機械が「読む」時代の知に対応するために

2016年2月12日
posted by 神宮司信也

ICT の多様化により、そこで生み出される情報量が爆発的に増えている情報爆発の時代を、私たちは生きている。呼吸するように、インターネットから情報と知識を得ている。呼吸していることを自覚することが稀であるように、その情報や知識がなぜインターネットから得られるのか、考えたことがないのがほとんどだろう。

Google検索の結果得られる情報や知識は、検索対象となるようあらかじめ準備されている。つまり「機械が読める(machine readable)」状態に加工が施されていてはじめて、検索の対象となり、検索結果として表示される。

新聞、雑誌、書籍から人間が目で活字や図画を追うことで「読める」のとは違う、「機械が読める」状態への加工が必要なのだ。たとえば文字にはひとつひとつコードが振られていなくてはならない。その文字列がその文章のタイトルなのであれば、タイトルであると機械がわかるようタグを付与しておかなければならない。

日本語の抱えるハンディキャップ

この、「機械が読める」に関して、日本語は英語と比べハンデを背負い込んでいる。列挙すると以下の四つとなる。

イ.文字数が多い
ロ.単語の判別が難しい
ハ.文節の理解が難しい
ニ.本のデジタルデータが少ない

アルファベット26文字の英語と、かなと漢字を足すと数千文字を普段から使っている日本語。さらに日本語の場合同じ漢字でも、字体が異なる文字があり「万」の単位の文字コードが必要となる。つまり英語と日本語とでは、用意しておかなければならない文字コードの数が断然異なるということになる。

ただこのイ.は、情報端末の記憶容量が各段に増強されたことでだいぶ状況は改善してきた。(たとえば以前は、「トウショウヘイ」は「とう小平」としか表現できなかったが、最近は「小平」と表示できるようになった)

難問はロ.ハ.だ。

イ.文字数が多い
ロ.単語の判別が難しい
ハ.文節の理解が難しい
ニ.本のデジタルデータが少ない

文字にひとつひとつコードを振ったように、単語にもコードを振って、そこへ属性(名詞か動詞か、単数か複数かなど)を記述しておけば文法と照らし合わせ、機械が、検索窓からの問い合わせ(クエリ)に対し、適切な解となりうる候補テキストをネット上の膨大なデータから探し出すのに、便利だろう。

検索が効率的に、効果的に結果を表示するにはこの単語の判別、文節の理解といった、いわゆる形態素解析という工程が欠かせないのだ。

この観点で英語が有利、日本語が不利だというのはテキスト(文章)の具体例を見たほうがわかりやすい。

“Books can seek to engage the next generation on their phones as well as in print.
E-reader use is declining while phones offer countless new ways to construct narrative and read deeply. These are books that can compete for attention on your phone via incredible, dynamic literature.”
T. L. Uglow, Google’s Creative Lab ; Editions At Play: in Pictures より)

smartphone-writing
変えてゆく未来・紡ぐ言葉 100words-essayより)

英語は単語と単語の間に空間が挟まっていて、単語の認識が簡単だ。しかし日本語はそうはいかない。

単語の判別が難しいと文節の理解も進まない。

文節の理解がないと、文章の内容の理解も、ひいてはクエリとそれへの回答との間の検索ユーザー満足にも支障が生じる。

Google検索が、その仕組みを意識せず、呼吸と同じくらい自然に利用されている状況で、実は英語と日本語とで検索の精度をあげるうえでの障害の差が大きい。このことは日常生活での検索だけでなく、「知の生成と流通」における情報探索にも関わる重大問題だろう。

人工知能とGoogle検索

「文章の内容の理解」といっても、検索窓からの問い合わせ(クエリ)とその応答は、原理的に当初はマッチングを基本としたうえで、高速処理ということに技術開発の努力が続けられていた。しかし検索ユーザーに満足を与えるには、マッチングだけでは限界がある。

Googleは1998年に検索事業をスタートさせたが、2005年から人工知能の機械学習機能を採用し始める。そして2015年、ディープラーニング研究の成果物である「RankBrain」導入を公表した。

ディープラーニングは機械の自律的な学習に道をひらく技術だ。変数の設定など、人間がやってはじめて機械学習における演算が始まるのとは異なるのが特徴である。ナレッジグラフの工夫と組み合わせ、検索エンジンが賢くなるスピードが加速している。

その技術の検索への採用結果、加速の現状は「検索ユーザーの真意を忖度することができるようになった」。正確には「ある単語を含まないクエリに対して、きちんと回答を出す」という現象として現れている。

「文章の内容の理解」にロ.ハ.のハンデを背負う日本語にとってまずは「朗報!」と受け止めていいだろう。

検索ユーザーの真意を忖度する様子は、具体例を見たほうがわかりやすい。英米のメディアが報じた例を紹介すると、こんな具合である。

まず「オバマ夫人の誕生日は?」と、「ミシェル・オバマ」という単語の含まれていない質問をされても、ミシェル・オバマ氏のことを訊ねられたと理解し正しい回答を返している例だ(FAQ: All About The New Google RankBrain Algorithm, Search Engine Land, 2015年10月27日)。

when_was_the_wife_of_obama_born
(出典:上記記事)

