漫画雑誌と新人賞の危機を「マンナビ」は救う

2016年7月29日
posted by まつもとあつし

漫画家志望者に住居を提供し、そのデビューを支援する「トキワ荘プロジェクト」が開始から10年を迎えた。それにあわせる形で発表されているのが、クリエイターと編集者のマッチングを促すプラットフォーム「マンナビ」だ。現在、クラウドファンディングでの資金提供を呼びかけるこのプロジェクト。主導する菊池健氏にその概要や狙いを聞いた。

「漫画持ち込み・投稿・新人賞ポータルサイト」と銘打った「マイナビ」の仮画面。このサイトの立ち上げを支援するため、8月1日までクラウドファンディングが行われている。

「トキワ荘プロジェクト」の次の一手

――これまで「トキワ荘プロジェクト」は、漫画家に住居や、セミナー、作品持ち込みの機会を与えるといったリアルな場の提供に軸足があったと思います。今回、ネット上にマッチングプラットフォームを作ろうと考えたのはなぜですか?

菊池:10周年を迎えた「トキワ荘プロジェクト」ですが、その中でもっとも長い期間にわたって手がけてきたのが住居支援です。のべ約360人に部屋を提供し、60人以上のデビューを支援してきました。そこから、漫画を仕事にするための書籍を発行したり、出張編集部といったイベントを開催するなど支援の範囲を拡げてきました。

それらの活動を通じて、漫画家「個人」の活動を支援については、一定の成果を挙げてきたと考えています。もちろんその活動も今後も続けていくのですが、「トキワ荘プロジェクト」を通じて、漫画家個人の努力と同じくらい、①どの出版社・媒体で、②どの編集者と仕事をするのか? という二つの要素が重要だということが分かってきたのです。

これまでそういった出会いは運に左右される面が非常に大きかった。よい出会いがあり、よい場が与えられれば――という例も多く見てきた上での、一つの答えが「マンナビ」なんです。

――出張編集部などのマッチングイベントでは、その出会いの創出には十分ではない面がある、ということなのでしょうか?

菊池:これまでも京都版トキワ荘事業の一環として、市からの委託を受け、編集部を招きつつ、漫画家志望者だけでなく、関西の専門学校などにも持ち込みを呼びかけるということは行っています。また、コミティアのような同人誌イベントでも、私たちの取り組み以前から、出張編集部をずっとやってこられていますね。私たちの取り組みでは、昨年は持ち込みが314人。彼らが複数の出張編集部を回るので、のべで1000件を超えました。

こうした大きな成果は挙げているとはいえ、その効果は限定的だと捉えています。まず、毎年9月に開催される「京まふ(京都国際マンガ・アニメフェア)」というイベントに合わせて行われているため、年に一度しかできないこと。もう一つは、「京まふ」は関西最大のイベントとはいえ、全国的、世界的にみればカバーできていないエリアがある、ということです。

それに、出張編集部はあくまでも「きっかけ」でしかありません。本来、作品の持ち込みは編集者にアポをとって、1時間でも2時間でもじっくり話をするというものなのですが、出張編集部では、限られた時間の中で多くの出会いを創出するという目的から、せいぜい10分~20分程度になってしまうのです。

――たしかに、イベントを取材していても、出張編集部には持ち込みを待つ人の行列ができていましたね。

菊池:もちろん編集者の皆さんには、その限られた時間の中で誠意をもって対応していただいています。「これは」という出会いがあれば、出張編集部をきっかけとして、後日連絡を取り合い、あらためてきちんと時間をとって話をすることになります。ただ、いまお話ししたような制約は、どうしてもついて回ります。「マンナビ」は、そういった制約を取り払うことを目指しています。

――ただ、ネットにマッチングの場を移すと、リアル空間でのやり取りの情報量や、コミュニケーションの濃密さはどうしても失われてしまいますね。

菊池:おっしゃるとおりです、それに、リアルでは起こりえないリスクも生じます。ただ、その前にどういったメリットが生まれるか、ということについてお話しさせてください。

「出版月報」によると、漫画雑誌は現在260誌以上あるとされています。ネット上にも漫画作品を掲載するアプリやサイトが200以上あり、いまなお増え続けています。それらが作品を募集するために様々な賞を設け、編集者が選考や作家の育成にあたっているのです。それらすべての情報を知っている漫画家志望者はまず、いないでしょう。彼らを支えるはずの教育機関の先生方も、すべてを把握していないのです。

そういった場所や機会が一カ所に集約されることだけでも、はじめての取り組みであり、意味があると考えています。私たちはNPO法人なので、そういった情報を中立的・網羅的に扱うことができる存在です。

「機が熟した」という面もあると思います。かつては、各マンガ雑誌の新人賞がそれぞれに募集情報を発信していれば、作品が集まり、魅力ある誌面を作ることができました。しかし、発表の場が増え、雑誌も描き手も多様化が進むなかで、双方が「これ」という出会いを得ることが難しくなっている。賞や作品についての情報がインターネット上に散在したままでは、「アクセスされなければ存在しない」のと同じです。「マンナビ」は、それらへのアクセスを提供する入り口なんです。

数年前であれば、こういった話は編集部から否定的に受止められたかも知れません。しかしいまは状況が変わりました。これまで主要なマンガ雑誌の編集部にプレゼンを続けてきましたが、「そういう時代だね」という受け止め方で、非常に前向きに話を聞いていただいています。媒体や新人賞そのものが増えたことにより、各誌の新人賞への応募数が減少しているという話も、聞こえています。

「マンナビ」のプロジェクトを主導する菊池健氏。

「受け付ける側」の情報をデータベース化したい

――個人ブログやTwitterだけでなく、pixivのようなイラスト投稿サイトにも漫画が発表されることが増えています。しかしその一方で、才能を発掘したい媒体側の情報は、出版社の各媒体ごとの公式サイトなどに様々なフォーマットで掲載されていて、統一感がありません。むしろ以前より、双方が出会うための負担は大きくなっています。

菊池:そうですね。ただ、私たちは「作家側による作品のエントリー」と「受け付ける側の情報」の両方を集約したいわけではなく、あくまでも後者の情報を整理し、データベースとして提供しようとしています。就職マッチングサイトであれば、志望者がエントリーシートをサイトに登録しますが、漫画の場合は、いま挙げてくださったような場がすでにあるわけですから。

いまでも各媒体の公式サイトには、新人賞についての情報が掲載されています。しかし、それらは描き手ではなく、あくまで読み手への情報発信がメインです。ですから、それらを描き手に向けて、1カ所に集めることには意味があると考えています。就職マッチングサイトでいえば、企業情報や会社紹介、採用担当者の声といったものを整備していく、といったイメージですね。

漫画の新人賞を「マンナビ」で検索した結果。

具体的には、このような仕組みです。「マンナビ」にアクセスした漫画家志望者は、「媒体で探す」、「新人賞で探す」、「編集者で探す」といった検索キーで、自分がどこの誰にアプローチするべきかをじっくりと検討できるようになります。さらに新人賞については、期限やジャンルでも絞り込みを掛けられるようになっています。

いま「媒体」と言ったのは、紙の雑誌だけでなくcomicoのようなアプリも含まれているからです。たとえばヤングジャンプ編集部の場合、「ヤングジャンプ」「ミラクルジャンプ」といった雑誌が検索結果に一覧として並びます。このうち「ミラクルジャンプ」は新人の登竜門としての位置づけが強い媒体です。読み手はもちろん、描き手も見落としがちな、そういった情報をきちんと整理して出して行きたいと思っています。

――漫画家志望者がわざわざ媒体のサイトを見て回らなくても、「マンナビ」一つあれば調べられるということですね。

菊池:そうですね。探す手間の削減だけでなく、自分が知らなかった媒体や、新人賞がたくさんあることに、描き手の人も驚くと思います。

「編集者」との出会いの場をつくる

――開始時は、どのくらいの規模のデータベースになるのでしょうか?

