「作家」を育てるのは誰か?

2016年12月1日
posted by 仲俣暁生

先月は「読書」についての話題だったので、今月は本を「書く」側の話をしようと思う。まず、先日に記者会見が行われたばかりの、日本独立作家同盟による「NovelJam」という試みについて触れたい。

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作家と編集者がタッグを組み、短期間に執筆・編集・電子書籍の制作までを行う、いわば「合宿形式」(泊まり込みではないが)の短期集中型の企画としては前例のないものだと思う。

具体的な企画内容は、公式サイトや、すでに詳細な紹介記事が掲載されている他媒体(Internet Watchのこの記事がよくまとまっている)を参考にしてほしいが、今回の試みでもっとも重要なのは「編集者」の存在だろう。

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「マガジン航」でも何度か紹介してきたが、日本独立作家同盟では「月刊群雛」という投稿型の文芸誌を2014年1月から2016年8月まで刊行してきた。2015年2月に特定非営利活動法人となった際、私も理事の一員として日本独立作家同盟に参加した。

このときに、次のようなことを「マガジン航」に書いた(「日本独立作家同盟がNPO法人化へ」)。

「新人賞」という選考システムは、大学受験や入社試験におけるそれとは根本的に違います。採用すべき人員数に対して、応募者の上位から相対評価で決めていくわけにはいきません。存在しているかどうかわからない才能ある書き手との、偶然の出会いを待つしかない、そのような出会いがなければ「該当作なし」が続いても仕方ない、絶対評価の世界なのです(コルク新人賞が3回続けて「受賞作なし」だったのは、その意味では健全でしょう)。

たった一人の書き手との「出会い」のために、数千から万に及ぶ対象に対して、人力でフィルターをかけるのが、これまでの「新人賞」でした。それと比べるなら、自己出版等によってネット上にすでに公開されている作品のなかから、有望な書き手をみつけるやり方は「ヘッドハンティング」に近いでしょうか。

ますます膨れあがっていく作家予備軍のなかから、優れた書き手(「作家」の卵)を発掘する仕組みとして、「新人賞」というフィルタリング以外の方法が、そろそろ出てきてよいはずです。いまはまだ過渡期ですが、ウェブを介した作品のディスカバラビリティー(被発見性)が、フィルタリングによるそれを凌駕するとき、「自己出版」>「新人賞」という不等式が成り立つようになるのかもしれません。

作家がデビューするための回路が「新人賞」だけに限られていた時代から、ネット上あるいは同人誌・インディ雑誌などで活動する才能ある新人が「発見」される時代へと、文芸の世界は少しずつシフトしている。その基本的認識に変わりはないものの、単純にクローズドな「新人賞」が半公開型の「ネット上のバトルロワイアル」にとって代わられたからといって、それだけで有望な新人作家が見つかるというものでもない。

すぐれた「作家」は、すぐれた「編集者」だった

なぜなら新人とは、たんに埋もれているところを発掘されるだけでなく、「育成」されなければならない存在だからだ。そのための仕組みとして、たとえば「同人誌」がある。これはいわば「新人以前の作家」が相互鍛錬するための場だ。作家つまり「ものを作る者」同士が互いを意識し、切磋琢磨しあうことで結果的に「育って」いく(中島敦の「山月記」を想起されたし)。それは文芸に限らず、他のジャンルの表現でも同じだろう。

考えてみれば当たり前のことだが、出版社に勤める「専業編集者」だけが編集者ではない。日本近代文学史をみても、すぐれた作家は同時にすぐれた編集者だった、というのが常識である。

「文藝春秋」を創刊したのが「作家」の菊池寛だったことはあまりにも有名だ。またロンドン帰りの英文学者・夏目漱石に「小説を書く」ことを促したのは俳人の高浜虚子だった。漱石自身がすぐれた「編集者」でもあったことも、長谷川郁夫氏が「新潮」の2016年10月号から始めた「編集者 漱石」という連載で明らかにしている。批評家の小林秀雄も戦前は雑誌「文學界」、戦後は創元社で編集に携わり、多くのすぐれた「新人」を世に出している。

そもそも、日本の近代文学史に名を残す「文芸誌」のほとんどは、大手出版社が刊行したものではなく(たとえ現在にその名が受け継がれていようと)、もともと作家自身による同人誌だった。現在、大手出版社から刊行されている文芸誌や小説誌は、文芸が産業化した後になってから、「文学作品という商品」をシステマチックに製造するための装置として生まれたものだ(それは現在のマンガ産業において、雑誌連載が「コミックス」という商品を生み出すための装置であるのと似ている)。

現状に限っていえば、文芸誌や小説誌はデビューした後の作家が作品を継続的に発表するための仕組みではあっても、力のある「作家を生み出す」仕組みとしては、それほどうまく機能していない(それどころか、文芸出版そのものが存亡の危機にあることを、小説家の藤谷治氏は「新刊小説の滅亡」という作品で、やや戯画的にだが、リアルに書いている)。出版社が刊行する文芸誌や、それらが主催する新人賞に代わる仕組みが、そろそろ必要なのだ。

その意味で、今回のNovelJamにどんな人たちが「編集者」として参加するか、ということに私は関心がある。「作家」枠で参加する人も、どんな「編集者」とタッグを組むことになるのかに、期待と不安があるだろう。もちろん、NovelJamにはフリーランスの編集者や、出版社に所属する専業編集者が参加してもいい。それを期待する「作家」予備軍も大いに違いない。

でも、もしかしたら出版社でふだんは営業をしている人、あるいは書店で働いている人、それどころかまったく異業種の人が「編集」するというのも、ありではないか。ふだんは「作家」として活動している人に、意外と編集者としての才能があるかもしれない。いずれにしても、文芸作品を生み出すうえでの「編集」という仕事は、たんなる事務作業ではなく、きわめて「人間的」な営みだと私は考えている。

町の本屋が創刊した「文芸誌」

もう一つ、「マガジン航」の周辺では、文芸に関わる新しい動きがあった。赤坂にある書店、双子のライオン堂文芸誌『草獅子(そう・しし)』を創刊した。私も寄稿を求められ、「『文学館』の危機から『文学』の未来をかんがえる」という30枚ほどの文章を寄稿した。

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双子のライオン堂は「選書」専門の本屋としてスタートし、そのセレクションを作家や批評家といった文芸関係者に依頼してきた。『草獅子』の寄稿者は、その顔ぶれとも重なる。すでに一定の人脈があったことが、この雑誌の創刊を可能にしたことがわかる。

とはいえ、一介の小さな町の本屋が創刊する文芸誌に辻原登氏、室井光広氏、絲山秋子氏といった芥川賞作家が原稿を寄せ、それが双子のライオン堂の周辺に集まる若い人たちの作品と並んで誌面を飾るさまを見ると、文芸の未来にも光が射してくるように思える。

文芸誌を創刊することも、書店を経営することも、どちらも「場」づくりであり、メディアをつくることだ。ビジネスとして成り立たせていくのは困難だけれど、そもそも文学というのは、誰かに頼まれてやるものではないし、ビジネスでもない。どうしてもやりたい人間が、やりかたを工夫して、なんとかしてやるものだ。

NovelJamという企画に集まる人たちと、『草獅子』のまわりに集まった人たちとでは、小説や文学に対する趣味は、ずいぶん違うかもしれない。けれども、自分たちで率先して動き、必要な「場」や「メディア」を生み出していくという姿勢においてはまったく同じだ。こうした新しい動きに、ささやかながら参加できたことは、私自身とても光栄である。願わくは、この二つのプロジェクトが継続的に行われることを期待する。

