デモのなかで生まれる香港のポリティカル・ジン

2019年10月23日
posted by 中山亜弓

香港で逃亡犯条例に反対する百万人デモが行われた6月9日、私は小出版物のイベントnot big issueに参加するため台北にいた。

さっそく「香港がたいへんなことになっているね」と、何人かの現地の知人に言うと、言葉少なに頷き少し表情を曇らせた。

一国二制度の香港と両岸問題の台湾では事情は違うが、ともに中国と緊張関係にあり、香港市民に対する理解と共感は大きいはず、と勝手に思っていたのだが、彼らの胸中は複雑だった。

台湾の蔡英文総統は早くに香港市民支持を表明したが、1987年の戒厳令解除後の民主化の歩みとともに成長した若い世代は、2020年1月の総統選で政権交代があれば親中路線に向うだろうと、後日、将来への不安を口にした。また日本で働く台湾人の友人は「状況次第では日本で仕事を続けようかな」と。香港問題を自身に引きつけて考えると、いつになく空気が重くなるのであった。

ZINE COOPとの出会い

台湾の若者たちの不安を肌で感じ、帰国後も香港情報を気に留めていたら、5月に大阪のASIA BOOK MARKETで知り合った香港のアーティストたちのコレクティブZINE COOPがFacebook で、早速、反逃亡犯条例デモに関するzineをいくつか紹介しているのを見つけた。

ZINE COOPのウェブサイト。「独立出版物」とはインディペンデントな出版物のこと。zineのことは「小誌」という。

ZINE COOPは2017年に設立されたアーティストたちのコレクテティブで、zineに関する情報を共有し、展示やワークショップを開催し、世界各地のアートブックフェアやzine フェスにも積極的に参加している。大阪で、互いのテーブルが近かったことから作品を見たり話をするうちに知り合い、撤収の際、作業に手間取り居残る私に気づいて引き返すと、手伝いを買って出て、猛烈な勢いで本を梱包・荷造りを助けてくれた。

デモから何日も経たないのに、彼らのインスタグラムやFacebookには、逃亡犯条例の内容と問題点など市民が声を上げた理由を説明した小冊子「What is happening in Hong Kong」や、ネット上にあげられた催涙弾やケガへの応急処置法にイラストレーターが絵をつけて図解したガイド「自己香港自己救、自己受傷自己救」、ヨガの知識をベースにした不安時や緊張時のメンタルケアを紹介した「事後情諸事」などが、レビューとともにアップされていた。

「What is happening in Hong Kong」の広東語版「香港到發生了什麼事?」。

「自己香港自己救、自己受傷自己救」。

「事後情諸事」と、その続編で相互ケアのガイド「彼此守護事」。

驚異の反射神経と行動

その後も、香港では大小のデモが断続的に行われ、200万人規模にまで膨れ上がったが、逃亡犯条例が正式撤回されることはなく、警察の取り締まりが厳しくなるにつれ、デモ隊との衝突も激しくなり、事件や事故が頻発。市民の訴えは条例撤廃から、香港政府や警察に対するプロテストへと比重が移って行った。そうした状況に合わせて、香港人たちは驚異の反射神経と行動力で、数日のうちにしっかり編集・デザインしたzineを英語と広東語のバイリンガルで仕上げて、発信して行ったのだ。

同じ内容はネットでも公開され、閲覧・ダウンロードができて、セルフで印刷・製本・配布まで可能なものもあれば、オフラインでも届くように冊子形態で販売・配布されることもある。例えば、空港を占拠したデモの際、海外からの旅行者に対して、抗議活動の事情を説明して理解を求める冊子「DEAR TRAVELERS」を配布。紙とネットの間を行き来して、補完し合いながら、デモ隊が唱える”Be water”の言葉通りに、形を変えてアノニマスに広がって行った。

「DEAR TRAVELERS」。

7月26日午後1時からの空港でのデモ告知画像。zineだけでなくこうした画像にも香港のデザインセンスが発揮されている。

自在なzineのかたち

留学中のロンドンで、コミックフェスのボランティアに行くため、6月9日の早朝に目を覚ました女性が、起き抜けにスマホで目にした故郷の大群衆とSNS上にアップデートされる状況に接した経験を絵物語にした「6月9日、早」。ネット上にアップされた、ある女子学生のデモを巡る父親との確執&和解を経ての親子でのデモ参加手記を漫画化した「同老豆老母去遊行」。あるいはアメリカ在住の香港人がネットニュースの画像をコラージュした「THIS IS HONG KONG, NOT CHINA NOT YET」。個人誌もあれば、SNSを通じての見知らぬ同士の(勝手に)コラボ形式、集団や組織によるもの……と編集や発行の方法も様々である。

「6月9日、早。」。

「Me & My Parents Go Protesting / 同老豆老母去遊行」。

「THIS IS HONG KONG, NOT CHINA NOT YET」。

zineの作り方に決まりはない。手書き原稿をコピーしてホチキスで綴じただけでも立派なzineだし、思いついたら鮮度の落ちないうちに、あり合わせの道具で作ればいいのだが、それにしてもデモ関係のzineのクオリティの高さと速さは異常で、事件の翌々日には配布されていたりするのだから、新聞や週刊誌に匹敵する職人技である。

