ベストセラーから読者直販へ――ORブックスのジョン・オークス氏に聞く

2019年4月23日
posted by 仲俣暁生

2019年1月31日、来日中のジョン・オークス氏(OR ブックス共同経営者)と、彼を長い時間をかけて取材し『ベストセラーはもういらない』というノンフィクション作品を執筆したジャーナリストの秦隆司氏を招いての講演会「生き残るための出版マネージメントとは?」が東京の日比谷図書文化館にて行われた(当日に会場で配布された「アイデアの錬金術 出版と文化」という小冊子も上記サイトから入手が可能)。

オークス氏は1961年ニューヨーク生まれ。ORブックスの創業以前にはAP通信や、サミュエル・ベケットやヘンリー・ミラーの小説の出版で知られるグローブ・プレスで働き、伝説的な文芸編集者バーニー・ロセットと出会った(当時のエピソードも『ベストセラーはもういらない』で語られている)。

1987年にはフォー・ウォールズ・エイト・ウィンドウズ(4W8W)という出版社を知人と立ち上げ、同社を売却後、2009年にコリン・ロビンソンと共同でORブックス(OR Books)を創業した。電子書籍とオンデマンド印刷のみで「返本ゼロ」をめざす同社の出版活動は、未来の出版事業のモデルとして注目されている。

この日のオークス氏の講演内容はYouTubeにて公開されており、その概要は平凡社の「こころ」という雑誌(48号)に寄稿した「出版のオルタナティブな回路を切り開く」という記事でも触れた。この記事は翌日にオークス氏に対して行ったロング・インタビューの一部と、堀之内出版の小林えみ氏へのインタビューから構成されているが、「マガジン航」にはこのときのオークス氏のインタビューをフルバージョンで紹介したい。

講演中のジョン・オークス氏。

働く人と出版界における多様性

講演の翌日、同書の発行元であるボイジャー社にて行ったオークス氏へのインタビューには、『ベストセラーはもういらない』の著者である秦隆司氏にも同席していただき、さまざまな助言をいただいた。

前日の講演で話題になった、アメリカの出版界における多様性という問題から話を切り出してみた。アメリカの書籍出版界における編集者の待遇は一般的によくないが、編集という仕事には一定水準の知識や教養が必要となる。そのため「セブン・シスターズ」と呼ばれるような東海岸の名門女子大出身の女性に出版界への就労機会が限られ、結果として多様性が失われている、という話だった。

:もともとあれは、ORブックスの共同経営者コリン・ロビンソンから聞いた話でした。ニューヨークの出版業界で働き始める人の多くは、出版社のある家賃の高いニューヨークに住まなければならない。しかし、初めは給料が安いので、結果的に、家族から経済的支援を受けられる恵まれた家庭の子女しか出版業かに入れない――と。

オークス:これについて私は少し違う意見をもっているんだ。アメリカでは長い間、商業出版は純粋なビジネスというよりも、異教徒的なビジネスとみなされてきた。「異教徒的」とは「アートでもありビジネスでもある」という両義性をもつという意味だ。つまり金儲けをしたいだけの人はやって来ない世界ということだね(笑)。

書籍出版社の給料水準が高くないのは事実だけれど、これまでORブックスで一緒に仕事をしてきたのは必ずしも有名大学を出た者ばかりではない。アメリカの出版界について一般的な話はできないので自分たちの話をすると、たしかに複数の人間でルームシェアしている場合もあるし、とくに恵まれた生い立ちではない人もいる。

皆に共通するのは本が好きだということ、そして私たちの信じる政治思想に賛同しているということだ。本のために貢献したいという気持ちがなければ、出版を生業とすることはできない。多少の犠牲を伴うのは仕方ないことだ。ORブックスでこれまで苦労を知らずに生きてこられたのは私だけだろう。

たしかに出版界における多様性の欠如は大きな問題だ。アメリカには人種による雇用差別を禁じる法律があり、私たちも雇用上の多様性確保にトライしてきた。ただ、わずか5人でやっている小さな出版社である以上、できることには限りがある。編集担当の私とコリンは二人とも歳をとった白人の男だから、多様性がないといわれればそのとおりだ。

ニューヨークで成功している白人以外の編集者もいるけれど、出版業界全体を見渡すと多様性の欠如が大きな問題であるのはたしかだ。なんとか対応していかねばならない問題だと考えている。

ジョン・オークス氏(ボイジャーにて)。

アメリカの出版業界の現状

――秦さんの本のなかで、アメリカの出版ビジネスの現状について「ほとんど死んでいる」と仰っていますね。もっともあれはモンティ・パイソン流のブラックユーモアだったのかもしれませんが、実際はどうご覧になっていますか。

オークス:ビジネスという観点からすると、現在のアメリカの出版業界はひどい状態だ。まさに「これは冗談だろ?」と言いたくなるくらいだ。将来への明白な見通しはまったく立っていない。日本の状況については何も言えないが、アメリカの状況と共通点はあるかもしれない。そしてこれは最初にされた質問、つまり「どんな人が出版業界に入ってくるのか」とも関わってくる。

楽観的なことばかりを言うつもりはないけれど、いまは出版界にとてもよいことが起きている状況だと思う。インターネットや電子書籍といった電子的な出版手法が登場したことで、比較的に低い投資額でも出版が行えるようになったのだから。編集の技能や本を美しく装丁する能力もたしかに必要だけれど、昔ほどの大きな投資は必要ない。

年寄りくさく聞こえるかもしれないが、30年前に私が出版の仕事をはじめた頃、1ページの組版には8〜9ドルかかった。でもいまはページ当たり約1ドルで組める。組版だけでなく印刷コストも急速に下がっている。電子書籍なら1ページあたり1ペニー程度までコストが下がる。こういう状況にはとても興奮させられるし、期待すべきだと思う。

――日本では、出版業界の人がテクノロジーを好まないという傾向があります。アメリカではどうですか?

オークス:いまは言われなくなったけれど、アメリカでも3年くらい前まではまったく同じ状況だった。出版業界の変化がここまで遅く、デジタル対応ができなかった根拠の一つとして、こんな例がある。当時、ある大手出版社では「広報本部長」と「デジタルマーケティング本部長」が別人だった。でもこの二つはいまや同じもの――つまりインターネットになった。

これを前提とすると、PRもマーケティングもすべて「インターネットをどう使うか」ということにかかってくる。それは新聞社が自社サイトのほかにもう一つ「◯◯ドットコム」という名のサイトをもつ、というレベルの話ではない。PRとマーケティングの部署が別れていた状況はいまではすっかり変わり、本の広告やパブリシティにおいてはインターネットが雑誌や新聞と同様、あるいはそれ以上に大切であるということに異論がある人はいなくなった。

アメリカでは最近、ほとんどすべての出版社が電子の世界にコミットしている。私たちが創業した10年前とはまったく状況が違ってきた。出版社のなかで電子版を出していないのは、アートブックや特別版、ハンドメイドの本を出しているところだけだ。アグリー・ダックリング・プレス(ugly duckling presse)というアートの限定版だけを出している出版社があるが、そういう出版社でさえ、とてもきれいなホームページをもっている。「publish」という言葉の定義からして、なにかを広めたいのであれば、出版社である以上、ホームページも持たず、自社の本をネット上で販売する機能をもたないようでは成り立たない。

:そういう状況のアメリカのなかでも、電子書籍とPODだけでやっているORブックスの存在はユニークだと思う。だから私はジョンにインタビューしようと思ったんです。

オークス:うーん、私は自分たちのやっていることがユニークだとはあまり言いたくないんだ。秦さんはわかってくれていると思うけれど、私たちは他の出版社とは違った視点でやろう、ということはつねに意識している。ただ電子書籍に関して言えば、いまはほとんどの出版社がある程度の投資をしている。

左は『ベストセラーはもういらない』の著者、秦隆司さん。右はオークス氏。

人員構成と売上構成

――会社の人員構成について教えてください。

オークス:いまORブックスには2人のエディター、つまり私とコリンがいる。それ以外のスタッフ構成は状況によって変わる。私はライツの管理も担当しているし、コリンはマーケティングの大半と定期的なメール配信も担当している。私たちの他にフルタイムで働いているのは、マーケティング兼ITアシスタントが1人と、制作担当のマネージングエディターが1人だ。マネージングエディターとは組版や校正の人を手配する仕事だ。さらにもう1人、広報担当のパブリシストを雇っているから、いまは総勢5人ということになる。

