批評のありか

2020年1月7日
posted by 藤谷 治

第20信(藤谷治から仲俣暁生へ)

仲俣暁生様

明けましておめでとうございます。

旧年中は大変お世話になりました。とりわけ、田中和生さん、瀧井朝世さんと共に毎年末来ていただいているB&Bでの「フィクショネス文学の教室」では、僕のオタオタした、いい加減な進行を大いに助けていただいたばかりでなく、面白いお話をたくさん伺えました。

お三方にその年の文学的な収穫や話題をお話しいただいてイベントを価値あるものにしていただくのは、いつものことなのですが、昨年末については特にありがたい気持ちが強かったです。というのも、イベントでも打ち明けましたが、昨年の僕は、文芸に限らず「新刊書」というものを、殆どまったく読んでいなかったからです。お越しいただいたお客様に、「今年の収穫」を紹介すべきイベントで、手持ちのカードが1枚もないというのは、大袈裟にいえば悪夢の中にいるようでした。もっともほかのお三方が書評・批評・時評のプロですから、こちらは甘えてもいられましたが、しかし同時にそれは、皆さんに甘えるしかないという、冷や汗ものの状態でもあったのです。

といって昨年、本を読まなかったわけではありません。それどころか昨年の僕は、例年になく集中して読書をしていました。そしてそれは大半が、日本のいわゆる古典文学ばかりでした。今年から大学で新しい講義を持つことになりそうで、それが日本文学史に関わるものなので、勉強の必要があったのです。今でも勉強は続いていて、昨年末の読み収めは『落窪物語』、正月一日からの読み初めは『伊勢物語』というありさまです。

僕に日本の文学史をまっとうに語らせることなどできないのは、学校の方でもあらかじめ承知していただいているようで、講義では「一介の小説家が日本の文章について何を考えているか」という話をすることになりそうです。正当な文学史は専門家の講義が別にあるとのことですから、それだけは安心なのですが、それでも追いつかないほど勉強すべきことがあります。新刊に目を向けている余裕は、去年も今もありません。自分が新刊を出して食っている身でありながら、人の仕事には背を向けているようで、申し訳ないようにも思います。

しかし、それこそ学生時代に受験勉強がてら、あるいは老人に必読と脅されたり、常識なのかなァと義務的に読んだりした、そしてその後数十年ほったらかしていた古典文学を読み返すのは、楽しいという以上に驚きに満ちた経験です。こちらも文章でそれなりに苦労を続け、また馬齢を重ねるうちに人生の栄枯盛衰を見知ってくると、それまでただ「コモン・センス」と思っていた古典文学が、思いのほか生々しく、また不可思議に迫ってきます。

同時に、よく学生が出席届けに書いてくるような疑問を、僕自身も感じます。学生というのは――恐らく彼ら自身が思っている以上に――純粋ですから、文学についても面映ゆいほど根源的な疑問をぶつけてきます。中には僕もうまく答えられない疑問がいくつかありますが、そのうちの大きな疑問を、僕も考えるのです。

「後世まで残る文学と、そうでない文学の違いはなんですか?」

……判らん。判っていたらそれに即した書き方をして、僕も後世に残る文学を書くだろう、などと、冗談めかしてお茶を濁すことくらいしかできない疑問です。文学史家や国文学者、またすべての文学に関わる人間が、いっぺんは正面切って考えなければいけない疑問でもあると思います。なぜならこれを考えなければ、我々が古典を古典と見なしているのが、単に「伝統だから」「古典ということになっているから」となり、つまりは何となく先例に盲従しているのと同じになってしまうからです。

伝統うんぬんなど無関係に、読めば面白く、考えさせるから読むのだ。古典ではあっても新しい発見、すぐれた文学として読むのだ、という答えを、はじめは考えました。しかしこれは「後世に残る」という疑問への答えには、なっていません。少なくとも僕程度の読書する人間は、岩波文庫や角川文庫といった、入手しやすい本の中から古典を選んで楽しんでいるので、それらはすでに「後世」のフルイにかけられた、選別され終わった文学です。問題はその「選別」がどうしてなされたのか、あるいは、その「選別」とは一体なんなのか、ということです。

この「後世」、あるいは「選別」とは、結局のところ、「批評」のことでしょう。

ある作品が作られ、それが同時代に読まれるというのは、紋切り型を使えば「時代の空気に合った」といえるはずです。しかし時代というのは流れていきますから、同時代の空気に合っただけでは、その作品は滅びるのです。では、本来は滅びるべき作品を、次代がさらに読み続けるのはなぜか。それは「次代の空気」に合致するからでしょうか。どうもそんな、生易しいものではないように思います。

文学が後世に残るのは、後世の批評に耐えるからでしょう。文学に限らず、創作や表現が同時代を過ぎるとかえりみられなくなったり、まれに同時代的には無視されていたものが次代(以後)に注目されたりするのは、時代によって批評が変化するからではないでしょうか。「批評に耐える」と「後世に残る」とは、同義なのではないでしょうか。

批評史、というものがあるかどうか、僕は知りません。けれどもたとえば『源氏物語』の解説なんかを読んでいると、その批評の変遷に驚きます。鎌倉時代の武家階級にとって『源氏』は「みやびなるものへの憧れ」として読まれ(「憧れ」もまた原始的な批評の一種でしょう)、江戸時代に入ると儒学者や僧侶から倫理的に批判され、その批評をまた国学者本居宣長が批判して「もののあはれ」なる概念を提出し、明治に入れば欧化政策に呼応するようにまた好色の書とみなされて……。『源氏物語』は、賛美されたり批判されたりしながら、しかし決して批評に無視されることはなかった。

『源氏』のようなバケモノほどではないにせよ(しかしこれはもちろん、最古でもなんでもありません)、表現はその歴史的・資料的・証言的価値だけによらない、時代時代の批評という難敵に立ち向かい続けていくことによって「後世に残る」のです。

しかし、そうであるとすれば、ある時代にはその時代に相応した批評がなければならないはずです。

ここまで書いて、ようやく僕は自分が感じていることに少し整理がつきました。僕は自分の生きているこの時代に、批評がほとんど見当たらない、と感じているのです。

これはあるいは、僕の滑稽な無知でもありましょう。かつて大岡昇平が「批評の時代」と呼んだ1980年代から、種々の批評があらわれ、名付けられているのくらいは、僕も聴いています。先日読んだ廣野由美子『批評理論入門』(中公新書)はとても役に立つ一冊で、目次を引用するだけでも、「道徳的批評」「伝記的批評」から「ジャンル批評」「脱構築批評」「精神分析批評」「フェミニズム批評」「ジェンダー批評」「マルクス主義批評」「ポストコロニアル批評」「新歴史主義」etc.と、これらの大半が、少なくとも僕には80年代以降に知った批評の名称です。ポストモダニズムやニュー・アカデミズムの時代から、もはやほぼ40年が経とうとしていますけれど、これらの批評分野はこんにちでも、おのおのに書き手を持っているのでしょう。

