情報誌が歩んだ道を一般書籍も歩むのか?

2013年6月10日
posted by 鷹野 凌

私はこれまで、出版業界で働いてきました。とはいえ、一般的な書籍やコミックなどのメインストリームを手がけたことはなく、「情報誌」という少し特殊な分野にいました。情報誌は、インターネットの登場とともに、ユーザーに対する情報の届け方や収益構造が激変しています。ここにきてようやく「電子書籍元年」を卒業できそうな一般書籍よりも、かなり早い段階で変革の時を迎えたのではないかと思います。

そこで本稿では、私が見てきた情報誌の変遷の歴史を記すとともに、その変化を手がかりとして出版がこれから辿るかもしれない、一つの可能性について考察してみたいと思います。

制作工程の主役が紙からオンラインへ

私が情報誌の会社で働き始めたのは2000年頃ですが、そこではとにかく何でもFAXでした。クライアントから送ってもらう原稿もFAX、取材して入稿するのもFAX、校正バックもFAX、事務所のFAXは片時も止まることがないほど酷使されていました。ただ、現場は紙の原稿や校正紙に埋もれていましたが、その背後を支える仕組みはかなり高度にシステム化されていました。

当時の制作工程は、このような流れになっていました。

  1. クライアントから原稿がFAXで送られてくる
  2. 担当者が誌面に表記する語句として問題がないかどうかをチェック
  3. クライアントの元へ訪問(取材)し、現物をチェック&デジカメ撮影
  4. 完成原稿をシステム部門へFAX入稿
  5. 入稿された原稿をオペレーターがデータ入力し校正ゲラを作成
  6. 取材から帰ってきたら校正ゲラの入力ミスなどをチェックしFAXで返送
  7. 撮影した写真をパソコン上でセット
  8. システム部門が校正指示を元にデータを修正して写真と合体させデータが完成
  9. 印刷用フィルムが制作される
  10. 数日後に色青校

基本は火曜日から木曜日が取材&校正で、金曜日が休み、土曜日に色青校で、翌週の木曜日が発売日というようなスケジュールで、月に2回誌面を発行していました。色青校が終わって完成したデータが抽出されてウェブ上へ公開される形になっており、ウェブの更新も月に2回でした。もっと昔は、アナログカメラで撮影してフィルムを現像という工程だったそうですが、その時代のことは私は知りません。初めからデジカメ撮影でした。

総務省の統計データによると2000年のインターネット世帯普及率は34.0%ですが、当時でも既にユーザーからの反響は誌面とウェブが五分五分か、ウェブの方が若干多いという状態でした。情報誌というのは、情報のかたまりです。限られた誌面上へ多くの情報を載せるために、商品の特徴をアイコンで示すなどの様々な工夫がなされています。なるべく検索性を高めるために、目次にも相当な工夫が凝らされています。しかし、どれだけ工夫を重ねたところで、キーワード検索の簡便性や並べ替え、条件による絞り込みなどが可能なウェブの方が、既に当時からユーザーにとって「欲しい情報を探しやすい媒体」だったのです。

ウェブの方が反響が大きくなるにつれ、誌面の発売前にウェブへ掲出するオプションや、誌面の枠より多く商品情報をウェブへ掲出できるオプションなどが追加されていきました。最終的には、クライアント自身が直接オンライン上で物件の情報を入力し、クライアント自身が写真を撮るという形になり、担当者が「取材」する工程がなくなりました。ウェブは、誌面の発売されるタイミングとは全く無関係に随時更新されるようになりました。すなわち、

  1. クライアントがパソコンでデータを入力
  2. システム部門がデータをチェックして承認したらウェブへ掲出
  3. 誌面の発行サイクルに合わせ、クライアントがデータ配置などの誌面レイアウトを決める
  4. 担当者が最終確認してデータ抽出
  5. 印刷用フィルム作成
  6. 色青校

と、制作工程は見事に簡略化され、FAXは誌面の発行スケジュール連絡程度にしか使われなくなりました。紙の消費も抑えられ、かなりエコになりました。当然のことながら、スタッフに求められる仕事の内容も変貌していきました。「制作」を専門にしていたスタッフはいなくなり、ほとんどが「営業」になりました。

