「本の未来」はすでにいま、ここにある――創刊十周年を期して

2019年10月4日
posted by 仲俣暁生

「マガジン航」は2009年10月20日に創刊された。ちょうど十年の節目にあたるので、当時のことを少し振り返ってみたい。

2009年はどんな年だったかといえば、グーグル・ブックサーチ集団訴訟の余波が日本に及んだ年である。この集団訴訟をめぐる経緯はきわめて複雑なため、ここでは詳しく言及しないが、一言でいえば、旧態依然とした出版業界のあり方が強力な外圧によって変化を迫られた、まさに「黒船」騒動だった。グーグルの電子書籍市場への参入は、出版業界だけでなく政治の世界をも巻き込み、電子書籍についての議論が本格的に動き出すきっかけとなった。

すでにアマゾンは2007年に北米でKindleと名付けた電子書籍サービスを開始しており、日本ではいったん終息したこの分野に再び火がついた。2010年1月にはアップルが初代iPadを発表し、出版のあらたなプラットフォームになるのではとの期待が集まった。グーグル、アップル、アマゾンといった、いまやGAFAなどと呼ばれる巨大ITプラットフォームが軒並み電子書籍に関心を示したことで、出版業界の側もようやく真剣な眼差しを向けはじめたのだった。

出版科学研究所の統計をみると、2009年の出版市場は書籍が8492億円、雑誌が1兆864億円のあわせて1兆9356億円で、前年までなんとか維持してきた2兆円の大台を割り込んでいた。「出版不況」という言葉はとっくに定着しており、電子書籍にはそれを打開する役割も期待されていた。

「個人の営み」としての出版を取り戻す

「マガジン航」創刊のきっかけは、この年の東京国際ブックフェアでボイジャーの萩野正昭さんと久しぶりにお会いしたことだった。萩野さんとは以前、「本とコンピュータ」というプロジェクトで1997年から8年間、一緒に仕事をした。晶文社の編集者、津野海太郎さんが総合プロデューサーを務めたこの先験的なプロジェクトは2005年で終了したが、そこで議論された様々な課題が本格的に浮上してくるのは、むしろゼロ年代も後半になってからだ。

「本とコンピュータ」ほど大掛かりではないにせよ、なにかメディアを一緒に立ち上げられないか。萩野さんからのそんな提案を受け、このような形ならできるのではと提案したのが、ささやかなこのウェブメディアだった。

当時、私は「はてなダイアリー」をかなり熱心に更新しており、そのなかでときおり出版業界の動向に触れた。2000年11月にアマゾンが日本にも上陸して以後、出版業界にはドラスティックな動きが起き始めていた。本の世界はよくも悪くもこれから大きく変わるように私には思えた。

事実、出版にまつわる話題を取り上げた「はてな」エントリーは多くのPVを得ていた。私が考えたのは、それまで「はてなダイアリー」でやってきたようなことを、個人ブログの域を超えた、より多くの人の視点と声を集めたメディアにすることだった。どんな人に書いてもらいたいか、そのイメージを少しずつ固めていった。

「マガジン航」の「創刊の辞」は萩野さんと文面を練り、共同執筆した。その冒頭を、あらためてここに引用する。

「本」や「出版」はそもそも、とても個人的な営みです。それが、いつの間にか見えない線引きがなされ、見えない壁に阻まれて、窮屈さの代名詞になってしまいました。もっと自由でありたい。そう考えて、自分たちで見つめ直すことにしました。

『マガジン航』は、「本と出版の未来」を考えるためのメディアであることを志向します。私たちなりの取材をし、討議し、その結果やプロセスを含めた問いかけを、ここに明らかにしていこうと思います。

この頃は「本の未来」という言葉を、私たちだけでなく多くの人が口にした。私にとってそれは決して、この先に輝かしい未来が待っているということではなく、現在の苦境を突破した先にはきっとなにか新しい風景が見えるはずだ、という祈りに近かった。電子書籍はその際の切り札になると思っていた。

この宣言文に掲げたとおり、出版とは本来「個人的な営み」である。会社として取り組むにしても、個々の編集者に「こんな本を、こんな雑誌を世に出したい」という志がなければ成り立たない。ところがそこに「見えない線引きがなされ、見えない壁に阻まれて」しまい、出版は「窮屈さの代名詞」となった。でも電子書籍というツールを使えば、その「壁」は突破できるのではないか。そんな夢を私はボイジャーの人たちと共有していた。

「マガジン航」の創刊にあたり私が考えたのは「電子書籍の専門メディア」というわけではなかった。先に触れた「本とコンピュータ」のプロジェクトでは、百科事典や図書館の電子化、デジタル・アーカイヴの問題なども扱っていたから、その続きがしたかった。すでに定着していた青空文庫やWikipedia、インターネット・アーカイブなども含め、本や知識をとりまく環境全体のデジタル・ネットワーク化についても、このメディアでは取り上げていきたいと考えた。

同じ「本」を扱う業界でも、出版業界と図書館業界との間には大きな壁がある。紙の本と電子書籍の部門の間にも壁があり、ウェブの世界と電子書籍の世界でさえ交流は少ない。デジタル・アーカイヴに至っては、まだ業界を形成するほどの実質が当時はまだなかった。私は「マガジン航」をそれらすべての関係者が集い、議論しあえる場にしたいと考えた。

すでに壁は壊された

この十年を振り返ると、これらの業界同士の交流や対話は、かなり進んだと思う。電子書籍はすでにウェブの生態系の一部となった感があるし、図書館と出版社の長年にわたる対立もずいぶん和らいだ。電子書籍(とりわけマンガ)は出版社の収益の柱となり、「紙」対「電子」という不毛な議論を耳にすることは少なくなった。

