本のワンソースマルチユース制作
〜その理論・実践・未来

2016年3月14日
posted by 小林徳滋

はじめに

電子版の売上が増えるにつれて、印刷・製本した本(紙版)とEPUBを主とする電子版を同時に発売するサイマル出版が重要になる。筆者は2010年からWeb上で紙の本のためのPDFとEPUBなどを一つの原稿からワンステップで作成する(ワンソースマルチユース)制作システム(CAS-UBという)を開発してきた。そしてCAS-UBを使って『PDFインフラストラクチャ解説』を執筆し、プリントオンデマンド書店と電子書店(Kindle ダイレクト・パブリッシング)より発売した。

pdf-infra-cover

本書はB5判、268頁、図版(ブロック画像110個)と表(35個)、参考文献一覧(156項目)、索引(648項目)、多言語(本文中にデバナガリ文字の組版を含む)、表中・行中画像(44個)を含む。本書のPOD用PDFはカバーを除き、プログラムで自動的に作ったものである。KDP版はカバーを含めワンクリックで生成した。ここでは専門的な本を作るシステムを開発し、執筆した経験を元に、本のワンソースマルチユースを実現するポイントを解説する。

現状と課題

現在、紙版とEPUB版を出版するために採用されている主なワークフローは、

①DTPで印刷用PDFを校了し、
②そのDTPまたはPDFデータを素材としてEPUBを作る、

という二段階方式である。この方式でサイマル出版するには、紙版の校了から配本までの期間にEPUB版の制作と配信準備を完了しなければならず、日程がタイトな綱渡りになる。また、制作・校正などの作業が二重になるため時間・工数・作業費・管理費が増え、ソースが二元化する、など問題が多い。

ワンソースマルチユース方式を実現できれば、これらの問題はすべて解決できる。しかし、ワンソースマルチユース方式は現実にはあまり普及していない。なぜだろうか?

DTPでは、原稿を画面上で対話的にレイアウトし、画面で見たままのレイアウトをPDFにする(WYSIWYGという)。DTPソフトは、その仕組み上、編集機能とPDF出力機能が完全に一体である。編集されたデータはこれらの機能に依存しているため、データを他のツールと交換し、PDFのためのレイアウト指定を切り離して、EPUBのためのレイアウトに付け替えるのは難しい。

DTPソフトの代表格であるInDesignは、機能が高く、高度なレイアウトができ、しかも使用料金が安い。InDesignを使えば、少しのお金と少しの勉強で誰でも本の組版を始められる。『本を生み出す力』(佐藤郁哉・芳賀学・山田真茂留著、新曜社)には、一人で毎年多数の専門書を出版している一人出版社の事例が報告されている。20年以上に渡りDTPを駆使して新刊の組版をすべて自前で行ってきたという。

本を作る新しい仕組みは、DTPソフトの機能を凌駕する一方で、DTPソフトのコストを下回らねばならず、さらに長くDTPを使ってきた人たちにも受け入れられる操作性を実現しなければならない。いまのところそれを実現しているシステムは少ない。

ワンソースマルチユースのポイント

ワンソースマルチユース成功のポイントはDTPとは真逆にすることである。つまり、

・原稿を編集してソース文書を制作する仕組み、ソース文書自体、PDFやEPUBなどの成果物を作る仕組みをできるだけ分離する。
・ソース文書を中核とする。

ソース文書を制作する仕組みや、ソース文書からPDFやEPUBを作る仕組みがソース文書の形式に依存するのは避けられない。逆にソース文書には成果物のかたちに依存する情報を含まないようにしたいが、これはなかなか難しい(詳細は後述する)。

DataFlow

ソース文書の形式はXML文書が最もよい。XML文書は、文章の内容にタグを付けて構造的に表現する。詳しいことは日本電子出版協会(JEPA)のebookpedia「XML」を参照されたい。XML文書はアメリカ映画『トランスフォーマー』に登場する金属生命体のような存在である。タグをキーとして使って、プログラムで文書のかたちを自由自在に変形する。ソース文書を、あるときはPDF、あるときはEPUBとして具現化させるのである。この方式は本質的にWYSIWYGにできない。

最近、XMLの代わりにHTML5を使おうという動きが出てきた。O’Reilly MediaのHTMLBookはその一つである。たしかに、HTML5は属性を拡張できるのでメタ言語的にも使えそうである。しかし、HTML5による文書処理技術は確立していない。たとえば、XMLではタグが規則通りについているかどうかを検証する方法論とツールが確立している。しかし、HTML5にはそうした仕組みがない。不正なデータが検出されずに通り抜けてしまうなどの問題が起きるだろう。

ソース文書の編集制作方法

XML文書ならば制作手段とできあがった文書を独立にできる。そこで、原稿からどのような方法を使ってソース文書を制作してもよい。プログラマはテキスト・エディタを使って原稿にマークアップするのを好む(マークアップとはタグを付けることである。詳しくはebookpedia「マークアップ」を参照)。本格派はoXygen、XMetaLなどのXMLエディタを使うであろう。

XMLエディタを使いこなすには、ツールを用意するのは無論、XMLに関する基礎知識の学習、タグの付け方に関する訓練が必要であり、敷居が高い。欧米では、原稿をXML文書として制作する工程をインドなどにアウトソースする例が多いようだ。フランクフルト・ブックフェアなどの出版関連展示会に行くとインド系制作会社がブースを並べている。

しかし、日本では途上国へのアウトソースは難しいのではないだろうか? 最大の理由は、日本語がわかる制作者が少ないため、仕事の指示などのコミュニケーションがとりにくいことである。そこで、より簡単な方法を考える必要がある。

Microsoft Wordで文書を書いて、XML形式に変換する方法はポピュラーである。最近、流行っているのは簡易マークアップ方式である。これは自然言語で書いたプレーンなテキスト中に、アスキー記号をマークとして埋め込んで、記号の種類と文脈からタグを生み出す仕組みである。

CAS-UBを開発するにあたり、CAS記法という簡易マークアップを開発した。これはWikipediaなどの記法を標準化しようというWiki Creole 1.0を拡張したものである。CAS記法は、XMLの要素の属性を任意に記述でき、さらに一階層上の属性も指定できるのが特徴である。

いま、もっとも人気のある簡易マークアップ記法は「マークダウン」である。マークダウンを応用したEPUB変換の仕組みとして「でんでんコンバーター」は人気があるようだ(ebookpedia「でんでんコンバーター」を参照)。だがマークダウンは属性の記述ができない。タグの入れ子(あるタグの内部で別のタグを使う)をあまり考慮していないし、HTMLのブロック要素を直接記述するのが難しい。マークダウンで専門書の原稿にマークアップするのは無理だろう。CAS記法は専門書のマークアップにも使える。

縦書きと横書き

日本語は縦組と横組ができる。ワンソースで縦組も横組もできるようにするには、書記方法を変更する必要がある。江戸時代までの日本語は縦書きのみであり、伝統的な書記方法では漢数字を使う。最近は縦書きでもアラビア数字を用いる書記方法が増えている。日本の主要新聞は、2000年代までに年号などの表記を漢数字からアラビア数字に変更した。新聞は、紙は縦書き、Webは横書きであり、アラビア数字で表記するほうがマルチユースしやすい。

ラテンアルファベットの書記方法も工夫が必要である。一般的には頭字語はアルファベットを正立させ、英単語では横倒しである。しかし、細かく見ると統一されていない。典型的な例としてVS.(versus)がある。縦中横、各文字正立、横倒し表記を見かける。また、(1)のようなカッコつきの数字も書記方法がばらばらである。横書きで原稿を書き、縦書きで出版するにはあらかじめよく考えた書記方法で書かないと、ある文字は正立・別の文字は横倒し、というちぐはぐなことになる。

