技術書典は“エンジニアたちのコミケ”である

2018年11月5日
posted by 小林徳滋

技術書典[1]は技術に関わる人にとってのコミケともいえる、年に2回のインディペンデントな本の即売会です。Techbooster達人出版会が共催し、ボランティアベースで運営しています。Techboosterはmhidaka(@mhidaka)さんが主宰する技術書を書くサークル、達人出版会は高橋征義さんが代表の技術書専門の電子出版社です。

2016年6月25日、秋葉原電気街口近くの通運会館の2階と地下1階で産声をあげ、2017年からは春と秋の年2回開催となりました。最近では2018年10月8日に技術書典5が東京・池袋のサンシャインシティで開催されました。この間、参加サークル数は57サークルから470サークル超へ、参加人数は1400人から1万341人へと8倍近い規模に成長しています。

【表1】技術書典の開催歴

開催日 会場 サークル参加費 参加サークル数 参加人数
第1回 2016/6/25
(土)
11:00 〜 17:00
秋葉原通運会館 個人5000円/企業10000円(税込) 57(個人48/企業9) 1400人
第2回 2017/4/9
(日)
11:00〜17:00
秋葉原UDX アキバ・スクエア 個人7000円/企業15000円(税込) 195(個人179/企業16) 3400人(入場時カウント)
第3回 2017/10/22
(日)
11:00〜17:00
秋葉原UDX アキバ・スクエア 個人7000円/企業15000円(税込) 193(個人170/企業23) 延べ3100人(実人数2750人)
第4回 2018/4/22
(日)
11:00〜17:00
秋葉原UDX アキバ・スクエア 一般7000円/パトロン20000円(税込) 246 6380人(整理券配布枚数)
第5回 2018/10/8
(月)
11:00〜17:00
池袋サンシャインシティ2F 展示ホールD 一般7000円 /パトロン20000円(税込) 470超 のべ10341人(うちサークル・スタッフ等関係者は889人)

(注:この他に2017/4/29~4/30にかけてニコニコ超会議との共催で「超技術書典」が開催されている)

筆者は初回技術書典から第5回まで連続してCAS電子出版というサークルで出典すると共に、第2回と第5回には企業スポンサーとしても支援しています。ここではサークルとして出典した経験を報告するとともに、技術書典の市場性・優れた点についてまとめてみます。

これまでの開催状況と出典をふりかえる

■技術書典(初回)[2016/6/25 開催]

通運会館の入り口は狭く、整理券を配布して入場規制中。

技術書典という催しが開催されることを知ったのはTwitterからでした。筆者は、2015年末からCAS電子出版ブランドのプリントオンデマンド出版を初めており、ちょうどこうした機会が欲しいと考えていましたので、すぐに申し込みました。自分で書いた『PDFインフラストラクチャ解説』という本をアマゾンなどのオンライン書店で販売していましたが、オンライン書店では実際の本を手に取って見ていただくことができません。実物の本を見て買ってもらえるような機会として、ぴったりのイベントと考えたからです。

募集要項には「募集サークル数は40で、申し込みが多いときは参加サークルを抽選で決める」とありました。このときは、応募サークル数が予想を超えていたことから、主催者が会場のフロアを2階と地下1階の2フロアに増やして当選するサークル数も追加したようです。

めでたく4月30日に参加サークル確定の連絡があり、他に制作を進めていたタイトルの完成を急ぐことにしました。結局『PDFインフラストラクチャ解説』(当日限り1500円税込)、『MathML組版入門』(同1600円税込)、『スタイルシート開発の基礎』(同2300円税込)、『XSL-FOの基礎』(同2500円税込)、『DITAのすすめ』(同800円税込)の5タイトルを各10冊持ち込みました。このときはまだイベントでどのような売れ方をするかをまったく理解しておらず、全部10冊、しかも100円単位での値付けという初心者ぶりです。

サークルの配置場所は入り口近くの良い場所でした。1サークルに割りあてられるスペースは折り畳みの長机半分で、となりのサークルと机を半分ずつシェアします。開場すると来場者が折りかなさるようにやってきますが、びっくりしたのは左隣サークルの一冊1000円の冊子が飛ぶように売れていたことです。

一方、我がサークルはぽつぽつ、という感じでしたが、それでも『PDFインフラストラクチャ解説』が1時間28分で完売、『MathML組版入門』は2時間39分で完売となりました。『MathML組版入門』は著者の道廣氏の知り合いの方に多く買っていただいたようです。結局、50冊中で39冊が売れて売上は6万6400円となりました。出品した本はいずれもかなりニッチな分野のタイトルなのですが、事前にブログなどで告知していたことと、新しいタイトルを用意したこともあり、それを目的に来られたお客様が目立ちました。

技術書典で本を売ってみて驚いたことは、冷やかしの参加者は少なく現金をもって本を買いにくる来場者が多いことです。領収書を用意したのですが、実際には領収書が欲しいという人は数人しかいませんでした。つまり、会社の経費という人はほとんどいなくて、自腹で買っていることになります。このあたりで技術書典が同人誌市場の延長線にあることを実感できました。

初回ということもあり、知り合いの方が多数見えましたが、あとで聞きますと開始前には通運会館の入り口前に長蛇の列ができ、急遽、整理券を配布して入場規制。その後は一般来場者は数時間待ちだったようです。待ち時間の長さに驚いて、入場しないで帰ってしまった人もいたようです。

■技術書典2[2017/4/9開催]

入場待ちの列、

第2回は秋葉原UDXに会場を移して開催。弊社は、主催者の依頼でPDF入稿用チェッカーの技術協力することになりました。またCAS電子出版でのサークル参加に加えて、会社としてスポンサーにもなりました。

