削除から考える文芸時評の倫理

2021年2月6日
posted by 荒木優太

月評の文章が削除される

今年から文藝春秋の文芸誌『文學界』で「新人小説月評」を担当している。純文学世界に精通してない方に少しシステムを説明しておくと、『文學界』編集部がセレクトした新人、具体的には芥川賞をまだとっていない純文学作家の小説を、いいとか悪いとか、評していくという仕事だ。文芸時評自体は、前年に週刊紙『読書人』で一年間担当していたこともあって個人的には去年の勢いのままつづいている感もあるが、原稿料や編集者の姿勢といったこまごました違いがそこそこ興味深い。

さて、そんな月評だが、2月5日発売の『文學界』3月号の拙文の末尾「岸政彦『大阪の西は全部海』(新潮)に関しては、そういうのは川上未映子に任せておけばいいでしょ、と思った。」(p.307)が編集部によって削除されるという事件が発生した。

以下、本誌と削除される前のゲラ状態の末尾部分を添付しておく(左:本誌、右:最終ゲラ)。

検閲とはいわないまでも、不変更を指示した文章へのこの種の介入は横暴であり、まずは『文學界』編集部を強く非難したい。

岸政彦『大阪の西は全部海』紹介

『新潮』2月号に掲載されている岸政彦『大阪の西は全部海』の簡単な紹介と個人的所感を記しておく。

岸作は、大阪にある小さな法律事務所の事務員の女性が(どうやらパートナーに対して)一方的に語りかける体裁をとった小説で、理由は不明なものの、自分に子供ができない予感を様々なエピソードとともに喋りつづける。

流れるような関西弁の語り、生まれる生まれないといった主題から容易に川上未映子作品の模造品を連想させる。岸は川上とトークイベントで同席し、2019年8月号の『文學界』には「川上未映子にゆうたりたい」という作家論を寄稿しており、その心酔具合を類推できる。作家同士の付き合いにとやかくいうつもりはないが、現役作家の真似事を読むくらいなら、その作家当人のものを実際に読めばいいではないか、という疑問が先立った。作者自身のデリケートな家族事情を或いは反映しているのだとしても、その印象は覆らない。生まれてこなかった姉がイマジナリーフレンド的に女のなかで喋る細工も、去年の注目作の一つ、木崎みつ子『コンジュジ』(『すばる』2020年11月号)の迫力に比べれば数段劣る。おそらくは作者がこだわっただろう大阪の街の描写も、上記がノイズとなって不調和に終わっていると思った。柴崎友香との近刊共著『大阪』(河出書房新社)にはそういったものは感じない。

総じて、特に面白くはないが、かといって駄作だと声高に主張したいほどのものでもなく、「川上未映子に任せておけばいい」くらいで終わらせておくのが穏当だと判断した。

「批評になっているか微妙といいますか」

さて、本題である。こんな程度の文章になぜ編集部がわざわざ手を入れようとするのか。常軌を逸している。

念のために断っておけば、編集者による原稿の修正や削除の提案自体にはなんの問題もない。よい文章を作りたいという目標が一致するのならば忌憚ない意見こそ歓迎されるべきだ。さらに、編集者が強権的に原稿に手を加えることも場合によっては許されるだろう。特に、差別扇動や凶悪犯罪への示唆などの文言に敏感であることは必須の能力ですらある。

けれども、拙文はそのようなものとは見なせない。提案に留まるならまだしも、原稿の一部を故意に切り取り、それを私の名で掲載させることは書き手への根本的なリスペクトを欠いているといわざるを得ない。

では、なぜこのようなことが生じたのか。担当編集者がメールであれこれと弁明しており、私信のためそのすべて公にすることは憚られるが、ポイントを引用させてもらえば、以下だろうか。

「この言い方はちょっと言いっぱなしになっているのではないかと声がありました。たしかに岸さん、川上さんから反応がありそうな、ちょっと怖い言い回しだなと思います。批評になっているか微妙といいますか」

文字数のパフォーマティヴィティと方針の不貫徹

説得力がない。第一に、文字数を増やさないのは(よくも悪くも)そこまでの作ではないと判断したからだ。貶すとき、400字以上を用いて丁寧に批判することはある。が、それは《不満はあれどそれを論じるに足るほどの熱や野心を感じた》というメタメッセージが発生することを見越して初めて着手できることだ。岸作は少なくとも私にとってはそうではない。

第二に、片言的な評が載せられないというのも理解できない。過去この欄を担当した、たとえば栗原裕一郎や池田雄一のものを読んでそれ言ってんのか、という些事に目をつむるとしても、たとえば一つ前の号、『文學界』2月号の拙評では、末尾を「最後になったが、朝比奈弘治「丘の上の桐子」(學)は……えっと、独特な世界観ですね、カフカみたいですね。」(p.471)で締めている。

未読の方に説明しておけば朝比奈作は別段カフカ的ではない。ではなぜカフカが出てきているかというと、これは前振りがあってのものなので完全に理解したければ全文を読んでいただくほかないが、とまれ、朝比奈からみれば作品世界に深入りしていないのだから、不愉快を感じたとしても仕方ないものだろう──ついでにいっておくと、朝比奈に限らず荒木に評された作家連中は誰であれ、私に怒りをぶつけてもいいし、憎しみの念を抱いてもよい、その前提で書いている──。

