奥多摩ブックフィールドに行ってきた

2019年11月8日
posted by 仲俣暁生

三連休の初日である11月2日、奥多摩ブックフィールドに行ってきた。しばしば「東京の水がめ」と称される小河内貯水池(奥多摩湖)の突き当りに、旧奥多摩町立小河内小学校の建物を利用した多目的スペース「奥多摩フィールド」がある。その旧職員室と校長室を利用して昨年の春にオープンした図書館だ。正式名称は「山のまちライブラリー・奥多摩ブックフィールド」だが、以下の記事では単に奥多摩ブックフィールドと呼ぶことにする。

公式サイト内にある開設顛末記にあるとおり、ここは基本的にはプライベート・ライブラリー、すなわち個人蔵書の置き場である。主宰者の一人である「どむか」さんは私の知人であり、以前から置き場に困っている本を何人かで場所を借りて移すという話を聞いていた。

もう一つ、以前に「出版ニュース」編集長の清田義昭さんとお会いした際、同誌の休刊後、出版ニュース社に置いてある出版関連資料をこの場に移すという話も伺っていた。あらためてさきの開設顛末記を読むと、ファウンダー会員には「専門家の蔵書活用を考える会(準備室)」の方のお名前もみえる。この場所には「専門家の蔵書活用」という裏コンセプトもあるのだろう。

そんなわけでいつかは奥多摩ブックフィールドを訪ねなくては、と思っていたが、そうこうするうちに秋も更けてしまった。開館日は基本的に毎月第一土曜日だけ、しかも「どむか」さんに連絡をとると、冬季は水道管が凍るので12月から2月までは休館だという。11月2日は、この機会に行かなければ次は来年春になってしまう年内最後の公開日だった。

旧小学校をそのまま利用した空間

実際に行ってみると、奥多摩はやはり遠い。新宿駅から青梅駅まで、青梅特快で約1時間10分。青梅駅から奥多摩駅までは35分(乗継ぎのタイミングが悪いと奥多摩駅まで2時間以上かかることもある)。駅から奥多摩フィールドまで、さらにバスで約30分。所要時間だけでいえば東京・大阪間の移動とさして変わらない。そんな長い道のりを、最後は奥多摩駅からバスにのんびり揺られ、小河内ダムと奥多摩の山々が織りなす景色を堪能しつつ向かった。

峰谷橋のバス停を降りると、湖の向こうに旧小河内小学校の建物が小さく見える。

奥多摩に来るのは、小学生の頃に鳩ノ巣渓谷まで来て以来である。秋の観光シーズンということもあり、バスの乗客は思いのほか多い。小河内貯水池(奥多摩湖)のへり沿いに進むこの通りは青梅街道である。やがて赤い大きな橋が見えてくるので、それを渡る手前の「峰谷橋」というバス停で下車する。タイミングがよいとさらに近い「学校前」のバス停に止まる路線もあるが、本数は少ない。

「峰谷橋」から10分程度歩くと、旧奥多摩町立小河内小学校の建物に着く。「都内に僅かしか残っていない築60年ほどのヒノキ造りの木造校舎」というキャッチフレーズどおりの、じつに味わい深い建物である。名前が紛らわしいが、旧小学校を利用した多目的スペースすべてをひっくるめた名称が「奥多摩フィールド」であり、その旧職員室に「奥多摩ブックフィールド」がある。職員室内を見学する前に、まずは建物全体をみてまわった。

旧職員室のあたりから玄関を見たところ。外光が入り込んで明るい。

多目的スペース「奥多摩フィールド」として当時のままの教室が使われることもある。

この建物は、1957年に小河内ダムが完成して旧小河内村(合併して奥多摩町となった)がダムの底に没した際に、現在の場所に移転したものだ。移転前から数えると開校から100年以上の歴史をもつ小学校で、移築後の建物も築60年以上だが、玄関も廊下も当時の佇まいを残している。そのため映画などのロケにもしばしば用いられるという。

出版関連資料とドイツ文学者の個人蔵書

ひとまわりして戻ると、出版ニュース社の清田さんも一足先にいらしていたことがわかった。旧職員室と隣の小さな部屋には、「出版ニュース」のバックナンバーをはじめとする同社の刊行物や出版関連の本がコーナー別に仕分けられている。「悩みは湿気とカビです」と清田さん。奥多摩ブックフィールド側でもあらかじめ湿気対策はしていたが、先日の台風19号と大雨の影響で、運び込んだ一部の本にいつのまにか間にかカビが生えていたという。この日はとても天気がよく、本の虫干しにはうってつけだった。

「出版ニュース」のバックナンバー一式が置かれている。

「社史」などジャンル別に出版寒冷資料も区分けされている。

奥多摩ブックフィールドのメンバ―(主催者やサポーター)は、決められた年会費を負担することで、自分の蔵書をここに置くことができる。ひときわ目立つのは、ドイツ文学者・石井不二雄さんの蔵書だ。1980年代まで東京大学教養学部で教鞭をとられ、49歳の若さで急逝した石井さんの蔵書約2000冊がここに収められている。先の開設顛末記によれば、これらの本は「2トントラック2台で運び込まれ、200以上の段ボール箱はバケツリレー方式で棚まで」運ばれた。専門的な本が多いため、遺志を継ぐ研究者たちが丹念に整理したという。

ドイツ文学者・石井不二雄さんの蔵書についての解説。

奥多摩町のローカルメディアと出会った

個人蔵書の一部は値段をつけて売られてもいる。お土産代わりに「どむか」さんのコレクションから「台湾版BIG ISSUE」のバックナンバーを一冊買った。国内外で購入した本や雑誌を「東京最西端書店」と称して、ここで一部展示販売しているのだ。お代は、瓶に入れる。おつりはなく、その代わりに横に置いてある「おつり本」を持っていく、という原始的な仕組み。