それでも僕は、無知で滑稽なのを承知で思うのです。批評が見当たらないと。

批評家が見当たらないと、むしろいうべきかもしれません。いや、もっと正確には、批評家が物足りない、というのがよさそうです。

今にして思えば、それはポストモダンという言葉が登場してから今に至るまで、ずっと続く僕の不満だったと思います。気がつくのが遅すぎましたが、「Postmodernism」=「近代主義以後」という言葉は、なんにも言っていないのと同じでした。それは結局、なんにも主張していなかったのです。「モダニズム(近代主義)」という言葉が、受け取る人によっていちいち印象を異にするものなのですから。

もちろん、モダニズムが抱えていた資本の格差や性差別、多様性の無視や帝国主義的な世界観を批判するのは、今現在でもきわめて重要です。これを書いているあいだに、トランプのアメリカがイラン革命防衛隊の司令官を殺害し、さらにイラクの武装勢力を空爆したという報道がありました。どうやら報道と各国政府は、なんとかして中東かアメリカ、どちらかを「善玉・悪玉」に仕立てて、話を判りやすくしようとしているようです。モダニズムどころか、それ以前のロマン主義的な「勧善懲悪」の構図さえ、いまだに幅を利かせているありさまです。ポストモダニズムから発生した種々の批評は、ただ世界を認識するためだけにでも、大きな役割を担っていると思います。

しかしそのような批評の現在を、僕は物足りなく思うのです。

これは粗雑な、検証の足りない、ただの印象にすぎませんが、ポストモダニズム以降の批評的言辞は、種々の「ナニナニ批評」という枠の中から、出られない・出ようとしない傾向が強くなってしまったのではないでしょうか。また、自己の批評ジャンルの枠から漏れ出るような文学・表現を、避けるか無視するか、または初めから眼中にないかのようにふるまう傾向が、当然かつ暗黙の「棲み分け」として、定着しているように思えます。

僕が学生時代から尊敬する幾人かの批評家たちが、そんな「棲み分け」に甘んじていたとは思いません。それどころか、批評家というのは自分のよって立つ思想信条はもとより、おのれの主義主張さえ時には逸脱するのを恐れない存在のはずです。中村光夫は「左翼」の枠の中に納まる批評家ではなかった。江藤淳の「保守派」は、彼の芸のすべてではなかった。吉本隆明の「マルクス」もそうです。

彼らの時代は、今よりもはるかに「イズム」の重圧が激しかった。「左翼」や「右翼」の範疇からはずれるような表現に対しては、党派的な批判を(自動的に)下すのが当然と見なされていました。しかし江藤淳は、あなたのような保守派が、と言われても、初期の唐十郎や高橋源一郎を高く評価したし、吉本隆明はコム・デ・ギャルソンを着たのです。彼らはそういった自己の評価に、それぞれそれなりの「理論武装」をしはしましたが、僕には彼らが、それらの表現にただひたすら「魅了」されたのだ、と見えますし、その「魅了される才能」こそ、彼らを批評家たらしめていると思っています。

ひるがえって現在、「イズム」はかつてより力を失ったはずなのに、批評的言辞はかえって何かを恐れながら物を言っているように思えるのです。これは事実に反しているかもしれません。しかしではなぜ、僕にそのように見えるのでしょう? 批評的なコメントやエッセーを書いている人たちの文章を見ると、自分自身を枠の中に収め、限定し、みずからをcharacterizeしているように思えます。それも自分のためではなく、世間の中での「正しさ(correctness)」のために、「正しさ」にみずからをすり寄せていくために、批評を使っているのではないかと思えることさえあります。

くりかえしますが、これらはすべて僕の検証不充分な印象にすぎません。SNSの「インフラグラム」にアテられたための誤謬である可能性は大いにあります。しかし僕としては、たとえ誤謬であっても仲俣さんに自分の印象をさらして、訂正していただくなり、呆れていただくなりして、仲俣さんから「批評の現状」について、お考えを伺いたいのです。

第1信第2信第3信第4信第5信第6信第7信第8信第9信第10信第11信第12信第13信第14信第15信第16信第17信第18信第19信|第21信につづく)

出版をささえる「志」について

2020年1月5日
posted by 仲俣暁生

あけましておめでとうございます。おかげさまで「マガジン航」は創刊11回目の新年を迎えることができました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

*  *  *

この年末年始は、戦後の出版史にかんする本をずいぶん読んだ。いま、日本の出版界は「再起動」が求められている。そのための手がかりがみつかるのではないかと思ったからだ。

ちょうど中央公論新社から、みすず書房の創業者・小尾俊人の1965年から85年にかけての詳細な業務ノートが『小尾俊人日誌 1965-1985』として刊行されたので、この本をきっかけに『小尾俊人の戦後――みすず書房出発の頃』(みすず書房)を読み、続けてこの本の著者である宮田昇さんが書いた『戦後「翻訳」風雲録』(本の雑誌社)とその改訂版『新編 戦後翻訳風雲録』(みすず書房)を読んだ。さらに『風雲録』でも詳細に触れられているSF作家・翻訳者の福島正実の自伝、『未踏の時代――日本SFを築いた男の回想』(ハヤカワ文庫)を数年ぶりに再読した。

早川書房の編集者としてポケット・ミステリ・シリーズの創刊に携わり、その後は翻訳エージェントとして、さらに日本ユニ・エージェンシーの経営者として活躍なさった宮田昇さんは、戦後の出版史を企画や作品の面と、制度や産業の面の双方から論じることができる稀有な人だった。

その宮田さんも、昨年3月に90歳で亡くなられた。宮田さんは引退後に『図書館に通う』(みすず書房)という本も書かれており、同書については「マガジン航」で津野海太郎さんに書評的なエッセイ「無料貸本屋でどこがわるい?」を書いていただいたこともあった。できることなら一度お目にかかり、話を伺っておきたい人の一人だった。ご冥福を心からお祈りいたします。