この年月の間に起きたもっとも大きな変化は、インターネットという場自体の変質である。端的にいえばスマートフォンの急速な普及とSNSの浸透、そしてGAFAなどと呼ばれるITプラットフォームが圧倒的な力をもつようになったことだ。インターネットでさえもが「見えない線引きがなされ、見えない壁に阻まれて、窮屈さの代名詞になって」しまったのが、この十年だった。

その一方で、紙の本や雑誌の側ではインディペンデントな動きが思いもかけないほど加速した。さまざまな分野で「ひとり出版社」の起業が相次ぎ、大手取次が提供する出版流通システムに依存しない方法がさまざまに模索された。文学フリマのような即売会も日本中で展開されるようになった。むしろ紙の世界でこそ、それまでの「見えない壁」や「窮屈さ」を乗り越えて、「個人的な営み」として出版業や本屋を営む人たちが増えていった。

うれしいのは、こうしたインディペンデントなパブリッシャーが、電子書籍をその活動の一部として取り入れつつあることだ。逆にボイジャーのような電子書籍のパブリッシャーが、紙の本を作ることも普通になった。もはや分断線は紙とデジタルの間にはない。その壁はもう壊された。壁があるとすれば、現状を変革しようとする者と、そうではない者との間にあるだけだ。

そう考えると、かつて夢想した「本の未来」はすでに私たちの目の前にあるのではないだろうか。2012年に初期「マガジン航」に掲載した文章を集めて、『本は、ひろがる』というアンソロジーを編んだ。そのときにはまだ予感にすぎなかった本の「ひろがり」は、いま間違いなく、私たちの目の前にある。多くの「個」の営みにより獲得したこの自由な場所から、私もさらに先へと進んで行きたい。

「マガジン航」は創刊十年を迎えた今年、あらたに再出発します。

* * *

ありがたいことに、これまでの「マガジン航」の歩みと、その過程で考えてきたことについて日本出版学会の出版編集研究部会で発表する機会をいただいた。学会員でなくとも参加できるとことですので、ぜひご来場ください。


「マガジン航」の10年にわたる実践を通して見えてきたこと

日時:2019年10月17日(木)午後6時30分~8時20分
報告:仲俣暁生(「マガジン航」編集発行人)
場所:日本大学法学部 神田三崎町キャンパス10号館3階 1031教室
(千代田区神田三崎町2丁目3番1号)
https://www.law.nihon-u.ac.jp/campusmap.html

交通:水道橋駅 JR総武線・中央線:徒歩3~5分、都営三田線 A2出口:徒歩3~6分 神保町駅 東京メトロ半蔵門線,都営三田線・新宿線:徒歩5~8分
会費:日本出版学会・会員無料、会員外一般参加費500円(ただし、学生は無料)
定員:40名(満席になり次第締め切ります。やむなくお断りすることもあります)

※参加申込み方法など詳細は以下のリンクを参照。
http://www.shuppan.jp/yotei/1125-20191017.html

表現の自由を支える「小さな場所」たち

2019年9月9日
posted by 仲俣暁生

このエディターズノートはいつも月初に書くことにしているのだが、今月はあまりにも考えなくてはならないことが多すぎて、一週間以上もずれ込んでしまった。

先週はあいちトリエンナーレ2019を見るため、名古屋市と豊田市を駆け足でまわってきた。参加作家の一人である「表現の不自由展・その後」の展示内容に対する批判や抗議、さらには展示続行を困難にさせる職員等への脅迫的言辞もあり、わずか開催3日で同展が中止に追い込まれた経緯は、報道などを通じてご存知のとおりである。

「表現の不自由展・その後」という企画展のタイトルに「表現の自由」という言葉が含まれていたこともあり、展示中止の経緯は「表現の自由」をめぐる議論を喚起した。この言葉には多様なニュアンスが含まれるが、第一義に意味するのは日本国憲法第21条で保証されている、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現」の自由であろう。これらに対しては、事前であろうと事後であろうと行政権力による検閲が行われてはならない。

日本国憲法第21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

あいちトリエンナーレにおける「表現の不自由展・その後」の展示中止が、憲法が定める「表現の自由」を侵害した検閲に当たるのか、それとも安全を最優先したやむを得ない危機回避だったのかは、現在立ち上がっている「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」の調査結果に待ちたいが、展示続行を不可能にするほどの悪質な脅迫(逮捕者以外にも複数いると言われている)や威力業務妨害は、明確に犯罪である。

だが、この議論をめぐる流れを見ていて私がいちばん気になったのは、「表現の自由」の問題ではない。展示会場や作品そのものを見ることなく、賛否どちらの意見もSNSやテレビ番組を通じて流布した断片的なイメージのみをもとに語られ、それらの意見とイメージが、現実に起きている出来事の実相をますますわからなくさせていたことだった。

あいちトリエンナーレは「成功」している

「表現の不自由展・その後」は開催3日目で展示中止になってしまったので、あいちトリエンナーレにおける展示状態を見ることができた者は限られている。しかし、「表現の不自由展・その後」に集められた個々の作品は具体的に示されており、それぞれの背景をさらに調べることは困難なことではない。

この企画展の前身は2015年に東京・練馬のギャラリー古藤で行われた「表現の不自由展」だが、さらにそのきっかけとなったのは、2012年の新宿ニコンサロンにおける安世鴻の写真展である。元慰安婦を題材にしたこの写真展はニコン側により開催前に中止が決定されたが、作者が求めた仮処分を東京地裁が認め、ニコンが主催を降りた状態でその場で展示が行われた。私はこの写真展をたまたま見ており、その場の重苦しい雰囲気を記憶していた。

