クリスマスに「ポップアップ」書店を

2014年12月21日
posted by 大原ケイ

この秋、アマゾンがマンハッタンに路面店を出すという噂が出回ったとき、それって、クリスマス前のこの時期にアメリカのあちこちで見られる期間限定の「ポップアップ(ひょっこり現れる、という意味)」店ではないか、というコラムを拙ブログに書いた。これを読めば、およそクリスマスプレゼントになりそうなものは、ジュエリーからマフラーまで、ありとあらゆるものを売るお店が登場するのも、それなりの需要があるからだということがわかってもらえるかと思う。

ポップアップ書店も然り。人にプレゼントするからには、必ずしも最初からこの人にこの本をあげる!と決まっているわけではなく、オンライン書店で特定のタイトルを検索するよりも、実際に本が並んだ場所で表紙を眺め、手にとって「ああ、この本はあの人が喜びそうだなぁ」という買い方をするので、ポップアップ書店が便利なのである。

既存の書店がどこか買い物客が集まりそうなロケーションにギフトっぽい本を並べる、というのが王道だとすれば、他にもゲリラ的アイディアで、色々な人たちが、様々なロケーションで、突拍子も無いことを試みるのがポップアップ書店の面白さである。……ということで今年のニューヨークで目に付いたポップアップ書店を紹介してみよう。

ウィリアム・モリス・エンデバーの「ギミー・ブックス(ホンヲクレ)」

まずは、ニューヨークの書籍出版業界でもニュースになっていたのが、大手エージェンシー、ウィリアム・モリス・エンデバー(WME)が、ロウアーイーストサイドに3日限定で作った「ギミー・ブックス(Gimme Books)」(「ホンヲクレ」ってな意)。私が知る限り、リテラリー・エージェンシーが地元のニューヨークでポップアップ書店をやるのは初めてじゃないかな。

このWME、実は同じくファッション&スポーツの大手エージェンシーであるIMGを昨年暮れに買収していて、この夏にマイアミで行われたファッション・ウィークでもGimme Booksというポップアップ書店をやっていたようだが、あまり「本に関連したイベント」という感じがしなかったので、このときはスルーしていた。

今回のニューヨークのポップアップ書店も、そのお抱えの著名人の中から、ちょうどこの時期に本を出しているクライアントを集めてサイン会を催し、ついでに他の本も置いてしまえというわけだ。メイクセンスだね、というわけでさっそく下見へ。さすが大手ともなると、ちゃんと通りに面したお店を居抜きで借りていた。おそらく、リース契約しているテナントが品物を運び込む前に使ってもいいよ、という話になっているのだろう。いつもどこかしらで映画撮影をしているニューヨークでは、ロケーションスカウト屋に頼めば、ありとあらゆる条件で物件をブッキングしてくれるのだ。

店内はいかにも仮住まいといった佇まいで、スカスカ感漂う簡易本棚が並んでいるだけ。でもこのコミックや本を使ったクリスマスリースは、私にも作れそうでオシャレだなぁ。目玉商品としては、日曜日の午後にサイン会が予定されているエイミー・セダリスの”I Like You”とジェームズ・フレイの”Bright Shiny Morning”ですかね。他にも今ベストセラーとなっているエイミー・ポーラー(TVで人気のコメディ女優)から文壇の薫り高き女流作家ジュンパ・ラヒリの本まで並んでいるので、WMEのクライアントリストそのまま。

レジは最低限のお釣りとSquareで通せるクレジットカードのみ(日本で翻訳本を作っている編集者やタトル・モリの人にだけ通じる話で恐縮だけど、翻訳権担当のトレーシーも同僚たちと店番してたよ〜)。

ハーパーズ・ブックス (ホテル・ヒューゴにて)

ロウアーイーストサイドといえば、小洒落たカフェやセレクトショップが多いエリアで、お店がガラス張りで中が丸見えなので、サイン会のない時間でもふらっと通りかかった人が入りやすい雰囲気。こんな風に偶然見つけられそうなポップアップ書店と対極にあるのが、次に紹介するハーパーズ・ブックスのポップアップ書店。

その前にちょっと説明が必要なんだが、マンハッタンから数時間で行けるイーストハンプトンという高級避暑地があって、いちおうビーチだが誰も海水浴目当てに行く人はいなくて、毎週末、そのエリアは超お金持ちから、その人たちに近づいて儲けてやろうという取り巻きたちでごった返す。そのイーストハンプトンにある「ハーパーズ・ブックス」というのは、古本屋というより、アートギャラリーに近く、稀覯本やアートプリントを売っていて、冬になると当然ながら避暑客はいなくなるので、閑古鳥が鳴き放題。

ポップアップ書店のある場所は、ウェストソーホーと呼ばれている(でも新興のこうしたエリアにノリータだのダンボだのと新しい名前をつけること自体がもうダサいんだそうだ)。ソーホー・グランドやマーサーやザ・ジェームズといった高級ホテルがあって、夜景が楽しめるバーに夜な夜な成金お金持ち系が遊びにくりだし、ハンプトンの冬バージョンの饗宴が繰り広げられるところ。

そんなホテルのひとつ、ホテル・ヒューゴの204号室、という一風変わったロケーションでポップアップ書店をやっている、と聞いて恐る恐る訪ねてみた。そこには見た目古そうでも実は数万〜数十万円というアンティークの写真集、美術書、アートプリント、「ジン」と呼ばれる同人誌などなどが置いてあって、決まって、ああ、こういうの神保町でコレクションしてるよね、みたいな日本語の本も並んでいる。そこで店番をしていたネイサンという奇特な若者に出くわした。

しかもホテルの部屋と言っても、古めで由緒あるホテルのスイートルームなんかと違って、ブティックホテルって軒並み狭いのである。シングル1泊400ドルとかボッたくるくせに。ということで、ベッドの上や家具を使っただけではディスプレイできる場所も足りないので、なんと、バスルームにまで本を並べている。しかも下ネタ系の本やポスターを。

シャワールームの中にクリストファー・ウールの限定プリント(たぶん数百万円する)があるのを見たときは思わず「このシャワー、元栓止めてあるよね?」と確かめてしまったくらい。

こうなると通りかかるのは同じフロアにたまたま泊まっているホテル客だけになるので、口コミやネットでの宣伝が頼り。あるいは夜な夜なこのエリアに繰り出す、アートがなんたるかもわかってないお金持ちが、連れのモデル崩れ嬢のために気まぐれにポンっと買っていくとか。

ネイサンくん、普段は自分で見つけた本やアートをインスタグラム(Instagram)を使って売っているそうで、いわゆるネットの「せどり」業といったところ。アマゾンのマーケットプレイスを使っても本は売れるけど、あれだとISBN番号を入れてあらかじめ決められたカテゴリーにはめていかないといけないんで、本じゃないものもいっしょに売るには面倒くさいし、珍しい美術書や、古い写真集だと、どうしても画像で本を見ないことには判断できないから、インスタグラムが便利なんだとか。

売れたら売れたで、大判の本やアートは送料がかかるし、売り値段のパーセンテージでアマゾンに手数料を取られるので、だったら自分でSNSを使って本を売る方がいい、というたくましい心意気が感じられる。たまたまホテル・ヒューゴの広報の人と知り合いだったから、空いている部屋を借りることになったけれど、ホテル側も宣伝のひとつとして、他のアーティストにも場所を提供していくらしい。何か一つでも売れたらホテル代ぐらい出そうだしね。

文芸誌「パリス・レビュー」のポップアップ書店

そしてもうひとつ、ゲリラ豪雨みたいなポップアップ書店のイベントを紹介。文芸誌「パリス・レビュー(Paris Review)」がイーストビレッジにあるイタリアンレストランでたった1日、3時間限定でクリスマスイベントを開始。

