本を中心とした施設が神保町の文化を受けつぐ
――UDS中川敬文さんインタビュー

2018年5月8日
posted by 仲俣暁生

4月11日、東京・神保町の岩波ブックセンター(信山社)跡地に、「神保町ブックセンターwith Iwanami Books(以下、神保町ブックセンターと略記)」という商業施設がオープンした。開店前日に内覧会を兼ねた説明会があり、プレスリリースを見てからずっと楽しみにしていた神保町ブックセンターにようやく足を踏み入れることができた。

「本を読む人」の大きなイラストや「BOOK CAFE WORK」という文字、そして夜間のライトアップを別にすれば、神保町ブックセンターの外観は旧岩波ブックセンターの雰囲気をかなり受け継いでいる。入口をはいってすぐに小さな平台があり、ここには新刊や話題の本が並んでいる。この佇まいからも、旧岩波ブックセンターとの連続性を強く意識していることが伺える。

岩波ブックセンター時代の雰囲気を残した神保町ブックセンターの外観。

入り口すぐの平台には新刊や話題の本が並ぶ。

左手の壁は岩波書店の本が一面に並んだ棚が奥までつづく。店内一階は手前がカフェスペースで奥がコワーキングスペースだが、これらを利用しない人も本をゆっくり見てまわることができる。ここは岩波の本だけが買える「本屋」でもあるのだ。

岩波文庫と岩波新書の壁

一階手前の約30坪には40席ほどのボックス席とカウンター席があり、そのまわりも本棚がぐるりと取り巻いている。入り口から向かって右の壁面は岩波ブックセンター時代の書棚がそのまま残っており、岩波文庫と岩波新書の入手可能な既刊が全点並んでいる。その光景は圧巻といっていい。

壁の全面を岩波文庫と岩波新書が覆う光景は圧巻。

カフェスペースにはゆっくり読書できる座席も。

一階奥には25席のコワーキングスペース(月額2万円)があり、空いている机をフリーアドレスでいつでも使える。ここは夜間は50席ほどのイベントスペースに早変わりする。二階には約10人が入れる会議室があり、時間貸しでの利用が可能だ。また三階には4区画分の「サービスオフィス(貸し事務所)」と、固定机が使える小さな区画が8席分あり、後者は月額4万円程度で利用できる。

一階奥のコワーキングスペース。

三階にある8席分の固定机スペースのひとつ。

多くの取材陣や来賓で賑わった4月11日の説明会には、書店部分とイベント企画のディレクションを行うnumabooks代表の内沼晋太郎さん、岩波書店代表取締役社長の岡本厚さん、三省堂書店専務取締役の亀井崇雄さん、そしてこの施設を企画運営するUDS株式会社の代表取締役社長・中川敬文さんによるトークイベントも開催された。

そのなかで岩波書店の岡本社長は、「この場所は岩波書店発祥の地でもあり、そこに〈本を中心とする店〉ができてうれしい。ぜひ長く続けてほしい」と語っていた。私もまったく同感である。

内覧会時のトークイベント風景。右からnumabooksの内沼さん、三省堂書店の亀井さん、岩波書店の岡本さん、UDSの中川さん。

「岩波の本を守る」ために

神保町ブックセンター開業のプレスリリースが出た直後に、UDSの代表取締役社長、中川敬文さんにインタビューの機会をいただいていた。先の説明会での話と重複する部分もあるが、「ブックセンター」と神保町のまちづくりに対する同社の意欲的なとりくみについて紹介したい。

UDSの本社は原宿にある。オフィスの下が雑貨も販売するカフェになっており、社員もここで食事をとるという。中川さんへのインタビュー取材もこの店のなかで行った。まずは神保町ブックセンターができるまでの話を伺った。

UDS代表取締役社長の中川さん。本社社屋前にて。

UDSでは以前、岩波書店が所有する別の物件の有効活用について、不動産会社を介して問い合わせを受けていたことがあり、その後同じ会社から旧岩波ブックセンター跡地についても話があった。これを受けて、どのようなかたちで旧岩波ブックセンター跡地を利用した事業を行うかについて、UDS社内でのプランニングがはじまった。

中川 神保町という場所柄、本と喫茶とコワーキングを組み合わせた複合施設というイメージは最初からありました。UDSでは「LEAGUE(リーグ)」というコワーキングスペース事業をやっており、あの立地ならコワーキングスペースができると考えたんです。

ただ、大家である岩波書店さんにしてみれば、ここをコンビニやドラッグストアにしたほうが金銭的な面ではいいはずです。駅前に展開しているようなチェーン店は我々より高い賃料を確実に提示するだろうから、正直、当社でやれる可能性は少ないかな、と思っていました。

神保町ブックセンターと岩波書店の関係は、ひとことでいえば「店子」と「大家さん」だ。岩波書店が所有するこの物件に対してUDSが賃貸料を払い、ブックセンターの事業を行うのであって、岩波書店自身がこの施設を経営するわけではない。

UDS社内で神保町ブックセンターの事業企画案をまとめたのは、前年に入社したばかりの添田瑠璃さん。ミヒャエル・エンデの『モモ』が愛読書だという彼女は、岩波書店がこれまで培ってきた哲学や科学、教養が若い世代に見直されていることを感じていたという。

中川 私自身は井伏鱒二訳の『ドリトル先生』シリーズ(ロフティング著)で育った世代なんです。いわば「岩波新世代」の添田と「岩波前世代」の私がコンビを組んで企画をまとめ、最後は岡本社長にプレゼンテーションをする機会もいただいた。岡本社長から「UDSにまかせたい」との英断をいただいたときは、こちらも意気に感じました。

