「本の未来」はすでにいま、ここにある――創刊十周年を期して

2019年10月4日
posted by 仲俣暁生

「マガジン航」は2009年10月20日に創刊された。ちょうど十年の節目にあたるので、当時のことを少し振り返ってみたい。

2009年はどんな年だったかといえば、グーグル・ブックサーチ集団訴訟の余波が日本に及んだ年である。この集団訴訟をめぐる経緯はきわめて複雑なため、ここでは詳しく言及しないが、一言でいえば、旧態依然とした出版業界のあり方が強力な外圧によって変化を迫られた、まさに「黒船」騒動だった。グーグルの電子書籍市場への参入は、出版業界だけでなく政治の世界をも巻き込み、電子書籍についての議論が本格的に動き出すきっかけとなった。

すでにアマゾンは2007年に北米でKindleと名付けた電子書籍サービスを開始しており、日本ではいったん終息したこの分野に再び火がついた。2010年1月にはアップルが初代iPadを発表し、出版のあらたなプラットフォームになるのではとの期待が集まった。グーグル、アップル、アマゾンといった、いまやGAFAなどと呼ばれる巨大ITプラットフォームが軒並み電子書籍に関心を示したことで、出版業界の側もようやく真剣な眼差しを向けはじめたのだった。

出版科学研究所の統計をみると、2009年の出版市場は書籍が8492億円、雑誌が1兆864億円のあわせて1兆9356億円で、前年までなんとか維持してきた2兆円の大台を割り込んでいた。「出版不況」という言葉はとっくに定着しており、電子書籍にはそれを打開する役割も期待されていた。

「個人の営み」としての出版を取り戻す

「マガジン航」創刊のきっかけは、この年の東京国際ブックフェアでボイジャーの萩野正昭さんと久しぶりにお会いしたことだった。萩野さんとは以前、「本とコンピュータ」というプロジェクトで1997年から8年間、一緒に仕事をした。晶文社の編集者、津野海太郎さんが総合プロデューサーを務めたこの先験的なプロジェクトは2005年で終了したが、そこで議論された様々な課題が本格的に浮上してくるのは、むしろゼロ年代も後半になってからだ。

「本とコンピュータ」ほど大掛かりではないにせよ、なにかメディアを一緒に立ち上げられないか。萩野さんからのそんな提案を受け、このような形ならできるのではと提案したのが、ささやかなこのウェブメディアだった。

当時、私は「はてなダイアリー」をかなり熱心に更新しており、そのなかでときおり出版業界の動向に触れた。2000年11月にアマゾンが日本にも上陸して以後、出版業界にはドラスティックな動きが起き始めていた。本の世界はよくも悪くもこれから大きく変わるように私には思えた。

事実、出版にまつわる話題を取り上げた「はてな」エントリーは多くのPVを得ていた。私が考えたのは、それまで「はてなダイアリー」でやってきたようなことを、個人ブログの域を超えた、より多くの人の視点と声を集めたメディアにすることだった。どんな人に書いてもらいたいか、そのイメージを少しずつ固めていった。

「マガジン航」の「創刊の辞」は萩野さんと文面を練り、共同執筆した。その冒頭を、あらためてここに引用する。

「本」や「出版」はそもそも、とても個人的な営みです。それが、いつの間にか見えない線引きがなされ、見えない壁に阻まれて、窮屈さの代名詞になってしまいました。もっと自由でありたい。そう考えて、自分たちで見つめ直すことにしました。

『マガジン航』は、「本と出版の未来」を考えるためのメディアであることを志向します。私たちなりの取材をし、討議し、その結果やプロセスを含めた問いかけを、ここに明らかにしていこうと思います。

この頃は「本の未来」という言葉を、私たちだけでなく多くの人が口にした。私にとってそれは決して、この先に輝かしい未来が待っているということではなく、現在の苦境を突破した先にはきっとなにか新しい風景が見えるはずだ、という祈りに近かった。電子書籍はその際の切り札になると思っていた。

この宣言文に掲げたとおり、出版とは本来「個人的な営み」である。会社として取り組むにしても、個々の編集者に「こんな本を、こんな雑誌を世に出したい」という志がなければ成り立たない。ところがそこに「見えない線引きがなされ、見えない壁に阻まれて」しまい、出版は「窮屈さの代名詞」となった。でも電子書籍というツールを使えば、その「壁」は突破できるのではないか。そんな夢を私はボイジャーの人たちと共有していた。

