EUが電子書籍のVAT軽減税率を認めないわけ

2015年3月10日
posted by 山本浩幸

3月5日、EU司法裁判所はフランスとルクセンブルクが電子書籍に適用していたVATの軽減税率をEU法違反と判決した(判決文[PDF]。下はこの判決を報じたニュース映像)。この2国は、電子書籍を紙の本と同じ扱いとして、2012年からフランスは5.5%、ルクセンブルクは3%と軽い税率で販売することを許可していた。

他のEU加盟国は電子書籍を「電子的なサービス品目」として扱い、20%前後の税率を適用していたため、統一市場として不平等な競争の様相を呈していた。 EUの今回の判断は、「電子書籍は紙の本とは違う」「加盟国はEUの税制を遵守し足並みを揃えなければならない」というメッセージを明確に発した。


© European Union, 2015

EUの付加価値税体系はどうなっているか

この記事を書いている私はベルギーの首都、そして欧州の首都とも称されるブリュッセル在住である。ベルギーでは基本税率は21%。法人税や所得税も利益の半分が持っていかれる。欧州の税は重い。

そもそも、EU加盟国では日本の消費税にあたるVAT(付加価値税)が基本的に20%前後に設定されている。日本は2014年に8%になって大騒ぎだったが、ヨーロッパではその倍以上である。しかし、すべての品目ではない。食料品や水道水、医薬品、そして書籍雑誌など日常生活や文化に関するものには軽減税率が適用されている。例えば、紙の書籍をベルギーで買うと税率は6%。日本の消費税よりも安い。(参考:主要国の付加価値税の概要[財務省])

一般消費者の心理としては、同じものならより安く買いたいのは当然である。そして、紙の本が電子になった途端に20%の高税率がかけられるのは理解に苦しむ。文化は保護されてしかるべきではないか。芸術大国フランスに横暴な税制をしいるとは、けしからん判決だと思う方も多いだろう。

しかし、いったん整理して考えてみよう。EUの理念は、戦争を回避するため軍事と政治を連携させ、経済的に団結して統一市場によるダイナミックな動きを実現する、そのためにはEUで共通のルールを作って加盟国はそれを遵守するというところにある。EUの行政を司る欧州委員会には、競争法という分野で大臣にあたるコミッショナーが存在するほどだ。つまりEUで決められることが各国の法律より上位にある。EU法違反や財政規律違反は制裁もしくは追放の対象になる。

電子書籍に軽減税率が認められない理由

ならば、EUはどういった品目を軽減税率の適用対象としているのか? 答えは明確である。「VAT指令のAnnex IIIに掲載されている品目」[PDF p.69]。ここに書籍が含まれている。ただし、その記述は非常に限定的なものであることに注意したい。「物理的な媒体による本の提供」に対してと明視されている。

supply, including on loan by libraries, of books on all physical means of support (including brochures, leaflets and similar printed matter, children’s picture, drawing or colouring books, music printed or in manuscript form, maps and hydrographic or similar charts), newspapers and periodicals, other than material wholly or predominantly devoted to advertising

これをご覧いただくと分かるが、「ぬり絵の本」「楽譜」などは具体的な種類まであがっており、軽減税率を適用してよいことになっている。しかし、この法律の文言からは電子書籍に軽減税率を適用してよいとは読みとれない。

今回、法廷が出した結論は「たしかに電子書籍を読むためにはパソコンやブックリーダーなどの物理的な装置を必要とするが、電子書籍の提供にそのような物体は含まれていない。したがってAnnex IIIのリストに含まれるものではない」というものだ。また欧州委員会は、VAT指令のなかで軽減税率も含めてすべてのVAT税率は原則として5%以下にすることを禁じると定められているにも関わらず、ルクセンブルクが3%という超軽減税率を適用したことを批難している。

フランスとルクセンブルクの気持ちも分からないではない。「電子書籍は紙媒体の書籍と実質的に同じものである」というのがこの2国の基本的スタンスといえる。消費者の心理としてもそうだろう。安いに越したことはない。

これまでの3年間の軽減税率適用についてフランスとルクセンブルクに罰則が課せられるかどうかは現時点ではっきりしないが、この判決を受けて2国はすみやかに税制を変更する義務が課せられた。さらに独自の税制を強行する場合は、より強制力のある制裁が行使される可能性も高まる。もし電子書籍への課税を軽減したければ、EU指令自体を書き換えてから、という段階を踏む必要があったことは事実である。

本当の敵はアメリカ

一見するとEU内で争っているように見えるが、本当の敵は別のところにいる。アメリカである。

スノーデン事件より話題性が低いかもしれないが、国際企業を揺るがしたルクスリークス(Luxleaks)という情報の漏洩事件が2014年11月に発生している。ルクセンブルクの税務当局とコンサルティング会社の極秘書類が流出した事件だ。同国は1990年代初頭から国際企業が欧州の拠点とする場所になっていた。誘致のために優遇税制を敷いたからである。

出版関係ではAmazon を筆頭に、Barnes & NobleのNook、KoboなどがルクセンブルクのVAT 3%の有利な税率で競争していた。実質的に租税回避のための非常にグレイな企業戦略である。さらにAmazonに関しては二重にイカサマをしていた疑いが濃厚だ。EU内で得られた利益をAmazonはルクセンブルクで計上している。しかし、そのお金はルクセンブルク以外で税申告している関連企業にロイヤルティーを支払う方法で利益を低く見せていた。

1990年代から比較的最近まで、ルクセンブルクの首相や財務大臣を歴任していたのが、現欧州委員会の委員長ジャン=クロード・ユンケルだ。脱税大国ルクセンブルクを作った張本人がEUの公平な競争を論じ、EU司法裁判所の所在地であるルクセンブルクで今回の判決が出たことは、運命の皮肉としか言いようがない。

とにかく、この一連の展開は、ルクセンブルクを足がかりにEU市場に土足で侵入したAmazonを撃退して、欧州独自の電子書籍市場を形成したいというシナリオにそって物語が進んでいる。これと合わせて考えたいのが、EUでは2015年1月から、「電子書籍の税率は販売サイトの国ではなく、購入者の居住地によって決定される」と、すでに法律が変更になっていることである。例えば、ベルギー在住の私が電子書籍をネットで買う場合、販売サイトがルクセンブルクであろうがイギリスであろうが、私の居住地であるベルギーの税21%を払うことになる。

まずは「公平さ」を確保することで、ルクセンブルクの税収は激減し、イギリス、ドイツの税収が伸びると予想されている。今後の課題は「電子書籍と紙の本のバランスの取れた税率を決める」ことにある。

電子書籍の税率をめぐる各国の動きは混乱している。「物理的な媒体だったらいい」を拡大解釈して書籍情報をメモリー・カードやCDに入れる企業が現れたり、イタリアではISBNが紙と電子の違いを差別しないことに目をつけてISBNコードがついていれば4%の税率にすると決めた。マルタも同様に5%にした(2015年1月から施行されている)。こうした動きを欧州委員会とEU司法裁判所は黙って見ていないだろう。また、イギリスはEUの市場に参入する際に交渉した結果として紙の本は0%の無税である。電子は20%とEU法を遵守しているものの、イギリス出版関係者のなかには電子書籍も無税にすべきという意見も多い。

