本屋とデモクラシー

2016年7月1日
posted by 仲俣暁生

ジュンク堂書店の福嶋聡さんが人文書院のサイトで連載している「本屋とコンピュータ」のコラムの2014年から2016年にかけての文章の一部と、書評その他の文章が『書店と民主主義〜言論のアリーナのために』という本としてまとめられたので、さっそく買って読んだ。

この連載のうち、「マガジン航」にも以下の文章を転載させていただいたことがあった。

書店に「生活提案」は可能か?
https://magazine-k.jp/2015/12/13/no-concierge-for-bookstore/

すでにネット連載で拝読していた文章も、「民主主義」というキーワードのもとで編集された一つの著作として読み直すと、ここ数年の書店をめぐる状況がとてもよく見晴らすことができる。「民主主義」あるいは「デモクラシー」は昨年の安保法制とその憲法解釈をめぐる議論のなかで、久しぶりに再浮上した言葉だが、この間、私がこれらの言葉をもっとも頻繁に目にしたのは、書店の店頭でみた書名やフェアの題名だった。

そこで、今回は福嶋さんの本から刺激を受けつつ、「本屋とデモクラシー」について私なりに考えてみたい。

書店は「劇場」か、それとも「プラットフォーム」か?

福嶋さんのこの本のタイトルは、ここ一、二年のあいだに書店で起きた具体的な出来事をふまえている。その一つは本書の序文および「ヘイト本と書店1」「同2」という文章で話題となる、いわゆる「ヘイト本(差別的言説を内容とする本)」の書店における取り扱いをめぐる議論だ(ネット連載では「第147回(2014/2)」「第148回(2015/1)」に相当する)。

福嶋さん自身、店長を勤めている大阪のジュンク堂書店難波店で2014年暮れから開催していた「店長の一押し『NOヘイト!』」というフェアに対するクレームを「何件も受けた」という(そのときのやりとりも、この本にくわしく書かれている)。

そして、もう一つは序文と跋文で言及されている、2015年10月10日からMARUZENジュンク堂書店渋谷店で開催された「自由と民主主義のための必読書50」というフェアをめぐる騒動だ。このフェアを担当した書店員がツイッターの「非公式」アカウントで発言した不用意な言葉をめぐってネット上で「炎上」がおき、これをきっかけに「50冊」の選書がいったん取り下げられ、「今、民主主義について考える49冊」として11月に再開された、という事件である。

前者の出来事については、2014年12月に大阪のロフトプラスワンウエストで行われた、“日本の出版業界どないやねん!? 物書きと出版社出て来いや!スペシャル”というトークイベントに招かれたさい、福嶋さんは書店員の立場から次のように述べている。

書店の人間として、ヘイト本を書棚から外すという選択はしません。現にそこにある事実を覆い隠しても、それが無くなるわけでもなく、見えなくするのは結局良い結果を生まないと思うのです。むしろ、そうした批判すべき本を、実際に読んでみる必要があると思います。

そしてさらに、こう述べる。

迂闊にも、ぼくはその時まで自分がアウェーにいるなどとは、まったく気づいていなかった。考えてみれば、イベントのタイトルには「物書きと出版社出て来いや!」とあるが、書店は「出て来い」と言われていない。書店は、ヘイト本の乱立という事件が起きている場であるが、書店の人間は蚊帳の外か、議論の相手にはならないと思われているのか……。

『劇場としての書店』という著作もある福嶋さんは、社会をめぐる状況において、書店(人)が「蚊帳の外」や「アウェー」であることを否定する。そして本書の序文で書店を「闘技場(アリーナ)」であれ、と宣言するのだ。

願わくは、今日出る書物は、明日に向かった提言で満ち、人の知性を発火させるものであってほしい。そして、書店は、書物が喚起した議論が実り豊かな結果を産み出す、活気に満ちた「闘技場(アリーナ)」でありたい。

先に触れた政治と本をめぐる事件が、いずれも「書店」というリアルな場所で起きたことに、あらためて注目すべきだろう。たとえアマゾンでどんなに政治的に偏った本が(あなただけのために)「おすすめ」されようと、人はアマゾンにクレームをつけたりしない。本や雑誌、ウェブで発表された「偏った選書」のブックガイドに対しても、これほどまでのクレームはつかない。

ところが、リアルな場である書店が、選書やフェアという形で「政治」となんらかのかかわりをもち、その存在感を少しでも示すと、そのような場を成立させまいとする力がさまざまな方面から働く。典型的には「クレーム」の殺到である。いま書店は、「提言」同士が競い合う闘技場である以前に、書店人がみえざる敵と戦わなければならない場でもあるようだ。

福嶋さんの考え方は、「劇場」「闘技場」という言葉を使わなくとも、別の言い方で表現できるのではないか。それは、書店はたんなる「プラットフォーム」ではない、ということだ。

ジュンク堂(あるいはMARUZENジュンク堂)のような大きな書店となると、店頭に並ぶ本は膨大で多岐にわたる。そのためアマゾンのようなネット書店や大規模図書館と同様、そこが一種の中立的な「プラットフォーム」であることを期待する人がいるのは当然だろう。しかし福嶋さんは、それに対して「ノー」と言う。