GoogleのRankBrainについては「RankBrain(ランク・ブレイン)。人工知能は、既に、Googleの検索結果を処理している。」(SEO Japan、2015年10月27日)も参考になる。

さらに複雑な「(ロサンゼルス・)エンゼルスがワールドシリーズで優勝したときの米国大統領は誰?」という質問に対し、どういうメカニズムがGoogle検索の裏側で作動しているかを、グーグル自身が下記の図のように解説している。

How-the-Google-app-understands-complex-questions
How Google answers complex questions. (出典: Inside Search: The Google app now understands you a little better—complex questions welcome

2012年に導入した、個々の検索結果を拡張する知識データベース「ナレッジグラフ(Knowledge Graph)」と人工知能を連携させながら、質問文の各要素を単に理解するのではなく、質問の意味全体を理解できるようにしているのである(Wired.jpの記事「Google検索、英語版で「より長く、複雑な構文」のフレーズに対応」も参照のこと)。

Now we’re “growing up” just a little more. The Google app is starting to truly understand the meaning of what you’re asking. We can now break down a query to understand the semantics of each piece…

(大意)われわれは、クエリを分解して、それぞれの単語の意味を理解できるようになりました。いまでは、質問全体の背景にある意図も解釈できます。(Inside Search: The Google app now understands you a little better—complex questions welcome より)

機械の自律的な学習のための材料は豊富か?

ここで四番目の障害が登場する。

イ.文字数が多い
ロ.単語の判別が難しい
ハ.文節の理解が難しい
ニ.本のデジタルデータが少ない

Googleが格納するデータを原資として人工知能は学習する。その際、「」の文章は体系化、構造化されていて、検索エンジンを人工知能を使って、より賢くするのに有用なデータ群だ。

その「本」のデータ数が、桁ふたつ、ひょっとすると三つくらい違う。英語と日本語では。英語圏には、とりわけ米国ではGoogleが米国著作権法に規定されている「フェアユース」条項のおかげで2000万冊以上の本のデータが格納されているからだ。

2009年のGoogle Books検索プロジェクト集団訴訟の和解案をめぐる大騒ぎのときに比べ、2015年のGoogle勝訴は、日本であまり大きく報じられることも議論されることもなかったように思う。しかしこの勝訴がもたらすインパクトは、彼我の「知の生成と流通」にきわめて大きな影響を与えると考えた方がよい。

2015年10月16日、ニューヨーク連邦高裁(連邦第二巡回区控訴裁判所)は、Googleの書籍全文検索サービスGoogle Booksがフェアユース(権利制限の一般規定)にあたるとのGoogleの主張を認めるとの判断を下した。

Google Booksプロジェクトは、「図書館プロジェクト」と、「パートナープログラム」のふたつで構成されている。

「図書館プロジェクト」は、国内外の大規模な図書館(国立・公立・大学図書館など)の蔵書をデジタル化するプロジェクトだ。デジタルデータは全文(パブリックドメインの場合)、あるいはスニペット(抜粋文)として検索結果に出てくる。このプロジェクトに賛同する図書館は、前提としてGoogleと提携契約を結ばなくてはならない。米国では多くの図書館が参加しているが、日本では慶応義塾大学のみである。
提携図書館の一覧はこちら

「パートナープログラム」では、著作者や出版社が、書籍のPRを目的としてGoogle Booksに書籍の情報を自分で登録・公開することができる。

ここで、検索結果に出るか出ないかという問題に加え、人工知能がディープラーニング技術を使って検索エンジンを賢くすることに使われることに注意を向けたい。

日本でGooglePlay(電子書籍などを販売するサイト)に提供されている有料コンテンツたる「本」の数は10万冊程度と推定される。これに慶応義塾大学から提供されたパブリックドメインの12万点が加わるが、とうてい百万冊を超えることはない。

それに対して2013年11月14日決定の裁判資料にはすでに次のような記述がある。日米では「機会が読める」コンテンツの量、それも編集作業が施され体系化、構造化の観点でよりすぐれたコンテンツである「本」の量に、これだけの差があるのだ。

被告(Google.Inc)は、2004年以来、複数の大学図書館等とその蔵書をスキャンすることに合意、2000万冊以上の書籍をスキャンした。そのうえで、書籍のデジタルコピーは参加した各図書館に配布、またデータベース化してオンライン上で検索するユーザーに対し、スニペット(ごく一部の抜粋)表示できるようにした。

Since 2004, when it announced agreements with several major research libraries to digitally copy books in their collections, defendant Google Inc.(“Google”) has scanned more than twenty million books. It has delivered digital copies to participating libraries, created an electronic database of books, and made text available for online searching through the use of “snippets.”
(NY州南部地区地方裁判所 2013年11月14日決定の裁判資料より
http://www.documentcloud.org/documents/834877-google-books-ruling-on-fair-use.html