イノヴェーション潰しにはあらず

高税率に批判が高まっているものの、EUは電子書籍のイノヴェーションを潰そうとしているわけでは決してない。欧州委員会自体も従来の紙の本と電子書籍の税率を同じものにする方向性で動くことは可能かどうか、かなり前から議論を開始している。EUには「同等の商品には同等の税率を」という大原則が存在する。おおよそ15%の税率の乖離は、しだいに是正されていくと見られている。

私個人の生活感覚から言えば、当面は10%前後の税率が妥当なのではないだろうかという気がしている。そして、煩雑な計算を避けるためには税率はEU域内共通としたほうが賢明ではないか。文化的貢献度を考えれば20%ではいかにも高すぎる。逆に印刷や流通のコストを大幅にカットできる電子書籍というメディアの性質上、一気に紙媒体と同じ5%ほどにすると従来の紙媒体の競争力が突然低下してしまう。時間をかけて段階的に差を埋めていくほうが合理的と思われる。

EUは電子書籍と税の問題に方向性を見出そうと、もがいている。文化の促進者か、軽減税率の不正利用者か、禍中のフランスとルクセンブルクの真価が問われるのはEU全体の税制改正という次の章のようだ。

※山本浩幸さん運営のベルギー情報サイト「青い鳥」の記事「EU司法裁判所が「電子書籍への軽減VAT税率はEU法違反」と判決」(2015年3月8日)を加筆のうえ転載したものです。

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床の抜けない「自分だけの部屋」のその後

2015年3月2日
posted by 西牟田靖

妻が子どもを連れて家を出てからまもなく一年がたつ。それは一人暮らしを始めてからはや一年がたつ、ということでもある。去年の3月初旬といえば、別居が既定路線となっていたころだ。残された日々を淡々と、それでいて噛みしめるようにして、すごしていた。そして3月半ばには、木造アパートから新居へ荷物を移し、下旬にはついに妻子と別居することになったのだ。一年前のことを思い出すことは今もつらいし、後悔もある。かといってもはや後戻りができないということも事実である。

軌道に乗った再出発

yukanuke_cover秋以降、「床抜けシリーズ」を書籍としてまとめるべく、加筆修正作業に精を出した。ウェブで書いたものをまとめるという作業にさほど手間はかからないはずだと、取りかかる前は決め込んでいた。

ところが実際、作業に取りかかると膨大な作業量となった。それらの作業をなんとか終えたのは2月に入ってからのことだ。作業完了が思いのほか遅れたため、刊行することになった日程は、奇しくも別居から一年後の3月となった。

『本で床は抜けるのか』は本の雑誌社から3月5日に全国の書店で出版されます。ウェブ連載時の文章よりはずっと読みやすいし、新しい章を新設したりもしていますので、ウェブ版で全部読んでしまった方々にもお勧めです。よろしくお願いします。

さて。

床抜け危機の終焉と寂しい一人暮らしの開始から一年後、どうなったのか。出版のPRも兼ねて、以下の通り、近況を紹介してみることにしよう。

『本の雑誌』3月号の「本を処分する100の方法!」という特集にも書いたことだが、引っ越す前、僕の蔵書は約2000冊あった。新居に持ってきた紙の本は700〜800冊で、そのほかは電子化すべく外注した。ここ一年の間に増えた紙の本や雑誌は150冊ほどに上り、そのうちで購入した分は114冊である。

一方、購入した電子書籍はたったの8冊だけである。蔵書の半数以上を電子化するぐらいなのだから、最初から電子版を買えばいいのだがそううまくはいかない。そもそも電子版が出ていないことが多いし、購入した後で電子書籍の販売サイトが閉鎖されて読めなくなることを思い、二の足を踏んでしまうのだ。

そうして紙の本は着々と増えている。それでも今のところは何とか収納できている。というのも引っ越したとき、机の下の本棚スペースにまだ空きがあったからだ。スペースを節約すれば、これからしばらくはまだ置けるはずだ。

電子化した本はiPadや21.5インチのタブレットでときおり読んでいる。電子書籍の場合、紙の本のように、本の重さや紙の手触り、インクの臭いといったその本特有の特徴を感じながら読書をするというわけにはいかない。だからなのか一冊読み切っても、内容が頭に残りにくい。それでもさほど不便は感じないし不満は少ない。

電子書籍が並ぶ電子書棚。その運用状況は、大多数を紙の本として持っていたときと、さほど変化がない。「i文庫」のアプリを開いて電子書棚をながめるという行為は日常的におこなっている。また、電子書棚から電子書籍を選び出し、開いて読むという行為も、週に数回ほどおこなっている。

電子書籍での読書は紙の本に比べて物足りないのは確かなことだ。しかしそれでも構わないと僕は思っている。データの検索をしたり、読み返したりというのが、蔵書を抱えている一番の理由なのだから、電子書籍でじゅうぶん事足りる。紙の本で部屋が占拠されてまで持っている必要を感じない。

家族と暮らせなくなった喪失感はなかなかぬぐえるものではないし、洞窟のような広さしかない部屋は正直狭い。風呂はついていないし、水道がさびていたり、サッシの立て付けが悪かったりと、あちこち老朽化が目立つ。

それでも床が鉄筋だという安心感には代えがたいものがある。天井まで届く本棚を壁一面に並べ、本をぎっしり詰めていても、びくともしない。床が抜けたらどうしようと心配し、安心して眠れなかった3年前の今頃のことが遠い昔の出来事として思えてしまう。「自分だけの部屋」での生活に僕は今のところ満足している。

風雲急を告げる

このままずっと同じ調子でいくならば、「自分だけの部屋」での再起は果たせたはずだ。ところがこのところ、雲行きが怪しくなってきた。

昨年秋にマンションのオーナーが変更となったことがきっかけだった。同年の2月に物件の契約をしたとき、不動産屋は「物件を取り壊したり、大規模な改修をしたりはしない」と明言したというのに、新しいオーナーはその約束を反故にしたのだ。

それが分かったのは昨年の秋のこと。各世帯のドアポストに「物件の契約更新はしない」と記した文書が投函してあったのだ。条件を照らし合わせると、僕のリミットは来年、2016年2月となる。文書を読んだときは愕然とした。再出発がようやく軌道に乗ろうとしていたというのに、これに従うのなら、最初から拠点を作り直さざるを得なくなる。

文書を目にしたとき、賽の河原で、鬼に石の山を崩された死者が味わうのと同じ、空しさと悔しさでたちまち頭がいっぱいになった。とはいえ、2016年2月まではまだ一年以上あるわけだから、早くても秋になるころに動けば間に合うはずだ。だったら一旦は忘れよう。そう思い、問題を棚上げにした。

ところがだ。そうも言ってられなくなった。2月に入ってから、オーナーが直々、だめ押しの電話をかけてきたからだ。

「西牟田さんですか。マンションのオーナーの者です」
「はい。突然なんでしょうか」
「4月には引っ越してほしいんですよ」

その時点で4月に入るまでにあと2カ月しかなかった。引っ越しというのは、物件選びに始まり、荷作りや荷物の移動、荷解きに不要物の廃棄、連絡先の変更届けに、引っ越し先の環境への順応と、やらなきゃいけないことが山積して、かなり面倒だ。書き仕事そっちのけでそれらの作業に取り組めば何とかなるが、住み始めてまだ1年も経っていないのだ。はっきり言って無茶苦茶な要求である。たちまち僕はかっとなって反論した。