バックナンバーだの、Tシャツやトートバッグ、ワンジーと呼ばれるベビー服までをちょこちょこっとテーブルに並べただけだが、それなりに定期購読者のファンが現れて、なんとも手作り感あふれる微笑ましいイベント。

「パリス・レビュー」の編集長、ロリン・スタインはファラー・ストラウス&ジルーという文芸出版社時代からの知り合いなので、バイアスかからないように他の人に質問をぶつけたところ、普通にオフィスでクリスマスパーティーをやるよりは、こういうイベントの方が「売り子になって文化祭やる気分」が味わえて楽しいとのこと。

何より特筆すべきは「パリス・レビュー」、ここ10年で部数が減るどころか約3倍に伸びているそうだ。折しも、老舗政治ニュース論説誌「ザ・ニュー・リパブリック」では、救世主と思われたIT長者のクリス・ヒューズが買収後、編集にあれこれ口を出し始め、辞表を出した編集長にくっついてスタッフがごそっと辞めたというのがニュースになったばかり。本もそうだけど、雑誌はもっと苦しいよね、と水を向けたら「実は、そのクリス、『パリス・レビュー」にも出資してた時期があったんだよね。うちはあんなことにならなくてホントよかったよー』とロリンは言うけれども。

というわけで、内沼晋太郎さんが書かれた本の題名のとおり、実はいろいろなかたちで本が「逆襲」している師走のニューヨークなのでした。

■関連記事
アメリカ西海岸ブックストア探訪記
いまなぜ本屋をはじめたいのか
北海道ブックフェスに参加してきました
ワルシャワで、「家みたいな書店」と出会う
「本屋さん」の逆襲?――2013年を振り返って

中国語繁体字の標準化にぶつかって

2014年12月13日
posted by 董 福興

今年の10月、私はサンフランシスコで行われるW3C主催のTPACというイベントとブック・イン・ブラウザ会議に参加するため、シリコンバレーに向かった。

太平洋を越えて台湾からアメリカ西海岸へ行くには、とても費用がかかる。数年前、私がまだ取材記者だった頃は、東京、香港、上海、サンフランシスコ、クパチーノなどで行われるIT企業主催のメディアツアーによく招待された。しかしいまや私は、収益の安定しないスタートアップ企業の経営者である。いちばん安い宿と航空券をみつけても10万台湾ドル(日本円で約40万円)の出費となり、自分の事業になんら利益をもたらさないかもしれない旅行にとってはとても痛い。

そこで私は、9月に自分のブログに、この会議に参加しなければならない理由を書いた記事を投稿して資金援助を募り、ペイパルと銀行の口座を用意した。二週間もしないうちに、クラウドファンディングは成功した。

標準化の世界とぶつかる

村田真さんからEPUB 3.0.1についてのメールを受け取ったのは、2013年2月のことだった。彼からの質問は、「台湾の電子書籍リーダーでは”ruby-position: inter-character”に対応がなされているか?」というものだった。

"ruby-position: inter-character"は、台湾でBopomofoと呼ばれているルビを漢字の右側に固定して表示するためのCSS。

私にはその答えがわからず、返事をすることができなかった。台湾でEPUB 3フォーマットへの寄与を仕切っている組織は「資訊工業策進會」(IT産業協会)という、日本の情報処理推進機構(IPA)のような団体だが、その専門家チームはIDPFがEPUB 3.0の仕様にかんする声明を出した後、解散していた。そして当時は、台湾の電子書籍ベンダーでEPUB 3.0をサポートした読書用システムをサポートしているところは一つもなかった。

私はこれについての関連資料を探し、自分で試作品をつくった。それらをあらゆるウェブブラウザとリーダーでテストしてみた結果わかったのは、ウェブ上やEPUBでBopomofo付きの文書を表示させようとしても、まだCSSの仕様が制定されているだけで、ブラウザにもリーダーにも実装されてない、ということだった。この問題はHTMLとCSSに関わっており、IDPFフォーラムでは解決できない。その答えを知りたければ、W3Cに行かなければならないのだ。

考えてもみてほしい。もしBopomofoのルビがウェブ上でも電子書籍上でも表示できないとしたら、どうやってそれらを教材として使えるだろう? 子供たちに北京語を教えるためにBopomofoを使うのは世界中で台湾人だけだ。私たちはこの問題に真正面から向きあわなければならない。私は週一回のテクノロジーコラムを担当している台湾の日刊紙「聯合報」で、この問題を取り上げた記事を書いた。その記事を政府の誰かが読んでくれたことで、物事が動き出したのだった。

お前はだれだ?

出版協会の仲介で、私は文化部(日本の文化庁に相当)の役人と面会することができた。しかし所轄官庁はこの問題を技術的に踏み込んだところまで理解しておらず、ことの重要性もそれらを実施するための術も知らなかったので、不信の念を抱かざるをえなかった。標準化についての経験もなければ博士号ももたない人物が、どうしてこの問題を解決できるだろう?

ちょうどその頃、W3CとIDPFが共同して電子出版に関するコメントを集めるため、ニューヨークと東京、リヨンでワークショップを3回にわたって開催していた。その一つが2013年6月4日に慶応義塾大学で開催された「国際化(i18n)」に対する要望を集めるためのワークショップだった。これは中国語繁体字のルビについての仕様を要請するには絶好の機会だった。出版協会が私をコンサルタントとして雇い、文化部からの助成金を手当してくれたおかげでこのワークショップに参加できた。そして同年の10月に深圳で行われたW3C TPACで、どうしたらBopomofoのルビを実現できるかについて議論がなされたのだった。

中国語組版における多くの未解決問題

その会議の間、私はCSSの仕様をやまほど読み、中国語の組版に解決しなければならない問題が山積していることを知った。中国語繁体字による文章は日本語によく似ているが、漢字だけで記述されており句読点の入れ方も異なるから、日本語組版のルールを全般的に用いることはできない。句読点の文字組み、禁則処理や文字揃えなど、どれも細かなところで違いがある。しかし、なんとかして私たちは解決方法を見つけなければならない。

中国語繁体字の約物は文字の真ん中にふられるため、日本語のように行内調整ができない。活字時代の本は禁則処理なしのほうが多く、欧文と漢字間のアキも四分アキではなかった。(史梅岑『中國印刷發展史』1966, 台灣商務)

W3Cの文書のなかでは「日本語組版処理の要件」(JLREQ)が大いに参考になった。近年、電子書籍の売上が伸びてきたため、要求も高度になっている。これらのルールはすでに「CSS text level4」の段階の仕様書にも書かれていた。しかし、中国語のための仕様をそれに対してその都度求めるのは良策ではない。そこでこの「日本語組版処理の要件」を中国語に翻訳することに決め、なんども読み込みをして、中国語組版に関連する部分をリストアップし、中国語繁体字の組版ルールを加えていった。そうしてできあがったのが「中国語繁体字組版の要件」(TCLREQ)のドラフトである。

このドラフトを書くのはたやすくはなかった。その理由は以下のとおりである。

中国語組版の専門家の不在

JIS X 4051を土台にした「日本語組版処理の要件」はW3Cの公式の参照文書であり、5年にわたって日本語組版の専門家たちが起草したものだ。この文書は中国語・韓国語・日本語(CKJ)のタイポグラフィや組版をウェブの技術がサポートするうえで大きな役割を演じた。ところが台湾や中国本土には、日本語組版においてJIS X 4051が果たしたような役割を担う、組版ルールについての文書が存在しない。この地域では組版の専門家をみつけることもむずかしい。私にできることは、経験豊富な書籍編集者に尋ねたり、活版時代の古い本をみつけたりして、往時の中国語組版の基本ルールの再現を試みることぐらいだった。