奥多摩町にはいま、本屋が一軒もないという。旧小学校の建物は様々なイベントに用いられており、その際に訪れる人たちがこの「本屋」のお客さんである。

サポーターなどが持ち込んだ本の一部は購入することもできる。

奥多摩町公式タブロイド「BLUE+GREEN JOURNAL」が置かれていた。

このほかに気になったのは、奥多摩町公式タブロイド「BLUE+GREEN JOURNAL」というフリーペーパーだ。奥多摩町の自然環境を活かし、ローカルメディアによくある「お店紹介」や「人物紹介」にとどまらず、山間部のサウンドスケープや夜間の景観などを特集しており、デザインもエディトリアルも魅力的だ。

山間部の人口減少や高齢化はどの地域でも大きな課題であり、このフリーペーパーには若い世代町への移住定住を促すという目的があるようだ。配布場所となった奥多摩ブックフィールドがそうした課題解決にも寄与できる場所になるかどうかは、これからの利用のされ方にかかっているだろう。

* * *

最後に、この記事を書くにあたって旧小河内小学校のことを調べていたら、東京都がYouTubeで公開している昭和32年(1957年)の記録映画「東京ニュースNo.85 小河内ダム」を見つけた。この映像のなかには、ダムに沈んでしまった移設前の小河内小学校の校舎と、現在の位置に建てられたまだ真新しい小学校の姿がどちらも見える。

「専門家の蔵書活用」を含めた個人蔵書のアーカイブとしてスタートしたこの場所が、地域の記憶や記録と結びつき、未来の世代に知識をつなげる場所になってくれたらどんなにいいだろう。春になったらまた、奥多摩ブックフィールドを訪れてみようと思う。

デモのなかで生まれる香港のポリティカル・ジン

2019年10月23日
posted by 中山亜弓

香港で逃亡犯条例に反対する百万人デモが行われた6月9日、私は小出版物のイベントnot big issueに参加するため台北にいた。

さっそく「香港がたいへんなことになっているね」と、何人かの現地の知人に言うと、言葉少なに頷き少し表情を曇らせた。

一国二制度の香港と両岸問題の台湾では事情は違うが、ともに中国と緊張関係にあり、香港市民に対する理解と共感は大きいはず、と勝手に思っていたのだが、彼らの胸中は複雑だった。

台湾の蔡英文総統は早くに香港市民支持を表明したが、1987年の戒厳令解除後の民主化の歩みとともに成長した若い世代は、2020年1月の総統選で政権交代があれば親中路線に向うだろうと、後日、将来への不安を口にした。また日本で働く台湾人の友人は「状況次第では日本で仕事を続けようかな」と。香港問題を自身に引きつけて考えると、いつになく空気が重くなるのであった。

ZINE COOPとの出会い

台湾の若者たちの不安を肌で感じ、帰国後も香港情報を気に留めていたら、5月に大阪のASIA BOOK MARKETで知り合った香港のアーティストたちのコレクティブZINE COOPがFacebook で、早速、反逃亡犯条例デモに関するzineをいくつか紹介しているのを見つけた。

ZINE COOPのウェブサイト。「独立出版物」とはインディペンデントな出版物のこと。zineのことは「小誌」という。

ZINE COOPは2017年に設立されたアーティストたちのコレクテティブで、zineに関する情報を共有し、展示やワークショップを開催し、世界各地のアートブックフェアやzine フェスにも積極的に参加している。大阪で、互いのテーブルが近かったことから作品を見たり話をするうちに知り合い、撤収の際、作業に手間取り居残る私に気づいて引き返すと、手伝いを買って出て、猛烈な勢いで本を梱包・荷造りを助けてくれた。

デモから何日も経たないのに、彼らのインスタグラムやFacebookには、逃亡犯条例の内容と問題点など市民が声を上げた理由を説明した小冊子「What is happening in Hong Kong」や、ネット上にあげられた催涙弾やケガへの応急処置法にイラストレーターが絵をつけて図解したガイド「自己香港自己救、自己受傷自己救」、ヨガの知識をベースにした不安時や緊張時のメンタルケアを紹介した「事後情諸事」などが、レビューとともにアップされていた。

「What is happening in Hong Kong」の広東語版「香港到發生了什麼事?」。

「自己香港自己救、自己受傷自己救」。

「事後情諸事」と、その続編で相互ケアのガイド「彼此守護事」。

驚異の反射神経と行動

その後も、香港では大小のデモが断続的に行われ、200万人規模にまで膨れ上がったが、逃亡犯条例が正式撤回されることはなく、警察の取り締まりが厳しくなるにつれ、デモ隊との衝突も激しくなり、事件や事故が頻発。市民の訴えは条例撤廃から、香港政府や警察に対するプロテストへと比重が移って行った。そうした状況に合わせて、香港人たちは驚異の反射神経と行動力で、数日のうちにしっかり編集・デザインしたzineを英語と広東語のバイリンガルで仕上げて、発信して行ったのだ。

同じ内容はネットでも公開され、閲覧・ダウンロードができて、セルフで印刷・製本・配布まで可能なものもあれば、オフラインでも届くように冊子形態で販売・配布されることもある。例えば、空港を占拠したデモの際、海外からの旅行者に対して、抗議活動の事情を説明して理解を求める冊子「DEAR TRAVELERS」を配布。紙とネットの間を行き来して、補完し合いながら、デモ隊が唱える”Be water”の言葉通りに、形を変えてアノニマスに広がって行った。

「DEAR TRAVELERS」。

7月26日午後1時からの空港でのデモ告知画像。zineだけでなくこうした画像にも香港のデザインセンスが発揮されている。

自在なzineのかたち

留学中のロンドンで、コミックフェスのボランティアに行くため、6月9日の早朝に目を覚ました女性が、起き抜けにスマホで目にした故郷の大群衆とSNS上にアップデートされる状況に接した経験を絵物語にした「6月9日、早」。ネット上にアップされた、ある女子学生のデモを巡る父親との確執&和解を経ての親子でのデモ参加手記を漫画化した「同老豆老母去遊行」。あるいはアメリカ在住の香港人がネットニュースの画像をコラージュした「THIS IS HONG KONG, NOT CHINA NOT YET」。個人誌もあれば、SNSを通じての見知らぬ同士の(勝手に)コラボ形式、集団や組織によるもの……と編集や発行の方法も様々である。

