍化の時点でもヒナプロジェクトに問い合わせなどはなかったのですか?

平井:出版社から問い合わせがあった際の取り次ぎはさせていただいています。『リゼロ』についても、ヒナプロジェクトに届いたKADOKAWAさんからのメールを、作者の鼠色猫/長月達平先生にお送りしました。

——そこで他社のようにエージェントとしてビジネスに介在するということはないわけですね。

平井:ないですね。著作権についても「なろう」で保持するということはない、というスタンスです。

——出版社の側からそういった提案がありそうにも思えます。「映像化を前提に一緒にプロモーションをする」「出版前にウェブ連載時点からタイアップをする」といったパターンがありそうですが。

平井:そういう提案があってもお断りしていますね。あくまで「なろう」は作品の展示場所に徹していこうというのが私たちのポリシーなんです。ただ展示場所の一環として「なろう」を商業のコンテストの場として使う、という例はあります。その場合はサイト内での告知費用・システム利用料はいただいています。

ライトノベル出版を手がけるオーバーラップ社が「なろう」と展開する「オーバーラップWEB小説大賞」

——コンテストの実施・運営はあくまで出版社側で、「なろう」としては場所を提供しているという仕組みですね(オーバーラップ社とのコンテストの場合、投稿時にコンテストへのエントリーを示すタグを加えておけば応募完了となる)。

平井:そうですね。選考にも私たちが関わることはありません。おかげさまでかつては年に一度開催できれば、というイメージだったのですが、現在では夏休み前など投稿が期待できる時期には沢山のご相談をいただくようになりました。当然、それらのお話は競合するものもあるのですが、私どもはいわゆる「同載調整」は行わない、ということでご理解いただいています。「なろう」はどこにも肩入れしていない、ということは出版社の皆さんよくご存じでおられるとは思いますので……。

——「タイアップ企画」とは別に「公式企画」というコーナーもありますね。

平井:こちらは私たちが独自に行っている——いわばジャンルの盛り上げを目的としたものです。たとえば夏の時期にお祭り的に「ホラー」の投稿を呼びかける、といったイメージですね。とくに賞を設けたりはしていませんが、1回の企画に400〜500くらいのエントリーをいただいています。

潮目が変わったのは『魔法科』から

——小説投稿サイト、特にいわゆる学園ファンタジーや異世界転生といったジャンルでは比類無き存在とも言える「なろう」ですが、現在の地位を築くきっかけとなった作品はありますか?

平井:反響が大きかった作品としては『魔法科高校の劣等生』(略称『魔法科』。2008年から投稿が始まり、2011年に単行本が出版、2014年にはTVアニメが放送された)が挙げられると思います。それまでは「小説家になろう」と銘打ってはいるけれど、プロの小説家になれるわけがないじゃないかという受け止め方が一般的だったと思います。だから、『魔法科』が電撃文庫から出版されるという発表があったときの反響は大きかったですね。

『魔法科高校の劣等生』は6月17日には劇場版が公開予定

——「まさか本当に小説家が生まれるとは」という反応ですよね。

平井:しかも、あの「電撃」から!?という。

——「マガジン航」でもインタビューを行った三木一馬さんが担当された作品です。電撃大賞への応募ではなく、「なろう」からのデビューとなったわけですね。

平井:そうです。まさに刊行の打診の連絡は三木さんからでした。『魔法科』の作者である佐島勤さんが実は電撃大賞に別の作品で応募されていて、すでに『魔法科』を「なろう」で読んでいた三木さんが、「この文体はどこかで読んだことがある」となり、問い合わせをされたそうなんです。

もちろん『魔法科』以前も、主にアルファポリスからの刊行実績はあったのですが、(書籍化や映像化など作品が拡がっていく)「可能性」について強く意識された出来事だったと思います。アルファポリスでの刊行は、ランキング上位のものや、著者からの出版要請に応じるというもので、どちらかというと自費出版的な側面が強かったので。

