図書館をめぐる二冊の本〜新年に考える

2014年1月9日
posted by 仲俣暁生

明けましておめでとうございます。今年も「マガジン航」をよろしくお願いします。年明け早々に、図書館に関する面白い本が二冊出ました。鎌倉幸子さんの『走れ!移動図書館〜本でよりそう復興支援』(ちくまプリマー新書)と、猪谷千香さんの『つながる図書館〜コミュニティの核をめざす試み』(ちくま新書)です。今年はこの話題からはじめたいと思います。

いちばん右は1970年に最初の版が刊行された『市民の図書館』の増補版。

鎌倉さんは公益社団法人シャンティ国際ボランティア会のメンバー(現在は広報課長)で、東日本大震災後に岩手県で被災地の仮設住宅をまわる移動図書館プロジェクト(岩手県からはじまり、いまでは福島・宮城を合わせた被災三県をカバーする「走れ東北!移動図書館プロジェクト」に成長しています)を立ち上げた方。そして猪谷さんは昨年創刊されたハフィントンポスト日本版で、公共図書館や地方自治をめぐる取材を継続的に続けてきた記者です。

鎌倉さんにはカンボジアで図書館事業を行ってきた経験があるとはいえ、お二人とも日本においては図書館職員でもなければ司書でもありません。いわば、図書館業界にとって外部の人間です。しかし、だからこそお二人は、それぞれの視点から社会と図書館の関係を冷静に見据えることができているように思えます。

「移動図書館」という原点

鎌倉さんたちが事業として立ち上げた「いわてを走る移動図書館プロジェクト」の存在を私が知ったのは、たしか2012年のことでした。ソーシャルメディア上でこのプロジェクトの存在を教えられ、同じ年の図書館総合展で、会場に展示されていた移動図書館車の実物を見ることができました。

親しみやすいイエローで美しくカラーリングされた移動図書館車の中にはいると、しっかりした木製の書棚が据え付けられており、ちょっと驚きました。きわめて小さな空間ながらも、これはまぎれもなく「図書館」である、という印象を受けたのです。その佇まいにすっかり魅了され、被災地のためのプロジェクトであることも忘れて、こんな車が自分の街でもコミュニティを巡回してくれたらどんなにいいことかと思ったほどです。

2012年の図書館総合展に出展された移動図書館車。

移動図書館プロジェクトは、岩手から始まり、現在は福島・宮城にも広がる。

日本の公共図書館(ことに市町村立図書館)で、住民に対し積極的に本を貸出す運動が始まったのは、東京都日野市の日野市立図書館からだといわれます(この経緯については猪谷さんの『つながる図書館』でも簡潔に触れられています)。

日野市で1965年にはじまったこの運動は、一台の「ひまわり号」という移動図書館車がその担い手でした。いまも日野市で、そして日本中の多くの市町村立図書館でも、移動図書館車は活躍しています。岩手で鎌倉さんたちがはじめた「移動図書館プロジェクト」の目的も、東日本大震災によって市町村立図書館の多くが機能を喪失した(その中には、移動図書館車も含まれます)被災地で、失われた「本と人」の出会いのチャンスを再生することでした。

『走れ!移動図書館』という本には、このプロジェクトが迅速に立ち上げられていく過程が、きわめてプラクティカルに綴られています。プロジェクトとはこのように立案・事業化していくのかと、そのみごとな手腕にはほれぼれするほどです。同時にこの本を読むと、避難所や仮設住宅での不自由な生活を余儀なくされている人々にとって、本へのアクセスや、自由に本を選択できる機会が、いかに重要であったかが分かります。私はこの本を、震災によって「原点」に戻らざるを得なくなった図書館の社会的意義をめぐる貴重なドキュメントとして読みました。

新しい時代にふさわしい「公共図書館」のあり方

猪谷さんの本は、多様かつ高度なサービスを求める社会の声に応えようとしている図書館の最前線レポートです。

東京都千代田区の千代田図書館日比谷図書文化館、東京都武蔵野市の武蔵野プレイス、佐賀県の武雄市図書館伊万里市民図書館、長野県の小布施町立図書館まちとしょテラソ、鳥取県の鳥取県立図書館、そして島根県海士町での「島まるごと図書館構想」など、日本中のさまざまな地域社会で、それぞれのコミュニティの課題に応じようとする図書館の取組みが報告されており、きわめて刺激的です。

公共図書館の新たなミッションとしての「ビジネス支援」(2003年に刊行された菅谷明子さんの『未来をつくる図書館――ニューヨークからの報告』という本が、この問題の古典としてよく読まれています)、公立図書館の運営を民間に委ねる「指定管理者制度」の広がり、書店やカフェを併設し、ポイントカードまで導入した武雄市図書館が与えた衝撃、そして各地で広がる「公立」ではない「公共図書館/私設図書館」など、図書館をめぐる昨今のさまざまな動きや議論が網羅されており、理解が深まります。

鎌倉さん、猪谷さんの本に共通するのは、本や図書館を社会やコミュニティとのつながりで見る視点です。図書館という「場」がもたらす「本」と「人」との出会いは、「人」と「人」の出会いを産み、それは社会を動かす力になる。この二つの本は読者一人ひとりに、自分の住む地域コミュニティにおける「図書館」をよりよきものに変えていく動機づけを与えてくれる気がします。

今年も「マガジン航」では、電子書籍や書店、出版をめぐる話題とともに、(広義の)「図書館」についても重点的に記事を発信していきます。図書館の問題に関心をもつ多くの方のご寄稿、ご意見をお待ちしています。

【イベントのお知らせ】
猪谷千香さんの『つながる図書館』の刊行にあわせて、以下のトークイベントが予定されています。前者には「マガジン航」編集人も登壇の予定です。

■1月15日(水)
20:00~22:00
猪谷千香×仲俣暁生×内沼晋太郎
「図書館はコミュニティの核になるか」
会場:本屋B&B(東京・下北沢)

