Editor’s note

2014年3月20日
posted by 仲俣暁生

「マガジン航」では通常の記事(ブログ欄に掲載)のほかに、連載企画やインタビューをはじめとする読み応えのある長い記事を固定ページとして掲載しており、そこへのリンク(目次)を画面右のサイドバーに掲載しています。そのコーナーのひとつである「ロングインタビュー、対談」欄に、「江弘毅氏に聞く、「街的」独特編集術」を追加しました。大阪在住のライター・櫻井一哉さんによる、元「ミーツ・リージョナル」編集長・江弘毅さんへの取材記事です。

江さんは現在、編集出版集団140B(イチヨンマルビー)の代表として活躍中です。その多彩な仕事を知りたい方は、櫻井さんの記事にくわえて上記のサイトもご参照ください。

また江さんは編集者・出版者としての仕事と同時に、「物書き」としても精力的に活動しておられます。記事の末尾でその一部を紹介した江さんの著作のうち、京都・錦小路にある庖丁・料理道具店、創業1560年の老舗「有次(ありつぐ)」を取材した『有次と庖丁』は今月に刊行されたばかり。インタビューで語られた彼の「編集」観や「街」観とどのようにリンクする本なのか、とても楽しみです。

『有次と庖丁』(新潮社)

コミュニティとメディアの関係は?

じつは私自身はまだ、江弘毅さんにお目にかかったことはないのですが、「ミーツ・リージョナル」という雑誌とはご縁があります。2011年秋に刊行した拙著『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社刊)は、この雑誌での連載を中心にまとめたものでした。私自身も首都圏の地域情報誌「シティロード」を編集していたことがあり、街や地域と雑誌メディアの関係には、いまも強い関心があります。

インターネットの普及により紙の雑誌、ことに「情報誌」はその役割を終えた、という議論があります。一面ではその通りなのでしょうが、江さんの話をうかがうと、コミュニティとメディアの関係は、もうちょっと複雑なようです。たとえば東京でも、23の特別区をひとつずつ順番にとりあげていくという、「ハイパーローカル」をコンセプトにした雑誌「To Magazine」が話題になっています(創刊号は足立区、第2号は目黒区、第3号は中野区特集で4月10日発売予定)。

 

TOmagazine(トゥマガジン)

そうした観点から、先の記事で私が気になった江さんの発言箇所を引用してみます。

 雑誌の場合、読者の横について一緒に走るというか、時間を共有しますよね。スポーツ観戦もそうやないですか。走り高跳びの新記録って2m50cmくらい? 世界新記録がでる瞬間って、結果だけを見ているのではなく「すごいきれいな走り方をしてる!」「背面跳びやん!」。それで失敗し、バーを「バシャ!」って落としたところでも拍手。そういう時間をみんなで共有しますよね。雑誌を読むのも同じ「伴走する感覚」があります。

一方、インターネットは「無時間モデル」です。バーを超える瞬間はニュースされるけど、結果を知るまでの時間は短い方がいい。価格ドットコムでも、一番安いものに即アクセスしますよね。検索かますと一気にダダダダって出てきます。そのなかのどれを選ぶのかがリテラシーだと言われてるんですが、リテラシーも蜂の頭もなくて最初から最後まで時間をどう共有させて「へええ!」と思わせるかです。そして、最後に次は「コイツら次、何やんねやろ?」と思わせたら、また本が売れるやないですか。

もうひとつ。

 例えば、グルメライターがフランス料理について書く時「リヨンの三ツ星、ポール・ボキューズで7年修行して、スペシャリテはバルバリ産の鴨のアニスソース…」って、これ全部記号やないですか。数値化され、記号化された情報だけで全部書けてしまう。そこが消費社会のコアなところでしょう。でも、そのコアな部分の周囲には、消費社会とモノを作る社会があって、さらにコミュニティがある。それをズボーッと串刺しにして書かないとだめです。

いかがでしょう? 魅力的な独特の語り口に、ついつい引き込まれてしまいますが、なかでも私は「伴走する感覚」という表現に刺激を受けました。紙の雑誌だけでなく、「雑誌」的なデジタルメディアにおいても、そうした「時間の共有」や「伴走」あるいは「コミュニティ」の感覚は必要だと、この「マガジン航」という「雑誌」をつくりながら、私自身もつねに感じています。メディアが依拠する「コミュニティ」には、地域という物理的空間だけでなく、趣味嗜好や興味関心(あるいは主義主張も?)によって形成されるコミュニティも含まれると考えるからです。


「スペクテイター」29号
特集「SEEK & FIND Whole Earth Catalog」

かつてハワード・ラインゴールドは、コンピュータ・ネットワーク上に形成されるインフォーマルな人間関係をvirtual communityと名づけました。「スペクテイター」の第29号「ホール・アース・カタログ」特集(SEEK & FIND Whole Earth Catalog)には、私もThe WELLという草創期の「電子会議室」で生まれたコミュニティについての文章を寄稿しました。実空間でないとコミュニティは存在しえない、というのもどうやら極論のようです。

メディアとコミュニティをめぐる、きわめて刺激的な江さんのお話の続きは、ぜひ記事の本体でお読みください。

もっと東京以外の「コミュニティ発」のメディアを!

インターネットがこれだけ利用される時代になっても、メディアの送り手はいまだに東京に集中しています。そのため本や雑誌の話は(紙でも電子でも)無自覚なまま、つい「東京」発の話題になりがちです。あらためて考えなくてはならないのは、そうした現実が意味するのは、どういうことなのか、ということではないでしょうか。

「出版は東京の地場産業」という言い方もありますが、だれでもどこからでも「publish」が可能な時代に、あまりにも東京中心の見方が、出版の世界ではまかり通っている。私自身は先の震災のときに、そのことを強く感じました。東京以外のところで育まれているリアリティや、そこから生まれるコンテンツやコンテキストを、このままでは見落す危険性が大きいのではないか。それは「紙」か「電子」かという問題設定より、はるかに大きなことだという気がします。

かつて「地方出版」という言葉がありましたが、正直にいえば、私はこの言い方が好きではありません。東京を「中央」と考え、それ以外を「地方」とみなす思考法とは違ったところで、さまざまな実践がすでに行われています。

たとえばさきの「スペクテイター」誌は、東日本大震災後に編集部を東京から長野県長野市に移しています。東京という地域を題材にする「TO Magazine」があえて「ハイパーローカル」と名乗るのも、東京という場所のことを「中央」としてとは別の視点で眺める感覚があるからでしょう。「ホール・アース・カタログ」(バックナンバーがこのサイトで見られます)のグローバルな視点も、「中央」対「地方」という思考法からはもっとも遠いところにあった気がします。

リアリティというものは一枚岩ではなく、当然ながら「場所」や「時」、そしてもちろん「人」によって異なります。その繊細さに気づけないでいるのは、もしかすると東京という「地方」にいることに慣れすぎた出版業界のほうかもしれません。というわけで、「マガジン航」では紙・電子を問わず、「東京以外のコミュニティ」から発信される出版物や、その著者・編集者・パブリッシャーについての記事を今後も充実させていきたいと考えています。

ご自身の経験でも、取材でもけっこうです。企画案のある方は「マガジン航」編集部まで気軽にご連絡ください。

*  *  *

[3月25日追記]
まったく偶然ですが、3月27日(木)から6月15日(日)までの間、47の都道府県からローカルなコミュニティ発の雑誌をあつめた「文化誌が街の意識を変える展」という展覧会が、d47 MUSEUM(東京・渋谷ヒカリエ8F)にて開催されるそうです。上のコラムで言及した東京の「ToMagazine」や、江弘毅さんが創刊した大阪の「ミーツ・リージョナル」をはじめ、全国各地から個性派雑誌が集合(参加雑誌の一覧は下記サイトを参照)。この機会に、自分の住む街とは別の「ローカルなコミュニティ」発の雑誌に触れてみてはいかがでしょう?

「文化誌が街の意識を変える展」
http://www.d-department.com/event/event.shtml?id=2301755545660853

江弘毅氏に聞く、「街的」独特編集術

2014年3月20日
posted by 櫻井一哉

関西在住ライターの奮闘から

出版不況が囁かれて久しく、多くの雑誌媒体が姿を消したとはいえ、今も昔も日本の出版社や編集部は東京に集中する。自分がそうだったように関西や地方で活動するライターが地元のタウン誌や情報誌だけではなく、東京の全国誌から仕事を請けるようになるのはなかなか難しい。

東京の編集部とコネクションが出来たとしても、自分が希望する記事はすぐには書けない。編集部としてはわざわざ地方のライターに東京や全国区のネタを書いてもらうより、タウン情報など地元のネタを提供してもらう方がメリットがあるからだ。それらの取材を引き受けることで編集部とコミュニケーションを重ね、徐々に信頼を得ることで希望する記事を書く足がかりを得る。そして、特集記事や連載記事を狙う、というのが地方のライターが東京に進出する一つのステップだと思う。

例外はあるとして、情報誌など店取材の仕事は初心者のライターの仕事という印象がある。作業がフォーマット化されており、書き手の主観より読者が知りたいことに応えることが最重要となり、評価がなかなか次につながらず、ギャラが安いからだ。しかも、情報誌などの場合、ふだん本を読まない読者をターゲットにしているので、高校1年生程度の語彙で平たく書かねばならない。逆に、こうした フォーマットに従い、編集やカメラマンと潤滑にコミュニケーションが取れれば、極端にいえば誰でもライターになることができたし、仕事がまわってくれば簡単にフリーライターとして独立できたのだ。