美術作品が人の目に触れるためには、「展示」という形態をどうしても必要とする(印刷物あるいはネット上で流布する複写画像は、美術作品そのものではない)。そしてその場を維持するためには、多くの人の力とコストがかかる。展示会場への直接的な攻撃や、それをほのめかす脅迫行為が許されないのは、こうした場を問答無用で破壊するからである。

「表現の不自由展・その後」の展示中止を受けて、国内外の多くの美術家が展示形態の変更や作品の引き上げを行った。私があいちトリエンナーレを見に行った理由は、その後の会場の雰囲気を現地で見ておきたかったからだ。詳細な印象は寄稿依頼を受けた別の媒体で詳しく報告する予定だが、一つだけここで述べておきたいことがある。

あいちトリエンナーレは、名古屋市と豊田市内の三つの大きな美術館をメイン会場とするが、それ以外にも二つの市内にいくつもの小さな展示スペースが散在している。あいちトリエンナーレのような大掛かりな国際芸術祭の楽しみは、美術館内で作品を鑑賞するだけでなく、その土地の歴史と深く結びついたこれらの場所をめぐることだ。

私は豊田市と名古屋市内でいくつもの小会場をまわったが、これらの現場を守っていた(おそらくボランティアだと思われる)スタッフの印象がとてもよかった。加熱する報道のなかで、潜在的な攻撃にもさらされているにも関わらず、そうした危機感を際立たせることなく淡々とその場を守る彼ら彼女らの姿に、私はあいちトリエンナーレの本質を見た気がする。さまざまな障害を乗り越えて、この芸術祭は成功している、と私は考える。

あいちトリエンナーレの名古屋市内、四間道会場の風景。

インフラグラムに基づく不毛な空中戦

あいちトリエンナーレを取材に行く前後に、東京では「週刊ポスト」9月13日号をめぐる騒動が起きていた。「嫌韓本」といわれるジャンルは日本の出版業界では、よくも悪くも一定のサブカルチャーとして成立しており、今回のような内容の書籍や雑誌は、(残念なことに)めずらしくもない。

ここ数ヶ月に急速に悪化した日韓関係を背景に、マスメディアでは韓国の現行政権に対する批判が加熱しており、それが韓国人全体、さらには在日コリアンへの潜在的攻撃へとつながりかねないなかでは、今回の「週刊ポスト」の特集企画は大手出版社らしからぬ迂闊なものだった。

ただこの事件の推移においても、あいちトリエンナーレにおける「表現の不自由展・その後」と似た構図が見られたように思う。

「週刊ポスト」への批判は、私がみたところ、いくつかの段階に分かれていた。いちばん大きかったのは新聞広告に大きく掲載された刺激的な文言(及びそれを強調したデザイン)に対するものである。さらに雑誌の特集企画全体に対する批判があり、当然ながら個別の記事の内容に対する批判もあった。また批判対象も、ある場合には雑誌編集部(あるいは小学館そのもの)であり、ある場合には当該広告を掲載した新聞社だったりした(「週刊ポスト」の当該号について、中吊り広告が実際にあったのかどうか現時点では確認できていない)。

週刊誌という媒体は実際の記事内容よりもセンセーショナルにタイトルを打ち出す傾向がある。だから、記事の内容はそれほどでもないのに、広告そのものが極めて不快であり、第三者への攻撃誘発性さえある、という事態が起きうる。その場合、新聞社が出版広告に対して「検閲的」にふるまうことの是非が問われる。今回の場合、そうすべきだったという批判的立場はありうるだろう。だが、この議論は深まらなかった。

「週刊ポスト」のこの号がここまで大きな騒動となったのは、ひとえに社会的に大きな影響のある著作家の内田樹氏が、この出来事を理由として小学館への執筆拒否を明言したからだ。このことがなければ、おそらく事件はここまでマスコミの話題にはならなかった。

さらに内田氏は「週刊ポスト」の他の寄稿者に対しても、同誌に寄稿することは同誌の「目指す未来の実現に賛同しているとみなされることを覚悟した方がいい」との見解を示した。

内田氏の判断は自由だが、その影響力を考えたのだろうか。実際、18万人以上もTwitterのフォロワーがいる内田氏のこれらの発言はきわめて効果的で、その後ネットの「空気」は加熱していった。私が見た中だけでも、編集部への電話抗議を番号を添えて促すTwitterの投稿や、小学館は「週刊ポスト」を廃刊すべきという強い意見がみられた。小学館の社屋前でも9月5日に抗議デモが行われたが、ここでも廃刊要求の声が上がっていたようだ。これらの流れと内田氏の発言に、因果関係はまったくないとは私には思えない。

ここまでの経緯は、昨年の「新潮45」休刊(事実上の廃刊)にいたるものと酷似している(私はこのときも「新潮45」の休刊には反対する立場だった)。いずれの場合も、「炎上」した発端がSNS上での断片的な言葉(たとえば「生産性」)や切り取られた画像イメージであり、誌面や論考全体に対する厳密な批判ではなかった、という共通点がある。それでも「新潮45」は批判に対する反論特集を一度は組み、その内容があらためて批判されて休刊となったのだから、今回よりは意味のあるプロセスだった。

今回の場合、「週刊ポスト」の記事というよりは広告の文言に対して上った著作家たちの批判の声が、それを受けて拙速に雑誌廃刊を求める声を生み出した。あいちトリエンナーレの場合、ネット上で流布したかぎりの「少女像」や「天皇像」に反応して政治家が無責任な発言を行い、展示空間の自由を圧迫した。この二つの出来事は、SNSという場を媒介にしており、構造的にはまったく同じものだと私は考える。

