「出版不況論」をめぐる議論の混乱について

2016年5月1日
posted by 仲俣暁生

毎月1日にリリースされる、小田光雄さんの「出版状況クロニクル」というウェブ記事を楽しみにしている出版関係者は多いと思う。私もその一人である。これを読まずにはひと月が始まらない。毎月かならず読んでいる。

小田さんが書かれた『出版社と書店はいかにして消えていくか〜近代出版流通システムの終焉』はのちに論創社から復刊されたが、私は1999年にぱる出版からでた版で読み、大きな衝撃を受けた。1999年といえばまだアマゾンが日本に進出する前の時期である。日本の出版業界が抱えた構造的な問題をロードサイドビジネスや郊外社会論とからめて分析し、彼が名付けた「近代出版流通システム」がもはや機能不全を起こしている事実を、この時期にいちはやく伝えた小田さんの功績はとても大きい。

小田さんはその後、論創社のサイトで「出版状況クロニクル」という定点観測コラムを始め、それは『出版状況クロニクル』という単行本としてまとめられた。2010年2月からは場所をはてなダイアリーに移して定点観測を継続し、それらも相次いで『出版状況クロニクル(Ⅱ)』『同(Ⅲ)』という単行本としてまとめられている。もちろんこれらも私は買って読んだ。これだけ長期にわたり業界の定点観測をしている人は他におらず、またそのときどきの統計データに適切な分析が加えられていて、とても便利だからだ。

林智彦さんの「出版不況論」批判と、それへの再批判

その小田さんが、今月の「出版状況クロニクル(96)」で林智彦さんが「出版ニュース」4月中旬号に寄稿した『だれが「本」を殺しているのか? 統計から見る「出版不況論のゆくえ』という論考を批判している。

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林さんの記事は、千年一日のように繰り返されている「出版不況論」の内実を問うものだ。出版市場が全体として縮小しているのはたしかだとしても、「書籍」(流通上の区分ではなく、パッケージとして完結した単独の著作物)に着目した場合、紙の書籍と電子書籍、そして流通上では雑誌扱いとされている「コミックス(マンガ本)」まで含めれば縮小とも言い切れない。おもにマンガを中心とする電子書籍市場の動向を見れば、「書籍」に限ればむしろ拡大の余地があるのではないか、というものだ。[追記:「出版ニュース」の当該記事と同じ論旨が今年2月10日付のC-NETの記事、「出版不況は終わった? 最新データを見てわかること」で展開されているので参照のこと]

それに対して、小田さんは次のように批判する。

出版科学研究所の統計は書籍と雑誌に分類されているが、それは両輪のような関係にあるからで、出版業界を総合的に考察するにあたっては、切り離して論じることはできない。そのようにして日本の出版業界は始まり、営まれてきたのである。そこに電子書籍が出現したからといって、その枠組を手前勝手に組み替えることは現在の出版状況をミスリードするだけである。

さらに次のようにも言う。

それは雑誌の場合、書籍とは異なり、定期的に発行され。[原文ママ]部数も圧倒的に多く、雑誌コードを付して刊行されている。それはコミックもムックも同様であり、流通配本において、書籍と同一視できない要素を備えているので、雑誌に分類されているし、それは決して不合理ではない。また書籍にしても、小説に代表されるように、雑誌掲載をベースとして成立している。それが日本の出版の特殊性でもある。

ここでは林さんの議論と、小田さんの批判はまったく噛み合っていないように見える。小田さんの指摘は、彼の言うとおり日本に特殊な「近代出版流通システム」においては純然たる事実である。出版統計でいう「雑誌」とはあくまでも雑誌コードによる流通区分であり、そのなかにはマンガ雑誌だけではなくマンガ本(業界用語でいう「コミックス」)が含まれていることは、出版業界の人の多くが知っているはずだ(いまでは知らない人も多いかもしれないが)。

しかし、新聞社をはじめ一般世間では「雑誌」のなかにマンガ本(コミックス)までが含まれているとは思わないだろう。「雑誌」といわれれば、馴染みのある週刊誌や月刊誌を思い浮かべる。「書籍」といわれれば本のかたちをしたものすべて、たとえばマンガ本もふくめて思い浮かべるのではないか。そうした素朴な思い違いをもとに「出版不況」が論じられ、言説が流布してきたことの弊害を、林さんは問題にしているのだ。

だから、この寄稿文のなかでも、林さんはわざわざ次のように述べている。

次に「書籍」の統計について詳細な分析を行いたいが、その前に、片付けておかねばならぬことがある。そもそも、何を「書籍」とするか、その定義の問題だ。

どんな業界でも似たようなことはあると思うが、出版でも、業界内では常識でも、業界外では非常識、あるいはほとんど知られていない事実がいくつかある。「コミック」の扱いもその一つだろう。

それに対して小田さんは、出版流通上の区分としての「雑誌」にこだわる。なぜならそれこそが、彼の「近代出版流通システム」論の根幹だからだ。「雑誌扱いとされるコミックス」にくわえ、出版流通上は「書籍」とみなされる文庫や新書も含め、これらの事実上「定期刊行物」であった出版商品が日本の「近代出版流通システム」を流れるいわば血液の本流であり、それらの潤沢な流通と売上がこのシステムの端末であった中小書店の経営を支えてきたことは、小田さんの言うとおり歴史的事実だろう。

「出版状況」とは何をさすのか?

しかし、アマゾンが紙も電子も含めた「出版状況」においてここまで巨大な存在となったいま、この区分はどこまで意味をもつだろう? さらにはウェブ上の情報流通や、(電子・紙をふくめた)自己出版物のような、近代出版流通システムの外を流れる出版物をどう捉えるべきか?