情報誌的な店の取材に軸足を置くライターのあり方もそれはそれでいい。将来は編集プロダクションを立ち上げたり、ライターの経験を活かして他業種に転身する手もあるだろう。しかし、大方のライターがそうだと思うのだが、自身の専門分野に特化して著者として一冊の本を上梓する、あるいは作家になって大成する……そういった書き手としての出世道の志が分断されている。野望は人それぞれだが、情報誌的な視点で店や街を見る目からは、社会や人を見つめる力、世界を捉える力が欠如している。

「ミーツ・リージョナル」という怪物

初めて寄稿する「マガジン航」だが、いま関西のメディア人の中で、最も注目すべき江弘毅氏のインタビューをお届けしたい。自身が編集長として牽引した雑誌「ミーツ・リージョナル」を経て「大阪人」を手がけた経緯、そして情報に絡めとられない街という価値の書きかたなど、ユニークなメディア論を展開いただいた。少し長いが、一つおつきあいを。

1990年代のこと、雑誌の世界では一般誌が次々と姿を消し、情報誌にとってかわられた。とりわけ大阪は情報誌の創刊ラッシュで「関西ウォーカー」「KANSAI 1週間」が創刊される。ことに「KANSAI 1週間」ではラブホ特集やカップル温泉特集といった東京の情報誌では考えられない泥臭い特集が当たり、部数を伸ばした。しかし、その情報誌もインターネッ トの普及によって淘汰され、「KANSAI 1週間」は2010年に休刊となる。生き残った情報誌はインターネットと競うように、独自の情報性を模索し、さらにデータに特化した媒体へと変化していった。

江弘毅『ミーツへの道〜「街的雑誌」の時代』

一方、京阪神エルマガジン社から発行されている「ミーツ・リージョナル(MeetsRegional)」は、情報誌と同様に街をテーマにしながら独自の路線を走っていた。データよりも店が放つ雰囲気や店員、常連客が漂わせるコミュニティの気配などを見せ、店の照明の加減で写真が真っ赤だったり、画角の端が魚眼レンズの効果で歪んでいたり、独自の熱量を放っていた。

東京の編集者と雑談になると関西のカルチャーネタとならんで、この「ミーツ・リージョナル」という雑誌がよく話題に登った。関西のタウン情報を扱いながら東京の書店にも並んで好評を博し、地元でも確たるファンをつかみ、部数を伸ばしていた同誌は東京の編集者にとって、非常に興味深いメディアとして映っていたようだ。そして、この雑誌の方法論を自分の媒体に活かせないか?あるいは関西の読者の心をつかめないか?という想いを下地に異口同音に「シズル感がある、良くできている」と唸るのだった。

1989年12月に創刊したミーツ・リージョナルは、街で遊び、暮らすことと、そういった街の人々とのコミュニケーションを深める雑誌です。情報に流されるのではなく、数多くの中から、自分に必要な情報を選別し、自分の中にフィードバックする、そんな真の「大人たち」に圧倒的な支持を得ている関西の唯一無二の雑誌です。(京阪神エルマガジン社の媒体資料より)

その「ミーツ・リージョナル」には私自身も幾度か音楽欄のインタビュー記事を書かせてもらっていた。オフィスにもたびたび訪れたが編集部のスタッフはサムライのような形相でデスクに向かい、近づきがたい雰囲気を漂わせていた。その編集部を束ねていたのが当時の編集長であり、立ち上げメンバーの一人としてその礎を築いた江弘毅(こうひろき)氏だった。

「ミーツ・リージョナル」を立ち上げた江氏は内田樹、永江朗、ひさうちみちお、鷲田清一、富岡多恵子、中場利一、大月隆寛といった、名だたるメンツを起用。誌面の端々に文芸誌的なニオイを漂わせ、独自の編集方針と濃厚な存在感で根強い人気を保ち続けた。その後、雑誌メディアは関西でも低迷し「Kansai!1週間」や「Hanako WEST」「ぴあ関西版」などが休刊に追い込まれるなか「ミーツ・リージョナル」は今なお生き抜いている。

江弘毅氏自身は2005年に版元である京阪神エルマガジン社を退社、同社の販売部長だった中島淳氏と編集出版集団140B(イチヨンマルビー)を設立し、出版コードを取る。以来、取締役編集責任者として単行本、雑誌やPR誌の出版・編集に取り組み、同時に雑誌・新聞にも精力的に寄稿、多数の連載を持ち、9冊の単行本を上梓している。そこには、消費社会に直結したデータで弾き出された情報誌的な街の様相ではなく、江氏独自の視点と価値観によって浮き彫りにされた、商売人と消費者である以前の、人と人との関係性が色濃く映っている。

江弘毅氏の現在の事務所「140B」の公式サイト。ウェブ連載記事も多数。

雑誌メディアの低迷期、ネットの黎明期を経て出版不況となった昨今、独自の手法で雑誌メディアをプロデュースし、著者として精力的に活躍する江弘毅氏の視点、方法論はいかなるものなのか?スマホやネットが情報インフラの主流となった今、雑誌は可能か?そんな課題を持って堂島にある140Bのオフィスに江氏を訪ねた。

雑誌「大阪人」の発行

まず、江氏が京阪神エルマガジン社を離れた後、その手腕を発揮したのが「大阪人」という雑誌だった。同誌は1925年に「大大阪(だいおおさか)」として創刊、太平洋戦争末期に休刊後、1947年から「大阪人」として再開し、大阪の街の歴史・文化を探ってきた老舗雑誌だ。

江弘毅氏のオフィス、140Bにて。

江氏が率いる140Bは同誌のリニューアルに際して2010年10月に行われたコンペに見事勝ち抜き、発行元である財団法人大阪市都市工学情報センターからの委託を請負って編集に携わるようになった。結果、半年間で1万1千部の部数を倍増させ2万部を売り上げた。誌面を見ると、やはり「ミーツ」的な濃厚な知のニオイと人の気配が漂っている。

江弘毅(以下、江) 判型、書き手、考え方、その全てを変えました。デザインは長友(啓典)先生(K2)で、書き手も内田(樹)先生、町田康さん、とオールスターです。「ミーツ」は消費にアクセスするための情報を扱っていますが「大阪人」は知的好奇心を刺激されるようなものがいいと。そっちのほうに網を張ってたらけっこう、ひっかかってきますよ。新書という方向もありますけど雑誌やムックやったら、写真が使えますしね。

リニューアル前の「大阪人」には隆盛期の「太陽」(平凡社)を模して作った行政の刊行物という印象があり、文字を読めば楽しめるかもしれないが、どこか慇懃無礼で奥行きが感じられなかった。しかし、江氏が手がけ、アイデアや情熱が注ぎ込まれ生まれ変わった「大阪人」は、生命力を吹き込まれたような誌面となった。

例えば、2012年4月の増刊号は「ザ・大阪のデザイン」をテーマに、大阪の街に溢れるデザイン・エレメントを集約した一冊。日頃目にしている大阪の街や商品の様相をあらためてデザインとして捉えると、自分たちが慣れ親しんだ街の姿がまた変わって見えてくる。

訪れる、乗る、包む、描く、切る、食べる――。暮らしを豊かにし、時代を彩ってきたグッドデザインは、どのように生まれたのか。建築からオムライスまで、大阪の「かたち」大全(同誌 解説文から)

このなかで「城郭や寺社のかたち。」と題し、大阪城、四天王寺、天満宮など城郭や寺社をイラストレーターの綱本武雄氏が線描画で表現。ディテールを徹底して書き込んだ緻密な描写と、書き手の息吹を感じさせる心地よい距離感が読者の心を惹き付けている。

 「ここなんていうの?」そんな疑問から、建造物のディテールの一つづつを分節化していくと、視点がはっきりして全体からディテールを切り離して見る事ができます。例えば、ここ(誌面の建造物の部位を指して)「懸魚(けぎょ)」っていうんですけど、これを分節化することで、世界が立ち上がってきますよね。

専門家やマニアの領域と思われていた建造物の部位についての知識が自分たちの手元に降りてくることで、好奇心にかられるようになる。好きなバンドのギタリストのギターやエフェクターの種類を知ることで、彼のプレイが立体的に聞こえるようになる、そんな感覚だ。

2012年4月の増刊号「ザ・大阪のデザイン」の特集誌面より(クリックで拡大)。

綱本武雄氏のイラストとディテールにまでこだわったキャプション(クリックで拡大)。

さらに、目をひくのがデザイナーのK2長友啓典の手による「大阪人」の表紙・本文デザイン。ロゴに象徴されるとおり、生命力溢れるタッチと大阪のポテンシャルが誌面を駆け抜けている。誌面で展開するビジュアルを指して江氏は長友啓典を「大阪人の塊」だと評し、長友氏も「ええ刺激をもろてる」と江氏のチームを評価する。そんな長友氏の「大阪人」への想い、そして編集部に対する評価は下記の編集後記に記されている。

長友啓典氏のコメント
とにかく大阪は東京中心のマスコミから一面的なイメージがふりまかれていた。それをどないか吹き飛ばすような「大阪人の、大阪人による、大阪人のための雑誌」にしたいとリニューアルのデザインを頼まれた1年前に思ったんです。これは、図体のデカい東京の大手出版社では絶対でけへん。小回りの利くスポーツカーのようなスタッフが編集に揃ったので、雑誌の「大阪スタンダード」と言えるものが確立されたと思います」(「大阪人」Vol.66 2012年5月号 長友啓典 編集後記から)

このほか、別冊号「古地図で歴史をあるく(2012年5月号)」や「鉄道王国・大阪(2012年01月号)」でも地元大阪のディープなネタが展開され、増刷がかかったという。にもかかわらず、江氏が取り組む以前からの問題であった赤字は解消することができず、2012年5月号で休刊となる。