当日はあいにくの大雨。それでも朝10時過ぎに入り口前のかなりの列ができていました。11時に始まるとたちまち会場は満員になります。我がサークルは、『XSL-FOの基礎』を大幅に書き直して第2版とし、『PDFインフラストラクチャ解説』を少し改訂して第1.1版としたのみで新タイトルの用意ができませんでした。そのためか、全部で85冊持ち込んで38冊しか売れず、売上額は5万7500円。入場者数が大幅に増えたのに販売実績は減少という残念な結果に終りました。

初回と同じタイトルを持ち込んだため、すでに知り合いのお客さんは購入済みで、新規のお客さんを開拓できなかったのが敗因でしょう。とくにXML関係の本は市場がニッチなためなかなか売上が伸びませんでした。

■技術書典3[2017/10/22 開催]

「技術書典3」。外は大雨

3回目から春秋の年2回開催となり、前回から半年の間をおいての開催です。開催日は10月下旬でしたが大型台風21号の上陸と重なってしまいました。この日、東京は暴風雨だったにも関わらず会場の秋葉原UDXは熱気に包まれました。

我がサークルは、『タグ付きPDF・仕組と制作方法解説』という新タイトルを制作、6タイトル合計110冊を持ち込みましたが、結果は31冊2万8500円の売上で、惨敗です。この日、いちばん売れたのがなんと『タグ付きPDF・仕組と制作方法解説』という、PDFの超ニッチな技術の話です。このようなニッチな本が売れるのは技術書典ならではと言えますが、同じタイトルはどんどん売上が落ちてしまうことを痛感しました。

■技術書典4[2018/4/22 開催]

熱心に内容をチェックするお客さん。お隣のジャストシステムさんは飛ぶように本が売れてました。朝、徳島から飛行機でこられたとのこと。

4回目も秋葉原UDXでの開催でした。技術書典といえば雨というジンクスができかけていたのですが、この日はうって変ってよい天気とあって、入場者数が前2回と比べて倍増となりました。天候に加えて、参加サークル数の増加も来場者増に繋がったのでしょう。

我がサークルは、新タイトル『PDF CookBook・PDFでこんなことができる!PDF Tool API によるPDF調理法』を用意して既刊と合わせて7タイトル合計96冊を持ち込みました。過去の経験から新刊本は大目に56冊を用意しましたが、結果的には30冊を販売。もちろん売上冊数では一番です。一方、既刊本は少なめに持ち込んだのですが、入場者数が増えたためか既刊タイトルは全部売り切れてしまいました。

とくに『PDFインフラストラクチャ解説』は数時間で売り切れとなり機会損失が大きかったようです。それでも売上金額は7万500円と4回目にして最高額になりました。持ち込み数を少なめにしているのは、重い本を疲れた体で持ち帰るのは精神的にもつらいためですが、そんなことを言わずに、余るほど持って行くほうがよかったかもしれません。いずれにしても、4回目の売上が最高になったのは比較的売れる新刊があったことと、なんと言っても入場者数が増えたためです。

■技術書典5[2018/10/8 開催]

会場の中が混雑しすぎないよう運営が入場規制中。入り口近くは人の流れが増えたり減ったりします。

技術書典5は、さらに規模を拡大して池袋サンシャインシティでの開催。参加サークルは470を超えました。弊社の他のイベントとの関係もあり、CAS電子出版としてではなくスポンサーとしての参加となりました。

今回は、新刊として『CSSページ組版入門』と『PDF CookBook 第2巻』の2タイトルを追加、既刊含め9タイトル110冊を持ち込みました。結果的には、『CSSページ組版入門』は持ち込み部数が少なかったこともあり、開始1時間で売り切れてしまいました。どうやらVivliostyleで技術書典の本を作っているサークルが増えているらしく、技術書典ではCSS組版人気が高まっているようです。

『CSSページ組版入門』のPDF版はWebで無料配布する予定でしたので、紙版をたくさん売ってからPDFを無償で配布したら「話が違う」と叱られるかもしれない、という気持ちもあって持ち込む数を減らしましたが、結果的には売り切れ。「来週からPDFを無償で配布します」と説明しても「いや紙版が欲しいんです」というお客さんがいました。結局、9タイトル中4タイトルが売り切れ、合計78冊販売して売上は9万5500円となりました。もう少したくさん持ち込めばよかったと反省しきり。一発勝負の技術書典で最高の結果を出すのはなかなか難しいものです。

市場としての技術書典

1. 全体としての規模

初回から第4回までは主催者により参加サークルを対象とするアンケートが実施されており、約半数のサークルが回答しています。この結果を見ますと、初回から3回目にかけてサークルの持ち込み数平均値はほぼ同じですが、頒布数の平均値は若干減少気味で、完売率が下がっています。これは参加しての実感と一致していますが、おそらく天候による来場者数の減少によるものでしょう。

ところが、第4回は持ち込み数と頒布数の平均値が大幅に増えています。これについては後述します。

【表2】技術書典サークルの持ち込み数と頒布数など(参加アンケート結果と分析による)

持ち込み数(平均) 頒布数(平均) 頒布総数 回答数 情報源
第1回 166部 137部(完売率は82.6%) 7800冊前後(参加者一人あたり5.5冊) 38 [2]
第2回 170部 132部(完売率は78.9%) 2万2400冊前後(参加者一人あたり6.5冊) 94 [3]
第3回 164部 119部(完売率は64.7%) 2万冊前後(参加者一人あたり7.2冊) 104 [4]
第4回 208部 168部(完売率は78.3%) 4万冊前後(参加者一人あたり6.2冊) 131 [5]