そこまで議論を広げなくとも、日本の出版を経営面で事実上支えてきたマンガという巨大市場の行方をふくめて、出版の現在を分析しようとするならば、「マンガの単行本」を「雑誌」扱いする従来の区分がどこまで妥当であるかは、疑問が残る。小田さんは「電子書籍が出現したからといって、その枠組を手前勝手に組み替えることは現在の出版状況をミスリードするだけ」だというが、では、どのような枠組であれば「現在の出版状況」を正しく読み解けるのか。

雑誌やコミックスが売れなくなり、それらに依存してきた町の書店がどんどん減っていくのを残念に思う人もいるだろう。だが読者の側からすれば、それに代わる回路がインターネット上にできたことで、「雑誌」や「マンガ」のコンテンツと、これまでと同様、あるいはそれ以上に出会えるチャンスが生まれたともいえる。

そのような明るい兆しに着目せず、千年一日のごとく「出版不況」「出版危機」とのみ言い募る出版業界内外の無為無策が、林さんの記事では批判されている。その対象のなかに小田さんのライフワークともいえる「出版状況クロニクル」が含まれているのは確かだろう。すぐれた仕事をした人の分析に、批判がなされるのはよいことだ。それに対する再批判もあっていい。しかし、両者の議論はもっと噛み合ったものであってほしい。

「近代出版流通システム」の機能不全という前提は共有されているはずなのに、なぜ、小田さんは林さんの立論に不満なのか。おそらく、噛み合っていないのは「書籍」や「雑誌」の定義だけではない(そもそも、これらの定義をはじめたら人により千差万別で、合意はまず無理だろう)。二人の議論における最大の裂け目は、「出版状況」のなかにウェブや電子書籍を含めるかどうか、というところにあると私は思う。

「出版」という言葉を伝統的な出版社のみが行う商行為として捉えるならば、「出版状況」とはいわゆる「出版業界(出版社、取次、書店)」の動向のみを指すことになる。しかしすでにウェブが一般に普及して20年、スマートフォンの登場からも9年の月日が経っている。いま20歳の人は生まれたときからウェブがあり、小学校高学年の頃からスマホがある世界に生きているのだ。

出版とは何かという問いにであれば、「書籍」「雑誌」とは何かという問いによりも簡単に答えられる。「出版 publication」とは創作物や意見を公に表明する行為、そしてそれを支援する仕組みすべてのことだ。出版社はこれまで、publicationのもっとも重要な担い手だったし、これからもそうだろう。しかし、現在の「出版状況」を語るうえで、その対象を出版業界に限ってしまうことは、もはやほとんど意味がないと私は考える(そもそもアマゾンは出版業界のプレイヤーではない)。

「終末待望論」を超えて

その意味では、今回の林智彦さんの「出版不況論」批判でさえ、まだ穏当な議論といってもいいくらいだ。今回の記事は出版統計分析が中心的な話題であるため、統計上の「雑誌」「書籍」の数字をどう扱うかといったテクニカルなところにばかり議論が向かったのは残念である。

林さんの本意はそのような瑣末なところにはなかったはずだ。出版の未来は暗いのか、明るいのか。明るいと思えるには、いや、明るくするにはどうしたらいいのか。ウェブであれ電子書籍であれ、現実に存在している「出版」の回路を勘定に入れて考えれば、けっして未来は暗くない。林さんの「出版不況論」批判の中心はそこにある。

意外なのは、そのような肯定的な現状分析がなされること自体に、小田さんが苛立っておられるように私には見えることだ。いま起きているのは「出版不況」ではなく、「出版危機」なのだと小田さんはいう。しかし現下の「出版状況」に対するそうしたスタンスは、小田さんの本意ではないかもしれないが、一種の終末待望論であるように、多くの人に受け取られはしないか。

「本を殺す」「絶望」「危機」といったネガティブワードが、皮肉なことにその悲観の対象であるペーパーメディアの上で歓迎され、多くの読者を獲得してきた一方で、出版統計にまつわる業界用語の特殊な使い方の存在が、正確な現状認識を妨げてきたことは確かだ。こうした議論を繰り返してきた出版業界内外の人たちを、林さんは「出版不況論壇」と表現し、切って捨てている。

だが、これは出版業界についてだけ言えることではない。日本の現在について、あるいは未来について、悲観的な議論ばかりがメディアを通じて流れている。しかしそうした論調を作り上げ、消費しているのは誰なのか? 逃げ切り可能なオールド世代が悲観論を流布し、それを無批判なまま消費する。その結果、現実認識を誤り、あたかも予言の自己成就のように、不幸な未来が到来する。それを避けたいと思うのは、林さんだけではないだろう。

出版統計の長期的な分析は、今後とも小田さんのみならず多くの人によって継続的になされるべきだ。しかし、それはポスト「近代出版流通システム」の時代にふさわしい仕組みを設計するためであって、根拠なき希望論は論外にせよ、危機論、終末待望論の合理化のためであってはならないと思う。

番外編1「失われた20年」と佐藤真

2016年4月29日
posted by 清田麻衣子

2016年3月に、ドキュメンタリー映画作家、佐藤真の本を出した。タイトルを『日常と不在を見つめて ドキュメンタリー映画作家 佐藤真の哲学』という。この遅々として進まない連載ではまだ1冊目も出ていない里山社だが、この本は4冊目にあたる。今回と次回は、番外編ということで里山社にとって現時点での最新刊のテーマである、佐藤真にまつわることについて書いてみたい。

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なぜ、いま佐藤真なのか

佐藤真は2007年に亡くなった。まだ若く、49歳だった。前にも少し触れたが、この監督の作品とその著作に出会ったことは、その後の私の人生にとても大きな意味を持った。中学校から続いたモノクロの世界が突然カラーになったような、自分の核心に久しぶりに触れた気がした。

佐藤真は、映画作家としても文章家としても才のある人だった。理性的で論理的だが、社会問題をテーマにしながら問題そのものを糾弾するのではなく、その問題が遍在する一見平穏な日常をじっくり見つめることで、問題の闇の深さをあぶり出すように撮るという困難な方法論をとっていた。そのようにして撮られた『阿賀に生きる』『まひるのほし』『SELF AND OTHERS』ほか……の作品は、映画を「実体験」していると思わせるような、未知の世界に自ら分け入って、その世界についてじっくり考えた後のような充足感と重みを残した。