批判対象を直視することなく、断片的なイメージ(小説家の藤谷治氏との公開往復書簡でも紹介したとおり、前回のあいちトリエンナーレ芸術監督でもあった港千尋氏の『インフラグラム』という近著はその問題を扱っている)のみをもとに醸成された「空気」は、表現の自由の根幹である出版や展示の機会を縮減する方向でしか機能しない。そしてSNSとは、直視を回避させ、むしろ「炎上」を促すことによって自らの利益を得るビジネスだ。だからこそ、世の中に影響力をもつ著作家は、出版物における言動以上に、いまはSNS上での言動にも意識的でなければならない(むしろ内田氏は「意識して」炎上させたのだろう)。

もちろんこれは、不当と考える表現に対してSNS上ではいっさい批判するな、ということではない。だがSNS上の発言は、あくまでも「私語」にすぎない。しかしSNS上の「私語」がもった影響力は、発した自身にも責任が負いきれなくなるほど拡大することがある。

だからこそ、表現や言説への批判は、その対象を確定した上で、明確なロジックとともに公論としてなされなくてはならない。それを行う場としてSNSはきわめて不向きであり、そこは(広義の)出版物の出番となる。

SNS上であれ、出版物上であれ、何かに対して行われた批判の当否は、当然ながら公開の場で再批判(評価)される。その再批判も再々批判にさらされる。そのようなプロセスこそが民主主義であり、憲法が保証する表現の自由を十全に機能させる土台である。この手間のかかるプロセスを経ることなく、出版社と著作者とが対立し合うこととで「表現の場」自体がやせ細り、閉ざされてしまう傾向には、ささやかなメディアの編集発行人としても、出版という営みに依拠する文筆家の一人としても、明確に反対したい。

小さな場を守る者たち

あいちトリエンナーレで出会ったいくつもの小さな展示会場と同じ力強さを、先週は東京でも感じることができた。名古屋に向けて経つ前日、東京・神保町のブックカフェ「チェッコリ」に立ち寄ったのは、このお店が冒頭に出てくる石橋毅史さんの新著『本屋がアジアをつなぐ 自由を支える者たち』を読み、たいへんに勇気づけられる思いを抱いたので、また訪れたくなったからだ(私はハングルは読めないが、ここの韓国茶や伝統菓子はとても美味しい)。

この店を営むのはクオンという出版社で、ふだんはお忙しくて会えないことも多いクオン代表のキム・スンボクさんが、その夜のチェッコリでのイベントの準備のためお店にいらしたので、久しぶりに話ができたのも幸いだった。

東京・神保町のブックカフェ「チェッコリ」の店内。

日本でここ数年高まっている韓国の現代文学への関心は、クオンを始めとするいくつかの小出版社や、チェッコリのような場での根強い活動に依るところが大きい。チェッコリのような小さな場で継続的に行われてきたイベントや本の紹介活動が、昨今のベストセラー化も含めた韓国の現代文学の日本への紹介を促し、日韓が共通に抱える課題さえも浮き彫りにした。こうした場には世の中を変える実質的な力があることが証明されたのだ。

石橋さんの本を読むと、そうした場をつなぐゆるやかなネットワークが、東京・大阪・那覇・ソウル・光州・台北・香港・上海といったアジアの諸地域で芽吹いていることを感じる。世界のあらゆる場所で実質的に「表現の自由」を支えているのは、大向う受けを狙った著名人のSNSでの空中戦的な発言ではなく、名も知れぬこうした人たち――石橋さんは彼ら彼女らをこそ「本屋」と呼ぶ――の地道な不断の努力だと私は信じる。

突き破るべき地面はどこに

2019年8月28日
posted by 藤谷 治

第18信(藤谷治から仲俣暁生へ)

仲俣暁生様

数年前に「フィクショネス」をたたみ、昨年は仕事と書庫のために借りていた「隠れ家」も引き払って、この一年はずっと自宅で仕事をしていたのですが、最近はまた河岸を変えています。

家から自転車で十五分くらいのところにある、ちっぽけな図書館の資料閲覧室に資料やゲラやノートを持ち込んで、ガリガリやっているのです。最初は、ちょっと気分を変えられたら、くらいの気持ちでしたが、これが実に具合がいい。

隣席との間に仕切りのある机と椅子がいくつか並んでいて、本棚には百科事典や便覧のたぐいが置いてあり、いつも六分から八分の席が埋まっていて、高校生が受験勉強をしていたり、退職したらしきオジサンオバサンが資格試験の本を読んだりしています。コンセントもなければヘッドライトもありません。特定の席でしかパソコンを使うこともできません。その特定の席でも、Wi-fiがないからネットは使えません。もちろん広い室内は静まり返っています。

テレビもなければ音楽もなく、ただただノートを作ったりゲラを直したりするよりほか、何もできない場所というのは驚くほど能率的で、今まで夜半を過ぎても終わらなかった仕事が、日没前に済んでしまいます。

何よりノイズがないのは精神衛生上まことに快適で、今まで自分がどれだけノイズに毒されてきたかを痛感します。もちろん仕事に疲れれば、ちょっとスマホでメールチェックやニュースを見たりはしますが、すぐにどうでもよくなってしまいます。

