2「本の黄金時代」としての二十世紀

2010年7月6日
posted by 津野海太郎

そこで、まず「本の黄金時代」について。私たちの多くがそこで生きていた二十世紀の百年が、あとにも先にも例のない本の力(能力でも権力でもあるような)の最盛期だったというのは、具体的に、どんなことを意味しているのか。

いちばんわかりやすいのは量です。いや、その量こそがじつは最大の問題なのですが、人類の歴史上、これほどケタはずれに大量の本が生産され消費された時代というのはかつて一度もなかった。なにはともあれ、つぎの数字を見てください。

Gabriel Zaid "So Many Books"

Gabriel Zaid “So Many Books”

一四五〇年  一〇〇点
一五五〇年  五〇〇点
一六五〇年  二三〇〇点
一七五〇年  一万一〇〇〇点
一八五〇年  五万点
一九五〇年  二五万点
二〇〇〇年  一〇〇万点

この表は、ガブリエル・ザイドというメキシコの詩人ジャーナリストが書いた『So Many Books(本がいっぱい)』という本でみつけたものです。二〇〇三年に刊行され、欧米でかなりの評判になった本で、「過剰の時代の読書と出版」という傍題がついている。以前、私が関係していた『季刊・本とコンピュータ』という雑誌の英文ウェブサイトを見て、著者が英語版を送ってくれました。

古い年代の数字は、さきに名前だけあげたフェーブルとマルタンの『書物の出現』という本を参照しているようです。一九五八年に刊行されて新しい書物史の先駆けとなった高名な本で、日本では筑摩書房から翻訳がでている。ただし半世紀まえの本ですから、研究がすすんだ現在から見ると、かならずしも正確な数字とはいえない。あとのほうの二十世紀にはいってからの数字はユネスコの統計によるものです。

したがって、前者はヨーロッパのみ、後者はアジアやイスラーム圏をふくむグローバルな数字と見ていい。二〇〇〇年の一〇〇万点のうちには、とうぜん日本の六万点がふくまれます。ついでにいっておくと、二〇〇九年、日本は八万三〇〇〇点、アメリカは一八万点。地球規模でいえばすでに一〇〇万点を大きく越えてしまった。

この表が一四五〇年からはじまっているのは、いうまでもなく、その五年後、ヨハネス・グーテンベルクの手になる最初の鉛合金活字による活版印刷本、いわゆる『四十二行聖書』がマインツで印刷されているからですね。したがって五〇〇点というのは、どういう数え方をしたのかはよくわかりませんが、本がすべて写本だった時代の最後にちかいある一年の刊行点数ということになる。

そして、その数が印刷技術の普及によって十六世紀以降、どんどん増えてゆく。なにしろ、人間が一冊一冊、手で書き写さなければならない写本とちがって、印刷というのは「同一コピーの多数同時生産」(アイゼンステイン)の技術なんですから。そのことで本が「ひとが生計をたてるために作り出すひとつの商品」(『書物の出現』)になり、出版が産業として確立される。つまり「印刷革命」がそのまま「書物の出現」につながってゆく。もっといえば商品となることで本がようやくいまあるような本になった。それが一九五〇年代後半に開始された「書物史」運動のまず最初の主張になるわけです。

こうした事情は東アジアもおなじです。ただし、こちらは活版ではなく木版ですが、唐の時代、七世紀にはじまり、五代十国の混乱期をへて、つぎの宋代に完成した木版印刷術によって「宋本」とよばれる完成度の高い本が出現し、出版が産業化への長い道をゆっくり歩みはじめる。日本でいえば江戸時代、十七世紀から十九世紀前半にかけて。浮世絵に代表される木版印刷の成熟によって、黄表紙や読本や合巻のような高度に洗練された本が一般に普及し、それをささえる出版システムが徐々につくられていった。

その後、十九世紀に刊行点数が急増するのは、前世紀にはじまる産業革命で紙の原料がそれまでのボロ布から木材パルプに変わったことと、蒸気式の印刷機の発明によって高速大量印刷が可能になったからです。そしてこの段階で、グーテンベルク起源の高度化された活版印刷技術が、おなじ時期にあいついで西洋型の近代化に踏み切った東アジア諸国に持ち込まれ、またたくまに定着してゆく。なかんずく日本の変化がはげしかった。

日本で、それまでの木版印刷が活版印刷にほぼ完全にとってかわられたのは、一八八〇年代、明治十年代から二十年代にかけて。印刷の高速大量化はとうぜん出版のさらなる産業化をうながします。

永嶺重敏『モダン都市の読書空間』

永嶺重敏『モダン都市の読書空間』

しかし、いくら商品としての本を大量につくる力があっても、それを買ってくれる人がいなくては、なんにもならない。それには、すでにかなりの読み書き能力を身につけ、新聞や雑誌に日常的にしたしむようになっていた人びとを本にしっかりむすびつける「何らかの書物の大衆化装置」が必要だ。そう考えた出版人たちが、昭和初頭、一九二〇年代なかばにつくりだしたしかけが「円本《えんぽん》」と「文庫」だった。

それが永嶺重敏さんの『モダン都市の読書空間』という本が説得力ゆたかに主張していたことです。二〇〇一年にでて評判になった本です。

円本というのは、若い人にはもうなじみがないでしょうが、改造社の『現代日本文学全集』を皮切りに、当時、たてつづけに刊行された一円均一で買える安価な全集本のこと。新潮社の『世界文学全集』、平凡社の『世界美術全集』や『現代大衆文学全集』、春陽堂の『日本戯曲全集』、春秋社の『世界大思想全集』など、おびただしい種類の全集が全国の書店や安売り露店(いまでいう新古書店)にドッとでまわった。どれも五十巻から百巻ぐらいある大全集で、それがまたよく売れたんですね。円本ブームです。