その上で、朝比奈のものはスルーできるのに岸&川上のものは削除するという姿勢は、編集部には岸や川上のご機嫌とりでもしなければならない理由でもあるのかしらん、といったあらぬ疑いを掻き立ててしまう。こういった余計なお世話は、岸や川上にとっても迷惑な話ではないか。

そもそも、作家から「反応」があったからといって、なんだというのか。怒りたければ怒ればいいし、月評に不満なSF作家・樋口恭介がしたとおりウェブに反論文を書いてもいい。場合によっては私はそれで反省するだろうし、或いはやはり自分の正しさを確認するだけに終わるかもしれないが、その過程のなかで新たに発見できるものもあるだろう。

文芸誌界隈の人々は、しばしば、古き良き(?)文壇的光景であるところの作家と批評家の二人三脚の復活を願うが、この程度も認められないのならば、書評家という名の広告塔しか残らないのは明白だ。

各人が自分の思う「批評」を信奉するのは勝手だが、その規範を他人に押しつけてはならない。そういう自由が各人にはある。以上が編集部を非難する理由である。

正直であることを悪徳にしてはならない

るるとして書いてきたが、実のところ私はそこまで怒ってもいなければ落胆してもいない。今回は『文學界』で起きたことだったのでこれに照準するかたちになったが、文芸誌ではこの種の姑息な介入は日常茶飯であり、私自身、他誌で似たような経験をしてきた。ほとんど業界の体質のようなもので、おそらくこの文章が公にされても特に反省することはないだろうし、人によったら、親切心で文章を削除してやったのになんでこんな仕打ちを受けねばならないのか! と憤慨する人さえでてくるかもしれない。

困ったものだが、彼らの目からは本当にそう見えているのだから仕方ない。

文芸誌やその編集者たちに特に期待はしていない。では、なぜこんなにも長々と書いているかというと、文芸誌に載るような作品を、さらにはその批評を読む少数の読者に語りかけたいと思うからだ。

たとえば、今回私が岸作をあまり評価しないことで大きなフラストレーションを感じる岸ファンの読者がいるかもしれない。『大阪の西は全部海』は岸の著作のなかでも随一の傑作であり、芥川賞をとってもおかしくないのに、と。

実のところ、私は自分のジャッジに絶対の自信をもっているわけではない。自身の無教養は勿論のこと、当該の月評欄は4~10作ほど絞られた対象作──ちなみに3月号では13作が対象となっている──を2週間程度ですべて読み、その評を書くというかなりタイトなスケジュールで回っている。求められる熟慮をすべての作に等しくかけられるというと怪しくないわけではない。だから、そのクレームは本当に正しいのかもしれない。

しかし、同じことを逆にも考えてほしい。もし荒木以外のすべての評者が、『大阪の西は全部海』を駄作と結論づけたならば、「芥川賞をとってもおかしくないのに」とまで感じたあなたの感動は否定せねばならないのだろうか。

そんなことは決してない。『無責任の新体系』(晶文社)にも書いたことだが、文学作品は作者による産物であると同時に、読者がもつ解釈格子次第でいかようにも姿を変えるものだ。小説のなかの「犬」の字から、柴犬を連想するのかチワワを連想するのかは読者によって異なり、その傾きの背後には読者自身が生きてきた膨大な人生の経験が積み重なっている。岸作からもらった感動の半分は、一人ひとりかけがえない読者が固有の仕方で編み出した創造物であり、それは誰がなんといおうと断固として守られねばならない。

読者に伝えたいのは、私のもっているつまらなさや無感動も、いくぶんか自己に責任をもつところの私自身にとっての大切な創造物であるということだ。評者としての荒木は知的教養が豊富でもなければ流麗なレトリックの使い手でもない。荒木より才に秀でた読み手は世にごまんといる。私の最大の、というより唯一の武器は、面白いものには面白いといい、つまらないものにはつまらない、という、正直であることのほかない。そしてこれは他人の正直を決して否定するものではないのだ。

正直は正しいから擁護されねばならないのではない。たとえ間違っているによ、それが現にそうであることを認めなければなにごとも始まらず、少なくとも人を欺くよりかは誠実であるから守られねばならないのだ。そして、誤りうることを最初からなかったかのように修正する力を見逃すことは、大袈裟なように聞こえるかもしれないが、長期的には社会の基盤に重大なダメージを残すように思えてならない。

いつか誰かがもつかもしれない誰にも理解されない正直を、余所の人にめちゃくちゃにさせないためにいまこの文章を書いている。

文句があるなら言論で戦いましょう。大切なのは、裏工作して保身に走る編集者でもなければ、小説の読み方もろくすっぽ知らない文芸評論家気取りでもなく、あなたがどう思ったかということです。きっとそのほうが文学とかいわれるものにとってもよりよい未来をもたらす……と思いませんか?