Google books Ngram Viewer

さてGoogleに、Google トレンドという検索ボリュームの推移を見るツールがあるのは有名だ(日本語にも対応)。しかしGoogle books Ngram Viewerは日本でほとんど知られていない(日本語未対応のためだろうか)。

Google books Ngram Viewerは、GoogleBooksプロジェクトでデジタル化されたデータ、大量の「」を検索して、文学書やそのほかの本に現れる言葉の流行り廃りを、時系列の折れ線グラフで見ることができるサービスだ。デフォルトの画面では、1800年から2000年までが調べられるようになっている。

これも具体例を提示しよう。

まず「fax, phone, e-mail」。

次に「pizza, steak, sushi」。

最後に「modern state, Welfare State」

膨大な既刊書にOCRをかけたテキストデータがあればこそのサービスだ。

こうしたGoogleのサービスを面白がってばかりはいられない。人工知能がディープラーニング技術を使って検索エンジンを賢くすることに使われ、その作業のベースに数千万の「本」のデータがある言語とそうでない言語の、知の生産性の開きが、ほとんど意識されていないところでどんどん広がっていることに、もっと危機感を抱くべきだ。

Googleとの積極的な提携を

彼我の差を縮めるうえで鍵を握るのは国立国会図書館だろう。

2009年、「平成の大改正」と呼ばれる著作権法の改正が行われたが、その中で国立国会図書館における所蔵資料の電子化(第31条)が盛り込まれた。

すなわち第31条「図書館等における複製」の条文に「第2項」という形で条文が追加され、権利者の許諾を得ることなく図書館資料の原本をデジタル化することが国立国会図書館に対して認められたのである。

国立国会図書館には法定納本制度があり、全国の出版社は新刊を出した際、1冊を納本する義務がある。これら納本された日本の出版物を、国立国会図書館でデジタル化するところまでは、2009年の改正ですでに著者許諾を得ずに行うことが認められていた。ただしこのときは、デジタル化されたデータの利活用は館内での閲覧や複写サービスなどに使われることが前提となっていた。

2014年の著作権法改正ではそこからさらに一歩進み、情報提供施設として図書館が果たす重要性を踏まえて、「利用者への情報提供などその有効活用を図るべき」との国会での附帯決議もあり、デジタル化資料の一部を大学図書館や公共図書館にネット送信することも認められた。

いまから「国産Google」を開発するのは現実的ではない。むしろGoogleと積極的に提携し、

1.日本語検索の仕組みのレベルアップのためにだけ使うことを内容とする業務契約を、国立国会図書館との間で締結し、Googleによるデータ活用を認める(デジタル化費用はGoogle側が負担)。
2.さらに進んで、スニペット表示までの検索結果をも許容する。

といったことを、日本語における「知の生成と流通」の高度化のために大胆に構想することが必要なのではないだろうか。


※この記事は「ちえのたね|詩想舎」の2016年2月7日のエントリー「日本語のハンデと人工知能とGoogleBooks訴訟」に編集を加えて転載したものです。

大原ケイさんのビジネスセミナー開催のお知らせ

2016年2月8日
posted by 「マガジン航」編集部

「マガジン航」と共同で海外版権輸出のためのコンサルティングサービス「その本の版権、海外に売りませんか?」を始めた文芸エージェントの大原ケイさんが、3月2日(木)に出版ビジネススクールで下記のセミナーを開催します。聞き手は「文化通信」編集長の星野渉さんです。ふるってご参加ください。

ohara-top

【文化通信社 共催企画メディアセミナー】
中小出版社も参入できる版権輸出の可能性と実務
どんな本が海外市場で受け入れられるのか?
http://skc.index.ne.jp/seminar/20160302.html

講師:文芸エージェント 大原 ケイ氏
司会:文化通信社 常務取締役編集長 星野 渉 氏

■日時:2016年3月2日(水)午後6時15分~午後8時30分
■会場:岩波セミナールーム(岩波ブックセンター裏 3F:神田神保町交差点 徒歩2分)
■会費:6,000円
■企画:文化通信社/出版研究センター
■共催:文化通信社/出版ビジネススクール(〒101-0051 東京都千代田区神田神保町2-11、TEL 03-3234-7623 / FAX 03-3238-9420)

大原ケイの版権輸出コンサルティングサービス
「その本の版権、海外にも売りませんか?」の概要はこちら。
sonohon_logo
/ohara-kay/

「月刊群雛」は次のステージへ進みます

2016年2月3日
posted by 鷹野 凌

日本独立作家同盟は2013年9月1日、「インディーズ作家よ、集え!」という設立宣言とともに活動を開始しました。最初は私一人での活動でしたが、あっという間に仲間が集まり輪が広がっていきました。まるで小さな雨粒が集まり、やがて大きな流れになるかのようでした。

気がつけば、本稿執筆時点でGoogle+のコミュニティ参加者は694名、一般会員(自己紹介を投稿して会員一覧に名前が載っている方)は323名。2015年5月26日には東京都の認証を受け、NPO法人として登記。電子雑誌『月刊群雛(ぐんすう)』(下は最新号)の発行、ウェブマガジン「群雛ポータル」の運営や、勉強会・セミナー事業も行うようになりました。

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そもそも「インディーズ作家」ってなんだ?