 そもそも、以前の大阪市の外郭団体であった版元の「大阪都市協会」が解散させられ、「大阪人」が都市工学情報センターから外部委託になった。うちがコンペで取った後、前の編集部の関係者による批判記事が新聞に掲載されたり、従来の7500万円だった年間予算を2500万円に減らされ、予算が販売収入の1.8倍くらいでやらされた。

しかも、予算に足りなかったら制作費からさっ引くといわれた。それで「販売収入が制作費を超えたらたらどうなんです?」ってねじ込んで。印刷代引いた分、部数でるじゃないですか?すると「予算以上やったら、還元します」って。結果として、部数が上がったから支払ってもらいました。編集の際も、町田康さんの原稿のある箇所に問題があるとのことで、「町田さんが直さない言うたらどうします?」て問うたら「ボツにします」と言われました。

大阪市の計画調整局が大元の大阪都市工学情報センターは、土木系の人が中心で編集に関しては全くの素人だった。しかも、やりようによっては埋まった広告も取れずに赤字は解消されない。2011年の市長選で平松邦夫が負けて、橋下徹に替わった後、市長交代との関連は不明だが、計画調整局長でもある都市工学情報センターの北村英和理事長が、「もうやりません」と紙一枚で休刊の旨を伝えてきたという。橋下氏の批判的立場にあった神戸女学院大名誉教授の内田樹氏らが編集委員だったこともあり、橋下新市長を忖度したのだろう。

 発行元の都市工学情報センターもつぶされたようです。前理事長でありちょうどわたしたちが「大阪人」をつくる際の責任者だった箕田幹さんという人だけが紳士でした。新しい理事長ほか、あとは、もう、どうでもええ人ばかりで苦労しました。箕田前理事長がいなかったら、僕らできてなかったと思いますわ。長友啓典さんなんか「自分らで金だしてやろうや」とまで言ってくれはって。

「大阪人」の休刊に関しては、ありとあらゆる新聞が休刊を惜しむ記事を掲載した。

2011年7月号から江氏が手がけた「大阪人」は2012年5月号が最終号となる。こうした実績が功を奏してか、2013年には「Wao! Yao! 八尾の入り口」という大阪府八尾市のガイドブックもコンペで落とした。「メイドイン八尾」をテーマに展開した誌面は地元の人々を中心に支持され、人口17万人という八尾市で2万2千もの部数を売り上げた。ここでも、江氏の雑誌編集のノウハウとレシピが活かされている。ページをめくると文字がぎっしり。

巷のカフェや雑貨系のムックはお店を紹介するというよりは誌面のグラフィカルな魅力で読者を引っ張る傾向にある。そうしたムックは余白を活かしたシンプルでお洒落に編集された誌面が主流だ。江氏のやり方はその逆を行く。

 余白を取る?そんな編集してません。詰めた方が圧倒的にエエもんができると思います。イラストもふんだんに、写真も大胆に使って、マンガも入れてます。僕らはこのあたりをうまくやってきたので。八尾という土地の価値を考えて「八尾ってこういうとこちゃうんか?」って考えたことの足跡しか誌面に映ってません。

運命を左右する「雑誌のOS」

江氏は、まだ紙媒体にも可能性があると確信する。あらためてインターネットと紙媒体を比較してみると、インターネットは検索をベースにしたシステムなので、一貫した姿勢がないとテーマを深彫りすることはできない。興味対象のページを眺めるうちに対象外の興味深いリンク先が目に入ればそちらのコンテンツに流されてしまう。図書館の自習室でなら集中できる学生が自宅で勉強するとマンガや遊び道具で怠けてしまうようなものだ。

しかし、雑誌などの紙媒体は1ページずつ順番に読ませるので「伴走する感覚」があると彼は言う。家庭教師が居ると勉強に集中する、カフェだと仕事が捗る、というのに近いかもしれない。伴走することで、読者はハイパーリンクという寄り道に逸れず、雑誌の針路どおりに好奇心の航海を果たすことができるのだ。

 雑誌の場合、読者の横について一緒に走るというか、時間を共有しますよね。スポーツ観戦もそうやないですか。走り高跳びの新記録って2m50cmくらい?世界新記録がでる瞬間って、結果だけを見ているのではなく「すごいきれいな走り方をしてる!」「背面跳びやん!」。それで失敗し、バーを「バシャ!」って落としたところでも拍手。そういう時間をみんなで共有しますよね。雑誌を読むのも同じ「伴走する感覚」があります。

一方、インターネットは「無時間モデル」です。バーを超える瞬間はニュースされるけど、結果を知るまでの時間は短い方がいい。価格ドットコムでも、一番安いものに即アクセスしますよね。検索かますと一気にダダダダって出てきます。そのなかのどれを選ぶのかがリテラシーだと言われてるんですが、リテラシーも蜂の頭もなくて最初から最後まで時間をどう共有させて「へええ!」と思わせるかです。そして、最後に次は「コイツら次、何やんねやろ?」と思わせたら、また本が売れるやないですか。

「伴走する感覚」を必要とする紙媒体の感覚は、時間軸で進行するスポーツや音楽に近いという。その時間軸をエキサイティングに、あるいは美しく演出するためには芸術性が必要であり、大切なのはコンテンツの差し出し方なのだと江氏は言う。時には情報がガセねたをつかみ、美味しくない店が載ってしまう場合もある。しかし、雑誌を船だとすると、コンテンツという荷を積んで、その時間軸の中で船が読者をどこにつれていくのかという期待感が大切なのだ。最終的に沈没したとしても「その沈没の仕方が格好よかったらいい」のだと。

 当然ですが、僕らの仕事って、同じものを出したら売れないです。問いと答えがセットになっていないんですね。電球を作る会社は「小さくて軽くて、明るくて電気消費量が小さく、安価である」という問いがと答えがセットになっていて、それを完成させたら明日から同じものを作ることができます。そういうもんじゃなくて、僕らはカフェ特集をやるなら「カフェをどう見る?」というOSを作って読者を引っ張るわけです。ただ、カフェのOSが成功したからといって、同じOSでお好み焼き屋の特集をやるから売れないんですよ。全然違う編集をせなあかんのです。

京阪神エルマガジン社の看板雑誌「エルマガジン」が休刊となり、WEBメディアに移行したのが2008年、江氏が同社を退社した3年後のことだった。最終的に編集部長の座にあった江氏は「ミーツ・リージョナル」の副編集長を「エルマガジン」の編集長に採用するなどの策を講じたという。しかし、「エルマガジン」では新しいOSを考えることができなかったという。

OSを変えるとはデザインや写真、文体を変えるということなのか?

 全部、ごそっとです。表紙デザインという、アプリケーションを変えるだけでは仕方ないんですよ。カフェ用のアプリがうまくいったとしても他では通用しません。OS9とOS Xとでは全然別のものですよね? OSってアイコンから何から何まで変わるじゃないですか。Twitterも急にデザイン変わってますしね。そういう作業を1号1号しないとあかんでしょ。僕らの仕事はそれがオモロイのであって……。場合によっては書き手もごそっと変えます。それを、グルメやったら、グルメライターばっかりでいくからオモロないんです。

「ミーツ・リージョナル」の誌面や江氏の発言を見るとシズル感やライブ感に溢れているが、こと編集作業においては小心者かと思われる程、慎重で論理的だと本人はいう。そうした自身の編集の仕組みをOSという動的でシステマチックなメタファーに例えるところが江氏らしく面白い。そのOSは1号ずつ変える必要があり、さらにそのOSを組み立てるためのOSも編集部に求められるという。その力量があって、雑誌は機能するというのだ。

ライターにとって大切なのはここからだ。冒頭に「自身の専門分野を特化」と書いたが、知識量、情報量を増やことも大切だが、それだけでは奥行きある記事は望めない。

 例えば、グルメライターがフランス料理について書く時「リヨンの三ツ星、ポール・ボキューズで7年修行して、スペシャリテはバルバリ産の鴨のアニスソース…」って、これ全部記号やないですか。数値化され、記号化された情報だけで全部書けてしまう。そこが消費社会のコアなところでしょう。でも、そのコアな部分の周囲には、消費社会とモノを作る社会があって、さらにコミュニティがある。それをズボーッと串刺しにして書かないとだめです。

私は音楽ライターを志してこの世界に入り、そしてそれなりに知られた雑誌でインタビューやレビュー、記事を書いてきた。その経験からいえるのは、例えば新しいアーティストの資料が届いたとして、音楽そのものは自分の耳で確かめるとしても、彼らの音楽のリスナーはどのようなコミュニティか?を想像して書くことが大切だということだった。HIP HOPのコミュニティであったりジャズのコミュニティであったり。あるいは村上春樹の本と合わせて楽しむような人たちのコミュニティであったり。音楽はそれ自体で存在するわけではなく、そうしたコミュニティとの無言の交信のなかで成り立つものだと思っている。そのつながりが見えないと、音楽のグルーブやイマジネーションは腑に落ちてこないものだ。

情報から離れ、社会のコミュニティからアクセスする

80年代以降からマーケティング手法があらゆるビジネスの現場でも取り入れられるようになる。日本マーケティング協会によるマーケティングの定義(1990年)は以下の通り。

マーケティングとは、企業および他の組織がグローバルな視野に立ち、顧客との相互理解を得ながら、公正な競争を通じて行う市場創造のための総合的活動である。

情報誌の見せ方にもマーケティング的な視点が取り入れられるようになった。そして読者が店舗をチョイスするための店舗比較表、ダイヤグラムやチャートなどが誌面に登場した。時にはたこ焼きのたこの大きさを計ったり、お好み焼きの厚みを数値化するという企画も多くの情報誌で登場した。

上記の「公正な競争を通じて行う市場創造」とあるが、特集記事によって店舗が競争を強いられる形になり、市場創造の輪に組み込まれていった。確かにユニークな誌面になるが、江氏の評価は辛口だ。そうした誌面や情報の提供ではたこ焼きやお好み焼きの美味しさは表せないからだ。さらには「コナもん」という呼び名が情報誌を中心にメディアで飛び交うようになった。