UDSの役員の一人が内沼晋太郎さんと面識があったため、企画段階から書店とイベント企画のディレクションで協力を要請した。普通のブックカフェにするのではなく、岩波の本だけに選書を絞る方針は、内沼さんとの間ですぐに固まった。

中川 「神保町ブックセンター」という名称で行くことは、とくに打ち合わせたわけでもないのに、内沼さんも僕らも最初から考えていました。「本屋」を意味するちょっと古い言い方でもあるけれど、中心に本がある新しい施設の名称として、ブックセンターがふさわしいと思ったんです。

店内には岩波書店の現在流通しているすべての出版物約9000点を展示し、カフェやコワーキングスペース内で手にとって読むことも、購入することもできるようにした。その結果、岩波書店自体は経営にはタッチしないものの、同社のカラーが色濃く出た商業施設となった。

ただし、やはり書店だけの収益でやっていくのは難しい。そこで事業モデルとしては、飲食とコワーキングスペースだけで成立するように設計したという。そうすることで、結果的に「岩波の本を守れる」と考えたからだ。

神保町という町がもつ価値

文京区生まれの中川さん自身、神保町には深い思い入れがある。学生時代は、茗荷谷にあった自宅から神保町まで自転車で足繁く通ったという。

中川 幼い頃に、大学で経済学を教えていた父親に連れられて神保町の古本屋をめぐった記憶があるんです。中学・高校の頃になると、音楽やスポーツにかんする専門店がある神保町は、いわば「自分の好きなものがぜんぶ揃っている町」でした。

今回の仕事のために久しぶりに再訪してみて、この町はコンテンツの宝庫に思えました。映画のセットを思わせる佇まいの古本屋もあれば、有名なカレー店や雰囲気のいい喫茶店もある。そして周囲に大学もたくさんある。ヨーロッパの都市に行くと気づくのは、ベルリンにもロンドンにも、ロッテルダムやアムステルダムにも、基本的にチェーン店がないことです。しかも古い建物を景観のなかでうまく活用している。そういう目であらためて見ると神保町には、他の町とは比べものにならないほど文化と歴史の蓄積があることに気づいたんです。

そのような文化的要素がすべて揃っている町なのに、東京に暮らして仕事をしていながら、これまでは神保町のことがあまり耳に入ってこなかった。そのこと自体がこの町の課題ではないかと考えます。

神保町ブックセンターの企画が進むなか、中川さんは神保町の老舗喫茶店ミロンガの店内風景に心を奪われたそうだ。

中川 この店の中では誰もスマホを見ていない、ということに気づいて驚いたんです。あるカップルは本をみながら会話中で、別の女性は一人ゆっくり読書をしている。私と同じくらいの年配の男性は、本屋の袋から出した三冊の本を楽しそうにながめている。コーヒー一杯の値段はチェーン店より高いけれど、落ち着いた店内でゆっくり本を読みながら過ごす時間は、とても豊かなものです。神保町ブックセンターもこういう場でありたいと思いました。

UDSでは、海外からのインバウンド客を対象としたビジネスもしています。中国のある経営者の方から、「近者悦遠者来(近き者よろこび、遠き者きたる)」という孔子の言葉を教えられたことがあります。住む人が楽しく豊かに暮らしていると、そこには遠くから人がやって来る。私たちがまちづくりや観光戦略の基本として考えていることは、この言葉に言い尽くされています。神保町にいる人たちがゆったりと本を読む姿は、訪日外国人にも魅力的に映るはずです。

神保町という町の成り立ちについては、鹿島茂さんの大著『神田神保町書肆街考』(筑摩書房)が詳しい。神保町が現在のような「本の町」になる上では、東京大学をはじめとする大学の存在、そして岩波書店をはじめとする出版社の存在がとても大きかったことがよく分かる。

だがこの町が再び活性化するためには、既存の大学や出版社だけでなく、新しいタイプの若い知性がこの町と深く切り結ぶ必要があるだろう。たんなる書店ではなく、カフェやコワーキングスペースを備えた〈本を中心とする施設=ブックセンター〉がそのような人たちの集う場所になりうるかどうか。この町の未来は、そのことにかかっている。

出版業界はブロッキング問題で岐路に立っている

2018年5月1日
posted by 仲俣暁生

先月にまきおこった海賊版マンガ・アニメサイトに対する緊急ブロッキングをめぐる議論の推移をみていて、不思議に思ったことがある。展開があまりにも急だったこともあるが、決定までの経緯がクローズドなままなので憶測するしかないことも多く、余計に不明瞭な印象を強くした。なんのことかと言えば、出版業界の対応である。

これまでの経緯

経緯を簡単にふりかえろう。政府の知的財産戦略本部・犯罪対策閣僚会議(本部長・安倍晋三首相)がインターネット接続業者(ISP)に対して、「漫画村」「Anitube」「Miomio」の3サイト及びこれらと同一とみられる海賊版サイトへのサイトブロッキング(接続遮断)を「促す」緊急対策を決定したのが4月13日のこと。政府は自主的な対応を「促す」だけで「要請」ではなく、あくまでも法整備までの緊急措置だとしたが、これが波紋を呼んだ。

なぜなら通信事業者によるサイトブロッキングには明確な法的根拠がなく、憲法第21条に示された「検閲の禁止」に抵触するとの見方があるからだ。

第21条
①集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
②検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

ようするに今回、政府は通信事業者に対して、憲法違反にあたる「検閲をせよ」と促したことになる。

さらに事態が混乱した理由の一つとして、政府がサイトブロッキングの根拠とした刑法の「緊急避難」と、緊急対策という文言およびその文面における「法制度整備が行われるまでの間の臨時的かつ緊急的な措置」という表現における、「緊急」という言葉の混同がある。