そして同時に文庫ブーム。昭和二年、一九二六年の岩波文庫の発刊がきっかけになった。円本が菊判(いまのA5判よりちょっと大きい)だったのに対して、文庫は手がるに持ちはこびできる小型本。新潮文庫、改造文庫など、こちらも古典や近代古典中心のよく似た文庫がバタバタと発刊される。さらに『文芸春秋』や百万雑誌の『キング』などがそこに加わり、一九二〇年代から三〇年代にかけての日本で、永嶺氏がいうところの「書物の大衆化装置」がいちどにでそろった。

永嶺氏によると、われわれの年代の日本人はよく電車で本を読んでいますよね、あの習慣が生まれたのがどうやらこの時期だったらしい。

関東大震災のあと、東京の「モダン都市」化がすすみ、地方出身のサラリーマン家庭が急増した。都市中間層の成立です。その若い会社員や官公吏が郊外の借家から都心の仕事場にかようための郊外電車網がととのい、通勤の車中で読む本が必要になった。その需要をみたしたのが円本や文庫本や雑誌で、それによって「車内読書」という新しい読書習慣が定着する。しかも、かれらにはつよい知的向上心がありましたからね。それらの本で家庭内に小さな私設図書館がもてるというのが大きなよろこびになったというんです。

「車内読書」もですが、この「家庭内図書館」というのも、私などの年代の人間には、たいへん納得がいく指摘なんです。

私がものごころついたころの敗戦後の日本はすさまじい紙飢饉でしたから、読むに足る新しい本がほとんどなかった。だから「のらくろ」や「怪人二十面相」などもふくめて、空襲で焼け残った戦前の古本や古雑誌にたよるしかない。その中心になったのが円本と文庫本です。『坊ちゃん』も『藤村詩集』も『鳴門秘帖』も『モンテ・クリスト伯』も『人形の家』も、みんなそれで読んだ。じぶんのところにないものは友だちの家から借りてきてね。だからまさしく図書館なんですよ。私のあと団塊世代あたりまでは、みなさん、ていどの差はあれ、親たちが若いころ乏しいサラリーをやりくりしてつくった家庭内図書館のおかげをこうむって暮してたんじゃないかな。

その意味では昭和はじめの円本ブームや文庫ブームが、それから五十年ちかく、日本人の暮らしを文化面で下支えしていたといってもいい。これが「本の黄金時代」の最初の峰です。

そしてつぎの曲がり角が五〇年代末から六〇年代にかけて。敗戦日本がようやくどん底から這い上がり、それまでの飢餓状態への反動という面もあって、出版界が急速にいきおいをとりもどしてゆく。敗戦の一九四五年にわずか六五八点だった刊行点数が、私が編集者になった六二年には一万三〇〇〇点ですからね。刊行点数が増えただけでなく、だす本の幅もひろがり、占領下ではだせなかったヨーロッパの新しい前衛小説や、従来の出版界からは敬遠されがちだったジャズや映画の本なども、しだいに楽にだせるようになっていった。

このいきおいはさらにつづき、七一年に二万点、八二年に三万点、九〇年に四万点、九四年に五万点、九六年に六万点、二〇〇一年にはなんと七万点越えです。ふと気がつくと、「同一コピーの多数同時生産」はついにこの段階にまで到達してしまっていた。なかんずく世紀末の十年の急上昇ぶりがいかに異様なものであったかということが、よくわかると思います。

しかも、これは日本だけのことじゃないんです。まず第一次大戦後、二〇年代から三〇年代にかけて、ついで第二次大戦後、英米仏をはじめとする当時の先進諸国でも共通しておなじような本の大衆化現象が見られた。以前は少数のエリートのものだった教養が一般に解放された結果、分厚い知的中間層が生まれ、それに並行して読み書き能力を身につけた大衆向けの出版が爆発的に拡大してゆく。いったん火がつくともう止められない。行きつくところまで、とことん行ってしまう。

ガブリエル・ザイド氏の本から、もうひとつ、べつの対比を引いておきます。前者はグーテンベルク革命からの百年間にヨーロッパで出版された本の、後者は二十世紀後半の五十年間に世界で出版された本のおおよその合計――。

一四五〇年~一五五〇年  三万五〇〇〇点
一九五〇年~二〇〇〇年  三六〇〇万点

すごいですね。ザイド氏ならずとも、思わず「本がいっぱい」と嘆息をもらさざるをえない。いや嘆息だけじゃないんです。かれの本のタイトルが so many books となっていて too many ではないことに注意してください。「いっぱい」だけど、でもそれを「多すぎる」とはいいたくない。ザイド氏はなかば呆然となりながらも、同時に、むかしは僧侶や王侯貴族の占有物だった本が、私たちの二十世紀にいたってとうとうここまで解放された、なんといってもこれはいいことなのだ、とも感じているらしい。

――本が読まれていない、本は衰退しつつあるというが、そうじゃない。現に、いまはかつてないほど大量の本が出版されている。その分、私たちは、かつてないほど多様な本を自由に読めるようになった。むしろ、本と読書にとっていまほどいい時代はない、と考えるべきじゃないのか。

こういう感じは、たしかに私なんかにもあるんです。かつて少年時代に体験した本や読書への飢えの深さを思いおこせば、ありあまる本にかこまれた現状はほとんど夢の国ですよ。技術革新と産業化によってはじめて実現した本好きたちのユートピア、つまり「本の黄金時代」。そのことは私も否定しない。

※本稿は国書刊行会から今秋に刊行される予定の、津野海太郎氏の新著のために書き下ろされた文章「書物史の第三の革命~電子本が勝って紙の本が負けるのか?」の抜粋です。これから月に1~2回のペースで1章ずつ公開していく予定です。