「穏やかな人だったけど、目が笑ってない」

佐藤に接した人が、その人柄を評するときによく使っていた言葉だ。普段は穏やかなのに、映画のことになると舌鋒鋭く他人の作品を批判することもあったそうだが、それは自分自身に対しても厳しい目を持っていたがゆえだと思う。だがそれ以上に、「自分にとって何がリアルか」ということについて、とても厳しい人だったのではないかと思う。

佐藤真が作品を世に出した90年代から00年代。日本は、バブル後の倦怠感と不穏な空気が蔓延しているような感じがした。子供時代は80年代のバブル真っ盛りで、その頃の記憶は明るいのだが、中学に入り物心ついた頃からの日本には、そんなくすんだイメージがある。ただ私はそれしか知らなかったので、日本はそういう国なのだと思っていた。それはのちに「失われた10年」とも「20年」とも言われた。

「昭和ヒト桁生まれ」「団塊の世代」「バブル世代」など、それぞれの時代をひと括りにしてしまうことに問題があるとは思う。ただ多くの人は、青春期の時代の空気を、その時代が終わった後も背中に漂わせて生きていくような気がする。「世代」とは、知らず知らずのうちに染み付いて匂ってしまうもの――そんなことを思ったのは、いまの日本は自分の青春期とは明らかに違う、次の段階に入ったと感じたからだ。そして、私にとっての青春期のど真ん中に、佐藤真はいた。

震災と原発事故を経て、私はYahoo!ニュースのトップやSNSに吸い寄せられる癖がついてしまった。と同時に、常に目の前の表面化してきた問題について自分の判断を急き立てられているような気がして、よく取り乱した。それが落ち着くと、「佐藤さんだったらいまの日本をどう見るんだろう」と、いつも思った。

だから、いま佐藤真の本を出そうと思った。きっと私のように思っている人はほかにもいるはずだという祈りとともに……。

そして敢えてこの文章を、佐藤真が嫌うであろう「失われた20年」というキーワードで括ってみようと思う。

「匂い」のある世界は映画の中にあった

成り行きで入った中高一貫の私立の女子校は中1から大学受験を照準に入れたカリキュラムが組まれ、授業に興味が持てず中1から落ちこぼれた。唯一、高校の「現代社会」という授業だけは興味を惹かれたものの、部活に精を出すこともなく、渋谷原宿代官山に行っては、お金がないのでひたすらウインドウショッピングして、本でも音楽でも見聞きするものは「オシャレかどうか」を基準に峻別していた。

同世代に「援助交際」とか「ブルセラ」などといったことをやっている子たちがいるらしいというのはよくニュースで見ていたが、一度見たドラマを夕方の再放送で再度見ていたような怠惰な私の放課後は、そんな過激な世界とはかけ離れていて、現実には何のドラマも起こさないままあっという間に高3になった。

そんな無味無臭で平和な学生時代の中で、唯一生臭いにおいを嗅いだような体験は主に、サラリーマンにしては映画館に足繁く通っていた父の部屋に必ずドサリと置いてあった映画のチラシからもたらされていた。そのチラシは「なんだかマニアック」どころか、時に異様な「気」を放っているものが多く、父には内緒でコッソリ観に行った。

中でも印象に残ったのは原一男の『全身小説家』だった。小説とは何かなどと考えたこともなかった女子高生には理解できない部分が多かった。だが、井上光晴という小説家の嘘と、複雑な井上の内面と意外と地味だった事実が次々と暴かれていくこの映画は、興に乗ると女装していた井上の厚化粧の印象とセットで、車酔いのような気持ち悪さが残った。

80〜90年代、横浜市郊外の新興住宅地であるたまプラーザで育ち、世田谷区の女子校に通いながら、自分の周りを包む世界の整備された環境は「明るくまっとうな世界」なのに、自分の中にモヤモヤと芽生えてきた「いやな感じ」はそれに見合わないようで、鬱々としたものは否定して生きていかなくてはならないと思っていたフシがあった。だが同時に、内面を晒して他人と繋がりたいような相反する欲求を持っていたのだと思う。

自分自身についても自分の今後についても確かなものが掴めないまま進路を決める段階になり、少しだけ気持ちの針が振れた「現代社会」の授業と映画の中にかすかな手がかりがあるような気がして、社会学部と映画を扱う芸術学科を受け、結果、明治学院大学文学部芸術学科の映像専攻に通うことになった。

昨年あたりからSEALDsの奥田愛基さんの姿をテレビで見るにつけ、世間の驚きや興奮とは違うところで、いつも噛みしめるように思っていた。

「メイガクなんだ……」

明治学院大学――偏差値的には中の上の私大で、マンモス校というより中規模。全国というより首都圏近郊出身の生徒が多い。東京都港区にある白金キャンパスは明治期に建てられた瀟洒なチャペルがシンボルで、クリスチャンというよりは、ミッション系の雰囲気に憧れる小綺麗な服装の男女が集い、政治的思想や哲学的問いを追い求めるよりも、明るい恋愛をカジュアルに楽しみたい若者がうごめいている――ように、当時の私には見えた。

ただそれは表面的にはぼんやりしていただけだったが、内面は鬱々としていた私の歪んだ目に映った学生の姿だったのかもしれない。ただとにかく私にとっては、デモを率い、国会で政治家相手に真っ当な意見を述べる学生の姿とは遥か遠い記憶の場所だった。

自分を見失っていた頃

私が明治学院大学に入ったのは、阪神大震災と地下鉄サリン事件の起きた翌年、佐藤可士和が学校のあらゆるデザインを一新するより少し前の、1996年のこと。でも明学に限らず、当時の学生全般のムードとして、「学生運動の時代とか想像できないよね」という感覚はあったと思う。