「6月9日、早。」。

「Me & My Parents Go Protesting / 同老豆老母去遊行」。

「THIS IS HONG KONG, NOT CHINA NOT YET」。

zineの作り方に決まりはない。手書き原稿をコピーしてホチキスで綴じただけでも立派なzineだし、思いついたら鮮度の落ちないうちに、あり合わせの道具で作ればいいのだが、それにしてもデモ関係のzineのクオリティの高さと速さは異常で、事件の翌々日には配布されていたりするのだから、新聞や週刊誌に匹敵する職人技である。

例えば、救命ボランティアの女性が右目に被弾して失明した事件を含む8月11日の出来事のイラストブックはその日のうちにネット上にアップされ、やがて冊子になった。香港から、いくつかのzineを取り寄せ、改めてその確かに仕事ぶりに驚いた。

かねてから、海外のZINE EVENTに参加しているZINE COOPは、これらデモ関連のzineをまとめて7月以降「FREEDOM-HI」のタイトルで、海外でも展示や即売会、トークイベントを開催している。HI(閪)は、女性器を意味する広東語の粗口(罵り語)でmotherfucker的な意味合いだそう。警察が、侮蔑の意味を込めて抗議者たちを「自由閪」と呼んだことに由来するが、言われた側がこれを逆手にとって自らのアイデンティとして名乗ったことから、広東英語/ファニィングリッシュでFREEDDOM-HIと綴り、タイトルにしたとのこと。

台北での展示のタイトル画像。粗口をこんな風な文字にできる漢字文化圏。

香港を含めた華人の移住者が多いカナダのトロントやバンクーバーの図書館やギャラリーでの展示、台湾、日本、韓国、マレーシアといった周辺各国でのzineイベント、イギリスはロンドンのテイト図書館で展示やトーク……と、フットワークの軽さや英語圏の香港人ネットワークを活かした連続イベントを現在も展開中である。当初は、図書館に数十人程度のオーディエンス(香港系移民が多そうだった)を集めてのトークがネット時代にどれほどの効果があるのかと思ったが、地道なzineイベントや公共スペースでの展示とトークは、ネット民とは異なる層にも着実にメッセージを届けている模様である。

あちこちの人の意見を聞いてみた

香港で、警察が催涙弾に加えてビーンバッグ弾・ゴム弾などを抗議市民(さらには救急ボランティアやプレス)に向ける異常な状況が常態化すると、デモ隊の中の勇武派が反撃し、地下鉄駅や親中派と認定した店舗の破壊も日常化していった。私は、暴力の応酬に“引いて”しまい、民主主義や自由や人権を根拠に「香港加油!」とばかり言ってはいられなくなった。そんなとき、取り寄せた香港のzineを様々な人と観ながら、感想を聴く機会を得たことは貴重だった。

「八月十一日 香港發生什麼事」。

デモが始まった当初、ふだん温和なフランス人の友人は「フランスも黄色いベスト運動が続いているけれど、市民が圧迫されているのだから、抗議は当然だよ。香港の人も声をあげるべきだ。さらにフランスは旧植民地問題を残す抑圧する立場でもある。(Be waterだって?) ブルース・リーは偉大だけど、システムを壊すにはゴジラくらいの力が必要だよ!」と言ったが、当時の香港の平和的なデモに比べると、フランスでは高級ブランドショップの焼き討ちや強奪まで行われていた。ブリュタル(粗暴)なデモにもメッチャ理解があって、死傷者が出ているのに、市民生活と運動が何ヶ月も並行しているだなんて元祖・市民革命の国はタフだ、と感心した。

一方、東京にやって来た海外県(元植民地)出身のフランス人アーティストは、香港のzineを手に「ニューカレドニアは来年、(フランスからの)独立を問う国民投票があるけど、残留か独立かを巡って住民は対立している」と言って、遠くを見るのであった。

また長年香港に住んでいるという日本人男性は「本当に安全ないい所だったんです、本当に。こうなる前は……」と言葉少なだった。

反対に、在東京の香港人女性は日本人の香港問題への関心の低さに苛立ちを露わにし、デモ隊を暴徒扱いする日本の報道に対して、日本語話者チームで反論を展開していることを語った。警察の暴行に対抗してエスカレートする抗議者側の暴力を疑問視・危惧する記事(偏向報道とは限らない)に、いくつも香港側から反論のコメントがぶら下がっているのを目にしたことがあったので思い当たる節もあり、離れた故郷の危機にいてもたってもいられない彼女に同情するとともに、日本の報道や言論に対する抗議方法に少々違和感を覚えて、複雑な気持ちになった。

「反送中」。6月からのデモの流れ、プラカードのアート、関連QRコード集に加えて巻末には、得意ジャンルを活かした様々な反対運動への参加方法のリストまでが収録されている。

他には、日本の出版関係者の「急いで発行している割に、いい紙を使っていますね」という冷静な観察や、日本人や台湾人からの「デザインが洒落ている」という香港人のセンスへのリスペクトの声も多く、香港が培ってきた文化的・物質的豊かさが、周辺の国々を魅了してきたことを改めて実感した。

香港の文化的な豊かさは、6月以降、ネット上に数々の印象的なイラストや写真やコラ画像をアップし、オリジナルのアンセムも瞬く間に数々の演奏ヴァージョン(オーケストラ版、室内管弦楽版、ロック版、手話版 etc.)の映像を作り、多くのzineを発行したことからもわかる。プロパガンダの一言には収まらないような、アート分野でのセンス、技術、戦略が、香港問題を海外に強く印象づけて来たと思う。それだけに、不退転の抗議運動が、香港ノワールの傑作映画『英雄本色/男たちの挽歌』でマークが敵陣に一人で引き返し死闘を演じたような、ドラマチックすぎる展開にならないようにと心配してしまう。

「中環 金鐘 添馬艦 香港 坐行衝終極天書」。香港の民主運動map。パール紙を使用している。

私たちには何ができるか

台湾の知人が「将来、日本に移住しようかな」と本気とも冗談ともつかないことを言うのを聞いたり、東京下町に増える移民の方たち(デモや抗議運動さえできずに国を出てきた方たちもいる)と近所で食事を摂っていると、斜陽の日本や日本人にできることは何なのだろうと考えてしまう。

自分にとっては当たり前の、民主主義国家に住み、表現の自由が保障されている状態が、世界中のどこに行っても普通というわけではない。この保証された表現の自由を使って言えることは何なのだろう? そもそも自分が教育されて、当たり前と思ってきた、民主主義、自由、人権などを前提に話すことが、異なる価値観を持つ人に対してどれだけ意味を持つのか? 大国の理論とも違う、理に叶った俯瞰的な考え方があるのだろうか?

