Editor’s note

2014年3月20日
posted by 仲俣暁生

「マガジン航」では通常の記事(ブログ欄に掲載)のほかに、連載企画やインタビューをはじめとする読み応えのある長い記事を固定ページとして掲載しており、そこへのリンク(目次)を画面右のサイドバーに掲載しています。そのコーナーのひとつである「ロングインタビュー、対談」欄に、「江弘毅氏に聞く、「街的」独特編集術」を追加しました。大阪在住のライター・櫻井一哉さんによる、元「ミーツ・リージョナル」編集長・江弘毅さんへの取材記事です。

江さんは現在、編集出版集団140B(イチヨンマルビー)の代表として活躍中です。その多彩な仕事を知りたい方は、櫻井さんの記事にくわえて上記のサイトもご参照ください。

また江さんは編集者・出版者としての仕事と同時に、「物書き」としても精力的に活動しておられます。記事の末尾でその一部を紹介した江さんの著作のうち、京都・錦小路にある庖丁・料理道具店、創業1560年の老舗「有次(ありつぐ)」を取材した『有次と庖丁』は今月に刊行されたばかり。インタビューで語られた彼の「編集」観や「街」観とどのようにリンクする本なのか、とても楽しみです。

『有次と庖丁』(新潮社)

コミュニティとメディアの関係は?

じつは私自身はまだ、江弘毅さんにお目にかかったことはないのですが、「ミーツ・リージョナル」という雑誌とはご縁があります。2011年秋に刊行した拙著『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社刊)は、この雑誌での連載を中心にまとめたものでした。私自身も首都圏の地域情報誌「シティロード」を編集していたことがあり、街や地域と雑誌メディアの関係には、いまも強い関心があります。

インターネットの普及により紙の雑誌、ことに「情報誌」はその役割を終えた、という議論があります。一面ではその通りなのでしょうが、江さんの話をうかがうと、コミュニティとメディアの関係は、もうちょっと複雑なようです。たとえば東京でも、23の特別区をひとつずつ順番にとりあげていくという、「ハイパーローカル」をコンセプトにした雑誌「To Magazine」が話題になっています(創刊号は足立区、第2号は目黒区、第3号は中野区特集で4月10日発売予定)。

 

TOmagazine(トゥマガジン)

そうした観点から、先の記事で私が気になった江さんの発言箇所を引用してみます。

 雑誌の場合、読者の横について一緒に走るというか、時間を共有しますよね。スポーツ観戦もそうやないですか。走り高跳びの新記録って2m50cmくらい? 世界新記録がでる瞬間って、結果だけを見ているのではなく「すごいきれいな走り方をしてる!」「背面跳びやん!」。それで失敗し、バーを「バシャ!」って落としたところでも拍手。そういう時間をみんなで共有しますよね。雑誌を読むのも同じ「伴走する感覚」があります。

一方、インターネットは「無時間モデル」です。バーを超える瞬間はニュースされるけど、結果を知るまでの時間は短い方がいい。価格ドットコムでも、一番安いものに即アクセスしますよね。検索かますと一気にダダダダって出てきます。そのなかのどれを選ぶのかがリテラシーだと言われてるんですが、リテラシーも蜂の頭もなくて最初から最後まで時間をどう共有させて「へええ!」と思わせるかです。そして、最後に次は「コイツら次、何やんねやろ?」と思わせたら、また本が売れるやないですか。

もうひとつ。

 例えば、グルメライターがフランス料理について書く時「リヨンの三ツ星、ポール・ボキューズで7年修行して、スペシャリテはバルバリ産の鴨のアニスソース…」って、これ全部記号やないですか。数値化され、記号化された情報だけで全部書けてしまう。そこが消費社会のコアなところでしょう。でも、そのコアな部分の周囲には、消費社会とモノを作る社会があって、さらにコミュニティがある。それをズボーッと串刺しにして書かないとだめです。

