アイヒマンであってはならない

2019年12月6日
posted by 仲俣暁生

今月のエディターズノートを書くのはとても気が重かった。題材は早くから決めていた。永江朗さんが『私は本屋が好きでした――あふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏』(太郎次郎社エディタス)という本を出したことを知り、すぐにこれを取り上げようと考え、すでに読了していた。

しかし読了後、うーむと考え込んでしまった。

この本は、自身でも書店員の経験があり、専業ライターとなった後は長年にわたり全国の本屋に足繁く通い続けている永江さん(私も書店の店頭で何度もお会いしたことがある)が、本屋に対して「好きでした」と過去形で語らずにはいられない昨今の状況についての、渾身のルポルタージュである。

中心的な話題は「ヘイト本」だ(もっとも、この言葉を使うにあたり永江さんはいくつか留保をつけている)。いわゆる「嫌韓・反中」、つまり近隣諸国に対する排外主義的な考えを明示的に、あるいは暗黙のうちに主張する出版物のことである。いつの頃からか、「町の本屋」ともいうべき小さな書店の店頭に、こうした内容の本が大量に並ぶ様子を見かけるようになった、と永江さんは言う。

私自身の経験をふりかえっても、個性的な品揃えが好きな私鉄の駅前店でもよく見かけるし、いまは閉店したが、ターミナル駅の人通りが多い場所に出店していたチェーン書店では、あたかも主力商品と思えるほどの展開ぶりだった。日本を代表する大型書店でもその姿はかなり目立つ。

「ヘイト本」はなぜ店頭で目立つのか

そうした風景をみて、私自身は「この手の本はきっと手堅く売れるんだろうな」とは思うものの、あまり気に留めずにいた。本屋の店頭には自分の好み以外の多様な本が置いてあるのが当然だし、本を売ったり買ったりということは、その本の内容に賛同したり支持したりすることを、必ずしも意味しないからだ。

永江さんもそのことは理解しているので、こうした状況についてどう考えるべきか悩む。そして、やはりそれは問題だと結論づけるのだ。この本の「すこし長いまえがき」にある次の言葉が、その理由をうまく説明している。

本屋という仕事は、ただそこにあるだけで、まわりの社会に影響を与えることができるものなのだ――本屋を取材するようになってまもなくのころ、ヴィレッジヴァンガード創業者の菊地敬一さんからきいた言葉です。そのころのヴィレヴァンはまだ名古屋市と豊橋市に数店あるだけの経営規模でした。みずからの影響力に無自覚な本屋は本屋とはいえない。わたしはそう考えながら本屋の取材を続けてきました。

永江さんにとって本屋の取材は、文字通りのライフワークだ。ところがいま本屋について語ろうとすると、どうしても「ヘイト本」を話題にせざるを得ない。その状況自体にうんざりするが、目をそむけるわけにはいかない。そこで永江さんは、出版業界に「あふれるヘイト本」を「つくって売るまでの舞台裏」を、書店から取次、出版社と川下から川上に遡るかたちで取材し、その構造を明らかにしようとしたのである。

「町の本屋」の経営者たちの座談会、それより大きな規模のチェーン書店の事情、さらに取次、出版社、編集者、ライター……と、「ヘイト本」の流通と製造の工程を遡って関係者の声をあつめたのが第1部で、書店員のなかには匿名での発言者もいるが、基本的にはみな実名で、「ヘイト本」の編集制作から販売までの実態について語っている。2015年の初夏に取材が始められたため、いまとなってはやや古くなってしまった部分に対しては、あらためて直近のコメントがとられている。

つづく第2部では、こうした取材結果を受けて現在の出版業界に対する永江さんの状況分析が行われる。再販制度と委託制度の一体的運用という日本独特の出版流通システムは、高度成長からバブル経済期を経て、1990年代の半ばまではきわめてうまく機能していたが、その後の20数年は弊害のほうが目立つようになる。「ヘイト本」が生み出され、小さな書店の店頭で目立つようになったのは、そうした本が強く求められているからではなく、こうした構造が招いた一つの象徴的な出来事だ、というのが永江さんの見立てだ。

「書店員」のいない、「作業員」だけの書店

取材を受けた人々の個々の発言や、それを受けての永江さんの推論の道筋はぜひ、じっさいにこの本を読んで確かめていただきたいが、私がショックを受けたいくつかの言葉を紹介しておきたい。

ひとつは、「徹底的にランキング重視の書店チェーン」に在籍していたSさんという方が語る、「あの店に書店員はいません。いるのは作業員だけです」という言葉だ。もうひとつは、第2部の冒頭で永江さんが記した、「出版業界はアイヒマンだらけ」という言葉である。

この二つは同じことを指している。書店だけでなく、取次にも出版社にも、ハンナ・アーレントが『エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告』で論じたナチ高官アドルフ・アイヒマンのように、自ら思考することを放棄し、与えられた課題を唯々諾々とこなすだけの「作業員」となってしまった者たちがいる、と永江さんは言うのだ。

しかし、そうした者たちの「悪意なき」作業は結果として書店の店頭に「ヘイト本」が日常的に並ぶ風景を生み出してしまう。

永江さんが引いた、ヴィレッジヴァンガード創業者の「本屋という仕事は、ただそこにあるだけで、まわりの社会に影響を与えることができるものなのだ」という言葉は、そうなるとまったく逆の意味をもつようになる。本屋に「ヘイト本」が並ぶ風景は、その場合も社会に対して影響を与える。書店の店頭だけではない。公共交通機関や新聞、ネット上などで流布する出版広告も社会に影響を与える。しかもそれは、往々にして「悪意なき」行為の結果なのだ。救いがたい状況というしかない。

だから今回のエディターズノートを書くのが「気が重い」理由は、本屋の店頭に「ヘイト本」がのさばる状況そのものではない。日本の出版産業が、働く者たちの自主的な思考や判断ではなく、「作業員」としての労働に委ねられた状況に陥っていること――永江さんの表現を借りれば――「アイヒマンばかり」になってしまったことが、気を重くさせるのである。

