武田徹さんに聞く〜「可謬主義ジャーナリズム」の可能性

2017年5月15日
posted by 仲俣暁生

昨年来、WELQを始めとするDeNAのキュレーションサイトがコンテンツの品質や著作権侵害の問題で一斉に閉鎖された事件や、「ポスト真実(post-truth)」という言葉が取りざたされた、アメリカ大統領選挙をめぐるフェイク・ニュースの報道をみながら、インターネット上のジャーナリズムのあり方について考えていた。

インターネット上のジャーナリズムはこの先、どうなってしまうのか――そんな問題意識でいたところ、昨年末に武田徹さんの『日本語とジャーナリズム』(晶文社)という本が出た。さらに、武田さんは『アマゾンはなぜ1円で本が売れるのか〜ネット時代のメディア戦争』(新潮新書)、『日本ノンフィクション史〜ルポルタージュからアカデミック・ノンフィクションまで』(中公新書)も相次いで上梓した。この三冊は相互に深い関係があり、現在のジャーナリズムへの強い危機感が伝わってくる。

かねてより日本のジャーナリズムやノンフィクションのあり方についての武田徹さんの考えに私は共感を抱いていたので、この機会に「日本語とネットとジャーナリズム」の関係について、やや突っ込んでお話をうかがうことにした。

ジャーナリストの武田徹さん。東京・神保町近くでお話を伺った。

ジャーナリズムを言語分析してみたら

武田徹さんの『日本語とジャーナリズム』は、森有正、本多勝一、佐野眞一、丸山眞男、荻生徂徠、玉木明、大宅壮一、清水幾太郎、片岡義男といった、時代もジャンルも異なる物書きたちの日本語論や文章論を手がかりに、日本のジャーナリズムに対する言語分析を試みたユニークな本だ。

この本は、武田さんが国際基督教大学(ICU)の大学院に在籍中、ライターとして雑誌への寄稿をはじめたばかりの頃に、指導教官の一人だったフランス文学者の荒木亨(アンドレ・ルロワ=グーラン『身ぶりと言葉』の訳者として知られる)に「武田徹は軽評論家になった」と言われたエピソードから始まる。そして荒木と親しくICUでも教えていたフランス文学者、森有正の日本語論の評価へと進んでいく。

博士課程まで進みながら、そのままアカデミズムの世界に進むのではなく、在野の物書きとして身を立てることを選んだ経緯を、最初にうかがった。アカデミズムとジャーナリズムの間で齟齬は感じなかったのだろうか。

晶文社のサイトでのウェブ連載をまとめた『日本語とジャーナリズム』。

武田:自分としては、アカデミズムとジャーナリズムとの間の摩擦感はそれほど感じることなく、やりたいことをずっとやってきたんです。修士論文では「言葉の喚起力」という問題に取り組みました。学会活動もしていなかったから、知り合いの研究者もおらず、アカデミズムという「業界」には関心がないまま、ただ純粋に書いていました。

本を読んだり、考えたり、論文を書いたりすることは好きだったけれど、その延長で大学で職を得ることは考えていなかった。それにICUで専任講師になるには、クリスチャンであることが必要条件だったんです。真面目過ぎたのかもしれないけれど、職のためにクリスチャンになったと思われるのが嫌だった。たとえ自分ではそのつもりがなくても就職ということが絡んでくると信仰が純粋でなくなるような気がして、本当に信仰をもっている人に申し訳ないという気持ちもありましたね。

ものを書く仕事をはじめてからも、大学院時代の言語への問題意識はずっと持っていて、『偽満州国論』(1995 河出書房新社)や『隔離という病――近代日本の医療空間』(1997 講談社)を書いているときにも、通奏低音としてはずっとあった。そこからは遠い仕事に見えるかもしれないけれど、『流行人類学クロニクル』(1999年、日経BP社)でも、1990年代の文化をロラン・バルトみたいに言語学によって構造主義的に分析したい気持ちがありました。

――言語論のアプローチで日本のジャーナリズムを分析するという発想はいつごろ芽生えたのですか?

武田:大学時代の言語論の延長でジャーナリズムの言語分析ができると思ったのは、ものを書く仕事をはじめてからですね。この世界には方法論がまったくないんだな、それならば、自分がこれまでやってきたことが活かせるんじゃないか、と思った。

当時、『マルコポーロ』や『ビューズ』や『DAYS』といったグラフィカルな雑誌が相次いで創刊され、「三大ニュース誌」と言われていました。いずれも湾岸戦争(1991年)で調子に乗った出版社が、「これからはジャーナリズムだ」というノリのなかで創刊した雑誌です。でも僕は、ジャーナリズムはむしろ流行批判、流行分析になるべきなのに、自分が流行に乗ってどうするのだろうと感じていた。

ジャーナリズムの調査や表現の精度が低いことも、ずっと気になっていました。再現性のまったくないことを、取材からいきなり原稿にしている。しかもスクープをとりたいから、どうしてもテーマが中心になる。テーマが大事なことはわかるけれど、そのテーマを問題として選ばせている時代、選ばせている社会を意識したうえで書く人も絶対に必要だな、と。そういう書き方をするには、枠組みを考えながらやる必要がある。逆張りではないけれど、他の人がやらないなら、自分がやらなくてはいけないかな、と。

昨年暮れから今年にかけて上梓された三冊の本。

ニュージャーナリズムとはなんだったのか

――この本のなかで、一般にはあまり知られていない玉木明という著者が取り上げられているのが目につきました。実は私も、玉木さんの『言語としてのニュージャーナリズム』(1992 學藝書林)という本を読んで刺激を受けた一人なんです。

武田:玉木明は、その後に書いた『ニュース報道の言語論』(1996 洋泉社)のほうが言語分析としてはピンときて、そこからもう一度『言語としてのニュージャーナリズム』のほうを読み直しました。『ニュース報道の言語論』で玉木が論じているのは、「われわれ」という一人称複数に仮託して書かれた報道記事から主語を消した結果、無署名性が生じてしまうという言語システムの問題です。自分がそれまでやってきた言語活動の人称構造に注目する立場と近いので、ここを経由すれば、日本とアメリカのいわゆる「ニュージャーナリズム」について、当然違いはあるにせよ、なにかが分析できるかもしれないと思ったんです。

アメリカのニュー・ジャーナリズムには、デイヴィッド・ハルバースタム(『ベスト&ブライテスト』)、ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタイン(『大統領の陰謀〜ニクソンを追いつめた300日』、『最後の日々』)の系統と、トム・ウルフ(『ライト・スタッフ』)やゲイ・タリーズ(『汝の隣人の妻』)の系統という二つがあって、前者はストレートにジャーナリズムの文脈のなかで取り上げられる人たち、後者が文学との境界領域みたいに言われている人たちです。

玉木さんのこの本によると、トム・ウルフはかなり意識してジャーナリズムと小説とを書き分けていたけれど、ゲイ・タリーズはわざとやっていたのか、そのあたりの潔癖さに欠けていて、文学だかなんだかわからないものになってしまった。このゲイ・タリーズ批判は日本のニュージャーナリズム批判にもつながる。そして日本にはこちらの文学系ニュージャーナリズムしか存在していない。

「文学ならざるもの」と「文学」との境界線が甘くて緩いだけでなく、日本のニュージャーナリズムは細部を手に入れられていない。さすがに沢木耕太郎にはよく書けているものがあるけれど、それ以外、いわゆる「ニュージャーナリズムの文体」で書かれた日本の作品にはディテールがない感じがして、これではとても続かないだろうと思っていました。

――いわゆる「ニュージャーナリズム」の文体とは、膨大な取材に支えられた事実の集積から、書き手の一人称を消し、まるで「神の視点」で描かれた文学作品のように、三人称で綴っていく手法のことですね。日本人はなぜ、それが苦手なのでしょう?