 たこ焼きやお好み焼き、うどんというカテゴリーを広げたつもりが、結局底が浅くなってる。違うな!と思う。社会があって、地域があり、コミュニティと時代感覚が見えてきて、そこからたこ焼きのことを書かなあかん。たこ焼きはたこ焼きの、フランス料理はフランス料理のエクリチュールがある。だから、力がいるんです。「ミーツ」も全然関係ないところから入って書いていく。それを僕は体で覚えたと思う。

社会の中に消費社会があって、そのなかにグルメとかテレビの世界とかある。消費に特化したら「ウォーカー」ですね。社会にはコミュニティとか地域社会とかあるいは、働く社会とかがあって、この社会全般を通ってきてココにアクセスしやなあかん。そこを駆け抜けんとムリです。情報しか書けんですね。「どこそこ産のおいしい卵を使てる」「ラーメンのスープが豚骨だ」とか、それってココ(情報)だけの話やん。何か欠けてるんですよ。

たこ焼きについて語るとき、情報ではなく、消費社会の外側にある地域社会からアクセスしなくては読者の興味を惹き付けることはできない。人々はデータ化されない情報、つまり、地域社会やコミュニティなどを通過し、様々な感情や感覚を抱えて人々はお店にやってくる。その終着点となるお店では、楽しさや、悲しさ、切なさなどの感情や感覚など、数値化できない価値が発露するというわけだ。そのプロセスを追わないことには、その価値を表すことはできないのだ。さらには、関西では大小や強弱などで一元的に計れない価値が存在すると江氏はいう。

 京都やったら大きなビルに入っている店より小さい平屋の店の方が偉いとか。数値ではなく、街の面白さを通じて見えてくる価値がある。それを書くのは力が要ることやしジャマくさいことやけど、書き抜かないとあきませんね。養老(孟司)先生に教えていただいたことですけど「人間の味覚は変容する」ということが大切で、仕事帰りに寄る行きつけの居酒屋で飲むビールとコンビニで買うビールとでは、同じ中身やのに味が変わってくるでしょう。

ビール自体は変わらないが、人間が変わっていく。「人間も味覚も変容する」というところに軸足を置いた方がオモロイと。ただ、人間は変わるけど、今日の私と明日が変わったら人格が分裂してしまうから、だから自我とか自己を措定したんでしょうね。人間は変容するから、魔法をかけられたみたいに「美味しい口」になったりする。その様を書くのがオモロイんだと思います。

例えばたこ焼きを焼いている様子や、串カツの店で職人が揚げているのを見るとたまらなく「美味しい口」になる。快感は食べる前から始まっているのだ。そうした人間の味覚の変容がもたらす魔法としての「美味しい口」は、数値など情報で切り取ることはできない。状況やシチュエーションを理解し、限りなく「美味しい口」に近づくことが大切なのだ。グルメ番組では「美味しい!」という大文字の形容詞は御法度で、「コリコリしてる」「中身がトロリ」「ジューシーだ」といった感想が使われる。

そんなことよりも、「昨日ロケで疲れてたので、体が求めてたしょっぱさだ」といった方がウケるのかもしれない。そう考えるとスキー場の食堂で食べるカレー、プール帰りのひやしあめ、山頂で食べるカップヌードル……。身も蓋もないかもしれないが、美味しいとはそういうことなのだ。

大阪のキアスム

 あるお好み焼き屋は斜め向かいの魚屋からイカを仕入れているんですが、その素材って魚屋が一番わかってるわけ。せやけど、魚屋のご主人はわざわざそこのお好み焼き屋でイカを焼いてもろてゲソを食うんです。つまり、消費者と出す方が互換してる。そんなシーン見せられたら、絶対にウマイとおもう。そもそも、お好み焼きって、そんなにすごく美味しいもんちゃうもん。美味しいけど、美味しくないやん!そんなもんわかってるやん。でも、変容するから。お好みやうどんが美味しいと思う体に変容していく瞬間があるから。それは関係性ですよね。中沢新一さんと対談したとき、それは「キアスムだ」って言うてはりました。

キアスムについて引用
chiasme(フランス語)
フランスの哲学者、モーリス・メルロ=ポンティの用語。見るものと見られるものが相互に可逆的に侵蝕し合っている状態。主体と客体の分離を乗り越えるための用語。交差配列。

江氏の『飲み食い世界一の大阪 ~そして神戸。なのにあなたは京都へゆくの』(ミシマ社刊)に収められた中沢新一氏との対談にもあったが、関西では主客が逆転するという感覚はよく理解できる。アパレルの世界でも、今まで客としてモードにハマっていた人が高じて突然ブランドを立ち上げることも多く、東京のショップなら「そんな駆け出しの無名ブランドはいらない、実績を重ねて出直せ」とあしらわれるところ、関西のショップなら「とりあえずは置いて帰り」と受け入れ側もその点は非常に大らかで、まずは商品を置いてみようという状況になることが多い。そういう意味で関西はインディーズが芽を出す土壌が豊かな傾向にあるといえるだろう。こと、関西ではキアスム的なシチュエーションが随所に漂っているのかもしれない。

 そういうものを見せるのは、情報やなくてやはり書き手の力やと思います。「ミーツ」の頃は写真も絶対、営業時間中に撮りました。最近は、個人情報どっちゃらこっちゃらがあって、しんどいけどね。「ミーツ」を始めた時は、ちょっと頭を使いましたね。体よりも。

「ミーツ・リージョナル」の誌面を見るとわかることだが、飲食店の写真も店構えや内装よりもカウンターのアングルが多く店員、客の顔がぎっしりファインダーのなかに収まっている。時には魚眼で画角の両サイドが歪んでいたり、写真の色調の赤みが強かったり、いわゆるシズル感が溢れている。その狙いはコミュニティやそこで交わされるコミュニケーションを映し出すことだったのだ。

 『呑めば、都 居酒屋の東京』(筑摩書房)という本で居酒屋という空間でのコミュニケーションについて書いてはるマイク・モラスキーさんと対談したんですが、これがすごいオモロかった。居酒屋って消費社会のなかにあるやないですか。でも、日本の居酒屋は消費社会のなかで汲み取られへんてモラスキーさんはいうんです。コミュニティでもない。言葉を交換したり、お金と商品を交換したりするというのが社会のありようやないですか。居酒屋、完全に消費社会とか地域社会とかそういう枠に入れへん、コミュニケーションや関係性が重層的に重なってるとこやし、それがたまらなんねんと。

マイク・モラスキー氏について引用
 かとりやでは大将が忙しい時は常連が自分で酒をついで「頂いたよ」と声をかけ、勘定を少なく計算されたら「もっとのんだよ」と訂正する姿も見かける。

 そういう信頼関係、人間関係に人間の温かさや優しさを感じるのです。店がサービスを提供し、客が消費するという一方的な関係じゃない。店と客が一体となって大事に守ろうとしている人間中心の場であることが、居酒屋の魅力です。(人のぬくもり 最高の肴…モラスキーさん、居酒屋の文化論/YOMIURI ONLINEより)

マイク・モラスキー氏は居酒屋を日本独特のコミュニティ空間として位置づけ、家でも職場や学校でもなく一個人としてくつろげる場所「サードプレイス」(アメリカの都市社会学者、レイ・オルデンバーグの概念)の理想型として挙げている。居酒屋は家や職場にともなう責任や約束から解放され、好きな時に行けばいいし、好きな時に帰ればいい。ただ、よい客としてお店や常連に気を使うことを忘れてはならない。そこが、自分の居場所となり、店を訪れた人たちと交わすコミュニケーションの場となる。

江氏が数々の著書で示す「街場」とは、情報ベースで匿名的な存在として軽やかにアクセスする都会性とは対極にある、街の人々にコミットし、出会った人と賑やかに楽しむ都会性に根ざした空間である。マイク・モラスキー氏のいう「サードプレイス」としての居酒屋の感覚と、江氏が語る「街場」は人と人、そして店が織りなす関係性が支えているという意味で類似点があり、そこには情報では救えない豊穣な価値が残されている。江氏はそこから書き始め、ビッグデータのようなマーケティングシステムから抜け落ちている情緒的で感覚的な関係性を読み取り、言語化・映像化していったのだろう。

街や飲食店について雑誌に映し出し、書き切るために江氏は熱っぽく2時間半ほど語ってくれた。関西弁による歯に衣着せぬ物言いと「美味しい口」といった庶民的な言葉に交え、「分節化」「エクリチュール」というロラン・バルトの用語や「キアスム」というメルロ=ポンティの用語などが盛り込まれ、多層的でスリリングなインタビューとなった。彼の疾走感溢れる気配にこそ「ミーツ・リージョナル」のレジェンドとシズル感の正体や雑誌媒体の可能性、あるいは一人の書き手として「美味しい口」を書き切るノウハウが潜んでいるに違いない。

その気配に触れてもらうため、彼とマイク・モラスキー氏との対談映像があるので、最後に紹介したい。

江弘毅×マイク・モラスキー 江弘毅の言いっ放し五都巡業 まさかの追加講演! 「東西呑み比べ文化論」
http://www.youtube.com/watch?v=MnyOqiQw3RA

江弘毅氏の著作(一部)
『有次と庖丁』(新潮社、2014年)
『飲み食い世界一の大阪 ~そして神戸。なのにあなたは京都へゆくの』(ミシマ社、2012年)
『ミーツへの道〜「街的雑誌」の時代』(本の雑誌社、2010年)
『街場の大阪論』(バジリコ、2009年/新潮文庫 2010年)
『岸和田だんじり讀本』(ブレーンセンター、2007年)
『「街的」ということ〜お好み焼き屋は街の学校だ(講談社現代新書、2006年)