戦後翻訳出版の草創期の記録

宮田さんは早川書房の創業者である早川清と、同社で机を並べた同僚でもある福島正実の思い出を、『風雲録』のなかでそれぞれ数回を費やして綴っている。

早逝した福島に対する思いはとりわけ深かったようで、本の雑誌社版のみに残された「オニ」という章(新編では割愛された)では、宮田さんと福島がいずれも早川書房を退職した後、「少年文芸作家クラブ」でともに活動していた頃の逸話が語られている(宮田さんには「児童文学者・内田庶」としての顔もあった)。ハヤカワ文庫版『未踏の時代』の巻末解説によれば、二人は大学時代に「四次元」という同人誌で出会ったという。ともに1928年生まれの戦中派世代である。

少年時代、ハヤカワ文庫のSFやミステリーをむさぼるように読んで育った私は、福島正実の名を伝説的な編集者・翻訳者として早くから知っていたが、宮田さんと福島がここまで深い関係だったことには、これらの本をまとめて読むまで気づかなかった。

『小尾俊人の戦後』のほうは、戦後の人文書出版の世界を切り開いたみすず書房の創業者・小尾俊人の評伝で、「諏訪紀行」「小尾俊人の戦後 塩名田から『夜と霧』まで」「出版者・小尾俊人の思い出」の三章構成からなる。とくに「諏訪紀行」には、小尾家のルーツを探るため信州の諏訪まで幾度も足を運んだ宮田さんの評伝作家としての執念が感じられた。

なお、この本の後半には、小尾自身の手による1951年の日記と、月刊「みすず」の創刊号(1959年4月)から1962年1月号までの「編集後記」がたっぷりと掲載されており、中公の『日誌』と併せ読むと興味深い。

早川書房もみすず書房も創業は1945年、敗戦の年である。日本の出版界が第二次世界大戦の敗戦後に再起動するにあたり、個々の編集者や翻訳者の「志」に衝き動かされていた時代があった。『風雲録』と『小尾俊人の戦後』はいずれもその時代の出版を支えた人々の裏面からの記録であり、彼らへの著者の心底からの鎮魂の思いが伝わってくる。そして戦後出版史のすぐれた語り部だった宮田さん自身も、ついに歴史上の人物となってしまった。

出版の本質としての「志」

宮田昇さんのことをつよく意識するようになったのは、もう一つきっかけがあった。

みすず書房の月刊PR誌「みすず」では、1968年から1990年まで出版業界の動向を論じた匿名コラム「朱筆」が連載されていた。それを二巻の大冊にまとめた「出版太郎」名義による『朱筆』『朱筆Ⅱ』をずいぶん前に手に入れ、折に触れ読み返していた。この「出版太郎」が宮田さんであることはすでに知っていたが、『小尾俊人の戦後』に宮田さんがこの仕事を引き受けたときのことが書いてあり、あらためて胸を衝かれる思いがした。

宮田さんは早川書房を退職後、翻訳エージェントとなるが、矢野著作権事務所(のち日本ユニ・エージェンシー)を創業するまではしばらく、フリーランスだった。その時期のことだ。

しかしそのフリーランスのわずかな間に、小尾俊人からある依頼をうけ、二十年以上、彼が社を辞するまでその仕事を続けた。それは一面、いつ潰れてもおかしくない零細企業の経営を続けさせる、志の支えとなったとはいえ、非力の私には大きな負担であった。

「ある依頼」とは「朱筆」の執筆にほかならない。二十余年にわたるその仕事は、宮田さん自身にとっても「志」の持続だったことが、ここで遠回しながらも明かされている。

戦後の出版業界はこの時期に大量生産・大量消費のシステム(当時の言葉では「マスプロ・マスセル」)を完成させていくが、宮田さんはつねに「志」をもって本を出す者たちに寄り添う視点から、この匿名コラムを綴りつづけた。

『朱筆』の構成上、第三部にあたる「出版界の分化現象――大と小、マスとミニ、量産と手づくり、1976〜1978――」の冒頭には、「”一人出版”によって支えられる側面」と題された記事が置かれている。

ここ数年、出版業界では「ひとり出版社」という言葉が話題になっているが、ここでいう”一人出版”とは、そうした個人事業の出版者のことだけではない。『出版ニュース』の1976年2月上旬号に掲載された鈴木均氏の「出版テクノロジー」という「体験的出版論ともいうべき」文章を「朱筆」はこのように紹介する。

そして、一方で現代産業の仲間入りをする大出版社があらわれて寡占化がすすみながらも、一方ではつぎからつぎと小出版社が生まれてくるのは、”志”を立てる出版人があとを絶たないためだし、同時に、企業内であっても、単行本出版に典型的にあらわれているように、「一人びとりの編集者が”志産業”そのものだといって」いいとしている。

この回の「朱筆」は次のように締めくくられている。

この”一人出版”に象徴される出版業の本質への理解が、鈴木均氏のいうように、「”出版物”の生産にたずさわる出版社だけではなく、”出版物”の流通にかかわる”取次” “小売”の業界まで貫徹することがなければ、出版業が出版文化の荷い手である側面を全うすることができない」のは、もちろんである。

「前回のエディターズ・ノート(「アイヒマンであってはならない」)で永江朗さんの『私は本屋が好きでした』を紹介しつつ、現在の出版界が「産業」として構造的に抱え込んでいる問題について論じたところ、思いのほか大きな反響があった。永江さんのこの本が明らかにしたのは、いわゆる「ヘイト本」の生産と流通の過程には、こうした“志”がごっそりと脱落しているということだったと思う。

宮田さんは、みすず書房のような人文書の版元から、早川書房のようなSF・ミステリーの版元まで、幅広い分野の出版者・編集者・翻訳者の営みを、その初発の「志」とともに伝えてくれる、よい語り部だった。また翻訳エージェントとしての長年の経験から、著作権法をはじめとする法制度や海外の出版ビジネスモデルへの理解も深く、電子出版や同人誌即売会のような新しい動きのなかにも、マスプロ・マスセルによる弊害を乗り越える契機を見いだせる人だった。そして自身が児童文学/少年文芸の実作者でもあった。

*  *  *

生前、一度もお会いすることはなかったが、宮田さんの著書をつうじて私は多くのことを学ばせていただいた。出版という営みの本質として「志」を求める姿勢を私も受け継ぎたい。「志」ある人たちの営みを記録し、できうるかぎり支援したいと思う。

この「マガジン航」自体、創刊からまだ十年しか歴史のない、ささやかなメディアです。これからも引き続き、ぜひ皆さんの力を貸してください。

代わり映えのなさ、という強さ

2019年12月28日
posted by 仲俣暁生

第19信(仲俣暁生から藤谷治へ)