武田:安易な日本人論はよくないけれど、一つ思い当たるところは、アメリカの人は日付などのディテイルをけっこう覚えている。日本人の場合、そこがあいまいなので、取材相手が語らなかった細部を書き手が自分の想像力で安易に補ってしまい、その結果、全体に安っぽくなってしまう。いくらでも書けてしまうという虚構の誘惑があるなかで、そこに耐えながら書いていくのはとても厳しいことです。沢木さんはかなり早くにそれに気づいたから、ニュージャーナリズム的な三人称から手を引いたのでしょう。

「ジャーナリスト」と名乗る理由

――ジャーナリズムとノンフィクションとの関係は、そのようにとても難しいものがある。武田さん自身は「ノンフィクション作家」ではなく、「ジャーナリスト」と名乗っておられますね。

武田:ここ十年ぐらいは「ジャーナリスト」という肩書をつかってます。『ジャーナリストは「日常」をどう切り取ればいいのか』(1992 勁草書房)という本でも「ジャーナリスト」という言葉が使われていますが、これは担当編集者のアイデアでした。こういう文章もジャーナリズムの仕事だと思ってもらえたこと、自分もジャーナリズムというくくりのなかに入りうるんだということが、当時は新鮮な印象としてありました。

1992年に刊行された『ジャーナリストは「日常」をどう切り取ればいいのか』(勁草書房)

その印象がもう一回上書きされたのは、「中央公論」の編集長だった粕谷一希がジャーナリストと自称していたことを知ったときです。総合誌の誌面には小説もある。つまり彼は小説も含めてジャーナリズムだと考えていて、そういう総合誌をつくる自分を「ジャーナリスト」だと規定した。新聞記者や放送記者だけがジャーナリストではなくて、もっと広い、世に何かを問うための言葉を色々と入れておけるある種の「袋」みたいなものとして、ジャーナリズムを考えていいのかと、目が醒める思いがしました。昔は定期刊行物を「ジャーナル」と呼ぶ習慣があったから、粕谷さんはそういう文脈のなかで考えていたのかもしれないけれど、自分もそれを肩書にすると楽になると思って、そのあたりから「ジャーナリスト」と名乗るようになったんです。

――いまでは「ジャーナリズム」も「ノンフィクション」も死語になりかけていて、意味やニュアンスがなかなか伝わらない。でも、だからこそ再定義するにはいい時期かもしれません。片方に、新聞記者のような従来からのジャーナリストがいて、他方に、編集者のような広義のジャーナリストがいる。さらに、いまではネット上に素人も含めた多くの書き手がいます。たとえば、昨年大いに話題になった「保育園落ちた日本死ね!!!」という文章は、はてなの匿名ダイアリーのエントリーでした。あれをジャーナリズムといっていいのかどうかわかりませんが、どんなニュース記事よりも状況を動かす効果がありました。

武田:古くからある、いわゆるエスタブリッシュド・ジャーナリズムは既得権力も持っているわけですからその裏返しとして精度を問いたいけれど、新しい動きについては精度を少しわきに置いておいて存在価値を認めてやりたいものもある。たとえば、かつてのケータイ小説も見方によってはすぐれたジャーナリズムでした。文章はひどいし、小説としても出来は悪い。いままでの文芸評論的な尺度でいえば、全然評価できないかもしれない。でもあの時期の下流の若者たちの生活の実態は、ケータイ小説というかたちでなければ描かれなかった。エスタブリッシュド・ジャーナリズムには見えなかった部分を見せてくれたという意味では、きわめてジャーナリズム的機能を果たしたと考えています。そこでは精度を求めても仕方なくて、直接的に現実と触れているものとして存在を認めたい。

――他方で、新聞や週刊誌といったメインストリームのジャーナリズムも、舞台をネットのほうに移行させつつあります。その結果、「文春砲」が流行ったり、炎上が起きたりしています。

武田:いまはネットがこんなに普及して、それをスマホで読むことも一般的になって、昔は別々に存在して見えなかったものが可視化されるようになってきた。Twitterはそれこそ憂さばらしの殴り書きもテキストとして見えてしまうからやはり気になるし、議論の対象になるという構図は間違いなくあるわけで、そこでいたずらに足をとられないほうがいい。

炎上のことも、ちょっと気にしすぎだと思います。無視しろとはいわないけれど、脊髄反射的に対応するのではなく、たとえばネット上に自分の存在を示したい、つながる力を試したいと考える「つながりの社会性」指向の反応であれば、そうした性格を踏まえて、対応するかしないか考えたほうがいい。ジャーナリズムにおいては、伝えること、つながることももちろん大事だけれど、真実像の追求とか神話の解体という指向もある。その指向の延長上にネットをうまく使えればいいけれど、いまはうまく使えてなくて、たんに流れされているような気もするんです。それよりも、いままでやってきたことを、ちゃんとやればいい。ジャーナリズムの精度が問われる部分ではきちんと精度を出し、支持されて信頼性を回復すべきだと思います。

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第2回:エブリスタ〜「プラットフォーム」から「エージェントへ」【後編】

2017年5月10日
posted by まつもとあつし

ネット投稿小説プラットフォームを運営する各社に現状や今後に向けての課題について聞き、ネット投稿小説の現在と未来を解き明かしていく本連載の2回目。前回につづきエブリスタ代表取締役社長の芹川太郎氏のインタビューをお送りする。

創作を誘発する仕組み

エブリスタ代表取締役社長の芹川太郎氏。

――重視する指標としては読者数となりますか?

芹川:そうですね。数字という観点からは重要ですね。

――発掘や新ジャンル開拓という意味でアワードが重要であるということはわかりました。創作そのものを誘発する仕組みとしてはいかがでしょうか?