もちろん、これは相当に強い言い方だ。現実には、出版物にたずさわる現場では日々、さまざまな努力と試行錯誤が行われている。「アイヒマン」には本の出版企画を立てることも編集することもできないし、流通業務のなかにも創造性はあるだろう。いま世に出ているすべての本のうちで「ヘイト本」が占める割合も、全体からみればごく一部にすぎない。それでも永江さんは、「ただそこにあるだけで、まわりの社会に影響を与える」という本屋の力を信じるからこそ、「ヘイト本」の存在を問題視するのだ。

本屋と民主主義

「マガジン航」では3年前、「本屋とデモクラシー」という記事を掲載した。これは永江さんの本でも重要な役割で登場する、ジュンク堂書店の福嶋聡さんの『書店と民主主義――言論のアリーナのために』(人文書院)という本をきっかけに書いた記事だった(のちに関連するトークイベントも実施した)。

この本のなかでも、書店が「ヘイト本」をどう扱うかということが論じられている。福嶋さんの考えは明快であり、それは書店は「多様な意見が競い合う闘技場(アリーナ)であるべき」というものだ。しかし、そうした多様性を担保できるのは大型書店のような、力のある本屋に限られると永江さんは考える。小さな「町の本屋」にまで、それを求めることは難しい。規模の大小だけでなく、来客とのコミュニケーションやマーケティング能力といった、書店員の力がなによりも求められるからだ。

出版業界でも、雑誌流通の規模縮小によって書籍流通がこれまでより高コストになっていく事態にあわせて、いわゆる「パターン配本」(書店員の自主性を必要としない供給システム)を見直し、「プロダクトアウトからマーケットインへ」という掛け声のもと、書店現場の自主的な判断に応じた出荷体制を整える動きがようやくでてきた。これはよいことだろう。

しかし、日本にある多くの書店が「作業員」によるオペレーションを前提に経営されているとしたら、書店現場の混乱はかなり長期にわたるだろう。「ヘイト本」はその間、むしろ「マーケットイン」の消極的な結果として増殖していきかねない。

ではどうしたらよいのか。すでに小規模出版社の多くは、「セレクト型書店」「個性派書店」などと呼ばれる、自主的な仕入れと品揃えができる小規模書店との間で、効率よく本が売れるマーケティングの仕組みをつくりあげている。インターネットとSNSという仕組みは、ニッチな読者を対象とする本に対しては、むしろ追い風になっている。出版不況と言われる時代になってから、「一人出版社」や「個性派書店」が次々と生まれていることが、そのなによりの証拠である。

その一方で、大量生産・大量消費の商品として設計された初刷部数の大きな出版物、たとえば「雑誌」的な性格をもつムックや、需要に関わりなく一定点数を定期刊行しなければならない文庫や新書のシリーズ等は、大いに苦戦を強いられている。マンガやファッション誌を中心事業としてきた大手出版社の活字部門や、週刊誌を出しているような老舗の文芸出版社はこうした書店状況の変化によって、専門出版社以上に大きな打撃を受けているようにみえる。

本屋の消滅は、本の高価格化と社会の分断を促す

私が「気が重い」理由をさらに述べるならば、この流れの先にあるのが本の世界の縮小、あるいは全体としてのニッチ化をもたらすように思えるからだ。

本の価値や意味についてきわめて鋭敏な感覚をもつ一部の書店や出版社だけが生き残り、「作業員」とまでいかずとも、漫然と本をつくったり売ったりしてきたプレイヤーは退場を迫られる。それは仕方がないことかもしれないが、本の読者もまた、そのときに大衆性を失い、専門的な知見をもつニッチな読者だけになってしまうのではないか。それは結果的に出版物の価格を押し上げ、やがて本はニッチな読者にも購いきれないものになるかもしれない。

自動的に本が上流から下流まで流れてくる現在の出版流通システムは、いわば物理的なかたちをとった「放送」(別の言葉でいえば「配給」)のようなものだった。本屋の店頭はその意味で、テレビやラジオの受信機と同様の「メディア」でもあった。大量生産・大量消費を前提とするこのシステムは、他の分野におけるそれらと同様、20世紀というマス(大衆)の時代に即して設計され、きわめてうまく機能した。

しかし新聞も放送も、21世紀にはそのあり方を根本から問われている。出版もいま、まったく同じ問題に直面しているのである。だからこそ、永江朗さんが紹介した先の言葉は重要だと私は思う。

「本屋という仕事は、ただそこにあるだけで、まわりの社会に影響を与えることができるものなのだ」

これを逆から考えると、こうなる。「本屋がないということは、そのことだけでまわりの社会に影響を与える」。「本」とのタッチポイントがSNSやネット書店だけになったとき、社会にはいまよりさらに大きな分断が生まれるのではないか。人々が気楽にローコストで多様な価値の存在に触れることができる物理的な場所としての「本屋」は、本当にこのまま失われていく一方でいいのか。よくないとしたら、そのために何をすればよいのか。

消費増税により本の価格はますます高く感じられるようになったが、本の高価格化(それは大量生産・大量消費の時代が終わったことの反映でもある)は、いっそう進むだろう。20世紀は「大衆」という人々のあり方の上に、厚みのある社会的な中間層が形成された時代であり、リベラル・デモクラシーはその中間層によって支えられていた。本のニッチ化や高価格化は、社会における中間層の崩壊の反映ともいえるし、「社会に影響を与える」ことでそれを促してしまうともいえる。

私が「気が重い」のは、出版業界がいま直面している課題が、社会全体の大きな変化と連動しているからだ。「大量生産・大量消費」という20世紀的な論理が失効しつつあるいま、それを超えて私たちは21世紀をどのような社会にしていけばいいのか。本に関わる人すべてが、そのことを考える必要がある。いつまでもアイヒマンや「作業員」であってはならない。