2013年8月にUnicodeで文字を縦書きしたときのデフォルト方向を規定する、UTR#50というレポートが出た(Unicodeについてはebookpediaの「Unicode」も参照)。UTR#50はデフォルト方向を文字ごとに決めている。文字ごとに方向が違うと、横書きで書いているとき、縦書きで正立するか、横倒しになるかの予想が難しい。

個人的には、括弧や句読点のような一部の例外を除き、すべての文字をデフォルトで正立とし、例外はプログラムで字形を入れ替ると効率がよいと考える。こういう考えは少数派のようである。ただし、主要な新聞の書記方法はこの方式である。

紙の本を作る

ソース文書から本のためのPDFを作る仕組みは自由である。XML文書をInDesignなどに読み込んでPDFを制作してもよい。しかし、せっかくXMLにしたのなら、PDFを自動的に作ってXMLのメリットをフルに生かしたい。

本のPDFを自動的に作るには、本の制作のためにどのような設定項目があるかを分析して、本を工学的にモデル化する必要がある。JIS X4051日本語文書の組版方法やW3C「日本語組版処理の要件」など文字組版についての規格や解説は多い。行間の取り方や頁単位の組み方の解説書もある。ところが、本のかたちについての解説書はあまり見かけない(仕方がないので、市販の本を調べてデータを整理している。どなたか、詳しい方に、ご教授いただけるとありがたい)。

1)基本版面

頁で文字を印刷する領域の大きさは判型で制約される。各頁に文字をどのように配置するかは基本版面で設定する。設定項目は、

・文字サイズ
・字詰め(一行の文字数)
・行数
・行間

である。設定項目の種類が少ないが、現在の組版はアウトラインフォントで文字の大きさを無段階で変更できるので基本版面は無数になる。基本版面の設定値で読みやすさが変わる。

kumihan

文字を小さくして一行の文字数(字詰め)を増やすと、次の行の先頭を見つけやすくするため行間を広くする必要がある。一方、行数を増やすと行間が狭くなる。行間が文字サイズの半分を下回ると読みにくく、ルビの配置にも支障がでる。

こうして自然と字詰め・行数に制限ができる。縦組四六判では1頁900文字程度が上限になりそうだ。市販されている本で、1頁あたりの文字数が900字を超えているものをときどき見かけるが読みにくい。CAS-UBでは基本版面の推奨設定値の組版サンプルを用意した。JIS X4051や本づくりの教科書に載っている設定値の組とは違うものとなった。既存の設定値はたいてい1ポイント刻みである。しかし、いまは1ポイント刻みの設定はあまり使わないだろう。

2)本の構造

本には前付、本文、後付という大きな区分があり、前付には本扉、献辞、前書、目次などがある。本文は半扉(書名の扉)から始まることもある。本文には章・節・項という階層がある。後付には謝辞、参考文献、索引、奧付などが入る。編集者や制作者はこうした本の構造を意識しているはずだが、著者はあまり意識していないようだ。CAS-UBでは記事の種類という考え方を導入したが、理解してもらうのが難しい。

章・節・項と大見出し、中見出し、小見出しの対応関係はあまり明確でない。原稿の編集過程において章・節・項の順序を柔軟に入れ替えるためには、章・節・項番号はソース文書には持たせずに、成果物を出力する直前に自動的に付けると便利である。章番号・節・項番号を一定の規則で自動的につけるためには、見出しの階層構造を明確に意識してソース文書にマークアップしておく。しかし、著者や編集者はそういう発想を持っていないようで、原稿に自分で番号を付けてしまう傾向がある。

3)扉の位置

紙の本には扉が多い。扉は改丁を伴い、本の構成上大きな区切りになる。日本語の本では扉の種類と位置が多様である。多くの場合、カバーを捲ると化粧扉または本文と同じ用紙(ともがみ)の本扉がある。

縦組の本では約半数に目次の扉がある。目次の前に扉を置くと、扉で改丁し、次の偶数頁から目次を見開きに配置できるからである。また本文の始まる前に半扉(書名のみの扉)がある本も多い。章の扉を置くこともある。章扉は扉の裏を白紙にしたり、本文を始めたりする。見開き・改丁・裏表などは紙の本のみの特性である。扉・改丁・白紙頁などの指定はソース文書から独立にするべきである。

4)記事の種類によるスタイル

一冊の本の中で、記事の種類によりスタイルが変わることが多い。参考文献は文字を小さくすることが多いし、索引は二段組にすることが多い。縦組の本は横組に比べて記事のスタイルが複雑になる。縦組の翻訳本で、著作権表記の頁は横組である。さらに本文が縦組でも、後注、参考文献、索引は横組にする傾向がある。ソース文書に組み方法の設定を持たせないのが望ましい。

本文では縦組の本と横組の本で注の配置方法が異なる。横組の本では脚注として頁単位で頁の下に配置するが、縦組の本では傍注として見開き単位で左頁の左端に置く。注の位置は、ソース文書と独立にして、PDF出力時に決定しなければならない。

5)記事別スタイル – 参考文献

専門書で特筆すべきは参考文献である。欧米では参考文献の書き方についてのテキストブックが大量にある。たとえば、大学生向けの研究レポートの書き方“MLA Handbook”(現在は第7版。今年4月に第8版が刊行予定)は、本文の半分以上が本の引用の仕方と参考文献の書き方である。

学術論文は、参考文献を管理するツールを使って文献リストを作るが、ジャーナルごとの参考文献のスタイルを定義するCSL(Citation Style Language)があり1,000種類を超えるスタイルが定義されている。日本ではSIST(科学技術情報流通技術基準)に参考文献の書き方やスタイルの仕様がある。他には、学生向けの論文の書き方テキストの中で簡単に説明されている程度である。

参考文献リストをXML形式で作成したとき、それを参考文献の印刷レイアウトに変換しなければならない。それには参考文献スタイルを規定して、XML形式から変換する必要がある。CAS-UBではTeXのbib形式から参考文献を作る仕組みを用意したが、スタイルはまだ一種類しかできない。それ以前に、今後はbib形式を使う人が少なくなりそうだ。多様な参考文献スタイルに対応する方法は今後の課題である。

6)記事別スタイル – 索引

索引はソース文書では本文のテキスト中にXMLでマークアップしておき、マルチ出力に合わせて自動的に作りだす。索引頁のレイアウトは本文とは異なることは既に説明したが、それ以外にもいろいろな設定項目がある。索引語のソートの方法や見出しはソース文書とは別に指定しておかなければならない。CAS-UBではいまのところこれらは固定である。

索引の作り方には、すべての索引語を一つにまとめる方法や、人名索引・地名索引・事項索引のように分ける方法などがある。いずれの方法をとるにせよ、索引語の種類を本文テキストにマークアップする必要がある。これはCAS記法では未定義である。索引語を親子で階層化するために索引の親子関係をマークアップすることはできる。

7)見出しと本文

大見出しの前では改丁または改頁する。小見出しでは改頁はしないまでも、見出しと直後の本文段落の間で改頁してはいけない。これを自動的に処理するには、見出しを階層化したマークアップで区別しなければならない。

8)図版・表の配置最適化

ソース文書に図版や表を含むとき、これを基本版面に自動最適配置するのは難問である。テキストは文字進行方向と行進行方向にある程度の余裕があれば流し込める。しかし、図版は一定の領域を占有し、かつ頁を跨ぐことができない。ある段落のテキストで参照している図版が段落内の参照元と同一頁に入らないことがある。そのとき、何も対策せずに図版を次の頁に送ると、頁に空きができる。

図版がそれを参照している段落の次の頁に送られそうなとき、テキストの一部を次の頁に送って図版を段落と同一頁に配置するか、逆に後のテキストを図版の前にもってきて空きができないようにする。しかし、図が見出しを飛び越してはならない。CAS-UBではこうした処理は自動的にできる。