ブックオフで神隠しに遭う【マンガ版】

2021年1月14日
posted by 飯島健太朗












(原作:谷頭和希〈ブックオフは公共圏の夢を見るか〉第5回 「ブックオフで神隠しに遭う」

物語の命脈と物語による回復

2021年1月6日
posted by 藤谷 治

第26信(藤谷治から仲俣暁生へ)

仲俣暁生様

明けましておめでとうございます。昨年末はB&Bのイベントに参加してくださって、ありがとうございました。瀧井朝世さんや田中和生さんにも助けられました。

今にして思えば、まだあの夜の僕は2020年のメランコリイを引きずっていたようです。病的というほどではなかったと思いますが、実は結構、やばかった。現在はやや回復しているようで、小説の執筆も勢いを取り戻しているようです。年が明けたからではなく、あのイベントにも関係する小さな出来事が回復のきっかけなのですが、それは後で書きます。

僕もまた2020年はいわゆる「古典」と見なされている本ばかり読んでいました。と言っても、仲俣さんのようにジャーナリズムからの解放としてではなく、まったく仕事上の必要からです。大学でほとんど不意打ちのように「日本文章史」なる授業を受け持つことになり、去年の後半から慌てふためいて岩波の「大系本」を神保町のワゴンセールで買い漁りました。

古典に関する専門的な知識もなければ定見もなく、僕のような人間に大学が求めているであろう独創的な文学史観すら持ち合わせていないので、選択の余地なしといったテイで『万葉集』から平安朝文学を経て、謡曲で前期を終え、後期は説経節から江戸文学、明治の言文一致から戦後、現代までという、平々凡々たるラインナップを突っ走りました。学生にはあらかじめ「ゴリラ読み」と自称していたくらいです。

ですから古典の読み直しといっても、否応なしの無我夢中で、仲俣さんの読み方などとは比較にもならない読書でした。おまけにコロナの混乱で当初の予定は大きな変更を余儀なくされ、前期は最初の『万葉集』と最後の謡曲をカットしなければなりませんでした。またそのためもあって、僕の古典読み直しは仲俣さんとは大きく違って、和歌は一切素通りしてしまいました。

しかしそんな読み方でさえ、僕には得るものが大きかったです。若かったころの乱読時代に、僕がどんな具合に古典を読んだかと思い返すと、結果的に「逆流」であったと気がつくのです。最初のとっかかりは落語でした。落語の本が文庫になっていると知って、興津要の『古典落語』を読み、そこから円朝を知り、『膝栗毛』から『能狂言』、『今昔物語』をちらちらめくって『源氏』に降参して『竹取物語』に至る……と、おおむねそんな逆流の読み方をしていたと思います。

今回、改めて「まとも」な順番で読んでいって、はっきり感じたことがひとつあります。それはもしかしたら、丸谷才一の時代区分と、少しは通底するものがあるかもしれません(丸谷氏の本を読んでいないのに、何を言っているんだ、という話ですが)。

それは、江戸時代からこっちは全部現代だ、ということです。中学生でも見るような大ざっぱな文学史年表を眺めていると、八世紀の『古事記』から十四世紀の『太平記』、十五世紀前半の世阿弥くらいまでは、ほぼ間断なく「題名くらいは覚えておこう」みたいな代表的文学作品が並んでいます。ところがその後、元禄時代に西鶴が現れるまで、少なくとも散文作品には、受験勉強レヴェルでの重要作品が見当たりません。西暦でいうと『風姿花伝』がだいたい1400年くらい、『好色一代男』が1682年の出版で、そのかんに「これだけは」というほどのものが見当たらないのですから、なんと三百年くらい、ぽっかり空いていることになってしまいます。

もちろんこの時期、歌集や歌論、謡曲や浄瑠璃は盛んだったのですから、散文にこれといったものがないからといって、文学が衰退したなどとは言えません。ただ、この長い年月は、日本の散文とその書き手にとって、大きな大きな変革期だったことは、どうやら間違いがないようです。

変革というより、いっそ逆転と言った方がいいくらいかもしれません。貴族社会が没落し、台頭してきた武家が平安貴族の文化を模倣し継承し、発展させることで、生殺与奪の権を誇示した時、そこで庇護されたのは美術であり演劇であり、また社交としての茶の湯や華道、そして歌道であったのです。物語作者や散文作者を、武家がパトロネージュしたという話を聞きません。物語や散文が再び現れるには、政情の安定と市民社会の成熟をまたなければなりませんでした。

それは要するに、「権力の庇護」の時代から、「権力の抑圧と資本の支配」の時代への移行に必要な三百年でした。世阿弥までの物語作者が、ほぼ例外なく権力者の威勢や趣味の好悪に依存しなければならなかったのに対し、江戸の幕藩体制が整備され、市民が資本主義社会を発達させてからの作者たちは、権力の監視と制限の下で、「版元」とか「売り上げ」といった資本に依存して生きるようになりました。そしてその生の様態は、西鶴からこんにちの我々に至るまで、いささかも変わることはないのです。恒産があるとか副業を持つとかの、作者たちおのおのの事情や、印税や著作権など、制度上の変化はありますけれど、この三百年でもたらされた変化に較べれば、微差といっていいでしょう。

この三百年のあいだ、散文が書かれなかったわけでは勿論ないでしょう。それは史書や日記として続いていたでしょう。しかし物語は? 藤原定家がいなければ、『源氏物語』は間違いなく散逸していたでしょう。けれども定家の時代にすでに、『源氏』は同時代を映す物語ではありませんでした。それは貴族やのし上がった武家の趣味の規範であり、画題であり、失われた時代への郷愁、憧憬でした。

権力の庇護も受けられなくなり、市民社会の資本も整わなかった時代に、物語は世の中からはじかれた人間によって語られていたのです。彼らの多くは下層階級の人間ではあっても、しかし社会の下層に留まっているわけではなく、少数ながら公家や武家、あるいは僧籍にある(あった)人間も含まれていました。