編集者こそ「商談会」に参加せよ
〜BOOK EXPO(大阪)2016レポート

2016年11月28日
posted by 千葉 潮

取次の「壁」を超えた「大商談会」

11月8日、大阪市で「BOOK EXPO 2016 秋の陣 活かせ!書店力」が開催された。2011年に始まり、今年は6回目。取次の壁を超えて、出版社と書店が直接出会う日本でも有数の大商談会だ。

取次というのは、分かりやすく言えば本の卸売り会社だが、開業の支援をするなど金融業的な役割も担う。基本的に書店一社につき取次会社は一社の契約になる(帳合と言う。大型のチェーン店などは2社の場合もある)。取次会社同士はいわばライバル関係になるわけだ。そのため、取次会社ごとの商談会が常識であったのだ。

BOOK EXPOは取次会社に関係ない商談会として、初めて開催したものである。参加書店1,043名、出版社693名、取次会社165名、報道その他35名、計1,936名が集まった。商談成立金額は5,831件、売上高は昨年比107.5%の約9,800万円であった。

会場はグランフロント大阪ナレッジキャピタル。大阪駅直結の近未来志向のビルは産官学の知的交流拠点でもある。地下2階のコンベンションホールには233社の出版社、第三商材(什器やシステムウェア等を取り扱う)の業者が集まり、237ブースを展開する。

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BOOK EXPO 2016のウェブサイト。テーマは「活かせ!書店力」。

私は、大阪でメディアイランドという極小出版社を営んでいる。この催しに出展するのは、5回目。今年も版元ドットコム西日本の会員社6社(解放出版社、サンライズ出版、高菅出版、東方出版、西日本出版社、メディアイランド)で4ブースを借り、グループ出展した。地元の出版社から出展が少ないのは寂しいと、BOOK EXPOの実行委員でもある西日本出版社の内山正之さんが言い出したのだ。内山さんは版元ドットコム西日本の世話役でもある。

朝、9時に受付をすませると、ブースの飾り付けや、配布用のチラシの準備に各社とも余念がない。言うまでもなく出版は東京が中心。関西に支社があるところは別として、東京からはるばる出展のために1〜2名で来阪する社が大半のようだ。

9時45分、出展社全員で朝礼。堀博明BOOK EXPO実行委員長から「商談をすすめ、売上を上げてほしい」と檄が飛んだ。日書連会長からは、「東京の大商談会の売上1億1,000万円を上回る結果を上げてほしい」と励まされる。全員で「エイエイオー!」と気勢を上げて、今日一日の大イベントに取りかかる。

エイエイオー?

少々戸惑う。私は編集畑出身で、大声をあげるのは少し気恥ずかしい。相当に面の皮は厚いのにこの体たらく。

「町の書店の活性化」を目的にスタート

なぜこのBOOK EXPOを始めたのか。仕掛人の一人で実行委員の宮脇書店・大阪柏原店の萩原浩司店長に聞いた。

やはり、町の本屋さんを元気にするためですよ。

ベストセラーや売れ筋の本は、大型書店を中心に新刊配本が行なわれ、町の書店の店頭までには回らない。営業マンだって来ない。本が配本されないからお客は大型書店に行ってしまう。小さな本屋の売上が減り、閉じる店も多くなるという悪循環。それを手をこまねいていていいのか。

版元の営業マンが店に来ないのなら、こっちから仕入に出かければいい。取次を束ねて一緒になって開催すればスケールメリットもある。なんども協議を重ねた結果がこのBOOK EXPOだ。

取次の壁をはずしたのは、このBOOK EXPOが日本で最初に取り組んだことだ。今年も多忙ななか、3月から月1回計8回の実行委員会を重ねた。実行委員は書店を中心に出版社、取次の計30名から成る。

出展者に用意されているのは、長机一つと、幅90cm×180cmのパネル。それを自由に使い、プレゼンテーションと商談を行う。そして椅子が6脚。我が社は、今年は新刊書とおすすめ本の表紙を拡大コピーして糊付きのスチレンボードに貼り、それぞれにPOPを貼り付けた。できるだけ賑やかに貼り付けるのがコツ。

メディアイランドの展示風景。これは準備中のもの。

机の上には、本を1冊ずつ並べていく。長机いっぱいに並べたいところだが、商談して、注文書にサインしてもらうスペースも必要だ。

BOOK EXPOではその場で注文書に記入してもらって、後日書店に本を届けるのだ。透明なポリブロピレンの袋に注文書とおまけのバンドエイド(書店員の必需品だ)数枚、きれいなポストカードを入れる。ちょっとでも気を引きたい。

商談ができたときには、我が社では景品として「安全ヒモ切り」を渡している。荷ほどき時に必要なんだそうで、商品説明のときには少し難しそうな顔をしていた書店員さんの顔が、この安全ヒモ切りをわたすと途端にほころぶので、私も嬉しい。ささやかなプレゼントだが、少しでも書店員さんの役に立てたらいいなと思う。

書店員に好評の「安全ヒモ切り」。

西日本POP王決定戦、「大阪ほんま本」大賞

午前10時。セレモニーが始まる。今年からの「西日本POP王決定戦」の表彰から始まった。

金賞作品はぜひ写真を見てほしい。文庫本の表紙の世界を立体で表したもの。POPの域を超えている。実は私の仕事場からいちばん近い西日本書店さんの作品であった(さっそく、お店にも見に行った)。

大賞を受賞したのは『これは経費で落ちません 経理部の森若さん』(青木裕子著 集英社オレンジ文庫)。POPコピーは「だいたいの社員は入社するとすこしずつずるくなる」。

10時半、開場。午前中は例年とも来場者は少ないが、今年は相当時間が経っても客足がなかなか伸びない。外はかなり雨が降っているらしい。そこで、お客さんが来ないうちに各社の展示を見物。気になる注文書をもらったり、新刊書のタイトルや装丁をチェックする。

もう、ほんとは一日中こうしていたい。うちのスタッフもお気に入りの出版社のブースを訪れて、おしゃべりしている。児童書コーナーはどのブースのパネルや飾りも賑やかだし、上手だ。児童書とコミックのブースは別の部屋、一般書コーナーとは違って、お客さんがブースにわんさか。児童書の売上は落ちていないと聞いていたが、やっぱしか。ハリポタ目当てかも。

やっぱりみんな、欲しいもんのところに行くわなあ。

隣のブースで、東方出版の稲川博久社長がしみじみつぶやく。午後からの人出に期待しよう。

児童書・コミックコーナーは人がわんさか。

メインステージでは著名作家によるサイン会が行われ、私のミーハー気分をさらに盛り上げる。まずは平野啓一郎さん。それから、大阪ほんま本(「大阪の本屋と問屋が選んだほんまに読んでほしい本」)大賞受賞作家によるリレーサイン会。こちらは、高田郁さん、朝井まかてさん、増山実さん。ここに並ぶ人は皆、自分の書店に飾る「色紙」にサインをしてもらうのである。

サイン会はいいイベントやね。これを理由に若い書店員もBOOK EXPOにでかけやすくなるからね。

とはジュンク堂なんば店店長の福嶋聡さん。

本をいちばん読むのは、実は書店員だからね。書店員が欲しい本を買えないような給料ではいけない、書店論はもう労働問題でもあるんですよ。本もろくに買えないような給料を続けるから、お客様から「ろくに知識もない書店員ばかりじゃないか」とお叱りも受けるのであってね……。