私は国内外の自主制作の出版物を扱う書店で働いているので、店には東京で美術を勉強中という中国の子と台湾の子が共同で編集したアートマガジンを納品に来てくれる。中国や台湾でも本を販売する一方、日本の書式で納品書を用意し連れ立ってやって来る二人を見ると、とても微笑ましい。あるいは、香港のzineに気づいた、来日して間もない中国人留学生が「友達が、中国から香港の学校に勉強しに行っているから心配」と日本語で訥々と話してくれた。その不安げな佇まいを見ると「(お友達も香港の人たちも)みんな無事でいて欲しいよね……」とお互いに祈るような気持ちになる。

10月に入って中国建国70周年式典が盛大に行われた日、香港のデモはいつも以上に激化した。しかしBe waterを唱えたブルース・リーも香港人なら、70周年に祝辞を寄せるジャッキー・チェンも香港人、デモ隊も政府も警察も行政長官も香港人かと思うと悩ましい。また、香港から日本に発せられるネット上のメッセージも「世界の理解と助けが必要です」と合わせて「香港人が香港のために行うことに批判は無用」「香港に住まずに広東語も理解できない人間にこの問題は理解できない」と言う論調が出て来て、是非を問うのでなく敵味方を問うものになり、自由な発言や議論が遠ざかるように見えた。

それでも、出版を通して出会った香港の人たちとは疎遠になりたくない。香港のデモ関連のzineを展示するために取り寄せたとき、ZINE COOPのメンバーの一人は「迷惑を掛けなければいいけど」と案じてくれた。「平和的、合法的な方法での展示だから大丈夫」と答えたけれど、デモが始まってから、香港のアーティストたちとの平和なコラボや、対話やサポートを模索している。

10月4日、香港政府が緊急状況規則条例を発令し覆面禁止法を制定した日、街には、周潤發(チョウ・ユンファ)が降臨、いつものように趣味のウォーキング中にファンとセルフィーを撮っていたが、黒づくめのマスク姿が話題になった。

そしてカナダはバンクーバーの中華街の中にあるVancouver International Centre for Contemporary Asian Art–Centre Aの中のReading Roomでは、ZINE COOP企画のアジアのポリティカル・ジンの展示が始まった。企画に協力する形で、日本の政治・社会運動に関するzine数十冊を、それぞれの発行者さんのご協力を得て、現地に送った。

世界の社会運動と足並みを揃えたフェミニズムやLGBT関連のエンパワーメント系のものだけでなく、死者を出した入管センターの長期勾留、20世紀末後半まで続いた優生保護法手術など、「おもてなし」モードの日本とは真逆の深刻な社会問題を海外に紹介することになり、香港のデモやzineを発端に、自国の問題にこんな形で向き合うことになろうとは。6月時点では想像もつかなかった展開であるが、ゴールの見えない旅はまだまだ続きそうである。

最後になりましたが、香港zineの国内での展示にご協力頂きました、THE M/ALL、Loneliness books(オンライン)、火星の庭(仙台)に感謝いたします。

「彼岸之章:亞洲社運動小誌展 CHAPTERS ACROSS THE PACIFIC: Zines from Social Movement in Asia」。

渋谷のWWW/WWWX/XXXβ/GALLERY Xにて開催されたTHE M/ALLのイベントSURVIVEでの閲覧コーナー。

「火星の庭」の香港zine閲覧コーナー。

タコシェの香港zine閲覧コーナー。

デモ関連のzineのカタログ(売上はzineの送料に当てています)。

*Asia Art Archiveのサイトで関連zineのリストを見ることができます。Hong Kong politics などで検索すると出てきます
https://aaa.org.hk/en

第3回 ブックオフを「戦術」的に考える

2019年10月17日
posted by 谷頭 和希

本をめぐる新しい秩序?

随分と連載の期間が空いてしまった。

私たちはブックオフという空間について考えてきた。ここまでの議論においてうっすらと見えてきたのは、ブックオフ的空間の特殊さだ。それは、これまでの本をめぐる環境とは全く異なる秩序に支えられている。そんな推論を私たちは立てていた。覚えていらっしゃっただろうか。

ここから考えていかなければならないのは、では、この「ブックオフの秩序」というのは具体的に何を表しているのか、ということである。

残念なことに、今、それに応えることはできない。なぜならば、その問いに答えることこそが、本連載の目的だからである。ここまでのパートはいわば議論のセットアップである。

ブックオフという空間には、どうもこれまでの書物とは異なる価値観が眠っているらしい。ではその価値観とは何か。おそらくいくつかのヒントは、過去2回分の連載で登場しているだろう。ただし明確にはわからない。この部分をどうにかして、明るみに出してみたいのである。

では、どうやってブックオフ的空間からその特徴を引き出していくのか。

戦術としての方法

ここでこれまでの議論の締めくくりとして、前項の問い――ブックオフからどのような風景を見ることができるのか――について、少しだけ考えてみたい。

ここで少し唐突ではあるのだけれど、哲学者ミシェル・ド・セルトーの議論を持ち出してみよう。彼が語る「戦術」の話だ。上野俊哉と毛利嘉孝がこの話について明瞭にまとめているので引用してみる。

