Editor’s Note

2013年7月1日
posted by 仲俣暁生

7月に入りました。まもなく東京国際ブックフェア&国際電子出版EXPOですが、これについてはあらためて別の記事で告知することにして、今日は先週末の6月29日に行われたあるシンポジウムを受けて考えたことを書いてみたいと思います。それはTPPの知的財産権と協議の透明化を考えるフォーラム(thinkTPPIP)[*1]と講談社 現代ビジネスが共催した、シンポジウム「日本はTPPをどう交渉すべきか 〜「死後70年」「非親告罪化」は文化を豊かに、経済を強靭にするのか?」です。

このシンポジウムは、MIAU代表理事でもあるジャーナリストの津田大介さんが司会をつとめ、以下の各氏が登壇しました。

・赤松健(漫画家、Jコミ代表取締役)
・太下義之(三菱UFJリサーチ&コンサルティング主席研究員/芸術・文化政策センター長)
・富田倫生(青空文庫呼びかけ人)
・野口祐子(弁護士、クリエイティブ・コモンズ・ジャパン常務理事)
・八田真行(駿河台大学経済経営学部専任講師、MIAU幹事会員)
・福井健策(弁護士、日本大学芸術学部客員教授)

シンポジウムのテーマについては、TPPIPのサイトにある以下の文言が簡潔に伝えています。

遂に政府が交渉参加を表明したTPP(環太平洋経済協定)。7月に実際の交渉入り後、日本に残された協議期間は極めて短いと予測される。更には対EU、対中韓のFTAやRCEP(東アジア包括経済連携)など、多国間貿易協定交渉の時代を迎える日本。

TPP等の貿易協定では、「非関税障壁の撤廃」により日本の知財・情報政策も様々な影響を受けると言われる。TPP交渉でも権利強化を求める米国と他の交渉国との対立が伝えられ、「知財では米国孤立」(日経3月5日)との情報もある。しかし、政府の交渉方針はいっこうに見えてこない。

いったい日本は何をゴールに、どう交渉すれば良いのか?

著作権保護期間の延長問題では、「死後50年対死後70年」で参加国が2分される。コンテンツが最大の輸出産業である米国は、EUと共に他国に延長を求めて来た。他方、知財立国・クールジャパンを目指しつつ、現状では著作権使用料だけで年間5800億円もの巨額の貿易赤字を生み出し続ける日本。更には、「非親告罪化」「法定賠償金」など二次創作の現場への影響も懸念される論点もある。

引用文中のリンクは、登壇者の一人である弁護士の福井健策さんによる、TPP米国知的財産条文案(2011年2月10日版)の抄訳を含むコラムです。また当日の議論については、こちらのトゥギャッターやInternet Watchのこの記事がよくまとめてくれています。こうした貴重な報告がすでにありますので、以下ではこのシンポジウムを会場で聴いた私にとって、印象的だった言葉を紹介することで報告にかえたいと思います。

[*1]訂正:TPPの知的財産権と協議の透明化を考えるフォーラム(thinkTPP)は、特定非営利活動法人クリエイティブ・コモンズ・ジャパンthinkC(著作権保護期間の延長問題を考えるフォーラム)、MIAU(一般社団法人インターネットユーザー協会) の3団体によって設立されたもので、このシンポジウムはthinkTPPと講談社 現代ビジネスの共催によるものでした。

青空文庫の新規公開作品が20年止まる

登壇者の一人である青空文庫呼びかけ人の富田倫生さんは、TPPにより著作権保護期間が現在の50年から70年に延長されることへの強い懸念を表明しました。富田さんによれば、毎年1月1日を「パブリック・ドメインデイ」と呼ぶ習慣があるとのこと(2010年の元旦には「マガジン航」でもこの日についてのコラム「新年にパブリック・ドメインについて考える」を書きました)。

2013年のこの日には、柳田國男吉川英治といった人の著作物がパブリック・ドメインとなりました。3年後の2016年には谷崎潤一郎、江戸川乱歩といった大物作家の著作権保護期間が切れます。著作権保護期間が70年に延長されると、谷崎や乱歩の著作権保護期間が切れるのは2036年まで待たなければならなくなり、青空文庫の活動には大きな障害となります。このことをさして、富田さんは「暗黒のパブリックドメインデイ」が20年続くと表現しました。



また富田さんはシンポジウムの最後に、表現者の作品と社会の関係がどうあるべきかという問題は、TPPという経済の枠組みだけでは語り尽くせない、かりに著作権保護期間が延長された場合も、文化をめぐる戦いはそこで終わることはない、と宣言しました。[*2]

[*2]:シンポジウム時の映像が全面公開されたので、記事中に埋め込みました。

この言葉に先立ち、富田さんは青空文庫にも収められている芥川龍之介の「後世」という文章を読み上げました。短い文章なので、ここでその全文を引用します。

私は知己を百代の後に待たうとしてゐるものではない。

公衆の批判は、常に正鵠を失しやすいものである。現在の公衆は元より云ふを待たない。歴史は既にペリクレス時代のアゼンスの市民や文芸復興期のフロレンスの市民でさへ、如何に理想の公衆とは縁が遠かつたかを教へてゐる。既に今日及び昨日の公衆にして斯(か)くの如くんば、明日の公衆の批判と雖も、亦推して知るべきものがありはしないだらうか。彼等が百代の後よく砂と金とを弁じ得るかどうか、私は遺憾ながら疑ひなきを得ないのである。

よし又理想的な公衆があり得るにした所で、果して絶対美なるものが芸術の世界にあり得るであらうか。今日の私の眼は、唯今日の私の眼であつて、決して明日の私の眼ではない。と同時に又私の眼が、結局日本人の眼であつて、西洋人の眼でない事も確である。それならどうして私に、時と処とを超越した美の存在などが信じられやう。成程ダンテの地獄の火は、今も猶東方の豎子(じゆし)をして戦慄せしむるものがあるかも知れない。けれどもその火と我々との間には、十四世紀の伊太利なるものが雲霧の如くにたなびいてゐるではないか。

況んや私は尋常の文人である。後代の批判にして誤らず、普遍の美にして存するとするも、書を名山に蔵する底の事は、私の為すべき限りではない。私が知己を百代の後に待つものでない事は、問ふまでもなく明かであらうと思ふ。

時々私は廿年の後、或は五十年の後、或は更に百年の後、私の存在さへ知らない時代が来ると云ふ事を想像する。その時私の作品集は、堆(うづだか)い埃に埋もれて、神田あたりの古本屋の棚の隅に、空しく読者を待つてゐる事であらう。いや、事によつたらどこかの図書館に、たつた一冊残つた儘、無残な紙魚(しみ)の餌となつて、文字さへ読めないやうに破れ果てゝゐるかも知れない。しかし――

私はしかしと思ふ。

しかし誰かゞ偶然私の作品集を見つけ出して、その中の短い一篇を、或は其一篇の中の何行かを読むと云ふ事がないであらうか。更に虫の好い望みを云へば、その一篇なり何行かなりが、私の知らない未来の読者に、多少にもせよ美しい夢を見せるといふ事がないであらうか。

私は知己を百代の後に待たうとしてゐるものではない。だから私はかう云ふ私の想像が、如何に私の信ずる所と矛盾してゐるかも承知してゐる。

けれども私は猶想像する。落莫たる百代の後に当つて、私の作品集を手にすべき一人の読者のある事を。さうしてその読者の心の前へ、朧げなりとも浮び上る私の蜃気楼のある事を。