芹川:やはりアワードがわかりやすい取り組みだと思います。募集要項で、「こういう作品を求めています」と呼びかけることで、創作を促しているわけですね。基本的には書きたいものを書いてください、というのがエブリスタの基本的なスタンスですが、「デビューしたい」という方に向けては、世の中あるいは出版界ではこういう作品がいま求められている、ということをわかりやすく案内している部分はあると思うんです。

たとえば、「少年ジャンプ+」の原作賞がありますが、「全体を通しての小説としての完成度」ではなく、「連載漫画として1話、2話、と毎週順番に読者が読んだ時の各話の面白さ」を重視していると明言して募集しています。

「少年ジャンプ+」とタッグを組んだ漫画原作賞。

あとは教育という観点からは、石田衣良さんによる「作家養成プログラム」や、エブリスタのスタッフによる講評を得られる短編賞「三行から参加できる 超・妄想コンテスト」も好評です。

――アワードといえば金銭的なインセンティブというのがこれまで一般的だったかと思いますが、エブリスタの場合はそうではないわけですね。

芹川:もちろん商品券などを用意する場合もあるのですが、皆さんそれを目的に書く、ということはあまりないと思います。仮に賞金額を大きくしても、その分投稿が増える、ということは実績を振り返ってもありません。世の中の文学賞などは多額の賞金を用意していますから、それに見劣りしないようにはしたいと思いますが、いずれにしても金額ではないと思います。

――アワードがマッチングの精度をあげ、またトップ作品のクオリティを上げているということもよくわかりました。一方で、「場」としてのエブリスタ全体を見た場合に、全体の質を担保するためにはどのようなことをされているのでしょうか。

芹川:まず投稿される作品の総数が大事だと思います。ある割合で優れた作品が生まれてくると考えた際には、「数が質を担保する」側面はあります。作家のレベルアップに貢献するという観点からは、作品が読まれてフィードバックを受ける機会をいかに設けるかかなと。読者にコメントや評価をもらうというプラットフォームとしてはおそらくいちばん重要な機能があり、それに追加してプロにフィードバックをもらう機会を増やすということですね。

たとえば、「1万字小説を書いて『yom yom』編集長に読んでもらおう!コンテスト」を開催し、大変好評でした。大賞作品は新潮社の小説誌「yom yom」の紙版最終号(2017年冬号。次号から電子版に移行)に掲載されるというものですが、賞のタイトルからもわかるように、プロに読んでもらうこと、というのが大きなインセンティブになっているんです。

「1万字小説を書いて『yom yom』編集長に読んでもらおう!コンテスト」の受賞作。

――私のような商売をしていると、プロの編集者に書いたものを読んでもらうというのはある種の「痛み」も伴う作業なのですが、エブリスタに投稿されている方からすればそれは「喜び」になるわけですね。

芹川:マンガと違って、読むのに時間がかかる小説は、編集部持ち込みで読んでもらうことがほぼ不可能です。プロに読んでもらう機会がない方がほとんどですし、実際にちょっとした指摘によって自分の作品が「よくなる」実感が得られるという面も大きいと思います。それは投稿作家さんにお話を伺っても、私も感じるところですね。賞にはエントリーして、いいところまでは行くのだけれども、なかなかその上に行けない、という人にとっては、スキルアップのための非常に貴重な機会ともなっているのです。エブリスタのような投稿サイトの場合、短いエピソードを投稿した際の読者数やコメントの動きで「面白くなった」という手応えが直ぐに得られますので。

――たしかに従来の小説賞ですと、よほど上まで行かない限り「○次選考通過」といったところまでしかフィードバックが得られませんからね。

芹川:そうなんです。あとはエブリスタ内では「サークル機能」のような作家と読者、ユーザー同士のコミュニケーションを図る仕組みは充実していますが、作家同士のコミュニケーションをもっと生み出せないかと考えています。お互い学び合うところ、励まし合うところがあると思うんですよね。またリアルな場として、地方での文学フリマには出展し、オフ会も開催しています。

――そういったお話を伺うと、ますます小説投稿プラットフォームというよりも、SNSのようなコミュニティという位置づけが正しいように思えました。

芹川:そうですね。機能を提供すれば勝手に盛り上がるというものではないと思っています。書くほう、読むほうとも相当エネルギーを求められるサービスですから、そこに対してモチベーションを維持してもらうための我々の努力というのもかなり大切なものだと捉えています。カスタマーサービスも、モバゲー時代からの蓄積がありますが、「傾聴」は徹底しています。

――サイト内でジャンルをどう分けるか、というのもウェブ投稿小説サイトではかなり重要なポイントであると思います。ジャンルの切り方でランキングの様相や、そのカテゴリの盛り上がり方が変わってきますが、エブリスタさんの場合はいかがでしょうか?

芹川:そこは永遠の課題ですね(笑)。いまだに満足をしていませんし、すべての人が納得する分け方というのはおそらくないのだと思います。「小説家になろう」さんも最近変更されましたが、おそらく考えに考え抜いてあのような形になったのだと思います。私たちは取り扱いジャンルやユーザー層がさらに広いので、難易度が高いです。

エブリスタが考える投稿小説の未来

――投稿小説サイトはますます競争が激しい時代に入りました。そのようななかで、エブリスタをどのように位置づけていますか?

芹川:主要プレイヤーの一つにはなることが出来ているかなと思います。ただジャンル別に見るとライトノベルでは、「小説家になろう」さんには勝てていません。小説全体で見たときのラノベの重要度からすれば、エブリスタがそのカテゴリでできることは考えなければいけません。

――「小説家になろう」の場合は、商業活動を禁止していますね。そこで差別化という方向はありませんか?

芹川:それは我々もほぼ同じだと思います。出版社の販促活動としての連載は規約で原則として制限させて頂いています。一部存在しているものは、個別にお話をして決めているものですね。例としては集英社さんのJ-BOOKSの枠といったものはあります。

ただ、私たちもあまりそういった掲載を積極的にオススメしているわけではありません。あくまでエブリスタはコミュニティであり、作家の顔が見えにくい作品は読まれにくい傾向があるからです。ただ本を読みたいのであれば、アマゾンでもいい。それでもエブリスタでなぜ読むかといえば、作家との距離が圧倒的に近いからなんです。「読者がたくさんいるから、良質な作品を置けば読まれるだろう」、ということでもないんです。すでにデビューしている作家の作品であっても、作家さんがエブリスタの中で読者とのコミュニケーションを頑張っていると、だんだんとファンが増えてたくさん読まれるようになります。

作家と読者がサイト内でコミュニケーションできる仕組みも。

他のコンテンツサービスのように、我々が人気作を用意し掲載すればたくさん読まれるわけではないというところが難しいところです。

――KADOKAWAが「カクヨム」を始めるなど、出版社自らこの分野にも乗り出しました。

芹川:作家さんに作品を投稿してもらう、というのは何らかのインセンティブを用意すれば実は難しいことではないと思います。難しいのは読者さんを集め、サイト内で作家と読者を繋げることです。読まれるからこそ、投稿するし、書き続けられるのです。エブリスタの場合は、幸いモバゲーから、そしてドコモユーザーの誘導がありましたから、一定の規模の読者を獲得しています。これを出版社やスタートアップ企業が一から実現できるかというとそれなりにハードルは高いはずです。

――作品と読者とのマッチングの精度という面では差別化できませんか?