入学してすぐ、私よりずっと映画も本も音楽も詳しい友人ができ、4人で打ち解けて仲良くなった。「この学校は面白い人いないよね」などと調子に乗って毒を吐いて息巻き、雑誌を作ろう、8ミリ映画を撮ろうなどと盛り上がったのもつかの間、一緒に毒を吐くことを楽しんでいるだけだと思っていた友人のうち2人が、それぞれ本当に学校に来なくなり、やがて別々に留学し、退学してしまった。2年生に上がる頃にはノンビリ屋の2人が残った。のほほんと高校時代を送ってきた私には留学なんて進んだ発想はまったくなかった。あーだこーだ言ってるだけで良かったのだ。取り残された自分を相変わらずダサいと思った。

情けなくて心細い気持ちでいっぱいの頃、「別に映画撮らなくたって、映画が好きなだけでいいじゃない」と優しい声をかけてくれた映画サークルがあった。その声は尖り切った後に凍えていた私には無性に暖かく、毛布に飛び込むような心地で入部し、もちろん映画を撮っている人も中にはいたが、私は、飲み会だ合宿だとそれなりに大学生っぽい生活を追いかけるようになった。

一方で、受験の終わり頃から、夜通し起きていたりすると翌日動悸が止まらなくなったり、突然「あ、なんかいやな感じ」と思うと、急に自分と周囲のものとの境界が曖昧になって、周りのものすべてに飲み込まれるような、得体の知れない不安が襲ってくることがあった。それは底がないような恐怖感で、いろんな行動のブレーキになることも多く、慢性的に胃が痛かった。

しかしあるとき、やることが詰まった極限状態に陥ると、その不安が消えていることに気づいた。自分が甘く、自分自身のことも他人のこともちゃんと掴みきれないからにちがいない。だから自信がついたらこの不安は消えるはずだ。そう頑なに思い定めて就職し、猛烈に忙しい編プロでショック療法のように朝まで仕事をするうちに、その不安症状はとてもゆっくりと、でも徐々に顔を出す機会が減り、10年以上するとほとんど感じないようになった。

つい最近、精神科医と話をする機会があって当時の症状を説明すると、「それはパニック障害だね。自力で治しましたね」と、アッサリ言われた。近ごろよく耳にするこの病気にまさか、自分も当てはまっていたとは思いもしなかった。ただ大学時代は、「普通」の対岸にある「あっち側」に落っこちたら元に戻れなくなるような気がしてどっぷり引きこもることもできず、必死で不安定な状態を飼い馴らしていた。本当はそれぞれになにか抱えていたかもしれない同級生の内面は想像できなくて、彼らと自分には距離があるように内心感じていた。

だけど平静を装っていた私自身も、きっとハタから見たら同じように楽しげな学生に見えたかもしれない。モヤモヤと黒いものが心に広がっては、そのモヤモヤを全開にしてはいけない、と打ち消すことを繰り返していた。ひとりで自分と向き合うのはもっとも怖いことだった。だがそんな状態で他人と居ると、自分の本心と違うことが相手に伝わってしまうようなことがよくあり、心の底から楽しいと感じる瞬間がほとんどなく、文字通り「自分を見失って」いたのだと思う。

『まひるのほし』と出会う

学校の授業はというと、1、2年の一般教養を抜けると、映像専攻の授業は俄然面白くなった。そしていつしかフィクションでもリアリティのあるもの、つまりドキュメンタリー的要素の強い作品ばかり観るようになっていた。

大学3年になって、そろそろ卒論のテーマを提出する段階になったときに、以前、父の部屋にチラシがあった『阿賀に生きる』を撮った佐藤真監督の最新作が公開されていることを知り、シネ・ヴィヴァン六本木に観に行った。『まひるのほし』という障害者のアート活動を撮ったドキュメンタリー映画だった。

1997年に公開されたこの映画は、佐藤真の『阿賀に生きる』に続く2作目で、『阿賀に生きる』に比べると大きな賞を受賞した作品ではない。だが、「福祉」の枠組みの中の「かわいそうな、清く美しい障害者」に囲うのではなく、魅力的で、笑ってもいい存在として提示した作品として話題になった。

7人の障害者が登場するうち、もっとも強烈な個性を放っていたのはシゲちゃんという青年だった。女性に強い関心を示し、暴力的な衝動もある彼の作品は、「スクール水着」「ビキニ水着」などと、水着の名前を書いたカードを画面に向かって繰り出すビデオ映像やその文字が書かれた段ボールアート。映画館に笑いが起こる。これがアートなのかどうかはまったく理解ができなかった。しかし、シゲちゃんのほとばしる女性への想いと、それがうまく伝えられないもどかしさはよく理解できた。

ただただ淡々と、ほとんどナレーションも入らない映像を積み重ね、7人の日常と作品制作のシーンがパッチワークのように合わさっていく。その絶妙なパッチワークの過程で、私は初めて障害について向き合って考えている気がした。そして映画を観ながら徐々に、街で障害者に出会っても凝視していいのか、いけないのか、などと自分の感覚に迷いが起きるような、障害者と縁遠い生活を送りながら、そのこと自体に後ろめたさを感じていたことに気がついた。そして、自分とは違う、どこか「狂った」感覚の人たちだと思っていた彼らは、感覚に狂いなどなく、むしろ真っさらすぎることで、何かを伝える部分に障害を起こしているのではないかということを思った。

そんなことを考えていたら、ラスト近く、海に向かって「俺は、女の人が、好きだー!」と叫ぶシゲちゃんの姿も涙で曇って仕方がなかった。ずっと遠い存在だと思っていた彼らは、「私と一緒だ」と思ったのだ。気持ちがうまく伝わらないのは自分がおかしいせいではないのだ。ポロポロ涙がこぼれた。安堵のような涙だった。そんなに泣くような感動シーンは一切ない映画である。ただあの狭い映画館の中でこんなに号泣しているのは自分だけではないかと思うくらい泣いた。そして帰りの電車で、この佐藤真という人を卒論のテーマにしようと胸を熱くしていた。

