今年も東京国際ブックフェアが始まります

2016年9月22日
posted by マガジン航

毎年開催される本のお祭り「東京国際ブックフェア」が、9月23日〜25日にかけて今年も東京ビッグサイト(西展示棟 西2ホール1F)で開催されます。これまでは7月開催だったものが今年は9月開催に変更となり、読書の秋を感じさせるイベントになりました。ボイジャーは昨年まで、ブックフェアと同時に開催される「国際電子出版EXPO」に出展してきましたが、今年は東京国際ブックフェアへの出展となります。

今年のキャッチフレーズは、「これからの本の話をしよう」。同じタイトルの小冊子が会期中ボイジャーブースで配布されています(電子書籍版PDF版はネットでも公開)。なお、この小冊子には以下の記事が掲載されており、一部の記事が「マガジン航」にも転載されています。

・「電子出版、本気の時代」鎌田純子(ボイジャー 代表取締役)
・「菊とキティーちゃん――「かわいい」の力を日本は使いこなせるか」マット・アルト(株式会社アルトジャパン 取締役副社長)
・「世界への挑戦」藤井太洋(作家)
・「小豆島発の雑誌「その船にのって」ができるまで」平野公子 (メディア・プロデューサー)
・「ひとりの物書きの存在」片岡義男(作家)

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東京国際ブックフェアへの出展者は国内外の出版社が中心ですが、「電子書籍ゾーン」にはボイジャーのほかに、平河工業社、堀内印刷所、スターティアラボ、 デザインМプラス、東海データサービス、フロンティアマーケットが出展(会場マップはこちら)。また「本の学校 出版産業シンポジウム2016 in 東京」や「電子書籍 スペシャル座談会」など、各種のセミナーやシンポジウム(要・事前申し込み)、毎年恒例の「造本装幀 コンクール」も開催されます。

漫画家・佐藤秀峰さん、SF作家・藤井太洋さんらが登壇

ボイジャーブースでは、今年も多彩なスピーカーを迎えたトークが行われます。トークセッションのスケジュールは以下のとおりです(登壇者のプロフィルなど詳細はこちらを参照)。


9月23日(金)

10:30-11:00
こんにちはデジタル〜出版パワーは180°Webにシフトする
鎌田純子 (VOYAGER代表)

11:15〜12:15
本を動かせ!〜動画広告で秘めた魅力を手軽にアピール
小林尚道 (VOYAGER)

12:45-13:45
電子書籍の老舗「コミックシーモア」の書店運営を大公開!?
加藤公隆(NTTソルマーレ)

14:15-15:15
「秋マン!!」って、ご存知ですか?
岡本正史(集英社)

15:45-16:45
マンガ作家としてデジタルを真剣に考えた
佐藤秀峰(漫画家)


9月24日(土)

10:30-11:00
お手本を見て、まねするだけ〜Romancer入門講座
木村智也(VOYAGER)

11:15-12:15
絵があるだけで行く道が照らされる〜イラストレーターともっと手を組もうよ
ヘロシナキャメラ( イラストレーター)

12:45-13:45
菊とキティーちゃん〜刀を捨てた「かわいい」日本が素晴らしい
マット・アルト(株式会社アルトジャパン)
特別出演:マンガ多言語対応――『蝶のみちゆき』
佃 純次(リイド社)

14:15-15:15
世界への挑戦〜デジタル発――日本SF大賞作家は語る
藤井太洋(作家)

15:45-16:45
私ゃデジタルかじり虫〜ボイジャーのイメージビデオをつくりました
うるま[うるまでるび](スーパークリエーター)


9月25日(日)

10:30-11:10
Romancer Webと出版はひとつ〜デジタル出版はみんなのもの
萩野正昭 / 小池利明(VOYAGER)

11:15-12:15
誰でも いつでも どこからでも〜デジタル出版のさまざまな事例を紹介します
Romancer作家のみなさん(VOYAGER)

12:45-13:45
欣喜雀躍 ドラえもん デジタル〜台湾でこんなに元気!
黃詠雪(台湾・青文出版総経理)

14:15-15:15
デジタルだから故郷を発信できる
小豆島の若者たち

15:45-16:45
これからの本の話をしよう〜好きなことをやる、上を向いて歩こう、ヤ
鎌田純子 / Bob Stein / 萩野正昭(VOYAGER)


なお、会場内のボイジャーブースはコマ番号1 – 42です(位置はこちらの地図をご参照ください)。
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小豆島発の雑誌「その船にのって」ができるまで

2016年9月21日
posted by 平野 公子

インターネットがあれば何処でも暮らせる

私が装丁家の平野甲賀とともに小豆島に移住してから2年半が経ちました。

なぜ移住したのか、なぜ小豆島だったのか、明確に理由があったわけではありません。東京から遠く離れられれば何処でもよかったような、今おもいだせるのは、劇場運営で食いつぶしての出奔であったのが第一の動機、他はごくボヤっとしたことだったような気がしています。が、私は考えるより動くのが得意なので、動くのが先、動いて行くうちに理由はあとからついてきた、というのが本当のところです。気がつけば立派に老人の年齢である私たち夫婦はあれよあれよの間にすっかり島の住人となり、おまけに若い仲間たちとそれなりに楽しく忙しく暮らしている今日、という案配です。無謀な行動でいつも夫を巻き添えにしてしまうのは、ちょっぴりですが申し訳ないことだと反省しております。50年の不作と諦めてもらうしかありません。