菊池:まずは約100誌の情報が掲載されている規模でスタートしたいと考えています。それぞれが一つの新人賞を募集しているとすれば、賞の数もそれくらいになりますね。この100誌とその新人賞については、基本的な情報を私たちがあらかじめ入力しておき、その後は各編集部に更新作業をしていただきます。新人賞を持たないところもふくめて媒体が増えていけば、200~300という規模になっていくはずです。

――それでもデータとしては、莫大というほどではないですね。その一方で、気になるのが「編集者」というキーです。これはどういう位置づけでしょうか。

菊池:私たちとしては、どのキーがいちばんということはないのですが、「編集者」というキーを提供できることの価値は中でも大きいと思います。登録される編集者は、1000人程度の規模になると予想しています。編集者の方は、自らが表立って何かを発信するのではなく、生みだした「作品」でメッセージを語っていく、という信念を持った人がかつては多かったと思います。しかし、これも「時代の変化」ということだと思いますが、いまは編集者が表に立つ場が必要だ、という反応を示されることが多いですね。

編集者をキーに検索することも可能。

この画面はまだ開発中のものですので、これから変更になる可能性もありますが、ここに編集者の方の顔写真あるいは似顔絵、名前もしくはニックネームが表示されます。とくに重要なのは、これまでどういった作品を手がけてきたのかを確認できることですね。

――編集者も自分でここに情報を入力・更新できるようになるのでしょうか? その際の利用は無料ですか?

菊池:はい、IDとパスワードを発行しますので、無料で利用していただけます。

――それらのコストはどうやってまかなうのですか。

菊池:立ち上げの開発費はクラウドファンディングから捻出する計画ですが、その後の運営費は出版社・媒体企業・編集部・漫画関連、グッズ制作の企業からの協賛金や広告などで賄っていく予定です。現在のところ、「モーニング」編集部さんほか、アプリ系やマンガ制作ツールの企業などが協賛に名乗りを上げてくださっています。また広告枠には、漫画の専門学校などの出稿を想定しています。協賛していたいた企業にも、この枠は提供していく予定です。

――今日のお話をうかがって、「マンナビ」は描き手である漫画家と、作品の送り手である雑誌や編集者の双方にとってメリットのあるプラットフォームだというイメージが持てました。その一方で、読み手=読者にはどのようなメリットがもたらされるかも気になります。

菊池:一言でいうと「面白い漫画」が読める可能性が高まる、ということですね。KDPをはじめとして、漫画家自らが電子コミック作品を世に送り出せる環境は整いました。ただ、そこで支持されているものは、自らの半径1メートルくらいを扱った、日常系や、ライトな作品が中心を占めています。しかし、ネット上で耳目を集めているそういった作品は、従来のような大ヒットにつながりにくいし、マネタイズも難しいということもわかってきました。

出版社はその分野への対応に出遅れてしまいました。でもその一方で、『ファイアパンチ』(少年ジャンプ+/藤本タツキ)のように、ネット発の作品を編集者がヒットに導いていく「芽」が出始めています。綿密に設計された世界観を備え、長期間にわたって支持される作品を生み出すためには、編集者の介在が必要だということが再認識されていくのではないでしょうか。

ところが、いまの時代に合った編集者と新人漫画家・志望者との出会いの場がない。だから、私たちは「マンナビ」で、それを整備しようということなんです。出会いの環境が整えば、めぐりめぐって読者も面白い作品が読めるようになる、ということですね。

――かつては「週刊少年ジャンプ」が募集している手塚賞や赤塚賞のような登竜門をくぐり抜ければ、新人作家は優秀な編集者に指導され、育成してもらえるプロセスに乗ることができました。現在はそれだけでは十分ではなくなったのでしょうか。

菊池:そうですね。いまは新人賞を経由せずに、ネット上での発表がきっかけでデビューするという例も増えています。また、読者が漫画に求めるものも多様化しています。既存の新人賞という枠組みだけでは足らない、というのが現実です。

――協賛企業にはマンガアプリ系の企業も予定されているということですね。編集者を抱えておらず、クリエイター自らに編集者的な働きも求められますが、ここからはcomicoの『ReLife』(夜宵草)のような成功事例も生まれています。そういった構造があるなかで、「マンナビ」が果たす役割はどういったものでしょう?

菊池:新人からプロの領域にまで達するには、「創作力」をベースにするか、「制作力」をベースにするかという、大きく分けて二通りの道があると思います(下図を参照)。

man-navi04

掲載が自由なアプリ系で活躍している作家さんは、その両方を兼ね備えた希有な才能の持ち主だと思うのですが、一方で「すぐに作品を発表せず、編集者と2年、3年と向き合ってじっくり力をつけながら、作品を作りこむ」漫画家も世の中にはいます。新人時代、500ページの原稿を破り捨てられて『Drスランプ』『ドラゴンボール』を描いたという伝説がある鳥山明さんのように、むしろ、後に語り継がれる作品作りには、編集者の存在は不可欠だと思います。

そうした新人漫画家、漫画家志望者にとっては、どの媒体の誰(どの編集者)と組むか、ということが重要です。運や作者個人の自力だけに委ねていては、編集者も読者も面白い作品とはなかなか出会えない時代になってきた。「マンナビ」が演出するのは、まさにその部分の「出会い」なんです。

――まもなく期限を迎えるクラウドファンディングで開発費を募っているわけですが(執筆時。期限は8月1日午前0時まで)、現在これに応じているのは、もっと面白い作品に出会いたい、という読み手の方が中心なのでしょうか?

菊池:そういった方もおられますが、やはり「こういった仕組みが欲しい」と切実に願う編集者、教育機関の方、漫画家志望者が中心ですね。「マンナビ」のような仕組みがあることで、編集者の方にとっては新人発掘がやりやすくなるという実利があります。教育機関の方にとっても、雑誌や編集部の情報までは何とか集められても、編集者個人の情報までは集めきれませんから、やはりニーズがあります。漫画家志望者にとっては、将来これを使って自分の持ち込みの確度を上げたい、という期待がある。すでに一部のプロの漫画家さんからも支持をいただいていますが、「自分がデビューするときにも、こういう仕組みがあればよかったのに」という声をうかがっています。

――なるほど。たしかに読み手の場合、「マンナビ」の構造を理解した上で、漫画家の発掘から面白い作品がたくさん生まれてくるまでの過程をじっくりと待つ、という人でないとクラウドファンディングでの支援までは、なかなか踏み切れないかもしれませんね。

菊池:もちろん、漫画を深く愛する人からも支援をいただいています。ただ、いまのところ中心となって支援をいただいているのは、供給側の「関係者」ですね。私たちとしても、まずはそういった方々の支援の輪が拡がれば、と考えています。あと残りわずかの期間ではありますが、一人でも多くの方からご支援をいただければ幸いです。

* * *

All-In方式(目標額に仮に達しなくても支援額はファンディングされる)のクラウドファンディングにより資金調達を図る「マンナビ」は、年内にはサービスをスタートする予定だ。菊池氏が話してくれたように、漫画をめぐる環境が変化を続けるなか、多様で魅力的な作品が、より数多く生まれるためには、こういったプラットフォームが必要不可欠だ。「マンナビ」から生まれる出会いと、そこから生み出される「面白い作品」に、私も期待したいと思う。

我輩はいかにしてカクヨム作家となりしか

2016年7月23日
posted by 波野發作

「カクヨム」というウェブサービスがある。2016年2月29日にサービスを開始した、小説投稿サイトである。同種のものに「小説家になろう(@なろう)」などがあるが、カクヨムはKADOKAWAが運営するということで話題になり、期待も集まった。

小説投稿サイトとは、一般人の参加者(稀に職業作家が混じっていることもある)が自作の小説をウェブブラウザでBBS(掲示板)に書き込むように投稿し、公開するものだ。読み手はそれを読み、ブックマークをしたり、レビューをつけたりして評価する。書き手はPV(ページビュー)やレビューの★の数に一喜一憂するというものである。玉石混淆ではあるが、中にはそこからメジャーデビューした作家も現れており、新たな新人発掘の場として、作家志望者からも、版元からも期待されている場となりつつある。

そんな「狩り場」をKADOKAWAが直営するとなれば、鳴り物入りの新規参入ということで注目されるのは当然。発表からしばらくはインディーズ作家界隈でも、このカクヨムの話題で持ち切りだったのである。

カクヨムへの参入パターンは大きく分けて三つあった。

一つめは、すでに小説投稿サイトで活動している作者が、新大陸を求めて手を伸ばす場合。小説投稿サイトでは一般にマルチポストを禁じていないため、過去に@なろうで公開している作品をそのまま移植して、公開開始日にロケットスタートを試みようとする者たちだ。@なろうの方で後発の参加者だった場合、簡単にはランキング上位に食い込めないため、新サービスでの一斉スタートに賭けようと考えるのは自然なことである。