番外編2につづく


【お知らせ】
4月末から6月にかけて、以下の上映会・イベントが全国各地で開催されます。

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再び、被災地に電子テキストを

2016年4月16日
posted by 仲俣暁生

九州で連続して起きている大きな地震による被災者とその支援活動を応援するため、木楽舎の『災害支援手帖』がPDFで臨時公開されています。

・荻上チキ『災害支援手帖』(臨時公開版)
http://books.kirakusha.com/saigaishien/

また本誌の発行支援元でもあるアカデミック・リソース・ガイド(ARG)も、同社が発行する図書館専門誌「ライブラリー・リソース・ガイド」の「図書館と震災」をテーマにした第6号を全面的にオープンアクセス化しています。

・ライブラリー・リソース・ガイド(LRG) 第6号/2014年 冬号
http://www.slideshare.net/arg_editor/lrg-62014

・ライブラリー・リソース・ガイド(LRG) 第6号/2014年 冬号・特別寄稿「東日本大震災と図書館-図書館を支援するかたち」(熊谷慎一郎)
http://www.slideshare.net/arg_editor/lrg-62014-60941171

・ライブラリー・リソース・ガイド(LRG) 第6号/2014年 冬号・特集「図書館で学ぶ防災・災害」
http://www.slideshare.net/arg_editor/lrg-62014-60941231

さらに今回の地震以前から無償公開されていた、東京都発行の『東京防災』も役に立つページがあるかもしれません。

・東京防災(ウェブ版)
http://www.bousai.metro.tokyo.jp/book/

・東京防災(Kindle版)
http://www.amazon.co.jp/dp/B01DJ6KDUS/

・東京防災(iBooks版)
https://itunes.apple.com/jp/book/dong-jing-fang-zai/id1097517786

[2016年4月24日追記]
『地震イツモノート』の「地震直後」の章と「避難生活」の章が再編集され、A4サイズのシートとしてダウンロード可能になりました。

・地震イツモプロジェクト編『地震イツモノート』(木楽舎/ポプラ社)
http://www.jishin-itsumo.com/category/note/

※こうした試みを行っている出版社(者)の方はぜひご連絡ください。リンク集として拡充していきます。


※2011年3月の東日本大震災の際には、直後に福島第一原発の事故が起き、東北地方の交通と情報のインフラが寸断されて出版物の流通が困難になったこともあり、被災者支援のため多くの出版社が書籍や雑誌、そしてアプリの無償公開を行いました。「マガジン航」ではそれらへのリンクをまとめ、「被災地に電子テキストを」という記事にまとめ、随時アップデートを行いました。

・被災地に電子テキストを
/2011/03/21/free-etext-for-quake-area/

現在では、このときに「公開」されたコンテンツのほとんどが非公開となりましたが、今回の震災にも役立つものについては、期間限定でもよいので、あらためて再公開されることを期待しています。

ウェブ小説家はなにを望むのか?

2016年4月15日
posted by 荒木優太

最近、飯田一史『ウェブ小説の衝撃――ネット発ヒットコンテンツのしくみ』(筑摩書房、2016)を読んだ。知らぬあいだに日本文芸の主力マーケットになっていたウェブ小説の出版経緯や内容分析を試みた関係者必読の一書だ。ウェブ小説とは、ネット上の小説投稿プラットフォーム「小説家になろう」や「E★エブリスタ」などで掲載されたネット発の小説が紙の本になって出版されたものを指す。

飯田一史『ウェブ小説の衝撃〜ネット発ヒットコンテンツのしくみ』(筑摩書房)

飯田一史『ウェブ小説の衝撃〜ネット発ヒットコンテンツのしくみ』(筑摩書房)

ウェブ小説は文芸誌に載った小説を単行本化する従来の出版形態とは大きく異なる。たとえば、ウェブの場合、紙面に制約されないので、短い章をコンスタントに発表していくのも一巻分の長編を構想して執筆していくのも、作者の思いのままだ。また、(しばしば実作者でもある)読者との即時的かつ直接的なインタラクションのおかげで、その時々の流行や人気傾向を作に反映させやすい。そしてなにより、ウェブ上では読者数や閲覧数を可視化できるので、出版社からみても売上の計画が立てやすい。

以上のような理由から、作者も編集者もこぞってウェブ小説に可能性を見出している。今日のネット発文芸ビジネス隆盛はここに起因している。飯田の分析は要約すると、このようなことだ。

新人賞をとっても仕事は来ない

飯田はウェブ小説の可能性を喧伝するかたわら、従来、文芸の新人発掘の役目を請け負ってきた(と見なされきた)新人賞の機能不全を繰り返し指摘する。

「賞をあげても本にしない。雑誌に載せても本にしない。そもそも賞をあげた書き手の原稿を雑誌に載せもしない。これらは恥知らずな行為である。/だがそれをさも当然のようにせざるをえないほど、既成の文芸は追い込まれている」(p.18)

出版社には新人を育てプロモーションする体力はもはや残されていない。芥川賞を受賞した、お笑い芸人・又吉直樹『火花』の盛り上がりは、新刊小説のマーケティングをTVを中心にした他のメディアに外注(アウトソーシング)する象徴的な事件だった。文壇は権威を授与するだけでいい、というか、権威ぐらいしか授与するものがない。

飯田の一連の分析は極めて説得的であるように思える。というのも、「新人(賞)の方法」で書いた通り、私自身、『群像』の新人賞を受賞しているが(といっても、評論部門、しかも優秀作にすぎないが)、半年ほど経っても特に仕事は来ないからだ。

仕事が来ないというのは、仕事が少ないという意味ではなく、(文芸関係では)全くないという意味だ。『文學界』や『新潮』に原稿を頼まれることもなければ、出身誌『群像』から書評依頼がくることさえない。完璧にゼロである。

私個人は、文壇の成員や文芸評論家になりたいわけではないので特に問題は感じないが、新人賞の触れ込みから逆算すると、いささか肩すかしに思う「新人」がいたとしても不思議ではない。

他方で、私は先々月、ウェブで連載していた文章を『これからのエリック・ホッファーのために』という単行本としてまとめ、東京書籍から出版した。これの広がりは意外と大きい。新聞から取材を受けたり、複数の編集者から執筆の勧誘を頂戴した。