これ以外にも、必要に応じてマーケティングの人には来てもらっている。あとはインターンだね。アメリカの出版業界ではインターンは無償が普通だけれど、私たちはインターンにも人件費を支払っている。働いてもらいながら何も払わないのはおかしいだろう。世の中には無料で働くという人もいるけれど、それは恵まれた境遇にある人か、大学から金銭的な補助を得ている人に限られるからね。

組版はいろんな人に依頼しているが、いちばん優秀なオペレーターはインドのチェンナイにいる人だ。社内でやったこともあるが、外に出したほうが経済的にも安いし、早いし、楽なのでいまは外注している。

左はオークス氏に大きな影響を与えた伝説的な文芸編集者、バーニー・ロセットの評伝。右はオノ・ヨーコの詩集『どんぐり』の特装版。

売上の内訳は年ごとに違うが、だいたい三分の一前後がライツ(海外版権、サブライセンス等)からだ。電子書籍とPODの比率もタイトルによってずいぶん違う。たとえばオノ・ヨーコの『どんぐり(Acorn)』という本の場合、電子版はほとんど売れなかった。具体的な数字は覚えていないが、たぶん全体の一割程度だろう。でも、これは全体から見るととても低い数字だ。通常のノンフィクション本の場合、他の出版社でもだいたい同じだが、電子版の売上が全体の三分の一を占める。コンピュータやインターネットに関連した本(ジュリアン・アサンジの著書など)の場合は、電子版の比率が60〜70%を占めることもある。

オノ・ヨーコ『どんぐり』の販売ページ。特装版と通常版(電子書籍も含む)とがある。

ライツからの売上にはオーディオブックからの売上や、外国へのサブライセンス、パートナーシップからの収入など、ORブックス自身が本を売っていないものすべてが含まれる。オノ・ヨーコの本の場合はパートナーシップではなく、大手出版社とライセンス契約を結び、最初からまとまったお金をもらった。

刊行点数と在庫・返品

――経営的な面に話をシフトしていきたいと思います。これまでの発行点数はどのくらいですか。

オークス:はっきりした数字はわからないが、だいたい累計で120から130点だろう。ある年には30点も出したことがあったけれど、これはさすがに多すぎてコリンも私も大変だった。そのせいで黒かった私の髪の毛もこんなに白くなってしまった(笑)。 いまは年に20数点といったところだ。コリンと私がそれぞれ毎月1冊ずつ出す勘定だね。

――出版社を経営する上で、返品がないことはそれほど大きなメリットと言えるのでしょうか。

「返品がない!」、まさしくここが私たちのビジネスのいちばんエキサイティングなところだ。ビジネスとしてちゃんとうまくまわるんだよ。電子書籍とPODのデータをウェブサイトに置けば、物理的にはどこにも置かなくていい。電子書籍版であれば、ホームページからそのままダウンロードしてもらえばいい。PODの場合も10〜20冊程度をあらかじめ在庫として置けばだいたい2日以内に出荷できる。このモデルは本当にうまく機能している。

ただし、まったく問題がないなどとは言いたくない。というのも、このモデルはマーケティングをとても上手にしないと機能しない。どんな出版でもマーケティングは必要だけれど、こういう形態で出版をするときにはいっそう重要になる。2万冊も売れるほどのベストセラーはいらないが、200冊を売った程度ではダメだ。最低2000冊は売れないとこのモデルでも厳しい。

電子書籍とPOD(プリント・オン・デマンド)

――ORブックスの最大の特徴は、在庫や返品をなくすために本を電子書籍とPODだけで提供していることです。あなたは電子書籍とPODのどちらが望ましいかたちだとお考えですか。

オークス:公正を期するために、逆側のことも言っておかなくてはね。ここにコリンがいれば猛反対される意見だろうから。いつも私たちはレスリングの試合みたいに議論しているんだ。

コリンは、PODで本を売ったほうが一冊あたりではずっと儲かるという意見だ。たとえばこのバーニー・ロセットの評伝の場合だとPODは18ドル、電子書籍は10ドルで売っている。でも私としては、その18ドルには印刷代がかかっているし、郵送もしなければならない。郵送したものがお客さんの許に届かない場合、5人しかいない社員のうちの1人が、どこで本がなくなったかを追跡しなければならない。実際、そういうことがしょっちゅうある。

電子書籍のいいところは、売上の10ドルから著者への配分はあるけれど、残りの8ドルがまるごと出版社の取り分になるところだ。出荷もしなくていいので、こちらのほうがいいと私は考えている。私にとっては電子書籍がすべてだ。

たしかに、この秦さんの『ベストセラーはもういらない』はすごく綺麗に装丁された本だ。残念ながら私には日本語は読めないが、綺麗な本だということはわかる。装丁もよいし、本文や見返しの紙もいい。モノとして、とてもいいものだ。ただ、「読めればいい」という本の場合、PODで紙の本にしなくても電子版で十分だと私は思う。本の未来はたぶん、二分化していくだろう。モノとして綺麗な本と、純粋に電子版だけの本とに。

――電子書籍とPODだけで出せば、ORブックスから出るすべての本は黒字になるのでしょうか。

オークス:とてもいい質問だが、これにはすぐ答えられる(笑)。利益を生まない本、あきらかに儲かっていない本もたくさんある。けれども、これはいつも驚かされることなのだが、電子書籍でもPODでもたいして冊数が出ていないような本が、外国への版権でけっこうお金を生んだりすることがあるんだ。売上の源泉はいろいろなところにある。いろいろな利益の上げ方があるのが、いまの時代に出版をすることのよいところだと思う。ただ、儲かってない本があることは事実だね。

マーケティング手法について

――顧客リストはどのようにして獲得し、拡大させていますか。電子書籍の最大の問題はディスカバラビリティ、つまり読者に本を発見してもらうことの難しさです。

オークス:アメリカも状況はまったく同じで、電子出版という新しい世界に立ち向かおうとしている出版社にとって、ここがチャレンジにおける最大の要点だと思う。

ひと昔前であれば、自分のお気に入りの本屋さんに行くと、「ああジョンさん、あなたはマイケル・シェイボンという作家が好きだったよね、だったらニール・ゲイマンなんてどう?」みたいな話をしてくれた。でも電子書籍だと、そういうことが起きない。一つの方法として、かつて本屋さんが無料の本をサンプルとして配っていたのと同じように、私たちも無料の電子版を提供したりしている。

1960年代末のニューヨーク市のゲイ・レヴォリューションを描いた『プライド』という写真集を出したとき、この運動に関係するLGBTの人たちのコミュニティに入り、こういう本に関心はないですかという話をしてまわった。自分たちが出す本に関係のありそうなコミュニティの中の人たちに働きかける活動はつねにしている。

1960年代末ニューヨークでのゲイ・レヴォリューションを描いた写真集『プライド』。

――出版社が読者を直接知っているということが、ORブックスのビジネスモデルの肝だと私は考えています。その理解は正しいでしょうか。

オークス:まったくそのとおりだ。昨日のレセプションで江戸時代の軍事を専門に一人で出版をやっていきたいという若い人に話しかけられた。彼がその分野にフォーカスできているのは幸いなことだ。武士の刀に興味をもった読者は鎧にも興味をもつ可能性が高い。専門性の高い出版社の場合、メーリングリストは一つで済むからね。

この方のやろうとしている出版社の場合と比べると、ORブックスが扱うトピックは広い。メーリングリストの大半は、少なくとも一度は私たちの本を買ってくれた人たちだが、政治の本もあればオノ・ヨーコの本もある。多少はオーバーラップするかもしれないが、両者の読者層はかなり違う。どうやってメーリングリストを運用すればいいか、私たちは考えうることをすべてやってきた。

まずウェブに本の情報が上がったら、すぐにメールを送る。メールを開いたかどうかはすぐわかるので、開いていない人にはもう一度送る。本が出荷できるようになったらまた送り、イベントを打つときにも送る。とにかく、読者に届くまで何度でもダイレクトメールを送るんだ。