「戦術」とは自分に固有の空間を持っていない状態で、しかし計算された行動によってなんとかそこで生きたり、障害を切り抜けたりすることを指している。「戦術」はもっぱら他者の場所で行使される。戦術は日常生活におけるありあわせのモノを何とか使いまわして、他者の(権)力の場で生き残る方法なのである。それは他者のルールによってなされているゲームの空間において、そのルールの裏をかこうとする試みである。[1]

つまりこの「戦術」とはある場所について、それを用意した人々が思いもよらない方法でそれを使い、それを独自の方法で遊んでいく作法なのである。この「ルールの裏をかこうとする試み」こそ、ブックオフという空間の秩序にたちあったとき、僕たちが一つの希望として見いだせる行為なのだと私は考えている。

ブックオフというのはこれまでの出版システムが生み出してきた僕たちの力ではどうにも変えることのできない「他者の権力」が作り出してきた場所である。小田光雄の本でも詳しく説明されているが、ブックオフとは大正時代の円本ブームに端を発する書籍出版の増加と、それに伴う本の消費財化が産んだ「とんでもないモンスター」[2]である。

それを一部の論者のようにただ悲観することも出来よう。でも、そこで与えられた場所をどのようにうまく活用し、どのようにそのルールの裏をかくか。それが現在、私たちに求められていることなのではないか。

非意図的に、多種多様な種類の本が積み重なったブックオフをうまく利用すれば、僕たちは安い値段で、自分が欲しいと思っていた本を手に入れることができる。それだけではない。ブックオフにはコンビニのように僕たちに必要なものが最適化された商品が並んでいるだけでなく、余剰の多い空間があるために、そこでは新しい本との、あるいは知らない本との出会いを果たすこともできる。そして積み重なったガラクタとしての本の風景は、そうしたブックオフの特徴を生かした各人の戦術によって新しい本をめぐる風景をつくりだしていくのではないだろうか。

僕たちは、本のガラクタから、未来を作り出していかねばならない。しかし、そんなことは、本当に可能だろうか?

[1]上野俊哉・毛利嘉孝『カルチュラル・スタディーズ入門』、筑摩書房、2000年、p. 63を参照のこと。また、セルトーの「戦術」に関する議論は『日常的実践のポイエティーク』(国文社、1987年)に詳しい。まさにブックオフ的空間が「日常」と化している人々にとっての実践としての戦術を私たちは考えなければならないのだ。
[2] 小田光雄『出版社と書店はいかにして消えていくか――近代出版流通システムの終焉』、論創社、p. 141。

ブックオフを遊ぶ

前置きが大変長くなった。

本連載では、ブックオフを思考するための「戦術」について考えること、あるいはそれを実践することを通して、その特殊な空間に迫っていく。それはブックオフを異化して眺め、新しい視点を提示する作業である。そしてもちろんのこと、それはブックオフのみの射程の狭い議論にとどまるのではない。それはブックオフを通して、書物をめぐる私たちの風景について新しい視野を差し挟む作業でもある。個々人の戦術がブックオフを利用するならば、その時、本の作者はどうなるか。あるいはブックオフに代表される新古書店産業に対置させられることの多い旧来の古書店はどうなるのか。あるいはブックオフさえも経営的に苦境を強いられている現在において、ブックオフ以後の風景はいかなるものとして素描できるのか。

こう書いてみるとなんだか小難しそうに思えるかもしれないが、おそらく本連載で展開される「戦術」はその硬い言葉の響きに似合わず、柔らかく、そして接しやすいものにしたいと思っている。そのようにしてゆるやかにブックオフを捉え直したい。

ブックオフを通して、書物をめぐる風景のあらゆる様相を、そしてそこで生きる戦術を取り出していくというのが本連載の目論見である。

(続く)

「本の未来」はすでにいま、ここにある――創刊十周年を期して

2019年10月4日
posted by 仲俣暁生

「マガジン航」は2009年10月20日に創刊された。ちょうど十年の節目にあたるので、当時のことを少し振り返ってみたい。

2009年はどんな年だったかといえば、グーグル・ブックサーチ集団訴訟の余波が日本に及んだ年である。この集団訴訟をめぐる経緯はきわめて複雑なため、ここでは詳しく言及しないが、一言でいえば、旧態依然とした出版業界のあり方が強力な外圧によって変化を迫られた、まさに「黒船」騒動だった。グーグルの電子書籍市場への参入は、出版業界だけでなく政治の世界をも巻き込み、電子書籍についての議論が本格的に動き出すきっかけとなった。

すでにアマゾンは2007年に北米でKindleと名付けた電子書籍サービスを開始しており、日本ではいったん終息したこの分野に再び火がついた。2010年1月にはアップルが初代iPadを発表し、出版のあらたなプラットフォームになるのではとの期待が集まった。グーグル、アップル、アマゾンといった、いまやGAFAなどと呼ばれる巨大ITプラットフォームが軒並み電子書籍に関心を示したことで、出版業界の側もようやく真剣な眼差しを向けはじめたのだった。

出版科学研究所の統計をみると、2009年の出版市場は書籍が8492億円、雑誌が1兆864億円のあわせて1兆9356億円で、前年までなんとか維持してきた2兆円の大台を割り込んでいた。「出版不況」という言葉はとっくに定着しており、電子書籍にはそれを打開する役割も期待されていた。

「個人の営み」としての出版を取り戻す

「マガジン航」創刊のきっかけは、この年の東京国際ブックフェアでボイジャーの萩野正昭さんと久しぶりにお会いしたことだった。萩野さんとは以前、「本とコンピュータ」というプロジェクトで1997年から8年間、一緒に仕事をした。晶文社の編集者、津野海太郎さんが総合プロデューサーを務めたこの先験的なプロジェクトは2005年で終了したが、そこで議論された様々な課題が本格的に浮上してくるのは、むしろゼロ年代も後半になってからだ。

「本とコンピュータ」ほど大掛かりではないにせよ、なにかメディアを一緒に立ち上げられないか。萩野さんからのそんな提案を受け、このような形ならできるのではと提案したのが、ささやかなこのウェブメディアだった。

