床の抜けない「自分だけの部屋」のその後

2015年3月2日
posted by 西牟田靖

妻が子どもを連れて家を出てからまもなく一年がたつ。それは一人暮らしを始めてからはや一年がたつ、ということでもある。去年の3月初旬といえば、別居が既定路線となっていたころだ。残された日々を淡々と、それでいて噛みしめるようにして、すごしていた。そして3月半ばには、木造アパートから新居へ荷物を移し、下旬にはついに妻子と別居することになったのだ。一年前のことを思い出すことは今もつらいし、後悔もある。かといってもはや後戻りができないということも事実である。

軌道に乗った再出発

yukanuke_cover秋以降、「床抜けシリーズ」を書籍としてまとめるべく、加筆修正作業に精を出した。ウェブで書いたものをまとめるという作業にさほど手間はかからないはずだと、取りかかる前は決め込んでいた。

ところが実際、作業に取りかかると膨大な作業量となった。それらの作業をなんとか終えたのは2月に入ってからのことだ。作業完了が思いのほか遅れたため、刊行することになった日程は、奇しくも別居から一年後の3月となった。

『本で床は抜けるのか』は本の雑誌社から3月5日に全国の書店で出版されます。ウェブ連載時の文章よりはずっと読みやすいし、新しい章を新設したりもしていますので、ウェブ版で全部読んでしまった方々にもお勧めです。よろしくお願いします。

さて。

床抜け危機の終焉と寂しい一人暮らしの開始から一年後、どうなったのか。出版のPRも兼ねて、以下の通り、近況を紹介してみることにしよう。

『本の雑誌』3月号の「本を処分する100の方法!」という特集にも書いたことだが、引っ越す前、僕の蔵書は約2000冊あった。新居に持ってきた紙の本は700〜800冊で、そのほかは電子化すべく外注した。ここ一年の間に増えた紙の本や雑誌は150冊ほどに上り、そのうちで購入した分は114冊である。

一方、購入した電子書籍はたったの8冊だけである。蔵書の半数以上を電子化するぐらいなのだから、最初から電子版を買えばいいのだがそううまくはいかない。そもそも電子版が出ていないことが多いし、購入した後で電子書籍の販売サイトが閉鎖されて読めなくなることを思い、二の足を踏んでしまうのだ。

そうして紙の本は着々と増えている。それでも今のところは何とか収納できている。というのも引っ越したとき、机の下の本棚スペースにまだ空きがあったからだ。スペースを節約すれば、これからしばらくはまだ置けるはずだ。

電子化した本はiPadや21.5インチのタブレットでときおり読んでいる。電子書籍の場合、紙の本のように、本の重さや紙の手触り、インクの臭いといったその本特有の特徴を感じながら読書をするというわけにはいかない。だからなのか一冊読み切っても、内容が頭に残りにくい。それでもさほど不便は感じないし不満は少ない。

電子書籍が並ぶ電子書棚。その運用状況は、大多数を紙の本として持っていたときと、さほど変化がない。「i文庫」のアプリを開いて電子書棚をながめるという行為は日常的におこなっている。また、電子書棚から電子書籍を選び出し、開いて読むという行為も、週に数回ほどおこなっている。

電子書籍での読書は紙の本に比べて物足りないのは確かなことだ。しかしそれでも構わないと僕は思っている。データの検索をしたり、読み返したりというのが、蔵書を抱えている一番の理由なのだから、電子書籍でじゅうぶん事足りる。紙の本で部屋が占拠されてまで持っている必要を感じない。

家族と暮らせなくなった喪失感はなかなかぬぐえるものではないし、洞窟のような広さしかない部屋は正直狭い。風呂はついていないし、水道がさびていたり、サッシの立て付けが悪かったりと、あちこち老朽化が目立つ。

それでも床が鉄筋だという安心感には代えがたいものがある。天井まで届く本棚を壁一面に並べ、本をぎっしり詰めていても、びくともしない。床が抜けたらどうしようと心配し、安心して眠れなかった3年前の今頃のことが遠い昔の出来事として思えてしまう。「自分だけの部屋」での生活に僕は今のところ満足している。

風雲急を告げる

このままずっと同じ調子でいくならば、「自分だけの部屋」での再起は果たせたはずだ。ところがこのところ、雲行きが怪しくなってきた。

昨年秋にマンションのオーナーが変更となったことがきっかけだった。同年の2月に物件の契約をしたとき、不動産屋は「物件を取り壊したり、大規模な改修をしたりはしない」と明言したというのに、新しいオーナーはその約束を反故にしたのだ。

それが分かったのは昨年の秋のこと。各世帯のドアポストに「物件の契約更新はしない」と記した文書が投函してあったのだ。条件を照らし合わせると、僕のリミットは来年、2016年2月となる。文書を読んだときは愕然とした。再出発がようやく軌道に乗ろうとしていたというのに、これに従うのなら、最初から拠点を作り直さざるを得なくなる。

文書を目にしたとき、賽の河原で、鬼に石の山を崩された死者が味わうのと同じ、空しさと悔しさでたちまち頭がいっぱいになった。とはいえ、2016年2月まではまだ一年以上あるわけだから、早くても秋になるころに動けば間に合うはずだ。だったら一旦は忘れよう。そう思い、問題を棚上げにした。