また、CAS-UBでは図版のページ内での位置や本全体にわたる簡単な配置パターンを指定することもできる。さらに図版の配置パターンのバリエーションを増やし、自動的に適切に配置できるようにしたい。ただし、この配置指定をソース文書に記述してはならない。PDF作成時に自動的に最適化するべきである。これは難問である。

表は表中で改頁を許すときと許さないときがある。表の中で改頁できないときは図版と同じ扱いとなる。また、図版や表には図表の見出しと説明文が入る。図表の見出しと説明文が別頁に分かれてしまわないようにする。図の見出しと説明文の配置方針は本ごとに決める必要がある。たとえば縦組では図の幅以内に納めることが多い。こうした設定もソース文書に設定してはならない。

9)図版の大きさ指定と配置の自動化

図版を最適配置したPDFを作るには、図版の大きさの決定がポイントである。個々の図版に対して、手作業で図版の大きさをマークアップしている。図版の扱いは紙と電子で変わるので図版の大きさはソース文書に直接記述しないようにしたい。図版の大きさを微調整して、テキストと図版の位置や改頁位置を最適化するのは手作業である。図版のサイズを、手作業でなく自動的に微調整して最適化できるようにしたい。

10)ノンブル

ノンブルのカウントは本扉(ともがみのとき)または化粧扉の次の頁から開始する。縦組の日本語の本は、前付と本文を通しでノンブルをカウントするものが主流である。横組の本、やや昔の本は前付をローマ数字で表し、本文開始位置でノンブルのカウントをリセットしてアラビア数字で表すものが多い。こうしたノンブル表記法は、印刷・制作工程の変化とも関係する。

縦組の本で、巻末に横組の頁並びがくるときは、頁順を逆に並び替えてから一つのPDFにする。このとき、ノンブルを右から左に振る場合と、左から右に振る場合がある。ノンブルを振ってから並び替えるか、並び替えてからノンブルを振るかの相違である。

扉や空白ページにはノンブルを付けない。目次にはノンブルを付ける本と付けない本がある。ノンブルのカウント方法、ノンブルを振るページと振らない頁の扱いはソース文書に記述してはならない。

電子の本を作る

ソース文書をXMLで作成すれば、ソース文書からEPUB形式を作るのは簡単であり、サイマル出版はワンクリックでできる(はずだ)。ところが、EPUBリーダーの機能が低すぎるため、レイアウトに次のような問題が出がちである。

・見出しと本文の間の改頁禁止が有効にならない
・図の見出しと図版の間での改頁禁止が有効にならない
・表の組版機能が低いリーダーがある

こうした問題を避けるために、図の見出しと図版をセットで、表の見出しと表をセットで画像にする。文字を含まない写真やイラストのような画像の拡大縮小は比較的自由である。しかし、文字を含む図版や表の画像の場合は、本文の文字サイズと画像の文字サイズは本を通じて一定の割合(たとえば、本文文字サイズ1に対して、画像内の文字0.8など)にならないと見栄えが悪い。

EPUBのように画面で見るときは、このバランスが崩れても許容されるが、紙に印刷すると許容されなくなる。PDFを作るときは図の見出しや説明文を画像にすることも許容されない。ワンソースマルチユースではこのあたりも工夫が必要である。

EPUBに頁の概念が必要なのだろうか?

昔の日本には紙の巻物があった。現在、紙本を作るには頁の概念が必須である。PDFレイアウトの説明で述べたとおり、頁に区切る処理は紙の本をレイアウトする上での難問である。紙の難点をわざわざ電子画面上にまで継承することにどのような意味があるのだろうか?

小説のように文字だけの本ならば、テキストを頁単位で区切るのは簡単であり、また支障はない。図版や表があるときが問題である。段落から参照している図版は通常は段落の直後に置く。そのとき図版が頁を跨いでしまうとき、EPUBリーダーは頁を跨ぐ図版を次の頁に送る。するとそこに大きな空きができる。

さらに、参照元段落の説明を図版で理解するために、EPUBリーダーで頁を捲る・戻る動作が必要となる。紙でも同じことが起きるが、紙の頁は見開きになるため段落と図版が別の平面になる可能性は半減される。紙は画面と違って頁を捲り・戻るという動作がやりやすい。EPUBリーダーで画面を進んだり戻ったりすると、内容理解の際に短期記憶への負担が大きくなる。このように考えるとEPUBは巻物方式のほうが向いていそうだ。EPUBリーダーが画面を紙の頁に見立てる意味は大きくないのではないか?

まとめ

現時点では、比較的シンプルな頁レイアウトであれば、DTPに劣らない本をCAS-UBで作れる。また、同時に、電子本をワンクリックの操作で作れる。こうして、本のワンソースマルチユースを実証した。しかし、高度に洗練された美しい頁、あるいは、複雑な構成をもつ本の制作には今後の挑戦が必要である。

紙の雑誌の凋落が叫ばれている。30数年前に、伸び盛りの専門雑誌出版社で働いていた頃には、このようになることは想像もできなかった。しかし、学術ジャーナルは既に電子化が進んでおり、紙のほうが珍しいまでになっている。

電子化の第一段階は紙の延長であるPDFの配布である。欧米ではさらに進んでオンラインファースト(Web形式)による発行に移行しつつある。学術ジャーナルは利便性・経済合理性から電子版が有利なので一般誌より変化が速い。『学術書を書く』(鈴木哲也・高瀬桃子著、京都大学学術出版会)によると、

①研究成果を出版したいという要望は増えているが、
②専門的な本の紙による出版は危機に陥っており、
③米国ではPODの普及がそれに拍車をかけている

という。専門書は電子版の利便性が高く、経済合理性からも電子版が優位なはずである。デジタルファースト(電子書籍形式)やオンラインファースト(Web形式)による出版への転換が望まれる。

そうなっても、画面と紙はまったく別の媒体であり、紙の本への需要がなくなることは決してない。『PDFインフラストラクチャ解説』を作ってみた経験からも断言できる。オンラインファーストの時代になっても紙の本が残るためには、ワンソースマルチユースで本を作る技術の確立が必須である。

北海道のシャッター通りに本屋をつくる

2016年3月2日
posted by 荒井宏明

札幌の東隣・江別市にある大麻銀座商店街は店舗の3分の1がシャッターを降ろしたままだ。午後5時を過ぎると、人通りが途絶える。この地区は、無人の老朽家屋や高齢世帯の急増など、旧ベッドタウン特有の問題を抱えている。

午後7時。通る人 もいないが、絶妙に昭和な雰囲気が「まだまだ客を呼べるぜ」と言っているように見える。

午後7時。通る人もいないが、絶妙に昭和な雰囲気が「まだまだ客を呼べるぜ」と言っているように見える。

そんな場所で午後6時~午後10時だけ開店し、人文書のみを取り扱う書店「ブックバード」を開店した。ふざけているわけではない。「書店業の振興」にも「地方商店街の活性化」にも「お役立ち」する気満々だ。しかしなにより解決しなければならないのは「北海道における本の砂漠化」である。

p002

「ブックバード」の内観。この店舗は以前「珪藻土の販売店」だったらしい。

p001

被災地で仮設図書館を建設したり、書架を修繕した経験を活かし、店内の棚・什器はすべて筆者の手づくり。

「無書店自治体」での社会実験

そもそもの流れを時系列で説明すると、こんな具合だ。

1)北海道の読書環境はかなり悲惨であり、あろうことか悪化が進んでいるので2008年に、図書関係者と教育関係者で読書環境の整備支援組織「北海道ブックシェアリング」を設立。筆者が代表となる(現在は一般社団法人北海道ブックシェアリング、荒井は代表理事)。

