第3回 デジタル時代の「マンガ文法」とは

2017年6月23日
posted by 中野晴行

電子コミックの未来を考えるとき、今のところ道は大きく二つに分かれているように見える。

①紙のマンガと変わらないマンガ表現を電子でも再現する。
②電子端末に適合した、これまでとは違う新たなマンガが生まれる。

スマホやタブレットに配信されている日本のマンガはこれまで主に①の道を歩んできた。②は日本のケータイコミックや韓国のウエブトゥーンが歩んできた道である。それぞれについて検証してみたい。

伝統的日本マンガ文法「メクリ」「ヒキ」

日本のマンガには独自のマンガ文法がある。それは「見開きをひとつの単位として、コマ割り表現と構図によって、動かない絵をあたかも動いているように読者に見せるためのテクニック」と言い換えてもいい。もちろん絵やセリフも重要だが、絵がどんなにうまくても、セリフがかっこよくても、コマ割り表現と構図がまずい、つまり文法におかしければ、読者は離れてしまう。

例えば、大きな塔が倒れるシーンを描くときに、倒壊するシーンを描くだけでなく、倒れ始めと倒れたあとの間のコマにそれを見つめる人々の顔をインサートする。これによって読者は目の前で起きているような臨場感を覚える。主人公が敵を殴り飛ばすようなアクションシーンでは、一瞬身構える敵の表情を描き、主人公が腕を振り出すシーンを描き、次に向こう側に飛ばされ壁に激突する敵の姿をさらに大コマで描いてスピード感と衝撃の激しさを描く。

あるいは、登場人物が不安を抱えているようなシーンでは、同じ情景を繰り返しながら人物の緊張した表情をインサートして緊張感を高める。絵をゆっくり見てほしいときには背景の細部まで描きこむ。大ゴマに流線を多用してスピード感のあるシーンを連続させることもある。コマの配置や構図が読者の読むスピードや感情までコントロールするわけだ。

そして、見開きごとには「メクリ」というテクニックを使う。「メクリ」は見開きから次の見開きに移る(ページをめくる)過程で、読者に驚きを与え作品に引き込み、さらに次をめくりたいという思いにさせること。見開きの左側の最後のコマに何をどう描くかは非常に重要になるが、受けるページも大切だ。「なんだこれ」とか「これからどうなるんだ」という感情を読者に持たせて、早く次が見たいという気持ちにさせ、ページをめくったときに「すごい」とか「そうだったのか」というある種の満足感を与える。マンガは見開きごとにこの繰り返しである。

さらに、連載マンガでは最後のページの「ヒキ」がポイントになる。「次号も買わねば」と思わせるだけの「ヒキ」がない作品はなかなかヒットしない。読み切り連載の場合は「ヒキ」はいらないが、「読んだ」という満足を与えるようなコマを最後に用意しなければならない。

電子コミックにおける「マンガ文法」の再現

こうしたマンガ文法は、長い時間をかけてマンガ家や編集者が試行錯誤を繰り返し練り上げてきたものだ。そして、ベテランになればなるほどマンガ家はマンガ文法を意識せずに描いているし、読者も「これが引きだ」「これがメクリだ」とわざわざ意識しているわけではない。私たちが特に文法のことを考えずに文章を書いたり喋ったりするのと同じことだ。

電子コミックは、長い年月をかけて完成させた日本のマンガ文法を継承しようとして試行錯誤を続けてきた。動作が重くなるだけなのでのちには廃れたが、初期には紙をめくるアニメーションを画面上のギミックとして使うことで、見開きから見開きへ移る際の「メクリ」を表現しようとしたとこともあった。

私は2005年に、日本における電子書店のパイオニアとも言えるイーブックイニシアティブジャパンの創業者・鈴木雄介氏を取材している。当時はまだiPhoneも登場しておらず、PCや読書専用端末向けに配信するイーブックイニシアティブジャパンは、赤字続きで苦戦していた時期である。電子コミックの主流はすでにPCではなく携帯電話向けの配信になっていて、この先、携帯向けにシフトすることはないのかを聞きたかったのだ。

そのときの鈴木氏の言葉が忘れられない。

「マンガ家さんはページで描いています。読者だってページで読みたいでしょう。編集者だってページで読んでもらいたいですよ。この当たり前のことを電子書籍でも当たり前にできるようにしなければ申し訳ないじゃないですか」