ところがだ。そうも言ってられなくなった。2月に入ってから、オーナーが直々、だめ押しの電話をかけてきたからだ。

「西牟田さんですか。マンションのオーナーの者です」
「はい。突然なんでしょうか」
「4月には引っ越してほしいんですよ」

その時点で4月に入るまでにあと2カ月しかなかった。引っ越しというのは、物件選びに始まり、荷作りや荷物の移動、荷解きに不要物の廃棄、連絡先の変更届けに、引っ越し先の環境への順応と、やらなきゃいけないことが山積して、かなり面倒だ。書き仕事そっちのけでそれらの作業に取り組めば何とかなるが、住み始めてまだ1年も経っていないのだ。はっきり言って無茶苦茶な要求である。たちまち僕はかっとなって反論した。

「話が違いますよ。昨年の2月に契約したとき、古びているが取り壊したり大規模改修の可能性はないという話でしたよ」
「こっちだってそうだよ。だけど手に入れてみりゃ、水道の配管はさびてて苦情は来るわ、ガス管は廊下にむき出しだし。すごく出費を強いられてて困ってるんだよ。だから修理をするしかないの。だからここから出て行ってくれ」
「そんなの寝耳に水ですよ。いま言われて、はい分かりました、だなんて言えるはずがないですよ」
「なんだと立ち退かねえって言ってるのか。この野郎。おまえがもし来年2月まで住むというなら、立ち退き料は一円たりとも払わんぞ。わかったか、こら」

バブルの時期に地上げにいそしんだときの脅し癖がつい出てしまったということなのか。それとも単に直情型の性格の持ち主なのか。にわかには分からなかったが、電話口で脅された、ということだけは確かだ。彼の暴力的な物言いに僕は腹をたてた。

とはいえだ。こちらが怒って交渉を決裂させてもろくなことがない。ずっと住み続けた場合、廃墟のように閑散とした建物となってしまうだろう。こういう人物の場合、住む者の権利を主張し続けたら、再び恫喝してくるに決まっている。遅れれば遅れるほど立ち退き料を減らしていくこともなんとなく察しがつく。だったら、時期はともかく立ち退く意思だけは伝えておいた方がいい。そんなことを考えていたら、少し冷静になれた。そして、なだめすかすように言った。

「あの。恫喝はやめてください。気に入って住んでるんですから。引っ越そうにも、そんな簡単に見つかるかどうか。仕事の都合とかもありますから、探す手間をすぐにかけられるわけではない。探して探してこの物件を見つけたんですから、そう簡単に見つかるとは思えないですよ。ぼちぼちと探してはみますが」
「だったらいつごろ出られる」
「少なくとも4月は無理です。探し始めるのがそのぐらいだとしても数ヶ月はかかるでしょう」
「じゃあ5月でどうだ」
「それでも難しいと思います」
「じゃ6月までには引っ越してくれよな。家賃の10カ月分、用意するつもりだから」
「順調に引っ越し先が見つかるかは、探してみないとどうなるか分からないですけどね」
「頼むよ」

せっかく手に入れた「自分だけの部屋」だったが、こうして離れざるを得なくなった。中央線の高円寺駅から徒歩8分、鉄筋コンクリート造りの20平米で4万2千円という、これまでのような破格の条件で物件が見つかるとは思えないが、今度こそ長く住める物件を見つけられればと思う。

そんな経緯によって、本で床が抜けないことに加え、立ち退きを迫られそうにない、ということが、引っ越し先を選ぶ必須条件となった。やっと見つけた「自分だけの部屋」で生活できる日数はあとわずか。狭くて、風呂がなくて、ぼろすぎる部屋での生活は快適さからはほど遠いものがある。それでも、離れざるを得なくなったことで、急にいとおしく思えてきた。ここでの生活が終わるその日まで、一日一日大切に、噛みしめるようにしてすごすつもりだ。そして新しい部屋で、再起の続きを図っていきたい。

ようやく手に入れた床の抜けない「自分だけの部屋」を、また出て行くことになった。

* * *

本文中でも言及されていますが、「床ぬけ」シリーズをまとめた単行本、『本で床は抜けるのか』が本の雑誌社から3月5日に発売されます。また、この本の刊行を記念して、発売日の3月5日に西牟田さんと「マガジン航」編集人がトークイベントを行います。ぜひふるってご来場ください!

日時;2015年3月5日(木) 19:00~21:00
料金:500円
会場:川口市立映像・情報メディアセンター メディアセブン
ワークスタジオB

※詳細はこちらを参照
http://neokawaguchi.jp/wordpress/archives/1691

なお、単行本発売後も、「マガジン航」の記事は引き続きごらんいただけます。単行本化にあたって加筆されていますので、どちらもお楽しみください。

執筆者紹介

西牟田靖
ノンフィクション作家。日本の旧領土や国境の島々を取材した一連の作品で知られる。「マガジン航」の連載をまとめた『本で床は抜けるのか』(本の雑誌社)をはじめ、著書に『僕の見た「大日本帝国」』(カドカワ)、『誰も国境を知らない』(朝日文庫)、『ニッポンの穴紀行〜近代史を彩る光と影』『ニッポンの国境』(光文社新書)、『〈日本國〉から来た日本人』などがある。