芹川:まだ十分に実現できていない部分もあるのですが、技術によってニーズのマッチングは追求していきたいところですね。今後、人工知能や機械学習によってレコメンドの精度を上げていくということも、やっていきたいと思います。読者からみたときの「発見」、我々から見たときの「発掘」を技術によってどう効率化するのかという話でもあります。データはもちろん取っているのですが、いまは人がその分析と反映をおこなっています。その部分をある程度自動化できれば、違う拡がりが出てくるはずです。

――同種のサービスというところから離れて、従来の文芸・ラノベと、ウェブ投稿小説は、どう異なると捉えておられますか?

芹川:いわゆる「携帯小説」の時代は異質なものであったと思います。人によっては「携帯小説は小説ではない」と評価するくらい異なっていたわけです。しかし現在では、従来の文芸やラノベも含めて、ウェブの中で生まれ、読まれるようになっています。昨年の出版界のベストセラートップ10の中になかに入った新人は、「小説家になろう」さん出身の『君の膵臓をたべたい』の著者、住野よるさんだけです。昨年の文芸で注目の新人を生みだしたのが唯一ネットだったということを考えると、もうその垣根はなくなっていると思います。芥川賞や直木賞をネット発の人が獲るのも、時間の問題のはずです。

一方で、エブリスタの中でも短編では純文学に近い作品をずっと投稿している人たちが一定数います。「三行から参加できる 超・妄想コンテスト」は隔週で行っているのですが、集まってくる作品のクオリティはタイトルからの印象に反してとても高いのです。毎回500〜700作品が集まってきて、文体もしっかりしたよく練られたものが集まってきます。「妄想コンテスト」の受賞作を中心にテーマ別に編み直した短編集は、現在「5分シリーズ」と名前を変えて河出書房新社さんから発売中です。

先ほどの「フィードバックがインセンティブである」という話にも通じますが、この賞は私たちが一つ一つ読んで講評をつけています。おそらく、これまではそういった「良質だけど短い」新人の作品を受止める場所はあまりなかったはずで、ネット上にそれを用意したことで、新たな才能が集まってくるということなのだと思います。

――本来、芥川賞は「短編」を対象とした新人賞なのに、書籍化するために原稿用紙換算で200枚書かないと受賞できなかったりします。文芸の短編のみを対象とした、ネット上の新人賞の仕組みがもっとあってもいいかもしれません。

芹川:新人発掘の場としては最も一般的な存在になっているというイメージは持っています。読者が最も多い場となっているか、というのはまだ未知数ではありますが。これは消費できるコンテンツの種類と数が増えていくなかで「小説」というものが、ウェブ小説によって劇的にその存在感を拡大するかというと、ちょっとわからない部分もあるからです。

とはいえ、作家目線で考えたときには、いわゆる文学新人賞に応募するとか、一方でパソコンに眠らせたままにしておく、という人はどんどん減っていくはずです。そこに僕は可能性を感じています。これまでがそうであったように、これからもウェブ投稿小説を巡る環境は変化するはずで、出版社さんや編集さんとの向き合い方も変わってくるでしょう。エブリスタとしてもそういった変化に柔軟に対応してきたいと考えています。

* * *

エブリスタはその出自やユーザー層、競合との差別化から、ネット投稿小説プラットフォームの中でも、特定の色がない「一般化」の道を探り続けてきた。作品のプロモーションや二次展開にも積極的に関与する姿勢は、従来の出版社の手法にも近いものがあるが、プラットフォーム上の各種データを元に、よりロジカルに方向性を探っていった。その結果、時代の変遷と共に、エブリスタにおけるヒットコンテンツも変化していった様子が、今回の芹川氏のインタビューから伺えたのは興味深いところだ。

その一方で、このエブリスタと非常に対照的な、ライトノベルに特化した方針で運営されているのが、「小説家になろう」だ。次回は、このサイトを運営するヒナプロジェクトを取り上げる予定である。

第6回 京都ではじまるローカルメディア・ワークショップ

2017年5月9日
posted by 影山裕樹

昨年より準備を重ねてきて、今春ようやく「CIRCULATION KYOTO〜サーキュレーション キョウト〜」というプロジェクトの概要を発表することができた。

これは、ロームシアター京都という劇場がハブとなって、京都市の財団が運営する複数の文化会館と連携し、一般市民参加のもとローカルメディアをつくるワークショップのプログラム。僕はこのプロジェクトのディレクターとして参加し、デザイナー、編集者、リサーチャーなど異なるスキルを持つクリエイターとともに、全5回のレクチャーを通して市民参加型メディアを構想、来年3月には実際の発行まで持っていくことを目指している。

「CIRCULATION KYOTO」ロゴ(写真:成田舞)

このプロジェクトが異色な点は二つある。一つは、劇場という、本来芸術作品を制作・興行する拠点が主体となり、作品制作ではなく、メディアをつくることを目的としたプログラムを組んでいること。もう一つは、今回ロームシアター京都が連携する五つの文化会館が、いわゆる京都の中心部(洛中と呼ばれる)ではなく、その少し外側(とはいえ京都市内ではあるのだが)に位置していること。

タイトルにもあるとおり、これら京都市内の“外縁部”をCIRCULATION(循環)しながら、各地域に共通する課題や、いままでにない京都のイメージを掘り起こそうという意図がこのプロジェクトには込められている。

僕たちプロジェクトメンバーはこの冬から春にかけて、これらの文化会館が位置する5地域(山科区、伏見区、西京区、北区、右京区)に何度も通いながら、周辺の住民や、まちづくりNPOや企業、金融機関などの担当者に会って、これら地域の特色、課題をヒアリングしてきた。その中で見えてきた知見を参加者と共有し、また、彼ら地域のキーパーソンとのネットワークを活かしながら、いままでにない、「京都」のローカルメディアを構想したいと考えている。

『京都ぎらい』から見えてくる洛中・洛外の視点の差

井上章一氏は『京都ぎらい』の中で、洛外出身者が洛中の人々に対して抱いている複雑な感情を吐露している。「東京のメディアが洛中の人間をおだてるから彼らはつけあがるのだ」という趣旨のことも書いている。東京から京都にやってきた人間は正直、その微妙な感覚は共有できない。というか、関東出身者がいちばん憧れを抱く地域といえば京都だし、いざ訪れればディスカバー・ジャパンのキャンペーンや各種広告、雑誌の特集に洗脳され完全に浮かれた観光客として振る舞ってしまいがちだ。

郊外の団地群(写真:成田舞)

しかし、僕たち観光客がイメージする京都は、本当に狭い範囲であることに気づかされる。電車に10分も乗れば、西は桂川を越えるし、東は山科までいけてしまう。しかし、これらの地域は郊外のキャンパスに通う学生でなければ頻繁に訪れる機会もないだろう。

実際、風景が違う。特に興味深いのは、高度成長期に造成された洛西ニュータウンや醍醐石田団地などの巨大な団地群だ。当然ここでは首都圏と同じように、高齢化や空き家、治安や老朽化の問題を抱えている。今回のプロジェクトが目指すのは、観光客(あるいは京都の中心部の生活者さえも)が知らない、もう少し広いレンジで見た京都のイメージを「ローカルメディア」によって浮き彫りにすることである。

