日販の『出版物販売額の実態2016』に感じた時代の変化

2017年2月22日
posted by 鷹野 凌

日本出版販売株式会社(以下、日販)は昨年9月30日、『出版物販売額の実態2016』を発行した。今回の同誌には、大きな変更点がいくつもある。私はこれに、時代の変化に対応しようと日販が努力している様子を感じ取ることができ、少し明るい気分になった。

まずプレスリリースを読んだら、今回から日販が運営するオンライン書店「Honya Club.com」での取り扱いが始まったという記述に気づいた。ついにネット通販で、誰でも入手可能になったのだ。

さっそく購入しようと思い「Honya Club.com」のページを開いたら、PDFデータ版の取り扱いも始まっていてさらに驚いた。私は紙の資料だとすぐどこかへ埋もれてしまうため、紙版と電子版が選べるなら迷わず電子版を選ぶようにしている。大量のファイルがあろうと、検索すればすぐに見つけられる。埋もれた資料を探して、時間を無駄にしたくないのだ。

ところが、このPDFデータ販売は少し残念なことに、購入したその場ですぐダウンロードできるわけではない。パスワードがかかっているPDFファイルが後日メールで送られてくるという、いささか古いやりかただ。

システムを構築するにはコストがかかるので、人の手でやっているのだろうか? それでも従来に比べたら、大きな変化である。注文翌日にはメールが届いたし、PDFからテキストデータをコピーすることも可能なので、満足度はそれなりに高い。

「出版社直販ルート」の追加が重要な理由

同誌を手に入れページをめくり、「はじめに」を読んでさらに驚いた。従来は、取次を経由する販売経路だけが掲載されていたのだが、なんと今回から「出版社直販ルート」が追加されたのだ。思わず「マジか」と声が出た。なぜこのような重要なアピールポイントが、プレスリリースには書かれていないのだろう? もったいない。

なぜこれが重要な変化なのか。例えば、日経BP社の「日経ビジネス」は毎週20万部を発行しているが、大半が読者へ直送する定期購読である。アマゾンは「e託販売サービス」で、出版社との直接取引を拡大している。

紀伊國屋書店も、大日本印刷と合弁で出版流通イノベーションジャパンを設立し、村上春樹氏の『職業としての小説家』をスイッチパブリッシングから買い切りで仕入れるなど、出版社との直接取引を拡大している。

石橋毅史氏の『まっ直ぐに本を売る』(苦楽堂)で詳しく紹介された、トランスビューのような事例もある。

実は筆者が以前勤めていた会社でも、取次を経由しない出版物で年間数億円の売上があった。つまり、取次を経由しない一般消費者向けの出版流通はいろいろあるはずなのに、従来は取次を経由した販売ルートの数字しか勘案されていなかったのだ。

こういった「実態」に、私はつねづね疑問を感じていた。今回の同誌は、その疑問にひとつの答えを出してくれたのである。もちろん、取次を経由しない流通は推計値ではあるが、アンケートなどそれなりの根拠に基づいた数字であり、無いものとして扱われていた従来に比べたら雲泥の差だ。過去10年分のデータを再計算しているので、推移を見ることもできる。

ただ、同誌の注釈を読んでも、アマゾンの「e託販売サービス」のようなケースが「インターネットルート」なのか「出版社直販ルート」なのかは不明だった。そこで私は、この定義について日販に問い合わせてみた。担当者の回答によると、要するに「エンドユーザーがどこから購入したのか?」によってルートを分類しているそうだ。

つまり、アマゾンで販売された紙の出版物はすべて「インターネットルート」に含まれ、取次経由なのか「e託販売サービス」なのかは関係ない数字ということになる。ただし、『出版物販売額の実態2015』における2014年の「インターネットルート」と、『出版物販売額の実態2016』における2014年の「インターネットルート」は、同じ数字であることは指摘しておこう。「前年までの資料とは接続しない」と注記されているものの、疑問は残る。

電子媒体の推定販売額はインターネットルートを抜いた

これを前提として、データを見てみよう。期間は2015年4月~2016年3月だ。「電子媒体(電子書籍、電子コミック、電子雑誌の合算で、学術ジャーナルは含まれない)」の推定販売額は、既に「インターネットルート」を追い抜いている。

「インターネットルート」も前年比では106.2%と伸びているが、「電子媒体」は135.2%と急成長している。この伸び率からすると、2016年度には間違いなく「CVSルート」や「出版社直販ルート」を追い抜くだろう。電子出版の市場規模は、既にそういうレベルにまで達しているのだ。

なお、「電子媒体」と「インターネットルート」を合計すると3591億円で、出版物販売額全体(紙+電子)の18.2%を占める。また「書店ルート」が占める割合は、電子出版物を除くと64.6%、全体(紙+電子)に対しては58.5%となる。販売ルート別の推定販売額と、「電子媒体」の推定販売額は、なぜか離れたページに記載されているためわかりづらいのだが、「エンドユーザーがどこから購入したのか?」という観点で現実を直視するためには、並べて記載したほうがいいように思う。

日販の『出版物販売額の実態2016』がこれまで述べたような変化を遂げたいっぽうで、出版科学研究所の『出版指標年報』は2016年版でもまだ取次ルートが主体の数字だ。

1995年に公正取引委員会が発表したアンケートに基づき「書籍の7割近く、雑誌の9割強」が取次ルートであるとしているが、アマゾンが日本でサービスを開始したのは2000年のこと。その後の変化をまったく踏まえていない「実態」を発表し続けてきたことになる。とはいえこちらも、2016年版からようやく電子出版市場の推計を出すようになったので、次回からは変わるのかもしれない。期待しておこう。

読み放題サービスの「dマガジン」や「楽天マガジン」は好調であると伝えられており、講談社などが苦情を申し立てているアマゾン「Kindle Unlimited」の騒動も、ユーザーが人気作品に殺到してしまったがゆえに起きている事件という見方もできる。デジタル・ネットワーク化という時代の変化はもちろん止めることなどできず、むしろ今後ますます進展していくことだろう。

ダーウィンの進化論は「弱肉強食」ではなく「適者生存」である。強者が生き残るのではなく、環境の変化に対応できた者が結果として生き残るのだ。生物は、自分の意思で体を作り替えることはできない。しかし企業は、人の意思によって変化できる。『出版販売額の実態2016』には、時代の変化とともに、日販の「変わろう」という意思も感じられる。変化に対応できなければ、淘汰されるだけ。それはもちろん、出版社や書店にも同じことが言えるのだ。


*本記事は『出版ニュース』2016年11月上旬号)に掲載された「『出版物販売額の実態2016』に感じた日販と時代の変化」を改題し、再編集のうえ転載したものです。

セルパブ作家の東京〈特殊書店〉見聞録

2017年2月20日
posted by 波野發作

書店が減った書店がなくなったというニュースが日々飛び交うこのご時世でも、新たに開店したり、しぶとく生き残ったりする書店もある。近年は一念発起して脱サラしたり、趣味が高じて開店したりというカフェ併設のおしゃれな書店が増えてきているが、そうした個性派書店ではない。まったく異なる方向性を持ったスペシャルな書店があるのだ。今回はぼくが小説執筆の資料を集めるために利用している、そんな「特殊書店」を三つ紹介してみたい。

色街風俗専門書店――カストリ書房(台東区千束)

カストリ書房
東京都台東区千束4-11-12
https://kastoripub.stores.jp
(定休日:年中無休)

千束四丁目と聞いてピンと来る人は十中八九スケベオヤジである。その一帯はかつて吉原遊里があったところで、まるっきり「おはぐろどぶ」の内側にあたる。今でも無数の特殊浴場(ソープランド)が立ち並び、日中でも店員さんが案内のために店頭に立って商売に励んでいるという、そんな危険地帯である。ただし、カストリ書房はギリギリそのエリアの外側にあるので、東側からアプローチすれば客引きの類には会わずに済むので安心だ。

ぼくがセルフパブリッシングで勝手に書き続けている『ストラタジェム;ニードレスリーフ』は、吉原に深い関わりのある物語だ。なので、吉原関係の文献や資料、赤線や各種風俗史に関する本はチェックしておかねばならない。「吉原に書店ができる」と聞いたとき、行かねばと思うのは当然の帰結である。

