私が有料メルマガ配信をやめた理由

2016年5月9日
posted by 渋井哲也

私は有料のメールマガジン(メルマガ)の配信を2015年ごろにやめた。その理由を語ると同時に、これまでの経験をふりかえってみたい。

無料メルマガの時代

もともと「まぐまぐ」が始まった頃1990年代後半から、私は無料メルマガを配信していた。一時は1000人くらいの読者がいたと記憶している。現在は休刊中だが、2006年ごろまで、10年ぐらいは定期的に発行していた。

当時発行していたメルマガのタイトルは「ライター兼大学院生のてっちゃんニュース」だった。いま考えれば、色気も味気もないタイトルだが、新聞記者をやめて大学院に入り直し、ネット上の独自メディアの可能性をいろいろ探っていた時期だったのだ。

大学院生時代にはじめた無料メルマガ。

大学院生時代にはじめた無料メルマガ。

ほかにも自身のホームページ「てっちゃんのお元気でクリニック」のコンテンツがあり、さらに電子掲示板やチャット、ブログがあった。それらの一つに、私はメルマガを位置付けた。いまで言えば、ツイッターやフェイスブックと似たような感じでやっていた。

創刊当初は月2〜4回、メルマガを発行していた。メインの記事はブログで書いたが、ブログにアクセスしない人にも届けたい場合や、掲示板やチャットでのやりとりしたなかで気になったこと、取材協力をお願いしたいこと、あるいは、執筆した作品の紹介などをしていた。メルマガだけを読む人もいるため、ブログには書かないような内容のコラムも書いた。

しかし、ひとつ落とし穴があった。「まぐまぐ」はタイトルの変更が容易にはできない。01年には大学院を修了していたのに、いつまでも「ライター兼大学院生の〜」というのは変だ。そのため、別のサービス「めるま」に発行元を変えることにした。ここでは「生きづらさな時代」というタイトルで、やはり月1〜4回、無料メルマガとして発行した(内容は「まぐまぐ」時代と同じ)。また、「まぐまぐ」からの移行を嫌う人もいることを想定し、「めるま」と「まぐまぐ」の両方で配信していた。さらに、読者とのコミュニケーションも求めていたので、「めるま」ではメーリングリストも使っていた。

SNSの登場と雑誌媒体の凋落

2004年、ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)が日本でも相次いで登場する。いくつかのサービスを経て、mixiにたどり着いた。mixiにはまったことで、メルマガの発行がおろそかになった。自分に関する話とか、コラム的な話はmixi日記に書くようにした。メルマガは誰が読者なのかよくわからない。一方、mixi日記は当時「足あと機能」もあったことから、どんなタイトルの記事を書けば、どんな人が見にきているのかがわかった。

もちろん、mixi日記で書いたことは「商品」ではない。ただ、商品になる前の下書きの場として機能していた。それをもとに原稿を仕上げたこともある。mixiでの反応はわかりやく、それをヒントにして原稿をアレンジしていた。メルマガという一方向メディアよりも、SNSという双方向メディアによって、新たな視点の原稿を生み出せるのではないかと感じていた。

ただ、mixiで書くことは内向きになりがちで、多数に向けて発信する内容とは違った。「発信」よりも、「コミュニケーション」がメインだった。多数に向けての発信は、私の場合「カフェスタ」でしていた。カフェスタも一種のSNSだが、mixiよりは、書く人の意識が外を向いていた。しかし、04年6月に、佐世保市で小6同級生殺害事件が起きてしまった。事件の加害者と被害者が日常的に交流していたのがカフェスタだったことで一部で注目されたこともあり、ゲームサービスが終了したり、複数のチャットルームに同時に入室できないなどサービス内容が変貌を遂げていく。

その一方で、雑誌で書く場がどんどんなくなっていった。ライターが食えない場合に最後にしがみつくのはエロ本だったが、そこでも徐々に活字部分が減っていく。一時期、私は「アクションカメラ」でも連載コラムを書いていたが、同誌は2003年に廃刊した。それとは別にアダルトビデオのコラムを書いていた雑誌もなくなった。エロ本の誌面でルポルタージュを書いたこともあったが、いまはもうそんな場を与えてくれる雑誌はない。エロ本での仕事がなくなった時期とSNSの登場時期が重なるのは、はたして偶然だろうか。

ついに有料メルマガに参戦

そんな時代にネットでの発信をどのようにしようかと考えていたところに、2006年、ニコニコ動画が登場した。同年、J-Castニュースが始まる。また、07年にはニコニコニュースもできる。桜チャンネルがインターネットでも配信し始める。08年には「ガジェット通信」、09年には、BLOGOS、いずれも独自コンテンツを作ろうとしていた。ニコニコニュースは同年、日本インターネット報道協会にも加盟する。

独自のニュースを作ろうとの動きは、紙媒体のネット版でもあった。たとえば、「日刊サイゾー」とか「日刊SPA!」、「NEWSポストセブン」がその例だ。とくに日刊サイゾーは「メンズサイゾー」や「サイゾーウーマン」、「ビジネスジャーナル」など幅広い展開をした。しかし、スマートニュースやグノシー、アンテナなどのキュレーションメディアの台頭もあり、また、裁判リスクの回避もあってか、のちに、ニコニコは独自のニュース制作から撤退する。かわりに、12年、有料コンテンツの新しいかたちとして「ブロマガ」が始まり、私も参戦した。

2010年10月、まずFoomii(フーミー)というサービスで有料メルマガを発行することになった。当時、メルマガには再び注目が当たるようになっていた。2000年代前半に市民メディアが台頭するも失敗。個人でニュースやコラムを発信したい人たちが、ニュースサイトによらずに発信したいという欲求も背景にあったと思われる。