■2月16日(日)
19:00 – 21:00
猪谷千香×岡本真
「これからの図書館を考えてみよう」
会場:ゲンロンカフェ (東京・五反田)

 

「本屋さん」の逆襲?――2013年を振り返って

2013年12月31日
posted by 仲俣暁生

今年は書店の店頭で「本屋さんの本」が目立った一年でした。いま私の手元にあるだけでも、以下の本をあげることができます(一部は2012年以前に発売されたものや文庫による再刊も含みます)。

石橋毅史『「本屋」は死なない』(新潮社、2011年10月。電子書籍版も2012年にリリース)
佐野衛『書店の棚』(亜紀書房、2012年9月)
永江朗『新宿で85年、本を売るということ〜紀伊國屋書店新宿本店 その歴史と矜持』(メディアファクトリー新書、2013年2月)
得地直美、本屋図鑑編集部『本屋図鑑』(夏葉社、2013年7月)
朴順梨『離島の本屋〜22の島で「本屋」の灯りをともす人々』(ころから、2013年7月)
広瀬洋一『西荻窪の古本屋さん〜音羽館の日々と仕事』(本の雑誌社、2013年9月)
伊達雅彦『傷だらけの店長〜街の本屋24時』(新潮文庫、2013年9月。親本は新潮社より2010年刊行)
ナカムラクニオ『人が集まる「つなぎ場」のつくり方』(阪急コミュニケーションズ、2013年11月)
堀部篤史『街を変える小さな店〜京都のはしっこ、個人店に学ぶこれからの商いのかたち』(京阪神エルマガジン社、2013年11月)
早川義夫『ぼくは本屋のおやじさん』(ちくま文庫、2013年12月。親本は晶文社より1982年刊行)
内沼晋太郎『本の逆襲』(朝日出版社、2013年12月。電子書籍版もあり)
福嶋聡『紙の本は、滅びない』(ポプラ新書、2014年1月刊行予定)

どうでしょう。壮観ではないですか?

このリストには、めだった特徴があります。ひとつには、「書店」ではなく「本屋」という言葉が選ばれている本が多いこと。もう一つは、書店人(あるいは「本屋さん」)、つまり店を運営・経営している当事者が筆をとっている本が多いことです。さらにいえば、紀伊國屋書店やジュンク堂書店のような大型店ばかりではなく、小さな「街の本屋」についての本が多いことであり、それらを出している出版社も小さなところが多いことです。

上のリストに掲げた本の著者のうち、佐野衛さんは東京の神田神保町にある東京堂書店で長く店長を務められた方。広瀬洋一さんは西荻窪・古書音羽館の店長で、ナカムラクニオさんはそのお隣駅である西荻窪・6次元の店主。堀部篤史さんは京都市左京区にある恵文社一乗寺店の店長で、福嶋さんは大阪にあるジュンク堂書店難波店の店長。そして内沼晋太郎さんは東京・下北沢にあるB&Bという本屋の共同経営者です。そして今年に入って文庫化された二冊も、著者が現役の「本屋さん」だったときに書かれた文章を収めています。

これらの多くで「書店」ではなく、あえて「本屋」という言葉が使われている理由については、このリストの冒頭に掲げた石橋毅史さんの『「本屋」は死なない』の影響がとても大きいのではないかと私は思います。この本で石橋さんは、「本屋」とは書店=店舗のことではなく、「本屋をやっている人間」のことではないか、と強いメッセージを発しています。人こそが「本屋」なのだ、と。

また、この本のなかで紹介されていた、ひぐらし文庫の原田真弓さんの言葉もじつに印象的でした。

情熱を捨てられずに始める小さな本屋。
それが全国に千軒できたら、世の中は変わる。

今年に入って多くの「本屋さん」が本を出し、みずから声を発し始めたのは、こうした呼びかけに応えたものかもしれません。

ジュンク堂のように全国的に展開する大型書店から、小さな「街の本屋」さんまで。新刊書店だけでなく、古本屋さんや、カフェやギャラリーを併設しているお店まで。これらの「本屋さん」の声は、はたして何を訴えているのでしょうか。私には、それは「電子書籍をめぐる議論で抜け落ちていたこと」のように思えてなりません。

あらためて、「本と人はどこで出会っているか」

今年の秋、私は生まれて初めての入院生活を送りました(そのために「マガジン航」をひと月まるごと更新できず、たいへんご心配をおかけしました)。一ヶ月にわたる入院生活のうち、後半戦は退屈との戦いでした。見舞いにくる家族に、自宅から指定した本を持ってきてくれるように頼んだものの、そこには新しい本との出会いはありません。病室へのiPadの持ち込みを許可してもらえたので、電子書籍を買おうと思えば買えるのですが、どうしても食指が動きません。

代わりに私が利用したのは、病棟の面会室にあった、ちいさな「ライブラリー」でした。そこで私は、東野圭吾や宮部みゆきといったベストセラー作家の本を借り、あるいは小林信彦や田辺聖子の古い作品と出会い、誰が置いて行ったのだろう、塚本邦雄の短歌の本まで発見しました。病院がこれらの本を用意したはずがありません。おそらく入院患者が退院の際に残して行った本が、つもりつもってできたちいさな「ライブラリー=図書館」だったのでしょう。

ところで、昨年(2012年のことです)のお正月に「マガジン航」に書いた「人は本とどこで出会っているか」という文章で、私はこんなことを書きました。

いま電子書籍になっている本は――文庫版でさえ絶版になっているような、かなり古い本を除けば――日本中の比較的小さな書店でも手に入るような、 「売れ筋」の本が多い印象があります。もちろんそれは、ある程度の売上が確保できないタイトルを電子化するメリットが、いまの時点では少ないからでしょう。

しかし、「どこでも比較的簡単に手に入る本」しか電子書籍になっていないなら、そもそも電子書籍は誰のためにあるのでしょう?