カストリ書房は電車で行くには駅から遠い。入谷か三ノ輪からバスまたはタクシーを使うか、ヒマなら徒歩で街並みを楽しみながら徒歩で行こう。クルマで行く場合は吉原大門の交差点から侵入し、近隣のコインパーキングに駐車するといいだろう。仲之町通りから江戸町通り(ソープ街東端)のさらに一本東側の路地を入れば、すぐにカストリ書房の暖簾が見えるはずだ(ぼくが訪問したときは雨なので暖簾はしまわれていた)。

店内は大半を小上がりがしめていて、座りながら平積みにしてある本をじっくり品定めすることができる。まだ若い店主は傍にデスクを構え、ライティングの仕事などをしながら店番をするのだということである。そういえば、この店舗スタイルはどこかで見覚えがあるなと思ったら、江戸期の書肆の販売スタイルではないか! 両国の江戸東京博物館あたりで見た雰囲気そのものだ。店主、なかなか奥が深いですな。

※花輪を出している「片品村蕃登(カタシナムラ ホト)」さんは秘宝館などにグッズや土産物などを卸している方だそうだが、詳細な素性は不明。


開店当初のラインナップはカストリ書房で復刻した赤線時代のガイドブックなどが中心であったが、再訪した際は新刊も小上がりいっぱいにまで増え、壁際の書架には赤線、売春関連の古書がみっちりと並んでいた(ちなみに、小上がりにはもう座れない)。公安委員会復刻ステッカー、キーホルダーなどのオリジナルグッズも気が利いている。オープンにあたってはクラウドファンディングで資金調達をしたようで、今後このような方式の特殊書店は増えて行くのかもしれないと期待が膨らむ。こんなご時世ではあるが、末長く商売を続けていただきたい。

小説執筆の資料として
・松川二郎『全国花街めぐり』上巻&下巻(復刻編集:渡辺豪、カストリ出版)
・橋本慎一『昭和エロ本 書き文字コレクション』(カストリ出版)
を購入した。

気象庁内にある個人書店――津村書店(千代田区大手町)

津村書店
東京都千代田区大手町1-3-4(気象庁内1階)
http://www.tsumura-shoten.com/
(定休日:日・祝祭日)

人間でもない台風を「上陸」と表現したのは誰なんだろう。「その言い出しっぺが知りたい!」という課題が本誌編集長から出されたのは、異常なまでの台風の当たり年となった平成28年の夏から秋にかけてのこと。ぐるぐる回ってくる台風だのが到来した年だ。

「上陸」について、いろいろな資料を漁ってみたところ、明確な回答は得られなかったものの、調査の中で「岡田武松」なる人物が捜査線上に浮かんだ。Wikipediaによると、武松は第四代中央気象台長を務めたのだが、彼が打った「天気晴朗ナルモ浪高カルベシ」という天気予報は、日本海海戦の際に連合艦隊から大本営宛に打たれた電報の元となったとも言われているらしい。

武松は後進の育成にも熱心であったようで、数多くの指導書を残している。その中の『氣象學』に「颱風上陸」の記述があったというのが、ぼくの調査の限界だった。しかし、この岡田武松という人物はぼくの脳裏にしっかりと刻まれてはいたのである。

それからしばらくして、いつものように我が心の友『タモリ倶楽部』を見ていたところ、世にも特殊な書店が紹介されていた。その名も津村書店。気象庁内部にある、気象関連書籍&資料専門の書店である。番組ではなにやら楽しそうに気象クイズだの気象図の読み方だのをプロの気象予報士らと遊んでいた。世の中にはすごい書店があるものだと感心していたところ、ふと岡田武松のことが想起されたわけである。そうか。ここに行けば何かあるかもしれない。

さっそく次の営業日に現地を訪ねてみた。津村書店は前述の通り気象庁にある。最寄駅は竹橋だが、大手町からもすぐだし、神保町・駿河台下交差点からも徒歩10分程度だから、古書漁りのついでに足を伸ばしてもいいだろう。

気象庁はエントランスまでは自由に出入りできるが、津村書店は一階の奥のほうなので、受付で手続きをしなければならない。書類に必要事項を書き込むと、入館証がもらえる。ゲートを通って少し先を左に曲がれば数歩でたどり着く。入口脇には知育玩具的な気象ホビーのようなものが展示されている。無機質なビルの中に突然現れる商業区画ということでは、病院の売店に近い風情だ。

津村書店は狭い。二人までならいいが、三人以上同時に客がいると、店員さん二人とあわせて五人。そんなコンパクトな空間にところ狭しと気象関連書籍が詰め込まれている。限りなく自費出版に近いものや、官公庁から発刊されたと思しきものまである。おそらくその多くはここでしか入手できないものだろう。

少しだけ一般書籍もあるが、最新刊以外は日焼けして(ビルの中央部で日差しなどないのに!)変色したものが店晒しになっていた。レジにいる店主の奥さんによると、先代の頃からずっと返本はしていないとのこと。かなり年代物の大型書籍もたくさんあるが、これらはすべて新品なのである。

岡田武松の文献はないかと物色してみたが、それらしいものは見当たらない。岡田武松本人の伝記というものは存在してないか、すでに絶版となっているということだろう。そこで少し捜索範囲を広げて、中央気象台なり気象庁なりのルーツがわかる本を探してみた。これは簡単に見つかった。古川武彦『気象庁物語』(中公新書)である。軽くめくってみると、日本海海戦のことも詳しく書いてある。Wikipediaの元ネタはおそらく本書であると思われる。戦果あり。

岡田武松は第二次大戦前夜、陸軍とバチバチやりあって中央気象台長を退任に追い込まれるなど、相当に信念の固い人物だったようだ。裏付け調査が必要ではあるが、おそらく今使われている気象用語や慣用表現は、彼が起稿した指導書や教科書が元になっているのではないかとぼくは考えている。いつの日か、岡田武松の物語を書くときのために、また津村書店に足を向けたいと思う。

小説執筆の資料として
・古川武彦『気象庁物語』(中央公論新社)
・酒井茂之『江戸・東京 橋ものがたり』(明治書院)
を購入した。

教科書を手にとって選べる――小川書店(港区南麻布)

小川書店本店
東京都港区南麻布2−13−15
http://www.ogawashoten.co.jp/
(定休日:日・祝祭日)

世の中には小説投稿サイトというものがある。たくさんある。有名なものは「小説家になろう」で、数十万人単位のアマチュア作家やセミプロ作家、あるいはプロ作家が覆面で昼夜を問わず創作物を無料で披露するというウェブサイトだ。他にカドカワ直営の「カクヨム」もある。カクヨムは以前「マガジン航」でレポートしたので、詳しくはそちらをご覧いただきたい。ちなみにその時に書いた小説『我輩は本である』は各電子書籍ストアから鋭意発売中である。

閑話休題。そんな小説投稿サイトのひとつに「comico」というものがある。こちらは投稿して人気が上がっていくといずれは「公式」という立場になり、収益から分け前がもらえるシステムになっている。すでに書籍化やアニメ化された作品も登場しており、なかなかに盛り上がっている。

以前、日本独立作家同盟のセミナーで高松侑輝さん(comicoの中の人)が登壇したのをきっかけに、ぼくもいっちょ試しにcomico小説を書いてみることにした。高校の国語科を題材にした学園ものである。

タイトルは今風に文章系の長いものにして『次の文章を読んで、あとの問いに答えなさい。』とした。キャラのアイコンは「星宝転生ジュエルセイバー」から拝借。余談だが、このカードゲームのメーカーはキャラクターイラストなど百点以上を、無料で二次使用させてくれる。申請は事後承諾でもよく、セルフパブリッシングの書影に使われるケースが増えている。ぼくもありがたく使わせてもらった。

さて、ちょこちょこと書き始めたところで、いまどきの高校国語の教科書はどんなものだろうかという素朴な疑問が立ちはだかった。ぼくは当年とって46歳。アラフォーどころかそろそろアラフィフの仲間入りである。手元に高校の教科書などが残っているはずもない。残っていたところで最近の指導要領とは合うはずもない。時代設定を昭和にしてもいいが、ケータイやらスマホやらは登場させられない。