刑法37条が定めた「緊急避難」とは「急迫な危険・危難を避けるためにやむを得ず他者の権利を侵害したり危難を生じさせている物を破壊したりする行為」のことであり、法整備までのつなぎという意味での「緊急」とは意味が異なる。

(緊急避難)

第37条
  1. 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

ブロッキングという行為が刑法37条の「緊急避難」の要件を満たすのであれば、法整備はかならずしも緊急ではない。逆に要件を満たすと認められない場合、たとえ法整備までのつなぎ(緊急措置)だとしてもその実施は憲法第21条に反する。政府の「緊急対策」は、この両者をあえて混同させることで、批判を避けようとしているのではないか。

出版社による過大な被害申告

今回の問題の根幹は、対策以前の現状認識にある。果たして現状の海賊版サイトは、「自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難」を、緊急避難が必要なほど犯しているのかどうか、ということだ。これについて政府の緊急対策案はこう説明している。

多くのインターネットユーザーのアクセスが集中する中、順調に拡大しつつあった電子コミック市場の売り上げが激減するなど、著作権者、著作隣接権者又は出版権者(以下「著作権者等」という。)の権利が著しく損なわれる事態となっている。このままではコンテンツビジネスの基盤が崩壊し、良質なコンテンツを生み出し続けることができなくなるばかりか、主なユーザーである若年層を中心にインターネット上で健全なコンテンツを楽しむルールが失われ、インターネット上で法秩序を軽視ないし無視する風潮が蔓延するという深刻な社会的損害をもたらす恐れがある

このうち「緊急避難」に該当する可能性があるのは前段の「電子コミック市場の売り上げが激減」であり、後段はあきらかに付け足しにすぎない。問題はこの「激減」がどの程度であるか、憲法第21条に違反することをやむなしとするほど、どれほどの緊急度をもつものか、という一点にかかってくる。

被害額について政府が根拠としたのは「インターネット上の海賊版サイトに対する緊急対策(案)」の注に書かれた「被害額については、流通額ベースの試算で、「漫画村」については約3000億円 、「Anitube」では約880億 円 、「Miomio」では約250億円に上ると推計されている」という、一般社団法人コンテンツ海外流通促進機構(CODA)による推計である。なお、このCODAの企業会員として出版社では講談社、小学館、集英社の名が並んでいる。

今回の対策のためにロビイングに動いたと思われる大手出版社や電子コミック関連事業者からも、政府の決定に対する態度表明が行われ、被害を推定させるいくつかの数字やデータが示された。

講談社は4月13日に「緊急声明」をサイトで公開。ブロッキングへの態度表明は直接的には述べられていないが、「ISPや流通事業者等のご協力も不可欠です」との表現で、間接的に賛成の意を示している。

講談社の声明では以下の一文が物議をかもした。
一方、出版界ではコミックに限ってもこれまでに数兆円規模の被害を受けたと試算されています。この状態が続けば、コンテンツ産業は立ち行かなくなります。

「これまでに」との断りがあるものの、成長著しい電子マンガ市場でさえ2017年度で1711億円、紙と電子を合わせても3377億円にすぎない市場規模に対して「数兆円」の被害は過大申告ではないかとの批判を浴びたのだ。ちなみに日本の出版市場は全体でもわずか1兆6000億円弱(2017年)である。

集英社も同じく4月13日に「緊急声明」を発表した。ここでもブロッキングそのものには言及していないが、政府の対策を「大きな前進」と評価している。しかし「緊急避難」の前提となる被害額の具体的な明示はなされてない。

拙速な「緊急対策」がもたらしたもの

電子マンガの流通に関わる大手事業者メディアドゥホールディングスは、4月13日に「インターネット上のマンガ等に関する海賊版サイトの影響と思われるマンガ出版事業、電子書籍流通事業に関する被害状況」をとりまとめて発表した

メディアドゥホールディングスのプレスリリースより。ちなみにこのグラフのキャプションには、「若年層向け電子書店売上は海賊版サイトの利用者数が増加した2017年9月以降に伸び率が急激に低下」とある。

このグラフからは2017年後半以後、電子マンガの売上に大きな変化が起きていることがたしかに見て取れる。ただし、このグラフは「伸び率」を示したものであり、電子マンガの売上が海賊版によって「減少」した事実はない。伸び率が150%から110%まで鈍化したことを、刑法37条のいう「緊急避難」の要件としうるかどうかは、判断が分かれて当然だろう。すくなくとも政府が「緊急避難」の理由として挙げた「電子コミック市場の売り上げが激減」という文言は誤りである。

こうした政府とコンテンツ業界からの圧力に対して、通信事業者側は一斉に強く反発した。インターネット接続事業者(ISP)の業界団体である、一般社団法人 日本インターネットプロバイダー協会(JAIPA)は、政府の発表に先立つ12日、「海賊版サイトへの対策として政府がブロッキング(接続遮断)を要請することについて」という声明を発表し、政府がそのような「要請」をしないよう強く求めていた(13日に政府が発表した対策が「要請」から「自主的な対応を促す」にトーンダウンしたのは、この声明の影響があるかもしれない)。

そうしたなかで、通信事業者最大手のNTTグループが、4月23日になって「インターネット上の海賊版サイトに対するブロッキングの実施について」を発表したことには驚かされた。

NTTコミュニケーションズ株式会社、株式会社NTTドコモ、株式会社NTTぷららの3社は、サイトブロッキングに関する法制度が整備されるまでの短期的な緊急措置として、海賊版3サイトに対してブロッキングを行うこととし、準備が整い次第実施します。

しかしこれは「短期的な緊急措置」という文言からもあきらかなとおり、刑法37条のいう「緊急避難」の要件を勘違いしており、実施されれば憲法違反との司法判断が下る可能性がある。政府の緊急対策はこのような大きな勘違いを生みかねないほど拙速かつ、根拠薄弱なものだった。