2 )設立から3年後に東日本大震災が発生。宮城県教委の要請などもあり、宮城県石巻市に分室をつくり、宮城・岩手両県の図書施設の復旧・復興支援を実施。

3 )2015年秋に東北被災地での最後の事業「岩手県陸前高田市の新図書館に関する住民意識調査」を終え、2016年はいよいよ本腰を入れて北海道の読書環境の整備支援に着手することになった。(以降「~することになった」は「荒井が~すると決めた」と考えていただいて差し支えない)

で、北海道で増加している「無書店自治体」について、社会実験をスタートすることになった。

被災地での支援活動で協力関係にある陸前高田市から、除却された「移動図書館車」を譲っていただき、「書店車」に改装。2016年春から「無書店自治体を走る本屋さん事業」として北海道内を回る。そこで起きる化学反応を絵の具に「まちの読書環境の未来図」を描く、という狙いだ。

p005

陸前高田市で除却された「移動図書館車」。これを「走る本屋さん」に改装する。

ブックストリートやブックフェス、ビブリオバトルなどのイベント開催で協力関係にある大麻銀座商店街で、書店車の駐車場施設を賃貸で契約。この施設の店舗部分はわずか10坪だが、雰囲気がいいので、この場所をつかって「書店」を開店することになった。

「北海道で潰れない書店」にするために

p004

冬のさなかに開店。本屋に雪はよく似合う・・・はずだ。

2016年2月10日「ブックバード」オープン。

開店にあたっての諸条件。営業時間は筆者が仕事を終えてから店番ができるように、月~土の午後6時~午後10時とした。扱うのは人文書と古書を6:4。併せて3000冊で棚が埋まる。なぜ人文書かというと、若かりし時分に書店員として人文書を扱っていたことと、地域の書店でまっ先に外されるジャンルだから。前述のように、通りすがりの客はいないので、雑誌、コミック、実用書、話題書などを置く必要はない。ジャンルを絞りきったほうが「通いやすい書店」になるだろうという読みだ。

その代わり古書は人文に加え、アート、サブカルチャーなど幅を広めにする。古書は個人からの買い入れはせず、古書店から仕入れる。この仕入れのノウハウが全体の利益率を押し上げている。

p003

人口10万人の江別には大学が4つもある。学生が来てくれると店主のテンションもあがる。

「北海道で潰れない書店」のモデルケースにするため、以下を特徴づけた。

①「人件費をかけない」

筆者は日中、社団法人の事務を執ったり、編集仕事(これが本業)をやったり、大学で教えたりなどで所得を得ている(充分ではないけどね)。書店員タイムは無給で問題ないし、店が手隙のときに編集仕事もできる。

②「家賃負担をしない」

もともと「走る本屋さん事業」における「駐車場」として家賃を予算化しているので、書店としての家賃や光熱費は考えなくてもよい。

③「利益率が高い」

古書の利益率が高い(でも販売価格は一般の古書店より安め)ので、全体としての利益率が5割近い。当店の利益はすべて「走る本屋さん事業」の財源になる。

「道楽の本屋かよ」「趣味で書店ができるなんていい身分だぜ」。そう評価していただいても構わない。北海道で、ここまで減りに減った「本がある施設・本に触れる機会」。これをじわじわと拡大していく。わたしのやることはそれだけだ。

書店がなく、公共図書館もない地域は、たいてい学校図書館の整備もままならない。そういう自治体が3分の1を超えようとしている。そんな地元を離れ、札幌や首都圏で「本に潤う暮らし」を経験した若者が、砂漠に戻って来るだろうか。

開店してすぐに、小樽市銭函に住む50代の方が来店された。「銭函にこんな店があれば、老後に札幌に移り住もうなんて思わない。2号店を出す気はありませんか」。予想の斜め上をいくリアクションの早さだ。さっそく現地に行かねばなるまい。

潰れない書店づくりは、なかなかどうして道楽には、ほど遠い作業なのです。

こんまりの「片づけ」本は海外でなぜ売れた?

2016年2月24日
posted by 大原ケイ

谷本真由美さま

前回のお手紙をいただいてから少し時間が経ってしまいました。

日本では本の印税率が下がってきていて、とうとう「印税率3%で本を書いてくれ」と言われたというビジネス書の著者さんの話をFacebookで見かけて背筋が凍りました。事態はここまで来てるんですね。

これが英語圏の出版社だと、新人でもハードカバー(ようするに「新刊書」)の印税が10%、増刷がかかって10万部を超えたあたりから数%割増しになるのが普通です。超売れっ子先生だと初版から12%、本がバカ売れして増刷になり、「お札を刷っているような状態」になれば15%までハネ上がります。

印税率より大きな違いは、英語圏での出版物には通常「アドバンス」と呼ばれる印税の前払い金があることです。しかもその一部は、原稿を一文字も書いてなくても、出版契約を結んだ時点で支払われる。ようするに出版社にとってアドバンスというのは、著者に対し、このコンテンツを使って商品にして頑張って売りますという「コミットメント」なんです。だから著者は、たとえ本が大コケしてまったく売れなかったとしても、この前払い金を返さなくていい。出版社は「本を売る」プロなのだから、売れなくてもそれは著者の責任じゃなくて、出版社の側の責任だということなんです。

だから、出そうとする本に対してどれだけのアドバンスが出せるか、その上限額が、出版社や編集者による著者なり作品なりへの評価となる。そして、高額のアドバンスを出しておきながら、売れない本ばかり作っている編集者は当然、クビになるわけです。それが日本の大手出版社だと誰もクビにもならず、「過去に出した本が売れなかった」ことを理由に、新たに出す本の部数をどんどん減らし、印税率も下げてくる。その一方で、自分たちのお給料だけは相変わらず高額が保証されたまま……というのでは書き手の側は誰も納得しませんよね。

この傾向が加速化されて、初版は数千部、なおかつ印税は3%などということになってくると、著者が食べていけなくなり、さらにコンテンツが劣化、本がますます売れなくなる……というジリ貧のサイクルが見えてくるわけです。

「断捨離」は英語圏では通じない。

こんな暗い話ばかりしてもしょうがないんで、明るい話題として近藤麻理恵さんの『人生がときめく片づけの魔法』の話でもしましょうか。この本は「Spark Joy: An Illustrated Master Class on the Art of Organizing and Tidying Up」という題名で英訳され、「パブリッシャーズ・ウィークリー」のノンフィクション部門で昨年の年間1位になるほど、アメリカでバカ売れしました。電子版を合わせると190万部を突破したそうです。英語圏に続いてイタリアやブラジルでも10万部近く出ています。

konmari

整理法、片付けの本といえば日本でだって昔から色々と出ているし、英語圏にだって類書はあります。こんまりさんの本が日本で売れた2011年あたりは、「断捨離」をキーワードとする似たような本が数えきれないほどありました。「これならアメリカでも行けるんじゃないか」と、私も他の著者の断捨離の本について相談されたことがありましたが、類書に比べてこんまりさんの本は英語圏でも成功する可能性があると感じました。その理由をいくつか挙げてみます。

1)メッセージがポジティブでわかりやすい
「断捨離」という日本語フレーズ(しかも仏教由来の)を英語に持ち込むのはハードルが高いです。日本にはカタカナという便利な文字があって、海外から来た新しい事物やコンセプトなどがカタカナ表記ですぐに定着しますよね。おかげでビジネスやITの業界では安易なカタカナ語が氾濫してしまうわけですが。