マイク・モラスキー氏の著作(一部)
『日本の居酒屋文化 赤提灯の魅力を探る』(光文社新書、2014年)
『呑めば、都 居酒屋の東京』(筑摩書房、2012年)
レイ・オルデンバーグ『サードプレイス〜コミュニティの核になる「とぴきり居心地よい場所」』(みすず書房、2013年。忠平美幸訳。モラスキー氏が解説を執筆)

第2回 転換編

2014年3月14日
posted by 結城 浩

はじめに

こんにちは。「私と有料メルマガ」という短期集中連載の第二回目です。

  • 第一回 皮算用編では、私が「結城メルマガ」を始めようとした経緯と、始めたばかりの頃に起きたことについて書きました。
  • 第二回 転換編では、初期の体験から自分が考えたこと、そしてそれを踏まえて行った「結城メルマガ」の方針変更を書きます。
  • 第三回 継続編では、現在の私が考えていることを中心に、メルマガ執筆を継続させることの意味、継続させるために工夫していることなどを書きます。

有料メルマガ運営の最大の問題

第一回の最後で、以下の三要素のバランスをどうするかが「有料メルマガ運営の最大の問題」であると書きました。

  • 「有料メルマガにかける時間と労力」
  • 「有料メルマガの読者数」
  • 「有料メルマガの品質と読者の期待(自己の信用)」

これはつまり……有料メルマガを発行するのには時間と労力がかかるけれど、それほど多くの読者に届くわけではない。しかし、時間と労力をきちんとかけないことには品質の高いものはできない。品質の低いメルマガを出していたら大切な読者さんの期待を裏切ることになる……ということです。

私はこの問題に対して、自分なりの考えを持って「結城メルマガ」を発行しています。でもそれは発行開始の時点からわかっていたことではありません。発行しながら少しずつ方針転換を行って現在に至りました。

以下では「結城メルマガ」発行中に起きた出来事と、それに対してどのように自分が判断したかをお話ししていこうと思います。その判断の集積が現在の「結城メルマガ」になったからです。

クレジットカードを持たない読者さんに応える

あるとき「結城メルマガを購読したいけれど、クレジットカードを持っていないから購読できない」という意見をいただきました。初期の「結城メルマガ」は「まぐまぐ」のみから発行しており、「まぐまぐ」の支払いではクレジットカードが必要になるからです。

この問題にどう対処したらよいかを考えました。クレジットカードを持っていないという意見が最初に出たのは学生さんからだったので、

  • 学生さん向けの「無料枠」や「アカデミックパック」のようなものを作る。
  • 一年遅れのバックナンバーは無料にする。

などを考えました。でも、学生さん以外でもクレジットカードを持たない人はいますし、一年遅れの文章を読んでいただくというのも気が進みませんでした。

そんなとき「ニコニコチャンネル(ブロマガ)」では「キャリア課金」での支払いができることを知り、「まぐまぐ」と「ブロマガ」の二本立て発行にすればいいと思いました。購読者さんには好きな発行サイトを選んでもらうのです。これで「クレジットカードがないので購読できない」という意見の一部に応えることができました。

2014年3月現在、「結城メルマガ」全購読者数のうち「ブロマガ」経由での購読者数は約30%です。

読者の要望に少しでも応えるために発行サイトを増やしたのですが、これは結果的に「結城メルマガ」の購読者数を増やすきっかけとなりました。

読者さんへ同じサービスを提供したい

発行サイトとして「ブロマガ」を追加するときに考えたのは、「まぐまぐ」経由の読者さんと「ブロマガ」経由の読者さんに対して、できるだけ同じサービスを提供したいということでした。
たとえば、価格は「まぐまぐ」と「ブロマガ」で同じにしました。これは決めるだけですので特に問題はありません。

また、「ブロマガ」はメルマガの内容が自動的にepubでも提供されますので、「まぐまぐ」経由の読者さんにもepubが提供されるようにしたいと思いました。

そのために、私は自分のメルマガ執筆環境を整えました。具体的には自分が書いた《執筆テキスト》を各種形式に変換するプログラムを作りました。以下のような変換です。

  • 《執筆テキスト》→《「まぐまぐ」配送用のテキスト》
  • 《執筆テキスト》→《「まぐまぐ」配送用のepub》
  • 《執筆テキスト》→《「ブロマガ」配送用のテキスト(HTML)》(epubは「ブロマガ」側が自動生成)

プログラムで変換作業を自動化することで、発行サイトが増えても私の手間は増えないようにしたということです。

このようなプログラムを作るのには多少手間がかかりますが、一度作ってしまえばあとは発行するたびにそれを動かすだけです。

二つの発行サイトでのサービスをできるだけ同じにしたいと考えたことが、自分の執筆環境を整え、さらにepubについての理解を深めることにもつながりました。

書籍とメルマガを「オーバーラップ」させる

「結城メルマガ」に何を書くかについては、ずっと模索を続けていました。

初めのうち、私は「結城メルマガ」という有料メルマガの発行を「新しい仕事」として位置づけ、これまで自分がやってきた「本を書く仕事」とは違うものにしようと考えていました。つまり私は「結城メルマガ」に対して「紙の書籍」とは別の「ネット向けのコンテンツ」を作らなければいけないと思っていたのです。

でも現在ではその考えは大きく変わりました。「紙」対「ネット」のように分けて考えるのをやめました。もちろん両者は違うのですが、両方の仕事をできるだけ「オーバーラップ」させるように心がけています。

つまり、こういうことです。

まず、本の仕事をメルマガに活用するようにしています。これは、私が本を作る際に体験したことを「結城メルマガ」の記事として積極的に書くということです。本を作る過程で出てきたものすべてを活用します。たとえば、企画を立てる際に考えたこと・執筆ログ・編集者とのやりとり・校正で苦労したことなどを可能な限り「結城メルマガ」の記事にします。

そのようにすることで、「結城メルマガ」の執筆が、自分の仕事の「振り返り」の役目を果たすようになってきました。もともと「結城メルマガ」の購読者さんには文章や書籍執筆に関心のある方も多いため、このような私の取り組みはちょうどマッチしていました。

逆のオーバーラップも行っています。つまり、メルマガの仕事を本に活用するという意味です。これは、つまり「結城メルマガに書いた記事を本にまとめる」ことになりますが、もう少し正確にいうと、最初から本にすることを前提にして文章を書き、その執筆プロセスの一部に「結城メルマガ」を組み込む。ということです。

たとえば2013年、私は筑摩書房から『数学文章作法 基礎編』という本を刊行しました。この本を執筆しているとき、私は一つの章を書き上げるたびに「結城メルマガ」でPDFを配信しました。つまり「結城メルマガ」の購読者さんは『数学文章作法 基礎編』をPDFで読めるということです。

『数学文章作法 基礎編』

2014年3月現在、私はこの本の続編『数学文章作法 推敲編』を同じように「結城メルマガ」上で執筆しています。やはり、一つの章を書き上げるごとにPDFを配信しています。自分のメールマガジンで「連載」しているわけですね。

このように、メルマガと本を別のものとして扱うのではなく、上で述べたような形で「オーバーラップ」させることは大きな意味を持ちます。それは、私が本の執筆に尽力することがそのまま「結城メルマガ」の題材になるし、さらに私が十分な時間を掛けて品質を高くした文章を「結城メルマガ」に提供できるということです。

これによって、

  • 「有料メルマガにかける時間と労力」
  • 「有料メルマガの読者数」
  • 「有料メルマガの品質と読者の期待(自己の信用)」

を非常にいいバランスに保てると考えました。

「雑誌と単行本」モデル

前節で述べた、メルマガと本の仕事をオーバーラップさせるという執筆の方法は、「雑誌と単行本」モデルと呼べるかもしれません。

すなわち、「メルマガでの連載記事をまとめて本にする」というのは、「雑誌での連載記事をまとめて単行本にする」というプロセスに似ているということです。両者の違いはほとんどありません。

ただし、大きな違いが一つあります。それは「メルマガは執筆者本人が運営している」という点です。

執筆者が、自分の連載記事を掲載するための雑誌を自分で運営する。それは有料メルマガの一つの形といえるでしょう。

フィードバックと宣伝効果

「結城メルマガ」で『数学文章作法 基礎編』を連載していたとき、たいへんありがたいと思ったのは、メルマガの読者さんが内容に関するフィードバックを送ってくださることです。執筆中の本に対して、刊行前から意見をいただけるのはたいへんありがたいことです。単純な誤りの指摘もありがたいですし、「こういう本を待っていた。刊行が楽しみです」といった応援メッセージもうれしく、執筆に大きな支えとなりました。

さらにありがたかったのは、「結城メルマガ」で一度読んだ内容であるにも関わらず、書籍化されたものをご購入くださる方がたくさんいらしたということです。書籍化にあたってはさらにブラッシュアップしますので、完全に同一内容ではありませんが、まとめて読みたい・紙で読みたい・どう変わったか確かめたいという要望があったようです。結果的に、「結城メルマガ」で連載をすることは宣伝効果もあったといえます。

もちろん、「メルマガで読んだから本は買わなくてもいいや」という方もいると思いますが、それは内容を見て本は不要と判断したわけなので、読者の期待を裏切る結果にはなっていないと思います。

ということで、「結城メルマガ」で書籍の連載をすることはとても良い効果を上げています。これまでに書籍化された連載は以下の二冊です。

  • 『数学文章作法 基礎編』(筑摩書房)
  • 『数学ガールの誕生』(SBクリエイティブ)