中国語組版における日本語や西洋の組版ルールからの影響

活版や写植からDTPへの移行期においては、DTPソフトのようなツールが重要な役割を演じた。しかし実際のところ、これらのツールの組版ロジックは日本語の組版ルールに基づいていた。日本語組版には基準文書があり、出版の市場規模が(当時は)台湾と中国を合わせたりよりも大きかったからだ。台湾の中国語繁体字の組版は日本や西洋のタイポグラフィにかんする思想からすでに影響を受けている。中国語にとってもっともいい方法を見出すのは簡単なことではない。

資金不足

標準化の活動に参加するのは簡単なことではない。先進国においては、グーグル、アドビ、アップル、マイクロソフトといった、その恩恵を受ける営利企業が標準化のために大きな役割を演じている。だが途上国では標準化作業の多くを政府に頼っている。国の年度予算に基づくため不安定となりがりで、予算がカットされたり、あるいはプロジェクト自体が終わってしまった場合、第三者から支援を得る努力をしなければならない。標準化作業が完成するまでには、5年あるいは10年以上の歳月が必要となるが、こうしたスローペースの活動を実際のところ政府は好まない。

先に述べた文化部からの助成金について述べると、台湾の出版協会が80万台湾ドル(日本円で約320万円)を確保してくれたが、そのすべてが活動に利用できたわけではない。ここで得た助成金の大半は渡航費に消えてしまい、残った額はひと月分のサラリー程度。実際に活動するための助けにはならなかった。「中国語繁体字組版の要件」(TCLREQ)のドラフトができあがると、私はW3Cへの加入を申請した。しかしW3Cの最低限の会費でさえ、スタートアップ企業がまかなえる額ではなかった。台湾政府や出版関連団体がなにもしてくれない以上、私にできるのはこのドラフトを自分のパソコンのなかに止め、次の機会を待つことだけだった。

プロジェクトの再起動

北京航空航天大学がW3Cに中国での主催大学(他にはアメリカのMIT、日本の慶応義塾大学、EUのERCIM)として参加したことで流れが変わった。彼らは中国のIT企業が標準化活動に参加するよう、テコ入れに精力的に取り組んでいる。この大学は中国のシリコンバレーといわれる中関村からも少ししか離れていない。TPAC2013で私が「中国語繁体字組版の要件」のプロジェクトについて話をしたところ、彼らもこの活動が継続されること、中国語簡体字のルールになじんだ「中国語組版の要件(CLREQ)」が中国でも成長著しい電子出版産業の標準として刊行できることを願っていた。

この9月に北京で行われた国際化(i18n)ワーキンググループ会議で、私はRichard Ishidaや、電子書籍のベンダー企業数社、そして学者たちとコンタクトをとった。この文書の目的と、そのためには何が必要かを知ってもらいたかったからだ。彼らとの会見後、私はこのプロジェクトのためにW3Cに専門家として招待され、活動を継続することができるようになった。彼らは大いに助けになったが、財政的な援助は得られなかった。

さらに前進

サンタクララで開催されるTPAC2014が一ヶ月後に迫っていた。しかし、私にはこの会議に参加するための方策がなく、お手上げ状態だった。そのとき、アップルでwebkitの開発をしているデヴィッド・ハイアットがwww-styleのメーリングリストにある投稿をした。この投稿によると、”ruby-position: inter-character”のWebkit nightly build(先行テスト版) はすでに基本的に実装されており、それに対するコメントを歓迎しているとのことだった。

“ruby-position”(ルビの位置)のプロパティは、およそ12年前に最初に書かれたHTMLにおけるルビの扱いに関するドラフト以来、実際には実装されていなかった。私は突然、自分がしていることは真に価値があることであり、そして継続しなければならないことだと感じた。そこで、この会議に赴くためのファンドを集める試みを始めることにした。まず、私は台湾のITと出版に関連する団体や組織に向けて、簡単なステートメントを書いて送ってみた。しかし一週間待っても、どこからも返事はこなかった。

そのことで私がとても苛立っていることを知った友人たちが、その手紙を公開してクラウドファンディングでお金を集めたらどうか、という助言をしてくれた。それを聞いて私は迷った。本来これは、政府が手当てすべき問題である。どうやって一般の人々から、そのためのお金を募ったらいいのだろう? 友人の一人で、以前は貓頭鷹出版社で編集長を務めていた陳穎青はこう言った。「これはすでに公的な問題になっている。あなたがやろうとしていることは、人々に利益をもたらすことなのだから、やってみるべきだ」

そこで私は、自分がそのときにしていたことと、これまでやってきたことについてブログに “If you care about Chinese”(もし中国語を大事だと思うのなら)という記事を書いた。さらにこの記事をCSSと電子書籍のオーサリングに関するフェイスブック・グループにも投稿した。人々はこの記事を次々にシェアしてくれた。一人あたりの寄付の額は、1万台湾ドル(約4万円)から200台湾ドル(約800円)までバリエーションをつけた。さらに、これが必要である理由を知ってもらうため、いくつかの講演でも説明した。最終的に41人と一つの団体から総額12万台湾ドル(約48万円)の寄付があつまり、飛行機代と会議への参加費用、宿泊代をまかなうことができた。資金援助をしてくれた人たちの大半は教師と開発者で、電子書籍の事業者や出版社はごく少数だった。

FlyingVのような、台湾で有名なクラウドファンディングのプラットフォームは使いたくなかった。理由の一つは、7%もの手数料をとられてしまうから。もう一つの理由は、必要経費はわずか10万台湾ドルなので、そのようなサービスを使うまでもないと思ったからだ。

TPACの当日、私たちはなんとかして「中国語組版の要件(CLREQ)」のプロジェクトに道筋をつけ、中国語組版にかんするいくつかの細かな問題点を解決できる読書用ブラウザーのベンダーに直接あたろうとした。さらにサンフランシスコで行われた「ブックス・イン・ブラウザー」の会議にも私は参加した。「ツールズ・オブ・チェンジ(TOC)」のカンファレンスは終わってしまったが、「ブックス・イン・ブラウザー」で話し合われる議題は先進的で、興奮させられる。ここで得られる情報は、電子出版の世界を前進させるための命の水のようなものだ。

天は自ら助くる者を助く

簡体字を含めれば、世界では10億人以上が中国語を母国語としている。しかし文化的な複雑さを保存している繁体字のみに限れば、香港と台湾にわずか3000万人がいるのみだ。とはいえ、台湾ではいまだに新刊書の40〜50%が縦書きの本である。この標準化活動に誰も参加しないようであれば、結果的に我々の中国語繁体字は周辺的な存在となるだけだ。これは印刷本だけの話ではない、ウェブであれ電子書籍であれ、私たちの組版ルールは日本語のものに多くを負っている。これは実際、私たちの文化にとってよいことではない。もちろん、日本語組版の要望に対して「ノー」と言えというのではなく、中国語組版の要望を合わせて、基準から実装までもっと早めに進んでほしいのだ。

左から二番目が筆者、右隣りが「CSSの父」と呼ばれるOperaのHåkon Wium Lieさん。左端はVivliostyleの村上真雄さん、
右の二人はBPSの馬場孝夫さんと榊原寛さん。

W3Cの会議とワークショップのなかで、私は日本から来た、NTTやアンテナハウス、ソニー、パナソニックといった企業の人々や、総務省の代表者と会った。中国からも百度(Baidu)、中国聯合通信(China unicom)、ファーウェイ(Huawei)らが参加していた。私は一人でさびしかったが、成し遂げなければならない仕事がある上、前に進まなければならない。もし、このことがなされるべき理由を誰かあなたの知り合いに伝えられるなら、どうか伝えてほしい。支援者がいつか現れ、精神的にも財政的にも支えてくれることだろう。