周縁地域が媒介となって都を支えていた

そもそも対象エリアは、酒どころと伏見稲荷大社で知られる伏見区、山を一つ隔てた山科区など、地域ごとの文化・環境の違いが甚だしい。果たして、これらの地域全体としての共通点は見いだせるのだろうか。さまざまな人にヒアリングする中で、特に印象的だったのが、奈良文化財研究所の惠谷浩子さんの話だった。

京都は五山の送り火で知られるように、周囲を山に囲まれた盆地に綺麗に収まっている。そして、西に愛宕山、東に比叡山と、篤い信仰を集める二つの山に守られている格好だ。どこまでも続く関東平野の茫漠とした風景とは明らかに異なる。そして、惠谷さん曰く、「これらの山々で採られた一次生産物を、その近くに位置する周縁部の地域の人々が『加工』し、都の中心部へと届ける役割を担っていた」というのである。

「具体的には、山間部のクマザサを利用して祇園祭の厄除ちまきをつくる地域があったりします。また、各々の加工生産物のルートを逆に辿り、都の文化が外に広まっていったという側面もあります」(惠谷さん)。他にも、海が遠い京都だからこそ生み出され、洗練されてきた鱧や鯖寿司、すぐきや菜の花の漬物などの食文化……そうしたモノの物流の経路と文化の伝播がうっすら垣間見えるという。

ある意味、京都の外と内の“エッジ”にある地域が、都の文化を成り立たせる「フィルター=メディア」となっていたわけだ。こうした視点で京都のまちを見ることができるとしたら、例えば加工した木材の端材で作った建材や、あまった食材で作る、その地元にしか存在しない「まかない」のような料理から、境界を担う地域の共通点が見えてくるかもしれない。

惠谷浩子さんを囲んで、プロジェクト・メンバーで議論した。

京都駅を起点に中心部をぐるっと回る市バス206系統のルート周辺を巡ったエッセイ『京都の平熱』の中で鷲田清一氏は、「街をやんわり包む鄙(ひなび)」と、坪庭など「町家の中に組み込まれた鄙」との間に、都は二重に挟まれていると語った。郊外の田舎性と市中の都会性が往還し混じり合って成り立つ都市の性格の一端を言い当てているように思う。そう考えると、こうしたモノと文化をまちの外と内へと行き来させる“運び屋(キャリアー)”として、これらの地域の人々が担ってきた役割は大きいのかもしれない。

今回のプロジェクトメンバーでもあるリサーチャーの榊原充大氏は、ネット上で話題になった「京都人の脳内地図」を引き合いに出しながら、この地図の中で「一応京都」と思われている地域を、洛中との関係ではなく、「“周縁”にあるという共通点」によってつなげてみたい、と語る。

先ほどの構図に従えば、外と内をつなげる物流の経路はそれぞれ縦に延びていた。おそらく、京都の七口へ通じる街道沿いに物流の経路があったのだろう。そのため、これらの地域を環状に移動する人や物の経路は見えてこない。しかし、市バス206系統のさらに外側、郊外型のショッピングセンターにだけ荷物を配送するドライバーが巡る道路を線でつないでみるとどうだろうか。

そこから、京の文化を下支えしてきた“周縁”地域の共通点をさらってみる。面白いことに、京都にあるニトリの店舗はこれら“周縁部”に点在している。ニトリに通う生活者のメンタリティをリサーチしていってもいい。ローカルメディアを作る手がかりは、こうした「見立て」から始まるように思う。

メディアをつくる前に、対話とリサーチの機会をつくること

先に述べたように、生活者の暮らしのスタイルも、コミュニティも歴史もまったく異なる五つの地域を共通の視点でつなげることは難しい。そのため、今回のプロジェクトでは、地域ごとに五つのチームを作り、それぞれが独自にローカルメディアを構想していく。共通点は、もしかしたら最後に浮き上がってくるのかもしれない。現在、参加者募集中(5/26〆切)だが、できるだけ、よそ者と地元の人がうまく混じり合ったチームを構成したいと考えている。

『ローカルメディアのつくりかた』で取り上げたメディアはどれも、よそ者と地元の人が同じテーブルについて議論をしたり、あるいはUターン、Iターンによってよそ者の視点を持ったまま地元に入ってメディアを作っているパターンが多い。やはり、異なるコミュニティに属する人々が膝をつきあわせ、結論が出るまで延々と議論をつづける「寄り合い」をつくることがとても大切だ。ある意味、出来上がったものそのものよりも、制作のプロセスそのもののほうが重要だということは、これまで何度も語ってきた。

近年、立ち上げたはいいがまったく更新してない観光サイト、移住支援サイトなど、いわば「メディアの廃墟」がものすごく増えているという実感がある。ローカルメディアは、異なるコミュニティをつなげ、その地域にとってなくてはならない必然性、あるいは公共性があって初めて持続可能になるはずだ。適正規模で運用されていなかったり、補助金や助成金に頼って運営されるメディアが、遠からぬ未来に「廃墟」になるのは目に見えている。こうした状況をどう考えればいいのだろうか。

この連載でも繰り返し述べているように、メディアは目的ではなく手段である。東京のカルチャー誌のようなおしゃれなフリーペーパーを作りたい、とか、メディアづくりが「目的」になってはいけない。地域固有の課題を解決したり、あるいはそれを発見したり、異なるコミュニティをつなげたり、人や物の移動の新しい動線を作ったりするためにメディアを考えるべきである。

今回、僕らがこのCIRCULATION KYOTOで試したいのは、そうした手段としての、そして地域にとって必然性のあるメディアとは何か、を考える機会そのもの(寄り合い)を作ることである。

北大路バスターミナル(写真:成田舞)

ここで生み出されるメディアは、紙やウェブである必要はない。京都は学区ごとのコミュニティがいまだに強く、市民に愛される「右京じかん」などのローカルメディアがたくさんある。だから「よそ者」である僕たちは、地元の人と一緒になって、その地域に必然性があり、意外性のあるメディアのかたちを考えてみたい。団地の回覧板、iPhoneアプリ、コミュニティラジオ、ラッピング電車……。そして、そのハブになるのが劇場であり、文化施設であるというのもユニークな点だ。

行政や様々な指定管理者が運営する劇場、美術館、コミュニティセンターが、その地域にある必然性を獲得するために色々な施作を行なっている。海外から先端的な作品を呼び込んで、地域外から多くの観客を集めるというのも一つの手だろう。しかし、その地域にいる異なる世代、関心、コミュニティに属する人々が集う機会をどれくらい作れるかが、公共施設の本当の価値ではないだろうか。ある意味、劇場もメディアなのだと思う。

多様な人が集い、まちへ帰っていく、その往還の過程の中で何かが「変換」される、まちの装置になる可能性を秘めているからだ。


【お知らせ】

「まちの見方を180度変えるローカルメディアづくり~CIRCULATION KYOTO(サーキュレーション キョウト)~」ワークショップ参加者募集中(5/26〆)