2011年3月、私はBLOGOSの有料メルマガにも参加することにした。しばらくして、FoomiiをやめてBLOGOS一本に絞った。BLOGOSで書くものはニコニコと同じ内容でもよいとのことだったため、12年10月、私はニコニコでも有料のブロマガを始めた。当時、私は東日本大震災の被災地を取材していたが、発表する場が少ないことが悩みだった。二つの有料メルマガは、その発表の場として位置付けていた。

ニコニコチャンネルの有料ブロマガの記事一覧ページ。

ニコニコチャンネルの有料ブロマガの記事一覧ページ。

執筆意欲が減った三つの理由

しかし、三つの理由で私はその後、有料メルマガで書く意欲をなくしていく。

一つは、ネットのニュースサイトでの配信のほうが効果を期待できることがわかったからからだ。ニュースサイトにコラムを書くようになったのは、「News Cafe」(20〜40代の女性がメインターゲット、アクセスの80%が女性ユーザー)と、乗換案内の「ジョルダン」(20代、30代の会社員がメイン、7割が東京および関東のユーザー)が配信するニュースサイトが最初だ。これらは原稿料が出た。

「ジョルダンニュース!」の著者記事の例。

「ジョルダンニュース!」の著者記事の例。

「News Cafe」に書いたコラムは、InfoseekニュースやExciteニュース、OKmusic.jpでも配信される。多くのユーザーに情報を届けるとしたら、こちらのほうが届く。そこで震災情報を含めて、こちらでは意識的に「情報」を配信した(このコラムは現在も週1回配信されている)。一方、「ジョルダンニュース」では震災関連のコラムを書くことになった。「News Cafe」ほどのページビューはないが、メルマガよりも多くの人に届けられるからだ(こちらは昨年6月で連載が終了した)。

意欲低下のもう一つの理由は、有料メルマガには編集者がいないことだ。無料メルマガのときは商品ではないために、質の問題は考えなかった。先ほども書いたように、商品としての記事を書くための下書きやマーケティングの意味もあった。だが有料となれば、それなりの質を担保することを考えてしまう。私自身は、有料メルマガをひとつも読んでいない。どのあたりまでの満足度を求めればよいかは自分でも迷うところだ。

編集者は記事の質を向上させるための装置でもあるが、市場に商品を届ける役割もある。ライターよりも編集者のほうが、ビジネス的な観点が必要になる。もちろん、その両方の役割が一人でできる人は、有料メルマガでの成功者になりうるだろう。残念ながら、私にはその観点が欠けている。

私が有料メルマガを辞めた最大の理由は、読者があつまらないことだ。それなりの数の読者はいたが、3桁には届かなかった。以前、歌人・枡野浩一さんがメルマガを始める前に、相談されたことがあった。私はそのとき「有料で購読してくれるのは、ツイッターのフォロワーの100の1くらいではないか」と答えた。枡野さんは実際、そのくらいの読者を集めたようだ。だが、有料メルマガを仕事と考えると、読者が3桁に達しないようではものすごく安い原稿料になってしまう。

プロジェクトチームづくりから始める必要

では、自身が編集者的な面を持てばいいではないか、というかもしれない。ブロマガを発行する際、私はその観点も必要だと思い、何人かにコラムをお願いしていた。ただし、こちらも収入が安定しないため、無料で寄稿していただいた。そのせいもあって、執筆を催促することに遠慮がちになってしまった。読者が多く、潤沢な資金があれば、もっと強気に出られるのだが、当時の私にそれはできなかった。

今後、私がネットでコンテンツを有料配信するとしたら、きちんとしたプロジェクトチームをつくるところから始めるだろう。メディアアクティビスト・津田大介氏の「メディアの現場」、実業家・堀江貴文氏の「ブログでは言えない話」、お笑い芸人・水道橋博士氏の「水道橋博士のメルマ旬報」が成功例だ。

私も「まぐまぐ」で「週刊 石のスープ」というメルマガをフリーのライター3人で配信していたこともある。しかし、このときもきちんとした責任の分担をしていなかった。誰が編集長なのか。また、どんなメルマガにするのか話し合いが足りなかった。14年を最後に配信していない、

いま成功しているメルマガは、ネットである程度知名度があり、かつ、ファン層が「メルマガにお金を出していい」と思える「人寄せパンダ」を執筆陣に加えているところばかりだ。ビジネス戦略がこれまで以上に必要になるだろう。

もちろん、私だけでなく、いつかはこうした展開をしなければならないときがくる。再び挑戦するかもしれない。そのときはメンバーを募集するか、募集しているプロジェクトに参加するだろう。

それまで、有料メルマガはやりません。

執筆者紹介

渋井哲也
ノンフィクションライター。若者の生きづらさ、自殺、自傷行為、家出、援助交際、少年犯罪、いじめ、教育問題、ネットコミュニケーション、ネット犯罪などを中心に取材。東日本大震災後は、震災やそれに伴う原発事故・避難生活についても取材を重ねている。著書は『命を救えなかった 釜石・鵜住居防災センターの悲劇』(第三書館)、『絆って言うな! 東日本大震災ー復興しつつある現場から見えてきたもの』(皓星社)、『自殺を防ぐためのいくつかの手がかり』(河出書房新社)、『明日、自殺しませんか 男女7人ネット心中』(幻冬舎)、『ネット心中』(NHK出版、生活人新書)、『実録・闇サイト事件簿』(幻冬舎新書)、『若者たちはなぜ自殺するのか』(長崎出版)ほか、共著『復興なんて、してません――3・11から5度目の春。15人の“いま” 』(共著、第三書館)ほか多数。