表現の自由を支える「小さな場所」たち

2019年9月9日
posted by 仲俣暁生

このエディターズノートはいつも月初に書くことにしているのだが、今月はあまりにも考えなくてはならないことが多すぎて、一週間以上もずれ込んでしまった。

先週はあいちトリエンナーレ2019を見るため、名古屋市と豊田市を駆け足でまわってきた。参加作家の一人である「表現の不自由展・その後」の展示内容に対する批判や抗議、さらには展示続行を困難にさせる職員等への脅迫的言辞もあり、わずか開催3日で同展が中止に追い込まれた経緯は、報道などを通じてご存知のとおりである。

「表現の不自由展・その後」という企画展のタイトルに「表現の自由」という言葉が含まれていたこともあり、展示中止の経緯は「表現の自由」をめぐる議論を喚起した。この言葉には多様なニュアンスが含まれるが、第一義に意味するのは日本国憲法第21条で保証されている、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現」の自由であろう。これらに対しては、事前であろうと事後であろうと行政権力による検閲が行われてはならない。

日本国憲法第21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

あいちトリエンナーレにおける「表現の不自由展・その後」の展示中止が、憲法が定める「表現の自由」を侵害した検閲に当たるのか、それとも安全を最優先したやむを得ない危機回避だったのかは、現在立ち上がっている「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」の調査結果に待ちたいが、展示続行を不可能にするほどの悪質な脅迫(逮捕者以外にも複数いると言われている)や威力業務妨害は、明確に犯罪である。

だが、この議論をめぐる流れを見ていて私がいちばん気になったのは、「表現の自由」の問題ではない。展示会場や作品そのものを見ることなく、賛否どちらの意見もSNSやテレビ番組を通じて流布した断片的なイメージのみをもとに語られ、それらの意見とイメージが、現実に起きている出来事の実相をますますわからなくさせていたことだった。

あいちトリエンナーレは「成功」している

「表現の不自由展・その後」は開催3日目で展示中止になってしまったので、あいちトリエンナーレにおける展示状態を見ることができた者は限られている。しかし、「表現の不自由展・その後」に集められた個々の作品は具体的に示されており、それぞれの背景をさらに調べることは困難なことではない。

この企画展の前身は2015年に東京・練馬のギャラリー古藤で行われた「表現の不自由展」だが、さらにそのきっかけとなったのは、2012年の新宿ニコンサロンにおける安世鴻の写真展である。元慰安婦を題材にしたこの写真展はニコン側により開催前に中止が決定されたが、作者が求めた仮処分を東京地裁が認め、ニコンが主催を降りた状態でその場で展示が行われた。私はこの写真展をたまたま見ており、その場の重苦しい雰囲気を記憶していた。

美術作品が人の目に触れるためには、「展示」という形態をどうしても必要とする(印刷物あるいはネット上で流布する複写画像は、美術作品そのものではない)。そしてその場を維持するためには、多くの人の力とコストがかかる。展示会場への直接的な攻撃や、それをほのめかす脅迫行為が許されないのは、こうした場を問答無用で破壊するからである。

「表現の不自由展・その後」の展示中止を受けて、国内外の多くの美術家が展示形態の変更や作品の引き上げを行った。私があいちトリエンナーレを見に行った理由は、その後の会場の雰囲気を現地で見ておきたかったからだ。詳細な印象は寄稿依頼を受けた別の媒体で詳しく報告する予定だが、一つだけここで述べておきたいことがある。

あいちトリエンナーレは、名古屋市と豊田市内の三つの大きな美術館をメイン会場とするが、それ以外にも二つの市内にいくつもの小さな展示スペースが散在している。あいちトリエンナーレのような大掛かりな国際芸術祭の楽しみは、美術館内で作品を鑑賞するだけでなく、その土地の歴史と深く結びついたこれらの場所をめぐることだ。

