第7回 マンガの「館」を訪ねる[後編]

2013年2月28日
posted by 西牟田靖

戦後マンガ史の古層を目の当たりにする

話はふたたび、最初に訪れた現代マンガ図書館に戻る。閲覧室と同じ二階の奧にある書庫に入った途端、胸や頭を圧迫されているような錯覚をおぼえた。部屋の端から端まで、人一人通れないぐらい間隔で本棚が並べられ、どれもマンガ本で満杯になっている。棚の高さは天井の梁ギリギリの高さで、梁のない部分の天井と本棚の隙間はぎっしり本が埋まっている。

現代マンガ図書館の書庫。狭い通路なのでものすごい圧迫感。

個々に集めている方はいるかも知れませんが、これだけの規模で実物がひとつのところに集まっているのはほかにないかもしれません。

案内を買って出てくれた現代マンガ図書館スタッフの長橋正樹さんは控えめにだが胸を張った。目の前の棚には昭和30年代の貸本マンガとおぼしき古い作品の背表紙がずらっと並んでいる。その時代の貸本マンガの実物だけでもざっと数百冊はあるだろうか。白土三平や水木しげるというビッグネームたちがまだ駆け出しだった、貸本マンガ家時代の作品もここには置いてある。

貴重な貸本時代のマンガも大量に保存されている。

表紙が散逸したため、集めた内記稔夫氏が自らカバーを手書きで作ったとおぼしき「手製カバー貸本」の背表紙が並ぶコーナーもなかには見受けられる。以前、国会図書館の書庫を見学したとき、その時代のマンガ雑誌をみたことはある。しかし、この時代の貸本のマンガ本をひとまとめに見たことは初めてだった。

古い貸本マンガの棚から、三階の書庫へ移動すると、景色が変わった。本棚に並んでいたカラフルな背表紙が消え、紙の断面ばかりが見える。雑誌を立てたとき下にくる「地」が手前に来るように寝かせて置いてある。寝かせてある分、奥行きが必要になる。そのため棚には収まりきらず、棚の上から下まで棚からはみ出したかたちで収納されている。しかも、通路の両側がそうした状態なので、通路は狭い。とてもじゃないがまっすぐ奧へは行けない。しかも通路によっては本や雑誌の束が紐で縛られ、背の高さぐらいまで積み重ねられていたりして行く手を阻んでいる。

増え続ける雑誌は地を手前に並べ、発行年と号数を印字して管理。

「床抜け」シリーズの第二回(「続・本で床は抜けるのか」)に一平方メートル辺りの床の強度を記した。鉄筋コンクリート造りの一般的なマンションやビルのテナントなどは300キログラム/平米、図書館は600キログラム/平米。マンガ雑誌の紙質はざらばん紙(わらばん紙)のような安価で軽い紙を使っているので、文字ベースの単行本などに比べるとずっと軽い。しかし、それでも床の強度が大丈夫なのか、気になってしまう。

何か床の補強はしているのか、と訊ねると長橋さんは苦笑した。

これといって何もしていません。床は一応コンクリートなので、抜けることはないと思うんですけどね。

床抜けの可能性があるとしても、ビル全体が本で埋まってしまった以上、すべての本を取り出して補強するわけにはいかない。大丈夫だと信じるしかない、ということのようだ。

マンガ本を集める動機

小学館が書店用に発行していた「ナマズの巣」というコミックガイドがある。以下はそこに内記氏が連載した「マンガとともに生きた私の戦後史」からの抜粋である。

内記稔夫 1937年東京神田に生まれる。小学5年生のとき、手塚治虫の漫画に出逢い、以来手塚漫画のファンになる。中学生のとき、漫画家養成講座を受講し、漫画家になる夢を持つ。高校3年生のとき、貸本屋「山吹文庫」を開業、漫画の収集を続け、1978年に国内初のマンガ専門図書館「現代マンガ図書館」(昭和3年発行の『現代漫画大観』から最新のコミックスやマンガ雑誌まで15万冊を収蔵)を設立。1997年に第1回手塚治虫文化賞・特別賞を受賞。現在、全国貸本組合連合会理事長を務めている」(「ナマズの巣」 vol.17 1999年8月)

この文章からは内記氏が貸本屋として出発し、仕事の発展の結果、店舗が図書館となったことが伺える。現在の収蔵数である約18万冊より3万冊も少ないのは10数年で3万冊増えたということをあらわしている。

内記氏が貸本屋を開業した昭和30年(1955年)はちょうど貸本の全盛期であった。それから5年がたった昭和35年(1960年)には「貸本屋は全国に三万軒、都内にも三千軒あったといわれる。小学校の数よりも多く、銭湯の煙突をめざせばその下には必ず貸本屋があった」(『ナマズの巣』第6回)と言われるほどに店の数が多かったという。内記氏はそうした貸本屋の黄金時代という時代の波に乗り、順調に業績を伸ばしていった。

入り口の手前には、創設者である内記稔夫さんの写真や遺品が展示されている。

マンガ専門の図書館を作る計画が持ち上がったのは、開業から20年の歳月が流れたあとのことだ。そのいきさつはどのようなものであったのだろうか。やや長くなるが、同冊子に掲載されている内記氏本人による回想を紹介しよう。