このような経過を鑑みると、飯田のいう「衝撃」は、フィクションとノンフィクションという違いはあれど、実感として同意できるところが多い。新人賞でのデビューよりも、単行本刊行のデビューの方が明らかにインパクトの強度が高い。そして、私の単行本化を支えたのが、ウェブ・スペース「En-Soph」での自由な連載形式だったことは強調されていい。

ウェブ小説を読む気にはなれない

以上のように、『ウェブ小説の衝撃』は大きな説得力がある。

ただ、このようなことをここで書くのは心苦しいのだが、私は飯田が挙げるウェブ小説を一切読む気になれない。これはウェブ小説を馬鹿にしているからではない。事実、紙だったとしても現代小説一般を読む習慣がそもそも私にはない。要するに、私はいま生きている小説家に、有名だろうが無名だろうが、あまり興味がないのだ。

ならば現代小説界に容喙するな、という反論がすぐに聞こえてくるような気もする(そしてそれは完全に正しいとも思う)。が、ほんの少しばかり素人の戯言に付き合っていただきたい。

なぜこのような習慣をもったのだろうか。たとえば、古いタイプの文学部の教授は、いま生きている作家を研究対象にしてはいけない、という指導をすることがある。生きている作家は、その作家史がいまだ閉ざされておらず、今後現れるかもしれない新しい小説や評論によってその全体像が変わってしまう可能性があるから研究には向かない、というわけだ。

テクスト論以前のこのような古いタイプの考え方に私はまったく共感しない。ただ、ひとつのエートスとして私の基本的な価値観に組み込まれたのかもしれない、といま改めて反省してみることはある。

そう、私は評論家や批評家になりたいと思ったことは一度もなく、常に研究者たらんことを心がけてきた。私の現在進行形嫌いはおそらく、ここに起因している。

研究はコスパがいい

文学研究者とは、私の理解では、極めてコスパ(コスト・パフォーマンス)の良い生き物である。

研究者は小説の筋そのものに感動するという仕方で小説を(多くの場合)読まない。小説に出てくる言葉や風物の文化的・歴史的背景を探ったり、精神分析やフェミニズムといった種々の理論で登場人物間の権力関係を深読みしたり、細かいレトリックがもつ作中の効果を測定したり……。

と、要するに一つの小説に付き合う時間が極めて長い(または、長くできる)。別言すれば、読みのコンテクストを自由に設定し、再読する術を心得ている。

このような読者がマーケット(市場)と相性が悪いのは、容易に理解できる。市場を維持するには、読者は、新刊を次々と購入し読み捨てていくことが求められる。そうしなければ、資本主義は回らない。コスパのいい、つまりは少ないカネでコンテンツを長く楽しめる読者は、ビジネスにはお呼びでないのだ。

研究者は多くの場合、(作者が既に死んでいるという意味での)古典を論じる。古典が素晴らしいのは、教養主義的な武器(俺って頭イイだろ?のアクセサリー)になるというよりも、附帯する二次文献が膨大にあるということだ。夏目漱石を読んでおけば、柄谷行人や蓮實重彥の漱石論が楽しめる。そして、その評価の歴史(揺れ動きや一貫性)そのものが、また楽しい。

古典は二重三重に楽しめる貧乏人の味方だ(だからこそ、カネがないときほど人は教養を身につけなければならない……という話はまた別のところで)。

このような歴史的アドバンテージを(作家の技術や心構えがないとかいう話ではなく、論理必然的に)現代小説は超えられない。食指がのびないのはきっとそのような打算的な理由からだろうと思う。

ウェブ小説家はなにを欲望するのか?

迂回しすぎた。私のどうでもいい研究者観と『ウェブ小説の衝撃』、一体どんな関係があるというのか。

ウェブ小説なんて一時の流行で終わるのでは? という疑問に答えるときに示される飯田の次のコンテンツ観に私はまったく共感しない。

「一時の流行で終わったら何が問題なのか。長く続いたり、残ったりするものがえらいなんて、誰が決めたのか」(p.222)

私は研究者なので、「長く続いたり、残ったりするもの」が偉いと思う。「長く続いたり、残ったりするもの」は、コンテンツだけでなくコンテンツに関する歴史性が付随する。研究者からみれば、それこそが本体の価値すら上回りうる付加価値なのだ。逆にいえば、紙だろうがウェブだろうが、どんな形であれ残ればよい。

だから、後代の研究者(未来の私みたいなやつ)からすれば、少なくともやはり、残しておいてくれ、とは願うに違いない。国会図書館で古い雑誌を漁ることの楽しさを知ってる者にとって、どんなコンテンツも、時代が経てば現在との落差(ディアクロニシティ)によって貴重な資料として復活しうる。

勿論、これは実作者ではない外野の勝手な願いでしかない。しかし、こう考えてみて分からなくなるのは、実際のウェブ小説家が具体的になにを欲望しているのか、ということだ。

飯田の本から、ウェブ小説は既存文学のオルタナティブになりえ、ビジネス・チャンスの可能性もあり、マルチメディアな展開も期待できることは分かった。そして、小説をヒットに導く工夫があることも分かった。しかし、ウェブ小説の実作者たちはそもそもそのようなことを望んでいるのだろうか? 彼らは、原稿執筆に追われる生活をしたいのか、「作家」になってまわりからチヤホヤされたいのか、文学史に登録される名作を書きたいのか、小遣い稼ぎをしたいのか、創作欲求を満たしたいのか、はたまた承認欲求を満たしたいのか、自分の作品をデジタル・アーカイブとして残したいのか……。

それらの欲望は、互いに重なり合いつつも、実は本質的にはそれぞれ別の願いなのではないか。

不純な動機ならば書くな、というようなことを言いたいのではない。ウェブ小説と一言でいっても、細分化された欲望の内実によって、その採るべきウェブ上での戦略は千差万別であるように思えるのだ。ウェブ小説がどんなに流行っても、おそらくは従来型「文学者」パッケージング――作家先生と呼ばれて文学史にも登録され印税で暮らす――全体を享受することはできない。ならば、小説家的願望のセット販売が終わりバラ売り状態になったとき、優先すべき自身の欲望を自己精査する機会が彼らに訪れるだろう。

それは、プロデューサーに従っていれば「文学者」になれた(という幻想が維持されていた)前時代とは次元を異にする、ウェブ時代ならではの自主的な選択を迫るに違いない。

『ウェブ小説の衝撃』は現在の出版界を知る上でとても参考になる。ただ、これを読んで私がそれ以上に知りたいと思ったのは、『ウェブ小説の衝撃』に衝撃を受けた実際のウェブ小説家が第一に欲するところのものだ。

小説を書くことで、あなたはいったいなにを望むのか?