ただひとつ。これだけは確か。インターネットがこれほど発達していなければ地方、それも離島にくることはなかった、ということ。島に来てからいままでどおり細々でも平野甲賀は装丁の仕事を続けているし、私はネットを使って本の仕事やイベント作りをやれています。インターネットは移住の第一のツールです。

さて、地方の島で生活すると、いろんなことが変化します。便利は不便に、苦は楽に、疎遠は親密に、質素が贅沢に。おっとりの夫はさらにおっとり度が増し、朝早く起き、写経のように文字を描き、装丁の仕事をし、猫と遊び、草をむしり、焚き火に精出し、おそらく今日が何曜日かも気にせず、もし物忘れシートの記入を試みれば、痴ほう老人の仲間入り必定なほど、のどかです。私は私で朝は遅く起き、島のモノやコトやひとが面白くて面白くて、毎日歩き回り、夜遅くまで起きてお酒を飲んでいる。日々日々こうして、生まれ故郷東京は、私たちからドンドン遠ざかっていったのでした。

等身大の暮らしを本にする

もともと静かに老夫婦で暮らすつもりであった小豆島で、できたら植物を相手に小豆島のベニシアさんになろう、決してヤクザなことはやらずにおこうと誓って故郷を後にしたというのに、思いもかけず若い人たちとイベントをやったり、いろんな移住相談にのったり、行政のお手伝いをさせていただいたり、展示を企画したり、やめられない止まらない私の因果な性分で、私は相談役ではありましたが、この原稿を書いている5月22日には小豆島初落語会まで開催の運びとなったのでした。

それにしても、島にいる若者たちの人間力の高さには眼を見張るものがあったのでした。経済効率や利潤大追求とはほど遠い、が、生業の働き方はもちろん、いろんなことに楽しみを見つけ出すこと、それを実現にもっていくスキルと実行力、互助力に私は大いに刺激されたのでした。そして、いまここでこの島でできる限りのことを力つきるまでやってやろうじゃないの、とまぁ、またもや一発勝負の悪いクセがあたまをもたげてきたのでした。

まず地方発の、そこに暮らす人の等身大の記録を本にしようと思い立ちました。

東京時代から付き合いのあった晶文社の斉藤さんに相談すると、できるものならやってみてください、というお返事。きっと半信半疑だったのでしょう、が、とても有り難いことでした。故郷東京とひとつ繋がりました。それで17人の若者に、自分の仕事について、あるいは自分が手がけたイベントについて、とりあえず好きなように思うがままに書いてもらうことにしました。生産現場7カ所の紹介はイラストルポを高松在住のイラストレーターオビカカズミさんにほぼ一年かけてやっていただきました。原稿は17人からはポツポツ集まってきたのですが、長さマチマチ、これはどう読んだらいいのか、という自分史的なもの、半ページにもいかない短文のもの、などなど。まとめて読んでみたものの、文章で人に何か伝えることの難しさに頭をかかえたのでした。

さてここからだ、どこからだ?

本人が書き直せそうな人にはもう一度チャレンジしてもらい、今度は文字数もおおかた決めて言いわたす。他の原稿はじっくりひとりずつその人を思い浮かべながら読んでいく、申し訳ないがバサッと切ったり、ちょこっと加えたり、まるごと入れ替えたり、手をいれさせていただいた。斉藤さんと二度、三度やりとりしながら、ようやく全体のまとまりとページ数が見えてきたのが、昨年末です。そして今年の2月『おいでよ、小豆島。』(晶文社刊)として、この本は世に出ました。

『おいでよ、小豆島。』(晶文社)

『おいでよ、小豆島。』(晶文社)

いま読み返すと失敗がたくさんあります。私が入れる穴があれば入りたいくらいです。が、この本のおかげで、島への関心が思わぬところからも届いたのも事実です。北の果て北海道から興味を寄せていただいたのも意外なことでした。島のなかでもお互いがお互いの書いたものを読むことで新発見があったようです。

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最終的にできあがった本を手に、メンバーで記念撮影(写真提供:三村ひかり)

小豆島文学との出会い

実は私はこの本を作りつつ、島の役場の仕事で違うことに手をつけていました。

小豆島は同じ地区、同じ時期に壺井栄、壺井繁治、黒島伝治3人の文学者が生まれ育ったという稀な場所でもあります。また流浪の俳人尾崎放哉終焉の地でもあります。『二十四の瞳』の壺井栄しか知らなかった私ですが、島に来てから黒島伝治を貪り読み、壺井栄の1600はあるといわれている作品群を読みあさり、現存している壺井夫妻の家(『二十四の瞳』の舞台となった分教所が見える家)、黒島伝治の家(80年前の随筆にでてくる家の間取り!)を役場のみなさんに案内されたときには、私のできるやり方で、彼らの作品をもう一度世に出したい、という気持ちがふつふつと沸き上るのを押さえることができませんでした。それから彼らの作品をとりあげて小さな朗読会を開いたり、読書会をひらいたりすると、島の人たちでも誰も彼らの本を読んだことがなかったのがわかり、朗読をとおしてみなで彼らの物語再発見を味わうことができたのでした。