昭和50年の夏、難解マンガの評論「漫画主義」の同人で、当時すでに白土三平や「ガロ」系作家のマンガ評論家として活躍していた石子順造氏から、貸本屋についての取材依頼があった。高円寺の「大竹文庫」大竹正春氏ほか数名とともに懇談したなかで、石子氏は「マンガは庶民文化の一つとして、当然保存してゆくべきだ。特に貸本屋は、その恩恵に浴してきたのだから、貸本業者が中心になってマンガ資料館が作れないだろうか」と提言された。マンガ全盛の時代なのに、マ ンガ専門の図書館は皆無だった。これには皆大いに賛同して、石子氏の仕事場に近い十二荘[原文ママ。十二社の誤り](西新宿4丁目あたり)の喫茶店で打ち合わせを行ない、深夜まで論議することもたびたびあった。

(略)

そして大竹正春氏を中心に、貸本業者、ファン、貸本屋の歴史を研究している大学教授、マンガ評論家などの同志を募り、昭和51年春、マンガ資料館を目標とした団体「貸本文化研究会」を発足させた。ところが、石子氏はこの会設立の前に病に倒れ、他界されてしまったのだった。それでも機関誌「貸本文化」を発行して例会を開き、地道な活動を続けた結果、各地の貸本屋さんたちから貸本マンガの寄贈やカンパが少しずつ集まってきた。

そんな頃、道路拡張区画整理のため私の自宅を建て替えることになった。昭和53年3月に竣工したビルは、テナント収入を借金返済に充てる予定だったが、2階の一室をマンガ資料館にしようと思い、貸本文化研究会のメンバーに協力を要請したところ、快諾を得て6月から準備に取りかかった。

その夏は例年にない猛暑で、手伝いの者たちは汗と埃にまみれて作業に没頭した。貸本文化研究会のメンバーだけでは足りず、店のお客さんにも呼びかけてお手伝いを願った。男性軍は運搬と架設、女性にはリストやカード作りをお願いした。皆マンガ好きなので作業の合間に本を読みだしたりマンガ談義に花が咲いたりで作業がはかどらず、徹夜することもたびたびあったが、マンガに囲まれての楽しい時間でもあった。運搬した本はトラック6台分あった。自宅の押入れからは、出しても出しても後から出てくるので、誰かが「この押入れは四次元に繋がっているんじゃないの」と言って大笑いしたことを懐かしく思い出す。

こうして約半年の準備期間を経て、日本初のマンガ専門図書館「現代マンガ図書館〈内記コレクション〉」が誕生した。当初の蔵書はわずか3万冊だったが、私の蔵書が2万7千冊と、各地の貸本屋さんからの寄贈本が3千冊ほどあった」(「ナマズの巣」 vol.22 2000年7月)

先に記したプロフィールにあるとおり、内記氏は貸本屋を経営しながらマンガを集めていた。その時点ではまだ、個人的な趣味の域を出ていなかった。しかし、石子順造氏という評論家が「マンガ図書館」設立を提案したのを転機に内記氏のコレクションはその性質を大きく変えることになる。内記氏個人の思いから集め始めたコレクションが、貸本文化の保存、そして貸本を含むマンガ全般の保存という公的な意味合いを色濃く持つことになったのだ。

この提案をしてまもなく石子氏は亡くなるが、彼の案は生き続け、最終的には内記氏が中心となり、貸本業界を中心とする仲間たちが協力し、現代マンガ図書館設立へとこぎ着けた。

その後、内記氏は大宅壮一文庫を参考にマンガの資料の収集・整理につとめた。実質的な「マンガ版大宅文庫」 として、現代マンガ図書館の経営を軌道に乗せた。そして、命が果てるまで、マンガを集め、整理し続けたので ある。 なお大宅文庫には基本的にマンガは置いていない。「マンガはどこにあるんですか」と大宅文庫で聞くと 「現代マンガ図書館にならありますよ」と案内される。

亡くなった後も増殖し続けるコレクション

同人誌を除く、日本のマンガをすべて揃える勢いで、長年収集し、散逸せずに残せたのは、この六階建てのマンションが内記家の持ち物件だったからこそだ。そうでなければ、このような使い方は無理なのではないだろうか。建物の名前はビルデンスナイキ。1978年にこのマンションが建てられたとき、所有者は内記稔夫氏とその父親であった。

とくに自分の好きなマンガだけを集めたんです。マンガに関係あるものなら何でもかんでも、集めていました。このビルの中にぎゅうぎゅう詰めにして置いてあります。

作者名の五十音順や長編・短編、本の判型などの条件によって並べられている。その数はざっと18万点。その内訳について「現代マンガ図書館〈内記コレクション〉」のパンフレットには次のように書いてある。