頒布単価はアンケート項目にはありませんが、主催者の目測では500円~1000円とされています。技術書典では現金でおつりを数えて渡す手間や間違いを減らすために、500円刻みで頒布価格を設定することが多いようです。仮に平均750円としますと、技術書典4の全参加サークルの取引規模は3000万円となります。来場者一人あたり約5000円にあたりますが、この推測値は大き過ぎはしないでしょう。

2. 他の流通手段との比較と連携

ちなみに、私の書いた『PDFインフラストラクチャ解説』は、2016年1月に初版を発売し、紙版・PDF版・電子書籍(EPUB・Kindle)で販売しています。このうち紙版はアマゾン・プリントオンデマンドなどのオンライン書店と技術書典で販売していますが、2018年9月までの紙版販売数(トータル298冊)のうち技術書典(1~4)で全体の約20%にあたる57冊を販売しました。このように、技術書典での販売がかなり大きな比重を占めています。

タイトルによっては技術書典でしか売れないというものもあるようですし、年に2回の開催が定着すると、技術書販売市場での比重が高まるでしょう。技術書典で売れ行きのよかった本を商業出版したり、BOOTHなどのオンラインストアで販売するサークルも増えていますので、今後は技術書典と他の流通サービスの連携も強化されていくことでしょう。

3. 技術書の新しいスタイル・新しいスターが登場

技術書典4では、群を抜いて大量の部数を販売した湊川あいさん、mochikoAsTechさんという“巨人”が登場しました。湊川さんのレポート「#技術書典 初の非常口サークル爆誕、1000部以上売れた #マンガでわかるDocker 一部始終」[6]によりますと、湊川さんの本を買うための待機列が、なんとUDXの一方の壁際から他方の壁まで達してしまったため、非常口に待機列を逃がすという前代未聞の事態になったようです。

また、mochikoAsTechさんの「初めて書いたDNS本が初参加の #技術書典 4で750冊売れた話」[7]によればDNS本を400冊持ち込み2時間で完売してしまったとのこと。技術書典4でサークルの持ち込み数・頒布数の平均値がぐっと増えたのは、スターの登場と来場者の裾野の広がりによるものでしょう。

技術書典5では、湊川あいさん、mochikoAsTechさんは、ますます大量の部数を売りさばいたようです。湊川あいさんはfacebookで技術書典5に新刊・既刊合わせて3000冊持ち込むと宣言していましたし[8]、mochikoAsTechさんは『AWSをはじめよう』を1500冊、『DNSをはじめよう』を740冊、合計2240冊を持ち込んで、DNS本が完売、AWS本は1350冊を販売したとのこと[9]。技術書典5のアンケート結果はまだ発表されていませんが、頒布総数が飛躍的に増えているかもしれません。

このように技術書典を踏み台にして、技術書の新しいスタイル・新しいスターが登場したと言ってもいいでしょう。彼女らの本は、いずれも難しい技術をやさしく伝える本。技術書典の発足当初はオタクエンジニアが勉強成果を発表する場という位置付けでした。これに対して、技術書典5では技術をやさしく伝える本が爆発的に売れる場になったということは、来場者の裾野が各段に広がったことを示しているとも言えます。

大成功した要因

技術書典の大成功の裏には、Techboosterのmhidakaさんをはじめとする主催者や運営ボランティアの存在があります。第2回目から公式ファンブック「技術季報」も毎回一部1000円で販売されています。技術書典でいちばん売れる本であり、運営の裏話やサークルの経験談が紹介されています。以下、この「技術季報」も参考にしながら技術書典の運営の特徴の一端を紹介してみます。

1. Webページでの事前チェック

技術書典のWebページではサークルリストというWebカタログ機能が提供されていて、参加サークルはここに頒布物の情報を登録します。サークルリストは一般参加者向けには約1ヶ月前に公開され、参加者はマイページで気になったサークルにチェックできます。各参加サークルは、自己サークルの被チェック数を見て、人気の度合いを測ることができます。

サークルによっては被チェック数を参考にして持ち込み部数を決めているようです。mochikoAsTechさんは技術書典4で初めて40部持ち込みの予定で参加申し込みをしましたが、サークルリストの被チェック数の増加を見て、持ち込み数を400部まで増やしたそうです。こうしたフィードバックの仕組みも技術書典のよいところでしょう。

2. サークル配置

技術書典の会場は、場所によっては満員電車並の混雑度になります。各サークルに割り当てられるのは机半分ですから、人気サークルでは来場者が隣にはみ出してしまいます。また、人気サークルの配置によって、人の流れが悪くなり、お目当てのサークルに辿り付けなくなります。とくに湊川あいさんやmochikoAsTechさんのような人気サークルでは縦の待機列ができてしまい、人の流れが完全にブロックされてしまう可能性もあります。

技術書典4までは、運営がサークル配置問題に大きな労力をかけていたようです。「技術季報4」には、技術書典5からサークル配置問題を解決するためのサークル自動配置プログラムを開発したことが紹介されています。運営がIT関係者からなるボランティア集団であることが生かされています。

3. 電子決済

技術書典には現金を握りしめて買いに来る来場者が多いのですが、QRコードによる電子決済の取り組みも始まっています。技術書典5ではピクシブ株式会社によるpixiv Payと主催者の提供する決済システムが提供されていました。主催者の電子決済の仕組みは技術書典3から提供されていましたが、技術書典4まではあまり使われていなかったのではないでしょうか。