藤谷治様

夏場に最後に手紙をやり取りしてから、またずいぶん間が開いてしまいました。去る10月に出版学会の催しとして行った「マガジン航」十周年の講演に、わざわざ足を運んでくださりありがとうございます。これからものんびりと、このウェブメディアをまわしていくつもりです。

先の手紙であいちトリエンナーレについて色々とやりとりした後、日帰りで名古屋と豊田の展覧会場を見てきました。「ニューズウィーク」のオンライン版や「マガジン航」にも書きましたが、その際の感想をひとことで言うなら、3年ごとに行われるこの芸術祭は、ある程度まで地域に根付いているのだなというものでした。

国際的な芸術「展」であることと、地域の芸術「祭」であることを矛盾なく両立させるのは、想像するだに大変な作業ですが、オンラインや現実の場ではしたない攻撃にさらされ、一旦は休止せざるを得なくなったホワイトキューブ内の展示に比べ、「美術館の外に置かれた美術」ともいうべきサテライト会場での展示は案外としたたかでした。各地の現場を支えるボランティアスタッフの表情や身のこなしからは――たまたま僕がみた範囲だけかもしれませんが――メディアを通じて喧伝されていた身に迫る「危機」のようなものは見受けられず、よい意味での長閑さを感じたほどでした。

定期的に行われるこうした催しがもつ現場の経験値の高さは、11月24日に行われた第29回文学フリマ東京からもつよく感じました。青山ブックセンター本店で行われた第2回以来、これまでにも何度か取材者として参加したことはありましたが、今回はじめて出店者として参加してみたのです。「ウィッチンケア」というインディペンデント同人誌を発行している多田洋一さんのブースに相乗りし、いわゆる「薄い本」の制作から当日の会場設営、即売・会計から撤収まで、一日ずっと会場にへばりついていました。

下北沢で「フィクショネス」を十数年にわたり維持してきた藤谷さんにとって、文学フリマに集うようなインディペンデントな作家/出版者たちの姿は見慣れたものでしょう。僕自身、20代からそうした仲間がつねに周囲にいたため、こうした即売会への参加自体は、際立って新しい体験というわけではありません。むしろ、この「見慣れた風景」の継続性、つまり代わり映えのなさに、ある意味で感動したのでした。

その後、香港で今年の6月以後に盛んになったデモ行動と連携したプロテスト・ジンを出しているZINE COOPの人たちと、練馬区の小さな会場で行われたジンの即売会で会って話をしたり、彼らの活動を紹介する記事を「マガジン航」に書いてくれた中野タコシェの中山亜弓さんと会って話をしたときも、いい意味での代わり映えのなさを感じました。なにしろ中山さんとの付き合いは、僕が「シティロード」の編集をしていた頃からですから、そろそろ30年近いのです!

メインストリームの出版ビジネスが音を立てて崩れていくなかで、ここまでで触れたようなオルタナティブな場での活動が相対的に元気に見えるのは、それらが「対抗的」な存在だからというよりは、長期間にわたり粘り強く、しかも質において大きく変わることなく続いてきた活動だからではないか。わずか十年、小さなウェブメディアを営んできただけの僕でさえ、そのことは真実であるように感じられます。それは文筆という活動でもまったく同じでしょう。日々、目の前で移ろう出来事に動じることなく、己の信じる道を進むことの貴重さがようやく身に沁みるようになったのかもしれません。

4ヶ月ほど手紙をさぼっていた間、個人的な楽しみとして読んでいたのは、日本の文壇や文芸誌の歴史を綴った本でした。とりわけ講談社に長くおられた大村彦次郎さんの一連の著作からは、多くの示唆をえました。

日本では純文学とエンターテインメント文学との間に、比較的はっきりとした壁がありますが、その壁ができたのは戦後に「小説新潮」が創刊され、いわゆる「小説誌」が誕生したときからと言えそうです。

現在の出版界を見渡せば、純文学の発表媒体としての「文芸誌」も、エンターテインメント作品の発表媒体としての「小説誌」もともに影響力を失い、部数も低迷しています。でも、かつては「オール読物」や「小説新潮」といった雑誌が30〜40万部も売れていた時代がありました。マンガ雑誌が100万部単位で売れる時代が訪れる以前にあった、小説誌が娯楽の中心だった時代を想像するのはそれほど難しくありません。

大村彦次郎さんの一連の「文壇史」の記述は、中間小説では野坂昭如と五木寛之のデビュー(野坂の「エロ事師たち」が1963年、五木の『さらばモスクワ愚連隊』は1966年)、純文学では村上龍のデビュー(『限りなく透明に近いブルー』は1976年)をもって画期とし、このあたりで「文壇」が実質的な意味を失ったとしています。ここでいう文壇とは前近代的・互助的な同業者ギルドのことです。

戦前の円本以後、すでに文学は十分に「儲かる産業」になっていましたが、この頃までは一種の自治の仕組みとしての「文壇」が、地方文芸誌を広い裾野としつつ、存在していた。しかし野坂・五木が登場した時代以後、文学は文字どおりに「メディア産業」となっていく、言い換えるなら出版産業に完全に従属するようになるのです。

僕らが物心つき、同時代の文学を読むようになった頃は、ちょうど野坂や五木の全盛時代でしたし、また村上龍が新人作家としてデビューした頃でした。だから僕らは「文壇」が崩壊する以前にあった、文芸同人誌のあり方をよく知りません。

これは僕の場合だけかもしれませんが、筒井康隆が『大いなる助走』で戯画的に描いた地方同人誌のドタバタ劇を鵜呑みにし、同人誌とその書き手をどことなく馬鹿にする気持ちさえあったと思います。しかし出版社が営利的な目的で出す雑誌が、文学活動のすべてを覆い尽くすことはもとより無理です。また従来、新人賞が担ってきたとされる新しい才能を発掘する機能も、発掘「後」の責任を負う産業の側が細ってしまえば意味を失います。

出版産業の黄昏――それはことに雑誌においてはっきりと現れていますが、書物も安心はできません――が誰の目にも明らかないま、本を書き続ける動機を経済的側面だけに求めることは難しくなっています(動機を必要と言い換えるならば、すでにその内部にいる者にとってその必要性はまったく減じないとしても)。そんなとき、プロの専業作家であれ、他に収入源をもつ兼業作家であれ、あるいは完全なアマチュア作家であれ、書き続けるための最大のモチベーションは「読者」の存在ではないかと思うことがあります。