私自身はウェブテクノロジーの専門家ではないし、いかなるプログラミング言語でもコードを書くことはできない。問題に直面したときは、自分の専門である「編集者」としての技術で切り抜けてきた。ソースを集め、情報を整理し、そこから文脈と解決策を見つけだすのだ。始めたときには自分にこんなことができるという自信はなかったが、小林龍生さんの『ユニコード戦記』(東京電機大学出版局)という本からは大いにインスパイアされた。標準化の世界にぶつかった人間は、少なくとも私一人だけではないのだ。

ときどき、私は自問する。いったい自分は何のために戦っているのか、と。台湾のため? 自分のビジネスのため? 電子出版のため? たぶんどれも違う。私はマルティン・ハイデッガーがヘルダーリンのこんな詩句を引用していたことを思い出す。

「詩人のように、人は住まう(Poetically, man dwells.)」

私たちは自らの言語と、その運び手である文字のなかで快適に暮らしている。私はただ、自分が愛する言語とその文字が正確に、そして美しく、電子機器の画面に表示されてほしいだけだ。中国語を読み書きする人が、私たちの作り上げる環境を享受してくれれば、それで十分なのである。

■関連記事
台・中サービス貿易協定をめぐる台湾出版事情
「エラー451」の時代はやってくるのか?
台湾の電子書籍をEPUB 3で広げる
台湾がOPDSでやろうとしていること
台湾の電子書籍プロジェクト「百年千書」

アメリカ西海岸ブックストア探訪記

2014年12月8日
posted by 桜井鈴茂

海外に出かけたとき、ほぼ必ず訪れる場所の一つが書店だ。といっても、あらかじめ所在地を調べておいたことは……まあ、あるにはあるが、ほんの二三度。たいていは、そぞろ歩きの最中に出くわした書店にふらりと入る。足休めにカフェに寄ってエスプレッソをすする、というのにかなり近い感覚で。ぼくがかろうじて読める言語は(日本語のほかに)英語のみだが、書店にふらりと入るのは英語圏の旅先に限ったことではない。ようするに、書店が、書店という場=空間が、好きなのだ。もっとも、日本では――つまり、普段の生活では、書店に立ち寄ることはめっきり少なくなってしまったのだが。

脳裏に鮮明に焼きついている書店(とその時の気分)もある。例えば、乗り継ぎの関係で一晩だけ(午後3時くらいから翌早朝まで)滞在したアルゼンチン・ブエノスアイレスで、空腹を満たすべく適当なレストランを探している時に、ふいに出くわした古めかしい書店。そこのやたらと高い天井とその高い天井いっぱいに設えられた書棚にぎっしりと本が詰まった幽玄な光景には、どんな壮大な自然の景色に臨むのにもまさるとも劣らない感慨を覚えた。

それから、パリで国際列車に乗り込むこと約20時間、ようやくたどり着いたポルトガル・リスボンでの初日のこと。英語が予想以上に通じないこともあいまって一人旅の心細さを、ひいては人生の孤独を、しみじみと臓腑に染み渡らせていた散策中に、忽然と現れた、十坪ほどの小さな、もしかしたら潰れかけていたかもしれない書店。その埃っぽく傾いだ書棚にJunichiro Tanizakiという文字を背表紙に見つけた時は、(とくに谷崎のファンではないのに)無言の励ましを受けたような気がしたものだ。

もちろん、本というグッズそのものへの嗜好と興味もある。匂い、重み、触感。そして、デザイン。あの大きさと形と商品でもあるがゆえの制限との中で繰り広げられるグラフィックアートを鑑賞していると、ふつふつと心が沸き立つ。そういう意味では同様にレコード(vinyl)も大好きなのだが、こちらは海外の中古レコード店を訪ねたところで、日本の中古店と根本的に異なるわけではない。

そりゃ、日本では滅多に見かけないブツが信じられない安価で売られていたり、店番の女の子が中古レコード店ではあるまじき美貌とセクシーさをそなえていたり、といったことはあるにせよ、売られているのは基本的には同じグッズ――音楽ソフトは、同デザインのものが世界中に流通しているのだから。しかし、本は、刊行する国によって(言語によって、時には版によっても)、いちいちデザインが違う。目から鱗なデザインに出会うことも珍しくない。また、見慣れぬ言語が紙の上に整然と並んでいるのを目にするのも楽しい。ここに未知の世界があるのだと思うとなおさら楽しい。そうして、その言語が読めるかどうかに関係なく、つい買ってしまう。ホテル代とか食事代とかはかなりケチってるくせに、総じて日本の本よりも高価な本を買ってしまう。

もう一つ、海外の書店が好きな理由、しかも決定的なのがあるのだが、それはおいおい……というか、まあ、前口上はこのくらいにして――

BOOKS INC (サンフランシスコ)

北の低いところに刷毛でぞんざいに描いたような白い雲がいくつか浮かんでいるが、それを除けば、気が遠くなるほどに真っ青の空が広がっている。カリフォルニア州サンフランシスコ。ぼくは、ひさしぶりに――6年3か月ぶりに、アメリカの地を踏んでいる。海外にしても、じつに5年5か月ぶりだ。

その二日目、とはいえ到着したのは前日の宵の口なのだが、時差ぼけが甚だしい中、ゲイ・コミュニティで有名なカストロ・ストリート周辺をぶらついてみることにした。ダウンタウンの停留所でミュニメトロのF系統に乗りこみ、わざと一つ手前の停留所で降車し(だって、ぶらつくのが目的なのだから)、ロハスな雰囲気と品揃えの食料品店でキウイ・ジュースを買って、それを飲みながら……と、我ながら驚くほど早々に、今回の旅における最初の書店に出くわした。Books Incというのが店名なんだろう。それなりにお金のかかった、まあ、スクエアと言えなくもないファサード。そこそこ新しい――ここ10年くらいの間にオープンしたか、改装したかのどちらかだろう。いずれにせよ、個人経営の書店ではなく、大なり小なりチェーン店とみた。

となると、制服を着たりネクタイを締めた書店員が……いやいや、ここはアメリカ、入ってすぐのレジカウンターでは、くしゃくしゃのグレーの髪によれよれのグレーのTシャツ、という風体の五十男がその大柄な体を縮めるようにしてデスクトップ・パソコンに向かっている。書店員というよりは、大工の親方か舞台の大道具係といった風情である。

ぼくらに気づくと、見ようによっては強面の、しかつめらしい表情をさっと崩して「ハロー」。知性が光源となった間接照明のような笑顔だ。午前10時すぎ、という開店まもない時間ということもあってか、ぱっと店内を見渡した限りぼくらのほかに客の姿はない。店の広さは……(感覚で申し訳ないです)120〜150㎡くらいか。ものの一分も経たないうちに、エントランスから二十歩と歩を進めないうちに、ぼくの心は弾んでいる。たちまち、というか、思いがけず、というか、薮から棒に、フィクション≒文芸に包囲されているのだから。

目に飛び込んでくるのは、面出しになったジェームス・エルロイやトマス・ピンチョンの新作ハードカヴァー、ロベルト・ボラーニョやハルキ・ムラカミの数字がタイトルになった大冊、素敵なデザインのカフカやディッケンズのペーパーバック、ウィリアム・バロウズの書簡集……。さらに奥へ進んでいくと、グラフィック・ノヴェルや料理本や旅行ガイドブックや語学テキストなんかも(当然ながら)陳列されているのだが……なにはともあれ、この書店の……いや、しらばくれるのはやめよう……これまでの経験から言って、欧米における書店の、中核をなす(少なくとも、そう感じさせる)商品はフィクション、もう少し範囲を広げても、+ノンフィクション(とりわけ、伝記本やメモワール)、なのである。そのことをあっさりと思い出させてくれる、そして2014年秋の今もほとんど変わりがないということを示してくれる、書店にのっけから出くわしたのだった。