天気の次の話題を探して――「街の手帖 池上線」

2019年11月18日
posted by 影山裕樹

東京生まれ、東京育ちの僕自身、まだほとんど開拓していないエリアがある。その一つが東急池上線沿線だ。東京都品川区の五反田駅と大田区の蒲田駅とを結ぶ東急電鉄(東急)が運営する池上線は、15駅、約20分ほどで五反田と蒲田をつなぐ。五反田の高架は4階建て相当もあるという。この日は「街の手帖 池上線」の発行人&編集長の針谷周作さんに池上線沿線を案内していただきながら、なぜこの地域を題材に、実に31号もローカルメディアを発行してきたかについて伺った。

「街の手帖 池上線」のバックナンバー。

編集長の針谷周作さんと五反田を歩く。

日本で最初に「銀座」を名付けたといわれる戸越銀座の駅を降りると、まるで大阪にきているかのように地平線までまっすぐな商店街が広がる。比較的新しいお店が多い印象だ。一方、隣駅の荏原中延には昭和風情なアーケードが広がり、近くには文筆家の平川克美氏が店主を務め、「日本一小さな本屋」を謳う隣町珈琲がある。

戸越銀座商店街

隣町珈琲

勝海舟ゆかりの洗足池

「街の手帖 池上線」のバックナンバーを眺めていると、もちろん、蒲田や五反田の特集もあるのだが、池上線の各駅を行ったり来たりしながら、様々な角度で地域の魅力を掘り起こしているのがわかる。正直、このエリアに縁がない僕にとっては、マニアックすぎる記事が続く。洗足池公園入口のしだれ柳だとか、久が原の弓道場併設のカフェなど。

かつて勝海舟の別邸「洗足軒」があったことで知られる洗足池周辺、星新一の父親が創設した星薬科大学がある戸越銀座など、文人や著名人にゆかりのある地域であることを取り上げることも大事だが、僕がやはり好きなのは、こうしたマニアックで無銘な地域のモノ・コトを、その他の地域との比較ではなく、ただただ実直に取り上げるというやり方だ。

洗足池

地場に縁がない人間にとって親近感が湧かないものこそ、地域の人にとって真に親近感があるものなのだと思う。僕たちは自分と違うバックグラウンドを持つ人と出会うと、無意識のうちに共通言語をチューニングしながら対話している。まず最初に天気の話をして、その後マスメディアから流れてくる事件や事故などを話題にする。しかし、ローカルでマニアックな情報は話題にしても理解してもらうことはできない。実は、天気の次の話題を読者(地域に暮らす人)に提供するのがローカルメディアの価値の一つだと思う。だからこそ、「街の手帖 池上線」は池上線沿線の書店で手にとってもらうことを重要視している。

「都会―下町」というステレオタイプから離れて

それにしても、なぜこの短い路線にこだわり続けることができるかといえば、それは針谷さん自身が育ったのがこの池上線沿線だったからだ。しかし、自分が暮らす街に魅力を感じるようになったのは随分と大人になってからだという。

「自分がこの本を作り始めたきっかけは、長原の兎というスナックで、あぁこんな面白い人たちが集まっていたところだったのかと思ったこと(中略)『え、この沿線にも面白いところあるね』という衝撃が、いつも偶然なのですがポツリポツリとあり、それを発見していく喜びはありますね」(「街の手帖 池上線」20号より)

重要なのは、「都会―下町」というステレオタイプな視点で街を眺めるのではなく、少し引いた立場から、「共通言語」で塗り潰されてしまうような、地元の小さな魅力を語り出すことなのだと思う。その面白さは、地場に縁のない人たちに向けて殊勝に語り出すべきものではない。とはいえ、19、20号の座談会で取り上げられた中央線と池上線の比較などの話は面白い。こうやって東京の「下町」のグラデーションが見えてくる。坂が多いという地誌学的な視点、民族学的視点、歴史的視点からも、地域の特徴は見えてくるように思う。

昭和の雰囲気が残る荏原中延周辺は、僕の地元である板橋や北区あたりの風景に似ている。路地裏に広がる小さな飲食店の数々も、東京の様々な場所で見つけることができる風景に思う。アーケードのある商店街はまさに大山商店街とそっくりだ。僕たちは漠然と「下町風情」という言葉を使うけれど、それは「下町以外」の都会との対比としてしかイメージできてない。「下町らしくていいよね」という会話が東京のみならず大阪や神戸でも普通に交わされる。しかし、実際に神戸や大阪、東京の下町と呼ばれるエリアを歩いてみると、共通点はあるものの、まったく違う人や文化が息づいていると実感することができる。

ちなみに、11ヶ月ぶりに発行された最新号(31号)の特集は「この街はポエジーを持って歩くのが最適しい」。

「石川台駅の近くにある伊勢屋で、歯医者の帰りにお赤飯のおにぎりを買って帰るのが楽しみだ」(「街の手帖 池上線」31号より)

こういう個人的な日常や記憶から、ハレではなくケの街の風景を語り出すのが針谷さんのやり方だ。はたまた、地元ライターによる寄稿では、多摩川沿いを歩きながら、「海水と淡水の混ざり合う羽田沖は、(略)アサリやシジミが多くとれる」(同31号より)と語る商店街の居酒屋の店主の言葉がそっと添えられる。

「地元言語」が優先される情報環境をつくるには

マスメディアが東京の南側(東急沿線)や西側(中央線沿線)や、東側を開拓し、その度に街が消費されてきた。最近だと北区赤羽が観光地として賑わってきている。そうやって次はどの街を消費しようとメディアが騒ぎ立てる外側で、東京圏全体の市民に向けるのではなく、地域に暮らす人々に向けてローカルでマニアックな、無銘のモノ・コトを語り出すことの価値はいったい何だろう。