福嶋さんは若い書店員の状況について憂えている。

人手不足のお店をほったらかして出てくるわけには、なかなかいかない。だが、著名作家のサインをもらって店に飾れば、売上にも繋がる。

このほか、児童書コーナーでも絵本作家によるサイン会やワークショップがあり、料理本レシピ大賞と連動した人気ブロガーによるトークショーもあるなど多彩なラインナップだったが、そちらのほうは残念ながら様子がわからず。

色紙にサインする芥川賞作家の平野啓一郎さん。並んでいるのは皆、書店員。

レジェンドたちとの遭遇、そしてお客様との対話

毎回楽しみにしているのが、業界のレジェンドたちと話を交わすことができること。この大商談会は、社交の場でもあるわけだ。先ほど登場した、ジュンク堂の福嶋聡氏は業界では「超」がつくほどの著名人だが、「本の学校」を作られた今井書店グループの永井伸和会長、「1,000人の顧客の名前と好みを知り尽くしている」といわれる隆祥館書店の二村知子さん、POP作成では天才的な、本のがんこ堂唐橋店の西原健太さんなどの姿も……。ミーハー気分にもなろうというものだ。

さらに貴重なのは、日頃なかなか顔を合わせて話をすることができない書店の話が直接聞けること。書店さんは、事前に配布されるBOOK EXPOの小冊子を熟読し、目当てのブースをまず訪問するようだ。この小冊子には、1ブースに1ページが割り当てられている。

午後2時すぎ、会場の人出もピークになったころ、こちらに走ってくるお客さんがいる。手にしている小冊子のうちのページには『ネコづくし』という塗り絵本の写真に赤丸がついている。「このネコの塗り絵、ちょっとみせて」と言われ、ともかくサンプルをみていただいた。大阪市の中心部から少し離れた市営団地が商圏の書店さんだった。ちなみに50代の男性である。

うちなんて、自社物件やからようやく本屋をやれているんやわ、そやないととても町の本屋なんてでけへん。お客さんもだいたい70歳くらいやから。ぼけ防止に塗り絵が効果があるというんやけど、だいたい大人の塗り絵って細かすぎて年寄りには向かへんねん。それでおたくのこの塗り絵本の絵を見て、やってきたんですわ。とりあえず1冊ね。

あ、これも1冊。え?まだこれは出来ていないの(注:塗り絵のゲラだけをみていただいたのです)。ふーん。いいや、こっちも1冊注文しとくわ。

ああ、このお寺めぐりの本ね。出かける元気がない年寄りばかりやからね、こういう単行本でなくて、パートワークの本があるでしょ、神社とかお寺の、ああいうのが人気なんやわ、行った気になるやん。

ところで、この塗り絵って、色見本ないの? いや、色見本がないと塗るのが難しいって言う人が多いんや。次は考えといて。

大阪市内でも高齢化が進み、本を買う人はお年寄りが多いので、達成感がすぐ出て、薄い本が良いのか。アート感覚の塗り絵はこの層の方には届かないんだ。もっと楽しんでもらえるものは、別の視点がいるんだ、と編集担当として、とても考えさせられる。そして、うちを目がけてきてくださったお客様。もう、嬉しくて小躍りしたいほどだった。

本の内容をじっくり説明せよと言うお客様もいる。商品知識がないと背景などからの詳細説明は難しい。こんな場合は、営業担当よりも編集担当のほうが適任だ。

今年の収穫と、今後の展開

イベント終了間際、実行委員の萩原浩司さんに今年の成果を伺ってみた。

いまや東京,大阪だけでなく、札幌、福岡、岡山、四国でも同様の商談会が開催されるようになっています。BOOK EXPOは今、転換期を迎えていると思う。もっともっと工夫が必要です。ぼくは編集さんや著者がブースに立ってもらうとええと思うんや。書店にはあんまり来てくれへんでしょ。

たしかに。知り合いの版元を見ても、編集担当が参加しているところは少ない。ところで、今はこのイベントは業界関係者のみに向けてますが、オープンにはしないのですか? とも聞いてみた。

今年は、図書館司書の方に何人か来てもらいました。書店がアテンドするんやけどね。だからちょっとずつ開かれていってるんじゃないかと思います。

ちなみに、今年のうちの売上は、約70,000円だった。売上だけ見ると儲かったとは言えない。もっと魅力ある本を作らないとな、と肝に銘じる。

昼ご飯もほとんど食べず、立ちっぱなし、しゃべりっぱなしで少々疲れた。18時40分。撤収完了。スタッフは子どもの待つ家にダッシュで帰る。わたしは、梅田の地下街でビールと水餃子で一人乾杯をした。

エンドユーザーである書店人とふれあえる場として、また、他の出版社の動向を探る場として、商談会は希有な機会だ。書店人サイドも編集者と近づける機会を欲しがっている。各地でこのような商談会が広がっている。営業は営業マンに任せるばかりでなく、ぜひ編集者のアンテナを伸ばして、参加してはどうだろうか。とくに若手の編集者には、勉強になることばかりなのだから。

番外編2 佐藤真の「不在」を見つめて

2016年11月16日
posted by 清田麻衣子

佐藤真の映画を観て、本を読んで、考える時間は、頭にモヤがかかったような状態が多かった当時の私にとって、幼いころの遊びに熱中する感覚が蘇ってきたような時間だった。ファッションくらいしかこだわりのなかった私が、ようやく初めて心から楽しいと感じたのが、大学3年から4年にかけての卒論準備だった。

しかしそれは同時に、就職活動の始まる時期でもあった。そのときはっきり思ったのは、「こういう時間がこれきりだなんて絶対にいやだ」ということ。この「感じ」をもっとずっと味わいたいと思った。しかし私は自分の琴線に触れるものを探していたいだけだった。同級生の映画論にはサッパリついていけない自分が、卒業後、映画関係に進もうと考えるのはおこがましかった。

80名と少ない人数だったこともあるが、芸術学科の映像専攻のコースで、当時ドキュメンタリーを選んだ人は他にいなかった。同級生と想いを共有することはなかったが、「私にはいま熱いものがあるんだ」と密かに鼻息を荒くしていた。そして想いを育みながら、1999年10月、ドキュメンタリーの祭典「山形国際ドキュメンタリー映画祭」に向かった。

「ドキュメンタリーとは、世界を批判的に見るための道具である」

ふだんはひっそりとした山形市の中心部に、世界中から最新の優れたドキュメンタリー映画や、旧い貴重な記録映像が集められ、国内外から映画関係者が一堂に会す。6時間の作品を途中ウトウトしながらもなんとか観て、山形名物の芋煮を食べ、夜は観客も映画関係者の垣根もなく一緒に飲めるという居酒屋・香味庵に顔を出したりして、俄かに映画人の気分に浸った。映画館のロビーや香味庵で、佐藤真監督の姿も何度か見かけた。いつも人の輪の中にいて、朗らかだった。しかし、そのとき私はまだ卒論を書き始めておらず、モヤモヤとした想いだけを抱えて何を話せばいいのか、会話の糸口が浮かばなかった。