当時、私は「はてなダイアリー」をかなり熱心に更新しており、そのなかでときおり出版業界の動向に触れた。2000年11月にアマゾンが日本にも上陸して以後、出版業界にはドラスティックな動きが起き始めていた。本の世界はよくも悪くもこれから大きく変わるように私には思えた。

事実、出版にまつわる話題を取り上げた「はてな」エントリーは多くのPVを得ていた。私が考えたのは、それまで「はてなダイアリー」でやってきたようなことを、個人ブログの域を超えた、より多くの人の視点と声を集めたメディアにすることだった。どんな人に書いてもらいたいか、そのイメージを少しずつ固めていった。

「マガジン航」の「創刊の辞」は萩野さんと文面を練り、共同執筆した。その冒頭を、あらためてここに引用する。

「本」や「出版」はそもそも、とても個人的な営みです。それが、いつの間にか見えない線引きがなされ、見えない壁に阻まれて、窮屈さの代名詞になってしまいました。もっと自由でありたい。そう考えて、自分たちで見つめ直すことにしました。

『マガジン航』は、「本と出版の未来」を考えるためのメディアであることを志向します。私たちなりの取材をし、討議し、その結果やプロセスを含めた問いかけを、ここに明らかにしていこうと思います。

この頃は「本の未来」という言葉を、私たちだけでなく多くの人が口にした。私にとってそれは決して、この先に輝かしい未来が待っているということではなく、現在の苦境を突破した先にはきっとなにか新しい風景が見えるはずだ、という祈りに近かった。電子書籍はその際の切り札になると思っていた。

この宣言文に掲げたとおり、出版とは本来「個人的な営み」である。会社として取り組むにしても、個々の編集者に「こんな本を、こんな雑誌を世に出したい」という志がなければ成り立たない。ところがそこに「見えない線引きがなされ、見えない壁に阻まれて」しまい、出版は「窮屈さの代名詞」となった。でも電子書籍というツールを使えば、その「壁」は突破できるのではないか。そんな夢を私はボイジャーの人たちと共有していた。

「マガジン航」の創刊にあたり私が考えたのは「電子書籍の専門メディア」というわけではなかった。先に触れた「本とコンピュータ」のプロジェクトでは、百科事典や図書館の電子化、デジタル・アーカイヴの問題なども扱っていたから、その続きがしたかった。すでに定着していた青空文庫やWikipedia、インターネット・アーカイブなども含め、本や知識をとりまく環境全体のデジタル・ネットワーク化についても、このメディアでは取り上げていきたいと考えた。

同じ「本」を扱う業界でも、出版業界と図書館業界との間には大きな壁がある。紙の本と電子書籍の部門の間にも壁があり、ウェブの世界と電子書籍の世界でさえ交流は少ない。デジタル・アーカイヴに至っては、まだ業界を形成するほどの実質が当時はまだなかった。私は「マガジン航」をそれらすべての関係者が集い、議論しあえる場にしたいと考えた。

すでに壁は壊された

この十年を振り返ると、これらの業界同士の交流や対話は、かなり進んだと思う。電子書籍はすでにウェブの生態系の一部となった感があるし、図書館と出版社の長年にわたる対立もずいぶん和らいだ。電子書籍(とりわけマンガ)は出版社の収益の柱となり、「紙」対「電子」という不毛な議論を耳にすることは少なくなった。

この年月の間に起きたもっとも大きな変化は、インターネットという場自体の変質である。端的にいえばスマートフォンの急速な普及とSNSの浸透、そしてGAFAなどと呼ばれるITプラットフォームが圧倒的な力をもつようになったことだ。インターネットでさえもが「見えない線引きがなされ、見えない壁に阻まれて、窮屈さの代名詞になって」しまったのが、この十年だった。

その一方で、紙の本や雑誌の側ではインディペンデントな動きが思いもかけないほど加速した。さまざまな分野で「ひとり出版社」の起業が相次ぎ、大手取次が提供する出版流通システムに依存しない方法がさまざまに模索された。文学フリマのような即売会も日本中で展開されるようになった。むしろ紙の世界でこそ、それまでの「見えない壁」や「窮屈さ」を乗り越えて、「個人的な営み」として出版業や本屋を営む人たちが増えていった。

うれしいのは、こうしたインディペンデントなパブリッシャーが、電子書籍をその活動の一部として取り入れつつあることだ。逆にボイジャーのような電子書籍のパブリッシャーが、紙の本を作ることも普通になった。もはや分断線は紙とデジタルの間にはない。その壁はもう壊された。壁があるとすれば、現状を変革しようとする者と、そうではない者との間にあるだけだ。

そう考えると、かつて夢想した「本の未来」はすでに私たちの目の前にあるのではないだろうか。2012年に初期「マガジン航」に掲載した文章を集めて、『本は、ひろがる』というアンソロジーを編んだ。そのときにはまだ予感にすぎなかった本の「ひろがり」は、いま間違いなく、私たちの目の前にある。多くの「個」の営みにより獲得したこの自由な場所から、私もさらに先へと進んで行きたい。

「マガジン航」は創刊十年を迎えた今年、あらたに再出発します。

* * *

ありがたいことに、これまでの「マガジン航」の歩みと、その過程で考えてきたことについて日本出版学会の出版編集研究部会で発表する機会をいただいた。学会員でなくとも参加できるとことですので、ぜひご来場ください。


「マガジン航」の10年にわたる実践を通して見えてきたこと

日時:2019年10月17日(木)午後6時30分~8時20分
報告:仲俣暁生(「マガジン航」編集発行人)
場所:日本大学法学部 神田三崎町キャンパス10号館3階 1031教室
(千代田区神田三崎町2丁目3番1号)
https://www.law.nihon-u.ac.jp/campusmap.html

交通:水道橋駅 JR総武線・中央線:徒歩3~5分、都営三田線 A2出口:徒歩3~6分 神保町駅 東京メトロ半蔵門線,都営三田線・新宿線:徒歩5~8分
会費:日本出版学会・会員無料、会員外一般参加費500円(ただし、学生は無料)
定員:40名(満席になり次第締め切ります。やむなくお断りすることもあります)