いかがでしょう? 魅力的な独特の語り口に、ついつい引き込まれてしまいますが、なかでも私は「伴走する感覚」という表現に刺激を受けました。紙の雑誌だけでなく、「雑誌」的なデジタルメディアにおいても、そうした「時間の共有」や「伴走」あるいは「コミュニティ」の感覚は必要だと、この「マガジン航」という「雑誌」をつくりながら、私自身もつねに感じています。メディアが依拠する「コミュニティ」には、地域という物理的空間だけでなく、趣味嗜好や興味関心(あるいは主義主張も?)によって形成されるコミュニティも含まれると考えるからです。


「スペクテイター」29号
特集「SEEK & FIND Whole Earth Catalog」

かつてハワード・ラインゴールドは、コンピュータ・ネットワーク上に形成されるインフォーマルな人間関係をvirtual communityと名づけました。「スペクテイター」の第29号「ホール・アース・カタログ」特集(SEEK & FIND Whole Earth Catalog)には、私もThe WELLという草創期の「電子会議室」で生まれたコミュニティについての文章を寄稿しました。実空間でないとコミュニティは存在しえない、というのもどうやら極論のようです。

メディアとコミュニティをめぐる、きわめて刺激的な江さんのお話の続きは、ぜひ記事の本体でお読みください。

もっと東京以外の「コミュニティ発」のメディアを!

インターネットがこれだけ利用される時代になっても、メディアの送り手はいまだに東京に集中しています。そのため本や雑誌の話は(紙でも電子でも)無自覚なまま、つい「東京」発の話題になりがちです。あらためて考えなくてはならないのは、そうした現実が意味するのは、どういうことなのか、ということではないでしょうか。

「出版は東京の地場産業」という言い方もありますが、だれでもどこからでも「publish」が可能な時代に、あまりにも東京中心の見方が、出版の世界ではまかり通っている。私自身は先の震災のときに、そのことを強く感じました。東京以外のところで育まれているリアリティや、そこから生まれるコンテンツやコンテキストを、このままでは見落す危険性が大きいのではないか。それは「紙」か「電子」かという問題設定より、はるかに大きなことだという気がします。

かつて「地方出版」という言葉がありましたが、正直にいえば、私はこの言い方が好きではありません。東京を「中央」と考え、それ以外を「地方」とみなす思考法とは違ったところで、さまざまな実践がすでに行われています。

たとえばさきの「スペクテイター」誌は、東日本大震災後に編集部を東京から長野県長野市に移しています。東京という地域を題材にする「TO Magazine」があえて「ハイパーローカル」と名乗るのも、東京という場所のことを「中央」としてとは別の視点で眺める感覚があるからでしょう。「ホール・アース・カタログ」(バックナンバーがこのサイトで見られます)のグローバルな視点も、「中央」対「地方」という思考法からはもっとも遠いところにあった気がします。

リアリティというものは一枚岩ではなく、当然ながら「場所」や「時」、そしてもちろん「人」によって異なります。その繊細さに気づけないでいるのは、もしかすると東京という「地方」にいることに慣れすぎた出版業界のほうかもしれません。というわけで、「マガジン航」では紙・電子を問わず、「東京以外のコミュニティ」から発信される出版物や、その著者・編集者・パブリッシャーについての記事を今後も充実させていきたいと考えています。

ご自身の経験でも、取材でもけっこうです。企画案のある方は「マガジン航」編集部まで気軽にご連絡ください。

*  *  *

[3月25日追記]
まったく偶然ですが、3月27日(木)から6月15日(日)までの間、47の都道府県からローカルなコミュニティ発の雑誌をあつめた「文化誌が街の意識を変える展」という展覧会が、d47 MUSEUM(東京・渋谷ヒカリエ8F)にて開催されるそうです。上のコラムで言及した東京の「ToMagazine」や、江弘毅さんが創刊した大阪の「ミーツ・リージョナル」をはじめ、全国各地から個性派雑誌が集合(参加雑誌の一覧は下記サイトを参照)。この機会に、自分の住む街とは別の「ローカルなコミュニティ」発の雑誌に触れてみてはいかがでしょう?

「文化誌が街の意識を変える展」
http://www.d-department.com/event/event.shtml?id=2301755545660853

執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。