佐藤監督の映画は、言葉で説明しづらい映画だ。そして、映画の中の言葉もとても少ない。一度観ただけでは気づかないことも多い。しかしだからこそ、自分で感じ、考える余地が与えられている。そしてその体験が残る。

一方、著者としての佐藤真はとても理論的で鋭く、そして雄弁で、明快だった。当時唯一の著書『日常という名の鏡』(凱風社)を、私はボロボロになるまで読んだ。自作にとどまらず、古今東西の名作ドキュメンタリーについても多くの頁を割いたこの本で、「ドキュメンタリーとは、世界を批判的に見るための道具である」というのは、佐藤監督が繰り返し言っていた言葉だ。

佐藤監督の映画に未知の世界への目を開かれ、考えるきっかけをもらったと感じていた私にとって、本は、映画を観て考えたことを監督の言葉によって確認、補完するテキストのようなものだった。付箋をたくさん立てて繰り返し読んだ。時に挑発的な文章は、それまで空っぽだった脳みそにぐんぐん浸透した。今にして思えば上澄みだけをすくっていた感じがしてならないが、佐藤監督の視点が世の中に広がったら、もっと他者への想像力に満ちた世界に変わるんじゃないかと本気で思った。その想いを山形でより強くしていた。

上映会場は複数あった。旅先の山形で、配布されたマップとスケジュールを見ながら映画をハシゴする数日間は、地方の映画祭ならではの一体化と高揚感があった。しかしそうやって街を彷徨っていると、行き交う人の多くが、「関係者」の札を首から下げている人や、取材の人、もしくは私と同じような学生ばかりだと感じはじめていた。

「やっぱりフツーの人はこないんだ」

そんなことが気になったのは、私自身が半端な「フツーの人」で、もうすぐ学生を終えようとしていたからだと思う。

「ここはこんなに熱気が充満しているのに、渋谷のスクランブル交差点にいる人たちはきっと恋愛や洋服のことばかり考えてるんだ。その距離は埋まらない」

山形の刺激的な日々を堪能し、ついこの間まで自分が浸かっていた日常にいる人々に対して憤っていた。それこそ想像力のない浅はかな発想だったが、山形で上映される映画の多くは遠い世界のことに想いを馳せることができるような、世の中の見方を大きく変える映画ばかりだから、ここに来ないような人にこそ観られなくてはならないのに、と感じていた。

佐藤監督からの手紙

東京に戻って、本格的に卒論に着手しながら、就職活動も本格化し始めていた。芸術と社会をつなぐ仕事ができないものだろうかと考えるようになっていた。そして目の前にある本『日常という名の鏡』を毎日眺めていたら、いつか佐藤真監督の本が作りたいと思うようになった。本ならいろんな種類のことが伝えられる。本なら人に「いいよ」って勧めやすい。そうか、私は本をつくる仕事がいいんじゃないか。

90年代後半、当時は「バブル以降」と呼ばれていて、不況についてのニュースばかり聞こえてきたが、ノホホンと暮らしていた学生の私にはピンとこなかった。狂ったように踊る80年代のお姉さんたちの映像をテレビで見ながら、成金的な価値観が横行するバブルよりも、不況と言われるいまのほうがクールで、いくらかマシなんじゃないかと思っていた。そして不況の底を抜けたら、世の中の霧も晴れて、人間はひとつ賢くなるんじゃないかと安易に考えた。

しかし不況はすぐに我が身に降りかかった。99年は就職超氷河期といわれた。そんな時期に、ただでさえ難関といわれる出版社に、卒論の興奮をそのままぶつけたような履歴書を出し、当然、軒並み書類で落とされた。

そして渾身の卒論も、大半の先生からの評価はいま一歩だった。「批評として論が展開されていない」という、論文としての根本的な欠陥があった。たしかにそうだった。自分の想いと考えを余すことなく書くこと以外頭になかったのだ。しかしゼミ担当教官だった四方田犬彦先生だけが好意的な評価をくれた。

「佐藤がシゲちゃんを見るように清田は佐藤を見ている。対象への愛が良い効果をあげている」

コメント欄に書かれた「佐藤がシゲちゃんを見るように」という字を、何度も見返した。他のマイナスな評価なんて全然気にならなかった。中学以降、自分の考えを大人に伝えることを諦めていた自分が、10年ぶりくらいに大人から褒められたのだ。いっぺんに報われた気持ちになった。そしてその後何年も、私はこの言葉を心の支えにすることになる。

卒論の最後の面談で、四方田先生に、「本人に送ったら?」と言われた。まったく頭になかった発想で、うろたえた。しかし恐る恐る送ると、しばらくして、佐藤監督本人から直筆の手紙が届いた。達筆といえば達筆、しかしミミズが這ったような字、とはこういう字のことをいうのかなとも思う、判読しづらい手書きの手紙だった。

なんとか読み解いた内容は、細かく映画を観てくれてありがとう、という謝辞と、しかしこんなに褒められたら批評ではない、もっと意地悪な視点を持たなければ、という指摘、そして、今度東京都北区で「北とぴあ映画祭」というのをやるので、そこに来てみたらどうか、というお誘いが書かれた、簡にして要を得た手紙だった。

後日、緊張して「北とぴあ映画祭」に向かった。会場のホールの階段を上がりきると、大きな窓から陽の光が降り注ぐロビーに、キャッキャと走り回る二人の小さな女の子と、微笑みながら子どもたちを見守るお母さん、そして、ショルダーバッグを肩から提げて、トレーナーをズボンにインして子どもと遊ぶ、背の高いお父さんの姿が見えた。ごく普通の家庭の、幸せそうな日曜日の光景だった。それが佐藤監督とご家族だった。そのときの会話も上映作品も、緊張していてまったく覚えていない。だがその光に包まれた家族の光景は、今でもありありと浮かぶのだ。

就職、そして突然の訃報

その後、なんとか出版業界に就職してからの度重なる転職の顛末は、以前書いたので省略する。「失われた世代(ロストジェネレーション)」と呼ばれることになった私たちの世代は、正社員募集が少なく、なかなか安定した職に就けない人が増えた世代ということは後で知った。しかし渦中にいる当事者は、「世の中が悪い」と言ったところで言い訳でしかない。その時代でもうまく軌道に乗った人と比べて、うまくいかない人には何か問題があるはずだ。未熟さゆえか、選択自体をミスっているのか――とにかく時代がどうであれ、個人の力量でなんとかしなくてはならない。

「やりたいことを主張するよりも、まずは編集の仕事の基本を身につけろ」ということを就職してから数年間、叩き込まれた。基本を身につけて、それを応用してやりたいことをやればいいのだ。だが、人よりたぶん強い主張を抑えると、まるで手足の動かし方がわからなくなる子供のように不器用だった私は、なかなか仕事ができるようにならなかった。

仕事もハードだったが、そもそも要領が悪かったので残業や休日出勤も多く、映画館に映画を観に行くこと自体めっきり少なくなっていた。ましてや自分の頭で考えなくてはならないドキュメンタリーなんて、くたびれてしまって翌日の仕事に差し障りがある。ドキュメンタリーの世界からもすっかり遠ざかっていた。やりたいこととやれることの狭間で「軌道修正」を繰り返しながら編集の仕事にしがみついていた私にとって、当初感じた世の中とのギャップを埋めるなどということは現実味の薄い理想で、編集の仕事で食べていくことと相反するように思えてならなかった。