都市の多様性を担保するのは、マスメディア的視点で都市の隅々を開拓し消費して回ることではなく、そこに暮らす人々どうしで地元のネタが天気の次の話題に出てくるようにすることだと思う。そうやって、「共通言語」よりも「地元言語」が優先される地域が各地で増えていくことで、ローカルでゆるく閉鎖的な情報環境が生み出され、市民の気質や嗜好がその地域ごとに最適化され、都市全体として多様な文化が育まれるのだと考えている。

三重県津市のローカルメディア「kalas」にとても似ているな、と思った。雑誌を作ることが、この街でこれからも暮らしていく、街へ入るための「パスポート」になっている気がした。実際、針谷さんは「街の手帖 池上線」を発行するようになってから、渋谷や新宿で呑むことはほとんどなくなったという。雑誌を媒介としてコミュニティに入り込み、昨年は池上線沿線の14の書店が参加するブックフェスタも開催した。

池上線ブックフェスタ(提供:コトノハ株式会社)

日常が等身大の書き手の言葉で地道に語られていく。まるで延々と終わらないドラクエをやり続けているように、新しいダンジョン(スナックやバー)を発見しレベル上げをし続けるようなプロセスを踏むこと。そんなローカルメディアが各地に増えていってほしいと思う。2020年のオリンピックが終わった先に、確実に衰退していく東京で暮らすことの価値はなんだろう、と最近はよく考える。全国の人に伝えてもその魅力が明らかに伝わる、マスメディア受けするような、特徴的なモノ・コトを取り上げるのではなく、地道に地元のことを語り出してみたいと思う。他の地域に比べて面白い、というのではなく。池上線沿線を歩いた帰り、僕はふと、今日は地元の角打に繰り出そうという気持ちになった。

https://cotonoha.co/publication/494

「街の手帖 池上線」31号
〜この街はポエジーを持って歩くのが最適しい〜
(A5版・カラー28ページ・定価324円+税)

*池上線沿線書店を中心に発売中
twitter:@machinotechou

奥多摩ブックフィールドに行ってきた

2019年11月8日
posted by 仲俣暁生

三連休の初日である11月2日、奥多摩ブックフィールドに行ってきた。しばしば「東京の水がめ」と称される小河内貯水池(奥多摩湖)の突き当りに、旧奥多摩町立小河内小学校の建物を利用した多目的スペース「奥多摩フィールド」がある。その旧職員室と校長室を利用して昨年の春にオープンした図書館だ。正式名称は「山のまちライブラリー・奥多摩ブックフィールド」だが、以下の記事では単に奥多摩ブックフィールドと呼ぶことにする。

公式サイト内にある開設顛末記にあるとおり、ここは基本的にはプライベート・ライブラリー、すなわち個人蔵書の置き場である。主宰者の一人である「どむか」さんは私の知人であり、以前から置き場に困っている本を何人かで場所を借りて移すという話を聞いていた。

もう一つ、以前に「出版ニュース」編集長の清田義昭さんとお会いした際、同誌の休刊後、出版ニュース社に置いてある出版関連資料をこの場に移すという話も伺っていた。あらためてさきの開設顛末記を読むと、ファウンダー会員には「専門家の蔵書活用を考える会(準備室)」の方のお名前もみえる。この場所には「専門家の蔵書活用」という裏コンセプトもあるのだろう。

そんなわけでいつかは奥多摩ブックフィールドを訪ねなくては、と思っていたが、そうこうするうちに秋も更けてしまった。開館日は基本的に毎月第一土曜日だけ、しかも「どむか」さんに連絡をとると、冬季は水道管が凍るので12月から2月までは休館だという。11月2日は、この機会に行かなければ次は来年春になってしまう年内最後の公開日だった。

旧小学校をそのまま利用した空間

実際に行ってみると、奥多摩はやはり遠い。新宿駅から青梅駅まで、青梅特快で約1時間10分。青梅駅から奥多摩駅までは35分(乗継ぎのタイミングが悪いと奥多摩駅まで2時間以上かかることもある)。駅から奥多摩フィールドまで、さらにバスで約30分。所要時間だけでいえば東京・大阪間の移動とさして変わらない。そんな長い道のりを、最後は奥多摩駅からバスにのんびり揺られ、小河内ダムと奥多摩の山々が織りなす景色を堪能しつつ向かった。

峰谷橋のバス停を降りると、湖の向こうに旧小河内小学校の建物が小さく見える。

奥多摩に来るのは、小学生の頃に鳩ノ巣渓谷まで来て以来である。秋の観光シーズンということもあり、バスの乗客は思いのほか多い。小河内貯水池(奥多摩湖)のへり沿いに進むこの通りは青梅街道である。やがて赤い大きな橋が見えてくるので、それを渡る手前の「峰谷橋」というバス停で下車する。タイミングがよいとさらに近い「学校前」のバス停に止まる路線もあるが、本数は少ない。

「峰谷橋」から10分程度歩くと、旧奥多摩町立小河内小学校の建物に着く。「都内に僅かしか残っていない築60年ほどのヒノキ造りの木造校舎」というキャッチフレーズどおりの、じつに味わい深い建物である。名前が紛らわしいが、旧小学校を利用した多目的スペースすべてをひっくるめた名称が「奥多摩フィールド」であり、その旧職員室に「奥多摩ブックフィールド」がある。職員室内を見学する前に、まずは建物全体をみてまわった。

旧職員室のあたりから玄関を見たところ。外光が入り込んで明るい。

多目的スペース「奥多摩フィールド」として当時のままの教室が使われることもある。

この建物は、1957年に小河内ダムが完成して旧小河内村(合併して奥多摩町となった)がダムの底に没した際に、現在の場所に移転したものだ。移転前から数えると開校から100年以上の歴史をもつ小学校で、移築後の建物も築60年以上だが、玄関も廊下も当時の佇まいを残している。そのため映画などのロケにもしばしば用いられるという。