また、書籍化を視野に入れつつ進めている現在の連載は以下です。

  • 『数学文章作法 推敲編』
  • 『再発見の発想法』
  • 『フロー・ライティング』
  • 『数学ガールの特別授業』

これからも積極的に「結城メルマガ」で書籍の連載をしようと思っています。連載時の注意点については、次回の「継続編」でお話しします。

友達に勧めたいという読者さんに応える

さて、読者さんから「結城メルマガを友達に勧めたい」といううれしいメールをいただいたことがあります。そのメールへはもちろん「ぜひお勧めください。ありがとうございます!」と返信しました。

さらに少し考えて、「お友達に、今回の「結城メルマガ」をまるごと転送してくださってもいいですよ」と読者さんへメールしました。

そのとき考えたのは「読者の期待を裏切らない」ということでした。読者さんが友達に「結城メルマガ」の内容を要約して「こんな感じのメルマガだよ」と説明したとします。でも、要約して伝えた場合、実際に届くメールとは印象が違うかもしれません。もしそうなったら新たに購読したお友達は「結城メルマガ」にがっかりする恐れがあります。それはまずいと思いました。だから「まるごと転送」をお勧めしたのです。そうすれば、印象のずれを減らし、納得の上で購読開始できるでしょう。

「結城メルマガ」の購読者さんは「自分が有料コンテンツを扱っている」ことに非常に注意を払う方が多いので、私の方から機会あるごとに「ご紹介のためにまるごと転送してくださっても構いませんよ!」と伝えるようにしています。

無料閲覧サービスで宣伝する

「読者の期待を裏切らない」というのは、私自身が「結城メルマガ」の宣伝をするときも注意している点です。

初めのころは「結城メルマガ」がどんな「内容」を扱っているかに重点を置いた宣伝をしていました。しかししばらくして、もっと単純に「メルマガを発行していますよ」という「存在」だけをアピールするようになりました。

その理由の一つは、宣伝で内容を正確に伝えるのはとても難しいからです。内容に関しては、宣伝文句よりも「まるごと読んでもらう」方が読者の期待を裏切らないのではないかと思うようになりました。先ほどの「まるごと転送」と同じ発想です。

幸い「ブロマガ」では、メルマガをWeb上で時間を区切って無料閲覧してもらう機能があります。そこで、休日などに無料閲覧していただく試みをしています(不定期)。この活動で購読者さんも増加しました。

発行サイトを増やしたことでこのような無料閲覧機能を利用することができるようになりましたし、その機能を利用して「読者の期待を裏切らない」方向に進むことができました。また、有料メルマガはいささか宣伝しにくいものですが、無料閲覧のURLは安心して宣伝できるものです。

全文の無料閲覧は不定期ですが、毎週の「結城メルマガ」でも、冒頭部分だけは誰でも、いつでも、無料で読めるように設定してあります。これによって「結城メルマガ」の存在を知っていただくと同時に、「どんなトーンのメールが届くのか」知っていただけるといいと考えました。

これらはすべて「読者の期待を裏切らない」ことを大事にしたいと思ったからです。

《読者のことを考える》原則

以上、「結城メルマガ」の運営を進める中で、どのような出来事があり、どのように判断して方針転換してきたかを簡単に書きました。

  • クレジットカードを持たない読者さんに応える
  • 読者さんへのサービスを均一にしたい
  • 書籍とメルマガを「オーバーラップ」させる
  • 友達に勧めたいという読者さんに応える
  • 無料閲覧サービスで宣伝する

「読者の期待を裏切らない」という気持ちの背後には、私が大切にしたい《読者のことを考える》という原則があると思います。

有料メルマガを開始するときにはあれこれ「皮算用」をしました。しかし、毎週メルマガを発行しているうちに気付いたのは、これはふだん自分がやっている「本を書く」仕事と同じだということです。本を書くときにもっとも大切なのは《読者のことを考える》という原則です。メルマガを書くときもまったく同じ原則を守ればいい。そのように気付いたのです。

これからも試行錯誤を繰り返し、方針転換がたくさんあるでしょう。しかし、《読者のことを考える》という原則は変わりません。変わるのはただ、その原則の表現方法だけなのです。

次回の「継続編」では、私が普段どのようなことを考えて「結城メルマガ」を運営しているか、モチベーションを保つためのコツ、それから「結城メルマガ」を通して得た「ほんとうの報酬」について書きたいと思います。

(短期集中連載「私と有料メルマガ」第三回 継続編へ続く)

※結城浩さんの「結城メルマガ」の購読はこちらからどうぞ。 http://www.hyuki.com/mm/

関連リンク
「結城メルマガ」
『数学文章作法』
『フロー・ライティング』
『再発見の発想法』
『数学ガールの誕生』
『数学ガールの特別授業』

わが「キンドル作家」デビュー実践記

2014年3月11日
posted by 野崎六助

1 はじめに

題して『五番町懺悔録』。若き日の愚行の数かずをさらした読み物だ。詳しくは、後のほうで。

ついにやったぞ。「キンドル作家」デビューを果たしたぞ。会う人ごとに吹いてまわっているのだが、反応はいまひとつ。というより、冷たい。「ん? キンドルって何よ」。たいていの第一声が、コレだ。

じつのところ、わたしも、一カ月前なら、同じような反応しか示さなかったろう。Kindle なる新製品が発売されたという知見くらいはあった。けれども、この種のトピックがアタマのなかに残っている時間は、ごくはかない。脳細胞の衰滅速度と、時代の異常なスピードとが、相乗効果をかもして、三日前のことなど、古代のような遠いムカシと化す。

居住している地域(の高齢者相談室)からは、「きみは定年後の第二の人生を活用できるか」といった強迫的な案内が連続し、加えて、介護保険証がとどく。「電子書籍ブーム」とやらに適応していっている人を、身近に見つけることはめったにない。「キンドル? なに、それ」。

電子書籍に関しては、当方も、だいたいそんな平均レベルにあった。
それが、わずか一カ月にして、無知のヤカラから堂々「キンドル作家」デビューまで、一挙に飛躍をとげてしまったのである。

この小文は、わずか一カ月のあいだに、わたしが具体的に何を習得したかを報告する。やれば出来る。というか、簡単な話なのだ。ただし、ノウハウを伝授するものではない。その代わり、同じことを志している人がいるとすれば、希望の燭光を与える(?)ものであるかもしれない。

2 基礎作業

まず、用意したものから記録していく。
手順は、必ず、これに従うべきものではない。念のため。

電子書籍の標準データは EPUB である。 EPUB とは初対面の文字面であった。親しくおつき合いするには、どうすればいいか。ともかく EPUB ファイルを自分の PC にとりこんで、開ける(読める)ようにすることだ。そのためのアプリを導入する。

  1. Google Chrome の拡張機能 Readium をインストール
  2. FireFox の拡張機能 Epub Reader をインストール
  3. Adobe Digital Editions Home をインストール
  4. Kindle Previewer をインストール

これだけあればいい。どれかを使えば、EPUB とオトモダチになれる。1)、2)はウェブ・ブラウザでファイルを開く方式。1)のほうがスグレモノだ。2)は縦書きに対応してくれないので、悩まされた。

3)は、Kindle デバイスの各モデルでどう反映するかを試し読みできる。使用すると、.mobi ファイルを勝手につくってくれるので、戸惑うけれど、放っておいてもかまわない。

注記しておくと、Windows のウェブ・ブラウザ標準仕様である IEは使わん、という前提で、この小文は書かれている。IEだけでなく、マイクロソフトの「三種の神器」であるオフィスもウィンドウズ・メディア・プレイヤーも要らない。邪魔なだけだ。

1)を推奨するのは、EPUB をあつかう時にかぎっている。普通では、使わない。

3 基礎作業の二、下調べ

キンドル本に関するガイド本、マニュアルを記したサイトを読む。
これは、なるべく最新の情報を集めること。数年前のものだとすでに役に立たなくなっているケースが多い。

どちらかといえば、インターネットの情報のほうが即効性がある。ガイド本で困るのは、特定のソフト(有料だったりする)の広報めいた内容だったりすることだ。判断を迷わされることも少なくない。

ここでは、実用的な事柄を学習していく。

  1. アカウントの作成
  2. アメリカでの免税手続き
  3. 銀行口座の開設

などの項目については、いくつかのサイトを参考にすれば、なんとかクリアできる。特に面倒そうで、気分も重かったのは2)だが、かなり手順は簡略になってきている。EINの取得(二重に税金を課されないために、免税手続きをする)も、こちらから書類をファクスして、三日後にアメリカ内国歳入庁からの返信がファクスで来た。

4 コンテンツを用意する

電子書籍の本体、作品、著作物のこと。これに関しては、省略。
参考にこれを——
http://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488070687

まあわたしの場合、「キンドル作家」デビューする前に、すでに活字本作家なので。素材は、いろいろ用意できていたわけです。

とはいえ、活字本仕様を、そのままデジタル本モードに流しこむのはよくない。手抜き工事だ。そういう安易な途は避けたかった。留意したのは、

  1. 段落の多用
  2. 行あけの多用
  3. 見出しとページあけの多用
  4. ゴチックによる文字強調などのレイアウト効果

である。字下げの字数による区別、行あけの行数による差異化、イタリック体や下線引きによる文字強調などは、試みていない。シンプルをこころがけた。

苦労したのは、タイトル。
タイトルのみは、新規の「新作」になった気分。
とはいえ、英語タイトルは、ちょっとピンチョンライクだったな。

注記しておくと、わたしは、長くワープロ専用機で仕事していた。Mac時代には、ライトウェイ・テキストの縦書きモードに切り替えた。Windows ユーザになってからも、もっぱらテキスト・エディターのお世話になっていた。