日程:2017 年4月 29 日(土・祝)~2018 年 3 月中旬(内ワークショップは、6月 17 日/7 月 8 日、22 日/8 月 5 日、6 日の全 5 回)
会場:ロームシアター京都および各京都市文化会館
http://www.circulation-kyoto.com/

ガラパゴスからトランス・ローカルへ

2017年5月1日
posted by 仲俣暁生

先日でた鹿島茂の『神田神保町書肆街考』(筑摩書房)は、世界的にもユニークな「本の街」である神田神保町の地誌と歴史を綴ったモノグラフィーとして、とても面白い本だった。

この浩瀚な著作が伝えてくれることの一つは、神田神保町がいまのような「本の街」となった来歴と、東京大学(帝国大学)の存在がきわめて深く結びついている、ということだ。古書店街だけではない。岩波書店を筆頭に、日本の著名な出版社の大半は、東京大学のある本郷台地の裾野にあたるこの界隈にいまも集中している。まさに「ローカル」の最たるものである。

大学と書店、そして出版社が深い結び付きをもつのは当然といえば当然だが、いま多くの大学では生協の書店も教科書以外は品揃えが薄くなっており、複数の大学がキャンパスを構えるような場所でも、近隣に学生の多様な関心に訴えるような適切な規模の書店が存在しなかったりする。つまり大学と書店の関係性は、ローカルな結びつきとしてはほぼ消えつつある。

日本各地における書店(とくに地域の老舗書店)の苦境も、それを支えてきた大学を始めとするローカルな知識コミュニティとの断絶が大きいのではないか。

鹿島茂『神田神保町書肆街考』(筑摩書房)

東京一極集中の出版こそ“ローカル産業”である

私にとって目下最大の関心は、なぜ日本のメディア(とくに出版)はこれほどまでに東京一極発信なのか? ということだ。歴史的に、いつどのようにそうなったのか。いつまでもずっとそうなのか。現状、そうであることでうまくいっているのか。

「ローカル」という言葉の定義をはじめるとまどろこしいので、ここではあえて「地方」と言おう。地方とは、ようするに「東京(=中央)以外」のことだ。こういう表現が存在すること自体が、日本の知的風土の特殊性でもあるだろう。

いまもあい変わらず「出版不況」という言い方がなされるが、ようするにそれは「東京で、東京の編集者によって、東京の問題意識でつくられた本が、東京の読者(しかもそのごく一部)にしか届かなくなっているから」ではないか。初版部数が2,000部程度の本の場合、読者は果たして日本中にいるのか。議論そのものが東京および限られた大都市だけで流通しているのではないか、という疑いをどうしても拭えない。

日本の(つまり東京の)出版社が出す本の大半は、国内市場(その大半はやはり東京)に向けて書かれ、読まれる。往時にくらべ衰えたりとはいえ、7,000億円以上の自国語による書籍市場をもつおかげで、日本の出版社は海外市場に目を向ける必要が乏しかった。自国語市場が大きいことは素晴らしいことだから、それがただちに悪いとは言わない。

だが、東京中心主義の出版業界そのものが、世界的に見ればローカルそのものであるという事実は、一度くらい直視したほうがいい。日本の出版産業は、地方に対しても世界に対しても、あまりにも閉じてはいないか。

小豆島にある出版社・瀬戸内人の淺野卓夫さんが、台湾のアートブックフェアに参加した感想を綴った先日の「マガジン航」の記事でこう書いておられた。

代表のArgi Changさんから手渡されたカードには、ArtQpie の設立趣意書が英文で記されている。「(われわれは)地域コミュニティに対して、異なる見方・パースペクティブを共有する機会を提供し、都市と都市、街と街のあいだで多様なコミュニケーションが生まれるよう協同する」

ここで気づかされるのだが、いま台湾で「ローカル」の熱が高まっているのだとしたら、それは「トランス・ローカル」な思考や感性に根ざしているということだ。

このあとでも淺野さんは、日本の「ひとり出版社」や「ローカル出版社」と呼ばれる零細版元の活動について、トランス・ローカルとの対比として「ガラバゴス・ローカル」という言葉で懸念を表明している。だがトランス・ローカルなアクターになりえていないのは、なにも「ひとり出版社」や「ローカル出版社」だけではない。東京の出版社こそが、そもそもガラバゴス的なのだ。

まずは日本国内でトランス・ローカルな交流を

先月、東京の高円寺で不定期で行われている勉強会に招かれ、「オルタナティブとしてのローカルメディアは可能か?」という題で話をさせていただく機会があった。昨年「マガジン航」主催で行ったローカルメディアのセミナーを踏まえての報告を期待されてのことだったが、やや個人的な話に終始してしまった。その会では消化不良だったことを、ここであらためて話題にしたい。

両親とも東京生まれで、自分自身も東京に生まれ落ち、現在まで東京都内と千葉県西部でしか暮らしたことのない私にとって、その他の土地は旅行などで訪れる以外、生活上の実体験がほとんどない場所だ。だから、いま「ローカルメディア」と呼ばれているものへの共感的な眼差しが、サイードのいうオリエンタリズムに陥りかねない危険性はわかっているつもりである。

また、ローカルメディアが活況を呈している(ように見える)状況を面白がるのではなく、もっと具体的に「どのローカルメディアの、どのコンテンツが、どのように面白いのか」を語るべきだ、というある参加者からの問いかけも、ストレートに心に響いた。たしかに、個別のコンテンツについて語ることなく、状況や大枠の話ばかりが先行していたかもしれない。だが、それは上記のような個人的理由があるからだ。

東京もまたローカルの一つである。ローカルを「中央」対「地方」の構図の後者として位置づけるのではなく、「地域」あるいは「近隣」としてみたとき、その意味での「ローカルメディア」の象徴的な成功例は、1984年から2009年まで25年続いた『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』だろう(いまも「谷根千ネット」でその活動の概要を知ることができる)。

『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』の最終号(うしろ)と、同じこの地域で創刊された「青鞜」を特集した初期の号(手前)。

「谷根千(やねせん)」の愛称で親しまれ、行政区を超えた近隣地域一体に生活に密着したアイデンティティを与えた点で、『地域雑誌 谷中・根津・千駄木』の活動は、東京北部における小さな「トランス・ローカル」の試みでもあった。だが、同種の試みが日本中の各地に広がらなかった(あるいは、広がってもここまで続かず、多くの人に知られなかった)ことも確かである。

もしかしたら「谷根千」のような活動は、東京のこの地域で、しかも1980年代から2000年代の始めにかけての時代にしか成り立たない、特殊なものだったのかもしれない。そもそも谷中・根津・千駄木地域は東京大学の後背地であり、文化資源にも歴史資源に恵まれている。その意味では、鹿島茂の本が詳細に描き出した神田神保町と同じく、首都・東京のローカリティを深く刻印された場所だ。だが、どちらの地域の経験も、その場所や時代という特殊性のなかにとどめておくだけはいかにも惜しい。