ですが、もっと形にしたい。島にいる私がやらずにいったい誰がやるというのだろう。

特に壺井栄のストーリーテラーとしての資質に惹かれていた私は、おそらく島の生活をつぶさにみていた少女栄の眼に写った物語は、100年前の島の生活者を活写していると想像しました。しかもどこの地方の庶民とも共通だったのではないか、と。おおげさに言えば100年前の日本人の庶民の暮しが物語の中に息づいているのです。壺井栄は眼と耳の確かな人です。栄の短編だけでも新しく編み直して選集にできないか、児童文学書の中で選集ができないか…。

そこでハタとおもいつき、膝をたたいたのが、電子本です。

さっそくボイジャーの萩野さんにご相談しました。電子本のデの字も知らないのにです。たしか、それは自分たちで作れるんじゃないですか、作り方もおしえますよ、というのが最初のご返事だったと思います。

さて、またもやここからです。

前述の本『おいでよ、小豆島。』が出てからまだ数カ月ですが、この本に納まりきらなかったことや人が後から後からでてきました。もう本にはできない、してもらえない、が、だったらもっと刻々と増えつづけるイマを伝えるメディアを作れないか、その中に島の文学者の電子本を棚としておくことはできないか、その座りで両方とも実現することは可能か? もちろん萩野さんにもメールを出しつつパズルのように考えていくと、これは電子版雑誌を発行していくのが妥当なのではないか、というところにたどりついたのでした。

電子雑誌、いよいよ出航

7月1日に出航した電子雑誌「その船にのって」。無料で読めるインタビューやエッセイ、映像も。

7月1日に出航した電子雑誌「その船にのって」。無料で読めるインタビューやエッセイ、映像も。

ここまで考えつくと平野甲賀にコトのあらましをぶつけてみました。話の途中で雑誌のタイトルを考えろ、というのです。そうだ、いつも最初にタイトルありきの人でした。で、おおまかな構想はもってはいましたが、もちろん誰に連載をたのむとか、どんなウェブ構築にするとか、誰が雑誌を運営していくのか、などなど何も定めていないうちに、ある日、ポッと浮かんで来たのが小豆島発電子雑誌「その船にのって」というタイトルでした。島へくるのも島からでていくのも船に乗らねば何処にも行けません。いったん船にのると、不思議なもので、その船で世界の果てまでいけるのではないか、と夢想してしまいます。コレだ、とタイトルを告げると、描き文字の巨匠はさっそくその日のうちに「その船にのって」のロゴをつくってしまいました。もうあとにはひけません。

電子雑誌の連載は島の若者と海外に暮らす若者、沖縄、いずれ台湾や香港に暮らす若者たちにたのむことにしました。船はいろんなものを載せます。電子本の装丁は全部やってみたいという平野甲賀の意向で、小豆島の文学者の古本を再編集、新人の棚、エンタメ本と、やがて拡がっていきます。すでに装丁は美しくできあがってきています。ウェブの特色でイベント情報や映像や写真もあざやかに入れていきますが、読み物中心の雑誌にしていきたいです。プロのもの書きはすくないですが、いずれここから新人も出てほしい。電子本と紙の本の交互作用も期待したい。誌上で紹介していく小豆島の産物も味わって欲しい。

「その船にのって」は編集のメンバーは4人(誰も経験なし)で出航しました。資金なしのわれわれです。読者から年間購読料2000円を徴収させていただくのも、無料が常識のウェブでどこまで応援いただけるのか、私たちなりの挑戦です。


この記事はボイジャーが編集発行した小冊子「これからの本の話をしよう」より転載しました。「これからの本の話をしよう」は東京国際ブックフェア会場のボイジャーブースで配布されるほか、電子書籍版をこちらで閲覧できます

「ポケモンGO」のヒットから何を学ぶか?

2016年9月13日
posted by 大原ケイ

谷本真由美さま

なんだかんだでオリンピックも終わって、ロンドンどころか、あのリオでさえなんとか盛大なイベントを開催できたのを見て、少し安堵していいのか、さらに4年後のことを心配していいのかわからない今日この頃です。

さて、日本では誰よりも先にミーハー丸出しで飛びついておいて、もう飽きたなどと、通のゲーマーぶってみせる輩も見受けられる「ポケモンGO」ですが、ニューヨークでもものすごいことになっています。

ポケモンはなぜアメリカでも成功できたか

もともとニューヨーカーといえば、あの小さいマンハッタン島の中を「この私を轢けるものなら轢いてみろ」とクルマにガンを飛ばしながら歩きまわっているので、うってつけのゲームだったと言えるでしょう。いまだに誰もポケモン捕獲中にタクシーにはねられて死亡していないのは、普段から歩きスマホも、ジェイウォーク(横断歩道じゃないところを斜めに渡ること。一応ニューヨークの条例では違法となっているが、誰も守っていない)もお手の物だからかと思っております。

「ポケモンGO」をめぐる騒動で思い出すのは、やはり最初にアメリカで、「ゲームとアニメと映画がマルチメディアでシナジーを起こす」などと言われていた頃のことですね。もう20年近くも前の話です。あの頃、アッシュ・ケッチャム(サトシの英語名)がリビングルーム(お茶の間ではなく)に登場して、ニンテンドーのゲームにはまったアメリカンな小学生たちが、オタク感溢れる大学生・社会人になって「ミュウツー」だの、「ギャラドス」だの言いながらボールを投げているかと思うと、感無量です。