Amazonで検索してみたら、教科書の扱いは一応ある。あるのだが、何種類もあり、中身がわからない。学校によって採用している教科書が違うようだ。進学校かどうかでも違ったりするのだろうか。舞台が進学校の設定なのに、そこではあまり使われないほうの教科書をチョイスしたのでは、若者のハートを鷲掴みにはできない。無残にもオッサンキモイの烙印を押されてしまうに違いない。

さらに調べてみると教科書が取り寄せできる書店は多かった。しかし、それはもう買うものが決まっている場合に限られる。3点も取り寄せてもらいながら、目の前で選んで1点だけ買うなんてことはできない。現物を店頭で見比べて、選んで、良さそうなほうだけを買いたいのである。

前振りが長くなったが、じつは店頭で各教科各社の教科書をずらり取り揃えていて、いつでも誰でも買える書店が都内にある。南麻布の小川書店である。白金高輪駅から北へ数分。古川橋交差点から西へすぐのところにある路面店だ。クルマで行った場合は首都高の下あたりにコインパーキングがあるので、そちらを利用しよう。

店の外には雑誌が陳列されている。教科書が常備されているという以外は極めてスタンダードな日本の書店の姿である。ほっとする。中に入ると左にはレジがあり、実用書、児童書、コミック、単行本、文庫本が標準的な配置で平積み、面陳、棚差しされている。中央付近は専門誌があり、そして店舗右方面三分の一ほどにずらりと教科書が並んでいた。

学習参考書もあるので、一瞬わからないが、目が慣れてくると教科書が大量にあることが見えてくる。小学校から中学校、高校までを、各学年各教科各社を一堂に取り揃えているのでそれぞれ一、二冊しかなくてもそれなりの売り場面積を占有する。これは一般書店ではできない相談だろう。

自分が高校生だった当時選択しなかった日本史や、いつかリベンジしたい物理、微分積分の教科書なども気にはなったのだが、今回はあくまで国語科の資料探しが目的である。駐車料金も気になるので、手短にチョイスせねばならない。

一言で国語の教科書といっても、「国語総合」「国語表現」「現代文A/B」「古典A/B」がある。これらは新課程用というものだそうだ。ああやはりいろいろと改定されているようだ。詳しいことは現役の高校教師に取材しないとわからないが、今日のところはそれっぽいのが一冊手にはいればそれでいい。

ぼくは筑摩書房の『精選 国語総合 現代文編』を選んだ。決め手は夏目漱石の「夢十夜」が扱われていることだが、隈研吾の「コンクリートの時代」も気になるし、遠藤周作「カプリンスキー氏」、谷川俊太郎「二十億光年の孤独」あたりも扱われていたからだ。読み物としても結構面白いのではなかろうかと思い、レジに出した。25年ぶりの教科書か。定価が書いてないので不安である。お高いかもしれない。レジのお姉さんは、一般のレジとは違うPOSの管理機のようなもので価格を調べてくれている。

「616円になります」

安い! 日本の教育に栄えあれ! 文科省のお役人さんありがとう。ぼくは小銭を支払って品物を受け取った。そんなにお安いなら国語科各社一式を一通り買ってもよかったなとも思ったのだが、他のものを引っ張り出してまたPOSで一つ一つ調べてもらうのも迷惑のようだったので、今回は控えておいた。いざというときに生の資料を入手できるルートが確保できただけでもよしとしようではないか。

小説執筆の資料として
・『精選 国語総合 現代文編』(筑摩書房)
を購入した。

ちなみに小川書店にはすぐ近くに古書部もある。ちょっとのぞいてみると白金のお屋敷から流出したであろう、程度の良い古書が数多く積まれていた。値付けは若干相場と違うようなので、じっくり探せば掘り出し物があるかもしれない。

* * *

この三書店とも、おそらくは顧客のニーズ(あるいは店主のワガママ)に応じていくうちにこのような業態に落ち着いたのだろうが、世の中には奇妙な書店があったものである。まだまだ世間には見たこともない風変わりな書店が数多く埋もれているだろう。またこのような特殊書店を発見した暁には、みなさまにご報告申し上げることをお約束して、本稿を終わりたいと思う。

ノンフィクション作家はネットで食えるか?

2017年2月15日
posted by 渋井哲也

ノンフィクションの書き手が発表する場(雑誌)が少なくなっているのは、今に始まったことではない。書くメディアの確保とともに、どのように調査・取材のための資金を調達するのかが課題になっている。

この10年近く、少年犯罪や犯罪被害者遺族の取材を中心に取材、執筆を重ねているノンフィクションライターの藤井誠二さんの場合、どのような模索や葛藤があるのか、お話をうかがった。

藤井誠二さんの場合〜有料メルマガをはじめた理由

2016年はテレビ情報誌「テレビぴあ」(ウィルメディア)、情報誌「クーリエ・ジャポン」(講談社)、30代の女性向けファッション誌「AneCan」(小学館)、「小学二年生」(小学館)などが休刊した。一方、新しい雑誌が誕生したという目立ったニュースはなかった。現在は、原稿料をどう得るのかだけでなく、取材費の確保も書き手自身の課題となってくる。以前よりもマネタイズ、マネージメントへの関心が出てきている。

取材に応じてくれたノンフィクション作家の藤井誠二さん。

有料メルマガは、収入を得るための選択肢の一つだ。藤井さんが有料メルマガをはじめたのは、2010年7月のこと。タイトルは「事件の放物線」(14年からは「The interviews High」と改名)。価格は月2回の配信で540円。配信会社は「フーミー(foomii)」だった。有料メルマガをはじめた経緯について、藤井さんはこう話してくれた。

藤井:もっと以前から(有料メルマガを)出そうと言われていたんです。でも、当時は大阪でテレビのコメンテーターの仕事があったり、東京でもラジオのパーソナリティの仕事もあり、書く仕事以外にも複数の仕事を抱えていましたので、メルマガを書いている時間もありませんでした。しかも、当初は「週刊で」と言われていたので、とても無理でした。ただ、単行本のベースになればいいと思って、発行することにしたのです。

書きためたものが単行本のベースになればいい。それは、どんなフリーのライターでも一度は考えることだ。藤井さんのメルマガは、それを意識した内容を配信していた。

第一回から本格的な内容(「死刑という罰の『手触り』 第一回 大阪姉妹殺人放火事件の遺族」)が掲載されていたことからも、藤井さんのメルマガへの意気込みがよくわかる。この内容が象徴するように、特に遺族の視点にこだわった事件物の記事を配信していたのである。また、藤井さんはパニック障害の当事者でもある。2011年7月25日に配信された「わがパニック障害記…ぼくにとって『パニック障害』とはなんなのだろう」では、自らの体験を赤裸々に書いている。

ニコ生、ヤフー個人にも参戦。発信の場が広がる

藤井さんはそもそも、自分から積極的にネットで配信しようとは思っていたわけではない。メルマガを始めたのも、たまたまフーミーのスタッフが熱心に声をかけ続けてくれたためだ、と言う。しかしこれをきっかけに、ネットで発信していく機会が他にも生まれた。ドワンゴが運営するニコニコ生放送内で、「ニコ生ノンフィクション論」という番組の司会と企画を担当することになったのだ。この放送は毎月第4水曜日だった。

第一回は2010年10月18日放送の「被差別部落を行く」 。『日本の路地を旅する』(文藝春秋)で大宅賞を受賞したノンフィクション作家の上原善広さんらを招いて、「取材魂」をインタビューしていた。私もこの番組に出させてもらったことがある。11年10月26日放送の「若者自殺大国・ニッポン」だ。このときは『リストカットシンドローム』(ワニブックス)の著者・ロブ@大月さんとともに、若者が自殺したがる背景を語り合った。

こうした取り組みを考えると、2010年頃の藤井さんはネットでの発信の場が少ないほうではなかった。その後、「Yahoo!ニュース個人」でも13年3月から配信を始めている。ここでも最初のころは、絶版になった『暴力の学校 倒錯の街――福岡近畿大付属女子高校殺人事件――』(雲母書房、1998年11月)を連載という形で公開していた。こうしたことを考えると、藤井さんは、ネットの発信の場としては、恵まれた場所を得ていたと思われる。