収益構造も変わっていった

情報誌というのは、本そのものを売って稼ぐという収益モデルではありません。書店やコンビニで、例えば「ゼクシイ」のような分厚い情報誌が平積みされている光景をいまだに目にしますが、あの誌面の9割以上は広告です。ページ単価いくらとか、ページを分割してひと枠いくらといった形で、広告掲載枠を売って稼ぐ収益モデルなのです。情報のかたまりであるとともに、「広告のかたまり」でもあるのです。

しかし、ユーザーからの反響が誌面よりウェブの方が多くなるにつれ、「なぜ誌面に高い広告料を払わなければならないの?」というクライアントの不満は大きくなっていきました。ウェブ媒体だけで勝負するライバルも現れました。ページ単価はおのずと下がっていきました。誌面への広告掲載料売上に依存していた頃は、利益率もかなり落ち込んでいました。

情報誌にとって、物件情報の鮮度は非常に重要です。というのは、バックナンバーを見て問い合わせをしても、既に売約済みになってしまっている可能性が高いからです。ヘタをすると「売約済みの物件情報を囮にしている」といった、悪評を立てられてしまいます。誌面の発行サイクルは、どれだけ制作工程を短縮しても週刊が限界でした。

転機になったのは、インターネット時代になってもずっと、クライアントが紙へ手書きした原稿をFAXで送ってもらい、誌面の制作担当者が実際の物件を「取材」するというスタイルだったのが、クライアント自身が直接オンライン上で物件情報を入力できるシステムへと変わった時でした。このシステムの利用料は誌面の掲載料と比べても決して安くない額ですし、クライアントにとっては「手間が増える」話だったのですが、あっという間に普及していきました。

このシステムを使えば、物件が売れたらすぐにウェブ上の情報を売約済みに変更できますし、新しい物件情報と入れ替えることもできるので、限りなくリアルタイムに近い形で情報を更新できました。また、物件情報の数や、一物件に対する情報密度も、ウェブ上の方が誌面より圧倒的に多く・高くできることから、ユーザーからの反響もますますウェブに偏っていきました。

こうして、実質的にはクライアントにとっては手間が増える話であっても、ユーザーにとって価値の高い情報を提供できる仕組みだったため高い広告効果を生み出し、結果としてクライアントにメリットをもたらしました。このシステムを導入しているクライアントと導入していないクライアントとでは、広告効果に大きな差が出るようになりました。「ページ売り」から「システム販売」へ、事業モデルが変わっていったのです。「ページ売り」だった頃に比べると、利益率もかなり改善されました。

そうなってくると、当然「誌面不要論」も浮上してきます。しかし、私のいた会社は誌面発行をやめるデメリットのほうが大きいと判断し、現在に至るまで紙とウェブの両方を提供し続けています。紙じゃないとリーチしない読者層がまだ確実に存在するのと、書店やコンビニでリアルに目に触れて認知される「看板」的な効果があるからです。ウェブ媒体だけのライバル社は、システム利用料は安価であっても、なかなかユーザーへ認知されないため広告効果が低く、クライアントにも評価されづらいという状態でした。

しかし、人口減少とともに確実に市場が縮小していく中で、情報誌を発行し続けるのはますます難しくなっていくことでしょう。週刊で発行していたものを隔週刊に、隔週刊で発行していたものを月刊にといった形で、「撤退戦」を余儀なくされています。古今東西、なるべく損害を小さくして撤退するというのは、攻撃戦より遥かに困難です。私がいた会社も恐らく近い将来、どこかのタイミングで「紙媒体の発行をやめる」という判断をせざるを得ない時がくると思います。

一般書籍の出版はどうなる?