貧農が食わすことのできなくなった子供たちの、女児が人買いに売られるように、男児は寺に置かれて髪を剃りました。しかし仏門で出世できるわけでもなく、居場所のなくなった彼らは、琵琶を持って辻々をまわり、因果応報の戒めを語るという名目のもとに種々の物語を語って、日銭を稼いでいたのです。恐らくは平安初期の『日本霊異記』にあるような逸話に源のあるそのような「かたりもの」は、やがて『保元物語』『平治物語』そして『平家物語』へと結実されていきます。あの壮大な『平家物語』が成り立ってしまうほどに、物語を語る者たちの貧しさは長く続き、組織化もされ、社会の中で固定化されていた、ということでもあるでしょう。

琵琶法師だけではありません。足利家に庇護された世阿弥から、元禄の町民、商人たちの金に庇護された西鶴までの三百年に成立した物語に、浄瑠璃と歌舞伎がありますが、浄瑠璃の前身といっていい説経節は、ささら乞食と呼ばれる者たちによってうたわれ、歌舞伎ももとは河原乞食という被差別民の仕事であったといわれています。詩歌や私的な散文、あるいは公的文書に準ずるような史書や倫理に関わる文書と違って、日本の社会における物語は、かなりはっきりと見捨てられた人間たちのための、見捨てられた人間による創作であり、技芸であったと言えるのです。

同時代の政治的事件を物語とすることに、時の権力があからさまな弾圧を加えたことは、シェイクスピア時代のイギリスも歌舞伎揺籃期の日本も全く同じです。そして歌舞伎作者は、これまたシェイクスピアと同じ手段でこの弾圧に対処しました。すなわち「これは現代の話ではない」とまず逃げを打って、それから同時代の物語を語ったのです。周知の通り『仮名手本忠臣蔵』は、あくまで『太平記』に材を取った塩冶判官と高師直の話であって、浅野内匠頭と吉良上野介の話ではありません。そうであると同時に、『忠臣蔵』が元禄十六年の討ち入りの話だという共通理解は、当時も今も変わりなかったのです。

出自によって地位も職業も、人生もあらかじめ決定される社会から逸脱して、見かけの華やかさとは裏腹に下層民として生きた物語の担い手たちは、卑屈ともいえる搦め手で「お上」の弾圧を避けたのでした。そして「お上」もまた恐らくは、ある意味で騙されたフリをしていたのだと思います。それだけ物語が、どの階層の人間にとっても魅力的であり、また社会の不満のガス抜き的な効果を持ってもいたのでしょう。

物語はアウトローによって命脈を保ってきました。僕には自分をアウトローだ、世間一般の人間とは違うんだなどと気取る趣味はありません(僕の「自己承認欲求」は別のところにあります)。僕はただの小説家、物語作者であり、その身過ぎ世過ぎに鬱々としている、普通の社会人です。

ただ物語作者として、我らの偉大なご先祖様たちのことを思うと、やっかいなメランコリイが、薄皮の剥がれるようにほどけていくのを感じるのです。というか、そう感じることについ最近、気がついたのです。それはあのB&Bのイベントのおかげでした。ゲストのお三方が紹介してくれた「2020年の収穫」を、今の僕はゆっくり読んでいます。昨年最後の読書になった青山七恵さんの『みがわり』は、とても、とても良かった。これを僕は「脱皮」の物語として受け取りました。

そして今はマーガレット・アトウッドの『獄中シェイクスピア劇団』を読んでいます。まだ最初の百頁しか読んでいませんが、この一冊は僕を回復させてくれます。怒りや悲しみをユーモアで覆う語り口は、「世界は舞台、人はみな役者」という、シェイクスピアの人間観を踏襲するものでしょう。

こんな言葉がありました。

「シェイクスピア本人は古典になるつもりで書いてないよ!」フェリックスは声に怒気をふくませた。「彼にとっての古典とは、古代ローマのウェルギリウスであり、ギリシャのヘロドトスであり……本人はいつオケラになっても不思議じゃない、いわゆる劇団座長にすぎなかったんだ」(鴻巣友季子訳 p.72)

仲俣さんほど速読できるわけじゃないし、読み終わるのにはもう少し時間がかかるでしょう。『みがわり』もそうでしたが、『獄中シェイクスピア劇団』を読んでいると、むしょうに自分の小説を書きたくなるのです。シェイクスピアが「いつオケラになっても不思議じゃない」のだから、僕ごときが仕事もしないで手許不如意を嘆くなんて、おこがましいにも程がありますからね。

実はこの手紙では、仲俣さんのひとつ前の手紙に応じて、「編集」についても書くつもりだったのですが、長くなりました。そのうちまた書きます。それでは。

第1信第2信第3信第4信第5信第6信第7信第8信第9信第10信第11信第12信第13信第14信第15信第16信第17信第18信第19信第20信第21信第22信第23信第24信第25信第27信につづく)

 

第7回 「ブックオフを異化したい」
――飯島健太朗さんインタビュー

2020年12月27日
posted by 谷頭 和希

--僕が「マガジン航」で連載している「ブックオフは公共圏の夢を見るか」の連載第5回目「ブックオフで神隠しに遭う」がマンガ化され、Twitterで大きな反響を呼びました。今回は、そのマンガの作者である飯島健太朗さんをお呼びして、その制作工程や、飯島さんとブックオフの関わりについてお伺いしていこうと思います。飯島さん、よろしくお願いします。

飯島:よろしくお願いします。

マンガ化の経緯

--まず、どうしてこの連載をマンガ化されたのか、経緯を教えていただけますでしょうか。

飯島:第一に、谷頭さんの文章をマンガにしたかったんですよね。それで、数ある中でブックオフの連載は僕が一番好きで、そしてあの文章だったらマンガにできると思って描きました。なんていうか、谷頭さんの文章には共感するところが多くて。

--なるほど。僕は主に、チェーン店の話をエッセイ風に書いているのですが、飯島さんもそういうチェーンの話に興味を持つわけですか?