二つめは、小説投稿サービスではなく、Kindleダイレクトパブリッシング(KDP)などの電子書籍サービスからセルフパブリッシング(自己出版)を行なっているというタイプの作家。この場合は、電子書籍で販売・公開している作品をそのまま移植する場合と、その続編や番外編を書く場合のどちらかが多かったように思う。もちろん新規の作品を出してくる者もいた。しかし小説投稿サイトのプロトコルは電子書籍型の執筆スタイルとは大きく差異があるため、なかなか適応できず早々に撤退する方々も少なくはなかった。

三つめは上記のいずれでもなく、まったくの新規参入の皆様である。

ぼくの場合はパターン2に該当する。

ぼくが本名の原田晶文名義で「マガジン航」に投稿させていただいた「もしも、ペナンブラ氏が日本人だったら」で経緯をご報告したとおり、すでにKindleほかで発売した電子書籍があり、月刊群雛や群雛文庫でも作品を発表してからのカクヨムへの参入だったからだ。しかし、処女作で未完の『ストラタジェム;ニードレスリーフ』にしろ、SF小説『オルガニゼイション』シリーズにしろ、発刊にあたって他の方々を巻き込んでいたため、それらを勝手にカクヨムにそのままアップするわけにはいかなかった。また、正月から2月にかけては『別冊群雛』(「鼎談:自己出版ブームの原点、藤井太洋「Gene Mapper」誕生秘話」参照)の編集長代理などをやっておったために新作を書くこともできず、カクヨムへのスタート時点での参入は断念していたのだった。

その後、スキマ時間でカクヨムに3本ほどの新作小説を書きはじめたものの、いずれもPV(ページビュー)が100未満という鳴かず飛ばずのまま、更新も途絶えてうっかり数ヶ月が経っていたのである。

はい、ここまでが前置き

「友達に誘われたので」というアイドルみたいな言い訳

そんな状況だったので、春に行なわれた「第1回カクヨムWeb小説コンテスト」の経過にも興味はなかったし、そのあと6月から開催されたこの「エッセイ・実話・実用作品コンテスト」もまったくのノーチェックであった

筆者が参加した「エッセイ・実話・実用作品コンテスト」

筆者が参加した「エッセイ・実話・実用作品コンテスト」

友人でライトノベル作家のイクヤタダシが、カクヨムのコンテストにチャレンジすると言い出したときも、あまり興味はそそられなかった。しかし、このコンテストは実話ベースのノンフィクション作品を投稿するものだと聞き、しかもイクヤタダシ自身に起こった事件を赤裸々に語るのだ、ということで、それは見ておかねばならぬと思い直した。

実際、彼の物語『元ラノベ作家が電子書籍を自力で作成して販売してみた話』はコンテスト開始から10日ほどの時点ですでにランキング上位におり、大いに注目を集めていた。彼との個人的な付き合いもあったが、内容が面白かったのでレビューをしておいたところ、その礼とともに「波野さんもやってみたらどうか」と誘ってもらったのだ。

実話と言えば「SS合評」というスポーツ文芸イベントに参戦して、下世話な自分語りばかりを披露してきていたわけだけれども、今回は「エッセイ・実話・実用作品コンテスト」である。実用と言えば、ぼくは元々実用書編集者であり、実用書ライターでもある。文芸はまだ新参の2年生であるが、そっちは20年選手でそこそこのキャリアもある。ならば、多少は善戦もできるのではないか、と思い立ち、コンテストへの参戦を決断した。

書籍の執筆から編集、出版、印刷、製本、あとはコンビニのバイトで雑誌を売ったことまであるグランドスラム経験を生かして、「本の一生」を描いてみよう、ということに決めたのである。キャッチコピーは〈「我輩は本である。名前はまだない。」で始まる出版業界串刺しエッセイ〉とした。この時点では名前どころかプロットすらなかった。ただ、本の作られる工程はすべて頭に入っているのだから、それを順に追えばいい。そう思っていた。

タイトルは『我輩は本である』とした。

ただ、書き続ける日々

ぼくが『我輩は本である』を書きはじめたのは6月15日で、コンテストの開始からすでに二週間が経過していた。完全な出遅れではあったのだが、一度は書いてみたかったテーマであるし、書き上げてしまえばあとはセルパブででも出してしまえばいいわけで、とくに入選にはこだわらずに書き進めることにした。

初回は「企画書はA4で2枚で」というサブタイトルをつけた。登場人物は自分の分身のようなものであるが、エピソードは実体験だけでなく伝聞や一般論なども盛り込むことにした。1冊の本ではさすがにそんなにいくつもトラブルは重ならないし、あまりリアルに書きすぎてもそれはそれでいろいろマズいわけで、いろいろかき集めながら何重にもオブラートでくるんで、さらにPP加工したりして誰が見ても内容がわかり、誰が見てもそれが自分らのことだとはわからないように工夫した。読んで、あれ? これって自分のことかな? と思ってもそれは思い過ごしである。すべては実際に起こったことであり、出版関係者であれば誰にでも起こりうることであるからだ。

1日に3000字ほどを書き進めていく。プロットも何も作らずにただ実用書の制作過程を書き進めるだけだから、伏線もないしトリックもないし、設定もない。ただ記憶を呼び覚ましながら思い出を並べていくだけなのでペースは早かった。とくに朝は執筆が捗る。平均1時間ほどで書き上げては朝のうちにアップしていく。たまに時間があれば夜にも書いて、1日に2話アップすることもあった。

本作のモデルとなる実用書は、「遺言書」をテーマとした。遺言書の本は実際に作ったことがあり、小道具として盛り込むために新たに内容を考えずに済むからだ。ただし、この物語で扱った監修者の交代劇などのエピソードはぼくの扱った本では起こっていない。細かなエピソードはみな、他の本で起こったことを集めて移植している。

登場人物の名前は『吾輩は猫である』をから借用させていただいた。また、『坊ちゃん』的なあだ名システムも使わせていただいている。なんといっても今年は夏目漱石没後100年のメモリアルイヤーであるからだ。タイトルも書き出しも大文豪にあやかっている。ちなみに『猫』のパロディ本は「吾輩」ではなく「我輩」と表記するケースが多いので、ぼくもそれに倣った。

構成としては、毎回「我輩は本である。○○だ。」で始まり、「我輩は本である。●●だ。」で締めるスタイルとした。基本的にはエッセイなので、出版に関する四方山話を盛り込みつつ、狂言回しとして主人公がいてその周辺人物とのやりとりで本の制作工程が進むような構造にした。当然、脚色はしているので、果たして「エッセイ・実話・実用作品コンテスト」の対象作品として認められるかどうかという問題はあったが、それはぼくが考えることではない、と開き直って書き進めた。

結末は猫に倣って「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。」で締めくくり、7月9日、全30話、10万5000字ほどを書き上げて完結とした。

カクヨムではPVの内訳グラフを見ることができる。

戦略と戦術

先にも述べたが、ぼくのカクヨムでのPVは極めて少ない。電書界隈で知られた作家であれば、軽く数百PVは稼ぐのだが(それでも当人らは少ないとボヤいているが)ぼくはさらに桁が少ない。今回もそのようなことになるだろうと思っていた。

ところが連載開始早々に、予想外の展開となった。ぼくの周囲には出版・印刷関係の友人・知人が多く、今回のテーマには興味を引かれたらしく意外にも結構なPVを稼ぎだしたのである。レビューの★数もトントン拍子に増えてすぐに2桁となった。これまでの渾身の創作小説は見向きもされなかったが、ただ日常の職業経験を垂れ流しただけのエッセイは見てもらえる、という逆転現象が起こってしまい複雑な心境ではあったが、ランキングの順位はいつしかデイリーで50位にまで上昇していた。

このコンテストの参加者は500人以上ということなので、50位であればかなりの上位と言える。このコンテストは、「読者選考」の最終日である7月14日23時59分時点で30位までに入っている作品と、その他編集部でピックアップした数作品が最終選考に選ばれることになっていた。編集部のピックアップはあまりアテにならないので、さしあたっては30位に入ることが第一目標となる。翌日のランキングは44位だった。ひょっとしたらこれはいけるのではないか、ということで早めにテコ入れを画策することにした。