お手紙にあった「インフラグラム」というのは面白いですね。『インフラグラム』という本を読んでいませんから、極めていい加減な使い方しかできず、この言葉を作った港氏には申し訳ありませんが、インターネットが「自由」な場所ではないようだ、ということは、僕も少し前から感じてはいました。今やそれは確信になっています。というより、あんな種類の「自由」は特に必要ない、という方が正確です。自由という概念は一枚岩ではありませんから、こちらはこちらの自由を模索し、試行するだけです。その自由は、恐らく「インフラグラム」(僕の理解ではこれは、「中央集権的なSNS上で支配的な影響力を持つようになる画像・言説」のことです)に背を向けなければ、成立しないところにあるのでしょう。地方の図書館の、資料閲覧室のようなところに。

しかし恐らく芸術は、資料閲覧室に閉じ籠ったままでは存在しえないのです。文学が、作者が読者を特定できない文章であるように、芸術もまた、作者が鑑賞者を特定できない場所に存在しなければならない。芸術の入り口に扉はないのです。

ところが、芸術の入り口にあってはならないはずの重い鉄の扉が、美術館の入り口にはあるのです。誰かがそれを、開いたり閉じたりしているのです。その誰かとは、芸術家ではありません。美術館の所有者が、美術館の扉をも所有しているのです。

ここに芸術の矛盾があります。美術館の所有者は、その扉の中にある芸術を所有してはいないからです。芸術は原理的に、所有することができません。所有に意味がない、といったほうがいいでしょう。私が体験した彫刻や、あなたが出会った絵画は、きっと誰かの所有だったことでしょう。それは誰か、誰の持ち物か、などという話に興味を覚えるのは、俗物か業界人くらいなものです。

芸術に扉はないのに、美術館の扉はなぜ開け閉めされるのか、という問題が、「あいちトリエンナーレ」で俎上に上げられているようです。いや、あそこで騒がれている問題は、もっと複雑なのでしょう。そもそも美術館を所有しているのは誰なのか、扉を閉じたのは誰なのか、あるいは、「誰の許しを得て」美術館が開かれたのか・閉じたのか。そんなことまで議論されているようです。

しかもその議論のおもな舞台が、マスメディアを含む「インフラグラム」の内部であることが、事態をさらに複雑にしているようです。

なぜ「インフラグラム」が美術の問題を複雑にしているか。それは、あいちトリエンナーレの問題が、美や美術の問題として取り上げられるべきであるのに、「インフラグラム」には美や美術について、根本的な理解が欠けているからです。そもそも「インフラグラム」には、何についてであれ、「根本的な理解」というものは不必要なのでしょう。各人が各様に、思いついたことや何となく気に入った・気に入らないものを、その場その場、その時その時に「発信」するのがインターネットの「自由」であり、その「自由」がこしらえあげた集合的無意識みたいなものが「インフラグラム」なのでしょうから。

美とは何か。美術とはどんなものなのか。これは一般的には難解な問題とされており、「それは個々の感覚だ」とか「自由に感じるものだ」などとお茶を濁すのが通例になっています。あいちトリエンナーレの問題についても、美術について根本的には考えないまま、あれは美術ではないとか、美術の名に値しないとかいった言説が、恥ずかしげもなく「投稿」されたり「コメント」されています。

それよりさらに頻繁に行われているのが、美術の問題であることは無視して、これを社会的問題、政治的問題、あるいは「金を出しているのは誰だ」といった問題にしている言説です。美術とは何かなんてどうでもいい、日本の公共施設で日本国を批判する物体を陳列するのは国家への反逆であり、不忠である……と言わんばかりの主張もあるようです。言わんばかりではなく、そのように明言している「呟き」も、探せばあるかもしれません。

なぜこんなことになったのか。僕はそれは、「文化行政」というものが、本来的にそういう側面を持っているからだと考えています。

こんにちの日本では、史上かつてないほど芸術は保護されています。憲法に基づいて国家は国民の「表現の自由」を保証し、その権利も著作権法その他によって守られています。僕たちはその恩恵を被って生活をしているわけです。現代美術や伝統芸能についても、文化芸術基本法が制定されました。

しかしそれらの基本的な権利と「文化行政」は、どうやら趣を異にするようです。文化庁が昨年策定し、閣議決定された「文化芸術推進基本計画―文化芸術の『多様な価値』を活かして、未来をつくる―(第1期)」の第1の1「文化芸術の価値等」には、文化芸術の多様性や「固有の意義と価値」を認めたうえで、その「本質的価値」について、このように書かれています。

(本質的価値)
・文化芸術は、豊かな人間性を涵養し、創造力と感性を育むなど、人間が人間らしく生きるための糧となるものであること。
・文化芸術は、国際化が進展する中にあって、個人の自己認識の基点となり、文化的な伝統を尊重する心を育てるものであること。

加えて「(社会的・経済的価値)」として、「他者と共感し合う心を通じて意思疎通を密なものとし、人間相互の理解を促進する」「質の高い経済活動を実現する」「世界平和の礎となるもの」とあります。

さらに「目標1 文化芸術の創造・発展・継承と教育」という項目には、「文化芸術は、活発で意欲的な創作活動により生み出されるものであることを踏まえ」とか「世界に誇れる我が国の優れた文化芸術を次世代へ継承するために」といった文言と並んで、このように書かれています。

〇 劇場、音楽堂等は、文化芸術を継承、創造、発信する場であるとともに、人々が集い、人々に感動と希望をもたらし、人々の創造性を育み、人々が共に生きるきずなを形成するための地域の文化拠点である。

これらは一見、いかにも芸術表現を尊重しているように書かれていますけれど、実際には「文化芸術」の範囲を制限するものです。これらを仮に「文化行政にとっての芸術の定義」とするなら、そこには、人間性を豊かに涵養しない芸術や、世界に誇ることのできない芸術、人々に感動と希望をもたらさない芸術は、文化行政にとって芸術の名に値しないことになります。世界平和に貢献しなかったり、質の高い経済活動を実現しない芸術すら、相手にするつもりがないのかもしれません。