私は私の愚を嗤笑(しせう)すべき賢達の士のあるのを心得てゐる。が、私自身と雖も、私の愚を笑ふ点にかけては、敢て人後に落ちやうとは思つてゐない。唯、私は私の愚を笑ひながら、しかもその愚に恋々たる私自身の意気地なさを憐れまずにはゐられないのである。或は私自身と共に意気地ない一般人間をも憐れまずにはゐられないのである。

文化の本質はリサイクルにある

「マガジン航」で「本屋はブギーバック」という連載を続けているアサダワタルさんも、文化の本質がリサイクルやリユースにあることを思い起こさせる、さまざまな実践を続けています。昨日公開した連載第四回の「本でも音楽でも、“文化”を使い回そう!」でも、そうした実践例が豊富に紹介されていますので、ぜひお読みください(たとえば下の図は、そのひとつ「まわしよみ新聞」のやりかたを示した図です)。


ところで、今回のアサダさんの記事には、美学芸術学・文化資源学を専門とする渡辺裕さんの『考える耳〜記憶の場、批評の眼』という著書から、次のような言葉が引用されています。重複になりますが、ここでも引用箇所をそのまますべて引きます。

音楽に限らず文化というものは、共有財産として皆が自由に使える形で常に身の回りにあってこそ発展するという面をもつ。

西洋の近代文化は、作者個人の独創性をことさら重視する文化には違いないが、それが「文化」である限り、その独創性は決して作者一人のものではありえない。バッハやモーツァルトなど、多くの先達たちの残した「遺産」に取り囲まれ、それらを模倣したり換骨奪胎したりして摂取する一方で、それらと対峙しのりこえることを通して、音楽文化は育まれてきた。

「保護」して勝手に使わせないようにするだけでは文化は育たない。それらを共有財産として皆で分かち合い、余すことなく使い回すための公共の場が確保されていることは、文化を生み出す土壌には不可欠なのである。著作物の保護年限がどんどん延ばされてゆく今日の風潮の中で、著者の「権利」に目を奪われるあまり、文化のそういう側面が忘れられてはいまいか。

日本にはもともと強固な「替え歌」の伝統があった。というよりそもそも、「替え歌」に対して特権的な位置を占める「オリジナル」が存在するという考え方自体がなかった。民謡や俗曲には一つの旋律に対して山ほど歌詞があるのが常であり、「オリジナル」は何もありはしない。人々は臨機応変に時代に応じた内容を織り込んだ新しい歌詞で歌うことを楽しんだのである。

青空文庫のようなパブリック・ドメイン作品のアーカイブは、間違いなく上の文で言われているような「公共の場」として機能しています。コンテンツ数の少ない日本の電子書籍ビジネスの立ち上げ期を支えたのが、こうしたパブリック・ドメイン作品であったことは、いくら強調してもしすぎることはないでしょう。

文化はどこから生まれるのか。期せずして同じテーマとなった先週末のシンポジウムとアサダワタルさんの記事は、あらためてその問いを突きつけてくれました。そこで「マガジン航」ではアサダさんと共同で、「文化のリサイクル」「文化の使い回し」を実践するイベントを近いうちにやってみたいと考えています。詳細は決まり次第に発表いたします。どうかご期待ください。

第4回 本でも音楽でも、“文化”を使い回そう!

2013年6月27日
posted by アサダワタル

本連載を開始して4回目。読者の方々からは「面白い!笑える!」(別に笑かすために書いているわけではないが…)とか「これまでの本に関係した文章では出会えない世界がある」とか、嬉しい意見がありつつも、「謎…」とか「そもそもなんでミュージシャンが『マガジン航』で書いてるの?」とか、まぁ様々な感想をいただいているわけです。

第1回目の時に、自分の活動の背景を少しばかり取り上げながら、この連載のテーマを「日常生活における本との付き合い方」、「人と人をつなぐメディアとしての本のあり方」と書きました。今日は、そのあたりをもう少し紐解きながら、自分の活動、そして友人の事例紹介も交えながら展開していきたく思います。

いきなりですが、“音楽”の話から

僕は、そもそもなんの仕事をしているかと言うと、音楽であったり、様々な文化プロジェクトの企画演出であったり、それらを本やWebや雑誌に執筆する、あるいは大学で教える、といったことをまるっとひっくるめてやりつつ、生計を立てています。

中でも音楽には長いこと関わっていて、バンドのドラマーという立場から、映画やCM音楽でのドラム演奏業、歌の作詞作曲と実演など、まぁ仕事という意味ではお金にちゃんと繋がるものから、なかなか繋がらないものまで色々やってきたわけです。

でも、音楽に限らず、美術家の方や映画監督など、いろんなクリエイターとコラボしながら仕事をし、時としてライブハウスや美術館や映画館などの外に(それは街中という意味でもあるし、“芸術”という限られた分野の外へと繋がっていくという意味でも)出て行くプロセスで、予期せぬたくさんの出会いがあったんですね。

例えば商店街の老舗のおじさんたち、障害のある方の作業所を運営する団体、まちづくりに関わる団体やお役所の方、小中学校の先生などなど。そういった人たちと手を変え品を変え、自分が持っている音楽や、ひろく「文化」という武器を使って、如何にちょっとヘンテコでオモシロ楽しめる社会活動を作り上げられるかをなんだかんだとやってきたんですよ。

そうこうしているうちにいつしか僕の中で、音楽そのものに対する捉え方がかなり変化しちゃった。それは、だいぶ雑駁に極論めいたことを言えば…、「もう演奏とか作曲とか自分でせんでええやん」といったパラダイムチェンジ!だったんです。

はい。そこで僕が最近やっているのは、「既存の音楽を使い直す“音楽”」を作ること。そのことによって、「日常生活における音楽との付き合い方」、「人と人をつなぐメディアとしての音楽のあり方」を問うような取り組みです。では、僕が音楽家として招待され作り上げた“音楽”の具体例をあげてみましょうか。

個人記録を保存した音楽を“解凍”する

音楽を作るのではなく、音楽を使った遊び方、音楽を介した対話の在り方、音楽から音楽性を除いた個人記憶の保存媒体として使ってみるワークショッププログラム。会場には様々な社会的背景(中には社会的マイノリティな立場に置かれている人も)を持った人々が参加。以下のような手順で進めました。

『あなたの音楽を傾聴します』
開催日:2012年2月17日(金)
開催地:渋谷キャラリールデコ
主催:津田塾大学ソーシャル・メディア・センター

●参加者に自分の思い出深い音楽(CD等)を持参してもらう
●持参したCDの流したい曲を付箋にメモし、机の上に置く
●机のまわりに全員で円になって座る。アサダの隣には一席空いている椅子を用意
●まず最初にアサダが机の上にある曲を選ぶ。選ばれた曲を持参した参加者が空席に移動
●曲(話)が終わるとその参加者が次の曲を選曲。全員がリレー形式で選曲(指名)され続いていく
●最後に、流された曲順通りに収録されたコンピレーションCD-Rを全員にプレゼント

会場の様子。真ん中にて物知り顔で「なるほど」ってなっているのが筆者。

この日完成した、参加者選曲による記憶のプレイリスト。(クリックで拡大)

集まった曲はポップスからクラシックギター、モダンジャズからミニマルミュージックまで多種多様。各々のエピソードも、故郷を懐かしむ話から失恋話、学生時代の記憶から旅行の思い出まで。参加者は本名や所属や年齢などは語る必要はなく、ただ音楽だけがその人を表現するツールとなるよう心がけました。