鈴木氏の想いは、2008年のiPhone 3Gの日本発売によってようやく叶えられる。iPhoneとこれに続くiPadの登場によって、見開きあるいはページ単位で電子コミックを読むことが可能になったのだ。しかも、ディスプレイがタッチパネル式になったことで、指で画面をスライドできるようになり、これまでむずかしかった「メクリ」も再現できた。現状では、日本の電子コミックの多くが、ページ、あるいは見開きで読むスタイルになっている。

携帯電話とケータイコミックの時代

これに対して、携帯電話の小さな液晶画面で読ませるためにコマを分割して一コマずつ、紙芝居のように見せるようにしたのがケータイマンガである。

携帯電話で電子書籍を読むための電子ブックリーダーとしては、セルシスが開発した「ブックサーフィン」とシャープの開発した「XMDF」が使われていたが、ケータイマンガは主に「ブックサーフィン」で、「XMDF」は小説などのテキスト系に使われていた。シェアは9対1で、携帯電話向けに配信される電子書籍のシェアとほぼ一致していた。

ケータイマンガをつくる作業は次のようになる。原稿をスキャンした元データからコマごとに切り出し、ボタン操作でコマからコマに移動できるようにデータを加工・編集するオーサリングを加えた上で、ブックサーフィン用データに変換する。セルシスはこの形式を「ラスター紙芝居ビュー」と呼んでいた。

はじめこの工程は手作業で行われていたが、まもなくセルシスがコンテンツ支援用ソフト「Comic Studio Enterprise」を発表、ラスター紙芝居ビュー制作ツールとして「Effector Neo」もリリースして、自動的にデータを生成できるまでになった。

ブックサーフィンには、場面ごとに効果音やバイブによる振動が出る機能があり、画面を上下左右にスクロールさせることも可能。このため、はじめのうちは四角いコマが切り替わるだけだったケータイマンガには、コマの形に合わせてパンやチルトの効果を加えてマンガのコマ割りに近い視覚効果を与えたり、音や振動で場面を盛り上げるなどの新たな表現も付け加えられた。

この時期、日本の電子コミックはケータイマンガ形式が席巻するのではないか、と私は考えていた。だからこそ、イーブックイニシアティブジャパンの鈴木氏にちょっと失礼なインタビューを試みたのだった。

集英社などの大手出版社も旧作をカラー化してケータイコミックとして配信するなど、一時期は積極的だった。東京国際ブックフェアで、集英社がケータイコミックをアピールするコーナーをつくったり、セルシスが「Comic Studio Enterprise」と「Effector Neo」の実演を行ったこともあった。私が教えていた学校でも、紙のマンガをケータイコミック化する実習が行われたりもした。

特定の分野で生き残ったケータイコミック

しかし、残念なことに紙でヒットした作品であってもケータイコミックでのはかばかしいヒットには繋がらなかった。はじめは目新しさや無料配信に飛びついた読者も、しばらくすると離れてしまったのだ。

ひとつの原因は、紙のマンガを構成する重要な要素であるコマ割りがラスター紙芝居ビューに置き換えると逆効果になることがしばしばあった、ということだ。紙のコマ割りの際には、視覚効果のために一見無駄なコマを挟むことが多い。もちろん必要だから挟むのだが、紙芝居のように切り離すと、読み手には不要な絵に見えてしまう。早い話、まだるっこしく感じるのだ。コマをケータイマンガ用に省いたり整理すればいいのだが、編集段階にそれをやるのは作品の改ざんになってしまいかねない。

そんな中で読者が好んだケータイマンガは、激しい性描写のある青年コミックやレディスコミック、あるいはBL(ボーイズラブ)、TL(ティーンズラブ)と呼ばれるアダルト向け作品だった。とくに、新作のBL、TLには人気が集中した。書店で買うのは恥ずかしい作品でも、ケータイマンガなら誰にも知られずに読むことができる。ケータイマンガのダウンロードが深夜1時から3時頃に集中したのもそのためだ。このあたりは、ホームビデオの普及を陰で支えたのが、アダルトビデオであったことと似ている。

アダルト向けコンテンツで市場を拡大したケータイマンガが.スマートフォンの登場で縮小したことは前回も書いたが、長年ケータイマンガを扱ってきた編集プロダクションによれば、ケータイマンガはそのまま死滅したわけではなく、今でもそれなりの市場を規模を保っている。現にそのプロダクションもかつてほどではないがケータイマンガ向けの作品を編集しているのだという。それを支えているのは、ケータイコミックでBL、TLに親しんだファンたちだそうである。

