第6回 ブックオフが街のイメージを変えることだってある

2020年12月8日
posted by 谷頭 和希

ブックオフの書棚にはその街の姿が現れる。今までの連載で書いてきたことだ。

先日、ブックオフ秋葉原店を訪れたときのこと。

秋葉原駅のすぐ近くにあるこの店舗は6階分あり、古本のデパートとでもいうようなたたずまい。ここまで広いブックオフはなかなかない。ビルの大半がブックオフなのだ。

一階には家電やブランド品が売られ、ここがブックオフであることを忘れそうになる。近くにフロアマップがあったので見てみると、驚くべきことが書いてあった。

「6階・ライトノベル 5階・アニメイラスト集」

「ライトノベル」や「アニメイラスト集」が一角を占めているのだ。ここは秋葉原。他のブックオフにはないコーナーも、ここなら頷ける。この店舗風景もまた、「ブックオフはその街を映し出す」こととして語りうるのだろう。

しかし、私たちはここでさらに考えねばならない。

「これを売ったのは誰か」

2回前の連載で、『小林秀雄全作品』を売った者を想像したように、今、私の目の前に広がっている「ライトノベル」や「イラスト集」を売ったのは誰なのかを想像したいのだ。この答えのひとつとして考えられるのは、次のようなものだろう。

「秋葉原に来たオタクたち」

私たちが今まで考えてきたことを踏まえるならば、こう答えるべきだ。その街にいる人がブックオフの書棚を決定するのだった。しかしこの答えに対しては、いくつか反論が来そうだ。

「秋葉原にオタクはそんないるのか」

もっともである。そんなにいるのか。『電車男』が小説・映画版共に話題になり、「秋葉原=オタク」というイメージが根付いたのが2000年代中頃のこと。すでに10年以上前である。もちろん実際にオタクと呼ばれる人たちが多く存在したために、そうしたイメージが付着したのだろうが、それにしてもこのイメージはステレオタイプな気もする。

現在の秋葉原の街は、真の意味でオタク文化の発信地というよりもインバウンド需要で増えた外国人が手軽に「クールジャパン」を感じることのできる街になっているような気もする。

事実、秋葉原の街を歩いていると目に付くのは、オタクの人々よりも、外国人の存在の方である(とはいえ、コロナウイルスの流行拡大によって外国の人々も減ってきてしまったのだが)。

しかし、もっと重要なのは次のような指摘だ。秋葉原にオタクがたくさんおり、そしてそういう者らがライトノベルやアニメのイラスト集を持っていたとしてだ。

「オタクたちは秋葉原まで本を売りに来るのか」

全てのオタクが秋葉原に住んでいるわけではないだろう。そんなことはないはずだ。だとしたら彼らはわざわざ秋葉原までそうした書籍を売りに来たのか。

そうなるとすごい。つまりこういうことだ。

「オタクたちは書籍をかついでブックオフに売りに来た」

トレーニングだろうか。いくらなんでも辛すぎる。だとしたらオタクたちはかなりの努力家である。彼らは秋葉原という街のイメージに合わせるように、わざわざ重い書籍をかついで秋葉原のブックオフへやってきたのだ。

ブックオフ論のコペルニクス的転回

しかし、考えればわかるように、そんなことはない。オタクたちに、そんな義務はない。実際、秋葉原のブックオフの書棚を見てみると、明らかにそれとは無関係の本たちもいる。例えば、こんなものだ。

『水墨画歳時記』

まあ、たしかにイラスト集といえばイラスト集になるのかもしれないが、秋葉原で売っているイラスト集とは一線を画するだろう。なんといっても「水墨画」だ。その隣にはこんなものもある。

『染衣』

染色家、古澤万千子の作品集である。箱入りでものものしい感じがする。というか、「水墨画歳時記」と「染衣」が並んでいるブックオフの棚とは一体なんだろう。この棚は「美術」と書かれたプレートが置いてあり、その名の通り美術に関する本がずらりと並んでいる。「Le Louvre」などという、ルーブル美術館の所蔵品が永遠に紹介されている分厚い本なども売っている。だれが売ったんだ。

ここは秋葉原なのだろうか。いや、たしかにここはブックオフ秋葉原店だし、秋葉原店だというぐらいなのだから、秋葉原なのである。しかし、この書棚だけ見ていると、なんだかここは全く秋葉原ではないような気もする。

ここで私はあることに気がついた。とても大事なことだ。

「ブックオフは街のイメージによって作られているだけではない」

そもそもこの連載がブックオフと都市を結びつけて考えすぎだったのかもしれない。いや、でも、街とブックオフにある程度の関連性があることはなんとなく分かってきたことである。それはいままでの連載でわずかだが語ってきた。いや、だとすればこうは考えられないか。

「ブックオフが街のイメージを融解させる」

店に入ったとき、私は秋葉原のステレオタイプに囚われてその書棚を見ていた。しかし、いつの間にかブックオフの書棚が、秋葉原のイメージを融解させていた。現に私は、秋葉原について、「オタク」というイメージを超えたイメージを持ち始めている。それは次のようなものだ。

「『水墨画歳時記』や『染衣』を読む人がいる街」

いったいそれはどんな街なんだ。いや、それが秋葉原だということに違いはないが、イメージがわかない。しかし、そういうことなのだ。

私は今まで、街がブックオフに影響を与えていることについて書いてきた。しかし、もしかすると私たちは、「ブックオフが街のイメージを変えること」にも想いを馳せねばならないかもしれない。

私の脳内でいま、秋葉原のイメージは大きく塗り替えられたのだった。

(続く)

執筆者紹介

谷頭 和希
ライター。1997年生まれ。早稲田大学文化構想学部卒業後、早稲田大学教育学術院国語教育専攻に在籍。デイリーポータルZ、オモコロ、サンポーなどのウェブメディアにチェーンストア、テーマパーク、都市についての原稿を執筆。2022年2月に初の著書『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社新書)を発表。批評観光誌『LOCUST』編集部所属。2017年から2018年に「ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾 第三期」に参加し宇川直宏賞を受賞。