同時期に当時のエンターブレインから書籍化が進んだ『ログ・ホライズン』(橙乃ままれ)の存在感も大きなものがありました。「なろう」には活動報告という、作者や読者がコメントを通じて交流するコミュニティがあるのですが、そこでのやり取りも拝見していて、一気に賑わいが増したと感じましたね。

出版社が「ウェブ投稿小説はすごい」と気がついたのは、おそらく主婦の友社の「ヒーロー文庫」(2012年創刊)がきっかけではないでしょうか。「なろう」の作品が多くを占めるレーベルを作って累計450万部以上という売上実績を作られましたので。

既存の環境から生まれてくるものと何が違うのか?

——「なろう」から見て、出版社がウェブ投稿小説に着目する理由とはなんでしょうか? もちろん売れるという面は大きいとは思うのですが、たとえば、先のオーバーラップ社のようにコンテストを「なろう」で行うのは、また別の狙いもあるように思えます。

平井:あくまで想像ですが、ウェブにおける書き手の意識の違いは大きいと思います。たとえばウェブであればコンテスト応募の条件を満たすための「文字数」を考えなくてもいいわけです。ほとんどのウェブコンテストは「原稿用紙○枚まで」といった制約がありません。一方で、書籍化のために○万文字以上という下限が設けられているケースもありますが、完結していなくてもよいというものも多いのです。このように前提が異なってきますから、投稿される作品の傾向も違ってくるのだと思います。

——作品の傾向というのはもう少し具体的には?

平井:「ヤマ」の持っていき方が変わってきます。規定の上限文字数があれば、起承転結をすべてその中で収めなければなりません。ウェブですと、たとえば「承」がどれだけ続こうが、そこが面白ければ、たとえ「結」が見えてなくても作品としてアクセスが増え、評価されますから。

——なるほど。考えてみると本来「小説」とはそういうものだったかも知れませんね。『モンテ・クリスト伯』や『指輪物語』などの古典的な物語にしても、本筋そっちのけで一大叙事詩がはじまって、それもまた魅力であったりもします。

平井:そうですね(笑)。

——商業小説、紙の本による出版という「枠」をウェブ投稿小説がいったん解体した、と言えるかもしれません。

平井:ヒナプロジェクトの思想として「ハードルは可能な限り低く」というものがあります。言ってみれば、中高生が筆の赴くまま書き殴った小説だって載せられるわけです。

——いわゆる「黒歴史」という奴ですね(笑)。

平井:ああいうのって、「どう完結させるか」まで考えないじゃないですか。とにかく衝動的に自分が面白いと思ったものを書き連ねる——それがウェブ投稿小説では許されるところがあります。他人が読んで面白いと思うかは、もちろんまた別問題ではあるのですが、投稿する分にはなんの制約もありません。読者受けを狙うとかではなく、「ただ書きたいから」「書いていて楽しいから」でも、なんの支障もありません。弊社としても、「なろう」に質の高い作品が投稿されることや作者や作品を「育てる」ことを目指してはいないのです。

そうやって書き連ねた作品を、コンテストに応募するのも自由です。そうした過程から生まれた作品が、出版社の編集さんの目に止まり「面白い!」となり、書籍化される。そういう流れがいくつも生まれているのだと思います。たとえ、「日本語としておかしい」ような作品でも、ある層の読者からすれば「面白い!」ということもあります。

実際、作者に出版社の連絡を取り次ぐと、とても驚かれることが多いのです。「これを書籍化なんて本気ですか!?」という具合に。「なろう」にもシステムが自動的に表示するランキングはありますが、個々人が思う「面白さ」を担保するのは、そもそも無理があるので、そこに枠を設ける必要はないだろうと考えていますね。