この時点で、イクヤタダシは3位に君臨していた。初動がよかったので上位をキープできているようだ。ここまで上位であれば最終的に30位以下にまで落ちる心配はない。内容もノウハウ編に突入し、新たな読者をつかんでいたようだ。このタイミングでその彼から有益なアドバイスをもらった。「キャッチーなタイトルに変えるとPVや★が伸びる」というものだ。なるほど。

さっそくこの意見を取り入れて『我輩は本である 〜白紙が紙くずになるまで〜』と改めた。タイトル自体を『我輩〜』から変えることも考えたが、毎回本文を「我輩は」で始めている以上、タイトルを変えてしまうとなんだかおかしなことになってしまう。変更はサブタイ追加のみに留めた。ついでに紹介文も書き換えて、より内容が明確になるようにした。さらに読者サービスとして主要な登場人物の紹介もつけ加えておいた。

それが功を奏したのか、さらに順位は伸びて35位まで上昇した。改善の効果はあったのだ。しかし、ここからが伸び悩む。30位まではあと一歩だし、せっかくなのでどうにか滑り込ませたい。そこで、ここでできることは全てやろうと決めた。やるだけやってダメだったらあきらめもつくというものだ。

まずTwitterで宣伝するための「カバー画像」を用意した。@なろうもそうだが、カクヨムにもカバー画像や挿絵画像をアップロードする機能はない。ただひたすら文字だけのウェブサイトなのである。しかしTwitterで宣伝しようと思ったら、ヴィジュアル要素があるのとないのとでは大きく効果が変わる。高速で流れていくタイムラインで目立たせるためには、ヴィジュアルは必要不可欠な要素なのだ。画像はいつものようにフォトストックでイラストを買い、タイトルなどを盛り込んで作った。

Twitter宣伝用の「カバー画像」

Twitter宣伝用の「カバー画像」

これを3000人ほどフォロワーがいるぼくのTwitterで定期的に流すことで、大幅にPVは向上した。しかし、★が伸び悩んだために順位は再び45位前後までに落ち込んでしまったのだ。

ここで一つの可能性に思い当たった。PVもランキングになんらかの影響を及ぼしているとは思われるが、主軸となっているのはあくまで★の合計数なのではないかということだ。作家仲間にアドバイスを仰いだところ「完結してから★をつけようと思っている人もいるのではないか」という意見をもらった。そこで、35話ぐらいまで書き続けるつもりだったものを、終盤を整理して全30話で完結させた。この時点で最終期限までは残り5日間。あとはひたすら宣伝するだけである。

そうして、ぼくは7月13日の時点で『我輩は本である』をランキング25位にまで上昇させることに成功した

カクヨム作家の一番長い日

7月14日。この日の23時59分が読者選考の最終期限である。その時点で30位以内の作品に最終選考への資格が与えられる。他に入選の条件とされているものは「5万字以上」ということだけだ。完結しているかどうかは最終選考の条件には含まれていなかった。しかし、この時点で上位50位の作品はすべて5万字を超えており、すでに入選条件を満たしていた。また、多くの作品は完結させてあったので、このゾーンの参加者には「冷やかし」はいないように思えた。

25位は微妙な順位である。自分が順位を伸ばしたときの経験から、★10ぐらいでも大きくジャンプアップすることはわかっていた。単純に★の数だけでランキングが決まってはいないのだが、最もランキング変動が大きいのは★数であり、最終局面ではとにかく★を観測すればいいと考えていた。

そこでこんな表を作った。

★の運行を観測するためのスプレッドシート

13日時点での★数を目視で計測しておき、14日に各作品がどう変動するかを1時間ごとに観測し、自分の順位がどう動くかを測ろうとしたものである。下位に大幅にジャンプアップしてきそうな作品があれば、こちらもなんらかの策を講じる必要があるし、全体に動きがまったくないのであればただ見守ればいい。

午前中、30位〜50位で4作品ほど急激に★を伸ばしてくるものがあった。彼らはTwitterで宣伝をしていたので、その効果が出たのだろう。伸び幅を考えると40位台のものはさすがに上位までは来ないと思われたが、30位台のものは一気に食い込んでくることが予測された。テコ入れゼロでは危ういと思われたので、ぼくもTwitterで追加宣伝し、Facebookなどでも最後のお願いをしておいた。交流のある人たちの多くはすでにレビューしてくれたあとだったのであまりノビシロはなかったのだが、それでも新たに読んでくれた人がいて★9を上乗せすることができた。ありがたい。

夕方になるといよいよ各陣営に動きが出てきた。この頃になると30分ごとの観測ペースになっていたのだが、チラホラと★に動きがでてくるようになった。ここで謎の異変が起こる。まず、僕の★がいきなり3つ減ってしまったのだ。まずい。このまま減ったら圏外に一直線である。下手に宣伝をして反感を買ったのだろうか、などいくつものネガティブな憶測が脳裏をよぎった。しかし、観察を続けると★が減ったのは僕だけでなく、上から下までほとんどの作品で一律3ほど減っていた。多少のバラツキはあるにせよ、全体が地盤沈下したのである。レビューの★は取り消しができるので、誰かが評価を取り下げたか、あるいはアカウントが削除されてしまったかのいずれかの理由が考えられたが、全体に同様に起こるのは妙である。結局、この現象がどういう原因で発生したのかは不明のままだ。これには肝を冷やした。

その後も、20位以上の上位作品には目立った動きはなかった。20位以下のぼくの作品の周辺では★の動きが活発ではあったが、それでも二桁以上伸ばしてくるものはなく、むしろ変動のない作品もあったから、このままならなんとかなるかもしれないとは思っていた。ゴールデンタイムに突入しても、最後にテコ入れをしてくる作者もあまりおらず、そのまま深夜、てっぺんを回った。

しばらくして7月14日付の順位が確定すると、ぼくは24位となっていた。予想通り30位台で10以上の★を上乗せしてきた作品が飛び込み、今日★の追加のなかった作品はそのまま押し出された。ぼくも追加分がなかったら危うかったわけだ。ともあれ無事に30位以内でフィニッシュし、最終選考へ残る資格を得ることができたのだ。また、コンテストに誘ってくれたイクヤタダシも無事11位でゴールしていた。

最終的に30位に残った作品を眺めてみると、実にバラエティに富んでいて興味深い。ただ、やはり小説の執筆や出版に関するものが多いようだ。もちろんぼくの『我輩は本である』もその一つである。ギリギリ5万文字を越える文章量のものが大半で、ぼくのように10万字以上のものは少なかった。今回は受賞すると「賞金20万円+書籍化」という特典がある。書籍化を考えると5万字では少ないので、文字数の多い方が有利なのかなと思ったりもしたが、売り出すときには加筆すればいいことなので、やはり内容重視にはなるだろう。

こうして、ぼくの初めての賞レースはひとまずフィニッシュとなった。この30作品にさらに編集者がピックアップした数点を加え、最終選考へ進む作品が7月のうちに正式公開されることになっている。そして、最終選考の結果は9月30日発表だ。リザルトの発表までは2ヶ月以上あるわけだが、健康に悪いのでそれまでは忘れて過ごすことにしよう。

カクヨム:波野發作『我輩は本である 〜白紙が紙くずになるまで〜』https://kakuyomu.jp/works/1177354054881230791

「カクヨム」の作品ページ。スマホのアプリでも読める。

カクヨムの作品ページ。スマホのアプリでも読める。

孤軍奮闘の作家をサポートするオーサーライト

2016年7月14日
posted by 小林恭子

「一生のうちに一度でもいいから本を出してみたい」――そう思う方は多いのではないだろうか。

昨今では、その夢は叶いやすくなったのかもしれない。商業出版や「自費出版」(著者がコストを負担する紙の本の出版代行)といった今までの道に加え、テクノロジーの発展によって、電子書籍の形でコストをほとんどかけずに著者自身が行う出版(「自己出版」)も可能になったからだ。アマゾンの「キンドル・ダイレクト・パブリッシング(KDP)」を利用して、好きなように書いたコンテンツを電子本として販売したり、日本であれば「note」のようなコンテンツ課金が簡単にできるサービスを使ってブログを有料出版することも可能だ。

しかし、自己出版が可能になったからといって、一人で何から何までやるのは容易ではない。また、たとえ商業出版をしたとしても、本の存在を広く知ってもらい、財布のひもを緩めてもらうところまでこぎつくのは並大抵ではない。