――そういう顧客リストはどうやって作り始めるのでしょう。

十年前にORブックスを始めたとき、私とコリンにはたくさんの知り合いがいたから、最初はそこから始めた。本のイベントを開催するとその場でサインアップしてくれる人がいるし、本を出版するたびに新規の人が入ってくる。その一方で脱落していく人もいるから、リストの総数をなるべく維持できるように努力している。

メーリングリストの人数は、この数カ月は5万5000人程度で推移している。自分としては、できたら数十万人まで行きたいとは思っている。この5万5000人の大半は、少なくとも一度は私たちの本を買ってくれた人たちだ。なかにはバーニー・ロセットの本も、オノ・ヨーコの本も、『プライド』の本もぜんぶ買ってくれた人もいる。そういう人たちは、私たちと自分のテイストが合っていると思ってくれている人だ。本当だったら5万5000人全員がそうやって、私たちが本を出すたびに買ってくれたらいい(笑)。そうなれば状況はまったく変わる。

アマゾンとの関係について

――小さな出版社にとって、アマゾンは天使でもあり悪魔でもあります。ORブックスはアマゾンとどういう距離感で付き合っているのでしょうか。

オークス:きょうの午前中、4人の侍と赤い鬼が戦っている絵巻物(酒呑童子絵巻)を根津美術館で見てきたんだ。私にはあの鬼がアマゾンに、そして鬼に首を切られているのが出版社に見えた(笑)。アメリカの状況はご存知だと思うが、アマゾンの問題として大きいのは、「アマゾンを通して売ると、お客さんが誰かということがわからない」ということだ。たしかに売れた本に対して一定の比率でお金は入ってくるが、その顧客がシアトルに住んでいる人なのか、ニューヨークに住んでいる人なのかということさえわからない状況で、本を売らなければならない。

しかも、そこで本を買ってくれた人がリピーターになってくれるかというと、アマゾンのサイトには戻ってくるかもしれないが、出版社にとってのリピーターにはならない。顧客リストを作ろうというときには、アマゾンの存在は少しもよいことではない。お客さんと何かを一緒にやっていこうと考えるなら、アマゾンに頼るのではなく自分たちでやったほうがいい。結果的にそちらのほうが利益率も高くなるしね。

ORブックスの場合、紙の本ではアマゾンとの直接の取引はいっさいやっていない。厳密に言うと、PODや紙の本の場合はまったく取引はないが、キンドルによる電子書籍のみ許可している。ただし、アマゾンと同様にバーンズ・アンド・ノーブルでも紙の本は売っていないんだ。「小さなアマゾン」だけを差別するのはよくないので、平等にやっている(笑)。

やりかたとしては、まず自分たちのサイトでの直接販売からはじめて、少し時間を置いてからキンドル版を売ったり、他の出版社にライセンスを提供することによって紙の本を出す。どんなときもORブックスのサイトで必ずある程度の期間販売してからするようにしている。

いちばん理想的だったケースは、さきほどの『プライド』の例だろう。私たちのところでPODと電子書籍で売りはじめたのが去年の11月か12月で、アマゾンのキンドル版やライセンスによってバーンズ・アンド・ノーブルなどの書店のサイトに並ぶのは今年の5月だ。このくらいの期間を開けて売るのがパーフェクトなあり方なんだ。

というのも、アマゾンやバーンズ・アンド・ノーブルに自分の本がまったく並ばないと作家の人に怒られるんだよ。そういうときは、「大丈夫です、あとで出ますから」って(笑)。それまでの期間に、自分たちのサイトで十分に販売できる期間を確保するようにしている。というのも、アマゾンでキンドル版が出た途端、私たちのサイトでの電子書籍の売上はほぼゼロになってしまうんだ。

念のためにいい添えておくと、ライセンス契約を結んだ場合――たとえばオノ・ヨーコの『どんぐり』という本の権利をアルゴンキン・ブックスという出版社に売ったときも、そのライセンスは生かしておきつつ、私たち自身のウェブサイトでもPODの本や電子書籍を売ることができる。つまりOR ブックスから出た本は、つねに自社サイトから買えるようになっているんだ。

例外はペンギン・ランダムハウスとの契約の場合で、彼らはまとまったお金を支払ってくれる代わりに、ORブックスのサイトでは売るなという。たしかにけっこうな額をいただいたので、ペンギン・ランダムハウスとの契約の場合はORブックスのサイトでは売らないが、その他の場合はPODと電子書籍の両方とも自社サイトで売り続けている。

アマゾンで売れる比率は本によって違うが、経験上、どこかの大学で授業で使ってくれたりしない限り、本がいちばん売れるのは発売初年であることは変わらない。しかしアマゾンでも買えるようにした後は――小さな独立系書店やバーンズ・アンド・ノーブルで少し売れることもあるけれど――ほぼすべての客がアマゾンに行ってしまう。ライセンス契約を結んだ場合も同様で、契約先の出版社がアマゾンとの付き合いのある場合、やはりすべてアマゾンに行ってしまうんだ。

オバマ政権の時代に司法省にいる人間に「アマゾンは独占禁止法違反ではないのか」と聞いたことがある。一つの書店が全国の市場をほぼ独占しているのに、なぜアマゾンを分割させないのか、と。司法省がアマゾンを放置しているのは、消費者のためになっているからだそうだ。でも、その視点が見落としているのは、アマゾンは本屋にとってはどうなのか、出版社や著者に対してはどうなのか、ということだ。

いろいろな意味でアマゾンには危険が伴っている。こうした状況に対応するには出版社が一同になって、消費者に本を直接売れるモデルを作らなければならない。そうしないと、アマゾンの問題はどんどん大きくなっていくだろう。

「読者」と「消費者」

――昨日のプレゼンテーションであなたは「読者」と「消費者」という言葉を使い分けておられました。それにはなにか意味があるのか、あるとしたらどういう意味でしょうか。

オークス:その質問への答えは、私たちの出版活動の思想的な部分につながってくる。機能的な定義では、たしかに「消費者」と「読者」とは異なる。あなたがおっしゃったように、アメリカでも「読者」のほうが「消費者」よりも、よい意味合いに受け取られる。「消費者」という言い方をすると、資本主義的な感じが強くなるからね。

ただ私たちとしては、やはり読者を「消費者」としてみて、この二つを同じものとして扱うべきだと考えている。毎回違う人に個別にリーチしなければならないようでは、本を売るのはあまりにも難しい。読者をきちんとフックして、コンシューマーとして長く付き合いたいんだ。私たちのような左翼的な人間がこういう商業的な言い方をするとおかしいかもしれないが、新しい出版の世界ではこういう考え方が必要になってくると思う。

私たちには資産が二つある。一つは自分たちがつくりだしている「本」という資産、そしてもう一つが顧客の名簿だ。それが私たちの会社なんだ。

* * *

ジョン・オークスは日比谷図書文化館での講演の最後に、「出版というビジネスは人間関係に支えられている」と発言していた。これはたんに著者と編集者や出版者との関係という意味ではない。本を媒介として著者とその読者(消費者でもある、と彼らは言う)が作り出すコミュニティこそが、利益を唯一の目的としない「異教徒的なビジネス」の基盤だということではないか。ORブックスの活動から学ぶべきは彼らのビジネス・モデルではなく、そのことへの確信に満ちた姿勢だと私は思う。

第8回 中国に見る新しいマンガ・コンテンツの波

2019年4月16日
posted by 中野晴行

改革は「周縁」から起きる

多くの場合、大きな変革は中心からではなく周縁から始まる。マンガ産業も同じである。

思えば戦後の日本マンガの変革は出版の中心地・東京からではなく、大阪から始まった。戦後まもなく手塚治虫を祖として始まった「ストーリーマンガ」は、中央からは「赤本屋」という蔑称で呼ばれた大阪の零細出版社から生まれた。中央でマンガが子ども向け雑誌の1ページか2ページくらいのボリュームしか使えなかった時代、大阪ではマンガ単行本が中心だった。つまりストーリーを語るために必要なボリュームがあったのだ。