「発行ペースが守れない」と、有料メルマガをやめる

一方、これまで独自のニュース番組を製作してきたドワンゴが、その方針を見直す動きが出てきた。2011年12月、藤井さんの「ニコ生ノンフィクション論」も放送が終わってしまった。内にある動機とは別のところで、藤井さんは発信の場を失うことになった。

フーミーでの配信も、順調に続いていたように思えたが、そうではなかった。実は、藤井さん一人でメルマガを作っていたわけではなかった。配信記事はインタビューをもとにしたものが多いが、そのインタビューの文字起こしは“外注”していたのだった。

藤井:大学で非常勤で教えているのですが、インタビューの起こしのために、卒業生を2、3人雇っていたんです。単発のアルバイトとして頼んでいました。長さにもよりますが、一回で5千円から1万円を支払いました。

しかし、メルマガの会員は100人前後で頭打ちとなり、減りもしなければ、増えもしなかった。月数万円の収益のうち、その半分近くをインタビューの起こしに使っていることになる。これでは、メルマガを、仕事の主力として考えるわけにはいかない。生活のために他の仕事を優先しなければならなくなった。

藤井:そうしているうちに、発行のペースを守れなくなったんです。本当はもっと早くやめる決断もありえたのですが、少数でも応援をし続けてくれた方々への恩義もありましたし、他の仕事をやりながら、メルマガにどれぐらい労力や時間を割けば、細々ではあるけれど、もっと継続していけるのかを自分なりに実験しているうちに時間が経っていったという面もありました。

その結果、藤井さんは有料メルマガを2016年7月にやめることになった。最後の配信は16年7月28日配信号(「『裁かれなかった罪と、罰・漫画喫茶従業員はなぜ死んだのか』取材ノート その4」)。当時、月刊誌「潮」で連載していた記事について書いているものだった。

クラウドファンディングで取材費を集める

それでも他のノンフィクション作家に比べると、藤井さんはネットを使っての仕事に積極的に絡んでいるように見える。2016年4月には、沖縄の消えた買春街を追ったノンフィクション本をつくるため、クラウドファンディングのサービス「キャンプファイヤー」をつかって取材費を集めた(「沖縄アンダーグラウンド」戦後70年続いた買春街はなぜ消えたか」)。目標額は30万円だったが、1ヶ月弱で約51万円(パトロン数112人)が集まった。

クラウドファンディングでの出資は目標額を上回った。

出資を募るノンフィクション作品の一部はネット上で公開された

これは、もともと藤井さん個人の企画ではなく、講談社の編集者が留学していたニューヨーク市立大学ジャーナリズムスクールでの実験企画として行われたものだ。この試みは、欧米で行われるようになったジャーナリズムに特化したクラウドファンディングを、日本で導入する場合の課題を探るものだった。

藤井:最初からの取材経費と見れば、この額では赤字です。ただ、このときは追加取材の費用の捻出でしたので、その意味ではよかったです。

今後、こうしたクラウドファンディングによるジャーナリズム支援はうまく行くのか。藤井さんはこう見ているという。

藤井:資金を出していただいた方と交流会を持ったりするなど、書き手と読者が水平で付き合っていくということも実感したし、事前にテーマに関心がある多くの方々に原稿を章ごとに送って読んでもらいながら一冊に仕上げていくという方法論を取りましたから、作品の持つポテンシャルが出版前にかなりわかった。事前に批評が聞けるわけですから、かなり貴重な体験でしたね。

どういうものに(資金が)集まるのかは、企画によるのではないでしょうか。おそらく、書き手の知名度に頼るだけではキビしいでしょう。私の企画の募集した時期には、元海兵隊員が沖縄で女性を強姦し、殺害した事件がありました。こうしたタイミングもあり、私のテーマへの関心が高まった時期でもありました。

2016年4月、沖縄県うるま市で、強姦殺人事件が起きた。ウォーキング中の女性(当時20歳)が棒で殴られ、首を締められ、刃物で刺されるなどして殺害されていたのが見つかったのだ。容疑者は14年まで海兵隊に所属していた、沖縄の基地に駐留経験のあるアメリカ人だった。除隊後は、日本国籍の女性と結婚し、妻子がいた。この事件で、沖縄の米軍基地からの海兵隊の撤退を求める声が高まった。藤井さんがクラウドファンディングの募集を行ったのは、まさにこの時期だった。

ただし藤井さんは、クラウドファンディングによるジャーナリズムの可能性についても、楽観的には見ていない、という。

藤井:ネットだけで食べていけるのは無理でしょう。私自身、メルマガやクラウドファンディングを含めて、ネットを使って仕事をどのようにしていくかは模索中です。もし、これまでの形で有料メルマガを発行するとしたら、最低でも月10万円の収益はほしい。そのためには、300〜400人の会員、理想的には500人の会員は欲しいですね。ただ、個人でそれを実現していくには書き手によほどのカリスマ性や影響力がないといけないし、あるいはメルマガだけに集中するような仕事のスタイルをつくる必要があると思います。それができるのは一握りの書き手だけではないでしょうか。

藤井さんは当面、有料メルマガの発行は考えていないと言う。これほど実績のあるノンフィクション作家でさえ、メルマガ単独での運営は難しいのが現状なのだ。私も「私が有料メルマガ配信をやめた理由」で書いたが、個人の名前で運営されるメルマガは一部を除き、収益性から考えて、現状では維持できないと判断している。その意味で、藤井さんには同意するところが多い。

ライター経験が長く、書籍も多く出し、知名度もあるのに、メルマガ運営は難しい。ネットではやはり、固有の知名度と瞬発力が必須だ。時間がかかるノンフィクション作品中心ではユーザーを満足させられない。ましてや有料媒体は難しい。アーティストのファンクラブ会報のようにはいかない。ただ、個人を支援するのではなく、書き手が複数参加し、かつ編集に責任を持もつ体制を作れれば、可能性が広がるのではないかと思っている。

本屋とローカリティと切実さと

2017年2月1日
posted by 仲俣暁生

出版科学研究所の調査による「2016年出版物発行・販売概況」が『出版月報』1月号に掲載され、書籍市場・雑誌市場・電子出版市場(電子書籍、電子雑誌、電子コミックの三分野)の現況が明らかになった。

同調査によれば、2016年の書籍と雑誌(コミックスを含む)を併せた紙の出版物の販売金額は1兆4,709億円。うち書籍が7,370億円、雑誌が7,339億円とほぼ同程度ではあるが、僅差とはいえ書籍が雑誌を上回った。これは同調査では1975年以来、41年ぶりの出来事だという。

他方、電子出版市場は1,909億円まで成長し、紙と電子を併せた出版物販売金額は1兆6,618億円と前年比99.4%の微減となった。ことに成長著しい電子コミック(1,460億円、前年比27%増)、電子雑誌(191億円、前年比53%増)が牽引役となったかたちだ。しかし、マンガを除いた文字物の電子書籍は前年比13%増の258億円にとどまっており、このままでは来年以後、電子雑誌市場と逆転して「雑高書低」となる公算も高い。

「2016年出版物発行・販売概況」によると、同年の書籍の推定販売部数は6億1,769万冊と前年比1.4%減。「価格上昇の影響で金額よりも減少幅が大きく、前年に引き続き、文庫本の不振が響いた。文庫本は約6%減、3年連続の大幅マイナスとなり、市場の低落が目立つ」と報告されている。

雑誌・コミックスが電子出版物へと急速に移行し、安価かつ、事実上の「定期刊行物」であった紙の文庫市場が急速に減速するなかで、本の平均価格が上昇し、かつ単行本書籍においては電子化があまり進展していない。ようするに、単行本のような高価格の本は、基本的に紙で買う習慣が根強く存在しているということだろう。

替えがきかない「切実な本」を売る

そんな出版業界の片隅で健闘する、小さな新刊書店の経営者が綴った二冊の本が、先月にほぼ同じタイミングで刊行された。ソーシャルメディア上でも両者を併せて紹介する記事がいくつも見られたので、私もさっそく読んでみた。

一つは東京・荻窪で本屋Titleを経営する辻山良雄さんの『本屋、はじめました』(苦楽堂)、もう一つが福岡市でブックスキューブリックを経営する大井実さんの『ローカルブックストアである〜福岡ブックスキューブリック』(晶文社)だ。