私は豊田市と名古屋市内でいくつもの小会場をまわったが、これらの現場を守っていた(おそらくボランティアだと思われる)スタッフの印象がとてもよかった。加熱する報道のなかで、潜在的な攻撃にもさらされているにも関わらず、そうした危機感を際立たせることなく淡々とその場を守る彼ら彼女らの姿に、私はあいちトリエンナーレの本質を見た気がする。さまざまな障害を乗り越えて、この芸術祭は成功している、と私は考える。

あいちトリエンナーレの名古屋市内、四間道会場の風景。

インフラグラムに基づく不毛な空中戦

あいちトリエンナーレを取材に行く前後に、東京では「週刊ポスト」9月13日号をめぐる騒動が起きていた。「嫌韓本」といわれるジャンルは日本の出版業界では、よくも悪くも一定のサブカルチャーとして成立しており、今回のような内容の書籍や雑誌は、(残念なことに)めずらしくもない。

ここ数ヶ月に急速に悪化した日韓関係を背景に、マスメディアでは韓国の現行政権に対する批判が加熱しており、それが韓国人全体、さらには在日コリアンへの潜在的攻撃へとつながりかねないなかでは、今回の「週刊ポスト」の特集企画は大手出版社らしからぬ迂闊なものだった。

ただこの事件の推移においても、あいちトリエンナーレにおける「表現の不自由展・その後」と似た構図が見られたように思う。

「週刊ポスト」への批判は、私がみたところ、いくつかの段階に分かれていた。いちばん大きかったのは新聞広告に大きく掲載された刺激的な文言(及びそれを強調したデザイン)に対するものである。さらに雑誌の特集企画全体に対する批判があり、当然ながら個別の記事の内容に対する批判もあった。また批判対象も、ある場合には雑誌編集部(あるいは小学館そのもの)であり、ある場合には当該広告を掲載した新聞社だったりした(「週刊ポスト」の当該号について、中吊り広告が実際にあったのかどうか現時点では確認できていない)。

週刊誌という媒体は実際の記事内容よりもセンセーショナルにタイトルを打ち出す傾向がある。だから、記事の内容はそれほどでもないのに、広告そのものが極めて不快であり、第三者への攻撃誘発性さえある、という事態が起きうる。その場合、新聞社が出版広告に対して「検閲的」にふるまうことの是非が問われる。今回の場合、そうすべきだったという批判的立場はありうるだろう。だが、この議論は深まらなかった。

「週刊ポスト」のこの号がここまで大きな騒動となったのは、ひとえに社会的に大きな影響のある著作家の内田樹氏が、この出来事を理由として小学館への執筆拒否を明言したからだ。このことがなければ、おそらく事件はここまでマスコミの話題にはならなかった。

さらに内田氏は「週刊ポスト」の他の寄稿者に対しても、同誌に寄稿することは同誌の「目指す未来の実現に賛同しているとみなされることを覚悟した方がいい」との見解を示した。

内田氏の判断は自由だが、その影響力を考えたのだろうか。実際、18万人以上もTwitterのフォロワーがいる内田氏のこれらの発言はきわめて効果的で、その後ネットの「空気」は加熱していった。私が見た中だけでも、編集部への電話抗議を番号を添えて促すTwitterの投稿や、小学館は「週刊ポスト」を廃刊すべきという強い意見がみられた。小学館の社屋前でも9月5日に抗議デモが行われたが、ここでも廃刊要求の声が上がっていたようだ。これらの流れと内田氏の発言に、因果関係はまったくないとは私には思えない。

ここまでの経緯は、昨年の「新潮45」休刊(事実上の廃刊)にいたるものと酷似している(私はこのときも「新潮45」の休刊には反対する立場だった)。いずれの場合も、「炎上」した発端がSNS上での断片的な言葉(たとえば「生産性」)や切り取られた画像イメージであり、誌面や論考全体に対する厳密な批判ではなかった、という共通点がある。それでも「新潮45」は批判に対する反論特集を一度は組み、その内容があらためて批判されて休刊となったのだから、今回よりは意味のあるプロセスだった。