ワードは使わない。余計な機能が付属していてうっとうしいからだ。時どき、ワードで入稿してくれという「困った編集者」がいるので、仕方なく使うことはあるが。

仕事で必要なのは、縦書きモードを手軽に操作できるエディター・ソフトなのだ。これは、やはり国産品に勝るものはない。ずっとQXエディターを使っていたのだけれど、このソフトはXP以降に対応するヴァージョンが開発されていない。

Linux をいろいろ試してみたのも、早い話が、QXエディターを使えるかどうかの実験だった。成果は得られず。悲観的予測にかたむきかけた。QXエディターを稼働させるためだけに、間もなくご臨終するXPマシーンを使いつづけねばならないのか、と……。

他に VirticalEditor というのもあって、使いやすくはあるのだが、印刷モードが不自由なので、iText に開きなおしてプリントするとか、細かい面倒があった。このあたりの試行錯誤の日々のことを書きはじめると、キリがないので省略。ある時、偶然に、この問題は解決した。QXエディターが Windows 7 でも(32ビットなら)動くということを発見したのである。

5 EPUB 変換という本番作業

いよいよ変換ソフトを使って、テキスト・ファイルから EPUB ファイルを作成する行程に入る。基本的にフリー・ソフトを使うという方針だ。

1)Open Office Writer もしくは、Libre Office Writer の拡張機能を使う。

これは、あるガイド本にあったやり方。どちらのソフトも使ったことがあるので、何とかなりそうだと思った。

しかし、作業途中で断念した。拡張機能の仕様が変わっていて、どうもよくわからん、というのが理由のひとつ。もうひとつは、作業の無駄が多いように感じたこと。

まあ、とにかく、両者ともワードと同様の重たいソフトなので、快適とは程遠かったわけです。

2)でんでんコンバーター

これは、サイト上にファイルをアップして変換する方式。
まずウェブ上で作業することに抵抗があった。次に、マニュアルがすっとアタマに入らない。入りにくい。相性が悪いみたいなものだから、仕方がない。候補には入れなかった。

日をおいて、1)を諦めたので、ものは試しとダミー版を変換してみた。
試してびっくり。ずいぶん簡単に出来るじゃないか。

でんでんコンバーターの入力画面(クリックで拡大)

根が疑い深いので、こんなに簡単に出来るわけないよな、とか。一昼夜ほど成果を信じる気になれなかった。それは保留にしたまま、コンテンツの整備(つまり本体の創作プロセスですな)にかかりきることにした。

やがて創作品が完成して……。やはり半信半疑みたいな心持ちで(失礼!)変換してみた。今度は、ダミーではなく「製品版」だ。出来上がりをチェックする眼も本気になっている。しっかりと見た眺めた読んだ。

ふーむ。出来てる。
問題なく立派なデジタル・データだ。

2に列記した1)2)3)4)すべての読みこみモードで試してみた。確かめた。しっかり出来ていた。
驚きである。驚いたら失礼か。

ともかく、わたしの「キンドル作家」デビューの多くの側面は、でんでんコンバーターに負っている。といっても何ら過言ではないようだ。

問題は一点。しかし、ですな。
うまくいかなかった行程がひとつあった。行あけだ。

元テキストで行あけ処理しているところが、すべて行つめに変わっている。これは、横書きモードにすると行あけになっているが、縦書きモードにすると行あけが無視される、という結果だった。何故に? 少なくとも、わたしのようなプログラム音痴には想像もつかない。ここで挫折しかけた。半日ほど、あれこれ悪戦苦闘した。

最終的には、自力解決できた。でんでんコンバーターのマークダウン方式が、HTML のタグ記述に似ている(あくまで、当方の主観)ところから、HTML のタグを適当に、だが必死の形相で打ちこんでみては、これでドーダ、今度はマイッタか、と試し変換してみた結果だ。時間に追われていては出来ない。人にはお薦めできかねる。恥ずかしい。

3)Sigil

後で上記の問題は、Sigil で EPUB ファイルを開いて、行あけ処理してやれば、いいのだと気づく。

しかし、このソフトは早々と使わないことに決めていた。縦書きモードにすると、「横向け文字」の縦書きになって出力されてくる。これでは、使えません。

Sigilでは縦組みの日本語が横倒しに表示される(クリックで拡大)。

Linux で iText を動かした時、やはり「横向け文字」の縦書きになって諦めたことを思い出し、腹立たしくなった。

4)Caribre

これはインストールしただけで使っていない。
他のシェア・ソフトに関しては試していないので、書けない。

6 何がわたしをこうさせたか

最後になったが、動機。
どうして、わたしのような耐用年数を過ぎたおやじが「キンドル作家」デビューなどを思い立ったのか。余計なお世話といわず、知りたい人もいるでしょう。

これには、良いほうと悪いほうの答えがある。どちらも、それだけで本一冊書けるほどの材料があふれているが……。傍迷惑だろうから、一ページで済ませる。

まず、グッドのほうから。
今回アップしたのは、60枚(400字詰め原稿用紙換算)の短篇が三本。この分量では、紙の本にはならない。つまり、電子書籍のみに可能な形態を重視した結果である。

Kindle版『五番町懺悔録』

電子版になったのは、『五番町懺悔録』の短篇ヴァージョンと考えてもらえばいい。

ということは、当然『五番町懺悔録』には長編ヴァージョンも存在する。むしろ、そちらが本体であろう。「それはどうした?」とつっこまれるのは辛い。これに関しては、かなりの期間にわたって、わたしのなかでは、危険な「取り扱い注意」領域なのである。

かつて、F・スコット・フィッツジェラルドは書いた。

Of Course All Life is Process of Breaking Down.

日本語になりにくいので、そのまま記憶しているが、いまだにこの言葉は背中にはりついている。生存しているうちに何とか書いておきたい自伝的作品。その一部が、『五番町懺悔録』長編ヴァージョンということになる。いまだ機は熟さずの想いに立ち往生することが繰り返されて……。

短篇ヴァージョンは、ひとつの試行だ。当初は、草稿状態のままでアップすることも考えていたが、それは止めた。ともかくも、独立した作品(三点セット)として愉しんでもらえるものになった。

いつもの大風呂敷がひろがっていくような気配なので、このへんで切り上げる。

バッドなほうの話はどうしたかって?
漠然と思い立ったのは、昨年の暮ごろ。しばらく間を開けて、始動し、二月の末に発売にこぎつけた。激動の一カ月といっていい。何に駆りたてられたのか。

じつは、グッドの動機と裏表になって、まったく同じことだともいえる。本を出すには多様なやり方がある。出版社とセッションを重ねて「共同作業」することが唯一の方法ではない。セルフ・パブリッシングは、すべて自力でまかなうわけだから、荷の重い仕事になる。

しかし、不可能ではない。現に、こうして実現した。
「著作者=書籍制作者」という形態は現実のものになっている。出版界は負のスパイラルに犯されてきりきり舞いの惨状だ。逆にいえば、ここに起死回生のチャンスが埋まっているかもしれない。

もちろん、これが最上の方法だとか、これしかない選択だとかいっているのではない。ある意味、ここには、現在の「電子出版ブーム」のネガティヴな現状が無惨に反映されている。それは否定しない。

ただ、そうした素材について語ることは、またべつの機会のほうがいい。
いや、もっと歳月を経て、笑えないジョークみたいに語れる時を待つべきだろう。

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2014年3月4日
posted by 荒木優太

2013年2月20日に自費出版した文学研究書『小林多喜二と埴谷雄高』(ブイツーソリューション、文庫、税込840円)をAmazonで発売してから、一年経った。「マガジン航」でもその出版事情について書かせてもらったが(この記事を参照)、このたび、契約した半年区切りの二度目の決算通知が来たので、ここに報告したい。通知によると、発売から翌年1月末日の期間で計69部の売上、印税額は合計2万8980円になった。

しかしながら実際には、これは実売部数ではない。もう少し多く売れている。というのも、ネット販売の他に対面販売(手売り)もしていたからだ。それはおおよそ30部程売れたから、3月の今現在で合計すると大体100部というのが実売部数だと思われる。全部で150部刷り、そのうち20部ほどは献本で消費したので、大体ははけた状況だ。この場を借りて、お買い求め頂いた方に、感謝申し上げる。

フォロアーの8%が本を買った

アマゾンの著者セントラルより売上推移のみ転載。

上の図を見て欲しい。これは拙著の発売から今日までのAmazonでのランキングの推移の履歴だ。本を売れると線が上がり、売れていないと下がっていく。これについて少し解説したい。

拙著は2月20日発売予定だったが、Amazonでは私の気づかないうちに実はそれよりも早く発売していたようで、出発時の線が下がっているのはその影響によるものだ。しかし、20日以後、Twitterで告知しだすと一日に一冊、或いは二日に一冊といったペースで売れていった。これが大体一ヶ月ほど続く。

ブログも使うことはあったが、基本的に本の宣伝は、主としてTwitterを利用した。書籍内容の軽い紹介や書いた動機などを時々に呟いた。そのためか、実際、本の感想の多くはTwitterに寄せられた。多くの読者がAmazonで購入したはずなのに、AmazonレビューではなくTwitterの方に感想を書きこむことは興味深い。ちなみに発売時の辺りでフォロアーは800人程度だったと記憶している(今は1000人程だ)。単純計算すれば、フォロアーの8%が本を買ったことになる。

3月の終わりには一時在庫待ち状態になったこともあった。それと、4月の頭に一番高い山ができているのは、先に紹介した「マガジン航」の記事を書いたことに由来していると思われる。この時の順位は9478位をマークしている。そして、四日に一冊、一週間に一冊、二週間に一冊とペースは徐々に衰え、発売三ヶ月を越えると一ヶ月に一冊といったペースになり、それ以降、時を経るにつれその間隔が開いていく傾向を見せていく。

9月の頭に大きな変動があった。この変動はTwitterで断片的に呟かれていた、『小林多喜二と埴谷雄高』感想集をまとめた結果であると思われる。頂戴したレビューを見て購入を決めた方が複数人いたようだ。

69+α冊という数字をどう判断するかは人それぞれだろう。少なすぎるだとか、文学フリマならそれくらい簡単に、と感じる人もいるだろう。私個人として感想を述べて良いならば、反省点は色々あるものの、割合うまくいっている方だと思っている。元々、150部という刷り部数も、献本その他諸々を引いて、なお一年に一冊売れる本を作ろうとして、男性の平均寿命(つまり私が生きているだろう間)から逆算して導き出した数字だからだ。その意味でいえば売れ過ぎといってもいいかもしれない。

新しい「知り合い」の誕生?