やや挑発的に書いたこの一文のような状況は、その後の2年間でどのくらい改善されたでしょうか。新刊と同時に電子書籍が発行される例もふえ、各電子書籍ストアの品揃えは、かなり増えたように思えます。すでに購入を決めている本がそのなかにあった場合、24時間いつでもリアルタイムで購入・ダウンロード・閲読できる電子書籍バージョンの存在は、とてもありがたいものです。

しかし「本と人が出会う場所」という意味では、たくさんの本を一望でき、実際に手にとって吟味できるリアル書店の魅力に対し、電子書籍ストアは遥かに及ばないのが実状でしょう。ましてやそれぞれの「本」の向こうに、本を選び、売っている「人」の存在が感じられるかどうかは、リアル書店(へんな言葉ですが)と電子書籍ストアの、最大の違いではないでしょうか。その意味では「電子書籍ストア」は、石橋さんのいう意味での「本屋」ではありえないのです。

長い入院期間の間、いちばん心を慰めてくれたのは、じつのところ家から持ち込んだ本ではなく、さきの「ライブラリー」にあった、普段あまり読まない類のエンタテインメント小説でした。仕事がら必要で読む本とはまったく別の、純粋に暇つぶしのための読書の楽しさを、限られた本との関係のなかで、はからずも再発見したと言えるかもしれません。

とはいえ、待ちに待った退院後、まっさきに駆けつけたのは、入院先の病院にもっとも近い大型書店でした。書店に駆けつけるのではなく、「電子書籍ストアにアクセス」(もちろん、それは入院中も可能だったわけですが)ということにならなかったのは、「本と人が出会う場所」への自分の渇望が、電子書籍ストアでは癒やされないことを知っていたからです。

「本屋さん」の本は、たんなる反動ではない。

上に挙げた「本屋さんの本」の多くは今年の後半になって出たため、ちょうど私の退院後の時期と重なることになりました。「本」や「読書」や「書店」や「図書館」についての本、いわゆる「本についての本」は、大型書店であれば、そのためのコーナーが置かれるような一大ジャンルです。ひところはここに、「電子書籍」に関する本もさかんに置かれていました。しかし、「電子書籍元年」という言葉に踊らされた数年が過ぎた後、その大半は店頭から姿を消しました。皮肉にも、そのなかには電子書籍化されることもなく、いまでは入手困難な本もあります。

電子書籍関連本のブームが去った後に、それらと入れ替わるように「本屋」や「書店」についての本がさかんに刊行されるようになったのを見ると、一種のレトロ趣味、あるいは電子書籍という趨勢への反動、あるいは一種の「反革命」のようにさえ見えるかもしれません。著者のなかには、直接的に電子書籍やネット書店への反発や疑問を口にしている人もいます。

しかし、実際にこれらの本を読んでみればわかるとおり、いま出ている「本屋」についての本が語りかけてくる内容は、そうした話ではありません。これらの本はむしろ、ここ数年の「電子書籍」をめぐる動向を見据えた上で、本を商う「当事者」として、本と人との関係を深いところから考えなおした著作が多い、という印象を受けました。

昨年の年頭に書いた文章のなかで私は、「ブック・アサヒ・コム」の林智彦さんにご寄稿いただいた、「電子書籍の「探しにくさ」について」という論考を受けて、こんなことも書いています。

電子書籍をめぐる議論が陥りがちな「プラットフォームを握ったものがすべてを握る」的な極論より、林さんのいう「周辺プレイヤーも含めた」「(電子)出版のエコシステム」のほうが書籍出版の実態に即しており、また望ましいかたちだと私は考えます。

「本を売る」こと自体よりも、プラットフォームにおけるデファクト・スタンダードの座をめぐる激しい競争が「電子書籍」の本質であるのに対し、紙の本を売るという仕事はもともと、さまざまな「周辺プレイヤー」が共同してつくるエコシステムのなかで行われてきた、「本と人を出会わせる」仕事だといっていいでしょう。

駅前にある一つの大型書店だけがすべての本を売るのではなく、中規模や小規模の書店や古書店が、そのエリアの住人に合わせた品揃えをする。堅い本も売れば、雑誌もマンガも文房具も売る。さらには本以外のもの(ギャラリーだったり、カフェだったり、イベントだったり、その他の商品だったりします)を提供する「場」としても、「本屋」は機能してきました。そして、それらの店には必ず、「本屋さん」と呼ばれるべき人がいたのです。

日本中でいま多くの書店が姿を消しつつあるのは確かです。でもそれと同時に、本をめぐる新しい動きが、日本中のたくさんの「本屋さん」の努力によって起きているのを感じます。間違いなく、いま「本屋」は生まれ変わりつつある。そのような人たちの考えや実践を知ることは、「電子書籍」と呼ばれる領域の仕事をする人たちにとっても、決して無益ではないはずです。

この年末年始、そんな「本屋さん」たちの声に耳をそばだててみてはいかがでしょう?

ニューヨーク書店事情クリスマス編

2013年12月29日
posted by 大原ケイ

11月のサンクスギビングの翌日から始まるアメリカのクリスマス商戦は、どこも年間売上げの20〜40%、モノや店によっては半分が集中するほどの大事な時期。クリスマスイブといえば、日本のカップルがホテルにしけ込む頃、時差のあるアメリカではまだぐずぐずと親戚用のプレゼントを買い求める客が、見栄えのいいバーゲン品はないかとごったがえすモールを彷徨う地獄絵図だったりするわけです。

相手の好みを考えたハードカバーの本や、きれいなコーヒーテーブル用写真集も鉄壁の贈り物なので、出版社や書店にとっても1冊でも多く売り上げることが必須。その昔、メリル・ストリープとロバート・デニーロが不倫カップルを演じた映画『恋に落ちて』でも、イブの喧噪の中お互いが買った写真集を取り違えてしまう出会いのシーンがありますが、あれは57丁目のリッツォーリ書店。