紙から電子への「付け替え」の成功ゆえに

なぜ、このような混乱を招きかねない対策が、この時期に「緊急」になされなければならなかったのか。そして大手出版社は、なぜ自らの存在意義(「表現の自由」)を放棄するかのような緊急声明を相次いで行ったのか。あらためて出版界側の事情を考えてみたい。

そもそも日本の「出版業界」は一枚岩ではない。3500社程度あるとされる出版社のなかには、雑誌出版社もあれば書籍出版社もある。いわゆる「一人出版社」もあれば従業員が千人に迫るところもある(講談社は2018年4月時点で924人)。

この業界が極端なピラミッド構造を形成していることはよく知られており、その頂点をなすのは講談社・集英社・小学館(いわゆる音羽・一橋)をはじめとするマンガ雑誌を発行する出版社である。日本の津々浦々にある1万店を超える書店は、これらの大手出版社が発行するマンガ雑誌やマンガ単行本(コミックス)の販売端末として整備されてきたといっても過言ではない。

大手出版社がここ数年、積極的に取り組んできた電子マンガ事業は、紙の雑誌やコミックスを前提としてきた従来の出版流通システムを、インターネット上に付け替えようとする一大プロジェクトだったといえる。東日本大震災後に行われた「コンテンツ緊急電子化事業」で電子化されたコンテンツの多くがマンガだったことも、こうした「付け替え」への意欲を強く感じさせるものだった(そしてここでも「緊急」という言葉が恣意的に使われた)。

つまりいま、日本の出版業界はその流通システムを、電子マンガを軸に大きく変更しようとしている最中なのだ。マンガ単行本(コミックス)における紙とデジタルの比率の逆転が示すとおり、その「付け替え」はきわめて上首尾に推移してきた。あまりにも成功しすぎたと言っていいかもしれない。

それほどまでに急いでデジタルシフトを進めている矢先に、降ってわいたように起きた「漫画村」をはじめとする海賊サイトの台頭は、大手出版社の立場からすれば、もっとも望ましくないものだった。売上減ではなく「伸び率の鈍化」であっても、彼らにとっては生死を分けるほどの出来事だったのだ。

出版界全体で考えても、ことはマンガの問題にとどまらない。大手出版社の経営が電子マンガの成功いかんにかかっているだけでなく、書店や取次といった流通システムの再編も電子マンガの今後にかかっているからだ。

マンガ雑誌やマンガ単行本(コミックス)といった巨大部数の商品が流通する機会が減れば、当然、それらに依存してきた中小書店の経営は悪化する。「マンガの隙間に書籍を乗せて運ぶ」といわれてきた、書籍流通の自立という課題も浮上するだろう。

もちろんこれは海賊サイトが存在せず、正規版の電子マンガがいっそう普及した場合でも起きうることだ。そのとき大手出版社が書店や取次に対してどのような対処を考えているのかは想像するしかないが、海賊版サイトによって電子マンガの普及が阻害されることは考え難く、むしろ書店の衰亡は助長されるだろう。その意味では「漫画村」のような海賊版サイトへの読者の流出は、たしかに出版界全体を揺るがす大事件なのだ。

中小出版社も交えた議論を

それにしても――である。繰り返すが、憲法第21条は「通信の秘密」を守ることだけでなく、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」を定めたものだ。検閲は通信に対してだけでなく、もちろん出版物に対しても許されない。出版をはじめとする「表現」と、「通信」とはそもそも表裏一体の関係にあるし、いわゆる「電子書籍」の普及以後は、これまで以上に不可分の関係になりつつある。

したがって出版産業の今後を長期的に考える上で、通信事業者をはじめとするウェブやネットの専門家と出版業界のコラボレーションは欠かせない。にもかかわらず、ブロッキングという問題に対する、通信事業者と出版事業社との間の温度差がこれほど埋まらないことに、私は絶望的な思いがする。

経営の根幹をなす電子マンガの売上の短期的な「伸び率の鈍化」に慌てて政府を動かし、憲法違反直前まで突き進んでしまった出版業界は、マンガ雑誌やコミックスを出版していない中小の文芸系・学術系・ビジネス系などの出版社もまじえて、この問題をあらためてもういちど議論すべきではないか。

公共図書館における新刊本の貸出問題や、グーグルのBookSearch、さらには民間業者による「自炊」代行をめぐってあれほど熱心に議論した文芸系の老舗出版社が、今回の緊急ブロッキング問題について何もコメントしていないことも気にかかる。「漫画村」にはマンガだけでなく、小説や実用書のコンテンツも掲載されていた。そうした本を出す出版社にとっても、決して他人事ではないはずだ。

さいわい、いま「漫画村」は休止状態にある。しかし、「ネット上でなるべく安く簡便に本を読みたい」という読者のニーズに答える合法サービスは、いまだに供給が十分でない。「表現の自由」という出版の根幹を守りつつ、そうしたサービスを出版界がみずから生み出していけるのか、それとも政府の力にすがって憲法違反のおそれのある流れに棹さすだけで終わるのか。出版界はいま、本当の岐路に立たされている。

コミュニティ(Ours)の編集とデザイン

2018年4月2日
posted by 仲俣暁生

クラウドファンディングによる出版プロジェクトが進められていた、故・渡辺保史さんの遺稿集『Designing Ours:「自分たち事」のデザイン』がようやく完成し、先週末に私の手元にも本が届いた。この本は2011年から2012年にかけて渡辺さんが執筆していた単行本用の未定稿を編集し、事前予約制により限定出版したもので、一般向けに市販されることはないという。そこで渡辺さんと多少なりともご縁があった者として、この本に込められた故人の思いを受け止めつつ、自分なりの感想を綴ってみたい。