なにしろ、インスタント冷凍ワッフルがポケモンバージョンを出したり、ラジオシティー・ミュージックホールでポケモンショーをやっていたり、プロモーションと称して、フォルクスワーゲンの黄色いビートルを改造したピカチュー車が何台も子供の多い街に出没してゲームをやらせていたぐらいなんですから。

何がきっかけでアメリカでポケモンがブレイクしたかといえば、ニンテンドーがアジア圏以外でのアニメとマーチャンダイスのライセンスを売り飛ばしたからなんですよね。買ったのは、アル・カーンという人物で、それまでにアメリカで「キャベツ畑人形(Cabbage Patch Kids)」という、お世辞にも可愛いとは言えない人形を流行らせたこともある人です。

ちなみに、アメリカ人にとってCabbage Patch Kidsといえば、なんでクリスマスにあんなものを欲しいと思ったのか、本気でサンタさんにお願いしてしまったのか、過去の自分を殴りたいぐらいの黒歴史になっているおもちゃなのであります。そもそもなんでキャベツ畑で子どもが生まれる設定なんだよ? と突っ込んであげると面白いかと思います。

郷に入りては郷に従え

ポケモンのランセンスを根こそぎ買って大儲けした4Kids Entertainmentという会社は、ポケモンのアニメをアメリカ風にかなり勝手にアレンジしたと、いまではオタク系の米アニメファンに責められる存在ですが、「遊戯王」を扱った時のトラブルが元でその後に破産宣告しました。インターネットも一般に普及していないその頃は、サトシがアニメで「おにぎり」を食べていても「あの黒いボールはなんなのだ? ポケモンを捕まえるための道具ではないのか?」というトラブルを避けるために、サンドイッチの絵を代わりに挿入した、などの逸話が残っています。

ブームの頂点ではアメリカで年商30億ドル近いとされていたので、アル・カーン氏はこれで億万長者となりました。その後、ロングアイランドの母校に何億円ものお金を寄付したり、投資を装ったネズミ講で逮捕されたバーニー・メイドフの五番街のお屋敷を破格の安値で買ったときにも、ニュースで名前を見かけました。

もちろん任天堂としては、実は日本のことなどちっとも理解しているわけではなかったこの人物が、濡れ手に粟のごとく、しこたま儲けたのは面白くないでしょう。でももし、任天堂の日本人駐在員が乗り込んでいったところで、ポケモンがアメリカであれほど売れたかというと、私は違うと思います。

郷に入りては郷に従え、ということわざじゃないですが、現地の子ども向け番組のバイヤーと親しいとか、おもちゃ業界のR&Dの人とコネがあるとか、ワッフルやパスタのような異業種商品の流通に詳しいとか、そういう人材がいなければ、いきなり異文化のマーケットに「これ、日本で流行ってるんですけど〜」という理由だけで食い込むのは難しいからです。

そもそも、アメリカ人の子どもたちが何を「クール(カッコいい)」と感じるのかがわからないと、ダメですよね。日本政府側が「クールジャパン」と称して推してくるものが、大抵ハズれているのはそのためです。可愛くないキャベツ畑人形もこうすれば売れるとか、忍者のコスプレと思われるイタリア名の突然変異した亀がヒーローのコミック(ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートル)がなぜか人気があるとか、どうすればアメリカ人がお金を出すのか、こうしたことがわからなければなりません。安倍首相がいくらオリンピックの閉会式でマリオになりきろうが、一国の首相があんなことしてるよ、という笑いをとって終わりです。

これはコンテンツ輸出を目論む出版社にも言えることですが、版権は、それを売るノウハウを持ち合わせていなければ、宝のもちぐされであって、いくら自分たちで守っていても一文にもならないことになります。

4年後をみすえて何をすべきか

日本人的な感覚だと、ポケモンがイケるんだから「妖怪ウォッチ」だっていいだろう、と思いがちですが、日本的な「妖怪」という感覚が海外でどう受け取られるかは未知数です。十分に子供たちにフォーカスグループで実験し(そもそも、「フォーカスグループ」に相当する日本語が思いつかないあたり、マーケティングのコンセプトとして浸透していないものと思われますが)、その上で、ランセンシングに詳しい現地の人たちを雇うのが、成功のカギを握るように思います。

「ポケモンGO」の人気を、相も変わらず「日本すげー!」の一例として捉えたい人がネット上には多いようですが、これはグーグルマップという大容量のデータと、ナイアンティックが「イングレス」に続く新しいARゲームとして英知を結集させたものであって、未だに萌え少女のRPGのレアアイテム狙いで課金させている日本のゲーム界には、逆立ちしても作れなかったろうな、と感じてしまうのであります。

同じ感覚で、4年後に日本側が「おもてなし」と思っていることと、東京にオリンピックを見るために乗り込んでくる外国の人たちが準備しておいて欲しいことはだいぶ違うのではないか、と危惧されます。

残念ながら、政官主体の「クールジャパン」では思いっきりハズれたおもてなしになるのが目に見えるようなので、ここは素直に若い人に任せるとか、海外の人たちの声を素直に聞くとか、「ジジ抜き」を心がけてほしいものであります。たとえば、ハズレは「成田空港に着物を纏ったお姉さんが立っていて、冷たい手ぬぐいを渡してくれる」で、アタリは「成田に着いた途端、ワンクリックで高速の無料無登録Wi-Fiがサクサクと動き、SIMカードが海外登録のクレカでサクッと買える」ということなのですが、これをにITには不案内そうな五輪担当大臣に説明するだけでもハードルはかなり高い気がします。

この往復書簡は今回の往復で最終回ということですので、私からはこれが最後のお便りになります。4年後の東京オリンピックをみすえて、日本人は何をすべきか、谷本さんはいかがお考えでしょうか?