——言葉を選ばずに言えば、妄想を書き連ねていた先に思わぬ展開が待ち受けていた、ということですよね。そういった内容の面からは、とくに「なろう」の場合、いわゆる「異世界ファンタジーもの」と呼ばれる作品が非常に多いのはなぜなのでしょうか? 傍から見ると「皆同じに見える」という声も聞こえてきますが。

「なろう」のランキング。恋愛ものも「異世界」と「現実世界」に分れ、異世界とファンタジーは明確に区別されている。また「異世界」と「異世界転生/転移」も異なるジャンルなので注意が必要だ。

平井:サイトの傾向としてはそうなっていますね。書き手目線でいえば、おそらく「書きやすい」ということなのだと思います。『指輪物語』や『ロードス島戦記』、『ナルニア国ものがたり』のような、重厚なファンタジーになると文化や経済といった世界設定を作り込んでいく大変な作業が求められることになります。

けれども、今の書き手にとってのファンタジーとはゲームの世界に集約されるところがあって……。

——「ドラクエ」や「ファイナルファンタジー」のようなRPG、ということですね。

平井:それこそ「ファイナルファンタジー」は「ファンタジー」と銘打っていますからね。エルフやドワーフなどの種族がいて、剣や魔法でモンスターと戦って……という世界観がある程度共有されています。そういった読者もすぐに理解できる「お約束」があるジャンルを、「異世界」と呼んでいるのです。

加えて「なろう」では「異世界」と「異世界転生/転移」を投稿する際の登録ジャンルとしては区別しています。異世界にまとめてしまうと数が多すぎますし、物語に求める要素が異なるはずだからです。

——『リゼロ』のような「異世界転生/転移」ものが多いので、別ジャンルとして整理したと。コミケのサークル配置のようですね。従来の小説文芸のジャンル分けとはまったく様子が異なります。転生/転移とそうではない異世界が何が違うのか? という声も聞こえてきそうです。

平井:そうですね、いわば壁サークルとして配置したイメージです(笑)。「なろう」独自のジャンル分けとなります。転生/転移は、現代の私たちと同じ価値観を引き継いでいるかという点がポイントです。物語の展開も異なってきますし、ゲームをベースとした世界観なので書き進めやすい・読者にも共感してもらいやすい、という面はあると思います。

——とはいえ他の投稿サイトでは、「ご当地もの」や「学園ホラー」が人気ジャンルであったりします。「なろう」に投稿する人たち・読みに来る人たちにとっては「異世界転生/転移」がとても重要な要素なのですね……しかし、それにしても、あるいはそれだからこそ一見似た作品が次々と生まれ、にも関わらず人気を博しているのはなぜなのでしょうか?

平井:似てしまう……そうかもしれません。ただ、逆の発想もできると思います。「違いを思いついたから書いた」ということですね。読者もそのわずかな違いから生まれる面白さを楽しむという。

たとえば異世界に転生した上に自分が蜘蛛になってしまった、というアイデアから「蜘蛛ですがなにか?」(上の動画も参照)という作品が生まれています。各々が思いつく一つのアイデアから膨らんだ妄想を書き連ねる、たとえ異世界というほぼ共通の舞台があったとしてもそこから生まれる世界は決して一つではありません。そんな妄想を出力してみたら、意外とウケたということではないかと。

——異世界は、読者がとっつきやすい世界観であると同時に、ちょっとした違いを書き手としても手がかりに書き連ねることができる、その違いを読者も楽しみ続けることができるということですね。一方で、従来の文芸に近いジャンルでも、映画化も予定されている『君の膵臓をたべたい』(住野よる、略称『キミスイ』)が生まれたりもしました。

「なろう」の現在のジャンル構成。定期的に見直しており今の構成になったのは昨年5月。

平井:そうですね。異世界ものが目立つ「なろう」ですが、文芸でも注目作品が生まれています。このジャンルは、書き手が投稿時に「このジャンルで読んでほしい」という感覚で選んでいるもので、掲載後も変更が可能です。たとえば「ゾンビもの」がホラーなのか、パニックなのかは結構微妙なところですよね。

「なろう」には様々な作品が日々投稿・蓄積されていきます。そして、どういった作品を読みたいかも千差万別です。たとえば恋愛小説を読みたいという読者も、舞台が異世界なのか、会社や学校のような現実世界なのかで、まったく気分や属性が違ってきます。以前は検索キーワードで区別してもらっていたのを、もう明確にジャンルとして分けようと言うことになり、いまのようなかたちになっています。

競合をどう意識するか?