「情報」のデザインと編集

渡辺保史さんは、「情報デザイン」という言葉を自身の活動の中心に置いていた研究者/教育者である。最初に渡辺さんとお会いしたのは、彼がフリーランスのライターとして活動をしていた頃で、私は1990年代に刊行されていた最初の「ワイアード日本版」(現インフォバーンの小林弘人氏が編集長)の編集部にいた。

その後、私は「本とコンピュータ」という出版プロジェクトに参加し、同誌のオンライン版編集長という役割をまかされた。その頃に、渡辺さんも深く関わっていた「ビジョンプラス7」という情報デザインの国際会議にも招いていただいた。当時のウェブサイトで確認すると、私は「オンライン雑誌編集の現場から」という題で講演をしている。

渡辺さんはその後、郷里の函館に戻り、公立はこだて未来大学を活躍の場所とするようになった。そのことは私も知っており、2001年に出た『情報デザイン入門――インターネット時代の表現術』(平凡社新書)も読んだが、直接のやりとりは途絶えていた。交流が復活したのは、東日本大震災後の2012年のことだった。私はこの「マガジン航」を創刊して3年目だったが、このサイトに気づいた彼のほうから連絡をしてくれたのだった。

渡辺さんは仕事の場が北海道大学に移ったことで札幌に居を移しており、そこで知り合った堀直人さん(NPO法人北海道冒険芸術出版代表理事、現在は江別市議。本誌にこの記事を寄稿)を私に紹介してくれた。堀さんは北海道で「地域を編集する」という考えのもと、非営利団体による出版活動をしていた若者で、「札幌ブックフェス2012」の一環として企画したトークイベントの登壇者として私を招いてくれた。このイベントは「これからを「つなぐ」ものたちへ 〜創発する場と本とメディアたち、編集の可能性〜」として行われ、渡辺さんはこのとき私の話の聞き手役をつとめてくださった。

渡辺さんとご一緒した二度の催しのことをあらためて思い起こすと、本や雑誌の「編集」という行為をより広い意味へと拡張するよう促されていたことがわかる。「情報デザイン」という言葉は、そのためのフックだったのではないか。

その後も渡辺さんが東京に来られるたびに、なんどかお会いする機会があった。そのとき彼は、今回本のかたちにまとまった、『情報デザイン入門』の次の自著の予定を話していた。「自分たち事」という言葉も、そのときにはすでに伺っていたように思う。だから2013年6月に志なかばにして彼が急逝したのは、本当に残念だった。これからもっともっと、いろんな仕事を一緒にできるものと思っていたのである。

メディア+コミュニティ=情報デザイン

ところで、「情報デザイン」という渡辺さんのキーワードは、必ずしもわかりやすいものではない。『情報デザイン入門』の副題にあるとおり、インターネット時代におけるウェブのデザインのあり方を入り口に、その先にあるコミュニティ(ハワード・ラインゴールドのいう「ヴァーチャル・コミュニティ」)までを視野におさめた言葉だが、いまなら「コミュニティデザイン」と表現したほうが、彼がやろうとしていることは分かりやすいかもしれない。

笑い話のようだが、多摩美術大学には「情報デザイン学科」があるのに対して、武蔵野美術大学には「デザイン情報学科」がある。カレーライスとライスカレーの違いと同じくらい両者の違いはわかりにくいのだが、これも不思議な縁で、私は武蔵野美術大学のデザイン情報学科で十年以上、非常勤講師として書物論を教えている。そんな私が、渡辺さんのしてきた仕事の意味を深く理解するようになったのは、東日本大震災以後のことだった。

武蔵野美術大学では、紙の印刷物を前提に考えられてきた本の諸制度(さまざまな種類の書物、書店、図書館など)が、デジタルネットワーク時代にどのように組み代わるのかを主に考えてきた。東日本大震災後はそこに(広義の)「コミュニティ」という軸が明確に加わった。「コミュニティ=Ours(自分たち)」の「情報」をデザインすること、と整理すればいいだろうか。

私自身の関心も、この頃から「紙のメディアが電子化する(=情報化する)」という移行プロセスより、その移行がすでにかなり進み大きく変化してしまった社会のなかで、(紙、電子を問わず)メディアはどのような役割をはたすべきか、ということへ向かうようになった。日本各地で発行されているローカルメディアへの関心もそこから来ている。

そのときのメディアとは、本や雑誌、あるいは通信/放送のようなメディア媒体に限られない。たとえば図書館や書店、あるいはカフェやコワーキングスペースのような場所も一種のメディアである。いや、むしろ今後はそれらの場所こそ、ネット環境と共存しつつ、メディアとしての役割を大きく担うようになるのではないか。そうした問題意識が自分のなかで強くなってきたのだ。

サードプレイスを「場所」から「関係」へひらく

今回の遺稿集『Designing Ours:「自分たち事」のデザイン』には、オルデンバーグの有名な「サードプレイス」という概念が出てくる。家庭とも職場ともことなる、インフォーマルで開かれた場としてのサードプレイスへの期待は、日本でも高まりつつある。しかし、さらに重要なのは物理的な「場」としてのサードプレイスではなく、そこにおける人間関係のネットワークのほうだろう。

「自分たち事」をデザインするとは、企業とも家族ともことなる論理で動く人の集まりやネットワークが、次の時代を動かす実質的な力になるという確信のもと、その力を引き出すための中心的な方法論を表現したものだ、と私は理解した。