でもその反対に、日本語の言葉を英語圏の人に覚えてもらうのは、メイロマさんもご存知のとおり、かなり難しいのです。武士が腹を切る行為は正しくは「セップク」だといくら言っても、あいかわらず「ハラキ〜リ」と呼ばれてしまいます。sudoku という言葉を最初に聞いたときも「数独」が思い浮かばなくて、わかったときもなんだ「ナンプレ(number place)」のことか、という感じでした。いくら政府がwashokuだのomotenashiだのとがんばったところで、そんなに簡単には根付かないんです。

そこで行くと、こんまりさんの本はムリにdanshariやtokimekiという言葉を海外の読者に覚えさせるのではなく、「spark joy」という表現に置き換えたのがよかったですね。

さらに「要らないものを捨てる」ではなく「大事なものだけとっておく」というポジティブ発想もよかった。ただでさえ面倒くさい「片付け」という作業を、坊さんの修行のようにやれと言ってもアメリカ人には意味が通じなかったでしょう。

2)こんまりさん自身のストーリーが描かれている
数ある片づけ本のなかで、彼女の本が抜きん出ていると思ったのは、この部分です。冒頭で綴られている少女時代からのエピソードが笑えるストーリーとして読める。子供の頃からお小遣いで整理整頓グッズを買っていたとか、自分のものを整理し尽くしてしまい、家族の物まで無断で捨てたりしてたとか。彼らはこういう話が大好きなのです。

でも結局、世界中でこれだけのベストセラーになったのは、大手出版社がコミットして本を売ったからということに尽きます。こんまりさんの場合、英語圏ではまずイギリスのイーブリーという出版社が出して、その姉妹社のランダムハウス傘下のテン・スピード出版というところがアメリカ版を出した。だからこそ、これだけ売れたということもできます。

さて、では日本の著者はどうしたらいいのか。この先いくら出版社から本を出しても、印税がスズメの涙ほどしかないのなら、どうしたって海外を視野に入れて考えるしかないでしょう。私はそのお手伝いをしたいと思っているのですが、なかなか理解されず困っています。

※この投稿への返信は、WirelessWire Newsに掲載されます


この連載企画「往復書簡・クールジャパンを超えて」は、「マガジン航」とWirelessWire Newsの共同企画です。「マガジン航」側では大原ケイさんが、WirelessWire News側では谷本真由美さんが執筆し、月に数回のペースで往復書簡を交わします。[編集部より]

ブログを本にしてもらおう大作戦

2016年2月23日
posted by 荒木優太

hoffer

今月、単行本『これからのエリック・ホッファーのために――在野研究者の生と心得』を東京書籍から刊行した。

大学に属さない16人の野良研究者(三浦つとむ、谷川健一、相沢忠洋、野村隈畔、原田大六、高群逸枝、吉野裕子、大槻憲二、森銑三、平岩米吉、赤松啓介、小阪修平、三沢勝衛、小室直樹、南方熊楠、橋本梧郎)の人生から、今後の学究生活のヒントをもらおうとする本書は、もともとオピニオン・サイト「En-Soph(エンソフ)」で2013年10月から連載していた「在野研究のススメ」を加筆修正して、再構成したものだ。

zaiyakenkyu

「En-Soph」とは、一言でいえば、一種の集合ブログである。

ウェブの文章が紙の本になってヒットするという風景はもはや決して新しいものではない……にも拘らず、そのノウハウといったものは案外共有されていないのではないか。

果たして、ウェブ上で連載していた文章を紙の本にしてもらう、というそんな夢みたいな話を実現させるには何をどうしたらいいのだろうか? 一般性がどの程度あるのかはいささか心許ないが、今回の出版の流れを復習することで私なりに考えてみた。

名付けて「ブログを本にしてもらおう大作戦」である。

編集者からメールがくる

連載からちょうど1年ほど経った2014年10月22日、一通のメールが届く。Z社の編集者、Sさんからの書籍化相談メールである。

かいつまんでいうと、「在野研究のススメ」で登場する個性的な研究者と自由な学問の在り方に魅せられたので書籍化したい、とのことだった。

Sさんは30代の若手編集者で、もともと人文書系の出版社に勤めていたが、その少し前に再就職し、新たに出版事業に取り組もうとしていた会社から、編集権を一任されたとのことだった。

実際に会ってみたところ、「ススメ」が魅力的にうつったのは、内容もさることながら、すでにある程度の量が蓄積されており、中絶の心配なくそのまま書籍化できそうだ、という点も大きかったらしい。その時点で、すでに「vol.14 : 赤松啓介」の更新が終わっていた。ちなみに、一回のエントリの長さは400字詰め原稿用紙で10枚から20枚くらいだろうか。

「ススメ」は有島武郎を中心とする近代日本文学研究という、私の本来の専門領域からは外れる書き物だった。けれども、大学の人文社会系学部の危機に対して、役立たないものにこそ価値がある!というような紋切り型擁護論に不満を感じていた私は、「ススメ」がオルタナティブな応答になりうると考えてその依頼を快諾した。

Sさんが提示した出版条件は、一冊1800円程度で初版2000部、印税は7%、増刷時に10%へ、というもの。著者ノーリスクという魅力に惹かれて、私はさっそく改稿の作業を始めた。

栗田ショック、襲来!

書籍の元となる連載もvol.20に突入し、書籍用の再構成もだいたい終わり、さあ出版だ!と意気込んだのも束の間、そうは問屋がおろさない。世の中そんなに甘いものではないのだ。

2015年6月、日本4位の出版取次業者、栗田出版販売が倒産(民事再生法の適用申請)してしまう。このアオリを受けて、出版事業に自信を喪失したZ社は、その計画を先送りすることを社内に通達する。つまり、原稿はできているけれども出版できないという宙吊り状態に陥ってしまったのだ。

この事態に、Sさんは怒り心頭(激おこ)。待っていてもいつ出版されるか分からないので、限定フリー編集者として他の出版社に売り込みを始めたのだ。律儀な人である。

ちなみに、Sさんがいうには、売り込みでいちばん苦労したのは、前著や類書の売れ行きを気にしすぎるオジサンたちをどう説得するか、ということだったらしい。……なんといいますか、ご苦労様です。

ウェブ公開の文章は売れないとか、「在野」がウサンクサイとかいう理由もあって、数々の会社に断られるなか、二つの出版社が候補に上がってきた。第一にJ社、第二に東京書籍である。

ただし、J社の条件として、その時の(現在の状態と大差ない)完成稿をより通俗化することが要求された。現在でもアカデミックな文体からはかけ離れており、これ以上俗っぽくすることは私の倫理観からはNGを出さざるをえなかった。そういうわけで、大きな変更を要求されない現在の東京書籍さんにお願いした。

そのような経過をへて、『これホフ』の原稿は、いまの編集者、Yさんのもとに行き着いたのだった。ちなみに、ここでの出版条件は、一冊1500円で初版4000部、印税は7%、増刷時に10%へ、というもの。当初の予定より初版部数が倍になった。

災い転じて福となす?