僕がこの取り組みで意図したのは、音楽を“人のプライベートな記憶を保存するメディア”と捉えてそれを解凍し、肩書きや容姿から生まれるその人のイメージを可能な限り取っ払った状態でお互いに出会うこと。つながりを生み出すキーとフックの掛け方を変えてみること。決して名刺交換だけでは発見できない、思わぬところに存在する相手のフックにそっとキーを差し込むこと。

参加者同士がどのようなつながりを感じてくれたのか。それはこの会が終わった後に、渡されたコンピレーションCD-Rをじっくり聴き返す時にふと気づかされる何かに期待したいことろです。音楽のライナーノートは音楽評論家が書くような内容だけでなく、個人の日常生活の記憶の中にも存在するのではないでしょうか。
……どう?
なんとなく僕の“音楽”活動。理解してくださったかしら? 「それで?」って感じなるのはまだ早い。もうひとつ、例を出すことにします。

コピーバンドが秘めた、関係性の再構築

トヨタ自動社のCSRの一環で行われている「子ども・アーティストの出会い事業」にお招きいただき、高知県の小学校にて音楽のワークショップを実施。舞台となった四万十市立西土佐小学校は、2012年に再編されたばかり。過疎化のため周辺地域6校が統廃合され、新たに生まれたのだ。

この小学校の放課後学習に集まる小学校4年生~6年生の総勢60名の児童を対象にビッグバンドを結成したのですが、テーマは「コピーバンド」。まずこの地域には元々バンド活動をやっていた地元の大人たちがたくさんおり、いまでも定期的に公民館などで練習をしたり、子どもたちに指導をしたりしているという事実。そして時はおりしもアニメ『けいおん!』が大ブレイク。そういった状況が化学反応を起こし、西土佐では空前の「バンドブーム」(47ニュース「西土佐にバンドブーム」参照)が訪れていたのです。そりゃ、地域の大人たちの知恵と技術を借りない手はない!

『コピーバンド・プレゼントバンド』
開催地:高知県四万十市立西土佐小学校
開催日:2012年10月10日(水)〜2013年3月3日(日)
主催:トヨタ・子どもとアーティストの出会い in 高知 実行委員会
共催:トヨタ自動車株式会社

右はワークショップの説明会、アサダが児童に向けて内容を説明中。

そして、小学校といえば必ずあるのが授業参観。こうなったら、親御さんにもただ参観するだけでなく何かしらワークに参加してもらおうと。そこで思いついたのが、子どもたちが親御さんに音楽に関する「家庭内アンケート」をとってリサーチしてくること。調査項目は以下の通りだ(クリックで拡大)。

計27枚が回収されたうち、もっとも多かった回答はプリンセス・プリンセスの「M」。

アンケートに書かれた楽曲から、2曲をセレクト。それを必死にコピーし、最終発表会では親御さんに楽曲をプレゼントする。これが「コピーバンド・プレゼントバンド」の概要だ。

僕は半年間、関西から高知まで月1回のペースで通い、実質的な練習は地域でX JAPANのコピーバンドで腕をならすドラマーで仕出し屋のカズさんが中心となって指導。同時に、すでにバンドを始めている高学年の子ども数名が中心となって、友人たちに楽器を教えてくれた。放課後クラブのお母さん方も太鼓やダンスなどで参加してくれたり。こういったあれやこれやが絡み合い、演奏チーム以外には、照明、音響、舞台美術、撮影、PR制作、司会などが動き、ひとつのコンサート企画が進められて無事開催。

このワークでは、作曲といったオリジナルな楽曲を重視するのでもなく、かつ楽器がうまくなることを目標にするのでもなく(もちろんカズさんのおかげもあって見違えるほど上手くなった子もいたり)、既存の音楽を使って、子どもたちが音楽に対する関心とアクションを深めていくプロセスに、地域の大人たちみんなが“動かされていく”、そのことを企図して行われたのです。

“文化”を”リサイクル”&“リユース”すること

だいぶクドく “  ” で強調しちゃいましたが、このことが本稿で最も伝えたいメッセージです。これは、別に音楽でも、美術でも、映画でも、本でも、どんな“文化”を使っても実行できます。(こういった事例は挙げればキリがないのですが、例えば、ミシェル・ゴンドリーの『僕らのミライへ逆回転』やヴォルフガング・ベッカーの『グッバイ、レーニン! 』などの映画は、まさしく“文化”の”リサイクル” & “リユース”によって、社会の見方をフィクショナルに変えつつも、そのことによって現実がある“理想”に向かってリアルに引っぱられていく様が見られ、本稿のテーマをよく表している作品です)

音楽美学者の渡辺裕氏は、東京大学にて文化資源学(まさしくな学問名!)なるものを教えてらっしゃるのですが、彼の書籍からいくつか気になるテクストを引用します。少し長いがざっと目を通していただきたい。

音楽に限らず文化というものは、共有財産として皆が自由に使える形で常に身の回りにあってこそ発展するという面をもつ。

西洋の近代文化は、作者個人の独創性をことさら重視する文化には違いないが、それが「文化」である限り、その独創性は決して作者一人のものではありえない。バッハやモーツァルトなど、多くの先達たちの残した「遺産」に取り囲まれ、それらを模倣したり換骨奪胎したりして摂取する一方で、それらと対峙しのりこえることを通して、音楽文化は育まれてきた。

「保護」して勝手に使わせないようにするだけでは文化は育たない。それらを共有財産として皆で分かち合い、余すことなく使い回すための公共の場が確保されていることは、文化を生み出す土壌には不可欠なのである。著作物の保護年限がどんどん延ばされてゆく今日の風潮の中で、著者の「権利」に目を奪われるあまり、文化のそういう側面が忘れられてはいまいか。

日本にはもともと強固な「替え歌」の伝統があった。というよりそもそも、「替え歌」に対して特権的な位置を占める「オリジナル」が存在するという考え方自体がなかった。民謡や俗曲には一つの旋律に対して山ほど歌詞があるのが常であり、「オリジナル」は何もありはしない。人々は臨機応変に時代に応じた内容を織り込んだ新しい歌詞で歌うことを楽しんだのである。

渡辺裕『考える耳〜記憶の場、批評の眼』より)

うーん、なるほど。僕としては心から同感。しかし、こういった引用に触れ出すと、間違いなく著作権の問題や、「とは言え、“産業”の話としてどうなん?」という議論になるので、今日はそこまでは踏み込まない。しかし、本連載を進めるうちに、徐々に「マガジン航」としても取り上げ続けている電子書籍も含めた昨今の出版産業のあり方そのものに対して、何かしら思うことはふら〜っと迂回しつつも書いていくことなるんだろうなぁとは思いますけどね。

ひとまず今回においては、「産業」や「それで食っていく」ことの“その後”で、“プロでない人たち”を中心に使い回す・使い直す実践が、いかに人々の日常生活を豊かに彩り、ふだん繋がらなかった人たち同士が新しい価値観によってその関係性が素敵に変えられていくか、そこに焦点を絞れればと思うわけです

