フリージャーナリストの安田浩一さんがウェブマガジン「ノンフィクションの筆圧」を開設してから、この6月で一年が経つ。
『ネットと愛国〜在特会の『闇』を追いかけて』(講談社)で、2013年の日本ジャーナリスト会議賞と第34回講談社ノンフィクション賞をW受賞、15年には「ルポ 外国人『隷属』労働者」(『G2』、講談社)で第46回大宅壮一ノンフィクション賞雑誌部門賞を受賞した安田さんは「ネットメディアに関しては食わず嫌い」と言う。そんな彼が、ウェブマガジンを開設した理由は何だったのか。ネットメディアでどんなジャーナリズム活動を展開していくのか。本人にお話をうかがった。
ネットメディアへの抵抗と嫌悪感
もともと雑誌記者一筋ということもあってか、安田さんはネットが苦手のようだ。
安田 Facebookのやり方さえ知らない。パソコンはほとんどできないんです。今はネットに対して、抵抗と嫌悪を感じて仕事をしています。
安田さんは1990年ごろから「週刊宝石」(光文社、2001年休刊)の専属ライターだった。1995年11月、マイクロソフト社のOS・Windows95の発売日に秋葉原のソフマップ前で取材し、深夜のお祭り騒ぎに立会った。Win95の普及でパソコンが身近に感じられるようになったことで、インターネットを誰もが使えるようになっていく。その取材記事では〈これまでは読み手であり、視聴者であり、情報の川下で待っていた人たちが多かったが、これで誰もが発信者です〉などと書いていた。
安田 ネットの大衆化の瞬間でした。そのときは意味がわかってなくて、教えられたままを書いたんです。いま考えると、もっと詳しくなれよって思います。
もちろん、ネットメディアで安田さんの記事を見かけることもある。しかし、そのほとんどは紙媒体に一度掲載されたものが転載されている。しかも、もとの記事が加工されてアップされているのだという。
ネットメディアから執筆を頼まれることもある。また、Yahoo!ニュースの中に、個人が情報を発信する「Yahoo!個人」というコーナーがあり、開設するように勧められている。
安田 2年くらい検討しているが、まだ開設していない。なぜか? 答えは簡単です。何度も登録に失敗してしまって。なかなかネットに向き合えない。いじることができないんです。やらなきゃいけないと思っているんですが、ネット音痴なんです。やれば、新しいものが見つかるのかもしれない。
ただ、安田さんのネットメディアへのイメージはよくない。フェイクニュースやオルタナティブファクトと言われるような記事が拡散されているとの印象を持っている。昨年問題になったDeNAのWELQがその象徴的なイメージなのだ。
安田 ネット媒体で書かれている記事には偏見がある。嫌悪感しかない。なぜって? 情報をつぎはぎしているだけじゃないですか。
もちろん、そんなネットメディアばかりではない。新聞記者や雑誌記者の出身者も関わってきている。ネットメディアに記者が引き抜かれることも多い。安田さんは読まず嫌いになるほど、ネットメディアから遠ざかっている。
ウェブマガジン開設の理由は、編集者が「全部やります」と言ったから
そんな中で唯一、安田さんがネットで書いているのは、タグマが運営するウェブマガジン「ノンフィクションの筆圧」だ。
安田 知り合いの編集者から呼び出されたんです。説明を聞いても、はじめは意味がわからないので、断った。書けるかどうかの問題ではなく、設定ができないからです。「自分で、ネットに記事や写真をアップする作業ができない」。そう言うと、編集者が「全部やります」と言ったんです。「タイトルも、中見出しも、全部やる」と…。
面倒な設定を自分でしないで済むならば、安田さんにもメリットはある。それは「書く場所」の確保だ。ノンフィクションの記事を書く雑誌が減ってきている。短い記事でも週刊誌で書く場が減ってきた。単行本を執筆するものの、書いている途中ではお金が回らない。
安田 理想的には、雑誌で連載をして、それが単行本になること。かつては取材費も潤沢にありましたが、いまはそんな幸せな時代ではない。だから、単行本や雑誌で書く以前に、切り売りしていこうと。なので、ウェブマガジンであっても、考え方のベースは紙中心。紙から派生したものなんです。
取材テーマへのこだわり
「ノンフィクションの筆圧」には、ヘイトスピーチ、沖縄問題、外国人労働者問題、民族派の青年のインタビューなどが掲載されている。安田さんは90年代から2000年代前半まで「週刊宝石」や「サンデー毎日」の契約記者をしていた。04年以降は、完全にフリーランスになった。「何でも屋のライターはやりつくした。あとは僕が興味関心があるものを取材したい」と考えた。ウェブマガジンに書いているものが、いま興味のあるテーマだという。
安田 出自に関係があるテーマというよりも、雑誌取材の経験から生まれた関心です。外国人労働者問題は、週刊誌記者時代から興味があった。そうした記事を書いていると、嫌でも排外主義、レイシズムへの視点を自分の中にもつようになる。それが、ネット右翼、在特会の取材につながった。いま沖縄を取材していますが、自分の中では地続きなものなんです。
何か一つのテーマにこだわりつづけることで、仕事がひろがっていくのを体感していた。外国人労働者の問題は、差別や排除の問題だ。そこから、民族差別問題、ネット右翼につながるのは自然のことだった。沖縄の基地問題も、本土からの差別の問題でもある。
ただ、そうは言っても、それらのテーマは、芸能記事のように「売れる」テーマではない。そのため、収入面では苦しく、深夜のアルバイトをしていたこともある。クレジットカードで綱渡りという時期もあった。
安田 昼間取材して、夜バイトをすればいいと考えたこともあった。しかし、疲れ切ってしまい、深夜のバイトは続かない。気が休まる瞬間がなかった。取材どころではなくなったんです。やはり、自分にはWワークは無理。急な取材も入りますから。
最近では沖縄に頻繁に行っているが、運賃の捻出は工夫している。2006年に刊行した『JALの翼が危ない』(金曜日)で、規制緩和と効率主義を批判していたが、いまはLCCに助けられている。
安田 LCCだと片道、一万円でいけます、どうやったら取材現場まで安く行けるのかを考えたりしますが、空の安全を考えると疑問で、忸怩たるものがあります。
書き手と「心中」できる編集者がネットにいるか?