「話が違いますよ。昨年の2月に契約したとき、古びているが取り壊したり大規模改修の可能性はないという話でしたよ」
「こっちだってそうだよ。だけど手に入れてみりゃ、水道の配管はさびてて苦情は来るわ、ガス管は廊下にむき出しだし。すごく出費を強いられてて困ってるんだよ。だから修理をするしかないの。だからここから出て行ってくれ」
「そんなの寝耳に水ですよ。いま言われて、はい分かりました、だなんて言えるはずがないですよ」
「なんだと立ち退かねえって言ってるのか。この野郎。おまえがもし来年2月まで住むというなら、立ち退き料は一円たりとも払わんぞ。わかったか、こら」

バブルの時期に地上げにいそしんだときの脅し癖がつい出てしまったということなのか。それとも単に直情型の性格の持ち主なのか。にわかには分からなかったが、電話口で脅された、ということだけは確かだ。彼の暴力的な物言いに僕は腹をたてた。

とはいえだ。こちらが怒って交渉を決裂させてもろくなことがない。ずっと住み続けた場合、廃墟のように閑散とした建物となってしまうだろう。こういう人物の場合、住む者の権利を主張し続けたら、再び恫喝してくるに決まっている。遅れれば遅れるほど立ち退き料を減らしていくこともなんとなく察しがつく。だったら、時期はともかく立ち退く意思だけは伝えておいた方がいい。そんなことを考えていたら、少し冷静になれた。そして、なだめすかすように言った。

「あの。恫喝はやめてください。気に入って住んでるんですから。引っ越そうにも、そんな簡単に見つかるかどうか。仕事の都合とかもありますから、探す手間をすぐにかけられるわけではない。探して探してこの物件を見つけたんですから、そう簡単に見つかるとは思えないですよ。ぼちぼちと探してはみますが」
「だったらいつごろ出られる」
「少なくとも4月は無理です。探し始めるのがそのぐらいだとしても数ヶ月はかかるでしょう」
「じゃあ5月でどうだ」
「それでも難しいと思います」
「じゃ6月までには引っ越してくれよな。家賃の10カ月分、用意するつもりだから」
「順調に引っ越し先が見つかるかは、探してみないとどうなるか分からないですけどね」
「頼むよ」

せっかく手に入れた「自分だけの部屋」だったが、こうして離れざるを得なくなった。中央線の高円寺駅から徒歩8分、鉄筋コンクリート造りの20平米で4万2千円という、これまでのような破格の条件で物件が見つかるとは思えないが、今度こそ長く住める物件を見つけられればと思う。

そんな経緯によって、本で床が抜けないことに加え、立ち退きを迫られそうにない、ということが、引っ越し先を選ぶ必須条件となった。やっと見つけた「自分だけの部屋」で生活できる日数はあとわずか。狭くて、風呂がなくて、ぼろすぎる部屋での生活は快適さからはほど遠いものがある。それでも、離れざるを得なくなったことで、急にいとおしく思えてきた。ここでの生活が終わるその日まで、一日一日大切に、噛みしめるようにしてすごすつもりだ。そして新しい部屋で、再起の続きを図っていきたい。

ようやく手に入れた床の抜けない「自分だけの部屋」を、また出て行くことになった。

* * *

本文中でも言及されていますが、「床ぬけ」シリーズをまとめた単行本、『本で床は抜けるのか』が本の雑誌社から3月5日に発売されます。また、この本の刊行を記念して、発売日の3月5日に西牟田さんと「マガジン航」編集人がトークイベントを行います。ぜひふるってご来場ください!

日時;2015年3月5日(木) 19:00~21:00
料金:500円
会場:川口市立映像・情報メディアセンター メディアセブン
ワークスタジオB

※詳細はこちらを参照
http://neokawaguchi.jp/wordpress/archives/1691

なお、単行本発売後も、「マガジン航」の記事は引き続きごらんいただけます。単行本化にあたって加筆されていますので、どちらもお楽しみください。

池澤夏樹電子全集プロジェクトにたずさわって

2015年2月26日
posted by 八巻美恵

昨年来、池澤夏樹の書籍が続々と電子化されているのを知っていますか?

2014年7月1日に発表されて、それからほぼ予定通りに進んできた。シリーズ名は impala e-books、発行は ixtan、製作・発売はボイジャー。著者の池澤夏樹さんをはじめとして、このプロジェクトにはたくさんの人々がかかわっている。私もそのなかのひとりで、製作のうちの、テキストの編集をし、それを電子ファイルに変換するところまでを担当している。大きなプロジェクトのごく一部を担い、半年あまり作業を続けてきた。

池澤作品のアーカイヴ

これを書いている2015年2月23日現在、すでに発売されているのは25冊、最終のチェック段階にあり、発売間近なものが2冊ある。ふつうの読書でも半年の間に一人の作家の作品を20冊以上読むのはかなりなことだと思うが、電子化のための編集となれば、池澤夏樹のテキストにまみれていると言っても全然おおげさではない。池澤さんの著書は厚いものが多い。どちらも底本で600ページを超えるふたつの長編小説『静かな大地』『マシアス・ギリの失脚』も入っているのだ。

ひとりの作家の作品が25冊まとまって読める状態になって、そこにある。『現代世界の十大小説』のように、紙の書籍と同時発売となった幸運な例もあるが、多くは品切れ状態だったものが蘇ったものだ。まだ小規模だとはいえ、これは池澤夏樹の作品のアーカイヴとしての機能を持つようになってきたと思う。

たとえば『現代世界の十大小説』の第一章「マジックなリアリズム ガブリエル・ガルシア=マルケス『百年の孤独』」を読めば、『マシアス・ギリの失脚』は池澤夏樹にとっての『百年の孤独』だということがわかる。またエッセイで緻密に書かれていることが、小説のなかにエピソードとして登場していることも発見できて楽しい。

もちろん読みかたは読者ひとりひとりに委ねられているから、どんなふうに読んでもいいのだが、作品が読める状態になければ、読書の楽しみは遠のく。それだけではなく、そのうち作品自体が忘れられてしまう可能性は意外に高いのだ。著作権保護期間が死後50年と定められている今だってそうなのだから、それが70年に引き伸ばされる見込みが強くなったことを考えると、金銭的な恩恵をうけると決まっているごく一部を除けば、作品の多くは存在自体が忘れられる可能性はぐんと高まるだろう。

電子化の底本には作業用の付箋がびっしり。

印刷されて出版された本は、品切れや絶版になっても、モノとしての本が古書として存在し続けている。今回も電子化にあたって必要な底本の何冊かは古書で入手できたわけだから、そのこと自体は喜ばしい。とはいえ、ほんとにそれだけでいいの? という疑問はふつふつと湧いてくる。

本は誰かに読まれたところで完了するメディアだと思う。読まれること、持続して読まれることを求めている。新刊書がひと月で書店からさっさと姿を消すことを前提に作られているのなら、読み継がれていくためにもっとも効果があるのは、著者自身が自作のアーカイヴを用意することではないだろうか、池澤夏樹さんのように。パソコンで書いているのなら、データはあるのだし、それを電子本にするためのツールだって、もはや実用の域に達している。古書だけの世界よりは電子ブックという別の選択肢があるのを本は喜ぶと思う。

OCRの読み取りは、200字にひとつ誤字がある

電子化の実際について書いておこう。

私に送られてくるのは、ほとんどは底本から OCR を経てテキスト化されたデータだ。電子本に変換するために使うのは Romancer というボイジャーが開発を続けているツールで、ユーザー登録すれば誰でも無料で使うことができる。このツールが変換のために要請しているのはマイクロソフトのWordのフォーマット、「.docx」だ。だから、まずはテキストをWordに取り込み、とりあえずは章や見出しのタイトルだけにスタイルを設定し、そして Romancer に登録して変換のボタンを押す。変換のための設定は使っているウェブブラウザーでおこなえる。