すこし余談ですが、ときどき私の周囲で「インディーズ作家って、そもそもなんだろう?」という定義論を見かけることがあります。私は、伝統的な出版手法である取次・書店流通を「メジャー」、それ以外の流通すべてを「インディーズ」と定義しています。違いはコンテンツの流通経路だけ、というスタンスです。要するに、音楽業界での呼び方を踏襲しているわけです。

つまり、コミックマーケットに代表される同人誌頒布も、Kindleダイレクト・パブリッシングに代表されるセルフパブリッシングも、「小説家になろう」のような投稿サイトも、どれもインディーズです。もっと言えば、同じ本がメジャーとインディーズの両方で流通するようなケースもあります。そういったさまざまなインディーズ流通を活用し、自らの作品を流通させる作家が「インディーズ作家」だと私は考えています。

音楽業界では、メジャーの力が弱まりつつあります。インディーズでヒットしてもあえてメジャーデビューせず、インディーズのままでやっていく方々も多くなっているようです。出版業界でも、年2回のコミックマーケットだけで1千万円以上稼ぐような事例もあり、今後このような傾向はさらに加速していくのではないかと思われます。

とにかく毎月出し続ける!

話を戻すと、日本独立作家同盟の電子雑誌『月刊群雛』は、2014年1月28日に創刊しました。伝統的な出版手法(メジャー)ではあり得ない「巧拙問わず」「ジャンル不問」「早い者勝ち」というコンセプトと、とにかく毎月出し続けるという強い意志のもと、2年間やり続けてきました。昨日発売の号で、通算25号+別冊2号。どの号も、1日も遅れることなく発行しています。新作だけで通算230作品、参加作家は120名を超えました。

下の書影は、原田晶文編集長代理による、昨日発売の『別冊SF群雛』です。編集長を私以外の方にやってもらったのは、これが初めてです。というのは、私が多忙で手が回らず、2周年記念号の発行は諦めようと思っていたところ、原田氏が「私がやります!」と手を挙げてくれたからです。なんとか無事発行までこぎつけましたが、私の経験やノウハウがうまく伝えられなかったため、かなり苦労したようです。

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なお、別冊がSF特集である理由は、『月刊群雛』ではやっていないジャンル縛りを試してみたかったこと、当団体の理事でもある藤井太洋氏に日本SF大賞受賞や日本SF作家クラブ会長就任とめでたいことが続いたことなどが挙げられます。別冊電子版は、2月末まで謝恩特価になっていますので、ぜひこの機会にお求めください。

ところで、最近ではあまり言われなくなった「三号雑誌」という言葉があります。要するに長続きしない雑誌のことです。インディーズ出版が盛り上がり始めたとき、いくつもの電子雑誌が立ち上がり、その多くが三号雑誌になっていきました。私は、やるからには続けたいと思いました。だから私は「とにかく毎月出し続ける」ことを最優先にして、なるべく編集手順を標準化し、省力化する方針で企画を立てました。その点においては、一定の成果を上げられたのではないかと思っています。

ここまで走り続けられたのも、読者の方々、参加いただいたインディーズ作家の方々、そして制作工程をボランティアで支え続けていただいた方々みなさまのおかげです。この場をお借りして御礼申し上げます。本当にありがとうございます。

「読者不在」という反省

しかし、2年間やり続けた中で、ひとつ大きな反省点があります。それが「読者不在」です。書き手は大勢います。編集・校正・制作を手伝ってくれるメンバーもいます。しかし「とにかく毎月出し続ける」ことを編集方針の最優先にしたため、読者に対し強く訴えかける企画性や話題性に乏しい雑誌になっていました。

「巧拙問わず」と言えど、もちろん校正・校閲はしっかりやっています。少なくとも「日本語として読めない」ような作品はないはずです。ただ、短い制作時間ではどうしても限界があり、「もっと読者にとって面白い作品」に磨き上げることまではできずにいました。

「ジャンル不問」というのは、よく言えば「福袋」ですが、読者にとってみれば「なにが載ってるかわからない」「どれが自分にとって面白いかわからない」ような雑誌になっていたような気がします。ちなみに、ずっとジャンル不問で募集し続けてきたのですが、結果的に掲載作の8割は小説です。第三者からは「文芸誌」だと思われているような状態にあると思います。

「早い者勝ち」と言えど、参加者募集の通知に素早く反応できる方は限られます。いつしか、いつもよく似た顔ぶれが中心になっていました。そのこと自体は別に悪いことではありませんし、初心者優先枠を用意するなどの工夫もしてきました。ただ、参加慣れからか、充分に推敲していない原稿が目立つようになっていました。