作戦要綱三ヶ条

ここで、作戦要綱を三ヶ条をまとめてみよう。

第一条、とりあえず量をこなせ。

Sさんが私の文章に興味をもったのは、企画の斬新さもさることながら、すでにある程度のテキスト量がウェブ上で確認できるという点だった。

新しく著者に執筆を依頼した場合、原稿が本当に完成するかどうかは分からない。途中で投げ出す可能性もある。それに比べて、ある程度の量が既に公開されていれば、書籍化の計画も安心して立ち上げることができる。

質ももちろん大事だが、量があって初めて訴えてくるものもある。

ちなみに、私は昨年の11月に群像新人評論賞優秀作に選ばれているが、書籍化の話はそれ以前から進んでおり、受賞歴と書籍化はあまり関係ないように思う。

第二条、アクセシビリティを保持せよ。

今日、編集者とは検索する生き物である。本を読む以上に検索しているのではないか、と思うほどに彼らは検索している。そうでなかったら、そもそも私の文章に白羽の矢が立つことはなかっただろう。だからこそ、私が一貫して出版の条件として掲げていたものとして――それ故に、いくつかの会社からは出版を断られたようだが――、初出であるウェブ・ページを削除しない(閲覧可能な状態にし続ける)ということがある。

本になったらすべて終了、というわけではない。私の仕事は、本を出したあとも続いていく。蓄積された歴史を抹消してしまうことは、私のディスアドバンテージにしかならない。

無料で公開されているテクストに(仮に加筆したとしても)誰もカネなど払わないのではないか? という疑問はもっともだ。ただ、横書きのものが縦書きになるだけで読み心地はだいぶ異なる。紙には紙の、電子には電子の良さがある。パッケージングの差異は読書体験の差異に直結する。クレイグ・モド『ぼくらの時代の本』(ボイジャー、2014年)は、やはりウェブ公開の文章をそのまま書籍に収録することで、その思想の実践を試みていた。

無料で公開され続けるページの検索可能性は、有料の本への広告として、長期的な売り上げ(ロングテール)に貢献することが期待できる。アクセシビリティは大きな財産として保持すべきだ。

第三条、通俗化せよ。

私は「ススメ」以上の分量の近代文学研究論文を、パブーで公開している。けれども、こちらの方の書籍化の声はとんとかからない。有島武郎論や近代偶然文学論など、まとめたい仕事はいくつもあるが、それに協力してくれる編集者や出版社は存在しない。

当然そこには、研究論文は一般読者には読みにくく、すると当然売り上げが見込めないのだから編集者は興味を示さない、という商業の論理が伏在している。

私個人は『これホフ』の文章よりも、もう少し入り組んでいて抽象度が高くて読むのに時間がかかるもの、つまりは研究論文のような文体やリズムの方を好むのだが、そういったものは残念ながら「商業出版」としての書籍化には向かないようだ。

研究者としていささか無念を感じないでもないが、しかし、それが資本主義下の現実なのだから文句を言っても仕方ない。書籍化したいのならば、『これホフ』で私が試みたように、多くの人々に身近なテーマ(例、学校の外だって学問したっていいじゃん!)とポップで俗っぽい文体(例、「DV&モラハラ男だったのだ!」、p.97)を心がけることをオススメする。

どうかたくさん売れますように

『これホフ』は売れることを意識して書いた本だ。だから、はっきりいって、できるだけたくさん売れて欲しいと思う。

ただし、私個人は本来は、本をたくさん売りたい人ではない。専門とする近代文学研究でいえば、おそらく図書館に入るぶんもふくめて1000部もあれば想定される読者に十分届く。そして、それ以上の部数がことさら必要だとも思わない。一年に一冊売れることを予定して自費出版した人間からすれば、その程度のスケールで不満はない。

しかしながら、最近の読書界をかえりみたとき、「人々はもう少しマトモな本を読んでもいいのではないか」、とお節介ながら思うこともある。

元少年なんとかさんとか、小保方なんとかさんとか(あと、要するに韓国と中国が嫌いだという結論の本とか)。瞬間的にベストセラーを記録するものの、一年もすれば確実に忘れ去られてしまうだろう数々の話題本を目の当たりにしたとき、「そんなものよりもコレにお金を出して下さい」と言えないもどかしさを、つねづね感じていた。

『これホフ』は、そんな私が提示してみた商品だ。

私は私の本が世に溢れるどうでもいい商品よりもずっと面白い商品だと思う。いや、より厳密に言いたい。大学の人文知に魅せられて、人と会うことを忘れて図書館に籠りきりになる院生や研究者の書くものが、マスメディアで話題を牛耳る有名人や炎上しか特技のないポッと出のライターの本なんかよりも、面白くないはずがないじゃないか。

『これホフ』は読みようによっては――その意図はないものの――アカデミズム批判の本にも見える。しかし、その場合であれ、人文知批判では決してない。大学の内であれ外であれ、研究者のもつ謎の情熱と日々の研鑽は、この世界をもっと面白いものに変えるポテンシャルをもっている。そして、それは大学の危機や一時の流行になど負けるはずがないほど強いものだ。

「面白いもの」の擁護者を増やすこと。それこそが、『これホフ』出版の目的であり、めぐりめぐって果たされるかもしれない、新しい人文社会系学部の擁護論や人文知の再興の基本的戦略である。

ああ、長かったけれど、これでやっと言える。「コレにお金を出して下さい」!

鼎談:自己出版ブームの原点、
藤井太洋「Gene Mapper」誕生秘話

2016年2月16日
posted by 日本独立作家同盟

西新宿にある台湾料理店・山珍居は、壁じゅうに名だたるSF作家のサイン色紙がずらりとならぶ「SFの聖地」である。電子雑誌「別冊群雛」の企画で、ここにSF大賞作家・藤井太洋、電子書籍のご意見番・林智彦、アルファーブロガー・いしたにまさきの三名が集い、インディーズ出版やSFについて語り合った。

teidan

左から、藤井太洋、林智彦、いしたにまさき(画:松野美穂)

ネットの紹介記事からすべてが動き出した

いしたにまさき 最初に『Gene Mapper』を紹介した記事は林さんが書かれたんですよね。
林智彦 はい、『日本人初? 「コボ」「キンドル」でデビューした新人作家が1位を獲得するまで』というブック・アサヒ・コムの記事(2012年8月28日付)ですね。
藤井太洋 本当に、もうまさにここからでしたよね。インディーズ作家がどうすればいいのかという話にも繋がるんですけど、やっぱり第三者が認めてくれたのは大きかったんです。
いしたに 「誰かが見つけないといけない」ということ?
藤井 そう、「誰かが見つけて火をつける」ことがすごく重要なんです。林さんのあの記事がなければ、ここまでは売れなかったと思っています。
 あのときはこちらもありがたかったんですよ。当時の私の部署は、ふだんは新聞に掲載された書評を転載するのがメインの仕事だったんです。そんな中で、いきなり飛び込んできたのが『Gene Mapper』でした。
藤井 ありがとうございます、ほんとに。
 私のような者は、そもそも藤井さんが想定していた『Gene Mapper』の対象読者だったんでしょうか?
藤井 『Gene Mapper』は、たぶん「EPUBで本を読む人たちを対象にした初めての小説」になるだろう、と考えて書きました。EPUBに手を伸ばすぐらいだから、このぐらいわかるはずだと思って、IT用語などもあまり砕いて説明せずに書いています。
 逆にそれが読者に刺さったんですよね、「これはわかってるヤツが書いてるぞ」って。しかも電子書籍による「自己出版」。私の記事でもし『Gene Mapper』をたんなる小説作品として紹介しただけだったら、あそこまで読者には響かなかったと思います。
いしたに 急にこれほど完成度の高い作品が来たわけだからね。
 その頃はまだ「自己出版」という用語すらなかったということが、すごく思い出に残っています。アメリカでは「Self Publishing」と言うけれど、日本語だとちょうどいい言葉がない。実は、どう訳すかでちょっと悩んだんですよ。「自費出版じゃないの?」と上司には言われたんですが、お金をかけているわけじゃないから「自費」では変だということになって。他にも「自主出版」とかいろいろと訳語を考えたんですが、最終的に「自己出版」に落ち着いたんです。あと、「自主出版」だと発声しにくいんですよね。
藤井 「ジシュシュッパン」は、たしかに言いにくい(笑)。
 藤井さんと初めて会ったときは、まだ謎の人物だったので、「テクノロジー関係の知識のなさを突かれたらどうしよう」と、緊張して向かったんです。
藤井 取材に来られたのは、たしか2012年の8月に入ってすぐでしたよね。メールで連絡をいただいて、神楽坂の裏手のホテルのカフェで待ち合わせました。
 夏休み前でバタバタしていて、チャンスだったんですよ。当時は自己出版がまったく知られていない段階だったので、検討もされずに却下されるといやだなと思って。それで夏休み間近に、いわばゲリラ的に原稿を出したんです。
藤井 そんなことがウラで起こっていたんですね(笑)。
 あの取材は、本当に「革命の現場に居合わせた」という感覚でした。
藤井 その頃はまだKindleの日本展開前で、Koboが出たちょっと後だったと思います。
 にもかかわらず、最初に会ったときには、すでに『Gene Mapper』はランディングページまでしっかりできていましたね。
いしたに まさにスタートダッシュに成功したわけですね。いま「ユーチューバー」と呼ばれる人たちの中に、商品動画のパターンを作ったジェットダイスケという人がいるんです。彼が最初にそういう動画を作って公開したときは、実はまだYouTubeはなかった。YouTube がやってきたとき、彼にはすでに商品動画のノウハウがあったんですよ。それぞれのジャンルでメジャーになる人には、実はそういうパターンが多かったりする。藤井さんも、KDPが入ってきたときには準備万端だったわけですよね。他の人とはスタート地点が全然違った。
 デビュー作の段階から専用のウェブサイトがきちんと作られていて、広告も出しちゃうなんて人は、いまでもそんなにいませんよ。藤井さんがなさったようなことをサービスとしてサポートしてくれる会社があるといいんですが、それもまだないですよね。
いしたに サポートとなると、同時に何人も作家を抱えないとならないから、なおさら難しいかもしれない。人材がそんなにいませんから。