しばらくすると、同じブラウザーに縦書きで表示される(「池澤夏樹電子全集」ではそのように設定したわけで、もちろん横書きでも設定できる)。同時に EPUB のデータが生成される。このふたつをその後の文字校正およびテキストのレイアウトを決めるために使うのが私のやりかただ。いいやりかたなのかどうかは誰も教えてくれない。ひとまず縦書きになっていると、縦書きの底本との照合はやりやすい。見やすいがためについ見逃すこともあるのは悩みの小さな種子だったりするけれど。

OCR の精度は最低でも99.5パーセントと言われている。一瞬、すごい、と驚いたが、冷静に考えてみると200字にひとつは誤字があるということだから、チェックする立場からは、すごい、というよりは、ひどい、というほうが正しいだろう。しかも誤字は OCR にしかできない独特なものなのだ。

たとえば、「日本」が「臼本」となっていたのは、すぐに気づいて笑いながら修正した。でも「池澤」が「地澤」、「山羊」が「出羊」、「若者」が「著者」になっていたのなどは見逃した(もちろん、もっとある)。わかったあとでは、なぜ見逃したのか不思議なほどの誤植だが、チェックしているのは自分の人間としての眼と脳なので、機械の眼と脳に追いついていないのだろうと思う。だからチェックは一人で済ませるのではなく、二重体制になっている。

電子の本では、テキストは「一本の紐」

作品として書かれたテキストは最初の文字から最後の文字まで、順序ただしく連なっている一本の紐のようなもので、それを中断するようなことがあってはいけない。そしてそのことをほんとうに実感するのは電子の本を作るときだ。紙の本を編集するときにも常識としてはわかっているけれど、紙に印刷することでテキストが一度フィックスされてしまえばその後は動かせない。だから編集作業は一行ごとに「動かせない」ことを前提に進めてしまうし、またそうでなければ美しく仕上げられない。

電子の本では、テキストは本来の流動的な一本の紐のままだ。読む人が使う機器によってレイアウトは違ってくる。だから編集するときにまずこころがけたのは、どのような表示であっても、テキストの長い紐の流れが滞ってはいけないということだった。テキストのサイズや書体は紙の本の場合よりずっと限られているし、あくまでも相対的な(=絶対値が指定できない)ものだから、できるだけ単純に。

ルビはどこで改行されて区切られてもいいように一文字ずつ設定する。理念としては単純でわかりやすいけれど、実践は手間がかかる。熟語としてのいくつかの文字列にルビを設定する場合には、ほぼ自動で正確な読みかたが表示される。しかし一文字ずつだと、熟語としての読みかたはほとんど出てこない。だから手動で入力しなければならない。

底本にあるイラストや写真を入れる場所も、できるだけテキストの流れを邪魔しないように気をつける。紙の本ではテキストの途中に写真などが入っていても、全体の一部として視覚されるせいか、あまり気にならない。しかし、スマートフォンなど小ぶりなモニタで同じものを見る場合には、写真一枚だけがモニタいっぱいに表示されることが多い。そうなると、読んでいるテキストが写真によって分断されてしまう。だからテキストには写真を入れたいのはここ、というところが必ずあるが、ずばりそこに置きたい欲望は抑えて、少なくとも段落の後などの区切りのある部分に置くことにする。

プログラマーとの終わりなき共同作業

一冊の電子本を世に出すのは、プログラマーとの共同作業だ。彼らとともに、これまで24冊も制作作業を続けてきたのだから、Romancer の機能は確かに進化し続けてきた。そして進化にとって必要なのは過去の素材だということも確かなことだった。その成果のひとつは『小説の羅針盤』の日夏耿之介の章で見ることができる。

池澤さんのテキストにはいわゆる「外字」も使われている。Romancer は JIS X 0213 を基本としているので、 JIS X 0213 の範囲内の文字であるならば、そのまま変換される。JIS X 0213 の範囲外の場合でも日本語の文字ならば、多くの場合、自動的に画像として使った外字に変換してくれる(それでも変換できない場合は、エラーメッセージが出る)。背後でなんらかの自動処理がされているらしいが、つまりは Word で入力してちゃんと表示される文字ならばこちらとしては OK ということだ。

ところが、引用されている日夏耿之介の詩には見たことのない漢字がいくつかあるし、ほぼ総ルビなのだ。テキストデータでは入力できない漢字には、代わりに懐かしい「〓」という記号が入っている。その漢字をまず底本で確認して漢語辞典で調べ、JIS X 0213 にもないことがわかったら、それは画像にするほかない。しかもその漢字にはルビがふってあるのだ。だから画像にルビをふった。

とことんあきらめないで過去の遺産の再現を試みるのがプログラマーの心意気というもの。以下のページでその成果を見てほしい。どれがその漢字かわかるだろうか。未来はいつだって過去にあることを忘れてはいけないと、しみじみ思う。

日夏耿之介の詩の一節。このなかに一つ、JIS X 0213にもなかった「外字」があるのがわかるだろうか。

時にはページの上のゴミのような、テキストではないものをも OCR は最大限の努力でなんらかの記号に置き換えてくれる。それに気づかずに Romancer で変換をおこなうと、「文字化けの可能性がある文字が使われています」というエラーが出て、変換は途中でキャンセルされてしまう。OCR さま、働きすぎないでください、と言いたい。

最初に手にしたときからパソコンはずっと Mac を使ってきた。さらに、日頃はワープロソフトよりもテキストエディターを使っている。だから私と Word とはあまり相性がいいとはいえない。むしろ使うのを意識して避けてきたのに、最近では毎日つきあっている。あまり合理的な人生とはいえないが、おもしろい。冒頭に、池澤夏樹のテキストにまみれている、と書いた。それなのに、というべきか、それだからこそ、というべきか、池澤さんの新しい長編小説を読みたいと思い続けている。テキストの力とはそういうものなのだ。

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日本独立作家同盟がNPO法人化へ

2015年2月22日
posted by 仲俣暁生

日本独立作家同盟は、2月20日に東京のアーツ千代田3331にて行われた記者会見で、これまでの任意団体から特定非営利活動法人(NPO法人)への改組を発表しました。この会見には30名以上の記者、メディア関係者、インディペンデント作家が参加し、活発な質疑応答が行われました。

会場はハフィントン・ポスト日本版の編集部などもある3331アーツ千代田の一階。

第一部はNPO法人の理事長となる鷹野さんによるプレゼンテーション。

インディペンデント作家の創作と出版活動を支援

日本独立作家同盟は、「マガジン航」でも寄稿者として活躍するフリーライターの鷹野凌さんが2013年9月1日に設立した、インディペンデント作家の創作と出版活動を支援するための団体です。

「マガジン航」では鷹野さんに、これまでに何度か日本独立作家同盟と「群雛」について記事を書いていただきました。これらの記事をお読みいただくと、その結成から現在までの経緯がよくわかると思います。

インディーズ作家よ、集え!(2013年10月31日公開)
同人雑誌「月刊群雛 (GunSu)」が目指すこと(2014年1月28日公開)
同人雑誌「月刊群雛 (GunSu)」の作り方
(2014年3月31日公開)