——KADOKAWAが「カクヨム」をスタートさせるなど、ネット投稿小説サイトの競争は激しさを増しているようにも思えます。いまの状況をどう見ていますか?

平井:ウェブ小説の場所が、全体として見たときに「広くなった」という認識ですね。もともと「なろう」が生まれてからも、同様の投稿サイトがいくつも生まれ、そのいくつかはなくなりました。そんな中、出版社がウェブ小説に本気で取り組むという姿勢を見せてくれていることは、私たちとしてはありがたく、また心強いという気持ちです。

——よく言われる市場が拡がった、という点に加え、ウェブ小説が小説の真ん中に据えられつつあるということかもしれませんね。

平井:ウェブ小説は、「ライトノベル」方面からも「素人ばかりでレベルが低い」という認識が最初期は強かったのです。そこからすれば、出版社さん自らがサービスを始めるというのは、認識・市場が固まってきたという実感を得るには十分で、嬉しいですね。

——競合の登場に対して危機感はありませんか?

平井:これは代表である梅崎の考えですが、彼はシステム寄りの人間なので、仮に「なろう」が廃れたら、それは私たちが備えている機能が必要とされてないということなのだろう、と。そこは一貫していますね。私たちの「なろう」は、すでに多くの書き手と読み手を抱えていますので、皆さんに便利だと思ってもらえる運営を続けて行くことに集中していればいい、という考え方です。もちろん競争意識は持つべきだと思っていますが、危機感に駆られるということはないですね。

——先ほどの、作者と出版社との間のビジネスには介在しない、という話にも通じるのですが「なろう」は競争からも一定の距離を保とうとしているようにも見えます。いわゆるコミケなどの「運営」の距離の取り方に通じるものを感じます。それこそが、「なろう」が独自の立ち位置に立ち続けている肝なのかも知れません。

平井:距離の取り方にはたしかに気を遣ってますね。そこは大事だと思います。

「なろう」と博報堂DYデジタルがタイアップして展開している特集ページ。「なろう」からのデータ提供を受け、マイニングを行い、読者層に応じたオススメ作品をピックアップしている。

現在、博報堂DYデジタルと行っている「今日の一冊」も、ランキングだけでは抽出できないよい作品をピックアップをいただけるということで、我々からはデータの提供、博報堂DYデジタルからはコンテンツの提供をいただくという関係のもと行っています。トップページから導線を貼っていることもあり、ここに紹介されるとPVが飛躍的に上がり、書籍化の話が進んだものもあります。

——最後にウェブ小説が今後どのように進化していくのか? 「なろう」としてはどのような未来を描いているのかを教えてください。

平井:ウェブ小説といえばライトノベル的な傾向が強かったと思います。実際は従来の文芸をカバーするところまで裾野は広がっているのですが、まだまだその認知は広まっていないのが現状です。そういう意味では、小説というか、いわゆる物書きという業界全部を巻き込むようになっていれば、「道具」としてはいちばんありがたい話なのだと思っています。

すべての物語が、ウェブ小説から生まれるようになってほしい、というわけではありません。従来の仕組みといい意味でのバランスを保ちながら、より多くの作品がより広く世に出るのが、新旧両方の業界にとって至上命題だと思うんです。

片方が潰れてしまって、そこから生まれるはずだった作品が出てこないというのは、おそらく誰も得をしませんから。皆で利益を最大化できているのが、ウェブ小説と既存の出版界が望むべき未来なのかなと思います。