このうち荻窪のTitleには、私自身なんどか足を運んだことがある。駅からやや離れた青梅街道沿いの、元は肉屋さんだった古い一戸建てを改装した、カフェスペースを含めても15坪程度の小さな「町の本屋」である。先日もここで行われたトークイベントに参加し、心地よい時間を過ごすことができた。日本中のローカルメディア(リトルプレスをはじめとするさまざまな地方の出版物)を手に取ることができる、貴重な場所でもある。

福岡のブックスキューブリックはまだ訪れたことはないが、「ブックオカ」という本の催しの話は以前からよく耳にしており、とても気になる本屋だった。実は2008年のブックオカには、私が当時、下北沢でつくっていたフリーペーパー「路字」を出展させていただいたご縁もあり、いつか行ってみたい本屋の筆頭だ。

二冊を読み比べて、いくつか気づいたことがある。まず、二つの本屋(ブックスキューブリックは現在「けやき通り店」のほかに「箱崎店」があるから、合わせれば三つ)はどれも、13坪から20坪という小さな本屋だ。カフェを併設していたり、ギャラリーがあったり、トークイベントなどを開催するといった点でもよく似ている。だが、これらは他の「町の本屋」でも行われているので、それだけなら特筆すべきことではない。

驚いたのは、このくらいの規模の本屋でも、本を売る大きな力があるということだ。昨年1月に開業したばかりのTitleで、10月までの10ヶ月の間にいちばん売れた本は若松英輔の『悲しみの秘義』(ナナロク社)で、のべ302冊を数えるという。この本をめぐっては、開店間もない時期に関連ギャラリーイベントが行われたという事情を加味しても、わずか15坪ほどの本屋としては立派な数字である。

一年弱の間に一つの本屋で300冊も売れたら、出版社としては御の字だろう。中堅出版社の出す単行本でも、初版1500部〜2000部というケースは昨今めずらしくない。その他、10ヶ月で100冊以上売った本が、さらに3タイトルあるという(気になる人は、ぜひこの本をお買い求め頂きたい)。

Titleではどういう本が売れるか。辻山さんはTwitterにこんな書き込みをしたことを、この本で明かしている(以下はそのツイート)。

実はほぼ同じことを、ブックスキューブリックの大井さんも著書のなかで語っている。「まちづくりの当事者として」というコラムのなかで、新雅史『商店街はなぜ滅びるのか』(光文社新書)が「人文系の新書としては異例のヒットとなった背景」に、「実体験から発した『切実な』思い」があったことを指摘していた。こちらはブックスキューブリックで売れた本という文脈ではなかったが、「切実」という言葉のニュアンスは近いものがある。

本屋とは書き手にとっても読み手にとっても「切実な」本を受け渡す場である、という自己定義が、この二人に共通しているように私は感じた。

町のなかにあるローカリティ

ブックスキューブリックの大井さんは1961年生まれで50代半ば。2001年に同店を開業する以前に書店経験はない。一方、本屋Titleの辻山さんは1972年生まれ。大井さんのひとまわり下の40代半ばである。1997年にリブロに入社し、同社池袋本店の閉店時まで統括マネージャーを務めたベテランだが、書店員になった時点で出版業界のピークは過ぎていた。二人とも、本屋の「よき時代」をユーザー側としては経験しているが、書店員になってからは、厳しい時代だったといっていい。それでもなぜ、彼らは「本屋」でありつづけようとするのか。

そのヒントは、ローカリティにあると私は思う。どちらの店も東京と福岡という大都市にあるが、そのなかにある、より小さな「町のローカリティ」に根ざしているのだ。土着性の強い博多と、地縁の希薄な福岡は「別の国」である、と大井さんはいう。東京のなかでも中央線沿線、とくに西荻窪から三鷹にかけてのエリアには、本を大事にするような空気が街にある、と辻山さんはいう。考えてみれば当たり前のことだが、「都会」対「地方」という図式の中でこれは見失われがちな視点ではないか。

ローカルとは「地方」という意味ではなく、そこの場所でしかありえないということだ。以前にこのエディターズノートで、「ローカリティから生まれる声」という記事を書いたことがある。そのなかで私はこう書いた。

ローカルとは、具体的な足場のあるコミュニティのことだろう。地域コミュニティだけでなく、ひとつの企業や、ある地域の産業全体が(たとえば東京の「出版産業」がひとつのコミュニティであるように)、ローカリティを体現していることがある。物理的な「地域」を越えた関心(それは文化的なものである場合も、それ以外のこともあるだろう)が結びつけるコミュニティもあるだろう。そうしたコミュニティにも、一種のローカリティ(局所性)は宿っているはずだ。

いまならこの「局所性」という言葉を、思い切って「切実さ」と言い換えてもいいように思う。

こうした本屋とローカリティのつながりへの着目は、たんなる懐古趣味ではない。ITテクノロジーをもちいたローカルメディアの可能性は、影山裕樹さんの連載「ローカルメディアというフロンティアへ」の第5回で紹介されていた、山口情報芸術センターでの「データマイニング×ローカルメディア」というワークショップでも、その端緒を感じることができる。

また1月28〜29日には、取次大手の日販とデジタルハリウッドの共催による「新たな書店体験を提案するIoT ハッカソン」が開催されていた。このハッカソンは「モノのインターネット(LoT、Internet of Things)」と呼ばれる技術を利用し、書店という空間や本というメディアのもつ価値を多様化する試みを競うものだ。ハッカソンで生まれた優秀プロダクトは、文禄堂高円寺店・荻窪店及びパルコブックセンター吉祥寺店で実際に設置し、 ユーザーに提供するという。

このハッカソンの二日目の途中から選考会までを取材したが、書店と地域の関係に着目した企画もあり、各参加者のプレゼンテーションを大いに楽しんだ。選考結果はすでに明らかになっているが、こちらについては、別の記事であらためて報告したい。

多和田葉子さんインタビュー
〜ビルドゥングスロマンとしての〈ライター・イン・レジデンス〉

2017年1月26日
posted by 檀原照和

近年、アートイベントが盛んだ。都会でも村落部でも、それこそ日本中がアートで埋め尽くされてしまった感がある。それに伴い、イベントに招聘されたアーチストたちが現地で滞在しながら作品制作を行う「アーチスト・イン・レジデンスという制度の存在も、徐々に知れ渡ってきた。

このレジデンス制度だが、源流となったのは17世紀に始まったフランスの「ローマ賞」だと言われる。「ヴィラ・メディチ」と名を変えた同賞は、現在もつづいている(日本からも詩人・翻訳家の関口涼子さんが2013年〜14年にかけて参加している)。

日本のアーチスト・イン・レジデンスは「アートをつかったまちづくり」と呼応する形で広まってきた。そこで活躍するのは、いわゆるアートやパフォーマンスアートの作り手たちだ。

一方、欧州では参加アーチストのなかに小説家、詩人などいわゆる「物書き」とよばれる人たちの顔ぶれもある。日本では文学とアートは棲み分けされており、別の世界に属している。アートと文学が同居する空間は希だ。したがって「アートをつかったまちづくり」の場に、文学が関わる機会は非常に少ない。

ところが欧州では、日本に比べて文学とアートの垣根がずっと低いようだ。

文筆家が参加するレジデンスは、特に「ライター・イン・レジデンス」と呼ばれるが(*英語で「writer」は小説家、詩人、戯曲作家など主にフィクションの書き手を指す。日本語の「ライター」は article writer)、こうした作家たちのレジデンス制度には、どんな意味や意義があるのだろうか。

成人後ドイツに移住し、30年にわたって日本語とドイツ語で作家活動を行っている小説家・詩人の多和田葉子さんに、さいたまトリエンナーレ参加のための帰国時にお話を伺った。


(写真:檀原照和)

多和田葉子(たわだようこ)
小説家・詩人。1960年東京生まれ。ベルリン在住。早稻田大学第一文学部ロシア文学科を卒業後、渡独。ドイツの書籍取次会社に勤務しながら、ハンブルク大学大学院修士課程を修了。1987年、ドイツで出版した2か国語詩集『Nur da wo du bist da ist nichts:あなたのいるところだけ何もない』でデビュー。芥川賞、泉鏡花文学賞、伊藤整文学賞、谷崎潤一郎賞ほか受賞多数。2016年、ドイツ屈指の文学賞クライスト賞を日本人として初めて受賞した。

さいたまトリエンナーレに出品した多和田さんの作品の一部。会場にあるもの、会場から見えるものなどを作品の一部として利用した。

職人が放浪しながら腕を磨いていくという文化

――レジデンスについてまったく知らない一般の方に説明すると、「それはなんの役に立つの?」「面白いの?」などあまり必要性が理解されていないようです。ドイツではどうでしょうか?