仮に手塚治虫が東京の雑誌でデビューしていたとしたら、彼は凡庸な子どもマンガの作家に終わっていたかもしれない。デビュー間もない手塚が、単行本デビュー作の『新寶島』(酒井七馬との合作)を引っさげて上京したとき、東京の大家のひとりは「これはマンガではない。こんなマンガはあなただけにしてほしい」と言った。その後、手塚は大阪でめきめき力を付け、人気を獲得していき、ついに東京での本格デビューを「漫画少年」という最高の舞台で飾る。初期の代表作『ジャングル大帝』がそのときの作品だ。

1950年代半ばには、やはり大阪から、マンガ表現を根底から覆し、現在のコミックにまでつながるムーブメントを起こした「劇画」が生まれている。舞台となったのは中央集権的な出版流通システムからはドロップアウトしたマイナーな出版社が細々とつくる「貸本マンガ」の世界。書店に並ぶのではなく、本を一泊5円程度の安価で貸し出す貸本屋にだけ並んだマンガ単行本である。

「劇画」の名付け親だった辰巳ヨシヒロも、のちにミスター劇画となるさいとう・たかをも当時はまだ20歳前後の若者だ。彼らは子どもが読むのではなく、自分たちと同世代の若者が読むマンガを生み出し、大人のマンガ読者を開拓した。中央の出版界は彼らの作品を「下品で残酷」「絵が汚い」などと酷評したが、やがてマンガ出版そのものが空前の劇画ブームに飲み込まれていった。

1960年代後半の青年コミック誌ブームを支えたのは、貸本劇画出身の若い描き手たちであり、「月刊漫画ガロ」や「COM」といったマイナー誌で新人デビューした描き手たちだった。大阪のマンガ出版はこの間に中央との競争に敗れて衰退してしまうが、今度はマイナー誌が周縁の役目を担ったわけだ。さらに1970年代に登場する「ニューウェーブ」と呼ばれる作家たちのバックボーンになるのは「三流エロ劇画誌」と呼ばれたマイナー雑誌であり、1980年代に入ると「ロリコン雑誌」が周縁としての役割を果たすことになった。

中央の出版社は、周縁で生まれた新しいマンガを取り込むことで新しい描き手と、新しい市場を労なく手に入れ、マンガ出版を産業と呼ばれる規模にまで発展させることに成功した。一方で、変革の原動力となった周縁の零細出版社は、描き手と市場を資本力に勝る中央に奪われ、消えていくしかなかった。

1990年代半ばを境に、日本のマンガ出版がパワーを失っていったのは、マンガ産業の中央集権化が進んで、周縁と呼ぶべき場所がなくなったからではないのか。そのために、大きな変革を起こすことができなくなったからではないのか。私は長年そう考え、『マンガ産業論』『マンガ進化論』の中で繰り返し語ってきた。

ところが、ここ10年ばかりの間に、新たな周縁が生まれているのだ。それが東アジアのマンガだ。「周縁」という言葉を使うことで、あるいは差別的な意図を感じる人がいるかもしれないが、私にはまったくそのつもりがないことを明言しておく。文化人類学で言うような「中央を活性化する周縁」という意味で使っているだけで、これまでに書いたことからも理解してもらえるように、周縁の存在には肯定的な意義を感じている。もしも「東アジアという周縁」から新たなマンガの波が起きるのだとすれば、それはマンガそのものの未来にとってプラスになる可能性が高いとさえ見ているのだ。

テンセントコミックとウェブトゥーン

マンガ表現の新しいスタイル。それは韓国で生まれたウェブトゥーンだ。日本でもスマートフォン向けに配信される縦スクロール読みのウェブトゥーンは定着し、電子コミックのスタンダードになりつつある。しかし、紙のマンガ出版市場が減少傾向にあるとは言え、2412億円(『出版月報』2019年2月号)もある日本では、韓国とは少し事情が違っている。韓国のウェブトゥーンが電子コミックとして完結しているのに対して、日本の場合はリクープするためには紙の単行本にもする必要があるため、コマ割りやページの〝引き〟という紙のマンガならではの表現方法を残さざるを得ないのだ。

一方で、同じようにウェブトゥーンを取り入れながら、紙を意識せず電子コミックとして完結させることで新たな進化を始めているのが、中国だ。

JETROが2018年に発表した『中国出版市場調査』によれば、2017年3月の中国でのマンガ・アニメアプリのアクティブユーザーは1ヶ月あたり6585万人。日本の出版社と契約した日本マンガの作品、『ドラゴンボール』『スラムダンク』『テニスの王子様』などの人気も高いが、それ以上に読まれているのがウェブトゥーン形式で描かれた中国人マンガ家によるオリジナル作品だという。

私は、非常勤講師として教えている京都精華大学の授業の冒頭で、毎年学生たちに「友達にすすめたいマンガ」というアンケートをとっているのだが、ここ数年でその内容は大きく様変わりしてきた。韓国の留学生がとりあげる作品に、韓国を代表するウェブトゥーン配信レーベル「ネイバーコミック」のものが増え、中国の留学生がとりあげる作品に、やはり自国の配信レーベル「テンセントコミック」のものが増えているのだ。いずれもウェブトゥーン形式の作品である。

中国で人気のウェブトゥーン『一人之下』。

中国からの留学生が紹介してくれた『一人之下(ひとりのした)』(米二/天津動漫堂)は、2015年からテンセントコミックで配信されているウェブトゥーンだ。主人公は秘められた超能力を持つ若者・張楚嵐(ちょうそらん)。彼と同じような超能力を持つ人々は異人と呼ばれ、国営の配送会社の「速達」が密かに動きを監視している。「速達」に雇われた楚嵐が異人の絡む恐ろしい事件に巻き込まれていく、というサスペンスアクションだ。中国ではすでに100億ビューを超えているという。

2016年には中国のアニメ製作会社・パンダニウムの手でつくられたテレビアニメ版が日本でも放映され(東京MX系列)、2017年からは原作の日本語版が集英社のWEBマンガサイト「少年ジャンプ+」でも配信されている。

別の留学生が紹介してくれた墨飛×BING『閻王法則』もテンセントコミックのヒット作だ。こちらもサスペンスアクションだが、縦スクロールで読ませるテクニックは『一人之下』よりも進化している。

墨飛×BINGの『閻王法則』。

2000年代のはじめから日本の出版社は中国企業との合弁で日本スタイルのマンガ雑誌を中国国内に普及させようと努力してきた。内容は日本のヒット作と中国の新人の作品を抱き合わせて編集するというものが中心だ。2012年には講談社が、日本の雑誌づくりのノウハウを中国に移植する目的で、広西出版伝媒集団との合弁で月刊誌「勁漫画(チンマンファ)」を創刊した。この雑誌の執筆陣はすべて中国の作家で、講談社は編集プロダクションとして中国人編集者をサポートするというのが特徴で、2015年には中国国内で新人マンガ賞を創立するなどもしている。

集英社も杭州市の翻翻動漫や中国国際動漫組織と手を組んで2006年から中国国際ストーリー漫画コンテスト「新星杯」を運営するほか、正規版の翻訳出版によって日本マンガの普及につとめている。

しかし、中国政府の規制や海賊版の横行の影響に加えて、広い国土を持つ中国で、日本のように全国津々浦々に雑誌を届けることは、インフラ面でもコスト面でも無理があった。

2000年代初頭の中国の若者はネットカフェなどで電子版のマンガを読んでいた。彼らが読んでいた電子版には日本マンガの海賊版が数多く含まれていた。スマホの登場によって中国の電子版マンガ読者はそのままウェブトゥーンに流れた。固定電話が普及していない中国では携帯電話やスマホは必需品であり、「誰もが持っている携帯端末が最良の読書端末になる」という法則はここでも生きていたのだ。

先に紹介したJETROの調査では、中国でのマンガ・アニメアプリの市場は快看漫画(クァイカンマンファ)とテンセントコミックがほぼ市場を二分していると紹介している。

「快看漫画」のスマホ版トップページ。

快看漫画は、中国の人気女性マンガ家・陈安妮(チェン・アンキ)が2014年にスタートさせたマンガ・アプリで、登録者は1億3000万人。アクティブユーザーは月に1506万人に登る。ユーザーは大人の女性が多く、腐女子系の作品が中心。一方のテンセントコミックは、アリババ、ファーウェイと並ぶ中国三大IT企業の一角・謄訊(テンセント)グループが2012年にスタートさせたマンガアプリだ。登録者数は1億9200万人。アクティブユーザーは月に1478万人。子ども向けから若者向けまで幅広いジャンルを扱っているのが特長だ。