* * *

前回取り上げた「エブリスタ」とは非常に対照的なのが、今回の「小説家になろう」だ。エージェントとしてふるまえば、利益もさらに大きくなるであろうところ、その選択は採らない。プラットフォーム(場の提供)に徹する姿勢こそが、「なろう」を独特の存在たらしめている。運営の際に重視するのもデータよりも、アナログな「ユーザーの声」だという。

どちらがよいのかという議論はいまは脇に置くが、ここから他社が追随しえない大ヒット作が次々と生まれているのは事実だ。それは特定のジャンル、ひいては読者を対象としているから成り立つものなのか? それとも、「ビッグデータ」が喧伝される時代にあって、ネット投稿小説はむしろそれとは距離を置いてこそ魅力が増すものなのか? この連載で引き続き考察を続けて行きたいと考えている。

八戸ブックセンター訪問記

2017年6月1日
posted by 仲俣暁生

昨年暮れに青森県八戸市にオープンした八戸ブックセンターのことがずっと気にかかっていた。あまり聞いたことのない「市営の書店」だということ、私の住む東京・下北沢で「本屋B&B」を経営している内沼晋太郎さんがそのディレクションを担当していること。そしてなにより、ネット等の記事を読んだだけでは、あまり明瞭なイメージが浮かばないこと。以上が理由である。

これは現地に行ってみるしかないと思っていたところ、私が客員で教えている大正大学の地域構想研究所が発行する「地域人」という雑誌から、ローカルメディアの特集を組むというので声をかけていただいた。本誌で「ローカルメディアというフロンティアへ」を連載中の影山裕樹さんや、内沼晋太郎さんとともに座談会に出ることになり、幸いにも、その流れで八戸ブックセンターを訪れることができた。

まもなく刊行される『地域人』の次号に八戸ブックセンターについて寄稿した記事が掲載されるのだが、そこには書ききれなかった雑感を、ここで報告させていただくことにする。

「ブックセンター」は本屋か、図書館か

青山ブックセンター、八重洲ブックセンター、かつての岩波ブックセンター(信山社)など、書店の名前に「ブックセンター」とつくところは多い。八戸ブックセンターの場合も、「本のまち八戸」構想を掲げてこの施設を実現させた現市長の政策公約に「本のセレクトショップ」とあり、多くのメディアでも「市営の書店」と報じられていたため、下北沢にある「本屋B&B」を大型にしたような空間を漠然とイメージしていた。

実際に訪れてみた八戸ブックセンターは、たしかに通い慣れた「本屋B&B」と雰囲気が少し似ている。でもやはり、どこか違う。「本のセレクトショップ」というよりも、「品揃えのいい公共図書館の分館」といったほうが、その佇まいが伝わるかもしれない。

書棚はいわゆる「文脈棚」だ。「知へのいざない」「人生について」などのテーマに沿って、相互に関連性をもつ本が、単行本も新書も文庫も関係なく並べられている。蔵書(店頭在庫)数は現状で約8000冊。ギャラリーやその他のコーナーを含めても全体で百坪に満たないが、それぞれに工夫がこらされており、コンパクトながら密度の濃い空間になっている(フロアガイドはこちら)。

書棚は間隔を置いてゆったりと配置されていて、そこかしこにドリンクホルダーが据え付けられている。立ち読みの際はここに、カウンターで買った飲み物を置けるのだ。この仕組みは初めてみたが、ナイスアイデアである。腰を掛けられる場所もたくさんある。公共施設でありながらスタイリッシュであり、かつ細やかな気遣いもある。八戸ブックセンターとはそんな場所なのだ。