私自身もフリーランスの編集者として仕事をするかたわら、ここ数年の間に、いくつかの組織や団体とプロジェクトを行う機会が増えてきた。そのときの主体やパートナーは出版社や大学の場合もあれば、書店や図書館の場合もある。一般企業の場合もあれば、NPO法人や学会の場合もある。町内の商店会や、まったくの手弁当で個人がはじめた小さなプロジェクトの場合もある。以前は明確にイメージできなかった「コミュニティを編集する」とか「地域を編集する」といったことが、すでに自分の仕事の大きな部分を占めていることにあらためて気付かされた。

こうしたケースでは、「編集」という仕事の役割が渡辺さんのいう「自分たち事」のデザインとかぎりなく接近していく。肝腎なのは、プロジェクトにかかわる各メンバーが立場の相違を超えて、そのプロジェクトを「自分たち事」としてとらえられるようにすることであり、そのためのファシリテーションであることを、私自身もこれらの経験を通して理解していったのだった。

もちろん、こんなことは渡辺保史さんにはとっくにわかっていただったろう。ようやくここまでたどり着いた私は、渡辺さんともっと、その先について話をしてみたかった。今回出版された『Designing Ours:「自分たち事」のデザイン』という本には、未完で残された章がいくつか残されている。その空白を埋めるのは、彼の仕事に多くの刺激を受けた私たちの仕事(Ours)である。

第2回 全米最大のチェーン書店、バーンズ&ノーブルの苦闘

2018年3月27日
posted by 大原ケイ

次々とオープンするアマゾン書店が話題を集め、インディペンデント書店のリバイバルが謳われる一方で、ネガティブなニュースばかりが聞かれるのが全米最大のチェーン書店、バーンズ&ノーブル(B&N)の先行きだ。

今年2月に全米600店あまりで働く全従業員1万2000人のうち、1800人のスタッフを解雇したというニュースは日本でもメディアの多くが取り上げた。これは昨年のクリスマス商戦の結果を受けたものと考えられている。前年比で店舗の売上げがマイナス6.4%、BN.com(オンライン書店)がマイナス4.5%と不振だった。

だが、スタッフ数は2009年をピークに年々減少しており、とくに2016年にはB&Nが展開するEブックであるNook(ヌック)部門を大幅縮小したため、この際に5000人がレイオフの憂き目にあっている。Nook部門は日本でも電子書籍元年と言われた2010年から2012年までは年商1億ドルを上げた好調な時期もあったが、その後6年で13億ドルの累積赤字を出している。全体の数字でもB&Nは2013年以降、ずっとマイナス成長が続いているのが実情だ。

B&Nはこのまま衰退を続けるのか、方針を変換して再び浮上することができるのか。社運をかけた新しい試みとしてレストラン併設のプロトタイプとされる店舗がニューヨーク郊外にも一店あるので出かけてみた。ここは書店内にカフェがあるのではなく、酒が出されちゃんとした食事ができるレストランがあるという。

本格的なレストランを併設したプロトタイプ書店

イーストチェスターというNY郊外の町にいくつもあるモールの一角にその店はあった。エンクローズド・モールと呼ばれるアメリカの典型的なショッピングセンターで、同じ敷地内にデパート、家具店、服飾店、ワインショップやカフェが同じビル内で長屋のように連なり、横に長い駐車場を挟んで車道に平行に走るテラスを客が行き交う。

見慣れた深いグリーンの地のロゴとは違う「バーンズ&ノーブル キッチン」という表札に出迎えられたそのモールの一角に入ると、右手にレストラン、左手に書店が広がる。郊外の店舗だけあってかなり広い。都市部の店舗のようにエスカレーターでつながれたフロアに分かれているのではなく、見渡したそのスペースに全部収まっている。

店内を歩くとまず、棚の作りがアマゾン書店と酷似していることに驚かされる。マンハッタンで見慣れた、天井まで届くような背の高い本棚の代わりに、上段でも背表紙が読めるほどの高さの棚が広がり、面陳の本が多いディスプレイの仕方だ。そして棚と棚の間のスペースがゆったり取られ、ベビーカーを押しながらでも回れそうだ。

昨今は本以外の商品が多すぎると揶揄されることも多いB&Nだが、プロトタイプ店では本棚より低いディスプレイで控えめに見える。他の店舗で仕入れが荒くなった雑誌の棚も充実しており、音楽コーナーではCDの代わりにレトロなLPが並んでいる。

丸い大きな照明器具で天井窓を模した中央のスペースにおいてあるソファで寛ぎながら無料Wi-Fiにつなげて、いわゆる”ノマド”作業ができるスペースも設けてある。これまでのB&Nの店舗と比べると、本は回転率重視で選ばれているようだ。

書店にレストランを併設する意味

せっかくだからここで早めの夕食をとることにする。支払いの済んでいない本は持ち込めないが、本を立ち読みする人を眺めながら食事をとれる。メニューを見ると、いまニューヨークで流行りのアボカドトーストやケールサラダに加えて、テーブルでシェアするためのワカモレやフムスがあるので、形容するならお洒落目のカジュアル、といったところか。アントレにはハンバーガーやパスタも並んでいるが、高くもなく安すぎず、良心的な値段設定だ。そして書棚が見えるバーからワインやビールも注文できる。何よりもカトラリーやグラスにちゃんとお金をかけている印象だ。席数は50ほどで、奥まったスペースなら書店に出入りする人通りも気にならない。

食事をしながら、書店にレストランを併設する意味を考えてみた。サンドウィッチやマフィン中心のカフェではなく、きちんとナイフとフォークを使って食べるようなメニューなので、バーカウンター以外で本を持ち込んで読みながら食べるのはムリがある。アメリカの本は文庫本のように片手で、というわけにはいかない。どちらかを「ついでに」消費して、本の売り上げを伸ばそうと言うには無理があるように見える。