そんな中で食いつなぐことができたのは、ノンフィクション作家・佐野眞一さんの取材スタッフに、データマンとして加わることができたからだ。
安田 食えないのでライターをやめようと思ったことがあります。そんなときに、週刊誌時代から付き合いのある佐野さんに声をかけてもらったのです。
現在も、発表媒体はほとんどが雑誌。女性誌をのぞいて、ほとんどの週刊誌で仕事をしてきた。自身でも言っているが、まさに「雑誌の子」だ。同年代のフリーのジャーナリストで廃業をしている人もいるなかで、安田さんが続けられているのは、編集者との出会いによるものが大きいという。
安田 僕の場合、編集者に恵まれたことが最大の財産です。編集者はみな、そこそこ厳しい。その上で、生活のことも考えてくれている。最近では、書かせっぱなしの編集者もいるじゃないですか。原稿をあげても、いいとも悪いとも言わない編集者がいる。でも僕が深く付き合っている編集者は、常に仕事の中身にこだわっている。
安田さんは編集者と人間的な付き合いを欲しているようだ。コラムや身辺雑記が書ければ、また別の道もあったのだろうが、取材へのこだわりが強い。
週刊誌時代、先輩記者から「石を水に投げ入れられたとき、波紋が広がる。俺たちの役割は、その石を拾うことだ。しかし、波紋ばかり吸い上げているだけではないか」と言われた。そのときに、自分は「石の手触り、形、色を確認しないで書いてきたのではないか」と感じた。だからこそ、いまはその石を取りに行くことを取材の目標にしている。そのためにも、編集者の「目」を切実に必要としているのだろう。
安田 こだわりのある編集者は、書き手の立場としてはうざい。半分くらい連絡を無視したくなる。でも、“敵”もさるもので、電話に出ないと、別の電話番号から別人を装ってかけてきたりする。ただ、書き手にとってうざい編集者は、同時に良い編集者です。一言一句にこだわり、取材では共に悩み、記事を出した後の覚悟がある編集者。いわば、書き手と心中してくれる。そういう編集者は信用できます。でも、そんな編集者はネット媒体にはいないんじゃないでしょうか。もっとも、私のウェブマガジンの編集者は人格的に関わってくれます。僕は、編集者のフィルターを通したあとでないと怖いんです。
取材から執筆、発表、その後の反響まで、編集者とともに悩む。そんな、書き手としてのスタンスがはっきりしている安田さんだ。そうした編集者がネットメディアでも増えてくれば、ネットで書くことも多くなるのだろう。
ウェブマガジンは月額648円(一部無料で読める)。まだ会員が多いとは言えず、さらに売上は担当編集者と折半というから、取材費になるかどうかの“収入”にしかならない。
安田 こうした状態では、ネットで書くだけでは食えないですね。食えている人もいると思うんですが、信じられません。羨ましい。ただ、一方で紙にこだわりたい気持ちがある。そのこだわりは “宗教” のようなものなんです。信仰に近いので、正当性があるわけではありません。ネットが不得意。そう思い込んでいるだけかもしれません。
ノンフィクションが冬の時代と言われて久しい。だからこそ、いかにマネタイズするかが活動を継続していく上での鍵だ。
安田 まだ、ネットでのビジネスモデルはありません。
安田さんのネットメディアに対する不安はもっともだ。発表するまでは、編集者との共同作業となる。しかも、編集者は最初の読者だ。ライターは取材に没頭するあまり、一般読者の関心の度合いまではわからないことがある。どうすれば、記事の本質が伝わるのかを共に考えたいと思う。
「書き手と心中できる編集者」とは、一つの作品をつくる上でのパートナーという意味だ。雑誌では、これまでの積み重ねがあり、書き手と編集者との関係は成熟しているため安心感がある。一方で、新興であるネットメディアは、そうした関係が成り立ってないのではないか? という不安はつきまとう。
もちろん、ノンフィクションを書くのは人間が行うことだから、編集者との付き合いかたも一人ひとり違う。だからこそ、安田さんも儲からないとわかっていても、ウェブマガジンでの執筆も始めた。そして、「Yahoo個人!」にも参加しようとしている。ネットメディアで継続して執筆するためには、マネタイズの方法も含め、試行錯誤するしかない。
執筆者紹介
- ノンフィクションライター。若者の生きづらさ、自殺、自傷行為、家出、援助交際、少年犯罪、いじめ、教育問題、ネットコミュニケーション、ネット犯罪などを中心に取材。東日本大震災後は、震災やそれに伴う原発事故・避難生活についても取材を重ねている。著書は『命を救えなかった 釜石・鵜住居防災センターの悲劇』(第三書館)、『絆って言うな! 東日本大震災ー復興しつつある現場から見えてきたもの』(皓星社)、『自殺を防ぐためのいくつかの手がかり』(河出書房新社)、『明日、自殺しませんか 男女7人ネット心中』(幻冬舎)、『ネット心中』(NHK出版、生活人新書)、『実録・闇サイト事件簿』(幻冬舎新書)、『若者たちはなぜ自殺するのか』(長崎出版)ほか、共著『復興なんて、してません――3・11から5度目の春。15人の“いま” 』(共著、第三書館)ほか多数。
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