筆者はこれまでにノンフィクションの本を出した経験があるが――一度でも本を出したことがある人はほとんどが同意すると思うが­――本を執筆し、出版する形に仕上げるまでの工程はもちろん最も重要な部分ではあるものの、その後、作った本の存在を知らしめ、できればメディアに取り上げてもらい、一部でも買っていただく――この部分が実は最も難しい。

ところが、この部分でのサポートは普通は行われない。よっぽどの著名人かベストセラー作家でもなければ、本が世に出た時点で、著者は突然、誰からもサポートがない状況に置かれてしまう。後は神に祈るしかない――大げさに言えば、そういうことだ。自費出版、自己出版、商業出版――すべての形の出版において、この状況は変わらない。

英国には、著者をそんな孤軍奮闘状態から救い上げてくれるサービス「オーサーライト」がある。「著者」(author)と「権利・正しい」(right)という言葉を組み合わせた社名のとおり、編集から、本の表紙のデザイン、ウェブサイト構築、ブランディング、ソーシャルメディアでの展開、マーケティング、宣伝までの面倒を見てくれる会社だ。

このオーサーライトのCEOであるガレス・ハワード氏にロンドン・オフィスでインタビュー取材を行い、同社のサービス内容などを聞いた。

作家としての失敗体験から

オーサーライトは、2007年、ある著者のさんざんな経験を元にして立ち上げられた。

のちに共同創業者の一人となるハワード氏は小説『一つの白い失敗(Single White Failure)』の原稿を複数の出版社に持ち込んだが、「売れないだろう」という理由で断られ続けた。そこでやむなく自費出版し、自分と同じくジャーナリストであったヘイリー・ラドフォード氏らと共同してPR作戦を展開したところ、英BBCやサンデー・タイムズ紙、米メディアなどに続々と取り上げられたという。

「自分のこの体験を生かし、ほかの著者を助けたい」――そう思ったハワード氏はラドフォード氏らとともにオーサーライトを始めた。

対象とするのはあらゆる種類の出版(商業出版、自己出版、自費出版)を目指す著者だが、ベストセラー作家ではない著者や「セルフ・パブリッシング」(日本流では自己出版と自費出版を含む)で世に出ようとする人が中心だ。現在までに約3000人の著者に向けて、さまざまな支援を提供してきた。オーサーライトのウェブサイトによれば、「編集から宣伝までの一括したサービスを著者に提供しているところは、ほかにはありません」。

オーサーライトのスタッフ一覧。左端がガレス・ハワード氏。

オーサーライトのスタッフ一覧。左端がガレス・ハワード氏。

筆者がオーサーライトの存在を知ったのは、2013年の「ロンドンブック・フェア」でのことだった。この年、オーサーライトが担当した著者コーナーが大活況となり、翌年からはブック・フェアには参加せず、独自の「著者フェア」を開催するようになった。フルタイムのスタッフは5人だが、それぞれの専門分野のフリーランサーも雇用している。オフィスはロンドンとニューヨークに置いている。

オーサーライトのウェブサイトを見ると、ライフスタイルをテーマに書く米作家ジュリアンヌ・オコナーが地元のラジオ番組出演がすぐ決定したことを書いている。同じく米国のマリア・コンスタンチンが書いた『私の大きなギリシャ人家族(My Big Greek Family)』にはアマゾンで星5つのレビューが並ぶ。大手出版社フェイバー&フェイバーや、自己出版サービスも行っている「Kobo」がオーサーライトの取引先の中に入っている。

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オーサーライトが手がけて成功した作家ジュリアンヌ・オコナーのアマゾンの個人ページ。

マリア・コンスタンチンの電子書籍は日本のアマゾンからも買える。

「きめ細かく面倒を見ること」

「読者からすれば、その本が自費出版・自己出版なのか、商業出版なのかはもはや認識されないようになった。その違いは問題視されない」とハワード氏は大胆にも宣言する。違いは「本の質だ」と。

オーサーライトのサービスの中でウェブサイトに最初に挙げられているのが「出版サービス(Publishing Services)」。もちこまれた原稿を出版に足るレベルに高めていくためのクリエティブなステップだ。原稿はすでに出版社が決まっている場合も、決まっていない場合もある。

「どんな著者にも編集者が必要だ。どんな本にも編集が必要だ」――オーサーライトのウェブサイトに行って、「出版サービス」をクリックすると、まずこの文章が出てくる。

オーサーライトの「出版」サービスのページ。

オーサーライトの「出版」サービスのページ。

このページの最初の項目は「編集(Editing)」だ。

「編集」と一口に言っても、いくつもの段階がある。まずは「構成編集(Structural Edit)」。原稿全体のあらゆる面に目を通し、その構成、語彙、登場人物の設定、様式、話の広がり方などを細かく見る作業だ。この部分を担当する編集者には、原稿が果たして読まれる本になるかどうかという観点が欠かせない。

次の段階が「編集整理(Copy Edit)」。構成編集者が役割を兼ねる場合もあるが、この段階ではさらに細かい部分に目をやり、文法、綴り、間違った言葉の使い方をしていないかを見る。つじつまが合わない点も指摘する。

次が「校閲(Proofread)」。これまでの編集作業で見落とした点がないかどうかを確認しながら、文章全体を磨き上げ、完全原稿にする。

「出版サービス」の最後の項目は、「表紙デザインの選定(Book Cover Design)」だ。どんな表紙にするかでその著者のイメージも決まっていくので、この作業には「ブランディング」という要素もあるとハワード氏はいう。

出版事業も手掛ける理由

ここまでで、本にする原稿ができ、表紙のデザインも決まった。

さて、どこから出すか。これまでオーサーライトが扱う作品は同社以外から出版されてきた。しかし、それだけでは十分ではないと感じたので、みずから出版業も始めた、という。

これまでは、出版までの編集作業と出版後の宣伝・広報支援を中心にしてきたオーサーライトが近年手掛けるようになったのが、オンデマンド印刷による出版事業「クリンク・ストリート・パブリッシング」だ。現在のオフィスは高級ショッピング街メイフェアにあるが、その前にはクリンク・ストリートにあったことからこの名前になった。

クリンク・ストリート・パブリッシングのサイト。

クリンク・ストリート・パブリッシングのサイト。

自社から出版されたタイトル。

自社から出版されたタイトル。

オーサーライトの顧客は初めて本を出す著者、なかでも商業出版社からではなく、自費で本を出そうとしている著者だ。そうした著者に対して編集から宣伝までの部分で面倒を見ても、最後の出版(著者自身がすでに出版社を見つけている前提)の段階で不遇な目にあう著者をハワード氏はたくさん見てきたと言う。

ハワード:本の価格が出版社の都合で不当に高く決められたり、発売日を直前になって知らされたりすることがあるのです。

「著者に力を与えたい」というのが起業の理由であったことから、こうした不当な目に会う著者を減らすため、オンデマンド出版の専門企業「Ingram」や「ePubDirect」を使ってオーサーライトは出版業も手掛けることになった。

印刷と配送の実費を差し引いた純収益の25%をオーサーライトが取り、残りの75%が著者の収入になる。「日本も含めた海外のどの国でも、ここから出版された本の販売ができる」という。

しかし、原稿が完成し、出版の準備ができても万全ではない。

作った本の存在を多くの人に知ってもらい、買ってもらわなければ――。そのための支援は「オーサーライトが創業した最初の日から、私たちが最も力を入れていた部分だ」とハワード氏はいう。

いまや著者が直面する最大の問題は、「自分の本を出版できるかどうか」ではなく、「出版後、どうやって多くの人にその本の存在を知ってもらい、購入行動に結び付けるか」になってきたという。

ハワード:あなたが料理本を書いたとしましょう。今では多くの有名人が料理本を書きます。どうしたら、あなたが書いた本を有名人が書いた料理本と同じぐらいに、メディアで取り上げてもらえるでしょう?