ワークショップ「本屋でこんな妄想は可能か!?」

3月23日(土)に大阪のスタンダードブックストア心斎橋にて、スタンダードブックストア×マガジン航 presents「本屋でこんな妄想は実現可能か!?」というトーク&ワークショップが開催されたことを、ご記憶の読者もいることでしょう。そこで語られたことも、大きくはこの“文化のリサイクル・リユース”というテーマと絡むところ。なんせ僕が企画したんだから、その問題意識がないわけがない。そのテーマを、本屋という場と本という文化に絞って考えていく会だったわけで、ここでも素晴らしいアイデアがプレゼンされたのですね。本稿の締めくくりとして、とりわけ僕が以前から気になっている2人がこの日に披露してくれたアイデアのさわりだけを紹介します。

「mogu book」発案者:サトウアヤコ)

「ひとりで読む。みんなで読む。またひとりで読む。」 本を使った対話の会。「1冊の本がすごく気に入った時に、この本を読んだ人と話したいなと思うことがあります」と発案者のサトウさんは言う。“mogu”とは“よく噛む”という意味。その本をより深く噛みしめるために、誰かと本について話す。そしてまた読む。でも他者と思いを共有することはそんなに簡単なことではない。だから彼女が用いている手法は「引用の共有」。これまで言語化できなかった自分の考えが、引用文を通して立ち上がり、更に他の人とその「引用の共有」をすることでいろんな角度から考えることができ、また自分で再度考え直すことができるらしい。

じっくり“mogu”するためにも、4人前後の少人数で開催されることが多い。彼女はこの取り組みを通じて、人が自身の考えを言語化することへの関心をより深めつつあるようだ。そしてスタンダードブックストアでは新たな展開として、個人の歴史が凝縮されたメディアとしての「背景本」というコンセプトを披露しつつ、書店の棚群を街に見立てて周遊する「本棚ツアー」なるプログラムもプレゼンしてくれた(上の図はクリックで拡大)。



「まわしよみ新聞」(発案者:むつさとし)

参加者数名が新聞を持ち寄りまわし読み。そして気になる記事をスクラップし、発表。それらが切り抜かれた各記事を再編集して一枚の新聞に仕立てるワークショップ。普段絶対自分では気づかない視点や関心を持ち得ない記事が、他者のプレゼンによって伝えられることで、世の中を毎日いち早く編集してお届けしているこの新聞というメディアから広がる価値観を、複数人で楽しみ合える。

そう言えば、そもそも映画や音楽と違って、活字メディアって「一緒に」とか「みんなで」読むってことは滅多にない。発案者のむつさんはこの取り組みを、「コモンズ・デザインによる新しい市民メディア」と語っている。ここから拡張させて彼はいま「教科書読み比べ」というアイデアを考えているらしく。それ、教育現場の方々に向けたワークショップとしても是非やってほしい。



サトウさんにしても、むつさんにしても、まさしく本を使い回す・使い直すことによる、日常生活への新たな気づきと新たな人間関係を生み出している。二人の活動はいずれ詳細をお届けするとして、本稿は本連載「本屋はブギーバック」のガイドラインを少しでも多くの読者に伝えようと、やや熱く恥ずかしながら、僕の活動背景、とりわけ音楽活動を皮切りに筆を進めてみました。

今後、「マガジン航」プレゼンツでさらに面白いイベントをする予定なので、どうぞ引き続きお見逃しなく!

(次回につづく)

くすみ書房閉店の危機とこれからの「町の本屋」

2013年6月25日
posted by 武藤拓也

地下鉄東西線の大谷地駅を降りると幹線道路沿いに大型電気店とパチンコ店、ショッピングモールが見える。どこにでもある何の変哲もない郊外だ。強いて言えば6月末でも夕方になると肌寒い点が札幌らしさかもしれない。そのショッピングモールの一角に次々と斬新で画期的な企画で成功を収め、メディアを通じて全国からも注目を集める「町の本屋さん」、くすみ書房は店をかまえている。

地域と本のことを考え続けるくすみ書房の経営者、久住邦晴氏(以下久住氏)は、柔和な表情で筆者を出迎えてくれた。

久住邦晴さん。名物企画「なぜだ!? 売れない文庫フェア」の棚の前で。

現在のくすみ書房は札幌市大谷地にある。

戦後間もない1946年、札幌の中心部から離れた琴似の商店街でくすみ書房は開店した。どこにでもあるような町の本屋さん、つまり地域に根づいた書店であった。地元の学校の教科書も取り扱った。順調に営業していたくすみ書房だったが、それまでその終着駅だった地下鉄東西線が琴似から延長された。1999年だった。売上が激減した。

しかし、それは何も札幌の終着駅に限った話ではなかった。その頃から雑誌やマンガも取り扱うコンビニ、ナショナルチェーンの大規模書店、Amazonや楽天を中心としたネットショッピング、ブックオフをはじめとする古本屋、このような新たな書籍の流通形態が一挙に出現し始めていた。全国各地で町の本屋さんが消え始めた。こうした状況下で、くすみ書房はたまたま地下鉄延長が契機となったに過ぎない。

危機感を覚えた久住氏は中小書店ならではのあり方を模索した。今ではよく知られる「なぜだ!? 売れない文庫フェア」をはじめて手がけたのは2003年のことだった。その後も本屋のオヤジのおせっかいと称した「中学生はこれを読め!」や北海道大学の教員を招いたトークイベント「大学カフェ」といった企画を成功させてきた。ともに書籍化もされている。ここ10年で実現してきた企画は筆者が数える限り約20である。

突然の危機と「友の会」をつうじた支援活動

ここまでは読者も知っているくすみ書房のサクセスストーリーかもしれない。だが、先述のような状況に加えて書籍全般の売上も減る中で運営を続けるのは、くすみ書房といえども困難だった。出店攻勢を続ける大型書店には規模経済で勝てない。そこで店舗面積の広い大谷地へと移転し、「町の小さな本屋さん」から「郊外の中くらいの書店」へとその姿を変えることとなった。企画棚の常態化やトークイベントのスペースもできた。地下鉄駅直結も幸いして売上は上がり、経営は順調だった。

そんな中突然「くすみ書房がなくなる!?」というニュースがウェブ上で駆け巡った。リンク先は、久住氏の娘であり、フォトグラファーであるクスミエリカ氏のホームページ上にたち上げられた特設サイトである。そこには今月(2013年6月)中に一定額の資金を用意できなければ閉店する可能性が濃厚であると父から聞いたこと、現状ではそれを免れる手段としては「くすくす」の会員を増やすことくらいしか思いつかないこと、そしてそれを個人的にお願いしたい旨が書かれている。

「くすくす」というのは2012年にはじめたくすみ書房の会員制度であり、入会費(年間)1万円を支払って入会すると久住氏自身がセレクトする書籍が年間四冊(7000円相当)が送られてくるものである。驚きとともにそのニュースは全国に拡散された。

くすみ書房の友の会、「くすくす」の入会案内。

駅前に8店舗あった地元書店はゼロに

本当にこのままではくすみ書房はなくなってしまうのだろうか。筆者自身、自宅が近かった琴似時代に一般書も教科書もお世話になった書店の危機について話を伺わないわけにはいかなかった。

「北海道はもちろんのこと全国のマスコミから取材申し込みがきているが、現時点ではまだお話できる状況にはないため丁重にお断りしている」と久住氏は前置きした。なお、筆者はこの一件の仔細についてというよりもむしろこの一件を通じて、危機的な状況に置かれている全国の地域の書店の現状が広く共有されるべきという考えを前提にお話を伺ったことを書き添えておく。以下、北海道書店商業組合の理事長でもある久住氏の考えと、それを踏まえた筆者の意見を述べたい。