主に戦後、国内で発行されたマンガの単行本や雑誌、マンガの入門書・評論集・歴史の本などを収集し、現在では180,000点を超える資料を収蔵するに至りました。古くは昭和3年発行『現代漫画大観』から、最新の人気作品までを揃えており、中でも昭和30年代に発行された「貸本マンガ」「貸本劇画」は、現在第一線で活躍している漫画家たちのデビュー作や初期作品を多く含むため、特に貴重な資料のひとつです。また、マンガ雑誌などのバックナンバーは現在から40年分は遡ることができるため、研究資料としての価値は大変高いものになっております。

単行本は約10万5000冊、雑誌は6万7800冊、その他雑誌4200冊、その他3000点という内訳である。オープン当時からできるだけすべてのマンガを残していこうという方針を持っていて、その点は今も貫かれているそうだ。「18万冊」ではなく、「18万点」としているのはマンガだけでなくキャラクターグッズやアニメのカレンダーやポスターなど補完資料を含んでいるからだ。

それにしても不思議なのは、これだけの点数をすべてこの建物の中に収蔵できているのか、ということだ。そうたずねると、長橋さんはこう答えてくれた。

書庫からはすでにあふれています。この階よりも上には未整理の本を置くのにふた部屋使っています。五、六階が住居で、三、四階が書庫として使用中。なお、四階の二部屋に未整理の本がおいてあります。そしてこの建物の他に2箇所倉庫を借りています。新刊の整理は、とてもじゃないですが追いつかないですね。

2012年6月に内記氏が74歳で亡くなった後も蔵書の数は増え続けている。マンガ雑誌やコミックスをなるべく完全なかたちで集めるという目的があるため、マンガが発刊され続けている限り、コレクションの数は増え続けるのである。

いまも毎日取次から新刊が届きます。

その言葉を聞いて「ドラえもん」に登場したある道具のことを思い出した。道具とは「バイバイン」という薬品である。これを一滴、振りかけると物が倍に増える。のび太が試しにどら焼きに振りかけたところ食べきれなくなり、しまいにはドラえもんがロケットを使って宇宙へ運び出さざるを得なくなる――というあらすじだった。

内記氏の死後、着々と増え続けるマンガも、「バイバイン」で増えたどら焼き同様、手がつけられなくなるぐらいに膨張し、この図書館はおろか地球全体をマンガで埋め尽くすのは時間の問題となり、しまいには、ドラえもんはどら焼きが増殖したときと同じく増え続けるマンガをロケットで宇宙空間に運び出す――そのようなありもしない妄想を抱いてしまった。

父の蔵書を受け継ぐということ

内記氏は生前、結婚していた。1937年生まれであるから僕の両親とほぼ同世代である。彼にもし子どもがいるならば、僕と同様に40代前半であるかもしれない。だとすれば、1978年に竣工したビルデンスナイキに彼らは幼少のころから住み、成長した、ということではないだろうか。

膨大な蔵書と住居が同じ建物にあるのだから、住居スペースに蔵書が浸食したり、稼ぎをマンガにつぎ込んだりして、日々の生活が脅かされたりすることは、おそらく日常的にあったのだろう。そうした日々に家族が嫌気が差したりしなかったのだろうか。というかそもそも内記氏に子どもはいたのだろうか。

すると長橋さんはこう言った。

内記さんの娘、ゆうこさんはここで働いていますよ。「株式会社ないき」という名称で法人化し、今はその取締役を務めています。

やはり子どもはいたのだ。しかも、驚いたことに取締役をつとめているというではないか。

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ワルシャワで、「家みたいな書店」と出会う

2013年2月26日
posted by スガタカシ

はじめまして。世界の人がどんな空間で、どんな日常をおくっているのか。昨年夏に勤めていた書店を退職し、世界一周をしながら、Biotope Journalというプロジェクトをやっています。

Biotope Journal の「空間と人」では、ある地域を、記事ごとひとつのキーワードに焦点を当てて、お伝えしています。東欧にはいると街で、たくさんのちいさな書店をみるようになりました。東欧でひとは本と、どのように過ごすのか。今回は、とりわけ多くの書店を目にしたポーランドから、書店を経営している方へのインタビューも交え、お伝えします。

駅にも古書店 ポーランド

ポーランドの書店が面白そうだと感じたのはクラクフにいた時のこと。さすがは文化都市と言うべきか、駅構内にまで書店のスタンドが立っている。品ぞろえはすこし新刊も混ざっているものの、大半が古書。その他日本のスタンドと異なるのは、文芸作品の多さが際立つこと。雑誌は雑誌スタンドで買うこと。そして自己啓発本が見当たらないこと。

クラクフから、ワルシャワへ移ってみても、やっぱり目につくのは新刊、古書を問わず、小さな書店だ。古書店にて、小さなハードカバーの文学シリーズ。カラフル。

児童書。

日本ではなかなかお目にかかれないクオリティの造本を見かけることもしばしば。1冊の中で本文紙の色を変えていて、版画の挿絵がよく映える。

Tarabukの扉を開ける

そんなポーランドの首都・ワルシャワで、前を通りがかるたび、気になって仕方がない店があった。

ポーランドの知の頂点・ワルシャワ大学から程近く。歩いていてぐうぜん見つけたのは、本が木の葉のように、幹に茂った書店のロゴ。そのデザインにも、通りから窓越しにうかがえるお店の雰囲気にもひかれて、明日にもワルシャワを離れるという夜、駆けこむように扉を開けた。