幸い、いまはインターネットをはじめ、印刷媒体以外のさまざまな手段がある。「谷根千」の活動や過去のアーカイブも、いまはネットで参照できる。台北のArtQpieの代表が語った「地域コミュニティに対して、異なる見方・パースペクティブを共有する機会を提供し、都市と都市、街と街のあいだで多様なコミュニケーションが生まれるよう協同する」というトランス・ローカルなアクションを、まず日本国内の各地の間ではじめることは、いまからでも十分に可能なはずだ。

「マガジン航」はそのためのプラットフォームになれたらと思う。各地域でローカルメディアにかかわる方(「東京」という地域からの視点も含め)の寄稿を歓迎します。

名門文芸誌エヴァグリーン・レビューの再始動

2017年4月28日
posted by 秦 隆司

今年の2月、アメリカのOR Booksを立ちあげた編集者ジョン・オークスからメールがあった。ジョン・オークスとは数年来の知り合いで、僕は彼を題材にアメリカ出版界についての本を書こうと何度か彼にインタビューをしていた。

そのメールは1950〜70年代にかけて、グローブ・プレスが出していた伝説的な文芸誌「エヴァグリーン・レビュー」がウェブマガジンとして再び出版されることになり、それを祝うパーティがブルックリンのバーで開かれるという知らせだった。

「Invitation to the re-launch of the Evergreen Review」とメールには書かれていた。そして「返事は無用、ただ来ればいい(no rsvp necessary; just show up)」とも。公式なパーティの招待状は普通「RSVP(出席か欠席の返事をお願いいたします)」の文字がついているものだが、この「そんな返事はいらないからただ来ればいい」という少々荒っぽい文章にニヤリとした。

僕はこの2月の夜のパーティに出かけてみた。マンハッタンから地下鉄を二度も乗り間違えて、到着するのに1時間もかかってしまった。なかなか目的地の駅につかない地下鉄の中で僕はジョンが以前「文芸誌を始めようというのは、どんな時にもよいアイデアではない」と冗談っぽく言っていたことを思い出した。

今回、「エヴァグリーン・レビュー」はどんな体制で再始動したのだろう。彼らはそれを通して何をしようとしているのか、そしてどう存続させていくつもりなのだろうか。また、そもそも何故、この媒体を再始動させようとしているのか。メールをくれたジョン・オークスは「エヴァグリーン・レビュー」のCEOともなっている人物だ。編集長となった作家デール・ペックとも連絡が取れる。さっそく、二人から話を聞いてみることにした。

伝説の編集者バーニー・ロセットが創刊した雑誌

新しい「エヴァグリーン・レビュー」の話の前に、そもそもこの雑誌がどんな媒体だったかという話をしなければいけないと思う。

フォックスロックから出版された「エヴァグリーン・レビュー」の復刻版1号。PDFは無償でダウンロードできる。

「エヴァグリーン・レビュー」の創刊は1957年。そのときどきで季刊誌だったり月刊誌だったりしたが、紙媒体として1973年まで発行されていた。その後、1998年にもウェブマガジンとして復活させる試みがあったが、うまくいかなかったようだ。そして、実は昨年も「エヴァグリーン・レビュー」は再始動パーティをおこなっている。僕も今回同様そのパーティに出かけて行った。それから約1年間、「エヴァグリーン・レビュー」は何も動かなかった。その理由は、資金不足だったことが今回の話でわかった。

サミュエル・ベケット、ウィリアム・バロウズ、ジャン=ポール・サルトル、ヘンリー・ミラー、ローレンス・ファーレンゲッティ、アルベール・カミュ、大江健三郎、スーザン・ソンタグ、アレン・ギンズバーグなどがこの雑誌に寄稿した。当時はまだ彼らの多くが無名、あるいは新進作家だった。

僕はもちろん当時の「エヴァグリーン・レビュー」を読んでいた訳ではない。僕にとっては何といってもグローブ・プレスの発行人だったバーニー・ロセットが創刊した文芸誌というかサブカルチャー誌だったことに大きな意味があった。バーニー・ロセットは彼のグローブ・プレスを通して大江健三郎、ジャン・ジュネそしてベケットをアメリカに紹介した出版人/編集者だ。

招待のメールをくれたジョン・オークスは、バーニー・ロセットがいた時のグローブ・プレスの編集者でもあったので当時の彼の話を聞くことができた。

バーニー・ロセットは、グローブ・プレスでD.H.ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』、ヘンリー・ミラーの『北回帰線』、ウィリアム・バロウズの『裸のランチ』といった作品を発行した際、政府のとった出版禁止措置にそれぞれ反対して裁判で争い、いずれも勝訴した。

この一連の裁判でロセットが最も狙っていたのはヘンリー・ミラーの『北回帰線』の出版だった。しかし、いきなりあまりにきわどい『北回帰線』では冒険過ぎると思い、最初に文学的に受け入れられやすい『チャタレイ』で戦うことにした。

アイリッシュの血を受け継ぐロセットは、D.H.ロレンスのイギリス的感覚を最後まで好きになれなかったと言っている。

「1番ロレンス、2番ミラー、3番バロウズという感じ」と彼はこの裁判を野球の打順に喩えている。

ジョン・オークスによると、グローブ・プレスでは編集会議のようなものはなく、ロセットにこの作品を出版したいと相談し、了承を受けるという形を取っていたという。

ロセットが型破りな人物であることは彼のヘンリー・ミラーとの出版交渉のやり方にも現れている。彼は『北回帰線』のアメリカでの出版権を得るために当時ミラーが住んでいたカリフォルニア州ビッグサーまで出向いていった。その時、ロセットはミラーとピンポンの試合をやりながらこの交渉をしている。また、彼は映画の配給も行ったが、自分が配給しようとする映画の内容が猥褻で過激すぎてアメリカのどの映画館でも上映されないと分かると、映画館を買収してしまった。また、自分でバーを開いて大赤字を出したこともある。

そのバーニー・ロセットが「エヴァグリーン・レビュー」を創刊した理由は「なんとなく必要なもののような気がしたから(There just seemed to be a need for it.)」というものだった。まあ、彼らしい理由だ。

非営利組織によるリスタート

話を今回の「エヴァグリーン・レビュー」再始動に戻そう。

僕は先ほど述べたブルックリンでのパーティの後、マンハッタンのチェルシー地区にあるジョンの自宅まで出かけていって、今回の再創刊をめぐる話を聞いてみた。

分かったことはまず、「エヴァグリーン・レビュー」は非利益組織となっていること。資金は大きな財団の基金と、裕福な個人的な寄付から出ているが、これからもさらに資金集めもしていくということ。そして、CEOとなっているジョン・オークス、編集長のデール・ペック、エグゼクティブ・エディターのカルヴィン・ベイカー、インターナショナル・エディターのジア・ジャフリーにはお金が出ていないこと。「エヴァグリーン・レビュー」とは別に、フォックスロック・ブックスという書籍のインプリント(別ブランド)を抱えている、ことなどだった。

「私、編集長のデール・ペック、またそのほかの編集者にはお金が出ません。著者、アーティスト、デザイナーなどにはお金が出ます。将来的にはこの状況が変わるといいのですが、いまはとにかく「エヴァグリーン・レビュー」を始動させ軌道に乗せることを考えています」とジョン・オークスは言っていた。