※参加申込み方法など詳細は以下のリンクを参照。
http://www.shuppan.jp/yotei/1125-20191017.html

表現の自由を支える「小さな場所」たち

2019年9月9日
posted by 仲俣暁生

このエディターズノートはいつも月初に書くことにしているのだが、今月はあまりにも考えなくてはならないことが多すぎて、一週間以上もずれ込んでしまった。

先週はあいちトリエンナーレ2019を見るため、名古屋市と豊田市を駆け足でまわってきた。参加作家の一人である「表現の不自由展・その後」の展示内容に対する批判や抗議、さらには展示続行を困難にさせる職員等への脅迫的言辞もあり、わずか開催3日で同展が中止に追い込まれた経緯は、報道などを通じてご存知のとおりである。

「表現の不自由展・その後」という企画展のタイトルに「表現の自由」という言葉が含まれていたこともあり、展示中止の経緯は「表現の自由」をめぐる議論を喚起した。この言葉には多様なニュアンスが含まれるが、第一義に意味するのは日本国憲法第21条で保証されている、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現」の自由であろう。これらに対しては、事前であろうと事後であろうと行政権力による検閲が行われてはならない。

日本国憲法第21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

あいちトリエンナーレにおける「表現の不自由展・その後」の展示中止が、憲法が定める「表現の自由」を侵害した検閲に当たるのか、それとも安全を最優先したやむを得ない危機回避だったのかは、現在立ち上がっている「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」の調査結果に待ちたいが、展示続行を不可能にするほどの悪質な脅迫(逮捕者以外にも複数いると言われている)や威力業務妨害は、明確に犯罪である。

だが、この議論をめぐる流れを見ていて私がいちばん気になったのは、「表現の自由」の問題ではない。展示会場や作品そのものを見ることなく、賛否どちらの意見もSNSやテレビ番組を通じて流布した断片的なイメージのみをもとに語られ、それらの意見とイメージが、現実に起きている出来事の実相をますますわからなくさせていたことだった。

あいちトリエンナーレは「成功」している

「表現の不自由展・その後」は開催3日目で展示中止になってしまったので、あいちトリエンナーレにおける展示状態を見ることができた者は限られている。しかし、「表現の不自由展・その後」に集められた個々の作品は具体的に示されており、それぞれの背景をさらに調べることは困難なことではない。

この企画展の前身は2015年に東京・練馬のギャラリー古藤で行われた「表現の不自由展」だが、さらにそのきっかけとなったのは、2012年の新宿ニコンサロンにおける安世鴻の写真展である。元慰安婦を題材にしたこの写真展はニコン側により開催前に中止が決定されたが、作者が求めた仮処分を東京地裁が認め、ニコンが主催を降りた状態でその場で展示が行われた。私はこの写真展をたまたま見ており、その場の重苦しい雰囲気を記憶していた。

美術作品が人の目に触れるためには、「展示」という形態をどうしても必要とする(印刷物あるいはネット上で流布する複写画像は、美術作品そのものではない)。そしてその場を維持するためには、多くの人の力とコストがかかる。展示会場への直接的な攻撃や、それをほのめかす脅迫行為が許されないのは、こうした場を問答無用で破壊するからである。

「表現の不自由展・その後」の展示中止を受けて、国内外の多くの美術家が展示形態の変更や作品の引き上げを行った。私があいちトリエンナーレを見に行った理由は、その後の会場の雰囲気を現地で見ておきたかったからだ。詳細な印象は寄稿依頼を受けた別の媒体で詳しく報告する予定だが、一つだけここで述べておきたいことがある。

あいちトリエンナーレは、名古屋市と豊田市内の三つの大きな美術館をメイン会場とするが、それ以外にも二つの市内にいくつもの小さな展示スペースが散在している。あいちトリエンナーレのような大掛かりな国際芸術祭の楽しみは、美術館内で作品を鑑賞するだけでなく、その土地の歴史と深く結びついたこれらの場所をめぐることだ。

私は豊田市と名古屋市内でいくつもの小会場をまわったが、これらの現場を守っていた(おそらくボランティアだと思われる)スタッフの印象がとてもよかった。加熱する報道のなかで、潜在的な攻撃にもさらされているにも関わらず、そうした危機感を際立たせることなく淡々とその場を守る彼ら彼女らの姿に、私はあいちトリエンナーレの本質を見た気がする。さまざまな障害を乗り越えて、この芸術祭は成功している、と私は考える。

あいちトリエンナーレの名古屋市内、四間道会場の風景。

インフラグラムに基づく不毛な空中戦

あいちトリエンナーレを取材に行く前後に、東京では「週刊ポスト」9月13日号をめぐる騒動が起きていた。「嫌韓本」といわれるジャンルは日本の出版業界では、よくも悪くも一定のサブカルチャーとして成立しており、今回のような内容の書籍や雑誌は、(残念なことに)めずらしくもない。

ここ数ヶ月に急速に悪化した日韓関係を背景に、マスメディアでは韓国の現行政権に対する批判が加熱しており、それが韓国人全体、さらには在日コリアンへの潜在的攻撃へとつながりかねないなかでは、今回の「週刊ポスト」の特集企画は大手出版社らしからぬ迂闊なものだった。

ただこの事件の推移においても、あいちトリエンナーレにおける「表現の不自由展・その後」と似た構図が見られたように思う。

「週刊ポスト」への批判は、私がみたところ、いくつかの段階に分かれていた。いちばん大きかったのは新聞広告に大きく掲載された刺激的な文言(及びそれを強調したデザイン)に対するものである。さらに雑誌の特集企画全体に対する批判があり、当然ながら個別の記事の内容に対する批判もあった。また批判対象も、ある場合には雑誌編集部(あるいは小学館そのもの)であり、ある場合には当該広告を掲載した新聞社だったりした(「週刊ポスト」の当該号について、中吊り広告が実際にあったのかどうか現時点では確認できていない)。