じつは藤谷さんと手紙のやりとりをできずにいた間に、もう一つ面白い経験をしました。それは翻訳者・アンソロジストの西崎憲さんに招いていただいて参加した、ブンゲイファイトクラブというネット上の文学イベントです。西崎さん自身も日本ファンタジーノベル大賞の受賞歴をもつ小説家であり、書肆侃侃房から出ていた文芸ムック「たべるのがおそい」の編集長もなさっていました。しかも、それらと平行してバンド活動や快著『全ロック史』の執筆をしてしまう、マルチな才能をもった尊敬すべき大先輩です。

以前から西崎さんと何か一緒にやりたいと思っていた折、偶々このイベントの開催を知り、ぜひともと手を挙げたところ、「招待ジャッジ」という枠で参加させてもらえることになったのでした。

このイベントの詳細については先のリンクを辿ってほしいのですが、予選を通過した32人の作家たち(このイベントでは「ファイター」と呼ばれます)が、6枚(2400字)以内の文学作品(小説に限らず、詩歌や戯曲もあり)を書き下ろし、トーナメントで勝ち上がっていくというものです。プロとアマチュアの作家が混在する32人のファイターから、ジャッジは一回戦では各組4人からなる8組から最優秀者を一人ずつ選び、二回戦以後は一対一のトーナメント戦の勝者判定をしていく、という趣向です。

面白いのは――そして真剣勝負とならざるを得ないのは――、ジャッジもまたファイターから逆審査を受け、戦いが進むにつれ人数が減っていくことです。最後は二人のファイターと一人のジャッジだけが残り、最優秀作品が決まって戦いが終わります。先のリンク先でその過程のすべてが「公開」されていますので、どの段階でどの作家の作品がどのような判定と理由で落ち、最終的に誰のどんな作品が勝利を収めたのかを、すべてあとから追体験することができます。

悔しいことに、僕は二回戦(準々決勝)の判定と評価を終えたところでジャッジとしては敗退し、準決勝以後は観客に回らざるを得ませんでした。しかし、最後まで僕はこのイベントを楽しんだのです。準決勝以後の戦い、そして決勝戦の行方には文字どおり、手に汗を握りました(というのも、その都度ファイターは短期間で「新作」を書くのです!)。

ブンゲイファイトクラブは、ファイターもジャッジも完全に無償で、得るものは栄誉と不名誉のみというまことに残酷なゲームでしたが、全体として既存の新人発掘プロセスとしての公募新人賞に対する――さらには既存の文芸批評のあり方に対する――すぐれた「批評」だったと僕は考えています。しかも振り返ってみれば、このイベント全体が一つの文学アンソロジーとなっており、いわば「同人誌」をネット上の公開プロセスで作ったものともいえそうです。

もしそうだとすればバトルという新しい見かけのわりに、このイベントを通じて僕が体験したのは、商業出版の外部に「同人誌」という多様な場――それを支える作家予備軍の分厚い層とともに――が存在した頃に、多くの書き手が経験した真剣な作品批評を、代わり映えもなくやってみたようなことかもしれません。そしてもしかしたら、文芸に限らず、言葉で何かを生み出していく活動を続けていく上で必要なのは、長期的な歴史の相でみたときには「代わり映えしない」と思えるような、愚直なことなのかもしれません。

というわけで明日の夜、恒例のB&Bでの催しで――いい意味での「代わり映えのなさ」とともに――お目にかかれることを楽しみにしています。

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【イベントのお知らせ】

12月29日(日)19:00より、東京・下北沢の本屋B&Bにて下記のトークイベントがあります。詳細はリンク先のサイトをご覧ください。

藤谷治×瀧井朝世×田中和生×仲俣暁生「フィクショネス文学の教室〜2019/末番外編〜」 | 本屋 B&B

第4回 『小林秀雄全作品』を売る者の悲劇

2019年12月19日
posted by 谷頭 和希

思わぬ本に出会う、それがブックオフを歩く楽しみだ。そこで出会った意外な本をいったい誰が売ったのか、それはどんな経緯で売られたのか、考えると楽しみは尽きない。それもまた、ブックオフを楽しむ戦術かもしれない。そしてその奥には、ブックオフから醸し出される悲劇が見えることだってある。前回までの連載と少しテイストは異なるが、これもまた一つの「戦術」だ。ブックオフをめぐる想像と思考の旅を楽しもう。

『小林秀雄全作品』との邂逅

それはブックオフ上野広小路店でのこと。いつものように店内を物色していると突然それは現れた。

『小林秀雄全作品』

日本を代表する評論家、小林秀雄が生涯で残した莫大なテキストが、全28巻の中にすべて収められている。そのすべてがこの棚にあるのだ。

壮観だ。奥付を見るとすべて同じ版だから、きっと誰かが一度に売ったのだ。しかし一体誰だ、これを売ったのは。試しに一冊取って中を見る。驚くべきことに、これがまったくきれいなのだ。売った人間はおそらく『小林秀雄全作品』の一作品も読んでいないのではないか。でも、読んでいても読んでいなくても『小林秀雄全作品』をまとめ買いした人がいた、というのは確かだ。その事実に想いを馳せるべきだろう。その人はうっかり『小林秀雄全作品』を買ってしまったのである。そしてすべて売ってしまったのである。だからこそ、いま私の目の前には『小林秀雄全作品』がある。

ブックオフで遭遇した『小林秀雄全作品』28巻セット。

想像してみてほしい。

なんのあやまちか、それとも本当に欲しかったのか、『小林秀雄全作品』を買ってしまった人の悲劇を。28冊セットという大所帯である。きっと宅配での郵送を頼んだに違いない。なぜなら他の方法がないからだ。あるにしても、それはこの上なく悲劇的な方法だ。

「かついで帰る」

かつぐのだ。かついで『小林秀雄全作品』を持って帰る。それしかないじゃないか。あるいは両手で抱きかかえるとか、頭の上に乗せるとか、とにかく直接体を使って持って帰ればいいわけだが、しかしどれもこれもなんだか滑稽だ。試しに1冊手に持ってみる。なかなかの重さだ。これが28巻となると相当な重さ。これを持って帰るのだ。必死である。当然、普通の道にそんな必死な人はいない。もうそれだけで怪しい。つまり、『小林秀雄全作品』をかついで帰るとはこのような悲劇の始まりなのだ。

ここでふと気になり、ブックオフは買った商品の郵送を行っているのか調べてみる。どうやらそうしたサービスは無いらしい。ここに、また別の悲劇がある。ブックオフ上野広小路店で『小林秀雄全作品』を買った人はどうなるか。

「かつぐしかない」

電車でじろじろ見られようが、職質されようが、道で悪態をつかれようが石を投げられようが、とにかくかつぐしかないのだ。しかし実際にそういう人はいなかったのだ。だからこそ、いま私の目の前には『小林秀雄全作品』がある。