誰しも秘訣があったら、知りたいところだが、「ここで私たちの専門性が生きるのです」とハワード氏はいう。自分自身が元ジャーナリストであり、オーサーライトにはほかにも元ジャーナリストがいるので、メディアがどう動くのかを知っていることが彼らの強みだというのだ。

ハワード:本を書きたい人の前で講演をするとき、私が必ず言うのは、「早まるな」ということです。自己出版のソフトを使えば、原稿が完成してから数時間で出版してしまうことも可能でしょう。でも、それでは早すぎるのです。

オーサーライトがある本を扱う場合、出版予定日の半年前からプロモーションの準備を始めるという。

ハワード:なぜなら、ジャーナリスト側にはそれぐらいの準備期間が必要だからです。私たちはメディアのスケジュールに合わせて、話を進めていきます。彼らは本が出版される前にそれがいったいどんな本かを十分に知っている必要があるのです。

信頼関係に結ばれたネットワークを多くのメディアとの間に持つオーサーライトは、手掛けた本を大手紙テレグラフやデイリー・メール、BBCなどの主要メディアに続々と取り上げてもらう実績を作ってきた。

本のマーケティング、宣伝活動、プレス・リリースの作成、著者がメディアに出演した場合の対応の仕方、ソーシャルメディアの効果的な使い方など、ありとあらゆる面での支援が、本の刊行後も続く。

書き手が成功していくのをみたい

オーサーライトと著者との最初のコンタクトは、メールによることがほとんどだ。その後、スタッフの一人が電話、スカイプ、あるいは直接会って話を聞く。「オーサーライトで面倒を見よう」と決めるまで、著者と2時間から5時間ほどかけて、じっくり話を聞くという。オーサーライトで扱うかどうかを決める、この最初の相談は無料だ。

オーサーライトの主な収入源は、編集、表紙デザイン、出版、マーケティング、宣伝活動などの作業それぞれについて著者が支払う金額だ。編集の部分にだけ関与するという選択肢もある一方で、すべてを頼む「コンシェルジェ」というサービスもあるという。

ハワード:著者にはなるべくたくさん本を売ってほしい。本が売れれば、こちらにもそれだけ多くの収入が入ってくるから。でも、それはこのサービスをしている主な目的ではない。私たちはなにより、手がけた本が売れて、書き手が成功してゆくのを見たいのです。

かつて、ハワード氏自身も小説を出版したことがあるのはすでに触れた。もう12年前のことになるが、「当時の私には、どんな構成にするべきか、どうやって売っていったらいいのかについて相談できる人が誰もいなかった」。いまでも、その状況はあまり変わっていないという。

英国では普通の商業出版社から本を出す著者には「リテラリー・エージェント(版権代理人)」がつく。しかし、たとえそうした著者でも、エージェントにも出版社にも頼れないときがある。

ハワード:ささいな相談ごとのたび、いちいちエージェントに電話するわけにはいきません。かといって出版社の担当編集者に電話して、「著者の誰それですが、少しばかりご相談したいことがありまして」と言っても、ふつうは話を聞いてもらえません。

プロの著者でさえそうなのだ。ましてや電子本の自己出版ではテクノロジーが出版社のなすべき役割を代替してくれるから、なおのこと「人間の介在がない」。

オーサーライトが提供する著者支援サービスの特徴は、スタッフがしっかりと著者と話す機会を持つことだ。会社全体では年間1000人を超える著者と面談しており、その約1割がオーサーライトのサービスを受けるようになるという。いったんオーサーライトが手掛けた著者との関係は、著者の側が打ち切らない限り、半永久的に続く。

* * *

最後に、英国の書籍市場についての情報を補足しておこう。英国の人口は約6000万人で日本の半分だ。英国書籍販売者協会によると、2014年、書籍(紙と電子本の合計)は33億1100万ポンド[日本円で約5000億円]に上った。前年の33億8600万ポンドからは落ち込んだが、過去数年、微増傾向にある。

「ザ・ブックセラー」の記事(3月23日付)によると、英国の電子書籍市場で自己出版本が刊行点数で占める割合は、2014年の16%から2015年は22%に増加した。また2015年の販売金額では、電子本が27%(前年は26%)を占めた(「ニールセン&ブックスUK」調べ)。

同記事によると、印刷本は点数と販売金額の両方で前年より増加した(点数は3%増、金額は4%増)。その理由は35歳以上の女性と55-84歳の男性が印刷本を買っているためだった。電子本を合わせた書籍市場は点数で前年比4%増、金額で5%増となった。

本屋とデモクラシー

2016年7月1日
posted by 仲俣暁生

ジュンク堂書店の福嶋聡さんが人文書院のサイトで連載している「本屋とコンピュータ」のコラムの2014年から2016年にかけての文章の一部と、書評その他の文章が『書店と民主主義〜言論のアリーナのために』という本としてまとめられたので、さっそく買って読んだ。

この連載のうち、「マガジン航」にも以下の文章を転載させていただいたことがあった。

書店に「生活提案」は可能か?
https://magazine-k.jp/2015/12/13/no-concierge-for-bookstore/

すでにネット連載で拝読していた文章も、「民主主義」というキーワードのもとで編集された一つの著作として読み直すと、ここ数年の書店をめぐる状況がとてもよく見晴らすことができる。「民主主義」あるいは「デモクラシー」は昨年の安保法制とその憲法解釈をめぐる議論のなかで、久しぶりに再浮上した言葉だが、この間、私がこれらの言葉をもっとも頻繁に目にしたのは、書店の店頭でみた書名やフェアの題名だった。

そこで、今回は福嶋さんの本から刺激を受けつつ、「本屋とデモクラシー」について私なりに考えてみたい。

書店は「劇場」か、それとも「プラットフォーム」か?

福嶋さんのこの本のタイトルは、ここ一、二年のあいだに書店で起きた具体的な出来事をふまえている。その一つは本書の序文および「ヘイト本と書店1」「同2」という文章で話題となる、いわゆる「ヘイト本(差別的言説を内容とする本)」の書店における取り扱いをめぐる議論だ(ネット連載では「第147回(2014/2)」「第148回(2015/1)」に相当する)。

福嶋さん自身、店長を勤めている大阪のジュンク堂書店難波店で2014年暮れから開催していた「店長の一押し『NOヘイト!』」というフェアに対するクレームを「何件も受けた」という(そのときのやりとりも、この本にくわしく書かれている)。

そして、もう一つは序文と跋文で言及されている、2015年10月10日からMARUZENジュンク堂書店渋谷店で開催された「自由と民主主義のための必読書50」というフェアをめぐる騒動だ。このフェアを担当した書店員がツイッターの「非公式」アカウントで発言した不用意な言葉をめぐってネット上で「炎上」がおき、これをきっかけに「50冊」の選書がいったん取り下げられ、「今、民主主義について考える49冊」として11月に再開された、という事件である。

前者の出来事については、2014年12月に大阪のロフトプラスワンウエストで行われた、“日本の出版業界どないやねん!? 物書きと出版社出て来いや!スペシャル”というトークイベントに招かれたさい、福嶋さんは書店員の立場から次のように述べている。

書店の人間として、ヘイト本を書棚から外すという選択はしません。現にそこにある事実を覆い隠しても、それが無くなるわけでもなく、見えなくするのは結局良い結果を生まないと思うのです。むしろ、そうした批判すべき本を、実際に読んでみる必要があると思います。

そしてさらに、こう述べる。

迂闊にも、ぼくはその時まで自分がアウェーにいるなどとは、まったく気づいていなかった。考えてみれば、イベントのタイトルには「物書きと出版社出て来いや!」とあるが、書店は「出て来い」と言われていない。書店は、ヘイト本の乱立という事件が起きている場であるが、書店の人間は蚊帳の外か、議論の相手にはならないと思われているのか……。

『劇場としての書店』という著作もある福嶋さんは、社会をめぐる状況において、書店(人)が「蚊帳の外」や「アウェー」であることを否定する。そして本書の序文で書店を「闘技場(アリーナ)」であれ、と宣言するのだ。

願わくは、今日出る書物は、明日に向かった提言で満ち、人の知性を発火させるものであってほしい。そして、書店は、書物が喚起した議論が実り豊かな結果を産み出す、活気に満ちた「闘技場(アリーナ)」でありたい。

先に触れた政治と本をめぐる事件が、いずれも「書店」というリアルな場所で起きたことに、あらためて注目すべきだろう。たとえアマゾンでどんなに政治的に偏った本が(あなただけのために)「おすすめ」されようと、人はアマゾンにクレームをつけたりしない。本や雑誌、ウェブで発表された「偏った選書」のブックガイドに対しても、これほどまでのクレームはつかない。

ところが、リアルな場である書店が、選書やフェアという形で「政治」となんらかのかかわりをもち、その存在感を少しでも示すと、そのような場を成立させまいとする力がさまざまな方面から働く。典型的には「クレーム」の殺到である。いま書店は、「提言」同士が競い合う闘技場である以前に、書店人がみえざる敵と戦わなければならない場でもあるようだ。