例えば、救命ボランティアの女性が右目に被弾して失明した事件を含む8月11日の出来事のイラストブックはその日のうちにネット上にアップされ、やがて冊子になった。香港から、いくつかのzineを取り寄せ、改めてその確かに仕事ぶりに驚いた。

かねてから、海外のZINE EVENTに参加しているZINE COOPは、これらデモ関連のzineをまとめて7月以降「FREEDOM-HI」のタイトルで、海外でも展示や即売会、トークイベントを開催している。HI(閪)は、女性器を意味する広東語の粗口(罵り語)でmotherfucker的な意味合いだそう。警察が、侮蔑の意味を込めて抗議者たちを「自由閪」と呼んだことに由来するが、言われた側がこれを逆手にとって自らのアイデンティとして名乗ったことから、広東英語/ファニィングリッシュでFREEDDOM-HIと綴り、タイトルにしたとのこと。

台北での展示のタイトル画像。粗口をこんな風な文字にできる漢字文化圏。

香港を含めた華人の移住者が多いカナダのトロントやバンクーバーの図書館やギャラリーでの展示、台湾、日本、韓国、マレーシアといった周辺各国でのzineイベント、イギリスはロンドンのテイト図書館で展示やトーク……と、フットワークの軽さや英語圏の香港人ネットワークを活かした連続イベントを現在も展開中である。当初は、図書館に数十人程度のオーディエンス(香港系移民が多そうだった)を集めてのトークがネット時代にどれほどの効果があるのかと思ったが、地道なzineイベントや公共スペースでの展示とトークは、ネット民とは異なる層にも着実にメッセージを届けている模様である。

あちこちの人の意見を聞いてみた

香港で、警察が催涙弾に加えてビーンバッグ弾・ゴム弾などを抗議市民(さらには救急ボランティアやプレス)に向ける異常な状況が常態化すると、デモ隊の中の勇武派が反撃し、地下鉄駅や親中派と認定した店舗の破壊も日常化していった。私は、暴力の応酬に“引いて”しまい、民主主義や自由や人権を根拠に「香港加油!」とばかり言ってはいられなくなった。そんなとき、取り寄せた香港のzineを様々な人と観ながら、感想を聴く機会を得たことは貴重だった。

「八月十一日 香港發生什麼事」。

デモが始まった当初、ふだん温和なフランス人の友人は「フランスも黄色いベスト運動が続いているけれど、市民が圧迫されているのだから、抗議は当然だよ。香港の人も声をあげるべきだ。さらにフランスは旧植民地問題を残す抑圧する立場でもある。(Be waterだって?) ブルース・リーは偉大だけど、システムを壊すにはゴジラくらいの力が必要だよ!」と言ったが、当時の香港の平和的なデモに比べると、フランスでは高級ブランドショップの焼き討ちや強奪まで行われていた。ブリュタル(粗暴)なデモにもメッチャ理解があって、死傷者が出ているのに、市民生活と運動が何ヶ月も並行しているだなんて元祖・市民革命の国はタフだ、と感心した。

一方、東京にやって来た海外県(元植民地)出身のフランス人アーティストは、香港のzineを手に「ニューカレドニアは来年、(フランスからの)独立を問う国民投票があるけど、残留か独立かを巡って住民は対立している」と言って、遠くを見るのであった。

また長年香港に住んでいるという日本人男性は「本当に安全ないい所だったんです、本当に。こうなる前は……」と言葉少なだった。

反対に、在東京の香港人女性は日本人の香港問題への関心の低さに苛立ちを露わにし、デモ隊を暴徒扱いする日本の報道に対して、日本語話者チームで反論を展開していることを語った。警察の暴行に対抗してエスカレートする抗議者側の暴力を疑問視・危惧する記事(偏向報道とは限らない)に、いくつも香港側から反論のコメントがぶら下がっているのを目にしたことがあったので思い当たる節もあり、離れた故郷の危機にいてもたってもいられない彼女に同情するとともに、日本の報道や言論に対する抗議方法に少々違和感を覚えて、複雑な気持ちになった。

「反送中」。6月からのデモの流れ、プラカードのアート、関連QRコード集に加えて巻末には、得意ジャンルを活かした様々な反対運動への参加方法のリストまでが収録されている。

他には、日本の出版関係者の「急いで発行している割に、いい紙を使っていますね」という冷静な観察や、日本人や台湾人からの「デザインが洒落ている」という香港人のセンスへのリスペクトの声も多く、香港が培ってきた文化的・物質的豊かさが、周辺の国々を魅了してきたことを改めて実感した。

香港の文化的な豊かさは、6月以降、ネット上に数々の印象的なイラストや写真やコラ画像をアップし、オリジナルのアンセムも瞬く間に数々の演奏ヴァージョン(オーケストラ版、室内管弦楽版、ロック版、手話版 etc.)の映像を作り、多くのzineを発行したことからもわかる。プロパガンダの一言には収まらないような、アート分野でのセンス、技術、戦略が、香港問題を海外に強く印象づけて来たと思う。それだけに、不退転の抗議運動が、香港ノワールの傑作映画『英雄本色/男たちの挽歌』でマークが敵陣に一人で引き返し死闘を演じたような、ドラマチックすぎる展開にならないようにと心配してしまう。