一方で、「ダメなやつ」というアイデンティティに飲み込まれそうになっても、ずっと底で私を支えていたのは、やっぱり佐藤監督の存在だった。それは、自分にも「すごいもの」に触れた過去があるんだ、という誇りのようなものだった。当時、酔うとよく「佐藤監督の本が作りたい」と口走っていたらしい。記憶がないのが余計タチが悪い。その後何人も「私も聞いた!」とか「何度も聞いた!」という人に会った。聞くたびに恥ずかしくて消え入りたい気持ちになった。

しかし、2007年9月、佐藤監督は亡くなってしまう。49歳、突然の訃報だった。

それでも私は、自分の好きな仕事を追求する終わりのない道に突き進むと、心のバランスを崩して「あっち側」に落っこちて戻れなくなってしまいそうな気がして怖かった。それまでの日々を大きく変えることもなく、その後数年間、会社勤めに安定の救いを求めた。

ところが、2011年3月11日、東日本大震災が起きた。リスクをとらないでいることよりも、気持ちをごまかし続けて自分の好きなものは何なのかすらよくわからなくなっている状態のほうが危機的だと思った。その状態は、そのときの日本の状況と重なった。もう不安定でバランスを崩したっていい。

里山社の1冊目の本となった田代一倫の「はまゆりの頃に」を写真展で見たとき、佐藤監督の映画を観たときの感触を久しぶりに思い出したような気がした。ここでやらなくていつやるの、という想いで、2012年、会社を辞めて里山社を興した。

しかし当の佐藤監督の本を作る勇気はまだなかった。書き下ろしてもらうことはもうできなくなったけれど、仕事をまとめる本なら形になるとは思った。しかし、亡くなる前から向き合うことをやめていた自分に、その本をつくる資格があるのか、と思った。そして何よりとても覚悟のいるたいへんな作業に思えた。

その「不在」に何が見えるか

震災直後、計画停電で暗い東京の町を歩いていると、昔の東京はこのくらい暗かったのかな、などと思った。日本人はこの震災を経て、大きな犠牲を払いながら限度というものを知ったのかもしれない。これから日本人はもっと賢くなるはずだ――しかしそれは、バブル後の日本人は賢くなるという発想と近かった。震災から4年が経ち、里山社としては3冊目の本にとりかかっていたころ、原発が再稼働するとか、秘密保護法が国会で承認されたとかいう、信じられないニュースが次々と耳に入るようになった。

マスメディアの自主規制にがっかりすることも増えた。一方で、震災後から頻繁にチェックするようになったSNSでは、浅はかな判断をすぐに発信して他人を攻撃する投稿を見かけることが多くなっていた。そしてそれに自分も何度も引っ張られそうになった。問題が表面化しているからこそ、イエスかノーか、白か黒かの意見を表明することを求められ、汲々とする場面が増えた。

その単純化のなかで失ってしまうものが真っ先に他者への想像力だった。自分と異なる世界の、異なる論理で生きている人たちの身になってみたら、簡単に結論は出せなくなる。でもその曖昧な態度までもが非難される時代になったように感じた。気がつけば、90年代の日本とは大きくかけ離れた状況に変わっていた。

今の世の中を、佐藤監督はどう見るだろう。そしてどんな映画を撮り、何を書くだろう――。いやしかし、そもそも佐藤監督は、きっと当時すでに悪い予感があったのかもしれない。「日常に潜む闇」と表現されていたものが、いま光の当たる場所に出てきてしまっているだけなのではないか? 佐藤監督のやろうとしていたのはなんだったのか、いまこそ確かめたいと思った。

里山社の4冊目の本として、佐藤真監督の本を出すことに決めた。「没後10年」の2017年を目前にして、敢えて2016年に出そうと思ったのは、「懐古」的な内容にはしたくないと思ったからだった。

そこで、佐藤監督が当時投げたボールを、現在を生きる、佐藤監督と関わりのある人(生前の面識の有無にかかわらず)がどう受け止めるか、それが対になるような見え方にしようと思った。まず、大まかにいくつか、佐藤真を語るうえで欠かせないテーマを掲げた。

だが佐藤監督がこだわったテーマのなかで、もっとも理解できなかった概念が「不在」だった。牛腸茂雄やサイード、そして自作『阿賀に生きる』のその後といった、すでにこの世にいない人の痕跡をたどるという映画だ。しかしなぜ「不在」を撮ろうとしたのか? そして「不在」に何が見えるというのか?

その疑問は置いたまま、寄稿していただく方々には、とくにこちらからテーマは限定せず、佐藤監督との思い出やエピソードを具体的に綴ってほしいと依頼した。そして、いただいた原稿をもとに、佐藤監督の過去のエッセイと呼応するものを選び、対にした。そして、それらをできるだけ佐藤真の思考の軌跡の順に、テーマごとに配置していった。ゴールを決めずに走りだす編集作業は、まさにドキュメンタリーを作っているようだった。

里山社の三冊目の本となった『日常と不在を見つめて――ドキュメンタリー映画作家・佐藤真の哲学』。

パッチワークのように出来上がった本は、さまざまな偶然も呼び込み、私自身想像していなかったような本になった。そして出来上がったゲラを通して読んでようやく、この本が佐藤監督の「不在」についての本になっていたことに気づいた。本人に聞けないからこそ、佐藤監督が今なら何をいう? 佐藤監督なら何をつくる? と、問いながら、想像し続けていた。

問いの答えはもちろんわからなかった。ただ、佐藤監督が考え続けた「姿勢」を、2016年の地点から想像し続けた。そして思ったのは、その「想像し続けるという姿勢」こそが、不在の先にあるものではないかということだった。人間にとって「想像する」ということが、しかも一瞬ではなく、その姿勢を保ち続けることが、どれだけ難しいかということ。そしてそれはいまの日本、そして世界の状況に、とても必要な姿勢なのではないかと思った。

最後に余談だが、奥様の了解を得て、佐藤監督のご自宅に、資料を探しにお邪魔したときのこと。佐藤監督は、段ボールに綺麗に資料を整理して保管していた。その中に、見覚えのあるファイルを発見した。それは、私が2000年に送った卒論のファイルだった。そこにあったことに、何か意味があるかどうかはわからない。しかし、時間も空間もそして、本人の不在も越えて、佐藤監督に触れたと感じた瞬間だった。

(次回につづく)

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第3回 軽くて閲覧性の高い最強デバイスは、いまも紙なのか

2016年11月15日
posted by 山田苑子

借りて来たハードカバー、ダウンロードしたPDFのプリントアウト、入手しづらい博論のコピー、持って歩きたくない重さの画集や写真集、先生から渡される手書きメモ入り講義資料、ゼミで配られる先輩同輩後輩のレジュメの束エトセトラエトセトラエトセトラ……。

現代の私たちは、さまざまなフォーマットのアーカイブの海を航海する旅人のようだ。インターネットを通して得られる情報だけでも、そのフォーマットはことなり、私たちはそれぞれに対応したソフトを利用することになる。しかしこれだけパソコンとインターネットが発達したいまでも、私たちはまだまだ「紙」というデバイスに引きずり回されていることに気付くだろう。

読まねばならぬ資料や論文の山。順不同に本棚にツッコマれて塩漬けになっている……。せめて日付タグくらいふっておけばいいものを……。

私たちは、まだまだ「紙」を読んでいる

大学院に限らず大学のゼミと呼ばれるものに出れば、資料や史料、レジュメ、報告書類など、大量の紙資料が配付される。これらの資料はおおむねA3横を1面として印刷されている場合が多く、スキャンすると11インチ程度の画面では拡大なしには読むのが難しい大きさになる。

