天気の次の話題を探して――「街の手帖 池上線」

2019年11月18日
posted by 影山裕樹

東京生まれ、東京育ちの僕自身、まだほとんど開拓していないエリアがある。その一つが東急池上線沿線だ。東京都品川区の五反田駅と大田区の蒲田駅とを結ぶ東急電鉄(東急)が運営する池上線は、15駅、約20分ほどで五反田と蒲田をつなぐ。五反田の高架は4階建て相当もあるという。この日は「街の手帖 池上線」の発行人&編集長の針谷周作さんに池上線沿線を案内していただきながら、なぜこの地域を題材に、実に31号もローカルメディアを発行してきたかについて伺った。

「街の手帖 池上線」のバックナンバー。

編集長の針谷周作さんと五反田を歩く。

日本で最初に「銀座」を名付けたといわれる戸越銀座の駅を降りると、まるで大阪にきているかのように地平線までまっすぐな商店街が広がる。比較的新しいお店が多い印象だ。一方、隣駅の荏原中延には昭和風情なアーケードが広がり、近くには文筆家の平川克美氏が店主を務め、「日本一小さな本屋」を謳う隣町珈琲がある。

戸越銀座商店街

隣町珈琲

勝海舟ゆかりの洗足池

「街の手帖 池上線」のバックナンバーを眺めていると、もちろん、蒲田や五反田の特集もあるのだが、池上線の各駅を行ったり来たりしながら、様々な角度で地域の魅力を掘り起こしているのがわかる。正直、このエリアに縁がない僕にとっては、マニアックすぎる記事が続く。洗足池公園入口のしだれ柳だとか、久が原の弓道場併設のカフェなど。

かつて勝海舟の別邸「洗足軒」があったことで知られる洗足池周辺、星新一の父親が創設した星薬科大学がある戸越銀座など、文人や著名人にゆかりのある地域であることを取り上げることも大事だが、僕がやはり好きなのは、こうしたマニアックで無銘な地域のモノ・コトを、その他の地域との比較ではなく、ただただ実直に取り上げるというやり方だ。

洗足池

地場に縁がない人間にとって親近感が湧かないものこそ、地域の人にとって真に親近感があるものなのだと思う。僕たちは自分と違うバックグラウンドを持つ人と出会うと、無意識のうちに共通言語をチューニングしながら対話している。まず最初に天気の話をして、その後マスメディアから流れてくる事件や事故などを話題にする。しかし、ローカルでマニアックな情報は話題にしても理解してもらうことはできない。実は、天気の次の話題を読者(地域に暮らす人)に提供するのがローカルメディアの価値の一つだと思う。だからこそ、「街の手帖 池上線」は池上線沿線の書店で手にとってもらうことを重要視している。

「都会―下町」というステレオタイプから離れて

それにしても、なぜこの短い路線にこだわり続けることができるかといえば、それは針谷さん自身が育ったのがこの池上線沿線だったからだ。しかし、自分が暮らす街に魅力を感じるようになったのは随分と大人になってからだという。

「自分がこの本を作り始めたきっかけは、長原の兎というスナックで、あぁこんな面白い人たちが集まっていたところだったのかと思ったこと(中略)『え、この沿線にも面白いところあるね』という衝撃が、いつも偶然なのですがポツリポツリとあり、それを発見していく喜びはありますね」(「街の手帖 池上線」20号より)

重要なのは、「都会―下町」というステレオタイプな視点で街を眺めるのではなく、少し引いた立場から、「共通言語」で塗り潰されてしまうような、地元の小さな魅力を語り出すことなのだと思う。その面白さは、地場に縁のない人たちに向けて殊勝に語り出すべきものではない。とはいえ、19、20号の座談会で取り上げられた中央線と池上線の比較などの話は面白い。こうやって東京の「下町」のグラデーションが見えてくる。坂が多いという地誌学的な視点、民族学的視点、歴史的視点からも、地域の特徴は見えてくるように思う。