gene_mapper

セルフパブリッシング版『Gene Mapper』のカバーイラスト。

Kindleでの読みやすさを考慮

いしたに 藤井さんは以前、「〈もどり〉が少なくなるように意識して書いている」と言ってましたよね。
藤井 そうですね。いちいち後戻りしなくても読めるようにすることは意識していました。
いしたに Kindleが日本で発売になったときに、「なぜ貴志祐介の『新世界より』はKindleに合うのか」という議論になったんです。結論としては、「ミステリーの人が書いているから」。この作品はSFですけど、貴志さんはもともとミステリー作家ですよね。ミステリーは「読者が正気に戻ったら終わり」なんですよ。お化け屋敷に入っているようなもので、何かをきっかけに素に戻ったら「ああ、なんだよ」って冷めちゃう。『新世界より』は伏線を回収するあたりで、ちゃんとアラートが出る。SF作品だけどミステリーのそういうテクニックを使って書いてあるから〈もどり〉が少なくて、サクサク読めるんです。
 そういえば、たしかに「(前回までの話の)復習のコーナー」みたいなのがありますね。
いしたに そうそう(笑)。文庫で3分冊とけっこうな文章量なのに不思議と読めてしまうのも、たぶん〈もどり〉が少ないからだと思うんです。
 Kindleといえば、初期にスティーグ・ラーソンの『ミレニアム』シリーズ(『ドラゴン・タトゥーの女』『火と戯れる女』『眠れる女と狂卓の騎士』)が電子書籍でも売れましたよね。あの小説でもショッキングなシーンがどんどん続くけれど、いちいち前を読み返さなくてよいようになっていました。
いしたに いまでもそうですが、Kindleは前ページに戻るのがハードウェア的にちょっと面倒でしょ?
 そうそう。〈もどり〉があると、その箇所を探すのが大変です。藤井さんもよくそこに気づきましたよね。最初に『Gene Mapper』 を書いたときは、すでにKindle端末を持っていたんですか?
藤井 いえ、まだ持ってなかったですよ。
 ええー! よくそれでKindleの特性がわかったなぁ、と思います。
藤井 初めて書いたときに使ったのはiBooks Authorで、次に使ったのがKindleのアプリ用のエディタでした。どちらも横書きにしか対応していませんでしたが、実際にプレビューできたおかげで、出来上がった電子書籍がどんな読まれ方をするかは、ある程度までは想像できていました。
 今日来る前に久しぶりにKindleを開けてみたら、公式サイトから購入したKindle用の『Gene Mapper』 が出てきて、まさに横書きでした。
藤井 Amazonで初めに売ったものは横書きだけでしたから、おそらくそれでしょう。

震災が「作家」の誕生をうながした

いしたに じつは『Gene Mapper』が世に出る前から、藤井さん本人から小説を書いていることを聞いていたんですよね。あれは2011年のいつ頃でしたっけ。
藤井 その年の秋口にあったブロガーズミーティングですよ。横書きにしか対応していないはずのiBooksで、縦書きで読める『Gene Mapper』のサンプルを見せたのが最初だったはずです。
 それは自分でサイドロードしたものを見せたってことですよね?
藤井 そうです。発売前ですので。
 藤井さんといしたにさんはそのときに初めて知り合ったんですか?
いしたに いえ、もっと前からです。藤井さんが多芸だということはかねがね聞いていたんですが、ソフトウェアのプロダクトをやっている人だと認識していました。それが震災を経て、急に「小説を書いている」と言い出したんですよ。それを聞いた第一印象としては、「大丈夫なのかな?」と(笑)。
藤井 まあねえ(笑)。
いしたに 僕自身、仕事であの震災に関わっていて、3月11日から半年間、毎日ずっとリアルタイムで飛び込んでくる「現実」にぶち当たっていたんです。一度は体調を崩したこともありました。そんなときにその話を聞いたので、震災を一度自分の中で受け止めて、小説を書いて作品として昇華できる時間と才能があった藤井さんが、正直「うらやましいな」と思ったんですよ。あのときは、震災をきっかけにしてみんながいろんなことを考えたはずなんです。そのひとつは「自分の職能を何かに生かせるだろうか」ということで、もうひとつは「これから自分はどう生きていこうか」ということだった。そのときに、藤井さんは「物語を書くこと」を選んだんですね。僕は仕事で毎日現実にぶち当たるのと同時に「ひらくPCバッグ」を作っていたけど、そのテーマも震災後の日々の生活の改善にあったりします。
 なるほど。
いしたに そんな中で『Gene Mapper』を手にしたとき、最初は正直、あまりピンとこなかった。でも、何年も経ってからホーチミンに出張に行ったときに読んだら、「あ、この空気ね」みたいな感じで、ストンと納得したんですよ。あの街にはベトナム風コーヒーを飲みながら食事している人たちが山のようにいて、河と熱と人とがごちゃーっとしている。裏道を一本入ると、さらに喧噪がある。ああ、藤井さんが震災後を生きるうえでの「よすが」にしようと思ったのはこれだったのか、って。実は最初に「小説書いてます」と聴いたときから、ずっと腑に落ちてなかったのね(笑)。もちろん直接知ってる人だからということで、作品として面白いかどうかではないんですが。でも「プロの作家」になるという道を選んだ以上、そこには当然、彼自身の人生がついてまわる。ホーチミンで『Gene Mapper』に描かれた空気を体験することで、ようやく僕の中でそれが理解できたというわけです。
藤井 思えば、あの頃はいろんなこと始める人がいましたよね。
いしたに でも、続いていないんだよね……(笑)。
 普通はそうですよね。そうそう続くもんじゃない。
藤井 急に楽器を買ってみたりとかね(笑)。
 意識が変わって急に結婚する人とか、子供を産む人とかもいましたよね。
いしたに さすがにそれは続いているんじゃないですか?
 たしかに結婚や子育ては簡単にはやめられない(笑)。