「これは!」という作品をセレクトした「群雛文庫」

これらの問題に対するひとつの答えが「群雛文庫」の創刊です。過去の『月刊群雛』掲載作の中から、私が「これは!」と思った作品をピックアップして毎月数冊ずつ文庫化し、手頃な価格で提供しています。

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こういう形であれば、ジャンル買いする読者に訴求できますし、少なくとも「鷹野が面白いと思った」という評価軸は提示できます。登場人物紹介を追加したり、解説を載せたりといった工夫も施しています。昨年11月5日に創刊し、これまで13冊文庫化しましたが、『月刊群雛』とは違った手応えを感じています。

みんなでさらなる高みを目指そう!

そして『月刊群雛』そのものも、今回の2016年02月号から編集方針を一部変更しています。これまでの「早い者勝ち」は「私、書きます!」と名乗りを挙げた人から順に枠が埋まるルールだったのですが、これを「入稿順」に改めました。これによって、名乗りを挙げてから慌てて書き始める方が減り、入念に推敲した上で入稿する人が増えることを期待しています。

またこれまでは、素早く名乗りを挙げていったん枠を押さえてしまえば、入稿締切を過ぎたり、R18表現や差別表現など配信先で規制を受けてしまうような内容だったりしない限り、基本的にはなんでも掲載してきました。仮に「面白くない」「オチは?」「心に響かない」と思ったとしても、それは「載せない」理由にはなりませんでした。これを今後は、作家と制作チームによるブラッシュアップが完了した作品だけを掲載することにしました。「巧拙問わず」幅広く作品を受け付けるけど、すべてを載せるとは限らない形になったわけです。

仮に入稿が早くても、制作チームの判断によって「再入稿」をお願いすることになった場合、その枠は待機列の方へ順に開放され、再入稿時は最後尾に並び直す形になります。再入稿が締切に間に合わない場合は、次号以降に掲載見送りです。つまり、名乗りを挙げる早さの競争から、すこしシビアな、作品の中身での競争に変わったことになります。

これらはすべて、いままでよりもっと自信をもって『月刊群雛』を読者へ届けられるようにするためです。作家も、制作チームも、これまでより大変になります。しかしその結果、より多くの読者に読んでいただき、より多くの読者に楽しんでいただけることになればいいと思っています。

「月刊群雛 創刊の辞」を改めてここへ記します。

我々は雛だ。
まだくちばしの黄色い雛だ。

ひとりではろくに餌を採ることもできない。
だから、群れを作ることにした。

ひとりではできないことも
みんなの力を合わせればできる気がする。

我々は雛の群れだ。

けれども、巣の中で親鳥をただ待ち続け
餌をくれと口を開けて上を向いているだけの雛ではない。
少なくとも、自分の両足で大地に立っている。
空へ飛び立とうと、両の手を懸命にばたつかせている。

いつかあの大空を、群れをなして飛ぼう。
そのために、全力で走ろう。
力いっぱい、羽ばたこう。
汗をかこう。
繋げよう。
広げよう。
ここに我アリと、大声で叫ぼう。
できる限りの努力をしよう。

その先に、我々が目指す青い大空があるはずだ。

ゼネラリストばかりで「プロ」がいない出版界

2016年1月26日
posted by 大原ケイ

谷本真由美さま

おくればせながら、明けましておめでとうございます。

久しぶりに日本で過ごした正月は、門松や国旗を見かける代わりにスターバックスやアップルまで福袋を売り出してて、グローバルでシュールなジャパンをお雑煮といっしょに味わいました。次はスペクテータースポーツとして恵方巻きとバレンタインが楽しみですが、メイロマさんはいかがお過ごしですか。

昨年暮れにもれ聞いた出版業界の裏事情とやらで、頭がクラクラするぐらいショックを受けて絶望した話がありました。

せっかくのThe New Yorkerからの執筆依頼を拒絶

とある若手の人気作家さん――彼は軽妙な文体でどんなジャンルもクロスオーバーできる書き手なのですが――の、たまたま英訳された本を目にしたThe New Yorker誌の編集者から「一挙掲載できるぐらい、なにか短いものを書いてみてよ」と打診があったのだそうです。にも関わらず、担当編集者が「その作家はうちの締め切りを目前にしていて忙しいので」と断ってしまった。そんなオファーがあったこと自体も作家は後で知ったという、おそまつな話です。

ご存知のとおり、The New Yorkerはアメリカの老舗文芸誌で、こちらで仕事をしている純文学やルポルタージュ系ノンフィクションの編集者なら、この雑誌を毎号端から端まで読んでなければモグリだといわれます。村上春樹があれだけ世界中に読まれるようになったのも、The New Yorkerの編集者が興味を持ってサポートしてくれたことが一因、と本人が『職業としての小説家』に書いています。