今回の場合、「週刊ポスト」の記事というよりは広告の文言に対して上った著作家たちの批判の声が、それを受けて拙速に雑誌廃刊を求める声を生み出した。あいちトリエンナーレの場合、ネット上で流布したかぎりの「少女像」や「天皇像」に反応して政治家が無責任な発言を行い、展示空間の自由を圧迫した。この二つの出来事は、SNSという場を媒介にしており、構造的にはまったく同じものだと私は考える。

批判対象を直視することなく、断片的なイメージ(小説家の藤谷治氏との公開往復書簡でも紹介したとおり、前回のあいちトリエンナーレ芸術監督でもあった港千尋氏の『インフラグラム』という近著はその問題を扱っている)のみをもとに醸成された「空気」は、表現の自由の根幹である出版や展示の機会を縮減する方向でしか機能しない。そしてSNSとは、直視を回避させ、むしろ「炎上」を促すことによって自らの利益を得るビジネスだ。だからこそ、世の中に影響力をもつ著作家は、出版物における言動以上に、いまはSNS上での言動にも意識的でなければならない(むしろ内田氏は「意識して」炎上させたのだろう)。

もちろんこれは、不当と考える表現に対してSNS上ではいっさい批判するな、ということではない。だがSNS上の発言は、あくまでも「私語」にすぎない。しかしSNS上の「私語」がもった影響力は、発した自身にも責任が負いきれなくなるほど拡大することがある。

だからこそ、表現や言説への批判は、その対象を確定した上で、明確なロジックとともに公論としてなされなくてはならない。それを行う場としてSNSはきわめて不向きであり、そこは(広義の)出版物の出番となる。

SNS上であれ、出版物上であれ、何かに対して行われた批判の当否は、当然ながら公開の場で再批判(評価)される。その再批判も再々批判にさらされる。そのようなプロセスこそが民主主義であり、憲法が保証する表現の自由を十全に機能させる土台である。この手間のかかるプロセスを経ることなく、出版社と著作者とが対立し合うこととで「表現の場」自体がやせ細り、閉ざされてしまう傾向には、ささやかなメディアの編集発行人としても、出版という営みに依拠する文筆家の一人としても、明確に反対したい。

小さな場を守る者たち

あいちトリエンナーレで出会ったいくつもの小さな展示会場と同じ力強さを、先週は東京でも感じることができた。名古屋に向けて経つ前日、東京・神保町のブックカフェ「チェッコリ」に立ち寄ったのは、このお店が冒頭に出てくる石橋毅史さんの新著『本屋がアジアをつなぐ 自由を支える者たち』を読み、たいへんに勇気づけられる思いを抱いたので、また訪れたくなったからだ(私はハングルは読めないが、ここの韓国茶や伝統菓子はとても美味しい)。

この店を営むのはクオンという出版社で、ふだんはお忙しくて会えないことも多いクオン代表のキム・スンボクさんが、その夜のチェッコリでのイベントの準備のためお店にいらしたので、久しぶりに話ができたのも幸いだった。

東京・神保町のブックカフェ「チェッコリ」の店内。

日本でここ数年高まっている韓国の現代文学への関心は、クオンを始めとするいくつかの小出版社や、チェッコリのような場での根強い活動に依るところが大きい。チェッコリのような小さな場で継続的に行われてきたイベントや本の紹介活動が、昨今のベストセラー化も含めた韓国の現代文学の日本への紹介を促し、日韓が共通に抱える課題さえも浮き彫りにした。こうした場には世の中を変える実質的な力があることが証明されたのだ。

石橋さんの本を読むと、そうした場をつなぐゆるやかなネットワークが、東京・大阪・那覇・ソウル・光州・台北・香港・上海といったアジアの諸地域で芽吹いていることを感じる。世界のあらゆる場所で実質的に「表現の自由」を支えているのは、大向う受けを狙った著名人のSNSでの空中戦的な発言ではなく、名も知れぬこうした人たち――石橋さんは彼ら彼女らをこそ「本屋」と呼ぶ――の地道な不断の努力だと私は信じる。

執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。