飯島:そうですね。僕がマンガを描こうとすると、チェーン店が出てきてしまうんですよね(笑)。松屋のこともマンガにしましたし。やっぱり、チェーン店もそうなのですが、ショッピングモールなどの郊外的なものも好きで、いずれマンガに描こうと思っています。

--そういうものに惹かれるわけですね。

©飯島健太朗

途方もない制作工程

--そうしたものに惹かれる気持ちがあのマンガにはよく表れていたと思います。もし、読んでいない方がいたらぜひ読んでほしいのですが、あのマンガ、ブックオフの風景がすごく細かく描き込まれていますよね。

飯島:ありがとうございます。

--あれを描くのはどれぐらいの時間がかかったんですか。

飯島:最後の方は毎日9時間ぐらい描いていました。

--すごいですね、それは!

飯島:背景にものすごい時間がかかったんですよ。でも、まだ描き足りてなくて(笑)。

--ええ(笑)。

飯島:もっと描き加えたいんです。あの連載では「ブックオフがコンビニみたいだ」と書かれていましたが、まだコンビニの明るさが出せていないコマがあるんですよ。もう少し明るい印象を出したい。

--すごいな。ブックオフフェチというか、執念すら感じます。

飯島:制作期間でいうと、資料集めから計算して、全部で3ヶ月ぐらいかかってますね。

--マンガは全部で12ページぐらいですよね。それで3ヶ月は相当だ……。

©飯島健太朗

写真と文章でブックオフを表現する

--いま、資料集めの話が出ましたが、実際に原作の舞台になった池袋のブックオフには行かれたんですか?

飯島:そうです。3回行きました(笑)。

--通い詰めましたね。

飯島:店内の写真を撮りまくったんですよ。それで発見したものも多かったんです。他の店舗で見たことがないような棚とかがあったりして。そういう原作には登場しないけど、面白いと思ったものも写真に撮ってマンガに登場させました。

--原作の文章にない風景もマンガにはあると。

飯島:そうです。現地で撮った写真をパズルのように組み合わせて、原作の文章の合間に散りばめる、ということをやりましたね。

--なるほど。僕もマンガを読んでて、風景と言葉がとても一致しているな、と思ったんですよ。原作の文章に対して、店内のどの風景を持ってくるかが面白いなと。飯島さんの独創性もかなり感じました。

飯島:ありがとうございます。そう言ってくれると嬉しいです。

生活へのフェティシズム

--あのマンガは、まさに現地への散歩の賜物だったわけですが、資料集めではない散歩もよくなさるんですか?

飯島:そうですね、かなりします。僕、基本的に生活が昼夜逆転してまして(笑)。それで、夜とか夕方に起きると、店がどこもやっていなかったりする。美術館とかも閉まってるし。それで外出となると、どこかに入るわけではなく、ただ散歩することになってしまう(笑)。

--コロナで営業時間を短縮していたりもしますしね。散歩するときに気になるものとかはあったりする?

飯島:基本的に僕は住宅街を歩くのが好きなんですよね。プライベートな空間というか、他人の生活にめちゃくちゃ興味があって。夜の住宅街で他人の家に灯りが点いているだけで、ワクワクするんですよね。

--(笑)。電気の向こうの暮らしを想像したりっていう?

飯島:そうですね、食器を洗う音が聞こえてきたりするのも、とても嬉しくなってしまう(笑)。

--歩いているとき、不意に聞こえてしまう音にワクワクすると(笑)。

飯島:他人の家の電気が点いたり消えたりする瞬間が好きで、一度それをマンガにしたことがあります(笑)。なんだろう、そういう他人の生活に立ち会ったみたいな瞬間が好きなんですよね。

--ある意味で、生活フェチというか(笑)。

ブックオフとノスタルジー

--いま、「生活フェチ」という言葉を言って思い出しましたが、飯島さんがブックオフをあれだけ緻密に描こうとする、いわば「ブックオフ」フェチなのは、ブックオフと生活が密接に結びついていたからなんでしょうかね?

飯島:そうですね。子供の頃からよく通っていたというノスタルジーもあるかもしれません。僕の地元は水戸ですが、そういうショッピングモールやチェーン店に囲まれたところで育ったので。ブックオフも近所にあってよく行きました。

--なるほど。小さいときは、ブックオフでどんな本を買っていましたか?

飯島:昔からマンガが好きだったので、一冊100円ぐらいで売っている古いマンガをひたすら買いましたね。アマゾンも子どもだと使えなかったですし。

©飯島健太朗

--たしかに今から10年ぐらい前で、子どもだとアマゾンを使うのはなかなか難しいですよね。そうなると、書店に売っていないような古い本を買うときは近所のブックオフになる。

飯島:だから、子どものときは、ブックオフにある本が世界の全てなんですよ(笑)。

--たしかに(笑)。それで、最初はマンガを目的にブックオフに行っていたのが、そのうちにブックオフ自体が好きになるわけですか?