バーンズ&ノーブル苦戦の理由はEブックと関係なし

そして今年、おそらく日本でも伝えられているのが最大手書籍チェーン、バーンズ&ノーブルの不調。「去年の買い物客1000人に聞きました」みたいなアンケートでは、また今年もB&Nでクリスマスショッピングすると回答した人が40%台と最悪だったというニュース

それを別にしても、この頃テレビで流れていたコマーシャルは今イチ冴えない感じだったし、毎年のように配っていた「このクーポンで1冊さらに25%引き」というチラシも見ないし、全然気合いを感じられないので心配していたところです。

いろいろ理由は考えられます。まず、今年に入ってから急にCEOのビル・リンチが辞職、今年のクリスマス商戦対策がしっかり決まっていなかったのもあるでしょう。Eブック端末「ヌック」も、タブレットの新型はなく、アップデートされたEインクの「ヌック・グローライト」があるだけ。

みんながもらって嬉しいプレゼントは既にタブレットに移行しているといいますか、少しでもEブックで本を読む気がある人はもう既になんらかの端末を持っているくらいには普及しているので、力を入れて宣伝しても「グローライト」がガンガン売れるような雰囲気はありませんしね。

ここにきてバーンズ&ノーブルが苦戦しているのは、よく言われる出版不況ともEブックの普及とも関係がないように思えます。アメリカでは本に限らず、品揃えで勝負する「ビッグボックス・リテール」全般がダメになってきているからです。状況は家電製品も服飾品も同じです。みんなスマホやパソコンでオンラインショッピングを済ませるようになったから。わざわざ悪天候の中、混雑する店に出向いて、重い荷物を抱えて買い物しなくてもいい時代になってきたというわけです。

でもオンラインショッピングにも落とし穴があって、今年は特にそれが裏目に出ました。クリスマスが近づくにつれてお目当ての商品がどんどん安くなったりするので、少しでも安く買おうと、誰もが発送がクリスマスギリギリに間に合う日まで待って一斉に注文を入れたからさぁ大変。

フェデックスやUPSといった発送会社がキャパシティー以上にムリを強いられたため、結局間に合わないプレゼントがたくさん残されてしまったのです。25日の朝にクリスマスツリーの下にないプレゼントには何の意味もありません。念願のおもちゃを期待していた子供には泣かれ、親戚宅からはケチで無礼なヤツと思われ、クリスマスディナーでは肩身の狭い思い。

オンラインショッピングの大御所アマゾンも、プライム会員にはクリスマス前2日までに注文すればイブに無料でお届け!キャンペーンを売りにしていたため、新規会員入会は拒否されるわ、プレゼントが間に合わなかった客に20ドルのお詫びギフト券を配るわ、と対応に追われました。

ブックストアでプロポーズ大作戦

そんなニュースとは裏腹に微笑ましかったのがB&N本店近くにある古書店(といっても新刊も置いてあるし、オリジナルグッズも充実しているという大御所)ストランドで2日続けてカップルがプロポーズし、イエスの返事をもらったというニュース(下の映像はストランドの公式PV)。

アメリカでは男性がダイヤの指輪を準備し(女性といっしょに買いに行くのはヤボ)、予測していない彼女を驚かせる(とはいってもノーと言われる可能性が低いことが条件)のが定番なので、ストランドで知り合ったとか、2人とも本が大好きといった場合こんな風にします。お店に居合わせた人からおめでとうと言ってもらえるし、ストランドのフェイスブックページにも登場(こことかここを参照)。

そしてクリスマス前の23日に、とうとうストランドは開業以来86年で1日の売上げ最高記録を更新したというツイートが。

まだ具体的な数字は報告されていませんが、全国の他のインディペンデント系書店でも今年のクリスマスは健闘しているようで、ネット上でもprint is not deadという言い回しが目立ちます。実は2013年はEブックの成長が頭打ちになっており、『電子書籍大国アメリカ』なんぞという本(ちなみにこのタイトルは私がつけたわけではありません。電子書籍事情という提案はしましたが。)を出しておいてなんですが、まだまだ紙の本だってイケてるんだよなぁ、と実感した年の暮れでした。

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リアル書店で電子書籍を売るということ

2013年12月24日
posted by 鷹野 凌

三省堂書店とBookLive!は12月19日、本の表紙をカメラで読み込むと電子書籍の検索や、書店員のPOP・コメントなどが表示できるアプリ「ヨミ Cam(よみかむ)」を発表しました。既に複数のメディアで記事になっており、SNSでの反響を見る限り比較的好意的に受け止められているようです。

それに対し、朝日新聞が12月22日に掲載した「対アマゾン、電子書籍で連携 書店や楽天など13社、めざせ『ジャパゾン』」という記事は、インパクトのあるキーワードもあってか、ネット上では批判的に捉えている方が多いように感じられます。今回は、この二つの似て非なる事象を通じ、「実店舗での電子書籍購入」の今後の可能性について考察します。

電子書籍の店頭購入サービスはすでに展開中

三省堂書店とBookLive!は以前から、店頭で電子書籍が購入可能な「デジ本(でじぽん)」というサービスを展開しています。以前は三省堂神保町本店と、有楽町店だけで提供されていたのですが、いまは三省堂のほぼ全店で決済可能な形になっているそうです。

利用頻度としては、「店頭でBookLive!のコンテンツが購入されなかった日はない」程度には利用されるようになってきたのですが、いかんせんまだ圧倒的に少ないのが現状とのこと。本のように棚に並んでいるわけではないので、「店頭でデジタルコンテンツが買える」という認知がなかなか広がらないのが課題だそうです。

すでに三省堂書店の店頭で展開されている「デジ本」用の書籍カード。

そこで今回、三省堂神保町本店は改装を行い、電子書籍専用カウンターを設けて電子書籍をカードの形で展示したり、各フロアに電子書籍コーナーを設置したり、店頭の在庫検索機を「デジ本」に対応して決済用バーコードを発行できるようにしました。つまり、「電子書籍の見える化」を図るとともに、電子書籍で紙書籍在庫を補完する体制の強化を図ったのです。