福嶋さんの考え方は、「劇場」「闘技場」という言葉を使わなくとも、別の言い方で表現できるのではないか。それは、書店はたんなる「プラットフォーム」ではない、ということだ。

ジュンク堂(あるいはMARUZENジュンク堂)のような大きな書店となると、店頭に並ぶ本は膨大で多岐にわたる。そのためアマゾンのようなネット書店や大規模図書館と同様、そこが一種の中立的な「プラットフォーム」であることを期待する人がいるのは当然だろう。しかし福嶋さんは、それに対して「ノー」と言う。

だがそれは、たんに「書店(人)はもっと自己主張すべきだ」ということではない。「闘技場」とは、さまざまな価値観が存在することを前提に、それら同士がぶつかり合うことで生じるノイズや軋轢を避けることなく、むしろそれを可視化する場所という意味だろう。アルゴリズムによって顧客にとって快適な「おすすめ」を提示する、アマゾン的な調和の対極に位置すること。それがいまリアル書店に求められている社会的役割だと、福嶋さんは考えているのではないか。

社会のなかに存在している限り、書店も書店員も、決して「蚊帳の外」や「アウェー」という安全地帯にいることはできない。にもかかわらず、「蚊帳の外」「アウェー」にいろ、という社会からの暗黙の圧力があるのだとしたら、それには負けるな、あくまでも当事者であれ。この本は、その覚悟と決意の表明なのだと私は受け止めた。

いろんな「本屋」があることが、デモクラシーの基礎となる

「書店」や「本」と「政治」をめぐって起きた昨今の事件の舞台がジュンク堂という大規模書店であったのは、「プラットフォーム」としての安定性や中立性への期待の半面であり、それなりの必然性がある。

しかし中規模以下の書店(ここでは大規模店と区別するための「本屋」と呼ぶ)の場合、本を網羅的に置くことができない以上、なんらかの意味で「セレクトショップ」にならざるをえない。そうした本屋の選択に対しても「偏っている」とか「政治的だ」という声はあがりうるが、多くの場合、社会的に小さな存在であるために見過ごされるか、せいぜい、地域のコミュニティのなかで小声で評判を囁かれるだけだろう。

ところで、書店を一種の「競技場」ないし「劇場」として捉える福嶋さんの考えに異を唱えるわけではないが、私は「書店と民主主義」をめぐる彼の考え方とは別の方向で、「本屋とデモクラシー」について考えてみたい。

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「マガジン航」にも寄稿してもらったことのある竹田信弥さんが経営する「双子のライオン堂」で、雑誌についての小さなゼミを開催した際、『これからの本屋』(書肆汽水域)という本の存在を知った。著者と発行者は北田博充さん。取次で長く勤められた後、独立して書肆汽水域という版元を立ち上げ、これが一冊目の本となる。

この本には、さまざまな「本屋」が登場する。実際の店舗もあれば、空想上の「書房」もあれば、求められた先で「本屋」をつくりだすフリーランス書店員もいる。大がかりな「場所」であることから自由になったとき、「本屋」はこれほどまでに多様なあり方ができるのかと、一読して驚いた。

こうした「本屋」のあり方について、多くの人々が考えるようになったきっかけが、元「新文化」編集長の石橋毅史さんが書いた『「本屋」は死なない』(新潮社)であることは間違いない。この本以後、2010年代には「書店/本屋」についての本の刊行が相次いだ。「マガジン航」でも、それらを一望して2013年の暮れにこんな記事を書いたことがある。

「本屋さん」の逆襲?――2013年を振り返って
https://magazine-k.jp/2013/12/31/bookstores-strike-back/

『「本屋」は死なない』のなかで石橋さんは、「本屋」とは店ではなく、人である、という考え方をつよく打ち出した。そして、「ひぐらし文庫」という小さな本屋をはじめたばかりの原田真弓さんが語ったという、次のような印象的な言葉を、この本のなかに書き留めた。

情熱を捨てられずに始める小さな本屋。
それが全国に千軒できたら、世の中は変わる。

原田さんの「ひぐらし文庫」はその後、残念ながら店舗での販売をやめてしまったが、この言葉のとおり、「世の中」は変わりつつある。少なくとも、本屋についての考え方、自分は「本屋」だと考える人々の行動は大きく変わった。

町中の小さな書店に対して、かつては「金太郎飴書店」という言い方があった。どこを切っても同じ絵柄が出てくる、という悪口だ。でも、この十年ほどのあいだに消えていったのは、まさにその「金太郎飴書店」だった。いまではこの本で紹介されているお店をはじめ、じつに多種多様な「本屋」が、しかも東京のような大都市だけでなく、全国に生まれつつある。

それらはまだ「千軒」とまではいかないかもしれないが、姿かたちをその町、その土地の特徴にあわせた「本屋」が、日本中に増えていくとき、福嶋さんが理想とするのとはまた別の意味で、それはこの国の「デモクラシー」の基盤となるように私は思う。


【イベント開催のお知らせ】

この記事を書いた後に、「#本屋とデモクラシー」をテーマにしたイベントを開催したいという申し出を次々にいただいています。まずは第一弾として、9月6日に渋谷のLOFT 9 Shibuyaにて、以下のキックオフを行います。ぜひ、ふるってご参加ください。

#本屋とデモクラシー〜シブヤ・いちご白書・2016秋〜
http://www.loft-prj.co.jp/schedule/loft9/48460

日時:9月6日(火)19:30開始(19:00開場)
前売¥2,000 / 当日¥2,300(税込・要1オーダー500円以上)

【チケット発売開始中】
http://eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002199942P0030001

出演:
・辻山良雄(「本屋Title」店長)
・松井祐輔(小屋BOOKS、H.A.Bookstore)
・梶原麻衣子(月刊『Hanada』編集部員)
・碇雪恵(日販リノベーショングループ)
・藤谷治(小説家、元フィクショネス店主)

司会進行:
仲俣暁生(「マガジン航」編集人)

第2回 人と地域がつながる機会を生み出す

2016年6月30日
posted by 影山裕樹

“よそ者”が発見する地元の魅力

『ローカルメディアのつくりかた』(学芸出版社)では、主に三つの論点で取材をしている。「地元の魅力の発見」「発行形態の実験」「よそ者と地元の人との関わりかた」である。前回の連載で取り上げた「本と温泉」は二つめに該当する。

今回は、三つめの“地域の人”と“よそ者”が協働するローカルメディアを紹介したい。

滋賀県近江八幡市に本社のある菓子舗の「たねや」が発行する「La Collina」は、およそ企業の広報誌にありがちな“商品カタログ”的な要素が一切ない。企業が根ざす近江八幡という土地の魅力を最大限に伝えたいという明確なコンセプトがあるので、賞味期限の短いカタログ的な要素を一切排して、川内倫子さんをはじめとした写真家の撮り下ろした人や風景の写真がメインのコンテンツになっている。

だから、まるで写真集を読んでいるような気分になる。さらに、そっと添えられる地元のエピソードが、近江八幡という土地に行きたいという気持ちにさせられる。この冊子は全国の「たねや」のショップで手にいれることができるのだが、このクオリティで無料なのがすごい。

「La Collina」

「La Collina」(撮影:喜多村みか)

ラ コリーナ近江八幡「メインショップ」の外観(撮影:著者)。

「La Collina」のディレクションを手がけるのは、東京に事務所を構える信陽堂編集室。遠い滋賀県の企業の広報誌を、東京の人材が手がけるのはスピード感や予算を考えても効率が悪いと一見思える。しかし、たねやグループ広報室の田中朝子さんはこう語る。

「近江にはこんないいところがあるんだ」とか、「どこか懐かしい気持ちになるなぁ」とか、地元の再発見につながるものにしたいというのがまずありました。そして、県外の人には、近江はこんなにいい場所なんだよって知ってもらう。そのためには、外の人の視点でこの町の魅力を発見してもらう必要がありました。

ローカルに根ざしたメディアだからといって、地元だけで流通するわけではない。いや、前回紹介した「みやぎシルバーネット」のように、地元で完結するという“潔さ”も大事なのだが、ローカルなコンテンツを都市部の人々の届けたい場合は、外から見てユニークかどうかという視点は確保する必要があるだろう。そこで、「La Collina」のように都会のクリエイティブ人材を協働のパートナーとして選ぶローカルメディアが増えている。