※この投稿への返信は、WirelessWire Newsに掲載されます


この連載企画「往復書簡・クールジャパンを超えて」は、「マガジン航」とWirelessWire Newsの共同企画です。「マガジン航」側では大原ケイさんが、WirelessWire News側では谷本真由美さんが執筆し、月に数回のペースで往復書簡を交わします。[編集部より]

テクノロジーの中年

2016年9月5日
posted by 荒木優太

ケヴィン・ケリーの新刊『〈インターネット〉の次に来るもの――未来を決める12の法則』(NHK出版、2016)の原題はThe Inevitable、即ち『不可避なもの』である。なにが不可避なのか? テクノロジーの進歩に伴って条件的に課される、日々新しくなっていく情報/メディア環境での私たちの生活である。しかも、その更新は止むところを知らない。

無限のアップデート、避けられないのは常に新しい未来である。

その絶えまぬ更新的世界観は、各章の副題によく現れている。「BECOMING」(なっていく)、「COGNIFYING」(認知化していく)、「FLOWING」(流れていく)等々、すべて~INGという現在進行形で示される。つまり、全12章=「12の法則」は、私たちが放りこまれている新たな環境の生成変化の現場を、特徴的な動詞の観点から検討しているのだ。

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永遠のビギナーたれ

ケリーの基本的な立場は最初の40頁で、ほぼ理解することができる。乱暴にいえば、あとの紙幅は示された立場から見えてくる新世界の例示である。

要するにこういうことだ。大きな変化のプロセスのただなかにあっても、今後30年間ほどならば技術進歩の方向(または傾向)の基本を抑えておくことができる。透かして見えるそのアウトラインを、拒むのではなく、先ずは飛び込んでみる意欲でもって新環境と協働することで、いま以上のクリエイティヴな成果を得ることができる。

たとえば、ロボット化が進むと多くの仕事に人手が要らなくなるが、そのぶん、人間だけに許された創造的営為に集中できる機会が増え、しかも様々な技術体からの援助を得ることでそのハードルは大きく下がっていくのだ。

ケリーは、このような常なる更新の世界に対して、「この〈なっていく〉世界では、誰もが初心者になってしまう。もっと悪いことに、永遠に初心者のままなのだ。だからいつも謙虚でいなくてはならなくなる」、「永遠の初心者こそが、誰にとっても新たなデフォルトになる」(p.18)と、ユーザーの側のアチチュードの変化を予告する。

変化し続ける世界では、既存の技術体に関する慣れ親しんだノウハウは役立たない。仮に熟練者が誕生しても、一瞬のうちに、初心者へとリセットされてしまう。永遠のビギナーたれ、というケリーの教えには、未来のメディア環境を生き抜くために必要な心構えを認めることができる。

慣れないことにはもう慣れました

しかし、好奇心を大いに刺激するケリー的世界観には、新しさへの眩暈から反動的にやってくる倦怠を感じてしまう人もいるかもしれない。少なくとも私は、新しさが次々と現れる現在の光景に、拒否したいというほど強い意志はないものの、別段大きな興奮を覚えない。

勝手にアップデートしてしまうことで評判を悪くしたWindows10が、仮にずっとスマートだったとして、しかしそもそも、いま以上の利便性を身につけなければならないのか、という根本的な疑問は拭いがたい。

技術が社会に与える革新性への期待で胸を膨らます青年でもなければ、ちょっとでも目立つ新しさに出会おうものなら全力で拒否感を露わにする老年でもない、このアンニュイな気分を共有する人々のことを、「テクノロジーの中年」と仮称してみることにしよう。

中年とは、具体的な年齢を指しているのではない。「不可避」を的確に認識しつつも、大きな期待もなければ悲観的な絶望もない、否定もしなければことさら深入りしたいとも思わない……謂わば、新しさに慣れ親しんでしまった、慣れないことに慣れてしまった心性のことを指している。

このような中年性を私は以前からケリーとは別のテクストで考えていた。ケリーを読みながら、想起したのはやはりそのテクストの存在である。

即ち、ヴァルター・ベンヤミンのエッセイ「複製技術時代の芸術作品」(1936年)という古典がそれだ。

生写真のアウラ?