そして、いまは人々に読んでもらうために「エヴァグリーン・レビュー」は購読無料だが、この後2年間ほどで有料購読になるかもしれないという。

では、どんな作家の作品を載せていくのだろう。

その決定をするのはジョンではなく編集長のデール・ペックだ。僕はデールにも連絡を取り、ウェストビレッジのバーで酒を飲みながら話をした。

デール・ペックは自身も作家であり、ニューヨークのニュースクール大学で教鞭も執っている。『Hatchet Jobs』という本と作家についての評論の著作もある。この本でデールはデヴィッド・フォスター・ウォレス、リック・ムーディなどの今の作家についての非常に辛口な評を書いた。

『Hatchet Jobs』でデール・ペックは、「デヴィッド・フォスター・ウォレスはトマス・ピンチョンの作品の焼き直しをしただけで、何も新たなことを語っていない」としている。そして、トマス・ピンチョンについても、「思考の前菜的なものは数多く登場するが、メインコースとなるものはみられない」としている。リック・ムーディについてはさらに酷評で「彼は彼の世代の作家で最も酷い作家だ」という文章から始まっている。

これに対し、文芸誌『Believer』の編集者で作家のハイディ・ジュラヴィッツは、最近の書評は「人の注目を得るようなアプローチの仕方で、書評自体をエンターテインメントとして扱っている」と反論している。つまり、世間の注目を浴びるために、その題材を酷評する手法を使っているというのだ。

『Believer』といえばゼイディ・スミス(『ホワイト・ティース』)、デイヴ・エガーズ(『驚くべき天才の胸もはりさけんばかりの奮闘記』)、ベン・マーカス(『沈黙主義の女たち』)などの若手中堅作家と結びつきが強く、彼らを敵に回した感がある。

『Hatchet Jobs』の論争はアメリカ文学界の大きな話題となったので、僕はそのことをデールに聞いてみた。

「デヴィッド・フォスター・ウォレスを読んで僕が感じたことは、これはポストモダンの焼き直しで、1970年代がまたやってきたみたいだと思った。僕は彼の書いたような本は何百回と読んできた。デヴィッド・フォスター・ウォレスは何も新しいことを語っていないと思った。僕はそれを言いたかったんだ」とデールは言った。

こちらの話も興味深いが、僕は話題をエヴァグリーン・レビューに戻した。

彼はエヴァグリーン・レビューのサイトで「Letter from the editor」を書いている。この文章は一読の価値があると思う。

デール・ペックによる「Letter from the editor」。

話はちょっと難しくなってしまうが、彼がここで書いていることを少し紹介してみよう。

デールはこの文章の中でスーザン・ソンタグの有名な言葉である「解釈は知識人の芸術に対する仕返しだ(interpretation is the revenge of the intellectual upon art)」という言葉を引用している。デールはこの言葉をさらに進め、解釈学は芸術の敵だが、芸術のバイプロダクツ(副産物)の一部であると言っている。そして、それにはシンポジウム、広報、作家の信望者、それに文芸誌も含まれるとしている。つまり、文芸誌もバイプロダクツのひとつだと言っているのだ。

そして、雑誌の目的は芸術をブルジョワ階級の商品に組み込むことだとも言っている。

「使い捨て可能な消費生活製品の広告や、地位を示す製品の広告に挟まれている悲劇的・破局的な物語の意味を真剣に考えることは難しい」

しかし、とデール・ペックは続ける。

「もし芸術が、私たちが入り込んでいる破滅への道へのプロテストだったら、私たちの求める人生が無制限の獣欲主義ではなく、啓発された精神的なものだったら、それはどこかで文学に反映される可能性があるのではないか」

バーのテーブルで彼は「エヴァグリーン・レビュー」にどんな作品を載せたいかも語ってくれた。

「カタルシス(浄化)や情報ではなく、怒りとアクションや社会・道徳的に不適切な作品(これは山ほどあるとデールは言う)でもなく、その表現が特異で一度きりしか表現できない詩。人に見せるのが恥ずかしくなるような、自分のつまらなさ、失敗、裏切りを露呈させる物語。そのおかしな形態や攻撃性により物語にもなっていないような物語ではなく、自意識の甲羅を超えて私たちを人間とさせている核に迫る作品です」

とデールは言う。

「文学も文化の中にあるのですが、それはいつも戦いです。文化の中にあってもその文化からどれだけ離れているか、文化とその距離の引っ張り合いの中で成立しているような作品を載せていきたいんです」

彼の言う「文化」とは社会的な生活や精神活動を指していると僕は思った。つまり、社会や人に受け入れられる、納得を得られる枠と、それを外れ受け入れられない作品とのせめぎ合いだ。バーニー・ロセットがやってきたことでもある。

そして、「エヴァグリーン・レビュー」ではこれから英語が母国語でない作家の作品も載せていきたいと言う。

「いまアフリカ、アジア、スペインなど五つの違った言語圏の作家が英語で書いた作品を読んでいます。ネイティブスピーカーが書いたものではないことは読めばすぐわかります。彼らの作品は保守的なセンシビリティ(感覚)、つまり英語はこう使われるべきだという考え方を脅かすものとなるはずです」

僕はデールの他の編集者のことも聞いた。

「エグゼクティブ・エディターのカルヴィン・ベイカーとはもう16年の付き合いで、いつか一緒に雑誌をやろうと話していました。インターナショナル・エディターのジア・ジャフリーとも15年の付き合いで、彼女は海外の作家と強い結びつきがあります」

つまり、デールを中心に昔からの仲間がエヴァグリーン・レビューを作っていくことになるのだ。

最後に「エヴァグリーン・レビュー」の更新方法を聞いた。

「いまのところ年3回、4カ月に一度に新たな号を出していきます。まずは毎号8本から10本の作品を載せて、さらに毎月1本か2本ずつ増やしていければと思っています」

一号あたりの掲載作品を最初の8〜10本から12本、13本、14本と同じ号の中で増やしていくのだ。

ちなみに再創刊の第1号はゲーリー・インディアナ、多和田葉子、バーニー・ロセット(ヘンリー・ミラーとのピンポンの話も載っている)などの作品が掲載されている。

新しい「エヴァグリーン・レビュー」には、かつて同誌に掲載された作品も載せていくことができる。そしてジョンによればサブスクリプション登録をした読者はすでに数千人いるという。これはこの雑誌にとって大きな財産だ。しかし、以前の成功を再現することは無理な注文だろう。

バーニー・ロセットが「エヴァグリーン・レビュー」を創刊したときの理由が「なんとなく必要なもののような気がしたから(There just seemed to be a need for it.)」だったことは先に述べた。

ウェイトレスがテーブルにきてワインのおかわりはいるかと聞いた。もうデールはどこかに行かなくてはいけない。僕はグラスに残ったワインを飲み干し、ところでどうしてまた「エヴァグリーン・レビュー」をやることにしたんだと彼に聞いた。

「I want to beat the odds(勝ちそうもない戦いに勝ちたいんだ)」とデールは笑った。