飯島:そうなった(笑)。やっぱりブックオフ自体が好きなんですよね。

ブックオフのリアリティーを言葉にする

--ブックオフの空間のどういうところが好きですか?

飯島:うーん、どうなんでしょう。神保町の古書店にはときめかないので、なにかがあるとは思うんですけどね。

--それにはときめかないんですね(笑)。さっきも話にありましたが、コンビニのように通路が明るくて広いところがいいとか?

飯島:好きですねえ、好きです。

--とはいえ、ぼくも連載を書いているとわかるんですけど、それを言語化したり、表現するのってすごく難しいですよね。

飯島:谷頭さんは、ブックオフについて書かれますが、そういう空間に惹かれているんですか?

--そうですね、好きとか嫌いではなくて、飯島さんと同じように小さいときから暮らしにあったというのが大きいかもしれない。僕の場合は池袋なんですが、そういうリアリティーの中で育ったので。だから、飯島さんと同じようなことをやっていて、僕なりにそのリアリティーを言葉にしようとしているのかもしれないです。

飯島:なるほど。僕もそのリアリティーを表現するために、執拗に背景とかも描き込んでいるのかもしれません。

--まあ、僕は飯島くんほどのフェチではないけれど(笑)。いずれにせよ、生活フェチな飯島さんが、自分自身の生活のルーツにあった「ブックオフ」フェチになり、それをマンガで執拗に描き込むということになったわけですね。

チェーンを異化する

--実は、そこに飯島さんのマンガの魅力があると思っていました。飯島さんのマンガがこれだけ共感を持って受け入れられたのも、生活の周りにたしかにあるチェーンをじっくり見ているところだと思うんですよ。でも、チェーンって普段はじっくり見ないじゃないですか? そこを良く見て細かくコマに描き込むっていう。まさにフェチですが、そこに惹かれていると思います。その辺りはご自身ではどうですか?

飯島:まさに、そうなんですよ。あらためて谷頭さんの連載を読んで驚いたのは、そこで「ブックオフを異化したい」と書かれていたことです。それは、まさに僕がマンガを描いている時にずっと考えていることで、松屋やブックオフのような、そういう日常的なものを違う見方で見たいと思っています。

--チェーンを異化する、と。

飯島:そうです。だからコンビニとかも近い将来に描いてみたい。

--とても面白そうです。松屋も、全国にチェーン展開しているので、日常的に使っている人はそこそこいると思います。でもよく見たら、こういう切り取りかたもあるよね、みたいな驚きが松屋のマンガからは感じられるんだと思います。まさにチェーンを異化している。

飯島:谷頭さんは、まさに文章でチェーンとかブックオフを異化するっていうことをやっていて、僕はそれをマンガでやっている。

--そして、マンガで異化するときの一つの方法が「とにかく細かく描く」ってことなのかな、とも思いました。精緻に描き込めば描き込むほど、新しいブックオフの姿が見えてくるのかもしれない。

飯島:それはとても嬉しいです。

--チェーンに囲まれたような生活を異化することって、とても大事だと思います。それは我々のような世代のリアリティーを表現することにもなるのかもしれません。

これからのこと

--すみません、僕ばかり話している感じがします(笑)。そろそろインタビューも終わりなのですが、今後のマンガ執筆の予定などはありますか?

飯島:今度はセブン=イレブンのマンガを描こうと思っていて、構想を練り始めています。それと、来年の2月にはコミティアで出店しようと思っています。今まで描いたマンガをまとめて一冊の本にする予定です。

--ということは、さらに描き込まれたブックオフのマンガが読めるということですね?(笑)。いずれにせよ、チェーンを異化するマンガの試みはこれからもどんどんやっていってほしいですし、何より、この連載の一つのテーマである「ブックオフを異化する」という一つの方法を飯島さんには提示してもらった気がします。今日は長い時間、どうもありがとうございました!

飯島:こちらこそ、ありがとうございました!


○飯島健太朗

1999年生まれ。ゲンロン ひらめき☆マンガ教室3期生。Twitter:https://twitter.com/iijimakentarou

【お知らせ】飯島健太朗さんのマンガ版「ブックオフで神隠しにあう」を加筆したアップデート版を「マガジン航」誌上で近日中に公開予定です。ご期待ください(編集部)。

シェイクスピアから定家までの日々

2020年12月25日
posted by 仲俣暁生

第25信(仲俣暁生から藤谷治へ)

藤谷治様

年末恒例の本屋B&Bでの催しに今年もお誘いいただきありがとうございます。こちらも年内の大学の非常勤の仕事がようやく収まり、少しだけゆったりした時間を過ごしています。

差し迫った仕事に追われなくなると、春から秋にかけての長いご無沙汰へのお詫びとしては、先の手紙ではいささか不十分にも思えてきました。そこで、この長いブランクの間に僕が小説や文学について考えていたことを、やや長い追伸として書き添えたいと思います。案外それは先のメールでお尋ねいただいた「小説的官能」という問いへのお返事になるかもしれません。