出版関連資料とドイツ文学者の個人蔵書

ひとまわりして戻ると、出版ニュース社の清田さんも一足先にいらしていたことがわかった。旧職員室と隣の小さな部屋には、「出版ニュース」のバックナンバーをはじめとする同社の刊行物や出版関連の本がコーナー別に仕分けられている。「悩みは湿気とカビです」と清田さん。奥多摩ブックフィールド側でもあらかじめ湿気対策はしていたが、先日の台風19号と大雨の影響で、運び込んだ一部の本にいつのまにか間にかカビが生えていたという。この日はとても天気がよく、本の虫干しにはうってつけだった。

「出版ニュース」のバックナンバー一式が置かれている。

「社史」などジャンル別に出版寒冷資料も区分けされている。

奥多摩ブックフィールドのメンバ―(主催者やサポーター)は、決められた年会費を負担することで、自分の蔵書をここに置くことができる。ひときわ目立つのは、ドイツ文学者・石井不二雄さんの蔵書だ。1980年代まで東京大学教養学部で教鞭をとられ、49歳の若さで急逝した石井さんの蔵書約2000冊がここに収められている。先の開設顛末記によれば、これらの本は「2トントラック2台で運び込まれ、200以上の段ボール箱はバケツリレー方式で棚まで」運ばれた。専門的な本が多いため、遺志を継ぐ研究者たちが丹念に整理したという。

ドイツ文学者・石井不二雄さんの蔵書についての解説。

奥多摩町のローカルメディアと出会った

個人蔵書の一部は値段をつけて売られてもいる。お土産代わりに「どむか」さんのコレクションから「台湾版BIG ISSUE」のバックナンバーを一冊買った。国内外で購入した本や雑誌を「東京最西端書店」と称して、ここで一部展示販売しているのだ。お代は、瓶に入れる。おつりはなく、その代わりに横に置いてある「おつり本」を持っていく、という原始的な仕組み。

奥多摩町にはいま、本屋が一軒もないという。旧小学校の建物は様々なイベントに用いられており、その際に訪れる人たちがこの「本屋」のお客さんである。

サポーターなどが持ち込んだ本の一部は購入することもできる。

奥多摩町公式タブロイド「BLUE+GREEN JOURNAL」が置かれていた。

このほかに気になったのは、奥多摩町公式タブロイド「BLUE+GREEN JOURNAL」というフリーペーパーだ。奥多摩町の自然環境を活かし、ローカルメディアによくある「お店紹介」や「人物紹介」にとどまらず、山間部のサウンドスケープや夜間の景観などを特集しており、デザインもエディトリアルも魅力的だ。

山間部の人口減少や高齢化はどの地域でも大きな課題であり、このフリーペーパーには若い世代町への移住定住を促すという目的があるようだ。配布場所となった奥多摩ブックフィールドがそうした課題解決にも寄与できる場所になるかどうかは、これからの利用のされ方にかかっているだろう。

* * *

最後に、この記事を書くにあたって旧小河内小学校のことを調べていたら、東京都がYouTubeで公開している昭和32年(1957年)の記録映画「東京ニュースNo.85 小河内ダム」を見つけた。この映像のなかには、ダムに沈んでしまった移設前の小河内小学校の校舎と、現在の位置に建てられたまだ真新しい小学校の姿がどちらも見える。

「専門家の蔵書活用」を含めた個人蔵書のアーカイブとしてスタートしたこの場所が、地域の記憶や記録と結びつき、未来の世代に知識をつなげる場所になってくれたらどんなにいいだろう。春になったらまた、奥多摩ブックフィールドを訪れてみようと思う。

デモのなかで生まれる香港のポリティカル・ジン

2019年10月23日
posted by 中山亜弓

香港で逃亡犯条例に反対する百万人デモが行われた6月9日、私は小出版物のイベントnot big issueに参加するため台北にいた。

さっそく「香港がたいへんなことになっているね」と、何人かの現地の知人に言うと、言葉少なに頷き少し表情を曇らせた。

一国二制度の香港と両岸問題の台湾では事情は違うが、ともに中国と緊張関係にあり、香港市民に対する理解と共感は大きいはず、と勝手に思っていたのだが、彼らの胸中は複雑だった。

台湾の蔡英文総統は早くに香港市民支持を表明したが、1987年の戒厳令解除後の民主化の歩みとともに成長した若い世代は、2020年1月の総統選で政権交代があれば親中路線に向うだろうと、後日、将来への不安を口にした。また日本で働く台湾人の友人は「状況次第では日本で仕事を続けようかな」と。香港問題を自身に引きつけて考えると、いつになく空気が重くなるのであった。

ZINE COOPとの出会い

台湾の若者たちの不安を肌で感じ、帰国後も香港情報を気に留めていたら、5月に大阪のASIA BOOK MARKETで知り合った香港のアーティストたちのコレクティブZINE COOPがFacebook で、早速、反逃亡犯条例デモに関するzineをいくつか紹介しているのを見つけた。

ZINE COOPのウェブサイト。「独立出版物」とはインディペンデントな出版物のこと。zineのことは「小誌」という。

ZINE COOPは2017年に設立されたアーティストたちのコレクテティブで、zineに関する情報を共有し、展示やワークショップを開催し、世界各地のアートブックフェアやzine フェスにも積極的に参加している。大阪で、互いのテーブルが近かったことから作品を見たり話をするうちに知り合い、撤収の際、作業に手間取り居残る私に気づいて引き返すと、手伝いを買って出て、猛烈な勢いで本を梱包・荷造りを助けてくれた。

デモから何日も経たないのに、彼らのインスタグラムやFacebookには、逃亡犯条例の内容と問題点など市民が声を上げた理由を説明した小冊子「What is happening in Hong Kong」や、ネット上にあげられた催涙弾やケガへの応急処置法にイラストレーターが絵をつけて図解したガイド「自己香港自己救、自己受傷自己救」、ヨガの知識をベースにした不安時や緊張時のメンタルケアを紹介した「事後情諸事」などが、レビューとともにアップされていた。

