出版をささえる「志」について

2020年1月5日
posted by 仲俣暁生

あけましておめでとうございます。おかげさまで「マガジン航」は創刊11回目の新年を迎えることができました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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この年末年始は、戦後の出版史にかんする本をずいぶん読んだ。いま、日本の出版界は「再起動」が求められている。そのための手がかりがみつかるのではないかと思ったからだ。

ちょうど中央公論新社から、みすず書房の創業者・小尾俊人の1965年から85年にかけての詳細な業務ノートが『小尾俊人日誌 1965-1985』として刊行されたので、この本をきっかけに『小尾俊人の戦後――みすず書房出発の頃』(みすず書房)を読み、続けてこの本の著者である宮田昇さんが書いた『戦後「翻訳」風雲録』(本の雑誌社)とその改訂版『新編 戦後翻訳風雲録』(みすず書房)を読んだ。さらに『風雲録』でも詳細に触れられているSF作家・翻訳者の福島正実の自伝、『未踏の時代――日本SFを築いた男の回想』(ハヤカワ文庫)を数年ぶりに再読した。

早川書房の編集者としてポケット・ミステリ・シリーズの創刊に携わり、その後は翻訳エージェントとして、さらに日本ユニ・エージェンシーの経営者として活躍なさった宮田昇さんは、戦後の出版史を企画や作品の面と、制度や産業の面の双方から論じることができる稀有な人だった。

その宮田さんも、昨年3月に90歳で亡くなられた。宮田さんは引退後に『図書館に通う』(みすず書房)という本も書かれており、同書については「マガジン航」で津野海太郎さんに書評的なエッセイ「無料貸本屋でどこがわるい?」を書いていただいたこともあった。できることなら一度お目にかかり、話を伺っておきたい人の一人だった。ご冥福を心からお祈りいたします。

戦後翻訳出版の草創期の記録

宮田さんは早川書房の創業者である早川清と、同社で机を並べた同僚でもある福島正実の思い出を、『風雲録』のなかでそれぞれ数回を費やして綴っている。

早逝した福島に対する思いはとりわけ深かったようで、本の雑誌社版のみに残された「オニ」という章(新編では割愛された)では、宮田さんと福島がいずれも早川書房を退職した後、「少年文芸作家クラブ」でともに活動していた頃の逸話が語られている(宮田さんには「児童文学者・内田庶」としての顔もあった)。ハヤカワ文庫版『未踏の時代』の巻末解説によれば、二人は大学時代に「四次元」という同人誌で出会ったという。ともに1928年生まれの戦中派世代である。

少年時代、ハヤカワ文庫のSFやミステリーをむさぼるように読んで育った私は、福島正実の名を伝説的な編集者・翻訳者として早くから知っていたが、宮田さんと福島がここまで深い関係だったことには、これらの本をまとめて読むまで気づかなかった。

『小尾俊人の戦後』のほうは、戦後の人文書出版の世界を切り開いたみすず書房の創業者・小尾俊人の評伝で、「諏訪紀行」「小尾俊人の戦後 塩名田から『夜と霧』まで」「出版者・小尾俊人の思い出」の三章構成からなる。とくに「諏訪紀行」には、小尾家のルーツを探るため信州の諏訪まで幾度も足を運んだ宮田さんの評伝作家としての執念が感じられた。

なお、この本の後半には、小尾自身の手による1951年の日記と、月刊「みすず」の創刊号(1959年4月)から1962年1月号までの「編集後記」がたっぷりと掲載されており、中公の『日誌』と併せ読むと興味深い。

早川書房もみすず書房も創業は1945年、敗戦の年である。日本の出版界が第二次世界大戦の敗戦後に再起動するにあたり、個々の編集者や翻訳者の「志」に衝き動かされていた時代があった。『風雲録』と『小尾俊人の戦後』はいずれもその時代の出版を支えた人々の裏面からの記録であり、彼らへの著者の心底からの鎮魂の思いが伝わってくる。そして戦後出版史のすぐれた語り部だった宮田さん自身も、ついに歴史上の人物となってしまった。