しかし、技術書典5では電子決済の利用者がかなり増えたという印象を持ちました。我がサークルでは電子決済に対応しなかったのですが、購入者から「電子決済できませんか?」という質問を頻繁にいただきました。こうしてみますと、次回からは電子決済への対応は必須になるでしょう。全面的に電子決済になれば、おつりを数える必要がなくなりますので、販売価格設定の自由度が高くなります。電子決済のほうが消費税アップにも対応しやすいということもあります。

* * *

技術書典は当初と比べ、来場者の層もかなり変化し、技術書市場への影響力も増しています。このような技術書典の成功は、開催を企画し、運営に注力してこられたTechboosterのmhidakaさんや達人出版会の高橋さんをはじめ、運営ボランティアの皆さんの創意工夫と努力のたまものと言っていいでしょう。技術書典が今後とも継続、ますます発展することを強く期待します。

情報源

[1] https://techbookfest.org/
[2] http://mhidaka.hatenablog.com/entry/2016/12/27/114901
[3] https://blog.techbookfest.org/2017/07/21/tbf02-report/
[4] https://blog.techbookfest.org/2018/01/09/tbf03-report/
[5] https://blog.techbookfest.org/2018/07/13/tbf04-report/
[6] https://note.mu/llminatoll/n/n9c716089e1bc
[7] https://mochikoastech.hatenablog.com/entry/2018/04/26/012240
[8]https://www.facebook.com/minatogawaai/posts/2102458513402819
[9] https://note.mu/mochikoastech/n/n3fe11ea0a282

ローカルな場所とデジタルを結びつける

2018年11月1日
posted by 仲俣暁生

今月から「マガジン航」はリブライズとのコラボレーションを始めることにした。ご存知の方も多いと思うが、リブライズは「すべての本棚を図書館に」を合言葉に、本と場所と人を結びつける仕組みだ。わかりやすく言えば「図書館ごっこ」ができるサービスである。バーコードリーダーとFacebookのアカウントだけで本の貸し借り(チェックイン、チェックアウト)が簡便にできるため、すでに1700ヶ所以上の場所にある60万冊近い本がリブライズに登録されている。

リブライズは個人でも「図書館」ができる仕組み。

じつはリブライズの開発・運営をしている一人である河村奨さんは、私の住んでいる町で、下北沢オープンソースCafeという面白いスペースを営んでいる。リブライズというサービスが開始されたときすぐに会いに行き、それ以来、折に触れて本やウェブ、コンピューティングについて、いろんな話をしてきた地元の仲間でもある。

マンション1階のガレージを改装した下北沢オープンソースCafe。いちばん奥が「編集部」。

下北沢オープンソースCafe内の「編集部」。本とテックな雰囲気が両方あってよい。

リブライズの河村さん。受付は図書館の貸出カウンター風になっている。

リブライズの面白いところは、本のあるリアルな場所を「ブックスポット」と名付けたことだ。「本屋」でも「図書館」でもない、たんに「本の場所」。でもそうした場所こそが、既存の本にまつわる場所とはひとあじ違う、一種の「サードプレイス」(オルデンバーグ)になるのではないかと思っていた(リブライズとこのカフェの成り立ちについては、今年に電子書籍とオンデマンド印刷だけで出版した『数理的発想法』という本で詳しく書いた。もとの記事はオンラインでも読める)

「マガジン航」には2009年の創刊以来、100人を超える寄稿者がいるが、編集は基本的に私一人だけでやってきた(もちろん持ち込み企画や投稿もある)。「編集部」もとくに置かず、SNS上での寄稿者との議論が「編集会議」だった。でも、やっぱり具体的な場所がほしいな、とは思っていたのである。そこでリブライズの河村さんに相談してみたところ、下北沢オープンソースCafeを「マガジン航」の編集部にして、人が訪ねてきたり、会議をしたりできるようにしましょう、という話になった。

ローカルな地勢から力を得る

そこで生まれ育ったわけでもなく、たんに長く借家住まいをしているだけなのに「地元」などというのは面映いが、下北沢にはもう20年以上住んでいるので、それなりに愛着を感じている。

下北沢では小説家の藤谷治さん(いま「マガジン航」では彼と公開往復書簡を続けている)が「フィクショネス」という本屋を長いことやっていた。また内沼晋太郎さんと嶋浩一郎さんが経営する「本屋B&B」では、自主イベントも含めて企画をいくつも実現させてもらった。下北沢には古本屋も増えたし、小さな出版社も増えている。

「ローカル」という言葉の本来の意味は、中央に対する地方ではなく、その場所に固有の、つまり「局所的な」ということだ。ゲニウス・ロキ(地霊)という言葉があるとおり、ローカルな地勢の力を得ることで、はじめて成り立つものごとがあると思う。

いま出版の世界では「ナショナル」なレベル(端的にいえば紙の本の全国一律流通)でのサービスが難しくなっている。そしてITの世界で起きていることは、いうまでもなく「グローバル」な動きだ。グローバルな動きにナショナルな動きで対抗することは難しいが、ローカルすなわち場所の力によって、グローバリゼ―ションをある程度まで中和することはできると思う。

いま私がいちばん関心をもっているのは、ITとリアルな場所を組み合わせた活動だ。たとえばまもなく開催されるNovelJamもその一つ。小説を書き、電子書籍として出版するという、プラットフォームに頼れば一人でもできてしまう行為を、人がおおぜい集まって一つの「場所」で行うことで、プラットフォームの力に依存するのではない、新しい価値が生まれると信じている。これから「マガジン航」でやってみたいのも、これに似たことだ。

この機会にリブライズの河村さんと地藏真作さんのお二人には、正式に「マガジン航」の編集部員になっていただくことにした。これからはウェブの記事だけでなく、下北沢オープンソースCafeという場所やリブライズの仕組みをつかって、いろんなイベントやサービスを「マガジン航」としてもやっていこうと思う。