「What is happening in Hong Kong」の広東語版「香港到發生了什麼事?」。

「自己香港自己救、自己受傷自己救」。

「事後情諸事」と、その続編で相互ケアのガイド「彼此守護事」。

驚異の反射神経と行動

その後も、香港では大小のデモが断続的に行われ、200万人規模にまで膨れ上がったが、逃亡犯条例が正式撤回されることはなく、警察の取り締まりが厳しくなるにつれ、デモ隊との衝突も激しくなり、事件や事故が頻発。市民の訴えは条例撤廃から、香港政府や警察に対するプロテストへと比重が移って行った。そうした状況に合わせて、香港人たちは驚異の反射神経と行動力で、数日のうちにしっかり編集・デザインしたzineを英語と広東語のバイリンガルで仕上げて、発信して行ったのだ。

同じ内容はネットでも公開され、閲覧・ダウンロードができて、セルフで印刷・製本・配布まで可能なものもあれば、オフラインでも届くように冊子形態で販売・配布されることもある。例えば、空港を占拠したデモの際、海外からの旅行者に対して、抗議活動の事情を説明して理解を求める冊子「DEAR TRAVELERS」を配布。紙とネットの間を行き来して、補完し合いながら、デモ隊が唱える”Be water”の言葉通りに、形を変えてアノニマスに広がって行った。

「DEAR TRAVELERS」。

7月26日午後1時からの空港でのデモ告知画像。zineだけでなくこうした画像にも香港のデザインセンスが発揮されている。

自在なzineのかたち

留学中のロンドンで、コミックフェスのボランティアに行くため、6月9日の早朝に目を覚ました女性が、起き抜けにスマホで目にした故郷の大群衆とSNS上にアップデートされる状況に接した経験を絵物語にした「6月9日、早」。ネット上にアップされた、ある女子学生のデモを巡る父親との確執&和解を経ての親子でのデモ参加手記を漫画化した「同老豆老母去遊行」。あるいはアメリカ在住の香港人がネットニュースの画像をコラージュした「THIS IS HONG KONG, NOT CHINA NOT YET」。個人誌もあれば、SNSを通じての見知らぬ同士の(勝手に)コラボ形式、集団や組織によるもの……と編集や発行の方法も様々である。

「6月9日、早。」。

「Me & My Parents Go Protesting / 同老豆老母去遊行」。

「THIS IS HONG KONG, NOT CHINA NOT YET」。

zineの作り方に決まりはない。手書き原稿をコピーしてホチキスで綴じただけでも立派なzineだし、思いついたら鮮度の落ちないうちに、あり合わせの道具で作ればいいのだが、それにしてもデモ関係のzineのクオリティの高さと速さは異常で、事件の翌々日には配布されていたりするのだから、新聞や週刊誌に匹敵する職人技である。

例えば、救命ボランティアの女性が右目に被弾して失明した事件を含む8月11日の出来事のイラストブックはその日のうちにネット上にアップされ、やがて冊子になった。香港から、いくつかのzineを取り寄せ、改めてその確かに仕事ぶりに驚いた。

かねてから、海外のZINE EVENTに参加しているZINE COOPは、これらデモ関連のzineをまとめて7月以降「FREEDOM-HI」のタイトルで、海外でも展示や即売会、トークイベントを開催している。HI(閪)は、女性器を意味する広東語の粗口(罵り語)でmotherfucker的な意味合いだそう。警察が、侮蔑の意味を込めて抗議者たちを「自由閪」と呼んだことに由来するが、言われた側がこれを逆手にとって自らのアイデンティとして名乗ったことから、広東英語/ファニィングリッシュでFREEDDOM-HIと綴り、タイトルにしたとのこと。

台北での展示のタイトル画像。粗口をこんな風な文字にできる漢字文化圏。

香港を含めた華人の移住者が多いカナダのトロントやバンクーバーの図書館やギャラリーでの展示、台湾、日本、韓国、マレーシアといった周辺各国でのzineイベント、イギリスはロンドンのテイト図書館で展示やトーク……と、フットワークの軽さや英語圏の香港人ネットワークを活かした連続イベントを現在も展開中である。当初は、図書館に数十人程度のオーディエンス(香港系移民が多そうだった)を集めてのトークがネット時代にどれほどの効果があるのかと思ったが、地道なzineイベントや公共スペースでの展示とトークは、ネット民とは異なる層にも着実にメッセージを届けている模様である。

あちこちの人の意見を聞いてみた

香港で、警察が催涙弾に加えてビーンバッグ弾・ゴム弾などを抗議市民(さらには救急ボランティアやプレス)に向ける異常な状況が常態化すると、デモ隊の中の勇武派が反撃し、地下鉄駅や親中派と認定した店舗の破壊も日常化していった。私は、暴力の応酬に“引いて”しまい、民主主義や自由や人権を根拠に「香港加油!」とばかり言ってはいられなくなった。そんなとき、取り寄せた香港のzineを様々な人と観ながら、感想を聴く機会を得たことは貴重だった。

「八月十一日 香港發生什麼事」。

デモが始まった当初、ふだん温和なフランス人の友人は「フランスも黄色いベスト運動が続いているけれど、市民が圧迫されているのだから、抗議は当然だよ。香港の人も声をあげるべきだ。さらにフランスは旧植民地問題を残す抑圧する立場でもある。(Be waterだって?) ブルース・リーは偉大だけど、システムを壊すにはゴジラくらいの力が必要だよ!」と言ったが、当時の香港の平和的なデモに比べると、フランスでは高級ブランドショップの焼き討ちや強奪まで行われていた。ブリュタル(粗暴)なデモにもメッチャ理解があって、死傷者が出ているのに、市民生活と運動が何ヶ月も並行しているだなんて元祖・市民革命の国はタフだ、と感心した。

一方、東京にやって来た海外県(元植民地)出身のフランス人アーティストは、香港のzineを手に「ニューカレドニアは来年、(フランスからの)独立を問う国民投票があるけど、残留か独立かを巡って住民は対立している」と言って、遠くを見るのであった。

