第1回 本屋でこんな妄想は実現可能か

2013年2月14日
posted by アサダワタル

大阪にスタンダードブックストアという本屋がある。「本屋ですが、ベストセラーは置いてません」をキャッチコピーに、心斎橋と梅田のド真ん中で「買う前の本も読めるカフェ」を併設しているとても斬新でユニークな書店だ。

ここでは出版イベントをはじめ、様々なテーマのイベントが日々開催されていて、僕の著書『住み開き―家から始めるコミュニティ』(筑摩書房)を出版した際も、80人ほどの方が来られてトーク終了後もお客さんと一緒にビールを飲んだり。店内もまぁいい具合にごちゃごちゃしてて、色んなジャンルの書籍に関連する雑貨が所狭しとレイアウトされ、つい先日も旅系の本を立ち読みした矢先に横に置いてあったキャップとか買っちゃったり。

本屋? 何屋?

まぁ、この書店はすでに有名だし、僕がここでことさら詳しく書くことはないのだけれど、先日、社長の中川和彦さんと飲みに行った際に、彼は興味深いことを仰せられたのです。

「たまたま実家が本屋やったから継いだだけで、基本的に“何屋”であるかにはこだわっていないねん」(大阪市住之江区北加賀屋の焼き鳥屋での発言 2012年11月16日付)

また、こんなことを書かれていたり。

「私見だが、本屋は万屋(よろずや)になればいい。百貨店やイオンも元々は呉服屋だし、ダイエーは薬屋だった。業態を変えるということだ。本という素晴らしい商材を中心にしてモノでもコトでも何でも売ればいい。」(講談社発行『HUgE』 2013年2月号 78頁)

おお、そうか。そうなのか。

これは、僭越ながら、元々一介のバンドマンだった僕が、今では音楽だけでなく、雑文を書いたり、いろんな街に滞在してプロジェクトを企画したり、大学で教えたり、ほぼ “何屋” か判別不可能な存在として怪しまれつつもいじってもらい、結果、色んな人たちに楽しんでもらっている(と思うんだけど…)立場として、なんだかすごく勇気づけられる発言だったんですよ。そこで、ノリで彼に、「スタンダードブックストアで、本を使った社会実験(大仰に言うと)を一緒にしませんか?」と持ちかけたところ、即OKのお返事をもらった。

でもその後、実はちょっと後悔した。なぜかというと、よくよく考えたら、僕はただの書き手であって、大して本に詳しいわけでもなく、ましてや本屋のことなんて全然知らへんやないかと。世の中には、すでにブックコーディネーターとして活躍されているような方々がいる中で、本の専門家でもない自分が一体どんなことができるのかと。要は自信をなくしかけたんですね。

しかしながら、自分のこれまでの活動を振り返ってみた時に、あることに気付いたんです。「そもそも、自分はなんの専門家でもないわ」と。そうか。よくよく考えたら音楽から始まって、音楽だけじゃない色んな芸術がまじわるイベントをオーガナイズするようになって、それでスペースの運営とかに関わって、そしたらそこの街のおっちゃんとかと繋がって、いつしか世間的に言うところの “まちづくり” みたいなことと繋がってしまって、それで気がついたらそういうあれやこれやを「日常編集家」という肩書きででっち上げて物書きになって。

そんな感じで活動してきた僕としては、ひとつの日常生活をおもしろおかしくリミックスするための遊び場、試し所がたまたま「本屋」であるだけなんだと。

そういう割り切りをしてからは、僕が普段から色んなタイプのスペースや街中でやっている実験をそのまま、本屋に転用しなおせば、それはそれで面白いコミュニティが生まれるのではないかと。ということで、ここで2つばかり事例をあげましょうかね。

参照事例その1:スーパーで尾行買物

2011年の夏、僕は青森県八戸市の中心市街地に2ヶ月間住み込みで、「八戸の棚Remix!!!!!!!!」というプロジェクトを展開していた。ごく簡単に内容を説明すると、とある空き店舗を基地局にしつつ、そこから様々な街の遊び方&地域交流の仕組みを発案・実行するというもの。商店街で働く方やご近所さんを招いたトークイベント、地元の料理人と企画したちょっと風変わりな料理教室、建築学科の学生による廃家具を使った空間づくりなどなど。その中でとりわけ僕が気に入った遊びが、地元のスーパーを舞台に繰り広げられたこんなネタでした。以下、当時の告知文より転載。

「旅する料理教室 尾行ごはんサークル」
日常の食材調達をパフォーマンスとして演出。地元の食材を知り尽くすフードコーディネーターを助っ人に、まちゆく買物主婦たちをターゲットにして動き出す尾行サークル。Aさんを尾けてはAさんのかごの食材と同じものを自らのかごに入れ、Bさんを尾けては同じことを繰り返し…。こんな感じで集めてきた食材だけで調理をすると果たしてどんな創作料理ができるのでしょうか?