なにしろ、マンガをひとコマ掲載するのにも何百という候補作から選び(そしてどんな有名な人の作品でも容赦なく落とし)、ルポルタージュ部門には専門のファクトチェッカーがいて、ライターが取材した人全員に連絡して文中に言及されている事実のひとつひとつに間違いがないか確認をとることで知られています。ようするに、The New Yorkerに掲載されれば物書きとして成功を約束されたも同然、という権威ある雑誌なのです。

件の担当編集者としては、時間を割いてThe New Yorker向けに書かせたとしても、掲載が保証されたわけではないという気持ちもあったかもしれません。The New Yorkerたるもの、一定のクオリティーに達していなかったり、雑誌のカラーに合っていない作品を掲載するわけにはいかんのです。でもこの厳しさが、信頼度という得難い財産になるわけですね。しかもフィクションの場合は締め切りなどというケチなものは付けません。満足の行く仕上がりになるまで、編集者が作家に何回も書き直させるからです。

それを「忙しい」という理由で断るなんて…(ここに罵詈雑言を並べていもいいのですが、ぐっと堪えます)…なんといいますか、日本人的というほかありません。

多忙とゼネラリスト志向が「プロ意識」を失わせる

そもそも日本の編集者は忙しすぎるのかもしれません。編集者の仕事とは、「作品がよりよくなるよう、原稿に赤を入れる」「自分の抱えている作家を育てる」ということに尽きます。それなのに、編集者のエッセンスとは関係ない仕事をあれもこれも抱え込んだ結果、自分も作家も忙しくなって、The New Yorkerで世界デビュー!という絶好のチャンスを蹴るなどという、信じられない決断をしてしまうわけです。

日本には、欧米と違って「作家の立場になって執筆スケジュールを管理する文芸エージェント」が不在ということもあるかもしれません。出版社側に雇われている以上、編集者は究極的には作家の味方ではありえません。自分が不当に扱われていると感じた作家にできることといえば、その出版社から版権を引き上げるぐらいですが、最近それをやった某作家は「プレッシャーをかけられた編集者が体調を崩した」なんて言われてしまうわけです。そりゃね、クリエイターですもの、扱いが難しいのは当然です。

編集者が作家のキャリアを第一に考えてくれるわけではないとなると、作家のほうで自主的に版権管理をするしかない。版権管理だけでなく、海外市場向けの本の作り方まで、その道の「プロ」として面倒見てくれるのでなければ、10%にもならない印税で出版社に全部お任せ、という時代も終わるでしょう。

なにしろ日本の出版社には、ゼネラリストばかりが多くて、「プロ」がいないのです。電子書籍の黎明期にも、昨日まで文芸書編集部にいたような人が、「今日から電子書籍担当です」と会いに来ました。私はEブックの専門家でもなんでもないですよ? そもそもアメリカでは雑誌と書籍は完全に別の産業なので、私には雑誌のことはわかりません、と何度言っても「とにかくお話を聞かせてください」というリクエストばかりでした。

Eブックで先行しているアメリカの出版社を見学に行って話を聞きたい、というのですが、実際にランダムハウスやペンギンといった出版社(当時はまだ合併前で別の会社でした)に行っても、「ああ、DTPはもうかなり前から取り入れてますし、Eブックやオーディオブックは別に新しい部門を作って、ITに明るいプロの人たちを新しく雇い入れて終わりです」という、当たり前の話しか出てこない。文芸専門の編集者からも「(紙とデジタルとで)査読の手間が増えただけかなぁ」ぐらいのことしか聞けませんでした。

この「プロ不在」「プロ軽視」でゼネラリストばかりの集団という構造こそが、私は長引く出版不況の一因ではないかと思っています。もちろんこれは出版業界に限ったことではないですが。

※この投稿への返信は、WirelessWire Newsに掲載されます


この連載企画「往復書簡・クールジャパンを超えて」は、「マガジン航」とWirelessWire Newsの共同企画です。「マガジン航」側では大原ケイさんが、WirelessWire News側では谷本真由美さんが執筆し、月に数回のペースで往復書簡を交わします。[編集部より]

メディアは(常に)スパムか?

2016年1月25日
posted by 工藤郁子

新しいメディアが登場すると、理想を仮託しがちだ。とくにインターネットは、公共性を支えるプラットフォームとして期待される傾向があったというのは、社会学者の佐藤俊樹氏が指摘するとおりである(『社会は情報化の夢を見る』)。しかし日常生活においては、インターネットでは公共性に対して関心は払われず、「価値のない」情報ばかりが目につく。その象徴がスパム(迷惑メール)である。そこで、「注目の搾取」という観点から、スパムの歴史に注目したい。

SPAM

フィン・ブラントン『スパム[spam]〜インターネットのダークサイド』(河出書房新社刊)

『スパム[spam]〜インターネットのダークサイド』は、スパムの歴史と遷移を克明に描くだけでなく、ネットの「闇」から逆照射する形で、「光」としてのコミュニティや統治(ガバナンス)のあり方を示唆し、そして、覗き込む私たちを見返す深淵のような著作である。