上の記事でも紹介されているとおり、日本独立作家同盟では雑誌「月刊群雛」を電子版とオンデマンド印刷版の両方で毎月刊行するほか、Google+でのコミュニティ「群雛ポータル」を運営し、自己出版作家同士の交流や作品発表の場をつくってきました。今回のNPO法人化は、その活動を持続可能にし、さらに広げていくためのものです。

会場受付には過去1年分の「群雛」のバックナンバー(オンデマンド版)が勢揃い。

特定非営利活動法人となった後の日本独立作家同盟では、鷹野さんが理事長をつとめます。また『Gene Mapper』の自己出版がきっかけで商業作家としてデビューしたSF作家の藤井太洋さん、「マガジン航」でもおなじみの文芸エージェントの大原ケイさんや、ジャーナリストのまつもとあつしさん、そして私自身も理事としてこの同盟に参加することになりました(全理事の名簿はプレスリリースを参照)。

NPO法人化の意図については、鷹野さんご自身が独立作家同盟のサイトでお書きになっているので、こちらもご覧ください。

日本独立作家同盟がNPO法人へ! 何が変わるの? 何が目的なの?

「新人賞」以外の新人登用の道をひろげる

以下では、私が理事として日本独立作家同盟に参加した動機と、今後への期待を述べることにします(第二部でのトークセッションの内容と若干重複します)。

日本の文芸の世界には「同人誌」の長い伝統があります。「同人誌」とは、編集・制作・印刷のコストを寄稿者(=同人)が出しあうことで成り立つ雑誌のこと。いわば紙による「自己出版」ですが、そこから多くの著名作家が巣立って職業作家になりました。近年ではむしろマンガの自主出版流通の方法としてよく知られていますが、「文学フリマ」のような文芸同人誌中心の即売会も続いています。

しかし、アマチュアバンドにライブハウスがあり、アマチュア劇団に小劇場があるようには、同人誌をはじめとするアマチュア作家の活動が人の目に触れる場が、日常的かつ多様に存在するわけでありません。商業出版物におけるそうした場は「書店」ですが、アマチュア作家に門戸が開かれているのはごく一部です。「文学フリマ」のような即売会も、年に数回かぎりの「特設ステージ」でしかありません。

本や雑誌の制作まではともかく、創作者自身がその流通を管理し、在庫まで抱えるのは、おのずと限界があります。創作者が社会人であれば本業とのかねあいもあり、なおさらです。いわゆる「自費出版」(自己出版とは異なり、多額の制作コストを創作者が負担し、編集から流通までを業者に丸投げする)という方法もありますが、その場合も配本される書店には限りがあります。

したがってアマチュア作家が多くの読者を獲得するには、「新人賞」というきわめて狭い関門を通り抜け、商業出版のルートに乗る必要がありました(なかには新人賞の受賞歴なしでいきなりデビューの作家もいますが、ごく例外です)。

私はこれまで、いくつかの小説新人賞で選考委員や「下読み」(一次審査)をしたことがあります。そのときの経験から述べると、「読者より書き手のほうが多い」としばしば揶揄されるとおり、小説新人賞にはいまもなお、若い人から現役引退後のシニア層まで、きわめて多種多様な人たちによる旺盛な応募があります。応募者の数は、ワープロやパソコンの登場により、それ以前より増えているかもしれません。

裾野が広がることは、どんな創作ジャンルにおいても、基本的に好ましいことです。ただし問題は、そうした玉石混交の広い裾野から、「玉」=「作家」を見つけ出すためにかかるコストです(ちなみに「作家」とは、たんにすぐれた作品を書く人ということではなく、よい作品を長期にわたり安定して生み出せる人のことです)。どんな世界でも「玉」は全体のごく一部(「スタージョンの法則」を想起せよ)ですが、新人賞応募作となれば、その比率はますます減ります。

公募の新人賞とは、腕に覚えのある書き手にとっての腕試しであり、かつ「賞金稼ぎ」の場でもあります。ただし、それは悪く言えば「宝くじ」のようなものにもなります。なまじ賞金というインセンティブがあるがゆえに、玉のみならず石をも引き寄せてしまうのです。母数が増えるほど非効率になるわけで、入社試験のエントリーシートのような感覚で応募されては、コストを負担する出版社としては、正直たまったものではありません。

ところで、「新人賞」という選考システムは、大学受験や入社試験におけるそれとは根本的に違います。採用すべき人員数に対して、応募者の上位から相対評価で決めていくわけにはいきません。存在しているかどうかわからない才能ある書き手との、偶然の出会いを待つしかない、そのような出会いがなければ「該当作なし」が続いても仕方ない、絶対評価の世界なのです(コルク新人賞が3回続けて「受賞作なし」だったのは、その意味では健全でしょう)。

フィルタリングか、ヘッドハンティングか

たった一人の書き手との「出会い」のために、数千から万に及ぶ対象に対して、人力でフィルターをかけるのが、これまでの「新人賞」でした。それと比べるなら、自己出版等によってネット上にすでに公開されている作品のなかから、有望な書き手をみつけるやり方は「ヘッドハンティング」に近いでしょうか。

ますます膨れあがっていく作家予備軍のなかから、優れた書き手(「作家」の卵)を発掘する仕組みとして、「新人賞」というフィルタリング以外の方法が、そろそろ出てきてよいはずです。いまはまだ過渡期ですが、ウェブを介した作品のディスカバラビリティー(被発見性)が、フィルタリングによるそれを凌駕するとき、「自己出版」>「新人賞」という不等式が成り立つようになるのかもしれません。

実際、今回の記者発表で鷹野さんが例として挙げた「小説家になろう」「Eエブリスタ」といった創作系の投稿プラットフォームでは、すでに十万〜百万単位の作品が「出版」されています。これほどの数の作品を、従来型の「新人賞」というフィルタリングで処理することはできません。逆にこれらの投稿プラットフォームからは、既成の新人賞を経由することなく、現実に多くの作家がすでに商業作家として「デビュー」しているのです。

もちろん、伝統ある文芸誌や小説誌の「新人賞」は、今後も登竜門として一定の機能を果たし続けるでしょう。「新人賞」という建前が崩れつつある芥川賞も、登竜門のさらに先にある究極の目標として当面は存在しつづけるでしょう。しかしそうした「登竜門」とは別に、才能ある書き手が適切に見出され、作品が少しでも多くの読者を獲得できる仕組みが、ウェブと電子書籍を組み合わせることで可能になるはず――私が日本独立作家同盟に期待するのは、そのための仕組みづくりです。

日本独立作家同盟のNPO法人化が発表された直後、藤井太洋さんの長編『オービタル・クラウド』(早川書房)が日本SF大賞を受賞したニュースが舞い込んできたのは、なにかのめぐりあわせに思えます(いしたにまさきさんのブログもお読みください)。藤井さんの稀有な才能が可能にしたことではありますが、彼に続こうとする多くのインディペンデント作家にとって、とても心強い出来事でした。