約4年分の時評をまとめた本を上梓した後、連載はなおも続いているものの、ずいぶん重たい肩の荷を下ろした気分になりました。コロナ禍のため大学へ出向く必要もなく、これまでその往復に宛てられていた時間が余ったこともあり、この夏から秋は日々出版される本にジャーナリスティックに立ち向かうだけでなく、この機会でなければ読まないような本を読んでいました。

幸いにも、今年はそのきっかけを与えてくれる良書に数多く出会いました。たとえば岩波新書だけでも、7月に川端康雄の『ジョージ・オーウェル――「人間らしさ」への讃歌』が、9月には河合祥一郎訳によるスティーブン・グリーンブラットの『暴君――シェイクスピアの政治学』が、そして10月には村井康彦の『藤原定家 『明月記』の世界』が出て、それぞれの世界への優れた水先案内人になってくれました。実にタイミングよく出たそれらの本は一定の「ジャーナリスティック」な意味を背負って出版されたものですが、そこから先の読書には自分なりの動機がありました。

とりわけ中途半端にしか読んでこなかったシェイクスピアの世界へ導いてくれたグリーンブラットの『暴君』には、文字どおり瞠目させられました。『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』で示されたような書物史家として、これまでもグリーンブラットの仕事には注目してきましたが、シェイクスピア学者としての力量はこの本で遅蒔きながら知りました。そんな私にさえ、この本はシェイクスピアという広大な人類共有財産への扉を一気に開いてくれたのです。まさに「啓蒙」されたと言わねばなりません。

『暴君』の副題には「政治学」とあり、その内容もアメリカの知識人であるグリーンブラットが同時代の合衆国の政治状況――直截にいうならトランプ政権――に対する批判を、遠回しにではなく、それこそストレートに書き記したものです。「いんちきポピュリズム」という題の章などは、ほとんどジャーナリスティックといってよい同時代性があります。ともあれ、この本を手がかりに僕はシェイクスピアの作品、とくに史劇へと足を踏み入れたのです。

数あるシェイクスピア史劇の登場人物のなかでも、「暴君」という主題にいちばんふさわしいのは『リチャード3世』の主人公でしょう。タイトルロールを務めるこの作品以前にも、彼は『ヘンリー6世』にグロスター公リチャードとして登場しています。こちらで描かれる彼の父、ヨーク公リチャード・プランタジネットと、その傀儡として一時期イングランドで暴虐を尽くすジャック・ケイドという男の関係などは、トランプ政権というよりは日本の政治状況――たとえば「大阪都構想」をめぐる何年にもわたる混乱――を想起させるものがありました。グリーンブラットは「暴君」のもつ危険性と、それにもかかわらず人々を屈服させてしまう魅力を兼ね備えた人物としてリチャード3世を巧みに論じており、そこがなんとも印象的でした。

にわか知識を承知でいえば、シェイクスピア劇は大きく「悲劇」「喜劇」「史劇」に分けられるようですね。日本人に比較的なじみがあるのは、いわゆる「四大悲劇」や『ロミオとジュリエット』でしょう。実作にあたったことがなくとも、おおまかな筋といくつかの名セリフくらいは誰もが知っている。それに比べると史劇は――とりわけ英国史劇は――、日本の読者には身近ではないようです。ところが僕にはそんな英国史劇、即位の順番さえすぐには覚えきれない王様たちの話こそがいちばん面白かったのです。

あとになって、それはなぜだろうと考えました。どうやらそれは、「遅れてきたシェイクスピア読者」のたんなる天の邪鬼でもなさそうなのです。すぐに思い当たったのが、自分が子どもの頃から馴染んできた日本の軍記物との類似点です。『平家物語』『太平記』のような大作までいかずとも、『保元物語』『平家物語』あるいは『義経記』などの子ども向け版が小学校の図書室にあり、小さな頃から僕はその愛読者でした。この時代、つまり源平合戦の物語は、NHKで日曜夜に放映される大河ドラマでもなんどか主題となりましたが、当然、これにも夢中になりました(なので、数年前の『清盛』には歓喜雀躍しました)。

さらにはかるた、百人一首です。一時はかなり得意だったこの遊びへの愛着と相まって、平安末期から鎌倉初期の時代をめぐる物語は、僕のなかではかなり密度の濃い原体験となっているようです。一連のシェイクスピア史劇の背景となっているイギリス王家の血みどろの歴史、つまり百年戦争や薔薇戦争のことも、おそらくそれらとのアナロジーでスッと理解できたのです。

すぐれた入門書に導かれて読んだシェイクスピアとオーウェルの著作は、イギリス文学史における太い縦糸を――いずれも「政治」と深い関係をもちつつ――示してくれました。シェイクスピアと軍記物の類似性は、シェイクスピア劇における詩と日本の物語文学における和歌の役割という連想を介して(さらには好著『藤原定家 『明月記』の世界』や堀田善衛の読み直しのおかげで)、あらためて藤原定家や後鳥羽上皇といった「文学者」への関心を呼び覚ましてくれました。

その流れで必然的に、僕は丸谷才一という小説家/批評家の著作とあらためて向き合うことになったのです。

丸谷才一の話は、以前にお会いしたときに、藤谷さんとも交わしたことがあるように記憶しています。僕らの世代だと、まず現代イギリス文学の翻訳者として(僕の場合はシリトーの『長距離走者の孤独』)としてその名に出会い、次に1980年代に入ると、蓮實重彦の『小説から遠く離れて』で説話論的物語に過ぎないと酷評された『裏声で歌へ君が代』という長編小説の作者として認識する、という順番だったのではないでしょうか。丸谷のそのほかの小説は読む機会はなかったものの、その後も『ユリシーズ』の全訳や、和田誠が装丁したたくみなエッセイの著作などを通して、なんとなく知ったつもりでいました。数年前に亡くなられたときは、未読だった小説をいくつか読んだ記憶もあります。