しかしそろそろ本をかつぐ話はいいんじゃないか。私が書こうとしていたのは、『小林秀雄全作品』を買い求め、そして売ってしまった人の悲劇である。なぜ『小林秀雄全作品』を買ったのか。身の回りで流行っていたのかもしれない。どんな身の回りだ。

近隣コミュニティから売った者を想像する

いま、なんとはなしにブックオフ上野広小路店をGoogle Mapで見てみる。するとその周辺で気になる建物を見つけた。

「東京大学」

上野広小路店から東京大学までは意外なほど近い。なるほど、こうしてみると、小林秀雄全作品を買ってしまった者の輪郭がすこし見えてくる。つまりそれは東大生ということだ。東京大学にいるのは間違いなく東大生だ。いや、もしかしたら早大生とか、慶大生とか、ことによれば、京大生やデジタル・ハリウッド大学生だっているかもしれないが、とにかく東大生が多い地域なのである。あるいは東大生的なる人々、といってもよい。東大の敷地内にいる人はみな東大生的なる人々だ。

私は東大生でも東大生的なる人でもないからわからないのだが、やはり東大ではいま小林秀雄の話題で持ち切りなんじゃないだろうか。教室ではもちろんのこと、生協でも学食でもみな話題は小林秀雄のことばかりだ。学食にはこんなメニューもあるはずだ。

「小林秀雄ラーメン」

そんなラーメン私は食べたくないが、東大はそうなのだ。そうに違いない。そしてその圧に負けて『小林秀雄全作品』を買ってしまった者がいる。よもや本当に小林秀雄が読みたかったとか、まして研究でそれが必要な人ではないはずだ。なぜならその人は買った全集を売るのだ。ブックオフで。だからこそ、いま私の目の前には『小林秀雄全作品』がある。

しかし、本来ならば、ブックオフに『小林秀雄全集』などあるべきではない。東大の周りにはブックオフよりも歴史がある、趣のある古書店が多く存在しているのだ。百歩譲ってだ。『小林秀雄全作品』を売るにしてもそういう、昔ながらの古書店で売った方が良かったんじゃないか。いや、そういうところで売るべきだと思うんだよ。

東大前にある古書店。

東大の周りにはこうした古書店がたくさんある。その人はそうした古書店で『小林秀雄全作品』を売らず、ブックオフ上野広小路店でそれを売った。なぜか。知らないのだ。いや、普段目にはしているのだろうけど、それが古書店だとは思っていないに違いない。その人にとって古書店といえばやはりブックオフなのだ。そして何度も繰り返すようだが、この人は『小林秀雄全作品』を読まなかった。学内で話題というだけで買ってしまった者である。ここから『小林秀雄全作品』をブックオフ上野広小路店に売った者の姿がさらにはっきりする。こう言うとなんだか哀愁が漂うが、しかししょうがない。そうに違いないと思うから書こう。

「落ちこぼれの東大生」

いや、そもそも東大に行くような人に落ちこぼれがいるのかどうか私は知らないし、なんだか実在しないような気もしないではないが、でもいると思うのだ、落ちこぼれてしまった東大生も世の中には。落ちこぼれの東大生は、きっと、古い古書店を知らないのだ。いいじゃないか、古い古書店を知らなくっても、となぜこの人の肩を持っているのかわからないが、いずれにせよこの人は『小林秀雄全作品』を売った。ブックオフで。だからこそ、いま私の目の前には『小林秀雄全作品』がある。

隣接する本が醸し出すハーモニー

さて、その人の家に28巻そろい踏みで『小林秀雄全作品』がやってきた。その人は届いた本を前に呆然と立ち尽くし、こう呟く。

「どうしよう」

どうしようもこうしようもない。読めばいいのだ。本は読むものなのだから。読め、今すぐ。しかし、その人は読まない。なぜなら落ちこぼれの東大生だからだ。しかも28巻もあるのだから「じゃま」ときた。きっと一人暮らしなのだろう。とにかくじゃまだ。それを前にしてどうすることもできず、ただ茫漠と立ち尽くす。これこそ『小林秀雄全作品』を買ってしまった者の悲劇だ。

そしてやはり私の脳裏をかすめるのは、その人が一体どうやって『小林秀雄全作品』を家からブックオフ上野広小路店まで運んだかについてである。やはりかつぐのだろうか。もしかついで売りに出したのだとしたら、またそこに悲劇が存在する。そうした悲劇を経て、いま私の目の前には『小林秀雄全作品』がある。

もう一度先ほどの本棚を見る。ここで注目すべきは『小林秀雄全作品』の隣にある本だ。

『夏井いつきの超カンタン!俳句塾』

ここにもまた落ちこぼれ東大生の姿が透けている。きっと東大では、誰しもが俳句を詠むのだ。なぜならそこは東大だからである。俳句ぐらい詠めないようでは仕方がない。しかし、そこにもやはり落ちこぼれがいる。なんとかして俳句を詠みたい。なぜなら大学は俳句の話で持ちきりだからだ。『奥の細道』の聖地巡礼をした者らもいるらしい。こうして大学の片隅で肩身の狭い思いをしているから、藁にもすがる思いで俳句を学ぼうとする。難しい本だとよくわからない。そこで手にしたのが、『夏井いつきの超カンタン!俳句塾』だ。どこで買うのか。東大の生協に決まっている。そして購入時には、相手が東大生とは思えないほどの罵詈雑言を生協の店員から吐かれるのだ。

「この人俳句出来ないんだ」

屈辱だ。他にも「ホントに東大生?」とか「『超カンタン!』って楽しようとしてる。ださい」とか散々だ。またもや悲劇である。しかし東大とはなんと恐ろしいところなのか。落ちこぼれ東大生は恐縮しながらレジを抜け、やっとの思いで家まで本を持って帰ってくる。

ここで問題になるのは、果たしてこの東大生は『夏井いつきの超カンタン!俳句塾』を読み、俳句が詠めるようになったのか否かである。答えは簡単だ。「否」である。なぜなら落ちこぼれた東大生はこの本を売ってしまったのだ、またもやブックオフで。その証拠に、いま私の目の前には『夏井いつきの超カンタン!俳句塾』がある。