そうであるなら、これら文化行政の定義から漏れる芸術――人の神経を逆なでしたり、希望に背を向けていたり、人々に批判を突きつける芸術は、ただ憲法によってのみ、存在を許されていることになります。あいちトリエンナーレで中止に追い込まれた展示は、「表現の不自由展・その後」というそうですが、恐らくそこに展示されることになった作品たちは、憲法上の「表現の自由」にしか、この国に存在する根拠を持ち得なかったのです。そのために暴力や脅迫という社会からの攻撃に、国家を頼ることができなかったのです。行政はそこにある作品を、保護すべき価値ある「文化芸術」と認めなかったのでしょう。

すなわち、日本に表現の自由はある。しかし、あるだけです。行政が価値を認めるかどうか、保護を受けられるかどうか、主張を受け入れられるかどうかは、文化行政が表現の自由とは別個に裁定するのです。

こうして美術館の扉は閉じられます。それは検閲ではなく、裁定です。今回の展示中止に至っては、恐らく裁定ですらなく、単に「防犯」目的ではないかと僕などは思っています。展示に対して執拗に続けられているという脅迫は、公共の施設に対するテロ予告ですから、常日頃からテロに屈しない姿勢を堅持している現在の日本国政府には、その姿勢にふさわしい対応をする責務があるでしょう。

『綾峰音楽堂殺人事件』を書いたのは、しかしそれとはまた別種の動機によるものです。

小説の登場人物が口走るセリフが、常に作者の意見であるわけがありませんが、作中の探偵役・討木穣太郎氏が皮肉な口調で語る言葉は、幾分か僕の気持ちでもあります。

「どこもかしこもトリエンナーレ、ビエンナーレ。現代美術で町おこし。よその猿真似で観光客に金を落とさせようって魂胆だ。文化芸術が聞いて呆れますよ」(p.20)

あいちトリエンナーレがこのような騒動になるずっと以前から、僕は地方自治体が、あっちでもこっちでもトリエンナーレだのビエンナーレだのを企画するのを、遠目ながら、冷めた、意地の悪い気持ちで眺めていました。

地方自治体の主催する美術関連の大きなイベントが、僕のような門外漢に奇妙に見えるのは、そこに何とも言えず、地方の「中央依存」が感じられるからです。

あいちトリエンナーレの今回の芸術監督は東京出身です。その前の港氏は神奈川、さらにその前の五十嵐氏はパリの生まれで、いずれも各分野で業績をあげ、学問的な地位も知名度もある方ばかりですが、愛知県に深い縁のある方はおられるのでしょうか。彼らの実績は、すべて愛知県ではないところで積み重ねられているように思われます。

それがどうした。国際芸術祭じゃないか。出身なんか関係ない。世界的な美術展を愛知県でやることに意義があるんだと、愛知県の文化行政は言うかもしれません。その通りなのでしょう。しかし愛知県の人たちからそれは、どのように見えるのでしょうか。自分らの土地によそから人がやってきて、大きな美術の展覧会を始めた、としか見えないのではないでしょうか。

それは、世界から愛知県に芸術的才能を結集させた、ということになるのでしょう。しかし結集した場所が愛知県であることに、果たしてどれほどの意味があるのですか。たしかに愛知県の文化行政や、観光業を初めとする種々の地方経済にとっては、大きな意味があるでしょう。けれどもそれは何年か前の愛知県知事の「肝いり」で、「行政主導」で製造された催しです。愛知県という土地から芽吹いた芸術祭ではありません。

こんにち雨後の筍のごとくあちこちで開かれるようになったトリエンナーレ、ビエンナーレは、愛知県のそれに限らず、ほぼすべてがそのような行政が作った芸術祭ではないのでしょうか。

各地方の人たちがそれでいいのなら、無関係の僕に口を挟む権利も資格もありません。それでいいです。

ただ僕は、日本各地にある小さな、経営の楽ではない、いくつかの交響楽団のことを思うのです。

戦後まもなく市民オーケストラとして発足した群馬交響楽団や、山形にオーケストラを、という地元音楽家の熱意によって作られた山形交響楽団、地元出身の作曲家によって集められた仙台フィルハーモニー管弦楽団、若い音楽家のために活動の場を作りたいと、一人の主婦が提唱して結成された大阪交響楽団など、日本の地方オーケストラは、その土地の人々の力で作り上げられたものばかりです。もちろん、その殆どすべてが、地方の文化行政の助力を仰いでいます。また演奏会のゲスト指揮者やソリストには、「中央」で名声を得た演奏家を招くのが常です。しかしそのような「営業努力」は、ひたすらその土地の人々に音楽を聴いてもらうためになされているのです。

「先生は北海道の事例をどのようにお考えですか。財政破綻した夕張市や破綻寸前のJR北海道を抱えていながら、札幌交響楽団に北海道や札幌市が毎年それぞれ一億円の公的補助金を出しているのはなぜか。それは、札幌交響楽団が優れたオーケストラとして道民の誇りになっているからです」(p.242)

文学が、一個の人間の胸を引き裂いて飛び出してくるものであるように、芸術は地面を突き破ってちっぽけな兆しを現わし、時間と忍耐の果てにそこへ根付くものだ、というのは僕の夢想にすぎないのでしょうか。

第1信第2信第3信第4信第5信第6信第7信第8信第9信第10信第11信第12信第13信第14信第15信第16信第17信第19信につづく)

インフラグラムから遠く離れて

2019年8月26日
posted by 仲俣暁生

第17信(仲俣暁生から藤谷治へ)