「中環 金鐘 添馬艦 香港 坐行衝終極天書」。香港の民主運動map。パール紙を使用している。

私たちには何ができるか

台湾の知人が「将来、日本に移住しようかな」と本気とも冗談ともつかないことを言うのを聞いたり、東京下町に増える移民の方たち(デモや抗議運動さえできずに国を出てきた方たちもいる)と近所で食事を摂っていると、斜陽の日本や日本人にできることは何なのだろうと考えてしまう。

自分にとっては当たり前の、民主主義国家に住み、表現の自由が保障されている状態が、世界中のどこに行っても普通というわけではない。この保証された表現の自由を使って言えることは何なのだろう? そもそも自分が教育されて、当たり前と思ってきた、民主主義、自由、人権などを前提に話すことが、異なる価値観を持つ人に対してどれだけ意味を持つのか? 大国の理論とも違う、理に叶った俯瞰的な考え方があるのだろうか?

私は国内外の自主制作の出版物を扱う書店で働いているので、店には東京で美術を勉強中という中国の子と台湾の子が共同で編集したアートマガジンを納品に来てくれる。中国や台湾でも本を販売する一方、日本の書式で納品書を用意し連れ立ってやって来る二人を見ると、とても微笑ましい。あるいは、香港のzineに気づいた、来日して間もない中国人留学生が「友達が、中国から香港の学校に勉強しに行っているから心配」と日本語で訥々と話してくれた。その不安げな佇まいを見ると「(お友達も香港の人たちも)みんな無事でいて欲しいよね……」とお互いに祈るような気持ちになる。

10月に入って中国建国70周年式典が盛大に行われた日、香港のデモはいつも以上に激化した。しかしBe waterを唱えたブルース・リーも香港人なら、70周年に祝辞を寄せるジャッキー・チェンも香港人、デモ隊も政府も警察も行政長官も香港人かと思うと悩ましい。また、香港から日本に発せられるネット上のメッセージも「世界の理解と助けが必要です」と合わせて「香港人が香港のために行うことに批判は無用」「香港に住まずに広東語も理解できない人間にこの問題は理解できない」と言う論調が出て来て、是非を問うのでなく敵味方を問うものになり、自由な発言や議論が遠ざかるように見えた。

それでも、出版を通して出会った香港の人たちとは疎遠になりたくない。香港のデモ関連のzineを展示するために取り寄せたとき、ZINE COOPのメンバーの一人は「迷惑を掛けなければいいけど」と案じてくれた。「平和的、合法的な方法での展示だから大丈夫」と答えたけれど、デモが始まってから、香港のアーティストたちとの平和なコラボや、対話やサポートを模索している。

10月4日、香港政府が緊急状況規則条例を発令し覆面禁止法を制定した日、街には、周潤發(チョウ・ユンファ)が降臨、いつものように趣味のウォーキング中にファンとセルフィーを撮っていたが、黒づくめのマスク姿が話題になった。

そしてカナダはバンクーバーの中華街の中にあるVancouver International Centre for Contemporary Asian Art–Centre Aの中のReading Roomでは、ZINE COOP企画のアジアのポリティカル・ジンの展示が始まった。企画に協力する形で、日本の政治・社会運動に関するzine数十冊を、それぞれの発行者さんのご協力を得て、現地に送った。

世界の社会運動と足並みを揃えたフェミニズムやLGBT関連のエンパワーメント系のものだけでなく、死者を出した入管センターの長期勾留、20世紀末後半まで続いた優生保護法手術など、「おもてなし」モードの日本とは真逆の深刻な社会問題を海外に紹介することになり、香港のデモやzineを発端に、自国の問題にこんな形で向き合うことになろうとは。6月時点では想像もつかなかった展開であるが、ゴールの見えない旅はまだまだ続きそうである。

最後になりましたが、香港zineの国内での展示にご協力頂きました、THE M/ALL、Loneliness books(オンライン)、火星の庭(仙台)に感謝いたします。

「彼岸之章:亞洲社運動小誌展 CHAPTERS ACROSS THE PACIFIC: Zines from Social Movement in Asia」。

渋谷のWWW/WWWX/XXXβ/GALLERY Xにて開催されたTHE M/ALLのイベントSURVIVEでの閲覧コーナー。

「火星の庭」の香港zine閲覧コーナー。

タコシェの香港zine閲覧コーナー。

デモ関連のzineのカタログ(売上はzineの送料に当てています)。

*Asia Art Archiveのサイトで関連zineのリストを見ることができます。Hong Kong politics などで検索すると出てきます
https://aaa.org.hk/en

執筆者紹介

中山亜弓
東京・中野にある書店タコシェ店主。国内外のジン、リトルプレスを見るのが好き。訳書にエミール・シャズランとガエル・スパール作『ふたりのパパとヴィオレット』(ポット出版)がある。