出版の本質としての「志」

宮田昇さんのことをつよく意識するようになったのは、もう一つきっかけがあった。

みすず書房の月刊PR誌「みすず」では、1968年から1990年まで出版業界の動向を論じた匿名コラム「朱筆」が連載されていた。それを二巻の大冊にまとめた「出版太郎」名義による『朱筆』『朱筆Ⅱ』をずいぶん前に手に入れ、折に触れ読み返していた。この「出版太郎」が宮田さんであることはすでに知っていたが、『小尾俊人の戦後』に宮田さんがこの仕事を引き受けたときのことが書いてあり、あらためて胸を衝かれる思いがした。

宮田さんは早川書房を退職後、翻訳エージェントとなるが、矢野著作権事務所(のち日本ユニ・エージェンシー)を創業するまではしばらく、フリーランスだった。その時期のことだ。

しかしそのフリーランスのわずかな間に、小尾俊人からある依頼をうけ、二十年以上、彼が社を辞するまでその仕事を続けた。それは一面、いつ潰れてもおかしくない零細企業の経営を続けさせる、志の支えとなったとはいえ、非力の私には大きな負担であった。

「ある依頼」とは「朱筆」の執筆にほかならない。二十余年にわたるその仕事は、宮田さん自身にとっても「志」の持続だったことが、ここで遠回しながらも明かされている。

戦後の出版業界はこの時期に大量生産・大量消費のシステム(当時の言葉では「マスプロ・マスセル」)を完成させていくが、宮田さんはつねに「志」をもって本を出す者たちに寄り添う視点から、この匿名コラムを綴りつづけた。

『朱筆』の構成上、第三部にあたる「出版界の分化現象――大と小、マスとミニ、量産と手づくり、1976〜1978――」の冒頭には、「”一人出版”によって支えられる側面」と題された記事が置かれている。

ここ数年、出版業界では「ひとり出版社」という言葉が話題になっているが、ここでいう”一人出版”とは、そうした個人事業の出版者のことだけではない。『出版ニュース』の1976年2月上旬号に掲載された鈴木均氏の「出版テクノロジー」という「体験的出版論ともいうべき」文章を「朱筆」はこのように紹介する。

そして、一方で現代産業の仲間入りをする大出版社があらわれて寡占化がすすみながらも、一方ではつぎからつぎと小出版社が生まれてくるのは、”志”を立てる出版人があとを絶たないためだし、同時に、企業内であっても、単行本出版に典型的にあらわれているように、「一人びとりの編集者が”志産業”そのものだといって」いいとしている。

この回の「朱筆」は次のように締めくくられている。

この”一人出版”に象徴される出版業の本質への理解が、鈴木均氏のいうように、「”出版物”の生産にたずさわる出版社だけではなく、”出版物”の流通にかかわる”取次” “小売”の業界まで貫徹することがなければ、出版業が出版文化の荷い手である側面を全うすることができない」のは、もちろんである。

「前回のエディターズ・ノート(「アイヒマンであってはならない」)で永江朗さんの『私は本屋が好きでした』を紹介しつつ、現在の出版界が「産業」として構造的に抱え込んでいる問題について論じたところ、思いのほか大きな反響があった。永江さんのこの本が明らかにしたのは、いわゆる「ヘイト本」の生産と流通の過程には、こうした“志”がごっそりと脱落しているということだったと思う。

宮田さんは、みすず書房のような人文書の版元から、早川書房のようなSF・ミステリーの版元まで、幅広い分野の出版者・編集者・翻訳者の営みを、その初発の「志」とともに伝えてくれる、よい語り部だった。また翻訳エージェントとしての長年の経験から、著作権法をはじめとする法制度や海外の出版ビジネスモデルへの理解も深く、電子出版や同人誌即売会のような新しい動きのなかにも、マスプロ・マスセルによる弊害を乗り越える契機を見いだせる人だった。そして自身が児童文学/少年文芸の実作者でもあった。

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生前、一度もお会いすることはなかったが、宮田さんの著書をつうじて私は多くのことを学ばせていただいた。出版という営みの本質として「志」を求める姿勢を私も受け継ぎたい。「志」ある人たちの営みを記録し、できうるかぎり支援したいと思う。

この「マガジン航」自体、創刊からまだ十年しか歴史のない、ささやかなメディアです。これからも引き続き、ぜひ皆さんの力を貸してください。

執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。