名物ラノベ編集者・三木一馬氏はなぜ独立したか

2016年4月8日
posted by まつもとあつし

現在、ラノベ=ライトノベルは国内の書籍市場においても大きなシェアを占めており、アニメ化・ゲーム化などのメディアミックスも盛んで、海外のファンからも支持を集めている。そんななかでKADOKAWAが擁する国内最大級のラノベレーベルが「電撃文庫」だ。その編集長を務めていた三木一馬氏がエージェント会社を立ち上げ、4月1日に独立した。その狙いやそこにある思いを独占インタビューで聞いた。

作品に寄り添って「媒体」を編集する

エージェントとして独立する三木一馬氏。

エージェントとして独立する三木一馬氏。

「正直管理職が向いていないなという感覚はずいぶん前からあったのですが(笑)、辞めたいという気持ちからの独立では全くないんです」と三木氏はいう。三木氏の今回の決断に大きな影響を与えた人物が三名いるそうだ。一人は、「マガジン航」の読者であれば注目している人物であろうコルクの佐渡島庸平氏。もう一人は、アニメプロデュース会社のジェンコから独立した、エッグファームの大澤信博氏。そして最後の一人は、退職前の上司であるKADOKAWAアスキー・メディアワークス事業局統括編集部長の鈴木一智氏だ。

三木氏は、約半年前に佐渡島氏と対談する機会があった。その場で独立を決めたわけではないが、コルクの取り組みに大きな可能性を感じたという。

ビジネスモデルは完全に佐渡島さんのパクリです(笑)。でも、真面目な話、いまメディアはかつてないほど多様化しています。個人や企業もメディアになる時代、出版メディアそのものの優位性は失われつつある。そんな中、どうやって面白いものを物語というコンテンツにして、送り出していくことがベストなのか? と考えたときに、僕は作家と二人三脚で「面白い物語を作る」ことを一生の仕事にしようと決めました。

これまで編集と言えば、作家が生み出すコンテンツに対しての作業を指すことが出版では一般的だった。無事発売に至れば一段落、となってしまう編集者が多いことは筆者も経験してきている。発売した後の作品バックアップは編集者の善意であることが多く、サラリーを与える会社側からもその義務を課せられていないのが通例である。しかしそれではダメで、面白いコンテンツを作ってからが本当の勝負だ。それをどうやって広めて行くか――その手腕が編集者に問われている、と三木氏。従来の定義を超え多様化するメディア、それら「媒体を編集する」のが、これからの編集者が歩むべき道だ――あらためてそう気付かされたことが独立の背中を押すことになったのだという。

そう決断した後は、コルク佐渡島氏とエッグファーム大澤氏から会社設立のノウハウを学び、気持ちの整理をしたあとに、いざ上司であった鈴木氏に直訴する。これが2015年末のことだった。

上司からは、「お前、年末の最終営業日になに言ってんだ」と怒られました。そして熟考された末、「本当に残念で、なんとしても止めたいが、お前の気持ちもよくわかる。本当にやりたいんだったら、やってみろ。全力で手伝ってやるから」と、大変暖かい言葉をもらいました。僕は正直、破門というか、「裏切り者」といわれてもおかしくない暴挙だと覚悟していましたから、相変わらずの「電撃文庫の懐の深さ」にあらためて感動しましたね。

メディアが多様化する一方で、小説の生まれ方も変化している。それを象徴するのがウェブ小説の台頭だ。ラノベの作り方は、マンガのそれと近いと三木氏はいう。「作家から玉稿賜る」わけではなく「作家と二人三脚で面白い物語を作る」というのが三木氏のスタイルだ。だがウェブ小説はそうではない。作家が自ら作品を投稿・発表し、読者の評価がランキングとなって現れる。KADOKAWAも今年2月に小説投稿サイト「カクヨム」をスタートさせている。つまり、編集者が存在せずとも、面白い物語がつくられていくのだ。そういった小説を巡る変化は今回の決断に何か影響を与えているのだろうか?

実はカクヨムには全く関わっていないのでよくわからないのですが、ただ僕自身もウェブ小説投稿サイトの「小説家になろう」から生まれた作品も担当していますし、そういったウェブ小説の台頭という変化には電撃文庫の中にいても対応してきたつもりです。そもそも、電撃文庫はオリジナル作品で勝負するレーベルだと思っていますし、僕のこれからの方針もそのつもりですので、その点が独立に何か直接影響を与えたということはないですね。

カドカワとドワンゴとの合併以降、KADOKAWAは急ピッチで「物語」を巡る各種サービスを買収し、自らのバリューチェーンへの組込みを図っている。もともと合併前から電子書店「BOOK WALKER」を擁していたが、ウェブ小説プラットフォーム「カクヨム」に先立ち、ビューワーアプリ「i文庫」、書評サイト「読書メーター」も加わった。物語が生まれ、読まれ、評価されるまでの一連の流れが、自前のデジタルサービスとして提供できる体制が整いつつあると言えるだろう。

「編集者不要論」には抗いたい

そうなると一つの疑問が持ち上がってくる。これだけの「機能」をKADOKAWAはすでに備えているのだから、そもそも独立などせずとも、そこで「メディアを編集する」こともできるのではないか?という点だ。