「複製技術時代の芸術作品」というテクストは、芸術作品のアウラを分析したことで有名だ。アウラとは、英語読みすればオーラのこと。日本語ならば「威光」とでも訳せるかもしれないが、その意味するところは、一回しか生じない芸術的対象の代替不能な輝きを指している。ベンヤミンはアウラの例としてまず第一に、夏のある風景を紹介する。

いったいアウラとは何か? 時間と空間とが独特に縺れ合ってひとつになったものであって、どんなに近くにあってもはるかな、一回限りの現象である。ある夏の午後、ゆったりと憩いながら、地平に横たわる山脈なり、憩う者に影を投げかけてくる木の枝なりを、目で追うこと――これが、その山脈なり枝なりのアウラを、呼吸することにほかならない。(引用は多木浩二『ベンヤミン「複製技術時代の芸術作品」精読』所収の野村修訳を使用、p.144、岩波現代文庫、2000)

技術と芸術の関係を論じる文章にも拘らず、夏の風景のような自然物を第一の例として出す不親切から始まり、一事が万事、このテクストは込み入っており簡潔な要約を拒む性格をもっている――素人ながら推測してみれば、テーマ的にいって本来ならば別々の論文のタイトルとして出すべきアイディアをベンヤミンはこの短文に凝縮してしまっているのではないか――。

しかし、その示唆するところは深い。アウラとは「一回限り」の感覚であり、つまりはコピーできないものを指す。それ故、複製技術が発達すると、アウラは消滅の危機に瀕す。たとえば、実際の夏の風景には他に替え難い重みを見出せるのに対し、同じ風景でもそれを写真やポストカードを通して受容するならば、「一回限り」を感受することはない。アウラ喪失の事態である。

では、アウラの有無は技術的に決定されているのだろうか。そうともいえない。たとえば、「生写真」という言葉がもっている独特の響きを想起してもらいたい。アイドルや俳優の写った、そしてしばしばサインの書き込まれた「生写真」は、他のイメージ・メディアに替え難い輝きをもっている(故に、それは「お宝」にもなる)。

先の例でいえば、写真はアウラが宿らない死物であったはずだ。にも拘らず、そこに冠された「生」の感覚とはなんなのか。含意されているのは、イメージを支えるその物質性である。イメージは独立して存在しているのではなく、物的支持体(紙)に託されて流通する。その有限な物質性こそコピーすることのできない「生」性を確保するのだ。

回帰するアウラ

不思議なことが起こっている。ベンヤミンによれば、複製技術が介入するとアウラは消失するはずだった。そしてその指摘は経験的な説得力をもっている、本物のゴッホ作『ひまわり』とTシャツにプリントされた『ひまわり』は当然違うものだ。けれども、そのような複製技術体であれ、私たちはときにアウラを感じてしまう瞬間がある。アウラが還ってくる。アウラの有無を技術決定論的に断定することはできない。

重要なのは、どうやらアウラ発生の裏側には芸術的対象を受容する主体側の要件が大きく関わっている、ということである。多木浩二が解説するように、「アウラを感じうるかどうかは社会的な条件に依存するから、われわれが集団内で芸術に抱く信念というほうが妥当」だ(p.46)。見聞きし体験する側、知覚する側の社会的条件こそ、アウラの大きな函数である。

では、どうやったら「写真」は「生写真」になることができるのか。私の仮説はこうだ。ある主体が写真以降の複製技術的環境を習慣化したとき、翻って過去の複製技術体に宿っていた複製できない有限性が事後的に見出される、その落差(ギャップ)にこそアウラの回帰する余地がある。

イメージの複製は、今日、パソコンの画像データで処理すればほとんど無限にコピーできる。しかし、その状態が習慣化したとき、翻って一枚の写真という複製技術体がもつ複製できなさを感得することになる。

テクノロジーの進歩に伴って、様々な過程的形態が生まれるが、それらを連続的に通過するとき、過去には感じられなかった複製技術体の特性に改めて直面することができる。「生写真」感覚の正体とは、今日のテクノロジーと明日のテクノロジーの間に生じる時間の界面現象なのではないか。

スクリーンのアウラ

同様のことは文字テクストに関しても指摘することができる。直筆ではなくタイプライターで綴られた「生原稿」は、必要な道具一式を準備すればやはりコピー可能なものだが、インクの汚れや紙のよれ具合などは、それが「一回限り」の現象であったことを端的に教えてくれる。文学者の記念館で展示されるのも当然だ。

ケリーは第四章「SCREENING」で、書物がスマートフォンやタブレットなどスクリーンに代替していく現状を俯瞰して、「本の民」と「スクリーンの民」の対立的様相を紹介している。無論、ケリーは後者への期待を隠そうとしない。これもまた「不可避」である。

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ただし、時代が進めば進むほど、特定の型のスクリーンがもつ物質性が逆に浮かび上がってくるかもしれない。SF的な話だが、たとえばバーコードのような模様に触れるだけで文字情報が音声となって脳内で再生される読書環境が一般化したとき、私たちはiPadの平べったさや重みが時代限定的であったことに気づき、その機器でタイプされた文章ふくめて「一回限り」のものとして知覚することは十分ありうる。

活版印刷以降の印刷術は一見、同じ本を複製しているようにみえる。しかし、痕跡本やサイン本がかけがえない対象になるように、それらは元々素材として個々別々の紙で造られている。その個体性に応じて私たちの認識の個体化も生じている。同じことはこれからも起こる。私たちが身体的存在者である以上、環境の物質性を克服することはできず、そこには常にアウラが回帰する余地がある。