さて、開催する上でのルールは以下のようなもの。

 1.  ばれないようにすること
 2.とにかくばれないようにすること
 3.尾行リーダー、計算係、記録係 最低3人のメンバーでサークルを結成すること
 4.舞台となるスーパーの配置図は事前に入手して予習しておくこと
 5.1人に対する尾行(1尾行)につき、上限8品目までとすること(8は八戸にちなんで)
 6.1尾行につき、上限4000 円までを目安とすること
 7.ターゲットを完全に見失ったり、途中で結局買物をせず出て行ったりしたら直ちにカゴの中身を元に戻し、次の尾行へと進むこと
 8.安心して尾行するには、事前に舞台となるスーパーの担当者に承諾を得ておく方がベター
 9.とにもかくにもばれないようにすること

エビスビールに隠れて尾行の様子をチェック。

トランシーバーでターゲットを指示。グラサンかけて変装してるつもりの筆者。

お次はお魚コーナーをガン見する奥様がターゲット。

実際やってみたけど、意外とばれない。量り売りのお肉コーナーなどはその場で会計が発生する可能性があるので、尾行者がかなりターゲットに接近しないといけないんだけど、わりとうまくいったかな。ただ、普通に商品に見とれていたりするとすぐに見失ったりするんだけど。

場合によっては、いきなり高級品をゲットしてすぐに上限額に達して尾行が終了してしまうことも多いにあり得るし、とてつもなく食に偏りがでる商品が選ばれてしまう可能性も考えられる。また、これは実際にあったケースだけど、色々なコーナーで買物をしながら最後にターゲットに電話がかかってきて会話が終了したらなぜかカゴの中身を全部戻して外に走っていくみたいな…。そんな時は即座に割り切って次の尾行に務めないといけない。

あと、最後に重要なこととして、どんな食材にあたってもそれをとってもおいしい料理に仕上げる料理人の存在が不可欠。要は遊びとして美味しくシメないといけないというわけ。

例えば、この遊びを本屋に転用するとどんな現象が生まれるだろうか。

差し詰め「尾行立ち読みサークル」といった名前で一度実験してみてもいいのではないか。イメージはこんな感じ。

(イラスト:イシワタマリ)

うーん。わかりますかね? つまり、Aさんが立ち読みしている本を順々に遠目で追いながらチェック。例えば3冊に至るまで尾行を続けると(もちろんものすごくあっという間にその3冊が終わる場合と、すっごく長くなる場合と色々あるんだけど…)、一度、スタンダードブックストアのカフェコーナーにその3冊を持っていって、その趣向的な因果関係について勝手に色々憶測してそこから「とあるAさんの立ち読み本」というポップコーナーを作って売り出していく、といった遊び。

あるいはAmazonの協調フィルタリングのごとく、Aさんの帰り際に、「実は僕たち、さっきまであなたを尾けてたんですけど、あなたのお薦めの本はこういった本じゃないかと」と、ありがた迷惑な推薦をするとか(怒られるかな)。

こんな妄想についてとある本好きの友人に投げかけたところ、「もし自分が尾行されていることに気づいたら恥ずかしくて怒るわ!」とか「自分のチョイスが監視されて特設コーナーにされてたらパニックになって泣くかも」とか色々率直な意見をもらいつつ…。まぁあくまで妄想段階なんでね。ちょっといきなりハードルを上げてしまった感じがするので、次の事例にいきましょうか。

参照事例その2:“借りパク”専門のCD屋さん

“借りパク”とは、人から借りた物をそのまま自分の物にすることを指す言葉。ただし、万引きや泥棒のように始めから盗ることを前提にしていることは少なく、借りたことを忘れ、結果的に私物になった、当初は返すつもりであったが返せなくなったといったものが多い。

漫画、小説、ゲームカセット、DVD、CD、etc…。これらをついつい悪意なく「借りパクして」しまったり、返してほしかったけど「借りパクされて」しまったり。このような経験はきっと読者の多くの方もお持ちではないでしょうか。

かく言う僕もこれまで引っ越しや進学を機に、友人やかつての恋人から数多くの文化財を借りパクし、また同時に同じくらいの品々を借りパクされてしまったりを繰り返してきた。そしてとりわけその種類は、アサダが音楽をやっているがゆえに、圧倒的に「CD」だった。思い出すだけでもあれやこれや。

ハードロックから渋谷系、ニューウェイヴからテクノから歌謡曲などなど、洋・邦楽、ジャンルもそれなりに多岐に渡り、ひとつひとつに「ああ、あの時そう言えば返しそびれたな…」と、その時代時代の旧友の顔を思い出すわけですよ。そんなほろ苦い思い出とともに鮮やかに蘇ってくる素晴らしい名曲の数々。