店内に足を踏み入れると、奥のカフェを埋め尽くす人の熱気に驚く。ちょうどその夜、店ではトークイベントの最中だった。当然のことながら飛び交う言語はポーランド語。まったくわからない。

しかしおそるおそる英語でスタッフに話しかけてみると、写真撮影を快諾してくれる。

店内は古い家具の置かれたくつろいだ雰囲気のカフェと、書店が融合したスタイル。とはいえ本の品揃えもけっしておざなりなものではない。文学、哲学、歴史、心理学…。アカデミックな本までが揃う。

レジ前には平積みの本。スーザン・ソンタグ、黒澤明の名前が見える。

一方では絵本を中心に、これまでみたポーランドのどの書店よりも、ビジュアル本が充実している。

夢中で棚を眺めていたそのとき、ソファでくつろいでいる壮年の男性に声をかけられた。

「日本人ですか」

「ええ。よくわかりましたね」

決して日本人の多い国ではないからか、それとも顔の問題か。ここポーランドで、自分を最初から日本人であると分かる人はそう多くない。「そうだと思いましたよ。日本人は世界でもっともミステリアスな人々です」

ささやくように語りかけてきたこの人物。それがこのTarabukのオーナー、ヤコブ・ブラートだった。

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Editor’s Note

2013年2月18日
posted by 仲俣暁生

先週末に、ふたつの連載企画をスタートしました。ひとつは日常編集家のアサダワタルさんによる「本屋はブギーバック」という、本屋さんでのワークショップ実践と連動させた企画です。

本を使った社会実験

インターネット書店や電子書籍の登場、新古書店や図書館との競合によって、書店ビジネスが難しくなっていくなか、大胆な発想の転換で、本屋さんを「本を使った社会実験」の場にしてしまおう、という提案ですが、さっそくこの連載と並行したイベントを、実際にスタンダードブックストア心斎橋店で3月に行うことになりました。

今回の記事はその前段階として、これまでにアサダさんがなさってきた「日常編集」の例を紹介してくれています。これらが「本屋」で行われたらどうなるのか、いまからとても楽しみです。「マガジン航」編集人として、私もこのイベントに出演しますので、ぜひご来場ください。

スタンダードブックストア×マガジン航 presents
「本屋でこんな妄想は実現可能か!?」トーク&ワークショップ

日時:2013年3月23日 open 11:15 start 12:00
出演:仲俣暁生×アサダワタル×中川和彦
会場:スタンダードブックストア 心斎橋 BFカフェ
※詳細はスタンダードブックストアのサイトをご覧ください。

人はなぜ本を「出版」するのか

もう一つの新連載は、編集者の清田麻衣子さんによる「本を出すまで」。出版社勤めをやめ、自らの版元を起こして出版活動をはじめることにした清田さんに、会社を立ち上げ、実際に本が出版されるまでのプロセスを具体的に綴っていただきます。

それと並行して、すでに一人あるいは少人数で活動している小出版社の人たちにも取材していただき、本がなかなか売れない時代、読まれない時代に、それでもなお「出版」の志を掲げようとする人たちの理由や動機、方法論を伝えていければと考えています。

初回で取材していただいたのは、京都の編集工房〈SURE〉の北沢街子さん。京都の町で、そこに住む人々の小さなサークルから生まれ、人から人へ、手渡しで売られていく本のあり方がうかびあがります。今後の展開にぜひご期待ください。

第1回 本屋でこんな妄想は実現可能か

2013年2月14日
posted by アサダワタル

大阪にスタンダードブックストアという本屋がある。「本屋ですが、ベストセラーは置いてません」をキャッチコピーに、心斎橋と梅田のド真ん中で「買う前の本も読めるカフェ」を併設しているとても斬新でユニークな書店だ。

ここでは出版イベントをはじめ、様々なテーマのイベントが日々開催されていて、僕の著書『住み開き―家から始めるコミュニティ』(筑摩書房)を出版した際も、80人ほどの方が来られてトーク終了後もお客さんと一緒にビールを飲んだり。店内もまぁいい具合にごちゃごちゃしてて、色んなジャンルの書籍に関連する雑貨が所狭しとレイアウトされ、つい先日も旅系の本を立ち読みした矢先に横に置いてあったキャップとか買っちゃったり。

本屋? 何屋?