印象的だったのは、店全体のムードからは、いわゆる手作り感といったものはあまり感じられないのにもかかわらず、書棚のあちらこちらで、さまざまなタイトル(新刊か旧作かに関係なく……二三の例を挙げれば、Fishburne “Going to see the elephant”、Fitzgerald “Tender Is The Night、Delillo “Underworld” )が、手書きの“Staff Review”とともに面出しになっていること。それと、日本にはないので余計に目を引くのだが、セール品のコーナーがあること(前述のバロウズの書簡集は35ドルから12.98ドルに値下げになっていた)。さらに、まあ、これは間違いなく場所柄だろうが、LGBT関連の本がいやに目につくこと。“THE BIBLE OF GAY SEX”というタイトルと、卑猥さとスマートさが同居するデザインには思わず唸ってしまった。

のっけから荷物を増やすのもどうかとは思ったけど……Harper Collins社の傘下レーベルHarper Perennial の創刊50周年を記念して、ポップな新装丁の廉価版(10ドル)で売られていた Malcolm Lowry “Under the Volcano”を購入した。あとでグーグル検索したところ、このBOOKS INCは、サンフランシスコ市内を中心に、ベイエリアに11店舗を展開するインディペンデント系の書店だった。ウェブサイトにはThe West’s Oldest Independent Bookseller とある。著者がやってくる無料イヴェントやブッククラブ(読書会)が毎日のように催されている。その全体タイトルは “The Experience You Can’t Download” ……まあ、そのとおり。

AARDVARK BOOKS(サンフランシスコ)

カストロ・ストリートと24thストリートをそぞろ歩いて(途中、油断すると転げ落ちそうなほどの急坂をのぼってくだり)ちょうどいい具合に空腹になり、ミニュメトロのJ系統に乗ってチャーチ・ストリートをマーケット・ストリートまで戻ってきたところで、二軒目の書店を見つけた。

Aardvark Books。スタンド看板には〈NEWS & OLD BOOKS〉とある。けっこう広い……250㎡はありそうだ。客の姿もちらほら……ざっと六人くらい。カート・ヴォネガットをどことなく髣髴させる、灰色の髪に灰色の顎髭の男――オーナーだろうか――が、アレン・ギンズバーグをどことなく髣髴させる、禿頭に黒縁眼鏡の男――常連客だろうか――と、レジカウンター越しにおしゃべりしている。

入口のドアに、書棚のあいだを渉猟したり平積みの本の上で丸くなる茶虎猫の写真がこれ見よがしに貼ってあるし、店の中央に彼/彼女の寝床とおぼしき空の段ボール箱が置かれているので、もしかするとこの茶虎猫こそがCEOで、ヴォネガット系の灰色男は雇われ店長なのかもしれない。キャットパーソンとしては、彼/彼女にぜひともお目にかかりたく(できることなら撫でさせてもらいたく)、店内を捜しまわったが、残念ながら謁見は叶わず……。

いやまあ、それはそうと、肝心の本。新刊は一割弱だろうか(とりわけ目立っていたのは、ハルキ・ムラカミの “Colorless Tsukuru Tazaki and His Years of Pilgrimage” とリチャード・ヘルの自叙伝)。あとは古本。絵本から学術書までオールジャンル。ざっと見ではあるが、建築系やアートブック、それにグラフィック・ノヴェルが充実しているようだ。

とはいえ、やはりここでも中心はフィクション/文芸……という気がするのは、ぼくの贔屓目なのだろうか。試しに、フィクションの棚をMまで辿ってHenry Millerに行き着いてみると……予想以上の、端から新刊本の書店に行く必要がないくらいな、品揃えだった。値段はだいたい7ドルから9ドル。定価の半分ってことだろうか。“Big Sur and the Oranges of Hieronymus Bosch” を手に取ってぱらぱらとめくっていると、襟を立てた白いシャツにロールアップしたブルージーンズという装いの小柄な黒髪女性がするすると傍らにやってきた。いやいや、傍らどころか、背表紙を辿るその人差し指がミラーのところで止まって “The Books in My Life” を抜き出すではないか。

おいおい。ジュノ・ディアズとかそれこそハルキ・ムラカミならあり得なくはないだろうが……ヘンリー・ミラーだよ? まじで?

立ち読みしてるふりして横目で観察した。おそらく南アジア系――インド?パキスタン?バングラデシュ? 推定年齢24歳。留学生? それともインド系アメリカ人の大学院生でカリフォルニア時代のヘンリー・ミラーについての修士論文を執筆中とか? 想像と興味は膨らみ、心臓がばくばくする。そうして、意を決したぼくは、さっそく “Excuse me? Do you like Henry Miller? ” と話しかけて、少しの立ち話の後で昼食に誘い、午後はいっしょにゴールデンゲート・パークへ行って、夢のように映画のように楽しい時間を……というのは嘘です。同行者が妻なのでね。しかも空腹のせいで、機嫌が傾きかけており――いやいや、妻がいっしょでもべつに良かったじゃん、変に意識しすぎ、とにかく話しかけるべきだった、ここはアメリカだぜ、と悔やんだのはその夜ベッドに入ってから。

PEGASUS BOOKS(バークレー)

ゲイのカップルで溢れたカフェでサラダ・ランチを食べ終えると、抗いがたい睡魔が襲ってきたので、ヘイト・アシュベリーへ移動するのはやめにして、ダウンタウンのホテルに戻り、階下から立ち上ってくる街の喧噪をBGMに一眠りした。

目覚めたのは午後4時前。予定を変更して、バークレーへ行くことに。BART(高速鉄道……まあ、東京メトロみたいなもの)に乗って、約30分。じつは今回の旅行中に合計6回このBARTに乗ることになるのだが、ぼくが観察したところ、紙の本の読書率は、最近の東京の電車内よりも明らかに高い(スマートフォン/SNS普及以前の東京よりは低いと思うが)、よってスマートフォンいじり率は低い。こんなのはぼくの体験と観察であって、データとしては無効なことはわかっているが、タブレットや電子ブックリーダーを使ってる人は驚くほどに少なかった。

蛇足ながら、東京(というか、日本の大都市圏)の電車内光景との大きな違いは、スーツ姿の勤め人がめっぽう少ないこと、受験/試験勉強中の高校生や中学生が皆無なこと、居眠りしている人も少ないこと、自転車を持ち込んでる人がやたらと多いこと(自転車のためのスペースがドアごとにある)、車内にしろフォームにしろ広告が極端に少ないこと、そのぶん路線図が大きくてわかりやすいこと、などなど。

Downtown Berkeley駅で降りると、カリフォルニア大学バークレー校の近隣ということもあってか、サンフランシスコのダウンタウンとは明らかに雰囲気が違う。道は広く、建物は低い。緑の葉っぱを茂らせた街路樹が歩道にちょうど良い木陰を作っている。いかにも観光客ってかんじの人々も見当たらない。目を合わせちゃいけない、と咄嗟に考えてしまうヤバいルックスの人にも遭遇しない。ユニクロやGAPなど多国籍企業の看板があからさまに視界に割り込んでくることもない。いいかんじだねバークレー、などと妻と言い合ってると、ほんとにいいかんじの書店に出くわした。

Pegasus Books。かなり広くて……300㎡ は軽くありそう。ここも Aardvark Booksと同じく、オールジャンルで新品も古本も扱っている。が、新品の占める割合が前者よりもずっと高い。ざっと半分くらいだろうか。音楽ソフト(CD、vinyl)や映像ソフト (DVD) の中古も扱っている。とりわけ、レコード(vinyl)が目につく(じつはこのあと、同じ大通りの反対側に Half Price Booksという全国チェーンの古本店を見つけるのだが、こちらでも音楽/映像ソフトは商われていて、とくにレコードの比率が高かった。アメリカでは、CD時代は終わりかけ、レコードさもなくばダウンロード、という時代に入っているのだろう)。

店の中央付近には、ガレージセールで入手したかのような古いソファとテーブルがおかれていて、そこで座り読みができるようになっている。案内の表示にしろ書棚にしろ、全体的に手作り感の強いお店で、レジカウンターの後ろにいるのもDIYな雰囲気をふんぷんと漂わせた二十代後半の女性。着古したチェックのシャツに色あせたジーンズ、まるでマリファナを嗜みながらルームメイトにカットしてもらったかのような、そしてシャンプーの後はいつだってタオルドライのみってかんじのブロンドのショートヘア。なんだか、アシッドフォーク系シンガーソングライターのようにさえ見えてくるけど……アメリカにやってきてまだ24時間弱、ぼくがへんに舞い上がってるだけ?