多和田 元々ドイツには、職人が各地を転々としながら腕を磨いていくという伝統がありました。一所に居着くのは農民だけ。一つの町に落ち着いちゃダメなんです。煙突掃除人だっていろんな町に行ったんですね。

それからミンネジンガー(Minnesinger)という吟遊詩人みたいな文化もありましたから、文学者であっても職人であっても同じ町にずっといることはありませんでした。これは中世の話ですが現代また別の意味で移動する人が増えてますね。

ドイツの作家もいろいろな町を転々としている人が多いし、現在の作家であっても「何ヶ月かどこかに行ってみない?」と誘われたら、「行きます」と答える人が多いですね。

日本の場合を考えてみると、かつてほとんどの人が農民だったし、職人であっても移動の自由がなかった。江戸時代は藩の外に行けるのはお伊勢参りのときくらい。そういう時代が長かったので、移動はいけないみたいな雰囲気がある。もし東京の人に「北海道に三ヶ月行ってみたら?」と言ったって「え? それ何のために行くの?」とまず訊かれるし、受け入れる住民側にも「その人、私たちの県をもりたててくれるの?」と訊く人がいるのは、歴史のせいだと思います。

――ドイツには職人が放浪しながら腕を磨いていくというビルドゥングスロマン的な伝統があるので、作家が各地を転々とするレジデンス制度に懐疑的な声が上がることはないということですね。

多和田 いろいろな土地に行って人格ができていく。だからわざわざ動きながら働くのね。

日本で言えば、松尾芭蕉のような人は特別ですね。江戸という誰もが住みたいと思う所に住んでいたにも関わらず、「白川の関を越えないとダメなんだ」と考えて、東北に向かう。すばらしいですね。江戸に住んでいた作家が敢えて地方へ行くということは、それまでなかったかもしれません。京都や大阪に住んでいた人たちも、そのままそこで書きたかったでしょうし。地方の人が自分の土地を離れて東京にちょっと来る、ということならあったかも知れませんが。歴史的に日本だと難しい部分があったんでしょうね。

――確かに欧米と日本とでは、遠方からやって来た作り手に向ける眼差しに違いがあるようです。ヨーロッパではレジデンスの枠に囚われずアート好きなパトロンがアーチストを居候させることがあり、レジデンスの現場では「どこの誰を訪ねれば居場所を提供してくれるのか」という口コミ情報が伝わっていると聞きました。

多和田 ハンブルグに住んでいたときのことですが、文学センターの館長の女性がハンガリーの作家を泊めてあげていたことがありました。パトロンというと金持ちのようですが、普通の家に普通に泊めてあげていました。そして異性であっても泊めてあげて、別に面倒なことにならない。そういうところがいいなと思いました。これは広い意味で「客を温かくもてなす心(ガストフロイントリヒカイト(Gastfreundlichkeit))」なんでしょう。ドイツ人のいいところです。

難民を受け入れるのも同じ考え方で、「逃げてきた人は必ず泊めてあげなければいけない」という意識がある。アーチストは逃げてくるわけじゃないけど、遠方の人が滞在して文化が混ざるのは基本的にいいことだ、という歴史的記憶みたいなのがあるのかな。

アーチストや作家を当たり前のように受け入れる姿勢はドイツのみならず、他所の国でも見られる光景だという。ときにはまったく言葉が通じない外国の作家や詩人をホームステイさせてあげることさえあるそうだ。

日本語で詩作する中国の詩人・田原(でん げん、ティエン・ユアン)さんが多和田さんといっしょにデンマークの文学フェスティバルに呼ばれたとき、彼は病で言語障害から回復したばかりの中年女性の家にホームステイしたという(そのフェスティバルでは、作家はみんなボランティアの家にホームステイすることになっている)。田原さんは日本語が達者だが、英語はあまり話せない。しかし快活でお喋り。逆にその女性は本当は英語もドイツ語も流暢なのだが、充分に発話できる状態ではなかった。そんな二人が一つ屋根の下で過ごすうちに女性はどんどん元気になり、ホームステイは有意義なものになったという。

多和田 でも日本の小説家は「行きたくない」という人が多いですよ。国際交流基金の人が言っていたんですけど、カナダなどの国際文学祭の主催側が「日本からももっと作家に来て欲しい」と言っているにも関わらず、招待されても断わる人が多いという話も聞きました。

個人差はあるのかもしれないが、日本の作家は異世界との積極的な交流を避ける傾向があるようだ。

多和田 名古屋市立大学教授の土屋勝彦さんという人がいます。彼はオーストリア文学専門のドイツ語文学研究者で、これまでたくさんのオーストリア人を名古屋に呼んで長期滞在してもらっているんです。名古屋ですよ。京都みたいにおもしろいものを見学できる街ではなくて、一見私たちにとって日本の日常みたいな名古屋の街をみんな毎日散歩して、それぞれ独自の目で物干し竿とかお地蔵さんとか飲物の自動販売機とかを観察する。彼らはみんな名古屋への思い入れがあって、ウイーンに行くと名古屋の話で盛り上がります。

そもそも大学を通して呼んでいるということもありますが、直接住民の役に立つのかどうかということは問題にしていないという感じでした。ドイツ語学科がある限り、ドイツの作家が来ること自体に意味がありますから、大学主催のレジデンスは説明しやすいかもしれません。

逆に住民の役には立っていないのかもしれませんが、こんなことがありました。

ある女の子が「名古屋でおばさんたちが参加するブドウ狩りのバスツアーに参加した」って言うんです。日本語は全然分からないけど、みんながいろいろ教えてくれて「こんな楽しいことはなかった」と。

そういう変なところに突然変な人が現れて会話するだけでも、日本という滅多に外国人がいないところでは、素晴らしいことかも知れません。外国人排斥のネオナチ青年などには実際に外国人に触れたことのない人が多いそうですから。

過去に遡れば、ラフカディオ・ハーンが日本に来たことによって、英文学が得たものは少なくありませんでした。日本に来てくれる人は当時ほとんどいなかったのですから、日本側から見てももちろんハーンが来てくれたのは嬉しいですよね。でもただ来ただけでなく、文学と言うかたちでそれが残ったことが大切だと私は思います。

多和田さんがドイツに30年いること自体、ある意味レジデンスのようなものなのかもしれない。

およそ10箇所にのぼるというレジデンス場所をあげていくと、スイスのバーゼル、フランスのボルドー、トゥール、ソルボンヌ大学、それからロサンゼルスのパシフィックパリセーズ、コーネル大学、スタンフォード大学、MIT(マサチューセッツ工科大学)、ケンタッキー大学、NYU(ニューヨーク大学)といったアメリカの大学などなど。そのほとんどがドイツ国外だ。お膝元のドイツにもレジデンス・プログラムは多いものの、自分の家にいた方が居心地がいいので、ドイツ国内のレジデンスにはあまり参加したくないという。

多和田 ドイツ人がドイツ国内のレジデンスに行くのは、家族がいて、その日常からちょっと離れて一人になって書いてみたいからなんですね。私には家族がいないので、別に行く必要がないんですよ。

それから生活費が出るところがあるんです。スイスの場合、とくに義務もないのにいるだけで月に30〜40万円くらい貰えるところもあります。それで行くという人もいます。

そんなわけで、多和田さんはレジデンスに招待されると「いるだけでお金が〜」「でも期間中ずっといないといけないし」「やっぱりベルリンから動きたくない」と、逡巡することがちょくちょくあるそうだ。

