運動体としての「文芸誌」に未来はあるか

2018年12月28日
posted by 仲俣暁生

第9信(仲俣暁生から藤谷治へ)

藤谷治様

早いものでこの往復書簡をはじめて3ヶ月になります。そのほかにも秋にはNovelJamという創作合宿イベントで審査員をお願いし、先日は本屋B&Bでの「文学の教室 年末番外編」でご一緒させていただくなど、藤谷さんとは顔を合わせる機会の多い一年でした。

思い出してみると、僕が「マガジン航」を創刊した2009年の秋に南青山のボイジャーの事務所を借りてささやかな創刊パーティを開いたときにも、藤谷さんは来てくれたのでした。あのころは電子書籍をめぐる議論がとても盛んな時期で、この新しい技術がなんらかのよきことを出版や書物に付け加えてくれると信じる、楽観的な雰囲気が多分にありました。日本でアマゾンのKindleをはじめとする電子書籍の各種サービスが本格的に始まるのは、それから3年後の2012年ですが、実際にその時代が到来する前のほうがそういう気分が横溢していたように思います。

ただ、いま思えば藤谷さんはあのとき、電子書籍というものにあまり乗り気ではない態度をとっておられたように記憶しています。電子書籍自体に対する不満ではなく、そうしたものが書物のありかたを本質的に変えるといわんばかりの、時流にのった軽薄な議論への懐疑だったかもしれません。この問題についてはその後、お互いに突っ込んだ話をしたわけではありませんが、案の定というべきか、日本では電子書籍はまださして普及していません(マンガという特殊な出版物をのぞいて)。そしてこの先もしばらくはこんな状態――つまり、ドラスティックに出版を変えるほどではなく、あくまでも副次的なものとして――存在していくのだろうなと、いまの僕は思っています。

ただ、それとはまったく別の理由で、出版や編集という営みがいま大きな過渡期、変革期を迎えている。時候の挨拶のように繰り返されてきた「出版不況」という表現では言い尽くせないほどの、盤石だと思っていた地面が崩れ落ちてしまいかねないような不安を、この業界で働く人の多くが感じている。そうした前提に立ちつつも、この往復書簡では短期的な業界動向にとらわれることなく、文学と編集とを二つの焦点とした楕円軌道のような対話を、もうしばらくはゆるゆるとやっていきたいと思っています。

ただ編集の問題については、まだうまく核心に踏み込めていない、というもどかしさをいまだに感じています。今年の秋からある大学院の文学部で編集理論を教える機会を得ました。広い意味での「編集」の仕事はもう30年もやってきたのだから、それなりに教えられることはあるだろうと安請け合いをしたのですが、いざ授業計画を立ててみると、とても「理論」などと呼べるものを提示できない自分に気がつきました。

僕が受け持つことになった講義の前任者は、以前にも話題にした『編集者 漱石』の著者、長谷川郁夫さんです。文芸編集者としても出版者としても多大な功績を残された彼のような経験をもたない負い目以上に、そもそも文芸編集(とりわけ書物の編集)と、僕が多少なりと経験したきたような雑誌の編集とでは、同じ「編集」でもまったくことなる仕事――それを「技術」と言い換えてもいいでしょう――なのだということを痛感させられました。

今年の講義では仕方なく、特徴的な編集技法をもつ過去または現存の雑誌をそのつど取り上げ、その雑誌の成り立ちに深くかかわった編集者の事績を紹介しつつ、彼らが採用した――ある場合には「発案」した――編集技法を論じる、というかたちをとりました。文学研究を専門とする大学院生に多少でも役立つ講義でありえたかこころもとないまま、なんとか半年を切り抜けたばかりです。

前回の手紙でNovelJamという創作合宿における「編集の不在」、そこまでいわないまでも、少なくとも「不可視」であったことを藤谷さんが指摘されたとき、僕が思ったのも実はこのことでした。短期間に、しかも電子的なかたちでのみ「出版」される小説を編集するという行為は、書物の編集というよりも雑誌、さらにいえばウェブメディアの編集に近い行為なのかもしれないな、と。