これに続くのが、日本の集英社と提携して『ドラゴンボール』『スラムダンク』などの配信を手がけている漫画島で、日本の他にアメリカ、香港、韓国、台湾などのマンガの翻訳を配信して、アクティブユーザーは月に572万人。2015年に政府の規制で一時サイトを閉鎖された影響があるかもしれないが、翻訳ものが中国国内のオリジナル作品に押されているという構図も見えてくる。

マンガ産業からACG産業へ

まあここまでは「マンガの大変革」と呼ぶほどのことではないだろう。

私が注目しているのは、テンセントグループが進めようとしているコンテンツ戦略なのだ。中国のSNSである「徴博(ウェイボ)」の中でも二大勢力と言えば、新良(シナ)・グループの「新良徴博」とテンセントグループの「謄訊徴博」だ。ユーザーはそれぞれ2億人を超えると言われている。

テンセントコミックはこの謄訊徴博と連動している。マンガ家は謄訊徴博にウェブトゥーンの作品を投稿し、その中でアクセスの多い作品はテンセントコミックでも配信されるようになっているのだ。投稿作品に原稿料は発生しないが、テンセントコミックで配信される場合は、広告収入の一定割合がマンガ家に支払われる。

この広告収入が大きいのだ。人気マンガ家は日本の原稿料や出版印税を遥かに超える収入を得ることができる。「中国には年収が億単位のマンガ家が何人もいる」と言われて久しいが、そのからくりがこの広告収入なのである。

さらに、テンセント・グループはその主力部門であるオンラインゲームの世界にもマンガのキャラクターを利用している。先に紹介した『閻王法則』はオンラインゲームにもなっているのだ。

さらに、テンセント・グループの中には、包括的業務提携を結ぶ上海の絵夢(えもん)アニメーションや、『キングコング 髑髏島の巨神』(レジェンダリー・ピクチャーズとの共同製作)や『ワンダーウーマン』(DCフィルムズほかとの共同製作)を製作したテンセント・ピクチャーズがあり、企画段階からハリウッドでの映画化も視野に入れていると言われている。

つまり、日本ではマンガは出版社が、アニメはテレビ局やアニメ会社が、映画は映画会社がと独立しながらメディアミックスがなされているが、中国ではテンセント・グループとテンセントが出資する企業を通して、ほぼワンストップでコンテンツを利用する形が生まれているのだ。

謄訊徴博のライバルである快看漫画も、登録されているコンテンツをワンストップで利用するために、配信作品のテレビ化、映画化に積極的で、2017年から2019年までの3年間に5億人民元(86億5000万円)を投じて、作品の質量両面での強化に取り組むと発表した。

中国からの留学生によれば、これらはアニメ・コミック・ゲームの頭文字をとって「ACG」産業と呼ばれているのだという。

日本人にとっては、マンガとアニメとゲームは別物だが、中国では日本のマンガはアニメから入って、興味があれば読むもので、原作という認識がない。マンガを描いている若者たちも「マンガ家」という職業を目指しているのではなく、ACG産業のコンテンツビジネスを担っているという意識なのだそうだ。

その一方で、中国の若いクリエーターたちの中には、大企業のACG産業に組み込まれるのではなく、自前のメディアを持って作品を発表する方向を模索する動きもある。自身のホームページをつくってそこに作品を発表し、広告収入や読者からの「投げ銭」で資金を調達するという手法だ。クラウドファンディングの中国版である。これを紹介してくれた留学生は、「セルフメディア」と読んでいたが、これに利用されているのがWeCHATであると聞いて驚いた。

実は、WeCHATはテンセントが提供するメッセンジャー・アプリなのだ。どうも、中国の巨大情報企業グループは自国内のコンテンツ全てを飲み込み、やがて、周辺の国々のコンテンツ産業も飲み込もうとするのではないか、と思えてくる。

はじめに中央と周縁の話を書いたが、このままでいくと中国という新しい「中央」が生まれて、日本が「周縁」に追われる可能性がない、とは言い切れない。そうならないために、マンガ、アニメ、ゲームといった垣根を越えた新しいコンテンツの企業形態が必要だと痛感している。それこそが、マンガ(もうマンガとは呼べないかもしれないが)の新しい道を開く近道だと思えるのだ。

(つづく)

21世紀に万葉集と出会い直す

2019年4月7日
posted by 仲俣暁生

新しい元号の典拠となった効果で、万葉集関連本が売れているという。さっそく地元の町の本屋に出かけてみたら、岩波文庫の『万葉集(一)』と岩波新書の斎藤茂吉『万葉秀歌』(上下巻)が見つかった。新元号の典拠である第5巻「梅花の宴」序が収録されているため売れているという角川ソフィア文庫のビギナーズ・クラシックス・シリーズ版もあったが、こちらは約140首ほどの抄録版とのことで見送った。その後、出先でいくつかの書店を歩きまわり、岩波文庫版を(一)から(五)までなんとか揃え、さらに参考図書として大岡信の『私の万葉集(一)』も手に入れて読み始めた。

万葉集を「読む」ことの難しさ

万葉集の成立時期については諸説あるが、もっとも遅い時期の歌でも第20巻末尾の大伴家持歌(4516)の天平宝字3年(西暦759年)。あくまで伝承ではあるが最古の歌は5世紀末に実在したとされる雄略天皇の代まで遡る。だが万葉集の原本は現在に伝わっていない。私たちが目にできるのは写本や校本、それらを再編集した刊本でしかない。現存するもっとも古い写本は桂本と呼ばれるものだが、それでも平安中期までしか遡ることはできない。

万葉集とはその名で呼ばれてきた詞華集のテキストの束のことであり、真の姿に少しでも近いところへ到達するため、異本をつきあわせて本文を確定する校訂(校合)の作業が欠かせない。さらに万葉集の場合、残されたテキストをどう「読む(訓む)」のかが不明なものも多い。『万葉集』を「読む」ことの難しさは、まさにそれを「訓む」ことの難しさにあるのだ。

全20巻にわたる万葉集に収録されている歌は、長歌・短歌・旋頭歌などあわせて全体で4516。万葉集にはこれら日本語でうたわれた歌が、「万葉仮名」と呼ばれる漢字による書字システムで表記されている(目録や序は漢文)。言葉(言語)と文字とは別個のシステムであり、日本語という言語はいまであれば漢字仮名交じり文でもローマ字でもひらがな・カタカナだけでも表記できるが、万葉集の時代にはこれらの書記法はまだ存在しないから、先進文明国である中国の書字システムから漢字を借りて表記した。「訓読み」とは「クニ読み」つまり古来から日本語にあった言い方を漢字とマッチングさせたものだが、一度漢字にしてしまったものを「クニ読み」に戻すのは、時をへるほど難しくなっていくのである。

人麻呂の歌は「かぎろひのたつ」ではない?