なぜ売ったのか。この人は恐る恐る本のページを開ける。そして冒頭にある一文に驚愕するのだ。

「俳句がうまくなるコツは『とにかく毎日つくること』」

作れないよ、そういわれても。作れないから買ったんじゃないか、この本を。ここにまた悲劇が存在する。そして『小林秀雄全作品』と同じように、いや、果たしてそれが『小林秀雄全作品』を売った人なのかどうか全くわからないし、ほとんどの確率で異なる人だと思うのだけれど、とにかくそれはブックオフに売り飛ばされることになる。いま、『小林秀雄全作品』と『夏井いつきの超カンタン!俳句塾』をブックオフ上野広小路店へ売った者らはどうしているだろう。その人は小林秀雄全集を読めただろうか。その人は俳句を詠めただろうか。たぶん読めて/詠めていないんだろうな。

ブックオフ上野広小路店の書棚には、落ちこぼれた東大生の悲劇が詰まっていた。あるいはブックオフには他にも読まれなかった本たち、あるいは必要とされなくなった本たちの悲しみがそこかしこに詰まっている。不必要なものたちが、ただそれだけの巡り合わせで同じ書棚に並んでしまう。誰が小林秀雄と夏井いつきが隣り合うことを想像しただろうか。しかし、やはりいま私の目の前には『小林秀雄全作品』があり、そして『夏井いつきの超カンタン!俳句塾』がある。

*     *     *

しばらく経ってからブックオフ上野広小路店をまた訪れる。あのときの書棚をもう一度見てみた。『小林秀雄全作品』はポツポツと売れていた。それから『夏井いつきの超カンタン!俳句塾』も売れていた。だれが買ったのだろう。また、落ちこぼれた東大生だろうか。

悲劇は伝播する。

アイヒマンであってはならない

2019年12月6日
posted by 仲俣暁生

今月のエディターズノートを書くのはとても気が重かった。題材は早くから決めていた。永江朗さんが『私は本屋が好きでした――あふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏』(太郎次郎社エディタス)という本を出したことを知り、すぐにこれを取り上げようと考え、すでに読了していた。

しかし読了後、うーむと考え込んでしまった。

この本は、自身でも書店員の経験があり、専業ライターとなった後は長年にわたり全国の本屋に足繁く通い続けている永江さん(私も書店の店頭で何度もお会いしたことがある)が、本屋に対して「好きでした」と過去形で語らずにはいられない昨今の状況についての、渾身のルポルタージュである。

中心的な話題は「ヘイト本」だ(もっとも、この言葉を使うにあたり永江さんはいくつか留保をつけている)。いわゆる「嫌韓・反中」、つまり近隣諸国に対する排外主義的な考えを明示的に、あるいは暗黙のうちに主張する出版物のことである。いつの頃からか、「町の本屋」ともいうべき小さな書店の店頭に、こうした内容の本が大量に並ぶ様子を見かけるようになった、と永江さんは言う。

私自身の経験をふりかえっても、個性的な品揃えが好きな私鉄の駅前店でもよく見かけるし、いまは閉店したが、ターミナル駅の人通りが多い場所に出店していたチェーン書店では、あたかも主力商品と思えるほどの展開ぶりだった。日本を代表する大型書店でもその姿はかなり目立つ。

「ヘイト本」はなぜ店頭で目立つのか

そうした風景をみて、私自身は「この手の本はきっと手堅く売れるんだろうな」とは思うものの、あまり気に留めずにいた。本屋の店頭には自分の好み以外の多様な本が置いてあるのが当然だし、本を売ったり買ったりということは、その本の内容に賛同したり支持したりすることを、必ずしも意味しないからだ。

永江さんもそのことは理解しているので、こうした状況についてどう考えるべきか悩む。そして、やはりそれは問題だと結論づけるのだ。この本の「すこし長いまえがき」にある次の言葉が、その理由をうまく説明している。

本屋という仕事は、ただそこにあるだけで、まわりの社会に影響を与えることができるものなのだ――本屋を取材するようになってまもなくのころ、ヴィレッジヴァンガード創業者の菊地敬一さんからきいた言葉です。そのころのヴィレヴァンはまだ名古屋市と豊橋市に数店あるだけの経営規模でした。みずからの影響力に無自覚な本屋は本屋とはいえない。わたしはそう考えながら本屋の取材を続けてきました。

永江さんにとって本屋の取材は、文字通りのライフワークだ。ところがいま本屋について語ろうとすると、どうしても「ヘイト本」を話題にせざるを得ない。その状況自体にうんざりするが、目をそむけるわけにはいかない。そこで永江さんは、出版業界に「あふれるヘイト本」を「つくって売るまでの舞台裏」を、書店から取次、出版社と川下から川上に遡るかたちで取材し、その構造を明らかにしようとしたのである。

「町の本屋」の経営者たちの座談会、それより大きな規模のチェーン書店の事情、さらに取次、出版社、編集者、ライター……と、「ヘイト本」の流通と製造の工程を遡って関係者の声をあつめたのが第1部で、書店員のなかには匿名での発言者もいるが、基本的にはみな実名で、「ヘイト本」の編集制作から販売までの実態について語っている。2015年の初夏に取材が始められたため、いまとなってはやや古くなってしまった部分に対しては、あらためて直近のコメントがとられている。

つづく第2部では、こうした取材結果を受けて現在の出版業界に対する永江さんの状況分析が行われる。再販制度と委託制度の一体的運用という日本独特の出版流通システムは、高度成長からバブル経済期を経て、1990年代の半ばまではきわめてうまく機能していたが、その後の20数年は弊害のほうが目立つようになる。「ヘイト本」が生み出され、小さな書店の店頭で目立つようになったのは、そうした本が強く求められているからではなく、こうした構造が招いた一つの象徴的な出来事だ、というのが永江さんの見立てだ。

「書店員」のいない、「作業員」だけの書店

取材を受けた人々の個々の発言や、それを受けての永江さんの推論の道筋はぜひ、じっさいにこの本を読んで確かめていただきたいが、私がショックを受けたいくつかの言葉を紹介しておきたい。

ひとつは、「徹底的にランキング重視の書店チェーン」に在籍していたSさんという方が語る、「あの店に書店員はいません。いるのは作業員だけです」という言葉だ。もうひとつは、第2部の冒頭で永江さんが記した、「出版業界はアイヒマンだらけ」という言葉である。

この二つは同じことを指している。書店だけでなく、取次にも出版社にも、ハンナ・アーレントが『エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』で論じたナチ高官アドルフ・アイヒマンのように、自ら思考することを放棄し、与えられた課題を唯々諾々とこなすだけの「作業員」となってしまった者たちがいる、と永江さんは言うのだ。