そして同時に、「ヨミCam」アプリの提供を始めた、というのが今回のリリースの全容となります。書籍の表紙を撮影して検索する機能は、以前Amazonアプリに「フォト検索」という形で搭載されていた(そして昨年11月ごろに突然消えた)ので、特段新しい機能というわけではありません。

ただ「ヨミCam」がユニークなのは、単に電子書籍を検索するだけではなく、書店員の手書きPOPなどがデータベース化されており、書籍の関連情報として表示する仕組みがあること。そして、GPSによって利用された書店を特定し、電子書籍販売の売上をシェアする仕組みになっていることです。つまり、書店が家電量販店のようにショールーム化されてしまうわけではなく、電子書籍が売れたとしても書店にメリットがある形になっているのです。

本のカバーとタグから書籍を特定し価格を表示。

電子書籍のアイテムに見合った手書きポップが表示される。

読者の利便性を考えても、カメラをかざすだけで関連情報にアクセスできるというのは便利ですし、紙書籍の在庫が切れてしまっている場合でも、電子書籍で代替できるというのはいいことでしょう。もちろん全てを代替できるわけではないでしょうが、機会損失を少しは減らせるように思います。

これが今はまだ神保町本店だけでのトライアルというのが少し残念なのですが、問題点などの洗い出しを行ったのち、3月頃には他店舗でも展開する予定になっているそうです。限られた場所でしか利用できないのはもったいないので、はやく多くの場所で利用できるようにして欲しいように思います。

なぜいまさらコンソーシアムで実証実験?

その一方で、実態がいまいちよく分からないのが、紀伊国屋書店など国内の書店や、楽天・ソニーなどの電子書店、日販・トーハンなど取次業者の計13社連合が取り組むという、書店での電子書籍販売「ジャパゾン」です。

朝日新聞の記事によると、「電子書籍販売推進コンソーシアム」を設立して書店での電子書籍販売の実証実験を来春から行うとのことです。「ネットよりも書店で先行販売する電子書籍」によって、「本屋の店頭で選んで、電子書籍を買う」形を広める考えらしいのですが、ネット上ではほとんど肯定意見を見かけないような状況になってしまっています。

私がよくわからないのは、三省堂書店とBookLive!のような営利企業が既にトライしている動きがあるのに、なぜ「電子書籍販売推進コンソーシアム」でいまさら実証実験する必要があるのかという点です。コンソーシアム方式は、寄り合い所帯で責任の所在が曖昧になりますし、成果を出すことではなく実験することが目的になりやすく、状況の変化に対し迅速に対処できない可能性が高いです。このままでは、「船頭多くして船山に登る」になってしまう予感が拭えません。どうせやるなら、共同出資で会社をつくり、責任の所在を明確にした上で事業として行うべきだと私は考えます。

ところがネットユーザーの反響を見ていると、「リアル書店で電子書籍を販売」という取り組みそのものを否定している声が多く見られるのが意外でした。「ジャパゾン」という、誰が言い出したかよくわからない謎ワードも、その傾向に拍車をかけているような気がします。

また、Amazonのネット通販やKindleストアの電子書籍サービスは非常に便利であるのは確かなのですが、「Amazonさえあれば、リアル店舗なんて要らない」という暴論まで散見されるのはちょっとおかしいのではないかと思うのです。

ここで少しデータにもとづいて、現状把握をしてみましょう。出版市場の売上額は1996年がピークで、そのころ新刊発行点数は年間約6万3000点でした。以降、売上は右肩下がりで減り続けているのに、新刊発行点数は伸び続け、2012年には約7万9000点にまで至っています。

一方で、書店の数は1988年の2万8216店舗をピークに、ずっと減少傾向です。2012年には1万3321店舗と、ピーク時の半分以下になっています。売上のピークとは8年のズレがあるのと、総床面積は2年前までずっと増加傾向だったというのがポイントで、書店数の減少は店舗の大型化が要因の一つだったことが分かります。Amazonの日本上陸が2000年ですから、それ以前の書店の減少は全く違う要因なのですよね。

さて、売上が落ちているのに商品点数は増え続け、書店は床面積を増やすことで収納数を増やす努力をしてきました。しかし、書籍の返品率は平均約40%、書店の棚に新刊が1ヶ月程度しか置かれないという異常事態になっています。頻繁に書店へ行く人以外は、店頭で見かけた本は即確保しないと、二度と買えない可能性が高いのです。

つまり、ユーザーが書店へ訪れたときに、紙書籍がなかったら、その場で電子書籍が購入できる代替手段を提供するのは理にかなっているといえるでしょう。もっとも、出版社の自転車操業がいつまでも続くとは思えないので、今後は電子版だけ発行される率が増え、紙の新刊発行点数は減少傾向へ転じることになるでしょう。「デジタル・ファースト」ではなく、「デジタル・オンリー」になるのです。

本の大半はまだリアル書店で売れている

ところで、さまざまなところで「Amazonの脅威」が語られ、Amazonの強さばかりがクローズアップされていますが、日販の「出版物販売額の実態」によるとインターネット経由の出版物(紙のみ)販売額は2012年度で約1446億円、インターネットメディア総合研究所の推計で電子書籍市場は2012年度で約768億円、合計2214億円です。

出版科学研究所による2012年の出版物(紙のみ)販売額は推計1兆7398億円なので、電子書籍市場と合計すると1兆8166億円になります。調査している組織が異なるのであくまで概算ですが、ネット経由の紙書籍と電子書籍の販売額は、全体の約12.2%程度ということになります。

一方で、リアル書店での販売額は、減少傾向にあるのは間違いないものの、2012年で全出版物販売額の72.8%を占めています。本はまだ、圧倒的にリアル書店で売れているのです。ネット上の声だけを見ていると、まるで出版市場がAmazonに支配されてしまったかのように錯覚してしまうのですが、現実はまだそんな状態には程遠いのです。