いくらデジタル化が進もうと手放せない本の一冊や二冊はあるものだ。だからこそ、手放せないタブレットの一つや二つがあってもおかしくない。

中年の「不可避」

なぜテクノロジーの中年に注目するのか。それは、回帰的アウラの例で分かる通り、技術体を受容する側には経てきた具体的な記憶が宿っていることを無視してはいけないと思うからだ。少し難しくいうと、人間には特有の可塑性があり、新しいものの受容の型は予め歪曲しているように見える。だからこそ受容のさいに落差が生まれる。

美的受容は一律にフラットなものとして考えることはできず、その型には経てきた歴史が刻まれているはずだ。その歴史性をなかったことにすることはできない。ビギナーにはエキスパートの記憶が残っている。

可塑性とは、変化を受け入れる可変性と、受け入れた変化を保存する不可逆性を意味している――ちなみに、可塑性に関するこの両義的な解釈はカトリーヌ・マラブー『わたしたちの脳をどうするか』(桑田光平+増田文一朗訳、春秋社、2005)が強調していたことだ――。変化に開かれつつも先行する変化の歪みを保存する。これは類比的にいえば、テクノロジーの中年がもつアンニュイな気分にほかならない。

私が指摘したいことは、ケリーとは異なる視角からの二つの「不可避」である。

第一に、これからの人間の生にとって、テクノロジーの中年の状態は「不可避」なのではないか。どんな若々しい青年であれ、常なる高頻度の更新に晒されれば、更新そのものが常態化した結果、中年的達観に至る。可塑性は、永遠のビギナーたれ、という教えを、斜に構えた仕方で、或いは鼻で笑いながら受け取るのだ。

第二に、テクノロジーが進歩すればするほど、アウラが回帰したように、中年による過去の技術体再発掘への欲望の点火は「不可避」なのではないか。それを単なるノスタルジーと切って捨てることはできない。なぜなら、その後ろ向きの発見は、再発見でありながらも、時間をかけなければ決して到達しなかった未踏の新発見でもあるからだ。その魅力は、最新テクノロジーと同期する輝きをもっている。

果して、テクノロジーの中年が、人類にとって歓迎すべき成熟したユーザーなのか、それともノリの悪い老害にすぎないのか。それはまだ、いま現在の私には判断がつかない。ただし、私たちは日々老いながら、ケリー的世界観に対峙せねばならないことに留意しておく必要はあるだろう。永遠のビギナー生活もいつかは終わる。誰しもが死のビギナーにならざるをえず、生まれ変わること(=「この私」の複製)もおそらくないのだから。

続・本屋とデモクラシー

2016年9月1日
posted by 仲俣暁生

2ヵ月前のこのコーナーで、「本屋とデモクラシー」というコラムを書いたところ、何人かの方から、このテーマでイベントを開催できないか、というお声がけをいただいた。そこでさっそく、東京・渋谷に新しくできたLOFT 9 Shibuyaという店で、9月6日に以下のイベントを行うことになった。

#本屋とデモクラシー〜シブヤ・いちご白書・2016秋〜
http://www.loft-prj.co.jp/schedule/loft9/48460

登壇者は、ここ数年に「本屋」を開業した人や、取次・出版社・作家といった書店にかかわる関係者のなかから、以下の方をお招きすることにした(司会・進行は「マガジン航」編集発行人の私が務める)。

・辻山良雄(本屋Title)
・松井祐輔(H.A.Bookstore)
・梶原麻衣子(月刊『Hanada』)
・碇雪恵(日販リノベーショングループ)
・藤谷治(小説家)

これまで「マガジン航」では「本屋/書店」に関する記事を、経営者やオーナー自身にご寄稿いただいたり、インタビュー取材させていただくかたちで掲載してきた。

百年の一念
くすみ書房閉店の危機とこれからの「町の本屋」
「フィクショネス」という本屋の話
いまなぜ本屋をはじめたいのか
京都の「街の本屋」が独立した理由〜堀部篤史さんに聞く【前編】
京都の「街の本屋」が独立した理由〜堀部篤史さんに聞く【後編】
選書専門店「双子のライオン堂」の野望
学生による本の活動ユニット・劃桜堂
北海道のシャッター通りに本屋をつくる

わがままな利用者としての立場から本屋に言及する記事はネットに溢れているが(そして、それも重要だが)、これだけアゲンストの風が吹いているなかで、それでもなお、これから本屋をやろうとする人たちの考え方を知る機会が、あまりにも少ないと思ったからだ。

ところで、今回のイベントに先立ち、とてもタイミングよく西日本新聞社出版部からこんな本が出た。

『本屋がなくなったら、困るじゃないか 11時間ぐびぐび会議』

昨年秋に福岡で開催された「ブックオカ」のイベントの一環として、2日間にわたって行われた「車座トーク」をまとめたもので、現在の出版が抱えている問題が、まさに「車座」のごとき多視点で語られている。東京・荻窪に本屋Titleを開店するまえの辻山さんが、新規開業の「心づもり」を語っておられたり、同じく登壇者であるH.A.Bookstoreの松井祐輔さんが特別インタビューに登場していたりと、上記イベントの予習にうってつけなので、ぜひお読みください。

デモクラシーとローカルメディア

『本屋がなくなったら困るじゃないか 11時間ぐびぐび会議』を読んでハッとしたのは、この企画を主催し実行したのが、九州の書店・出版関係者だということだ。そうか、だからこの本は面白いのかもしれないな、と思った。東京にいて暮らしていると気づかない、その地域その地域が抱えるさまざまな問題・課題が、この本では「九州」という地域を足場に語られていることが、私としてはとても新鮮だった。