「マガジン航」の創刊にあたり私が考えたのは「電子書籍の専門メディア」というわけではなかった。先に触れた「本とコンピュータ」のプロジェクトでは、百科事典や図書館の電子化、デジタル・アーカイヴの問題なども扱っていたから、その続きがしたかった。すでに定着していた青空文庫やWikipedia、インターネット・アーカイブなども含め、本や知識をとりまく環境全体のデジタル・ネットワーク化についても、このメディアでは取り上げていきたいと考えた。

同じ「本」を扱う業界でも、出版業界と図書館業界との間には大きな壁がある。紙の本と電子書籍の部門の間にも壁があり、ウェブの世界と電子書籍の世界でさえ交流は少ない。デジタル・アーカイヴに至っては、まだ業界を形成するほどの実質が当時はまだなかった。私は「マガジン航」をそれらすべての関係者が集い、議論しあえる場にしたいと考えた。

すでに壁は壊された

この十年を振り返ると、これらの業界同士の交流や対話は、かなり進んだと思う。電子書籍はすでにウェブの生態系の一部となった感があるし、図書館と出版社の長年にわたる対立もずいぶん和らいだ。電子書籍(とりわけマンガ)は出版社の収益の柱となり、「紙」対「電子」という不毛な議論を耳にすることは少なくなった。

この年月の間に起きたもっとも大きな変化は、インターネットという場自体の変質である。端的にいえばスマートフォンの急速な普及とSNSの浸透、そしてGAFAなどと呼ばれるITプラットフォームが圧倒的な力をもつようになったことだ。インターネットでさえもが「見えない線引きがなされ、見えない壁に阻まれて、窮屈さの代名詞になって」しまったのが、この十年だった。

その一方で、紙の本や雑誌の側ではインディペンデントな動きが思いもかけないほど加速した。さまざまな分野で「ひとり出版社」の起業が相次ぎ、大手取次が提供する出版流通システムに依存しない方法がさまざまに模索された。文学フリマのような即売会も日本中で展開されるようになった。むしろ紙の世界でこそ、それまでの「見えない壁」や「窮屈さ」を乗り越えて、「個人的な営み」として出版業や本屋を営む人たちが増えていった。

うれしいのは、こうしたインディペンデントなパブリッシャーが、電子書籍をその活動の一部として取り入れつつあることだ。逆にボイジャーのような電子書籍のパブリッシャーが、紙の本を作ることも普通になった。もはや分断線は紙とデジタルの間にはない。その壁はもう壊された。壁があるとすれば、現状を変革しようとする者と、そうではない者との間にあるだけだ。

そう考えると、かつて夢想した「本の未来」はすでに私たちの目の前にあるのではないだろうか。2012年に初期「マガジン航」に掲載した文章を集めて、『本は、ひろがる』というアンソロジーを編んだ。そのときにはまだ予感にすぎなかった本の「ひろがり」は、いま間違いなく、私たちの目の前にある。多くの「個」の営みにより獲得したこの自由な場所から、私もさらに先へと進んで行きたい。

「マガジン航」は創刊十年を迎えた今年、あらたに再出発します。

* * *

ありがたいことに、これまでの「マガジン航」の歩みと、その過程で考えてきたことについて日本出版学会の出版編集研究部会で発表する機会をいただいた。学会員でなくとも参加できるとことですので、ぜひご来場ください。


「マガジン航」の10年にわたる実践を通して見えてきたこと

日時:2019年10月17日(木)午後6時30分~8時20分
報告:仲俣暁生(「マガジン航」編集発行人)
場所:日本大学法学部 神田三崎町キャンパス10号館3階 1031教室
(千代田区神田三崎町2丁目3番1号)
https://www.law.nihon-u.ac.jp/campusmap.html

交通:水道橋駅 JR総武線・中央線:徒歩3~5分、都営三田線 A2出口:徒歩3~6分 神保町駅 東京メトロ半蔵門線,都営三田線・新宿線:徒歩5~8分
会費:日本出版学会・会員無料、会員外一般参加費500円(ただし、学生は無料)
定員:40名(満席になり次第締め切ります。やむなくお断りすることもあります)

※参加申込み方法など詳細は以下のリンクを参照。
http://www.shuppan.jp/yotei/1125-20191017.html

執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。