くすみ書房が閉店の危機にあるのは確かである。琴似時代の赤字が大きかったのである。先に述べたように、様々な環境要因がある中ではくすみ書房と言えども例外なく中小書店は厳しい。

札幌ひとつとっても駅前通りに8店舗あった地元書店はゼロになり、そこに大手書店が入れ替わった。坪数も品揃えも充実し、読者にとっては非常に豊かな読書環境になっていると言えるだろう。大手にそれが可能なのは小さな書店と違い、取り扱いロットの大きさゆえ取次会社からの掛率(正味)が低く、単純計算でもひと月に百万円近くも粗利が違うと言う。何人分の人件費かと考えると声を失った。

また、全国的に書籍の売上額自体が減少傾向にあるため、取次会社からの締め付けも年々厳しくなっている。もちろん中小書店の厳しさを知る会社から期日を大目にみてもらえることも過去にはあったのだが、それもいまは厳しい。札幌は書店が充実しているだけ読者にとっては良い環境だ。数万人規模の市町村では書店が町から消えている。北海道ではすでに60の市町村に書店がない。これは道内の自治体総数の3分の1にあたる。驚くべき数字だ。だが驚いている間にも次々と書店はなくなっていく。

「本屋のない町で子育てをしたくない」。そんな中で聞いたこの言葉を久住氏は忘れられないと言う。留萌市に最後にあった地元の書店が閉店した際の主婦たちの声である。子どもの頃から自分で数多ある本を手にとって選び、そして将来も自分の手元に置いておく。そんな当たり前のことが不可能になってしまう。その小さな声は一種の市民運動となり、留萌市は書店の誘致活動を行った。そしてその成果が実り現実に三省堂が出店することになったのである。

おそらくこれは全国初の事例ではないかと言う久住氏は、北海道書店商業組合として道内の書店に対する財政支援を行政に求める動きを考えている。また、業界内だけでの取り組みに限界を感じ、業界外部の企業との連携を模索している。たとえば、今のところ中学生へのめぼしい読書推進活動が見当たらないため、メセナ活動との連携や個々の企業とのタイアップの可能性を探っているのである。

書店の役割は「本を売ること」だけではない

このように話を伺っていると書店の役割、そしてその価値はいまや書籍を売るだけではないと感じる。印刷出版は長らく先人の知恵を未来へつなぐ技術として重要な役割を果たしてきた。現代のテクノロジーはその機能をデジタルとネットワークに置き換えることで、より簡易にできるようになった。その劣化しない知恵は複製可能であり、物理的な制約がない。

ところがそのような膨大な知恵の中から自分に最適な知恵をみつける役割はまだ必要であるし、何よりその知恵が必要になるためのきっかけは誰かがつくらなければならない。特に子どもには。そしてまさにそれが、くすみ書房のやってきたことだ。

くすみ書房ではさまざまな文化教室も企画・運営されてきた。

書店はもはや「本を売る場所」ではなくなっていくのかもしれない。正確に言うならば「本を売るだけの小さな本屋さん」は現代では成立しない。そう言い切ってしまえるのではないか。もしそうであるならばこれからの町の本屋さんはどうなるのだろうか。

そこは子どもが遊びながら本「も」読める場所であったり、紙の本を実際に手にしながら眺めるショールームとなり、もしかすると本は別のところで買うようになるのかもしれない。あるいはそこは、知の広場さながらお茶を飲みながら語らう場かもしれない。いずれにせよ人々が「結果的に」本を買うこともある場。それが図書館の延長なのか、書店の延長なのかはわからない。だがその双方が限りなく近づいていくようなイメージが見えてくる。

そしてそこには行政の支援が必要な理由も納得できる。つまり、児童教育のみならず生涯教育をもその視野に入れた教育機関、またその交流を通じた地域コミュニティ醸成の拠点としてその公共性を訴えることが可能であろう。

もちろんのことだが、久住氏は行政支援や外部協力を求めるだけにとどまらない。ひと目店舗を見渡しただけでも自助努力を日々積み重ねている様子が観察できる。子どものコーナーにはぬいぐるみと低いベンチが用意され、集中力のないこどもでも長時間過ごせるようになっている。これならば親子連れで気軽に来られるだろう。

店内に置かれたぬいぐるみとベンチ。

また壁一面を使って「小学生はこれを読め!」「中学生はこれを読め!」「高校生はこれを読め!」とオヤジのおせっかいが止まらない。しかしそこにはマンガもある。「おせっかいな本屋のオヤジ」が薦めたいマンガを置いているのだ。

「中学生はこれを読め!」の店頭キャンペーン風景。

店舗が商店街から郊外に越しても変わらない、近所のオヤジの姿がそこにはある。厳しいのを承知で踏ん張っているオヤジの姿だ。そのオヤジの姿にわずか2週間で200名ほどの支援が集まった。みんながオヤジの次の一歩に期待を寄せている。そして(おそらくはあまり良い客ではなかった)筆者もまたそのひとりであり、くすみ書房の存続を願うものである。

くすみ書房への支援に関心のある方はこちらを参照してください
「くすみ書房がなくなる!?」特設サイト

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カネよりも自分が大事なんて言わせない

2013年6月17日
posted by 荒木優太

山本芳明の『カネと文学――日本近代文学の経済史』(新潮選書)は、経済=市場の観点、具体的に言えば原稿料の増減や出版景気の変化などを例にして、日本近代文学者とカネの関係を歴史的に辿ることで、教科書的な文学史からは見えなかった、生々しい文学者像を新たに浮かび上がらせている。

大正期のベストセラー作家であった有島武郎が晩年に個人雑誌を立ち上げ、その直後に美人記者と情死したのは、文学作品と恋愛というどちらも神聖な対象を商業のルールで汚すことを拒否した潔癖思想の現れではなかったのか。従来、純文学と通俗小説の綜合の試みと理解されていた横光利一の「純粋小説論」は、原稿料減少の苦境な時代にあって文学で飯を食うためのライフスタイル転換の試みだったのではないか。経済や市場という新しい視角を介入させることで、既知の文学史の風景が一転する。

カネなんて要らない?

『カネと文学』は今年(2013年)の3月に刊行された。これは極めて時宜を得た出版だったといえる。数年前から、とりわけ東日本大震災以降、出版界には「クリエーターにカネなど要らない」というメッセージがこめられた本があふれている。岡田斗司夫『なんでコンテンツにカネを払うのさ?』(福井健策との共著、阪急コミュニケーションズ、2011・12)では、多くのアマチュア・クリエーターが、その道の職業家(プロ)を目指すのではなく、複数の副業を抱えつつ、暇を見つけて自分がつくったコンテンツを無償で提供する未来が肯定的に語られている。貨幣を介入させないその営みを岡田は「評価経済」と呼ぶ。

或いは、家を造らない建築家こと坂口恭平は、『独立国家のつくりかた』(講談社現代新書、2012・5)のなかで、自身がフィールドワークして得た路上生活者の生活についての知見をもとに、ゴミとして落ちている「都市の幸」によって彼らが衣食住を0円でまかなうように、貨幣経済から離脱することが可能であり、その生全体が芸術そのものだと主張している。貨幣経済は個々人に備わった全身全霊がものを言う「態度経済」へと転換されるのだ。