まぁ、この書店はすでに有名だし、僕がここでことさら詳しく書くことはないのだけれど、先日、社長の中川和彦さんと飲みに行った際に、彼は興味深いことを仰せられたのです。

「たまたま実家が本屋やったから継いだだけで、基本的に“何屋”であるかにはこだわっていないねん」(大阪市住之江区北加賀屋の焼き鳥屋での発言 2012年11月16日付)

また、こんなことを書かれていたり。

「私見だが、本屋は万屋(よろずや)になればいい。百貨店やイオンも元々は呉服屋だし、ダイエーは薬屋だった。業態を変えるということだ。本という素晴らしい商材を中心にしてモノでもコトでも何でも売ればいい。」(講談社発行『HUgE』 2013年2月号 78頁)

おお、そうか。そうなのか。

これは、僭越ながら、元々一介のバンドマンだった僕が、今では音楽だけでなく、雑文を書いたり、いろんな街に滞在してプロジェクトを企画したり、大学で教えたり、ほぼ “何屋” か判別不可能な存在として怪しまれつつもいじってもらい、結果、色んな人たちに楽しんでもらっている(と思うんだけど…)立場として、なんだかすごく勇気づけられる発言だったんですよ。そこで、ノリで彼に、「スタンダードブックストアで、本を使った社会実験(大仰に言うと)を一緒にしませんか?」と持ちかけたところ、即OKのお返事をもらった。

でもその後、実はちょっと後悔した。なぜかというと、よくよく考えたら、僕はただの書き手であって、大して本に詳しいわけでもなく、ましてや本屋のことなんて全然知らへんやないかと。世の中には、すでにブックコーディネーターとして活躍されているような方々がいる中で、本の専門家でもない自分が一体どんなことができるのかと。要は自信をなくしかけたんですね。

しかしながら、自分のこれまでの活動を振り返ってみた時に、あることに気付いたんです。「そもそも、自分はなんの専門家でもないわ」と。そうか。よくよく考えたら音楽から始まって、音楽だけじゃない色んな芸術がまじわるイベントをオーガナイズするようになって、それでスペースの運営とかに関わって、そしたらそこの街のおっちゃんとかと繋がって、いつしか世間的に言うところの “まちづくり” みたいなことと繋がってしまって、それで気がついたらそういうあれやこれやを「日常編集家」という肩書きででっち上げて物書きになって。

そんな感じで活動してきた僕としては、ひとつの日常生活をおもしろおかしくリミックスするための遊び場、試し所がたまたま「本屋」であるだけなんだと。

そういう割り切りをしてからは、僕が普段から色んなタイプのスペースや街中でやっている実験をそのまま、本屋に転用しなおせば、それはそれで面白いコミュニティが生まれるのではないかと。ということで、ここで2つばかり事例をあげましょうかね。

参照事例その1:スーパーで尾行買物

2011年の夏、僕は青森県八戸市の中心市街地に2ヶ月間住み込みで、「八戸の棚Remix!!!!!!!!」というプロジェクトを展開していた。ごく簡単に内容を説明すると、とある空き店舗を基地局にしつつ、そこから様々な街の遊び方&地域交流の仕組みを発案・実行するというもの。商店街で働く方やご近所さんを招いたトークイベント、地元の料理人と企画したちょっと風変わりな料理教室、建築学科の学生による廃家具を使った空間づくりなどなど。その中でとりわけ僕が気に入った遊びが、地元のスーパーを舞台に繰り広げられたこんなネタでした。以下、当時の告知文より転載。

「旅する料理教室 尾行ごはんサークル」
日常の食材調達をパフォーマンスとして演出。地元の食材を知り尽くすフードコーディネーターを助っ人に、まちゆく買物主婦たちをターゲットにして動き出す尾行サークル。Aさんを尾けてはAさんのかごの食材と同じものを自らのかごに入れ、Bさんを尾けては同じことを繰り返し…。こんな感じで集めてきた食材だけで調理をすると果たしてどんな創作料理ができるのでしょうか?

さて、開催する上でのルールは以下のようなもの。

 1.  ばれないようにすること
 2.とにかくばれないようにすること
 3.尾行リーダー、計算係、記録係 最低3人のメンバーでサークルを結成すること
 4.舞台となるスーパーの配置図は事前に入手して予習しておくこと
 5.1人に対する尾行(1尾行)につき、上限8品目までとすること(8は八戸にちなんで)
 6.1尾行につき、上限4000 円までを目安とすること
 7.ターゲットを完全に見失ったり、途中で結局買物をせず出て行ったりしたら直ちにカゴの中身を元に戻し、次の尾行へと進むこと
 8.安心して尾行するには、事前に舞台となるスーパーの担当者に承諾を得ておく方がベター
 9.とにもかくにもばれないようにすること

エビスビールに隠れて尾行の様子をチェック。

トランシーバーでターゲットを指示。グラサンかけて変装してるつもりの筆者。

お次はお魚コーナーをガン見する奥様がターゲット。

実際やってみたけど、意外とばれない。量り売りのお肉コーナーなどはその場で会計が発生する可能性があるので、尾行者がかなりターゲットに接近しないといけないんだけど、わりとうまくいったかな。ただ、普通に商品に見とれていたりするとすぐに見失ったりするんだけど。

場合によっては、いきなり高級品をゲットしてすぐに上限額に達して尾行が終了してしまうことも多いにあり得るし、とてつもなく食に偏りがでる商品が選ばれてしまう可能性も考えられる。また、これは実際にあったケースだけど、色々なコーナーで買物をしながら最後にターゲットに電話がかかってきて会話が終了したらなぜかカゴの中身を全部戻して外に走っていくみたいな…。そんな時は即座に割り切って次の尾行に務めないといけない。