人口約23万人の八戸市のような中堅都市で、大都市型の「本のセレクトショップ」を民営で成り立たせるのは難しい(東京でだって簡単なことではない)。

しかし公営でやるとしても、商売として成功しすぎれば民業圧迫とみなされかねない。公共の図書施設として、公共図書館との住み分け(役割分担)も明確にしなければならないだろう。市長の強いイニシアチブのもとで実現した後も、いやむしろこれからこそ、その運営が前例のない「冒険」であることに変わりはない。

八戸ブックセンターは、さしあたり書店と図書館の中間的な施設といってよいと思う。さっさと本を選んで買って帰ってもらうのではなく、むしろ館内で本をゆっくり読めるような環境を整えている。読みたいだけここで読み、もしも気に入って本を持ち帰りたくなったなら、買い上げてくれればいい。そんな距離感を演出しているように思えた。

ハンモックに揺られて本が読めるコーナーがふたつあり、実際にお子さんと一緒にハンモックに揺られて絵本を読み聞かせているお母さんがいた。「本の塔」と名付けられた、書棚に取り囲まれて「閉じこもれる」スペースもある。ふらっと入ってきた若いカップルが、やや戸惑いつつ「ここは図書館なのかなぁ」と会話しているのも耳にした。

つまり八戸ブックセンターは「書店」であると同時に、本を体験する滞在型施設でもあるのだ。ひと目見て「ああ、自分の住む町にもこんな施設があったらいいなぁ」と思った――「本屋B&B」がすでにあるにもかかわらず。

「読み」「書き」の循環を生み出す場

私が八戸ブックセンターを訪問したかった理由の一つに、この施設では「市民作家」の登録をしている、という話を聞いていたことがある。八戸ブックセンターは、本を「読む人」を増やす、本を「書く人」を増やす、本で「まち」を盛り上げる、という三つの方針を掲げており、館内には「書く人」のための「カンヅメブース」がある。

このコーナーには二人分の作業スペースがあり、その場所を利用するには「市民作家」に登録する必要がある。申請の際、カルテに「この賞に応募する」「電子出版で出す」など、自分で決めた方針を書き込めばよい。これから書くものの出口を具体的に示すことで書き手のモチベーションを高める、いいやり方だと思う。

「市民作家」の執筆・出版活動を支援するため、八戸ブックセンターでは去る5月27日(土)と28日(日)に、私も理事をつとめるNPO法人日本独立作家同盟の鷹野凌さんを講師に招き、「執筆・出版ワークショップ」を行った(鷹野さんはこのワークショップで使用した資料を、クリエイティブ・コモンズのライセンス CC BY-NC-SA で公開している。「本を出版したい人が知っておくべき権利や法律」「電子書籍のつくりかたとひろめかた」)。

今年の1月に書いたこの欄のコラムで、東京創元社の編集者だった戸川安宣さんの個人史を聞き書きした『ぼくのミステリ・クロニクル』という本に触れつつ、私はこう書いた。

  「読む」ことは「書く」ことに繋がり、「読む」ことは「編む」ことにも繋がる。「編む」人も「書く」人も、かつては「読む」人だった。その循環が起きるための場所をつくり、維持し、人を育てていくことがもっとも重要である。

本の仕事に関わる人ならば誰でも、このことを知っているはずだ。八戸ブックセンターが「ブックセンター」と名乗るいちばんの理由は、そのような循環をこの町に生み出すための中心となる場所だからだろう。そして書店でも図書館でもない、あるいは「その両方でもある」ような、「読み」「書き」の循環を生み出す場所を必要としているのは、八戸のような地方都市だけではないはずだ。

必ずしも公営である必要はない。主体は民間企業でもNPOでもいい。大学のなかにあってもいい。日本中にこのような場所がたくさんできることで、本と人の関わりは再生産され、世代を超えてつながっていくのではないか。大都市やその近郊にだって、そういう場所がもしも存在しないのであれば、つくっていくことが必要ではないか。

自分の住む街の近くにもこんな施設があったらという思いは、八戸を訪れてひと月が経ついまも変わらない。