縦スクロールで読む「ウェブトゥーン」の登場

スマートフォンの登場後、スマートフォンに適合した新しいマンガ表現として韓国から登場したのが、縦スクロールでマンガを読む「ウェブトゥーン」である。

ウェブトゥーンの原型となった縦スクロールマンガが、韓国で登場したのは1990年代後半だ。

1997年、財閥の韓宝グループや三美グループの破綻に端を発した株価の大暴落と通貨危機で通貨危機に瀕した韓国は、IMF(国際通貨基金)に対して救済金融を要請。韓国経済はIMFの指導のもとに経済引き締めや市場の自由化、財閥の再編といった管理下に置かれることになった。市場はいわゆる「IMF危機」と呼ばれる大不況に追い込まれた。多くの中小企業が倒産し、失業者が溢れた。

出版社も例外ではなかった。紙の雑誌の多くは休刊に追い込まれ、マンガ雑誌もほとんどが姿を消した。前回も簡単に書いたが、そんな中で韓国のマンガ家たちが発表の場として選んだのがインターネットだった。

韓国では1990年代の半ばに、XDSLによる高速インターネットインフラが完成。さらに、IMF危機からの脱出を目指した金大中政権が1999年に「サイバーコリア21」政策を実施してパソコンの普及やITベンチャー企業の育成に国を挙げて取り組んでいたのだ。このため、家庭へのインターネットの普及は2000年には49.8%と、国民の半分はインターネットを日常的に利用できる環境になっていた。

はじめのうちマンガ家は自分のサイトに個人的に作品をアップしていたが、まもなく、ITベンチャー企業の中から、自社のポータルサイトよりさまざまなマンガ家の作品にアクセスできるシステムを作り上げるところが出てきた。ポータルに貼り付けたバナー広告から収益を上げるビジネスモデルで、作品へのアクセスに応じてマンガ家にも一定割合が支払われることになっていた。

このときに、PCのモニター上で読みやすくするため、マウスのスクロールホイールを動かしながら読む縦スクロールマンガが登場した。ただ、初期の縦スクロールマンガは、コマごとに切り出して縦に並べただけのスタイルだった。ほとんどのマンガ家が、紙で出版することを意識したからだ。

音楽や効果音を入れた作品も登場したが、この頃はまだ一般化していない。しかし、縦スクロールのマンガは2000年代半ばまでに、韓国の電子コミックの標準的なスタイルになり「ウェブトゥーン」という名で呼ばれるようになっていた。

「コマ割り」を取り払った新しい表現

スマートフォンの登場で、韓国でも電子コミックを読むための端末はPCからスマホに移っていった。スマホを片手で扱う場合も縦スクロールのウェブトゥーンは読みやすかったが、ここでさらなる進化が起きた。縦スクロールではほとんど意味がなくなった「コマ割り」表現を取り払った、新しいウェブトゥーンが生まれたのだ。

コマの枠だけが残されて、コマとコマの間の余白が時間の流れや感情の動きを表すようになっている作品もあるし、連続した絵巻物のような作品もある。しかし、「ページをコマ割りによって構成する」という概念はもはやない。

新しいウェブトゥーンはスマホに最も適したマンガ表現として韓国では多くの若者の支持を受けた。無料のゲームアプリとともに無料(正確には直近の数話分が無料で、バックナンバーが有料になることが多い)で手軽に読めるウェブトゥーンはスキマ時間の娯楽として瞬く間に浸透したのだ。BGMや効果音が入った作品も一般化した。その中からは、映像化されてヒットする作品も出てきた。

韓国生まれのウェブトゥーンが日本に本格上陸したのは2013年11月。韓国最大のインターネット検索ポータルサイトを運営するNAVER系列である、NHNエンターテインメントの子会社NHN comicoが日本向けに無料のマンガ・小説アプリ「comico」の配信をスタートさせたのである。

「comico」が配信する作品はすべてがオリジナル作品でコマ割りなし、オールカラーのウェブトゥーン形式だ。これに触発された形で、日本国内にもウェブトゥーン形式のマンガを描く作家は増えつつあり、マンガやアニメを指導する専門学校や大学でも、ウェブトゥーンでの描き方を積極的に指導するようになってきた。日本のマンガ研究者の中には、紙のマンガがこのまま衰退すれば、マンガはすべてウェブトゥーン形式になる、と説明する人も少なくない。

さらに、日本マンガとの折衷型として、ページ毎に縦スクロールで読むというスタイルもあり、スマホ向けにはこれも定着しつつあるようだ。

ただ、前回にも書いたように、スマホが携帯端末として最終形なのかどうかがわからない以上、すべて縦スクロールに変わるかどうかも、軽々には言えないわけだが……。

「ウェブトゥーン」が変えたマンガの製作現場

マンガ情報を扱うウェブ・ニュース・サイト「コミックナタリー」に、韓国のウェブトゥーンの現状に関する興味深い記事があった。2016年10月27日に配信されたチョン・ゲヨン氏へのインタビュー記事である。