新刊コーナーを差し置いて店内でもっとも目を引くのは、“Staff Picks”(スタッフ選)という棚だ。エイミー・べンダー、リディア・デイヴィス、ジョージ・ソウンダースといった比較的最近の純文系作家から、ジェームス・クラウリー、マックス・ブルックス、アーシュラ・K・ル=グウィンといった新旧のジャンル小説家、果てはヴォネガット、ナボコフ、ドストエフスキー……さらに、光瀬龍『百億の昼と千億の夜』、黒澤明『蝦蟇の油―自伝のようなもの』の両英訳! もちろん、ぼくの知らない作家の知らない作品(おそらくは日本では未刊行のもの)もたくさんあるのだが、そのひとつひとつにスタッフのコメントが付いて陳列されている。この、ごった煮感にしびれる。何者にも阿ることのない、てんで空気を読まない、いや、これこそがアメリカの空気であるところの、「わたしはわたし、あなたはあなた」を集積した、ごった煮感に。

全体の品揃えにおけるフィクション/文芸の割合は……ざっと、三割五分くらいだろうけど、スタッフ選の書棚に限れば、八割強がフィクション/文芸。この店に限ったことではないのだが、日本のふつうの書店で幅を利かしてる(というか、売れているんでしょうけど)セールスメッセージがそのままタイトルになったような自己啓発本? 処世術と仕事術と精神論が合体したようなビジネス実用書? 日本株は五年で売れだの知られざるアメリカの闇だのといった軽めの(つまり、専門書ではない)経済本/歴史本/教養本? それから、幅を利かすほどじゃないけどけっこう目につく「散歩とコーヒーと読書」「楽しい古本屋巡り」的なエッセイ? の類いは、どういうわけか見当たらない。拙い英語力のせいで目がキャッチできないだけなのかもしれないが。

さまざまな分野と種類の本がミソもクソもいっしょにすさまじい回転率で大量に入り乱れる日本の書店のほうがはるかに豊かなのだ、と言うこともできるんだろうけど……そもそも豊かさって何? つーか、本って何? 何をもって本? まあ、いずれにせよ、いま挙げたような本がお好きで日頃から書店に通ってらっしゃる方は、アメリカのインディペンデント系書店にやって来てもつまらないかもしれません……念のため。

CITY LIGHTS BOOKSELLERS & PUBLISHERS
(サンフランシスコ)

翌日。午後の便でサンフランシスコを離れることになっていたので、最初からピンポイントで狙いを定めて、City Lights Booksellers & Publishersへ向かった。サンフランシスコを訪れるのは二度目だけど、前回――たしか1997年の夏――は大いなる事情と小さな怠惰によって来そびれていた、ピンポイントで狙いを定めて訪れるにふさわしい書店。ビート・ジェネレーション好きにとっては聖地のような書店。さらには、カウンター・カルチャー、ヒッピー、オルタナティヴ、インディペンデント、DIY――そんな単語に縁取られた、ムーヴメントなりアティチュードなりコンセプトなりを、敬愛する/実践する/拠り所とする人々の、総本山……なんていうのは、言いすぎか。

ともあれ、ぼくはいつになく襟を正し、背筋もしゃんと伸ばし、胸を高鳴らせて向かった。気負いすぎたのか、10時の開店より20分も前に着いてしまった。近隣を散歩。本日も快晴。青い空が目と心に染みる。陽射しは強いが風は涼しい。遠くに海が見える。ベイブリッジも見える。近くにはトランスアメリカピラミッドが聳える。

10時5分、聖地に戻ってくると、すでに巡礼者/客が何人か。ぼくとほとんど同時にお店に足を踏み入れたのは、初老、おそらく七十代のカップル。ビート・ジェネレーションの聖地に七十代の初老夫婦……てのが日本人の感覚、というか少なくとも、ロウブラウな辺地で育ったぼくの感覚では、いまいちしっくり来ないのだが、もしケルアックが生きてたら当年とって九十二歳だし、この書店を一躍有名にしたギンズバーグ『吠える』の刊行から今年で58年……つまり、七十代なんてぜんぜんふつうなわけだ。彼らの様子から、絶対に近所の人じゃない、おそらくベイエリアの人でもない、もしかするとアメリカ人ですらないかもしれない、明らかに観光客だ、というのがわかる――そして、数分後、彼らがドイツ語でしゃべってるのを小耳に挟むことになる。

書店員というより、なかば観光地化した老舗バーのバーテンダーといったかんじの、浅黒い肌の男が、心持ち冷ややかな微笑で、ぼくと初老のカップルが入店するのを迎える。そばに控える、同じように浅黒い肌の若い女性スタッフも、自分の職場にプライドを持ってる人に特有の、横柄さの入り混じった落ち着きと落ち着きの入り混じった排他性を、それとなく漂わせている。

じっさいに辿った順とは逆になるが、まずは地下。広さは75~100㎡ほどか。ミステリーやSFなどジャンル小説(一階でいくら探してもなかったブルース・チャトウィンはここにあった、紀行文学がジャンル分けされているとは)、映画や音楽関連、政治学や経済学関連(Green PoliticsやAnarchism なんて分類も)、文化人類学や形而上学……それから、意外なことに、児童書や料理本まで揃えてあった。

そして、一階は(広さはレジカウンターがあるぶん地下よりじゃっかん狭い)まるごとフィクション。入ってすぐのところに、シティライツの出版部門から刊行されている数々のタイトル。それから……これまでに訪ねた書店との、というより、英語圏の多くの書店との大きな違いは、細かな分類がされている、ということ。具体的には、英語圏文学でも、18世紀19世紀のものと、20世紀以降のものは別の棚だったし、海外文学/翻訳ものも、フランス、ドイツ、ロシア、ラテンアメリカ、中東、アジア……と国や地域によって分かれていた。

日本ではあまりアナウンスされることのない事実だと思うので、簡単に説明を差し挟むと、英米の書店ってけっこう大きな規模のところでも、棚は「国内文学、英語もの」か「海外文学、翻訳もの」かには分かれていない。たいがいは、オリジナルの言語がなんであろうとぜんぶごっちゃで、単に著者名のA to Zで並んでいる。例えば、村上春樹(Murakami)は、Mの欄、つまり、サマセット・モーム(Maugham)やコーマック・マッカーシー(McCarthy)の並びに、川端康成(Kawabata)はフランツ・カフカ(Kafka)やミラン・クンデラ(Kundera)の並びに陳列されている。

この細やかな分類は、文芸を専門とするシティライツとしての矜持なのか。あるいは、翻訳というプロセスをことのほか重視しているということなのか。僭越ながらぼくの意見をいわせてもらうと、ヘミングウェイもヘッセもボルヘスもウェルベックもウェルシュも三島もチェーホフもカルヴィーノもぜんぶごっちゃってのが最高にワンダフルなんだけれど。はじめて、そんな分類、というか、無分類を目の当たりにした時は、胸がすく思いがしたものだけど。