いままで学部を超え大学を超え、多種多様のゼミに参加させていただき、数限りない紙資料を拝受して生きてきたのに、嗚呼、それを活用した人生だったと、私はあのとき同席していた皆さんに胸を張って言えるのだろうか。せめて資料をきちんと整理しストックし、すぐ引き出せるかたちにできていたらと、度重なる引っ越しごとに後悔と口惜しさで目の前が真っ白になるだけだ(紙だけに)。

一方、CiNiiからダウンロードしたPDFファイルも、パッと全体を確認するには紙にプリントアウトしてしまうほうが早い。すぐにチェックしたくとも手のひらサイズのデバイスはいかにも小さく、拡大と縮小を繰り返すうちにどこを読んでいるのかわからなくなる。幼少期から鍛えたド近眼を最大限駆使して小さい文字に集中することで、降りるべき駅を乗り過ごすこともしばしばだ。

画面が大きければいいかというと、そうでもない。常時帯同している11インチ程度のノートパソコンの画面では、文字を最適な大きさにすると、たいてい縦幅が足りない。1ページ読むのに上下2往復するという非効率だ。PDFというフォーマットで作成されたドキュメントは、多かれ少なかれ紙媒体で読まれることを意識したレイアウトになっている。「文字を読む」紙媒体はたいてい縦方向に長いものだ。横幅が広いPC系デバイスには不利なレイアウトである。

書籍についても、こと大学のレポートなりレジュメを作成するための本、ということに限定されると、私たちはまだまだなかなか電子書籍を利用しづらい状況であることは第1回(Kindle Unlimitedは貧乏大学院生への福音となるか?)に書いた。おまけに図版が書籍と同じようにレイアウトされていない場合があるため、適切な位置関係での理解力を得たいために、紙の本を選ぶことも多いだろう。

ストーリー性がある小説や漫画、種明かしがある推理ものでもないかぎり、本というものはたいてい、どこから読んでもOKだ。私は「あとがき」を読んでから、本編を後ろから前へ遡って読む癖があり、この行動が電子書籍で容易にできないことが読書上でストレスなのだと最近気づいた。わざわざ電子書籍でなく紙を買う場合、このストレスを回避している場合が多い。

「何を」&「何で」読むべきか。その組み合わせが問題だ。

私はあなたが30分で1冊読み切れるような本の話をしているのではない。たった一章に20も脚注が付くようなタイプの本を読むための話をしているのだ。読解困難な文章が読解困難なデバイス上に展開されていれば、解読に倍ほどの時間がかかるどころか、「最後まで読む気が失せる」という逆効果をもたらす怖れさえある。さらに言えば脚注はたいてい本文よりフォント数が小さく、適正拡大の自助努力が必須になってくる。

では、紙で適正化された解像度とレイアウトは、やはり紙で読むに限る、ということなのだろうか。

しかし紙は、なんとも、重い。周囲のあの人やこの人の本に対する言説の多くは「本が多くて引っ越しできない」「本が多くて床が見えない」「本が多くて家族に怒られる」「本が重くて家から出たくない」「コピーした資料が錯乱してなにがなんだかわからないけど捨てられない」だいたいこのような悩みに集約される。お世辞にもポジティブなものとは言えないだろう。

この量が年々膨れ上がるにつれ、私たちは現実に引き戻される。ギブアップ、紙一択の世界観は、もう、無理だと。しかしだからといって電子書籍に身を預けても、いまの段階では幸せになれない。この過渡期の世の中で、日々増大するアーカイブを閲覧するために、いったい私たちはどうすればいいのだろうか。

場所を取ること、重いこと、整理に手間がかかること……これらの諸問題にかかわらず私たちは紙でモノを読んでいる。私たちは、まだまだ、意識的にも無意識にも紙を選択しているのである。逆に言えば、紙でのメリットをいくつかでも享受することができ、紙でのデメリットを打ち消すことができるデバイスがあれば、それは選択するに値するということになる。

紙とデジタルのハイブリッドが最高の選択肢

ある日、臨時の仕事が急に入ったので、懐に謝礼が入る皮算用に浮き足だって、そのギャラをまるまる充てるかたちでiPad Pro 9.7インチを買ってしまった。その仕事でもらったイベントステッカーを純正のSmart Keybordに貼って謝意を表明している。請求書発行はこれからだ。

毎月の家賃の支払いにも眉間に皺を寄せる日々なのに、何故そのような愚行に及んでしまうのか、怒りと呆れを覚える読者の方もいるかもしれない。古今東西変わらない事実、そう、人は忙しくなるほど、最新デジタルデバイス渇望症を発病するものなのだ。そのデバイスを買うことで、仕事が一段と捗ることを確信して……。

この1年半、大学院に通う中で、「閲覧」という一点について、私は下記のような複数の条件を満たせるデバイスを探していた(入力デバイスとしての条件も多数あったが今回は割愛する)。

・女性の片手で持って苦痛でない軽さ
・A4サイズのPDFを拡大縮小なしに一覧できる解像度

・屋外のフィールドワークに持ち出せる剛性
・周囲光量による明るさの自動調節機能
・A4用紙に書き込む際に、下敷きに利用できる物理的広さ
・お財布に痛すぎない経済性

ノートパソコンを上回るモビリティと、屋外の立ち状態でも耐えうる軽さ、そしてA4サイズの閲覧性を求めた、と要約できるだろう。条件を詳細に規定すればするほど、デバイスを購入後の満足度に繋がるというのは経験上明らかである。条件に合致するかどうかは、やはり少しでも長く触ってみないと分からない。しばらくは家電量販店に通いつめてデバイスを試した。貧乏大学院生としては、作業効率を上げなければいけないという命題を抱えつつ、無駄玉は打てない。寝る間を惜しんだ熟考が必要なのだ。

バチカン教皇庁図書館の写本の美しさに震える

逡巡の末購入したのは、450グラムを切る重量の9.7インチiPad Pro (Wi-Fiモデル/32GB)。学生価格で60,800円也。450グラムと言えばほぼペットボトル飲料1本分だ。純正のスマートキーボード230グラムを足しても700グラムを切る。手持ちのノートパソコン(11.6インチMacBook Air)は1キロを超え、当然だがとても片手で持てたモノでは無い。かつて愛機であったVAIO Xの軽やかさ(約765グラム)を懐かしく思い出しつつ、後継機が出ない哀しみにこれまで身をやつしてきた私だが、この軽さには納得だ。

またディスプレイでも圧倒的な閲覧性が得られた。MacBook Airは11.6インチで1,366 x 768ピクセル。iPad Proのほうが物理的画面は狭いにも関わらず2,048 x 1,536ピクセルと解像度が向上し、視認性が高くなったのだ。タブレット端末なので画面の上下制約が解かれ、PDF論文は縦でも横でも対応可能。私の領域的に、縦書き論文にもまま出くわすので、画面が回転できるのも便利な点だ。

vatican

バチカン図書館の貴重本、ウルビーノ聖書。左がMacBookAir、右がiPadPro。文字が読める大きさに拡大した時、全体の閲覧性が大幅に違ってくる。

写真や画像などの資料を見る機会が多い場合、画面がRetinaディスプレイであることのメリットは大きい。とくに歴史的史料などは、研究者の欲求を満たすレベル、すなわち原本の質感すら感じられるほどの高解像度でアーカイブ化されている場合が多い。NTTデータが着手しているバチカン教皇庁図書館のデジタルアーカイビング事業、デジタル・バチカン・ライブラリーがよい例だ。プレス発表での「スキャンのクオリティはとにかく高いものでなくてはなりません。古文書学者の学術的要求を満たすのにふさわしいレヴェルで文書を参照できなくてはなりません」というNTTデータ・イタリアのCEO、ヴァルテル・ルッフィノーニ氏の発言は、伊達ではないのだ。

資料を手元で拡大・縮小するときに、感覚的な自由さで行えるのも、タブレット端末の大きな利点のひとつだろう。カラープリントされたものを入手するより、電子データからのほうが、より微細な情報を得られるように、時代は変わってきているのだ。極東に住みながらにして貴重なマニュスクリプトを舐めるように見られるとは、よい時代になったものだ。

まだプリントアウトで消耗してるの?