週刊誌という媒体は実際の記事内容よりもセンセーショナルにタイトルを打ち出す傾向がある。だから、記事の内容はそれほどでもないのに、広告そのものが極めて不快であり、第三者への攻撃誘発性さえある、という事態が起きうる。その場合、新聞社が出版広告に対して「検閲的」にふるまうことの是非が問われる。今回の場合、そうすべきだったという批判的立場はありうるだろう。だが、この議論は深まらなかった。

「週刊ポスト」のこの号がここまで大きな騒動となったのは、ひとえに社会的に大きな影響のある著作家の内田樹氏が、この出来事を理由として小学館への執筆拒否を明言したからだ。このことがなければ、おそらく事件はここまでマスコミの話題にはならなかった。

さらに内田氏は「週刊ポスト」の他の寄稿者に対しても、同誌に寄稿することは同誌の「目指す未来の実現に賛同しているとみなされることを覚悟した方がいい」との見解を示した。

内田氏の判断は自由だが、その影響力を考えたのだろうか。実際、18万人以上もTwitterのフォロワーがいる内田氏のこれらの発言はきわめて効果的で、その後ネットの「空気」は加熱していった。私が見た中だけでも、編集部への電話抗議を番号を添えて促すTwitterの投稿や、小学館は「週刊ポスト」を廃刊すべきという強い意見がみられた。小学館の社屋前でも9月5日に抗議デモが行われたが、ここでも廃刊要求の声が上がっていたようだ。これらの流れと内田氏の発言に、因果関係はまったくないとは私には思えない。

ここまでの経緯は、昨年の「新潮45」休刊(事実上の廃刊)にいたるものと酷似している(私はこのときも「新潮45」の休刊には反対する立場だった)。いずれの場合も、「炎上」した発端がSNS上での断片的な言葉(たとえば「生産性」)や切り取られた画像イメージであり、誌面や論考全体に対する厳密な批判ではなかった、という共通点がある。それでも「新潮45」は批判に対する反論特集を一度は組み、その内容があらためて批判されて休刊となったのだから、今回よりは意味のあるプロセスだった。

今回の場合、「週刊ポスト」の記事というよりは広告の文言に対して上った著作家たちの批判の声が、それを受けて拙速に雑誌廃刊を求める声を生み出した。あいちトリエンナーレの場合、ネット上で流布したかぎりの「少女像」や「天皇像」に反応して政治家が無責任な発言を行い、展示空間の自由を圧迫した。この二つの出来事は、SNSという場を媒介にしており、構造的にはまったく同じものだと私は考える。

批判対象を直視することなく、断片的なイメージ(小説家の藤谷治氏との公開往復書簡でも紹介したとおり、前回のあいちトリエンナーレ芸術監督でもあった港千尋氏の『インフラグラム』という近著はその問題を扱っている)のみをもとに醸成された「空気」は、表現の自由の根幹である出版や展示の機会を縮減する方向でしか機能しない。そしてSNSとは、直視を回避させ、むしろ「炎上」を促すことによって自らの利益を得るビジネスだ。だからこそ、世の中に影響力をもつ著作家は、出版物における言動以上に、いまはSNS上での言動にも意識的でなければならない(むしろ内田氏は「意識して」炎上させたのだろう)。

もちろんこれは、不当と考える表現に対してSNS上ではいっさい批判するな、ということではない。だがSNS上の発言は、あくまでも「私語」にすぎない。しかしSNS上の「私語」がもった影響力は、発した自身にも責任が負いきれなくなるほど拡大することがある。

だからこそ、表現や言説への批判は、その対象を確定した上で、明確なロジックとともに公論としてなされなくてはならない。それを行う場としてSNSはきわめて不向きであり、そこは(広義の)出版物の出番となる。

SNS上であれ、出版物上であれ、何かに対して行われた批判の当否は、当然ながら公開の場で再批判(評価)される。その再批判も再々批判にさらされる。そのようなプロセスこそが民主主義であり、憲法が保証する表現の自由を十全に機能させる土台である。この手間のかかるプロセスを経ることなく、出版社と著作者とが対立し合うこととで「表現の場」自体がやせ細り、閉ざされてしまう傾向には、ささやかなメディアの編集発行人としても、出版という営みに依拠する文筆家の一人としても、明確に反対したい。

小さな場を守る者たち

あいちトリエンナーレで出会ったいくつもの小さな展示会場と同じ力強さを、先週は東京でも感じることができた。名古屋に向けて経つ前日、東京・神保町のブックカフェ「チェッコリ」に立ち寄ったのは、このお店が冒頭に出てくる石橋毅史さんの新著『本屋がアジアをつなぐ 自由を支える者たち』を読み、たいへんに勇気づけられる思いを抱いたので、また訪れたくなったからだ(私はハングルは読めないが、ここの韓国茶や伝統菓子はとても美味しい)。

この店を営むのはクオンという出版社で、ふだんはお忙しくて会えないことも多いクオン代表のキム・スンボクさんが、その夜のチェッコリでのイベントの準備のためお店にいらしたので、久しぶりに話ができたのも幸いだった。

東京・神保町のブックカフェ「チェッコリ」の店内。

日本でここ数年高まっている韓国の現代文学への関心は、クオンを始めとするいくつかの小出版社や、チェッコリのような場での根強い活動に依るところが大きい。チェッコリのような小さな場で継続的に行われてきたイベントや本の紹介活動が、昨今のベストセラー化も含めた韓国の現代文学の日本への紹介を促し、日韓が共通に抱える課題さえも浮き彫りにした。こうした場には世の中を変える実質的な力があることが証明されたのだ。

石橋さんの本を読むと、そうした場をつなぐゆるやかなネットワークが、東京・大阪・那覇・ソウル・光州・台北・香港・上海といったアジアの諸地域で芽吹いていることを感じる。世界のあらゆる場所で実質的に「表現の自由」を支えているのは、大向う受けを狙った著名人のSNSでの空中戦的な発言ではなく、名も知れぬこうした人たち――石橋さんは彼ら彼女らをこそ「本屋」と呼ぶ――の地道な不断の努力だと私は信じる。