チョン・ゲヨン(KYE YOUNG CHON)氏は1996年に韓国の少女マンガ誌「ウインク」でデビュー。1997年に発表した音楽マンガ『オーディション』は韓国国内で少女マンガ部門の販売部数1位に輝くなど、数々のヒット作を生んだベテランだ。2000年頃からウェブで作品を描くようになり、現在は「Daum Webtoon」で恋愛マンガ『恋するアプリ』を連載して人気を集めている(本作は日本でも翻訳されている)。

もともと紙の雑誌でデビューし、2000年頃からウェブに移ったというのは、同世代の多くの韓国マンガ家と同じである。

私が興味を惹かれたのは、彼女が3DCGソフト「シネマ4D」を使って作品を描いているという点だった。公開されているメイキング映像によれば、まず3Dで背景や人物のモデルを制作してから、モニター上で配置をして、その上で2Dの平板な絵に変換しているようだ。

背景はもちろん、動きや表情も3DCGで制作するので、あらゆる角度の、あらゆる動きが効率的に仕上げられるわけだ。ウェブトゥーンはほぼ毎週1話ごとに更新される。カラーの作品を毎週描く以上、効率化は避けて通れない課題だ。チョン・ゲヨン氏は特別な例ではないのだ。端末や表現形式の変化は描き手の現場も変えているわけである。

日本でも、「Comic Studio」や「CLIP STUDIO」などのマンガ制作支援ソフトを使うマンガ家は多い。しかし、ここまで徹底してデジタル化しているマンガ家はほんのわずかだ。日本のマンガ家はまだ、自分の手でキャラクターを描きたいという思いが強い。ほとんどを機械任せにすることにはかなりの抵抗があるだろう。

環境の変化が表現の変化を生み出す?

表現においても製作においても、韓国のウェブトゥーンがここまで進化のスピードを上げた背景に、「紙の雑誌で描くことができない」という事情がある、というのは興味深い。逆説的に言えば、紙の雑誌が生き延びている日本では変化そのものがむずかしい、とも言える。3DCGのソフトやSNSは同じように発展しているはずなのに、それを効果的に利用することにはマンガ家サイドにも読者にも躊躇がある。その躊躇が進化にブレーキをかけている。これはちょっと悩ましい。

また、チョン・ゲヨン氏は先の記事で「ウェブトゥーンは編集者の干渉が少なく、自由度が高い」とも説明している。逆にマンガ家と読者の距離は近づいた、と。これを読めば、ウェブトゥーンに憧れる日本のマンガ家が増えるかも知れない。

このままスマホで読むという状態が続くのであれば、進化の著しいウェブトゥーンが電子コミックのスタンダードになる可能性も否定できない。

しかしはっきり言って、電子コミックがはじめにあげた二つの道のどちらをたどるのかを予測することは、非常にむずかしい。まったく違う第三の道が出てくるのかもしれないし、両者が融合することもありうる。

実際、ケータイコミックのコマにセリフや効果音、動きをつけてアニメーションのように加工した「モーションコミック」なども登場した。画像加工のコストの高さなどから普及は遅れているが、これが電子コミックのスタンダードになっても別に不思議はない。まだまだ、進化の頂点に立つものは決まっていないのだから。

歴史を振り返ると、日本の戦後マンガの文法が確立されたのは、1970年代に入ってからだ。1968年頃にはまだ、さまざまな表現手法が登場して混沌としている。戦後ストーリーマンガ登場の時期を1947年の手塚治虫『新寳島』とするのなら、それでも25年近くの歳月を要していることになる。

電子コミックも登場からほぼ25年だが、前回も書いたように端末の変遷によって、表現手法は大きく変わっており、進化樹の幹をつくれないままで来た。日本型の電子コミックもウェブトゥーンも、いまだに、10年くらいの歴史しかないと考えてもいい。あと15年くらいかけて、ようやく電子コミックのマンガ文法と呼べるものが生まれるのかもしれない。ぜひとも生まれてほしい、というのが私の気持ちだ。

執筆者紹介

中野晴行
マンガ研究者。和歌山大学経済学部卒業後、銀行勤務を経て編集プロダクションを設立。1993年に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』(筑摩書房)で単行本デビュー。『マンガ産業論』(同)で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を受賞。『謎のマンガ家・酒井七馬伝』(同)で日本漫画家協会特別賞を受賞。2014年、日本漫画家協会参与に着任。