フィールドワーク時には、数十枚のA4資料を手で持ち運ぶよりも、電子データでクラウドやデバイスに格納しておき、必要なところにアクセスするほうが遥かに便利だ。いままでは立ちながら大量の紙資料から該当の場所を検索するという行為に大変手間がかかっていたうえ、うっかりすると手元から落ちてばらけ、整えるなどの余計な労力を生んでいた。画面の光量自動調整機能や映り込みの改善が行われたデバイスであるため、紙と同様とまではいかないが屋外での閲覧ストレスが大幅に軽減されている。

また写真を撮る、リアルな紙にメモを取るなどの行為も、手持ちの量が減ると楽になる。現地で追加配布される資料は大抵がA4か、それ以下の大きさだ。メモするために別途クリップボードか下敷きを買おうかと考えていたが、iPad Proの9.7インチは充分その物理的要件にも足る。

フィールドワーク当日に手渡された紙資料は、その場でカメラに収めデジタルデータとしてアーカイブしてもいい。搭載された12メガピクセルという解像度カメラで、それが申し分なく可能になった。紙に書き込んでからアーカイブしてもいいし、画像データにした後も、たぶんApplePencilを買えばストレスなく書き込めるはずだ(「iPad Proを買うならApplePencilを買わねば意味がない」と言われるほどの誉高いツールだが、懐事情が寂しい故に、いまのところ購入を控えている。次の原稿料が入ったら購入したいものだ)。

A1ほどの設計図など、現地に紙で持って行かねば使い物にならない場合もあるだろう。その場合は紙で出力して持っていけばいい。紙で見るのが最適なものもあれば、紙でないデバイスが便利な場合もある、という落としどころが、アーカイブ閲覧の本当のところではないだろうか。当たり前すぎる結論なので誰も言わないだけかもしれない。ハイブリッドの何が悪いの。

そう、院生は胸を張って、自分に最適な新しいデバイスを買うべきではないだろうか。それは紙の史料を買うのと同じくらい、いまや「必要」なことなのだ。閲覧性は生産性に寄与し、これまでアーカイブを閲覧するまでにかかっていた「用意」のコストを削減することができる。

このデバイスを買って以来、「デジタルデータを紙へ印刷する」という、閲覧以前の作業が非常に少なくなった。プリントアウトは枚数が多くなれば時間がかかる上に、紙やインクの心配をしなければならない。しかも急いでいるときに限ってトラブルが出るときている。iPadPro購入と前後してプリンターが1台壊れたのだが、今後のプリントアウトはコンビニ等の外部店舗サービスを利用することに決断し、新規の購入をやめることにした。このことで実質的には、プリンターに纏わる不測の事態と不安から解放され、固定費もかからなくなったことになる。

閲覧は閲覧のみによって成立しているに非ず。閲覧物の用意から閲覧と思え。この工夫が、アーカイブ利用の次の段階にも、テキメンに活きてくるのである。

近況報告:「音楽×記憶」にまつわる研究や実践や

2016年11月11日
posted by アサダワタル

ご無沙汰しています。前回の投稿から1年も経ってしまった。

この間、僕は何をしていたのかと言えば、昨年の今頃は3冊目の単著や10年ぶりにリリースしたソロCDの制作と出版企画に追われ、年をあけてからは、各地のアートプロジェクトの企画制作と、そしてなによりもなによりも、博士論文の執筆に追われていたのだ。

今日はしばらく手をつけられなかったこの『本屋はブギーバック』の趣旨を一旦横におきつつ(と言っても、実は繋がっていると思っているんだけどそこんとこは追々)、とにかく近況報告を中心に綴っていきたい。

博士論文のテーマは「音楽×記憶」

僕は2013年4月に滋賀県立大学大学院環境科学研究科博士後期課程に入学し、この3年半ほど博士論文の執筆に取り組んできた。ちなみに僕は連載読者であればお気づきのとおり、研究者というよりはあくまで実践者として様々な活動をしてきた。

2016年9月に博士論文を書きおえ、一応、学位(博士(学術))を取得した今となっては、研究という職能も兼ね備えた活動に移行しつつあるけど、それ以前に、自分が気になったこと、どうしても問題提起したいことは、学術的な内容でないにせよ執筆・出版を通じて世に問うて来た。なぜ、わざわざ大学院まで行って博士論文のようなめんどくさいもの(本当に手間なのです…)を書くに至ったのかと言えば、これは研究テーマと関わるのだが、端的な理由は「書きたい対象が自分と近すぎて、あえて“研究”という枠でも使わないとどう書いたらいいかわからない」というものだ。

そして、その書きたい対象はずばり「音楽」だった。

音楽をしたり、アートスペースやプロジェクトの企画運営をしたり、執筆をしたりしてきたが、ことに音楽は自分のあらゆる活動の原点であり、ずっとその音楽についての書籍を書きたいという思いだけはあったのだが、本当に「何から書き始めていいのか」すら、わからなかったのだ。

そこで、僕の活動に深い理解を示してくださっているある研究者の方にそのことを相談すると、「(学術)論文として執筆するのはどうか?」という提案をいただいた。

僕がいままで書いてきて本は、いわば我流(それはそれでもちろん全然アリ)であり、論文というのはいわば書き方に作法があるもの。つまり、自分の研究テーマを掘り下げるにあたって、まずは問題設定をして、先行研究をレビューをし、研究の焦点を「ここ誰もいじってないし、かつ必要やと思うから私はここやりますねん」といった感じでぐっと絞りこむ。そして、その焦点を理論的に読みとくために必要な視点を仮説的に引っ張って来て、それでフィールドワークしてきた現場事例をいくつか引っ張り出して検証。最後はそれを理論化してまとめる、といったような手順があらかじめ想定されているわけ。

これは非常に面倒くさい執筆作業なんだけど、逆に言えば、このルールにさえ乗っ取って自分の問題意識を当てはめていけば、ようやく自分が今まで書きたかった「音楽」についての書籍も書けるのではないか、と思って茨の道を突き進んだのでありました。

さて、そして論文のテーマです。ずばり「音楽による想起がもたらすコミュニケーションデザインについての研究」。ざっくり説明すれば、誰にとっても音楽(特定の楽曲)を聴いて過去を思い出したり、かつての人間関係に思いを馳せたりして懐かしい気分になることってあるじゃないですか。