リブライズは最近、「誰でも本屋さんごっこができるサービス」も始めた。たとえばこれを使って「マガジン航」がお薦めする本が「編集部」で買え、その本について読者と編集部員とで話ができる、といった企画を考えている。近いうちに告知をするつもりなので、関心のある方は「マガジン航」のFacebookページにまずはご参加ください。

「小説」を読むことは難しい

2018年10月29日
posted by 藤谷 治

第6信(藤谷治から仲俣暁生へ)

仲俣暁生様

先日はお会いできて楽しかったです。お身体の具合がよくないと聞いていたので、いらっしゃらないだろうと思っていたのですが、案外お元気そうなので安心しました。

授賞式会場で見かけた人たち――その中には長年のあいだ愛読してきた小説家や、古なじみの書評家、そして書店員たちもいました――と、仲俣さんの手紙にあったひと言が、思いがけず自分の昔を思い出させました。

「あたかも批評が小説より優勢であるように思え、批評家が小説家より格好よいとさえ思えた時代」……。そうでした。ニュー・アカデミズムとか、ポスト・モダニズムとかいった言葉が、おしゃれで気取った響きを持っていたあの頃は、まさに「批評の時代」と呼ばれていたのでした(そういったのは大岡昇平だという話を、風の噂に聞いたことがあります。自分で確かめたわけじゃありません)。

まったくあの頃、八十年代といっていいのでしょうが、あの頃は僕も、批評ばかり読んでいました。柄谷行人や蓮實重彦といった、当時売り出し中だった批評家のものは言うに及ばず、吉本隆明や江藤淳など、すでにヴェテランだった人たちの批評、それに当時は、小説家もやけに批評を書いていました。批評を前提として書かれたような印象の小説や、批評そのものにしか見えない小説もありました。

もしもあのまま、批評や批評的小説ばかりを読んでいたら、それも批評的(?)に読んでいるだけだったら、僕は決して小説家になれはしなかったでしょう。またそのために僕は、四十まで小説を書けずにいたとも思います。そしてこれは、今にして思えばというような、事後的な解釈ではありません。

僕はある時――今世紀が始まって間もないどこかの時点で、かなり意識的に「文学を批評的に読むこと」と決別しました。「批評の時代」が終わったからではありません。そんなものは、とうに流行遅れになっていました。僕は一冊の本(『百年の孤独』)をきっかけに、小説と小説として読むことができるようになりました。

この話は語り始めれば長くなるから割愛しますが、もし自分に、小説家であるための何らかの資質があるとしたら、この一点にのみあるかもしれないと思っています。僕は小説を小説として読むことができ、それは決して誰にでもできることではないのを知っています。人は評論を評論として読むことも、詩を詩として読むこともできるのに、どうやら小説を小説として読むことは、なかなかできないようです。

これはしかし、小説を「ただ楽しく読む」のとは画然と違います。それはいわば、マルセル・デュシャンがモナリザに仕掛けた芸術論的な悪ふざけのようなものです。デュシャンはモナリザに髭を描いて「髭の生えたモナリザ」とし、それだけでなく、今度は当たり前のモナリザを「髭を剃ったモナリザ」として人前に出したのです(注)。それはただのモナリザなのに、人にはもはやそれが、髭を剃ったモナリザに見えてしょうがないという、楽しくも芸術論的な悪ふざけです。

僕が言う「小説を小説として読む」も、これに似た経緯を通過したものです。つまりまず「批評の時代」に頭の先までどっぷりと浸かり、しかるのちに小説を、いわば「批評」という「髭を剃った小説」として読む、ということです。仲俣さんの手紙にあった、「いくら批評が読まれても、それが対象としている実作は読まれない」時代から脱出して、実作を読むに至った、と言ってもいいかもしれません。

こんなことを書いている自分が、仲俣さんがこの場で取り上げようとしている「編集」の問題からかけ離れているとは、僕は思わないのです。「「読む人、書く人、作る人」のトライアングル」と、その「運動を生み出す」ことの重要性は、僕にもよく判ります。ただ僕は、その「トライアングル」のうち「読む」(仲俣さんが「基底」と見なしているのはこれでしょうか)というのは、やはりそう簡単なものではないと、若かったころの自分を思い返しながら、考えているのです。

「批評の時代」の文学が、何を僕たちに残したでしょうか。あの膨大な饒舌の中で、こんにちでもなお重要と思えることは、「読むというのは、なまなかなものではない」という一事に尽きるのではないでしょうか。文学とは、読めば読めてしまうものであり、感銘さえ受けてしまえるものであり、そのために、いくらでも読み捨てられ、通り過ぎてしまえるものなのだと、彼らは意図せず僕たちに示したのではなかったでしょうか。

今になって僕はそれを痛感するのです。インターネットという、とどまることの許されていないかのような、通り過ぎることしか許されないかのような文学(ネット上の言葉はすべて文学です)を前にして、僕は「批評の時代」を大いに楽しんだ、そしてその後にただ書くだけで何もしなかった、自分の怠惰を思わずにはいられません。

むろん、読めば読めてしまう文学はインターネットの登場するはるか以前からありました。人間がいくらでも発言できるツールの発明と流布も、悪いことではないはずです。しかしそこにはあまりにも、無思慮で無反省で無防備な言葉が、不特定の読者に向けられた「文学」として放り出されてしまいました。これは「小説を小説として読む」ことができるようになった僕という人間が、読むことと書くことの困難と危険を示さずに、あたかも「書けば書けてしまう」かのように振る舞い続けたことにも、原因があるのです。僕のような無名な小説家がインターネットの奔流に何ができるというのだ、という諦念は、自分の無力を肯定する言い訳に過ぎず、ひいては「人間の無力」というセンチメンタリズム にしかつながりません。