* * *

というわけで、この先は当日の記者会見の様子を映像と資料でご覧ください。まず、こちらは第一部の鷹野凌さんによるプレゼンテーションと質疑応答です。

第二部ではゲストにマンガ家の鈴木みそさんを迎え、まつもとあつしさんと私の三人によるトークセッションを行いました(鈴木みそさんのブログでも報告がされています)。

わが実家「蔵書放出祭」始末記

2015年2月19日
posted by 福林靖博

「あの本をどうしよう……」

奈良の実家の親から「実家を売ろうと思っている」と電話で言われた時に、私の脳裏に最初に浮かんだのは、実家に溜め込んだ本やCDのことだった。

小さい頃からの本好きが高じて図書館に職を得ているが、そもそも、私は「床が抜ける」ほどの本もCDも持っていない、その辺にいる「ちょっと本と音楽が好きな一社会人」である。読書量にすれば年間100冊も読むかどうか。職業柄、本を大量に購入・所蔵する必要がある人々と比べれば、所詮は趣味、多寡が知れている。おまけに、結婚して子どもが産まれるに及び、本やCDを買うお金も、置くためのスペースも極めて限定されるようになってしまった。結果として、蔵書点数の伸びはここ数年、鈍化する一方だ。

それでも、増えた。故・草森紳一氏は、

「本はなぜ増えるのか。買うからである。処分しないからである。」(『随筆 本が崩れる』、文藝春秋、2005年)

と書いているが、それはそのまま私にも当てはまる。子ども向けの本を卒業してから買った「大人向けの本」を、この20数年間、古本屋に売る、あるいは捨てるということが、どうしてもできなかったのだ。「いつか必要になるかもしれない」、「いずれ読み返したくなるかもしれない」、「いつか自分でも図書館を作ることがあるかもしれない」――そう自分に言い聞かせながら。

実家に本を送りつづけた日々

とは言え、いつ来るとも知れない「いつか」のために、狭い(しかも賃貸の)東京の自宅を本で埋め尽くすことはできないし、そのためのスペースを借り続ける、あるいは新しく建てる余裕もない。ここ数年は、私と違って断捨離の上手な妻からのプレッシャーもある。そこで編み出したのが、「ある程度溜まったら実家に送る」という、極めて場当たり的な解決策だった。

上京してからの十数年、引っ越し、出産、模様替え……人生の折々のタイミングで本やCDを段ボールに詰めて実家に送っていった(西牟田靖さんの連載「本で床は抜けるのか」(第8話)に登場する「関西の実家にどんどこ送っている」「知り合いの図書館員」とは、他でもない、私のことだ)。もちろん、手元に置きたい本や仕事に関連する本は自宅や職場に残してあるので、増えた本やCDのすべてが実家送りとなったわけではない。また、一度は実家に送ったものの、必要になって東京に送り返したものもないわけではない。しかし、気づけば実家の元・私の部屋は、本とCDが目一杯詰め込まれた本棚と段ボールで溢れかえっていた。

それでも親から文句を言われなかったのを良いことに、私は何も対策を取らなかった。見て見ぬふりをしていたと言ってもいい。そして、冒頭の親からの「家を売ろうと思う」という電話を受けて、ついに自分が実家に溜め込み続けた蔵書と向き合わねばならなくなったのである。

ちなみに私には弟が一人いるのだが、彼は数年おきに全国転勤を強いられるという境遇である上に蔵書数も少なく、そして何より、本への執着が極めて薄い。私と同じ状況に置かれた彼は、一切迷わずに「すべて廃棄」を選択した。しかも、本が詰められた段ボールの中をまったく見ずに、である。この「見ずに捨てる」というアプローチは、最も合理的なものかもしれないが、本やCDへの思い入れが強い私には逆立ちしてもできない芸当だった。

処分しなければならないのが、「自宅」ではなく「実家」の蔵書だというのが、とりわけ難題である。実家滞在できる機会と時間は少ないため打てる手が限られるし(ついでに言うと、私は車を持っていない)、東京の自宅にいったん送るのもコスト面で割に合わない。

こういう場合、古本屋に買い取ってもらったり、廃棄してしまうのが一番手っ取り早いのだろう。けれども、二束三文で買いたたかれたり、ひたすらヒモで縛って紙ゴミとして捨てるのは、最終的には仕方ないにしても、思い入れのある本やCDとの別れとしてはあまりに味気ないし、寂しい。

職業柄、最初に思いついたのは図書館への寄贈だった。私の蔵書には、希覯本こそないが、歴史・紀行・文学といったジャンルの本が揃っていて、数は少ないが古本屋でそこそこの値がついているものもある。試しに数冊ピックアップして、奈良県内の図書館の蔵書を確認してみると、未所蔵のものもそれなりにあるようだった。早速、市内の図書館に勤務する知り合いに連絡を取り、ダメもとで蔵書引き取りの打診をしてみた。

しかし、いきなり躓いた。曰く、「未所蔵でかつその図書館の選書基準に合致すれば引き取ります、まずはリストを送ってください」……。有象無象の本を受け取る図書館側にしてみてれば、至極真っ当な回答だが、このリストというのが曲者だった。自分の蔵書やCDをリスト化している人なんて数えるほどもいないだろう。実家に何冊・何枚あるのか自分でも見当がつかない。1,000冊、500枚には及ばないと思うが、東京にいては数えることもできないし、そもそも数える気力も起こらない。

次に思いついたのは、私の勤務先である国立国会図書館への寄贈だった。国内刊行の書籍・雑誌はすべて所蔵していることになっているが、実際のところ漏れているものも多いから、その穴埋めに少しは貢献できるのではないか。以前にも自分の蔵書の中から寄贈したこともある。

そこで、「これは所蔵がないかもしれない」というものをいくつかピックアップして所蔵の有無を確認してみた。が、喜ぶべきか悲しむべきか、いずれもしっかり所蔵されており、この選択肢もあえなく潰えてしまった。

最後の手段としての「蔵書放出祭」

こうして、最後に思いついたのが、「友人・知人に放出する」という案だった。ただ放出するだけではつまらない。どうせなら、自宅の書棚を開放して友人・知り合いに実家まで足を運んでもらい、酒を飲みつつ語りつつ、気に行った本を持って行ってもらうようにしてはどうか。そう言えば、岡崎武志氏は蔵書の最終的な処分方法として、自宅等を開放して、訪れた知人・友人に本を売る「自宅古本市」を実践・提案していた(『蔵書の苦しみ』、光文社、2013年)。

この「コミュニケーションしながらの蔵書整理」というのは面白いかもしれない、と思った。東京暮らしが長くなったとは言え、関西に住む友人や親戚はまだ多い。また、勤務先の図書館は関西にも施設を持っていて、そこで働いている同僚もいる。それに、「自宅」よりも「実家」の方が気兼ねなく人に来てもらえるのではないか(少なくとも私の場合は、そのほうが気が楽である)。

ちょうど11月の三連休に、家を処分するに当たっての家族会議を開くことになっていた。そのタイミングで実験的に(ただし、岡崎氏とは違ってタダで)蔵書を放出してみることにした。とは言え、これを思いついたのは10月の最終週で、三連休の帰省まで残すは数日ばかり。関西に住む知り合い何人かに「本は自由に持って行ってくれていいから、ビールでも持ってきてくれると嬉しい」と声をかけてみたものの、あまり期待せずにいたところ、有り難いことに大阪に住む友人A氏が来てくれることになった。

そして当日。家族会議もそこそこに済ませて、蔵書放出の事前準備に取りかかった。

まずは、「自分の子どもに読ませたいと思うかどうか」という基準で、段ボール一箱を目安に本・CDをピックアップして東京の自宅に持って帰ることにした(私の場合、学生時代に読み・聴き込んだ、いわゆる名作・名盤の類が多かったのだが、これは万人に共通する感覚だろうか)。自宅の本棚の空きスペースにちょうど収まるくらいのボリュームだ。