日本におけるクレジットカード決済額は、民間最終消費支出の17.4%(2011年)で、諸外国に比べてかなり低い比率になっています。現金決済を好む人が多いがゆえに、なかなかネット通販も普及していかないのが実情のようです。

1クリックで電子書籍が購入でき即座にダウンロードして読めるという利便性を味わうと、「リアル書店の店頭で電子書籍の現金購入」などというまどろっこしいやり方は理解できなくなってしまうのですが、まだまだ日本では現金決済という手段が絶対的に必要とされているのです。

コンビニでのプリペイドカード販売が活発化。

最近、コンビニで上図のようなカードコーナーが目につくようになりました。これらは、デジタルコンテンツを購入するために利用するもので、現金で買えます。Apple、Amazon、Googleといった外国勢だけではなく、楽天、Mobage、GREE、Ameba、任天堂、LINE、BookLive! のカードもあります。こういう手段を使い、現金決済を好む人になんとかデジタルコンテンツを購入してもらおうと努力をしている最中なのです。

何を優先すべきなのかを見誤ってはならない

Amazonは、地球上で最もお客様を大切にする会社を目指しているそうです。つまり、ユーザーの利便性を追求することこそが重要だというのを哲学にしているのです。これはなにもAmazonに限った話ではなく、多くの企業が同じように考え地道な努力をし続けているはずです。「リアル書店で電子書籍を販売」という取り組みも、その一つなのは間違いありません。

しかし「ネットよりも書店で先行販売する電子書籍」というのは、ユーザーの利益になることなのでしょうか? 私はそうは思いません。コンソーシアム方式で実証実験というのは、迅速にユーザーニーズに応えられるやり方なのでしょうか? 私は違うと思います。どこかちょっとだけ、業界のエゴが優先されてしまっていないでしょうか? 「ネットとリアル書店で同時に販売する」のがあるべき姿ではないでしょうか?

「ヨミCam」には好意的なネットユーザーが、「ジャパゾン」には否定的なのは、そのちょっとしたズレを敏感に察知しているのです。

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早起き鳥は文学全集の夢をみる

2013年12月10日
posted by 仲俣暁生

ある日、アマゾンのKindle Fire HDで本を読んでいたら、プライムユーザー(有料会員)向けにKindleオーナー・ライブラリーという「電子貸本」のサービスが日本でも始まっていることに気がついた。ひと月に一冊、無償で本が読めるというので、さっそく何か面白い本がないか物色してみた。

正直、品揃えにはあまり期待はしていなかったが、そこで発見したひとつの本に驚いた。その本とは、後藤明生の『挟み撃ち』。講談社文芸文庫版を数年前に買い、読みかけたまま、家の中で紛失してみつからない本だったのでありがたい。ダウンロードしてさっそく読み始めた。

後藤明生は1932年に旧朝鮮咸鏡南道永興郡に生まれ、1999年に亡くなった。「内向の世代」と呼ばれた一連の作家の一人で、蓮實重彦や柄谷行人といった批評家が高く評価したことでも知られる。『挟み撃ち』は1973年に河出書房から刊行された作品で、彼の代表作のひとつ。先に述べたとおり、いまも講談社文芸文庫で紙版も入手可能である。

とはいえ、いまや書店の店頭で後藤明生の本を見かける機会は少ない。その作品を、いきなりアマゾンのKindleオーナー・ライブラリーで見かけたのだ。私の驚きが少しはわかっていただけただろうか。

個人全集が出しにくい時代

ところでこの本には「後藤明生・電子書籍コレクション」と銘打たれている。つまり単発の刊行ではなく、シリーズとして電子書籍を出していくということだ(本稿の執筆時点では第二弾『吉野大夫』、第三弾『首塚の上のアドバルーン』がリリース済み)。このような出版活動を行っているのは誰なのか、興味をもった。

奥付をみると、発行所はアーリーバード・ブックスとある。もちろんこの名は、『挟み撃ち』で描かれる「早起き鳥」のエピソードにちなんでいる。発行人の名は松崎元子さん。先のサイトによると、彼女は後藤明生の長女であり、著作権継承者である。

松崎さんはこのコレクションの刊行にあたり、巻頭に次のような文章を寄せている。

「読む」ことと「書く」ことが千円札の裏表のようにメビウスの帯状に繋がっている、という独自の「千円札文学論」。それはまさに父・後藤明生の生活そのものであり、ひたすら読み、書いていた姿が今も思い出されます。

しかし、人生の大半を捧げて「読み」「書いて」生み出された作品は、「読まれ」なければなりません。著作のほとんどが絶版となり、古書も価格の高騰で入手困難という憂うべき状況が、電子書籍というメディアの登場により新たな活路を見出せたことは、娘である私にとっても大きな喜びです。この選集が父を支えて下さった長年の愛読者の皆様へ再び届くこと、さらには父の作品との新たな出会いを果たす読者の皆様を新鮮な驚きへと誘うことを願ってやみません。

この文章を読んで、私は最近発表になった、もうひとつのある全集のことを思い出した。それは晶文社による思想家・吉本隆明の個人全集である。こちらは電子書籍ではなく紙の本、全38巻と別巻1からなる堂々たる出版企画だが、この特設サイトに吉本隆明の次女である小説家のよしもとばななさんがコメントを寄せている。以下、その一部を引用する。

(略)……この不況の時代に全集を出そうという出版社はなかった。
晩年、ぼけて仕事が思うようにできなくなった父が、弱々しい笑顔で「間宮さん(この全集の目次を編んだ編集者さん)の目次はほんとうに考え抜かれていて感心したよ。出せたらほんとうに嬉しいけれど、今の時代はそんなに甘くないからねえ」と言った。(「父と全集」より抜粋)