また長年香港に住んでいるという日本人男性は「本当に安全ないい所だったんです、本当に。こうなる前は……」と言葉少なだった。

反対に、在東京の香港人女性は日本人の香港問題への関心の低さに苛立ちを露わにし、デモ隊を暴徒扱いする日本の報道に対して、日本語話者チームで反論を展開していることを語った。警察の暴行に対抗してエスカレートする抗議者側の暴力を疑問視・危惧する記事(偏向報道とは限らない)に、いくつも香港側から反論のコメントがぶら下がっているのを目にしたことがあったので思い当たる節もあり、離れた故郷の危機にいてもたってもいられない彼女に同情するとともに、日本の報道や言論に対する抗議方法に少々違和感を覚えて、複雑な気持ちになった。

「反送中」。6月からのデモの流れ、プラカードのアート、関連QRコード集に加えて巻末には、得意ジャンルを活かした様々な反対運動への参加方法のリストまでが収録されている。

他には、日本の出版関係者の「急いで発行している割に、いい紙を使っていますね」という冷静な観察や、日本人や台湾人からの「デザインが洒落ている」という香港人のセンスへのリスペクトの声も多く、香港が培ってきた文化的・物質的豊かさが、周辺の国々を魅了してきたことを改めて実感した。

香港の文化的な豊かさは、6月以降、ネット上に数々の印象的なイラストや写真やコラ画像をアップし、オリジナルのアンセムも瞬く間に数々の演奏ヴァージョン(オーケストラ版、室内管弦楽版、ロック版、手話版 etc.)の映像を作り、多くのzineを発行したことからもわかる。プロパガンダの一言には収まらないような、アート分野でのセンス、技術、戦略が、香港問題を海外に強く印象づけて来たと思う。それだけに、不退転の抗議運動が、香港ノワールの傑作映画『英雄本色/男たちの挽歌』でマークが敵陣に一人で引き返し死闘を演じたような、ドラマチックすぎる展開にならないようにと心配してしまう。

「中環 金鐘 添馬艦 香港 坐行衝終極天書」。香港の民主運動map。パール紙を使用している。

私たちには何ができるか

台湾の知人が「将来、日本に移住しようかな」と本気とも冗談ともつかないことを言うのを聞いたり、東京下町に増える移民の方たち(デモや抗議運動さえできずに国を出てきた方たちもいる)と近所で食事を摂っていると、斜陽の日本や日本人にできることは何なのだろうと考えてしまう。

自分にとっては当たり前の、民主主義国家に住み、表現の自由が保障されている状態が、世界中のどこに行っても普通というわけではない。この保証された表現の自由を使って言えることは何なのだろう? そもそも自分が教育されて、当たり前と思ってきた、民主主義、自由、人権などを前提に話すことが、異なる価値観を持つ人に対してどれだけ意味を持つのか? 大国の理論とも違う、理に叶った俯瞰的な考え方があるのだろうか?

私は国内外の自主制作の出版物を扱う書店で働いているので、店には東京で美術を勉強中という中国の子と台湾の子が共同で編集したアートマガジンを納品に来てくれる。中国や台湾でも本を販売する一方、日本の書式で納品書を用意し連れ立ってやって来る二人を見ると、とても微笑ましい。あるいは、香港のzineに気づいた、来日して間もない中国人留学生が「友達が、中国から香港の学校に勉強しに行っているから心配」と日本語で訥々と話してくれた。その不安げな佇まいを見ると「(お友達も香港の人たちも)みんな無事でいて欲しいよね……」とお互いに祈るような気持ちになる。

10月に入って中国建国70周年式典が盛大に行われた日、香港のデモはいつも以上に激化した。しかしBe waterを唱えたブルース・リーも香港人なら、70周年に祝辞を寄せるジャッキー・チェンも香港人、デモ隊も政府も警察も行政長官も香港人かと思うと悩ましい。また、香港から日本に発せられるネット上のメッセージも「世界の理解と助けが必要です」と合わせて「香港人が香港のために行うことに批判は無用」「香港に住まずに広東語も理解できない人間にこの問題は理解できない」と言う論調が出て来て、是非を問うのでなく敵味方を問うものになり、自由な発言や議論が遠ざかるように見えた。

それでも、出版を通して出会った香港の人たちとは疎遠になりたくない。香港のデモ関連のzineを展示するために取り寄せたとき、ZINE COOPのメンバーの一人は「迷惑を掛けなければいいけど」と案じてくれた。「平和的、合法的な方法での展示だから大丈夫」と答えたけれど、デモが始まってから、香港のアーティストたちとの平和なコラボや、対話やサポートを模索している。

10月4日、香港政府が緊急状況規則条例を発令し覆面禁止法を制定した日、街には、周潤發(チョウ・ユンファ)が降臨、いつものように趣味のウォーキング中にファンとセルフィーを撮っていたが、黒づくめのマスク姿が話題になった。

そしてカナダはバンクーバーの中華街の中にあるVancouver International Centre for Contemporary Asian Art–Centre Aの中のReading Roomでは、ZINE COOP企画のアジアのポリティカル・ジンの展示が始まった。企画に協力する形で、日本の政治・社会運動に関するzine数十冊を、それぞれの発行者さんのご協力を得て、現地に送った。

世界の社会運動と足並みを揃えたフェミニズムやLGBT関連のエンパワーメント系のものだけでなく、死者を出した入管センターの長期勾留、20世紀末後半まで続いた優生保護法手術など、「おもてなし」モードの日本とは真逆の深刻な社会問題を海外に紹介することになり、香港のデモやzineを発端に、自国の問題にこんな形で向き合うことになろうとは。6月時点では想像もつかなかった展開であるが、ゴールの見えない旅はまだまだ続きそうである。

最後になりましたが、香港zineの国内での展示にご協力頂きました、THE M/ALL、Loneliness books(オンライン)、火星の庭(仙台)に感謝いたします。

「彼岸之章:亞洲社運動小誌展 CHAPTERS ACROSS THE PACIFIC: Zines from Social Movement in Asia」。

渋谷のWWW/WWWX/XXXβ/GALLERY Xにて開催されたTHE M/ALLのイベントSURVIVEでの閲覧コーナー。

「火星の庭」の香港zine閲覧コーナー。

タコシェの香港zine閲覧コーナー。

デモ関連のzineのカタログ(売上はzineの送料に当てています)。

*Asia Art Archiveのサイトで関連zineのリストを見ることができます。Hong Kong politics などで検索すると出てきます
https://aaa.org.hk/en

第3回 ブックオフを「戦術」的に考える

2019年10月17日
posted by 谷頭 和希

本をめぐる新しい秩序?