著者のフィン・ブラントン氏は、スパムを「情報テクノロジー基盤を利用して、現に集積している人間の注目を搾取すること」と位置づけている。そのため、迷惑メールだけでなく、検索結果に表示されるジャンクなウェブサイト、SNS上で友人の投稿と混じった宣伝や自分を大きく見せるためにフォロワー数を水増しする行為なども、本書の射程に含まれる。

テクノロジーのドラマ

スパムには様々な形態があるが、本書は、その歴史を三幕に分ける。

第一幕は、1970年代初頭から1995年である。最初に登場する人物は、ARPANETなどコンピュータ・ネットワークの礎を築いたウィザード(魔法使い)たちである。ARPANETは米国国防省における研究の一端であったため、ウィザードたちは、高度の技能をもち、お互いに顔見知りで信用を分かちあっていた。そのため、議論を通じた「規範」形成によってスパムに対処した。Usenetの登場で大学院生などが姿を現すと、ニュービー(新参者)にも規範が伝授された。しかし、インターネットの民間移行とともにウェブの時代が到来すると、多数の人々が舞台にのぼることになった。規範は共有されにくくなり、スパムの爆発を招いたのである。

(なお、「スパム」は、もともと缶詰の商品名であるが、コメディ番組『空飛ぶモンティ・パイソン』のなかで、反復してイライラさせるものを指す冗談として使われた。そのため、同番組を愛するギークばかりだったコンピュータ・ネットワーク初期のコミュニティにおいて、スラングとして使われはじめたとされている。)

続く第二幕は、1995年から2003年だ。ウェブにおける商業活動の活発化とドットコムバブルの崩壊を経て、いよいよ多くの人が加わるようになった。スパム文学とも呼べるような(例えば、「裕福な亡命一家がジンバブエから脱出しようとしているので資金移動を手伝ってほしい…」「フランスの航空機事故で亡くなった方の親類探しであなたの名前が…」など、冷静にみればなかなかに可笑しい)変奏が数多く生み出されたのもこの時期だ。

そうしてとうとう、スパムは「法」によって規制されるに至った。迷惑メール対策としてCAN-SPAM法が米国で成立したのである。もっとも、規制の漸進的歩みに対抗してスパムの技術革新は進み、リンクスパム、コメントスパム、スパムブログなどメール以外の技術的な足場を得て、検索エンジンのアルゴリズムを逆手にとるようになった。

2003年から現在の第三幕では、スパム関連産業に劇的な変化が起きる。ビッグデータ分析によりアルゴリズムの精度が向上し、スパムフィルタという強力な「アーキテクチャ」(ローレンス・レッシグ『CODE』)によって、多くのスパムが駆逐されたのである。ところが、結果としてスパムはより闇を深めることになった。自動化システムと分散コンピュータが開発され、エストニア政府へのサイバー攻撃など軍事的応用にもつながるような犯罪インフラが構築されている。

このようなテクノロジーのドラマを、本書は生々しく描く。厚顔無恥な慮外者による告知、受け手の迷惑顔、鷹揚なシステム管理者、プロセスクイーン(自治厨)の苛立ち、ヴィジランティ(ネット自警団)によるスパマーへの嫌がらせ、スパム業者同士の密かで大規模な情報共有、テクノリバタリアン(技術自由放任派)の懸念、天才ハッカーの着想、自己拡散型スパムのマシンのっとり…。「いたちごっこ」と片付けられがちな攻防について、規範、法、経済、そして技術への深甚な影響を、体温を感じるように知ることができる。

このドラマは、「スパムの歴史はコンピュータネットワーク上に集まる人々の歴史の裏返し」であるとの本書の主張を反映するものでもある。なぜなら、スパムの計略は人々を標的とする以上、人間の注目が集積する「コミュニティ」の価値の裏返しとして定義されるからだ。

メディアとスパム

コミュニティの価値の裏返しである以上、スパムの歴史は私たちに以下のような自省を促す。「いったいわれわれはここで、スパムを抑制し罰しなければならないほどの、スパム以外のどんなことをしているのか」。私がシェアした猫やアルパカの写真は、排除されたスパムよりも有意義なのだろうか。アイドルのゴシップを延々とやりとりする対価として、どれほどのコストがかけられているのだろう?