僕が考える「編集者」の理想像は――多くの場合、雑誌の、ということになりますが――、これも前に漱石と子規の関係に触れたときにも述べたとおり、なんらかの運動体の主唱者であり組織者であること、そして多くの場合、自らも書き手であることです。今年の講義で扱ったなかで分かりやすい例を挙げるなら、「文藝春秋」の菊池寛、「暮しの手帖」の花森安治、「ユリイカ」の三浦雅士、「本の雑誌」の椎名誠と目黒考二といった人たち。彼らがいまの時代に若者であったならば、いったいなにをするだろうか、と想像するのは楽しいことです(直近の例としては「ゲンロン」で東浩紀がやってきたことが、その一つの解といえるかもしれません)。

ところで僕からのひとつ前の手紙で、「フィクショネス」というお店も一つの編集されたメディアだったのではないか、藤谷さんはいまは「小説」という実作のなかでそれを継続しているのではないか、というようなことを書きました。書物と雑誌の編集はまったく異なるなどと言っておきながら、本屋という空間と小説作品とを「編集」という言葉で結びつけようとするのが強引なことだとはわかっています。ただ、行き詰まっている出版の世界を打開するために「編集」という技術や行為を可視化させ、露呈させるには、伝統的な「文芸編集者」のイメージから思い切り離れたところに光をあてたほうがよい気がするのです。

本屋が文学的な共同体の母体であった例は、海外では枚挙にいとまがありません。パリのシェイクスピア・アンド・カンパニー、サンフランシスコのシティ・ライツ、須賀敦子が描いたミラノのコルシア書店などがすぐに思い浮かびます。藤谷さんがフィクショネスという本屋をはじめたとき、こうした先例を思い浮かべたりはしませんでしたか。

とはいえ、「雑誌」的な編集と文学とを愚直に結びつけるなら、そこにまっさきに見出されるのは「文芸誌」です。話を少し戻すことになりますが、今年は文芸誌受難の年でした。藤谷さんにはいま、文芸と雑誌の関係がどんな風にみえていますか。大手出版社が出すいまの文芸誌、小説誌だけを念頭に置く必要はありません。かつてあこがれた文芸誌(海外でも、他の時代でも)はありますか。そしてご自身を、なんらかの運動体(文学運動でなくてもかまいません)のなかに位置づけたいと思ったことはあるでしょうか。

個々の作家の独立した営為を恣意的にグルーピングするのは評論家の悪弊ですが、文芸誌がそれなりに実質的に運動を担っていた時代が少なくとも過去にはありました。そのようなことが今後はもうありえないのかといえば、実は僕はやや楽観しているのです。むしろ、いまこそ新しいタイプの運動体としての「文芸誌」が必要なのではないか。

海外では文芸誌もさかんにウェブで活動しています。「マガジン航」では以前に秦隆司さんが「エヴァグリーン・レビュー」という伝統ある文芸誌がオンライン版として再始動したことを紹介してくれました。また日本の「早稲田文学」ともコラボレーションしたことがある「グランタ」もネットでの活動に熱心です。これらに掲載される英語の小説をそのまま楽しめないのは残念ですが、こういう動きは日本でもこれから当然でてくると思います。

日本では紙媒体として、「たべるのがおそい」「しししし」をはじめとする小さな文芸マガジンが次々に生まれています(ご存知のとおり前者は書肆侃侃房という福岡の出版社、後者は双子のライオン堂という東京・赤坂の本屋が発行しています)。また、文学フリマという即売会の活動も息長く続いています。こうしてみると「文芸誌」という運動体にはこれからも一定の意味があるのではないか。当然、そこではウェブや電子書籍といった見慣れたテクノロジーも、それに見合った編集技術とともに力を発揮していくのではないか。せめてそのくらいの楽観主義をもちたいと、いまあらためて僕は考えています。

このあたりは実際に手を動かしてみないと分からないこともあるので、文芸と電子媒体を組み合わせた活動を、来年は自分でもちょっとやってみようかと思っているところです。

今回も長くなりました。よいお年をお迎えください。

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執筆者紹介

仲俣暁生
フリー編集者、文筆家。「シティロード」「ワイアード日本版(1994年創刊の第一期)」「季刊・本とコンピュータ」などの編集部を経て、2009年にボイジャーと「本と出版の未来」を取材し報告するウェブ雑誌「マガジン航」を創刊。2015年より編集発行人となる。著書『再起動せよと雑誌はいう』(京阪神エルマガジン社)、共編著『ブックビジネス2.0』(実業之日本社)、『編集進化論』(フィルムアート社)ほか。