随分と連載の期間が空いてしまった。

私たちはブックオフという空間について考えてきた。ここまでの議論においてうっすらと見えてきたのは、ブックオフ的空間の特殊さだ。それは、これまでの本をめぐる環境とは全く異なる秩序に支えられている。そんな推論を私たちは立てていた。覚えていらっしゃっただろうか。

ここから考えていかなければならないのは、では、この「ブックオフの秩序」というのは具体的に何を表しているのか、ということである。

残念なことに、今、それに応えることはできない。なぜならば、その問いに答えることこそが、本連載の目的だからである。ここまでのパートはいわば議論のセットアップである。

ブックオフという空間には、どうもこれまでの書物とは異なる価値観が眠っているらしい。ではその価値観とは何か。おそらくいくつかのヒントは、過去2回分の連載で登場しているだろう。ただし明確にはわからない。この部分をどうにかして、明るみに出してみたいのである。

では、どうやってブックオフ的空間からその特徴を引き出していくのか。

戦術としての方法

ここでこれまでの議論の締めくくりとして、前項の問い――ブックオフからどのような風景を見ることができるのか――について、少しだけ考えてみたい。

ここで少し唐突ではあるのだけれど、哲学者ミシェル・ド・セルトーの議論を持ち出してみよう。彼が語る「戦術」の話だ。上野俊哉と毛利嘉孝がこの話について明瞭にまとめているので引用してみる。

「戦術」とは自分に固有の空間を持っていない状態で、しかし計算された行動によってなんとかそこで生きたり、障害を切り抜けたりすることを指している。「戦術」はもっぱら他者の場所で行使される。戦術は日常生活におけるありあわせのモノを何とか使いまわして、他者の(権)力の場で生き残る方法なのである。それは他者のルールによってなされているゲームの空間において、そのルールの裏をかこうとする試みである。[1]

つまりこの「戦術」とはある場所について、それを用意した人々が思いもよらない方法でそれを使い、それを独自の方法で遊んでいく作法なのである。この「ルールの裏をかこうとする試み」こそ、ブックオフという空間の秩序にたちあったとき、僕たちが一つの希望として見いだせる行為なのだと私は考えている。

ブックオフというのはこれまでの出版システムが生み出してきた僕たちの力ではどうにも変えることのできない「他者の権力」が作り出してきた場所である。小田光雄の本でも詳しく説明されているが、ブックオフとは大正時代の円本ブームに端を発する書籍出版の増加と、それに伴う本の消費財化が産んだ「とんでもないモンスター」[2]である。

それを一部の論者のようにただ悲観することも出来よう。でも、そこで与えられた場所をどのようにうまく活用し、どのようにそのルールの裏をかくか。それが現在、私たちに求められていることなのではないか。

非意図的に、多種多様な種類の本が積み重なったブックオフをうまく利用すれば、僕たちは安い値段で、自分が欲しいと思っていた本を手に入れることができる。それだけではない。ブックオフにはコンビニのように僕たちに必要なものが最適化された商品が並んでいるだけでなく、余剰の多い空間があるために、そこでは新しい本との、あるいは知らない本との出会いを果たすこともできる。そして積み重なったガラクタとしての本の風景は、そうしたブックオフの特徴を生かした各人の戦術によって新しい本をめぐる風景をつくりだしていくのではないだろうか。

僕たちは、本のガラクタから、未来を作り出していかねばならない。しかし、そんなことは、本当に可能だろうか?

[1]上野俊哉・毛利嘉孝『カルチュラル・スタディーズ入門』、筑摩書房、2000年、p. 63を参照のこと。また、セルトーの「戦術」に関する議論は『日常的実践のポイエティーク』(国文社、1987年)に詳しい。まさにブックオフ的空間が「日常」と化している人々にとっての実践としての戦術を私たちは考えなければならないのだ。
[2] 小田光雄『出版社と書店はいかにして消えていくか――近代出版流通システムの終焉』、論創社、p. 141。

ブックオフを遊ぶ

前置きが大変長くなった。

本連載では、ブックオフを思考するための「戦術」について考えること、あるいはそれを実践することを通して、その特殊な空間に迫っていく。それはブックオフを異化して眺め、新しい視点を提示する作業である。そしてもちろんのこと、それはブックオフのみの射程の狭い議論にとどまるのではない。それはブックオフを通して、書物をめぐる私たちの風景について新しい視野を差し挟む作業でもある。個々人の戦術がブックオフを利用するならば、その時、本の作者はどうなるか。あるいはブックオフに代表される新古書店産業に対置させられることの多い旧来の古書店はどうなるのか。あるいはブックオフさえも経営的に苦境を強いられている現在において、ブックオフ以後の風景はいかなるものとして素描できるのか。

こう書いてみるとなんだか小難しそうに思えるかもしれないが、おそらく本連載で展開される「戦術」はその硬い言葉の響きに似合わず、柔らかく、そして接しやすいものにしたいと思っている。そのようにしてゆるやかにブックオフを捉え直したい。

ブックオフを通して、書物をめぐる風景のあらゆる様相を、そしてそこで生きる戦術を取り出していくというのが本連載の目論見である。

(続く)