藤谷治様

ここ数年すっかり当たり前になった酷暑も、どうやらお盆明けで一息つき、心身ともにようやくお返事を書ける状態になりました。体はともかく、気持ちのほうもぐったりしていたのは、8月のはじめに起きたあいちトリエンナーレをめぐる事件の動向を追うので精一杯だったからです。

8月1日に開幕した国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の展示企画の一つである「表現の不自由展・その後」が、展示内容に対する「市民」からの激烈な抗議と、会場への放火などをほのめかす悪質な攻撃によって、わずか3日間で公開中止に追い込まれました。たとえ愉快犯にせよ、京都アニメーションに対する凄惨な放火事件の直後に、その痛々しい記憶を材料とする脅迫行為がなされたことには、ひどく暗澹たる気持ちになりました。

今回のあいちトリエンナーレに対して僕は、開幕前から少なからぬ関心を抱いていました。トリエンナーレは言葉のとおり3年に一度開催されるお祭りですが、2013年に行われた前々回(第2回)が五十嵐太郎さん、2016年の前回(第3回)は港千尋さん、そして第4回目となる今回は津田大介さんが芸術監督を務めています。この三人の芸術監督とは個人的に面識もあり、なかでもジャーナリストである津田さんは、建築評論家である五十嵐さんと同様、美術業界の「外」で仕事をしてきた方です。そうした他分野での活動とアートが今回どのように交差するのか、大いに注目をしていたのです。

でもこれは僕のほうの事情でしかありません。藤谷さんと文学や小説についてだけでなく、美術や現代アート、あるいはたんに「アート」としか呼べない領域について話をしたくなったのは、さらにいくつか理由があります。

一つ目の理由は、今回のあいちトリエンナーレに対する「攻撃」が、先の京都アニメーションへの放火事件の延長線上にあること。二つ目の理由は、文学と美術はいずれも広義の「芸術」を構成するものだという共通理解が、僕と藤谷さんとの間にはあると信じるからです。そして三つ目は、藤谷さんの最新作『綾峰音楽堂殺人事件』が、まさしく現代における芸術の社会的な位置づけを問う小説だったことです。

最初の理由については、もういいでしょう。まず二つ目の話をします(おそらく一つ目の理由とも関連するはずです)。藤谷さんとこの往復書簡をはじめてから相次いだ(ように見える)文学や小説をめぐるうんざりさせられる諸騒動の大半は、インターネット上で話題となり、流布したものでした。今回のあいちトリエンナーレで批判の対象となっていた「表現の不自由展・その後」の場合も、展示作品そのものではなく、ネット上に流布したそれらのイメージが「炎上」したのでした。皮肉なことに、会場が封鎖されたままであることにより、作品そのものはまったく無事なのですが。

この話には前段があります。前回のあいちトリエンナーレの芸術監督を務めた港千尋さんが、今年の5月に『インフラグラム――映像文明の新世紀』という本を出しており、僕はこの本をちょうど、あいちトリエンナーレが始まる直前の先月末から読みはじめていたのです。

「インフラグラム」はいま流行っているInstagramというSNSのもじりで、言うまでもなく港さんによる造語です。自身が写真家でもある彼は、この言葉にかなり複雑な含意を込めているのですが、思い切って簡略化するなら、GoogleやFacebookといったインターネットのインフラストラクチャーともいうべき場で流布する図像や画像のことだと言えるでしょう。あいちトリエンナーレ事件はまさに、インフラグラムが起こした事件でした。

英和辞典を見ると「-gram」は「記録」「図」「文書」を意味する接尾語とあります。アナグラムは言葉の綴りの入れ替えによる遊び、エピグラムは警句、テレグラムは電報、接頭語として使えばグラマーは文法で、グラマトロジーなどという難しい言葉もあったように思います。今日的な図像のあり方と、それがもたらす諸問題を論じるために港さんはこの造語をしたわけですが、同じ言葉を僕はネットのインフラストラクチャー上を漂う「文」に対しても当てはめたくなりました。

ネット上で流布する文、とりわけ140字以下に切り詰められたTwitterで流れる文は、「あや」のある文章(テクスト)でもなく、それらが撚り合わされることで成り立つ文脈(コンテクスト)も欠いている、まさに「インフラグラム」としか呼びようのないものではないか。テクストとコンテクストによって成り立つ複雑な構造体としての「本」は、インフラグラムの対極にあるものです。

そうであるにもかかわらず、商業的な生産物としての「本」はいま、ネットで日々つぶやかれることを抜きにしてその存在を知られることはありません。そう考えたとき、港さんが作られたこの造語の射程の深さに、僕は慄然としたのです。

前回のやりとりのなかでお互いが触れていたとおり、文学や小説の「現場」とは、書店でも図書館でもネット上でもなく、いままさに読者によってそれが読まれつつある紙面/画面です。その「面」で作品と読者が交わすやりとりには、編集者も批評家も、作者自身でさえも介在できない。したがって、そこにはインフラグラムが発生する余地はありません。

読書という営みがもたらす自由は、その行為をさまたげるような攻撃がきわめて困難である、という事実に支えられています。どんなに高度な監視国家の秘密警察でも、すべての読書行為を禁圧することは――とりわけそれが物理的な紙の本によるものであれば――できないでしょう。

「マガジン航」というこのネットメディアを立ち上げた十年前、読書という営みはインターネットという新しいインフラストラクチャーによって、これまでよりいっそう「自由」になるのではないか、と僕は考えていました。ところがいま、僕はその考え方をかなり大きく修正しつつあります。つまり、読書という行為は、インフラグラムに侵食されない場でしか成り立たないのではないか。