多和田さんがレジデンスしたのは、切手になるほど由緒あるヴァルスローデ修道院。その歴史は10世紀まで遡る(切手は西ドイツで1986 年に発行)。

レジデンスはなにかが来るのを待っているイメージ

多和田 昨日テレビを視ていたら『白い巨塔』の山崎豊子さんのことを取り上げていました。昔のことだから編集者を引き連れて取材旅行をがんがんしている。今日は誰々さんにインタビュー、明日は誰々さんにインタビュー、という具合にカレンダーにびっしり書いてある。

レジデンスなんてものはもうちょっとのんびりした作家が、「なにが書けるかな」みたいな感じで行くので、長編小説の計画をたててバンバン取材するような作家は「レジデンスなんてやってられないよ」って感じじゃないかな。

私のなかでは、レジデンスは1ヶ月よりももうちょっと長い間まさに名古屋みたいな場所にいて、せかせかするのではなく、普段の自分の忙しい執筆活動から解放されて、毎日なんとなく何が来るか待ってるみたいなイメージなんですよ。

例えばドイツのシュライハンのような田舎は、何にもない所ですよ。滞在した人の話では、自転車で1時間かけてスーパーに行って野菜を買って自炊していたけど、本当に不便でそれがなぜかよかったそうです。そういう所で面白かったのは、なにかを見るんじゃなくて自分の内部の活動だけで創作するっていうのかな。その場所について書くんじゃなくて……そういうのもあります。

――逆に『尼僧とキューピッドの弓』(2010年)を書いたときのように、修道院という戒律に縛られた施設に1ヶ月間レジデンスして書くというスタイルは、どうでしたか?

多和田 結構キツかったですよ。すごい緊張感のなかで過ごした1ヶ月でした。自由がないし、いつもあの人たちと喋っていると距離が近づいていって、苦しいんです。思わぬことで相手にショックを与えたり、してはいけないことをしてしまったり(笑)。でも自分を追い詰めることで書けたので、最終的には日常的な自分を突き放して笑って、やって良かったと思いました。私、そういう場所が結構好きなんですよ。

――日本ではまちおこしや地域振興の一環として行われているレジデンスですが、欧州ではどうなっているのでしょうか? 日本同様、ご当地を舞台にした作品を書くことが期待されているのでしょうか?

多和田 Non-Profit(非営利)というか利益のためにやるんじゃなくて、「(面倒な制約抜きで)ただ来て下さい」というのが主催する側の基本的な態度です。でも地方に行くと、町によっては「うちの町が出てくる小説を書いてくれたら嬉しいな」みたいなことをちょっとだけ匂わすという所もあるにはあります。ただ小説家を芸術家として招待するわけですから、「何をしても良い」ということは前提ですよね。バーゼルのような都会では、全然(書いてくれという要請は)なかったですね。

――地方によっては、そういう事例もあるんですね?

多和田 ありますよ。義務ではないですが、「でも出てこないですか……?」みたいなことはあるそうです。しかし強制しなくても「そこにいるとやっぱり書きたくなる」ということがあって、結果的には出てくるケースがあるようです。

――レジデンスでご当地小説が書かれた場合、根付くものですか?

多和田 修道院で書いたものはドイツ語で、それを元にして日本語で書いたんですけど、当の修道院では喜んだ人と怒った人に反応が割れて、ちょっとした騒動になったらしいんですね。「うわあ素晴らしい」と言って感激した尼さんが「ぜひ朗読会に来て、その本から朗読して欲しい」という連絡があったのに、なぜかその話がなくなって、反対した尼さんがいたそうです(笑)。

文学者としては、変わった人や意地悪な人のほうを詳しく描写したいじゃないですか。いい人や普通の人というのは最良の部分が隠れているだけで面白くないですよ。でも書かれた本人は不快感を持つこともあるので、難しいですよね。

ドイツで私と同じ出版社から本を出している作家がカナリア諸島のパルマ島に住んでいて、その島の話を書いたんですよ。フィクションなんですけど、「自分がモデルだ」と考えた人がたくさんいて、その作家の家に火が付けられてしまった。根付くどころじゃないですよね。それがテレビでニュースになって、結局その本が非常によく売れて炎上小説になった(笑)。

ライター・イン・レジデンスで、「土地のこと、人のことを書く前提で」というのは、おかしいですよね。作家の側が書きたければ書いてもいいですが、「とにかく来て欲しい。なにが起きるか分からないけど来て欲しい」というような心の広さと余裕が受け入れ側にないと。それで来て貰ってどうなるかな、というのがよいんじゃないでしょうか。

村上春樹の短編「ドライブ・マイ・カー」が北海道のある町から猛抗議を受けた事件は多くの人が知るところだが、同じような事件がレジデンスの先進地域でも起こりうるようだ。

多和田 レジデンス事業を経済的な尺度だけで考えると、つづけられないんですよ。スイスにシュピーツ(*スイスの中央部ベルン州の町。トゥーン湖の畔にある。人口1万1千人。標高600m。ワイナリーを持つお城がある)という保守的な小さな町があるんですけど、そこには税金で賄われていたライター・イン・レジデンスがあったんですね。ところが「これは無駄ではないか」という人がいて、直接選挙をしたんですね。そうしたら「無駄だ」という人が多くて、結局レジデンスはなくなってしまいました。

その一方、小さな町でありながらレジデンス制度をつづけ、作家が来てくれるのを楽しみにしている例もある。

日本国内で言えば、城崎温泉の旅館の若旦那たちが仕掛ける「本と温泉」プロジェクトなどがこれに該当するだろう。「現地に行かないとレジデンスの成果物が買えない」というスタイルに多和田さんは、大いに感心していた。

今のところ日本国内には公募制のライター・イン・レジデンス制度はないと言っても過言ではなく、アートと結びついた形で指名制の民間プロジェクトが散発的に行われているだけだ。

多和田 ドイツのライター・イン・レジデンスは個人が始めて定着したんじゃなくて、お役所から始まっているから、つづけるのは簡単なんですよ。お役所に勤めている人がやっているわけだから。日本はすごく大変だなと思います。

たとえば日本の地方でジャズのフェスティバルを立ち上げたという人の話を聞いたんですが、3年くらいでお金も体力も使い果たしてしまったそうです。町がやっていれば疲れないじゃないですか。伊藤整文学賞(*小樽出身の作家・伊藤整を記念した文学賞。1990年〜2014年まで25年間つづいた)でさえなくなっちゃったものね。「もう無理です。つづけられません」と言う声が聞こえてくるみたいで悲しかった。個人が始めたプロジェクトが有意義なもので第一回目がうまくいったら、国か町が経済的に援助すべきです。

ドイツにはハンブルグ市の文学奨励賞や「いま私はこういう小説を書いています」という要請書を国に出すと一年分の生活費を出してくれる制度など、作家に対する手厚い助成制度があるという。

その一方、日本には雑誌がたくさんあり、そこにエッセイなどの雑文を書くと原稿料をくれるという仕組みがある。ドイツにはそういう場がないのだそうだ。

ドイツの書き手、とくに詩人にはプライドの高さがあり、「普通の雑誌に書いたら恥」という意識があるのだという。日本だったら総合誌や娯楽誌、青年誌、料理雑誌、果ては競馬の雑誌まで多種多様なフィールドが用意されており、雑誌間には明確なヒエラルキーがほとんどない(あるとしたらエロ雑誌くらいか)。日本は世界有数の出版大国で雑誌の数が極端に多いのだ。

逆にドイツの物書きはお金を稼ぎにくいので、その代償として助成金制度が発達しているという側面があるようだ。レジデンス制度もその一環なのだろう。

日本で作家に対する助成制度が必要とされてこなかった理由の一つとして、「国からお金をもらうと口を出してくるから嫌だ」という拒否反応があげられるだろう。また日本の場合は「売れるように書かなければならない」という目に見えない束縛もある。芸術的な作品の執筆を後押しするレジデンス文化とは、折り合いが悪いのかもしれない。

ドイツの場合は、役人がアートや文学の意味を理解していなくても、とにかく作り手を信頼して一任してしまう傾向があるのだという。なかには人知れず口を出す人もいるのかもしれないが、文学と政治の結びつきのレベルがちがう。ドイツは大学の博士論文で「実験詩の研究」を書いたインテリ文化人(クリスティーナ・ヴァイス)が文化大臣になる国である(2002年就任)。一方、日本では1999年に小説家が東京都知事になったが、東京の文化レベルが向上したようには見えなかった。