自費出版をする時、よく用いられる定型的なアドバイスがある。つまり、「刷り部数は自分の知り合いの数に設定すること」。無名の書き手が書いた自費出版本は、知り合いが同情で買ってくれる程度のもので、それ以上過剰に刷り過ぎてはいけない、という意味だ。確かに、この忠告は、一面よく当たっていると思う。書店に平積みされる本ならばともかく、私のような無名研究者の書いた(一見専門的にみえる)一冊を、完全に未知の読者が、純粋な興味だけを動機にして手に取るような状況は考えにくい。『小林多喜二と埴谷雄高』を手にした読者の多くは、何らかの仕方で私と縁のある「知り合い」だ。これは実感として感じたことだ。

しかしながらその一方で、今の時代にあって、そもそも「知り合い」の概念そのものが自明でなくなっているのではないか、と感じたのも事実だ。どういうことか。既に示したように、私の自費出版はTwitterというSNSに深く依存している。これがFacebookではないというのが重要だ。

一般的にFacebookはリアルの友人知人との繋がりで活用されるサービスであるが、それに比べ、Twitterはそうでない人々との繋がりを誘発させる(相対的にいえば)オープンなメディアだ。実際、Twitter上で交流のあるアカウントの多くが、実際に会ったこともない未知の人々だ。名前しか知らない、もっといえば本名でないアカウント名しか知らない場合がTwitterでは多々ある。私自身Facebookのアカウントをもってはいるが、面倒なので一切放置している。それに比べてTwitterの更新頻度は極めて高い。

興味深いのは、そのような曖昧模糊とした人々が私の本を何冊も購入してくれたことだ。そうでなくては、社交性のない私が本来「知り合い」しか頼みにならない自費出版で100に届くほど売れるはずがない。知人のメールアドレスを数えるには片手があればそれで十分、それほどまでに私の「知り合い」は少ないのだから。古典的なアドバイスに従えば、明らかに私の本は刷り過ぎている。

いや、単に本を買ってもらっただけではない。彼らは拙著を大学図書館に納本してほしいという願いに応えてくれたり(http://ci.nii.ac.jp/ncid/BB1225640X)、金銭ではなく物々交換で本をやり取りする試みに応じてくれたり(http://www.en-soph.org/archives/24672647.html)、しばしば密なコミットメントを示してくれる。多くの感想を書いてくれたのも彼らだ。実際、先にリンクを貼った感想文集で実際に会ったことがあるのは一人だけだ。

Twitterのフォロアーは「知り合い」なのだろうか? この問いは従来の(自費出版関係でよく持ち出されてきた)「知り合い」概念に対して大きな揺さぶりをかけてくる。その新しい「知り合い」は、私のパーソナルな経歴や雰囲気や背格好を知らない。知っているのは私の(web上で公開している)テクストだけだ。推測してみれば、彼らはTwitterを始めとする細かなテクストに記された情報に基づき、その延長線上で、より大きなテクスト(本)が、面白そう/つまらなそう、といった判断をしたのだ。文字テクストによって更なる文字テクストが期待される。このような事態が、自費出版が延々頼みにしてきた従来の「知り合い」概念とは別様のアスペクトを見せていることは明らかだ。

というよりも、むしろこう言うべきかもしれない。テクストによって更なるテクストへの期待を誘発するそのカラクリは、端的に職業的な書き手に対するそれに近いのではないか、と。雑誌で立ち読みしてた記事がやっとまとめられたから買う、前のシリーズが好きだったから買う、書評が面白そうだったから買う、参考図書に挙げられてたから買う、引用されていたから買う、etc……。読書が更なる読書を呼び込む。本を増やすのは他ならぬ本そのものなのだ。新しい「知り合い」を通じた自費出版の来るべき戦略は、古典的に商業出版が用いてきたそれと、一周回って、(結果的に)瓜二つになってしまうようにみえる。「知り合い」概念の自明さが崩れているように見えるのは、きっと、そういう理由によるのだと思う。

自費出版のコミュニケーション

瑣末なことだが、この話も書いておきたい。私の経験からすると、自費出版をした若い人が一番難儀するのは、自身に降りかかってくる憐れみの情に対してどう対応するか、ということだと思う。世の中の人の大部分は、自費出版とは「作家」という栄誉を与える代わりに素人から高額な出版費用をふんだくる出版社の悪だくみだと考えている。例えば、強引な自費出版勧誘で(一部で)有名な某社に対するネット上の悪評の数々をみればそれは一目瞭然だ。その観点からすると、自費出版した者は、出版社の甘い罠にはめられた頭の悪いカモであり、憐憫に値する、つまり「可哀想な奴」にすぎない、というわけだ。

憐憫に対するコミュニケーションは一般的に困難なものであるが、自費出版被害者とみなされた、若い人が(最後の思い出に、と自伝などを出版してきた歴史のある老人のケースと比べ)、「お前は騙されているんだ」といったニュアンスの忠告を受け取ったとき、その対応は悩むものがある。そして、この窮屈さが、しばしば言われる、「自費出版=恥ずかしいもの」という固定観念を強化しているようにみえる。

そういった観念を内面化した人間を説得するのは極めて難しい。私の場合、彼らを説得するのは無理だと感じたので、愛想笑いをしながらずっと無視していた気がする。コストを心配して「Kindleで出せばよかったのに」という人もいたが、今日の日本の電子書籍普及率からいって、それでは多くの読者は望めないし、そもそも私はインターネット上にテクストを公開しており、その外にいる読者に更に本を届けたいと思うのならば、本の物質性にこだわるしかなかった。感想集が作れるほどに、感想を頂けたのは、物的な本というパッケージングを経て初めてのことだった。「BCCKS」のようなサービスについても、ISBN取得や値段設定の問題によって、本来期待できる読者を遠ざけているようにみえた。20数万は必要不可欠なコストであるように思えたのだ。

実際問題、良心的な出版社だけが存在しているわけではないし、悪質な出版社への警戒を怠るべきではない。けれども、自費出版が恥ずかしいとは最初から最後まで思わなかった。というのも、島崎藤村の『破戒』(1906年、1500部)が、北一輝の『国体論及び純正社会主義』(1903年、500部)が、そして――これは拙著のエピグラフを飾ってくれた大事なテクストである――ドストエフスキー『悪霊』(1873年、3500部)が自費出版であることを私は知っていたからだ。出版は単なる手段に過ぎない。そこで製作され流通するテクストが良質か否か、感動的かどうかはまったく別次元の話だ。

その上で、まだ見ぬ未来の書き手たちのために彼等が無用な冒険をしないでも良いように、今後、自費出版コストが更に下がったり、或いは日本の電子書籍普及率が上がったりすることを私は願っている。

自分の限界を知ること

自費出版をしてみて一番ためになったのは、出版界に対して新しい視点(基準)をもてたということだ。簡単に、かつ露骨にいってみるならば、凡ゆる本が、「素人の私でもこんだけできてたのに、プロがこんなのしか作れないの?」という本と「あんなに血眼で頑張ったのに全然及ばないなんて、この著者、この編集者、流石だな」という本とに分節できるようになった。

人気の書き手を揃えて急ごしらえした対談本(新書)には、以前にもましてゲンナリするようになったし、細かい注の羅列が延々続くにも関わらず編集と校正が行き届いた専門書にはずっと敬意を感じるようになった。自分の経験が一個の物差しとなって、本に対する視界がとてもクリアーになったような気がした。その本にかけられた情熱や努力(そしてしばしば怠惰)が手に取るように感じられるのだ。

自分にもできること/自分にはできないこと。自費出版はその境界線を明らかにしてくれる。そのおかげか、「あの著者、俺に比べて実力もないくせにやたらに本書きやがって」だとか「誰にも評価されないのだから自分の書いたものを本にするなんて無理に決まってる」といった(大体が)無根拠で空想的に膨らんだ高慢や卑下を持たないようになった気がする。本を作ることはとても大変だ、けれどもバイト三ヶ月分くらいの金があれば自分だって本を作って売ってみることができる。その絶妙なバランスのリアリズムが、「書物」や「作者」に対する盲目的な信仰心を、適正な批判や敬意に変えるのだ。

自費出版をしても、一発逆転や一攫千金なんてできやしない。自分の死後に数々の名作のように翻って評価されて名声を勝ち取るかるかもしれない、といった文学青年の妄想みたいなことも、正直ウンザリだ。それは、現世では無力だけど本当は正しい振る舞いをしているのだから天国に行けばボクは救われるんだ、というニーチェが嫌ったルサンチマンの論理の変形でしかない。自費出版なんかしても、歴史に名は残らないし、日常は変わらないし、誰も何も救わない。

けれども、自費出版をしてみて本が更に好きになった。書くことを続けたいと思った。大切なことは、書く歓びであり、書くことで自分が歓ぶならば書けばいいし、逆に自分が苦しむのならばやめたらいい。所詮は手段にすぎない出版も同じだ。自分が歓ぶならすればいいし、そうでなければしなければいい。自費出版はきっと、そういうシンプルな話に戻るべきなのだ。そんなふうに私は思う。

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