ここで話はようやく、藤谷さんがおっしゃった「小説的官能」の問題に戻ります。

丸谷才一が日本の近代文学、とりわけ自然主義文学に対する徹底的な批判者だったことは知られていますが、その際に彼は、今年亡くなった劇作家・山崎正和の著作を援用しつつ、日本の近代文学史を貫く「不機嫌さ」を指摘しています。そして僕は藤谷さんが先の時評集から感じとったであろうものが、まさにこの「不機嫌さ」だったのではないかと思い至ったのです。

批評家としての丸谷はその他にもいろいろ大胆なことを書いているのですが、いちばん驚かされたのは『日本文学早わかり』でした。この本で丸谷は、勅撰集に着目して日本文学史をおおきく五つの時期に区切っています。すなわち①第一期 八代集以前の時代(9世紀半ばまで)、②第二期 八代集の時代(古今集から新古今集まで、9世紀半ばから承久の乱まで)の時代、③第三期 十三代集の時代(新勅撰和歌集から新続古今和歌集まで、承久の乱から応仁の乱まで)、④第四期 七部集の時代(俳諧から新体詩まで、応仁の乱から日露戦争まで)、⑤第五期 七部集時代以後(個人詩集の時代、日露戦争以後)という区分です。従来の「古代/中世/近世/近代」といった区分とはまったく異なる視点にもとづいたこの提案に、僕は深く納得させられました。

丸谷の論で驚かされるのは――そして不思議な説得力があるのは――、千数百年にわたる長大な文学史をたった3人の批評家、すなわち紀貫之、藤原定家、正岡子規に代表させていることです。上で区分した各時代の指導的な批評家として、丸谷は②は紀貫之を、③④では藤原定家を、⑤では正岡子規を挙げ、これで十分だと言うのです。定家に至っては13世紀初頭から19世紀まで、約700年間にわたって「指導的批評家」であり続けたというのですから、大胆にもほどがあります。

この考え方に立てば⑤つまり近代文学以後の時代における、小林秀雄から柄谷行人までの「日本批評史」は正岡子規の時代の脚注に過ぎません。この発想は、僕をたいへんに気楽にさせてくれました。

さきの時評集で三浦雅士について書いた回でも、三浦が丸谷や大岡信との「社交」によってたどり着いた独自の文学観に言及しましたが、その裏打ちとして、これほど骨太な――そして大胆な――丸谷才一の文学観があったことを、僕はまるで交通事故のような偶然により、今年になってようやく知ったのでした。

丸谷才一は日本の近代文学にモダニズム文学が定着しなかったこと、すなわち主知主義的な文学観が根付かなかったことをしばしば指摘しています。そして日本の自然主義文学者が参照したのが19世紀ヨーロッパの小説(だけ)であったのは大きな過ちだったこと、それゆえに日本の文学は「不機嫌」になり(それは文芸批評も同様でしょう)、文学の愉しみ、豊かさ、藤谷さんのいう官能性を喪失したというのです。

しかし丸谷才一は同時に、繰り返し国家や政治を主題としてきた小説家でもありました。『裏声で歌へ君が代』は分かりやすい例ですが、初期の長編『笹まくら』は徴兵忌避者が主人公ですし、筆禍事件を起こした女性新聞記者が主人公の『女ざかり』や、源氏物語を巧みに脱構築した『輝く日の宮』といった長編も、ある意味では国家論です。丸谷は源氏物語や仮名手本忠臣蔵にさえ当時の体制批判の機制を読み取る批評家ですから、彼の実作にもそうした仕掛けが込められていないはずがありません。「小説的官能」を志向する立場と国家や政治を論じることは決して背馳しないのです。

僕自身の先の本に関して言えば、リハビリテーション途上にあった者の書きぶりが「不機嫌」であったのは大目に見てていただくとして、現在の停滞の先にあると信じる文学(それは小説に限りません)の姿のなかには朗らかさと美しさ、そして生きる喜びが備わっていてほしいと願う点で、藤谷さんと考えは同じです。そんな藤谷さんが、いまの時点ですでに(意識的なジャンルとしての)喜劇や悲劇のすぐれた書き手であることは承知の上で、それらを包み込むひとまわりおおきな小説を、いつか書いてくれることを読者は待ち続けている、といったら過大な望みでしょうか。

いつの間にか話が大きく逸れました。年末の集まりでは、久しぶりにこんな話もできたらと楽しみにしております。

第1信第2信第3信第4信第5信第6信第7信第8信第9信第10信第11信第12信第13信第14信第15信第16信第17信第18信第19信第20信第21信第22信第23信第24信第26信につづく)


【イベントのお知らせ】
フィクショネス文学の教室 in B&B〜2020年末番外編〜

・2020年12月27日(日)
・時間:19:00~21:00 (18:30開場)
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・配信参加:1500円(税別)

出演者:藤谷治、瀧井朝世、田中和生、仲俣暁生

*イベントの詳細はこちらのリンク先をご覧ください。
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