レジデンスではアーチスト間の交流が重要

三田村光土里というアーチストがいる。愛知トリエンナーレやオーストリアの「ウィーン分離派館ゼセッション」で作品を発表するなど国際的に活躍しているが、彼女のプロジェクト(作品)の一つに「Art & Breakfast」(朝食を通じてアーティストや様々な人々とコミュニケーションを楽しむイベント)がある。

人と人の出会い、交流というのはそれ自体が大きなエンターテインメントである。刺激は大きいし、勉強にもなる。作り手であれば創作の糧にもなるだろう。

レジデンスには他者との出会いを組み込んだものが少なくない。

多和田 ヴィラ鴨川(「ゲーテ・インスティチュート」というイギリスのブリティッシュ・カウンシルのような、国家による在外文化交流機関のドイツ版が運営するレジデンス施設)には日本に関するテーマ、または京都でやることに意味のあるテーマ、あるいは日本のアーチストとの共同製作プランを提出して入選した人がレジデンスします。みんな行きたがりますから競争率は高いです。そのレベルでは必ず交流がある。

カリフォルニアのサンタモニカに近いパシフィック・パリセーズ(エレガントな豪邸が断崖の上に立ち並び、太平洋の青みが一望できる高級なエリア。建築デザインの巨匠イームズ夫妻の邸宅があることでも知られる。かつてトーマス・マンもこの地区に住んでいた)という所には、第二次大戦中にアメリカに亡命したユダヤ人のリオン・フォイヒトヴァンガーという作家の大きなお屋敷だったところ(Villa Aurora)があります。そこにドイツに住んでいる人(国籍は問わない)が、三ヶ月滞在できるんです。その場合もなんらかの形でカリフォルニアと関係するプロジェクトでなくてはいけません(*このレジデンスに関しては多和田さんの著作『エクソフォニー――母語の外へ出る旅』の第3章を参照のこと)。

――ライター・イン・レジデンスで作家たちがあつまったとき、知名度があるとかないとか、売れているとかいないとか、上下関係ができやすいので一つ屋根の下に一度に人が集まるとやりづらいという話を聞いたことがあります。どうでしょうか?

多和田 作家だけだとあるかもしれないですね。あの人のほうが知名度が高いとか、あの人の書き方が気に入らないとか。リオン・フォイヒトヴァンガーの家では同じ分野の人は同時に滞在しないようになっていて、私がいたときはアーチストと映画監督と三人でした。ぜったい作家二人がかち合わないようにしていました。

――むかしよく新宿の飲み屋で作家同士がケンカしていませんでしたか?

多和田 ああ(笑)、文壇ケンカ。中上健次に殴られた、とか。いまは野球を一緒にやることで解消してるみたいですね(笑)。でも私は日本に住んでいないので全く知らないんです。作家を三人呼ぶというのは、あんまりよくないかもしれませんね、国籍に関わらず。

異分野のクリエイターが集まって刺激し合うことは、しばしば試みられているようだ。一例として、多和田さんは次のような事例を挙げてくれた。

ケルン、ベルリン、アムステルダムといった場所に呼ばれた学者たちが半年間レジデンスする。各々が自分の研究をつづけるが、ランチはいっしょに取る。その枠のなかで、ケルンでは一週間だけいろいろな作家が来ていっしょに食卓を囲み、ともに時間を過ごすというワークショップのようなものがあるという。この集まりにはとくに決まった呼び名はなく、制度として確立されているわけでもないそうだ。もっと気安いものなのだろう。

同様に文学フェスティバルの一環として、参加者がいっしょに過ごすということも行われるそうだ。その際、コーディネーター役の作家が一人選ばれ、自分の関心がある作家、または「この人たちを一緒にしたら面白いんじゃないか」と思われる作家たちを指名して、呼び寄せるのだという。その際、集まるメンバーは国境をまたぎ、数カ国からやってくるのが通例とのことだ。(*多和田さんは参加を打診され漠然と話を聞いただけなので、この件の実情は不詳と言うことだが、フェスの枠外でいっしょに過ごす作家を集めるわけではなく、あくまでもフェスに参加した作家が集まるという形を取るそうである)

東京国際文芸フェスティバルではこういうことは行われているだろうか?

一般論になるが、アジアでのレジデンス事業の多くは、アーチストが作品を制作・発表することに期待していると言われる。つまり、投資や助成に対し、分かりやすい結果が求められている。

一方、アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC ニューヨークに本部を構える非営利の財団。アメリカとアジア、またはアジア諸国間におけるアートを通した文化交流を支援している)のプログラム・オフィサー、サンドラ・リウ氏によると、米国のレジデンスでは、アーチストが作業するための時間と空間を提供すると共に、他のアーチストなど「同じような領域で活躍する人々と知り合い、刺激し合うような出会い」を与えることを趣旨としているところが多いそうだ。アーチストが参加費を負担することはなく、かつ有能なアーチストが招聘されるので一種のフェローシップ(研究奨学金、あるいはネットワーク)として機能しているとのこと。それゆえ、米国のレジデンスには「シンクタンク」のような性格があるという。(典拠:株式会社ニッセイ基礎研究所『諸外国のアーティスト・イン・レジデンスについての調査研究事業報告書』 P386 平成24年度文化庁委託事業)

地元への還元というよりも、特定文化分野への支援としての側面が強いようだ。

レジデンスと言語的刺激

多和田さんには「日本語とドイツ語の間に立つ人」というイメージがあるが、レジデンスでフランス語圏や英語圏に出向くと、言語的な刺激や発見が大きいという。

例えば数回にわたりレジデンスしているフランスのボルドー。参加資格として「フランス語が出来ること」という条件があったそうだが、ゲーテ・インスティテュートの担当者の女性が「この人を呼びなさい。私が通訳するから大丈夫」と言ってくれたそうだ。ところが現地に到着してみると、彼女は家族の事情でその月ドイツに戻らなければならなくなり、不在。事務所に電話したところ、向こうがすごいパニック状態で「あああ! 葉子、葉子から電話! 彼女、いないのぉお」と唯一英語のできる人を捜してみんながおたおたしているのが聞こえた。

必死の片言で生き延びることによるすごい刺激を経験し、その苦労が結実して言語を主題にした『ボルドーの義兄』(2009年)という作品が生まれたとのこと。

滞在しながら書くということは、単なる滞在とは別のものだ。旅行記を書くのともちがう。大きな楽しみが待っている半面、ある種の苦行なのかもしれない。

ドイツ語と日本語のみならず、多和田さんにとって言語的な刺激はひじょうに重要だそうだ。ドイツ国外でのレジデンスを積み重ねることで、得るものは少なくないのだろう。

ドイツ語の世界で生活するようになってから、ドイツ人が造形理論的な思考パターンの上にドイツ語を乗せて喋っているということを見い出し、影響を受けたと言う。

日本にいたときは日本語しか話しておらず、流れで発話しながら考えていた。しかし現在はものを考える時点で「言葉の物質化」という作業を経て、積み木のように造形的に言葉を組み立て、それをドイツ語にしているという感覚があるそうだ。

多和田 日本語という言語も外国語と出会わなかったら、いまの形になっていなかったでしょう。現代日本語のなかには、ヨーロッパ的要素が入っていると思うんですよね。現代語って、江戸時代の日本語とは全然違うじゃないですか。明治の人たちの言葉は、英語やドイツ語やオランダ語を読んで苦労して訳す過程を通して変化してきた。夏目漱石とか森鴎外の日本語ももちろんそうだし、(日本的な美や官能を耽美的に描いた)谷崎潤一郎でさえ、フランス語の小説などを読んだ上で書いている。先人たちが自分たちなりにヨーロッパ語と対決した上でつくった日本語というのが、現代日本語というものになっているんじゃないかな。

そういうものを読まなくなった今の人には、インターネットなどから別の形で情報が入ってくる。でも生身の人間と出会うことは、情報だけの外国とは違います。やはりライター・イン・レジデンスは大切だと思いますね。

(インタビュー日時:2016年9月15日)