吉本隆明の場合は、結果的に発行を引き受ける出版社が現れ、本格的な個人全集が紙の本で出版されることになった。それでも一時期は「全集を出そうという出版社はなかった」のだ。今後、この規模の個人全集が紙で出版されるケースは、極めてまれになるだろう。

「電子書籍なら全集が出せる」

そのかわりに近年目立つのが、電子書籍による個人全集の刊行である。たとえば小田実(全82巻、講談社)開高健(全20巻、小学館)三浦綾子(全80作品91点、小学館)といった作家の個人全集が、電子書籍で刊行されている。しかしこれらはいずれも大手出版社による企画である。

これらの電子書籍版個人全集とことなり、アーリーバード・ブックスの発行者は、作家の著作権継承者本人である。さいわい、この電子書籍の制作にかかわっているフリーランスの編集者、塚田眞周博さんと連絡がとれた。どのようにこの出版企画が生まれ、実現の運びとなったのか、お二人に直接話をうかがうことにした。

松崎元子さんと塚田眞周博さんにお目にかかったのは、11月の半ば。丸の内にできた新しいブックカフェで待ち合わせ、そのまま短いインタビューを行った。塚田さんとは過去に面識があったが、じっくりお話をするのは今回がはじめて。まずは塚田さんから、刊行に至る経緯を話していただいた。

塚田 もともと僕は後藤明生の大ファン、いわば「後藤明生フリーク」だったんです。大学生のときから彼の未完の長編小説『この人を見よ』はすべてコピーして持っていて、いつかこれを本にできたらいいな、と思っていた。20代後半で書籍編集者になり、さっそく企画を提出したんですが、当時、すでに後藤さんは亡くなっていて、しかも純文学作家の未完の長編なんて、普通の出版社じゃ出せるわけがない。やはり老舗の文芸版元じゃないかと思って、その後、いくつかの出版社に打診したけど、どこもダメで、一時は「自分で版元を立ち上げるしかないか」とまで思い詰めました。

そうしたら去年、幻戯書房から『この人を見よ』が、とつぜん刊行された。しかもその企画を実現した編集者は、僕よりずっと若い人だったんです。もう次の世代に後藤明生フォロワーが出てきたんだ、と嬉しく感じる一方で、自分にはもう書籍編集者としてやるべき仕事はない、という寂しさもあった。ちょうどその頃に、Kindleのペーパーホワイトが日本でも発売されたんです。

それを知って、「これからは電子書籍でなにか新しいことをやる時代だ、ずっとやりたかった後藤明生全集が、これならば実現できる」と思った。すでに会社をやめてフリーランスになっていたので、幻戯書房のその編集者を通じて松崎さんにアプローチをさせていただいたのが、今年の春のことでした。

「後藤明生フリーク」である塚田さんにとって、もう一つ不満があった。

塚田 電子書籍で全集を出そうと思ったもう一つ理由は、古書の高さなんです。後藤明生の作品でまだ新刊書店で手に入る書籍と古書の価格リストを作ったことがあるんですよ。評論家の坪内祐三さんもよくエッセイにお書きになっていますが、後藤明生や田中小実昌といった作家の古書価が、ここ数年、高くなりすぎていた。いまは少し下がりましたけど、『壁の中』などは、僕が大学生だった十数年前は1000〜1500円程度で手に入ったのに、気がついたらどんどん高値になって、一時期は1万円を越していた。もし後藤明生の作品が古書で安く手に入るのであれば、このプロジェクトは動き出さなかったと思います。

一方の松崎さんにとっても、電子書籍での復刊という話は時宜を得た提案だった。

松崎 生前は父親の仕事にあまり興味がなくて、作品もほとんど読んだことがなかったんです(笑)。父が亡くなった後は、母が著作権管理をしていたんですが、高齢でそろそろしんどくなってきて、私がかわりにやってくれないか、という話になった。でも著作権管理といっても、最近は入試の文章読解問題に作品の一部が使われたり、数年おきに『挟み撃ち』に重版がかかるくらいで……。本人はもう亡くなっているし、もともと流行作家ではなかったから、まあ、そんなもんでしょ、って思っていたんです。

ただ、母は父の全集が出ることを、とても楽しみにしていました。IT関連の会社を経営している夫が、それを知って、「お父さんのことをアピールするウェブページを作ったりして、実際にどのくらいやれるか試してみたら」と私をけしかけたんです。ぽつぽつとFacebookに後藤明生についての記事を書き始めたところ、意外と多くの反応がありました。

ネットに書いたことと直接の関係はなかったようですが、2012年に幻戯書房から『この人を見よ』が刊行されることになり、そのことは私にとって大きな起爆剤になりました。本を出そうと言ってくれる人がまた出てくるかもしれないと思い、記事を熱心に更新するようになったんです。

その後に、幻戯書房の方から塚田さんを紹介していただきました。塚田さんから電子版全集の提案をうかがったとき、夫がちょうど電子書籍に興味をもっていたのも好都合でした。ITベンチャーの経営者なので、ネットに関することはなんでもやりたいんですよ。それで、「じゃあ、お前が話を聞いてこいよ」という話になって(笑)。

こうして松崎さんと塚田さんが出会ったことにより、「後藤明生・電子書籍コレクション」の刊行プロジェクトが動き出した(現段階では「全集」ではなく、代表作をあつめた「選集」の予定)。正確には、松崎さん夫妻と塚田さんの三人によるプロジェクトである。

役割分担としては、編集と電子書籍の制作が塚田さん、データのアップロード(公開)とKindleの口座の管理が松崎さん、そしてプロモーションをはじめとするITまわりの部分が、松崎さんの夫の担当である。「アーリーバード・ブックス」という出版レーベルも、いまのところ夫が経営する会社の一事業という位置づけだと松崎さんはいう。

塚田 レーベルを立ち上げるにあたっての懸案は、Kindleの口座をどちらがもつのか、ということぐらいでしたね。最初は僕が自分で口座をもとうかと考えたんですが、やはり著作権継承者である松崎さんがもって、管理するほうが筋が通っている、と思い直した。そこで松崎さんに、「あなたの方でレーベルを立ち上げてください」とお願いしたんです。