同じことが「編集」に言えるのではないですか。前の手紙で僕は、小説の圧倒的な不足欠乏を呟きました。仲俣さんは「一人出版社」のような小さなメディアによってこそ「新しい文学なり、同時代に対する正確な批評が生まれるのではないか」と書いていましたが、メディアの規模の大小が問われない時代になった、という意味であれば、その通りだと思います。しかしそれよりも大切なのは、「編集」の存在を読者に、あるいは「時代」に、示すことです。

本当は、恐らくそれでも足りないのでしょう。「読むこと」がなまなかでないことを示すために、僕がこれまでやってきたことは、ただ小説を書いただけです。それは「小説がある」ということを示すために続けてきたのだと思います(今気がつきました)。しかし――滑稽なくらいに当たり前の話ですが――、小説の存在をただ示すだけでは、まったく足りないのです。

しかし、僕が編集を何も知らないからこう思うのだけかもしれませんが、「編集」は、ただそれを露呈させるだけでも、充分に現代に訴えるものがあるのではないですか。何しろ編集というのは、そもそも露呈しないところで機能するものですから、それを明確にするのは、意味のあることだと思います。「評論」とは違う「編集」の存在を強く主張するのは、「新しい文学なり、同時代に対する正確な批評」に対しても有効だと思えます。

……とはいえ、編集を明確に露呈させる、というのがどういうことなのか、こう書いている僕にも、一向に見当がつかないですけれど。

 [注]これはデュシャンの「L.H.O.O.Q.」についての正確な記述では、まったくありません。

第1信第2信第3信第4信第5信|第7信につづく)

トライアングル的な運動としての「編集」

2018年10月23日
posted by 仲俣暁生

第5信(仲俣暁生から藤谷治へ)

藤谷治様

先日はある文芸誌の新人賞パーティーで、久しぶりにお目にかかれて楽しかったです。ふだんああいう場に出向くことは少ないのですが、「小説家」や「文芸評論家」が抽象的な存在ではなく、姿かたちのある具体的な存在、つまり生きている人間なのだと確認できるのはよいことだなと、文学関係の集まりに行くたびに思います。

しかし文芸や文壇をめぐる話題は、このところすっかり気が滅入るものばかりなので、もう一つの話題、そしてこの往復書簡で僕が藤谷さんと一緒に考えたいと思っている話題である〈編集〉のほうに、少し流れを変えさせてください。

* * *

先の返信で藤谷さんは、僕のことを「編集者」と思ったことはなく、「文芸批評家」だと思っていたと書いてくれました。それに対して僕は、自分が文芸に向き合うときは「文芸批評家」ではなく、「文芸評論家」でありたいと書きました。藤谷さんはさらに応えて、自分も「作家」ではなく「小説家」と呼ばれたいと書いてくれた。これはとても面白いやりとりでした。

編集の話に行く前に、なぜ自分が「批評家」と呼ばれたくないのか、ということから説明します。

これまで自分が文学について書いたものに批評性がないとは思わないのですが、僕は小説を〈批評〉という鋭い刃で裁断するより、〈評論〉という古めかしい作法で向き合いたい気持ちが強いのです。もちろん小説を論じることを通じて現代という時代について語りたいことはあり、そうした書き物の場合には〈同時代批評〉とでも言えるのでしょうが、個々の作品に愚直に向き合うとき、それは〈批評〉である前に、まず〈評論〉であるべきだろうと思うのです。

あいにく僕たちは、あたかも批評が小説より優勢であるように思え、批評家が小説家より格好よいとさえ思えた時代に青年時代を過ごしました。切れ味の鋭い批評の文章に思わず快哉を叫んだことも一度ならずありますが、その結果として、いくら批評が読まれても、それが対象としている実作は読まれない、という本末転倒なことさえ起きたように思います。すぐれた批評は往々にして論じる対象を超えてしまいますが、その弊害も大きかったのではないでしょうか。

僕が自分を「批評家」というよりは「評論家」と規定したいのは、実作家よりも一段低いところから作品を読み解きたい、ということの宣言でもあるのですが、はたから見ればどうでもいい、たんなる言葉の好みの問題かもしれません。

しかしここで、優れた「批評家」(この場合は「評論家」ではなく)は、同時に優れた「編集者」でもあった事実を思い出さないわけにはいきません。過去において多くの批評家や思想家は、自身が寄って立つためのメディア――多くの場合は雑誌――を主宰し編集してきました。

鶴見俊輔の「思想の科学」、吉本隆明の「試行」、柄谷行人の「季刊思潮」や「批評空間」、東浩紀の「思想地図」や「ゲンロン」などがすぐに思い浮かびますが、いまちょうど読んでいる長谷川郁夫の『編集者・漱石』(新潮社)という本には、夏目漱石と正岡子規、そして雑誌「ホトトギス」をめぐるこんなくだりがあり、目を見開かされました。

漱石が最初に書いた散文作品といえる文章は、渡英中の明治34年(1901年)4月にロンドンから親友・正岡子規に宛てて書いた三通の長い手紙をまとめた「倫敦消息」です。同年5月の「ホトトギス」第4巻8号に掲載されたこの文章が成立する過程について、長谷川郁夫はこう書いています。

私なりの理解でいえば、漱石の最初の創作は、子規と虚子、そして漱石、きわめて私的な、三人の編集感覚のトライアングル――読む人(ここでは子規)、書く人、作る人――のなかで成立したのである。