「自然なもの」が必ずしも「よいもの」ではない

藤井 この作品では「科学技術と人間の関係」についてしっかり書きたい、という思いがいちばん大きかったんです。一種の「サイエンス・コミュニケーション」といえるかもしれません。そのために、「トゥルーネット(*1)」と「インターネット」とか、「AR」と「リアルの触れ合い」とか、「蒸留作物(*2)」と「自然作物」といったかたちで、「新しく入ってきたもの」と「自然なものや馴染んだもの」との対比の構図をいくつも入れてある。でもそこで主人公は、必ずしも「いいもの」ばかりを選択するわけじゃないんですよ。「リアルの触れ合い」よりも「AR」を選ぶこともあるし、「自然作物」よりも結果的には「蒸留作物」を選ぶとかね。そもそも主人公は、天然の作物に対して共感を寄せていない。「天然のもの、古いもの、伝統的なもの、リアルなもの」がよいという価値観が一般的な中で、この小説の主人公が選ぶものは「リアルでない側」にあるものが多い、という構造を意識して入れました。たぶんこれの読者には、それが刺さる人が多いだろうと思って(笑)。
 なるほど、そういうことなんですね。そもそも、いまやまったく人工化されていない「本物の自然作物」なんて、山菜でも採りにいかない限り、ほとんどない(笑)。
藤井 『Gene Mapper』を書いているとき、遺伝子を自然交配によってターゲティングする作物を作る会社が出てくるだろうと思っていたんですよ。遺伝子組み換えの研究の中で、特定のDNAや塩基を持たせればトマトの色艶がよくなってしかも腐りにくいということがわかったとしたら、それを遺伝子組み換えではなく自然交配で作る企業が出てくるだろうと。そうしたら、アメリカのモンサント社が実際にそれをやっていた(笑)。
 いまプログラミング言語のRubyなどで流行っている、「メタプログラミング(プログラムにプログラムさせる)」みたいなことですか?
藤井 いや、そういう効率を考えたやりかたではなくて、総当たりに近いことを力技でやっていますね。遺伝子工学的に「答え」だけを先に求めておくんです。狙うべきターゲットがわかっているので、あとはその通りになりそうな組み合わせを、管理された農場でひたすら交配を繰り返して試す。そのうち「アタリ」が出たらそれを育種するというわけです。
 そこには人の操作は加わっている?
藤井 もちろん人為的に交配はさせますよ。自然な環境なら何億年かけても出てこないような組み合わせを探して交配させるんです。
いしたに 医薬品では昔から行われている手法ですよね。大昔は試験管を手で1本ずつ振って「ああハズレだった」みたいにやっていたけれど、いまは一度に2000本くらいをロボットで振って、アタリハズレをどんどん確認していく。そういうのはかなり前からやられていると聞いたことがあります。
藤井 モンサント社は、「完全な自然交配によるクリーンでオーガニックでレガシーな作物ですよ」ということを言いたいがために、管理農場を作って徹底してやっている。いま私たちが食べている小麦粉などの中には、「放射線育種」といってアイソトープ(放射性同位体)を使って人為的に突然変異を起こす手法で作られた品種がかなり多い。突然変異率を上げるために実験用放射炉の周辺に籾をザーッと撒いて、変異したものから状態のいい物を選んで育種していく。手当たり次第に変えているわけですから、遺伝子工学よりこっちのほうがよほど怪しいわけですよ(笑)。
 自然か人為かという区別が、いわゆるロハス的な感覚とは違ったレベルで存在するのですね。
藤井 ええ、そうなんです。
いしたに そこまで行くともうサイエンスではなく、マーケティングの問題ですよね。「遺伝子交配した素晴らしい商品です」といって売るわけにいかないので、「オーガニックです」と言いたいがために回りくどいことをしているわけですから。

「物語」が「現実」を侵食する

 私の中で『Gene Mapper』でいちばん響いたのは、ARで現実を更新したり上書きしていくところでした。そういう感覚が、震災後はすごくリアルに感じられたんです。あの頃の嫌な空気感を上書きしてくれるものが、アイディアひとつでできるのではないかという期待を持ってしまったんです。
藤井 実はあの〈ARステージ*3〉は、私の理想のコンピュータなんです(笑)。
いしたに 2015年にマイクロソフトが「ホロレンズ」をお披露目したとき、びっくりしましたけどね。うーん、どこかで見たことある光景だなあ、と(笑)。
 「© Taiyo Fujii」(笑)。
いしたに そう、「藤井太洋すげえ!」って。
藤井 誰が考えてもだいたいあんな感じになりますよ。
 本当に真似されたんじゃないかと思うぐらいに、現実があの小説の後を追いかけているなと思いました。もちろんアイディアを具体的にシステムに落とし込んだり、実装していくときには違ってくるんでしょうけど。
藤井 そういうものが実際にでてくると素直に嬉しいですよ。『オービタル・クラウド』でも「スペーステザー」というものを書いたら、JAXAから取材の申し込みが来ました。JAXAのテザーチームの人から「あれはどうなっているんですか。初めて読んだのですがどこの論文で見たのか教えてください」って(笑)。
 現実と虚構とが逆転してますね。『オービタル・クラウド』はものすごい情報量で、それでまた感服してしまいました。
いしたに フィクションには昔からそういうところがある。僕が聞いたなかで面白かったのは、黒澤明の『七人の侍』を見た米軍が「オマエはどこで我が軍の作戦のドキュメントを読んだんだ!」って怒鳴り込んできたという話。昔からある軍事教本にあの映画にそっくりそのままのミッションがあるんですって(笑)。
藤井 物語が現実を浸蝕していくのは面白いことですよね。

(to be continued)

※1 トゥルーネット:『Gene Mapper』作中に登場する、インターネットとは別の大規模ネットワーク

※2 蒸留作物:『Gene Mapper』作中に登場する、遺伝子組み換え作物の総称。

※3 ARステージ:『Gene Mapper』作中に登場する、AR技術を利用したユーザーインターフェース。

※この座談会の続きは『別冊群雛』(『月刊群雛』創刊2周年記念特別増刊号)でご覧ください。2月末日までは特別価格200円にて、各電子書籍ストアにて発売中です。
cover_sf_promotion_w540

■  座談会メンバー・プロフィール
藤井太洋(ふじい・たいよう)
作家、1971年生まれ。2012年にセルフパブリッシングした『Gene Mapper』が「ベストオブKindle本」で文芸一位に。翌2013年に増補改訂した『Gene Mapper -full build-』で商業デビュー、2014年2月に刊行された『オービタル・クラウド』はベストSF 2014と第35回日本SF大賞、第47回星雲賞日本長編部門を受賞。日本SF作家クラブ第18代会長。新潮社の「yomyom」にて『ワン・モア・ヌーク』を連載中。

林智彦(はやし・ともひこ)
1968年生まれ。1993年、朝日新聞社入社。「週刊朝日」「論座」「朝日新書」編集部、書籍編集部などで記者・編集者として活動。この間、日本の出版社では初のウェブサイトの立ち上げやCD-ROMの製作などを経験する。2009年からデジタル部門へ。2010年7月~2012年6月、電子書籍配信事業会社・ブックリスタ取締役。現在は、ストリーミング型電子書籍「WEB新書」と、マイクロコンテンツ「朝日新聞デジタルSELECT」の編成・企画に携わる一方、日本電子出版協会(JEPA)、電子出版制作・流通協議会 (AEBS)などで講演活動を行う。

いしたにまさき(@masakiishitani)
Webサービス・ネット・ガジェットを紹介する考古学的レビューブログ「みたいもん!」管理人。2002年メディア芸術祭特別賞、第5回WebクリエーションアウォードWeb人ユニット賞受賞。著書『ネットで成功しているのは〈やめない人たち〉である』(技術評論社)など多数。2011年9月、内閣広報室・IT広報アドバイザーに就任。「ひらくPCバッグ」などネット発のカバンプロデュース業も好調。http://mitaimon.cocolog-nifty.com/