もちろんスマートフォン上で電子書籍を読むことは可能です。しかし「電子書籍というビジネス」を生み出した巨大IT企業の関心は、じつのところ本や読書にではなく、(港さんの言い方に倣えば)「ユーザー」の視線や関心を精密に計量化しマネタイズすることにある。それによって成り立つ経済は「アテンション・エコノミー」と呼ばれています。インフラグラムとは、一言でいえばアテンション・エコノミーに従属する図像や文のことです。さきのメールで藤谷さんがおっしゃった「データ」とは、インフラグラムとしての「文」のことではないでしょうか。

僕らはそのような言葉からは、できうる限り遠ざかるべきではないか――十年を経て、そのように思うに至ったのです。

とはいえ、このことについては、自分のなかでもまだ十分に考えが練り上げられていません。「インフラグラム」という便利な言葉に飛びつくあまり、結論を急ぎすぎているかもしれません。そこでこの話は今回はこのくらいで切り上げ、三つめの理由、藤谷さんの『綾峰音楽堂殺人事件』の話に移りましょう。

なにしろこの小説のなかで古くからある地域オーケストラの拠点である音楽堂が取り壊されてしまう――作中では「改築」と表現されていますが――理由は、この地方自治体で数年後から開催される「あやみねトリエンナーレ」のための「マルチプル・スペース」とするためなのですから!

小説家の想像力の恐ろしさを、今回ほど感じたことはありません。あいちトリエンナーレの事件が起きたとき、僕はすでに『綾峰音楽堂殺人事件』を読み終えていました。事件後さっそく再読し、あらためて背筋が凍りました。ここで「殺されて」いるのは、被害者の人物だけではありません。もっと大きなものが殺されている。もちろん現実のあいちトリエンナーレでは殺人事件は起きていませんし、そんなことはあってはならない。たまたま似通った名前になったとはいえ、「あやみねトリエンナーレ」は「あいちトリエンナーレ」を直接のモデルにしているわけではないでしょう。

それでもなお、僕は藤谷さんに尋ねてみたいのです。今回のあいちトリエンナーレをめぐる騒動を、小説家としてどのように受け止めましたか、と。

ところで、このメールを書いている時点で、僕はまだあいちトリエンナーレの現場を見ていません。まさに「インフラグラムから得た印象」だけで書いています。これではいけない。近いうちになんとか時間をつくり、芸術作品を成り立たせている「場」というものを見てくるつもりです。

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雑誌売上の減少問題を製品マーケティングの観点から考える

2019年8月19日
posted by 小林徳滋

『出版月報』2019年1月号によると、冊子形式の雑誌の売上は21年連続で縮小しており、休刊点数が創刊点数を上回る状況が10年以上続いている。もはや、分野によっては雑誌媒体が消滅する可能性も考慮せざるを得ない事態である。こうした問題は、通常、出版業界の視点から取り上げられることが多い。しかし、雑誌のビジネスモデルでは購読料収入と広告収入を車の両輪としているため、雑誌の消滅によって影響をうけるのは出版業界だけではない。

雑誌広告を利用している広告主にとっては、製品やサービスのマーケティング手段として雑誌広告が使えなくなるという問題である。ここでは主にソフトウェア製品のマーケティングの立場から考えてみた。

雑誌の中には、無料(フリー)で配布されるものもあるが、大部分は、一号ずつあるいは年間予約による有料で販売されている。読者が無償か有償かによって広告の効果には大きな違いがあり、フリー媒体では広告の効果が上がらないことをしばしば経験する。雑誌の読者は、主に雑誌の記事を目当てに、雑誌を購入するのであるが、内容に対価を支払うという行為によって読者自体が選別される。

マーケティングの観点から言えば、記事の内容に対価を支払うことで読者が上質なターゲットとなる。かかるが故に雑誌、特に専門雑誌の広告は、高度にセグメントされた市場に対する効率的な販促手段となる。私はソフトウェア製品の販売を過去30年以上行ってきたが、この間、コンピュータ/パソコン雑誌がもっとも有効な販促手段であった。

インターネット広告のターゲティング手法もいろいろ開発されている。しかし、現在のネット広告は専門雑誌の広告の代替手段として期待する効果が得られないことが多い。例えば、Googleのキーワード広告は、Webページの内容を検索したキーワードと連動して広告を掲載するのは周知のとおりである。

しかし、よく調べてみるとキーワード広告で得られるページビューには全くピントはずれのことがある。例えば、PDFを印刷する機能を持つソフトウェア製品を販売するため、「PDF印刷」といったキーワードに反応して広告が掲載されるように設定する。

その結果である来訪者を分析したところ、「コンビニでPDFを印刷する」ためにWebページを検索し、検索結果画面に表示された広告をクリックしてきた人が多かった。キーワードのみでは、来訪者選別基準としては不十分なのだろう。

インターネット広告には、このほか、アドネットワークのような手法もあり、一見ターゲッティングの手段が用意されているように見える。しかし、アドネットワークでリーチできるWebページは千差万別の内容を機械的に寄せ集めたものに過ぎない。専門の編集者が編集した雑誌ほどには厳選されておらず、また読者が対価を購って選別したものでもない。

現在のインターネット広告の技術では、良質な見込み客に効率的にリーチするのは至難の業である。この結果、専門的な製品のマーケティング手段としての広告がますます非効率になっている。企業の製品マーケティングの観点から、冊子形式の専門雑誌媒体に匹敵する効果をもつ電子媒体の開発が強く望まれる。


本稿は日本電子出版協会(JEPA)のウェブサイトで7月30日に公開された著者による「キーパーソン・メッセージ」を転載したものです。