ちなみに、アジアのところに、ハルキ・ムラカミ、リュウ・ムラカミ、コウボウ・アベ、ヨウコ・タワダを見つけた……これだけだったのが(見落としてしまった可能性もなきにしもあらず)、残念。

地下と一階だけでもこの書店を訪れる甲斐はじゅうぶんにあると思う……しかし、シティライツの中枢というか売りは二階だ。ビート関連と詩集がぎっしり。ぎっしりとはいえ、地下や一階が人がすれ違うのも難儀なほどところ狭しと陳列されているのに対して、こちらは、書棚は壁際のみ、中央にはアンティークなテーブルや椅子も置いてあって、ゆったりとしたスペースになっている。立ち読み、座り読み、考え事、瞑想、詩作、どうぞご自由に、といった雰囲気。

ただし、階段を上がったところに“WARNING! Reading Books May Change Your Life”と印字されたポスターが貼ってある(好きだなあ、こういうユーモアのセンス)。ついでながら、店内には、ほかにも“Democracy Is Not A Spectator Sport”とか“BOOKS NOT BOMBS”といった標語がでかでかと貼ってある。ようするに、ただの書店ではない、ということ……だよね。

さて、ぼくはおのぼりさんよろしく(というか、じっさいそうだし)、“CITY A COMMUNITY CENTER FOR BOOKS AND FREE THINKERS ”とプリントされたオリジナルTシャツと、ケルアックの“Big Sur”を購入して店を出た。ちなみに、“Big Sur”は、“On The Road”に引けを取らない傑作だと、かねてから思っている。安直な物言いだけども……ぐっときちゃうのだ、中年期に入って傷つき疲弊したケルアックに。

この投稿の続きを読む »

第5回「ひとり」の覚悟

2014年11月30日
posted by 清田麻衣子

退社から3ヵ月経ち、夏が終わり、秋も終わろうとしていた頃、私はまた生活費を稼ぐベースづくりに身も心も完全に奪われていた。

個人事業主登録をし、2冊目の本を出すことまで決めたものの、会社を辞める直前まで日々の仕事をこなしていたら漠然と不安を抱くだけで退社日になり、出版社の準備はおろか、フリーランス編集の仕事の準備もできていなかった。会社を辞めた途端、翌月以降の入金の目処が立っていなかった。翌年の目処を自分で立て続けることに馴れるまで、結局2年近くかかった。

突きつけ続けてきた言葉

一人で家に居ると、考え込むというか、自分でつくった穴に嵌る、ということが何度もあって、それが怖くて会社員でいたようなところがあった。

意を決して会社を辞めた途端に、自分の思考パターンが変わるかもと期待したが、まったくそんなことはなく、会社を辞めてひとりで出版社をやるということは、むしろその恐怖と向き合うということでもあった。

ひとりで出版社をやろうとしていると話すと、親切にしてくれる方が増えた。出版関連の知人が、編集者や書店員など、本界隈の人たちが集まる飲み会があるから是非来なさいと誘ってくれた。大勢の飲み会はあまり得意ではないが、ひとりになって人との繋がりが恋しい気持ちも増してきて、参加した。

会も中盤に差し掛かった頃、同世代くらいの、某中堅出版社の男性編集者と偶然隣になった。初対面だったので、ひとりで版元を始めるつもりだと自己紹介すると、出したい本を尋ねられた。田代一倫さんの写真集と、井田真木子さんの本について話した。ヒットの香りがしなかったのか、その人は、ふーん、と言っただけであまり食いつきがなく、「その次は?」と続けた。言葉に詰まった。

「うーん、正直、そんなにいっぱい出したい本ないんですよね……」

もっと泉のように企画が湧き出してきておこすのが出版社なのではないか、というようなことを言った後、その人は苦笑しながら、

「何も出版社やることないんじゃない?」

と言った。カチンときた。

「まあでも、そんなに出さなくてもいい本ばっかり溢れてるから書店が飽和状態になってるんじゃないかなと思うんですよね」

身も蓋もないセリフを吐いてしまった。沈黙。ほろ酔いの明るい声と熱っぽい空気に包まれて、しらけた空気が重かった。業界の人が集まる酒の席だ。編集者として実のある会話がしたかっただけなのかもしれない。その人は「まあねえ……」と歪んだ笑顔を浮かべ、「ま、頑張ってください」と、そそくさと別なテーブルに去って行った。

その場では「あー、せいせいした!」と思ったものの、帰りの電車でもさっきの言葉が離れなかった。そもそも私が過剰に反応したのは、その人の指摘は、私が仕事を始めてからずっと、もっと正確に言えば、それ以前からずっと自分にナイフのように突きつけ続けてきた言葉だったのだ。

「なんでそんなに興味のあることが湧いてこないの?」

と。腹の奥までぶすりと刺さった。

「得体のしれない世界」に触れた体験

仕事で自分を限界まで忙しい状態に追い込んで、身動きをとれなくしてホッとする感覚は、子供の頃、風邪を引いて熱が出ると、平日の昼間から寝ていても良いという免罪符をもらったような気持ちになるのと似ていた。

でも子供の頃は、友達と遊びを開発するのも楽しかったし、ひとり遊びにも熱中した。それ以上に、小学生の頃は勉強が楽しかった。特に、小説の一部をみんなで読み込んで、自由な感想を口々に言い、それを先生がすべて受け入れてくれる国語の授業は、友達と遊んでいる時よりワクワクした。

だが友達の真似をして、遊び半分で通い始めた学習塾が中学受験専門の塾で、あれよあれよという間に受験をすることになり、私立の中高一貫教育の女子校に入学した。しかし、中学入学と同時に、大袈裟ではなく世界が変わってしまったと思った。

中1から大学受験をゴールにカリキュラムが組まれ、いちばん悲しかったのは、現代国語が「正解」を求めるばかりの授業だったこと。そのスタイルも答えも納得いかず、意を決して授業の方法について教師に相談しに行ったこともあったが、まったくピンと来ないままかわされた。

国語以外も授業中は身が入らず、楽しくないから予習復習もせず、入学当初は同程度の学力だった同級生の中で、すぐに落ちこぼれた。中1からほとんどの教科で追試を受け、中3で遅刻も常連になった。部活動にも興味が湧かず、周りの友達が夢中になっていたサブカル、オルタナティブといわれるジャンルの本や音楽に少し触れつつ、でもそこまでのめりこめなくて、結果、再放送のドラマばかり見ていた。気の合う友達も居たし、イジメらしいイジメもなかった。でもどこか冷めていて、消化不良のまま毎日が終わっていく感じだった。

とにかく記憶が薄い中高時代、ずっと「もっと楽しくなるはず」という言葉が浮んでいたのは覚えている。子供の頃のように、自分への意識が無くなるくらい何かに夢中になる状態を欲していた。「暗黒」ではないけれど、中の上の偏差値で、中の上の生活レベルの、しかも女だけの波風の立たない空間で、「空白」の中高時代はあっという間に過ぎた。

しかし映画好きの父の部屋に落ちているチラシの中に惹かれるものがあり、映画はたまに観に行っていた。中でも、原一男監督の『全身小説家』という、小説家、井上光晴の虚実にまみれた人生を解き明かすドキュメンタリー映画は、当時、内容をちゃんと把握できていたわけではなかったが、人間の底知れなさと、得体の知れない世界に初めて触れた、気味の悪い体験だった。また、高校時代の授業の中で唯一、「現代社会」というその時の社会問題を扱う授業に興味を持ったこともあり、自分の中でぴくりと動いた針を頼りに、社会学科と映画関連の学科がある大学を受け、結果、芸術学科の映像専攻に進んだ。

そして大学で、それまで触れてきた「サブカル」の域を超えた文化に初めてちゃんと触れた。ダラダラしていたのは相変わらずだったが、千本ノックのように古今東西の映画を観た。授業も楽しかった。そして、3年生の時から始めた卒論の準備に夢中になった。その時のワクワクする感覚は、大袈裟ではなく小学校以来だった。