もう一つは、どのくらい売れるのか未知数だし、すぐに利益が出ることはないので、なるべく初期投資をかけないようにすること。もともと書籍編集者ですから、本を一冊つくるにあたって外部の力を借りた場合、デザイナーや校閲者のギャランティに、どれだけお金がかかるかはよくわかっている。理想をいえば、電子書籍といえどクオリティの高いものを作りたかったので、デザインや校正にお金をかけたかったのですが……。その部分で編集者としての矜持が外れるまでには、かなり時間がかかりましたね。

実際のワークフローはどうなっているのか、より詳しく伺った。

塚田 まず底本をOCRにかけてテキスト化し、僕が最初の原稿整理と突き合わせ校正をしたあとで、出版社での編集経験のある松崎さんにも見てもらい、ダブルチェックをしています。本来はプロの校閲者に突き合わせ校正を頼みたかったんですが、二人の編集者が目を通すわけだし、電子書籍なら、万一誤植があっても、あとから書き換えればいい、と割り切ることにした。それでずいぶん気が楽になりました。もし公開後に文字化けに気づいたら、直したデータを再アップロードすれば、半日後ぐらいには更新されますから。

電子書籍の制作も、技術的にこんなに簡単なのかと驚きました。epub などのフォーマットに変換しなくちゃいけないのかと思ったら、アマゾンはWordのデータのままで受け付けてくれるとわかった。一回epubに変換したりしていたら、そのワンクッションだけで、すごく手間がかかってしまいますから助かりました。

リリースのペースは、いまのところ月2回。塚田さんによると「作業量としては、だいたい文庫を一冊つくるぐらいの労力」だという。今後の刊行予定リストは、各電子書籍の巻末に掲載されている(この記事の最後にも掲載)。

ネット的な文学作品の読まれ方に期待

電子書籍による「選集」刊行は、出版の初期コストを下げ、出版側にとっては不良在庫のリスク、読者にとっての在庫切れのリスクをともになくした点で、合理的な選択といえる。しかし、コストやリスクを下げることだけが、「後藤明生・電子書籍コレクション」の目的ではない。作品が読まれなければ意味がないのである。

松崎 私自身、父親の作品をあまり読んだことがなかったんですけど、Facebookのページを立ち上げたころからちょこちょこと読むようになって。そうしたら、非常に面白いんですよね。しかもその面白さは、これまであまり言われていない面白さなんです。有名な評論家や研究者の方が褒めてくださったのはありがたいことですが、それとは別に、若い人にとってはきっと、ほとんどラノベみたいに気楽に読めるんですよ。

ネット上でのプロモーションでも、とにかく面白いんだよ、ということを強調しています。たとえ古典的な文学作品を知らなくても楽しめる。だいたい『吉野大夫』という作品なんて、作者自身が「調べたのにわからない」とか、「調べようと思ったけど調べないまま三年がたった」とか、すごくいいかげん(笑)。でも、そういうのも文学として全然アリなんだ、ということを若い世代に伝えていきたいんです。

塚田 原稿整理をやっている途中から、なんとなく予感があったんですが、後藤明生の作品はネットとの親和性がいいんですよ。これは後藤文学の特徴のひとつですが、作中に、音楽や絵や他の文学作品のテクストの話などが、ものすごくたくさんでてくるでしょう? 紙の本の場合、読みながらそれらを調べる作業はとても面倒くさいけれど、電子書籍ならば画面の中でパッとウィキペディアなどに切り替えて読める。

これが後藤明生いうところの「アミダクジ式」なのですが、電子書籍だと読者も「アミダクジ式」にネットで調べながら読むことになる。すると、紙で読んだときよりも、作品の理解の度合いというか、読後感が違ってくる。こういう読み方ができるのはスゴイな、と思いました。

電子テキストによる文学の実験として、かつてハイパーテキストによる作品内リンクやマルチエンディングといった試みがあった。そうした実験的な作品とは異なるが、作者自身が「アミダクジ式」と名づけた、迷路のように一筋縄でいかない後藤明生の小説は、ウェブとリンクすることで、新たにハイパーテキスト的な魅力をもつようになった。求心力よりも、むしろ遠心力がつよく働く後藤明生の作品にとって、電子書籍版による選集というあり方は、もっともふさわしい居場所なのかもしれない。

■後藤明生・電子書籍コレクション刊行予定リスト
(刊行の順番は前後することがあります)  

▼第一期=長編小説 Ⅰ
『挾み撃ち』(既刊)
『吉野大夫』(既刊)
『首塚の上のアドバルーン』(既刊)
『しんとく問答』(12月16日配信予定)
『壁の中』

▼第二期=短編・中編小説
『蜂アカデミーへの報告』
「私的生活」(単行本『私的生活』より)
「笑い地獄」(単行本『笑い地獄』より)
「パンのみに非ず」(単行本『笑い地獄』より)
「何?」(単行本『何?』より)
「ある戦いの記録」(単行本『何?』より)
「書かれない報告」(単行本『書かれない報告』より)
「関係」(単行本『関係』より)
「疑問符で終わる話」(単行本『疑問符で終わる話』より)
「行方不明」(単行本『疑問符で終わる話』より)
「謎の手紙をめぐる数通の手紙」(単行本『謎の手紙をめぐる数通の手紙』より)
「サイギサイギ」(『スケープゴート』より)
「禁煙問答」(『スケープゴート』より)
「恢復」(単行本未収録作品1)
「人間の部屋」(単行本未収録作品2)

▼第三期=小説論・作家論
『小説——いかに読み、いかに書くか』
『小説は何処から来たか』
『笑いの方法——あるいはニコライ・ゴーゴリ』
『カフカの迷宮——悪夢の方法』

▼第四期・長編小説 Ⅱ
『めぐり逢い』
『笑坂』
『行き帰り』
『思い川』