「マガジン航」では『ローカルメディアのつくりかた』の著者、影山裕樹さんに新連載「ローカルメディアというフロンティアへ」を開始していただくと共に、影山さんを共同モデレーターにお迎えし、「ローカルメディアが〈地域〉を変える」という連続セミナーを今年の夏から開始している。そして、この第2回目がまもなく9月9日に開催される。

ローカルメディアが〈地域〉を変える
第2回「メディアが地域にビジネスを産み出す」
http://peatix.com/event/187998/view

講師:
・江守敦史氏(一般社団法人日本食べる通信リーグ ゼネラルマネージャー)
・杉浦裕樹氏(NPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボ代表理事、「ヨコハマ経済新聞」編集長)

「マガジン航」がなぜ「ローカルメディア」に関心をもったのかと、このセミナーを始めてから、訊ねられることが増えた。私個人の動機づけは、学芸出版社のサイトで影山さんの『ローカルメディアのつくりかた』について書いた書評で少しふれてみた。端的にいえば、東日本大震災後のメディアの動向に対する違和感、つまり東京という中央から発信されるメディアだけでは、世の中のリアリティを十全にすくいとることはできないという、当たり前の事実に気づいたことである。

その意味で、私の中ではローカルメディアへ関心と、「本屋とデモクラシー」という一文を書いたときの気分とは、共通の根をもっている。

オルタナティブなメディアの必要

「マガジン航」が2009年に創刊されたときの、最大の関心は「黒船」だった。つまり、グーグルやアマゾン、アップルといった外資の巨大IT企業が、日本の出版界にどのような影響を与え、その生態系を変えてしまうのか、ということだった。ようするに、当時の電子書籍ブームは文字どおり「政治的」なものだった。

電子書籍は、その後も「政治」に翻弄された。「デジタル・ネットワーク社会における出版物の利活用の推進に関する懇談会」を受けての出版デジタル機構の設立、そして東日本大震災の復興を名目にした「緊デジ」こと「コンテンツ緊急電子化事業」の無残な失敗。これについては、さすがに「マガジン航」で書くことがためらわれ、WIREDのサイトに『さようなら、「電子書籍」』という文章を書いた。この頃は、なにからなにまで政治や国策に翻弄される「電子書籍」に、正直、うんざりした気分になっていた。

少し時間を遡る。「マガジン航」の発行を長らく支援してくれているボイジャーの人たちと最初に出会ったのは1993年、インターネットの日本での普及以前のことだった。「青空文庫」を立ち上げる前、まだライターとして仕事をしていた富田倫生さんとあるパソコン雑誌の仕事で出会い、ボイジャーの電子出版物「エキスパンドブック」についてお書きいただいた。

それがきっかけでボイジャーという会社とその電子出版事業を知り、1994年に創刊された最初の「ワイアード日本版」で、彼らが刊行したCD-ROM版『寺山修司・書を捨てよ、町へ出よう』について取材させてもらった。さらに1997年に創刊した「季刊・本とコンピュータ」という雑誌では、萩野正昭さん(当時の代表取締役)を副編集長に迎え、8年にわたり一緒に仕事をすることになった。

いま思えば、当時はまだ「電子書籍」という言葉はほとんど使われておらず、「電子出版」という言い方をしていた。CD-ROMどころかフロッピーがおもな媒体だったが、パソコンを使って誰もが電子的な手段で著作を世に問うことができるという「夢」を、素朴に信じていた。その「夢」はまもなく、WWWとウェブブラウザによってあっけなくかなってしまう。だが私のなかでは、その初発の夢と「電子出版」はいまでも結びついている。

成長産業としての期待から、電子書籍を「国策」として進めることや、外資の独占から日本の出版産業を守るために防御的にふるまうことの是非は、ここでは論じない。ただ、私のなかでの電子出版への関心や期待は、いまも「オルタナティブなメディア」としてのものであり、ローカルメディアへの関心と根は同じである。私が大きな影響を受けた元晶文社の編集者、津野海太郎さんに『小さなメディアの必要』という本があるが(青空文庫で読める)、この言いまわしに倣えば、「オルタナティブなメディア」がいまでも必要なのだ。

* * *

アマゾンが日本でもKindle Unlimitedのサービスを開始し、雑誌やマンガといった、出版物のなかでも書店にとって稼ぎ頭だった分野を根こそぎもっていこうとしている。最初の話に戻せば、いま「本屋とデモクラシー」というテーマで本屋や書店を語りたいのも、すでにネットやアマゾンこそがメインストリームになりつつある時代に、本屋や書店のなかに、それに対する「オルタナティブな場所」としての可能性を見出したい、という気分からだと思う。

「マガジン航」では今後とも、さまざまなオルタナティブの考え方や仕組み、それに関わる人たちを紹介したい。電子メディアやテクノロジーの最新の動きも注視していくが、同時にローカルメディアや本屋に対しても、新しい視点で取材していきたい。私のなかで、「電子出版」と「ローカルメディア」と「デモクラシー」には相互に深い関係がある。ぜひ、9月のイベントのいずれかにいらしてください。