“よそ者”と“地元の人”が一緒になって“まち”を編集する

『ローカルメディア〜』の中で紹介した媒体はどれも、外部のクリエイティブチームとタッグを組む際、彼らに仕事を投げっぱなしにしないよう気をつけていた。地元と外部の制作者が共に考え、同じ立場で作り上げるという姿勢が大切なのだ。クライアントである地元の発行主体が強権をふるってもダメだし、都会の編集者やデザイナーが自分のやりたいことを追求しすぎてもうまくいかない。このバランス感覚が重要だ。「La Collina」を始めどこも皆、多少交通費がかさんだとしても、顔を突き合わせて話し合う機会をなるべく作るようにしているのが印象的だった。

COMMUNITY TRAVEL GUIDE『三陸人』

COMMUNITY TRAVEL GUIDE『三陸人』(撮影:喜多村みか)

地元の見るべき名所ではなく、会っておきたい人にフォーカスする観光ガイドCOMMUNITY TRAVEL GUIDE(英治出版)というシリーズがある。これは、博報堂のクリエイティブチームが立ち上げたissue+designという団体が手がけている。制作主体はissue+designだが、そのつど異なる地域の人々と協働を行っており、これまでに『海士人』『福井人』『三陸人』『大野人』『銚子人』が刊行されている。

このCOMMUNITY TRAVEL GUIDEが面白いのは、地元の人との編集のプロセスを仕組み化している点である。例えば『大野人』の第一回目のワークショップでは、「魅力的な大野人と宝物を発掘する」というテーマで、さまざまなアイデアが地元・福井県大野市の参加者から出てきた。すると、そば打ちの達人、どんぐり作家、里芋堀りの救世主など100以上の”大野人”がリストアップされ、「大野の伝説」「とんちゃん文化」「川遊び」などの宝物が浮かび上がってきた。

こうした人と宝物というコンテンツの種をもとに、取材、撮影、執筆にチームが分けられる。そして第二回、三回とワークショップを重ねることでこれらの成果をフィードバックし、実際の記事に落とし込んでいくという。結果として「軽トラデートスポット7」「雪かき決まり手四十八手」というような、ちょっとやそっとでは思いつかない記事が生まれていく。

実は、ローカルをテーマにしたメディアは、ウェブ媒体を含めれば地方のみならず、首都圏でも近年たくさん生まれている。 LCCの登場や高速バスの低価格化などによって、移動が安くなって国内旅行が見直され始めているのと同時に、家賃の安さ、自然の豊かさなど様々な理由によって移住を希望する人々のニーズも高まっている。原発事故も後押ししただろう。定年退職の熟年層から、子育てを考える若年層まで世代も多様だ。このところ首都圏のメディアもローカルを新たな市場として見出し始めているように思う。

そんなとき、読者が欲しいのは単なる憧れを煽る地方の理想的な姿ではなく、移住や観光を具体的に進めるために役に立つ情報だ。しかし、東京のメディアのチームだけでは、現地の一次情報はなかなか手に入らない。たとえライターが毎回地方に出向いて取材を行い、記事を執筆するとしてもコストがかかりすぎるし、たとえ1日や2日行ったとしても地元の本当の姿は描けないだろう。

一方、地元の人たちだけで地域の細やかな魅力を引き出そうと思っても、農協が推す特産品や自治体が推す観光スポット、B級グルメなどメディア映えするもの以外で、自信を持って語れる宝物が果たしてどれくらい見つかるだろうか。

ここで重要なのが、上記のようなワークショップ、それからオン・ザ・ジョブ・トレーニングという機会を一連の編集フローの中に組み込むことだ。“よそ者”と“地元の人”が、ローカルな情報と、その“魅せ方”を競い合って議論しあうことで、読者が本当に欲しいコンテンツが明確になってくる。そして何より、そのプロセスで起きた悲喜こもごものドラマは、ともすると出来上がったものそのもののクオリティよりも、つくり手たちの記憶に深く刻まれる“宝物”になる。

フランソワ・トリュフォーが『アメリカの夜』という映画の中で、作品の裏側の撮影所の中で起きる人間ドラマを描いたけれど、大勢のスタッフや関係者が一つのものをつくり上げる協働の現場では、作品には現れないスタッフどうしのケンカや恋愛などの事件が日常茶飯事だ。だからこそ、互いに右往左往しながらメディアをつくる“プロセス”の記憶は、 “よそ者”と“地元の人”の絆を深くするし、そういう経験を共有しているからこそ、ましてやメディアが出来上がった時の喜びは計り知れないものになるだろう。

メディアは目的ではない、手段なのだ

少し話は変わるが、3.11の震災の日、僕は東京・巣鴨の自宅にいた。当時飼っていた20歳の老猫を抱えてクローゼットに隠れ、揺れが収まるのを待っていた。大きな衝撃の後に、ゆったりとしたゆりかごのような揺れが長く残って、それが心地よかったのか、膝に抱えていた猫は目をとろんとさせてまどろんでいた。

その日の夜、自宅近くの幹線道路は都心部から離れているのにもかかわらず、帰宅困難者で溢れており、コンビニに商品はほとんど残っていなかった。そんな異様な光景を目に焼き付けたくて、余震で頭上の電線が激しく揺れるのも恐れず、夜の街を何時間も歩いた。

翌日、自宅に回覧板が回ってきた。そこには「地震怖かったね、こんなときだからこそご近所づきあいを大事にしましょうね」 というような趣旨のことが書かれていた。面倒な近所付き合いも、こういうときこそ心強いと感じる。危機的な状況だからこそ、互いに励まし合うささやかなコミュニケーションツールとしての回覧板が、安否情報が飛び交うツイッターのような新興のSNSと同じくらい重要なメディアだと実感した瞬間だった。

本来メディアとは、顔の見える近しい人々と活発に交流したり、互いの生息を確認するための手段となって初めて価値が生まれるものだと思う。メディアは目的ではない。手段なのだ。地域雑誌の先駆けとして知られる『谷中・根津・千駄木』のメンバーの一人で作家の森まゆみさんは自身の著書『小さな雑誌で町づくり「谷根千」の冒険』(晶文社)でこう語る。

送り手と受け手に互換性があり、情報が双方向に行き来すること。私たちの雑誌は、まさにそのためのメディア (乗り物)であればよい。

地域雑誌『谷中・根津・千駄木』

地域雑誌『谷中・根津・千駄木』(撮影:喜多村みか)

僕たちは、互いに励ましあい、慰め合い、認め合う機会を常日頃から欲している。寂しいときは、家族に電話を掛ける日もあるかもしれない。

ただ、ふだんの生活のなかでは、本当に親しい人や毎日顔を突き合せる人以外とコミュニケーションを取る手立てはない。経済活動によって日々商品を交換しあっているにもかかわらず、地方の一次産業の生産者と受け手が出会う機会も損なわれている。さらに、グローバリゼーションの波のなかで、大きなニュースに小さなニュースが飲み込まれてしまい、地元の本当の宝物は何か? を議論する機会も奪われている。

そんなとき、地方と都市の情報の不均衡を是正し、そこに住むこと、訪れることの“かけがえのなさ”を伝えるローカルメディアが活きてくる。地域の人と人をつなげ、他愛のないローカルな話題でひと盛り上がりしてまた家に帰る。まさに、井戸端会議や回覧板としてのローカルメディアだ。

そこでは、自分たちの遠い世界の、メジャーなメディアで紹介される“事件”としてお墨付きをもらった情報ではなく、イノシシの畑荒しや、地元で一番の不良が実家に戻ってきた話のほうが重要だ。それはメディアの権威を補強はしないが、目の前の数人の友人・知人の信頼を獲得することはできる。

そういう情報を載せるメディアが、全国各地に無数に生まれることを想像してみる。東京の高島平や、多摩ニュータウン、神戸の新興住宅地のように、高度成長期に生まれた団地で、ご近所さんとのつながりもなく建物と共に老いていく独居老人たちをつなぐメディアがあってもいいのではないか。あるいはUターン、Iターンで地方に移住した若者たちが、自分たちの遊ぶ場所や共感できる仲間を増やすために始めるメディアがあってもいい。

僕たちは、メディアが文字通りよそ者と地元の人をつなげる媒体になったり、自分たちが自分たちの言葉でローカルな話題を語り合う場(プラットフォーム)になりうることをもう一度確認すべきなのかもしれない。

(つづく)