あと、最後に重要なこととして、どんな食材にあたってもそれをとってもおいしい料理に仕上げる料理人の存在が不可欠。要は遊びとして美味しくシメないといけないというわけ。

例えば、この遊びを本屋に転用するとどんな現象が生まれるだろうか。

差し詰め「尾行立ち読みサークル」といった名前で一度実験してみてもいいのではないか。イメージはこんな感じ。

(イラスト:イシワタマリ)

うーん。わかりますかね? つまり、Aさんが立ち読みしている本を順々に遠目で追いながらチェック。例えば3冊に至るまで尾行を続けると(もちろんものすごくあっという間にその3冊が終わる場合と、すっごく長くなる場合と色々あるんだけど…)、一度、スタンダードブックストアのカフェコーナーにその3冊を持っていって、その趣向的な因果関係について勝手に色々憶測してそこから「とあるAさんの立ち読み本」というポップコーナーを作って売り出していく、といった遊び。

あるいはAmazonの協調フィルタリングのごとく、Aさんの帰り際に、「実は僕たち、さっきまであなたを尾けてたんですけど、あなたのお薦めの本はこういった本じゃないかと」と、ありがた迷惑な推薦をするとか(怒られるかな)。

こんな妄想についてとある本好きの友人に投げかけたところ、「もし自分が尾行されていることに気づいたら恥ずかしくて怒るわ!」とか「自分のチョイスが監視されて特設コーナーにされてたらパニックになって泣くかも」とか色々率直な意見をもらいつつ…。まぁあくまで妄想段階なんでね。ちょっといきなりハードルを上げてしまった感じがするので、次の事例にいきましょうか。

参照事例その2:“借りパク”専門のCD屋さん

“借りパク”とは、人から借りた物をそのまま自分の物にすることを指す言葉。ただし、万引きや泥棒のように始めから盗ることを前提にしていることは少なく、借りたことを忘れ、結果的に私物になった、当初は返すつもりであったが返せなくなったといったものが多い。

漫画、小説、ゲームカセット、DVD、CD、etc…。これらをついつい悪意なく「借りパクして」しまったり、返してほしかったけど「借りパクされて」しまったり。このような経験はきっと読者の多くの方もお持ちではないでしょうか。

かく言う僕もこれまで引っ越しや進学を機に、友人やかつての恋人から数多くの文化財を借りパクし、また同時に同じくらいの品々を借りパクされてしまったりを繰り返してきた。そしてとりわけその種類は、アサダが音楽をやっているがゆえに、圧倒的に「CD」だった。思い出すだけでもあれやこれや。

ハードロックから渋谷系、ニューウェイヴからテクノから歌謡曲などなど、洋・邦楽、ジャンルもそれなりに多岐に渡り、ひとつひとつに「ああ、あの時そう言えば返しそびれたな…」と、その時代時代の旧友の顔を思い出すわけですよ。そんなほろ苦い思い出とともに鮮やかに蘇ってくる素晴らしい名曲の数々。

そしてある時、僕の中でひとつの妄想が沸々と湧いてきた。「そんなCDとその“借りパク”エピソードを同時に集めて試聴展示をすれば、どんな感じで音楽を楽しめるのだろう!?」と。

ということで、大阪のアートコートギャラリーという由緒ある画廊さんからグループ展への参加依頼をいただいたことをいいことに、“借りパク”専門のCD屋さんを期間限定に立ち上げてみたのです。

いらっしゃいませぇ〜。満面の笑みでお迎えします。

100枚集めた借りパクCDのうち、なんと3枚もオザケンの「LIFE」が…。

お客さんの記憶に深くせつなく切り込むCD達。盛況でございます。

すべて手書きポップ、エプロンは某レコード店さながら、試聴機だって本物。そしてこの会場で、借りパクの思い出を語り合うトークサロンも開催し、音楽を通じた追憶の旅へと誘われたわけですよ。

さて、これは先ほどの“尾行”よりも、もっと簡単に本屋に転用できそうなネタではあるまいか。例えばこんな感じ。

(イラスト:イシワタマリ)

もうずばり“借りパク本”とその思い出をお客さんから募集して、スタンダードブックストアの一角に特設コーナーを作ってしまうんですよ。それで、カフェコーナーで「“借りパク本”集まれ!」と題したトークサロンも開催して、笑いあり、涙ありのエピソードまつりを繰り広げつつ、みんなでその本を回し読みする。場合によっては、その本をその場で買い取りしあってもいいかも(でもそれすると、もう二度と本来の持ち主には返らないけどね…)。

本のある場所を“出来事の万屋(よろずや)”に

さて、この記事を読んでくださっている方々が「こんなこと本屋でやってなんの意味あるの?」と思われたとしたら、ある意味答えに窮するのも確かだ。店側からすると「そんなことをして本は売れるのか?」とか、お客さんからすれば「もっと普通に本を読みたいんですけど」とか、言われればそれはそれで「そうですよねぇ…」と答えてしまう自分がいる。