過去を懐かしむのはそれはそれでいいんだけど、僕はずっと、その音楽を通じて過去を懐かしみつつも、今現在目の前にいる人たちとの対話を繰り広げながら、また別の記憶を想起したり、人に記憶を「そうじゃない」と正されたり、こっちが懐かしがってるのに相手まで同じ曲で全然違う記憶をぶつけてきて「何お前の方がより懐かしがってんだよ」ってなったりしながら、なんというか、「音楽×記憶」がもたらすコミュニケーションから実は過去の記憶に対するイメージが読み替えられたり、上書きされたり、単に「懐かしい」という感情のみでは片付けられない対話がそこでは生まれている、という状況に関心を向けてきたのだ。

つまり、音楽がもたらす想起は、過去に向けられた行為のみではなく、むしろ他者との対話を通じて今現在の時点から過去を意味付けしなおしたり、新しい人間関係が生まれたりする、とっても重要なコミュニケーションのひとつなのだ、と。

僕は、そのテーマを検証するべく、自分自身が企画をした、大人の記憶の音楽を子どもたちが実演する音楽プロジェクトや、北九州市にある歌声スナックで繰り広げられる、懐かしの校歌のオリジナルカラオケ映像を作って、同窓会に異様な想起のコミュニケーションをもたらす事例などをフィールドワークしてきた。

例えば、本連載の第1回で触れた「借りパクプレイリスト」(“借りパク”専門の架空のCD屋さんを立ち上げる展示会)では、長らく借りたままになって返せなくなくなってしまった懐かしさと悔恨が綯い交ぜになった思い出のCDの聴取と対話をもとにしたコミュニケーションを促したり。

また第4回目で触れた記憶の楽曲を持ち寄ってその場でたった一枚のコンピレーションCDを作る「あなたの音楽を傾聴します」や、小学生たちが自分の親に子ども時代に聴いていた記憶の楽曲をインタビューして、そこからヘンテコなコピーバンドを立ち上げる「コピーバンド・プレゼントバンド」といった音楽ワークショップの数々も、筆者が自前で試行錯誤しながら企画と検証を繰り返して来た事例だ。

それで、ここから先はもう書けば書くほどこみいってくるので、現在、この博士論文における「事例検証」部分は、以下でネット公開されている2本の論文でがっつり読めるので、ぜひ気になる方はアクセスしてみてほしい。(ちなみに博士論文全体は全6章で出来ていて、そのうちこの2本の公開論文が3章と4章にあたっている)

『音楽を「使いこなす」. ポピュラー音楽を用いた. コミュニティプロジェクトについての研究』(アートミーツケアVol.6/2015)

『音楽による想起がもたらすコミュニケーションデザインについての研究 歌声スナック「銀杏」における同窓会現場を題材に』(京都精華大学紀要49/2016)

「音楽と記憶」の関係に着目した論文でリサーチした、北九州市小倉北区の歌声スナック「銀杏」の様子。ママの入江公子は、同窓会で必ず歌われる校歌の「想起」の機能に着目。同窓会幹事からかつての記憶を取材し、なんとオリジナルカラオケ映像を制作披露。同窓会には不思議なコミュニケーションが生成されている。

まちの記憶をあつめて「音楽」にする――足立区で「千住タウンレーベル」を発足

さて、近況報告の最後は、これから東京は足立区千住エリアではじまる音楽プロジェクトの紹介をさせてもらいたい。

「“タウンレーベル”ってなんだよ?」って話だと思うけど、まずはこれは完全に僕の造語です。まず、どこの街にもわりあいみかけるタウン誌の編集室をイメージしてみてください。タウン誌って、その街に住んでいる普通の人のインタビューが載っていたり、そこに住んでないと行かないだろう地元の名店が紹介されてたり、あと「これ譲ります/これ探してます」的なローカル感たっぷりの企画が満載ですよね。

それと何よりもその街ならではの些細だけどとっても芳醇な記憶の数々が登場していたりする。ああいうのを文字だけでなく「音楽(音)」として発行してみたらどんなことが起こるのだろう?っていうのが、この取り組みをやるシンプルな動機。だからその街ならではの広義の「音楽」をリリースするレーベルということで「タウンレーベル」という名をつけたのだ。

ある特定の街ならではの出来事や記憶を編集する行為は、これまでもトークイベントや冊子というカタチでは取り組んできたけど、僕にとってもそれを「音楽」として落とし込むのは初めてのこと。メディアイメージとしては、かつて存在したテキストと音楽のミクストメディアであり、ジャーナリズムと芸術のひとつの融合の在り方を示してくれた「朝日ソノラマ」のような存在を、ひとまず想定しているが、そこもどんどん参加者と議論をしてゆく予定。

11月23日(祝)は僕自身がライブ演奏も交えながらこのプロジェクトへの思いと内容をプレゼンする説明会を開催し、その12月以降はサウンドメディアの歴史的変遷に詳しい音楽学者や、雑誌や音楽など幅広いフィールドで活躍する編集者などと共に勉強会も行ってゆく。詳しくは、以下の企画概要をご覧いただきつつ、もしご関心あらばぜひ、「音楽×記憶×街」というキーワードで一緒に楽しいワルダクミをしてくれる人(タウンレコーダー)として関わっていただきたい。

「千住タウンレーベル」、参加者募集説明会チラシ。
裏面も含めて以下でダウンロード可能。
http://aaa-senju.com/2016/wp/wp-content/uploads/2016/11/asadawataru.pdf

まちの記憶を、「音楽」として編集・リリースする「千住タウンレーベル」が始動。まちに繰り出し、言葉と音を収録・編集する 「タウンレコーダー」(記者)の募集説明会を開催します!!

千住タウンレーベルとは〜音楽×日常で粋に遊ぶ〜

東京都足立区千住地域を舞台に「音」をテーマにしたまちなかアートプロジェクトを展開する「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」(通称:音まち)。音まちではこの秋から、言葉や音楽を用いて新しい日常を生み出すアーティストの アサダワタルとともに新プロジェクトを立ち上げます。その名も「千住タウンレーベル」

千住で生活してきた市井の人々の人生譚(記憶)、千住のまちならではの風景や人間模様にまつわるエピソード、千住に根づき息づく音楽など、これらすべてをテキスト(文字)だけではなく、「音楽」として編集し、東京藝術大学やまちなかの拠点を編集室(スタジオ) として、発信・アーカイブしていくプロジェクトです。

■タウンレコーダーとは
このまちにしか存在しない、まちの情報サロンのような「タウンレーベル」。「音楽 × 日常」の新しくもヘンテコなあり方を追究する『音盤千住』(仮称)を定期的にリリース。この『音盤千住』リリースに向けて、まちなかでさまざまな取材、録音、編集などをおこなう「タウンレコーダー」(記者)を募集します!! ご興味のある方は、ぜひ説明会にご参加ください!

【タウンレコーダー募集説明会】
日時:平成28年11月23日(水・祝) 14:00~17:00
会場:東京藝術大学 千住キャンパス(東京都足立区千住 1-25-1)
アクセス:北千住駅[西口]より徒歩約5分
料金:無料要事前申込 定員:30名程度(事前申込優先)

内容:アサダワタルによるプレゼンテーションとミニライブ、住民のまちの記憶や音楽をテーマにしたワークショップ。参加者のみなさんと、頭と身体を使って「千住タウンレーベル」のコンセプトを共有します。

・その後の様々なプログラム、詳細、お問い合わせはこちらのプロジェクトサイトへ。
http://aaa-senju.com/asada