昭和の雰囲気が残る荏原中延周辺は、僕の地元である板橋や北区あたりの風景に似ている。路地裏に広がる小さな飲食店の数々も、東京の様々な場所で見つけることができる風景に思う。アーケードのある商店街はまさに大山商店街とそっくりだ。僕たちは漠然と「下町風情」という言葉を使うけれど、それは「下町以外」の都会との対比としてしかイメージできてない。「下町らしくていいよね」という会話が東京のみならず大阪や神戸でも普通に交わされる。しかし、実際に神戸や大阪、東京の下町と呼ばれるエリアを歩いてみると、共通点はあるものの、まったく違う人や文化が息づいていると実感することができる。

ちなみに、11ヶ月ぶりに発行された最新号(31号)の特集は「この街はポエジーを持って歩くのが最適しい」。

「石川台駅の近くにある伊勢屋で、歯医者の帰りにお赤飯のおにぎりを買って帰るのが楽しみだ」(「街の手帖 池上線」31号より)

こういう個人的な日常や記憶から、ハレではなくケの街の風景を語り出すのが針谷さんのやり方だ。はたまた、地元ライターによる寄稿では、多摩川沿いを歩きながら、「海水と淡水の混ざり合う羽田沖は、(略)アサリやシジミが多くとれる」(同31号より)と語る商店街の居酒屋の店主の言葉がそっと添えられる。

「地元言語」が優先される情報環境をつくるには

マスメディアが東京の南側(東急沿線)や西側(中央線沿線)や、東側を開拓し、その度に街が消費されてきた。最近だと北区赤羽が観光地として賑わってきている。そうやって次はどの街を消費しようとメディアが騒ぎ立てる外側で、東京圏全体の市民に向けるのではなく、地域に暮らす人々に向けてローカルでマニアックな、無銘のモノ・コトを語り出すことの価値はいったい何だろう。

都市の多様性を担保するのは、マスメディア的視点で都市の隅々を開拓し消費して回ることではなく、そこに暮らす人々どうしで地元のネタが天気の次の話題に出てくるようにすることだと思う。そうやって、「共通言語」よりも「地元言語」が優先される地域が各地で増えていくことで、ローカルでゆるく閉鎖的な情報環境が生み出され、市民の気質や嗜好がその地域ごとに最適化され、都市全体として多様な文化が育まれるのだと考えている。

三重県津市のローカルメディア「kalas」にとても似ているな、と思った。雑誌を作ることが、この街でこれからも暮らしていく、街へ入るための「パスポート」になっている気がした。実際、針谷さんは「街の手帖 池上線」を発行するようになってから、渋谷や新宿で呑むことはほとんどなくなったという。雑誌を媒介としてコミュニティに入り込み、昨年は池上線沿線の14の書店が参加するブックフェスタも開催した。

池上線ブックフェスタ(提供:コトノハ株式会社)

日常が等身大の書き手の言葉で地道に語られていく。まるで延々と終わらないドラクエをやり続けているように、新しいダンジョン(スナックやバー)を発見しレベル上げをし続けるようなプロセスを踏むこと。そんなローカルメディアが各地に増えていってほしいと思う。2020年のオリンピックが終わった先に、確実に衰退していく東京で暮らすことの価値はなんだろう、と最近はよく考える。全国の人に伝えてもその魅力が明らかに伝わる、マスメディア受けするような、特徴的なモノ・コトを取り上げるのではなく、地道に地元のことを語り出してみたいと思う。他の地域に比べて面白い、というのではなく。池上線沿線を歩いた帰り、僕はふと、今日は地元の角打に繰り出そうという気持ちになった。

街の手帖 池上線31号

「街の手帖 池上線」31号
〜この街はポエジーを持って歩くのが最適しい〜
(A5版・カラー28ページ・定価324円+税)

*池上線沿線書店を中心に発売中
twitter:@machinotechou

執筆者紹介

影山裕樹
1982年生まれ。合同会社千十一編集室 代表。アート/カルチャー書のプロデュース・編集、ウェブサイトや広報誌の編集のほか、各地の芸術祭やアートプロジェクトに編集者/ディレクターとして関わる。著書に『大人が作る秘密基地』(DU BOOKS)、『ローカルメディアのつくりかた』(学芸出版社)、編著に『ローカルメディアの仕事術』(学芸出版社)、『あたらしい「路上」のつくり方』(DU BOOKS)など。
千十一編集室:https://sen-to-ichi.com/