次に、「さすがに誰も読まないだろう」、「黒歴史」、「ボロすぎる」等の本を100冊、CDを50枚程度、廃棄した。そして最後に、空いたスペースに、奥に埋もれていた本を引っ張り出して準備は完了。

そうこうしているうちに、A氏が奥さんと子ども2人を連れて到着した。十数年前に旅先のチベットで出会って以来のつきあいである。出版取次という、本にかかわる仕事を生業とし、余暇には自分で「せどり」してきた旅にまつわる本をイベントで売ったりする、筋金入りの本好きだ。同じ蔵書を引き取ってもらうにしても、自分と趣味嗜好が似ていて、本のことをよく知っている友人に頼むのが一番だ。その意味でも、A氏は今回の試みのトップバッターに相応しい。

A氏夫妻がいくら本好きとは言え、大阪市内のマンションで子ども二人と住むとなれば、自ずと無制限にとはいかない。彼は「段ボール一箱まで」を目安に、私の蔵書のコアである旅行記や音楽、歴史等のノンフィクションを中心に本を抜いていった。「多分誰も取らないだろうから、最後に東京に持って帰ろう」と密かに目論んでいた羽田正『イスラーム世界の創造』もピックアップされてしまった。けれども、「この本どう?」「いや、これはね……」などとやり合っているうちに、つい自分から「こんなのもあるよ」と、とっておきの本を差し出してしまうから不思議なものだ。

初回の「放出祭」で手放した本たち。

それにしても、奇妙な時間だった。本やCDとの別れは、本来、身を切られるような辛さを伴うものだと思っていた。けれども、ビールを呑んでほろ酔いになりながら、昔の旅の話や最近のお互いの仕事や家族、そして彼らがピックアップしていく本について語り合うのは、何とも言えない心地よい時間だったのだ。「放出」という儀式によって、本との別れがまったく別の何かに変わったと言えるかもしれない。「本との別れ方」としてこれはアリだ、と私は思った。

「蔵書放出祭」をFacebookイベントにしてみた

11月の実験に味をしめた私は、年末年始と成人の日前後の三連休に二度、帰省するタイミングに合わせて、「フクバヤシ蔵書放出祭」と銘打ったイベントとしてやってみることにした。イベントといっても、Facebookやメールで200人くらいに案内を出すだけのことで、大仰なことは何もない。11月の試行を踏まえ、次のようなことをイベントの趣旨として伝えた。

・置いてある本やCDを自由に持って行って下さい。
・ただし、マレに「それはダメ」と横から言う場合があります。
・本もCDも無料ですが、缶ビール等アルコール類を「志」としてご持参頂けると嬉しいです(その場で呑みましょう)。
・「本はいらんけどフクバヤシの顔でも見に行っとくか」というのも大歓迎です。

また、奈良という土地柄や私の世代を考慮して、車を停めるスペースには困らないこと、子どもを遊ばせるための庭もあるので子連れでの来訪も歓迎することも付け加えた。

二度目の「蔵書放出市」は、Facebookで告知した。

誤算だったのは、年末は本業が先行き不透明で、本当に開催できるのかどうか分からず、大々的に案内できなかったこと。幸い無事に帰省できたものの、年末の放出祭は、思い描いていたのとはほど遠いものに終わってしまった。それでも、弟夫婦や従弟夫婦といった身内がみうらじゅん『見仏記』シリーズや手塚治虫『ブッダ』といった軽めの読み物やマンガを持って行ってくれたり、高校時代の友人B氏が、同じ高校の出身で今や売れっ子作家の森見登美彦の小説や、BOφWYや氷室京介、布袋寅泰のCDを何枚か選んでいってくれた(私たちの世代に対するBOφWYの影響はやっぱり侮れないものがある)。

せっかくの帰省を無駄にせぬよう、ご近所への放出ということも考えた。チラシでも作るか、直接声でもかけてみるかと思ったが、ここで親からストップがかかった。曰く、まだ近所の人たちに実家を処分することをきちんと伝えていない、この段階ではまだ大っぴらにしないでほしい、とのこと。

それならばと、玄関先に「ご自由にお持ちください」と書いたカードを挟み込んだ段ボール詰めした本を並べてみることにした。並べた本は、歴史モノの小説や、北杜夫や司馬遼太郎といった一昔前の大物作家などの文庫本。実家周辺の住宅地はわりと年齢層が高いので、それを考慮したラインナップだ。

ダンボール箱に入れ、近所の人にも本を自由に持っていっていただいた。

結果だけ書いてしまうと、単に置いておくだけでも一日5冊程度のペースではけていった。年末年始で手持ちぶさたな人が多かったかもしれないし、近くに図書館や古本屋がないという実家の立地もあったかもしれないが、思っていたよりも良い結果だった。ちなみに、名前の知れた作家の小説の文庫本はよくはけたが、同じ作家でも多巻ものは大半が残ったし、小説以外の本(新書を含む)もあまりはけなかった。

四六時中箱の前に張り付いていたわけではないが、遠藤周作の『沈黙』を持って行こうとしていた年配の男性と話す機会があった。彼はこう言っていた。

「昔読んだんだけど、また読み返したくなっちゃってね。長編だと読むのは大変だけど、これくらいなら」

私が東京に戻ってからは親に頼んで箱を出してもらい、三連休までの1週間あまりで合計30冊ほどの本がはけた。

旧友に引きとられた本たち

そして、「放出祭」本番となる三連休を迎えた。諸事情を勘案して、三連休のうち最初の二日間だけの開催にして、二日目の午後2時には古本屋さんに出張買い取りに来てもらうことにした。正午スタートなので、正味丸一日。この日までに「行くよ」と連絡をくれたのは10人くらいだった。

幸い、天候にも恵まれた。最初に来てくれたのは高校の同級生C女史。現在はマレーシア在住だが、ちょうど帰省中とのことで、子どもを連れて遊びにきてくれた。会うのは数年ぶりだ。

「子育て中だから時間が取れへんねん」

と言いながらも、片倉もとこ『イスラームの世界観』や新渡戸稲造『武士道』を抜き出していった。久しぶりだったのでゆっくり話したかったところだが、子どもがご機嫌斜めになってしまい、早々にお見送りせざるを得なくなってしまった。

C女史と入れ替わりに来てくれたのは、同じく高校の同級生のD女史と同僚のE氏。ともに子連れということで、子ども同士で遊んでもらい、二人にはゆっくり本を選んでもらった。教師のD女史は教育や震災に関するものを、私と同じ旅好きのE氏は旅行記を中心にピックアップしていった。とりわけE氏は、「家族の目が厳しい」ということで抜き出す本を厳選していたが、そこには宮崎市定『西アジア遊記』など、私が密かに残ることを期待していた本もしっかり入っていた。

二人とも、当然ながら私とは面識があるが、当人同士は初対面。選んだ本や子どものことについて、三人であれやこれやと語らうことができた。こういう他者との偶然の出会いがあるところが、実家というプライベートな場を開いて「放出祭」をやることの面白いところかもしれない。

この日、最後に来てくれたのは、やはり高校の同級生で、実家がすぐ近所のF女史。

「実家を処分するとなると、これから会う機会も少なくなるから」

と言って、自宅のある大阪から出てきてくれた。選んでいったのは、西洋の古典小説などの文庫本だった。

昔からの馴染みでもあるので、私の親も交えて、お互いの家族の近況やこれからのことについてじっくり話すことができた。私自身の問題かもしれないが、親とサシで話すよりも、第三者に入ってもらった方が話しやすい。そういう意味でも、良い機会になった。