ところでここまでの文章で、万葉集にカギカッコをつけている場合とつけていない場合があることに気づかれたと思う。二重カギで囲った『万葉集』はあくまでも現代的な出版流通のもとでの商品名である。「万葉集という本」を読む、ということが意味するものは複雑だ。古来からの写本のなかにはすでに失われたものも多い。だからこそ、万葉集のことを調べると日本における書物の歴史に一つの筋道が見えてくる。

万葉集のテキストの「訓み」が確定されていく過程はそのまま国文学の歴史といっても過言ではなく、それは同時に日本における書物史を象徴するものでもある。万葉集の訓読でもっとも早い時期に行われたのは源順ら「梨壺の五人」が「古訓」と呼ばれる訓みを確定した天暦5年、951年のことだという。これ以後も時代ごとにさまざまな注釈書がその正しい「訓み」を提唱し、字義の解釈を重ねてきた。近世以後にかぎっても契沖、賀茂真淵、荷田春満、本居宣長とスターのオンパレードである。

では現在すでに万葉集の「訓み」はほぼ確定しているのかといえば、そうではない。岩波文庫の『万葉集(一)〜(五)』は1999年から2004年にかけて刊行された岩波書店の新日本古典文学大系『萬葉集』に基づくもので、現時点では最新の研究成果が反映されていると考えられるが、『万葉集(一)』の解説では、有名な柿本人麻呂の以下の歌について詳しく触れられている。

 東野炎立所見而反見為者月西渡(巻1-48)

私は小学校か中学校で、この歌を「ひむがしの のにかぎろひの たつみえて かえりみすれば つきかたぶきぬ」と訓むと教えられた。これは賀茂真淵の改訓によるものだそうで、古訓では上の句が「あずまのの けぶりのたてる ところみて」とされていた。斎藤茂吉も『万葉秀歌』でこの古訓に触れつつ「かぎろひの」の訓を採り、「契沖、真淵の力で此処まで到達したのであり、後進の吾等はそれを忘却してはならぬのである」と述べている(岩波新書を買ってから気がついたが、茂吉のこの本はいまは青空文庫で読むことができる)。

「東野炎立所見」という文字列から、人麻呂が実際にどのような言葉でこの歌をうたったのかを推定するのは、どうやら専門家でも難しいようだ。万葉集の表記には「音仮名・訓仮名」と呼ばれるいわば当て字によるものと、元の意味を残し音を伝えない「正訓・義訓」とが混在しているが、この人麻呂の歌は後者によって表記されているからだ。

新日本古典文学大系の『萬葉集』と、それを踏まえたこの岩波文庫版では、この歌を「ひむがしの のらにけぶりの たつみえて」との訓みを採用している。その当否は素人にはにわかに判断できないが、多くの日本人が親しんできた人麻呂のこの歌でさえ、いまだに「訓み」が確定していないことに驚いた。その面白さと不思議さ、ここに至るまでの千年にわたる注釈・校訂の歴史には、正直、目が眩むような思いがする。

デジタル版万葉集で「奥書」を読む

幸いなことに、21世紀に生きる私たちは手軽にいくつものバージョンの万葉集を読み比べることができる。最新の研究成果をコンパクトに知りたければ、現行の岩波文庫の『万葉集(一)〜(五)』をはじめ、さまざまな監修者により多くの文庫本が出ている。また以前の岩波文庫版(佐佐木信綱編『新訂新訓万葉集』)は現在、やまとうたebooksというレーベルが出している電子書籍で簡便に入手できる。私はいまの岩波文庫版がなかなか揃わず、先にこちらのバージョンで「訓み」始めた。

岩波文庫旧版(『新訂新訓万葉集』)には、現行の岩波文庫版にはない「奥書」が末尾に載っているのだが、これがじつに趣深い。万葉集の本文とその「訓み」が確定されるに至った過程に起きた出来事や、その時代ごとの校訂者の名が織り込まれているからだ。

幾重にも入れ子状になっていてわかりにくいが(電子版ではなく印刷版の岩波文庫旧版を確認したところ、この奥書はあとで述べる「寛永本」の巻末にあったものだという)、「万葉第一奥書」のはじめには「本にいはく」のあとに「文永十年八月八日、鎌倉において書写しをはんぬ」とある。文永10年は西暦で1273年である。

奥書は続けて「この本は、正二位前大納言征夷大将軍藤原卿、はじめ寛元元年初秋のころより、李部大夫源親行に仰せ付け、万葉集一部を挍調して書本たらしめむがために、三箇の証本を以て、親行が本に比挍せしめをはんぬ」とあり、校訂作業がはじまったのは寛元元年は1243年、すなわち「書写しをはんぬ」の30年前だとわかる。その際に照らし合わせた「三箇の証本」として「松殿入道殿下の御本」「光明峯寺入道前摂政左大臣家の御本」「鎌倉右大臣家の本」が挙げられる。

さらに「弘長元年の夏のころ、また松殿の御本、幷に両本尚書禅門真観の本、基長中納言の本なりを以て、再挍を遂げ、文理の訿謬を糺しをはんぬ。また同じき二年正月、六条家の本を以て比挍しをはんぬ」とある。弘長元年は1261年である。

この校訂者(仙覚)は「六条家の本」とも比校を行ったとし、その奥書もこのなかで引用している。そこには「承安元年六月十五日、平三品経盛の本を以て、手づから書写しをはんぬ」という「従三位行備中権守藤原重家」による文がある。承安元年は1171年、平家の最盛期である(経盛はその14年後、壇ノ浦に沈む)。先の「三箇の証本」の一つの持ち主だった「鎌倉右大臣」とは金槐和歌集を残した歌人でもある鎌倉幕府三代将軍・源実朝であり、建保7年(1219年)に暗殺される。仙覚が校訂したこのテキストには、期せずして源平両家の悲運の二人に伝わった本が流れ込んでいることがわかる。

この奥書はいったん「文永三年歳次丙寅八月廿三日 権律師仙覚これを記す」で終わる(文永3年は1266年)。ここまでは仙覚が書いたものだろう。だが、このあとには続けて「書写の本にいはく應長元年十月廿五日、相伝の説を以て、秘訓を残さず、源幸公に授け申しをはんぬ」と「桑門寂印」の名による署名がある(應長元年は1311年)。そしてさらに「文和二年癸巳中秋八月二十五日権少僧都成俊これを記す」で終わる、別の長い奥書が続く。文和2年は南北朝期の1353年で、僧都成俊はこの時代の代表的な万葉集研究者である。仙覚の校訂は新点と呼ばれ、それ以前の古点・時点とは区別される。新点による本を仙覚本と呼ぶが、そこからさらに寂印、成俊を経たこの系統の万葉集伝本を「寂印・成俊本」というらしい(この系統以外で伝わってきた、より古い訓を残すものを「非仙覚本」という)。

古活字本から岩波文庫を経て、デジタルアーカイブまで

ところで佐佐木信綱編の『新訂新訓万葉集』の末尾には、さきの奥書に続けて「寛永弍拾年癸未蠟月吉日 洛陽三条寺町誓願寺前安田十兵衛新刊」とあり、寛永20年つまり1643年に「刊本」として京都の安田十兵衛によって出版されたことがわかる。いわゆる「寛永本(寛永版本)」である。

ここまでくれば国立国会図書館のデータベースを使えばよい。「安田十兵衛 万葉集」で検索すると同年に刊行された「万葉和歌集」がヒットする。全ページがインターネット上で閲覧できるので確認すると、刊本としての奥書は『新訂新訓万葉集』と同一だがさらに書き込みがあり、元禄2年(1689年)4月に契沖の手による「校讎(校合)」を経ていることや、さらに幾人かの手を経たこと、そして最後に享保16年(1732年)の日付を記して終わっている。これでようやく18世紀までやってきた。

国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている寛永年間に刊行された『万葉和歌集』。

この寛永本を土台に、明治45年(1911年)から佐佐木信綱・橋本進吉・武田祐吉らが校訂作業を開始したのが岩波書店の『校本萬葉集』だ(刊行は13年後の大正13年、1924年から)。そのエッセンスが佐佐木信綱編『新訓万葉集』(上下巻)であり、これは1927年に創刊された岩波文庫の劈頭を飾っている(たまたま手元にあったこの旧版は1998年5月で85刷を数えていた)。

斎藤茂吉の『万葉秀歌』が1937年に創刊された岩波新書の第一回配本であったことと考え合わせると、「文庫・新書」という日本の現代出版流通システムの胎動期において、万葉集がきわめて重要な役割を果たしたことがわかる。そしていまの岩波文庫版の基礎となった新日本古典文学大系版『萬葉集』は、1999年から刊行が始まり2004年に完結した、まさに21世紀版の万葉集ともいえるものだ。それが安価な文庫本で手に入ることの喜びはおおきい。

万葉集を入り口に日本の書物史を紐解き、さらに万葉集が影響を受けたさまざまな漢籍まで遡っていけば、「グーテンベルクの活版印刷術発明」から語り起こされるものとは別の、東洋における豊かな「本」の歴史が見えてくる気がする。これこそが本の力である。

「新元号」の前夜より

2019年4月1日
posted by 藤谷 治

第14信(藤谷治から仲俣暁生へ)