風変わりなところでは、pha『ニートの歩き方』(技術評論社、2012・8)を挙げてもいい。この本では、インターネットを活用することで豊穣なコンテンツ世界をほとんど無料で無限に楽しむことができるようなった新しいニート処世術を教えているが、カネよりも大事なニート生活を訴える著者の文章からは、その本で得られる筈の原稿料がインセンティブとして働いていないのが節々で伺える。

近々ではライターに原稿料の出ない「ハフィントン・ポスト」が日本に上陸したと話題であるが、こういったメッセージ、或いはもっと漠然に雰囲気といったものは、もちろん、より以前へと遡ることができるだろう。無償をきっかけに人は読者になっていくのだ、という趣旨の内田樹的著作権論もそのような傾向のひとつだったろうし、いや、今の今まで忘れていたが、柄谷行人によれば「早晩、利潤率が一般的に低下する時点で、資本主義は終わる」(『世界史の構造』、岩波書店、2010・6)のであった。

とにもかくにも、もはや、勝間和代や堀江貴文といったような著者が掲げていた、効率的にカネを稼いでカネから自由な生活を送ろうといったような一昔前のメッセージは、もう後ろの半分しか機能しない。そしてその分割は決定的だ。なぜなら、「カネを稼いでカネから自由になろう」は「カネから自由になろう(=カネなんて要らない)」とはほとんど反対のことを言っているからだ。『カネと文学』は図らずも、現在進行形のアクチュアルなクリエーター問題を通時的な視点から捉え直してみるのに、極めて有益な本だ。

「旧来のシステムが機能不全に陥りかかり、新たなシステムが模索されている転換期において、しっかりと見据える必要があるのは、崩壊しつつあるシステムそのものではないだろうか」

とは、「あとがき」からの引用だ。

ハンス・アビング『金と芸術』を参考に

カネを介在させずに、自分の作物のほとんどをウェブ上で公開し、赤字覚悟で研究成果を自費出版までした私は、以上のような時代適応的な(或いは、時代要請的な?)クリエーター・モドキの典型例だ。私は自身の創作行為が無償であることに何の違和感も持たないし、もちろん、それを、いわゆる「職業」にしようとも思っていない(といっても私の場合は文学研究であるため、createという言葉を使用すべきではないのかもしれないが)。そして比較的、他人にもその感覚を要求する。沢山のカネを稼ぐことで得られる自由よりも、カネとは別次元の自由を重んじている。単純に、芸術家はカネに換算できない神聖な使命を帯びていると考える、ロマンティストなのだといっても差し支えない。

しかしながら、「カネなんて要らない」と声高に主張される雰囲気のたちこめる現在だからこそ、このような心性を純粋主義的な規範に照らして評価しようとする傾向には、自分自身がそうであるから尚更、距離をとらねばならない。それは私自身のためであると同時に、今後必要以上に特権化されるかもしれないある論理を予告しているように見えるからだ。

アーティストであり同時に経済学者でもあるという異色の経歴をもつハンス・アビングの『金と芸術――なぜアーティストは貧乏なのか』(山本和弘訳、grambooks、2007・1)は、文芸の話ではなく、訳者あとがきで明示されているように厳密にいえば日本の事情に不適当な所もないではない。しかし豊富な例示から導きかれる番号付の簡潔な諸テーゼには、現代のクリエーター一般に関して一定程度の普遍性があるように見える。

とりわけ、第五章「アーティストにとってのマネー」では、なぜアーティスト一般の収入は低いのか、という問いに取り組んでいる。その答えのひとつとしてアビングは芸術家志望者は、しばしば自身に適当な芸術的技量があるかどうかではなく、自身が社会的に不適合かどうかを極めて重要な判断基準として採用すると指摘している。曰く、「卓越した能力があるからではなく、他の職業ではプロのレベルになることはできないと考えているために、平均的なたくさんの人間がアーティストになることを選ぶこともあり得る」。

彼らは自分の年代で割り出されている平均的な年収を喜んで放棄し、無償か、よくて低賃金の、芸術的な仕事に進んで従事する。彼らは自らが規範的な一般社会で生き抜いていく能力を欠いている、と「信じている」からだ。だから、非日常的で刺激的でロマンチックなアートの道に進み、個人的満足を得ることで、一般社会で生きられない自分の無能を補填的に正当化しようと試みる。当然、高い収入への意欲は生じず、金銭的満足は芸術の個人的満足に代替される。このような状況は、今後大量に現れる無数の自称物書きたちにも高い確率で生じるだろう。

ここには、無能というマイナスの烙印が、そのまま変人たる芸術家の勲章に逆転する瞬間がある。一般的な勤め人の能力を予め諦めることで、その振る舞いそのものを、アーティストとしての適性の間接的な証明として利用しようとする。こんなにハチャメチャなのだから一般社会は俺を絶対に受け入れないに決まっている、だからアートに邁進するしかない、というわけだ。

しかしながら、これは極めて倒錯的な営みだ。つまり、自分は社会的な能力を欠いている、といった無能感が、そのまま全肯定されるかたちで、芸術家適性へとスライドしまい、それ以後、芸術家として生きていこうとするなら、彼は初めに持っていた無能感や絶望感を手放すことはできなくなるだろう。なぜなら、それは同時に自分を支える唯一の芸術家認定書だからだ。生きていくために絶望する。しかしそれは、絶望するために生きていくことと何が違うのか。

断っておけば、私は芸術に身を捧げる無名かつ無数の殉教者に対して好意以上に敬意を払っているし、何よりも自分自身が少なからずそのようなアート信仰を胸に日々物を書いているような人間だ。実際、私は皆無といっていいほどコミュニケーション能力がないし、それ故に一般社会に認めてもらえないだろうと「信じている」。しかし、その一方で懸念するのは、無償の物書き、ライター、アーティストの存在が一般化していくにつれ、無償行為の神話化のその背後で、同時に、駄目な自分を神聖化しようとする捩れた自己正当化の論理が強化されてしまうのではないか、ということだ。彼は成長することを禁じられる。「駄目」を克服してしまえば、認定書は破かれてしまうからだ。クリエーターはカネの代わりに無能を手に入れた。そしてカネ以上に無能を手放せなくなる。

それが悪いことだとは思わないし、「駄目なのが、逆に良いのだ」という論理が一時的に人を救うことがあるのもよく分かっている。繰り返すが、私自身だっていつもそんなことを言っている。しかし、自分が大切にしてきた場所を自分の情けなさを弁護するアジールとしてのみ使わなければならないとしたら、それは少し寂しいことだとも私は思うのだ。駄目な自分に安住してよければ、人は成長を忌避してしまうかもしれない。社交上手な小説家やアーティストがいたって、別に構いはしないのに。様々な「一般的」社会経験がエクストリームなアート表現に生かされることだってあるかもしれないのに。

何より、物を創る悦びは、自分の情けなさを弁護するなんていう、チャチな目的のためにあるのではないことを、実は誰よりも、無能感を抱く当人がよく知っているはずではないか。少なくとも私はそう思っている。

コールリッジに倣いて/背いて

「私は同情と、心からの願いのほかには何の大権も持たないで、私自身の経験にもとづきながら、愛情をこめて若い文学者たちに訓戒を述べたいと思う。それはごく簡単である。なぜなら、初めも中ほども終りも、一つの戒めに収斂されるからである。すなわち、文筆を職業としてはいけないということである。或る特殊な人間を除いては、職業を、すなわち正規の職業を持たずして、健康であり幸福だという人を私は知らない。この場合の職業とは、目下の意志には左右されず、きわめて機械的に続けられるゆえに、われわれが忠実に職務を果たすためには、或る程度の健康と、精神力と、知力の発揮だけは必要とするものである」