でも一方で、“本”というメディアの可能性は、もっともっと日常生活のあらゆる過程に転用されうるものじゃないかという、実感もある。その感覚を言葉にしたり、企画として実行に移すとなれば、それは通常僕らが想定する本屋のイメージとは随分かけ離れた、一見まったく意味をなさないような取り組みを行いつつ、そこで生まれうるかもしれない有用性をフライングぎみに先読みしてみてもよいのではなかろうか。

尾行にしても、借りパクにしても、本の中身とは直接関係ないかもしれないけど、その“読み手”の人間くささが如実に、かつユニークに立ち現れる行為なんじゃないかな。そこから日常生活における本との付き合い方、人と人をつなぐメディアとしての本のあり方、色んなことが見えてきて、そういったヘンテコで楽しい、笑いあり、時に涙ありの対話が生まれる現場として、本屋を始めとした“本のある場所”が機能する

そう、冒頭の中川社長の言葉をかりれば、これは本を通じた“出来事の万屋(よろずや)”であり、本に触れた後に辿り着ける、一歩先のコミュニティなのかもしれない。

そんなわけで、この連載では、その曲名の本意がいまだはっきりとは解明されてない小沢健二 featuring スチャダラパーの名曲「今夜はブギーバック」に無理矢理ちなんで、「本屋はブギーバック」と名付け、かつ、様々な日常生活における行為からの“引用”気質たっぷりの、連載をお届けします。

(次回につづく)

※この連載と並行したイベントを、実際に大阪のスタンダードブックストアで行います。ふるってご参加ください。

スタンダードブックストア×マガジン航 presents
「本屋でこんな妄想は実現可能か!?」トーク&ワークショップ

日時:2013年3月23日 open 11:15 start 12:00
出演:仲俣暁生×アサダワタル×中川和彦
会場:スタンダードブックストア 心斎橋 BFカフェ
※詳細はスタンダードブックストアのサイトをご覧ください。

ソウルの「独立雑誌」事情[後編]

2013年2月12日
posted by 中山亜弓

アーティスト自身が主宰するグラフジン「SSE PROJECT」

Sangsangmadangでの昨年夏のトークショーを終えた後、女の子が目立つ会場で、私はアート系の書店YOUR MINDTHANKS BOOKSで見つけたグラフジンのシリーズを見せながらコーディネーターのイ・ガンボン(李光範)さん(Sek:tone 代表。出版関連のコーディネートもしています)に「こういうジンを継続的に作っている人に会ってみたい」と言いました。

イさんは本の奥付を見ていたと思ったら、いつの間にか携帯で連絡をとっていました。編集人でアーティストのYPさんは、展覧会のために釜山にいて翌日中に会えないとのことでしたが、翌朝には、イさんから「3時にYPさんがこちらに来られます」との知らせが。ありがたい一方で、わざわざ予定を早めて帰ってくる程の用件でもなかったのに、と背中に冷汗が…。

SSE PROJECTを主宰するアーティストのYPさん。

SSE PROJECT発行の本と企画した書籍。

約束の時間まで書店を周りながら、昔ながらの韓屋の美しい町並みが残る安国近くの写真スタジオに併設されたカフェmalunamooを紹介していだき、店内の書棚の本選びをお手伝いする事になりました。なにもかもが現場での急展開です。

おしゃれなmulnamoo。スタジオで韓流スターの撮影などもしています。写真館ではモノクロフィルムでの肖像撮影をしてくれます。

さて、3時。アート/デザイン系書籍と文具を扱う弘大(ホンデ)のおしゃれ書店THANKS BOOKSには、YPさんが主宰するSSE PROJECTのグラフジンも取り揃えてあり、それらの本とiPadを手にYPさんは自身の活動についてプレゼンをしてくれました。

ジンに関するイベントやワークショップはSangsangmadangやYOUR MINDでも行われていますが、“ジン”について本当に理解している人はまだ少ないし、韓国で浸透しているとはいえません。日本や中国に比べて海外で紹介される機会が少ない韓国アートを世界に発信するためSSE PROJECTを始めました。

ネット上で定期的に、国内外の作家の個展を開催し、それに連動した作品集的なジンを発行するYPさんのSSE PROJECTは、グループ展やジンフェスティバルも開催し、出版の企画・編集を行い一般流通書籍も手掛けるなど、他に本業を持つサポートメンバーの力を借りて幅広く活動しています。

あれこれ話を聞きながら、焼き肉屋さんで食事をし、MEDIA BUS名義で出版も行うアート専門書店BOOK SOCIETYや喫茶店などをはしごするうちに、YPさんは日本の本やジンの展示や作家の展覧会をソウルでしてみないかと提案してくれました。

「いいですねー」と返事をすると、彼は携帯で会場の打診を開始。思いついたら、すぐ口にする、そして電話をかけるのが韓国スタイルのようです。こうして、気がつけば三つのプロジェクトが立ち上がっていたのでした…。