「郊外の町」からはみ出す道

先にも書いたが、その時の興奮をもう一度味わいたいと思って、卒業後、本を作る仕事を始めたが、今振り返ると、私が欲していたのは、自分の内に眠る感覚と世界を繋ぐものを一度とことん探し出すことだった。しかしそれは試行錯誤を繰り返して、海に飛び込んで、身を委ねないと探り出せないものだった。もし見つけられたとしても、数多ある商業出版社の中で、それを形にすることは難しかったと思う。

だがそれを阻むもうひとつの壁は、社会人になってそんなことをしていたら、「まっとうな女性の幸せな人生」からどんどんコースアウトしてしまうのではないかという恐怖だった。

小学校2年生の春、80年代なかばのバブル期に福岡から越して来て、以来住んでいた東急田園都市線沿線の横浜市郊外の家は、東京の谷中から遊びに来た友人が「アメリカ(アメリカのホラー映画に出てくる郊外の町)みたい!」と叫んだように、モデルルームがそのまま並んだような新興住宅地だった。それは駅に貼ってある住宅のポスターのイラストとまったく同じ――緑の並木道、水色の空に浮かぶ色とりどりの風船、整然と並ぶ建売住宅を忠実に具現化したもの――で、その「幸せ」を形にした不純物のない世界は、いつの間にか私の原風景になっていた。

クリーンで光溢れる世界から外れたら、得体の知れない世界は暗く、不幸に足を取られてしまうのではないかという感覚が身体の中に染み込んでいたような気がする。

自分自身は、そこからはみ出す汚さや複雑さを抱えながら、自分の外の世界の多様さには免疫がなく、恐れてもいたのだと思う。思春期からくすぶってきた相反する気持ちに挟まれて繰り返したのは転職だった。自分の奥に踏み込んで、それを外にひきずり出そうとするたびに立ち止まり、じっとしていると、自分の底は抜けていて、引き出しは空っぽだとしか思えなくなってしまう。その感覚はものすごく恐ろしかった。

会社は辞めた。出版社を始めることは決まった。しかしそう簡単に私自身が変わり、ひとりでやっていく覚悟が決まるわけではなく、一連の恐怖の感覚は、会社を辞めるとそれまで以上に激しく、そして何度も私を襲った。なぜ出版社をやろうと思ったのか、と、何度も聞かれたし、自問自答もし続けたが、やりたくてやろうとしているというよりも、避けて通れないような気持ちになっていたのだ。

家の近所に、作り上げた町並の中でわずかに残された、地主の農家が住み続ける小さな里山があった。畑の間をクネクネと細い農道が通り、そこを抜けると池が広がっていた。ほんのわずかな一画なのだが、人の営みを感じられるその一帯を散歩していると、心が溶けていくような気持ちになることがあった。出版社を作ろうと思った時に、コンセプトなどそんなに深くは考えられなかったので、ただ自分の好きなもの、として思いついたのが、「里山社」という名前だった。

ひとりで出版社をやることで、何度も恐怖の感覚が襲い、そこからなんとか行動することで、気持ちも落ち着きを取り戻す。そしてそのたびに、「里山社」という名前にして良かった、と思った。ひとりでやっていく覚悟はほんとうに少しずつ、その繰り返しをしながら固まっていった。

次回につづく

アマゾンvsアシェット終戦

2014年11月19日
posted by 大原ケイ

アマゾンとアシェットのバトルにようやく決着がついたようだ。両社は先週、来年から実施するEブックの卸値その他の事項で合意に達したと報告した。アマゾンがアシェットの在庫を減らしたり、予約ボタンを消したりして、契約更新のネゴシエーションが難航しているのが表沙汰になったのが今年の5月だったので、半年以上もすったもんだしたことになる。

両社が合意に達したことを伝えるアシェット社のプレスリリース。

アシェットのCEOマイケル・ピーシュが語ったところによれば、基本的にエージェント・モデルで合意し、アシェットがEブックの定価を安くつければつけるほど、有利にオンラインでプロモーション展開ができるようになっているとのこと。アマゾン側も一定のディスカウント権限が与えられているということで、これは最近「軽エージェンシー・モデル(Agency lite)」と呼ばれている。一説には、アシェット側がアマゾンの望む9.99ドルの定価なら従来の70/30で売上を分け、それより高めの定価なら、アシェットの取り分がやや少なくなるような配分だという話もある。

考えてみれば、こういった卸値のことでアカウントと版元が揉めたとしても、いままでは書籍出版業界の内輪話として誰も気にも留めてこなかったし、これからもアマゾンもアシェットも今回の契約に従って粛々と本を売っていくだけのことなのだが、今回の交渉がこじれ、そのことがニュースになったことの影響について書き記してみよう。

それぞれの損得勘定

まずはアシェット。アシェットも他の大手出版社と同じように紙の本の3〜4割をアマゾンを通して(これはイングラムなどの取次に卸して、その後アマゾンが取次に注文を入れた分を含む)売っている。Eブックとなれば、6割以上がアマゾン経由のはずだ。しかもアシェットは大手出版社の中でもとくにマスコミへの露出が多い著者を大勢抱えているので、紙版と電子版を比べると電子版の売上が大幅に上回っていると思われる。半年もの間、アマゾン上でアシェットのEブックが予約できず、買えなかったことのダメージは、この間に新刊を出した著者にとってはかなり大きかっただろう。

ちょうどアシェットの親会社であるフランスのラガルデールが第3四半期の数字を発表したところで、それによると、米アシェットの売り上げは前年比で18.5%減となっている。ただし、これはアマゾン1社との確執で2割近い落ち込みになったということではなく、昨年のこの時期、アシェットは何冊ものベストセラーを出していて、とくに突出した売上を計上した期間だったから、という理由もある。

とりあえず大事な年末商戦の開始を前にアマゾンでの販売が元通り再開されたのを受けて、アシェット側は今年中にかなりの部分を取り返せると意気込んでいるようだ。

その一方で、今回のバトルが明るみに出たことによるアマゾンへの影響はどうだろう? おそらく数字の上では何らマイナスにはならなかったのではないだろうか?(あったとしても、おいそれと正直にそれを発表するような体質の企業ではないし)

著者にとっても、あれだけ大騒ぎしてどっちの味方に付くだの、署名運動や司法省への調査依頼だのと騒いだ割には、新刊Eブックの印税率はいままでと同じ25%らしく、契約内容に直接影響を及ぼした形跡は見られず、ニューヨーク・タイムズ紙への全面広告代が持ち出しになっただけにも思える。

アマゾンへの影響は軽微

結局、このバトルが表沙汰になったことで、あちこちの媒体で悪し様に書かれたアマゾンの「評判に傷がついた」ぐらいのことだろう。そして、それがアマゾンのボイコットだの、株価に影響が出るといった数字につながらない限り、アマゾンにとっては痛くもかゆくもないことなのだろう。

はっきりしているのは、その間にもアマゾンは、アメリカ以外の国でもキンドル・アンリミテッドのサービスを展開し、従来の出版社を通さないセルフ・パブリシングの著者を抱え込んだビジネスを展開させていく方針を打ち出していることだ。著者が出版社から上梓するか、自分でKDPで出すか、の二派に分かれてアシェットやアマゾンをそれぞれ支持表明したことからもそれは明白だ。その一方で、ニューヨークのアマゾン出版から編集者が離れたりもしている。

こうやってアメリカの出版業界はプロレスのように組んずほぐれつを繰り返しながら前へ進んでいく。

■関連記事
アマゾンの出版エコシステムは完成に向かう
キンドル・アンリミテッド登場は何を意味するか
大手出版5社はEブック談合してたのか?
マクミラン対アマゾン、バトルの顛末