そもそも、ショッピングモールを訪れたのも久しぶりだ。アメリカでは2008年のリーマンショック以後、こういったモール、つまり大衆向けデパートや小さな店を集めて一つの建造物となっているショッピングセンターの数は減り続けている。現在では全米に約1100店あるが、これからの5年でその20〜25%が倒産し、すでに櫛の歯が欠けたように空き店舗が目立つロケーションから破綻するリスクを抱えているという。

理由は様々だが、経済的な格差の拡大で中産階級層が減っていること、ウォルマートやターゲットといった、一店舗で生活の全てがまかなえる大型リテイラーの台頭、そしてネットショッピングももちろんその一つである。

B&Nでいただく食事は文句なく美味しかった。アメリカでこの値段で、ポーションもそこそこ、まさにカジュアルダイニングと位置づけていいだろう。そういえば、いままでモールの食事といえば、フードコートに集められたチェーン店の出店ばかりで、ファストフードと変わらないレベルだった。昔はティーンエイジャーから、年金暮らしのお年寄りまでがモールで時間をすごしていたのに、いまではわざわざモールに出かけてショッピングするのは、時間的金銭的に余裕のある人たちだろう。

もし、B&Nにレストラン併設がデフォルトになったら、ついでに食事もできるから、モールに行こうか、ということになるかもしれない。このまま全米のモールが衰退しないで済むような、策を何か講じることができたら、という前提での話だが。

ブッククラブなど店舗以外の施策も

このままレストランが併設されているB&N店舗が増えていく保証はない。というのも、元々この新しい試みを始めたレストラン担当部長はすでにいないからだ。2013年にIT系企業の出身だったウィリアム・リンチCEOが、Nook部門大赤字の責任を取って解任されてからの4年で3回も社長が交代している。それまでの肩書がケーブルテレビのCFOだったり、カナダの家電製品量販店シアーズの社長だったり、といった経歴のCEOを迎えたが、いまCEOを務めているのはオフィス用品小売り大手のステイプルズから引き抜かれてきたデモス・パーネロで、まだCEOに就任して2年めだ。

CEO不在の間は会長のレン・リッジオが臨時CEOを務めるなど、小さな街角の本屋さんが、跡継ぎがいなくて店をたたむのと同じ「後継者不在」で、全米一の大型チェーン書店も藻掻いている。

その間にも、株主に物申す投資会社として知られるサンデル・アセット・マネジメントがB&Nに「身売りをしろ」と働きかけている。B&Nの株価は2006年のピーク時には32ドル近かったのが、いまや4.50ドル前後で推移しており、時価総額も3億2750万ドルほどしかない。リストラ以外に株価を押し上げるような動きがないので、このまま株価が下がれば、レン・リッジオ会長が株を買い戻し、上場を取りやめるつもりなのだという話も聞く。

とはいえ、株価下落に対して何もせず手をこまねいているわけではない。たとえば、全店舗共通の「ブッククラブ」を始めるというのもその一つ。最初の本はメグ・ウォーリッツァーという小説家のThe Female Persuasionであることが発表されたばかりだ。

ブッククラブとは、全米で632あるB&Nの店舗に一斉に集まって、皆で同じ本を読むという催しで、初回は5月2日に開催される。他にも、”Less is More”をスローガンにした、床面積、在庫ともに小規模店舗のプロトタイプを今年中に5店舗オープンし、専門知識のある少人数のスタッフでまわす計画を立てているという。もっとも、これでアマゾン書店のような店がさらに増えるとしたら皮肉なことだが。

店舗以外では、オンラインショップの本を遠い巨大倉庫から発送するのではなく、近場の店舗から配達あるいはピックアップできる、ship-from-storeと呼ばれるオムニチャンネルの配送インフラを準備している。電子書籍のNook部門も見限ったわけではなく、Nook Glowlight 3という新型端末をリリースして、今四半期で初めてNook事業が黒字になった。

先日、カリフォルニア南部のヴェンチュラという町で、B&N店舗内で意識不明の男性が見つかり、その後死亡が伝えられるニュースがあった。だが、だからといってその店を閉めたという続報も聞かない。老舗ならではのタフさで度重なる逆境を乗り越え、B&Nは今日も本を売り続けているのである。

その後の「本で床は抜けるのか」

2018年3月19日
posted by 西牟田靖

最初の床抜け騒ぎから6年、「マガジン航」での連載をまとめた単行本が出てから3年がたった。そしてこのたび、中央公論新社から文庫版が出ることになった。各章ごとに新しい情報を加えて更新したり、その後の動きについて記した「文庫版に寄せて」を加えたり。さらには作家・探検家である角幡唯介さんによる解説が加わったり。アップデートされた文庫版『本で床は抜けるのか』の発売は3月23日です。お楽しみに![編集部より:単行本バージョンの電子版は好評発売中です]

さて、この稿では単行本刊行後の、僕の身の回りの変化について記してみたい。それは執筆という仕事に使う道具の変遷、蔵書の変遷、そして仕事をする媒体の変化についてだ。

蔵書の扱い

一人暮らしを始めたのが2014年の3月末。JR中央線の高円寺駅から徒歩圏にあった家賃4万2000円の風呂なしマンション。ここから再出発をはかろうとした。ところが、ある事情(※文庫版の「文庫版に寄せて」やこちらの記事に記しました)から、そこでの生活はわずか1年3ヶ月で終わってしまった。

いまは隣駅の阿佐ヶ谷駅近くにある家賃5万6000円の木造コーポの一階に住んでいる。一階なので大丈夫だろう、いや大丈夫に違いないと自分に言い聞かせながら、いまのところ無事に日常をすごせている。床は抜けていない。

