カタリココ、本の未来にむけての種まき

2010年2月22日
posted by 大竹昭子

カタリココがはじまったのは2007年1月、西麻布のレイニーデーブックストアー&カフェでのことである。前年の秋だったか、片岡義男さんが日経新聞の文化欄に、こういうブックカフェが出来た、雨の日に朗読会をするのにぴったりだと書いていらしたのを読んだ。『スイッチ』『コヨーテ』の版元スイッチ・コーポレーションの地下にブックカフェが開いたのをそれで知った。

本が売れないだの、取次制度が悪いだの、出版点数が多すぎだの、絶版処置が早まっているだのと、本を書く者を不安にさせる話題ばかりで暗澹たる気持ちになっていた時期だった。だからと言って書くのを止めるわけにはいかない。ならどうすればいいかとつらつらと考えていた。

2009年6月20日、森岡書店にて堀江敏幸さんを招いた回の風景。撮影:山本寿人
2009年6月、森岡書店にて堀江敏幸さんを招いた回。撮影:山本寿人

さっそくそのカフェに出むいて本棚のある落ち着いた空間を目にしたとたん、愚痴っているよりこういう場所で元気の湧いてくることをしようと思った。文句や悪口を言うとエネルギーの出る人もいるけれど、私はポジティブなことにむかっていないと活力が出てこない。

ゲストを招いてトークと朗読の会をしてはどうだろうともちかけると、『コヨーテ』編集長の新井敏記さんも賛同してくれた。「朗読会」では古くさいので「語り」と「ここ」を結びつけて「カタリココ」と命名し、10回開催してインタビュー内容の一部を『コヨーテ』に再録、翌年からは都内の古書店とカフェに会場を移して継続し現在に至っている。2010年の今年も10回開催の予定だ。

本が売れないと言われるが、本当に本など必要ないと人は思っているのだろうか。私にはとてもそうは思えない。「本離れ」は望んでそうなったというより、さまざまな外圧に押された結果であり、DVDが普及したためにビデオが不要になったような状況とは根本的に異なるのだ。

若者のメインの楽しみが本と映画だったころはだれもが本のことを話題にした。読めなくても本が欲しかった。触れているだけでカッコいい時代だったのだ。ゲームあり、インターネットあり、各種のイベントありと選択肢の多い現代では、読みたい本を見つけるのは九十九里浜でコンタクトレンズを拾うようにむずかしい。

生身の人間を通じて本の「熱」を伝える

新聞や雑誌の書評はいまも本を見つける手がかりを供給してくれてはいる。だが、それを役立てられるのは本と親しんできた世代だ。新聞をとってない人が増えている状況下では活字の力で本の読者を増やそうとしても限界がある。もっと生身の人間を通じて本の「熱」を伝えたほうが届くのではないか。音楽の人たちはCDを自主制作してライブの場で手売りするが、あれと似たような現場感を書籍にも持ち込んで書く側と読む側がダイレクトにエネルギーを交感する場を創りだしたいと思う。

本の内容はあとからたどれるが、朗読はその場にいないと体験できない。その意味で一回かぎりのライブである。朗読は国語の時間以来というゲストが多いが、上手下手ではなく、綴られた文章が声になって読者の耳に届くところにおもしろみがある。テキストが本という物体を離れて音になり、別の文脈を泳ぎだすのだ。

その感覚はいうならば本を演奏しているのに近い。言葉の音色、音程、行間の開け方などで思わぬ効果が生まれ、観客の意識がそれが呼応して場の空気が凝縮したり膨らんだり解き放たれたりする。自分自身が書いたものが声にのって別物に転じるこの感覚を私は嫌いではない。自意識から自由になって物語そのものに入り込んでいけるような気がする。

作家の声を聞くと作品を理解するのに邪魔になるという人もいるだろう。そういう人は自分のペースで自由に本と関わればよい。カタリココは本を通じて自分の外側の世界と関わりたい人、本を読むことと本から目を上げて世界を見渡すことの両方をしたいと願っている人のものだ。

ここ数年、街のあちこちに若い人の営む古書店やカフェが増えてきた。彼らは物を売るだけでなく文化を発信する側にまわりたいという思いが強く、こうしたイベントにとても乗り気である。お店のオーナーたちと議論しながら企画を進めていくのは私にとっても刺激的で楽しい。こうした試みをするお店や書き手がもっとあらわれ、全国のあちこちでカタリココが開かれるようになれば、10年後の本の未来はいまよりもっと明るいものになるだろう。そのためにせっせと耕して種をまいているのだ。

現在進行しているのは今年前半の企画で、四谷三丁目のふたつのカフェを会場に毎回旅先を決めておこなっている(詳細はこちら)。来る2月27日は写真家の板垣真理子さんがゲストで、旅先はブラジル。彼女が取材したブラジルの踊りと音楽、そのルーツについて語りあう。3月13日は詩集『ブルックリン』を著わした詩人の宋敏鍋さんと「ニューヨーク」へ、4月17日は精神科医・作家の春日武彦さんと一緒に「ココロの世界」へと旅立つ予定である。

この3年でカタリココの名前はすっかり定着した。「今度のカタリココ、楽しみです」と人々が当たり前のように言うのをおもしろいなあと思う。だれももう朗読会とは言わない。前からあったように「カタリココ」を口にする。「語り」と「ここ」をくっつけたこの言葉には思わぬ呪力がそなわっているようである。

■関連サイト

大竹昭子のカタリココ

執筆者紹介

大竹昭子
1980年代初頭にニューヨークに滞在、文章を書きはじめる。写真も撮る。文筆家。小説、エッセイ、批評など、ジャンルを横断して執筆、著書に『図鑑少年』『随時見学可』『間取りと妄想』『須賀敦子の旅路』『東京凸凹散歩』『彼らが写真を手にした切実さを』『ニューヨーク1980』など多数。2007年より都内の古書店を会場にトークと朗読のイベント〈カタリココ〉をはじめ、現在、その活動から生まれた〈カタリココ文庫〉を刊行中。