(サミュエル・テイラー・コールリッジ『文学評伝』第十一章、桂田利吉訳、法政大学出版局、1976・6)

驚くべきは、100年程前のイギリスの批評家が現在の出版界で活躍中の論者が如何にも主張していそうなことをもう既に述べていた点だろうか。或いは、理想主義的性格が強調されやすい英国ロマン主義運動の草分けのような詩人が、意外と堅実なアドバイスをしていた点だろうか。

もちろん理想主義的な思潮と文学専業化の拒否は簡単に両立する。文学とは少数のソフィスティケートされた読者にしか理解されない神聖なもので、職業として成り立たない以前に、カネに左右されてなすべき低俗な仕事ではないからだ。コールリッジに言わせれば、「作家先生になって飯を食いたい」などという文学青年の甘えた夢は、中途半端な現実主義でしかない。聖なる文学に飯の種を求めるなんて言語道断だ。理想の純度を下げないためにこそ、理想とは別のところで黙々と機械的な仕事を適当にこなす必要がある。理想主義も徹底化していけば、案外、現実的で堅実な解決に落ち着くものである。

いささか古臭い批評家のアドバイスに従ってみるのも悪くないだろう。様々な副業、コールリッジ風にいえば「正規の職業some regular employment」をこなすなかで、無能感も緩和されていくだろうから。当たり前のことだが、芸術家や作家を志望していたからといって、幸福であったり健康であったりしても、別にいい。自殺とかもしなくていい。

しかし、私は部分的にコールリッジに背きたいように思う。つまり、複数の副業に就きつつも、それでアートの部分を完全に無償にするのではなく、小額でも不定期でもいいから、文章を書き、それをカネで買ってもらう、そんな回路がもっと一般化すればいいと思っている。そのためにセルフ・パブリッシングや電子出版、はたまたメルマガなど、どんな手段が有効なのかは未だ判断がつかないが、ともかく、ギャランティが2万円から1万円になったという不景気の話よりも、無償なのか有償なのか、その分割線の移動の方が重要だ。

もちろん、それはカネを得ることで飯を食うためではない。カネを得て、無償行為がはらみやすい倒錯的な論理とは別の道筋を通って文章を書くことだってできるのだと示したいからだ。そして、アートの隣りや内側には一般社会が地続きにあることを示すことで、不必要な神聖視や両者の遊離を和らげていきたいからだ。それはきっとアマチュア・クリエーターたちの(どんな方向であれ)成長に資する環境を整えるだろう。文学者も芸術家もサラリーマンの隣りにいる。駅前の本屋にだってプラトンがいるのだ。

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情報誌が歩んだ道を一般書籍も歩むのか?

2013年6月10日
posted by 鷹野 凌

私はこれまで、出版業界で働いてきました。とはいえ、一般的な書籍やコミックなどのメインストリームを手がけたことはなく、「情報誌」という少し特殊な分野にいました。情報誌は、インターネットの登場とともに、ユーザーに対する情報の届け方や収益構造が激変しています。ここにきてようやく「電子書籍元年」を卒業できそうな一般書籍よりも、かなり早い段階で変革の時を迎えたのではないかと思います。

そこで本稿では、私が見てきた情報誌の変遷の歴史を記すとともに、その変化を手がかりとして出版がこれから辿るかもしれない、一つの可能性について考察してみたいと思います。

制作工程の主役が紙からオンラインへ

私が情報誌の会社で働き始めたのは2000年頃ですが、そこではとにかく何でもFAXでした。クライアントから送ってもらう原稿もFAX、取材して入稿するのもFAX、校正バックもFAX、事務所のFAXは片時も止まることがないほど酷使されていました。ただ、現場は紙の原稿や校正紙に埋もれていましたが、その背後を支える仕組みはかなり高度にシステム化されていました。

当時の制作工程は、このような流れになっていました。

  1. クライアントから原稿がFAXで送られてくる
  2. 担当者が誌面に表記する語句として問題がないかどうかをチェック
  3. クライアントの元へ訪問(取材)し、現物をチェック&デジカメ撮影
  4. 完成原稿をシステム部門へFAX入稿
  5. 入稿された原稿をオペレーターがデータ入力し校正ゲラを作成
  6. 取材から帰ってきたら校正ゲラの入力ミスなどをチェックしFAXで返送
  7. 撮影した写真をパソコン上でセット
  8. システム部門が校正指示を元にデータを修正して写真と合体させデータが完成
  9. 印刷用フィルムが制作される
  10. 数日後に色青校

基本は火曜日から木曜日が取材&校正で、金曜日が休み、土曜日に色青校で、翌週の木曜日が発売日というようなスケジュールで、月に2回誌面を発行していました。色青校が終わって完成したデータが抽出されてウェブ上へ公開される形になっており、ウェブの更新も月に2回でした。もっと昔は、アナログカメラで撮影してフィルムを現像という工程だったそうですが、その時代のことは私は知りません。初めからデジカメ撮影でした。

総務省の統計データによると2000年のインターネット世帯普及率は34.0%ですが、当時でも既にユーザーからの反響は誌面とウェブが五分五分か、ウェブの方が若干多いという状態でした。情報誌というのは、情報のかたまりです。限られた誌面上へ多くの情報を載せるために、商品の特徴をアイコンで示すなどの様々な工夫がなされています。なるべく検索性を高めるために、目次にも相当な工夫が凝らされています。しかし、どれだけ工夫を重ねたところで、キーワード検索の簡便性や並べ替え、条件による絞り込みなどが可能なウェブの方が、既に当時からユーザーにとって「欲しい情報を探しやすい媒体」だったのです。

ウェブの方が反響が大きくなるにつれ、誌面の発売前にウェブへ掲出するオプションや、誌面の枠より多く商品情報をウェブへ掲出できるオプションなどが追加されていきました。最終的には、クライアント自身が直接オンライン上で物件の情報を入力し、クライアント自身が写真を撮るという形になり、担当者が「取材」する工程がなくなりました。ウェブは、誌面の発売されるタイミングとは全く無関係に随時更新されるようになりました。すなわち、

  1. クライアントがパソコンでデータを入力
  2. システム部門がデータをチェックして承認したらウェブへ掲出
  3. 誌面の発行サイクルに合わせ、クライアントがデータ配置などの誌面レイアウトを決める
  4. 担当者が最終確認してデータ抽出
  5. 印刷用フィルム作成
  6. 色青校

と、制作工程は見事に簡略化され、FAXは誌面の発行スケジュール連絡程度にしか使われなくなりました。紙の消費も抑えられ、かなりエコになりました。当然のことながら、スタッフに求められる仕事の内容も変貌していきました。「制作」を専門にしていたスタッフはいなくなり、ほとんどが「営業」になりました。

収益構造も変わっていった

情報誌というのは、本そのものを売って稼ぐという収益モデルではありません。書店やコンビニで、例えば「ゼクシイ」のような分厚い情報誌が平積みされている光景をいまだに目にしますが、あの誌面の9割以上は広告です。ページ単価いくらとか、ページを分割してひと枠いくらといった形で、広告掲載枠を売って稼ぐ収益モデルなのです。情報のかたまりであるとともに、「広告のかたまり」でもあるのです。