友人の柳原極堂が松山で創刊した「ホトトギス」という小さな俳句雑誌を主導しつづけた正岡子規こそ、すぐれた実作家であると同時に「編集者」であり「批評家」でもあった人物です。その子規に宛てて書いた私的な手紙が、東京に拠点を移した「ホトトギス」の編集を子規から任された高浜虚子の手によって公的な誌面に掲載され、それが漱石の散文作家としての最初の「作品」になったと長谷川氏は言うのです。

この浩瀚な評伝のなかで、長谷川氏は編集(者)が果たす触媒的な機能についてたびたび語っているのですが、夏目漱石という「作家(小説家)」の誕生の瞬間を語るこのくだりで、その秘訣を「読む人、書く人、作る人」の編集感覚のトライアングルにあった、としているのが僕にはとても興味深く感じられます。

僕は文芸作品の誕生に立ち会ったことはなく、雑誌の編集長をした経験にも乏しいのですが、「マガジン航」というこの小さなメディアを、これまでなんとか9年間続けてきました。「ホトトギス」のようなリトルマガジンにさえ遥かに及ばないミニメディアですが、それでも「読む人、書く人、作る人」のトライアングル、つまり各々が役割を演じ、ときには交替しながら、一つのテキストが「作品」となっていく課程の醍醐味をなんどか味わいました(ウェブの場合、物としての姿形を「作る人」が不在なのは残念ですが)。

もちろん、そうした感覚はすべての編集者、そして編集者とともに「作品」を作り出したことのある作家たちが少なからず経験してきたことのはずです。

でもここでまた、冒頭の気の重い話題に戻らなければなりません。いまは本や雑誌が売れない時代です。そんな時代に、はじめから売れないことがわかっている本や雑誌を「作る」とき、そのモチベーションはどこに置いたらよいのか。商業出版社のなかにも、経済的な環境の悪化に抗いつつ、長谷川氏がいささかロマンチックに描いた「トライアングル」の運動を生み出すために奮闘している編集者がいることは想像できます。

でも、と僕は思うのです。「批評家」と自称するかどうかはともかく、いまは少しでも時代を動かす「運動体」をつくりたいなら、自身でメディアを立ち上げ、それを回していくことが必要なのではないか。ここ数年、勤めていた出版社から独立して「ひとり出版社」を立ち上げる仲間が増えており、雑誌にかぎらず、そうした出版社もまた「メディア」なのだと僕は思います。

そうした営みのなかでこそ、新しい文学なり、同時代に対する正確な批評が生まれるのではないか。あるいは紙の本や雑誌でなくてもいい。ウェブでも電子雑誌でもいいけれど、大切なのはとにかく、一人きりでやらないことです(「ひとり出版社」も実際は多くの人との共同作業のもとで本を出しています)。

ネット上にあふれる「ひとり語り」の言葉は、その根幹に長谷川氏のいうような「トライアングル」の基底を欠いているからこそ、どこまでも上滑りするだけで、人の心を深いところで撃つことができない。そう思えてなりません。

この往復書簡は「ダイアログ」にすぎず、理想的なトライアングルには一つ要素が足りないのですが、もしかしたらこの文章を読んでくれている数少ない読者が、その役を果たしてくれるのかもしれません。僕は小説の「編集」はできませんが、こうやって「小説家」である藤谷さんと公開の場で往復書簡を交わすことで、読者を交えた小さなトライアングルを回しているつもりなのです。

編集についてはもっと書きたいことがあるのですが、これでもかなり長い手紙になってしまいました。いささか中途半端ではありますが、いったんここでキーを打つ手を止めることにします。

第1信第2信第3信第4信第6信につづく)

あまりにも「小説」が足りない

2018年10月4日
posted by 藤谷 治

第4信(藤谷治から仲俣暁生へ)

仲俣暁生様

今年の九月は、雨の降らなかった日が二日しかなかったと、テレビの気象予報士がいっていました。洗濯物は乾かず、出かけるのも億劫です。

それなら家にいて仕事がはかどるかというと、そういうこともありません。照ろうが降ろうが、書けないときは書けないもので、ワープロを開いたパソコンの前でひねもすクサクサしています。この往復書簡があって助かります。思うことをただ書いているだけでも、気が晴れますから。

しかしパソコンをワープロからインターネットのブラウザに切り替えると、もういけません。スポーツ業界でのパワハラ、文芸業界でのセクハラ、芸能人の引退や死。近頃のネットで見かけるニュースには、ろくなものがない。大阪なおみが全米オープンテニスで優勝したと思ったら、受賞後のインタビューでは泣きながら謝罪している始末です。今年はまだあと三か月も残っていますが、僕は「今年の漢字は『膿』がいい」と、SNSに書き込んでしまったくらいです。

「新潮45」の休刊も、膿を出したうちに含まれるのでしょうか。新潮社の雑誌に書けることを名誉に感じ、身を入れて原稿を出していた人たちが気の毒です。

もちろん僕の同情は、差別的言辞を弄した人や、そんな言辞を許した編集者には向けられません。言葉は、個人がおおやけに向けて発するものです。例外は「公文書」だけでしょう。差別を助長する人間や、その人間の言葉を公表した人間を批判するべきです。雑誌に差別的な言葉が掲載されて、その雑誌の継続を瞬時に止めてしまうのは、犯罪者の住む町を丸ごと焼き払ってしまうのも同然です。現実の町で同じような処置をしたとしたら、世界に生き残れる町はどれくらいあるでしょう。

個人の言葉が雑誌によっておおやけに向けられるのには、必ず編集者の仲介と助力が必要になるのです。言葉を換えれば、個人は編集者の判断がなければ、ひと文字だって商業出版から言葉を発することはできないのです。