たしかにKADOKAWAさんはニコニコ動画はじめ強力な媒体、武器をたくさん持っています。ただ、あれらのプラットフォームはむしろ外でも中でも、誰でも同じ条件で自由に使えるからユーザーが増えて人気になったサービスですから、「中にいるから便利に使える」というのとはまた違うのかなと思います。僕がやりたいビジョンとは方向性が異なる部分もあるので、一概にポジションの問題ではないですね。ただどちらにせよ、KADOKAWAさんも、縮小が続いている出版業界にも風穴を開けてやるぜ! と思っていて、その具現が今の戦略なのではないでしょうか。おこがましいのですが、それは僕も同じ気持ちです。

一言で「ラノベ」といっても、そのラインナップは多様だ。いわゆる異世界ファンタジーものだけでなく、少し大人向けの経済をテーマにした物語があったり、以前なら本格的なミステリーとして扱われていたような作品も人気となっている。三木氏がいうように作品に寄り添って「メディアを編集する」には、作品それぞれに出版社などのメディアの枠組みを超えて、展開を「編んでいく」必要があるのは間違いない。

僕の会社は、プラットフォームを持っていません。会社の資本も今現在は100%自分出資ですので、事業提携するところもありません。ですから、さまざまな会社さんとパートナーシップをもって、はじめて物語を世に送り出すことが可能となり、そして利益を生むことができ、作家さんに還元していけるのです。そのパートナーシップという観点では、やはりエンタメ小説を作って行く上で『電撃文庫』レーベルが最強です。だからこそ、僕と契約していただいている作家さんのシリーズは、当然これからも電撃文庫から引き続き刊行されます。僕の独立にあたって、すべてのシリーズ、レーベル移籍はありません。たぶんネットでは「喧嘩別れ」とか「目障りな奴をパージした」とか噂する方が出てくると思うんですが(笑)、そこはまったく違います。良好な関係ですとお伝えしておきます。

実際、三木氏が立ち上げる「ストレートエッジ」にはKADOKAWAアスキー・メディアワークス事業局統括部長の鈴木一智氏が社外取締役として名を連ねる。これからも協力関係をとっていくという意思の現れなのだろう。同じように、佐渡島氏が代表を務めるコルクにも講談社社長である野間氏が出資をしている。裏を返せば出版社にとっても、外部に優秀なエージェントが存在したほうが、メリットがあるという判断をしているという証左でもあるだろう。

新会社「ストレートエッジ」のウェブサイト。

新会社「ストレートエッジ」のウェブサイト。

契約作家にはこれまで三木氏が手がけてきた人気作家が並ぶ。

契約作家にはこれまで三木氏が手がけてきた人気作家が並ぶ。

しかし、ここで疑問がもう一つ。いくら人気作家と契約したと言っても、新人発掘の機会は出版社に所属していたほうが圧倒的に有利だ。毎年4000作品を超える電撃大賞は、三木氏がストレートエッジでエージェントを務める作家たちとの出会いの場でもあった。

はい、それがもっとも重要な、会社の今後の課題です。「新規IPの創出」は、先達のコルクさんですら試行錯誤のさなかであると感じています。契約作家からヒット作を生み出す活動と同時に、在野の作家の発掘も積極的に行っていかなければなりません。僕が電撃小説大賞の選考に関われるかどうかも、編集部の判断によるかと思います。ですから、僕が今の立場でできること、自分の強みを打ち出していくことで、課題に立ち向かっていきたいです。僕の強みとは、メディアミックスです。

テレビでは毎クール膨大な数のアニメが放送される。それと並行して、ネット配信、ゲーム化、グッズ展開が矢継ぎ早に展開し、作品を気に入ってくれたファンに更に作品やキャラクターにのめり込んでもらう(=おカネを使ってもらう)仕組みが存在している。「面白い物語」(=著作物)の最初の出口が小説というパッケージでなくともよく、ゲームやオリジナルアニメ、あるいはマンガとしてスピード感をもって展開する、という手法もある。文芸やマンガよりも、三木氏が取り組んできたラノベはそれら多種多様なメディアミックス・マーチャンダイズと直結しており、そこに勝機を見出しているはずだ。

小説という媒体にこだわらずとも、「面白い物語」はその「面白さ」がしっかり伝われば、かならず人が集まってきて、ニーズと紐づいた「シーン」が生まれ、市場となり、収益が生まれます。もちろん今も主戦場は小説本で、それが僕にとってはもっとも物語を伝えるための最適な媒体に違いはないのですが、これからは様々なメディアも利用して、作家が生み出したプロパティ(原作)を広げていくプロジェクトを考えていきたいです。

僕は、未来の編集者は「媒体を編集する」と考えています。クリエイター個人が作品を投稿・発表できる環境があり、そこから即ヒットが生まれている現状によって、「編集者不要論」が業界を侵食してきています。ですが、全てのクリエイターが自らをセルフプロデュースできる方ばかりではないし、なによりも一緒にやったほうが面白いものが作れると僕は信じて仕事をしています。作家は面白い物語づくりに専念し、僕たち編集者はメディアミックスを通じて、“ガリバートンネル”(『ドラえもん』の秘密道具)の役割を担う。そんなパートナーシップを築ければ理想です。

僕は作家さん方とは1年単位更新の契約を結びます。ですから、利益が上がらなかったり、「この編集者はちょっとダメだな」と思ったら、プロスポーツ選手のエージェントと同じく、どんどん契約を解除していってほしい。今まで、作家は編集者を選べませんでした。でもこれからは、そうではなくなるかもしれません。つまり、作家は編集者を選び、編集者は作家を選ぶというマッチング制度に業界が変わっていくということで、それがIT時代の市場原理ではないでしょうか。大手出版社の定期的サラリーと身分保障という後ろ盾がなくなった今、僕はそれくらいの緊張感を持ってやっていくつもりです。

文芸・マンガに軸足を置くコルクに続き、ポップカルチャーの起点の一つたるラノベからもエージェントが誕生する。海外に比べるとエージェントの数はまだまだ少ない日本の出版界だが、編集の本質と、メディアの変化を捉えれば、こういった動きは必然とも言える。もちろんリスクはあるが、彼らの成功とさらに後に続く動きが出てくることに期待したい。