しかし、ユーザーからの反響が誌面よりウェブの方が多くなるにつれ、「なぜ誌面に高い広告料を払わなければならないの?」というクライアントの不満は大きくなっていきました。ウェブ媒体だけで勝負するライバルも現れました。ページ単価はおのずと下がっていきました。誌面への広告掲載料売上に依存していた頃は、利益率もかなり落ち込んでいました。

情報誌にとって、物件情報の鮮度は非常に重要です。というのは、バックナンバーを見て問い合わせをしても、既に売約済みになってしまっている可能性が高いからです。ヘタをすると「売約済みの物件情報を囮にしている」といった、悪評を立てられてしまいます。誌面の発行サイクルは、どれだけ制作工程を短縮しても週刊が限界でした。

転機になったのは、インターネット時代になってもずっと、クライアントが紙へ手書きした原稿をFAXで送ってもらい、誌面の制作担当者が実際の物件を「取材」するというスタイルだったのが、クライアント自身が直接オンライン上で物件情報を入力できるシステムへと変わった時でした。このシステムの利用料は誌面の掲載料と比べても決して安くない額ですし、クライアントにとっては「手間が増える」話だったのですが、あっという間に普及していきました。

このシステムを使えば、物件が売れたらすぐにウェブ上の情報を売約済みに変更できますし、新しい物件情報と入れ替えることもできるので、限りなくリアルタイムに近い形で情報を更新できました。また、物件情報の数や、一物件に対する情報密度も、ウェブ上の方が誌面より圧倒的に多く・高くできることから、ユーザーからの反響もますますウェブに偏っていきました。

こうして、実質的にはクライアントにとっては手間が増える話であっても、ユーザーにとって価値の高い情報を提供できる仕組みだったため高い広告効果を生み出し、結果としてクライアントにメリットをもたらしました。このシステムを導入しているクライアントと導入していないクライアントとでは、広告効果に大きな差が出るようになりました。「ページ売り」から「システム販売」へ、事業モデルが変わっていったのです。「ページ売り」だった頃に比べると、利益率もかなり改善されました。

そうなってくると、当然「誌面不要論」も浮上してきます。しかし、私のいた会社は誌面発行をやめるデメリットのほうが大きいと判断し、現在に至るまで紙とウェブの両方を提供し続けています。紙じゃないとリーチしない読者層がまだ確実に存在するのと、書店やコンビニでリアルに目に触れて認知される「看板」的な効果があるからです。ウェブ媒体だけのライバル社は、システム利用料は安価であっても、なかなかユーザーへ認知されないため広告効果が低く、クライアントにも評価されづらいという状態でした。

しかし、人口減少とともに確実に市場が縮小していく中で、情報誌を発行し続けるのはますます難しくなっていくことでしょう。週刊で発行していたものを隔週刊に、隔週刊で発行していたものを月刊にといった形で、「撤退戦」を余儀なくされています。古今東西、なるべく損害を小さくして撤退するというのは、攻撃戦より遥かに困難です。私がいた会社も恐らく近い将来、どこかのタイミングで「紙媒体の発行をやめる」という判断をせざるを得ない時がくると思います。

一般書籍の出版はどうなる?

さて、ここまでお話してきたのは「情報誌」という、一般的な出版物や雑誌とは事業モデルの異なる、少し特殊な世界の話です。しかし私には、例えばKindleダイレクト・パブリッシング(KDP)のような「著者自身がオンライン上から直接読者へコンテンツを届けられるシステム」は、情報誌における「クライアント自身がオンライン上で物件情報を入力して直接ユーザーへ情報を届けられるシステム」と、ある意味かなり似通ったところがあるように感じられています。それは、従来必要とされた中間工程の多くが、すっ飛ばされてしまうからです。KDPで書籍を販売しようと思ったら、

  1. 制作したファイルと書籍情報を著者自身がKDPのシステムへ入力
  2. 「Kindleクオリティ」部門がデータをチェックし、承認したらKindleストアで配信

という至ってシンプルな工程になります。

(参考記事)
Kindle ダイレクト・パブリッシングを試す(制作編) – ITmedia eBook USER
Kindle ダイレクト・パブリッシングを試す(配信編) – ITmedia eBook USER

もちろん、「書く」「作る」「売る」をすべて著者自身でやらねばならないので非常に面倒ではあるのですが、著者と読者のあいだに介在するのは、Amazonが求める「Kindle クオリティ」を満たしているかどうかのテクニカルなチェックだけです。内容まで踏み込んでアドバイスをしたり修正を求めるような「強い編集」は存在せず、ファイルにエラーがないか、わいせつ表現が含まれていないかどうかなどの、極めて「弱い編集」的なチェックがあるのみです。

(参考記事)
ハフィントン・ポストにみる「編集」の未来 « マガジン航[kɔː]

従来は、紙の本として出版するために必要なコストとのバランスで、出版社や編集者がダメだと判断した内容であればボツにされるというフィルタリングが働いていました。しかし今日では、出版市場の落ち込みとともに、内容が良かろうが悪かろうがとにかく出版点数を増やし、一時的な入金で事業を回すという「自転車操業」的な状態に陥っていると聞きます。「紙の本を出す」ことの希少性はどんどん薄れ、取次から書店へ配本されたはいいけれど、店頭へ並べられることなく即返品される本も少なくない、と言われています。

しかし、KDPのような「著者自身がオンライン上から直接読者へコンテンツを届けられるシステム」の登場により、今後は出版社や編集者が介在しない領域での (電子)出版が飛躍的に伸びていき、紙の出版点数は激減するでしょう。書籍・雑誌の新刊点数はここ数年8万点弱で推移していますが、恐らくここ数年のうちにインターネット登場前の年間5万点程度まで落ち込むのではないでしょうか。逆に、紙媒体であれば世に出ることはなかったようなコンテンツが、ダイレクト・パブリッシングの世界で量産されることになるでしょう。

ではそういう未来に、出版社や編集者はどうすればいいのでしょうか? 私は、とにかく読者にとって価値の高い情報とは何かを追求し続けることが、結果的に著者や出版社にとってメリットになると考えています。情報量や即時性が求められる分野は、紙よりウェブや電子書籍の方が向いているでしょう。逆に、時間が経過しても色褪せない論考や、保存性が求められるような分野(例えばコレクターズ・アイテム的な本など)は、紙の方がいいでしょう。紙か、ウェブか、電子書籍かという違いは、読者の元へ届ける手段の違いに過ぎません。読者にとってメリットの高い手段はどれか?という観点で考えることこそが、これからの時代には重要なのではないでしょうか。

また、ダイレクト・パブリッシングによって量産されたコンテンツの中から、より多くの読者が喜ぶ、より多くの読者が面白いと感じる、より多くの読者にとってためになるものを、いかにして発見するかという「目利き」的役割や、その良さを多くの人に伝える「宣伝・広告」の役割は、これまで以上に重要になってくるでしょう。いわゆる ”discoverability” の問題です。

膨大な情報が発信されているいま、せっかく面白いコンテンツを世に送り出しても、埋もれてしまう可能性が高いのが現状です。藤井太洋氏の「Gene Mapper」や設楽陸氏の「架空の歴史ノート」が話題になり売れたのは、もちろん著者自身の努力もありますが、これらの作品を見出し世に紹介した人たちの力が非常に大きかったように思います。

これからの時代に、出版社や編集者は不要なのではなく、求められる役割が変わりつつある、ということなのではないでしょうか。