世界の「ジン」交流イベントに出展

帰国後、李さんに翻訳してもらいながら、連絡を取り合うことになりました。まず、ソウルの書店とタコシェとの交流展示。お店に合わせた日本の本をセレクトしてほしいという先方からの希望でしたが、当初、卸値のまま送料元払いで本を委託し、設営まで行うという厳しい条件を提示されたうえに、李さんに代わってSSE PROJECTが少々頼りない日本語でコーディネートすることになり(仲介手数料も発生)、こちらの希望条件を申し入れるも、先方との条件の溝は埋まらず、交渉決裂! 日韓の書店間の友好は実りませんでした。

もっとも、韓国の本には国内向け価格と国外向け価格とがあって、たとえば6000ウォン(500円)の本でも、輸入して仕入れようとすると10ドル(900円)の定価を提示されるのです。これを知らない頃は「ふっかけてきた!」と警戒心を抱いたこともありましたが、逆に言えば、日本の本を韓国で売るのはそれだけ難しいということになります。ソウルの書店がなかなか譲れないのもわからなくありません。何やら流れに逆らう交流をしようとしたような気が…。

さて、もうひとつの企画は、YPさん主催の、世界のグラフジンを展示する毎年恒例のZINE PAGES FEST2012です。

世界中のジンを集めたZINE PAGES FESTが昨年もソウルで開催された。

日本の東京芸大に相当する弘益大学のある、アート色の濃い学生街である弘大(ホンデ)の旧役所を改装した地区の複合アート施設、西橋アート実験センターを会場に、アジア、アメリカ、ヨーロッパ各地の50余りの発行元から取り寄せたグラフジンとともに、タコシェが送り出したジンも展示されたのです。

全レーベルの名前とロゴがこんな形で展示されています。

会場入り口にジンが一通り並んでいます。

タコシェが日本から送ったジン。

個人制作のジンを中心に選んだので、専門レーベルのイラスト誌や写真誌が多い中で、シルクスクリーンにに代表される版にインクを滲出させる方法で版画的な風合いが出る孔版印刷や、ステンシルの刷り具合や糸綴じや紙の種類や質にこだわった日本のジンは、ひと味違った雰囲気で、内容的にもテクストと画像のアレンジが雑誌やマンガの要素を自然に取り入れていて、自分で選びながら、密かに誇らしかったです。またセリグラフ(フランスでのシルクスクリーンの呼び方)によるアートブックを20年にわたって発行するマルセイユのLe dernier criも毒々しいまでに鮮やかな発色が異彩を放っており、YPさんが「自分もセリグラフで本を作りたい」というほどでした。

どこから見ても目立つLe dernier criのジン。

スイスのNieves BooksやフィンランドのKUTIKUTIをはじめとした欧米やアジアのグラフジンを眺めながら、世界各地の小レーベルが国に関係なアーティストと交流、出版する様子に感激する一方で、交流が進むことで内容も外見もありがちなものに陥るグローバリゼーションも否めませんでした。

その中にあってバンクーバーの88Booksは、中国の写真家を1号ごとに一人ずつ紹介しているのですが、配慮や保護を理由にした目線やボカシの肖像に慣れた私の目には、懐深く被写体に踏み込む写真家と、その眼差しをガッチリ受け止める逞しい中国の人たちの強靭さが衝撃的でした。例えばこんな(クリックすると実際の作品がみられます)。

バンクーバーで中国の写真家を紹介する88Booksのウェブサイト。

老人合コン参加者を撮った韓国のChillzineしかり。欧米より、アジアにエキゾチズムや刺激を発見した展示でした。さらに、会場には、中国からの若者が立ち寄り、英語で果敢に主催者に質問を繰り出す場面も何度か目撃。

ところで、日本のジンを提供するかわりに注文しておいたSSE PROJECTのジンを会場の事務所に引き取りにゆくと、全く用意されていませんでした。送付しておいた注文書を見せるとYPさんは「これは間違い」と二割増しの値段を言うではありませんか。

「どうして? 二度も確認したよね!?」と反論するも譲らず。結局、翌日、出直したときも、まだ注文は用意されておらず、YPさんは、すまなさそうな気配もなく、おもむろに本を探しはじめる始末。その様子を眺めながら「SSE PROJECTの棚を作ってお店で紹介しようと思ったのに…」と言うと、ふと手をとめて「知らない仲じゃないし、預けるから一通り本を持っていってみる?」

またも事態は急転。韓流は山の天気にように変わりやすく、幸運と危険が隣り合わせ。私には予測不能の世界です。というわけで、さっさと持参したトランクに本を詰め込み、YPさんの気持ちが変わらぬうちに会場を後にしたのでした。

こうして、タコシェではSSE PROJECTの棚を展開すると同時に、第三のプロジェクトに向けて再びメールで連絡を取り合う出口の見えない長いトンネルに突入したのです。

東京・中野になるタコシェの店舗でも、これらのジンが見られます。

※タコシェではmulnamooのカフェで書棚の本をセレクトしました。李さんの事務所で韓国語訳していただき、日本の情報を韓国向けに発信するサイト「J-SWITCH」に書評を書いています(日本語の原文がここで読めます)。当初、このブックレビューに連動した本を置くはずだったmulnamooの書棚ですが、オーナー金さんの美意識からはずれていたので、アート寄りの本を別途選ぶことになりました。

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