仲俣暁生様

前回のお手紙をいただいたのが2019年3月28日で、僕がこれを書いているのは3月31日です。29日には荻窪でお会いして、マキューアンの『贖罪』について楽しくお話ししました。

「21世紀に書かれた百年の名著」というのは楽しい企画で、大いに楽しみにしています。その第1回に『贖罪』が取り上げられたというのも、あれこれ思いを巡らさせます。20世紀について考えるために19世紀のオースティンまでさかのぼり、2001年に刊行された小説である『贖罪』は、僕たち日本人も含めた世界中の文学者たちが範とした(反抗し、批判するための範でもあるでしょう)イギリス小説の結晶・代表としてふさわしいものです。

28日に手紙を受け取り、29日に『贖罪』を語り合い、今日が31日。では昨日30日は何をしていたかというと、僕は病院に行っていました。2年前に受けた下垂体の手術の予後を見るために、MRIの検査を受けたのです。下垂体にできた腺腫のために末端肥大症になり、それで僕の鼻や指や足はこんなにもバカでかいのです。手術は成功しましたが、どうやら予後を慎重に検査しないといけないらしい。検査の過程で大腸にポリープが見つかりましたので、5月にはまたしても入院しなければならないと、昨日は医者に告げられました。

55歳を老年だとは、さすがに思わないけれど、老いました。社会人になりたての頃、五十代の上司などが、俺はまだ若いとか、二十代の時と変わらない、などと言っているのを、そんなわけねーだろと思いながら聞いていました。ああいう滑稽な若ぶりの人間には、なりたくないものです。普段僕は、むしろ実感よりも衰えていると周囲に吹聴するように心がけています。「若い者に負けない」ことの、どこが偉いのかも判りませんし。

仲俣さんのいう「自分の読書生活の中心を『新刊ではない本』に少しずつ、移したい」というのが、古典回帰という意味でないのは理解しています。そもそも古典というのは回帰できる場所ではなく、人間が個々に発見し、たどり着くよりほかにないものでしょう。古典を所与のもの、すなわち情報として与えて能事足れりとするのは、「教育」とか「啓蒙」の最大の欠点です。

しかしこの欠点を克服し批判して進まなければならないのもまた教育の、啓蒙の責務でもあります。仲俣さんのいう「引いた目で『同時代』を眺める」の「引いた目」とは、恐らく単なる時代の鳥瞰ではなく、流行の中に不易を見つける、その発見のことでしょう。現代文学を古典たらしめる、というのとも、それは違うかもしれません。

先日の「21世紀に書かれた百年の名著」をめぐるトークイベントで、僕が江藤淳の名前を出したのは、そういう連想が短絡的に脳から出てきたためでした。

今の僕は江藤淳の著作に対し、そこに現れている思索の軌跡については、けっこう大きな疑問符をつけないではいられません。しかしそれでも、その文章の魅力や文学への愛は変わらずに尊敬しています。

とりわけ『成熟と喪失』には思い入れがあります。これは、あちこちで喋りもし書きもしたと思いますし、僕だけの経験ではないようですが、あの長編評論がなければ、僕は生涯、小島信夫という作家を知ることはなかったでしょう。いや、それこそ「情報」として知り、読むことはあっても、なんだこれは、どういうことだと、前のめりになって「発見」し続けようとはしなかったはずです。同じように僕は、『なつかしい本の話』によって伊東静雄を、『昭和の文人』によって中野重治を「発見」しました。

発見したのは僕です(僕の読書を発見するのは僕以外にあり得ません)。しかしその発見をうながす、いわば「発掘」をしたのは、江藤淳なのです。この「発掘」こそ評論者の役目であり、この役目を大きく果たしたという一点によって、江藤淳は僕の中で偉大な評論者であるのです。

批評とはそのようなものでした。江藤淳に限りません。間違っているかもしれませんが、柄谷行人の著作なくして、果たして中上健次はあれほど重要な作家として遇されたでしょうか。小林秀雄のいない中原中也にさえ、小宮豊隆のいない夏目漱石にすら、同じことを僕は思うのです。中上や中原は、今や偉大な文学者として歴史上に地位を得ているでしょうが(漱石は言うに及びません)、彼らがあたかも初めから文豪扱いされていたと見るのは、恐らく、正確で充分なパースペクティブではないでしょう。

こんにち、そのような批評はどこにあるでしょうか。溢れかえる新刊小説の流れを押しとどめ、世間のざわつきなど、あってなきが如く振る舞い、ただ一人の作家、ただ一作の小説を見つめる批評は。「これは傑作である(ハイ次)」「これは必読である(ハイ次)」と片付けているのも同然な書評なら、毎週、毎日のようにインターネットや新聞雑誌で見かけるのですが。

批評の凝視に耐える文学が、現代にひとつもないとは決して思わない。日本に限っても、そのような文学は必ずあります。村上春樹論のように、すでにある広範な読者の支持に追随して論じるのではなく、またベストセラー論のように、文学を社会現象として捉える(これもまた別種の追随でしょう)のでもない、批評者が独自に凝視する批評を、文学は待っているのです。

2019年3月31日にこんな話を書くのは、僕にとっては印象的です。

明日には平成の次の元号が告げられます。つまり今日は、平成の次をどう呼ぶのかを知らずに過ごす、最後の一日です。

「平成の次」が始まるのは、5月からだそうですが、その頃には世界中が、日本でそれをなんと呼ぶかを知っている。今の僕はそれを知らない。この書簡が「マガジン航」にアップされる頃には、もう僕は皆と同様、「平成の次」を知っているのでしょう。

小説家としても、一個の成熟した人間としても、僕はこの「知らない」状態をしっかりと味わいたいと思っています。

それこそ21世紀の日本の社会で、新元号の制定ほどあからさまに、非民主的な制度はほかにないでしょう。日本国政府の首長たる総理大臣だって、一応は民主的な手続きを経て決められています(僕には全く不満足な手続きですが)。それは強制力を誇示しない強制、支配力のない支配であり、僕たちは――しかしこの場合の「僕たち」とは、どこからどこまでなのでしょう?――それに、拘束されないのに拘束されることになります。

そんな不可思議な、不条理な、しかも極めて人工的な時間区分が造成されることに、僕は不愉快を感じていません。なぜなら僕は、知らないからです。そのような文字に自分(たち)の時間が拘束されるのか、どんな漢字ふた文字で呼ばれることになるのか、見当をつけていないからです。明日になれば、僕はどんな風に思うでしょう。今の自分が不愉快でなかったことに、後悔を感じるか、安堵を覚えるか。

仲俣さん、これが明日を前にした人間の、ありのままの姿ですよ。今の、今日の姿が。明日には忘れられてしまうこの平凡な姿こそ、知らない未来が間違いなくやってくる、その未来を前にした人間の姿なのです。

明々白々ではないか――ひとりの人間がもうひとりの人間を待つというのは単純な足し算であって、感情が宿る余地などない。待ってます、か。ひとりの人間がしばらく何もしないでいて、もうひとりがそっちに近づいていくというだけだ。「待つ」とは重い言葉だった。外套のような重さでのしかかってくるのが感じられた。地下室の全員、浜にいる全員が待っていた。彼女は待っているに違いないが、だから何だ? 彼女の声にそれを言わせてみても、聞こえるのは自分の声、脈打つ心臓の下あたりから伝わってくる自分の声にすぎなかった。彼女の顔さえ思い浮かべることができなかった。新しい状況――自分を幸福にしてくれるはずの状況――に考えを向けようと彼はつとめた。けれどもその細部は彼にはリアルに感じられず、切迫の度合いも失われていた。
(イアン・マキューアン『贖罪』小山太一訳)

明日が楽しみです。そしてその明日とは、皆さんがこれを読んでいる、今のことなのです。

第1信第2信第3信第4信第5信第6信第7信第8信第9信第10信第11信第12信第13信|第15信につづく)

21世紀のモダン・クラシックスを考える

2019年3月28日
posted by 仲俣暁生

第13信(仲俣暁生から藤谷治へ)

藤谷治様

明日の夜に、荻窪の本屋Titleというお店で藤谷さんをお招きして行うトークイベントの準備をしながら、このメールを書いています。せっかくなので今回の手紙は、この企画の趣旨を説明するところから始めさせてください。