さて、ここまでお話してきたのは「情報誌」という、一般的な出版物や雑誌とは事業モデルの異なる、少し特殊な世界の話です。しかし私には、例えばKindleダイレクト・パブリッシング(KDP)のような「著者自身がオンライン上から直接読者へコンテンツを届けられるシステム」は、情報誌における「クライアント自身がオンライン上で物件情報を入力して直接ユーザーへ情報を届けられるシステム」と、ある意味かなり似通ったところがあるように感じられています。それは、従来必要とされた中間工程の多くが、すっ飛ばされてしまうからです。KDPで書籍を販売しようと思ったら、

  1. 制作したファイルと書籍情報を著者自身がKDPのシステムへ入力
  2. 「Kindleクオリティ」部門がデータをチェックし、承認したらKindleストアで配信

という至ってシンプルな工程になります。

(参考記事)
Kindle ダイレクト・パブリッシングを試す(制作編) – ITmedia eBook USER
Kindle ダイレクト・パブリッシングを試す(配信編) – ITmedia eBook USER

もちろん、「書く」「作る」「売る」をすべて著者自身でやらねばならないので非常に面倒ではあるのですが、著者と読者のあいだに介在するのは、Amazonが求める「Kindle クオリティ」を満たしているかどうかのテクニカルなチェックだけです。内容まで踏み込んでアドバイスをしたり修正を求めるような「強い編集」は存在せず、ファイルにエラーがないか、わいせつ表現が含まれていないかどうかなどの、極めて「弱い編集」的なチェックがあるのみです。

(参考記事)
ハフィントン・ポストにみる「編集」の未来 « マガジン航[kɔː]

従来は、紙の本として出版するために必要なコストとのバランスで、出版社や編集者がダメだと判断した内容であればボツにされるというフィルタリングが働いていました。しかし今日では、出版市場の落ち込みとともに、内容が良かろうが悪かろうがとにかく出版点数を増やし、一時的な入金で事業を回すという「自転車操業」的な状態に陥っていると聞きます。「紙の本を出す」ことの希少性はどんどん薄れ、取次から書店へ配本されたはいいけれど、店頭へ並べられることなく即返品される本も少なくない、と言われています。

しかし、KDPのような「著者自身がオンライン上から直接読者へコンテンツを届けられるシステム」の登場により、今後は出版社や編集者が介在しない領域での (電子)出版が飛躍的に伸びていき、紙の出版点数は激減するでしょう。書籍・雑誌の新刊点数はここ数年8万点弱で推移していますが、恐らくここ数年のうちにインターネット登場前の年間5万点程度まで落ち込むのではないでしょうか。逆に、紙媒体であれば世に出ることはなかったようなコンテンツが、ダイレクト・パブリッシングの世界で量産されることになるでしょう。

ではそういう未来に、出版社や編集者はどうすればいいのでしょうか? 私は、とにかく読者にとって価値の高い情報とは何かを追求し続けることが、結果的に著者や出版社にとってメリットになると考えています。情報量や即時性が求められる分野は、紙よりウェブや電子書籍の方が向いているでしょう。逆に、時間が経過しても色褪せない論考や、保存性が求められるような分野(例えばコレクターズ・アイテム的な本など)は、紙の方がいいでしょう。紙か、ウェブか、電子書籍かという違いは、読者の元へ届ける手段の違いに過ぎません。読者にとってメリットの高い手段はどれか?という観点で考えることこそが、これからの時代には重要なのではないでしょうか。

また、ダイレクト・パブリッシングによって量産されたコンテンツの中から、より多くの読者が喜ぶ、より多くの読者が面白いと感じる、より多くの読者にとってためになるものを、いかにして発見するかという「目利き」的役割や、その良さを多くの人に伝える「宣伝・広告」の役割は、これまで以上に重要になってくるでしょう。いわゆる ”discoverability” の問題です。

膨大な情報が発信されているいま、せっかく面白いコンテンツを世に送り出しても、埋もれてしまう可能性が高いのが現状です。藤井太洋氏の「Gene Mapper」や設楽陸氏の「架空の歴史ノート」が話題になり売れたのは、もちろん著者自身の努力もありますが、これらの作品を見出し世に紹介した人たちの力が非常に大きかったように思います。

これからの時代に、出版社や編集者は不要なのではなく、求められる役割が変わりつつある、ということなのではないでしょうか。