スパムから想起される疑問は、さらにコンテンツの質にも及ぶ。昨今ではSNSにおいて友人の投稿と混じって表示される広告をスパムと感じることが多いかもしれない。他方で、煩わしいネイティブアドやバイラルメディアのなかにも、社会の本質をえぐり取り、新しい可能性を示唆するものも見受けられる。また、検索エンジンのアルゴリズムをすり抜けるために、生身の人間が大量のコンテンツを零細な対価で製作してスパムサイトを生み出しているが、そうしたコンテンツ・ファームと一般のメディアで行われるキャンペーン報道は、「注目の搾取」という文脈において、どのくらい差があるのだろうか。

もちろん、いかなるコンテンツも注目を獲得しなければ受け手に届かない以上、集積された注目を利用するという側面を有する。

そして、技術の不確実性やコミュニティの輪郭の曖昧さは、ジョナサン・ジットレインのいうところの生成性(generativity)の源泉であり、犯罪者にとっても、イノベーションを目指す人々にとっても、等しく恩恵を与える。スパムは不確定性という自由な隙間に生じるのであり、だからこそ、摩擦のなかで、生き延び、栄えたのだ。

本書では、スパムの裏側に理想のメディアのヒントがあると結論付けられている。スパムが搾取しようとしている注目は数量として把握されるものであり、その背後に人々の生活があり、それぞれが有限の時を過ごしているということを捨象している。そこで、時間や有限な生活の範囲を尊重するメディアプラットフォームがあれば、個々人の関心やニーズに基づく意味のある情報を注意深く配置できるのではないか、とブラントン氏は提案する。

注目の搾取によって成り立つ公共性

しかし、ニュースメディアが、加熱した空気を沈静化させ、逆に空気が冷え切っていたら重要性を訴えて火をつけるような「空気の温度を調整するエアコンディショナー」(津田大介氏のメルマガ『メディアの現場』でのジャーナリスト、故・竹田圭吾氏の発言)を目指すとするならば、むしろ、スパムのように注目を積極的に「搾取」するような介入が必要かもしれない。

ヤフーニューストピックス編集部では、多くの人が知りたいと思っている社会的関心事(スポーツやエンターテイメントなど)だけでなく、公共性もトピックスの選択指標にしており、アクセスが伸びなくても公共性が高い情報(政治経済や国際社会など)を取り上げているとしている(ハフィントンポスト・ブログの記事「ネットニュースの世界に「公共性」は存在し得るか」における伊藤儀雄氏の発言より)。しかも、政治経済や国際社会のニュースが最初に目に付く上部に、芸能ニュースなどやわらかい話題を下部に配置しているという(「 Yahoo!ニュースはどうやってできているの?」での同氏の発言より)。

これは、行動経済学の知見に基づき、初期値や選択肢などを適切に設計することで、妥当な選択を促すというナッジ(Nudge)の一種として機能しているとみることができるだろう。「ヒジで軽く相手をつつくように」、行動を促す技術である。(なお、ヤフーと国立情報学研究所による共同調査によれば、ニュース見出しを閲覧するだけでも、政治知識の学習に効果的であるとされている。)

ところで、コンピュータ・ネットワーク最初期にスパムとみなされたメッセージのひとつは、利用者全員に送信された長文の反戦メッセージであった。「平和に至る道はない。平和こそが道である」というベトナム反戦活動家の引用からはじまるメッセージは、防衛産業にいる技術者たちへの説得を試みるものだった。システム管理権限を濫用した送信者は、この行為を非難された際に「でもこれは大事なことなんだから」と自己弁護したという。当人にとっては「大事」で、公徳心に基づく行為であったとしても、コミュニティから「不愉快」「不適切」と判断され、「スパム」として扱われるおそれについては、看過してはならないだろう。

本書を監修した生貝直人氏・成原慧氏が指摘するように、「『人間の注目を搾取する』ものとして認識され、変化しつづけるスパムの概念に飲み込まれることを避けられなければ、人々はそのプラットフォームから徐々に離反し、インターネットを形作る支配的なアーキテクチャは、またその姿を変えていくことになる」からである。すなわち、ジャーナリズムとして崇高な理念を実践し、社会全体の公共性を担保するものであったとしても、それがユーザーに受容されなければ、「おせっかい」「目障り」にすぎない。結局は、淘汰の憂き目にあう。

いま、ジャーナリズムやメディアだけでなく、数多くの事業者が身を削って、(おそらく各種のデータを頼りに)試行錯誤を繰り返している。メディアの大半が、対価として「注目」を支払うというビジネスモデルを採る以上、人々の邪魔をしないような絶妙なバランスを誰もが探らねばならない。スパムとの境界を知るために本書で歴史を学ぶことは、有効なメディアとは何かという仮説づくりの一助となるのではないだろうか。


【イベントのご案内】
本稿の執筆者である工藤郁子さんと、この記事でとりあげた『メディアと自民党』の著者・西田亮介さん、そして本誌編集発行人の仲俣が登壇するトークイベント「政治批評の再考ーー2016年の参院選とメディア、言論を展望する」が今週木曜日に東京・下北沢の本屋B&Bで開催されます。

日時:1月28日(木)20:00~22:00 (19:30開場)
場所:本屋B&B(世田谷区北沢2-12-4 第2マツヤビル2F)
出演 :西田亮介(東京工業大学大学准教授)、工藤郁子(慶應義塾大学SFC研究所上席所員)、仲俣暁生(フリー編集者/文筆家。「マガジン航」)

※イベントの詳細はこちらをご覧ください。
http://bookandbeer.com/event/20160128_bt/