そしてある時、僕の中でひとつの妄想が沸々と湧いてきた。「そんなCDとその“借りパク”エピソードを同時に集めて試聴展示をすれば、どんな感じで音楽を楽しめるのだろう!?」と。

ということで、大阪のアートコートギャラリーという由緒ある画廊さんからグループ展への参加依頼をいただいたことをいいことに、“借りパク”専門のCD屋さんを期間限定に立ち上げてみたのです。

いらっしゃいませぇ〜。満面の笑みでお迎えします。

100枚集めた借りパクCDのうち、なんと3枚もオザケンの「LIFE」が…。

お客さんの記憶に深くせつなく切り込むCD達。盛況でございます。

すべて手書きポップ、エプロンは某レコード店さながら、試聴機だって本物。そしてこの会場で、借りパクの思い出を語り合うトークサロンも開催し、音楽を通じた追憶の旅へと誘われたわけですよ。

さて、これは先ほどの“尾行”よりも、もっと簡単に本屋に転用できそうなネタではあるまいか。例えばこんな感じ。

(イラスト:イシワタマリ)

もうずばり“借りパク本”とその思い出をお客さんから募集して、スタンダードブックストアの一角に特設コーナーを作ってしまうんですよ。それで、カフェコーナーで「“借りパク本”集まれ!」と題したトークサロンも開催して、笑いあり、涙ありのエピソードまつりを繰り広げつつ、みんなでその本を回し読みする。場合によっては、その本をその場で買い取りしあってもいいかも(でもそれすると、もう二度と本来の持ち主には返らないけどね…)。

本のある場所を“出来事の万屋(よろずや)”に

さて、この記事を読んでくださっている方々が「こんなこと本屋でやってなんの意味あるの?」と思われたとしたら、ある意味答えに窮するのも確かだ。店側からすると「そんなことをして本は売れるのか?」とか、お客さんからすれば「もっと普通に本を読みたいんですけど」とか、言われればそれはそれで「そうですよねぇ…」と答えてしまう自分がいる。

でも一方で、“本”というメディアの可能性は、もっともっと日常生活のあらゆる過程に転用されうるものじゃないかという、実感もある。その感覚を言葉にしたり、企画として実行に移すとなれば、それは通常僕らが想定する本屋のイメージとは随分かけ離れた、一見まったく意味をなさないような取り組みを行いつつ、そこで生まれうるかもしれない有用性をフライングぎみに先読みしてみてもよいのではなかろうか。

尾行にしても、借りパクにしても、本の中身とは直接関係ないかもしれないけど、その“読み手”の人間くささが如実に、かつユニークに立ち現れる行為なんじゃないかな。そこから日常生活における本との付き合い方、人と人をつなぐメディアとしての本のあり方、色んなことが見えてきて、そういったヘンテコで楽しい、笑いあり、時に涙ありの対話が生まれる現場として、本屋を始めとした“本のある場所”が機能する

そう、冒頭の中川社長の言葉をかりれば、これは本を通じた“出来事の万屋(よろずや)”であり、本に触れた後に辿り着ける、一歩先のコミュニティなのかもしれない。

そんなわけで、この連載では、その曲名の本意がいまだはっきりとは解明されてない小沢健二 featuring スチャダラパーの名曲「今夜はブギーバック」に無理矢理ちなんで、「本屋はブギーバック」と名付け、かつ、様々な日常生活における行為からの“引用”気質たっぷりの、連載をお届けします。

(次回につづく)

※この連載と並行したイベントを、実際に大阪のスタンダードブックストアで行います。ふるってご参加ください。

スタンダードブックストア×マガジン航 presents
「本屋でこんな妄想は実現可能か!?」トーク&ワークショップ

日時:2013年3月23日 open 11:15 start 12:00
出演:仲俣暁生×アサダワタル×中川和彦
会場:スタンダードブックストア 心斎橋 BFカフェ
※詳細はスタンダードブックストアのサイトをご覧ください。

執筆者紹介

アサダワタル
日常編集家/作家、ミュージシャン、プロジェクトディレクター、大学講師。著書に『住み開き 家から始めるコミュニティ』(筑摩書房)、『コミュニティ難民のススメ 表現と仕事のハザマに』(木楽舎)など。サウンドメディアプロジェクト「SjQ(++)」メンバーとしてHEADZからのリリースや、アルスエレクトロニカ2013デジタルミュージック部門準グランプリ受賞。2015年11月末に新著『表現のたね』(モ*クシュラ)と10年ぶりのソロCD『歌景、記譜、大和川レコード』(路地と暮らし社)をリリース予定。京都精華大学非常勤講師。http://kotoami.org