僕は「kotoba」という季刊の雑誌に創刊時から関わっています。以前はメディアについての本を紹介する書評の連載をしていたのですが、何度かのリニューアルを経ていまのかたちになったのを期に、また新しい連載を始めることになりました。そのコンセプトは「新刊書ではない本を紹介する」。僕はほかの雑誌や新聞でも書評を書く機会が多いのですが、どうしても「新刊紹介」にならざるを得ない。書評は出版社による本の販売促進のシステムに組み込まれていて、書き手同士のあいだにも互恵的ともいうべき本のやりとりの習慣があり(こちらについては僕は肯定的ですが)、ともすれば書評もそのようになりがちです。

ただ、あまりにも本の情報が新刊偏重であるために、わずか5年、10年前、それどころか一年前や半年前に出た本でさえ、あっという間に人々の視野から消えてしまうことには、書き手としてだけでなく、読者としても虚しさを感じます。僕らがまだ若い頃、たとえば村上春樹の『羊をめぐる冒険』や村上龍の『コインロッカー・ベイビーズ』は、もう少し長い時間をかけて読者に浸透していったし、また長く話題に登りうる本だったように思います(もちろん、単行本と文庫化のタイミングで二度、話題になるということも含めて)。

でもいまは、あまりにも多くの本(しかもそのなかには、皮肉なことですが「良書」も多いのです)が出すぎているために、僕のように出版メディアそのものを論じることが仕事の一部であるような者にとってさえ、自分がぜひとも読むべき本と日々出会いそこなっている気がしています。

それはニッチなジャンルの本に限りません。ここでいきなり「古典」というと意味が広くなりすぎてしまうので「モダン・クラシックス」という言い方をしますが、少なくとも数十年は読みつがれておかしくない、その分野の読み手の間では定評が固まっている著作でさえ、いまは書店の店頭で簡単には手に入らない、少なくとも新刊書(ここではこの言葉を「古書ではない」という意味でつかっています)として手に入れることが難しい状況が続いています。

それで今回、新しい連載の話をいただいた機会に、とにかくロングライフな本、あるいはそのように読みつがれてほしい本を取り上げて、あえて「百年の名著」として打ち出そうと考えたのでした。

ただし選ぶ本の範囲を広げてしまうときりがないので、21世紀に入ってから出版された本という枠をはめました。いまはちょうど平成という時代の終わりに差し掛かり、この30年間を振り返る企画が花盛りですが、僕のなかではどうしても平成初期の約10年間と、21世紀に入ってからの約20年間との間に断絶があるのです。

思えば藤谷さんが小説家としてデビューしたのも、僕が文芸評論の本を書いたのも21世紀に入ってからです。出版という営みにはっきりとアゲインストの風が吹き始めるのは平成も後半に入ったこの頃からですが、自分自身はそのなかで、本の書き手として遅いデビューを果たしたという自覚があります。

そんな僕が勝手に選ぶ「名著」ですから(しかも季刊誌での連載なので、年に4冊しか選べません!)書きっぱなしではこころもとない。そこで本を選んだ理由やその評価、できることならば今世紀における「名著」や「古典」の条件について、この連載記事が掲載された号が出たあとで、毎回誰かと話をしてみたいというのが、明日お越しいただくイベントの趣旨なのです。

初回に選んだのは、イアン・マキューアンの『贖罪』です。この本はとっくの昔に文庫化されていたのですが、昨年暮れにあらためて一冊にまとめたかたちで再文庫化されました。最初の二分冊による文庫化のときにも手にとった記憶がありますが(そしてもしかしたら買った記憶もあるのですが)未読のままになっていました。マキューアンはその後に出た『ソーラー』が面白く(藤谷さんとこの本をめぐって少し話をしたときは、意見が合わなかったことを覚えています)、最近の作品も手元にあるものの、なかなか読むきっかけがなかったところ、今回の再文庫化がとてもいい契機になりました。

文庫本がもつ役割は本来、このようなかたちでモダン・クラシックスを確定していくことにあったと思います。でもいま、文庫本はあまりにも大量に出過ぎており(その背景には一作あたりの部数減があるわけですが)、その結果ひとたび文庫化されても書店の棚につねに置かれるとは限らない、という状況が続いています。確実に手に入れるにはむしろブックオフに行ったほうが早い、というような逆説的なことさえ起きている。

そうしたなかで、バーチャルなかたちでもいいので僕なりに「モダン・クラシックスの条件」を考えてみたいのです。このアイデアの原点は丸谷才一・三浦雅士・鹿島茂の三氏がかつてやった『文学全集を立ちあげる』という座談会です。現実的に「世界文学全集」や「日本文学全集」を刊行することが難しくなりつつあった2000年代の初めに、それならばいっそのことバーチャルな企画として、いま文学全集を編むとしたらどうしたらよいか、そのラインナップを思う存分論じてみようという痛快な読み物でした。

その後、河出書房新社から池澤夏樹編による世界文学全集と日本文学全集が相次いで企画され、後者はいまも刊行中ですが、丸谷才一・三浦雅士・鹿島茂の破天荒な試みにくらべると(なにしろ実現すると全300巻にもなります!)ささやかな出版企画に見えます。ましてや僕の連載は年4作。3年続けても12作しか選べませんから、一作ごとのセレクトには気を使います。でもこういうゲームを皆がしてみたらよいと思い、あえて誇大広告気味のタイトルを掲げた次第です。

明日の会場を提供していただく荻窪の本屋Titleは素敵な店です(藤谷さんはもういらしたことがあるでしょうか)。昔ながらのごくふつうの町の本屋という佇まい(もともとはお肉屋さんだったそうですが)と、コンパクトながらも考え抜いて選ばれた本が与えてくれる安心感、二階のギャラリースペースの展示や、お店の奥のカフェスペースなど、「こんな本屋が家の近くにあったらいいな」と思わせてくれます。JRのふたつの駅どちらからもずいぶん遠いのに、わざわざ足を運ぶ方が多いのは当然でしょう。

もちろんそれはこのお店を開いた辻山良雄さんが、リブロで長い経験を積んだプロの書店人だからです。辻山さんはとても落ち着いて見えるのでうっかり誤解してしまいますが、僕や藤谷さんよりは一回り近く若い世代です。プロフィールを拝見すると1997年にリブロに入社とありますから、辻山さんが本格的に活躍なさるようになったのは21世紀に入ってから。つまり日本にもアマゾンという強敵が上陸したあとに、現場の書店人として苦闘をしてきた方です。21世紀になってから生まれた百年後にも読みつがえるべき本について語るイベントを、僕が本屋Titleでぜひやりたいと考えた理由の一つがそこにあります。

僕はいま、自分の読書生活の中心を「新刊ではない本」に少しずつ、移したいなと考えています。もちろん「書評」という仕事には同時代批評という役割があり、同時代の作品に対するリアルタイムの伴走者であることは、批評家や評論家にとってかなり大切な機能です。でも同時に、もう少し引いた目で「同時代」を眺めることが、そろそろ僕らぐらいの年齢になると必要になってくる気がします。

平成元年にまだ25歳だった自分にとって、1990年代は十分にリアルタイムの時代でした。眼の前で起きるいろいろな出来事を、歴史のなかに位置づけることはまだ不可能で、むしろ切迫した同時代感覚のなかで、それをどのように言葉にするかを考えていた気がします。

でも21世紀は僕らにとって、中年以後の時代です。そしてそろそろ、人生の最終コーナーも見えてきた。そんな自覚のなかで、これからの時代に読みつがれるべき「百年の名著」を自分なりに考えてみたいと思っています。明日の夜、またお目にかかれるのをとても楽しみにしています。

第1信第2信第3信第4信第5信第6信第7信第8信第9信第10信第11信第12信第14信につづく)


【お知らせ】
「21世紀に書かれた百年の名著を読む」第1回
仲俣暁生×藤谷治「イアン・マキューアン『贖罪』を読む」

3月29日に東京・荻窪の本屋Titleにてトークイベントを開催します。開始時間は19時30分。料金は1000円+ドリンク代500円、定員は25名です。詳細な内容と参加申し込みは以下のサイトをご覧ください(満席の際はご容赦ください)。
http://www.title-books.com/event/5955