しかし、そうした者たちの「悪意なき」作業は結果として書店の店頭に「ヘイト本」が日常的に並ぶ風景を生み出してしまう。

永江さんが引いた、ヴィレッジヴァンガード創業者の「本屋という仕事は、ただそこにあるだけで、まわりの社会に影響を与えることができるものなのだ」という言葉は、そうなるとまったく逆の意味をもつようになる。本屋に「ヘイト本」が並ぶ風景は、その場合も社会に対して影響を与える。書店の店頭だけではない。公共交通機関や新聞、ネット上などで流布する出版広告も社会に影響を与える。しかもそれは、往々にして「悪意なき」行為の結果なのだ。救いがたい状況というしかない。

だから今回のエディターズノートを書くのが「気が重い」理由は、本屋の店頭に「ヘイト本」がのさばる状況そのものではない。日本の出版産業が、働く者たちの自主的な思考や判断ではなく、「作業員」としての労働に委ねられた状況に陥っていること――永江さんの表現を借りれば――「アイヒマンばかり」になってしまったことが、気を重くさせるのである。

もちろん、これは相当に強い言い方だ。現実には、出版物にたずさわる現場では日々、さまざまな努力と試行錯誤が行われている。「アイヒマン」には本の出版企画を立てることも編集することもできないし、流通業務のなかにも創造性はあるだろう。いま世に出ているすべての本のうちで「ヘイト本」が占める割合も、全体からみればごく一部にすぎない。それでも永江さんは、「ただそこにあるだけで、まわりの社会に影響を与える」という本屋の力を信じるからこそ、「ヘイト本」の存在を問題視するのだ。

本屋と民主主義

「マガジン航」では3年前、「本屋とデモクラシー」という記事を掲載した。これは永江さんの本でも重要な役割で登場する、ジュンク堂書店の福嶋聡さんの『書店と民主主義――言論のアリーナのために』(人文書院)という本をきっかけに書いた記事だった(のちに関連するトークイベントも実施した)。

この本のなかでも、書店が「ヘイト本」をどう扱うかということが論じられている。福嶋さんの考えは明快であり、それは書店は「多様な意見が競い合う闘技場(アリーナ)であるべき」というものだ。しかし、そうした多様性を担保できるのは大型書店のような、力のある本屋に限られると永江さんは考える。小さな「町の本屋」にまで、それを求めることは難しい。規模の大小だけでなく、来客とのコミュニケーションやマーケティング能力といった、書店員の力がなによりも求められるからだ。

出版業界でも、雑誌流通の規模縮小によって書籍流通がこれまでより高コストになっていく事態にあわせて、いわゆる「パターン配本」(書店員の自主性を必要としない供給システム)を見直し、「プロダクトアウトからマーケットインへ」という掛け声のもと、書店現場の自主的な判断に応じた出荷体制を整える動きがようやくでてきた。これはよいことだろう。

しかし、日本にある多くの書店が「作業員」によるオペレーションを前提に経営されているとしたら、書店現場の混乱はかなり長期にわたるだろう。「ヘイト本」はその間、むしろ「マーケットイン」の消極的な結果として増殖していきかねない。

ではどうしたらよいのか。すでに小規模出版社の多くは、「セレクト型書店」「個性派書店」などと呼ばれる、自主的な仕入れと品揃えができる小規模書店との間で、効率よく本が売れるマーケティングの仕組みをつくりあげている。インターネットとSNSという仕組みは、ニッチな読者を対象とする本に対しては、むしろ追い風になっている。出版不況と言われる時代になってから、「一人出版社」や「個性派書店」が次々と生まれていることが、そのなによりの証拠である。

その一方で、大量生産・大量消費の商品として設計された初刷部数の大きな出版物、たとえば「雑誌」的な性格をもつムックや、需要に関わりなく一定点数を定期刊行しなければならない文庫や新書のシリーズ等は、大いに苦戦を強いられている。マンガやファッション誌を中心事業としてきた大手出版社の活字部門や、週刊誌を出しているような老舗の文芸出版社はこうした書店状況の変化によって、専門出版社以上に大きな打撃を受けているようにみえる。

本屋の消滅は、本の高価格化と社会の分断を促す

私が「気が重い」理由をさらに述べるならば、この流れの先にあるのが本の世界の縮小、あるいは全体としてのニッチ化をもたらすように思えるからだ。

本の価値や意味についてきわめて鋭敏な感覚をもつ一部の書店や出版社だけが生き残り、「作業員」とまでいかずとも、漫然と本をつくったり売ったりしてきたプレイヤーは退場を迫られる。それは仕方がないことかもしれないが、本の読者もまた、そのときに大衆性を失い、専門的な知見をもつニッチな読者だけになってしまうのではないか。それは結果的に出版物の価格を押し上げ、やがて本はニッチな読者にも購いきれないものになるかもしれない。

自動的に本が上流から下流まで流れてくる現在の出版流通システムは、いわば物理的なかたちをとった「放送」(別の言葉でいえば「配給」)のようなものだった。本屋の店頭はその意味で、テレビやラジオの受信機と同様の「メディア」でもあった。大量生産・大量消費を前提とするこのシステムは、他の分野におけるそれらと同様、20世紀というマス(大衆)の時代に即して設計され、きわめてうまく機能した。

しかし新聞も放送も、21世紀にはそのあり方を根本から問われている。出版もいま、まったく同じ問題に直面しているのである。だからこそ、永江朗さんが紹介した先の言葉は重要だと私は思う。

「本屋という仕事は、ただそこにあるだけで、まわりの社会に影響を与えることができるものなのだ」

これを逆から考えると、こうなる。「本屋がないということは、そのことだけでまわりの社会に影響を与える」。「本」とのタッチポイントがSNSやネット書店だけになったとき、社会にはいまよりさらに大きな分断が生まれるのではないか。人々が気楽にローコストで多様な価値の存在に触れることができる物理的な場所としての「本屋」は、本当にこのまま失われていく一方でいいのか。よくないとしたら、そのために何をすればよいのか。

消費増税により本の価格はますます高く感じられるようになったが、本の高価格化(それは大量生産・大量消費の時代が終わったことの反映でもある)は、いっそう進むだろう。20世紀は「大衆」という人々のあり方の上に、厚みのある社会的な中間層が形成された時代であり、リベラル・デモクラシーはその中間層によって支えられていた。本のニッチ化や高価格化は、社会における中間層の崩壊の反映ともいえるし、「社会に影響を与える」ことでそれを促してしまうともいえる。

私が「気が重い」のは、出版業界がいま直面している課題が、社会全体の大きな変化と連動しているからだ。「大量生産・大量消費」という20世紀的な論理が失効しつつあるいま、それを超えて私たちは21世紀をどのような社会にしていけばいいのか。本に関わる人すべてが、そのことを考える必要がある。いつまでもアイヒマンや「作業員」であってはならない。