この間に、本や雑誌の読み方がかなり変わった。

紙の新聞はとっていない。雑誌を買って読む回数はかなり減った。そのかわり、ストレートニュースはニュースサイトで読んでいるし、雑誌はdマガジンによる読み放題を利用している。

あまり買わなかった電子本(電子書籍)を積極的に買うようになった。紙の本しか出ていないものは紙版を買うが、電子版が出ている本でそれほど思い入れがないものについては、たいてい電子版を買う。紙と電子の割合は現在、半々ぐらいだろうか。

『本で床は抜けるのか』に記したように2015年までに、僕は千数百冊以上の紙の本を自炊(電子化)した(その中で業者に電子化を依頼したのは1200冊超)。それら、自炊した本はたいてい読んでいない。21.5インチのAndroidタブレットを買ってはみたが、それを使って読むことはほとんどない。というか21.5インチのAndroidタブレット自体手放してしまった。

そもそも買った本を読み直すことは、紙の場合でも、そうたくさんあるわけではない。だから気にしなくていいのかもしれない。だが、自炊して、やむをえなかったという気持ちと、やらなきゃよかったという気持ちがいまだに同居している。

紙の本を買うスピードは落ちたが、部屋の空きスペースを本が確実に侵食しつつある。おそらく数年後にはまた本でいっぱいになるだろう。だからといって、また自炊に頼ることはなるべく避けたい。どうしたらいいのだろうか。

読み手、書き手としてのデジタル化

この3年間、書くという行為においても変化があった。

いちばんの変化は音声入力で原稿を書く機会が増えてきたことだ。

『「超」整理法』で有名な野口悠紀雄氏がiPhoneでまるまる一冊書いたという本を2016年に出版している(『話すだけで書ける究極の文章法 人工知能が助けてくれる』)。また同年、山下澄人は『しんせかい』の芥川賞受賞会見でスマホによる音声入力で執筆したと話していた。

彼らの試みに便乗したわけではないが、同じ年に、音声入力での執筆を試み始めた。

思いついたアイデアをマイクに向かって喋り、AmiVoiceという音声変換ソフトやグーグル音声入力(日本語)を使ってテキストデータに変換する。そのデータを加筆修正すれば、くだけた感じはするが、文章ができてしまう。またインタビューを録音したmp3データを聞いて、それを自分でオウム返しでマイクに向かって発声し、文字起こしをするようになった。

AmiVoiceで音声入力したものを電子インク・ディスプレイ上で推敲していく。

音声入力を試してみてわかったのは、次のようなことだ。

・最初からキーボードで打つのに比べると、文章が冗長になるし、表現の繊細さには欠ける。
・話し言葉をニュアンスそのままで文字化できる。
・アイデアを表現するまでのハードルが非常に低くなる。「書く」という行為は毎日やっていても、そのモードまでに持って行く時間が少しかかるのだ。

ただし推敲作業に手間がかかるので、作業に取り組み始めてから完成するまでの時間は、あまり変わらないかもしれない。しかし取り組むまでの時間という点においては、体感的にだが、確実に時間を短縮できている。

ちなみにこの原稿も、 AmiVoice で音声入力したテキストを手直ししたものだ。

電子インク・ディスプレイのこと

もう一つ特筆すべき変化は、作業用画面に電子インクのディスプレイを取り入れたことだ。13.3インチの中国製ディスプレイPaperlike Proである。

文字入力に対する反応速度は液晶に比べるとはるかに劣る。しかもモノクロ。写真や動画を映し出すのには向いていない。だが文章を書く分にはこれで十分だ。それに何より、目が疲れないのが良い。

液晶ディスプレイでも明るさや鮮やかさを抑えることで、目の疲れを軽減はできる。それでも画面をずっと凝視して丸一日仕事をした後は、目を開けていられないぐらいに疲れてしまう。この電子インク・ディスプレイは低性能ではあるが、長時間、凝視していても目はさほど疲れない。文章を書くのには向いている。

僕も40代後半となって老眼が進んできている。こうしたディスプレイを使って、目の疲れを残さないようにしていきたいと思っている。

媒体の変化

もう一つ、ここ3年の間に変わったのは、発表の場の大部分がネット媒体になったことだ。

紙媒体に比べると原稿料は3分の1程度なので、労力のかかる取材だと正直なところ割にあわない。そのかわりに紙媒体のような文字制限や厳格な締切日というものがなく、企画が非常に通りやすい。これまでだとボツとなっていたネタが、次から次へと発表できるという点で助かるし、お陰で新規に連載をいくつか持つことができた。

[別れた夫にわが子を会わせる?] https://goo.gl/1TRknP
[極限メシ] https://goo.gl/gMo6eU

思いついたらすぐに書きすぐに発表できてしまう、こうした媒体が増えてきたのは悪くはない。原稿料が安いので、マシンガンのように打ち続けなければならないけれども。

このように、読んだり書いたり発表したり――日々発展するデジタル技術にあわせて、仕事の仕方をカスタマイズしながら、活動をしている。今後もよりよい執筆方法を自分なりに模索していくつもりだ。


※3月21日に『本で床は抜けるのか』文庫版の発売記念イベントを東京・下北沢の本屋B&Bで行います。みなさまふるってご参加下さい。

「物書きにとっての蔵書と家族」〜『本で床は抜けるのか』文庫版刊行記念

日時 :2018年3月21日(水) 19:00~21:00
会場:本屋B&B(東京都世田谷区北沢2-5-2 ビッグベンB1F)
出演:西牟田靖(ノンフィクション作家)
東海晴美(編集者・「晴美制作室」代表)
仲俣暁生(編集者・「マガジン航」編集発行人)

※イベントの詳細、参加申し込みはこちらをご覧ください