仲俣さんはこのやりとりを、作家と編集者の意見交換の場と考えていたようです。前の手紙で早くもその考えからズレたものを送ってしまって、失礼しました。僕は仲俣さんを編集者と思ったことは殆どないのです。ちなみに文芸批評家か、それとも文芸評論家か、という違いに対しても、僕は鈍感でした。これからは「文芸評論家」で通すことにします。

そして――これはクレームでは全くないのですが――僕はなるべく自分の肩書を「作家」ではなく「小説家」として貰うことにしています。「作家」というと、小説よりももっと広く、さまざまな言論活動をする人間のように思えるからです。実際問題として、僕の仕事が九割がた小説を書くことだからでもありますが、それ以上に、小説という言葉の運動の重要性と可能性を、僕が異常なまでに、おそらく、殆ど宗教的なまでに、信じて疑わないからです。

小説ほどエラい言語表現はないんだぞ、と思い込んでいるようなもので、この一点だけでも僕は、言論についてまともに人と話し合う資格がない幼稚な人間だと思われても仕方がないでしょう。自分の小説がこの「信仰」に見合う立派なものとも思えません。

ただ、「新潮45」の騒動や、ネットで行き交う言葉を見ていると、そこにはあまりにも「小説」が足りない、と思うのです。

ネットの言葉に「編集」がないことは、誰もが知っています。また「新潮45」の短兵急な休刊が、いわば編集部の逃避、ないしは経営側による「編集」の放擲であることも、仲俣さんを含む多くの識者が指摘していることでしょう。

ネット時代となって爆発的に生じるようになった、言葉による奇禍、いわば文字による舌禍が、「公表される言葉」の量に対する「編集」の圧倒的な不足に起因することは、誰もが知っていることです。「編集」という言葉を使っているかどうかの違いがあるだけで、この問題を憂うる人は、そろって「編集の不在」を危惧しているといえるでしょう。

僕は同じ問題に、編集と同じくらい「小説の不在」を感じるのです。小説的視野とか、小説的思考と言い換えた方がいいのかもしれませんが、小説的視野や思考が、氾濫している「編集を介さないで公表される言葉」のなかで欠落しているのは、小説そのものが言葉を発する個人個人に、あまりにも届いていないからでしょう。いわゆるSNSなどの「ネット上に氾濫する言葉」だけでなく、今や小説は、小説を書いている個人にも届いていないのではないかと、僕は考えています。

小説を知らずに小説を書く人間は、ネット時代の前から少なくありませんでした。言葉を書く人間にとって小説というのは、受け入れるのが非常に難しい文章群なのでしょう。小説を受け入れないまま小説を書くことは容易ですし、それが「優れた小説」と見なされることすらあるでしょう。これは公開書簡ですから、僕が小説をどんなものと考えているかは、拙著『小説は君のためにある』(ちくまプリマ―新書)を是非お読みくださいと、ここで宣伝を入れておきます(仲俣さんもこの書名を手紙に入れ込んでくださいました。感謝いたします)。

しかし小説が本来内部に持っている多様性、多義性が、これほどまでに必要とされている時代は、かつてなかったと思います。それは単に、かつてと比べて今はインターネットが言論(というほどではないのかもしれません。話題、といった程度なのかもしれませんが)の主流になっているから、現代の中にいる僕にそう見えるだけでしょうか。ネットに氾濫するだけでなく、現実世界にも少なくない影響を与える言葉たちの、その単純さと膨大さ、匿名性に庇護された「文責」の稀薄さを見るにつけ、おこがましいのは承知の上で、僕は自分もまたできる限り「啓蒙」をしなければならないと思うのです。

「特殊文芸」の隆盛と「文豪」へのアクセスの良さによって、「一般文芸」が看過されている、という分析は興味深かったです。僕は自分の仕事の位置をそう捉えたことはありませんでしたし、「特殊文芸」についても知るところは少ないのですが、それでもあの分析は実感できるものでした。

(余談ですが、僕は自分が書く小説のジャンルについては意識しますが、それはいわば戦略的な意識です。たとえば『茅原家の兄妹』(講談社)という小説は、ジャンルとしては恐らく「ホラー小説」です。しかし書くにあたって意識したのは、ヘンリー・ジェイムズと夏目漱石でした。同じ意識で純文学を書くことはありません。小説を書く側からの純文学とは、砂漠か原生林のような場所でなければならないと考えていますから。)

円本に象徴されるような「当時の「現代文学(明治・大正文学)」にパースペクティブを与え、序列化する営み」が、現代文学にもそろそろ必要になってきたのではないかという御指摘も、まったくその通りでしょう。文学に限らず、平成にはまだ形がありません。たとえそれが、どんなに僕たちを逡巡、躊躇させるとしても、恐らく「平成の総括」は避けられない知的課題であると思います。「平成という時間の括りには意味がない。実感もない」という、僕たち自身の中にもすでにある批判や「空気」をあらかじめ見越しての総括が。そのうちの「平成文学」を、せめて仮説としてでも提出しなければ、僕たちは――実に気恥ずかしい表現ですが――文学者として最低限の歴史的貢献を怠ることにもなりかねません。

そしてそれは、まさに「編集」の力によるのではないですか。仲俣さんのいう「『体系』をつくる仕事」とは、まさに編集そのものでしょう。編集者であり文芸評論家である仲俣さんが当惑しているようでは、小説家の僕など途方に暮れるばかりです。

しかしもしかしたら、小説の実作とその上梓という、編集者との共同作業から、僕にも経験的に考えられることがあるかもしれません。仲俣さんの次の手紙を待ちながら、少し考えてみます。今回はもう、ずいぶん長い便りになってしまいました。

第1信第2信第3信第5信につづく)