だがそれは、たんに「書店(人)はもっと自己主張すべきだ」ということではない。「闘技場」とは、さまざまな価値観が存在することを前提に、それら同士がぶつかり合うことで生じるノイズや軋轢を避けることなく、むしろそれを可視化する場所という意味だろう。アルゴリズムによって顧客にとって快適な「おすすめ」を提示する、アマゾン的な調和の対極に位置すること。それがいまリアル書店に求められている社会的役割だと、福嶋さんは考えているのではないか。

社会のなかに存在している限り、書店も書店員も、決して「蚊帳の外」や「アウェー」という安全地帯にいることはできない。にもかかわらず、「蚊帳の外」「アウェー」にいろ、という社会からの暗黙の圧力があるのだとしたら、それには負けるな、あくまでも当事者であれ。この本は、その覚悟と決意の表明なのだと私は受け止めた。

いろんな「本屋」があることが、デモクラシーの基礎となる

「書店」や「本」と「政治」をめぐって起きた昨今の事件の舞台がジュンク堂という大規模書店であったのは、「プラットフォーム」としての安定性や中立性への期待の半面であり、それなりの必然性がある。

しかし中規模以下の書店(ここでは大規模店と区別するための「本屋」と呼ぶ)の場合、本を網羅的に置くことができない以上、なんらかの意味で「セレクトショップ」にならざるをえない。そうした本屋の選択に対しても「偏っている」とか「政治的だ」という声はあがりうるが、多くの場合、社会的に小さな存在であるために見過ごされるか、せいぜい、地域のコミュニティのなかで小声で評判を囁かれるだけだろう。

ところで、書店を一種の「競技場」ないし「劇場」として捉える福嶋さんの考えに異を唱えるわけではないが、私は「書店と民主主義」をめぐる彼の考え方とは別の方向で、「本屋とデモクラシー」について考えてみたい。

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「マガジン航」にも寄稿してもらったことのある竹田信弥さんが経営する「双子のライオン堂」で、雑誌についての小さなゼミを開催した際、『これからの本屋』(書肆汽水域)という本の存在を知った。著者と発行者は北田博充さん。取次で長く勤められた後、独立して書肆汽水域という版元を立ち上げ、これが一冊目の本となる。

この本には、さまざまな「本屋」が登場する。実際の店舗もあれば、空想上の「書房」もあれば、求められた先で「本屋」をつくりだすフリーランス書店員もいる。大がかりな「場所」であることから自由になったとき、「本屋」はこれほどまでに多様なあり方ができるのかと、一読して驚いた。

こうした「本屋」のあり方について、多くの人々が考えるようになったきっかけが、元「新文化」編集長の石橋毅史さんが書いた『「本屋」は死なない』(新潮社)であることは間違いない。この本以後、2010年代には「書店/本屋」についての本の刊行が相次いだ。「マガジン航」でも、それらを一望して2013年の暮れにこんな記事を書いたことがある。

「本屋さん」の逆襲?――2013年を振り返って
https://magazine-k.jp/2013/12/31/bookstores-strike-back/

『「本屋」は死なない』のなかで石橋さんは、「本屋」とは店ではなく、人である、という考え方をつよく打ち出した。そして、「ひぐらし文庫」という小さな本屋をはじめたばかりの原田真弓さんが語ったという、次のような印象的な言葉を、この本のなかに書き留めた。

情熱を捨てられずに始める小さな本屋。
それが全国に千軒できたら、世の中は変わる。

原田さんの「ひぐらし文庫」はその後、残念ながら店舗での販売をやめてしまったが、この言葉のとおり、「世の中」は変わりつつある。少なくとも、本屋についての考え方、自分は「本屋」だと考える人々の行動は大きく変わった。

町中の小さな書店に対して、かつては「金太郎飴書店」という言い方があった。どこを切っても同じ絵柄が出てくる、という悪口だ。でも、この十年ほどのあいだに消えていったのは、まさにその「金太郎飴書店」だった。いまではこの本で紹介されているお店をはじめ、じつに多種多様な「本屋」が、しかも東京のような大都市だけでなく、全国に生まれつつある。

それらはまだ「千軒」とまではいかないかもしれないが、姿かたちをその町、その土地の特徴にあわせた「本屋」が、日本中に増えていくとき、福嶋さんが理想とするのとはまた別の意味で、それはこの国の「デモクラシー」の基盤となるように私は思う。


【イベント開催のお知らせ】

この記事を書いた後に、「#本屋とデモクラシー」をテーマにしたイベントを開催したいという申し出を次々にいただいています。まずは第一弾として、9月6日に渋谷のLOFT 9 Shibuyaにて、以下のキックオフを行います。ぜひ、ふるってご参加ください。

#本屋とデモクラシー〜シブヤ・いちご白書・2016秋〜
http://www.loft-prj.co.jp/schedule/loft9/48460

日時:9月6日(火)19:30開始(19:00開場)
前売¥2,000 / 当日¥2,300(税込・要1オーダー500円以上)

【チケット発売開始中】
http://eplus.jp/sys/T1U14P0010843P006001P002199942P0030001

出演:
・辻山良雄(「本屋Title」店長)
・松井祐輔(小屋BOOKS、H.A.Bookstore)
・梶原麻衣子(月刊『Hanada』編集部員)
・碇雪恵(日販リノベーショングループ)
・藤谷治(小説家、元フィクショネス店主)

司会進行:
仲俣暁生(「マガジン航」編集人)

執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。