一日目が終了して、本は50冊程度、CDは数枚、放出することができた。思ったより数が伸びなかったのは、この日、車で来た人が誰もいなかったからだろう。

それまであまり気にならなかったが、本棚にも空きが目立ち始めていた。それを見て、酒に酔いながら友人と話しているときはあまり感じなかった寂寥感に襲われた。これらの本は、間違いなく現在の自分を形成してくれた大きな要素だった。すべてではないにせよ、それらが私から離れていく。最も心が落ち着いた、蔵書に囲まれたあの空間がなくなろうとしている。

実家最後の夜、私は本棚に囲まれた布団の中で、『蒼天航路』(原作・原案:李學仁、漫画:王欣太)を一気に再読した。誰しもが経験したであろう「実家に帰って昔の本やマンガを一気読み」という行為も、もう二度とできないのだ。

『漢語大詞典』と『大漢和辞典』の運命

二日目。この日も天候に恵まれた。最初に来てくれたのは、元同僚で、現在は私の母校でもある大阪の大学で国文学の研究をしているG氏。実は、彼には「放出祭」をやると決めた段階で声をかけていた。これには理由がある。

今回の蔵書放出で一番のネックになりそうだったのが、ボリュームのある『漢語大詞典』(縮刷で全3巻)と『大漢和辞典』(全13巻、箱なし)だった。いずれも学生時代に愛用していたものだが、ここ数年では子どもの名前を考える際に使ったくらい。捨てるには惜しいが、さりとて、とっておくのも難しい代物だった。けれども、ダメもとでG氏に声をかけたところ、折良く(?)CD-ROM版の『漢語大詞典』が壊れたばかりということで、『漢語大詞典』を引き取ってもらえることになったのだ。

G氏は『漢語大詞典』の他に、「何冊あってもいい」という字典類や歴史関係の本をピックアップしていったが、とりわけ目立ったのが、山川出版社の『世界史リブレット』シリーズ。私もそれなりには手許に残しているし、これまで来てくれた人も少しずつ抜いて行ったが、彼は残っていたものを「とりあえず」と言ってすべて持って行った。いかにも本を置く場所に困らない研究者らしい。

そうこうしているうちに、11月にも来てくれたA氏一家と、高校の友人でピアニストとして活躍するH女史、さらに職場の先輩であるI氏一家が来てくれた。合計9人。こうなるともう、何がなんだか分からなくなる。

差し入れのビールをガンガン飲み、親に用意してもらったカレーライスを食べ、試聴と称して音楽を大音量でかけながら本とCDを選ぶ。一方、子どもたちは(私が昔使っていた)レゴで遊んだり、大声をあげて庭を走り回ったり。飛び交う話題も、私の職場のこと、チベットやインドの旅の話、最近の出版事情、関西の住宅事情やら子育ての話とてんでばらばら。そこに親も絡んで、「放出祭」は「祭」と呼ぶのにふさわしい、すべてが混沌とした場に変容していた。

そんな喧噪の中、岩波文庫の『西遊記』(全10巻)、『三国志』(全8巻)、あるいは『蒼天航路』や諸星大二郎『栞と紙魚子』シリーズなどのとっておきのマンガが、ひっそりと、しかしごっそりと引き取られていったのである。

そして、二時。出張買い取りをお願いしていた市内の古本屋K堂さんがやって来た。

今回お願いしたK堂さんは、前から知っていたわけではない。本来であれば、少しでも良い査定をしてくれそうな古本屋を広く調べるべきだったのかもしれないが、面倒だったのでやめた。その代わり、①様々なジャンルの本をきちんと査定してくれそうなこと、②CDの買い取りもやっていること、③同じ市内(地元)であること、という三条件で検索して見つけたのがここだったのだ。

K堂さんの査定作業は、盛り上がる私たちを横目に淡々と行われ、一時間ほどで終了した。合計2万2千円。これまでの放出を経て最後に残った200冊と150枚の対価として十分なものかどうかは、古本屋に本を売りさばく習慣のない私には分からなかったが、それで満足することにした(ちなみに、CDはこのうちの5千円程度ということだった)。往復の新幹線代にもならないが、それ以上に濃密な時間を過ごすことができたのだから。

意外だったのは、『大漢和辞典』の買い取りを、

「値段はつけられないので、せっかくですからお手元に残されては」

と、やんわりと断られてしまったこと。最近は需要も少なく、また欲しい人は既に持っていることが多いので、箱入りでもない限り引き取っても売れないのだという。これも何かの啓示と思い、『大漢和辞典』は手許に残すことにした。

引き取ってもらえなかった『大漢和』は、しばらく親の新居に仮置きされることに。

古書買取価格の現状

支払いが済むと、K堂さんは手際よく本を段ボールに詰め始めた。

「『これは』と思うものがあれば適当に抜いて頂いていいですよ」

と言ってくれたので、最後に自宅に送る本やCDを少し抜いたりしながら、K堂さんに、普段は馴染みのない古本業界の話を伺った。

ここ数年、一定の需要のある専門書を除いて、本の買い取り価格は大きく値崩れしているそうだ。Amazonの古書販売の影響も大きいという。大手チェーンを除けば、このあたりでは実店舗ではやっていけないので、K堂さんも含めて、インターネットの売上げがメインになっているところが多いという(その最大のプラットフォームがAmazonなのは皮肉なことだが)。

また最近は、中国関係の(ことに中国語で書かれた)書籍は値段に糸目をつけない中国人から依頼がよく来るので、比較的高額で買い取るそうだ。中国は古本の市場がほとんど無いため、それらがたくさん流通している日本に買い付けに来る、という背景があるらしい。日本の古書市場の一端を中国資本が支えているとは、想像もしていなかった。

時間があまりなかったので、それほど突っ込んだ話ができたわけでもないが、どれも興味深い話ばかりだった。それに、愛着のある本が箱詰めされていくのをただ眺めているのは辛いが、あれやこれやと話しながらだと気も紛れる。

4時過ぎ、最後の箱詰めの作業が終わり、K堂さんは帰っていった。ほどなくして、最後まで残ってくれていたA氏一家とI氏一家も帰った。その一時間後、生まれてから就職するまでを過ごした実家に私も別れを告げた。あと二ヶ月もすれば、ここも更地になっているはずだ。

「蔵書放出祭」最後の箱詰め作業。

こうして、「蔵書放出祭」は終わった。

実家の蔵書を放出したことに、自分の根っこがなくなったような不安感を覚えないではないが、東京でドタバタしているうちに忘れてしまうだろう。そして、自宅や職場には、引き続き本やCDが溜まっていくことだろう。手許に残った2万2千円も遠からず、新たな本に化けるだろう。

そうであるからこそ、今回の「蔵書放出祭」をやってよかったと思う。実家を処分するタイミングだったこともあり、これまで蓄積してきた蔵書をフルに活用して多くの地元の友人・知人と再会し、語らう時間を持つことができたのだ。

最後に、今回の放出を通じて学んだ二つのことを列挙して、この雑文を終えたい。一つは、本があり続けることの与えてくれる安心感は何ものにも代え難いが、その本を有効に活かす術は他にもあるということ。そしてもう一つ。本と付き合いつづけるうえで、折々の蔵書の整理は必須だということだ。